≪峻厳な神≫とペスト的心性の支配 : 一五世紀フ ィレンツェの立法・政策・判決に心性を読む
著者 石坂 尚武
雑誌名 人文學
号 191
ページ 31‑142
発行年 2013‑03‑15
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013283
︽ 峻 厳 な 神 ︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
│
│ 一五 世 紀 フィ レ ン ツェ の 立 法・ 政 策
・判 決 に 心性 を 読 む│
│
石 坂 尚 武
目 次 第 一 章 ペ ス ト 的 心 性 と 神 の 法 の 支 配
│
│ 総 論 的 考 察
│
│ 第 一 節 ペ ス ト は 政 策 に 影 響 を 与 え た 第 二 節 ペ ス ト に よ る 諸 領 域 に お け る 影 響
│
│ 信 仰
・ 諸 芸 術
・ 学 問
・ 社 会 へ の 影 響
│
│ 第 三 節 キ リ ス ト 教 徒 の
﹁ 神 罰 の 受 容
﹂ 第 四 節 神 の 法 の 支 配
│
│ 神 の 視 点 か ら つ く ら れ た 法 令
│
│ 第 五 節 ラ ン ド ゥ ッ チ の
﹃ 日 記
﹄ に 見 る 神 へ の 恐 れ の 心 性 第 二 章
﹁ 神 の 法
﹂ と フ ィ レ ン ツ ェ の 法 令
・ 制 度
・ 判 決 の 分 析
│
│ 各 論 的 考 察
│
│ は じ め に 第 一 節 シ ニ ョ リ ー ア の 中 心 的 課 題 と し て の 人 口 問 題 第 二 節 嫁 資 公 債 制 度
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︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
│
│ 結 婚 の 促 進 を め ざ し て
│
│ 第 三 節 奢 侈 禁 止 令 の 発 布
│
│ 結 婚 を 阻 止 す る も の と し て の 奢 侈
│
│ 第 四 節 ソ ド ミ ー 取 締 令 の 発 布
︵ 一 四 一 八 年
︶ 第 五 節 神 の 冒 瀆 と し て の 女 子 修 道 院 へ の 立 ち 入 り 第 六 節
﹁ 神 を 冒 瀆 し た
﹂ ユ ダ ヤ 人 に 対 す る 死 刑 判 決
︵ 一
︶ ユ ダ ヤ 人 に 対 す る 死 刑 判 決 第 一 の 事 例
︵ 一 四 三 四 年
︶
│
│ 親 し く し て い た キ リ ス ト 教 徒 の 女 性 と 肉 体 関 係 を も っ た ユ ダ ヤ 人 に 対 し て
│
│
︵ 二
︶ ユ ダ ヤ 人 に 対 す る 死 刑 判 決 と 執 行 第 二 の 事 例
︵ 一 四 三 五 年
︶
│
│ キ リ ス ト 教 徒 の 売 春 婦 と 交 わ っ た ユ ダ ヤ 人 に 対 し て
│
│ 第 七 節 近 親 相 姦 を お こ な っ た 者 に 対 す る 死 刑 判 決
︵ 一 四 一 三 年
︶
│
│
﹁ 自 然
﹂ に 反 す る お こ な い を 罰 す る
│
│ 第 八 節 魔 女 の 処 刑
︵ 一 四 二 七 年
︶ 第 九 節 全 能 の 神 の 冒 瀆 者 と し て の 賭 博 者
︵ 一 四 三 五 年
︶ 第 一
〇 節 慈 善 事 業
︑ イ ン ノ チ ェ ン テ ィ 捨 子 養 育 院 の 設 立
︵ 一 四 二 一 年
︶ 第 一 一 節 疫 病 病 棟 の 設 立
︵ 一 四 四
〇
〜 五
〇 年 頃
︶ お わ り に 注 記
・ 略 記
﹁ 石 坂 史 料 集
﹂ の 明 細 は 以 下 の と お り で あ る
︒ こ れ は 石 坂 が 同 志 社 大 学 人 文 学 会
﹃ 人 文 学
﹄ に 二
〇
〇 三 年 か ら 二
〇 一 一 年 に 掲 載 し た も の で あ る
︒ イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集
︵ 一
︶ 第 一 七 四 号 二
〇
〇 三 年 二 二 頁
〜 七 三 頁
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
― 32 ―
イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集
︵ 二
︶ 第 一 七 六 号 二
〇
〇 四 年 二 六 頁
〜 八 三 頁 イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集
︵ 三
︶ 第 一 七 九 号 二
〇
〇 六 年 一 三 九
〜 二 三 六 頁 イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集
︵ 四
︶ 第 一 八
〇 号 二
〇
〇 七 年 一 三 五
〜 一 七 六 頁 イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集
︵ 五
︶ 第 一 八 一 号 二
〇
〇 七 年 九 七
〜 一 四 七 頁 イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集
︵ 六
︶ 第 一 八 二 号 二
〇
〇 八 年 八 七
〜 一 四 四 頁 イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集
︵ 七
︶ 第 一 八 四 号 二
〇
〇 九 年 二 五
〜 一 八 九 頁 イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集
︵ 八
︶ 第 一 八 六 号 二
〇 一
〇 年 一 九 三
〜 三 一 五 頁 イ タ リ ア の 黒 死 病 関 係 史 料 集
︵ 九
︶ 第 一 八 七 号 二
〇 一 一 年 一 四 七
〜 二 二 一 頁
・ 本 文 中 の 引 用 文 の な か の 太 字 は す べ て 引 用 者 に よ る
︒
・ 翻 訳 文 で
︽
︾ を 用 い た 場 合
︑ そ れ は 大 意 で あ る こ と を 示 す
︒
・ 文 中 の
﹁
⁝
⁝
﹂ は 中 略 を 意 味 す る
︒
・ 聖 書 か ら の 引 用 は
︑ 原 則 と し て
︑ 共 同 訳 聖 書 実 行 委 員 会
﹃ 聖 書
﹄︵ 日 本 聖 書 協 会 一 九 八 七
・ 一 九 八 八 年
︶ を 利 用 し た
︒
・ 掲 載 し た 写 真 は す べ て 筆 者 が 撮 影 し た も の で あ る
︒
第 一 章 ペ ス ト的 心 性 と神 の 法 の支 配
││ 総論 的考 察│
