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現代社会 におけ る都市景観 と住民 さ ん さ き ざ か

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現代社会 におけ る都市景観 と住民

さ ん さ き ざ か

谷 巾 ・三 崎 坂 を 事 例 と して

竹 中 宏 子

は じめ に

戦後 の 日本 に お け る社 会 変 動 の 一側 面 と して 、産 業 化 、人 口 の都 市 集 中 、 そ して そ れ に 伴 う都 市 的 生 活 とそ の農 村 社 会 へ の 浸透 の 過 程 で あ る都 市 化 が 挙 げ られ る。 特 に大 都 市 東 京 で は 国 の 中枢 機 関 の一 極 集 中 に伴 い 、 内部 地 区(イ ンナ ー エ リア)に お い て は 、昼 間 と夜 間 の人 口 差 が 激 しい こ とか らも わ か る通 り、 定 住 人 口 の 郊 外 へ の流 出 、 地 域 住 民 の 高 齢 化 、 コ ミ ュニ テ ィ の 弱体 化 、 そ して住 宅 や 都 市 施 設 の老 朽 化 や 、 土 地 利 用 の 不 計 画 性 に よ る居 住 環 境 の悪 化 な どの イ ンナ ー シ テ ィ問 題 を 抱 え て い る。 本 稿 で は、

台 東 区 谷 中 地 区1(以 下 、 谷 中)を 例 に と り、 こ の よ うな 現 状 に 柔 軟 に取 り組 ん だ住 民 の 行 動 の考 察 を 試 み る。

谷 中 が属 す る台 東 区 は 、 昭 和35年 を ピー ク に 人 口 減 少 の 一 途 を た ど る2 な ど、イ ンナ ー シテ ィ的状 況 が 著 しい地 域 と報 告 され て い る3(グ ラ フ1)。

商 業 地 域 が 約7割 を 占め る 台 東 区4の 中 で 、 谷 中 は 住 宅 と寺 院 が 多 い 地 区 で あ る。 近 年 で は、 「寺 院 が 多 く江 戸 的 情 緒 を 残 す 町 並 み 」 と して東 京 の 観 光 ス ポ ッ トの 一 つ に数 え られ て い る。 当地 区 内の 上 野 桜 木 で は 、 この 町 並 み を 基 盤 と した 景 観 が 壊 さ れ る と して、 或 る 高 層 マ ンシ ョン建 設 計 画 が 浮 上 した際 に反 対 運 動 が 始 ま った。 建 設 工 事 が始 め られ た現 在 で も、 この 運 動 は続 い て い る。 現 時 点 で はそ の マ ン シ ョンの 約8割 の 区 画 が 既 に 売 却

済 み5で 、 工 事 の 中 止を 迫 る に は非 常 に 困難 な状 況 に あ る。

谷 中 では 過 去 に も同 様 に高 層 マ ン シ ョ ン建 設 の 話 が あ っ た。 三 崎 坂 の ラ

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イ オ ンズ マ ン シ ョンで あ る。 この場 合 、 建 設 者 側 と住 民 との 幾 度 に もわ た る協 議 の 結 果 、住 民 の 「町 の 景 観 を 損 なわ な い 谷 中 ら しい 建 物 に変 更 す る 」 要 求 に 建 設 者 も歩 み 寄 りを 見 せ 、原 案 で は9階 建 て に予 定 され て い た建 物 の 高 度 を6階(一 部4階)に ま で下 げ る こ とが で き た。 両 件 と も住 民 の 要 求 は 同 様 で 、建 設 自体 に 反 対 す る の で は な く、 周 囲 の景 観 に 配 慮 した建 物 へ の 変 更 を 迫 る 内容 の もの で あ る。 調 査 を 進 め る 中 でみ とめ られ た両 件 の 相 違 点 は 、 高 層 マ ン シ ョン建 設 問題 が 浮 上 す る以 前 に 、 景観 を 守 る ため の 様 々 な 住 民 の 活 動 が あ っ たか 否 か で あ る。 そ して そ こで は 、 あ る特 定 の人 物 が 、 景 観 を 保 護 す る アイ デ ィア を 出 し、 実 現 させ て きた経 緯 が み とめ ら れ た 。 エ スニ シ テ ィ研究 で は 、エ ス ニ ッ ク グル ー プ と して集 団 化 す る、 も し くは エ スニ ッ ク運 動 に 発 展 す る 際 の リー ダー を 原 初 的 関心 ま た は利 害 関 心 の 高 低 に よ り類 型 化 を 行 っ た もの が あ る。 この 類 型 を通 して 、 問題 とな る運 動 、 あ る い は 当 該集 団 自体 の基 本 的性 格 を 捉 え る こ とが で き る と論 じ て い る6。 ま た 、 非 日常 、 つ ま り祭 礼 の コ ンテ キ ス トで は 、 特 定 の 人 物 の 発 案 で祭 りが 大 き く変 化 した事 例7、 そ して 個 人 の 想 い が 後 に 全 国 に 流 布 す る 祭 りを 作 り上 げ る例 が 報 告 され て い る8。 以 前 に筆 者 も、 特 定 人 物 が 、 新 しい 祭 祀 集 団 を結 成す る一 つ の 要 因 に な っ た こ とを 論 じた こ とが あ る9。

