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神田孝平著『日本大古石器考』補遺

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神田孝平著『日本大古石器考』補遺

著者 角田 芳昭

雑誌名 阡陵 : 関西大学考古学等資料室彙報

巻 9

ページ 9‑11

発行年 1984‑05‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/00024361

(2)

神田孝乎著『 8 本大古石器考』補遺 田 芳 昭

神 田 孝 平 (1830 1898)に よ っ て 、 わ が 国 辰 初 の 英 文 に よ る 考 古 学 図 譜 fNotes on  Ancient  Stone Implements of Japan」が 発 行 さ れ た の が 明 治17年 (1884)で あ る 。 そ し て そ の2年 後 に「日 本 大 古 石 器 考」と し て 邦 文 の も の が 叢 害 閣 よ り 発 行 さ れ た 。 こ の た び ( 昭 和58年10月)『復刻E3本 考 占学文献集成く

6 >

」(監修・解説斉藤忠)として第 一 書 房 よ り 刊 行 さ れ た の で 、 若 干 の 解 説 と そ の 後 の 研 究 に よ り 判 明 し た こ と も あ る の で こ こ に 記 し てみたい。

肝 陵 第2号 ( 昭 和55年11月 ) に お い て 若 干 ふ れ た が 、 そ の 後 第 一 書 房 よ り 復 刻 さ れ 、 斉 藤 忠 氏 の 詳 細 な 解 説 が あ る の で 、 こ こ で は 資 料 そ の も の に

ついて考えてみたい。

淡 崖 神 田 孝 平 は 明 治31年 (1898) 7月 没 し 、 東 京 谷 中 天 王 寺 の 墓 地 へ 葬 む ら れ た 。 神 田 氏が 生 前 に 蒐 集 さ れ た 書 画 骨 董 類 の う ち 、 最 大 の 「 石 器 資 料 」 に つ い て は 、 一 時 古 美 術 商 の 手 に 移 り 、 そ の 後 当 時 の 毎 日 新 聞 社 長 本 山 彦 ー 氏 が 引 き と ら れ 購 入された(末永雅雄先生談)。恐らくこの話が決っ

た 襄 に は 伊 東 巳 代 治 氏 ( 明 治 の 官 僚 政 治 家 ) な ど が 関 係 さ れ た も の と 思 わ れ る 。 伊 東 氏 は 神 田 孝 平 が 兵 庫 県 令 の 折 、 県 の 役 人 と し て 採 用 し 、 重 要 し た 人 で あ り 、 神 田 が 元 老 院 議 官 と し て 転 ず る に 及 び 、 彼 も 神 田 の 後 を 追 い 兵 庫 県 を 退 職 し 、 東 京 へ 出 た 。 そ し て 伊 藤 博 文 へ 紹 介 さ れ 、 そ の 後 伊 藤 の 知遇を得、彼の懐刀として明治政府の発展につく

した人物である。終生伊東巳代治は遺族の面倒な ども良くみており、また生前には神田氏と伊東氏 との交際書簡が多数残されている。

こ の 写 真 の 書 簡 も 伊 東 巳 代 治 宛 の も の の 一 部 で、『日本大古石器考』を刊行したので謹呈すると 文 面 に 書 か れ て お り 、 恐 ら く 真 先 に 彼 に 贈 呈 し た の で は あ る ま い か 。 と す る と 明 治19年 4月25日に 邦文のものが発行されているので、 19年 5月頃の 書簡とみて間違いはあるまい。

この 「日本大古石器考」の 資 料 を 本 山 彦 ー 氏 が 購 入 さ れ 、 本 山 コ レ ク シ ョ ン と し て 本 山 邸 内 富 民 協 会 農 業 博 物 館 へ 展 示 さ れ て い た 。 本 山 氏 の 没 後 ご 遺 族 の ご 厚 意 に よ り 、 末 永 雅 雄 先 生 ( 本 学 名 誉 教 授 ) を 通 じ て 、 本 学 が こ れ を 購 入 し 所 蔵 し て い るのである。第1図 版 よ り 第24図 版 ま で に 約17種 類269点 の 石 器 を 示 し 、 諸 々 の 名 称 で 紹 介 し て い

