東日本大震災からの5年を振り返って
「教 は真実に宿る」
佐々木 一
石歯科医師会 ささき歯科医院 院長
. じ に
東日本大震災発災から6年半以上の月日が経 つ. だ多くの被災者が不自 な生活を強いら れ, 悩の中でも 望を てずに って生活 している.現在,東日本大震災に関しての報道 は少なくなり,被災者がどのような生活を送っ ているかは,実際,現場に住んでいる私たちに しかわからないのではないかと思われる.
私は震災発災直後から避難者への口腔ケア,
自院の再建に けての準備,そして,犠牲者の 身元確認作業に従事して来た.その中で被災者 やご遺族と関わり,歯科医師としてもっと出来 た事があったのではないか,出来なかった事は 何だったのかを考えると,現在でも心の中で
の様なものが 生える.
震災から5年以上が経過して医院での通常の 診療においては,一見震災前と変わら 風 が あるように感じられる.しかし,患者さんの中 には, だ癒えない震災時の恐怖や,現在の生 活に関しての 悩,そして将来への不安を い ている方が大変多いことが現状である.歯科医 師として日常の診療行 の中でそのような方々 にどのように接する事が いのかは,私の中で も だに えが見つからない.被災者の中でも 個々の事情は様々で,もしかしたら「これが えだ」というものは 在しないのかもしれない.
昨年4月に発生した 本大分地震では,被災 現場において今まで後回しにされていた 神面 でのケアの重要性が問われ,様々な職種の方々 が連携して 心のケア 問題に 体的な行動を とっていることが見受けられる.この事は非常
に重要なことであり被災直後からの早急な支援 をする事が,その後の復興段階において被災者 の自立に大きな影響を及ぼすことを,震災を経 験して強く思うものである.
.歯科 として
石市 住居地区は人的被害として死者 458 名,行方不明者 122 名(平成 27 年 12 月 31 日 現在),家屋被害として震災前 2,517 戸のうち 1,767 戸(70.2%)が被災した.被災家屋のほと んどが全壊,または大規模半壊であり,多くの 住民が住む場所を失い, 石市の中で最も甚大 な被害を受けた地域である.
図1:津波第一波襲来時( 住居地区防災センター付近)
図2:津波第一波が引いた後
( 住居地区防災センター付近)
岩医大歯誌 42
「助けてあげられなくてごめん,絶対に し てやるからな」大津波によって壊れていく を 高 から見下ろしながら私がつ やいた言葉だ そうです.私にはそんな記憶はないのだが,一 にいた妻が「あなたは確かに言っていたよ」
と言う.この日から犠牲者を家族のもとへ帰し てあげる過酷な作業が始まった.歯科医師とし て,まさか自分が犠牲者の身元確認作業に従事 することなど思いもしなかった.今回の東日本 大震災で私がとった行動,その時の いを以下 に紹介していきたいと思う.
一 的な開業した歯科医師の主な職務は保
, ,口腔外科,予防, 正治療などであり,
その診療に従事することにより地域医療に し,地域住民の の 上に寄与することが 重要であると,多くの歯科医師は考えるのでは ないか.私も震災の前まではそう思っていたご く平 な田 町の歯科医師であった.しかし6 年前の3月 11 日を境に歯科医師にしか出来な い特別な作業に当たる事になった.人間の歯は 総数で 32 本,これらの歯の有無, 歯のまま 放置, または修復 置がされているのかな どの幾つかの で区別するとその組み合わせ は莫大な数になる(数 通り以上).故に歯に よる個体認 の信 性はかなり高いということ が,我が国では近年やっと理解されてきた.歯 による身元確認作業は「御 山の日航ジャン ボ機 落事故」,「本県 石上空での全日空機と 自衛隊機の空中 事故」,そして最近では「
神 路大震災」による犠牲者の身元の特定に有 だったとの認 はあったが,警察歯科医や法 歯学者などの一部の 分野の歯科医の話で自 分には全く のない事だと思っていた.まさか 身元確認作業に自分が関わる事になろうとは にも思っていなかった.
