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㌔ 藷 驚 聾 翻 鎗 軸籔 噛雛 籍 総 勉鐸 鶉 ど掴鰯 ㎞鐘 銭 鰯 鎚

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(1)

論 説

憲 法 破 殿 ( < Φ § ω ω § σq ω α 母 9 げ ﹃ Φ 9 § ぴq ) の 概 念

/

)

憲 法 鞭(Verfassungsdurchbrechun

g)の 概 念

目次はじめに

第一章憲法破殿概念の成立第一節背景

‑非常措置権の成立

一=月革命二公選大統領制

三非常措置権H非常措置権の運用

はじめに

一左翼に対する運用

二右翼に対する運用三小結び(以上本号)

第二節第二回ドイツ国法学者大会第三節憲法破穀概念の性質と機能

ーカール.シュミットについて‑第二章憲法破殿概念の展開と変質

むすび

昭 道

㌔ 藷 驚 聾 翻 鎗 軸籔 噛雛 籍 総 勉鐸 鶉 ど掴 鰯 ㎞鐘 銭 鰯 鎚

(ro3)  

1

(2)

野 蝶 籍 馨 懇 臓 "鷲 難 雛 慮嚢 勧酔 雛 難

理論上の評価ξいても・それが妾義の基歪係る賜を含んでいる噸に︑通常︑緊急権或いは国家緊急権と

いうテ←の下に・これまで墜に論じられてきたことは周知の通りである︒

ところで・この論議のさい・常に引合に出される例にワイ了ル憲蒙ある.ワイマル憲法は︑周知のよう星

誕後僅か一三年余にして肇されること緩ったが︑その間も︑数年の安定期を除き不断に発生した政治的.経済的

危 機 の た め ・ 大 統 領 零 羅 法 憲 叢 正 法 律 お よ び 憲 法 改 正 議 馨 の 様 々 な 方 法 に よ り 頻 繁 に 侵 犯 お よ び 停 止 さ

れた・そして・これらの憲覆犯および停止は︑当時の学説では憲法肇と称せられ︑その法的評価をめぐって活発

な論豪展嬰れたが・この論議は︑事の性篁︑ワイ了ル憲法の運命に様々な意味で少なからぬ影響を及ぼすこ

とになったのである・この小論はじばしば引盒出されるにもかかわらず︑必ずしも明らかにされているとはい.兄

ないこのワイアル建下の憲法鑛ξいて︑その概念の生成と展開を考察することにより︑先の基本問題の検討

に幾分かでも資することを目的とするものである︒

→) 鱈欝 灘 劉蕪  響 欝 懇 懸 鞍 脚轄

第 一 章 憲 法 破 殿 概 念 の 成 立

本稿の考察対象である撲鑛の概念は︑大統領の非常醤権(ワイ.iル憲法第四八条) による憲法侵犯の運用を 2

(XO4)

(3)

難 難 雛 羅 聯   騨 鞭 灘 総  へ   

蕪 脇 離 麟 鰐 麟 粥錘 讐 霧 毅 蕪 齢嘲難 鱗 叢 羅 鐸 讐 雛 筋戴 欝 難 欝 姥鱗 讐

軸 整 節 背 景

㏄1非常措置権の成立恥

鵯 の響 蕪 講 欝 噸総 讐 鷺 繕 鐸 儲欝 難 藤 灘 饗 蠣 撫 雛 蕪 ∵

(4)

植訣 凝 纏 糖 郁鍵 鷺 藻 ぞレ 縮 慧 識 議 輪 魏 饗 棄 補紅 懸 聾 欝 ∴

(

めることにする︒

転 鎌 繋 繁 翫 搬欝 編囎 黙 膨 遜 耀 朧 傭鰯 騰

瓢 綴 膚  繋 鰍 醐懲 吻畿 謙 灘 噸 繕 齢 翻痢柵 搬 轍 嘱 論籍 抽繕 諺 蘂 鱗 削矯 襟 戴 麟 繕 ボ 輪 鑓 藁

騨 (凝 灘 霧 韓 器 麗 餐 猿 麟 憾蔽 鷲 騒 靴葡 鶴 耀 鍵 鞍 ゲ雛 籟

一の政治勢力として革命の毒権塞ねられることになつ(混.しかし︑同党は︑既に帝制下において著しく改良主義

的 色 彩 を 蓉 乏 い 萱 し か も 篁 次 大 戦 の 発 生 と と も 霜 需 衛 を 唱 え 由冗 全 に 体 制 内 約 存 在 と 化 し ︑ さ ら に ︑ 革

(5)

命発生璽削の天空︒月二八日︑講和条約難のためいわば上から行なわれた議院内閣制の採用で満足していたため︑革命発生当時は︑社会霧革命はもちろんのこと帝制廃止をすら欲してはい奈ったのであ漿しかし・革命の波は︑このような社食主党主流派を乗り越えて進行することになった.戦時下において四年余の耐乏生活を強いられてきた国昊衆睾和とパソと畠を求める現状変革のエネルずは︑=月三日の水兵叛乱を機に一挙に噴出

歎 伽繧 難 鵬 嚢 ︾馨 難 鷲 藩 ボ諜 嘆 鰍醗 雛

︒会塁党主流派は︑国癸衆が労兵協馨独裁および社会化の即時実施を養する独立社会民主差派およびスパル

麗タクス団(ω冨算帥ざω・しご§血)の讐に移行する.﹂とを防ぐため︑帝制廃止に踏み切るとともに憲蒲定国民議会

喫 輻 ︑蕪 ︑馨 舞 鑓 能 ︑一. . ・︑ ) 召 集 に よ る 議 会 制 民 主 主 義 の 採 用 と 社 A五 化 の 漸 進 的 な 実 施 を ー ガ

㎞ 当 時 ︑ 敗 戦 に よ る 打 警 吹 き す さ 棄 の 嵐 の 中 で 蟹 の 穰 に 頻 し て い た 帝 制 下 の 支 配 蓼 力 ・ と り わ け 軍 部 ︑

舳屡︑独占資本︑おま︒フルジョア諸政党が︑このような社食主党主流派の態度の中に強力な味方を見出したのは

嘲当然の︑﹂とであり︑革命発生後直ちにこれら蓼力と社食主党との間に努な協力関係が形成されることになっ

惣 .(ま ず︑ 一 搾 犀げo 簿) 鰭 繍 馨 軽 駈 誕 影 難 矯 鱗 馨 蹴 雛 諏

翻 欝 恥磯 醗 畿 蘇 脇齢 ♂ 鋳 鍍 霧 講 轍A麟 レ" 塁 転 ︑福

憲 ぞ 菌 民 議 奢 集 に よ り 秩 序 を 速 か に 回 復 す る こ と 塞 本 的 な 内 容 と す る 協 定 が 難 さ れ ・ 三 に ・ 社 民 系 労 働 組 合 5

(6)

か ら 中 産 薩 贋 帝 製 部 官 僚 ︑ 独 占 資 歪 い た る 広 汎 な 勢 力 を 包 摂 し た 社 奎 華 命 阻 止 を 目 的 と す る 天 フ . 6 辮 雛 讐 鱗 誕 議 罷 頒撲 羅 ∵

一月革命はここに一

ツ 全 走 渡 っ て 展 開 さ れ 藪 し い 反 政 府 運 動 箒 製 部 を 主 体 と す る 政 府 軍 に よ っ て 制 圧 さ れ ︑ 簸 ・蟻 籍 軽 隷 讐 簾 棚羅 聾 .握 矯 鑑 縫

の 藩 に よ っ 垂 み 出 さ れ た ワ イ 了 ル 憲 法 に 蒙 的 畏 映 す る こ と に な り ︑ .︺ の 箪 ワ イ マ ル 憲 法 は ︑ = 月 革

命 の 積 極 的 側 面 笛 来 す る 民 主 義 的 篠 向 と と も に ︑ 消 極 的 側 面 笛 来 す る 非 民 圭 義 的 な 傾 向 を も 同 時 に も つ .︺

と に な っ た ・ 次 髪 察 す る 公 選 大 統 領 制 お よ び 大 統 領 の 非 籍 幕 こ そ 後 護 属 す る 袋 的 な 例 に ほ か な ら な か っ た