る 。 ① 鏃 石 、 ② 天 狗 匙 、 ③ 石 鉾 、 ④ 分 銅 石 、 ⑤ 雷 斧、⑥石鋸、⑦雷槌、⑧石剣・石刀・・・曇・・などであ る。

資 料 に つ い て は 大 部 分 が 出 所 不 明 で あ り 、 伝 世 品 が 多 い 。 し か し 各 種 の 石 器 が 存 し 、 研 究 上 貴 重 な 資 料 で あ る 。 曲 ( 勾 ) 玉 資 料 に つ い て は 真 偽 の 判 別 が 困 難 な も の が あ り 、 玉 石 混 滑 で あ る 。 こ の 資料のみは今後の研究が必要とされる。

石 器 資 料 に お い て 石 質 の 鑑 定 を 専 門 家 に 依 頼 し 、 そ の 結 果 の 学 名 を 記 し て い る こ と は 当 時 と し て は 偉 大 な 業 績 で あ る 。 こ の 石 質 調 査 を 現 在 ま で 継 続 さ れ て い た な ら ば 、 今 日 の 石 器 研 究 も 一 段 と 進 歩 し て い た の で は な い か と 推 測 す る 。 当 時 の 調 査 は 「 理 学 士 和 田 氏 ノ 竪 定 二 依 ル 」 と あ り 、 和 田 氏 と は 和 田 網 四 郎(18561920)のことであろう。

(斉藤忠氏解説による)明治18年 東 京 大 学 教 授 と な っ た 人 で 「日本鉱物誌」の著書がある。

本 学 に お い て も こ の 資 料 中 よ り 、 昨 年 工 学 部 の 鈴 鹿 恒 茂 先 生 に お 願 い し 石 質 調 査 を 行 な い 、 そ の 結 果 を 報 告 害 に し て ま と め た 。 そ れ を 対 比 し て み る と 、 当 時 の 鑑 定 と 今 日 の そ れ で は 少し差 違 が 認 められる。大占石器考より19例 の 調 直 が 行 な わ れ ており、 4例 は 当 時 の 学 名 と 同 様 の 結 果 が 出 て い る。その他についても若干の相違が認められる。

次ページに調査された結果の一部を転写する。〔石 質 調 査 最 後 の ( ) 内 の も の が 和 田 氏 鑑 定 に よ る もの〕。今後は顕微鏡組織観察、比重測定、 X線 解 析 試 験 な ど を 行 な い 、 石 製 品 の 石 質 の 解 明 を し て いきたい。

過般出般仕候石器考一部致進

呈候御笑覧被下らば大幸二御座候其他一一品暑中御見舞之瞼まて呈御叱留是祈孝平拝伊東先生

神田孝平自筆書簡

‑9‑

(3)

「 ―

『 日 本 大 古 石 器 考 』 石 器 石質 調 査

磨 製 石 斧 出 土地 不 詳

上 下 8.5cm  左右 4.2cm 

岩 石 名 : 蛇 灰 岩

苦 土 檄 攪石より変質した蛇紋石 を多立に含 有する大 理石 ( 石 灰 岩 ) で 、 小刀で 傷 つ く ほ ど の 軟質岩である。

磁 性 なし

ホルンス•-

神 田 孝平 著 「日本大 古石 器 考」第4版 第7図 収 載 (角 石〕

岩 石 名 : 緑 泥 片 岩

磨 製 石 斧 岩石は暗緑・濃 暗 緑 色 の 縞 模 様 を な し 、 片 理 構 造 を も つ 結 晶 片岩である。

緑 泥石を主成分とし、 他に 緑簾 石齊 長 石 な ど を 含 み、 輝 緑 出 土 地 不 詳 岩輝 緑 凝灰岩 などに由 来 した 変成岩 で あ る 。 本 岩 は や や 蛇 紋

