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㈹ 神奈川大学言語研究センター

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NEWSLE7 7ER 1 993.1 0. N.. 14

横浜市神奈川区六角橋3‑27‑1電話(045)481‑5661

㈹ 神奈川大学言語研究センター

KANAGAⅥIA

「この道ひと筋」 とい うこと

学問な り芸術 な り、何かひとつのことを生涯か けて脇 目も振 らず追及 して行 くことを 「この道 ひ と筋」 と言い、世間では立派 なことと考えている。

この言い方 には、凡人は意志が弱 くて途中で挫折 した り、あちこちに気 を散 らした りして、なかな か 「この道 ひと筋」 とい うわけにはいかない とい う意味合 いが込め られている。話 を学問の分野に 限るならば、ひとつの狭 い専 門分野の研 究 を生涯 続 けるのは偉 いことであるとい うことになる。 し か し本当にそ うなのか どうか、考 え直 してみる必 要 はないだろうか。

最近読 んだ水上勉 ・広 中平祐 (対 談 ) F素心 ・ 素願 に生 きる』(小学館 ライブラ リー) の中で 、 広 中氏 は次の ように言 っている。

「これ まで大勢の数学者 に会 いましたけれ ど、

その人たちの生 き方 をみて思 ったことは、数学 だけ徹底 して研 究 して こられた先生 というのは、

哀れだなあ と思います。」

六〇歳 を過 ぎて集中力がな くなると、研究の質 が落ちるが、それを自分で認め ようとしないため に、周囲 との間にいろいろ と摩擦 を起 こす とい う のである。ほかにやることが なければ、能力が落 ちて も数学 に しがみつか ざるをえない とい うわけ である。

私の大学時代の恩師、服部四郎先生 はい ま八〇 歳台中ばで、最近 は知的な活動 は一切やめてお ら れる。前か ら学問が趣味であると言 って、ほかの ことには何 も興味 を示 してこられなかった先生は、

い ま何 もす ることがな くなって しまったそ うであ る。最近伝 え聞いた ところによると、先生 は 「生 涯学問 しか してこなかったのは大失敗であった」

と述懐 してお られるとい う。何 にも興味を持つ こ とがで きないことか ら来 る心の空虚は、耐 えがた い ことであるに違いない。それ を聞いて、 「この

国広 哲 弥

道ひと筋」 とい うのは考 え ものだ と思い始めたわ けである。今 まで学問以外 の ことにち ょいち ょい 気 を散 らす生涯 を送 って きた私 は、学問を十分 に 深めることはで きなかったけれ ども、あなが ち駄 目な生涯であった とは言 えないのではないか と思 い始めているわけである。

学問研究の分野で も似 たことが言 えるのではな いだろうか。あるひとつの狭 い専 門分野だけを守 ることが果 していいことと言 えるか どうか。一見 そ こか ら深い研究が生れて来 るように思 えるが、

盲 目的な暴走 に終 ることはないだろうか。む しろ 学問の他の分野ばか りか、学問 とは一見何 の関係 もないことに気 を散 らす ことによって、思いがけ ない独創的な着想 を得 る とい うことがあるのでは ないだろうか。凡人がそんな真似 をす ると、アブ ハチ取 らず に終 るとい う心配 をす る人 もあ り得 よ う。人 さまざまであるか ら、私 は自分 の考 えを人 さまに奨めるつ もりはないが、 自分ではこれか ら に備 えて、いままで通 りに遊びに も気 を散 らしな が ら研究 も進めることに したい と考 えている。そ う言 えば大前研一氏の遊びを奨める本 『遊び心j とい うのがあった。

「この道 ひと筋」的な考 え方 は、ある大学の昇 任人事の審査基準 にも見 える。つ ま り研究論文 は 同一分野の ものでなければな らない とい うのであ る。私の考 え方か らす ると、 これは視野 を狭 める ことを求めているように読める。大切 なのは個 々 の論文 の質であ り、諸論文が同一の分野 に集中 し ているか否か とい うことではない。同一分野 に集 中 しているとい うことは、裏か ら見 るとその分野 の もの しか書 けない とい うマイナスの意味 を持 っ ていることもあ り得 よう。基準 の適用 に当たって は、そこらの事情 を考 えて、柔軟 に処すのが よい のではなかろうか。

(2)

