□
□
□
□
□
□
□ 国
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□ □
□
□
□ □
□
□ □
□
□ □
Ⅲ 田 岡□ 団阻
□
□
□
□
□
□
□
□ 団 m m 団 □ □ □ □
田田 田田
□
□
□ □
□
□
□ 団
□
□
□
□
田田 凹田
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□ □
□
□
□
□
□
□
□
□
目 圏目 雪田 圏圏 田蛋 留
□□□□□□□□□□□□
□□ □囲 □□□団□□□□
目 田目 召 経 日盾 諷田 目目 目
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□
□
囮 Ш 田田 田 田 田田
I 藤原宮・京 の調査
北京極 大路
(一条)
一条大路 (二条)
二条大路
(三条)
二条大路
(四条)
四条大路
(五条)
五 条大路
(六条)
六条大路
(ヒ条)
七条大路
(八条)
入条大路 (九条)
九条大路 (十条)
十 条大路
火 官 大 寺
(十一 条)
十一 条大路
(十二 条)
南京極 大路
東 点 極 大 路
︵左 京 四 坊
︶ 東 三 坊 大 路
︵左 京 三 坊
︶ 東 二 妨 大 路
︵左 京 二 坊
︶ 東 一坊 大 路
︵左 京 一妨
︶ 朱 雀 大 路
︵右 京 一坊
︶ 西 一妨 大 降
︵右 京 二 妨
︶ 西 二 坊 大 路
︵右 京 三 妨
︶ 西 二 坊 大 路
︵右 京 四 坊
︶ 西 京 極 大 路
網Hはlt,門芥地 条1/Jは快式は
第 1図
藤原京内調査位置図 (l i 20000,網 目は既調査地
条坊 は模式図)
‑4‑
藤原宮東方官衡 地 域 の調 査 (第 48‑3次
)(1986年4月〜5月)
この調 査 は民 家 の新 築 に伴 う事 前 調 査 と して 、 橿 原 市 高 殿 町 で行 な った もの で あ る。調 査 地 は藤 原 宮 大 極 殿 の 東 北 東 約300mの東 方 官 衡 の一 画 に あ た り、 第 35次 調 査 区 に市 道 を 隔 て て 南接 す る 。調 査 は東 西 20m、 南 北
14mの
調 査 区 を 設けて 実 施 し、 一 部 拡 張 した。 調 査 面 積 は302だで あ る 。 調 査 区 の 層 序 は 、 上 か ら耕 上 、 床 上 、 灰 褐 色 土 、 黄 褐 色 粘 土 の 地 山 の順 で あ るが 、 西 半 に は古 墳 時 代 の上 器 を含 む 暗 灰 褐 色 砂礫 混 りの 粘 質土 層 が 西 に い くに したが い厚 く堆 積 して い る。遺 構 の 大 部 分 は地 山層 上 面 で 検 出 し、 藤原 宮 期 の掘 立 柱 建 物 、 藤 原 宮 に 先 行 す る四 条 条 間路 とそ の 両 側 溝 、 古 墳 時 代 の掘 立 柱 建 物 な どが あ る。
藤 原 宮 期 の 遺 構
掘 立 柱 建 物SB4860は 、 桁 行
6間
以 上 、 梁 行2間
以 上 の 東 西 棟 に復 原 で き る。柱 間寸 法 は桁 行2.6m等
間 、 異 行3.Omで
、 柱 掘 形 の 大 き さ は一 定 しな い が 、 一 辺 約1.3〜 2m、 深 さ約0,9mの
不 整 な 隅 丸 方 形 を 呈 す る。西 妻 柱 と、南側 柱 西第 1・ 2・
7柱
穴 に はいず れ も柱 抜 取 穴 が あ るが 、 西 第 3・4・ 6柱穴 に は柱 根 (径 24〜
31cm)が
遺 存 して お り、 西 第5柱
穴 に は柱 痕 跡 が 認 め られ た 。 西 第5柱
穴 は ひ と抱 え 程 の 石 を敷 い て 礎 盤 と して お り、 西 第7柱
穴 の底 に は木 の 礎 盤 が あ り、 そ の 下 に は拳 大 よ りや や 大 き め の 玉 石
3個
が 敷 か れ て い る。SB4860の南 側 柱 か ら南 へ
3.lm離
れ た位 置 に、庇 応ゝうの 小 柱 穴 が 柱 筋 を揃 え て 東 西 に並 ぶ 。 掘 形 は一 辺
0.4mと
小 さく、 ま た先 端 を 削 った 径
10cm前
後 の 杭 を掘 形N ▲ 二 E E 凩
―――X166430
4865
第 2図
第48‑3次調査遺構配置図 (1:300)
一‑ 5 ‑―
よ り約20cm深 く打 ち こん で い る こ と か ら、 さ しか け程 度 の 南 庇 や 、 足 場 穴 と も考 え に く く、 広 縁 おゝうの 露 台 の 可 能 性 が あ る。
藤 原 宮 期 以 前 の 遺 構
四 条 条 間 路 SF 1731の 宮 内 延 長 部 と 、 そ の 両 側 溝 SD 4865・ 4866が あ る 。 四 条 条 間 路 は、 約
19m分
を検 出 し、 道 路 幅 は側溝心 心 で6.9m、 路面 幅約5.5mで
あ る。 北 側 溝SD4866は 幅1.5m、 深
0̲す す ̲̲̲ ザ cm さ
0・3m、南側溝
SD4865は、幅
1.6m、深 さ
0.4mで
あ る。第 3図
墨書土器
(1:4)
古 墳 時 代 の 遺 構 と して は、 国 上 方 眼 座 標 に対 して 約45度振 れ る方 位 を もつ 、 小規模 な掘 立 柱建 物SB4861が あ る。 柱 間 寸 法 は
lmか
ら1.5m前
後 と不 揃 い で 、 掘 形 の 大 き さ も一 定 しな い 。そ の 他 の 遺 構
そ の 他 の遺 構 と して は 、 北 拡 張 区 で 検 出 した 土 坑SK4870 と、 調 査 区 西 寄 りで 検 出 した 上 坑SK4862が あ る 。 土 坑SK 4870は 、 中 央 が す り鉢 状 に窪 む 浅 い土 坑 で 、 埋 土 を切 って 藤 原 宮 期 の 柱 穴 が 掘 られ て お り、
7世
紀 後 半 の 遺 構 と考 え られ る。 土 坑SK4862は 、 四 条 条 間 路 の 北 側 溝SD 4866よ り新 しい小 規 模 な土 坑 で 、埋土 か ら10世紀 頃 の土 師器 土 釜 の 上 半 部 が 出土 した。
出 土 遺 物
土 器 と石 製 品 が 少 量 あ る。 藤 原 宮 期 の 遺 物 と して 特 記 す べ き も の に、 掘 立 柱 建 物SB4860の南 側 柱 西 第
6位
穴 か ら出 した 須 恵 器 皿 が あ る。 底 部 外 面 に五 字 の 墨 書 が あ り、 「 加 之 伎 手 官 」 す な わ ち「 か しきて の つ か さ」 と 読 め る。 「 加 之 伎 手 官Jと
は浄 御 原 令 制 下 の 官 名 と思 わ れ るが 、 な ぜ この 建 物 の 柱 穴 か ら出上 した か に つ いて は今 後 の検 討 を要 す る。 藤 原 宮 期 直前 の 四 条 条 間 路 の 両 側 溝 か らは、 土 師器 、 須 恵 器 の 杯 類 が 少 量 出上 して い る。ま とめ
この 調 査 は小 規 模 な もの で は あ ったが 、 藤 原 宮 期 直前 の条 坊 計 画 線 で あ る四条 条 間 路 と、 藤 原 宮 期 の 建 物 を あ らた に検 出 し、 東 方 官 衡 の 範 囲 が
(賀
)/ \辱
//ニ ギ
「 \
言 Ⅲ
‑6‑
第29次 第32次
第4図
藤原宮東方官衛地域調査位置図
