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大覚寺 ・大沢池(旧嵯峨院)の調査

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Academic year: 2021

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大覚寺 ・大沢池(旧嵯峨院)の調査 ( 4 )  

建造物研究室・平城宮跡発掘調査部・埋蔵文化財センタ一

本年度はまず電気探査法を実施し.tI下年検出した蛇行淋 (SD43)の

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走路を推定する作業から 開始した。その結果,水分を多く含む情状の区域が.SD43と重複して蛇行しながら大沢池まで のびていることが判明したため,この帯状区域と大沢池対岸との交差点を対象に,面積600m2の 調査区を設けて発掘調査を実施した。調査期間は1988年10月21日‑12月4日である。調査の結 果明らかとなった遺構変遷は次のとおりである。

①  素掘りのSD43が蛇行しながら大沢池に流れこむ時期。図中のアミ部分。平安時代。

② SD43 と大沢池との合流部に玉石組水路 (SX75) が~.&設されていた時期。 平安時代。

③  玉石敷遺構 (SX74)が作られ,その石の問機から大沢池へ排水される時期。平安時代。

④ SD43が埋められ盛土造成後.SD82やSB80が存在する時期。平安時代。

⑤  大沢池北岸が盛土改修され,磯敷や最石によって修景される時期。室町時代。

昨年度の調査では.SD43のごく一部を検出したにとどまり,護岸施設もなく,庭園の遣水と 考えるにはいまひとつ疑問を残していた。しかし,今年度実施した電気探査によると.SD43は 名古曽滝から大沢池へと蛇行しながら連続していることがうかがわれるし,発掘調査によれば,

改修されたいづれの時期においても,水の流れをデザイン的 に処理しようとした痕跡がうかがえることから,何らかの庭 園的な流れであった可能性は極めて高くなった。またSD43を 中心として,多量かつ豊富な造物が出土したことも特筆に値 する。なかでも,平安宮式の軒丸瓦が出土したことや.9C前 半の緑紬土師器の出土量の多いことから.SD43は嵯峨天皇の 縦宮(嵯峨院)の遣水遺構と考えてほぼまちがいない。

(田中哲雄・西村康・本 中 其 )

SD43の大沢池への注ぎ口 遺構平面図(1987)

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参照

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