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日 中 漢 語 の 交 流

(1) は じめ に

日本語 の海外流 出について、た とえば 「英語辞 典

「仏語辞典」 の中タイプの もので 、 日本 語 を 語源 と している語が

6 0 0

語前後あ る。 た だ、 これ らの語 の内容 を見 ると、能 ・歌舞伎 ・浮世絵 ・相 撲 ・柔道 といった、 日本独 自の芸能 ・スポーツの 類 で、学 問 ・科学 の用語 の登録 は、 まった く見 ら れない。

ところが、 これが中国、韓 国 といったアジアの 国になる と事情が一変す る。 と くに、近代 の英語 を中心 とす る西洋文化 の移入 に伴 って、 日本 で造 られた学術用語 の多 くが、アジアの漢字 圏に輸 出 され使 われてい る。 ここでは、中国 との漢語 の交 流 についてふれてみたい。

(2) 日中の同形語

上述 の ような事情か ら、現代 の中国語 には 日本 語 と同形の語嚢 (同 じ漢字 を用 いている語 )が多 く見 られ、近代語 の成立 に 日中の間に多 くの共通 点がみ られ る。その最大の理 由は、 日中が 同 じく 漢字 を使用 してい ることに他 な らないが、近代 の 訳語 の造成で も、 この漢字の使用が多 くの面で有 効 に機能 した。

日本語 に しろ中国語 に しろ、新 しい語 を造成す る際の要素 (語基 ‑造語要素 )になるのは漢字で ある。 日本 における近代訳語の主流 は、いわゆる 和 製漢語であ り、両国の間で これ らの訳語 の交流 が行 われた。 ことに、学術用語 においてはその こ

とが顕著である。

筆者 の手元 に、 日中の高校教科書の語桑表が あ る。 これ らを資料 に両者 の語嚢 を比較 してみたい。

日本 F高校教科書の語桑調査』1983 中国 F現代漢語額率詞典』1986

ここでは、 これ らの語裏表の うち、使用度の高 い前

3 , 0 0 0

語 を双方の表 か ら取 り、 そ の範 囲内 に 含 まれている 日中の同形語 をみ る。その結果、 日 本語1,237語、中国語996語 の2,233語 を得 た。

(3) 日中同形語の典拠

これ らの語 を分析 す る項 目は、い くつか考 え ら

高野 繁男

れるが、 ここではそれぞれの語が、 日本 で造 られ た ものか、中国で造 られた ものかの典拠 について 考 えてみたい。

上述の2,233語 の典拠 をみ る と次の ようにな る。

中国の古籍 を典拠 とす る語 68.8%

日本 の古籍 を典拠 とす る語 3.4%

日本 で近代 に造 られた語 23.8%

典拠 の不 明な語 4.0%

全体 の3分 の2の語が、四書五経 といった中国 古籍 を典拠 としている。奈良時代 以来の、大陸か らもた らされた仏教文化 、儒教文化 を中心 とす る さまざまな情報の移入 と伝達に伴 って、日本 に入 っ て きた語である。 日本 で、古 い時代 に造 られた語 もみかけるが微 々たる ものであ る。その点、注 目 され るのは、 日本で近代 になって造 られた語が

2 3 .

8%あることであ る。

以下で、具体的な語 にそ って議論 してみたいが、

その前 に、 どんな分野の語が どのような分布 をもっ ているか をみ るため に、簡単 な意味分類 の項 目を 立て、二桁 の数記号 で示す ことにす る

最初 の記号

1

体 の類 (名詞 の仲 間) 2 用 の類 (動詞 の仲 間) 3 相の類 (形容詞の仲 間) 4 その他 の仲 間

2番 目の記号 1 抽象 的関係 2 人間活動 の主体

3 人間活動の精神及 び行為 4 生産物及 び用具

5

自然物及 び 自然現象

したが って、た とえば (

1 . 2

) は く名 詞 ・人 間 活動 の主体) とい うことにな り、人間、男女、家 族、社会 、都市 な どが、 この類 に入 る。 よ く使 わ れ る語 を中心 に挙 げる。

中国古籍

安全31 意志13 意味13宇宙15学術13 家庭12 感情13気象15犠牲13季節11

(3)

