新 刊 紹 介
下條康麿博士著 ﹁社會政策の理論と施設﹂
河 野 吉 男
昭和六年度に於ける我箪界に於ては︑社食政策の方
面に於て三つの貴重なる収穫なえた︒その一つは︑東
大教授河合粂治郎氏著﹁祉曾政策原理﹂︵日本評論社嶺
行︑桂塘箪全集舛八巻︶であり︑他の一つは︑下條康
贈博士著﹁政令攻策の理論と施設﹂である︒繭書共に各
々その特色ある内容を以て︑祉合政策革の開拓に寄興
せ名所甚大であったが︑しかも.その内容が各々特異
なる色彩を探りつゝ︑その寄興せる方面も各々興って
居りながら︑二つ共に︑その存在理由を多分に包合せ
る所に︑多大なる意義を見出しうるのである︒
前者郎河合教授の著書に於ては︑その出現の動機が
社食問題の箪徒に投ぜられたる課題である理想主義を 採るが︑唯物論を採るが︑の問題と︑社食主義を揺るか︑ 祉合改良主義を採るか︑の問題とを明らかにせんが男 に暫定的ではありながらも一應これが目標と指針とを 示されたるものであり︵序文参照︶︑この意味に於て多 年に亙る論策の綜合的結晶と稀するも不可ではあるま い︒しかも︑この書の特異なる鮎は︑従来閑却せられた る企てとしの︑塾としての社合政策の樹立に開拓の歩 を進められ︑社食政策塾の箪間濃系樹式の可能性を暗 示せられたる鮎にある︒これ︑礎魂の社食政策箪徒の なすべかりし鮎を︑企てらるものとして注目に値ひす る所であるが︑更に同教授特異の賠系的立場に基く︑ 就合間輿資本主義︑更に統合思想の解剖︑批判等々は これ迄我団に於て持たれし社食政策の取り扱ひ方と著 しくその悪度を異にし︑その猫白の立場よりこれを把 握されし鮎に︑その開拓の功績を見出しうるのである︒ この著書については既にその内容の紹介も行ほれて居 り︵経済単論集新巻第八城東照︶︑今こゝに筆者の敢て 企てんとする所ではない︒これに射して下僚博士の著 書は︑その題名によりても推知しえらるゝ如く︑その 論述は理論と施設との両方面に於て.堂空ハ百三十頁
商 業 と 経 諮
に疋るものであるがその特色はむじろ各論に於ける
枇合的施設に存在すると思はる
hのである︒この事は
社合政策の概念的討究に於ては約百五十頁を費され
居るに比し︑その各論たる枇命日施設の探究に於ては
B四百八十頁を宛てらる
hを見ても︑著者の努力の目標
が那港に存在するかを知るに足ると共に︑その内容の
充賓と控富さとに於ても.その特色と意義とを寧ろ後
者の施設の解明に見出しえらる
hに徴しても明らかで
あらうコ就中統計的材料に基く理論の開明は.従来の
斯界の何れの著書も有しえざる特色を有するものとし
て推稽するに足るであらう︒一言にして議せばこの舎
の出版の意義は前者にあるよりも全く後者の質詮的研
究に東さるミものと見るを辛一宮とするのである︒
著者は︑先づ第一篇に於て﹁主として枇舎の諸の現
象を歴史的に︑計合的に︑或は倫理墜的に考哀し︑
績いて現存枇舎の諸の獄態を︑祉合算︑のもの﹄理想に
よりて批判し︑我等の生息する祉舎をしてより苔き朕
態に伸展せしめんが潟には如何なる方法を採るべき
か を
︑ 論
究 し
た の
で あ
る ︒
﹂ (
序 文
)
かくして先づ第一章に於て祉合思想の史的探究を円以
二 一 六
て始められ.第二章は枇合問題と枇命日思想.第三辛は
現存祉命日秩序︑第四辛近代産業主義︑第五章産業組織
の検討第六九ヰ祉合問題の解決に関する諸主義概論︑
第七章枇合攻策の概念︑第八章結論︑を以て︑前篇の
総論を議されてゐるのである︒一去は
Y︑総論に於ては 著者の枇合政策に針する根本的立場の如何なる黙にあ
るゃな問明されて居るのであってこの意味に於て五日
人の一路の跡付けな必要とする︒以下順を迫ふて︑批
評的にこれ在紹介するであらう︒
第一章枇合思想の史的探求に於ては︑先づ枇合思想
め意義を以て﹁枇命日秩序の諸相に閲する本質的思想を