│
﹁ 失 政 を お こ な え ば
︑ そ の 結 果
︑ 神 の 激 怒 や 偶 発 事 件 が も た ら さ れ
︑ そ れ に よ っ て 我 々 は 破 滅 し か ね な い と 思 う
︒ 私 は
︑ 神 の 激 怒 を 引 き 起 こ し か ね な い 我 々 の 行 動 を 熟 慮 し て い る
﹂︵ 一 四 一 三 年 の フ ィ レ ン ツ ェ の 議 事 録 よ り
⑴
︶︒
― 33 ―
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
第一 節 ペス トは 政策 に影 響を 与え た ト レ チ ェ ント
︵一 三
〇
〇年 代
︑一 四 世紀
︶の 半 ば に 始ま る 黒 死病
︵ペ ス ト︶ の 周 期 的 な 打 撃 は 絶 大 で あ っ た
︒こ の︑ 絶 大な 打 撃 を 与え た 黒 死病 が
︑人 び との 意 識 と 行動 に 何 らか の か た ちで 本 質 的な 影 響 を与 え な か った は ず は な い︒ 黒 死病 の勃 発は 一度 きり のも ので はな かっ た︒ 黒死 病は トレ チェ ント 後 半 から 約 一
〇 年ご と に 発生 し⑵
︑さ ら にク ァ ット ロ チ ェ ント
︵一 五 世 紀︑ 一四
〇
〇 年代
︶に も 同 じ よう に 周 期的 に 発 生 し た
︒黒 死 病 は
﹁イ タ リ ア
・ル ネ サ ン ス﹂ と呼 ばれ る時 代︵ 便宜 的に 一四 世紀
・一 五世 紀と する
︶に おい て絶 えず 発生 した ので ある
︒ふ つう ルネ サン ス文 化の 特徴 とし て﹁ 世俗 主義
﹂が 指摘 され るが
︑そ れと とも に︑ この 黒死 病の 流行 によ って
︑ル ネサ ンス 文化 は︑ 非常 に高 い﹁ 宗教 性﹂ をも 帯び たも のと な っ た ので あ る︒ 人 びと は
︑黒 死 病・ 飢饉 の 発 生 に﹁ 神の 手 が 働い た
﹂︵ マ キャ ヴェ ッリ
⑶
︶と 見た こと から
︑当 時の 人び とに とっ て︑ 黒死 病 の 勃発 は
︑ま さ に 一種 の
﹁宗 教 的事 件
﹂で あ った
︒私 は以 前︑ 中世 カト リシ ズム と教 会が
︑相 次い で勃 発し た黒 死病 をう まく 受容 し︑ それ を追 い風 とし て︑ ルネ サン スの 時代 の 人び と を ある 種 の 高 い宗 教 生 活へ と 導 いた と 指 摘 して 論 じ た︵
﹁カ ト リ シズ ム に よ る黒 死 病 の受 容
﹂︶⑷
︒ この 時代 にお いて
︑﹁ カ トリ シズ ム﹂ と﹁ ルネ サン ス 文 化﹂ はま さ に 同時 進 行 した の で あ る︒ ひと こ と で言 え ば︑ ル ネサ ンス 期に おい て︑
﹁ 世俗 的栄 光﹂
︵こ の世 の栄 光︶ が追 求さ れる とと もに
︑﹁ 天 国の 栄光
﹂︵ あの 世の 栄光
︶も 追求 され たの であ る︵
﹁ ルネ サン ス二 元論
﹂︑ ルネ サン スの
﹁二 元的 世界
﹂の 追求
⑸
︶︒ 日 本の 世界 史の 教科 書な どを 開け ると
︑そ のす べて では ない が︑ その うち のか なり の教 科書 が︑ 一種 の俗 説を 採用 して
︑﹁ ル ネサ ンス
﹂に つい て│
│
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
― 34 ―
﹁神 を中 心と する キリ スト 教的 世界
観よ りも 人間 を中 心と する
⁝⁝
⑹
﹂
﹁一 四世 紀︑ イタ リア では
︑神 中心 の 伝 統的 な 権 威に と ら われ ず に⁝
⁝︒ 神 の 束縛 か ら の解 放
⁝⁝
﹂﹁ ロ ーマ
=
カト リッ ク教 会の 権威 が行 きわ たっ てい た中 世の 社会 を否定⁝
⁝⑺
﹂
﹁ロ ーマ
=
カ トリ ック 教会 の権 威が 行き わた って いた 中世 の社 会を 否定し︑ 古代 ギリ シア
・ロ ーマ の文 化を 理想 とし て人 間ら しさ を表 現す る新 しい 文化 運動 がお こる
⑻
﹂
│
│な どと 書い てい る⑼
︒ これ は近 世・ 近代 の歴 史は
︑キ リス ト教 が払 拭さ れ る 歴史 に 違 い ない と い う先 入 観 ある いは
︑一 種の 進歩 史観 によ る見 方で あろ う︒ しか し︑ ルネ サン スの 文化 は︑ 実際 には キリ スト 教か ら解 放さ れた もの で もな け れ ば︑ 教 会か ら 訣 別し た も ので も な い︒ な おも 宗 教 は人 び と の 精神 的 支 柱の ひ と つで あ り つ づ け た
︒そ れ は︑ ひと つに
︑ル ネサ ンス 時代 は同 時に 黒死 病時 代で もあ った こと によ る︒ 黒死 病の 勃発 は追 い風 とな って
︑有 無を 言わ せず
︑神 の怒 りの 手を 痛感 させ る宗 教的 出来 事で あっ た︒ 私見 によ れば
︑反 復さ れる 黒死 病の 脅威 によ って
︑ヨ ーロ ッパ 社会 は︑ 黒死 病前 より もそ の宗 教的 要素 が強 まっ た│
│あ るい は︑ 少な くと も黒 死病 前と は異 なっ た側 面に おい て宗 教的 要素 は強 まっ た│
│の であ る︒ 本稿 は︑ 黒死 病を 視点 にす える こと で︑ 俗説 や高 校世 界史 の認 識と は正 反対 に︑ ルネ サン スや 近世 の市 民社 会そ のも のが 高い レベ ルで 宗教 的で ある こと を確 認す る︒ 黒 死病 を中 心軸 に据 える と︑ この 社会 の人 びと の心 性︑ 宗教 的心 性は
︑三 角点 に立 った かの よう に︑ その 奥底 まで 展望 され るで あろ う︒ そし て︑ この 三角 点に 立っ てみ る と︑ 個 人 や家 族 の 心性 に 刻 まれ た 高 い 宗教 性 に とど ま ら ず︑ フィ レン ツェ など の都 市国 家が 取っ た政 策の 高い 宗教 性ま で︑ 鮮明 に見 渡さ れる であ ろう
︒従 来誰 によ って も指 摘さ
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︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
れな かっ たが
︑│
│こ れが 本稿 の目 指す 結論 の方 向性 であ るが
││ 黒! 死! 病! の! 衝! 撃! は! ま! さ! に! 都! 市! 国! 家! の! 政! 策!
・! 制! 度! に! は! っ! き! り! と! 影! 響! を! 刻! み! 込! ん! で! い! る! の! で! あ! る!
