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労働概念の歴史(2)

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【研究ノート】

労働概念の歴史(2)

            酒巻 秀明 *

 本稿では,17,18 世紀の労働概念の変化について検討する.

 社会史家のヴェルナー・コンツェによると,17,18 世紀に労働概念の経済化が進んだ.

労働の概念は,技術の発展によりキリスト的な倫理から解放され,労働によって,物が 変化され,価値が作り出されると考えられるようになった.その結果,労働は,苦役や 貧困と直接結びつくものではなくなり,その代わりに,経済の中心に置かれ,喜びを与え,

幸福への道を開く活動になっていった.

 また,労働は豊かさを生むとされ,労働のもたらす豊かさは,個人のレベルだけでなく,

国家の富にも関係するものとなった.

 他方,労働の選択は,権利として認められるようになり,労働の解放が始まった.こ れにより,新たな経済化された労働の概念は,市民革命の前提のひとつになった.

 しかし,労働概念の経済化の結果,労働が,移動可能な物として扱われるようになっ たり,豊かさの分配の問題が生じるようになった.楽観的な経済学者は,生産の拡大に より,問題は解決できるとしたが,このような流れに対して反発も現れた.フランス革 命においては,平等の権利が主張されるようになり,ドイツの観念論的哲学においては,

フィヒテは,労働により,自由が実現するとし,また,ヘーゲルも,労働を,経済的な ものに限定せず,精神世界の発展との関係の中で見ている.

キーワード:労働,経済化,豊かさ

1 はじめに­­

 前回は,社会史家ヴェルナー・コンツェに従って古典古代から宗教改革までの労働概念の変 化をたどってみた.そして,労働の概念の基本には肉体労働を軽視する古代ギリシャ的思考の流 れと労働を重視する一部ローマ的なキリスト教的思考の流れがあることを確認した.これらの流 れはその後も様々な場面で顔を出すことになる.今回はさらに近代以降の労働概念の変遷をコン ツェに従って追いかけてみたい1).コンツェによると,プロテスタント的な労働観と近代的な労 働観は同じとは言えないという.では,近代の労働観はどのようなものだったのか次に見ていこ う.

* 本学現代教養学部非常勤講師

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2 伝統の断絶と保持

 コンツェによると,キリスト教の倫理的教えを規定する基礎が弱くなることで,労働の概念は,

キリスト教的信仰やそれに由来する倫理から解放されることができたという(Conze: 167).そ の条件となったのは,徐々に影響を示し始めて来た技術を土台とした,重商主義的な君主国家の 形成だという.権力や成長を求める,17,18 世紀における政治的,技術的,経済的な発展のエ ネルギーは,「知識と力は一致する」という,フランシス・ベーコンがユートピア小説である,『ノ ヴァ・アトランティス』のモットーにしたような確信に基づいていたという.ベーコンはこれに より,典型的に,労働概念が,まずイギリスで少しづつその伝統から解放される時代を開始させ たという.ベーコンの「新しい学問」の目的は,スコラ学への鋭い対立命題として,議論ではな く技術であり,論争を通じて相手に勝利することではなく,労働を通じて自然に勝利することと なった(Conze: 167).

 ホッブズはこの解放のプロセスをさらに強めているという.ホッブズによると,すべての理論 は最終的に行為,或い,は労働に向かっていることになる.コンツェによると,決定的なのは,ホッ ブズが行為,乃至は労働と権力を並列していることだという(Conze: 168).ホッブズは,人間 の活動ではなく冥想の平静さで到達する,キリスト教的な道徳哲学の最高善を,どんどん大きく なる目標への妨げられることのない前進の中に存する幸運で置き換えている.そして,そのこと で,「権力」は人間的な基礎概念に,そして,「労働」は社会的な基礎概念となっている.

 さらに,コンツェによると,ロックは,労働が,物事を変化させることを通じて権利を作り出 すことを発見したという(Conze: 168).この発見は.ロックの場合まだ自然法の教義的なつな がりの中にとどまっているが,自然法的な表現の仕方の中ではあるが,すぐに自明とされるよ うな,1) 労働は,人間に物や土地に対する根源的な所有権を,2) 物にその価値を与えるという,

二つのテーゼを立てることで,自然の秩序は変えられないという古典的な前提と手を切っている という.ロックによれば,我々が,世界で享受している物事の価値のほとんどの部分を労働が作 り出していることになるのである(Conze: 168).