さ らに南 に ひ ろが って い る こ とを 確 認 す る な どの 成 果 が 得 られ た。 掘 立 柱 建 物 SB4860は、 桁 行
6間
分 を 確 認 した に す ぎ な い が 、 第30・ 35。 38次 調 査 で 検 出 して い る東 方 官 衡 地 区 の 建 物 は 、 桁 行9〜
12間 と い う規 模 が あ り、 この 建 物 も さ らに桁 行 の 長 い建 物 で あ った と推 定 で き る。 な お 、 これ らの 建 物 との 間 に は 約25mの空 間 地 が存 在 した こと も明 らか に な った 。 ま た建 物 の構 造 に関 して は、南 側 に露 台 とみ られ る施 設 が 付 属 す る点 が 、 官 衡 地 区 の 建 物 と して は あ ま り例 を み な い もの と して 注 目 され る。
東 方 官 衡 の 規 模 につ い て は 、 第38次調 査 で 西 を 限 る塀 SA 3500と 、 東 一 坊 大 路 計 画 線 宮 内 延 長 部 が 、 南 北 に の び る宮 内 道 路SF3499と して 存 続 して い た こ
とを確 認 して い る。 東 限 の 施 設 は 検 出 され て い な い もの の 、 東 端 の 建 物SB 28 40まで と仮 定 す れ ば 、 東 西 の 規 模 は約130mと な る こ とが 明 らか に され て い る。
南 北 の 規 模 は な お不 明 で あ るが 、 今 回 検 出 した 四 条 条 間 路 が 、 建 物SB4860と の 位 置 関係 か ら宮 内道 路 と して は機 能 して い なか った とみ られ 、 さ らに南 に ひ ろが って い る 乙 とは確 実 で あ ろ う。 そ の 場 合 、 南 北 の 規 模 は東 面 北 門 を 入 っ た 宮 内道 路 か ら、 東 面 中 門 を 入 った 宮 内道 路 まで の 約
250mで
あ った可 能 性 も生 じ る。 そ して 、 この約250m× 130mと い う範 囲 が 、 宮 内 の 官 衡 ブ ロ ックの 中 で も最 大 級 の 規 模 を 示 す と も考 え られ るの で あ るが 、 そ の解 明 の た め に は さ らに 長 年 月 の調 査 が 必 要 と され よ う。‑7‑
2.左 京 六条 三 坊 の調 査 (第
47・50次
)(1985年11月〜1986年12月)
第47・ 50次調 査 は、 当調 査 部 の 新 庁 舎 建 設 予 定 地 に お い て 、 昭 和 60年 度 の 第
45046次
調 査 に 引続 き行 な った もの で あ る。調 査 地 は香 久 山 の 西 、 畝 尾 都 多 本 神 社 の 南 で 、 藤 原 京 の 条 坊 で は左 京 六 条 三 坊 の 中心 部 を 含 め た 東 北 お よ び 東 南 坪 に あ た る (第 1図、 第50次 の 調 査 区 は西 区 と東 区 に 分 か れ る)。4次
に わ た る発 掘 総 面 積 は14400だ とな り、 建 設 予 定 地 の7割
強 に 達 した 。 そ の 結 果 、 古 墳 時 代 か ら室 町 時 代 に わ た る この 地 の 利 用 状 況 が判 明 す るな ど多 大 な成 果 が あ が ったが 、特 に藤 原京 にお け る1坊(4町 )占
地 の遺 構 群 の検 出が 注 目 され る。当地 に お い て は、 昭 和61年度 中 に も う1回 (第53次
)調
査 す る予 定 で あ る が 、 表 記2次
の 調 査 結 果 を 合 わせ て 報 告 す る と共 に、 現 時 点 に お け る問 題 点 を 整 理 して お こ う。 な お 、 庁 舎 建 設 に あ た って は、 これ らの 調 査 結 果 を 踏 ま え て 、 遺 構 の保 全 や 周 囲 の環 境 との 調 和 に 万 全 の 配 慮 を して 進 め て ゆ く こ とに な る 。IⅢ¬ I
束 二 坊 大
路 N
一 A 謄 原 宮
﹈
口P「
l―
第 5図
左京六条三坊調査位置図 (1:4000)
‑8‑
A.遺
構調 査 地 は西 か ら東 に向 か って 緩 や か に傾 斜 し、 地 盤 の 高 い西 半 部 で は遺 構 の 遺 存 状 態 が 良 好 で あ るが 、 香 久 山 の 西 裾 を北 流 す る 中 の 川 沿 い の 東 端 部 で は 約 1.5m下が り、遺 構 の 密 度 が 比 較 的 薄 い 。 削 平 され た可 能 性 もあ る。 調 査 地 の層 序 は基 本 的 に上 か ら耕 土 、 床 上 、 灰 褐 色 上 、 茶 褐 色 砂 質 上 、 黄 褐 色 粘 質 土 の 順 で 、 黄 褐 色 粘 質 上 が 地 山 で あ る。 灰 褐 色 上 に は 中世 の 遺 物 が 含 ま れ る。 遺 構 の 大 部 分 は弥 生 時 代 の 遺 物 を 含 む 茶 褐 色 砂 質 土 層 の上 面 で 検 出 した が 、 東 半 部 で は地 山面 で 検 出 した もの もあ る 。
検 出 した遺 構 はす べ て 大 地 に掘 り こま れ た もの で 、 掘 立 柱 建 物・ 塀 、 溝 、 井 戸 、土 坑 な どが あ り、 これ らは
7世
紀 代 (京造 営 以 前)、 藤 原 京 の 時 期 、 奈 良 時 代 、平 安 時 代 、 鎌 倉 時 代 以 降 に大 別 で き る。 ほ か に古 墳 時 代 の 竪 穴 住 居 お よ び 自然 流 路 も認 め られ た。 藤 原 京 の 時 期 は さ らにA・Bの 2小
期 に 区 分 で き 、 他 の 時代 の 遺 構 につ いて も重 複 す る もの が あ るな ど分 期 可 能 だ が 、 こ こで は 藤 原 京 の 時 期 の み 分 け て 記 述 す る。 な お 、 平 安 時 代 以 降 の遺 構 は表 に ま と め た 。a.7世
紀 代 の遺 構45次 調 査 区 の西端 で検 出 して いた南北 塀SA4170を東 限 と し、 その 南 端 か ら西 へ 折 れ る東西 塀SA4171 B・ 4732を 南 限 、 さ らにSA4732の西 端 か ら北 へ 延 び る南 北 塀SA5005を西 限 とす る長方 形 の 区画 が あ る。東西 幅
66.lmで
方 眼方 位 に対 して ほ とん ど振 れ が な い。 南 面 中央 、SA4171 Bと SA4732の 間 は3間分 開 き、 や や 奥 に 控 えて 門SB4735が建 つ 。SB4735は桁行3間(7.9m)×
梁 行 1間(3.lm)(桁
行×梁行 、以下同 じ
)の
小 規模 な もの で 、 その心 は区画 の 中軸 線 に一 致 す る。門 の 北 側 柱 筋 か ら
15.5m北
に 、 東 西 塀SA 4760があ る。 長 さ4間 (10.2m)
で 、 中央 の 柱 が 区 画 の 中 軸 線 上 に乗 る。 目隠 し塀 の よ うで あ るが 、 北 側 に は建 物 等 の 施 設 は な い。 区画 内 で 同 時 期 に 比 定 で き る建 物 と して は 西 方 のSB 5020 が あ る。 これ は3間
(5,Om)×
2間(3.6m)の
総 柱 南 北 棟 建 物 。 柱 抜 取 穴 か ら 飛 鳥Vの
古 い段 階 の上 器 が 出上 した 。以 上 の遺 構 は、 柱 掘 形 か ら飛 鳥