︒こ のこ とを
︑で きる だけ 総合 的に 社会 の多 くの 分野 から 見て いき たい
︒具 体的
︑実 証的 に論 証す るた めに
︑諸 政策
・制 度・ 判決 など の文 字史 料を 中心 に見 てい きた い︒ 第二
節 ペス トに よる 諸領 域に おけ る影 響
│
│信 仰・ 諸芸 術・ 学問
・社 会へ の影 響│
│ 心 性的 に見 ると
︑ペ スト は︑ ごく 普通 の市 民の 場合 でも
︑フ ラン チ ェ スコ
・ダ テ ィ ー ニか ら も わか る よ うに
⑽
︑一 人一 人の 個人 の内 面と 宗教 的行 動に 大き く作 用し た︒ とり わけ 信仰 の強 い人 の場 合︑ 神へ の畏 敬か ら敬 虔な 祈り に導 か れて
︑神 的 な 内 面世 界 に 没頭 し た 人も 生 ま れ たと 考 え られ る
︵こ こ に 神秘 主 義 的傾 向 が 生ま れ る︶⑾
︒ また
︑集 団 的 に見 る と
︑聖 人 を崇 敬 す る信 心 会︵
confraternita
﹇ コン フ ラ テル ニ タ﹈ 同 心会
︑兄 弟 会
︶な ど の場 合
︑強 い 救済 志 願か ら信 心会 内の 諸行 事︑ 慈善 活動
︵施 療院 で の 病 人・ 貧民 の 救 済︶
︑巡 礼
︑宗 教 的行 事 な ど に熱 心 に 向か う 傾 向が 強ま って いく
⑿
︒そ れは
︑確 かに ルー ツと して はペ スト 以前 から 存在 した が
︑大 き な程 度 の 差 から 本 質 的と も い える 新し い動 きと いえ るも ので あっ た│
│こ れは
︑し ばし ば︑ いわ ゆる
﹁市 民的 宗教
﹂や
﹁市 民的 キリ スト 教﹂ と呼 ばれ る もの の 興 隆 とな っ た⒀
︒ こ うし た 個 人的
︑な い し 集 団的 な 宗 教的 運 動 の 特徴 の ひ とつ は
︑﹁ 直 接的 信 仰﹂ と もい う べき もの であ る│
│確 かに 従来 通り 人び とは
︑カ トリ ック 教会 を尊 重し
︑そ の秘 跡を 受け
︑教 会へ の喜 捨や 遺贈 を積 極 的に お こ な った が
︑も は やそ れ だ けで は 十 分 とは 思 わ れず
︑そ れ と と もに
︑教 会 や その 聖 職 者を ほ と ん ど 介 せ ず に︑ つま り︑ パウ ロの 差し 伸べ る教 会の 鍵に 依存 せず に︑ 直接 みず から 天国 への 道を 確実 なも のに しよ うと する ので
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
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あ る⒁
︒従 来︑ 多 く の信 徒 は︑ 犯 した 罪 の 改 悛 の 念 か ら︑ 贖 罪 に 専 念 す る
﹁鞭 打 ち 苦 行 団﹂
︵図 1︶
︵し ばし ば血 しぶ きが 飛ぶ よう な壮 絶な も ので あっ た︶ によ る自 傷行 為や 苦行 に向 かっ た が︑ それ より もむ しろ 病人 や貧 民の 苦し みを 緩 和す る﹁ 慈善 行為
﹂に 力点 が移 され るよ うに な った
︒そ うし たか たち の信 心会 活動 が︑ ペス ト の洗 礼を 受け た多 くの 地域 で展 開さ れた ので あ る
︒た と え 信心 会 の 名 前 に な お も﹁ 鞭 打 ち﹂ と いう こと ばが あっ たと して も︑ それ は象 徴的 な 意味 のも ので しか なく
︑実 際に 肉体 的な 痛み を 伴う もの では なか った
︒ 富裕 化し た社 会の 人び と︑ 特に 都市 の富 裕層 の人 びと の前 には
︑福 音書 のな かの 否定 的な こと ばが 大き く立 ちは だか って いた
││
﹁貧 しい 人々 は幸 いで ある
︒神 の国 はあ なた がた のも ので ある
﹂︵ ル カ︑ 第六 章第 二
〇 節︶
︒﹁ 金 持 ち が神 の 国 に入 る よ り も︑ らく だ が 針の 穴 を 通る 方が まだ やさ しい
﹂︒ つ まり
︑貧 しい 者は 天 国 へ行 け る︒ し かし
︑金 持 ち は天 国 へ 行 けな い と いう の だ︒ し かし
︑金 持ち が天 国へ 行く 道は ただ ひと つあ る︒ 貧し い者 を助 ける こと
︵慈 善︶ によ って 天国 への 道が 開け ると 教え られ たの
図1 鞭打ち苦行団
歌を歌って行列を組んで、練り歩きながら半裸の体を鞭 打つ「鞭打ち苦行団」の運動は、ペスト直後の典型的な運 動である。疫病は、人間が犯した罪に対して神が与えた罰 であると解釈されたので、苦行者は、非常に強い自責の念 から、神に向かっておのれの罪の赦しを乞うのである。そ の集団に刺激されそれに参加する者も出て、それが大きな 広がりとなり、1348年のペスト直後の場合、年代記による と、北ヨーロッパでは、80万人の運動となった地域もある という。時に狂信化してユダヤ人のポグロムにつながった。
また大量死をもたらしたペストが、人びとの終末意識を刺 激した面もある。
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︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
であ る︒ そし て︑ 慈善 が個 人的 なも ので ある より
︑集 団的 なも ので ある 方が
︑神 は喜 ばれ ると 信じ たの であ る︒ そし て︑ 金持 ちの 前に は︑ 幸い
︑実 に大 勢の
︑多 種 多様 の
﹁貧 者﹂
││ 誰 が﹁ 貧者
﹂な の か も 問題 で あ るが
⒂
││ が 存在 して いた
︒無 知で 不潔 で軽 蔑す べき 存在 であ ると とも に︑ みず から の救 済の 鍵を 握る 存在 とし ての
﹁貧 者﹂ が︒ 金 持ち こそ は都 市の 産物 にほ かな らな い︒ それ ゆえ にこ こ都 市に おい てこ そ︑ 貧民 や弱 者へ の︑ 従来 にな い規 模の 傾向 の信 仰生 活が 盛ん にな った ので ある
︒こ うし た信 心会 集団 の活 動に 対す る研 究者 の関 心と 注目 は高 く︑ J・ ヘン ダー ソン など によ って 多く の個 別研 究が 展開 され てい る⒃
︒ 美 術史 的に は︑ フィ レン ツェ やシ エナ など の美 術の 様式 の場 合︑ ペス ト 以 後は 大 き な 変化 が 確 認さ れ て いる
⒄
││ ジョ ット の初 期ル ネサ ンス 様式 に認 め ら れ る合 理 的 な構 図
︵個 と 全の 調 和︑ 安 定 的構 図
︶︑ 遠 近法
︵あ る 種︑ 客 観的 な 表現 法
︶︑ 好 ま れた 人 間 的な 暖 か みの あ る テ ーマ
︵母 と 子 の情 愛
︶は
︑ペ ス ト以 後
︑地 域 に もよ る が⒅
︑こ の 世 を 超越 した 厳格 な宗 教性 の強 い一 種の ビザ ンツ 的様 式に
︑い わば 逆行 して しま った ので ある
︵図 2﹁ オル カー ニャ
︽ス トロ ッツ ィ家 礼拝 堂︾
﹂︶
︒ま た︑ E・ マー ルに よ る と︑ 一五 世 紀 の絵 画 は︑ 一 三世 紀 の 絵 画に 比 べ︑ ペ スト に よ って むし ろそ の美 に色 濃い 苦悩 が刻 まれ るよ うに なっ たと いう
︒一 三世 紀の 大聖 堂の 彫刻 家が
﹁愛 徳﹂ と﹁ 愛﹂ を表 現し たの に対 して
︑﹁ 突 然一 五世 紀の 美術 に足 を踏 み入 れる と︑ 異様 な驚 きに 打た れる
﹂︒ 一五 世紀 の作 品の 大半 は﹁ 陰鬱 で悲 劇的 であ る︒ もは や苦 しみ と死 のイ メー ジし か私 たち に提 供し ない
︒も はや イエ スは 教え を説 かな い︒ 彼は 苦し ん でい る⒆
﹂︒ こ う して
