下馬飮君酒、問君何 別王維
但去莫復問、白雲無盡時。 之。君言不得意、歸臥南山陲。
この詩は、これから南山に隱遁しようとする
を見 である。しかしこれは竝大抵の儀禮 る詩 方が出來ない」という言 を畫している。「君言不得意」の「不得意…思うような生き な應酬の作とは、一線
の意味を、
り手(作
は完)
に理解し、共感している。だからこそ作
言 の理由を詮索するのをやめて、「但去莫復問」という慰藉の はそれ以上に隱遁 を差し出すのである。それは、他
たという の言い分を聞き置い 元の極
な「他 理解」ではなく、完
に自己 發
な共鳴であるように見受けられる。 この「
する「君」であり、もう一人は「君」と酒を い。詩中には、二人の登場人物がいる。一人はこれから歸隱 別」詩は、制作の背景について何も語ることがな
の地と、歸隱の理由を問い みながら歸隱 は、し」必ずしも作 ねる「わたし」である。「わた しかし當時における の王維自身であると決まってはいない。
別詩の
均 を否定する明確な理由がない以上(例えばこれが作 作法を考慮すれば、これ
から された第三人稱 別 點から作られる樂府詩であるという
斷の
立)、作
この詩が 自身と考えるのが順當である。
體 を含めて、 な背景を語らないとは、第一に、その詩題 た「君」の歸隱の 別の對象「君」が如何なる人物であるのか、ま 、、、、、
體 な理由も、歸隱の目
とである。また第二に、 地も不明なこ 別の側に立つ作 、、、、
王維の
況も、 中國詩文論叢第二十集
自
の詩
王維「
別」詩論考
松原
つまり制作の時期も地點も、また王維の
會 境 密に繋年することは原理 一切が、不明のままである。從って、この詩の制作時期を嚴 も、その しかしそれにも拘わらず、この詩に抒べられた心 期を推定したところで畢竟、憶測の域を出るものではない。 に不可能であり、また假に制作時
ある時期の王維の文學と深い は、
關 得される。そこで本稿では、この「 を持つもののように感 の文學の特と接 別」詩が如何なる時期 しているのかを論じて、
もっとも重 圍でその制作時期の推定を試みるのである。 せて可能な範 なことは、本稿の結論の一部として
る制作時期それのみではない。そもそも優れた作品は、作 張され
の特定の意識
況の中でのみ形
作品は、作 されると言うこと、つまり の特定の意識と有機
くはその一つの意識が繼續する時 作時期それ自體を同じくするか、もし(制作時期同定の根據) と言うこと。それ故に、その意識を共有する作品同士は、制 な一體性を保持している ずれかであると言うこと。本稿は、この一般 の中で制作されたかのい
「 な命題を、
別」詩の制作經
を考察する中で確
一つの目 することを、もう とするものである。
された 「 歸隱の
別」
王維のこの「
別」詩は、歸隱する人を見
一般 るものである。
にいえば、歸隱の
別は、
期に
別詩が作られる
な場面の一つである。王維のこの詩の特は、 (1)
均 、、
な 、、
歸隱の
別詩との比較を
歸隱する じて、明らかになるだろう。
を 別する詩は、多くの場合、下第あるいは干 、、、
の失敗といった明白な事由で 、、、、
里(田園)に撤
くされた を余儀な に對して作られている。つまり「歸隱」とは、
別詩の作
による修辭
美言に ぎない。
丘爲 憐君不得意、況復柳條春。爲客 第歸江東王維
金盡、
五湖三畝宅、萬里一歸人。知爾不能 家白髮新。
、羞稱獻
臣。
孟六歸襄陽王維 (2)
杜門不復出、久與世
醉歌田舍酒、笑讀古人書。好是一生事、無勞獻子。 (3) 疏。以此爲良策、勸君歸舊廬。
上記の二篇は、いずれも王維の詩友が科
!に 第して故
自
の詩(松原)
51
に歸るときに作られた
友人の挫折を正面から慰めるのではなく、歸 別詩である。しかしこの時の王維は、
(故 への撤 生最善の をあえて歸替その歸隱を人ことによって、るえみ讀と隱) 、、、、、、、、
擇として
こうした手法を 價し贊美するのである。
面に押し出しているのは「
であり、「舊廬に歸る」ことをもって「良策」とする 孟六歸襄陽」
よって、篇が貫かれている。つまり孟 點に 然は、
第を に、眞實の價値ある人生を 機 また「 擇出來たと稱讃するのである。
丘爲 こそが良策であることを暗示する。このようにして科 王勾踐のもとを去って五湖に遁世した故事を踏まえて、歸隱 第歸江東」では「五湖三畝宅」が、范蠡の越
折 の挫
を、王維は
來を期待するといった明け ます。しかし來たるべき應試の場で捲土重
けの激 の言辭を
く、故 るのではな の田園を
のように美しい隱遁の世界として
言うまでもない。この歸隱贊美は ひとまず彼の傷心を慰撫するという手法を取る。だが改めて いて、
するに
交 從に ず、それ以上の作 ぎ の 體 共感が この種の「 である。 められることは稀なの
された歸隱」を
中で、當面問題となる「 別する詩が大勢を占める 別」詩が
質であること明瞭であ この王維の「 る。
別」詩に言う「不得意」は、科
の ような、再 第の を期すべき「回復可能」な挫折とは性質を
している。この詩の行 に (被 決斷を下している。 )は、すでに歸隱に對して 行する王維は、彼の眞意を