V段
階 な い しそれ 以 前 の上 器 が 出土 し、 柱 穴 の 重 複 関係 に お いて も藤 原 京 の遺 構 よ り古 い もの で あ るが 、 よ り古 い遺 構 と し‑9‑
て 、47次調 査 区 東 端 か ら45次調 査 区 に か け て 検 出 したSB 4761 0 4762の
2棟
の 建 物 と、 南 面 東 半 の 塀SA 4171 Bに 切 られ た 東 西 塀SA 4171 Aがあ る 。SB 47 61は 東 面 の 塀 SA 4170よ り古 く、SB 4762は さ ら に SB 4761よ り 古 い 。 ま たSA4171Aは 8間
分(19,8m)を
検 出 した もの だ が 、SA4171と 柱 筋 が 一 致 す る た めBは Aの
改 築 とみ る。50次 東 区 に も塀 を巡 らせ た 矩 形 の 区 画 が あ る 。SA4110は45次調 査 に お い て 検 出 して い た南 北塀 で 、今 回南3間分 を検 出。 総 長 14間
(28.9m)と
な った 。 南北 両 端 で 東 西 塀
SA5090(5間
、10.3m)と
SA4111が 結 び つ き 、 これ ら3条
の 塀 によ って 矩 形 の 区 画 を形 成 す るの で あ る。 南 北 長28。9mは
100尺 に近 似 す る。3条の塀 は と もに方 眼方 位 に対 し北 で 東 へ
5〜 6度
ほ ど振 れ 、 先 述 のSB4735を 門 とす る区画 とは性格 を異 にす るよ うだ し、区画 内部 に は な ん らの建 物 もな い 。SA5080・ 5081・ 5083は 、45次 検 出 の 東 西 塀 SA 4121と 合 わ せ 、 上 記 の 塀 区 画 の 外 側 を並 行 して 巡 り、 外 郭 を 画 して い る塀 で あ る 。 南 北 塀SA5080は 内 郭 のSA4110の西 約
8.4mに
あ り5間分 を検 出。45次 と合 わ せ16間(39.lm)と
な った 。 南 端 で 東 西 塀SA 5081・ 5083へ 連 な る 。SA 5081は
4間
、SA 5083は2間
検 出 。 両 者 の 間 は
2間
分 開 く。SA5080。 5081の す ぐ外 側 を 素 掘 溝 SD 4135。5084が
L字
形 に 囲 む 。 この溝 か ら飛 鳥V段
階 の 上 器 が 出土 した た め 、 これ ら内 外 二 重 の 区 画 を 京 造 営 以 前 とみ た が 、 振 れ を考 慮 す る と奈 良 時 代 の遺 構 群 に 類 似 した状 況 を 示 して お り、 あ るい は再 考 の 余 地 が あ るか も しれ な い。SA5081の 北3mの
と こ ろ を並 行 す る東 西 塀SA5085(6間
、13.7m)も
同 時 期 で あ ろ う。b.藤
原 京A期
の 遺 構この 時 期 に属 す る遺 構 は、 条 坊 お よ び そ の 内部 を 区 画 す る溝 と掘 立 柱 塀 が 主 で あ り、建物 は北方 に数 棟 あ るの みで 、 これ ら も区画 施 設 との 関 連 性 が 窺 え る。
す べ て 軸 線 が 方 眼方 位 に一 致 す る。
坊 間路
SF4300
左 京 六 条 三 坊 を 東 西 に 三 分 す る南 北 道 路 で 、 東 西 に 素 掘 り の側 溝 を伴 う。溝心心 距離 は7.3m tt。 路 面 幅 は6.3m内
外 で 、27m分
を検 出 し、46次調 査 と 合 わ せ て
82mを
確 認 し た こ と に な る 。 東 側 溝SD 4301は 幅0.6〜1.lm、 深 さ0.3〜
0.6mで
、 北 端 で 条 間 路 南 側 溝SD4311と 合 流 す る。 西 側 溝S一‑ 10 ‑一
N古屋凪凪凩
う就 …… ° ・
0SE5076
汁
第47・50次調査遺構配置図 (1:500)
D4302は一 部 削 平 され て い るが 、 幅0.6〜1.lm、 深 さ0.1〜
0.4mで
あ る 。 北 端 で 条 間路 南 側 溝 へ 連 な って い た はず だ が 遺 存 して い な い 。 両 側 溝 と も流 滞 水 し た痕 跡 が 顕 著 で な く、 溝 を埋 め た て た土 にB期
建 物 の 柱 穴 が 掘 られ て い る と こ ろ か ら、SF4300は 道 路 と して 機 能 した と して も ご く短 期 間 の こ とで 、 両 側 溝 は地 割 の た め の もの で あ った可 能 性 が 強 い 。 西 側 溝 SD 4302か ら飛 鳥 Ⅱ〜 Ⅲ 段 階 の上 器 が 出土 して い る。 な お 、SF4300の 心 は 朱 雀 門 の 心 か ら東 約666mに
位 置 し、2坊
半 す な わ ち2250尺 の 値 に 近 似 す る。南 北 塀
SA4990
坊 間 路 西 側 溝SD4302の 西 約5mの
位 置 で9間
分 検 出 し た 。 46次 調 査 に お い て 南 延 長 上 にSA 4283を14間 確 認 して お り 、 両 者 は 一 連 で 西 南 坪 内 の 東 を 限 る施 設 と考 え られ る。 掘 形 の み で 柱 痕 跡 も抜 取 穴 もな い た め 、 施 工 途 時 に立 柱 を 中止 した可 能性 もあ る。柱 間 も不 揃 い で あ る。 な お 、46次で 検 出 した東 南 坪 の 西 を 限 る南 北 塀SA4282の北 延 長 部 分 は 、 今 回確 認 で き な か っ た。条 間路
SF4750
左 京 六 条 三 坊 を 南 北 に三 分 す る東 西 道 路 で 、 南 北 に 素 掘 り の側溝 を伴 う。 溝心 心 距 離 は8.8m、 路 面 幅 は7.Om〜 7.4mで
あ るが 、 東 端 で は3mほ
ど狭 くな り45次 調 査 区へ と延 び る 。 今 回60m分
を 検 出 、 西 端 で 坊 間 路S F4300と 交 差 す る 。 南 側 溝SD 4311は 幅0.6〜 1.Om、 北 側 溝SD 4139は 幅1.1〜2.Omであ る。SF4750の心 は坊 の 南 北
2等
分 線 想 定 位 置 よ り北 へ 約14mず
れ る が 、南側 溝 は坊 間路 東側溝 に連 な り、埋上 の状 況 も同 様 な の で 、 地 割 溝 の 性 格 を もつ もの と考 え て よ い。 南 側 溝8D4311か ら飛 鳥 Ⅲ段 階 の 上 器 が 出土 して い る。南 北 塀SA4281 0 4730・ 4830と 門SB 4726 坊 間 路 心 か ら約
51m東
を 南 北 に 通 り、 東 北 坪 お よ び 東 南 坪 を東 西 に 分 け る塀 で あ る 。SA4281は北 端 部 の3間
を検 出、46次調 査 と合 わ せ 11間 と な っ た 。SA 4730はそ の 北 延 長 上 に あ って 、 一 部 柱 穴 を 欠 くが
44m強
15間 分 を 検 出 した 。SA4281と 4730と の 間 は 条 間 路 の 位 置 に あ た り、 この 部 分 だ け柱 間 が3。9mと
広 い た め 、 く ぐ り門SB4726が 開 い て い た もの と み る。SA4730は北 端 で 東 西 棟 建 物 SB 4780に 突 き 当 た る が 、 そ の 北 側 で も1個の 柱 穴 を検 出 して お り、 さ らに 北 へ もSA4830と して 延 び て い た と考 え るの が 妥 当 で あ ろ う。南 北 塀SA4320・ 4729と 門