︑疫 病 の 流行 を 背 景 に︑ ひ と つ の 美 術 の テ ー マ の 傾 向 と し て
︑そ の 庇 護 に す が ろ う と し て︑ 疫病 の聖 人を 描い た絵 画や 彫刻 が好 まれ るよ うに なっ た︒ 実際
︑具 体的 にそ うし た経 緯を 伝え る史 料が ある
││ それ がイ タリ アの トス カー ナ地 方の サン
・ジ ミニ ャー ノの コム ーネ 古文 書館 に残 る︑ 守護 聖人 セバ ステ ィア ヌス の制 作依
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
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頼 の関 係 史 料 であ る
︵私 は この 全 一 四点 を 翻 訳 し て い る︶
︵図 3│ 1︑ 3│
2﹁ サン
・ジ ミニ ャー ノの ポー ポロ 協議 会に よる 聖セ バス ティ アヌ スの 絵画 の制 作の 決議
﹂⒇
︶︒ ま た︑ ペス ト期 にお いて 親は
︑生 まれ た子 ども を疫 病か ら守 って ほし いと 願っ て︑ しば しば 疫病 の守 護聖 人の 名前 を子 ども に付 け︑ 親と して の 一 種の 心 性 を 表出 し て いる
︒ヨ ー ロ ッパ でこ んに ち定 着し てい る命 名法
︑す なわ ち︑ 子ど もに 聖人 の名 前を つけ る習 慣は
︑興 味深 いこ とに
︑ペ スト の相 次ぐ 勃発 を契 機に して いる
︒こ れは 史料 解析 から 立証 され てい る
︒ で は︑ 時代 の象 徴と もい うべ き哲 学で はど うだ ろう か︒ 哲学 史的 には
︑ト マス
・ア クィ ナス
︵一 二七 四年 没︶ のス コラ 哲学
︵ 神学
︶の 整 然 と した 巨 大 な合 理 主 義的 体 系 は︑ 今 や不 可 解 な ペス トの 不条 理な 頻発 によ って 動揺 をき たし
︑そ こで 唯名 論者 に よる 不 可 知 論 的 な 再 構 築 の 道 が 始 ま る と い う
︒ す な わ ち︑
わ ざ
予 測さ れ ず 突 発す る ペ スト
︵非 合 理 的な 神 に よ る﹁ み 業﹂
︶を 前に して
︑神 とこ の世 界は
︑ア リス トテ レス のい うよ うな 理性 と自 然法
︵自 然の 法︶ と合 理主 義に よっ ては もは や説 明で きな
図2 オルカーニャ《ストロッツィ家礼拝堂》
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︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
図3−1 サン・ジミニャーノのポーポロ協議会による聖セバスティアヌスの絵画の制作の決議
図3−2 サン・ジミニャーノのポーポロ協議会による聖セバスティアヌスの絵画の制作の決議
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
― 40 ―
くな った ので ある
︒一 六世 紀に なる と︑ アク ィナ スは ルタ ーに よっ て露 骨に 嫌悪 され る︒ こ こに 理性 や知 性へ の信 頼は 崩壊 の翳 りが 認め られ る
︒こ の 世 はも は や 人間 理 性 への 信 仰 か ら説 明 さ れな く な る︒
﹁ き れ い ご と﹂ は 通 用 し な く な る︒ そ う し た 理 性 へ の 懐 疑 か ら う ま れ た も の の 典 型 で あ る マ ニ エ リ ス ム︵ ハ ウ ザ ー
︶ は│
│こ れは 誰も 提起 して いな い私 の密 かな 仮説 であ るが
︵ハ ウ ザー 自 身 もそ ん な こ とは 言 っ てい な い︶
││ そ! の! 背! 後! に! 黒! 死! 病! が! も! た! ら! し! た! 不! 安! や! 不! 条! 理! が! 作! 用! し! て! い! る! の! か! も! し! れ! な! い!
︒そ う し たな か か ら︑ マ ニエ リ ス ム 美 術︑
﹃ ハム レッ ト﹄
︑マ キャ ヴェ ッリ
︑モ ンテ ーニ ュが うま れた のか もし れな い︒ すな わち
││ ル ネ サ ン ス古 典 主 義の 典 型 であ る 図4
﹁マ ザ ッ チ ョ︽ 聖三 位 一 体︾
﹂︵ ヴ ェ ルフ リ ン のい う
﹁構 築 的 絵 画﹂
︶に お いて は︑ 磔刑 台の 十字 架の
﹁垂 直線
﹂│
│古 典主 義の
﹁理 性﹂ の象 徴│
│は 絵画 を明 快に 構築 し︑ 左右 対称
・均 衡・ 安定 の中 心軸 にな って いる のに 対し て︑ マニ エリ スム の画 家ポ ント ルモ の図 5︽ 十字 架降 下︾
︵ 一五 二六
〜一 五二 八︶ で は︑ その 題 目 に かか わ ら ず︑ まず 中 心 軸と な る べ き十 字 架 の柱
││ 精 神的 支 柱│
│が な く な る
︒そ れ は 意 図 的 に
﹁ 自然
﹂に 反し た表 現が なさ れ︑ そこ では 人は 力 な く︑ ぐに ゃ ぐ にゃ し た 軟体 動 物 の よう に 絡 み合 い
︑け だ るい
︒黄 昏の 憂鬱 さか
︒そ れは ちょ うど ハム レッ ト が﹁ こ の 世の 関 節 が外 れ て しま っ た の だ﹂
︵第 一 幕 第五 場
︶と 嘆 く︑ 正義 の通 らな い世 界で ある
︒ハ ムレ ット のマ ニエ リス ム世 界は
︑人 がよ って 立つ 普遍 的支 柱が 失わ れた 世界 であ る︒ そこ では
︑復 讐す る者 も︑ 復讐 され る者 も︑ とも に 滅 ぶ 世界 で あ る︒ 同様 に
︑﹁ き れい ご と﹂ で は 政治 は や って い け ない とい って 道徳 を払 拭し たマ キャ ヴェ ッリ
︑普 遍的 真理 を懐 疑す るモ ン テ ーニ ュ
︑さ ら に は︑ 信仰 に よ って 道 徳 とい う 表層 を 否 定 した ル タ ー な ど がう ま れ る︒ こ こで は
︑﹁ 自 然法
﹂や
﹁自 然
﹂は も はや 絶 対 的 な価 値 観 では な く な っ てい る︒ ほぼ 同時 期に これ だけ
﹁反 自然
﹂︑
﹁ 反理 性﹂
︑﹁ 反 道徳
﹂が そろ うの は偶 然で はな い︒
││ そし て一 八世 紀に
― 41 ―
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
図4 マザッチョ《聖三位一体》(1426〜28頃)
この絵の堅固な安定感は、十字架を中心に据えた構築的構図と、それに対応して 人物や柱などの事物をことごとく左右対称に設定したことによる。アルベルティの いうように、人間の顔や体の配置にならって、一つあるものは中央に、二つあるも のは左右に並べるという「自然の法」が守られている。一番手前にいる左右の向か い合う男女は、この絵を寄進した夫婦である。従来、寄進者は極端に小さく描かれ たが、遠近法的意識から、その伝統を拒否している。また、キリストをはさんだ二 人、聖母と福音史家ヨハネとは、身分的に同格の存在ではないので、このように両 者を対等に並べてしまうのも「自然」重視のルネサンス的配置によるものだろう。
ルネサンス絵画は床のタイルなどを遠近法効果に格好の対象として描いたが、ここ では天井のヴォールトがその機能を果たしている。三位一体は神、キリスト、聖霊 である。聖霊はふつう鳩で象徴されており、ここではキリストの頭上を飛ぶ白い鳩 が描かれている。サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂(フィレンツェ)。フレスコ画。
667×317 cm
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
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図5 ポントルモの《十字架降下》(1526〜28)