上 下 左 右

6.7cm  3.&m 

磨 製 石 斧

出 土 地 不 詳

上 下 左 右

9.8cm  3.1cm 

岩化されている。

磁 性 な し

ホルン ス トー ン

神 田孝平著 「日本大 古石 器考 』 第4版 第5図 収 載 〔角 石〕

岩 石 名 : 緑 泥 片 岩

岩 石 は 溢 緑 色 で 片 理 の 発 達した結晶片岩である

主 成分 は 緑 泥石 で、 ほ か に 緑 簾 石曹長 石 な ど を 含 み、輝 緑 岩 などのような塩 基 性 火 成 岩ま た は そ の 凝 灰 岩 よ り 誘 導 さ れ た 変 成岩である。

本岩はかなり蛇紋岩化作用を受けており、蛇 紋 石 や 陽 起 石 な ども生じているものと思われる。

磁 性 な し

~.. ンストーン

神 田 孝 平 著 『日本大 古石 器考」第4版 第2図収載(角石〕

岩 石 名 :蛇 紋 岩

撒 攪 岩より変質したものと思われる。変成岩である。ほとん ど撤 攪石 よ り な り 、 緯 石 を 少 旦 含 む が 、 蛇 紋 岩 化 に さ い し 、 こ れ ら の 鉱 物 は 形 も 質 も 共 に 変 っ て 、 蛇 紋 石・緑泥石などとなっ 新 潟 県 出 土 ている。

上 下 左 右

20.0cm  10.2n

磁 性 な し

且 置 非 常 に 大 で 重 い

神 田 孝 平 著 日本大古石器考」第13版 第4図収載〔緑石〕

‑10‑

(4)

... 

l l l l l  

~

狙i 鋭 ; 石5

出 土 地 不 詳

上 下 4.4cm  左 右 15.3cm 

独 鈷 石

出 土 地 不 詳

上 下 6.5cm  左 右 22.0cm 

独 鈷 石

岩 石 名 : 輝 緑 岩

斜長石および緑泥石(輝石より変質したもの)

の 斑 晶 が 多 く 認 め ら れ 、 岩 石 は や や 蛇 紋 岩 化 さ れ ている。(半深成岩)

神田孝平著「日本大古石器考」第11版 6図収載〔緑 石〕

岩 石 名 : 蛇 紋 岩

斑 栃 岩 か 檄 攪 岩 よ り 変 質 ・ 誘 導 さ れ た 岩 石 で あ る。

磁性はない。〔変成岩〕

神 田 孝 平 著 日 本 大 古 石 器 考 』 第11版 第1図 収 載

緑泥岩〕

岩 石 名 : 蛇 紋 岩

撤攪岩より変質・誘導されたものと思われる。

新 潟 県 出 土 磁性はない。〔変成岩〕

上 下 8. 7cm  左 右 16.0cm 

独 鈷 石

出 上 地 不 詳

神133孝 平 著日本大古 石 器 考」第13版3屎収載〔蛇 紋岩)

岩 石 名 : 玄 武 岩

斜 長 石 ・ 輝 石 を 主 成 分 と す る 緻 密 な 黒 色 の 塩 基 性火山岩である。

輝 石 の 大 き な 斑 晶 が 石 基 中 に 顕 著 に 認 め ら れ る。

上下 8.5cm  神EEi孝平著 「日本大古石器考」第11版8図 収 載 〔花 左 右 14.7cm  岡岩〕

せいりゆうとうがたせつ書

宵 龍 刀 形 石 器

出 土 地 不 詳

岩 石 名 : 緑 泥 片 岩

本 岩 石 は 帯 緑 黄 褐 色 を 呈 す る 。 主 成 分 鉱 物 は 斜 長 石 ・ 輝 石 で 輝 緑 岩 ( 半 深 成 岩 ) の よ う に 思 え る が 、 や や 絹 糸 光 沢 を 有 し 、 や や 片 理 の 発 達 も 認 め ら れ る の で 、 緑 泥 片 岩 ( 変 成 岩 ) と み な す 。 斜 長 石 は ソ オ シ ュ ル石化 し て 曹 長 石 や 緑 簾石な ど に 変 質 し 、 輝 石 は 緑 泥 石 や 賜 起 石 な ど に 変 っ て い る も のもある。

上 下 9.9cm  磁 性 な し 、 比 重 大 。

左 右 35.0cm  神 田 孝 平 著』日 本 大 古 石 器 考 」 第10版 第2図 収 載

〔緑泥岩〕

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