のである︒

議 羅 藁 議 懇 議 難

A・ローゼンベルク・前掲訳書︑三五頁以下参照︒

麗 ﹃欝 (欝 醤 野  概 護 搬 三㌔ 誕 唄 山塾 殆拷 翫 纏 鷲

ρ

(7)

憲 法 破 殿(、'・rfassungsdurcllbrechung)の 概 念

の沿革﹂国家学会雑誌六四巻五・六号七六頁以下を参照されたい︒

(5)篠原一・前掲書︑一四一頁以下︒

(6)民主党は︑革ム叩発生覆の天笙耳五日︑社会主義的労響に対抗すること音的として創警れた政党で・択

護 垂 薪 準 藤 顯 黎 舳 藩 勤 け 鞍 ア を 社 会 的 基 盤 ‑ す る (参 照 ︑ 山 口 {疋 ﹁ワ ー 比齢 ﹂︺難 職驚     鵬講 藤 騨 麟 鍵 {樹

(9)﹁・

()(1)論 驚 諜 蕪 馨 肝饗 饗 欝 欝 磯 翫蘇 ㈲瀦

食主党が得肇三七.九%姦得して篁党の地位を占めた︒選挙結果は次の通りである・

政党名

独立社会民主党(この℃O)

社会民主党(の勺匂)

門民並遇兄(O萄勺)

中央党(hNO﹁}酔﹁=﹁=)

人民党(O<勺)

国家人民党(﹁)Z<℃)

その他

一一

議席数{

一一二

一六三

七五

九一

一九

四四

七 得票率

八 ぢ七

西

t'  

(=05..R)

7

Clos)

(8)

なお人民党(じ舞陰.≦ξ三.一)は︑天年三月に創設され︑肇集家および中産階層を社会的蓋とす.⇔政

党である・当初は帝制復帰を駕するが︑後ワイ了ル憲法肯定の山立場に変化していく︒また︑国家人民党(U︒̀一・,︒7

曇︒琶︒≦冨置①一)は︑天年二月二四日︑帝制復帰を綱領に掲げ全ての保守的右器力の結集を目的として創設

された政党であり︑ユソマ︑産業資本家︑高級官僚︑41産階髪社会的基盤とする︒

(U)晃年月か畠月にかけてのゼネ・ス差含む反政府運動の展開については︑篠原..監剛掲書︑三七葺下︑A.ロ

ーゼンベルク・前掲訳書︑六二頁以下︒ 8

(110)

二 公 選 大 統 領 制

国民議会は・二月六日・反政府運動の吹きすさぶ首都ベルリソを避けて︑ゲ←ア.と了で名高い中部ギッの文

化の都ワイ了ルに召集された︒国民藝は︑二月二四日から憲法制定の作業を開始し︑三つの読会と憲法委員会(く︒門霧藷ー..ω.霧ω)での霰を経て︑七月三百・二六二対七五という圧倒的多数で新憲法を採択した.製

された地に因んで通常ワイ了ル憲法と称されるこの憲法は︑先述した蓼の協定を蒙的に反映して生存権的基本

携 離 齢論 難 鑓 箪 論 娠礁 ゼ膿 繍 誌 戦 鞭 矯 鯵 範編 即諜 繍

をス▽ガソとして召集された国民議会で︑どうしてこのような強力な公癸統領制が採用されることになったので

あろうか・その原因は・いうまでもなく複雑であるが︑;・でいえぽ︑立憲君主制の経験笛来する伝統的感覚(君

主制的感覚と馨支配に対する消禽意識)と当時の状況か星じた政治的必覆(とりわけ移兀的に分裂し激しく対山.す

る蓼力を統禽る強力な元首の必覆)との蓉から生み出された鵬)とい‑ことができる.以下本稿の目的との

関連から前者(伝統的感覚)について簡単に検討しておくことにしたい︒

 強力な公癸犠制成立の精神的蓋となったのは︑伝統的な君主制的感覚であった.革命発生直後の幕ヴ,ル

(9)

憲 法 破 殿(Verfassungsdurchbrechung)の 概 念 ∈→

ヘルムニ世の退位とすフソダへの亡命︑それにつづく=月九日の社食主党シャイデマソ(宰.㏄︒ぎ乙8志言)による共和制の寡口によって君主制は崩壊した︒しかし︑国民藝に参集した議員の間には・=月革命の籍を反映して︑至制への郷禁強く残存することになった.勿論︑革命とい巖然ξ夷を前にして・君主制(帝制覆帰論自体は国家人民党などの右翼フルジョァ政党から控旨に主警れたにすぎなかつ(4た)・しかし・当時の穰的状況を克服するため蒔譜せよ君主制を採用できないことを惜しむ意見は︑社会民主党議員を含めた多数の発薯によって表明されたのである︒.﹂の.﹂とは︑君主制から共和制への変革を生ぜしめた=墨命が・前述したように・そもそも社会民主党主流派をも含めた国民議会議員の大多数の意志に反するものであったことからすれば・当然のことであったとい︑兄よう︒そして︑この国民議会全体に強く漂っていた至制的感覚は︑大統領の中に皇帝の代替物を求める雰囲気を醸成し︑そのことにより︑努な公癸統領制を成立芒める肇籍神的基盤を形成することになった

のである︒

しかし︑強力な公癸統領制の成立に釈蘂な役割を果したのは︑議会支配に対する嚢制定蓮の消極的意識であった︒.﹂の消極的藏の内容は︑複雑多様であり︑たとえば︑伝統的な慧国姦に由来する政党(蔑社会の特殊利益)による国家支配に対する嫌悪︑あるいは議会の統治能力や指響選出能力ξいての不安や懸念・さらには社会主護党が国会で多数を占めていることに対するブルジョア護党の不安など︑墜であったが・いずれにせよ︑憲法制定者接糞支配に対するこのような消極的意識から︑糞制民圭義の採用がス〒ガソとされていた

にもかかわらず︑議会(国会)に対する制御機関として強力な公選大統領制の創設奏求することになったのであ

る.次に紹介する民主党ア.フ一フ葦〆ぴ貯‑︒譲員の国民議会での発言は︑以上のような国民馨の傾向を明瞭に示すものであった︒類似の奪口は︑民主党などブルジョア政党所属の議員から多数表明され奈・袋的な例としてアプラ

(1Z1)  

9  

(10)

ス議員の発言を紹介しておくことにする︒

﹁我々は国民主権(く︒涛︒︒ω3<︒感三感榊)という民主主義的理念の基礎の上に立っている︒⁝・国民のみが主権者である︒⁝⁝し

かし・国民は機関を通して権力を行使する︒憲法の構造によれば︑国民主権の理念を最も強く体現している機関は国会である︒

⁝私は議院内閣制(番箪一帥ヨΦ三蕩︒9閑・αqぎ昌﹃‑ω・・団ω雪)を強く支持する︒しかし︑あらゆる人間の制度は︑並存する

強力な制御権力(閉︒葺島塞εによっ轟力欲が強制的に抑制されるように配慮されなかったり︑或いは︑そのような制

羅力の抑制力が弱まったりするとき︑危険を秘めていることは明らかである︒だから我々は︑制御機関﹀﹂しての大統領を馨

のかたわらに創設することが絶対に必要であるとこれまでしぼしぽ主張してきた︒我々は全能の議会を欲しない︒制御の任務は

大統領にある.大統領は国民から選出豊契蜜して国会に対する対雲︒︒に︒コ・q︒毛一︒ゴp)を形成する...⁝我々菌会に対す

る強力な対重を形成する大統領をもつことを望む︒﹂

(112)

10

このように︑ワイマール憲法の大統領制は︑議会支配を抑制しようとする憲法制定者達の強い要求に支えられて︑

国会に対する制御機関として成立することになるが︑この制御機関たる地位から大統領の公選制が基礎づけられるこ

とになったのである・後述するように︑大統領制を創設すること自体に対する反対は︑国家人民党の一部を別とすれ

ば・独立社会民主党および社会民主党の一部から主張されたにすぎなかった︒しかし︑大統領公選制に対しては︑そ

れが大統領の地位をたかめ︑したがって相対的に国会の地隻低下させる可能性をもつが整︑社会民主党から強鑑

対が出されることになつ麗このような反芝対して︑憲法草案を起草した内務大臣民主党のζイ三=・勺.︒・・.)