そ こで 本稿 で は 、第0に 、「発 案 者 一 リー ダー 」 の行 動 に 焦 点 を 据 え な が ら、

三 崎坂 に お け る一 連 の景 観 保 護 活 動 の経 緯 を 明 らか にす る。 こ こか ら、 イ ンナ ー シ テ ィ 問題 を 抱 え なが ら も外 部 資 本 が 侵 入 して く る地 域 の 住 民 が 、 景 観 破 壊 を 危 機 と意 識 しそ の 保 護 活動 を 実 践 す る に 至 る場 合 に 、 「発 案 者 一 リー ダー 」 の 存 在 の有 無 が 鍵 とな る こ とが わ か るで あ ろ う。

「発 案 者 一 リー ダー 」 の 行 動 を 追 っ て い く と、 彼 が 観 光 客 の 存 在 も積 極 的 に意 識 して い る こ とが み とめ られ た。 アー リに よれ ば 、 観 光 客 が 求 め る もの 、 つ ま り、 「観 光 の ま な ざ し」 が 向 け られ る の は 、 日常 生 活 で 習 慣 的 に 出会 う もの とは 区 別 され る よ うな何 らか の様 相 が あ る場 所 で あ り、 観 光

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現 代 社 会 に お け る都 市 景 観 と住 民 谷 中 ・三 崎 坂 を 事 例 と して79

は 、日常 と非 口常 との基 底 的 二 項 対 立 か ら生 じる もの で あ る10。 観 光 客 は 、 自分 自身 の 経 験 の 中 に は 存 在 しな い 他 者 の 現 実 生 活 の 中 に、 大 い に魅 力 を 感 じる とい うの で あ る。 この よ うな 、当該 社 会 の 人 々 に と って 「あ た り前 の 生 活 や 慣 習 が 、 観 光 と い う文 脈 に 乗 る こ とに よ り他 者 か ら評 価 を受 け 、 そ の結 果 、 自己 評 価 に もつ な が る こ とは既 に 論 じられ て い る11。 ま た 、他 者 か ら向 け られ る視 線 の影 …響 力 を 、都 市 祭 礼 に お け る見 物 人 や 観 光 客 と担 い 手 ・演 者 との 相 互 関係 を論 じた 都 市 祭 礼 研 究 も存 在 す る12。

そ こ で第 二 に 、 谷 中 ・三 崎 坂 で の 一 連 の景 観 保 護 活 動 に お け る 「発 案 者 一 リー ダ,.̲̲.̲」が 意 識 す る 「観 光 の まな ざ し」を 考 察 す る。「発 案 者 一 リー ダ ー」

の 言 動 や 行 動 、お よ び そ こか ら読 み 取 れ る彼 の 理 念 か ら、谷 中 に お け る 「観 光 の まな ざ し」 の あ り方 を 捉 え 、当地 区 の住 民 の 生 活 との 関係 を 検 討 す る。