 コンツェは,ここから労働の,もはやキリスト教的に基礎づけられたのではない,人間の活動 のランクの最低の段階からの解放,労働の,特別に人間的な能力への上昇,そして最終的に,労 働の人間からの分離とその抽象的に作用する主体への上昇という,近代的な労働概念の歴史が始 まると考えている(Conze: 168).ただ,市民社会は,もはや,以前のように支配者階層の代表 するような行為の中には現れないということではなく,人間の自然との対決としての労働が,社 会的な機能的価値を手に入れることを通じて,労働概念の自立化のプロセスが始まったのだとい うことである.労働の概念は,貧困とのつながりから解き放たれ,「苦労」や「重荷」との結合 を解消されることになる.技術は労働の負担を軽減させることになるからである.コンツェによ ると,このような考え方の中に,苦労としての労働を可能な限り技術で置き換えるという結論が あるなら,逆に,労働の軽減という考えは,キリスト教的な労働の肯定という土台の上で,労働 が,不可避なものではなくなり,つらくないものになるほど,より多くの喜びをもたらすという 考えへと導くことができるという(Conze: 169).

 また,コンツェによると,それと同時に,「芸」と「仕事」という対立は,両者が,活動の特

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別な目的や方向性から独立した労働一般へとなることで失われ,「労働」と「余暇」,或いは,「怠 惰」の対立も失われることになった(Conze: 169).その代わりに,新しい,「労働」と「遊び」

という対立が現れてきた.しかし,その際,両者は,「用事」と見なされる.すなわち,「空の時間」

と考えられた「暇」とは異なり,時間の充実とされたという.そして,とうとう,「自然」と「労 働」の対立も,「労働」から自然を模倣する「技」という要素が少なくなることを通じて,失わ れたという.その結果,労働は普遍的なものになり,自然の秩序を超えるものになった.もはや,

労働,或いは,技と模倣ではなく,労働と,人間と自然との仲介が対をなすこととなった(Conze:

169).

 ただ,コンツェによると,一般的な言葉の使い方では,苦役的性格,労働の社会的な低い地位 という古い考え方や,他方,「キリスト教徒の立場における」それを帳消しにする労働が,18 世 紀全体を通じて,さらにその後も効力を持ち続けていて,それに従い,一般に,労働は,農民や 手工業者に使われ,それに対し,たとえば,「取引したり」,或いは,「商売」を行う商人には使 われなかったという(Conze: 171).その一方で,17,18 世紀には,哲学者クリスチャン・ヴォ ルフが,かなり包括的で,一般的な労働概念を,時代に応じた形で定式化できたほど,目標に向 かう活動という「労働」の能動的な意味も発展していた.

 以上のことから,18 世紀の終わり頃には,通俗哲学や言葉の用法において,労働を身分的に 固定しようとする圧力から解放し,世俗化されて,人間一般に関係づけ,ある人に彼の,また,

彼の隣人たちの「幸福」への道を開く「活動」として把握するという傾向の拡大が読み取れると も言える.コンツェによると,「労働」という言葉は,伝統的にそのような拡張の可能性を持っ ていたが,他方,ロックが,「肉体労働」を躊躇もなく労働という言葉のみで言い表すほど,伝 統的に,「下向きに」強く負荷をかけられていた(Conze: 171).それで,「活動」と「労働」は,

都合のいいように補完し合い,さらに,同語反復的に,結局,同じ意味で使うこともできたという.

ただ,二つの言葉に付属している,勤勉といった美徳が,人間を初めて本来的に人間へとすると されたのである.人間にとって,ずっと怠惰に傾くことは,不幸と見なされたのである.コンツェ によると,ドイツにアダム・スミスを紹介した,クリスチャン・ガルべは,1798 年に,時代に 即して,人間の第一の目的と彼の幸福感のもとは,活動の中にあると述べているという(Conze:

171).このような意味で,技術による負担の軽減という考え方とは必ずしも明らかにつながっ ているわけではないが,しかし,それに関係して,勤勉と労働と活動と幸福の関連は.18 世紀 の後半において,何度も語られるようになるという.労働は,ますます負担ではなくなり,喜び になるべきものなのだった.コンツェは,そこには,前啓蒙期の意識的な,労働に対する軽蔑の 克服の強調も含まれていることも指摘している(Conze: 172).このような意識は,貴族の世界 に対する市民の誇りという意味を持っていたという.

 「労働」の喜ばしい活動という意味は,18 世紀の後半になって古典的な教養の伝統と鋭く対立 して,「人格形成」や「教育」と密接に結びつくようになったという.ペスタロッチなど,この 時代の教育者は,理論的にも実践的にも,この関係を追及している.子供たちは,働くことを学び,

そして,労働への意欲は学校で養成されなければならないだけでなく,このことは,「訓練」で はなく,「人間の形成」であるべきで,人間の「尊厳」へと導くべきであるとされたのである(Conze:

172).ペスタロッチにとっては,「人間形成という目的」のない労働は,人間の使命ではないこ

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とになった.コンツェによると,「労働」と「人間形成」の結合は,動機として 19 世紀の市民 やプロレタリアの意識の中へ影響を与えているという(Conze: 173).