は・議会(国会)と大統領の対等性から大統領の公選制を主張したのである︒プロイスはまず︑ドイッの統治制度とし

ては民主主義と結合した議院内閣制(プ・イスはこのような議院内閣制を議会制民主主義(鴇.一p︒ヨ︒旨酢帥一凶抑︒ゴ︒コ︒∋︒貯.節二︒)

と称する)叢もふさセいと主張した馳レズ・プ(銘・彗)の饒内閣制払珊を巧みに援用して︑﹁真正な磯

 内閣制﹂(①︒耳窮㌻ユ魯∋9蜜牙ヨ滋の)の下では議会と対等な機関(大統領)が存在しなければならないことを主張する︒

(11)

憲 法 破 殿(Verfassungsdurchbrechung)の 概 念(→

そして︑その対簑地位姦得するためには︑全ての政治努が国民意思笛来する糞制民圭義の下では・大統領は議会と同様に直欝民か邊出されなければならない圭張して大統領公選制塞礎っけたのであ導プ︒イスの.﹂のよう突語公選制の主張には︑ヴ︑去よン;量)の大統領公選(弊強影響を及ぼしたと考えられるが︑いずれにせよ︑ワイマル憲蒙定める覚塁的な大整公選制(第四秦)は・以上のような糞支配に対する憲法制定者達の消極的藏か星み出されたのであり︑決して民圭藷な理念か星み出されたものではなかったのである.にもかかわらず︑M︑の大統領公蕎は︑それ奢す裏見的な塁主藷正統性の故に・後述するカール.シ︑︑︑︑ット憲馨人論に見られるように︑後に笑統領の地位と震を強化するイデオ︒ギみ轟な論拠として機能することになるのである︒

さらに︑非常措置権︑国会解散権とともに後に大統領独裁の重要な法的手段となった大統領の組閣権もまた・この議会支配に対する消極的意識から生み出されることになった.ワイアル憲蔭︑組閣について・芳で森領に組閣権を与︑兄る(第五三条)とともに︑他方で国会の信任を内閣の在畢件とする(等四条)という馨的な制度を定

めた.その理崖︑起薯.フ・イス優れば︑内閣を二つの最高国家機関たる国会と大統領を仲介する﹁遊動する連

結機関﹂(σ︒蓄讐畠窃盟星£箒匹

(13))とする.﹂とにょり︑アメ劣的な二元制(量妻の量の誓ヨ)を排除することにある︑と説明鷺︑れ奈︑いずれにしても︑内閣が国会によって形成されるか︑それとも大統領によって形成される

カとしうことは議院内閣の本質にかかわることであり︑その意味で大統領の組閣禁どのようなものとして轟されていたかは︑.フ︒イスのいう議院内閣︑さらには議会制民主主義の内容を明らかにする上で蘂な意味をもつ

とい︑蓉.この占ξいて.フ・イスは︑まず︑薩内閣制の本質を︑内閣が在職しうるためには国会の僅を琴る

♪でつ占州条めるとキ輔もに︑多様な専門的政治的考慮を要する組閣に歯会よりも政治的叢豊かな大統領の方がよ

喋 】

(113)

旧洲L四 舳幽 ㎜闇m 鵬司h押 旧闇 嗣 帥 噛『間障

(12)

り適しているとい蓮由から︑大統領の鶴権を︑指薯欝(閃ロ一︑.︒・唾︑・,︒一︑pεを発揮すべき大統領の最も垂

な自立的職務として特徴づけることにより︑実質的な権限としたのであった︒

大統領の組閣権の以上のような理解からすれぽ︑いうところの議院内閣制とは︑正に革命発生直前の天年δ月

の憲法改正によって採用された議院内閣制11皇帝が内閣を任命し︑その内閣は国会の信任を在職要件とする議院内閣

制にほかならなかつ(癖このことは︑大統領の霧ξいてのプ・イスの説明を見るとき一層明瞭となる︒憲法委員

会での審議において︑社会民主党フィヅシャー(閃一㏄07霞)議員が︑大統領の強い地位を懸念して︑国会に対する抑制

力は国民投票制や労働者評議会(ト〆同σOμ再O畦﹃笛ドO)制の採用により既に+分存在している等の理由から大統領不要論を

主張したのに対論解プ︒イスは︑国会の抑制ということは大統領の馨のらにすぎず︑彼の最も重要な霧は︑憲

法の中の確固たる中心(号α・9彦・ψN・9三∋)善止点(暮・巳三︑色を形成することにある︑と主張したのであ

菊かくして・ワイ了ル憲法の大統領は︑プ・イ議想においては︑国会に対する対等な地位を整て統治制度全

体の忠に倍つけられることにより︑旧帝制下の皇帝の像に罐く接近することになった.ζイスのいう議院内

閣制或い譲会制民圭義とは︑正に暑主なきドイッ立憲君主制﹂(グルム)にほかならなかったのである︒

ところで・このような大統領の像は︑前述したように︑君主制への強い郷愁を抱いていた国民議会議員の眼には︑

今は亡き皇帝の像と二重写となって映じ︑そこから生ずる非合理的感情が逆に大統領の地位を皇帝の地位に接近せ

しめるように作用したであろうことは推測に難くない︒社会主護党の陣営から公選大統領制に対する強い批判が出

されたのは・国民議会のこのような雰囲気の中に君主制(帝制)復活の危険を見たからにほかならない︒このような

批判は・例えば前述した社食主党贅の国会による大統璽出の主張やフィッシャ畿員の大統領不要論のほか︑

独立社食主党〒ソ(6量贅の統領制(署ζ・書)の主張の中にも見ることができる.コ←は︑憲法草案

(X14)

12

(13)

憲 法 破 殿(Verfassungsdurc1ユbrechung)の 概 念

が定める大統領制は革命前の旧き伝統によって強く影響されており︑共和制的君主制(器εσ以ζ三︒︒o訂諸08門∩三︒)を導入しようとするものであること︑そして︑このような制度は︑フラソスやアメリカのように民主的文化と伝統を

もたないドイツでは君主制復活の危険をもつと批判し︑一人制大統領に代ってスイスをモデルとし実質的には嘗ての

人 民 委 員 政 府 の 継 続 を 意 味 す る 五 人 か ら な る 奮 製 主 張 し た の で あ 島 恥 し か し ・ こ れ ら の 批 判 茎 体 と し て 少 数

にとどまり︑大統領に対してオプティ︑ミスティックなまでの信頼を示していた国民議会の大勢を変えることはできな

かったのである︒

以上概観したよ・つに︑ワイアル憲法史上重要な役割藁した強力な公癸統領制は︑=月革命の性格を鋭く反映して︑ブルジョア政党を中心とする憲法制定者達の伝統的な君主制的感覚︑とりわけ議会支配に対する消極的簸

という非民主主義的な動機に基本的に支えられて成立することになった.この結果︑ワイアル憲法の統治制度は・

憲法の規定上は︑国民により直接選出される国会と大統領という二つの頂点をもつ二元的な構造となり・現実の力関

係の変化に応じて︑純粋な議院内閣制にも︑逆に大統領内閣にもなりうる可能性をもつこととなったのである︒そして︑大統領の非常謹獲︑以上のよ・つな国民糞の雰囲気の中で︑このような大統領制の轟な↓部分として形成

されることになった︒

(‑)ワイマ←憲法の統治制度の概観については︑阿部照哉﹁ワイ7ル憲法下の統治馨﹂法学論叢第ヒ︒巻六号δ頁以下︑山田晟﹃ドイツ近袋法史﹄昭和三八年九四叢下︑清宮四郎﹁ドイツ憲法の震と醤﹂﹃国家作用の理ム珊﹄昭和四三年三四三頁以下︑浅井清信﹃独逸憲法原論﹄昭和八年九六頁以下を参照されたい︒

(2)︿αqH図・∪・切鑓︒9さ∪一︒︾島α誓お脅﹁芝︒圃爵﹁6﹁幻ε昏穿ヨ願﹀島二(ち刈一)‑鴇誌︒︒‑念.(3>ワイマ←憲法の公奨統領制の成立に関する研究としては︑小林照三﹃ワイ7実統領論研究序説﹄昭和三九象ある..旨の他︑前掲阿部論文︑および同﹁独逸におけ実統領の地位﹂比裳研究第二号三吾以下でも響啓楓論じられ

(115)

13

(14)

ているぴなお単以下の叙述ば主として小林昭三・前掲書と質O一E亭じ霧℃髪ごヨ〇三巳一㏄67e客︒職¢戦二5αQω㏄嘱巽︒一嗣一一コ

U︒塞︒三㊤巳9︒じ・巨§コ雪巷≒§閑§Fb︒・﹀舞スま9γ︒︒.§隼を参考にした︒

(4)小林昭三・前掲書︑=一六頁︒

(5)同.Oξ葺p・.pO二ω﹂0①.

