「同和」教育運動における学力向上研究推進校区事業の研究 [ PDF
4
0
0
全文
(2) 教育運動の形骸化・空洞化が語られていた。福岡県では、. に委嘱し一九九四年度から校区事業を開始している)が. 当時の日教組VS文部省という「対立」図式の中で、 「同. 開始され、「学校・家庭・地域・教育行政等が連携する. 和」教育運動は広がりをもち、教育の世界で市民権を得. 組織の設立」、「個性を生かし意欲を高める授業改善」、. たと同時に、学校での位置づけやその教育内容において. 「家庭・地域の教育力の高揚にむけた活動」 、 「セルフイ. 「特殊化」される傾向にあった。そのような状況では、. メージ形成に係る課題解決の実践」 をはじめとした、 様々. 教育目標論の不浸透が起き、「解放の主体」形成という. な取り組みの理論が実践の中から構築された。しかし、. 思想性を欠いた、取り組みの広がりが起きた。 「特殊化」. その理論には課題があり、「目標としての『基礎学力の. された「同和」教育運動のスペシャリストたちは、思想. 向上』が孕む課題」 、「『教授=学習論』の欠如」、 「実践. 性を浸透させるために、教育目標論を語ることとなるの. 評価における課題」、「『人権教育のための国連一〇年』. であるが、それは、観念論でしかなかった。これは、 「同. や自尊感情をめぐる課題」の主に四点として指摘した。. 和」教育運動が孕む課題の一つである「学習論の欠如」. 第四章では、主に田川市立金川中学校区と福岡市にお. の現れといえる。福岡県では、このような「同和」教育. ける、第一次校区事業及び第二次校区事業(政令指定都. 運動の形骸化・空洞化現象によって、「学力保障」への. 市を含む、県内二九中学校区で一九九七年度から開始さ. シフトが全国レベルよりもかなり遅れることとなった。. れている)を事例とし、それぞれの事例において実施さ. このような現状を打破する戦略の一つとして「同和教育. れた中心的な取り組みの実際を明らかにし、第一次終了. 実態調査」 (以下、 「実態調査」と略す)実施が要求され、. 時、第二次終了時に各事例において検討された成果と課. 一九九〇年に実施されることとなる。. 題に関する言説と福岡県教育委員会がのべる成果と課題. 第三章では、校区事業の直接的な背景が、 「実態調査」. に関する言説を明らかにしてきた。. の提起する課題克服と、「同和」教育運動の形骸化・空. 第一次校区事業では金川中学校区を事例とし、「校区. 洞化を克服するモデル校区づくりの二点であったことを. 事業推進委員会組織の確立」 、 「授業改善を中心とした学. 明らかにし、校区事業の理論(目的・研究主題、方法). 校内での取り組み」 、 「保護者の教育力の向上を中心とし. を考察することによって、理論上の課題を主に四点を指. た学校外での取り組み」の実際を明らかにし、理論上の. 摘した。. 課題である「『教授=学習論』の欠如」 、「実践評価にお. 福岡県の「同和」教育運動は、「学力保障」へ踏み切. ける課題」が実践上の課題ともなったことを明らかにし. れずにいた一九八〇年代の後半に、部落解放運動側から. た。第一次校区事業に続いて実施された、第二次校区事. 強力に「学力保障・進路保障」を求める要請を受けた。. 業は、①内容的な前進・拡張、②量的な拡大、③他校区. それは、部落解放運動の成果として獲得した「法」によ. への浸透という三点の特徴を持つ。そこで、第一次に引. って、住宅環境等のハード面の整備は進んだにもかかわ. き続き第二次校区事業に取り組んだ金川中学校区におけ. らず、 依然として残る、 部落と部落外における高等学校・. る「検証・評価の工夫」 、 「子育てハンドブック作成」 、 「ま. 大学(短大も含む)への進学率・中途退学率の較差の解. つり金川の取り組み」 、 「総合的な学習の展開」等を考察. 消を求める要請であったといえる。そこで、子どもの学. することによって、特徴①を明らかにした。また、福岡. 力における実態や課題を明確に把握し、そこから活動を. 市における「福岡市『同和』地区関係校研究会の取り組. 創造することをめざし、一九九〇年に福岡県「実態調査」. み」 、 「検証軸・授業プラン」 、 「第一次校区事業」 、 「第二. が実施されることとなる。この「実態調査」の提起した. 次福岡市『実態調査』」、「第二次校区事業」等を考察す. 課題(基礎学力の向上、肯定的セルフイメージの高揚、. ることによって、特徴②③を明らかにした。さらに、第. 家庭・地域の教育力の向上)を解決する福岡県独自の解. 二次校区事業指定・委嘱最終年度である一九九九年度に. 放教育計画が作成され、その中心的な取り組みの一つと. おける、第二次校区事業を実施した二九校区(明確な記. して考案されたものが校区事業であった。また、校区事. 述が残されていたのは二七校区である)の重点的な取り. 業は、 「同和」教育運動の形骸化・空洞化現象を払拭し、. 組みを考察することで、その到達点を概観した。さらに、. 観念論でない具体的な実践を組織的に創造するモデル校. 金川中学校区・福岡市の二つの事例において第二次終了. 区づくりとしても期待されていたのである。一九九三年. 時に検討された成果と課題についての言説を明らかにし、. に第一次校区事業(政令指定都市を除く、県内の六中学. 福岡県教育委員会が考える第二次校区事業までの成果と. 校区が福岡県教育委員会から指定され実施し、政令指定. 課題を『同和教育資料第二六集 学校における同和教育. 都市である福岡市は、市教育委員会が独自に一中学校区. の充実をめざして−「人権の世紀」を担う子どもたちの.