も王維は、行 の余地を探るものの、不首尾にわる。しかのみならず、恰 ねて慰留
の決意を確
を訊ねたりはすまい、君が行く南山の陲りには、 である。「但去莫復問、白雲無盡時…去るがよい、もう理由 搖るぎない正しさに保證を與えるために、詩中に登場するの !するために、そしてその決意の
象 "對自由の
#たる白雲が盡きることなく
う $き上がっているのだ」とい 行
・王維の言
%には、行
の「不得意」の心
る &に對す 交辭令としての慰安や鼓
理解、それどころか 'の氣配はなく、むしろ十分の 體 が出來よう。 共鳴が表明されていると見ること
眞實の 「 歸隱の
別」
王維のこの「
あろうか。常識 別」詩は、如何なる場面で作られたもので 意の裡に歸 に見て最たる可能性は、親密な友人が、失
するのを見
る場合であろう。しかもこのとき 中國詩文論叢第二十集
の失意とは、
第や干 濟 の失敗、またはその結果としての經 困
という外因
な挫折ではなく、
活・また右 の生活(官員の生 左眄を
いられる干
に對する因生活)
ないしは な倦怠
上 惡と見るのが當たっているだろう。
の如く、大部分の歸隱を
別する詩は、修辭
出るものに 美言に 實の歸隱」を ぎない。しかしながら、王維の詩集には、「眞 上げる「 別する詩も確かに存在している。本稿が取り 別」詩はその方面の代表
な存在であり、また
に讀む「
張五歸山」詩も、同樣の傾向を示している。
張五歸山王維
君盡惆悵、復
何人歸。幾日同攜手、一
東山有 先拂衣。
屋、幸爲
荊 。當亦謝官去、豈令心事
。
王維には、「
張五 歸宣 」「戲 張五弟 この「張五」はその人であろう。張 」詩があり、
は、
は刑部員外 州永嘉の人。官 だが、天寶年 に至る。天寶の初期に長安で王維と親交を結ん に棄官して嵩山の一峰、少室山の
この時の して、そのまま官仕することはなかった。王維のこの詩は、 居に歸隱
別の作と推定されている。 (4) 詩の末尾「當亦謝官去、豈令心事
」に は王維自身の心事の表白である。張 目したい。これ は「一 どうして己れの願いを これを承けて、「かくなる上は自分もまた官を去るしかない、 まり思いがけずも王維の先を越して隱遁することになった。 先拂衣」、つ
げずにおけるものか」という王維の 懷が かれている。ここで張
暗默の がすでに官にあったことは 提である。かくして張
は、
第とか いう外部 金の缺乏と 惡によって、 事由ではなく、自己の部に熟した官界に對する
!體
に棄官=歸隱を
この詩が、多くの、そして美 "擇するのである。
#された
$%の歸隱を
る詩とは 別す
&質であるのは、①
$%ではない眞の歸隱が、張
自身の願
ない。それ以上に、②王維自身の歸隱に對する嚮 'として語られている、という點にのみあるのでは
(が、張
の歸隱に對する羨
'という形を取って
そ重 べられていることこ )であろう。この詩には、いわば自己を一段高
て、他 *に据え
+の余儀なくされた歸
,を「歸隱」と稱して美
慰撫する底の「余裕」は見られない。却って、他 #し、
決斷を +の歸隱の
にしての羨
の念が眞 '(別言すれば己れの優柔不斷に對する慚愧)
-に綴られている、という點が顯
.な特
る。 /なのであ
自
の詩(松原)
53
この「
張五歸山」詩には、なおもう一つの特
張 がある。
の 體 況(歸隱の原因、歸隱の目
言 地)について殆ど がないことである。その乏しい
況明の中で
るのは、「當亦謝官去、豈令心事 目され 作 」である。この二句は、
王維の張
の歸隱に對する羨
に出た こを手掛かりとして張 懷であるが、こ
の歸隱の動機を
る。 算することが出來 らく張 は、「心事
思い
ら張 に「謝官去官を罷めて歸隱する」のである。しかしなが りにならない」ため の歸隱について提供される
なみに詩中に張 報はこれのみである。ち の目 般を意味するに を指すものではなく、謝安の故事を踏まえつつ隱棲の地を一 地とされる「東山」は、特定の地點 中の手掛かりに據ってではなく、天寶年 ぎない(それが少室山と推測されるのは、詩
に、棄官して少室の
に歸り、出仕することはなかたという傳記 居 當時の 。るからである) 知識を我々が持ってい 均 な
別詩とは、
寫( 品の中核に据える、至って樣式 先の敍景)を作 る。すなわち された表現を取るものであ に
げた王維の歸隱を
かように樣式 別する二篇の詩も された 別詩であり、とりわけ「
丘爲 歸江東」詩の「五湖三畝宅、萬里一歸人」は、典型 第 な
寫を實現したものである。ここで確
ない。 しなければなら 期の 別詩の多くが、儀禮
な空 されていたこと、またそれ故に、そこでは對 において制作 (被 に) 度に密
!した
"
#抒 して客 が抑制され、これに代わるものと
#な
こうして「 寫が活用されていたのである。 (5)
張五歸山」詩は、
實の歸隱を $%されたものではない眞
別する點と、
別の
體 況( 行 別の地點・
の目 地・目
結果として當時の儀禮 行爲など)を撥無している點で、またその
な 別詩の常套となっていた
寫を
&滅させている點で、個性
な作品となっている。
「
別」詩の特
「
張五歸山」詩は以上の二點において、「