空 間

1 1

経営13 警察12 計算13 貢献13 交通13 行 動13 呼吸15根 本

1 1

自我13 試験13 時刻

1 1

思索13 支持13 自由13 消化15小説13 条約13 処理13 人 口

1 1

進歩11 真理11 制定13 地 図13 能力11 反映15 物 理13分析13 平均

1 1

理解13 日本 近代

圧 力11 温 度11価値11 感覚13 観 測13 気温11 企業13 客観13 吸収11 共産13 系 統11結合11健康15 原子15 原則13 効 果11 克服13 困難15細胞15 質量11 集 団11 需要13 商品14 接触11繊維15 調整11 哲学13 電子15 日的11 理 由11 日本古籍

快 楽13 獲 得13 政権13 相 互11普 遍11 概 観 した ところ、 中国古籍 を典拠 とす る語 で多 いの は (1.3)(名詞 ・人 間活動 の精神 及 び行為 ) の分 野 の語 で あ る。一方 、 日本語 で は (1.1) (名 詞 ・抽象 的関係 ) (1.3)の分 野 の語 が 目立 つ 。 この こ とは、 こ こに挙 げた例 が特別 なのではな く、

資料 全 体 で もい え る こ とで あ る。

(4) 対 照 的 な典拠

下記 の表が 、両者 の典拠 と意味分 野 の分布 で あ る。 (1.5)は (名詞 ・自然 及 び 自然 現 象 ) の語 で あ る。

この よ うに、意 味 の分布 を比較 してみ る と、 中 国古籍 を典拠 とす る語 と 日本 の近代 に造 られた語 とは対 照 的で (1.1) と (1.3)の比率 が 、 ち ょ う ど反対 になってい る

まず 、 中国古籍 を典拠 とす る語 の特色 を例 で示 した語 で確 認 してみ よ う。

意志 学術 感情 自我 思索 自由 経営 計算 条約 処 理 制定 分布 いず れ も (1.3)の語 で あ り、 上 段 は (人 間活 動 の精神 ) 、下段 は (人 間活動 の行 為) を内容 と

してい る。 どの語 も、現代 も日中で よ く使 われて い る。 いず れ も抽象 度 の高 い近代 の思索 、行 動 を 意 味す る語 で あ る

ただ 、 これ らの語 の 中 には、近代 にな って新 し く意 味 の付 加 され た語 も少 な くない。

「意志」 は(∋ (何 か を しよう とす る考 え) の意 味 で は 日中語 と もに古 くか ら見 える。 しか し、今 日の哲学 で い う(む く多 くの動機 、 目標 、手段 か ら 一 つ を選択 し、その現 実 を欲 求す る)用 法 は近代 になってか らの もので あ る。

「学術 」① (学 問 と芸術 ) の意 味 で は、古 くか ら日中両 国で使 われ てい るが 、今 日で は 「学術 用 語

「学術 書」 とい うように、 もっ ぱ ら 「学 問」

の意 味 に用 い られ る。 近 代 の初 め (science)の 訳語 と して 「科 学」 が登場 す る まで 「学 問」 の意 味 で使 われた。

「自我

(自分 ・われ) の意 味 で ≪宋 史≫ に、

日本 で は ≪日葡 辞書 ≫ (1603)に見 える。 しか し、

哲学用語 、精神 分析 学 の近代科 学 の術 語 と して の 用 法 は新 しい。

「自由」 (思 うまま) の意 味 で 《後 漢書 ≫《続 日 本紀≫(797) に見 える。た だ し、思想 の 自由、言 論 の 自由、信仰 の 自由 とい った精神 的 、政治 的 自 由の意 味 で使 われ るの は新 し く、英語 (liberty) (政治 的 自由)、 (freedom) (精神 的 自由 ) の訳 語 と して近代 にな って使 われ る ようにな った。

一方 、 日本 で近代 に造 られた語 をみ る と、 中国 古籍 を典拠 とす る語 とは反対 に (1.1)が多 くなっ てい る。

圧 力 温 度 吸収 系統 質量 目的 科 学用語系 の語 が 中心 にな ってい る。 また、 こ の こ とは (1.5)にお い て も同 じこ とが い え よ う。

(1.3)と共 に示 してお こ う。

健康 原子 困難 細胞 繊維 電子 (15) 観 測 企業 客観 需要 共産 哲 学 (13)

(5) お わ りに

明治期 の、 日本 の近代 化 は、他 に類 をみ ない短 期 間 に行 なわれた。理 由 はい くつか あ るが 、何 と い って も西 洋文化 を理解 す るための訳語 が生 産 で きた こ とであ る。 それ には、 日本 よ り一歩先 に開 国 していた 中国の訳語 を参考 にで きた こ と、漢字 とい う有効 な造語要 素 を もってい た こ とで あ る。