(6)国﹄Φ琴︒︒﹄舞ω︒g密鉱︒邑く︒霧塁ぎσq﹄Ωふ・硫﹄¢≒旧<・q=り・⊆二一H回・p卜︒‑㏄﹄刈h・

(7)≦言Φ﹃︒Φω6喜三︒悉壽暮韓ぎh婁き・q・・︒・﹀琶・(ま軽)・︒・・︒︒ρ

(8)プ︒イスは︑天年=旦吾︑人民委員政府養〒べ乍から憲法草案の作成を講され︑直ちにヴ干バ奪か

らなる非公式の委員会を設置してその助言にもとついて草案を作成︑草案は翼九年≡月二・日(国民馨選挙の翌日)公

表された・このプ︒イス草案は︑その後の審議を通じて︑国とラン老の権限配分等について部分的な修正箋けたが︑統

治制度の基本構造に関してはほぼ維持されることになった(山田晟.前掲書︑八八ー九頁)︒

(9=H﹄曇̀・噛u婁の︒耳一誉§団三言萱§=αq︒量琴コ↓亀・・翁凌︒冨く§・・㏄=コ・・く︒昌'・︒し餌鵠⊆"﹃蓬甲ヨ.

ω3ooΩoF()"ωGQ.ωQQ1・ωQQ

(01)この﹁真正な議院内閣制﹂に対して︑フランスにおけるように大統領が議会によって選出され︑その結果議会に従属すQ

ような議院内閣制を采真壬譲院内閣制L(二昌oo葺oω℃撃﹁置巳o葺訂一一猛階臼葦砿)と称する(ぎ峯}㏄.ω㏄↓)︒なお︑レズ︒プの

議院内閣制論については︑小林昭三・前掲書五三頁以下参照︒

(11)一げここω.QQQ◎刈.

(21)ヴェー→の大統領公選論の内容およびプ・イ奪に対する影響︑趣︒らにはナチス独裁との関連藁した機能等について

は・小林昭三前掲書︑九五頁以下︑山是﹁マッ亥・ウェーバ主指嚢民圭義﹂思想四七二号四五頁以下参照︒

(13)一焦ω.ω○◎S

(41)窪二ωG・・ω︒・了ω︒・︒・蒙お︑プ・イスの組閣権に関するこのよう鐘解は︑民主党のみならず人民党︑国家人民党などの

噂右翼ブルジョア政党によっても全面的に支持された(聞・O貯ヨ一鉾PO二ωω・一①Q︒ー一①㊤)︒また︑社会民主党のクワルク

(O§脚)議員も基本的に支持するが︑同時にそこに潜む政党嫌悪感を︑大工業や大企業の希望に従うものとして批判する

(116)

14

(15)

憲 法 破 殿(Verfassungsdurchbrcchung)の 概 念

(一げ誌二ω.峯曾小林昭三・前掲書︑一四一頁)︒

 霧 緯 灘 籍 籔 睡 叢 叢 瞬鱗 潔 勧達

政府は︑対外的な袋および屡に対する制御力の必要性とい愚由から大統領制を棄している・しかし・笙の点につ

脚嚢 鋒 謬 羅 難 鯵 隔籔 匙 鰐 熱 鑑 娃 醐躯婆 顧縫

に+分存在しており︑したがって制御力としての大穰は不要である.次に︑大統領と内閣との関係について見ると・大統禦実質的に内閣に優位する場A︑と︑逆に内閣が実権華握し︑このため大穰が崇る装蕩にすぎなくなってしまう場合が考︑凡られる.しかし︑前者は︑ア首力の例が示すよ£︑藝の力を低下させデモクラシ乏反するのみならず危険ですらある.また後者も︑現在のフ一フンス大統領の例が示すよ乏危険である.確かに憲法によっ美統領の権力を制限できるとはいっても︑非常時にさいして大統領は決定的覆割を演ずることになろうし・・}れに対して馨は努となるから

揮 趣 鍵 震 縫 騨懸 樗 纏 餐 鹸 誓 稲蛎 礎 鋒 瓠

決定するのは首相である.だとすると︑大統領鍍治的に螢に浮いた高然の存在となる・以上の点からすれば・私個人

箆しては︑大統領の制度は︑国の安定した発展のためには必薯もなけれ量ましいものでもないと考える・勿論・現嚢

力党は大統領が必要であるかど‑かとい‑占{についての斐を決定していない.しかし・大統領の髪力はできるだけ小さくあるべきだとする占加については蚕している︒私が大統領の努姦位に対して抱いている懸念は・革命を脅かす危険がまだ完全には除去されていないこと︑そして︑この農は我が国民の中に共和嚢的精神が差券に侵透していないこと

聾 野 欝 鉾 繋 壷 一羅 .羅  嬰 .擁  舞 蕪 羅 伽

15 醐旧m」闇1刺酌

醐叩 ¶旧酬州1"陥咽 側 闇 用欄巾㎞

【1弼馬㎜

脂用噛 田踊闘國胴 脚1叩

(16)

(71)この他・プ︒イスは面会繕閣について不蕩でありそ設大穰が必婆︑あること︑また︑ヒ千万の人口宅ち複雑⑯

姦治的宗教的対妾内包するドイッのよ泉国は︑対外的にも対内的にも天の頂占讐欠.︑.とはで童感いと主張してフ紛

イヅシャーの大統領不要論に反論するとともに︑最後に︑もし大統領を創設しないときは︑憲法を革命やクLアターの危険ω

にさらすことになると述ぺて︑大統領制の必要性姦調したのである(<Φ﹁ξ巳§鴨昌・>5一帥鵬①コZ﹃・ω3︒︒の・・︒刈T

b︒)

(81)男︒喜魯PPの﹂つ・ごまた︑フ・メはプ・イ藩想に立讐主制と議院内閣制の結A口を見.⇔(戸ρ﹁﹃︒∋∋︒︑

."OつつbQ.)Q

(91)ただし・〒ンは現時点(王年)を革命の篁段階の終了と規定し︑それ故︑最終的釜法におけ.⇔統治製ヒらいて

は留保する(ぎ藝︒喜ぴqΦP>づ譲魯多ω箪︒︒.・⁝賄・)︒なお︑これに対してプ・イスは︑このように複数からなる

統領制は決断力および活動能力の低下を生じ︑その結果︑救世主としてホナパルトを招来することになる︑と反論する(︿o笹き︒貯づケqo量﹀巳謎窪Z﹃・ωヨしっ.卜︒温)︒

三非常措置権

ワイマール憲法の運命に様々な意味で重要な役割を果した大統領の非常措置権も︑国民議会の以上のような雰囲気

の中で・しかも事の性質上︑一一月革命の性格および当時の政治状況に鋭く規定されて成立することになった︒以

下・非常措置権の成立について︑国民議会での審議を中心に考察することにしよう︒

まず︑非常措置権を定める憲法第四八条を紹介しておくことにする︒同条は︑国璽フソトに対する強制権(力舘﹃︑

'︒負︒さユ8)(第一項)と大統領およびラソト政府の非常措置権(当時の学説上の表現によれば︑独裁権(三算"触β.凋︒毛"ε)