(3) ために−』(福岡県教委,二〇〇一年)を読みとくこと. 題として取り組んできた「学力保障・進路保障」は、未. で明らかにしてきた。. だ実現されていない点である。具体的には、部落と部落. 第五章では、前章までの考察をもとに、校区事業の成. 外の高等学校・大学(短大を含む)の進学率・中途退学. 果と第三章において示した理論上の課題を、実践を通し. 率における較差は縮まったとはいえない状況があるとと. て検証した。さらに、「同和」教育運動における校区事. もに、 学校現場での差別事件はいまだに後を絶たない (校. 業の位置づけを肯定的側面と、否定的側面から行った。. 区事業実施校区でも差別事件が起こっている)。また、. 校区事業は、主に次の三点において肯定的な位置づけ. インターネット・携帯メール等の匿名性を悪用した差別. ができるものと考える。一点目は、 「 『運動』を『開かれ. 事件は増える一方であり、人々の人権認識が高まってき. た教育』へと方向づけた」ことである。つまり、校区事. たとはとてもいえない現状が存在している。校区事業に. 業によって、それ以前の「同和」教育運動にありがちで. よって、「実態調査」の提起した課題克服に向けた様々. あった「部落の子どもたちのみの変革」をめざす取り組. な取り組みがつくられ、実践されてきた。しかし、その. みから、「全ての子どもたちの変革」をめざす取り組み. 取り組みは未だその途中・過程にあり、「課題解決」と. へと、教育の射程が「開かれた」方向へとシフトしたと. いう面から見た十分な成果を出しているとはいえない。. 考える。また、校区事業では、校区事業推進委員会の組. 校区事業実施校区における取り組みのさらなる継続と発. 織化から始まる、学校のみではなく、家庭や地域と協働. 展、また、福岡県の「同和」教育運動として、校区事業. した組織的な取り組みが創造されてきた。すなわち、学. 実施校区における取り組みの成果の「広がり」と「深ま. 校区内外で、組織的にも、教育内容的にも、一部に「特. り」を確かなものとしていく必要があると考えるのであ. 殊化」されない「同和」教育運動が創造されてきた。二. る。. 点目は、「同和」教育運動の形骸化・空洞化の原因であ. 以上の考察をまとめると、校区事業は「同和」教育運. る「教育目標論の不浸透」克服に向けて、ある程度の道. 動における「学力保障」を考える場合の、最大の課題で. 筋を示した点である。校区事業実践の中で、「肯定的な. あった、「教授=学習論」と教育目標論の間での課題を. セルフイメージ」の形成を、部落の子どもたちをはじめ. 一部解消するとともに、明確化したといえる。校区事業. としたすべての子どもたちの学習理解力向上と、社会的. 実践では、「肯定的なセルフイメージ」の形成を教育目. 立場の自覚の統一課題、あるいは、共通の土台として位. 標の核として整理してきたこと、様々な「教授=学習論」. 置づけ、整理してきた。つまり、教育目標論の核を、部. を確立してきたこと、実践を評価することによって教育. 落の子どもたちの「社会的立場の自覚」から、すべての. 目標、「教授=学習論」を改善していくというサイクル. 子どもたちの「肯定的セルフイメージの高揚」とし、整. を「同和」教育運動に取り入れたことは評価されるべき. 理した教育目標論をある程度確立した。三点目は、「人. 点であると考える。さらに、被差別・被抑圧者の問題と. 権教育のための国連一〇年」の提唱や総合的な学習の展. して「特殊化」される傾向があった「同和」教育運動を、. 開等によって、 「同和」 教育運動の最大の課題であった、. 被差別・被抑圧者を含むすべての人々の問題(強いてい. 「教授=学習論」の確立に、ある程度の貢献をしたとい. えば、被差別・被抑圧者以外の人々の問題)としての教. う点である。 校区事業を含む「同和」教育運動の中で. 育運動を構築していく方向性を確立した点においても評. 育まれてきた体験的参加型学習の手法等は、「同和」教. 価されるべきであろうと考える。. 育運動内外の広範囲の教育現場で取り入れられている。. しかし、「肯定的セルフイメージ」の中心として考え. 一方、校区事業は課題(危険性)もあわせもつ。