云ふ﹂のであり︑その探求は﹁過去︑現在及び未来を貫
く人間主活の中に.自我と悶脳陣との有機的資在関係を
怠識せんとする企悶﹂‑い存在するのである︒かくして
か﹄る企悶の下に希除思想プレト
l︑アリスト
lト ル
に始まり︑古代基督教及び中世吐合思想に及び.ユト
ピア思想︑個人主義社合同川想︑反個人主義枇合思想を
順失的に論述せられる︒
第二辛は祉合問題と枇合運動を中心として枇命日の
本質及びその結合服態より︑一枇合問題の後生を論じ︑枇
合問題は畢完﹁人々の有つ枇曾坐活に関する理想とそ
の不一致から生中るものなる事は明白である︒印枇曾
問題務引の原因は一方之れを吐曾理想を建設せんとす
る個々人が懐抱する倫理的思想の上に求むべきである
と共に︑他方現在枇曾秩序及び祉曾坐活の賢朕に求む
べ き
で あ
る ︒
﹂ ハ
同 書
= ‑
四 頁
) 印
こ れ
を 換
言 す
れ ば
︑ ﹁
一 枇
曾秩序が其の究党の目的に一致せざる場合に.そこに
後生する問題を枇曾問題と考ふる事が出来るのであ
る︒﹂(同書三五頁)しかも枇合問題なるものは︑その
封象を持働問題のみに置く狭義の解穂は現今に於ては
蛍を矢し︑軍に無産階級 ω みの解放でなく︑その他の
階級をも解放せんとする意義を有するものである以上
へ同書三六頁)中産階級問題乃至掠人問題等炭義の枇合
問題の解決をも促進せしむる運動をも包含すべきであ
る︒印これによりて見れば著者の枇舎問題に針する観
察は︑一八七二年溺逸に於て成立せし︑枇曾政策皐舎
の怠味せし枇合問題印般労働問題のみに限局せられ宇
最近の傾向による炭義の立場に立たる﹄ものと見るを
主常とするであらう︒印琵来の所謂枇舎玖策事汲の立
拐を逸脱せらる
h傾向を宥取しうるのである︒
a
︐ ・ ・
J晴川JSS
︑ ー
事 羽
ド 指
先
社合政策の政論
L﹂ 施
設
突に現存枇舎秩序に至りでは持働組合︑消費組合︑
持働黛 ι その論漣を集中せられ︑第四章︑近代産業主
義に於て.近代産業主義の概観より産業図有問題に
及ばれ﹁放任の時代は過ぎた︒而して統制と所有とが
産業を管理する時代に向ふべきである
OL(同書七五頁)
事を高唱し︑所詞園家枇命日主義の主張在悶明せられん
としてゐる︒印﹁非常に望まし昔事は︑現在の図家の
完全なる頴覆によって獲得されたのではなくして現
存の歴史的閥家の諸の素因及び財貨私有の制度密保持
する事によって︑それ等の上に︑より・炭き機能と祉合
的理想との聯勢が必要となるのである︒要するに根本
目 的
は 園
家 在
一 週
C
て一切の事を匁すにある︒印現在の
枇舎組織を維持しながら.生産の大なる要因を園家の
子に復蹄せしめんとする︒かくて議山︑森林︑会盆及
び交通機関等は私有ではなくて︑公有とすべきであ
る
Q﹂ (
同 書
七 二
頁 )
著 者
の か
L
る見解は我図の重要産業
に針する態度に於て顕著に示されてゐるのであって
各論第二字︑企業の制限(同書一二五頁 i
二 六
二 頁
) は
その見解の具鰹的提案と見るべきものであらう︒
次に述べられたる産業組織の検討は︑英.仰︑獄︑
二 一
七
商 業 と 粍 問
伊︑北米合衆闘に及んでゐるが︑著者は英士口利に於け
る産業組織を以てその最も規準的のものとせられて居
る黙より見ると︑その論蓮せらる
h産業組織に於ける
重要産業の公有が凡そ如何なる目慌にあるかも察知
しえらる﹄のである︒しかして︑著者の見解によれば
﹁英吉利の一般産業組織は.教育されたる持'働者の閤健
と︑資本家︑企業家側 ω 啓愛された指導精神とを要求
しつ与︑より新しい事情に遁膝すべき諸の計査の萌芽
を有して居ると云ふも決して過一吉ではないのである
J﹂
( 同
キ 十
一 日
八 二
頁 )
次に著者の枇合問題に関する諸主義は現代に於ける
枇舎思想の全般に鮪れて︑これを批判の封象となし.