 また,「労働する」(農民,手工業者など)と「取引をする」(商人)の区別は,18 世紀には,

全体的には,まだ,一般的であったという.しかし,コンツェによると,プロテスタント的な土 台に付着している,「下層民」,貴族,或いは,聖職者の中の怠け者とは対立する,生産的で役に 立つ活動についての考え方は,「労働」と「取り引き」の区別が解消される,「国民経済的な」労 働概念へのさらなる接近を予兆しているという(Conze: 174).

­­ 

3 経済化,重農主義者,アダム・スミス

 上記の,「役に立つ」,創造的に活動している人間と「役に立たない」,特権化した享楽的な人 間との区別とともに,経済的に,また,道徳的に理解された業績の原理は,もはや伝統的とは見 られない社会の基準とされるようになった.コンツェによると,その点に,この後,労働は,生 産的な能力として評価され,根本的に,この規定のもとに分類される活動はすべて「労働」と呼 ばれ,その経済的な効果によって計られることの前提があったという(Conze: 174).デカルト 以来の哲学における労働の価値変更に,フランスのケネーの『経済表』やスコットランドのアダム・

スミスの『諸国民の富』を頂点とするような,「政治的なもの」,或いは,「国民経済学」の発展は,

基礎を置くことになったのである.

 重商主義者,さらにペティーを先駆者とするスミス派にとって「労働」は,彼らのシステムの ひとつの中心概念になり,そこでは,啓蒙化された幸福主義が,経済的に基礎づけられていた.

彼らにとって,物理的な幸福が,人間の道徳的に幸福な経験の理由となったのである.コンツェ によると,決定的になったのは,そのことを基本にして,むしろ,「生産」の「多様性」や,個 人の,また「国家の富」の成長の要求だという(Conze: 175).原則的に成長する経済の理論的 システムに組み込まれることによって,労働は生産の要因となり,生存維持だけでなく,それを 越えて,成長する資本の形成の手段ともなった.このことは,個人的にも,国家の基礎としても 理解されたという.コンツェによると,根本的に望ましい,労働を通じて実現される,成長の意 識的な追求は,論理的に,経済的成長を通じての「幸福」への道としての労働の定義について努 力することを必要にした(Conze: 175).それに応じて,重商主義的には,労働は,「大地のよい 働きに我々も恩恵を預かり」,生産物を加工し,変形させて,物やお金の循環の中に入れる手段 となった.労働は,「興味深くある」べきで,「幸福」へ導くべきであり,ただ自由な「競争」の 中で,利益や成長のための「効果」を持つことができるのである.スミスの前に既にチュルゴー によると,多様化と分業が増加されると,その結果,国家や,貧しい市民も含めたすべての人に とって富の増加が,理性的になされた労働から出てくるとされた.すべての生活の必需品は,国 民の労働から生じるとされたのである(Conze: 176).

 コンツェによれば,労働の経済的理解からは,すべての苦役,苦痛,軽蔑だけでなく,誠実な 仕事が持っていた,キリスト教に忠実につましく生きることへの関係も追放されている(Conze:

176).労働は,経済的な理性の助けで,喜びになるべきとされた.一番の価値は,物質的,道 徳的意味での幸福の追求に置かれたのである.しかし,このことは,「必要」の充足を通じてし

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か到達することはできない.すると,逆に,必要は,労働を求め,理性的な勤勉,すなわち,技術,

組織,労働の意欲の改善による労働成果の拡大の継続への性向を目覚めさせることになる.ここ で,労働と必要の関係は,明らかに,生産と消費の関係に呼応していて,両者は,政治における 自然的な秩序の「システム」のすべての仕事を成しているとも考えられた(Conze: 176).

 さらに,必要による需要と労働による供給は,ひとつの経済的な循環の中にある.そこでは,

さしあたって,根源的な生産における労働による価値の創出しかないが,しかし,「加工し」,「分 配する」仕事も,同様に,すべての人の利害に関係している.その結果,既に,大きな利害の総 体の中での,必要への関係と労働への関係を通じて,すべての人間の相互依存の「システム」の 定式化がされることになった.そうして,人間は社会の中の実りある労働を通じて以外は,幸福 に生きることはできないということになったのである(Conze: 176).

