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東アジアの産業発展と女性
― マレーシアにおける現 地調査
(1)から ―
● 2008年度個人研究員 中村 眞人
1. 東アジアにおける産業発展と日本企業
今日の世界において、東アジアは、ヨーロッパや北アメリカと並んで、社会発展を先導していく三極の一 つとなっている。日本と韓国は、中国と密接な関係を保ちつつ、その中核をなしている。1970年代、韓国、
台湾、香港、シンガポールは、輸出加工区を設けて、法人税や関税の減免、産業基盤の提供といった奨励 策によって、外国からの資本と技術の導入をはかり、成長を遂げた。1980年代、中国は、1970年代末から の改革開放路線のもとで、沿海都市への経済特区の設置を始めとした諸施策を通じて外資導入を進め、社 会主義市場経済の基礎を据えた。
ASEAN諸国でもまた、シンガポールに続いてタイとマレーシアが工業
化を進めて成長を見せた。こうした東アジア諸国の産業発展は、それまでの輸入代替的な工業化に加えて、国外市場で販売・消費される工業製品の労働集約的な大量生産によって実現された。こうした東アジアに おける輸出志向の工業化は、1970年代以降の、日本企業による国際的なグループ経営の展開と深く結びつ いていた。
2. 日本企業の国際展開と女性
日本の産業発展は、国内の社会基盤整備と結合した重化学工業化に加えて、大量生産品の海外輸出に強 く依存する極めて輸出志向の強いものであった。なかでも、自動車と電気機械・電子機器など、加工組立 型産業による大量生産は重要な役割を果たした。自動車という輸送用機械は、何万点もの部品からなる。
最終組立ラインをもつ完成車メーカーの下に、無数の部品供給業者が操業している。大量生産的な電気機 械・電子機器メーカーもまた、組立作業に特化した完成品の生産拠点と、多種類にわたる電気・電子部品の 製造業者との分業関係をもっている。
1960年代、日本国内の農村部には、自動車部品や,電気機械・電子機器およびその部分品の大量生産拠 点が集積した。多くは地方自治体の地域振興策と深い関係にあり、兼業農家の女性が家計補助的な収入を 求めて組立ラインで単純労働に携わった。兼業農家の女性は、1980年代なかばに貿易摩擦の極点に至った、
何十年にも及ぶ日本の輸出主導経済を支える労働力として不可欠の存在だった。
1970年代、日本の製造業は、さらに低い人件費を求めて、大量生産の拠点を海外に設置し始める。この 時期、韓国、台湾、香港、シンガポールというアジア新工業地域(Asian NIEs)における輸出志向的工業化 の大幅な進展は、それと照応するものだった。1980年代以降には、日本企業は、中国および東南アジア諸 国へと生産拠点を展開していく。自動車部品、電気機械・電子機器などの海外生産拠点で主力となるのは、
日本国内における展開の場合と同じく、女性の単純労働だった。日本の製造業は、開発・設計、高度な技術 を応用した高付加価値の資本集約的な過程を日本国内で進め、労働集約的な過程を海外で進めた。日本の 大量生産的製造業は、知識に基礎をおいた中枢を本国にもち、国境を超えて生産拠点を展開するグループ 経営という形態で、多国籍化を進めた。
3. マレーシアにおける輸出志向的工業化と女性
ASEAN発足当初の5か国のなかで、シンガポールに次いで輸出志向的工業化に成功したのはマレー シアとタイだった。自動車部品製造の拠点となったタイに対して、マレーシアは電気機械・電子機器の生
個 人 研 究 経 過 報 告
Masato Nakamura
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産拠点としての地位を確立した。1980年代後半から外国資本の投資を促進するための法整備や工業団地の造成などを進めて、積極的な外資導入政策をとった。製造業外資認可額は、1985年の9億5,900万リンギから、2000年 198億4,900万リンギ、2006年202億2,790万リンギへと大幅に増加した。一人あたりGNPは、1985年の1,896米ド ルから、10年間で3,960米ドル(1995年)へと成長した。2003年以降は一人あたりGDPの数値として示されて2006年 に5,859米ドルであり、後背に農村部を持たない都市国家であるシンガポールの29,917米ドルには及ばないものの、タ イの3,136米ドルを大きく上回っている。国内総生産に占める製造業部門の比重は1985年の19.7パーセントから2005 年の30.8パーセントへと高まり、これに対して農林水産業の比重は20.8パーセントから8.0パーセントへと変化して、