に接 別」詩と確か 'を示してはいるが、しかしながら兩
の
には、本質
な差 (があると
何となれば「 めなければならない。
張五歸山」詩が含んでいる
體
(張「張五」 ないとはいえ、しかし皆無ではない。そもそも詩題には、 況は少 張 )の名が記されている。またこの記名によって、
に關する傳記
知識をこの詩の解釋に
能である。さらに、「幾日同攜手」の語によって、離別に先 )用することが可 中國詩文論叢第二十集
立つ王維と張
との交 が確言されている。また張
時に官職にあったことが がこの 接 に提示され(上
「東山有 )、さらに 屋、幸爲
(園 荊」によって歸隱の地にはすでに田 つまりこの「 園)が置かれていたことも明示されている。
張五歸山」詩はその事
た)乏しさにも拘わらず、 明の(意圖され
「特定の對 別という機能に關する限り、
」を 別する、紛れもない
常の 、、、
一方の「 ある。 別詩なので 、、、
別」詩を見れば、なるほど
行 (=作 は、行 王維)
(被 )に對して別れの酒を
由を み、また歸隱の理 ねてはいる。しかしこの對
の と問答には、離別の事件
體相(時期・場
・行
の 理由として行 。ないそして歸隱の(「南山」はそれだけでは一般名詞に止まる) 況)が一つとして含まれてい が い」という、それだけでは べるのは、「不得意…思うようにならな
念 でもないが、「不得意」は、 な理由でしかない。言うま 第や 金の缺乏といった外形 な障碍も、あるいは又た官界に對する
眞實の歸隱願 惡や倦怠といった
と結びつく
それ自體としては多義 障碍もその中に含みうる、
な、從って空
な言辭に
かくして ぎない。
體 況を完
に抹 したこの作品は、行
(被
、あるいは離別の場など、離別の)
體 な するのは不可能なこととなる。 況を特定 し 、か 、し 、それにも拘わらず、この「
また「必 をもって制作された作品として讀むことが「可能」であり、 別」詩は、特定の背景 この謂いは、王維の體驗= 」であるように思われる。
てこの「 !と不可分のものとし 言すれば、王維の體驗から完 別」詩を解釋すべきであると言うことであり、換
に切り離された
は個別性から完 "、もしく 王維が、彼の歸隱の意圖を てはならないと言うことである。 、、、、 に解放された一般性としてこの詩を解釋し
#得して はもとより り出すその人、それ 常の知人などではなく、そして
$らくは、莫
%
の親友ですらないのではないか。この時點であえて假定を提示するならば、最も可能性があるのは、王維自身ではないか。「南山」は、最も一般
は、他ならぬ彼の 詞である。しかしながら王維に引き付けるならば、その南山 に用いた場合、隱遁の土地の代名 園=
&川別業の (6)
の陲りに隱遁する人物を王維自身に重ね合わせることに、解 、 在である。つまり南山 釋 、上 、の 、不 、
'合はない。この解釋に據れば、「 、、、、、
別」詩は、
自
の詩(松原)
55
王維が自らを隱遁の世界に向かって
り出す、いわば「自
の詩となる。王維は、官僚である。しかし彼の思いは 」 業の隱遁へと傾いている。その心理の葛 川別
を、架空の
行
と行
との問答を
して表現している。そして最後には、行 の隱遁に對する決斷を了承して、白雲の
向かって きあがる南山に り出す。「
別」詩は、確
「以下、 分なのである。能可にこのような解釋は十 、、、、、 た彼の文學が一般に示す吏隱への性向からも、ま事實からも、 できる王維の傳記 別」詩が、王維が自らを隱遁の世界に
ための自 り出す
の詩と假定した上で、
に必 假 となるのは、その の有效性の檢證である。
自
詩としての解釋
繰り
況證據1 「南山陲・白雲」
せば、「
に 別」詩が、王維が自分自身を隱遁の世界 り出す詩であるか否かを、またどのような
王維自身の幾つかの作品との れたかを嚴密に確定することは、不可能である。とはいえ、 況で制作さ 絡を考察するとき、この「
別」詩が王維の文學に占める唯 、一 、の 、位 、置 、が、
第に
「 がってくる。 かび上 別」詩との關わりが最も
目される詩は、
の一篇で ある。
中 南別業王維
頗好 、 家南山陲。興來 、、、
獨 、 行到水窮處、坐看雲 、 事空自知。
時。偶然値林叟、談笑無 、
期。
この詩は、隱遁を
題としている點で、歸隱を
「 別する
別」詩と同じ意識の基盤の上にある。しかも
は、二つの 目すべき 體な點で「
別」詩と
絡を とは、とりわけ重 第一に、この詩の題が『國秀集』に「初至山中」とあるこ (7) である。 じていること
である。この詩題に據れば、この詩は、
南の別業に初めて移り
「 んだときの制作となるからである。
別」詩が王維の自
の詩であると解釋するとき、「
業」詩との關 南別 は最も明瞭になる。王維は「
の陲りなる て自分自身を、名利の價値に拘われる官人の世界から、南山 別」詩によっ 對自由の世界に解き放つ。そしてこの「
業」詩は、王維が目指した 南別 對自由の世界を、實地に確
ることを す
裏する關係に置かれることになるであろう。 題とする詩となる。こうして二篇の詩は、相い表 中國詩文論叢第二十集
第二に、その表裏の關係を物語るかのように、この二首には字句の相關を