 コンツェによると,この時期,伝統的な労働の義務は,強調され,守り続けられていたが,こ の頃登場した「経済学者」の「システム」に労働の権利(自然権)があらわれたという.そこに は,選択の自由(種類と場所)が,含まれていた.

 この原則は,経済や社会の秩序に解消的な帰結をもたらすことになったという.農民の服従か らの解放,ツンフトの強制や独占的な特権に対する営業の自由,場所との結合に対する移転の自 由,すべてのつながりに対する競争経済の開始など,到るところで労働は解放され,利益上昇へ の能力が解き放たれたのである(Conze: 177).労働への権利という要請は,純粋に経済的に根 拠づけられ,「ハーモニーを追求しながらの」諸力の自由な動きという経済モデルにおいて,労 働価格と労働賃金の理論へとつながっていったという.それによると,労働ないし労働者は,物 として現れ,労働市場で自由な労働契約が結ばれる.当然のこととして,この関係の中で,「失 業者」の概念も,ただちに生じることになった.自分に責任のあるものでも,ないものでも,失 業は,経済的には理性的に扱われるべきで,採算の取れない,慈善的な,一時的手段で対応する べきではないとされた.コンツェによると,失業の概念は,経済的な労働概念の開始で,論理必 然的にもたらされたのである(Conze: 177).

 ここで,「失業」と「失業者」は,原理的には,初めから,経済的に基礎づけられた社会概念 に属するもので,その意味においては「貧困」や「貧者」とは鋭く区別されていたという(Conze:

177).新しい経済的「システム」において,物乞いは,それ以前の,プロテスタント的な国家 よりも社会の中に居場所が持てなかったのは,自明ともいえることである.

 それに対し,重商主義者ではほとんどないが,イギリスの国民経済学者ではしばしば行われた のは,労働と贅沢の関係の意味の見直しだったという.高度の消費で生産を刺激するという観点 から,贅沢は,もはや,タブーではなくなったということである.労働は過剰を生み出し,それで,

一般的な生活のスタイルの向上だけでなく,経済成長の中で贅沢を可能にした.労働は,豊かさ を作り出し,それで,お金の循環を強める.コンツェによると,これらのことはすべて,「幸福」

として熱望された,経済化された労働を基礎とした価値の変化だったのである(Conze: 178).

 コンツェによると,重商主義者的方向性のみだけではなく,「経済学者たち」の新しい労働概 念は,その考え方や実現の傾向において,疑いなく,産業的な意味でも,政治的,社会的な意味 でも,「革命」の本質的な前提のひとつであった(Conze: 178).しかし,それに,制約的につけ 加えられるべきなのは,新しい労働概念の支持者たちは,1760 年代から 80 年代にかけて,農

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民解放や営業の自由などの改革を望んでいたが,社会革命家ではなかったことだという.彼らは,

たとえ労働が制約から解放されても,それぞれの労働の効果や目的を,人権へと高められた所有 の尊重においてや,労働の義務は自然的義務であるという根本原則において,制限されていると 見ていたのである.労働は,コンツェによると,倫理的ではなく,経済的に,解放されるべきだっ たという(Conze: 178).ここで,一般的に確認できるのは,古典的,キリスト教的な伝統の考 え方や価値観は,それの持つ重要性のおかげで,さらに生き続けていたのではなく,それが,い い気になって,望まれた経済成長の過程を明らかに阻害しない限り,はっきりと持ち続けらるか,

少なくとも公に攻撃されることはなかったことだという.とりわけ,人間の,労働における,勤 勉,誠実,正直を褒める慣用表現や,見出し語は,望ましいものだった.というのは,これらは,

伝統的に,ずっとそうであったように.始まったばかりの近代的な条件の下での必要な労働規律 を促進したからだったのである(Conze: 178).

 コンツェの考えによれば,労働が,経済的な意味でのたったひとつの生産の要素だという考え 方は,アダム・スミスとともに始まったわけではないが,スミスは,彼の時代の「経済学者たち」

のこの方向での初期の仕事を要約し,真剣に考え抜き,さらなる影響をもたらした.スミスは,

労働の概念を,それのみが価値を創造する労働という農業の優位(重商主義)から解放し,経済 の循環の中での労働の中心的意味を展開したのである(Conze: 179).労働は,新しい土地や,

新しい大地の富の開拓や,働き手の増加(「人口」)を通じてだけでなく,労働の改善された技術 や組織化(労働分業)によって,その効果を向上させる,すなわち,「より生産的にする」こと ができるのである.ただし,労働は,もし,それが,阻害されることなく,「協調的に」機能す るお金と財の循環の中で,物のように自由に動けるなら,成長する経済の根本にある生産の要素 のひとつとしてその可能性を組み尽くすことができると考えられていた(Conze: 179).