1000 年の一度ともいわれる東日本大震災に伴 う大津波災害という超開放 災害での身元確認 は前 した過去の災害と比べて,非常に特 で 多くの困難な問題点があった.航空機事故など では 者名 があり が犠牲になったかは比 較的容易に特定できる.「 神 路大震災」は
開放 な災害ではあるが発生時間帯が早朝だっ たことやその死因が建物倒壊による 死や 死,火災による 死であり,多くの犠牲者が自 宅内やその近辺で発見された事により比較的身 元の確認は容易であったようだ.しかし今回の 東日本大震災の犠牲者の死因の多くは,津波に よる 死であり,被災したとされる場所も様々 で,自宅で被災したとしても自宅ごと数 メー トルも流され,建物は原形をとどめていないも のがほとんどであった.そのような状況下でど のようにしたら犠牲者を家族のもとへ帰せるの か,震災直後は私自身どうしていいものか全く 考えがつかず,非常に困 したことが思い出さ れる.そもそも私の世代の歯科医師では教育課 程で教わるものでもなく,行政や歯科医師会な どの機関にも歯科による身元確認マニュアルな るものは 在しなかった.また,県の歯科医師 会には警察歯科委員会という検死に関しての
部 があるが,犠牲者の数があまりにも多す ぎて,到底その先生方だけでは対応できるもの ではなかった.
図3: 石市 住居地区に設置された遺体安置所
遺体安置所では歯の死後記録の採取が地元の 先生方中心に行われていたが,私がいの一 に 取った行動は自院に流されずに残ったカルテの 整理であった.いくら正確な死後記録をとって も 合する生前記録(カルテ)がなければ意 がないと考えたからだ.私の医院付近は地面か ら4mほど 水し,平屋建ての医院は全壊に なったが建物が流されずに済んだのでカルテの
大半は だらけになりながらも残ってくれてい た.医院スタッフ総がかりのカルテの 落とし,
カルテ 号順の整理と 行して, が行方不明 なのかを き止めなければ 合作業は非 率的 なものになってしまうと思い,私は 石市災害 対策本部に出 き,「歯による身元の 合作業 をするので行方不明者の名 をコ ーさせて下 さい」と け合った.対応してくれた市の担当 者が偶 にも知人だったこともあり,名 を手 に入れることが出来た.後で知った事なのだが 他の自治体においては前例がないとの理 で行 方不明者名 提出を拒んだ例もあったようだ.
行方不明者名 と自院の患者名 を らし合わ せ,自分の患者の中で が行方不明なのかをま ず き止めることから作業を開始した.自院患 者の行方不明者のカルテを遺体安置所に持参 し,遺体はあるが身元が分からない方の歯の死 後記録と 合を始めた.このやり方は かに教 わった事ではなく,自分自身が一度冷 になっ て考え出したその時点での 一,最 の方法で あった.自治体からの行方不明者情報の収集
当行方不明者のカルテの収集 行方不明者と 身元不明者の 合 身元確認判定の流れで作業 を行った.自治体からの行方不明者名 の収集 から始まるこの方法は後に岩手県全体で行われ る事となった.
図4:スタッフの手によって の中から回収,整理 されたカルテ
この方法で私は 50 人程の身元を判明させる ことが出来た.震災当時 DNA 定 ちだと結
果が出るまで数カ月以上もかかり,ご遺族のも とへ帰ってくるときは骨 に入った遺骨の状態 であった.歯での身元確認作業は 時間で,生 前データさえしっかりしていれば極めて正確な 判定が可能なため,少しでも早くご遺体を遺族 に引き すことが可能だ.骨 に入った骨だけ を引き される事より,損傷があっても亡 を 引き される事は遺族にとって,故人の最後を でしっかりと見送ることができ,心に区切 りをつけ,復興への一 を早く み始める事へ の手助けになるのではないかと私は強く思うも のである.身元確認作業を通して,ご遺族の方々 には様々な事情があり,また 々の思いがある 事を痛感させられた.