めることができる。すなわち「
の句は、「 家南山陲」
詩中においてこの二篇だけである。しかも「 (8) 「南山陲」置かれている。の三字を同じくするのは、王維の 別」詩の「歸臥南山陲」と明らかな對應關係に
お期待の中に止まっていた「白雲無盡時」という白雲に象 、、 別」詩ではな
される
對自由の境地は、「
南別業」詩では「坐看雲 、
に の句とを變え、ここに目睹の光景となって自分の世界の中 時」 、 得されるのである。 (9)
題の共 字句上にも 性に加えて、このように 制作に當たった作 められる相關は、單なる偶然の結果を超えて、
とが必 の「意識の繼續」を反映すると考えるこ *
になるだろう。
*「意識の繼續」の最も分かりやすい形態は、時
繼 軸に從った の關係であり、「
別」を承けて「
限定されない。 ることである。しかし「意識の繼續」は、必ずしもこれのみに 南別業」が制作され 南山の別業に初めて移り
「 んだときの作が 南別業」であるのは暫く不動のものとしても、一方の「
別」詩は、その
南山隱遁に至るまでの
去の意識を反芻する で、時
には「
能性も、この「意識の繼續」の中に含まれている。總じて、 南別業」に後れて制作されたという可
南山を隱遁の世界として
ぶに至った「一つの
中で、この二篇の詩が作られてたであろうことが肝 の事件」の である。
「 南山陲」の系譜 宋之問と儲光羲の場合
「
別」と「
「南山陲」の用語の一 南別業」との根柢に存在する意識の繼續は、
において、表面にまで露
も、 「南山」そのものは、常見の語である。また方位詞「陲」 て良い。 したと言っ 詩に少なからぬ用例を持っている ()
10
。しかし「南山+陲」の三字の組合せは、現存する
れるのみである。この結果として、この語を共有する「 詩中に僅かに四例が見出ださ
「 別」
この用語は魏晉南北 南別業」の相互に密接な關係が際立つことになる。
期の詩歌に見られず (
渾水亭」詩に初めて現れている。 、宋之問の「陸 1)1
陸渾水亭宋之問昔予登茲樓、感愛川岳奇。別來雖云
、夜 更以沈痼日、歸臥南山陲。 、、、 常在斯。
(陳 廬不可見、雲林相蔽虧。
君 『 詩補
』七六五頁)
自
の詩(松原)
57
この洛陽西南の郊外、陸渾で作られた詩に「南山」とある山は、もとより長安の
ここで確 することは可能だった。 れにしても、長安の南山以外に對しても幅廣く「南山」を稱 の山というイメージがすでに出來上がっていたためか。いず 山」が威嚴ある大岳の代名詞であったためか、もしくは隱遁 う。嵩山が陸渾の南方に位置していたためか、あるいは「南 南山ではなく、中岳嵩山を指して言 例を意識しているか否かである。①宋之問は、初 すべきは、王維の「南山陲」がこの宋之問の用
である。また、②宋之問がかつて 表する詩人であり、王維がその存在を憶えていたことは當然 後期を代
有した陸渾と
の別業の中、王維がその 川の二つ 川別業を
入していること (
あった。しかも、③宋之問の陸渾に對して王維の すれば、王維は宋之問について特別の關心を持つべき立場に を考慮 1)2
の 川と、詩
臺はなるものの、共に隱遁を
べる文
④そして何よりも決定 陲」の語が用いられている點では軌を一にするものである。 の中で「南山 な意味を持つのは、王維の「
句五字を完 、 詩と、宋之問の「陸渾水亭」詩とが「歸臥南山陲」という一 、、、、、 別」
に共有していることである。このような一 、、、、
もとより偶然の結果とは考えられない。王維がこの「南山陲」 は、 の語を用いたとき、宋之問の用例を意識
とは、殆ど疑い得ないのである。 に繼承していたこ
現存する
の「偶然作六首」( 維の二篇以外に「南山陲」の語が現れるのは、儲光羲が王維 詩において上記の宋之問の一篇を除くとき、王 に提示)に唱和した
」のみである。偶然作十首(其二) の「同王十三維
北山種松柏、南山種
藜。出入雖同趣、
孔丘貴仁義、老氏好無爲。我心 向各有宜。
空、此
暫 將安施。
伊闕
、 三伏時。高閣入雲中、
滿 池。
自非我室、
南山陲。 、、、
「南山陲」は、それ自體が罕見の語である。しかも加えて宋之問・王維・儲光羲の三がそれぞれに繋がりを持つことを考慮すれば、この語の使用においても相互の影
定することが自然であろう。當面の問題である「 !關係を想 ここに暫く除くとして、明らかにすべきは、王維の「 別」詩は
「南山陲」を用いたかという 業」と儲光羲の「同王十三維偶然作十首」と、いずれが早く 南別
"後關係である。 中國詩文論叢第二十集
理解の便宜のために「南山陲」の用例を時系列に從って配列すれば、
首」との時 そのものは「南山陲」の語を含まないが、儲光羲「同王維偶然作十 の二つの可能性があり得る(王維「偶然作六首」
關係を示すために
入する)。
①宋之問「陸渾水亭」
↓(王維「偶然作」)
↓王維「
業」 南別
②宋之問「陸渾水亭」 ↓儲光羲「同王十三維偶然作十首」
↓(王維「偶然作」)
十三維偶然作十首」 ↓儲光羲「同王
↓王維「
南別業」
この二つの中、
ぎに 七 王維の「偶然作六首」は、開元一五年、王維(七二七)(二 殆ど否定される。 べる理由によって②の可能性は、
)が淇縣の地方官であったときの制作と考證されている (