 コンツェは,アダム・スミスの作品の中で集められた「経済学者たち」の,労働についての省 察を,その政治的,社会的含意において,次のように要約している(Conze: 179).

 a) 労働は,経済理論の中心概念となり,それで,すぐに,専門分野となった経済学(政治経済学,

国民経済学,社会経済学)の中心概念となった.

 b) 経済主義は,その支持者にとって,啓蒙化された世界解釈の位置づけを持っている.そこで,

労働は,それまで知られていないような中心的な位置を占めている.新しい理解では,労働を通 じて,人生の可能性の多様性が生まれ,「拡大する」欲求と「拡大する」幸福の追求は,満足さ せられることができた.

 c) コンツェによると,経済学によって規定された概念の社会的な帰結は,広範囲に及んでい るという.第一に,農民解放と営業の自由である.経済体制と社会体制のすべてのリベラルな改 革は,新しい労働により根拠づけられていたことは,概念の変化の社会的な問題点の核心に触れ ていたという.経済的に自由なシステムにおいて,原則的に,特権,支配的立場,独占的立場は ない.そこでは,原則的には特権化された貴族の席はないが,実際には,この結論は引き出され ていなかったという.

 それだけでなく,スミスにとって,労働の経済的概念(分業,マニュファクチャーの生産関係)

からシステム内在的に,企業家が労働を与え,労働者は,「商品」としての労働に対する需要と 供給や価格に左右される低い賃金のために,依存的に働くことを通じて,新しい社会的層が発生

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する.それで,コンツェによると,スミスは既に,労働と「資本」の対立に行き当たっていたと いう(Conze: 180).しかしながら,スミスは,それを,社会的な問題とは見ていなかった.生 産された財貨の需要の上昇は,文明化された国家の分業的社会において,消費の拡大に向かわね ばならず,そうして,社会のすべての階級に,一般的な剰余が広がっていくと考えていた.しか し,それ故,スミスは,流布していた,ただ,生活に最低の必要を指向した賃金でのみ,労働者 を,必要から勤勉にさせるという考え方には,反対していたという.彼は,この昔からの主張を 逆転させ,賃金を上げるという可能性に,「自然な,勤勉を勇気づける手段」を見,社会の幸福は,

その構成員が,貧しく悲惨でない時にのみ,実現されると見ていた(Conze: 180).

 ただし,スミスにとって,経済的に理解された能力社会にふさわしいのは,ただ,生産する活 動(原料生産,加工,分配)のみであったという(Conze: 180).スミスは,生産しない,経済 的には価値を創出しない奉公人,地方の君主,軍事,及び,文民官僚,牧師,医師,ほとんどす べての学者,さらに,俳優,ダンサー,歌手等も,それに対して同じ量の労働という代償を払う のに,何も生み出さないとしていた.

 d) 新しい経済は,交換や競争のシステムの中で経済活動する人間の,個人的自由を要求する ので,それは,「国民」,或いは,「国家」に関係してくる.「労働」を通じて,豊かさ,富,権力 が発生するので,「労働」は,単に個人的だけでなく,それらの合計における全体として国家の 富の生産要因でもあった.それにより,労働は,国民国家から,政治的な価値を受け取るように なる(Conze: 181).

4 経済的な労働概念の拡張

 コンツェによると,リカードの学説史的な意義は,彼が労働概念をスミスから受け取り,鋭く 考察し,論理的な矛盾がないわけではないが,スミスよりも首尾一貫して,彼の価値理論の,そ して,間接的に,彼の分配理論の基礎としたことにあるという(Conze: 181).リカードの場合,

労働は,以前よりも明白に,ただひとつの生産要素となっている.そのことから,品物の「自 然な」価格は,変化する市場価格に対して,労働によってのみ成り立つということが生じてい る.労働が分業化し,広く,賃金労働に依存する経済社会においては,労働による価値の創出か ら,社会生産物の,年金,賃金,利潤による,分配の問題が生じてくる.その,「資本」と「労 働」の紛争の社会的な含意は,スミスよりもはっきりと純粋な経済学を目指したリカードによっ て,まだ,主題化されていなかったという.コンツェによると,リカードの概念の独自性は,「労 働」が,以前にないほど,潜在的に,政治的,社会的意味を持ったということにあり,しかし,

この歴史的な瞬間に,「労働」は,経済システムの中心に置かれてはいるが,孤立化され,哲学的,

政治的には,縮小されるほど,労働概念の経済化が,推し進められていたところにあった(Conze:

182).