マザッチョから100年後のこの絵には伝統的な古典主義への懐疑と反抗がある。
マザッチョの《聖三位一体》とは対照的に、十字架に象徴された中心軸が意図的に 欠落している。ここではすべてが意図的な「不自然」によって支配されている。中 心軸をもとにしたマザッチョのように人物を対比的、対称的に並べずに(そういう 型にはまった古典主義にはもう飽き飽きしたのだろう)、空間をただ埋めるように
「不自然」に並べている。人物は「不自然」に接触して絡み合い、「不自然」に上へ と積み上げられているが、彼らの足場はどうなっているのか、これも「不自然」で ある。地に足が着いていないのだ。また、死を悲しむ聖母と、一番上にいる受胎告 知の聖母が同時に存在しているが、これは破格の「不自然さ」である。力学的にも
「不自然」である。一番手前の中腰の男性は、キリストを担いでいるが、キリスト の重みが男に掛かっているはずなのに、爪先だけで支えるという、ありえない「不 自然」な姿勢である。また、「不自然」なライトの当たり具合によって、影が消え てしまい、反射した明るい部分が「不自然」な非現実感を起こす。同様に、学芸会 の書き割りのような、実景には見えない雲も非現実感を醸し出す。力なく落とした 肩、だらりとした腕の動き、うつろな眼、黄昏時の光の具合、ピンクと薄い緑の偏 った色彩の配色から、ここでは物憂いさ、生気なさが支配している。各人の視線の 方向は、ばらばらで、不安感を醸し出す。理念の喪失であろうか。この画家は、親 方から優れた描写力を教わっていて、すべてわかっているのに、こうするところ に、よって立つ理念を失った時代の不安を感じさせるものがある。サンタ・フェリ チタ聖堂(フィレンツェ)313×192 cm
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︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
なっ てヨ ーロ ッパ から ペス トが 完全 に消 滅し
︑そ の恐 怖か ら解 放さ れて から
︑理 性主 導の 啓蒙 思想 が生 まれ たこ とも 気に なる 事実 であ る︒ こ の時 代︑ 人は 生涯 にお いて 何度 も無 防備 に疫 病死 の危 機と 恐れ にさ らさ れた
︒黒 死病 は︑ 精神 史的 には
︑そ れ自 体の 打撃 より も︑ むし ろそ れが 反復 され るこ と から 来 る 恐 ろし さ
・不 安 のゆ え に 強い 影 響 力 を及 ぼ し た│
│ひ と は︑ 一回 きり のも のに は耐 えら れる もの だ︵ その 記 憶 は 次第 に 薄 れる
︶︒ だ が︑ 不 定期 に 反 復 され る も のに は
︑そ れ が何 度も 何度 も事 前に 不安 を駆 り立 て︑ 不安 を増 幅さ せる から
︑弱 いの であ る︒ それ が神 のせ いで ある 以上
︑神 にす がる しか なか った
︒﹁ 度 重な るペ スト のせ いで 人 は 神か ら 離 れた
﹂│
│そ う 考 える の は︑ 日 本 人的 発 想 であ る
︒こ れ から 本稿 で詳 しく 見る よう に人 はひ たす ら神 にし がみ つい た︒
│
│こ のほ かに もペ スト は︑ 経済
︵荘 園経 済の 動 揺な ど
︶︑ 医 学︵ 外科 医 学 の 重視 な ど
︶︑ 社会
︵農 民
・労 働 者の 反 乱
︶︑ 教 育
・研 究
・文 学・ 芸 術︑ さら に 時 間観 念
・労 働 時間 の 意 識 など
︑こ こ で はひ と つ ひと つ 具 体 的 に は 触 れ ない が︑ 多く の領 域で 根本 的な 影響 が指 摘さ れて いる
︒ し かし
︑ペ スト が及 ぼし た影 響に 関し て︑ まだ 残さ れた 領域 があ る︒ その ひと つが
︑ペ スト は当 時の 政府 や都 市国 家が 打ち 出し た国 策│
│立 法・ 政策
・司 法│
│に 対し てど のよ うな 影響 を与 えた かと いう 問題 であ る︒ これ が本 稿の 主題 であ る︒ 国策 にお いて ペス ト前 とペ スト 後で は違 いは ない のだ ろう か︒ これ につ いて 研究 は皆 無で ある
︒研 究者 はこ れに つい て沈 黙し てい る︒ この 沈黙 は︑ 何に よる もの であ ろう か︒ こ の研 究者 の沈 黙は
︑ヨ ーロ ッパ の研 究者 が︑ 政府 や為 政者 の処 理し た個 々の ばら ばら の事 象だ けに 目を 奪わ れて しま い︑ その ため に国 家の 政策 全般 を眺 望し よう とす る 意 識・ 意 欲が 欠 如 して い る こと に 起 因 する の か もし れ な い︒
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
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たと えば
︑ペ スト 以後
︑特 に一 五世 紀に ソド ミー の摘 発 が 強 まっ た が︑ 研 究者 は そ の分 野 の 研 究は お こ なう も の の︑ それ を他 の多 くの 事象 と関 連づ け︑ 社会 や行 政全 体の 文脈 で俯 瞰し て見 よう とは しな い︒ 一方
︑敢 えて 言う なら
︑幸 い︑ 極東 の日 本か らヨ ーロ ッパ 史を 眺め る我 々は
︑時 代的 な距 離の みな らず
︑地 理的 に遙 か遠 い距 離ゆ えに
︑そ れを 逆手 に取 って
︑一 四世 紀・ 一五 世紀 の歴 史事 象の 全体 をひ とつ のも のと して 視野 に入 れる だけ の一 定の 距離 を保 つこ とが でき る︒ その ため
︑あ まり に多 い細 部の 情報 に 近 視 眼的 に 埋 もれ る こ とな く
︵木 を 見 て森 を 見 ず︶
︑政 府 や 役職 者の おこ なっ た全 体像 を眺 望で きる 好位 置に 立っ てい る︒ 我々 は何 より も︑ ペス トを 背景 にし て取 られ た国 家の 措置 の軌 跡の 全体 像と
︑そ れを 動か す本 質的 な心 性に 関心 があ る︒ 大山 崎山 荘美 術館 のモ ネの
︽睡 蓮︾ のよ うに 離れ た方 がは っき り見 える こと があ る︒ ま た︑ 研究 者の 先の 沈黙 につ いて は︑ こと によ ると
︑国 策に 与え たペ スト の影 響を 実証 的︑ 具体 的に 立証 する こと はも とも と困 難で ある との 判断 に起 因し てい るの かも しれ ない
︒し かし
︑時 代の 苦難 の只 中で あが いた 為政 者や 市民 が︑ 余儀 なく 直接 示し た反 応に こそ
︑ペ スト やペ スト がも たら した 問題 への ここ ろの あり 方が 率直 に認 めら れる はず であ り︑ その 国策 の具 体的 措置 の奥 底に
︑ま さに 当時 の市 民の もの の見 方・ 感じ 方│
│心 性│
│が 本質 的に 存在 して いる ので はな いか
︒ふ つう 法令 や判 決に はそ の理 由が 明文 化さ れて いる こと から
︑好 都合 にも
︑一 定の 考え 方を 読み 取る こと が可 能か もし れな い︒ そし て︑ ばら ばら の法 令や 判 決 文 に共 通 す る動 機 を 有機 的 に つ なぎ 合 わ せる こ と で︑ 国策 の全 体像 が得 られ るの では ない か︒ さら には
︑国 策の あり 方を 全体 的に 知る こと は︑ さか のぼ って
︑為 政者 や市 民の 胸の 内に 秘め られ た︑ 彼ら を行 動へ と駆 り立 てた り︑ ある いは
︑行 動を 思い とど めた りす る本 質的 なも の︑ すな わち 心性 を知 る鍵 にな るの では ない か︒