しかし儲光羲の和詩を、同時のものと考ることは困 。 1)3
儲光羲が仕に である。
第したのは、その
、また『六) 年の開元一四年(七二 推定に據れば儲光羲の生年は 才子傳校箋』の「儲光羲傳」の(陳鐵民執筆)
る。この 龍二年(七〇六)のことであ 冠二一 の、仕に
第したばかりの
れまでに面識のない王維を、淇縣という地方の小 年が、そ
市に訪ね て、しかもその作に唱和する機會は、常識
しかも加えて、「 にはあり得ない。
渾水亭」の一句を完 南別業」の「歸臥南山陲」が宋之問「陸 に繼承していることが
(上 明しており
)、その繼承の中
とは一 に儲光羲の和詩の介在を想定するこ 、困
彼が天寶の始めに である。この二點から、儲光羲の和詩は、
に 南山に隱棲した時期、つまり恰も同じ頃 南山に別業を搆えた王維との
に兩 の交 時期に ( が確立した
、王維の 1)4
作「偶然作六首」に對して儲光羲が
たものと理解するのが 和し このような推論が無理なく 當なのである。
「南山陲」の語を含む王維の二篇の詩の關係は、儲詩の影 繼承したものと推定することが出來る。さらにこの結果、 「南山陲」の語は、先に推定した①の經路によって王維より り立つとき、儲詩に現れる
を考慮に入れることなく、專ら王 、維 、自 、身 、の 、中 、に 、完 、結 、す 、る 、問 、題 、
として處理することが許されるのである。しかも「南山陲」が、王維の中から溢れ出て儲光羲の和詩にも用いられたというこの事實は、この語が王維の當時(天寶初期)の詩
の中で、關鍵の位置を占めていたことを示唆するものである。 思索
以上の考察から
かれる小結は、以下のようになるだろう。
自
の詩(松原)
59
王維が
南別業に入った直後の制作に係る「
秀集』題作「初入山中」)と、「 南別業」(『國 別」詩とは、相い
時期の作である。兩 後する同 を時 第一に、「南山陲」また「(白)雲」という用語の共 軸上に緊密に竝ばせる根據は、
り、第二に、隱遁を語るその 性であ 題の共
結果、「 性である。またこの 別」詩は王維が自らを
南の別業に向かって
出す、いわば自 り の詩として位置づけられることになる。
自
詩としての解釋
王維の「
況證據2 自問自答の形式
別」詩は、らくは自の詩である。この
で得られた推定をさらに補
る問答の形式(問・答の二 、 する材料は、「君」と交わされ 素の 王維には、問答を含んだ詩がもう一篇あって、 備!)である。
目される。
偶然作六首(其三)日夕見太行、沈吟未能去。問 、君 、何 、以 、然 、、世 、
小妹日 嬰我故。 、、、、
長、兄弟未有娶。家貧祿
、儲
幾回欲奮飛、踟 非有素。
復相 。孫登長嘯臺、松竹有
相去 處。
幾許、故人在中路。愛染日已
忽乎吾將行、 、禪寂日已固。
俟 云
。 この「偶然作六首」は、開元一五年、王維(七二七)(二七
)が淇縣の地方官であったときの制作と考證され、これは 南別業の隱遁(陳鐵民「王維年譜」では開元二九年、もしくは 天寶元年)に先立つこと十四年である。假に「
「 別」詩は
南別業」と同時の作とする本稿の假
に從えば、「
詩と「偶然作六首」とは實にこの十四年の 別」
によって
られて、常識 て
な斷としては、兩
の しかしながら、「 を想定することは無意味なことである。 に「意識の繼續」
別」詩と「偶然作六首」との
の傍證となるのが、 一貫した「意識の繼續」が有ったと考えたい。まずそのこと には、
に言
然作十首」の存在である。王維と儲光羲との交 !した儲光羲の「同王十三維偶
のは、王維が "が始まった る(上 南別業を取得した直後の天寶初期と考えられ
#)。その時期の王維の作に「
た「 南別業」があり、ま 寶初年 維偶然作十首」は、ほぼ確實な推定として、①この時期(天 別」も同時の作と思しい。一方、儲光羲の「同王十三 に王維によって示された「偶然作六首」に後)
したものであり、②その和詩に現れる「 $和
「 南陲」は、王維の 南別業」「
別」詩から
儲光羲の「同王十三維偶然作十首」の存在によって、「偶然 %摘されたと推定される。つまり 中國詩文論叢第二十集
作六首」は、それから十四年後の「
南別業」「
別」と
絡を
ずることが示唆されているのである。 *
*王維は儲光羲に「偶然作六首」を示して唱和を求めたとき、同時にこの二篇も披露したのであろう。論理
いを綴った新作の二篇を披露したときに、それと には、隱遁の思 題上の關
の深い作「偶然作六首」をも
と「偶然作六首」「 の自然である。儲光羲の和詩に「南山陲」の語が現れるのは、 せて示したと考えるのが推理 南別業」「
の中で有機續」 別」とが、王維の「意識の繼 言すれば、その儲詩に「暫 に結ばれていることを暗示している。なお附
伊闕 が理由として推測される。 外にも宋之問の「陸渾水亭詩」を儲光羲に示したであろうこと もそも洛陽に在ったこと以外に、おそらく王維が自作の二篇以 ることが不可解となるが、これに關しては、儲光羲の田園がそ 」として洛陽の地名が見え
では「偶然作六首」と「
別」詩とを十余年の時
を て結び付ける王維の「意識の繼續」とは、 て 體 まず に跡付けることが可能であろうか。 にどのよう 沈吟未能去。問君何以然、世 目されるのは、「偶然作六首」其三が「日夕見太行、