こ こか ら、 経 済 効 果 の み を 目 的 とせ ず 、 生 活 者 主 体 の 生 存 の 戦 略 と して の

「観 光 」 が 明 らか にな る で あ ろ う。

1.谷 中 お よ び 三 崎 坂

まず 、 谷 中 お よび 三 崎坂 が位 置 す る三 崎 町 の 歴 史 ・地 理 的 背 景 と現 状 に つ い て簡 単 に述 べ る。

谷 中 は 、上 野 台 地 の 最 北 端 に 位 置 し、 そ の 南側 は上 野 公 園 お よび 上 野 地 区 と接 して い る。 また 、東 は根 岸 、 西 は文 京 区 の 千 駄 木 と根 津 に 、 そ して 北 は 諏 訪 神 社 の あ る諏 訪 台(現 在 の 荒 川 区の 西 日暮 里 付 近)に そ れ ぞ れ 隣 接 して い る(地 図1)。

谷 中 は 、 定 説 と して 、 上 野 台 地 と駒 込 との 谷 間 に位 置 し、 且 つ 、 「下 谷 」 に対 置 して 名 づ け られ た と言 わ れ て い る13。 しか し、 現 在 「谷 中 」 と通 称 され る土 地 の 大 半 は 、 上 野 台 に あ る。 従 って 、 一 般 的 に は 、 谷 中 の発 祥 地 は谷 間 で あ るが 、 そ こに 隣 接 して い た 高 台 の 方 ま で 「谷 中」 と呼 ぶ よ うに な っ た と説 明 さ れ る19。 一 方 、 現 在 の 谷 中2丁 目か ら5丁 目に わ た る 「三

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崎 」 町 の 由来 は 、「駒 込 、田端 、谷 中 の3つ の丘 が 鼎 立 す る と ころ で あ った 」 こ とか ら名づ け られ た とか 、 「不 忍 池 を 遡 れ る根 津 渓 の 上 流 に臨 ん だ み さ き崎 で あ った」 か らだ と考 え られ て い る15。

谷 中 は 、 古 くは 天 正18(1596)年 頃 か ら、 感 応 寺 古 前 町 、惣 持 院 門前 な どの 門前 町 と して 町 が形 成 され て い っ た。 特 に 明暦 の 大 火 に よ り焼 け 出 され た寺 院 が 、 谷 中の 地 に移 転 して き た の を機 に 、 門 前 町 と して拡 張 して い っ た。 寺 院 の 移 入 と と もに 、 溝 口 信 濃 守 、松 平 飛騨 守 の 下 屋 敷 や そ の他 の武 家 屋 敷 も建 て られ た。 この よ うに三 崎 町 は 、 そ の 寺 院 群 と屋 敷群 の 間 に位 置 して い たの で、 町 屋 と して 発 展 して い った。

明 治4(1871)年 に は 、 三 崎 坂 を 境 と して 南 側 と北 側 の 二 町 に 分 け られ たが 、 同6(1873)年 に な る と双 方 を 合 わ せ 、 さ ら に 同24(1891)年 に は 初 音 町3丁 目の 一 部 を 合 併 して、 現 在 の 町 会 区 分 に 見 られ る三 崎 町 の町 域 に

な っ た(地 図2)。 現 在 の よ うな 住 居 表 示 に な った の は、 昭和42(1967)年 の こ とで あ る。 こ う して前 述 の 通 り、 三 崎 町 は 、 谷 中2丁 目か ら5丁 目に わ た る地 域 とな っ たの で あ る。

谷 中 の 町 並 み は、 「寺 町 」 の 他 に 、 「江 戸 的情 緒 を 残 す 町 並 み 」 の よ うに 表 現 さ れ る こ とが 多 い。 これ は 、 谷 中が 関東 大 震 災 と第 二 次 世 界 大戦 の 東 京 大 空 襲 とい う二 度 の 大 災害 に よ る破 壊 を逃 れ て 、 古 い民 家 が残 っ た か ら