と くに、 日本 人 の漢字 の音訓両用 の活用 は、造語 法 におい て漢字 の能力 を拡大 した。漢字 圏の、 こ

う した こ とばの交流 の研 究が待 たれ る。

(4)

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ビジネス英会話 を教 えて

短期大学部非常勤講 師

関根 幸雄

昨年か ら短期大学部で ビジネス英会話 を担当さ せていただいているが、 これまでの講義 を振 り返 ると共 に英語習得法 に関する最近の動向について も述べてみたい。

1. これまでの講義 を振 り返 って

テキス トについては、短大生 を対象 とするため、

短大生が卒業後実社会で使 う英会話の場面 とい う 判断にたち、秘書 の話 し言葉 を取 り扱 った ものを 使用 した。 また、講義 を進 め るに当た って は、

「知識言語 (1angue)」 としての英語 に代 わ り 「運 用言語 (parole)」 としての英語 をめ ざす こ とを 念頭 に入れたつ もりであったが、前期ではテキス トに もとづ き通 り一遍の講義 を行 うだけで終わっ て しまった。 この講義 は前期 、後期でそれぞれ終 了す る科 目のため、前期のテキス トでは分量が多 かった ことを反省 し、後期 では場面 をオフィスに 想定 した ものに変更 した。そ して、学校英語 の表 現 とビジネスで使 われる表現のズ レ (deviation)

に着眼点 をお き、学校英語 を基本 としなが らも、

ビジネスでみ られる英語現象 を説明すべ く試みた。

例 えば、来訪者 に対 し、なぜPleasesitdown.で はな くてPleasetake(orhave)a seat.となる のか、同様 にWhatisyourname?で はな くて Maylhaveyourname(,please)?となるのか、

さらに電話ではこの表現が MayIask whois calling (,please)?と変化す るのか。英語 に変 わ りはないが、 ビジネスの 「場」でみ られる様 々な 表現 を学校 で習 って きた英語 と対比することで両 者 の違いを理解 して もらうよう努めた。

講義内容の工夫 もさることなが ら、英語の質 に も配慮 して きた。講義 に先立 って、家内 (アメリ カ人)の協力 を得てテキス トの文例をチェックし、

必要 に応 じてアメリカにいるインフォーマ ン トに も意見 を求めた。そ うした過程で、前期 な らびに 後期で使用 したテキス トの中に一部不 自然 な表現 やその場 にふ さわ しくない と思われる表現がある ことが指摘 された。いずれの著者 も日本人であ り、

ネイティブ ・ス ピーカーの校 閲を受けていない よ うであった。 こうした昨年度の経験 を活か し、今 年度 は思い切 って市販のテキス トを使用 しない こ

とに した。秘書英語やオフィス英会話のテキス ト か らポイン トを抜粋 ・整理 し教材 として用いてい るが、学生たちにとって講義中は 目に頼 ることが で きないので耳で理解 しようとしな くてはな らな い ことになる。い きな り 「音声」か ら入 るや り方 に当初戸惑い もみ られたが、今では学生たちの一 生懸命 聞こうとい う姿勢が感 じられるようになっ た。1istening comprehensionは取 り扱 い に くい 分野か もしれないが、 コミュニケーシ ョン能力重 視 とい う時流の中で これまでの英語教育 に欠けて いた部分ではないか と思 う

2.英語習得法 に関す る最近の動向について 実社会 において英会話熱 の高 まる中、過去 1、

2年の間に、英語習得法 に関 して新 しいアプロー チ を試みる各種 の本が出版 された 例 えば、 『科 学的な外 国語学習法』、『脳 のメカニズムか らみた 英会話習得法』、『暗号解読法』、 『英語独 習法』、

『英会話のパ レー トの法則』、『ウザ ワ式勉 強法』

な どユニークな名称がつけ られているが、いずれ も著者が実践 して きた成果 を踏 まえて提唱 してい るメソッ ドだけに訴 える ものがある。 これ らの本 を読んでキーワー ドとして次の3点が浮上 して き たので、個人的なコメ ン トを付記 してみることに す る。

( 1 )

英語の基本 ルールか ら逸脱 しない (英文法 軽視‑の反省 )