嬰我故」という問答を含む點 である。太行山を見ては隱遁の思いが
るが、「世
に 」(以下
べる弟妹の扶
)に拘われて思いを
げられないと
べるこの一段は、問答形式によって
六首」は他 行する。この「偶然作 はない。となればこの問答は、他 との關係の中で交わされた作品(應酬の作)で
借りながら、王維は隱遁という人生の 自問自答に他ならないであろう。かくして自問自答の形式を と交わしたそれではなく、
擇の
にした逡
この隱遁への決斷をめぐる問答は、「 思いを、吐露するのである。 の 別」詩の「問君何 之。君言不得意、歸臥南山陲」との
似を想
である ( させるもの もっとも、他 。 1)5
(被 )との關係を
提とする
では、この種の問答も、その他 別の詩 との 解釋すべきである。しかしながらこの「 に交わされたものと これがそもそも他 別」詩に限れば、
を 自 別した詩である明證はなく、(痕跡)
この二篇に現れる隱遁をめぐる自問自答に僅かに ては自問自答に他ならないであろう。 の詩である可能性が高い。つまりこの問答は、實態とし
るとすれば、 いがあ 確 においては隱遁が畢竟不可能であることを し、後
においては隱遁の決意を確
するという、正反
自
の詩(松原)
61
對の歸
を見ることに
ぎない。かくして作
するものではなく、彼の意識の中では十余年の年 隱遁への決斷をめぐるこの二つの自問自答は、無關係に存在 王維において、
を る心理の がらも、互いに映發し、隱遁への決意に向かって傾斜を深め てな を示しているのである。
自
詩としての解釋
況證據
「 3
この「
別」という命題
別」詩が自
の詩であることを客
材料として、その「 に保證する 別」という命題方法にも
ばならない。この命題は、多くの場合、行 目しなけれ (被 記することが無く、この點で、自 )を明 宜を提供したに相 の詩を作る上で大きな便
『 ないのである。
詩』
收の詩で、詩題中に「
別」の二字を含む
別の詩は凡て八七首 ()
16
。そのほぼ八
を占める六八首は、
の對象(被 別
を示していない) (
。つまり詩題が「 1)7
二字のみであるか、王維「 別」の 鵠歌
別」・儲光羲「洛陽東門
別」のように修
かくして「 いるのである。 語を添えただけのものが大部分を占めて 別」という命題は、
代において、對
(被 )の記名を必
としない命題方法であった (
。この傾向は 18) 詩題の
文に(又作)
目するとき、一
明らかになる(『
詩』に據る)。
王維「
毋潛 、、、
第 」
↓一作「
王維「齊州 別」
二」 、、
↓一作「
李白「 別」
崔氏昆季之金陵」 、、、、
↓一作「秋夜崔八丈水亭
別」
この三首は、原題ではそれぞれ對
の 體 な人名「
潛」「 毋
二」「崔氏昆季」が明記されている。しかし「
と改められた 別」
とは、「 文では、その人名が省略されている。このこ 別」という命題が、對
たことを、裏付けるものである。この結果として、 の記名を條件とはしなかっ
極 、、
は轉寫の に 、
の に本來の詩題の一部が失われたとき、そ(人名)
別詩の詩題を便宜
に 略 して「
が可能となった。また積極 、、 別」と題すること 對 にこの特を活用するときには、 、
の記名を意識
に
!ける場合にも、命題「
別」は、作
自 に便宜を提供したことを推測させるものである。
の詩題としてこの「
別」が用いられるのは、この對 (被 の記名を回)
中國古典詩には「自 !できるという正しく點に由來する。
」という命題方法が
"立しなかったた 中國詩文論叢第二十集
めに ()
、それを補完するものとして、命題「 19
る余地があったのである。李白の「渡荊門 別」の活用され 別」「
陵行
別 (
」は、從來、自 2)0
かった。しかし自 詩としての解釋が唱えられることはな 得られる。すなわち の詩として讀むとき、最も自然な解釋が は、故
おいて、まだ知らぬ世界=楚に向かって、自らの なる蜀の出口である荊門に
立ちを
行するものである。また後
は、玄宗の宮
作 から放された が、最後に長安を振り
る 別れを 陵の岐路に立って、玄宗に
げつつ自己を
長安から
り出すのである (
本稿はこの王維の「 。 2)1
別」詩を、自
にあるが、命題「 の詩と解釋する立場
別」がそもそも
別の對
を記名する必
がなかったこと、その結果として自
の詩に もなり得るということは、この本稿の 當な命題と 張に對して、最も客 な補 材料を提供するものである。
結語
「
が自 別」詩は、王維の集中の名作である。本稿は、この詩 の世界に の詩であること、つまり王維が自らを南山という隱遁 得られることを り出すときの詩と見るときに、最も整合な解釋を
張するものである。 この詩は、歸隱を
の歸隱を 別する詩である。しかし當時の大部分 別する詩は、その實、科
の むを得ず故 第などの理由で已 に撤 する不
を は歸隱は、「やむを得ざる故 別するものでる。そこで への撤 」を美
に する修辭法
ぎなかった。一方、この「
れる作 別」詩は、その中で交わさ ( )と對
(被 )との問答を
して、對
の歸隱の意思が明確に表明されており、眞實の歸隱の