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︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
第三 節 キリ スト 教徒 の﹁ 神罰 の受 容﹂ 私 見を はっ きり とい うな らば
︑繰 り返 され るペ スト によ って
︑キ リス ト教 徒の 心性 は︽ ペス ト的 心性
︾と も呼 べる 心性 にま すま す傾 斜し てい った 高い 可能 性が ある
││ たん に個 人や 家庭 のレ ベル に留 まら ずに
︑社 会・ 国家 の大 きな レベ ルに おい て︽ ペス ト的 心性
︾は 支 配的 と な っ た高 い 可 能性 が あ る︒
︽ペ ス ト 的 心性
︾と は 何 か│
│そ れ は︽ ペス トを
﹁神 罰﹂ であ ると 見な して
︑﹁ 峻 厳 な 神﹂ を畏 怖 す る心 性
︾と 言 うこ と が で きる
︒そ し て︑ 私 の視 点
︑あ る いは 方法 論的 な主 張を 手短 に言 えば
︑﹁ こ のペ スト 的心 性が 為 政 者や 市 民 の国 策 に 強く 反 映 し たは ず で あり
︑そ の 見 地か ら政 策全 体を 結び つけ て考 える べき であ る﹂ とい うこ とで ある
︒以 下︑ この 想定 で考 察を 進め るが
︑そ の考 察の 対象 は広 くは 西ヨ ーロ ッパ
・キ リス ト教 世界
︑具 体的 な事 柄に つい ては
︑フ ィレ ンツ ェを 中心 とす る中 部イ タリ アの 舞台 を念 頭に 置い てい る︒ 個人 によ る研 究で は︑ 実証 性の ため にあ る程 度︑ 対象 地域 を絞 らざ るを 得な い︒
︽ペ スト を﹁ 神罰
﹂と 見な し︑
﹁峻 厳な 神﹂ を畏 怖す る心 性︾ につ いて 説明 する
︒ペ スト 期の 人び とは
︑ま ずペ スト を﹁ 神罰
﹂で ある と見 なし たの であ る︒ そし て︑ 罪を 繰り 返す 罪深 い人 間に 対し て︑ 大量 死と いう 過酷 な処 置で もっ て罰 する 神は
︑ほ かな らぬ
︽峻 厳な 存在
︾で あり
︑人 びと はそ れを 大い に畏 怖し たの であ る︒ この 畏怖 の念 は︑ 次に 人間 が対 処す べき こと とし て︑ この 峻厳 な神 を怒 らせ ない よう な措 置と して
︑法 令に よる 措置
︑行 政的 措置
︑裁 判で の 判決 な ど の 措置 を 導 く︒ その 措 置 は︑ 敢え て わ か りに く く 言う な ら ば︑
︽人 間 の 立 場か ら
︾取 ら れ た と い う よ り︑
︽ 神の 立場 から
︾取 られ たも ので ある
︒厳 密に 言い 換 え る と︑
︽人 間 が 想起 し た 神の 立 場 か ら︾ 取ら れ た もの で あ る︒ これ でも まだ あい まい であ るの で︑ 次に 具体 的に 見て いこ う︒ ま ず始 めに
︑キ リス ト教 徒が ペス トを 神罰 と見 なし
︑神 罰を 受容 した 背景 につ いて 論じ よう
︒
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
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表1 疫病を神罰と認めた文書──同時代人の史料から──
ジョヴァンニ・ヴィッラーニ(年代記作家)『年代記』(1348年)
神は、人間が犯した罪を処罰するために人間や都市や農村に対して、先に 述べた疫病やその他のことを引き起こしたのである。これは間違いのないこ とであり、我々が信じなければならないことである。それというのも、ただ 単に惑星や星座がそのような経路をたどるからだけではなく、宇宙の支配者 であり天界の経路の支配者である神は、星座の位置をいつでも好きなように 神の判断に合致させてしまうからである。[石坂史料集(一)五三頁]
しかしその大量死はとどまるところを知らず、その結果がいっそうひどい 被害を与えたのは、トルコと向かい側の沿岸の国々[中近東のこと]におい てであり、またタタール人の間においてであった。そしてこのタタール人の 間に起こったことは神の偉大な裁きであった。それはほとんど信じられない ことであったが、しかし正真正銘の、本当に起こった事実である。[同54 頁]
多くの地方や都市で人びとはずっと悲嘆にくれたままであった。一三四七 年三月半ば、厳粛な行列がおこなわれた。この行列は、神が疫病を終息さ せ、我々の都市フィレンツェとその周辺部を守ってくれるように願ってなさ れたものであり、それは三日間続いた。そしてこのようなことは人間が犯し た罪を罰する神の裁きである。気の滅入る、むごたらしいこの話題について はここまでにして、次に神聖ローマ帝国の新しい皇帝であるボヘミヤのカー ルの行動について少し話そう。[同57頁]
サン・ジミニャーノのポーポロ協議会 決議文(1462年)
神にして我らが主であるイエス・キリストは、父と聖霊とともに今なお生 きて不滅の唯一の神であり、祈祷は悪徳をただすこと、悪意を変えること、
このことによってなされなければ他によりよい形ではおこなうことはできな い。なぜならば書かれているものによると、災難は我々の罪ゆえに生じるも のであるにしても、非常に多くの実例が証明しているように、祈禱をおこな うことによって寛大で慈悲深い神がその嘆願する人びとに対してしばしばそ の心を和らげて、和解したことがあるからである。それだからこそ、先に述 べた賢者の進言によって「プリオーレ」諸氏と「カピターノ」諸氏が、サン
・ジミニャーノのコムーネの名において、サン・ジミニャーノとその他の地 域の都市およびコンタードの個々の修道会に対して、彼らの意見にしたがっ て、我々の罪と過ちに対してまさに当然の報いであるこの悪疫の罰を遠ざけ て下さるように、ミサと祈祷によって神にして我らが主イエス・キリストに 祈願するように求めることがここに決議される。[石坂史料集(一)六六頁]
ペトラルカ 詩人・人文主義者「ジェノヴァ大司教宛書簡」(1367年)
この疫病は、二〇年間ずっとあらゆる国々を襲い続けている−時々、ある 地域で中断、潜伏するものの、実際には決して消滅しないといった具合に。
もう過ぎ去ったと思ったまさにその時に、再びやって来て、束の間の幸せを 送る我々を欺いて再度襲いかかる。これは、私の間違いでなければ、罪を繰 り返す人間に対する神の怒りのしるしなのである。もし人間が罪を犯すこと をやめるならば、神の処罰は少なくなるか、もっと穏やかなものになってい くことだろう。[石坂史料集(三)149頁]
こうした出来事[疫病や地震]は、私がその発生の原因が隠されていると 述べた出来事である。ほかのことと同じく、この災難についてこれこそ人間 の罪に対する神のおとがめだということを人間が信じなければ、今後も数限 りない規模の災難はなくならないだろう。疫病と地震の違いといえば、一方 が人間によって直接もたらされ、もう一方が自然からもたらされるという位 のものである。神は、人間の犯した罪を罰するために災難がやって来るのを
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︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
許したり、命じたりしているのである。人間が罪を犯すのをやめるならば、
この神罰もまた止むことだろう。結局は、原因がどうであれ、世の著述家た ちがどう書こうとも、事の真実は私がここで述べたとおりであり、それ以外 の何ものでもないのである。[同151頁]
ムッシス 公証人(1350年頃)『疫病の歴史』
何という数の、何という死にざまの死者であることか。中国人、インド 人、ペルシャ人、メディア人、クルド人、アルメニア人、キリキア人、グル ジア人、メソポタミア人、ヌビア人、エチオピア人、トルコ人、エジプト 人、アラブ人、サラセン人、ギリシャ人と、ほとんどすべての東方地域の人 びとが感染したが、彼らは先に述べた年から一三四八年のつらい出来事によ って涙を流し、嘆き悲しみ、神の最後の審判が下されたと思ったのであっ た。[同160〜161頁]