「文法 にとらわれるか ら話せ ない。話 さない こ とには上達 しない」 との意見 に異論 はないが、英 文法軽視 に対す る反省が英会話 を指導 している関 係者か らでていることは注 目すべ きであろう。流 暢 に話せ る帰国子女の場合でも、意識が希薄で しっ か りと相手のニュアンス まで を汲み取 っていない ため仮定法 を使 い こなせ ない人が案外多いという

(2)主体的に取 り組 む姿勢が必要である ある著者 は 「外 国語 を理解す るには自分の努力

(5)

に頼 るほかはな くなるような気持ちの緊張感 を持 たせ ることがで きた ら、すべてが変わって くる」

と述べ、学ぶ側 に意識改革 を起 こさせ るようなア プローチ を説いている。 この点 に関連 し、 『国際 経営 フォーラム』第4号の中で橋本光憲助教授 は 米国カンザス大学で実施 している短期英語研修 に ついて 「現地留学 はそれな りの効果があることが 認め られる」 と分析 しているが、現地 において実 際の生活の中で英語 を使 うことにより学生の英語 に対す る意識の変化 をもた らす とい うことが背景 にあるのか もしれない。

(3)英語 を習得するのには3年 を要する 何人かの著者が一応の 目安 として、 3年 をあげ ている。メソッ ドはお互いに異 なるものの、到達 目標‑ の道の りがほぼ一致 しているのは興味深い。

「石 の上 にも3年」ではないが、一定の物事 を成 し遂 げるために要す る期 間 として受けとめている

共 同

究 経 過

冠 詞 の 研 究

倉 田 清 ・水野 光晴

[研 究経過報告] 有冠詞諸言語の哲学的、心理 学的な考察、冠詞相互の意味領域 の分析 、言語使 用 の際の冠詞の選択原理 などの解明、有冠詞言語 と無冠詞言語の比較研究などを行 っている。昨年 度 は、有冠詞言語、 とりわけ英語 と仏語の冠詞使 用の背後 にある名詞表現構造 について哲学的、心 理学的考察 を行 った。メンバ ーの倉田 と水野は、

それぞれ仏語 と英語の領域で以下の通 り研究 をす すめた

倉 田 清 :昨年度 は、 フランス語の冠詞 (定冠詞、

不定冠詞、部分冠詞 )を無限 と有 限 (限定)の視 点 に基づいて、定冠詞の領域 とその働 きを 「話 し 合 いによる唯一物性」、「環境 に よる唯一物性」、

「一般知識 による唯一物性」、「所属 に よる唯一物 性」 な どについて研究 した。恩師、鷲尾猛教授の

最後 に

、2

点ほ ど補足 してみたい。第

1

点は、

習得す る英語がハー ドウェアとすれば、それを運 用す るソフ トウェアはコミュニケーシ ョン行動 と いえよう。英語力 と共に国際社会で通用するコミュ ニケーシ ョン行動 を平素か ら心がけ習慣づ けて行 かなければな らない と思 う。第2点 は

『神 奈川 大学言語研究』第15号の 「大学英語教育 とその実 践」の中で田久保浩平教授 は 「企業の実情 をふ ま えて英語教育がなされるべ きでないか」 と述べて お られることである。私 は本年1月開催 された 日 本商業英語学会関東支部のパネル ・ディスカッショ ンのパネ リス トの

1

人 として、学会 と実業界 との インターアクシ ョンの必要性 について言及 した

ビジネス英語 とい う実務 に直結 している英語 を研 究 しているためか もしれないが、研究が教育 に活 か され、そ して実社会で役立ち、またフィー ドバ ッ クが得 られるような実学のサイクルを作 り上 げた い と考 えている

( 1 991

1992年 度分 )

世界的に有名 な 「鷲尾理論」 と桧原秀治教授 の

『現代 フランス語 における冠詞の用法』 を検討 し なが ら五点ほ どの文献 を通覧 した。

水野光晴 :昨年度 は、 とりわけ 「個物」の表現 に かかわる認識論的研 究 を行 った。すなわち、一般 に冠詞が付かない固有名詞の本質が何であるのか、

普通名詞 と固有名詞 との相違 は どこにあるのかに ついて、古 くか ら哲学者や文法学者の間で議論 さ れて きた問題 を、言語過程説の視点か ら再解釈 し、

その成果 を昨年8月にカナダの ラバル大学で開催 された第15回世界言語学者会議で発表 し、その概 要 を 『神奈川大学言語研 究』No.15に掲載 した。

さらに、定冠詞 と不定冠詞、定冠詞 とゼロ冠詞の 機能上の相違 を機能的語用論 の立場か ら考察 し、

その教育的示唆 を引 き出 した。 この成果は昨年11 月早稲 田大学で開催 されたブリティッシュ ・カウ

ンシル応用言語学会 で発表 し、 その修正論 文 を

『神奈川大学言語研 究』No.15に掲載 した。

(6)

