良 源 と 源 信 の 宗 教 肚 會 的 立 場 ( 得 能 ) 二 九 〇
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源
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立
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光
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一 横 川 樗 嚴 院 は 慈 畳 大 師 圓 仁 の 建 立 に な る も の で、 圓 仁 は こ こ で 法 華 経 を 爲 し 四 種 三 昧 を 修 行 し た が、 彼 の 残 後 次 第 に 衰 微 し、 佳 僧 わ ず か に 三 爾 輩 の み と い う 有 様 で あ つ た ( 慈 慧 大 僧 正 )。 こ れ を 復 興 し た の は 源 信 の 師 で あ る 十 八 代 座 圭 良 源 で あ つ た。 良 源 は 天 緑 元 年、 廿 六 箇 條 を 起 請 し て 紫 働 し た 叡 山 の 室 氣 を 糺 し、 圓 仁 の 横 川 を 再 興 す る こ と に よ つ て 最 澄 の 精 神 に 還 ろ う と す る も の が あ つ た。 と こ ろ で、 源 信 の 往 生 要 集 は、 永 観 二 年 ( 九 八 四 ) 執 筆 を 始 め、 翌 年 寛 和 元 年 四 月 に 成 立 し て い る の に、 同 年 正 月 三 日 に 残 し た 良 源 に つ い て、 一 向 に 記 す と こ ろ が な い ば か り か、 良 源 の 九 品 往 生 義 か ら の 影 響 も 殆 ん ど な い ( 井 上 光 貞 氏、 日 本 浮 土 教 成 立 史 の 研 究 )。 良 源 の 九 品 往 生 義 が 義 科 書 で あ つ て、 世 の 指 南 と す る も の で な か つ た と は い え、 そ の 内 容 に は 智 光 疏 を 依 用 し て 大 経 の 第 十 八 願 が 観 経 の 下 下 品 に 關 連 し て 理 解 さ れ て お り、 十 八、 十 九、 二 十 の 三 願 に つ い て は 十 八 を 聞 名 信 樂 十 念 定 生 願、 十 九 を 行 者 命 終 現 前 導 生 願、 二 十 を 聞 我 係 念 修 善 定 生 願 と 名 附 け、 第 十 八 願 は 下 下 品 凡 夫 の 如 き 悪 人 で も 佛 名 を 聞 き 西 方 を 願 生 し 十 念 稻 名 す れ ば、 必 ず 往 生 せ し む る こ と を 誓 つ た も の と 説 か れ て い る。 良 源 自 身 は 菩 提 心 を 獲 し、 諸 々 の 善 根 功 徳 を 修 す る こ と に 意 義 を 認 め、 第 十 九 願 が 最 も 債 値 あ る も の と み て、 構 名 は 淺 行 諸 行 は 深 妙 と 考 え て い た ( 硲 慈 弘 氏 ﹁ 日 本 佛 教 の 基 調 と 開 展 ﹂ 上 )。 し か し な が ら、 十 八 願 が 問 題 に な つ て い る の は 何 と し て も 悪 人 往 生 が 庶 民 の 問 題 と し て と り あ げ ら れ て き た こ と で あ つ て、 こ の 貼 は す こ ぶ る 注 目 す べ 聰き も の が あ る。 良 源 は そ の 入 滅 に は 和 尚 合 掌 西 面。 誓 日。 我 所 レ 修 善 根。 悉 資 二菩 提。 兼 分 二 蕪 修。 廻 二 向 一 切 衆 生。 命 終 之 後。 願 必 往 二 生 極 樂 世 界 一。 口 念 一彌 陀。 