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障害者との芸術活動

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Academic year: 2021

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障害者との芸術活動

―エイブル・アートセミナーandサミットinさなだに参加して―

伊 藤 美 輝 1.エイブルアートとは

この数年、様々なメディアにおいて障害を持っている方々の作品を紹介する機会が 増えています。その背景には、その芸術活動を支援する組織の様々な活動の展開があ ります。

今回参加した「エイブル・アートセミナー and サミット in さなだ」も、そのよう な支援活動をしている団体の催しです。

そもそも「エイブル・アート」とはエイブル・アートジャパン(旧称:日本障害者 芸術文化協会)が提唱する芸術運動で、エイブルアートを直訳すれば「可能性の芸 術」となります。作品が生み出される過程からその作品が鑑賞されることにより生ま れる「可能性」―ここでは作者だけでなくそれに関わる様々な人に対して「可能性」

が生まれる―を持った新たな芸術活動として「エイブル・アート」の名称が生まれま した。

したがいまして、障害者の芸術〔作品〕=エイブルアートではないことをお断りし て話を進めていきたいと思います。

6年よりトヨタ自動車とエイブル・アートジャパンは全国各地で、トヨタエイブ ルアートフォーラムを開催しています。先の2団体と各地で組織された実行委員会

〔エイブルアートフォーラムを招聘する地元団体〕とが主催する形式で行なわれ、パ ネルディスカッションを中心としたフォーラムから始まり、ワークショップ、作品展 開催で約3年に渡りそれぞれの地で展開される内容となっており、フォーラムのテー マとしては「障害をもつ人たちの芸術活動の進め方」を基本にして、プレゼンテー ション、パネルディスカッション、質疑応答のプログラム構成となっています。

しかしながら、平成12年11月23日の「エイブル・アートセミナー and サミット in さなだ」においてのその構成は、記念講演「地域と文化」、基調講演「エイブルアー

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トって!」、シンポジウム「エイブルアートの実際」、会場を移して開かれたエイブ ル・アートセミナーと24日のワークショップ、と通常のフォーラムとは若干違った構 成となっています。

この違いは、その背景においての大きな変革が含まれた違いとなっています。

すでに「エイブル・アート」は芸術運動であると述べましたが、この名称の使用に ついては、エイブルアートジャパンの登録商標として他の団体組織での使用を制限し ています。

今回の催しは「エイブルアートながの」が主催していますが、この名称はエイブル アートジャパン以外の団体名に初めてエイブルアートの名称の使用を許可した事例と なります。

この名称の使用についての使用規制の経緯は、基調講演「エイブルアートって!」

において播磨氏が語っていました。「エイブルアート」を名称にとり入れたエイブル アートジャパン公認の組織が、今後各地に生まれる可能性が出来ました。別の言いか たをすれば「フランチャイズ化」ということになるのでしょうか。

2.エイブルアートながの内容

記念講演は「地域と文化」をテーマにして、長野県在住の玉村豊男氏がこの地に住 み始めてからの出来事をベースにして、文化と芸術についての考えを示しました。

基調講演はエイブルアート・ジャパン常務理事の播磨靖夫氏が、「エイブルアー トって!」を題目にして、エイブルアートの活動についての考えをその歴史に触れな がらプレゼンテーションがおこなわれました。

シンポジウムにおいては「エイブルアートの実際」と題して、視覚に障害をもった 造形作家の光島貴之氏、絵本作家ですずかけ作業所において長年造形の援助活動をお こなっている はたよしこ氏、工房絵〔かい〕施設長の関根幹司氏3名がシンポジス トとしてそれぞれの体験と現状の課題・問題を提示しました。コーディネータは兵庫 県立近代美術館学芸員の服部正氏が担当し、助言者は基調講演をおこなった播磨氏と いう構成で、これは全国でおこなっているエイブルアート・フォーラムとは役割を変 えたものです。