帰 国子女 の言語習得 ・喪失過程 に関 す る研 究 伊藤 ・石黒 ・上棟 この研 究グループは帰国子女が習得 した外 国語 を維持 し伸 ばすために

、1 9 8 9

年か ら

3

年間、横浜 市研 究助成金 によ り 「帰国子女の言語習得 ・喪失 過程」 に関する研究 を行 なった。横浜市教育委員 会 の協力で、横浜市内の公立小 ・中学校 の帰国子 女 に基礎調査表 を配布 した。回収 したデータ及 び 基礎調査表の回答者25人の研究授業 を基 に研究 を 行 なった。

研 究の第一段階 として、共同研究者3人は各 自 それぞれの研究分野 を中心 に研究 した。

上棟 は考案 した言語習得要因モデルを用いて、

海外子女の外 国語の学習期 間 と外 国語 を習得す る 能力 との相互関係 を考察 し、子女の外 国語習得、

維持、喪失 に要す る期 間それぞれの平均率 を提示 した。現在 、言語習得要因の相対関係 と帰国子女 のバ イ リンガリズム (習得 した外 国語 と日本語の 習得 との関係 )の研究を している。

石黒 は帰国子女の外 国語 と日本語の使用環境 と これ ら二言語の コー ド ・ス ウィッチ ングに焦点 を 当てた。帰国子女の外 国語使用 は話す相手 (外 国 人、帰国子女、兄弟 同志の順序 )により減少す る こと、更 に子女の二言語 コー ド ・スウィッチ ング の頻度は外 国語のみを使用する頻度より多 く、コー ド ・ス ウィッチ ングに関 して 日本語の文章 に外 国 語の語句 を挿入す る頻度のほうが二言語の文章 を ス ウィッチす る頻度 より多いことを明確 に した。

帰国子女の二言語交渉の特徴 と二言語習得 ・維持 との関連 について研究 を続行 している

伊藤 は幼児 の言語習得 に関す る心理言語学的考 察の見地か ら、外 国語習得の初段階において決 ま り文句が現地の子供 との コミュニケーシ ョン及 び 現地の生活 ・習慣 の適応 に効果的であることを確 証 した。海外 ・帰国子女のために、決 ま り文句集 の作成及 び海外経験 の生か し方 について研 究 を続 行 している

コ ン ピュ ー タ利 用 の語 学 教 育

疋 田 ・保崎

「パーソナル コンピュータの研 究 と教育への活 用 に関す る研究」で、現在の状況は次の通 りです。

1)テキス トファイルのデータベース化

語法 ・表現研 究のために、記憶媒体上の通常 の文書 をデータベース として利用す るのに必 要なプログラムの作成。文書処理言語awkを 使用 して作成 した もの数点あ り

2

)パ ソコンによる英語演習 プログラム

リーディング速度 を自由に設定で きるペ‑‑,A メーカー、スペ リングテス トプログラム等 をawkで作成 し学生 に使用 して もらい、実験 中。問題点 を検討、改善の上で汎用言語 に移 植す る予定。

3

)教材作成 における活用

時事英語の教材 として最新 のニュースを記録 媒体上のデータのかたちで取得す る方法 として、

文字放送のパ ソコン‑の取 り込み (市販 ソフ トに よる)及 びパ ソコン通信 を通 じての英字新聞記事 の取得。それ らの教材化 も一部実験 中。

4)文書処理‑の活用

ワープロ、パ ッケージソフ ト等では果た し難 い文書整形 に必要 なプログラム 事 の性 質上 onetaskoneprogramが原則 であるため に作 成

プログラムは多数 にのぼるが、当然汎用性 に欠け る。む しろ臨機応変のプログラミングの コツとし て残 る もの。

共同研究経過報告未提出グループ

( 1 )