.震災 の においての との
大 を た
2011 年 10 月入ったある日,岩手県警の警察 官が歯の 合を頼みに当院に来院した.警察官 は「実は宮 市の沖合で発見されたご遺体なの ですが,DNA 定で身元が判明しているので すが, 様が判定に 得して頂けずご遺体の引 き取りを拒否しておりまして困っています」と の事だった.このご遺体は宮 市の沖合約 200 ロの海上で偶 通りかかった大 タンカーに よって引き上げられたとの事だった.警察官は ご遺体に入っていた義歯を取り出して 定して しいと依頼してきた.総義歯ではあるが震災 4か月前に左上 歯を抜歯し,同部を増歯修理 した患者で,遺体の死後記録(デンタルチャー ト)には左上 歯部に歯 ありと記されて あった.加えて下顎義歯は熱可 性 を使用 したにもかかわらず 強線が入れられ,固いも のを食べることが きで幾度となく義歯修理を り返し, 労した思い入れのある患者の義歯 に間違いなかった.本来,身元確認作業で総義 歯の場合,本人の特定は不可能のように思われ るが,本事 のような場合,高い確率で義歯が 本人のものであることを確認できる事がある.
後日,ご遺族に今回の 定結果を 明した.警 察官に伴われて 様と 子さんが みに医院
に来た.「大変申し ありませんが,このご遺 体はご主人様です.はやく迎えに行ってあげて ください」と私は告げた. 様はその場で泣き 崩れたが最後に「先生,有難うご います」と 深々と を下げ,その足で遺体が安置されてい る宮 市に かった.このように時として身元 を判明させることは遺族にとって何 かで生き ているのではないかとの一 の望みを絶つこと になる.DNA 定での結果を拒否してまで私 の 定を信じてくれたのは, 様も私の患者さ んで,今まで積み重 てきた強い信頼関係があ るからこそだと痛感した事 であった.
図5:身元不明者に 着されていた義歯の検視作業
.震災 , に して と た 動
において, か
を 事 たの いかと わ 震災後の日常診療において,震災遺児の治療 に き合うことは非常に いものであった.つ い先日までお母さんに連れられて治療に来てい た子の母親が犠牲になった小学生の女の子の例 を紹介する.犠牲になった母親は隣町の大 町 の職場で働いているとき地震が発生した.その 後,津波からは安全な内陸部の職場から,子供 の迎えに沿岸部に位置する 住居小学校へ かったとみられる.その 中で津波に巻き込ま れて遺体は発災5日後,大 内で発見された.
この母親は私の医院に通院中でありブリッジの 印象採得を震災前の3月3日に行っていた.私 の医院は院内で床から2m 12 水したがその
母親の模 は盛岡の技工所に外 していたので 流されずに保管され,4月になった頃,私の手 元に届いた.その模 を見たとき亡くなった患 者さんの顔が思い かんだことを 明に覚えて いる.この模 を遺族に帰すべきかこのまま保 管するべきか悩んだが,帰すことに決めた.小 学生の女の子に「お母さんの歯の模 だよ,
かったら持って帰るかい,あげるよ」と言った らすぐに「お母さんの歯だ」と言い返してきた.
父親に経 を 明し模 を し上げた.後か ら聞いた話では は模 を見て「お母さんの顔 が思い か 」と言っていたらしい.模 は自 分の の上に真ん中に置いているとの事だった.
図6に示した写真は,私たち歯科医師は模 部分にしか目がいかないが,その子は模 の上 の部分に母の顔を見ているのではなかろうか.
ただの模 でもその子にとっては母の面影を残 す大切な宝物なのだと思う.
図 :津波で犠牲になり 着できなかった患者の作 業用模
今現在その子は,高校生になり小学校から続 けている空手で高校総体に出場するくらいの元 気な学生生活を送っている.高校総体ではきっ と空の上から母親が見 ってくれていると思い ながら戦ったに違いない.
. の の
石の と ばれる事例では世間一 には「岩手県 石市内の小中学生らのうち,当 日学校に 校していた生徒全員が生 したとし て話題となった.小中学生らは,地震の直後か ら教師の指示を たずに避難を開始. 津波が
来るぞ, げるぞ と周囲に知らせながら,保 育 児のベビーカーを押し,お年寄りの手を引 いて高 に かって り続け,全員無事に避難 す る こ と が で き た.」( ウ ィ ペ デ ィ ア・
ikipedia から引用)であるとか,「東日本大震 災と共に発生した大津波によって,岩手県や宮 城県の太平洋沿岸において しい死者・行方不 明者が出た中で,岩手県 石市の小学校・中学 校では約 3000 名が避難し生 率 99.8 パーセン トという 的な数 を記録したことの通 .」
( e lio 書 実用日本語表現 から引用)
と伝えられている.