(第二項以下)という内容上異質な二つの権限を定めていた︒

第四八条ラソトが国の憲法または法建よって課せられ義肇履行しない﹀︺き︑大統領は武力角いてその霧を履行︑︑垂

ることができる︒

(17)

憲 法 微(Verfassungsdurchbrechung)の 概 念

犠 癖 糠 讃 雛 難 馨 諜 曝 碗奪 難 雛

会 懸 蕪 諜 鞭 駄 蕎 ら れ た 全 て の 措 置 堕︑ つ い て ︑ 大 統 領 は ︑ 遅 響 国 会 に 報 告 し 糞 ぱ ー ・ 罰

統 魏 舗 蕪 繋 ど 絡 フ 難 噂 そ の 領 域 内 に お い て 仮 に 第 二 項 }︑ 定 め る 措 置 を ‑ 雲 か で ミ こ の 措 置 は ・ 大

詳細は国の法律がこれを定める︒

呈 の 第 四 八 条 に 類 似 す る 規 定 は ︑ 既 に プ ・ イ ス 蘂 の 中 答 ま れ て い 奈 ・ そ の 後 の 憲 蓼 員 套 よ び 総 会 で の

羅 戴 基 本 権 停 止 規 定 の 追 加 な ど 幾 っ か の 重 要 な 修 正 を 受 戦 最 終 的 に 以 上 の よ 莚 で 成 立 す る こ 秦 置灘 勲 饗 鞭 纏 轍馨 鉾 鍵 雛 葬 陪跨 鯉 慕 贈鱗 醗 灘 蕪 藩 織 謎 藤 繋 離

ω非審羅の成立に作用した茱的要因としては︑当時の状況(烹け政治状況)と伝統(天七↓年憲法Fの

1119)

1?

(18)

撃事嚢暴N誓邑制度の存奮その運用の経験など)の二つの要因を鶉することができる.B

り幹 雛 携 唾 難 鯵 罧雛 懸 欝 薪 勲 卵薪 編 欝 ㎜

プレの急播進行による物価の上昇と賃金の実質的低下は︑国民大衆︑とりわけ賃金労働者星活薯しく悪化させ

ることになった・このため・労働者のスーライキが頻発し︑しかもこのストライ蓮動は︑辿削述したように︑社会化

および軍隊改革の粟等の政治的スワガソと蓉することにより急蓬政治化し︑.﹂の箪︑一九些月から胃

にかけて・ギッ全土は激しい反政府覇の波に覆われることになったのである.とく旨都ベルリソでは︑百の

灸ル多三揆を契機隻パル多ス団(‑共産党)を中心とし藪しい反政府覇震開され︑このため︑畏ルール地方を馨は・前芒たように・中部ギッの都市ワイ了ルに召集されることになった.しかし︑二某︑

舞 ギ 雛 饗 鮎 醗舞 講 饗 雛 総 助諜 擁 漣

特にブルジョア護党の議員に強い危懲を抱かせ︑その箪︑非常措置権の成立災きな影響を及ぼしたであろ︑つ

ことは想像難くない・憲萎貝会での民主党アプラ毒貝の次のよう象一一口は︑この︑状況‑危機意識←非常謹

権という関連性を明瞭に示すものである︒

代鑑 鑛 .蕪 礁 讐 "嶽 蟻 藤 慈 ぺ離 n緯 霧 巽 翻 鶴

を与毛おります・私笑統領権力のこのよう姦化を心から歓迎す.︒ものであります.L

また・起薯ζ三は・後に(茎四年)︑この非常措幕の成立事憧ついて要ヒ日次のように述べている.

憲法を六ヶ月という短翻の内に畿しなければならなかっ鍾由は︑法的基礎にもとつかない政府箋期的には存続しえな

(19)

 欝 麟

響 複 鱒 麟 鞭 締蕪 掻 藤 鯵 籍 膨舞 鰹 わ 灘 誕 影 難 鯵 薪 嬉 媒 襯薔 騨 繁 痺 騒 輩 諦 聲 諭 灘 禦 駅勢 鰭 陥

(20)

醗 難 難 難 {難 麟 灘     ↓幾 鞭 繋 鯵 灘饗 曲鱗 辮 懇 鵡 罐 魁錨 掛

政党の以上のような立場を明瞭に示すものである

灘 灘    撫 麟  難       瀞  職 蕪

国家においてはあるべからざる状態なのであります⁝.L

景軽 議 讐 講 糞 誠 鷲 鐙 驚 難 価糖難 難 轄

成 諺 ﹂難 郵 整 し た 第 二 の 韓 伝 統 の 要 因 夷 第 四 八 条 の モ デ ル ー な っ た 天 主 年 憲 法

の 撃 事 態 艶 の 蓉 と 篁 次 大 戦 発 生 後 の そ の 頻 箋 行 使 の 経 験 ︑ お よ び ︑ 器 発 生 後 の 人 民 委 員 政 府 に ょ る 独 裁

(21)

憲 法 破 殿(Verfassungsdurchbrechung)の 概 念 ←う

的 統 治 の 経 験 等 は ︑ 君 主 制 的 感 覚 が 公 選 大 統 領 製 立 の 精 神 的 基 盤 を 芒 た よ う に . 非 常 措 置 蔑 立 の 基 盤 を 形 成

し︑その成立を容易にするという機能を果した︒しかしこれらの経験は︑同時に︑そこで厳しい弾圧を受けた独立社

会民主党などの社会主義政党の中に︑非常措置権に対する強い反撲と懸念を生ぜしめることになったのである︒

一八七一年憲法の戦争事態制度および一八五一年のプロイセソ合囲事態法(℃誘器一研魯窃し辱︒ご鵯剛戸5σ︒簑霧9言霧α︒窪‑︒伊氏く︒昌副﹄ロ類=︒︒q一)は︑一九一四年までほとんど利用されることはなかったが︑第一次大戦が発生するとともに頻繁

に利用されることになり︑この結果︑基本権停止等の措置により国民の自由は著しく制限されることになった︒とり

わけ︑これらの制度は︑当時反軍国主義︑平和主義を否みソとして政府の戦争肇を激しく批判した社会民主党

左 派 (後 の 独 立 社 食 主 党 お よ び 共 鑑 に 対 す る 弾 圧 の 武 器 と し 垂 警 役 割 藁 し た の て 舞 革 命 の 発 火 点 と な

ったキ概軍港の叛乱のさい︑抑圧からの蟹のシソボルとして︑これらの制度の廃止護革のプ・グラムに掲げら

れたのは︑以上のような事情からすれば当然のことであった︒国民議会第二読会で︑非常措置権を激しく批判し・その削除を主張した独立社会民主党コ←議員の発言はこのような事情を背景としていたのである・このコーソ議員の発叫 団は︑非常謹権がもつ危険性を鋭く指摘したものであると同時に︑この権緊その後現実彙すことになった役

割についての予言的警告を含むものである︒以下発言の要旨を紹介することにしよう︒

コーソは︑まず︑第四八条は一八五一年のプロイセソ合囲事態法よりも後退した法状態を創り出すことになると批判する︒﹁この古い法律(プ・イセンA︑囲事嚢塵者)は︑戦時における合囲事態の羅をなしたものであります・ところで・我々全てが痛切に想起する︑︑とは︑.あ法建もとついて軍司書︑畢権力がどんなに出版を制限し︑学問研究姦害抑圧し稟会の権

利を否認し︑無数の人々から人身の畠を奪い活動の自由を制限したか︑ということであります・しかし・それでも以上の全て

麗とは︑今あなたがたが第四八条によって創り出そうとしている状態に比べる・}︑まだ︑比較的自由な状態といえるのであり

ます.皆﹂のように述べたあと︑コ←は︑その理由として︑天互年法律と第四八条の要件を比較して・後者が著く広くな

(Y23)

21

(22)