「教授 メデ ィア研究」 (小池栄一 ・保崎則雄 ・ 水野光晴)

(2) 「企業内語学教育」 (田久保 浩平 ・デ ビ ッ ド ハ フ (学外 ))

(7)

研 究 集

第1回 (6月11日)

どこまでを言語 と認めるか

‑ 構造主義の幻想‑

国広 哲弥 左 図で 「言語」 と した部分 は、むか し アメ リカ構造言語学 で考えていたもので、

表 に現われる部分 だ けを指す。 ソシュー ルが考 えた言語構造 も、概念 より先に "自律的に"

存在す るとす る記号体系 に基づいているので、 こ の 「言語」の部分 だけを考 えていたことになる。

チ ョムスキーの生成文法はこれに 「論理」 を大幅 に取 りこんだ ものである。論理能力 は人間に普遍 的に備 わっているものだか ら、生成文法が普遍文 法の様相 を帯 びるのは当然である。 しか し論理だ けでは言語現象の全貌 をとらえることはできない。

意味 ・表現の面 を見ればそれは明 らかである。言 語以前の外界認知の しかた、つ ま り認知心理学で 扱 われることと言語 は切 り離す ことはで きない。

上図の 「認知」のかな りの部分 は言語 に属 させ る べ きである。語菜が人間の外界認知 を反映 してい ることはい うまで もないが、意味現象のある もの は論理の働 きによると考 えられる場合がある。英 語の ̀for'が ≪目的≫ と ≪理 由≫ を表 わ し、 日 本語の 「ため」 も同様であるのはけっ して偶然で はな く、裏 に同 じ論理が働いているためだ と考 え られ る。̀without'も文 脈 に よって ≪状 況 ≫

「な しに」のほかに ≪理由

「ないので」、≪仮定≫

「なければ」 を意味 しうるが、 これ も言語 以前 の 論理の働 きによるといえる。

ソシュールの ように言語 を上図の 「言語」 に限 るのでは、言語単位の記号性 を浮 き彫 りにすると い う効果 はあるが、それ以上の ものにな らない。

「論理

認知

情緒」 も含 む言語 を考 えるべ き である。

2

回 (

6

2 5

日)

口頭伝 達

一記号論的説明の限界一

井谷 玲子 伝達は二つの情報装置 を必要 とす るプロセスで あ り、一つの装置が もう一つの装置の物理的環境 を変 えようとす るものである。その結果、受信側 の装置は送信側 に既 にあった情報、又それに似 た 情報 を再生す ることになる。例 えば口頭伝達 にお いて話者 は聞 き手の音響環境 を変 え、その結果話 者の伝 えたかった思考 と似 た思考 を聞 き手は得 る ことになる。 ここでの問題 は、二つの全 く異 なる 刺激、即 ち音パ ター ンとい う発話 と、それが表わ す話者の思考が如何 に して必要なだけ類似 した も のになるのか とい う問題である。ア リス トテ レス の時代か ら現代記号論 に至 るまで全ての伝達理論 はコー ドモデル とい う一つのモデルに基づいて き た。 コー ドとい うのは内部 メッセージを外部信号 (シグナル) と結 びつけ、生物 であれ機械 であれ 二つの情報処理装置が伝達で きるようにす る もの である。言語発話 は人間の最 も重要 な伝達手段で あるが、発話が信号であ り、話者 の思考 をコー ド 化 した ものであると考 えられる。 しか しなが ら、

あいまい性解決、省略部分又意味的不完全分の完 成、指示物 同定発話内効力の決定、比喰表現認識、

暗示的内容回復等、発話解釈 とい うのが、発話 と い う信号 の解読以上 を要するのは明白な事実であ る。 もちろん言語 は文、発話 の音声表記 と意味表 記 を対 にす るコー ドであるとみなせ るが、意味表 記 と実際発話 によ り伝 え られる話者の思考の間に はギャップがあ り、そのギ ャップは、コー ド解読 ではな く、推論 とい うプロセスによって埋 め られ るのである。 ここで語用論的課題である推論 プロ セスの解明が大切 な研究テーマとなったのである。

参考文献

WilsonandSperber(1987) ̀PrecisofRel evance:Communication and cognltion'Beha viouralandBrainSciences697‑754

(8)

第3回 (7月 2日)