最後に第七辛第八辛に於て︑著者の根本的立場と稀
すべき枇曾政策に関する探究を果されてゐる︒
著者は枇合政策接合成立以来の諸島一・者の準設を紹介
しつ=︑﹁之れを要するに枇合政策は.一方に於て個人
主義の極端なる自由放任に反封すると共に︑他方に於
て現存枇曾秩序並に経漕組織の原則たる財貨の私有と
自由競宇とを根抵から破壊せんとする枇曾主義的忠想
に反封し.現存枇曾秩序を是認しつ﹄此の中に必然的 二一入
にふ仔在する諸積の弊害を非︑の攻策的施設によって制限
し︑或は除去し以て個人
ω完成と枇舎の震建とを遂
行せんとするものである︒﹂(問書二二一頁
l一 三 二 頁 )
印﹁枇合政策は財貨の私有と自由競争との二大原則印
現存枇合秩序並
経焼組織を肯定しつ
h一方此の枇 ‑ L
合制度により不蛍に他人の利往在侵害せんとする者を
制限すると共に︑他方か
hる侵害を被りたるものを保
護 し
・ ・
: ・
: :
以 て
枇 合
の ふ
十 躍
的 護
法 を
促 進
せ ん
と す
る も
の で
あ っ
て :
: :
﹂ (
同 書
一 三
七 頁
) 言
ひ 換
ふ れ
九 ば
斗 有
産
階級と無産階級とが︑躍なる闘争的野立関係に立つ事
なく雨者は物質的生活に於ても文化的生活に於ても
常に階級意識を撤去して.生活の公平を遡笠し︑雨者
舜しく人格の護展完成を刻するものであり(同書二二
七頁¥所詮︑枇合組織 ω 好意的調和と枇合現象の協働
的整賓とを目的とするものである
OL(同書一三八頁)
以上の長き引肘は︑著者の枇合攻策に関する考察の
那蓬にあるかを知る符に︑これを敢でしたのであるが︑
これによれば︑著者による枇曾政策の目的は一に全く
近代に於ける布産無庭雨階級の階級的札機と抗争と
を.人間の現貫生活に於ける善の寅現の傍に(同書一
六
O頁)好意と協働との精神とをはて(同書一三七頁)
より高き人絡的立場に止場せんとするものである︒し
かるにその卦象が.有産︑無産一雨階級の闘争的野立関
係より穫する枇合問題解決のみに向けらるミ事は.既
に前述せる如く︑同書第二字祉合問題と枇命日運動に於
て述べられたる枇曾問題に閲する著者め成義の見解を
裏切る事となって来ざるをえない︒何となれば同書第
二十辛枇合問題と祉合運動(三五頁
l三六頁)に於ては
著者は︑祉合問題については.十九世紀末の溺逸肘合
攻策車汲の採れる狭義の解耀を排し︑自ら成義の適用
を至笛とされてゐるに拘ら歩︑今再び.一三六頁に至
って︑自ら排斥せられたる狭義の解縛を主張せらる
hは理解じ困難なるが放である︒況や︑同者三六頁に於
ては﹁枇合運動を持働者運動印無産階級の解放運動の
みなら宇.中産階級乃辛一婦人問題等も包含せしむべ
しー一と主張しつ﹄九八頁に至って︑﹁近世枇合運動の
特徴は︑之れを無︐産階級の精岬的︑物質的解放に求め