それぞれの講演、シンポジウムにおいて印象に残った内容は、以下のようになりま

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す。

まず記念講演において玉村氏は、「文化とは、人が山などの自然を開墾し耕して畑 を作っていく事にそのルーツがある。」また作家と作品を見る立場との関係について

「画家が描いた時間を共有する」「1,0人がひどいと言っても一人がみとめる事によ りそこに芸術は存在する」「芸術は発見すること」であり「自分の反応を発見するこ と」「根本的に何かを教えてくれる物」が「芸術」といえるのではないかと、現在の 氏の生活を通して感じ考えた事が述べられ「文化」は生活の営みの中においての心の 現れであることを、実際の開墾から始まる農業体験を例にして語られました。

基調講演で播磨氏は、まず「このアートで元気になる」のビデオを観た後、健常者 と障害者との間の問題に触れ、エイブルアートの基本的な考え方と障害者についての 表現の特徴について提示しました。「言葉では伝えられない思い」が、その能力を高 め、イメージを高める。そこにエイブルアートの「可能性」が生まれる。また、エイ ブルアートは「生きることを助けるアート」という考え方が出来ます。「描く」「観 る」という関りの方向は違っても、関ることにより「元気が出る、勇気づける、癒す」

などの本来芸術が持っている力が、エイブルアートに含まれまた、「つながりを回復 する世紀・社会」の今日的課題に強く関る可能性を含んでいることが述べられまし た。

シンポジウムにおいては、はた、関谷両氏から障害者の表現したいというエネル ギーの大きさと、その表現に関る側の「問題行動」との関り方が事例により発言され ました。

すなわち、表現は絵を描くモノを作るといった行為だけでなく、日常の生活の中で の「問題行動」としてとらえがちな行為の中にそのエネルギーの片鱗があり、正面か ら関ると苦しくなる事があるが、視点を変えると大変面白く興味深い内容を持ってい る。これは「人」は表現する為に生きるのではなく、生きている事自体が表現をして いるという考えを示したもので、共感できる意見でした。

視覚障害を持っている光島氏は、まず会場の四隅からそれぞれ「オーイ」と声を出 してもらい空間を把握し、会場での関係を明確にしてから話しを始めたのですが、こ れは視覚を聴覚で補う空間把握の行為であるとともに、参加者とのコミュニケーショ ンという行為でもあり興味深いものでした。

生計の為の針治療とアートとの関係を示し、彼の作品論が展開されその表現の原点

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として「裸の自分自身を投げ出して、その反応を見たい」と、そして作る行為〔描く〕

を「外に向かう表現」としたら、休む行為〔引きこもり〕は「内に向かう表現」であ ると考えが語られました。

コーディネータの服部氏は、表現する立場と鑑賞する立場の中間に位置するキュー レターの立場として障害者芸術との関りの経験を述べながら、現在の課題と今後の方 向性についての発言をし、まず表現する者と鑑賞する者とをつなぐ緒としての「アー ト」の役割を述べるとともに、インサイドアートとアウトサイドアートを経済原理に 照らし合わせて、人間の存在価値を逆説的に提案されました。

その後、各シンポジストから次のような課題が示され、今回のシンポジウムは終了 しました。

光島氏……「福祉とアートは両立しない」

服部氏……「選りすぐれたものと、全てを選ぶことのアートと福祉の違い」

はた氏……「福祉とアートは必然的に出会うが、継続する為にはビジョンが重要とな る」

関根氏……「幸福は個々の中にある。個々の生活の幅をどう支援していくかが課題と なる」

3.まとめ

山梨県内においてもこの論議はすでに展開されています。平成13年3月25日にはト ヨタエイブルアートフォーラム山梨が、山梨県美術館講堂で開催され、以後約3年に 渡り関連の催しが開催されます。

「障害者芸術」を考えた場合、「障害」は大きな意味を持たないのではないかと思 うと同時に、実は障害を持たないという立場の「健常者」側の課題・問題をあらため て見出したエイブルアートながのでした。

この論議については、多くの芸術論同様明確な答えは出る事は無いと思うととも に、すでに答えは出ているとも思うのですが、いかがでしょうか。

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