地元の人間としてこの報道には強い違和感を 感じた.私が知りうる事実と しく異なる報道 がなされていたのである.生 率 99.8% それ は,津波被害の 性がない内陸 の学校の子 供たちまで分母の総数に入れた数 のトリック でしかない.このような報道や検証の仕方に大 きな疑問を か るを得ない.
か た た
地元の住民の間での確認できた事実, 石市 が正式に認めている事実として以下のことがあ げられる.
・ 住居小学校においては校長, 校長不在で 指 命令系統が混乱し避難行動が学年により 全くバラバラだった.
・ 地元消防 員の指示ではじめて高 避難を開 始した.
・ 住居小学校では取り残されていた子供がいた.
・ 車で子供を迎えに かった 親が多数犠牲に なった
・ マニュアル通り自宅で 機し,学校からの電 話連絡を っていた親が犠牲になった.
・ 住居小学校の事務員が電話 で校 に残る 事となり犠牲になった.
このような真実がありながら と思われる 報道がなされたことに関して被災者として遺 に感じる.また,この報道がなされたことによ り,子供が犠牲になったご遺族の心情を察する と何ともいたまれない感情を覚える.
とりの少女のこう証言する「私たちは 石の と ばれているそうです.でも,こ れは私たちの普段の取り組みが起こしたもの で,何も特別なことではありません.」この言 葉のように報道されたものと被災児童生徒が いている思いは,大きくかけ れていることも
われる.
以上のようなことから私が本シンポジウムで 最も伝えたかった事として
“ 真実なき検証に未来に伝えるべき教訓は宿 らない ”ということを最も強く伝えたいと思い,
の 題名とさせて頂いた.
.おわりに
震災当日の「助けてあげられなくてごめん,
絶対に してやるからな」という思いの前には 大きな壁が立ちはだかっていた.歯科医師とし てだけではなく, とりの地域の人間として犠 牲者を家族のもとへ帰すとの強い信念を持って いたからこそ,その壁をどうにかして超えよう とする行動が出来たのではないかと,今になっ てみれば思うものである.超えるのに困難な壁 の前に立った時ほど,冷 になって考えること が重要であることを今回の震災を経験して思い 知らされたような気がする.ただ っ るだけ ではなく一度立ち止まり自分の考えや行動をも う一度整理することは,時間の無 ではなく,
結果として最大限の 果, 率を生むものと私 は考える. 急がば回れ ではなく 急がば一 度立ち止まれ を私は心がけるようにしている.
図 :「 石の 」が報道されるとき一 使われ ている写真
昨年の第 31 回日本歯科心身医学会にシンポ ジストとして参加させて頂いた.シンポジウム の 題に − こころ も診れる歯科医療を目 指して− とあったが私が心も診て来れていた かと言うと反省せ るを得ない点が多いと思っ ている.今回の震災での教 として こころ を診るには,治療に来ている地域の人達と な人間関係を く事こそが重要であると強く感
じるものである.
終わりに,震災から5年が経過し,震災の記 憶の風化が様々な場所で言われている.被災地 はまだまだ復興道半ばであり,そして「 の 一 , の 一本だけでも」とまだ見 家族を
命に している人がいることを忘れないで頂 きたいと強く願う.
参考
・ 家族のもとへ,あなたを帰す : 東日本大震災犠牲 者約 1 万 9000 名,歯科医師たちの身元 明 原三 ( ) AVE 出版
・ だらけのカルテ 原三 ( ) 社(厚 生労働省児童福祉文化 指定)
写真提供
・岩手県歯科医師会 警察歯科委員会
・岩手日報社
・NH・岩手県 石市 住居町 両川 信 氏
・岩手県 石市 住居町 浦山文男 氏
図 1,2 の写真内の日付は撮影者の設定ミスで正確 には 2011,03,11 の誤りである
図 :月命日の度,行方不明の を思い岸壁から を海に投げる遺族