なければならない﹂となすが如き旦叉祉合政策は一
方自由放任を排し.他方枇合主義的思潮に反針し.現
存 一
耽 合
秩 序
を 是
認 し
つ
h
諸
程 の
弊 中
小 川
を 除
去 す
る (
同 書
相 州 刊 紹 介
枇合政策の期比論と施設 一コ二頁)とせらるへが如きは︑明らかに一八七二年 の濁逸杜合攻策墜舎の採れる所謂枇命日改良主義の立場 に活時せられたものであって.第二辛壮曾問題と一枇合 運動に於ける見解と︑第七辛枇命日攻策の怠語目的に於 ける夫れとの求離は︑著者の立場の那溢に存在する かを了解するに困難ならしめてゐるのである︒
これを要するに︑著者の枇合政策に関する見解に於
ては.疑問とせらる﹄黙は突の三つのものに蹄しうる
で烏らフ︒郎︑その一は著者の枇曾攻策に於ける立場
の問題これであり.第二は.その封象の限界の問題こ
れであり︑第三は︑著者の一枇曾攻策の目的の不明確な
る紡これである
d第一と第二とは既漣せる所であるが
第二一の目的の問題に於ても祉合攻策は結針的の茎口に
よって整持せられ︑統一せられ(問書一二四頁)人類枇
舎をしてか﹄る枇合理想に到達せしめんが鍔のもので
あり.こ
λに人間の現貫生活上の善の賢明喝を期せんと
す る
の で
あ る
が (
同 常
一 二
六
O
頁)︑何が善なりやについ
ては著者の見解は一向明確ではない︒著者は或は︑﹁物
心二世界の恩浮に浴するの敵びを悟らしめ絶えホノ人
間的合理的協働関係を生中る永遠の内的牛一成の建積に
二 一
九
商 業 主 経 済
ら し
め ・
・ ・
: :
: か
く し
て 成
立 せ
る ﹁
意 志
せ ら
れ た
る 関
係 ﹂
が 枇
命 日
瑚 恕
に 一
辺 き
善 の
行 は
る
L
所であるとせらる
hも
(同書一三七頁)これでは善の内容それ自惜は未だ鮮明
ではない︒これ
d q 換言すれば著者の云ふ祉企日攻策め目
的たる﹁祉合組織の好意的調和と枇合現象の協働的整
斉 ﹂
( 同
事 一
一 同
一 三
八 頁
) と
は 何
な り
や ︒
こ れ
人 間
の 現
貫 生
活
の上に益口密寅現せんとするものなり(問書二ハ
C頁 ) ︒
しからば寅現せんとする善とは何か︒著者は﹃)れに針
して一向解答は奥へられてゐないのである︒こ
hに 於
て︑筆者は只序文に於ける著者の言葉を想起するのみ
である︒﹁若し我等が吐合政策とは何ぞやと聞はれるな
らば恐らくは何人も之れを印答するに跨路するであら
う︒::::之れを的確に言語に表攻することはよし
ゃ不可能でないにしても.相砂田の難事であるに相建な
い︒唯何人も立論上の使宜上仮令明確を快くとしても
少くとも之が概念を定めてか
hらなければならぬ︒予
も此の意味により本研究に叙述した如︑き概念を使用し
た の
で あ
る ︒
L .