目を東から西に向けて、今度は我々が自分の目で見たり、知ったり、証拠 にもとづいて考察したことのすべてについて論じる。そして神の恐ろしい審 判について述べることができる。耳をすませてみよ。目から涙が溢れてやま ないだろう。なぜなら全能の神は、言われたのだ──私は、創造された人間 をこの地上から消し去り、人間を肉であり血であるので灰と土に戻してしま う。我が魂はもはや人間のなかには留まらない、と。
「良き神よ、何をお考えなのですか。こうしてあなたの創造物と人間を破 壊してしまうのですか。このようにしてその急激の全滅を命じるのですか。
いったいあなたの慈悲の心はどこにあるのですか。また我が父の信仰や、罪 人をひざに抱く清き聖母はいったいどこに。また殉教者の人びとが流した貴 い血、懴悔者や処女の貴い人びとの群れはいったいどこに。また絶えず罪人 のために祈る天国の案内人はいったいどこに。そして十字架の上のキリスト の最高に貴い死、我々のすばらしい償いはどうなったのですか。王なる神 よ、お願い致します。どうか怒りをお静め下さい。このように罪人を滅ぼす のはおやめ下さい。そしてあなたは犠牲よりもむしろ慈悲を望まれるのです から、改悛した者からあらゆる悪を取り除きたまえ。そして正義が不正で非 難されないようにしたまえ」。
「罪人たちよ、お前がもらしている言葉は私の耳に聞こえるぞ。もらすべ きはお前の涙だ。私はお前に泣けと命ずる[ヨブ記 一六.二一]。慈悲を かける時は過ぎ去ってしまっているのだ。私は報復のために呼び求められ た。罪と悪に対して報いをするのが私の楽しみだ。私は死にゆく者に印を与 える。彼らに霊魂の安寧に向けた措置を講じさせよ」。[同161頁]
我々が知っているとおり、我々が受ける苦しみはどれひとつ取っても、
我々が犯した罪に対する正当な報いである。だから、主が激怒されている時 は、正しき道からはずれて身を滅ぼさないために甘んじて罪の償いを受けな くてはならない。高慢な者をして謙虚たらしめよ。貧民に施しを与えない守 銭奴をして恥辱の念から赤面せしめよ。好色家をしてその不潔な習慣を捨て させ、清廉な生き方で際立たせよ。激怒する者をして暴力を自粛させよ。大 食漢をして断食で食欲を適度にせしめよ。怠惰に服した奴隷をしてよき労働 で従事せしめよ。青少年をして流行を追い求める喜びを放棄せしめよ。信 義、裁判の公平さ、商人の間での法の尊重を存在せしめよ。ペテンやごまか しをする弁護士をして彼らが書類を作成する前に、彼らによく調べさせ賢明 な人間たらしめよ。修道会の人たちをして偽善を放棄せしめよ。高位聖職者 をしてもっと世の役に立たしめよ。あなたがたすべての者をして急いで救済 の道に足を踏み込ませよ。身分の高い女性が示す傲慢な虚栄心を抑制せしめ よ−それはいとも容易に性的な挑発と化すからである。預言者イザヤが激し く非難したのはそうした女性の傲慢さであった。[同170〜171頁]
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
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サルターティ フィレンツェ書記官長・人文主義者『都市からの逃亡について』
(1383年)
疫病は、医師が認めているような諸要素や大気の腐敗というよりも、むし ろ神罰によって引き起こされたものであり、結局のところこのことを認める だけで十分である。医師たちは、疫病の原因は、多くの者を罰し、いくらか の者を是認する神の意志であることを認めるべきなのに、腐敗した大気やい くつかのほかの要素のせいにしているのだから、医師の考えに根拠のないこ とがはっきり理解できるのである。神の意思に反しては医学も役に立たない のであり、都市からの逃亡も、また優れた頭脳をもつ人がようやく発見でき るその他の事柄も役に立たないのである。人間に起こることはすべて神によ って先に決定されており、偶然によって起こるものは何もない。すべて神の 意思次第なのだから、疫病の地域で生活することが、そのまま命を縮めるこ とになるわけでもないし、健康な地域に移り住むことで我々の命が死から守 られるわけではない。[石坂史料集(四)160頁]
ランドゥッチ フィレンツェの薬種商『日記』(1497年)
さらに施療院で疫病の患者がいくらか出たといわれた。毎日、一〇人か一 二人が施療院に運ばれていた。この日、サンタ・マリア・ヌオーヴァ施療院 では二四人が死亡した。このほかにいやなことがあった。人々は宗教的な欠 乏状態とともに食糧の欠乏状態に陥ったのだ。そのため貧民が死んでいって も人はそんなに格別悲しいとも何とも思わなかった。それでも大量の貧民が 次々と死んでいった。これは正当な裁きの疫病である。[石坂史料集(五)132 頁]
著者名不詳 サン・ドニ修道士の『フランス大年代記』1348年頃
二人の修道士は、修道院長から任された仕事を果たすためにその村を出発 した。それから、命じられた仕事を全部済ませて、帰路の旅につき、先の村 に差しかかった。ところが、その村には見ると、ほんのわずかの人しか見当 たらなかった。そしてそのわずかの人は皆誰もが悲しい顔付きをしていた。
そこで二人の修道士はこう尋ねた──「少し前にこの村で盛大な宴を催して いた男たちと女たちはどこへ行ったのかね。」
すると村人たちはこう答えた──「ああ、神の怒りはあられを伴う嵐とな ってやって来ました。というのも、その大嵐は村中の至るところにあまりに 突然やって来て、そのため急死する者もいれば、どこへ行くのか、どこに向 かうか分からないままに唖然としてそのまま死んでいく者も出たのです。」
[石坂史料集(六)137頁]
マグヌス2世(スウェーデン国王、在位1319〜56 ; 1359〜64)
神は人間の罪のために急死というこの大きな罰を与えた。それによって 我々の国民のほとんどが死んでしまった。[Gottfried, 57 ; Byrne, 22.]
作者不詳の詩 疫病(14世紀)についての詩
見よ、イングランドが涙に濡れてで嘆き悲しんでいるのを。
国民は罪にまみれて悲嘆に戦いている。
なぜだ? なぜならここでは悪徳が遮られることなく 支配しているからだ。
ああ、全世界が悪意に身を任せている。
人びとの間にやさしいこころは見出せるのか?
誰も十字架に掛けられたキリストのことを思わない。
それゆえに人びとはその報復のしるしとして滅び行く。
(The Black Death,ed. trans. R. Horrox, Manchester and New York, 1994, 126.)
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︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
年 代記 や生 活史 料を 読む と︑ しば しば ペス トを 神罰 と認 識す る記 述が 認め られ る︒ この 記述 は︑ 聖職 者の みな らず
︑俗 人に も等 しく 認め られ る︒ そう した 記述 をで きる だけ 集め たも のが 表1
﹁疫 病を 神罰 と認 めた 文書
││ 同時 代人 の史 料か ら│
│﹂ であ る︒ これ らの 記述 のな かに は︑ ペス トの 発生 の直 接の 原因
││ つま り﹁ 近因
﹂│
│を 天体 の動 きや 大気 の汚 染を 指摘 する もの が あ る が︑ そう し た 見方 で あ って も
︑そ の 奥 にあ る 究 極的 な 原 因︑ つま り﹁ 遠因
﹂に つい ては
︑神 の作 用︑ つま り﹁ 神罰
﹂を 認め てい るの であ る︒ 天体 の動 きが 原因 と主 張す る医 師の 考え がど こま でそ れを 貫く もの なの かわ から ない が︑ 私が 直接
・間 接に 見出 した ど の 史 料に お い ても
︑﹁ 疫 病 は神 罰 で! は! な! い!