っていることを指摘し︑第四八条の﹁公共の安全と秩序に対する重大な障害﹂という拡大された要件の下では︑場合によって

は︑秘密の煽動(αq︒ぽ葺︒﹀αq}{無δコ)︑秘密団体(ぴq︒ぎ巨︒<9玄コ含コぴq)への参加︑さらには︑公的政党への加入すらもが

この要件に包摂せしめられる危険性があることを指摘するとともに(Qり,ω卜︒念)︑このような要件の拡大に賛成する民主党コッホ

議員を次のように批判した︒﹁コッホ議員︑あなたは合囲事態法の厳しさを体験なさらなかったに違いない︒確かに︑あなたの

都市の住民は体験したが︑あなた自身は体験されなかったようだ︒あなたは︑人々に対して︑公共の秩序の保護という名目の下

に軍事権力によってどんなことが行なわれたのか御存知ない︒私は︑そのようなことが将来二度と起らないようにしたいので

す︒﹂(の.認曲)そして︑コーソは︑以上のように第四八条の要件自体が恣意の介入を可能とするようなものであるとき︑一体

どんなコソトロールが存在しうるのかと問い︑この点について当時の国防大臣社会民主党のノスヶ(Zo勾D評o)が︑常に党組織と

の一致の下に措置がとられている点に濫用防止の保障を求めたことに対して︑その危険性を次のように批判した︒﹁この国防大

臣ノスヶ氏の考えは︑非常に危険であります︒というのは︑もし︑偶々︑社会民主党に所属しない人物が国の項点にたつような

ことになったとぎ︑この人物は︑彼の政党が定める要求の枠内で行動しなければならないのでしょうか︒そして︑果して現実に

そのように行動するでしょうか︒人民党︑或いは国家人民党のメソバーが︑あるいはまた一五年後には︑ホーエソッオルレソ王

家の者︑さらには︑将軍(Ω︒コ興≧)が国や国防省の頂点にたつようになったときはどうなるでしょうか︒ノスケ氏が約束した

ように︑これらの人々が彼らの政党の考えや綱領をたまたま顧慮したとしても︑このような人々に皆さんは一体何を期待すると

いうのでしょうか︒﹂(鉾ωboお)当時社会民主党や民主党議員は︑大統領工ーベルトを前提にして第四八条を論議する傾向があっ

たが︑コーソは︑制度としての危険性を問題にしたのである︒次にコーソは第二項の基本権停止を問題にする︒とりわけ︑第⁝

一七条(信書︑郵便︑電話の秘密の保障)が停止の対象とされていることを問題にし︑それは︑政治的反対者から彼の友人ぬ︑家

族との手紙の交換や電話連絡の自由を奪うものであり︑警察国家( ℃〇一一NO一ω什帥"叶)の最も悪い特徴にほかならないと批判する

(のの景ωN齢卜oI‑1⇔凹蘇蘇)︒さらに︑コーソはこの第四八条の下では︑特定の政治的団体の存在自体およびそのような団体のメソパー

であるということ自体が︑大統領によって︑公共の安全に対する重大な障害と見なされ︑人身の自由が奪われる可能性があるこ

とを最近生じた二つの事件を例に説明する︒この二つの事件というのは︑独立社会民主党に所属するヤコブ夫人(ン繭.﹂螢∩Oげ)

とデイリー・ヘラルド紙の特派員プライス(﹃リプo℃﹁一60)が逮捕された事件であるが︑その理由は︑コーソによれば︑ヤコブ夫

(124)

22

(23)

憲法 破殿 (Ve・fa・ ・ungsdurc1・brcchung)の 概 斜

人の場A口にはローザ.ルクセソブルク(穿島塁書貝α‑)と交友関係にあったこと︑プライスの場倉は独立社会民主党のメンバーと会話した︑とい・つことであった(︒︒︒︒・・︒・︒恥工彗.そして︑〒ソは︑最後に第四八条の運用は︑灸イ活動と不可避

的繕A口せざるをえないことを籍したあと︑次のように述べて彼の長い発言を終えたのである︒﹁もし・この第四八条が採用

嫁 綾 講 饗 鰹 鶴 錠 義 農 瑞 誌 民 婆 ウ ル は 民 主 主 義 の 王 国 を 得 る た め に 出 か

非常措置権に内在する問題点の適確な指摘を含む以上のようなコーソ議員の発言は︑しかし︑彼の属する独立社会

民主党が協議会独裁をスローガソとし︑暴力による共和国打倒を目ざすものであり︑したがって︑共和国を強化する

あ.りゆる試み︑とりわけ非常叢権の創設侵対するのは当然だと看倣されていたため︑国民議会でほとんど注意を

払われることなく終ったのである︒そして︑論議は︑非常措置権の創設を前提にして︑コソトロ1ルの問題に向うこ

とになった︒

②ワイマール憲法は︑非常措置権の濫用を防止するため︑幾つかのコソトロ!ルの制度を定めていた︒しかし︑こ

れらの諸制度は︑この種の制度がほとんど常にそうであるように︑諸々の条件に規定されて十分実効的な機能を果す

ことはできなかった︒その原因は複雑であり︑基本的には政治的力関係︑法意識等の制度外的諸要因に求められなけ

ればならないが︑同時に制度自体の問題性も過少評価することはできない︒以下︑どのようなコソトロールの制度が

どのようにして形成され︑或いは形成されなかったのか︑簡単に考察しておくことにしよう︒

非常措置権に対するコソトロールの制度として︑ワイマール憲法の下では次のような制度が存在した︒

D政治的コソトロール(爾首相または主任国務大臣による副署制度(第五〇条)1内閣によるコソトロール︒

㈲とられた措置について遅滞なく国会に報告する大統領の義務︑およびその措置に対する國会の廃止要求権

((25)

23

(24)

(第四八条三項)1国会によるコソトロール︒

U司法的コソトロール(

第四八条第二項にもとつく命令について︑憲法および法律適合性を審査する裁判所の権限‑裁判所によるコソト

ロール︒

鋤非常措置権行使の要件・形式︑およびとらるべき措置の大綱を定める法律(第四八条第五項)︒((17)

以上のほかにも︑大統領の権限行使一般に対するコソトロールの制度が存在したが︑非常措置権について特に問題

となった制度は以上の四つに尽きる,

(18)ところで︑国民議会では司法的コソトロールについてはほとんど論じられなかった︒というのは︑憲法制定当時︑

非常措置権に対するコソトロールの第一次的責任は国会および内閣が負うべきものと考えられていたからである︒こ

の結果︑コソトロールに関する論議は︑主として政治的コソトロールを中心に行なわれることになったが︑論議の傾

向は︑社会民主党からコソトロール強化の強い主張がなされたにもかかわらず︑全体としてコソトロールを緩和する

方向に向うことになった︒以下簡単に紹介しておこう︒

社会民主党は︑当時民主党などとともに政権を担当していたこと︑さらに︑大統領が同党のエーベルトであったこ

となどから︑非常措置権の採用自体には必ずしも反対ではなかった︒しかし同時に︑帝制下の弾圧の経験から︑独立

社会民主党と同様に濫用に対する強い危惧を抱いており︑このため︑コソトロールの強化を主張することになったの

である︒まず︑内閣によるコソトロールについて同党フィッシャi議員は︑主任国務大臣の副署(O£9N︒凶9言頴)

のみで十分とする政府草案が定める副署制度の下では︑大統領と国防大臣(スユ£.︒︒量三︒︒宮﹁)が結託するとき濫用を

阻止できないと批判して︑非常措置権行使のさいには︑特に﹁内閣の同意﹂(N話号毒言ひq9﹁菊︒8房﹁︒α︒,醇§σq)を

(126)

24

(25)

憲 法 破 殿(Vcrfassungsdurchbrechung)の 概 念e

要件とすべきこと姦法委員会で難したのであ輪)この饗に対して・国家人民党デルブリュヅク議員塁党コ

ッホ(区06ゴ)議員から批判的意見が表明されたが特に強い反対は主張されず︑結局プロイスの提案にもとついて﹁内

閣全体の責任の下に﹂(§件嘆くΦ影三≦︒三ざ算2併血・㎝αq・︒︒9・昆8穿ざ房ヨぎ一︒︒§貯霧)という一句が妥協として政府(20)草案に挿入されることになった︒しかし︑このコソトロールを強化する修正は︑非常措置権を強化しようとする国民