SB4725
前 出SA 4760等 の 東 約10mの
と こ ろ を 並―‑ 13 ‑―
行す る南 北 塀 。 状 況 もそ れ らと ほ とん ど同 じで 、 条 間 路 の 位 置 に 門8B4725が 開 く。 た だ 、SA4729は北 端 でSB4780の 東 妻 と合 し、 北 へ 延 び な い 点 が 異 な る。
46次 調 査 の段 階で は、並行 す る2条の南 北 塀 の うち 、 西 側 の もの を
A期
と し、建 物 群 を建 設 す る に際 し東 方 へ 移 した もの
(B期 )と
考 え たが (概 報16)、 今 回 北 方 の建 物SB4780を 検 出 した こ と に よ って 、 両 者 は 並 存 した と考 え ざ る を 得 な くな った 。 したが って 、2条
の 塀 の 間 は坪 内 の通 路 的性 格 の もの で あ ろ う。なお 、 これ ら
2条
の塀 の うち 、 東 側SA4320はB期
ま で 存 続 した可 能 性 が あ る。SB4780
調 査 区北 端 で検 出 した5間(12.Om)× 2間 (4.lm)の
東 西 棟 建 物 で 、 東 妻 柱 筋 がSA4729と 揃 う。 先 述 の 坪 内 道 路 を 遮 断 す る形 に な る が 、 2 条 の 南 北 塀 と一 連 の もの と考 え ざ る を得 な い 。SB 4789・
4175
と も に SB 4780の 近 く で 検 出 し た も の 。SB 4789は5間 (13.6m)× 2間 (5.3m)の
東 西 棟 建 物 。SB4780の 西5.2mに
あ り 、 南 側 柱 筋 を揃 え る。SB4175は SB 4780の 東4.Omに
あ る5間 (11.6m)× 2間 (3.6m)
の 南 北 棟 建 物 。 その 北 妻 柱 筋 がSB4780・ 4789の 南 側 柱 筋 と揃 う。
坊 の 中 心 線 か ら
8B478004789の
南 側 柱 筋 ま で56.2mで
あ る 。 こ れ を 宮 の 造 営 尺0.294mで
除 す る と191尺 とな り、 丸 い数 値 とは な らな い 。 坪 全 体 の 様 相 が 判 明 しな い と これ ら3棟
の性 格 づ け は難 しい 。SA4731
条 間 路 北 側 溝SD 4139に重 複 す る東 西 塀 。 柱 掘 形 は 溝 埋 土 を 切 っ て い る。47m、 13間 を検 出。 西 は坊 間 路 東 側 溝 よ りや や 東 に始 ま り、 東 は 南 北 塀SA4730を わ ず か 越 え た と ころ ま で あ る の で 、 施 工 の 先 後 は あ るがA期
の 遺 構 とみ る。 柱 間 は不 揃 い 。 南 方 に も同 様 な 東 西 塀SA4284(46次
調 査 で 検 出)が あ り、 坊 の 想 定 中 心 線 か らSA4731ま で が
18.5mで
あ る の に 対 してSA 4284 まで が55.5m、 す な わ ち3倍
の 距 離 とな る。SD4130 47次
調 査 区 の ほ ぼ 中央 、 坊 の想 定 心 か ら北 約 120尺 の 位 置 を 流 れ る 東 西大溝 。45次調 査 区 の 東 端 か ら50次西 区 の 西 壁 ま で 、 長 さ約120mを検 出 したことにな る。東方 で幅4.5m、 深 さ1.5mほどで あ るが 、西 へ ゆ くに したが って 徐 々 に幅 と深 さを増 し、50次西壁 で は幅1lm、 深 さ1.8mを測 る。底 の レベ ル も
0.5m
低 く、 西 流 して い た もの と判 断 で き る。 堆 積 土 は下 か ら茶 褐 色 砂 礫 。青 灰 色 粘
‑ 14 ‑
ZZ勿 平安時代
§墨ミ 奈良時代
E17世 紀
第7図
東西大溝SD4130断面図 (11100)
質 土・ 灰 褐 色 粘 質 土 お よ び淡 褐 色 粘 質 上 に分 け られ 、 各 層 か ら出土 した遺 物 か ら、 京 造 営 当 初 に掘 削 され 、 平 安 時 代 に埋 め 立 て られ た と考 え られ る。 北 岸 は 比 較 的 直線 的 で 当 初 の姿 を と どめ て い るよ うだ が 、 南 岸 に は大 き くえ ぐ られ た 部 分 が あ る。 しが らみ の よ うな 護 岸 施 設 はみ つ か らな か った 。
SD4143 50次
東 区 の 東 端 で 検 出 した 南 北 大 溝 。 西 岸 か ら幅1lm分
を 確 認 した が 、 東 岸 未 検 出の た め 全 体 の 規 模 は不 明 。45次調 査 に お いて は、 北 方 で 幅19 mまで確 認 して い る。岸 か ら下0.6mまで 中世 の遺物 を含 む青 灰 色 粘 上 が 堆 積 し、
そ の 下 に奈 良 時 代 お よ び それ 以 前 の 上 器 片 を含 む 砂 礫 層 が あ り、 底 まで の 深 さ は1,2mであ る。 この 溝 は東 三 坊 大 路 想 定 位 置 に あ た り、 若 干 蛇行 しつ つ ほ ぼ 直 線 的 に北 に流 れ 、 規 模 が 大 き い と こ ろか ら、 藤 原 京 の 東 堀 河 で あ った可 能 性 が あ る。 ま た、 現 在 の 「 中 の 川 」 は これ を踏 襲 した もの で あ ろ う。
c.藤
原 京B期
の遺 構条 坊 関 係 の 遺 構 を廃 して 、 大 規 模 な 建 物 SB 5000を 中 心 に 整 然 と 多 くの 建 物 な どが 配 され る。 東 北・ 東 南 坪 と も東 半 部 に は遺 構 が 認 め られ な い た め 、
B期
の
2条
の 南 北 塀 の うち 東 側 のSA4320・ 4729は 当 期 ま で 存 続 した 可 能 性 もあ ろ う。 東 西 大 溝SD4130や南 北 大 溝SD4143は存 在 す る 。SB5000
坊 間 路・ 条 間 路 の 交 差 点 や や 南 で 検 出 した7間 (20.lm)× 3間 (7.9m)の
身 舎 の南 に土 庇 が つ い た東 西 棟建物 。 庇 の 出 は3.2mで掘形 が小 さい。この 建 物 は坊 間 路SF4300の ち ょ う ど 中 央 に 乗 り、 両 側 溝 を 切 って 建 て られ て い る。 ま た、 身 舎 の 中心 線 が 六 条 三 坊 の想 定 南 北 中心 線 に一 致 す る。 しか も庇 付 きで 規 模 も大 き い と ころ か ら、 本 坊 に お け る一 連 の 建 物 群 の 正 殿 とみ る 。20 尺 隔 て て 東 に並 ん で 建 つ
SB4333(7間
×2間
、 東 西 棟)は
これ と北 側 柱 筋 を―‑ 15 ‑―
揃 え るの で 、 東 脇 殿 と考 え られ る 。 SB 5000に は
3箇
所 で 柱 根 が 遺 存 して い る が 、計 測 す る と柱 間 は2.857mと な り、宮 の造 営 尺0.294mでは完数 尺 とな らな い。SB 4737・
4738 8B4737は
SB 5000の 東 北 、 南 北 大 溝SD 4130の す ぐ 南 側 で 検 出 した8間(21.4m)×
1間(6.Om)の