穴品ぺこれによってその立場の混節︑不
統一が許容さる
λものではあるまい︒何れにせよ以上
の諸黙に於て難貼あるにも拘ら宇著者はか﹄る概念 二 二
O把掃の下に.一史に第二信各論に於て︑その綿菩在傾り
られてゐる︒この第二篇の賢詮的探究こそは︑著者本
来の面白の存する所であり︑その内容の異撃と猫創と
は︑前篇の難貼を補って偽りあるものと伝中るのであ
ザQJ
第二篇は︑仮にこれを三つめ領域に分つ在うるであ
らう︒印第一牢財貨私有の制限︑第二章企業の制限.
第三章生活必一市品供給の総保︐第四半分配の制限等々
はこれを一括して︑著者の一枇合生活に於ける統制的主
張の貫徹せるものであり︑且叉その具般的提案とも見
るをうべく︑第五辛労働者保設︑第六平失業の防止及
び救演.第七辛弱者の保諜第八辛小作問題.第九辛
住宅問題等々は︑所謂被座迫階級叉は所得少なき階級
の枇合的保護又は救済を主張せんとするものであり.
日以後の第十字人口問題は︑他より溺立して我図人口
問題を世界の夫れと関聯せしめつ¥その大局的考察
︑を著者溺自の立場と材料とに基いてなされてゐるので
あ る
得方法の資本主義枇舎に及帰す影響を考察せられ.こ 先づ第一辛財貨私有の制限に於ては︑生産果賓の取 ︒
れが制限策在提案せんとして︑所得税︑土地培加税.
戦 時
利 得
税 ︑
相 績
税 の
改 正
+ を
伊 ぜ
} そ
の 批
判 の
叫 針
制 象
と す
る
u
著 者
は も
と よ
り ﹁
. 津
て分配せらる﹄呆賓の分量を何を標準として之れを定
むべきかと云ふに之れは具に困難な問題であって︑
今の社合問題の中核は此の分配呆賓の数量にある﹂(同
市 一 一 二
八
O
頁)事を充分考究の上その針策を詩ぜんとし
て居らる﹄ので h る︒著者の見解によれば︑第三種所
得税笠一両国以上の者は所得必要限度以上の所得ある者
として相蛍の課税をなすべき事を.我園第三種所得税
納税者の内地総人口に封する割合(一分五煙)及び宣
高岡守越ゆる所得税者の第三種所得税納税者に針する
割合(五分六座)を論擦として﹃)れが課税の理由ありと せらる
h
究も.凡て枇合的の立場よりせられてゐるものであっ
(問書一八一頁﹀︒他の三つの税程に封する考
て︑著者の立場は一に財政々策によりて行はる﹄枇曾
政策の現代枇合宅活に奥ふる影響を目標とせらる
hも
のであら︑フ︒しかもその具躍的の提案は︑弐の第二辛
企業の制限︑第三辛生活必箭品の確保︑第四字分配の
制限に於ける諸提案と共に.著者の面白と特色とを伺
折刊紹介
枇合政策の理論と施設 はしむるに足るものである︒著者は︑園民の経済枇合 生活に針する︑これらの種々なる提案在︑図家を主鰭 とする祉曾攻策を有殻遁切に賢施する事によって宜現 せんとするものであるが︑その針象が悉く我園の祉命日 現象にあり︑しかも︑豊富なる材料による賓詮的立場 よりその赴くべき目擦を示唆せる姑は多大なる注目 を梯はるべき債値あるものと信守るのである︒
第二章︑企業の制限は︑現代資本主義に於ける大規
模なる企業形態としての濁占的朕態を.社合的立場よ
り制限せんが潟の種々なる論擦を紹介せられたる後︑
鏡業︑若林.餓道︑海運︑郵便︑電信︑電話︑水道︑
瓦斯︑電燈︑電車︑盟︑砂糖︑等々の図有を提案せら
れてゐる︒以上の内銭道郵便︑盟︑等々は既に我闘
に於ても貰施せられてゐる所であるが︑更に︑これを鏡
山等の︑その企業の本質上岡有たるべきものより︑砂糖
等の日常坐活必箭品に至るもの﹄図有を主健とせる企