心 観 二 實 相。 機 縁 云 蓋。 逐 以 入 滅。 ( 慈 慧 大 僧 正 傳 ) と あ る よ う に、 臨 終 に は 極 樂 に 生 れ る こ と を 願 つ て ﹁ 口 念 二 彌 陀 こ し た。 こ の 貼 か ら し て ﹁ 頑 魯 之 者 ﹂ ﹁ 極 重 悪 人 ﹂ の 爲 に 往 生 極 樂 之 教 行 が あ る と 考 え た 源 信 が、 師 で あ る 良 源 の 行 實 に つ い て、 要 集 に 記 す と こ ろ が あ つ て も い い の で は な い-668-か。 そ の 引 用 に し て も 僅 か 三 ケ 所 で、 そ の う ち 二 ケ 所 は 孫 引、 一 ケ 所 は 二 十 字 の 引 用 に す ぎ な い と す る と、 源 信 は 殆 ん ど、 往 生 義 か ら 直 接 的 な 引 用 は し て い な い ( 花 山 信 勝 氏 校 訂 ﹁ 往 生 要 集 ﹂) の 二 日 本 往 生 極 樂 記 は 寛 和 元 年 以 前 に 成 立 し て い る か ら 慶 滋 保 胤 が 當 時、 生 存 中 の 良 源 に つ い て 記 す こ と が な い の は 當 然 で あ る。 と こ ろ が 績 本 朝 往 生 傳 に も、 大 江 匡 房 が 往 生 極 樂 記 に 遺 漏 の あ つ た 國 王 大 臣 か ら 僧 俗 婦 女 ま で を 牧 録 し た と 記 し て い な が ら、 良 源 の 行 實 に つ い て の 記 載 は な い。 績 本 朝 往 生 傳 は 康 和 年 中 ( 元 年 一 〇 九 九 年 ) の 成 立 だ か ら ﹁ 長 元 四 年 九 月 十 九 日 記 レ 之 ﹂ ( 一 〇 三 四 ) と あ る 慈 慧 大 僧 正 傳 を 見 て い な い の か、 或 い は 讃 ん で も こ れ を 無 覗 し て い る の か、 ど ち ら か で あ ろ う。 し か し、 本 朝 紳 仙 傳 を も 著 し て い る 匡 房 が 良 源 の 傳 記 を 全 く 知 ら な か つ た と は 一 寸 考 え ら れ な い こ と で あ る。 そ こ で 横 川 樗 嚴 院 の 再 興 者 で あ り、 西 方 願 生 者 と 傳 え ら れ る 良 源 を、 匡 房 が 績 本 朝 往 生 傳 に 牧 録 し な か つ た の は、 何 ん と し て も 不 可 解 と い わ な け れ ば な ら な い。 日 本 往 生 極 樂 記 に は 横 川 在 の 念 佛 者 と し て、 圓 仁、 延 暦 寺 東 塔 佳 僧 某 甲、 十 輝 師 尋 静 等 を 記 し、 又 東 塔 住 僧 某 甲 の 條 で は 山 僧 普 照 が 夏 の 間、 樗 嚴 院 に 住 し た と あ る。 績 本 朝 往 生 傳 に は 権 中 納 言 源 顯 基、 僧 正 遍 照、 尋 輝、 罷 運、 源 信、 毘 超、 増 賀、 寛 印、 良 範、 範 久 等 の 人 が 横 川 楊 嚴 院 に 佳 し た 往 生 人 で あ つ た こ と を 記 し、 而 も 良 源 の 四 哲 と 呼 ば れ た 尋 輝、 畳 運、 源 信、 畳 超 は い ず れ も 慈 慧 僧 正 の 弟 子 と 明 記 し て い る。 に も か か わ ら ず、 師 そ の 人 で あ る 良 源 に つ い て は、 後 世 の 後 拾 遺 往 生 傳 に 至 る ま で 往 生 人 と し て 往 生 傳 に 記 載 さ れ て い な い。 又、 長 久 年 間 ( 元 年 一 〇 四 〇 年 )、 首 樗 嚴 院 鎭 源 の 撰 述 に な る 法 華 験 記 は ﹃ 慈 慧 大 僧 正 傳 ﹄ 成 立 後、 僅 か 四 年 に し て 成 つ た も の で あ り な が ら、 良 源 に つ い て 記 す と こ ろ が な い。 