東西 棟建物 。妻 柱 が 浅 く消 滅 した もの で 、本 来 梁 行 2間で あ った可 能 性 もあ る。 南 側 柱 筋 は8B5000の 身 舎 中 心 線 か ら 約20m北、西 妻 は同 じ く約6mに
位 置す る。 ま た 、8B4333の西 妻 に心 を 揃 え る。SB4738は 、 西 妻 を ほ ぼ 同位 置 と し、 桁 行 を 東
3間
分 縮 少 して 建 て 替 え た も の 。 した が って5間(12.4m)× 2間 (5.7m)で
、 柱 間 もわず か ず つ 狭 い 。SB4800
大 溝 SD 4130の 北 に あ る5間 (17.5m)× 2間 (6.8m)の
東 西 棟 建 物 。 北 1間の 中央 に、 東 2間・ 西 1間だ け間 仕 切 り様 の 柱 が並 ぶ 。 南 方 に あ る東 脇 殿8B4333と 中 軸 線 が 一 致 し (坊 の 心 か ら90尺東)、 そ の 北 側 柱 筋 か ら42.7m(145尺 )の
位 置 に あ る。 柱 穴 か ら飛 鳥 Ⅳ 〜V段
階 の 土 器 が 出土 。SB5035 50次
西 区 西 北 隅 で 南 1間分 を検 出 した 。2間
×2間 (6.lm)以
上の 南 北 棟 建 物 。 南 方 の8B4737の 西 妻 柱 筋 と こ の SB 5035の 西 側 柱 筋 が 揃 う 。
d.奈
良 時 代 の 遺 構掘 立 柱 建 物 6、 井 戸 1などが あ り、 建 物 は方 眼方 位 に対 して 北 で
8度
ほ ど東 に振 れ る。 南 方 の46次調 査 区 で は塀 と溝 に よ る方 形 区 画 内 に建 物 を配 して い た が 、 今 回 は そ の よ うな 施 設 は み つ か って い な い 。SE4740
東 西 大 溝 SD 4130の 南 側 に あ り、 建 築 部 材 を 転 用 し た 横 板 組 み の 枠 を もつ 井 戸 。 掘 形 上 端 は径6mほ
どの 不 整 円形 で 、0.3〜0.4mの
深 さで 段 が つ き径4m、 こ こか ら ロ ー ト状 に せ ば ま り、底 部 で は一 辺1.7m内 外 の 方 形 とな ると掘形 の深 さは3.6m。 内部 に は内 法 一 辺0.9mの
方 形 井 戸 枠 が 良 好 に遺 存 して い た。 井 戸 枠 は、 四 隅 に 角 材 の 隅 柱 を立 て 、 底 か ら0.5〜0.6m上
で 各 辺 に 横 桟 を わ た して 隅 柱 を 固 定 す る。 横 桟 も角 材 で 両 端 を 柄 と し、 隅 柱 に 穿 った柄 穴 に 差 し込 む の で あ る。 そ の 後 隅 柱 の 外 側 に横 板 を あ て 、 板 の 外 側 に上 を詰 め て 固 定 しな が ら順 々 に上 へ 積 み 上 げ て い る。 そ の 際 、 まず 各 横 板 に粘 上 を 円錐 形 に 巻 きつ け、 さ らに外 側 を 砂 で 埋 め る とい う丁 寧 な仕 事 を お こな って い る。 横 板 は平 均 各 辺 に12枚 ほ どで 、 高 さ は3m内
外 。 木 枠 の 上 に さ らに塊 石 を 乗 せ 、 ま―‑ 16 ‑一
た底 部 で は横 板 内外 に人 頭 大 の 石 を あ て て 補 強 して い る。 これ らの 用 材 に は 井 戸 枠 と して は不 必 要 な仕 口穴 な ど が 各 所 に認 め られ 、 建 築 部 材 を転 用 した こ と が わ か る。 枠 内 最 下 層 の 砂 礫 層 か ら無 文 銀 銭 が 出上 した ほか 、 和 同 開I小27枚 や
「 香 山 」 の 墨 書 の あ る土 器10点な ど 、 多 量 の遺 物 が み つ か った 。
― ‖760m
園醒醐 砂・砂礫層(掘形下層埋土)
■■■ 粘土層(枠固定張り付け上)
│ 1砂・砂土層(掘形上層埋土)
第 8図
井戸SE4740平 面・ 断面図 (1:60)
AN
‑17‑
遺 構 番 号 年代 (世紀) 形 状・ 規 模 ・ 出 土 遺 物 等
建
物
SB4736 SB4788 SB4988 SB5030 SB5070
不 明
不 明
不 明 13末〜14 不 明
東西棟 2間 (30m)× 2間
(21m)総
柱 正方形 2間×2間 (20m)東西棟 2間 (22m)× 1間 (14m)
東西棟 3間 (30m)× 2間
(27m)北
庇付瓦器
正方形 2間×2間 (18m)
井
一戸
SE4739 SE4765 SE4782 SE4790 SE4793 SE4980 SE5001 SE5010 SE5022 SE5023 SE5055 SE5060 SE5065 SE5076 SE5095
14 〜 15 9 〜 10
11 13末〜14
11 平 安 か
14
13後 半 12中 頃 12中 頃
14
12後 半
12後 半 不 明 11初 頭
掘形 円形
石組 十曲物
方形
縦板組 十曲物
輪羽口・ るつば・ 鋳型など 楕円形 (曲物片)
方形
石組+曲物
軒丸瓦6276C・ 刀子・ 鎌など 円形
な し
不整 円形
な し
上師器甕片 円形
石組 十曲物
瓦器 隅丸方形
な し
瓦器
円形
曲物
瓦器
円形
曲物
瓦器・ 土師器 円形
石組 十曲物
方形
曲物 不整 円形
な し
不整円形
な し
楕円形
曲物
塀
SA4986 SA5032 SA5071 SA5072 SA5075 SA5088 SA5094
不 明 11後半 か 不 明
不 明 不 明
不 明
不 明
南北塀 3間 (24m)
東西塀 2間
(23m)
瓦器 東西塀 4間 (45m)南北塀 3間 (32m)
東西塀 4間 (37m)
南北塀 4間 (36m)
東西塀 2間 (20m)
土 坑
SK4779 SK4795 SK4796 SK5004
9 〜 10 11
14 ‑ 15
13 末
長方形
底部赤変 卵形
南北溝状
軒丸瓦6231A 楕円形
土師器・ 瓦器
溝
SD4743 SD4744 SD4745 SD4755 SD4791
14後半
13末〜14 東西溝
羽釜・ 土師器・ 瓦器
蛹仏・ 菊水双雀文鏡 。大観通宝など
第 1表
平安時代以降の遺構一覧
‑18‑
SB4786・
4787 47次
調 査 区 北 端 中 央 部 で 南 北 に 並 ぶ2棟
の 建 物 。 南 側 のS B4786は3間
×3間 (4.8m)の
正 方 形 プ ラ ンの 小 規 模 な もの 。 北 のSB4787は 桁行4間(8.4m)以
上 の南 北棟 で 、南妻 柱が 消失 して い るが 、梁 行2間 (4.2m)と考 え られ よ う。 両 者 は東 西 両 側 の 柱 筋 を揃 え、 極 め て 接 近 して い る と こ ろ か ら、 主 屋 と付 属 屋 とみ られ る。 柱 掘 形 か ら飛 鳥
V〜
奈 良 時 代 の上 器 が 出 土 。SB5050
調 査 区西北 隅で検 出 した3間(6.6m)× 3間
(5。lm)の
総 柱 建 物 。 柱 根 が2本遺 存 して お り、 径30cmと 太 い。 倉 庫 で あ ろ う。 柱 掘 形 か ら奈 良 時 代 前 半 (製塩 土 器 が 多 い)、 抜 取 穴 か ら平 安 時 代 初 頭 の 上 器 が 出 上 した 。SB4727・ 4728・
4987 46次
調 査 で 検 出 し たSB 4566を含 め 、 条 間 路 南 側 溝 付 近 で 、4棟
が 北 妻 柱 筋 を揃 え て 東 西 に並 ぶ 。 いず れ も3間