業組織が.凶民生活にとり至大の使盆を奥ふる所以を
明らかにせられてゐる︒かくて︑著者の見解は更に進
んで銀行の図有保険の固有︑米の生産販頁の園有に
迄及ぶのである.銀行は元来﹁枇舎一般︑公衆の利盆
一一一
一
一
商 業 と 経 済
を主眼として経営すべき事業であり﹂(問書二三八頁)
﹁近年銀行企業白樫の安闘を国らんとする大蔵省の銀
行整理案と︑引結く財界不況による銀行営業の悪化と
に伶ひ銀行集中化の傾向ありしに
L一 史
に ﹁
昭 和
二 年
以
降休業銀行の総出せるに鑑み.今日に於ては最早銀行
は之れ在同有にすべき機運に立至って居るのである o ﹂
( 同
書 二
四
O頁)保険に於ても同様じ
Jt其の溺占的性質
経営方針として被保険者の利害を主として考慮する見
地 か
ら 凶
有 た
ら し
む べ
き で
あ り
・ ・
: :
: ・
そ の
図 有
は 純
異
な る
意 味
に 於
て 枇
命 日
攻 策
的 施
設 で
あ る
︒ ﹂
( 同
唯 一
日 二
四 四
頁)とせられる︒更に米の生産販頁の国有に一主つては︑
その生活必需品たる性質と.米債の不安定にるとの伐
に︑その困有問題の可否は従来屡々論ぜられたる所で
あるが︑著者は︑米の数量の同家的管理︑米債の合理
的安定︑祉合問題としての小作︑消費耐方面の難問題
の脱却等々の理由を根嫁としてこれが図有を是とし
(同書二五二頁)︑生産︑販貰嗣方面の図有により︑本邦
の食糧問題の解決を一不さんとしてゐるのである︒これ
が果して可能なりや否やは.著者の論述のみでは不充
分であり且叉.その手続含︑或は財源の問題等も出て
一一一
一一 一
くるのであるがこれは著者の立闘が枇合攻策の諸
施設の一定の理論的根撲を示すを主眼とせらる
hの で
ある以上(れ舎序文)︑その意同の範国外のものとして
他日を期するより他致し方あるまい︒
第三半生活必需品供給の総保は︑そ.の供給上の不安
吾除︑き︑その依絡の最低限のものを確定して.一般生
活を安定せしめんとし︑これが方策として関税免除︑代
用品の研究︑或はその配給方法の改警策としての公営
卸一民︑小安易の設置︑消費組合め設定最高低絡の決
定等に及ばれてゐる︒最後に第四辛分配の制限に至っ
て現在の重要問題としての分配問題を論究される︒﹁事
業牧盆の分配を困るためには︑図家は一面に於て従来
分配の薄い労働者︑従業人の如︑き事業に専ら治る者に
封して生活上の保設を確買にすると共に︑他面に於て
従来受くる所厚き資本家︑企業家の所得を制限する事﹂
( 向
者 二
九
O
頁)を中小限としで︑その州限策冶捉出せら
れてゐる︒先づ生活資料の分配上の賃銀島一訟を紹介の
後.その図家的統制に及び.生活資料決定の標準.そ
め最低限度の計算等々を.県富なる統計と資料とに基
いて貰遊的に解析せられる︒我々は︑か
hる官設的の
研究に基いて.吾人日常生活上の衣.食︑住決定の際
に於ける相関々係守明瞭に科率的に知悉する使一盆を
奥へられたるものと稲すべきである︒
第五卒以下第九牢迄は恵まれざる階級に於ける穏々
なる枇曾問題を取扱ってゐるのであるが第五章弊働
者の保護及び民六牟失業の防止及び救湾の問題は︑現
下の持働問題の中心的のものであるが︑著者は蛍面
の重要問題を中心としてその私見在日辿べられてゐる︒
もとより著者は現代資本主義時代に於ける努働問題の
重山女性を訟むるに容なるものではないが︑しかし︑労
働組合法制定は我図の今日の航態に於ては︑宅もその
必要なきものと観察せらる
hのである︒何となれば.