一点目. られている自尊感情においては、部落の子どもの学力と. は、校区事業の運動としての「広がり」が「薄まり」に. の関係性という点では課題を残し、今後の検討課題であ. なり、「同和」教育運動の形骸化・空洞化を促進させる. ると考える。さらに、教育目標論、 「教授=学習論」そ. 危険性があるという課題である。また、ある程度の実践. れぞれのある程度確立に貢献してきたとは言え、それぞ. をつくりあげた校区事業実施校区でさえも、その実践が. れのさらなる追求や、その間のつながりにおいてはまだ. 「深まり」を持たず、マニュアル化し、マンネリ化する. まだ課題を残すと考える。つまり、 「肯定的セルフイメ. 中で、形骸化・空洞化する傾向がでてくることは、過去. ージ」の形成や、今実施していている「教授=学習論」. の「同和」教育運動を振り返えれば明らかである。二点. は「誰のために」 「何のために」 「何をめざし」という目. 目は、校区事業に期待された、「実態調査」の提起した. 的意識性のそれぞれにおける追求や、各教科・領域にお. 課題克服は実現しておらず、「同和」教育運動が長年課. ける教育目標論と「教授=学習論」とをつなぐ「教育目.
(4) 的論」 を確立することの必要性を提起していると考える。 この点も、今後の「同和」教育運動推進上の大きな課題 として検討されるべき点であると考える。 今年(二〇〇二年)の三月三一日をもって、一九六九 年に施行された同対法以来、その名称を変えながら継続 されてきた、人権・部落問題の解決を目指した法律が、 法の失効を向かえ、「同和」教育運動は大きな転換期を 迎えている。今後は、二〇〇〇年十二月に施行された「人 権教育及び人権啓発に関する法律」 (以下、 「人権教育・ 啓発法」と略す)を法的根拠として運動を推進していか ねばならない。しかし、この「人権教育・啓発法」は人 権教育・啓発推進の枠組みを定めたものであり、今後、 この理念の具体化と実現が急務の課題である。また、 「人 権教育のための国連一〇年」についても、取り組みの具 体化を一層図りながら、一〇年間の取り組みを総括する 時期に差し掛かっている。本論文が、このような転換期 にある「同和」教育運動の今後にいくらかでも貢献でき ればと考えている。 [主な参考文献および参考論文] 元木健・村越末男編『 「同和」教育論ノート』 (解放出版 社,一九八〇年) 田中欣和編著『解放教育論再考』(柘植書房,一九八〇 年) 木下繁弥「解放の学力」(部落解放・人権研究所編『部 落問題・解放辞典』 ,解放出版社,二〇〇一年) 中野陸男・池田寛・中尾健次・森実著『同和教育への招 待』 (解放出版社,二〇〇〇年) 川向秀武・中野陸男編著『同和教育の計画と展開』(第 一法規,一九八四年) 池田寛「部落生徒の文化的アイデンティティについて」 (藤田英典・志水宏吉編『変動社会のなかの教育・知識・ 権力』 ,新曜社,二〇〇〇年) 新谷恭明「 『解放教育への軌跡』 ・ 『解放教育への軌跡Ⅱ』 」 (福岡部落史研究会編『部落解放史・ふくおか』六八号, 福岡部落史研究会,一九九二年) 森山沾一「行動計画をどう生かすのか−登場した背景と その意義」 (福岡部落史研究会編『人権教育のための国 連一〇年 それぞれの行動計画と新しい「同和」教育』 , 福岡県部落解放・人権研究所準備室,一九九九年).
(5)
関連したドキュメント
②教育研究の質の向上③大学の自律性・主体 性の確保④組織運営体制の整備⑤第三者評価
専攻の枠を越えて自由な教育と研究を行える よう,教官は自然科学研究科棟に居住して学
以上,本研究で対象とする比較的空気を多く 含む湿り蒸気の熱・物質移動の促進において,こ
21世紀に推進すべき重要な研究教育を行う横断的組織「フ
大学教員養成プログラム(PFFP)に関する動向として、名古屋大学では、高等教育研究センターの
取組の方向 0歳からの育ち・学びを支える 重点施策 将来を見据えた小中一貫教育の推進 推進計画
取組の方向 安全・安心な教育環境を整備する 重点施策 学校改築・リフレッシュ改修の実施 推進計画 学校の改築.
さらに体育・スポーツ政策の研究と実践に寄与 することを目的として、研究者を中心に運営され る日本体育・ スポーツ政策学会は、2007 年 12 月