 1830 年代,40 年代になると,労働の「解放」について心配する証言が,どんどん増えていっ たが,他方,競争を通じての調和,一般的な豊かさの上昇や,産業システムの中にある,すべて の働いている人々のチャンスへの楽観的な信仰は,続いていたという.その際,伝統的な労働倫 理は,小さな財産を節約するという考えだけでなく,様々な職業の可能性の中で,労働を通じて

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社会的上昇に到達するという考えと結びついていった.コンツェによると,「解放された」労働は,

リベラルな経済学者を楽観主義で満たしたが2),しかし,他方,保守派の抵抗と社会主義者の闘 争心を誘発していた(Conze: 182).

5 フランス革命の意義

 フランスにおける革命的な出来事は,動き始めていた労働概念の新たな形成の途中に生じてい る.コンツェによると,外見上も,また,理論的にも,労働の概念は,この革命を通じて,経済 主義や啓蒙の政治哲学が既に到達したものを,超えることはなかったという.にもかかわらず,

大革命は,概念の歴史において指針となる位置を占めている.というのは,その中で,それまで ヨーロッパ大陸にとって思考の世界の中でのみ生きてきたものが,現実化された(或いは,現実 化されるべきとされた)からだという(Conze: 182-3).

 フランス革命が,労働の概念に対して持った意味は,コンツェによると,次のようなことであ る(Conze: 183).まず,長いこと発展していた,生産的階級と非生産的階級の間の,或いは,

働いている「第三身分」と特権的で,「怠惰な」貴族と聖職者の間の離婚は,第三身分が自分を 国と同一視することで,政治的に現実的になった.それで,国は,「寄生虫」から解放された,

全員の労働を基礎にした能力共同体になったということである.経済学者の文献の中ではよく知 られていた,労働と国家の結合は,それで,政治化され,生じていた新しい社会の概念に対応して,

民主化されることになった.しかし,後のリベラリズムに影響のある,革命の初めの段階において,

労働ではなく,所有が根本的な人権に属していたので,「自由」の要求は,経済的な力の自由な 活動における,移動可能な労働力の原則と結合していたという.第二段階(1793 年の憲法)で,「平 等」の問題が,「自由」の問題と並んで,或いは,それよりも前面に現れてきた.ほとんど一般的で,

平等な選挙権に,所有権の制限(「所有の最大限」)と賃金と価格の固定の要求が呼応した.いず れにせよ,ただ単に,形式的に理解しているだけではない,平等な民主主義と労働の問題の関係 は,既に明らかになっていた.しかし,コンツェによると,まだ,はっきりと,主に,産業的賃 労働によって規定された労働体制を指向しているわけではなかったという(Conze: 183).サン キュロット主義は,むしろ,第一に,地方や都市の小個人生産者の「自由な」労働に立っていた ので,まだ,根本的な原則としての労働と国家体制や社会体制との十分な融合は,生じていなかっ たという.

6 経済主義や革命に対する観念論的哲学

 コンツェによると,経済主義と政治的,社会的な解放の傾向により,価値の変化した労働は,

ドイツの超越論的観念論哲学に影響を与え,フィヒテやヘーゲルの哲学体系に組み込まれたとい う(Conze: 184).他方,カントは,この展開にまったく参加せず,意識的に距離をとっていた.

それ故,カントは,彼の倫理学(美徳の研究)を,はっきりとは,労働の概念と関係づけなかっ たという.

 それに対し,フィヒテは,彼の時代の国民経済学を,基本的には受け入れていたが,それを,

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個別に,また,彼の著書『閉じられた商業国家』においても,批判的に扱わなかった.コンツェ によると,フィヒテの,労働の概念は,経済的というより,人間学的に理解されるべきだという

(Conze: 184).労働は,人間に元々所属している称号である,絶対的活動,或いは,感覚世界(自 然)における作用の具現化として現れる.それらは,自由の表現以外の何者でもない.社会的に 結合した人間,すなわち,自由で,理性的な存在の,継続的な労働を通じて,文明化のプロセス が強制される.労働は,進歩をもたらす.そのことは,物質的,経済的領域では,はっきりと分 かる,しかし,それは,元々の目標である自由の実現化への前提としてのみ,評価される.とい うのは,フィヒテにとって,労働の本来の目的は,経済成長や豊かさの上昇の継続ではなく,自 由な時間に,そして,それで,人間が要求する権利のある,尊厳ある状態に到達するための,人 間の苦役からの負担軽減であった(Conze: 184-5).それに従うと,自由とは,活動と自由な時 間であり,すなわち,必要と苦労に拘束されずに完全な意味で人間であることができるために,

必要と苦労を超えるための活動的な働きかけということになる.労働は,この最終目的のために 必要であるが,進歩が拡大するにつれ,人間を抑圧し,自由への定めから遠ざける強制は少なく なっていくとされる.労働は,それ自身のためだけに,意味,或いは,目的を持つことはできな い.労働は,それのみが生活を可能にし,所有を基礎づける限りで,個人それぞれの生活の成就 だけでなく,何よりも,人間の全体的完成への,単に,必要不可欠で,肯定された手段でしかない.