﹁組合法の制定は︑弊働者を腕って一つの集国を作らし
め︑持働者保護を目的として徒らに企業家︑持働者聞
の不利を激成するに至るのである︒般労働者保護の宜を
皐けうる方法が他にあるならば︑何が故に雨者に損害
を蒙らせて迄も.労働組合法を制定せねばならぬので
あらうか︒﹂(刷書三八二頁)との疑問の下に︑労働組合
法に代るべきものとして労働法典を案出し︑同盟罷業
の如き行動守腔して.企業家.労働者の関係はこの法
お刊紹介 枇合政策の迎論と施設 共によりて規律せられ雨者の宇ひは法律上の宇ひの 範囲に出でぎるべき守勧告せらる(同書三八
O頁 )
︒ し
かして著者のかミる提案の論嫁は﹁現代め産業先進凶
に於ては既に︑第一期の務働者紹針服従時代︑第二期
の抗争時代を経て︑第ご一期の協調時代に達して居ゐ以
上︑我園に於て先進国の嘗めた経験在なす必要は遣も
なく︑直ちに持働法典め制定に器準一し以て理想郷の出
現を期すべきである﹂からである(同書三八五頁)︒こ
れ以後に於て弊働者保護に閲する種々なる施設を批判
せられて居るのであるが︑筆者の疑問とする結は︑現
代の我図の情勢が果して弊働組合法の制度を不要とし
てゐるか斉かにある︒現在の客観的朕態より見れば︑
合法的なる弊働組合法による承認と.その合理的指針
なき故にこそ︑我岡持働運動は︑混観を極め不統制
となって居るのではあるまいか︑著者が州労働組合法に
代る.別種の努働法典を提案せらる
Lも.持働逗動の
合理的登展に針しては.その規準となすべく偽りに不
充分のものと稀せざるを得ない︒且叉その抗争を法律
の範囲内に限らんとするも︑その法枠そのも
ωが︑持
働組合の合法的存在を承認せざるものならばこれ勢
一一‑‑ 一一一
一
商 業 と 経 済
働者にとりて︑存在せざるに等しきものであるからで
あ る
︒ 何
れ に
せ よ
著 者
の 見
解 は
. 以
上 に
て は
末 ︑
た ・
宅 一
分
なるものとは稀せられない︒突の失業の防止及び救波
及び弱者の救済に至つては敢て特色とすべき所はな
い︒叉小作問題は.農業努働者の立場を知何にして保
護すべきかを提案せられてゐるのであるが︑これは祉
合問題と稀するも寧ろ農業政策の封象にるべきもの
にして枇合政策の封象として論漣するは如何かと忠
推せらる
Lのである︒第九辛の住宅問題は従来の我 図の吐合政策の研究に於ては比較的者却せられてゐた
問題である丈︑著者の論策は誠に有意義なりと云はざ
るをえない︒現代に於ける住居費の総生計費中に占む
る地位は︑注目すべき事賓として者過しえぎる現象で
あ る
J
が︑著者はこれを生計上より間明にせられ︑その
供給問題︑家賃制限問題不良住宅改良問題等を述べ
られてゐるのである︒
最後に第十辛の人口問題は.既漣せる如く︑著者濁
自め立場より前九章とは全く抑制立にその豊富なる統計
的材料を駆使して︑我図人口問題の現時肌及びその賂来
の展望を果されてゐるのであって︑枇合施設に関する
‑ 一 一 一 四
諸論策の中でも白眉のものと稽さるべきであらう︒著
者の見解によれば人口問題を躍に食糧問題の関係のみ
より研究するは無意義でありむしろ生活全般の関係よ
り 考 察 す べ き も の と せ ら れ る ( 同 令 官 五 四
O頁 )
︒ し
か ら
ば︑生活全般の関係よりして︑現在異常に培加しつ﹄