×2間
の 小 規 模 な南 北 棟 で 、SB4566を 除 く
3棟
は柱 間 も同一 で 規 格 性 が 強 い 。e.平
安 時 代 以 降 の 遺 構掘 立 柱 建 物 5。 塀 8、 井 戸15、 土 坑4、 溝 5などが あ る ほか 、 ま とめ き れ な い小 穴 が あ り、 今 後 の検 討 に よ って 増 加 す る可 能 性 もあ る。 主 な もの を第
1表
に ま とめ て お く。
B.遺
物東 西 大 溝 SD4130、 井 戸 SE 4740を 中 心 に 、 多 量 の 遺 物 が 出 土 し た 。 そ の 内 容 は木 簡 、 土 器・ 陶 器 類 、 瓦 簿 類 、 木 製 品 、金 属 製 品 、 銭 貨 な どで 、 年 代 は 縄 文 時 代 (押型 文 土 器 片
1)か
ら室 町 時 代 に及 ぶ が 、 藤 原 京 の 時 期 の もの は 相 対 的 に少 な く、 む しろ奈 良 時 代 か ら平 安 時 代 に か けて の遺 物 が質 量 と もに豊 富 で あ る。 ま た 、 土 器 類 の 中 で は特 に 墨 書 土 器 が 注 目 され る。 な お 、 縄 文・ 弥 生 時 代 の遺 物 に伴 う顕 者 な遺 構 は検 出 して い な い 。a.木
簡溝SD 4130か ら26点 、 井 戸SE 4740か ら
1点
(⑦)が
出 上 し た 。 溝SD 4130 の 層 位 と して は奈 良 時代 に属 す る。 文 書 、 貢 進 物 荷 札 、 斎 串 の ほか は小 片 で ある。 以 下 に主 要 な もの の 釈 文 を掲 げ る (※印 は、 写 真12に 掲 載 分)。
①
収霊亀三年稲
養匡
一‑ 19 ‑―
※ (118)× (20)×
4 mm
②
③
④
□ 斤 得 三 束 □ 二 束
〔遣 ヵ〕
百 廿 七 束 一 □
〔把ヵ〕
左 京 職
⑤・ 菜採司謹 白奴□嶋逃□
〔行ヵ〕
・ 別 申 病 女 □ □ 如 □
〔以前 ヵ〕
⑥・ 近 江 国蒲[
・ 宿 □
戸[
第 9図
東西大溝SD4130出 土硯・ 土馬
(1:4)
(302)× 18×
4mm
(削 屑)(58)×
(23)mm
※ (斎 串)163× 23×
6mm
203× 29×
3.5mm
半 か ら奈 良 時 代 に か けて の 土 器 は、量 も多 く良好 な資料 で あ る。
これ らは現在整理 作 業 中で あ り、
こ こ で は 、 東 西 大 溝SD 4130、
井 戸 SE 4740出 上 の 土 器・ 土 製 品 に つ い て そ の概 要 を 紹 介 す る
に と ど め た い 。
東 西 大 溝
SD4130か
ら は 、 7 世 紀 後 半 か ら平 安 時 代 に い た る 遺物 が出土 した。溝 の下層 に は 、⑦
□ 不 殺
b.墨
書 土 器(符 禦
)未
方 女 者(95)×
22X4mm
(呪符
)150×
15×5mm
溝SD4130か ら61点 、 井 戸SE4740か ら31点な ど 、 墨 痕 の み の も の を 含 め 計 94点 出上 した 。大 半 は奈 良 時 代 の もの で 、 文 字 と記 号 の うち判 続 で き た もの を 第
2表
に示 す (写 真9)。 ほか に 、 焼 成 前 に ヘ ラ書 き した 「 馬 」 (須 恵 器 壷 底 部 外 面)1点
が あ る。SE4740で は、 下 層 に文 字 、 上 層 に は記 号 が 多 い。 ま た、建 物SB5020の 住 抜 取 穴 か ら1点が 出上 した。
c.土
器・ 土 製 品縄 文 時 代 か ら中世 に わ た る各 種 の 土 器・ 土 製 品 が 出土 した。 中 で も
7世
紀 後―‑ 20 ‑―
墨 書 器 種 部 位 S D4130 S E 4740
47′k 50Vk 下層 上 層 枠 外 計
「香山」
「 口山」
「香 口」
「香」
「多母 口」
「荒田大年」
「大」
「福」
「飛」
「佐」
「コ也」
「米」
「安」
「宅」
「 ア」
「P」
「年」
「――」
その他
須恵杯
B
底部外面 上師椀C
〃〃 皿
A
〃″
蓋 つまみ上面
〃 杯
A
底部外面〃 椀
C
″″ ]1 ″
〃 椀
A
〃〃 Imヵ
〃
″
蓋 つまみ上面 須恵杯
B
底部外面〃 E宣 〃 土師 椀
〃
〃 皿
A
〃〃
蓋
頂部外面
″ 椀
C
底部外面〃 杯
〃
〃 杯
C
〃〃 椀
A
〃〃 皿
A
〃〃 杯
A
〃〃 椀
C
口縁外面〃 皿
A
底部外面〃
″
口縁外面
〃 椀
C
〃〃
〃
底部外面 須恵杯
B
〃土師椀
C
〃1
1
ユ
1
1
1 1
8
1
1
1 1
1 3
1 1
3 ユ
1
3
}
}
}
│
計 5
第2表
出土墨書土器一覧
飛 鳥 Ⅳ・
V段
階 の上 師 器・ 須 恵 器 が 含 ま れ て い る。 この 層 か ら出 土 した 土 馬 (第9図 )は
、 全 面 を丁 寧 に削 っ た後 、 ヘ ラ描 き に よ って 、手 綱 や 面 繋 な ど を 表 した牡 馬 で あ る。 中層 か らは平 城 宮 Ⅱ〜 Ⅳ 段 階 を 中 心 に した奈 良 時 代 の 上 器 が 多量 に 出土 した。 特 殊 な遺 物 と して は、 前 述 した 多 数 の 墨 書 土 器 の他 に 、 陶 硯・ 緑 釉 獣 脚 硯・ 黒 色 土 器 風 字 硯 、 土 馬 、 製 塩 土 器 、ミニ チ ュ ア土 器 、 輔 羽 口 な どが あ る。 緑 釉 獣 脚 硯 (第
9図 )は
、 直 径18cmの硯 部 に 、単 弁 蓮 華 文 で 端 部 を飾 る型 づ く りの獣 脚 を取 り付 け た もの 。 獣 脚 の数 は11に復 原 で き る。 側 縁 に―‑ 21 ‑―
は変 形 忍 冬 唐 草 文 を 陰 刻 し、 釉 は硯 面 を含 め 全面 に施 して い る。 形 態 。文 様 な どの 特 徴 か ら、
7世
紀 後 半 に製 作 され た もの と考 え られ る。 ま た溝 上 層 に は 、9世
紀 か ら10世 紀 に か けて の上 器 が 含 ま れ て い た。井 戸 S E 4740の 井 戸 枠 内 か らは 、
7世
紀 末 か ら平 安 時 代 に か けて の 土 器 が 出 上 した。最下 層 か らは、飛 鳥 Ⅳか ら平 城 宮 Ⅲ段 階 に か け て の上 器 (第10図‑1・
2)が
出上 し、 下 層 か らは土 師 器 杯・ 椀・ 皿・ 甕 、 須 恵 器 杯 。皿 。壺 な ど 平 城 宮 Ⅲ段 階 の 特 徴 を もつ 土 器(3〜 18)が
多 く発 見 され た 。 「 香 山」 な ど の 墨 書 土 器 もこの下 層 か らの 出土 で あ る。 中層 か らは、 平 城 宮 Ⅳ 段 階 の上 師器 杯・ 椀 。 皿 、 須 恵 器 杯 な ど (19〜30)が
ま と ま って 出土 して い る。 さ らに上 層 か ら は 、 土 師器 杯・ 椀・ 皿・ 甕 、須 恵器 壷・ 甕 、黒 色 土 器 椀 な どの 上 器 (31〜36)が
出土 した 。 これ らの上 器 は、9世
紀末 か ら10世紀 初 め に か けて の 良 好 な 資料 で あ る。この ほ か 縄 文 土 器 、 弥 生 土 器 、 古 墳 時 代 の 土 師器・ 須 恵 器 は、 包 含 層 や 自然 流 路 な どか ら出土 し、
7世