その際,労働は,それに啓蒙された幸福主義者が認めた,楽しみの性格を持ってはいないことに なる.コンツェによると,フィヒテは,継続的な,理性的な労働の利用を通じての負担軽減のプ ロセスを,そのように現実的に見ていたが,この国民経済学に類似的な視点は,将来の展望にお いて,ユートピアへと移行し,それで,初期社会主義を前もって示している(Conze: 185).フィ ヒテは,彼の労働概念の,始まりつつある産業世界への関係においては,ヘーゲルに後れを取っ ているが,コンツェは,フィヒテの前には,彼が思い切ってしたほど,労働が伝統的な位置から 解放され,彼の時代の「革命」に応じて,文明化の過程における変化の力として,包括的に理解 されてはいなかったことは,強調する必要があるとしている(Conze: 185).フィヒテが,労働 を経済的なものとだけ見ていなかったことは,生産している,加工している,商売を行っている 階層の労働だけでなく,経済的な意味では非生産的な者の,とりわけ,フィヒテが高く評価する,

学者身分の労働についても語っていることにも表れているという.

 コンツェによれば,ヘーゲルも同様に,この負担軽減と解放のプロセスを見ていた.しかし,ユー トピア的な希望を持たずに,近代的な労働による人間の解放と疎外の弁証法に対して,解放され た労働による人間の進歩,或いは,敗北という時代による一面的な理解の向こうに,鋭い的確さ で,ヘーゲルよって,最初に,深く考えられたひとつの矛盾に対して,より深いまなざしで見て いたという(Conze: 185-6).ヘーゲルは,労働を,経済社会的,人間学的,形而上学的,歴史 的に理解している.彼は,労働を,彼の中心的概念のひとつとして,彼の,ここでは,とりわけ「協 調的」ではない,システム全体に組み込んでいる.コンツェによると,ヘーゲルは,彼の政治的 哲学にとって重要な限りで,スチュアートとスミスから,後に,セーとリカードを通じて補完さ れる形で,経済的な概念を受けついでいる(Conze: 186).「労働」は,ヘーゲルにとって,人 間のみに固有な,必要満足のための,目標を定めた活動だった.分割と専門化の増加により,彼 にとって労働は,分業に基づく市民社会がそのようなものとして現れる,欲望の体系の中で,よ

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り抽象的な性格を取っている.古い市民社会では,手作業の意味の労働が遠ざけられるか,その 土台に押し込められたが,新しい市民社会において,労働は,ただひとつの生産要素として,経 済的価値の基準として,社会経済的に規定されたシステムにおける人間の相互関係のつながりに とって根本的になっている.もし,人間が,生産行為の抽象化が増加する中で,ますます機械的 になる労働から,最終的に離れて,その代わりに,機械に代わりをさせるなら,ヘーゲルは,そ れで,技術的に進歩する労働の発展の傾向を述べているだけで,ユートピア的な楽観主義を控え て,代わりに,機械化された工場での人間の低下を見ている(Conze: 186).しかし,近代的経 済システムにおける労働は,何よりも,普遍的に,すなわち,ただ工場労働者だけに関係づけら れるのではなく,継続され,人間自身によって実行された,彼の疎外の動因になっているのである.

 欲望の体系における,人間の能力証明としての,また,市民社会の根本的な原則としての労働 は,国家の基礎になっているが,具体的な自由の実現としては,国家に従属させられていて,自 身は特徴を持っていない.労働は,それ自身は目的ではなく,常に,ただ,媒介として,理解さ れている.さしあたって,必要から満足への,さらに,後者から自由への媒介として.コンツェ は,ここに,生じつつある経済社会は,労働によって,確かに,実現され,高められているが,

そのことで,フィヒテと違って,自由は,決して,可能にされず,危険にさらされ,おとしめら れているという,ヘーゲル的な難題があるとしている(Conze: 187).ヘーゲルが,古典的な,

労働の奴隷への割当を,また,自由の労働から自由な市民への割当を拒否し,むしろ,「労働」を,

ただ自由へと上昇する人間にとって本質規定的と認識しているなら,ヘーゲルは,見てはいるが まだ終わりまで考えていない,現在と未来の近代的な生産条件の下で労働している人間の,重苦 しい,新たな低級化の問題が立ち上がることになる(Conze: 187).