本 朝 法 華 験 記 の 著 述 年 代 は 源 信 捜 後 二 十 四 年 で、 源 信 の 時 代 と あ ま り 距 た る も の で は な い。 し た が つ て、 こ の 時 代、 法 華 と 念 佛 の 兼 修 が 極 ぐ 普 通 で あ つ た こ と か ら す る と、 良 源 は 亦、 法 華 験 記 に 牧 録 さ れ る 理 由 が あ つ て も 別 に 不 思 議 で は な い。 事 實、 鎭 源 は 源 信 を 法 華 修 道 者 と し て 所 載 し て い る。 こ の よ う に 法 華 験 記 に は 樗 嚴 院 在 佳 者 と し て、 他 に 圓 仁、 圓 久、 境 妙、 永 慶、 増 賀、 道 命 等 が 記 さ れ て あ り、 又 横 川 在 佳 の 有 無 は 知 ら れ な い が、 源 信 の 姉 で あ る 比 丘 尼 願 西 も 法 華 を 行 じ た こ と が 記 載 さ れ て い る。 以 上 の よ う に、 鎭 源 も 亦、 良 源 を 法 華 の グ ル ー プ か ら 除 外 し て い る。 そ の 理 由 は お そ ら く 良 源 と 鎭 源 と の 宗 教 肚 會 が 異 な つ て い た か ら で あ ろ う。 法 華 験 記 撰 述 の 立 場 に は 多 分 に 名 聞 利 養 を 離 れ、 灌 勢 に 背 く 態 度 が 三 貫 し て 流 れ て い る し と か ら も 知 ら れ る。 三 源 信 在 世 時 か ら 績 本 朝 往 生 傳 成 立 頃 ま で は、 良 源 は 往 生 人 と し て 考 え ら れ て い な か つ た。 源 信 は 西 方 願 生 者 を 結 縁 良 源 と 源 信 の 宗 教 杜 會 的 立 場 ( 得 能 ) 二 九 一
-669-良 源 と 源 信 の 宗 敏 肚 會 的 立 場 ( 得 能 ) 二 九 二 し た 二 十 五 三 昧 會 の 有 力 な 成 員 で あ つ た が、 こ れ と 同 三 の 基 盤 に あ つ て 成 立 し た 往 生 傳、 就 中、 早 期 に 成 立 し た も の の 中 に 良 源 を 往 生 人 と し て 記 載 し な い の は 源 信 自 身、 往 生 要 集 に 良 源 の こ と を 記 さ な い よ う に、 二 十 五 三 昧 會 を 結 縁 す る に あ た り、 良 源 か ら 受 け る 影 響 が 少 な か つ た も の と 考 え ら れ る。 良 源 は 先 述 し た よ う に 天 緑 元 年、 廿 六 箇 條 起 請 を 書 い て 叡 山 の 寺 院 生 活 を 糺 そ う と 七 て い る。 こ の 中 で 彼 は 僧 が 武 器 を た ず さ え る ご と を 禁 じ、 又 結 界 を 作 り 籠 山 十 二 年 を 定 め、 持 戒、 布 薩 を 行 つ て、 修 行 僧 が 世 俗 に 交 る こ と を 防 こ う と し て い る。 し か し、 良 源 自 身、 天 暦 四 年 以 降、 次 第 に 九 條 家 三 門 と 接 す る よ う に な り、 途 に は 天 元 四 年、 行 基 以 來 の 大 僧 正 に 任 ぜ ら れ た ( 井 上 光 貞 氏 ﹁ 日 本 浄 土 敏 成 立 史 の 研 究 ﹂ に 詳 し い )。 こ の 貼 は、 最 澄 や 圓 仁 が 灌 力 や 榮 讐 に 屈 服 す る こ と を、 極 度 に 嫌 つ た 精 紳 に 反 す る も の で、 横 川 復 興 を 志 し な が ら、 所 謂 反 律 令 佛 教 と し て の 横 川 の 傳 統 を 守 る こ と が 出 來 な か つ た の は、 良 源 の 佛 敏 者 と し て の 限 界 を 示 す も の で あ つ た。 