いうこの點で、特 別と
「 ところで少數とは言え、王維集にはこれ以外にも、例えば な位置を占めることなる。
張五歸山」のように眞實の歸隱を
いる。しかしながらこの「 別する詩も存在して 張五歸山」にしても、畢竟、張 という特定された對
を
行する、いわば「
常」の の詩に留まっている。これに對してこの「 別 の對 別」詩は、特定
を持たず、また
別の
體 な しない作品であり、 況の一切を明らかに 別という機能に 、、
してみれば、兩
には本質 の
な徑庭があるとしなければならない。「
詩について、自 別」
ところでこの詩に對して自 詩の解釋が提出されるのはこのためである。
る。しかしこの「 そのこと自體は、容易であ(またその解釋に反駁を加えること) 詩としての解釋を與えること 別」詩の場合には、そうした憶測に基づ
自
の詩(松原)
63
く議論とは
元を
にして、自
詩としての解釋が最も
な解釋であること、ないしは唯一の必然 當 を論ずべき、幾つかの な解釋であること
「 況證據が存在している。第一は、
秀集』には「初至山中」に作り、王維が この詩題は、に示された密接な關係である。『國「(白)雲」) 南別業」詩との①題(隱遁)に、また②用語(「南山陲」
から、「 て隱遁したときの作品であることが明らかである。このこと 南山の別業に初め 別」詩は、王維が
世界に自らを 南別業に隱遁を決意し、その 第二に、隱遁をめぐる問答の存在である。王維は、 り出すときの作品と考えられるのである。
業隱遁の十余年以 南別 が展開されるが、それは「 然作六首」を作っている。その第二首には隱遁をめぐる問答 、淇縣の地方官となっているときに「偶
いったい「偶然作六首」とその十余年後の「 別」詩の問答の先蹤であろう。
別」詩との
には、隱遁をめぐる「意識の繼續」が存在していたと考えられる。この推定は、儲光羲の「同王十三維偶然作十首」の存在によって支持されている。この詩は、唱和という行爲を
して王維の「偶然作六首」と繋がると共に、一方では、「南山陲」の用語を共有することによって「
「 南別業」および 別」詩と繋がるのである。この中
項の存在は、「偶然作 六首」と「
南別業」「
別」詩との題の(隱遁)
超えた、作 似を
なお第三として、「 の「意識の繼續」を暗示するものである。
別」という命題法にも
の命題「 目した。こ 別」には、
別の對象(被
)の記名を必
しないという特 と がある。一方、中國古典詩には「自
いう命題が存在しなかった。その制 」と の中で自
うとするときに、「 の詩を作ろ 提供したものと思われる。李白の「渡荊門 別」という命題は大きな便宜を詩人に
別」「
陵行
別」の二篇は、筆
自 の理解に據れば、李白自身に向けられた
の詩である(
「 21參照)。こうした作例は、王維のこの 別」という命題を
る詩の解釋においても、十分に
示 としなければならない。すなわちこのことは、王維の「
別」詩に自
詩としての解釋を與える際に、客
以上の複數の 與えるものなのである。 な保證を 況證據がこの詩の一點において
いるとき、この「 積されて
別」詩は、
して王維が自らを 南山の別業に隱遁するに際 別した詩である、と結論することは最も 當な
斷となるだろう。 中國詩文論叢第二十集
(1)
省覲、等が一般 別詩が制作される場面は、①赴任、②應試、③歸隱、④
(2)『 である。
詩』では「一作張子容詩」また『瀛奎律髓』では作 を張子容とするが、なお陳鐵民『王維集校
』(中 一九九七年)八五頁、培基『 書局、
詩重出
民 收考』(陝西人 育出版
、一九九六年)がともに李嘉言『古詩初探・
(3)「子 詩校讀法』の考證を支持して王維の作とするのに、從う。
を獻ず」とは、司馬相如が
の武
に「子
を獻じて提 賦」
を願ったことを言い、後世、一般に干
(4)參照:『 指す。 活動を 才子傳校箋』第一冊三五八頁(傅
なお王維の集中には張 執筆)。 との應酬の詩が
(5) の人物は、王維の詩友といっても良い存在である。 部で七首あり、こ 期の
別詩が
、 、 寫(沿路の敍景)を 、、、、、、、
法として樣式 な表現手 されてきたことに關して、筆
は 專論を發表している。參照:拙稿「六 に關係の 形 期における離別詩の の臺閣詩人と
別詩の完
」(中國詩文
『中國詩文論叢』第十四集一九九五年一〇)。同「 究會 ける「 別にお 」と「別」高
なお後 〇年一二)。 !別詩論考」(同第一九集二〇〇
の拙論第三
"に 、 、 寫の意味を以下のように 、、
#
括した:「
~」詩の
$べる言辭が「理性
な
%&」だけで 相應しい あっては、文學にならない。そこに不足している離別の場に
'(を補償し、擬似
「沿路の敍景」だったと理解して良かろう。 に惜別の氣分を演出するのが、
る「沿路の敍景」とは、作 別の詩に現れ の惜別の想念が、予定された
)
の風景の中を、對
る、計算された抒 の影と手を携えながら辿ることを演出す
(6)王維の詩に現れる「 'の樣式なのである。(三九頁)
*南別業」と「
+川別業」は、傳統
には同じく
+川 ,を指すと考えられてきた。なお
-年の傳記 究では、
+川別業の取得以
に、これとは別に山中の
.