﹂と 言 明 した こ と ばは
︑ど こに も見 つけ るこ とが でき なか った
︒ 付 記 や や 気 に な る の が
︑ マ キ ャ ヴ ェ ッ リ で あ る
︒ 一 六 世 紀 初 頭 の 著 作
﹃ デ ィ ス コ ル シ
﹄ の 一 節
︵ 第 二 巻 第 五 章
︶ に お い て
︑ 彼 も 疫 病
・ 飢 饉
・ 洪 水 の 災 厄 を
﹁ 神 の 手 の 働 き
﹂ で あ る と
︑ は っ き り 言 明 し て い る
│
│ だ が
︑ そ れ は
﹁ 神 罰
﹂ と い う よ り も
︵ そ れ も あ る か も し れ な い が
︶︑ 厳 密 に は ア ダ ム
・ ス ミ ス の
﹁ 神 の 見 え ざ る 手
﹂ で あ る
︒ そ こ に は
︑ 善 悪 を 超 越 し た も の と し て
︑ 自 然 の 自 律 的 な 作 用
︵ 人 口 過 剰 に な れ ば
︑ お の ず と そ れ を 制 御 す る 作 用 が 働 く
︶ と い う
︑ マ ル サ ス 主 義 的 な 冷 め た 視 点 も 認 め ら れ る よ う に 思 わ れ る
︒ そ もそ も疫 病や 天災 を神 罰と 見る 見方 は︑ キリ スト 教の 初期 から
︑い やそ れ以 前か ら存 在し た︒ さら にい えば
︑災 難を 神罰 に帰 す見 方は
︑洋 の東 西を 問わ ずに
︑ひ とつ の傾 向と
ヘンリー・ラム(Henry Lamm)15世紀初頭のドイツの医師
一般に聞かれる意見を繰り返すと、疫病が神から発生するというのは正し い。[Byrne, 22.]
トマス・ブリントン Tomas Brinton(ロチェスターの司教)(一三七四年)
現在はノアの時代よりも肉欲による堕落や邪悪の企みがひどい。ノアの時代 になかった何千もの種類の悪徳が存在している。それだから、神が我々に与 えた罰──疫病──は、惑星のせいでななく、我々の犯した罪のせいである と認めよう。〔Byrne, 22.〕
︽ 峻 厳 な 神
︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
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ば ち
して しば しば 人び とに 抱か れて いた 見方 であ ろ う︒ 日 本 でも
︑昔 か ら 何か 悪 い こと が 降 り かか っ た 場合
︑﹁ 罰 が 当た った
﹂と 説明 され てき た︒ 加 えて 一種 の文 化人 類学 的な 想定 をい えば
︑お よそ 大昔 の古 代人 など
︑人 類の 初期 の人 びと にと って
︑地 震・ 雷・ 嵐・ 洪水 など
︑天 変地 異に 満ち たこ の世 は︑ あま りに 不可 解な
︑畏 怖す べき 世界 であ った だろ う︒ 四方 八方 この 世は 恐 怖す べ き 世 界で あ っ た︒ 無防 備 な 人び と に と って 安 心 の余 地 な ど どこ に も な か っ た︒ と こ ろ が︑
﹁ 神﹂ を 想 定 し︑ そう した 事象 をす べて
﹁神
﹂の せい にす ると
︑も はや 人び とを 四方 八方 から
︑い わば 世界 全体 から 威嚇 をも って 迫る 不可 解さ は︑ 解消 でき た︒ しか し︑ 今度 は︑
﹁ 神﹂ その も の が恐 る べ き存 在 と して 眼 前 に 迫っ て き たの で あ る︒ 今や
﹁ 神﹂ こそ が︑ あり とあ らゆ る種 類の 罰を 下す 存在 とし て眼 前に 迫っ てき たの であ る︒ ま た︑
﹁ 神罰
﹂は
︑旧 約聖 書に しば しば その 記載 が 認 めら れ る︒ 旧 約聖 書 の 神罰 の 考 え は︑ キリ ス ト 教徒 に ど う受 容さ れた のだ ろう か︒ 旧 約聖 書は
︑ユ ダヤ 民族 の歴 史︑ 預言 者の 言動
︑終 末論 など
︑実 に様 々な 内容 を有 する もの で︵ 新約 聖書 の約 三倍 の分 量︶
︑ キリ スト の隣 人愛
・清 貧な どの 福音 やキ リス トの 受難 など を伝 える 新約 聖書 と比 べる と︑ 関心 方向 の違 い︑ 思想 的な 対立 や矛 盾な どが 非常 に多 く存 在す る︒ この こと から
︑キ リス ト教 徒は その 内容 をあ まり 受容 しな かっ たの では ない かと も思 える が︑ 必ず しも そう とは いえ ない
︒初 期キ リス ト教 時代 に生 きた 教父 たち も︑ 旧約 聖書 の存 在を ず っと 重 視 し︑ そ こに 認 め られ る 思 想の 対 立
・矛 盾 の調 停 に 尽力 し
︑そ う し た 試 み の な か で︑ た と え ば︑
﹁ 予 型 論﹂
︵ タイ ポロ ジー
︶︵ 旧約 聖書 を新 約聖 書の 教え の予 表︵ 予告
︶と 解釈
︶な ど を 導入 し て 両 者を 結 び つけ た
︒一 六 世紀 の ルタ ー も
︑新 約 聖書 の な か の キ リ ス ト の こ と ば
﹁︵ 旧 約︶ 聖 書 を 究 め よ
︒そ れ は 私 に つ い て 証 す﹂ を 引 用 し て
︑
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︾ と ペ ス ト 的 心 性 の 支 配
旧約 聖書 を重 視す べし と述 べて いる
︒ 旧 約 聖 書 のな か に は︑ 不徳 の 者 や神 に 逆 ら う者 に 対 する 神 罰 がし ば し ば 記述 さ れ てい る
︒た と え ば
︑旧 約 聖 書 の
﹁ 申命 記﹂ 第二 九章 では
︑神 の怒 りに よっ てな され た神 罰︑ すな わち
﹁主 がく ださ れた 災害 と病
﹂︵ 第二 二節
︶や
﹁全 土 は硫 黄 と 塩 で焼 け た だれ
︑種 は 蒔 かれ ず
︑芽 は 出 ず︑ 草一 本 生 えず
︑主 が 怒 っ て 覆 さ れ た ソ ド ム
︑ゴ モ ラ
︑ア ド マ︑ ツェ ボイ ムの 惨状
﹂
︵同 第二 三節
︶が 生 々し く描 かれ てい る︒ また
︑同 じく
﹁申 命記
﹂第 三
〇章 第一 七節 では
││ も し あ な た が 心 変 わ り し て 聞 き 従 わ ず
︑ 惑 わ さ れ て 他 の 神 々 に ひ れ 伏 し 仕 え る な ら ば
︑ わ た し は あ な た た ち に 宣 言 す る
︒ あ な た た ち は 必 ず 滅 び る
︒ 旧 約聖 書の
﹁詩 編﹂ 第七 章︵ 第一 二〜 一四 節︶ では
││ 正 し く 裁 く 神 日 ご と に 憤 り を 表 す 神
︒ 立 ち 返 ら な い 者 に 向 か っ て は
︑ 剣 を 鋭 く し 弓 を 引 き 絞 っ て 構 え 殺 戮 の 武 器 を 備 え 炎 の 矢 を 射 か け ら れ ま す
︒ こ うし た旧 約聖 書の 教え の背 景か ら︑ ペス ト期 の絵 画に おい ても
︑疫 病が 神か ら射 られ た矢
︵時 には 悪魔 の槍 や鎌 もあ る︶ とし てし ばし ば象 徴的 に描 か れ た ので あ る︒ 図6
︽疫 病 の 神罰 と 聖 母の 慈 悲
︾・ 図7
︽神 罰 と キリ ス ト と聖 母の 慈悲
︾の 絵画 は︑ 天上 から 疫病 死さ せる 矢が 投げ 下ろ され てい る絵 画で あり
︑疫 病が 神罰 であ るこ とを 信徒 にわ
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