多義語の意味構造

‑ 日本語 を対象 として

国広 哲弥 筆者 は最近、国語辞典 を開いて最初か らめぼ し い多義語 を取 り上 げ、その多義分岐の構造 を明 ら かにす る作業 に着手 した。今 回はその うちの4語 についての中間報告である。

(1) 「あ と」 (跡、後 )

空間的な形である 《跡≫は時間的には過去の出 来事の 《後≫ に生 じるものであるので、両義 はつ ながっている。時空相関認知の一例である。≪弥≫

はさらにさまざまな比倫義 を派生す る ≪後≫ は

≪時間帯≫‑

順序≫‑ ≪移動後の空間≫の意味 を生 じている。 この全体 にさらに視点の位置 (現 在時 ・中立時 ・移動体 )をどこにお くかがからみ、

派生義 を生 じる

(2) 「うつる」 (移、映、写)

この多義は(i)物 自体の移動、(1i)像のみがある表 面 に移動

損移動 した像が定着する、の3つ に大 別 される ≪定着≫の要素 は(i)も共有 している。

(3) 「お こす

基本義 は ≪横 になっている ものを縦 にす る≫で あ り、眠っている人間の場合 は上半身を縦 にす る ことになるが、そ うす ると一般 に生理現象 として 目を覚す ところか ら 《目を覚 させ る≫が生 じ、さ らにそ こか ら ≪活動 を開始 させ る≫‑ ≪発生 させ る≫が生 じた と考 える。

(4) 「おちる

多義の全体 を眺めると、落下の原因に基づ く分 類がふ さわ しい と考 えられた。(i)自然現象、(ii)不 注意 による、闘 固着力が不十分、(iv)外力 に抗 し切 れない (比喰的用法のみ)

「不注意 による」場合 の‑用法、「私の名前が名簿か ら落 ちてい る」 は 筆者 のい う "痕跡的認知" による表現の例である。

多義構造 は実際には枝分れ図により示 される

【付記】

第4回では国広哲弥氏 による 「トー トロジーの 意味解釈」 とい う発表 もお こなわれたが、スペー スの関係で割愛す る

第4回 (7月9日)

日本語 「け ど」発話末の用法 一語用論的分析

井谷 玲子

「お茶がはい りま したけ ど‑」等が妻が夫 に何 か を要請 (例 えば 「食卓 に来て飲 んで下 さい」) したい時に発話 された時、「け ど

を発話 末 に付 けない場合 に比べて、 より丁寧 な発話 として解釈 され る (Mizutani&Mizutani1987)。 しか し

「あの人 は頭いいけ ど‑」の ように 「け ど」 の付 加 によって何かが否定的な要素が含 まれることと

な り、丁寧 さの レベルが上が らない場合 もある

従 って 「け ど」その ものが丁寧 さとい う意味 を持 つ とす るのは明 らかに誤 りであ り、発話末の 「け ど」 は発話中の接続詞 「け ど」 と同 じ意味 とし、

丁寧 さを語用論的に分析するのが妥当であると思 われる。上記の文で 「け ど」 を付加 して も付加 し な くて も 「食卓 に来て飲 んで下 さい」 とい う要請 が出るとす る。では 「け ど」がある時 とない時の 差異 は、接続詞 「け ど」が付 いた時には 「け ど」

の後の部分、つ ま り第二連結節が省略 されている と見 なされるが、「け ど」が ない場合 は省 略発話 とは見 なされない とい う差異である。次 に第二連 結節 に何が省略 されているか という問題であるが、

それは確定的な ものでな く、不確定的な ものであ り、第‑連結節か ら合意 され る要請 (「食卓 に来 て飲 んで下 さい」)と逆接関係 を保 つ ものであれ ば、広範囲の ものが可能なのである。例 えば 「お 忙 しいか もしれない

「お茶 は欲 し くないか もし れない」 といった ものである。 これ らが話者が合 意 している要請 と逆弓妾関係 となる故、その要請 を 弱めることになるのである。 これは関連性理論 に おける文脈効果の一つの、既存想定の排除 とまで は行かないが、既存想定の弱化 と見 なす ことがで き、語用理論で発話末 「け ど」 の丁寧 さを説明す ることの正当性 を示 していると言 える

参考文献

Mizutani&Mizutani(1987)How to bepolite inJapanese. TheJapanTimes,Tokyo Sperber&Wilson(1986)Relevance:Commu‑

niationandCognltionBlackwell,○Ⅹford

参照

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