紀 代 か ら奈 良 時 代 に か けて の 土 器 は、 溝・ 建 物 柱 穴 等 、調 査 区各 所 か ら出土 して い る。 なお 、平 安 時 代 後 期 か ら中世 まで の上 器 は 、 井 戸・ 土 坑 等 か ら土 師 器・ 瓦 器 。陶 磁 器 な どが 豊 富 に発 見 され て お り、 今 後 、 12世紀 か ら14世 紀 に か けて の 上 器 の様 相 を窺 う好 資 料 とな ろ う。d.瓦
導類第47・ 50次 調 査 を合 わせ 、軒 丸 瓦 11種 77点 、 軒 平 瓦 10種 60点 、 鬼 瓦
4個
体 分 、 鳥 会1点、憂 斗 瓦3点、面 戸 瓦12点、雁振 瓦3箱
(整理 箱)の
ほ か 、 多量 の 丸・平 瓦 が 出土 した。 ほ か に特 殊 な もの と して 簿 仏 が あ る。
軒 瓦
出上 の 内 訳 は第
3表
の とお りで 、 前 2回の調 査 と同 じ様 相 を示 す 。 す な わ ち、 軒 丸 瓦 で は 山 田寺 系 の 単 弁 八 弁 蓮 幸 文 が 13点 、 軒 平 瓦 で は5葉
の パ ル メ ッ ト文 を 連 続 押 捺 した もの 17点 が ぬ きん で て 多 い の で あ る。 前 者 は検 討 の 結 果 、 外 縁 の 重 圏 文 や 内 区文 様 の 割 り付 け に違 いが み られ 、A(1)と B(2)
の 2つの範 が 存 在 した こ とが判 明 した。A・
B型
式 と も摂 津 四 天 王 寺 や 桜 井 市 の吉 備池 瓦窯 出土 例 と同範 で あ り、泉南 市海 会 寺 跡 で はB型
式 が 出上 して い る。後 者 は法 隆 寺 若 草 伽 藍 出土 品 と同 一 の 施 文 具 を上 下 交 互 で は な く全 て 下 向 き に 押 しつ け た もの で 、 か つ 若 草 伽 藍 出土 例 に は な い範 傷 が 認 め られ 、 後 出す る も
―‑ 22 ‑―
第10図
井戸SE4740出 土土器
(1:4)
(ウ :ζ :昇T見
た 免
T墳き 「ξ 墓 〆猛 平 皇 雹 屋 集
11を習 亀 圭 偏 器
―‑ 23 ‑―
の (3・
4)で
あ る。 ま た、 施 文 後 に二 重 弧 文 を重 ね た もの(5)も
あ る。 こ の点 も吉備 池 瓦 窯 や藤原京 右京 七条 一坊 出土例 と共 通 す る。 そ の ほ か で は、 中世 瓦 が約半数 を 占め (6・ 7)、 藤 原 宮 式 は 軒 丸 瓦13点、 軒 平 瓦4点
にす ぎ な い 。 導 仏中 央 に如 来 衛 座 像 を あ らわ し、 左 右 に両 脇 侍 像 を配 す る方 形 三 尊 蕗 仏 の破 片が4個体 分 、
5点
あ る (写真10)。 いず れ も表 面 に漆 膜 が わ ず か に残 り、漆 箔 が 施 され て い た もの と思 わ れ る。 ま た 四 隅近 くに 円 孔 を 穿 ち、 壁 な ど に 貼 りつ け た もの で 、 うち 1点に は銅 釘 が 残 る。 類 例 は奈 良 県 定 林 寺 や 二 重 県 夏 見 廃 寺 な ど に あ るが 、 そ の 中 で も図 像 が ひ と き わ鮮 明 で あ る点 、 注 目 され る。
e.木
製 品大 部 分 は 溝SD 4130、 井 戸SE4740・ 4790の
3遺
構 か ら 出 上 し た も の で 、 ほ か に は井 戸 枠 と して の 曲物 が 多 数 あ る。SD4130か らは人 形 1、 斎 串22、 刀 子 形 1、 馬 形 1、 木 針 1、 櫛 2、 琴 柱 1 の ほか 、 多 数 の 曲物 底 板・ 側 板 な ど の木 製 品 が 出土 した 。 若 千 の 種 子 (モ モ・
︱︲
剛 聞
︱︱︱︱ 附
Ⅲ 酬 IⅢ 凹 一
∠途▼
856
1:3,
︲
︲
︲ ノ ヽ
// ヽ
第■図
出土木製品 (1〜5 i SD4130出 土 ハ︺
巨 回 回 回
回 ②
―‑ 24 ‑―
6〜 8 i SE4740出 L l :
く即 軍考
第12図
軒瓦拓本
(1:4)
丸
軒 瓦 却 47次i50次 計 軒 丸 瓦 47次150次 1 計
︲B 利
Ⅱ 鞍 式
鞍 文 文 簿 鵜 購 連 華 藤 弁 八 複
︲ ユ
︲ サ 複
蓮 斬
〃
〃
〃 系 朗 4A︲
6C lA l
系 弁 糸 寺 3 カ
略 隆 2 7 2 7 7 3 寺 3
山 法 6 6 6 6 6 紀 複 巴
1 2 1 4 4 1 12 3 1 5 1 1 2 1 1 1 1 35
4 3 6 1 1 2 4 1 1 5 1 1 47
文 文 文 弧 重 弧 弧 三
弧 十 重 重 パ ル メ ッ ト押 捺 文
藤原宮式 (大官大寺式) 整 唐 草 文 連
珠
文 (法輪寺 同施)
冬 唐 草 文
66︲﹈世 中呻 韓晦
三 四 重 6 6 6 中 中 忍 変
︲7
4 4 2 2 1 1 22
5 1 1 l
μ ヅ
■ 1 3 3 2 2 1 17
3 1 1
言十 52 1 25 言十
第 3表
出土軒瓦一覧
―‑ 25 ‑―
ウ リ
)も
含 ま れ て い る。SE4740か らは 斎 串 7、 櫛 片 、 刀 子2な
ど が 、 ま た 中 世 井 戸SE4790か らは荷 札 状 木 製 品 1、 刀 子 1、 鎌 1、 漆 器 椀 片3が
出上 した。f.金
属 製 品・ 銭 貨 。その 他井 戸SE4740か ら鎌 刃 1、 環 状 鉄 製 品 4、 鉄 釘11、 小 環 付 金 銅 製 細 棒 1、 無 文 銀 銭 1、 和 同 開弥 27が 出上 した 。 無 文 銀 銭 (写 真
11‑5)は
、 和 同 開 弥4な
ど と共 に枠 内 最 下 層 の灰 褐 色 砂 礫 土 か ら出上 した もの で 、 伴 出遺 物 は奈 良 時 代 の もの で あ る。 無 文 銀 銭 は滋 賀 県 崇 福 寺 、 大 阪 府 船 橋 遺 跡 、 奈 良 県 川 原 寺・ 板 蓋宮 伝 承 地・ 石 神 遺 跡 、 二 重 県 北 野 古 墳 な どか ら出上 して い る。
溝SD4130か ら鉄 釘 9、 和 同 開 弥
1が
、 中 世 環 濠SD 4755か ら鉄 釘40、 菊 水 双 雀 文鏡 1、 大 観 通 宝 1、 包 含 層 か ら帯 金 具 1が出上 して い る。 菊 水 双 雀 文 鏡 は径8.3cm、 縁 の 厚 さ0.8cm(写
真14)。 平 安 時 代 の 井 戸SE4765か ら は 輔 羽 日、 るつ ば 、 鋳 型 片 (香炉 か)、 鉄 滓 が 出 上 した 他 、 砥 石6が
あ る。C.ま
とめ「 概 報16」 で は、 第45・ 46次調 査 の 成 果 を 次 の3つ の 事 項 に ま とめ て い る。
①
京 域 に 宅 地 や 寺 院 以 外 の 利 用 形 態 が あ った こ と
②
藤 原 京 の 遺 構 に
2時
期 の 変 遷 が確 認 で きた こ と③
古 墳 時 代 か ら鎌 倉 時 代 に か け て の この 地 域 の 土 地 利 用 の 変 遷 が か な り具 体 的 に 把 握 で きた こ と
以上 の3点につ いて は、今 回 の第47・ 50次 調 査 に よ って も追 認 す る こ と と な っ た が 、 調 査 面 積 が拡 大 し資 料 が 増 え た結 果 、 見解 の 細 部 に つ いて は変 更 お よ び 補 足 を要 す る部 分 も生 じて き た 。 特 に、 ① o②に か か わ る と ころで 、 藤 原 京 に お け る土 地 利 用 に