 しかし,労働は,既に上記のことから明らかなように,ヘーゲルにとっては,社会経済的な領 域に限られてはいない.むしろ,彼は,それを,動物に対して,人間に特別な,際立つものと考 えている.しかし,それで,彼にとって,労働は,世界史的なプロセスの中での精神の生成に対 して,或いは,自由の原理の実現に対して,形而上学的,歴史的関係に立つことになる.ヘーゲ ルは,人間の生産する行為を,直接,精神の生産の出来事の中で解釈しているのである.原罪の 神話の中に,彼は,もはや,農地の上への神の天罰による労働の重圧ではなく,人間に与えられ た,歴史的な規定を見ているという.人間の労働は,世界精神の労働に,すなわち,神の意志に 一致していることになる.そのようにして,労働は,精神の進行における,「形而上学的な運動 の原理」(ハンス・フライヤー)となるという.この精神の進行の中で,「市民社会内部での」「形 成する」労働は,止揚される.束縛された目的は,労働を,「精神化された」,「第二の性質」の 自由へと,物理的な自然世界よりも,より高いものである,精神の世界へと高めていく.そのよ うにして,存在の必要による労働者の労働が,客観的な精神の労働と関係づけられることで,近 代のヨーロッパの歴史を,独創的で,創造的な,市民的な活動と労働を土台にして加速する進歩 という視点の下で,見ることが可能になるのである.コンツェによると,すべての,既に示され たような危険はあるが,しかし,それにもかかわらず,世界精神や,その目的への接近と一致し ている労働の解放の中に,ヘーゲルは,彼の時代と,この後の 19 世紀の印を見ていたのだとい う(Conze: 188).

(11)

7 おわりに

 労働概念の経済化の進展を見ていくと,意外に,現在につながるテーマが多いことに気づかさ れる.たとえば,労働者は,生活のための最低水準の賃金で働かせたほうがいいという主張や生 産の拡大が,労働者に,必ず恩恵を与えるという想定,機械の利用が拡大しても雇用は減らない という技術的楽観主義,学者の仕事に対する低評価など挙げればきりがない.その意味で,この 時代の労働概念の前提を検討することは意味のあることではないだろうか.

[注]

1) また,清水(1982)も参照のこと.

2) エッカルト・パンコーケは,次のような,当時の技術的な楽観主義の例を挙げている.それによる と,すべての,技術による商品の供給の拡大や値下がりは,品物の需要拡大をもたらし,それにより,

労働の需要拡大もたらすことになるはずだった.しかし,パンコーケによると,産業の成長にもか かわらず,失業のリスクの上昇で,生産技術の進歩に対する評価は,批判的な目でされるようになっ ていったという(Pankoke 1990: 67).

[文献]

Conze, W., 1972, “Arbeit,” O. Brunner et al. hg,. Geschichtliche Grundbegriffe, Bd. 1, Stuttgart:

Klett-Cotta, 154-215.(Conze と略)

Pankoke, E., 1990, Die Arbeitsfrage, Frankfurt a. M.: Suhrkamp.

清水正徳,1982,『働くことの意味』岩波書店 .

(12)

The Meaning of Work in Historical Contexts (2)

SAKAMAKI, Hideaki

According to German historian Werner Conze, the meaning of work changed greatly during the 17th and 18th centuries. He referred to this change as the "economization" of work.

Due to technological developments, work was freed from the limitations of Christian ethics, and there was a shift in emphasis toward “conquering nature” and deriving values based on work. Work was no longer thought of as burdensome or directly related to poverty. Instead, work was perceived to occupy a central role in the economic sphere and became a source of joy placing citizens on the road to happiness.

Wealth could now be produced through work, including at the national level. Work thus became a key factor in the development of national power.

As work began to be seen a route to personal happiness, and the freedom to choose one’s vocation came to be regarded as a human right, work began to be liberated from traditional restrictions.

However, in economic terms, work became a commodity that could be freely withdrawn.

Thus, work was not guaranteed for everyone, so unemployment became unavoidable.

Furthermore, the unequal distribution of wealth produced by work became problematic.

Optimistic liberal economists thought that these problems could be solved by further development of the economy.

Two reactions to this economized concept of work were particularly remarkable. The first of these was the French Revolution. During the revolution, demand for equality and opposition to a free market economy grew. The other remarkable reaction was German idealistic philosophy.

For Fichte, work was the means to freedom, while Hegel thought that, through work, individuals could aid the development of a world of reason.

Keywords: Work, economy, wealth

参照

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