横 川 は 圓 仁 に よ つ て 創 建 さ れ た も の で あ る が、 そ の 性 格 を 規 定 す る も の は 承 和 三 年、 圓 仁 撰 .の 首 樗 嚴 院 式 九 條 で あ る。 こ の 中 に 先 師 最 澄 の 遺 誠 を 守 る べ き を 示 し、 院 中 の も の 全 て ﹁ 亙 生 二 父 母 想 一﹂ と し て 同 朋 精 紳 と 相 互 扶 助 の 精 神 を も つ べ き を 指 摘 し て い る。 慶 滋 保 胤 や 源 信 の ﹁ 横 川 首 楊 嚴 院 二 十 五 三 昧 起 請 ﹂ は、 そ の 内 容 を よ く 比 較 検 討 す る と、 圓 仁 の こ の 首 娚 嚴 院 式 九 條 の 傳 統 を 汲 ん で い る こ と が 明 ら か で あ る。 首 樗 嚴 院 式 二 十 五 三 昧 起 請 一、 依 二先 師 遺 誠。 山 門 之 内。 不 レ得 レ 入 二 女 人。 一、 凡 院 内 一 衆。 至 二 童 子。 不 レ 得 レ飲 レ 酒。 若 飲 レ 酒 者 不 レ 得 レ交 レ僧。 一、 院 中 以 レ 橡 爲 レ 食。 亦 秋 三 月 中。 各 行 二 檀。 可 レ 績 二氣 命。 一、 可 三 毎 月 十 五 日 勤 二 修 念 佛 三 昧一 事 ( 中 略 ) 結 衆 殊 愼 三 二 業。 堅 護 二 衆 戒 一不 レ 生 二放 逸 之 行。 勿 レ 從 二 世 路 之 事 り 一、 院 中 三 衆。 於 二 上 下 類 一亙 生 二 父 母 想 一 生 二 師 長 想。 生 二兄 弟 想。 各 不 レ 得 レ 顯 レ 失。 一、 院 中 三 衆。 上 慈 二 悲 下。 下 敬 二順 上。 若 不 レ 然 者。 非 達 二 外 教。 何 況 内 教 哉。 一、 可 二調 レ 心 護 レ 道 揮 レ 人 補 關 一 事、 ( 略 ) 同 レ 心 齊 レ 志。 如 下 乗 二 一 船。 互 相 敬 重。 如 レ 硯 二 世 尊 云 々。 三、 若 有 二施 圭。 院 中 行 事 者。 必 以 二僧 吹 人 一令 レ 行。 有 二 客 僧 コ 者。 以 二 其 人 一任 二 用 其 事 幻 若 不 レ 用 二僧 吹。 檀 越 者。 於 二 院 内。 不 レ得 レ 行 二 法 事。 一、 凡 院 中 一 衆。 行 佳 坐 臥。 今 三 心 安 二佳 法 性。 観 二 實 相 無 分 別。 不 彪 得 二 他 念 殉 鯨 人 共 慮 下 垂 二其 抜 濟 一 不 中 爲 二 世 間 名 聞 利 養 而 契。 可 下 以 二 毎 月 十 五 日 夜 刃 修 中 不 断 念 佛 上 事
-670-一、 凡 院 内 一 衆。 不 レ得 レ 好 レ 色。 一、 凡 在 二 院 内一。 有 二 修 學 一者。 不 レ得 レ爲 二 世 間 名 利一。 當 下 爲 二 法 界 衆 生一。 爲 レ 利 二 國 家一。 爲 レ 佳 二 持 佛 法一。 爲 レ 誰 二 得 菩 提一。 修 中 學 之。 右 爲 二令 法 久 住一。 捨 二 世 間 塵 務一。 蝕 人 共 鷹 下 垂 二 其 抜 濟 一 不 申 爲 二 世 間 名 聞 利 養 而 契一。 一 乗 立 レ 式 如 レ 件 凡 院 中 一 乗。 毎 レ 人 可 レ 看 二 此 式一。 右 の よ う に み る と、 二 十 五 三 昧 會 の 結 縁 は 圓 仁 の 首 樗 嚴 院 式 を 模 範 と す る と こ ろ が 多 く、 源 信 も 又 ﹁ 源 公 久 居 二 山 内一。 不 レ 交 二 都 城 ↓ 偏 慕 二 往 生一。 