議会の流れの中で︑最終段階の第三読会にいたり結局削除されることになった︒第三読会で民主党バース(}{き︒︒)議員は︑非常措置権に対する内閣のコソトロ!ルとしては︑一般的な副署制で十分であること︑さらに︑﹁内閣全体の責

任﹂という制約は︑たとえば︑大統領がベルリソに︑レ他方閣僚の多数がワイマールにいて︑しかも交通・通信が杜絶するようなときこの権限の迅速な行使を不可能にするものであって合目的的ではないことなどの理由からその削除を

提案し︑賛成多数で承認されたのでみ肥︒

また︑国会によるコソトロールについても︑プロイス草案では︑とられた措置について国会の事後承認制を定めて

いたが(前掲註(2)参照)︑社会民主党フィッシャー議員は事後承認制では不十分であるとして事前承認制を主張し

たのである︒これに対してプロイスおよび民主党コッホ議員は︑そのような制限はこの権限から不可欠な迅速性を奪

うと同時に︑大統領を単なる装飾物にしてしまうことになるとして強く反対し︑結局︑フィッシャi提案は否決さ

(22)れ︑のみならず︑国会の事後承認制も︑その都度国会が開かれねばならず合目的的ではないから削除すべきであると

いう第三読会における民主党バース議員の提案にもとついて削除され︑代って︑第四八条第四項の制度(前記の)が

採用されることになったので難・ー

さらに︑一八五一年のプロイセソ合囲事態法をモデルとして︑非常措置権行使の要件・形式︑およびとらるぺき措

置の大綱等を定めるべき第五項の法律もプpイスの強い反対で制定されなかったのである︒第二読会で︑バイエルソ

(127)

25

(26)

民人党のドーナ((}.N口﹃)Oゴ霊卸)議員が︑もしこの法律が制定されない場合には︑他に諸々のコソトロールの手段が

あるにせよ︑第四八条は大統領に全権(三息コ臨︒二く9噌)を与えることになり︑したがって早急に制定すべきこと︑そ

(24)して︑もしこの法律の制定が遅延するときは︑さし当り一八五一年の法律を適用すべきであると主張したのに対して︑

(25)プロイスは︑第五項の法律は状況が安定するまで制定されるべきでないとしてこれを拒けたのであった︒

以上のように︑非常措置権自体を生み出した当時の状況は同時にコソトロールを緩和する方向にも作用し︑この結

果︑ワイマール憲法の大統領は︑非常事態に対処する強力な権限を与えられることになったのである︒しかも︑非常

措置権行使の形式︑効力等を規律するはずの法律が制定されなかったこともあって︑権限内容は必ずしも明確にされ

輪)その確定は将来の運用と学説に委ねられることになり︑それらの動向如何では非常措置権は一八七一年憲法第六

八条を凌ぐ強大な権限となりうる可能性を秘めていたのである︒

以上考察したように︑大統領の非常措置権は︑一一月革命の性格(特にその消極的側面)と当時の政治状況を鋭く反

映して︑基本的に当時の支配諸政党(とりわけブルジ.ア諸政党)およびその背後にいる支配諸階級の社会主義革命に

対する危機意識から生み出されるとともに︑その危機意識の強さがこの権限に対するコソトロールの内容と程度を規

定することになった︒そして︑このようにワイマール共和国の右側面の強い影響を受けて成立した非常措置権は︑成

立後直ちに直面する危機状況に対して頻繁に行使されることになったのである︒

{1Zs

26

(1)ρ﹀塁︒互貫ヨ︒<o﹁{霧の巷ぴqユ窃じ2冨}9幻・一9の︿︒∋一ピ︾罎塁叶一2ρ一嶋曜﹀気一二(ちωω)・鉾卜︒$・"即

OヨFコ︒9ζ碧員αq︒慈p犀二︒の寄一9︒︒鷲冴乙︒三①罰鵠嘗ユ999︒・号三の9︒口つ︒5葺ω﹁︒3ヲしσ二﹄・(一Φω一γ堕卜︒コ・

 (2)ライヒ強制に関する規定と非常措置権に関する規定は︑プロイス草案︑第一・二政府草案︑および憲法委員会案では︑いず

れも別個の条項に規定されていたが︑第三読会(一九年七月二九日‑三一日)で︑第三項が定める国会の廃止要求権がライ

ヒ強制のためにとられた措置にも及ぶことになったため︑法典編纂上の都合から⁝箇条(第四八条)にまとめられることにな

(27)

憲 法 破 殿(Vcrfasgungsdurcllbrechung)の 概 念1E‑一

(剛肖z・ρ"・魔§="ド削しd(酬︒︒・︒f9§ζ・刷量<&§7q︒︒7qεN︒詳の︒.憎⁝h=儲﹃℃︒三={﹄︹{﹄(護)ご︒・︒・)︒この内︑ライヒ強制に関する規定は︑フ・イ草案以来内篁ほとん憂更されなかったが︑非常措馨に學る規定は︑幾つかの墨菱更を受けることにな2﹂・以下変更部分を忠に紹介し

てお/︑︒まず︑.フ・イス草案(第六三条)では次のように規定されていた・

﹁ドイツ自由国家において︑公共の安全と秩序に莫な讐が害︑廼は生ずる虞れのあるとミ大籍は武力を行使し︑かつ︑公共の塞と秩序を回復するために必要な命令(︾8aコ§頓)を発することができる・森鰹ノ旨の命令に

遅滞なく国会の承認(O窪9註αq慧αq)を求め︑承認窒られないときには︑これを擢しなければならない・﹂

強 .盛 嚢 讐 .難 縫 ﹂.盤 露 弩 伊雛 ゼ 簸 解 留 緩 駄凝

の停止が奨されることになった︒即ち︑﹁・.⁝大統領は︑⁝‑必饗命令を発することがでぎる・この目的のために・大統領は︑築二条︑三三条︑および三嚢から三八条に定めた基本権の全部又竺部を停止することができる・大統領はこのへ叩Apについて...⁝﹂(..⁝部盆プ・イス草案と同じ)(琴矯・・諺二).さらに︑国民議会第読会(二月二四日i三

鶏 旭 触 黙 羅 籍 殿 輻 摺 請 い崩 継 藩 鍵 識 黙 嘱鰹 繰 環鐸 乱 讐 踏 選 魏 段

(一二.)

(3)篠原丁前掲書︑二二頁︒

(4)〜︑︒量茎巷碧p>三養︒コセ﹁願翌弱.塞ウ

(5)=﹂︑﹁2・︒〜﹄■〇二撃o︒︒⊥︒ピ(6)轟︻.ノぐ帥一オ剛='↓;=.一﹃三︹︒づ抑葺葺二︒=帥写‑.﹃凋.コξ︒譲⁝‑亀⁝;⁝ξ}一{二畢薯

(7)=.

(8)鍔=︒琴︒p多二︒琶く塞彗量酬二養﹄二.9η告︒藝

(9)第四八条笛項が定ψ︒一.ント政府の非簿馨も詳の危機状況の塵であった.前述したように・当時・犀饗と

27

C?2s)

(28)

国政府が所在していたワイマールはゼネ・ストのため周阻との連絡を絶たれ孤立状況に陥っていたが︑このような場合には︑

地方の暴動に対して各ラント政府が︑暫定的にせよ︑単独で必要な措置をとりうるようにしなければならないとされたので

ある︒このような理由から第二読会で民主党パース︑中央党バイェル(じdo唄oユo)︑国家人民党デルブリュック議員の共同提案

にもとついてラント政府の非常措置権制度が新設されることになった(団.=o=蹄oPス騨甑o口巴<o﹁ω撃口臼日い螺コαq・切q・㎝・ωGっ・

Q︒bこωΦ1ωトこω評=.℃B=PppOこωω.一81崔O)

()(1)一八七一年憲法第六八条の戦争事態制度が第四八条のモデルとなったことについては︑O・ン一μω︒プ葺N・m・mrO二㏄・に刈9

}ん●O毒皇PPO二ω・b︒拐唄0・ピ.菊oω︒・詳0509m葺=江8巴じ言臼8﹁巴冒弼(一詮ω)・づ・ω㊦・

なお・参考のため紹介すれば︑同憲法第六八条は次のように規定していた︒﹁連邦領域内で公共の安全が脅かされるとき︑

皇帝は︑その領域のいかなる部分をも戦争事態にあると宣言することができる︒このような古日;口の要件︑布告形式および効

力を規律する国の法律が制定されるまでの間は︑一八五一年六月四日のプロイセン法律の規定が代って適用される﹂

この規定にもとづき皇帝が戦争事態を宣言すると(プロイセン法律によれば︑宣言は︑太鼓をたたくこと︑劇夙の吹奏︑掲示

等によって行なわれる)・その効果として︑基本権の停止(プ・イセン法第五条)︑執行権の軍司令官(≦葺ωげ昏三巴︑憲.)