この20年間に着実な工業化を見た(2)。
1981年から2003年まで首相に在任したマハティールは、強力な指導性を発揮して、首相就任直後から「ルック・イー スト」政策を唱え、日本や韓国をモデルとする成長戦略を採用するとともに、日本企業の誘致に積極的だった。特に、
マレーシアは、電力の安定的な供給や、輸送を確実にする高速道路網など、産業基盤の整備に力を入れていたため、
日本企業の国際競争力を象徴する高度技術を応用した電気機械・電子機器の企業が多く進出した。主としてマレー半 島西海岸には、ペナン、スランゴール、ムラカ、ジョホールなどの各州に大規模な工業団地が造成されて多くの日系 企業が操業している。特に、首都クアラ・ルンプールに隣接する、スランゴール州の州都、シャー・アラムには、日本 の代表的ないくつもの電気機械・電子機器企業が数千人規模の従業員を擁する大量生産拠点を設けていて、マレー シアにおける輸出加工区の典型を形成している。シャー・アラムに限らず、そうした電気機械・電子機器の大量生産拠 点では、従業員の女性比率が70パーセントから80パーセントに達するのが普通であり、日本製造業の国際的な展開と、
マレーシアの輸出志向的工業化とを、女性の単純労働が基底で支えている。
4. 働く女性の増加と社会的支援の課題
マレーシアは複合民族国家である。およそ5割を占めるのがマレー系であり、中国系が約3割、インド系は1割に満 たない。マレー系人種が現マレーシア領の地域に入ってくる以前から居住していた諸部族が、オラン・アスリと呼ばれて、
約1割いる。人口比では多数派のマレー系は、農村部の自給的経済と深く結びついており、都市の商工業に依拠する 中国系に対して経済的に不利な立場にある。そこで、マレー系とオラン・アスリをブミプトラと呼んで経済的地位の改 善をはかる政策が採られてきた。
工業地帯で輸出志向的な大量生産に携わる労働者の大多数は、マレー語で
Kampung
と呼ばれる村落共同体を出 自とする、若年女性である。農村部の余剰労働力である人々が、単身で工業地帯や都市部に移住し、現代的な産業 部門で働き、やがて定着する。一面では、「日本の一人分の人件費で30人雇える」(3)という賃金格差が議論されること もある(4)。しかし、他面で、先端的工業の分業組織の規律に従い、貨幣収入を得て市場で商品を購入・消費し、都市 的なライフスタイルを経験することの意義は大きい。農村の家族への送金は、父母の生活近代化や、弟や妹の就学 機会へとつながっている。マラヤ大学の人文社会科学部で公共政策と社会的公正を研究するファイザー・ユヌス(Faizah Yunus)博士は、大 阪で経営学を学んだ女性である。博士によれば、現代的産業部門で職業労働に携わるマレー系女性の増加は新しい 社会的課題をもたらしている、という。一つは、
Kampung
の拡大家族の絆から離れて核家族化するために、育児へ の支援が得られず、少子化が進行することである。もう一つは、公立の保育所などの公的・国家的支援と、市場から 有償で購入される保育サービスとの中間に位置するような、NPO
などによる市民的な相互支援がまだ発達していない ことである。「ルック・イースト」とは、成功例に学ぶというだけでなく、同じような問題が発生することを未然に回避する、という意味もある、と博士は言う。色彩豊かな民族衣装を身に着けて、辛抱強く働くマレーシア女性の明るい将来を 祈りたい。
(本学文理学部教授/産業社会学)
[注](1)現地調査は2008年9月と同年12月に実施された。
(2)ジェトロ・クアラルンプール『数字で見るマレーシア経済』2007年12月。
(3) 当初、日本企業が人件費上の優位性を求めてマレーシアに進出したことは、企業経営の当事者も認めている。しかし、今や、
価格競争のなかで生き残るためには、機械や設備の生産も可能な限り現地化しなければならない段階に来ており、現地企業 の育成が課題となっている、という。シャー・アラムの日系企業からの聴き取りによる。
(4)ただし、この種の賃金格差論は、購買力の違いを無視している場合が多い。