ある我闘の人口は︑その将来の趨勢果して如何︒著者
は先づ︑我闘が過去に於
t経験せると同一の事情が勝
来に於ても起るべき前提の下に︑過去の人口の内より
一定の法則を求め︑将来の趨勢を浅知せんとする方法
を批判の狙上にのせんとする
Jこれに関する泡去に於
ける稜々なる統計引用の下にその溺特の見解巻展開せ
られ.最後に﹁今日以降に於ては我図が過去に於て
経験しにと同一の事情の下には人口増加は起・り得ぎる
ものと考察し﹂﹁文化先進固に於ける人口増加と我図と
のそれを仔細に貼検し︑近︑似の曲線︑を求め勝来を考
察するに︑文化先進凶に於て経験せる所が我園に於て
も起り得る可能性あるものと断定せらる﹄のである︒
ハ同書五五六頁)
・次に溺逸に於ける一八九八年より一九二五年に至る
人口自然増加率の各年平均減少率を算出し︑この率に
よって自然増加卒︑が零となる数字そ.一九四七年に求
め.一九二六年を極大と仮定したる我同人口の自然増
加卒は一八九九年以後に於ける濁逸の自然増加率と近
似的傾向を辿るてふ想定の下に︐濁逸の自然増加率の
減少を以て.一九二七年以後の我図の各年の自然増加 率を算出し︑その推計人口を算出せられてゐる︒印こ
れによれば︑我闘に於て自然増加率の零となるのは約
四十年後の一九七
O年で︑同年の推計人口は八五︑五
四 二
一
00
人とせられるのである︒(同書五六二頁)
何故にか
hる減少の傾向を前提するか︒こは一に祉
舎に於ける街生設備の普及による死亡率の減少︑資本
主義の護法に件ふ所得減少による晩婚の傾向︑人口の
都市集中に基く出生卒の減少傾向︑或は避妊その他に
よる人銭的制限策等々にして︑我図の統計も銃にこれ
を宜詮的に詮明しつ
Lあるのである︒且これらの黙は
既に種々なら論者によりて高唱せられつ
Lある所であ
り︑敢て異とするに足らない︒只著者の特異なる結は
その県出なる統計による具慌的推断であり︑この貼は
蛍面の論述を一府怠説深きものにせしめないでは措か
ないものと信手るのである︒
新刊紹介
世合政策の理論と施設 以上の論断のや同然の結果は﹁今後凡そ三十年後に我 園人口が九千高に達するやうな事はなく︑人口増加卒 は 今 日 の 程 度 を 目 眠 ︑ 高 と し て 次 第 に 減 少 し ︑ 前 記 の 推 計
方法による人口増加の計数よりも活かに少なき数字を
示すのではあるまいか︒﹂(同書五五九頁)と楽観的の観 測になるのである︒
著者の推断が岡本して安蛍のものなりや︑否やにつ
いては或は幾多の疑問も出づるであらう︒しかし︑そ
の官設の論嫁'はその立場に於ては確かに科撃的︑合
理的にして︑敢て呉をなさしむる儀地は存在しないの
である︒故にその内容の充貰さから見ても︑人口問題
に著者の努力が大部分﹃}の問題に集中されたるも ω と 解するは︑敢て過言ではあるまい︒
以上を以て大鰭この著書の紹介を終った積りである
が︑玩述の如く︑本堂日の出現は︑一枇曾政策施設︑それ
も我闘のそれに封する︑理論的論蓮と︑賢詮的論詮と
の須のみにても充分に︑その存在理由を有しうるもの
と信じて差支へない︒只前篇の枇舎攻策概念の論述に
於て︑多少の非難を完れざるものとするも向︑後者
の償値は﹃)れを償ひて依りあるものと精してよいであ
ニ 二
五
商 業 と 経 湾
ニ ニ 占 ハ