への移譲(同第四条)︑放火・浴水等の刑の加重(同八‑九条)︑軍法会議(謹︒ぴ・︒・αq㊦誉窪)の設置(同第一〇条以下)等

が生じた(O■﹀コω67葺鉾野PO二6っ・トこ刈㎝)︒なお︑一八五一年のプロイセン法律については︑藤田嗣雄.前掲書︑三一頁

以下参照︒

(11)第一次大戦が発生するとともに︑戦争に対する態度をめぐっズ社会民主党内部に三つのグループが形成されることになっ

た︒第一のグループは︑祖国防衛を唱え城内平和を主張する右派で︑当時主流派を形成していた︒第二のグループは︑反帝

国主義︑平和主義を標榜する左派であり︑第三のグループは︑戦争を内乱へ誘導しようとする少数からなる最左派(スパル

タクス団と称せられる)である︒この内︑第二と第三のグループが︑一九一七年春独立して独立社会民主党を結成し︑さらに

一八年一二月には︑そこからローザ・ルクセンブルクらに指導された第三のグループが独立し︑共産党(溶9自ヨニコす二m︒一日︒

℃簿諄o一〇〇¢虜〇三窪Oω)が結成されることになった(参照︑篠原一・前掲書︑三三頁)︒

(12)ρピ・幻o︒︒ω=05㊤・POこサωご男竃.芝彗ド冒︒︒噂P帥・○二℃・話・

(13)団7Pノく讐臨嵩伊℃.}曾なお︑第一次大戦中宣言されていた戦争事態および合囲事態は︑一八年}一月=一日︑人民委

(130)

28

(29)

憲 法 破 殿(Verfassungsdurchbrechung)の 概 念 ←)

員政府によって廃止された(閏γカ.},{二げΦ﹁鴇︼UOκ¢︻口①口侍O}じuα騨ω℃の・①刈)︒しかし︑人民委員政府は一九年一月からの激し

い反政府運動のため︑再び一八五一年プロイセン法にもとづき各地に合囲事態を宣言することになった(ぎ罷こし∩しQ.Q︒野一〇9

一〇QQ"ご㎝)︒

(14)国甲国①に蹄oPZ簿甑o昌巴くΦ笏鋤ヨ∋ξおぴq周切篇・鈎oっ.ωトの蒔O旧以下本文中の()内は頁数を示す︒

(15)以上のようなコーン議員の第四八条削除の主張に対して︑プロイスは次のように反論し︑第四八条の必要性を主張した︒

﹁もし︑コーン氏が自分の思い通りに憲法を制定することができたとしたら︑この種の規定なしで済ますことがでぎたとは

思われないのであります︒実際に︑我々よりも政治的に遙かに彼に近い人々が︑ブレーメンや︑ミュンヘンやその他の所で

も︑合囲事態なしで統治することはできなかったのであります︒(右・中央および左の席から盛んな拍手︑独立社会民主党

席騒然と'なる)﹂このように述べたあとプロイスは︑第四八条と帝制下の合囲事態の間には決定的な差異があり︑コーン議

員はこの点を看過していると批判する︒プロイスによれば︑帝制下の合囲事態の場合には︑国会に貴任を負わない軍司令官

に最終的決定権が移行したのに対して︑第四八条の場合には︑国会に対して責任を有する内閣の責任の下に大統領は行動し︑

しかも彼の命令は︑国会が要求するとき失効するのであり︑この意味で両者は決定的に相違するのである(口)陣(一二の.もQトこ蒔⑪)︒

さらにプロイスは︑第四八条の必要性を次のように述べる︒﹁今や官庁は︑機関銃や手榴弾などの所有物を没収し︑危険を除

去することがでぎなければなりません︒このことは公共の安全と秩序を維持するために絶対に必要なことなのであります︒

今日のような状態の下では︑この種の規定を欠くことは不可能といえましょう︒私は︑コーン氏が我々と一致団結して合囲

事態を全く不要とするような状態の創出に努力されることを期待するものであります﹂(一σ窪こしりuQ̀認おーω貿刈)

(16)男ζ芝讐剛房・〜・二・・○こ℃﹂心.

(7i)たとえば︑国会の一二分の二以上の議決にもとづき︑国民投票により大統領を解職しうる制度(第四三条第二項)や︑困会

の憲法改正多数の議決による提訴にもとつぎ︑国事裁判所が大統領の憲法または法律違反について審査する制度(第五九条)

など︒

(18)..

(19)︿Φ§αq8.ω2ト︒つ︒︒︒.

(20)ω︒︒

131)

29

(30)

(21)ド一紳o一一費§'客三〇3一ぎ話雪巴言α⊇噂に︹r刈Ψ鴛O.

(22)<9げm嵩qξ臣ぴqoPン三帥α自o量Z脱・もQ¢ピG∩しっ︒bこ㏄刈ーN㏄㏄

(23)国曹=巳一時oロ"Z簿二〇昌巴くo﹃︒︒餌ヨ臼ξ=ぴq冒切⊆.SG∩・ω刈O旧なお︑プロイスはこの修正を草案の改善(!︑o戦げo臣①罪53q)とす

る︒(匡.℃槻O藁じQ樋自ρ.簿.Oこω・一〇心)

(24)団・}囲o富守oPZ"二〇コp一く頸ωヨ=二二5ぴq層しd傘9㏄囑ωトこ慶幽

(25)一σΣこQQ・ωN心刈・

(26)たとえば︑第四八条第二項にもとつく措置は︑第二項列挙の七つの基本権以外の憲法規定に拘束されるのかどうか︑もし

拘束されるとすれば︑一八五一年プロイセン法が定めるような軍司令官への執行権の委譲や軍法会議の設置は許されないの

かどうかといった点は必ずしも明確にはされていなかった︒さらに大統領は︑第二項にもとついて事実上の警察措置のほか

に法律的効力を有する法規命令(緊急命令Zo↑く窪o拭昌ニコαq)をも制定することができるのかどうか︑という点も必ずしも明

確ではなかった︒ただ︑国民議会で︑国家人民党デルブリュック議員が第五項にもとつく法律が制定されるまで第四八条の権

限は無制限のものであり︑したがって︑刑法規定を含むあらゆる法規命令を大統領は制定することができると主張した(団・

=Φ=坤oPスp︒鉱oづ巴くo﹃ωp∋∋一ニコ堕しご創・9しり.ωbo㎝O)のに対して︑プロイスは︑緊急命令の制定は︑一八七]年憲法下と同様

に︑国会がその都度制定する授権法にもとついて行なわれるべきことを主張しており(<o﹁げ餌づ二一琿口ぴqoコ海ン⇔邸αqo量ヌ﹃・ω︾

一肋︑劇bの)︑そのかぎりでは︑第四八条には緊急命令制定権は含まれていなかったということができる(<αqごO・ピ・閑o︒自巴酔o﹃.

曽.p.Oこ℃.心卜o桝閃・7P〜<拶一犀言9m﹁mrO二掌一㊤)︒なおこの点については後述する︒

(132)

30・

 

∬非常措置権の運用(一九年‑二四年)

社会主義革命に対する危機意識から生み出された大統領の非常措置権は︑成立後直ちに直面する危機状況に対して

頻繁に行使されることになった︒

ワイマ!ル共和国は︑一九年秋から二四年春にかけて︑政治的経済的に重大な危機に直面することになる︒即ち︑

ザクセソおよびチューリソゲソ・ラソトにおける社会主義政権の樹立︑民族主義者による右翼反革命の企図︑フラソ

参照

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