で あ る。

三 崎 坂 は 、 三 崎 町 を 南 北 に割 る よ うに そ の 中 心 部 を 横 断 して い る。 道 幅 は、10mほ どで あ る。 この 坂 を 下 る と不 忍 通 に 出 、 通 りを 渡 る と団 子 坂 が始 ま る。 現 在 、 三 崎 坂 に面 して 立 ち並 ぶ の は 、 主 に 寺 院 、 店 舗 、住 宅 で あ る(地 図3)。 この 坂 道 は 、都 市 計 画 上 、 谷 中 の大 半 が住 居 地 域 で あ る の に対 し、 近 隣商 業 地 域16に 定 め られ て い る。 つ ま り、 建 設 可 能 な建 物 に 対 して は 、 高 さ の 制 限 は な い の だ 。 昭 和50(1975)年 代 中頃 か ら始 ま っ た 地 価 高 騰 に よ り、 いわ ゆ る地 上 げ に よ る乱 開 発 が 不 忍 通 で も行 わ れ 、 この

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現代社会における都市景観と住民 谷中 ・三崎坂を事例として81 通 りに も 短 期 間 で一 気 に 高 層 ビル が 林 立 す る よ うに な っ た 。 「20年 前 ぐ ら い だ った か 、 不 忍 通 に あ れ よ あれ よ とい う間 に ビル が建 っ ち ゃ っ て 、 そ れ が こ っ ち(三 崎 坂)ま で 来 ち ま うん じゃ あ ね え か っ て危 機 感 が あ っ た ね 」

と三 崎 町 の 住 民 らが 語 る よ うに、 この 頃 か ら三 崎 坂 に景 観 保 護 へ の動 き が 見 え始 め た の で あ る。

2.ラ イオ ン ズ マ ン シ ョン 〔7建設 問 題

平 成10(1998)年9月 、 谷 中 三 崎 坂 に ラ イ オ ンズ マ ン シ ョ ン の 建 設 計 画 が 明 る み に 出 る と、 三 崎 町 の 住 民 は 、 「地 上 げ の波 が 、 と う と う こ こ まで 来 た か」 と思 っ た そ うだ 。 この ま まで は 、 三 崎 坂 も不 忍 通 の よ うに ビル が 林 立 す るの も時 間 の 問題 で あ り、 そ れ は 谷 中全 体 に広 が るだ ろ う と危 惧 し

た と も言 う。 当初 、 高 さ27.38mの9階 建 て 、 戸 数49に 予 定 され て い た マ ン シ ョ ンは 、 そ れ まで どん な に 高 くて も 申層 の 建物18し か 見 られ な か っ た 三 崎 坂 で は 、異 常 に 高 く、 外観 も至 っ て近 代 的 な 建 物 だ っ た。 この 建 物 に よ っ て、 寺 院 を 中 心 と した 景観 は 壊 され 、坂 の上 か ら も下 か ら も見 る こ と が で き、 高 さ か ら外 観 に至 る まで連 続 性 の あ る 眺 め を 失 う こ とは確 実 だ っ た。

そ こで 、 近 隣 住 民 、 谷 中 の各 町 会 、 下 谷 仏 教 会 、 谷 中の 町 の プ ラ ンニ ン グを 考 え る 「谷 中学 校 」19、地 域 の ミニ コ ミ誌(『 谷 根 千 』20)を 発 行 す る谷 根 千 工 房 な どか ら成 る 「谷 中の 町 を 考 え る会 」 が 、 マ ン シ ョン計 画 地 に お け る解 体 工 事 開 始 の約1ヵ 月 後 に発 足 した。この 会 を 住 民 側 の母 体 と して 、 様 々 な話 し合 い や 運 動 が展 開 され た。 そ して 「谷 中の 町 を考 え る会 」 発 足 か ら約2ケ 月 の 間 に3回 に わ た る建 設 者 側 と会 合 を 重 ね 、 そ の結 果 、 建 設 者 側 も、 建 築 計 画 の 確 認 申請 を取 り下 げ、 計 画 の 見 直 しに 合意 す るに 至 っ た(表1)。

そ の 後 の 検 討 会 議 で 建 設 計 画 は 、8階 建 て(一 部4階)の 第2案 を 経 て 、

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結 局 、6階 建 て(一 部4階)で 戸 数43の マ ン シ ョ ン とす る こ とに な っ た 。 そ の 過 程 で 、三 崎 坂 に 面 す る 、 あ る い は この 坂 に 隣接 す る土 地 所 有 者 の 間 で 「二 崎 坂 建 築 協 定 」 も締 結 さ れ 、 この 協定 に お い て 当坂 に は建 築 物 の形 態 と高 さ の 制 限 が 設 け られ た21。 ライ オ ンズ マ ン シ ョンの 決 定 案 も 当協 定