4町
占地 とい う新 事 実 を加 え た点 (こ れ に つ いて は、 同 時 期 に実 施 した 右 京 七 条 一 坊 西 南 坪 の 調 査 で 判 明 した1町 占地 の 宅 地 遺 構 と比 較 す る と益 々興 味 深 い)と
、 ③ の うち奈 良 時 代 の 遺 構 の 性 格 が 明確 に な って き た 点 が 注 目 され る。 こ こで は そ れ ら2点
につ いて 考 え て み た い 。a.藤
原 京B期
の遺 構 とそ の 性 格京 造 営 当 初
(A期 )に
設 定 した 坊 間・ 条 間 路 の 側 溝 を埋 め た て 、 大 規 模 な 掘 一‑ 26 ‑―立 柱 建 物 群 が 建 設 され て い る。 建 物 配 置
;尋 振 じ Fそ 極 塁 島 林 み 哲 ζ ζ ]志 み
:°三 千 二
i
点 と一 致 し、 近 辺 お よ び周 辺 で も主 要 な 建 物 は この
C点
あ るい はSB5000の住 筋 か ら10尺 単 位 で 完 数 とな る距 離 に位 置 す る こ とが見 とれ るか らで あ る。 例 え ば 、前 殿SB4340(「
概 報16」 で は奈 良 時 代 と考 え た が 、 正 殿 の 検 出 に よ り変 更)は SB50
00と 中軸 線 を共 通 に し、 そ の 北 側 柱 筋 ま で
C点
か ら29.4m(100尺
、1尺 =0.294 m)を
測 る。 そ れ らの 関 係 を第 13図 に示した。 この 図 か ら想 定 され るの は 、 まず この 六 条 三 坊
(4町
分)を
一 体 と して 占 地 して い る こ と、 次 いで 配 置 の 基 本 に90│
第13図
藤原京B期遺構配置模式図 (単位尺)
尺 の方 眼 割 りが あ る ら しい点 だ 。90尺は坊 の
5等
分 に あ た る。 そ して 周 辺 の 建 物 は正 殿 付 近 の 建 物 や 主 要 な建 物 の 柱 筋 な ど を基 準 に配 され て い る。この よ うな配 置 を と る遺 構 群 の 性 格 につ いて は、 「 概 報16」 で も指 摘 した よ うに、 一 般 の 宅 地 や 寺 院 の 利 用 形 態 とは異 な り、 む しろ官 衛 的 な色 彩 が 強 い と 考 え る。 そ の 第 一 点 は、 正 殿 。前 殿 を 中心 に そ の 周 りに脇 殿 等 の 建 物 を コ の 字 形 に配 し、 コの 字 の 内側 に丼 戸 を伴 う と こ ろ に宮 内 官 衝 との 共 通 性 が 認 め られ る こ と。 第 二 に、 官 衡 と邸 宅 遺 構 とを 区別 す る い くつ か の要 素 が あ るが 、 この うち正 殿 の 後 方 に後 殿 を 欠 く点 、 脇 殿 の 桁 行 規 模 が 正 殿 よ り小 さ くか つ 庇 付 き で な い点 (た だ し、 この 場 合 は 東 西 棟 で 通 常 とは 異 な る)、 そ の 外 側 に あ っ て
コの字 型 を形 成 す る
2棟
の 南 北 棟 建 物 が 正殿 の斜 め前 方 に あ る点 な ど、 官 衝 的 な特 徴 を よ く示 して い る。 ま た 、 前 殿SB4340に は周 りを 囲 う塀 の よ うな 施 設 が あ り、 東 に脇 殿SB4332を伴 うが 、 乙の よ うな あ り方 は儀 式 を行 う空 間 の よ う で あ る。 さ らに、 東 西 大 溝SD4130を 隔 て て 北 に あ るSB4800は 、 身 舎 の 北 半 に―‑ 27 ‑―
間仕切 りの あ る特異 な建物 で 、倉 か 、 あ るい は馬 房 と も考 え られ る。
持 統
5(691)年
の新 益 京 の 地 鎮 祭 後 に 出 さ れ た 詔 に よ れ ば 「 右 大 臣 に 賜 う 宅 地 四 町 」 で 、 以 下 1町〜4分
の 1町が 班 給 の単 位 で あ った。4町
規 模 で 右 大 臣 の 宅 地 に 匹 敵 す る京 内 官 行 と して は 、 溝SD4130出上 の 斎 串 に 記 して あ っ た「 左 京 職 」 が そ の 一 つ の 候 補 と して 浮 か ん で くる。 た だ し、 この 斎 串 は奈 良 時 代 の堆積層 に含 まれて いた もので 、藤原京 の官 衛 と直 接 結 び つ く もの で は な い 。 な お 一 層 の 検 討 が の ぞ ま れ よ う。
b。 奈 良 時 代 の遺 構 。遺 物 と香 山 正 倉
乙の 付 近 に 、 天 平 2年の 「 大 倭 国 正 税 帳 」 (正 倉 院 文 書
)に
み え る奈 良 時 代 の 「 香 山 正 倉 」 の存 在 が 考 え られ る。 そ の根 拠 と して 、 まず 「 香 山」 の 墨 書 土 器 が あ げ られ よ う。 「 香 」 あ る い は 「 山 」 を 含 め る と 、SD4130 e sE4740か ら総 数 20点 が 出上 して い る。 次 に 、 木 簡 の 内 容 に稲 あ る い は そ の収 納 に 関 す る もの が あ る こ と。 先 に掲 げ た釈 文 以 外 に も、 「 六 斗 」、「 斗 四升 」 な どが あ る。ほか に「 菜 採 司 」 と記 した木 簡 や 頁 進 物 荷 札 が あ る こ とか らみ て 、 近 くに 官 衛 の あ った可 能 性 が 強 い。 当時 この 様 に稲 を収 納 す る こ とを行 な って い た官 司 と
して まず 考 え られ るの は国 々の 正 倉 で あ ろ う。 これ らの 正 倉 は国 々 の 郡 ご と に 設 け られ 、 正 税 等 を収 納 して い た。 墨 書 土 器 と木 簡 は奈 良 時 代 の もの で あ り、
正 税 帳 の 年 代 と矛 盾 しな い 。
しか し、 遺 構 の 面 か らは さ ほ ど強 力 な根 拠 を提 示 で き な い。 第46次調 査 で 検 出 した建 物SB4350 0 4351を中 心 と した 方 形 区 画 以 外 、 遺 構 は 分 散 して い る の で あ る。 た だ 、 調 査 区 西 北 隅 の 倉 庫8B5050の 存 在 か らす れ ば 、 正 倉 の 本 体 が 調 査 区 の 西 北 方 に展 開 して い た可 能 性 もあ ろ う。 ま た 、 調 査 地 東 端 で 検 出 した 南 北 大 溝SD4143が 藤 原 京 の 堀 河 で あ っ た とす る と 、 これ に 結 ぶ 東 西 大 溝
SD
4130は 物 資 の 搬 入 に都 合 よ く (両溝 は奈 良 時 代 に も機 能 して い る)、 これ を 利 用 し正 倉 一 郭 の 内部 に取 り込 ん だ と はみ られ な い だ ろ うか 。 香 久 山 の おゝも と に な ぜ この よ うな 正 倉 が あ るの か 、 場 所 か らみ て や は り藤 原 京 の 時 代 の 何 等 か の 施 設 との 関 連 は無 視 で きな い。 そ の 具 体 的 な解 明 に は、 さ らに 、 今 後 一 層 の 調 査 と研 究 の 進 展 が必 要 で あ る。
―‑ 28 ‑―
蜂 烈 G 霞 宝 ぼ 堅 港 撃
姻 G 望 鯉 コ
﹄
。Eコ 通
恥 朧
鱚
Z
鰹 錮 G 宝 営 ば 無
第14図
左京六条三坊主要遺構変遷図
―‑ 29 ‑―