無 レ 求 二 名 利一。 錐 レ 至 二 暮 齢一。 唯 携 二 佛 教一。 所 レ 著 書 論 盛 行 二 干 世一。 其 中 往 生 要 集 三 巻。 濁 世 末 代 之 指 南 也 ﹂ ( 慈 慧 大 僧 正 傳 ) と あ り、 又 灌 記 の 長 保 三 年 の 條 に、 箆 運 と 共 に ﹁ 年 來 有 二 宿 願 一 都 不 二 出 仕 ⋮⋮爲 レ 鋤 二 其 情 一﹂ と あ つ て、 畳 運 が 後 に 道 長 一 門 の 灌 勢 に 近 づ い た の に、 源 信 は 寛 弘 二 年 ( 一 〇 〇 五 ) 灌 少 僧 都 を 辮 し て 以 後 は 横 川 に 專 ら 隠 棲 し、 貴 族 肚 會 に 交 わる こ と が な か つ た ( 井 上 光 貞 氏 ﹁ 日 本 浄 土 教 成 立 史 の 研 究 ﹂ 参 照 )。 四 良 源 が 横 川 を 再 興 し て 後、 こ こ は 次 第 に 貴 族 と の 關 係 を 深 め る よ う に な つ た。 九 條 兼 家 は 父、 師 輔 の 薔 意 を 纏 い で 良 源 の 徳 行 を 崇 め、 樗 嚴 院 に 参 詣 し 慧 心 院 を 草 創 し て こ れ を 御 願 所 と な し た ( 慈 慧 大 曾 正 傳 )。 こ の よ う に 樗 嚴 院 は 良 源 が 當 初、 意 圖 し た と こ ろ と 異 な つ て 次 第 に 貴 族 化 の 道 を 辿 り、 途 に は 全 く 御 願 寺 と 攣 貌 し て 二 朝 之 御 所 可 レ 依 二 何 庭 一乎。 佛 法 依 二 王 法 一弘。 王 法 依 二 佛 法 一持。 ﹂ ( 山 門 堂 舎 記 ) と あ る よ う に、 佛 法 を 王 法 に 依 存 さ せ る 有 様 で あ つ た。 良 源 が 大 僧 正 に 任 ぜ ら れ た 天 元 四 年 ( 九 八 三 ) は、 源 信 四 十 歳 の 時 で あ つ た が 往 生 要 集 が そ の 後、 三 年 に し て 首 樗 嚴 院 に 於 い て 執 筆 さ れ る の は、 康 保 三 年 五 十 五 歳 に し て 天 台 座 圭 に 補 せ ら れ、 延 暦 寺 に 君 臨 す る よ う に な つ た 良 源 が、 當 初 の 横 川 復 興-圓 仁 の 精 神-の 精 紳 と は、 次 第 に 異 な つ た 方 向 に 進 み、 遂 に 大 僧 正 に ま で 到 つ た そ の こ と に 起 因 す る の で は な か つ た か。 天 台 座 圭 に な つ て か ら の ち の 良 源 は、 も は や 横 川 に の み 關 係 す る よ う な も の で は な く、 む し ろ 横 川 を 離 れ た 比 叡 山 全 髄 の 座 圭 で あ つ た。 そ の 故 に 源 信 は 横 川 を 去 つ て 座 圭 と な つ た 良 源 の 立 場 を 天 元 四 年 の 大 僧 正 就 任 を 三 つ の 動 機 と し て 常 行 三 昧 の 場 で あ る 横 川 の 在 り 方 を 再 考 し、 凡 夫 往 生 の 理 念 を 確 立 す る た め に 要 集 の 執 筆 を 始 め た の で は な い だ ろ う か。 右 の よ う に 考 え る と 源 信 は 横 川 の 傳 統 を 同 復 す る た め に、 凡 夫 往 生 を 良 源 に よ つ て 示 唆 さ れ な が ら も、 そ の 宗 敏 杜 會 的 立 場 に 同 意 出 來 な い も の が あ り、 往 生 要 集 の 中 に 良 源 に つ い て 記 す と こ ろ が な か っ た の で あ ろ う。 良 源 と 源 信 の 宗 教 肚 會 曲 立 場 ( 得 能 ) 二 九 三