處(
*南別業)があったと考える
/が大勢を占める。代表
な論考には、陳貽
0「王維生
1事迹初探」(『文學
23』 出版 第6輯一九五八年)、また陳鐵民『王維新論』(北京師範學院 4刊 「王維生
1五事考
論旨には、兩地 5」、一九九〇年)。もっとも本稿の
()7秀載三天寶は集』以『國 /の當の關係を持たない。直接は否
時制作期が の作品を收めており、この詩の 6くとも天寶三載以
代の であることが分かる。同時 7纂である『國秀集』に「初至山中」という詩題で 、、、、
89 されていることは、當初の詩題がこれであったことを推測させる。(8)北京大學語言文學系の「
詩電子檢索系統(『
詩補
『の王維の二」(陸渾水亭「宋之問には、外以篇 7」の用例』を上記陲、「南山ばれ據に檢索結果)」の含むは
詩補
七六五頁)と儲光羲「同王十三維偶然作十首(其二)」の二 7』
自
の詩(松原) 65
篇があるのみ。なおこの儲光羲詩は、王維の「偶然作六首」に對する和 、詩 、であることが
る (9)「白雲」は、王維の詩の中では、とりわけ隱遁の世界であ 目される。
不係關の分可と山南において現れる。この「 、、、、、、、、、、
詩以外にも、「歸 南別業」
川作」詩に「悠然
山
「 、獨向白雲歸」、 、、
南山」詩に「白雲迴 、、
合、
詩に「寂寞柴門人不到、空林獨與白雲期」、「答裴 、、 靄入看無」、「早秋山中作」
口
憶 雨
南山之作」詩に「君問
南山、心知白雲外」、 、、
「欹湖」詩に「湖上一回首、 川集の 山卷白雲」、「山中寄 、、
詩に「 弟妹」
郭遙相
、唯應見白雲」。とすれば、隱遁を 、、
する「 題と 別」詩に現れる「白雲」も、それ自體としてすでに、 、、、、
( 南山を暗示する表象と理解することも出來るであろう。
1)北京大學中文系「0
詩電子檢索系統」に據れば『
詩』
れば、「 體で五十篇に「陲」字が用いられる。なお王維の用例に限 別」「
」の(時年十九) 南別業」以外にさらに「從軍行」「李陵詠
( 合四首。
1)北京大學中國語言文學系の「1
する『先秦 詩電子檢索系統」に附屬 魏晉南北
( の用例はない。 詩』の檢索システムでは、「南山陲」
1)『2 書』卷一九〇「王維傳」に「得宋之問
田別墅、在
( 口」。
は、その第三首の「日夕見太行、……孫登長嘯臺」を根據に、 1)陳鐵民「王維年譜」七頁に據れば、王維の「偶然作六首」3 太行山と孫登の長嘯臺(河南輝縣西北の蘇門山
)の雙方に
接した淇縣の地における制作とする。また張
譜』(學林出版 『王維年 、一九八八年)も陳鐵民の見解に同
( 。
1)王維と儲光羲の結識時期は、天寶の初期であろう。兩4
交 の
時期を確實に示す作品は、儲光羲「
上 である。この詩は秋の作である(詩中に「叢 茨期王維補闕」
年春から天寶四載春)の官名で呼んでいることから、兩 たここで王維を補闕(王維が左補闕の官にあったのは天寶元 、、 秋蝶多」)。ま 、
交 の
は、
( くとも天寶三載秋までには立した。
兩 1)詩中の問答は、「問」のみのものは多いが、「問」「答」の5、
を 代表例として、王維の「 !備した作例は極めて少數に止まる。その少ない中の
の「問君何能爾、心 別」詩の以外に、陶淵明「飮酒」 山、何意栖碧笑而不答心自 地自僻」、李白「山中問答」の「問余
"」。
意確隱を遁の思 、、、、、、、 #然とした象であるが、印
$する文 、、、、
傾なおこれとは向を 用されるようである。 %にしばしばこうした問答形式が活 、 の「 &にするものとして、杜甫「兵車行」
'傍 (問行人、行人但云點行
關潼修、吏關潼問借」の「吏關「」、丁無小更、縣新安吏 )」、問借」の「新安吏「
用したものであり、活を手法の紀聞めにこうした 保するたを確ィーテリアリ系の作品は、新樂府これら」。胡 *備 明・王維・李白の詩中の問答とは、制作意圖が +,の陶淵 く
( &なる。
1)そもそも命題「6
別」を用いた詩は、「
~」の詩に比べ 中國詩文論叢第二十集
て作品數が格段に少ない。王維と同時期の孟
杜甫、および稍や後れる劉長卿・錢 然・王昌齡・
・李嘉
そもそも「 ・皇甫曾には
( 別」の二文字を含んだ詩題が存在していない。
1)北京大學中文系「7
に「 詩電子檢索系統」に據れば、詩題中 別」の二字を含んだ
別詩は、
部で八七首。その
譯は、①詩題中に
別の對象を「
一五首(「 別~」の形で示すものは
、む)②「答(または酬)~ 別友人」のように單に「友人」とあるものも含
別」の形で、接
示すものは四首、③ に對象を
別の對象を
( である。 く示さないものは六八首 1)魏晉南北8
期の事
は、
代と稍や
系「 なる。北京大學中文 詩電子檢索系統」がその一
に提供する『先秦
晉南北 魏
詩』の檢索系統に據れば、「
詩は 別」が詩題に現れる 部で二一首。このうち「
別~」として
明記するものは、 別の對象を
( 數の一〇首に上る。
1)例えば「自序」「自祭」「自9
」の語は存在するが、「自
( の語は、かつて存在していない 」 20)「渡荊門
別」:「渡 荊門外、來從楚國
。山隨
江入大 野盡、
流。
下飛天鏡、雲生結
樓。仍
故 水、萬里
行舟」。「
陵行 別」:「
君 陵亭、
水流 。上有無 之古樹、下有傷心之春
之古 。我向秦人問路岐、云是王粲南登 。古 綿走西京、紫闕
驪歌愁 日雲生。正當今夕斷腸處、
!不
"聽」。 (
21)參照:拙稿「李白
陵行 集』七〇號、二〇〇二年三 別考」(予定:『(專大)人文論 )。この文章において、「渡荊門 別」「
陵行 別」が自
た。 詩として解釋すべきことを論じ
自
の詩(松原)
67