に準 じた建 物 とな っ た の で あ る。

しか し、 「谷 中 の 町 を考 え る 会 」 が 提 案 した の は 、 ラ イ オ ン ズ マ ン シ ョ ン が 「地 域 に 受 け 入 れ られ 、 谷 中 に あ っ た 建物 」22に変 更 され る こ とだ け で は な か っ た。 分 譲 マ ン シ ョンで あ る こ とか ら、 入 居 者 は そ こへ の定 住 を 予 定 して い る。 三 崎 町 の 住 民 は、 地 域 に 溶 け 込 ん で、 活 動 を共 に して くれ る人 々 の 入 居 を望 ん で い た 。 そ こで 、建 設 者 側 が 作成 す る 入 居 者 募 集 の 広 告 に 関 して も 、次 の よ うに 数 回 の変 更 を 迫 っ た。

初 め に 建 設 者 側 が 出 した 見 出 しは 、 「谷 中 の 町 の 景 観 を 私 た ち が守 り ま した」 とい う もの で 、 そ の 後 に少 し小 さな 文 字 で 「今 こそ 、 この 町 に住 む 私 た ちが 立 ち上 が らね ば!寺 町 谷 中 に あ っ た計 画 を大 京 に 提 議 し、 対 話 を 重 ね て 生 ま れ たマ ン シ ョ ン です 」 と書 か れ て い た。 この 見 出 しは 、 一 見 、 建 設 者 が 谷 中 の 景 観 を 守 った よ うに 思 わ れ る とい う理 由で 、 変 更 を 求 め ら れ た の で あ る。

次 い で 「谷 中 の 町 を愛 す る 人 た ちの 知 恵 か ら生 まれ ま した」 とい う見 出 し とな り、 そ れ に 「上 り坂 、 下 り坂 、 どち ら も同 じ坂 道 で した」 とい う フ レー ズ が 続 い た 。 当案 まで は 、 地 域 住 民 代 表 と建 設 者 との 交 渉 経 過 がNH Kの 番 組 で 取 り上 げ られ た こ とを 、宣 伝 ポ イ ン トの一 つ と して 載 せ て い た。

最 終 的 に採 用 さ れ た 見 出 しは 、 「谷 中 の 町 を 愛 す る人 た ち の 知 恵 に学 び ま した」 で 、 「上 り坂 、 下 り坂 、 どち らも 同 じ坂 道 で した 」 とい うフ レー ズ が 続 くもの で あ る。NHKで 取 り上 げ られ た 詳 細 は 削 除 され 、 代 わ りに 谷 巾 地 区 町 会 連 合会 会 長 と谷 中三 崎坂 会 長 の 連 名 に よ る 、 次 の 言 葉 が 載 せ

られ た 。

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現代社会における都市景観 と住民 谷中 ・三崎坂を事例として83 寺 町 の家 並 み が と ぎれ て しま うの は残 念 だ が 、 当初 の 対 立 か ら協 議 す る こ とが で き、 谷 中 に あ っ たマ ン シ ョン に 近 づ く こ とが で き た こ と は、 一 つ の 成 果 と考 え て い る。 今 後 は 入 居 さ れ る方 に も、

谷 中 の 人 情 を 伝 え 、 谷 中 の一 員 と して 住 ん で い た だ き たい 。

こ う して 、 住 民 と建 設者 側 の 直 接 対 話 に よ りつ く られ た 「画 期 的 な マ ン シ ョ ン」 とい う成 果 を 、建 設 者 側 の 成 果 と して0方 的 に奪 われ る こ とな く、

三 崎 町 の 新 住 民 を 募 る に至 っ たの で あ る 。

入 居 は 平 成12(2000)年11月 か ら開 始 され 、 平 成13(2001)年 春 に は 完 了 した。 入居 者 の 大 半 は 、谷 中 や そ の周 辺 地 域 か らの移 転 者 で あ る。 三 崎 町 に は 「全 く何 も知 らな い人 よ り、 町 の状 況 を 知 っ て い て 入 って き て くれ る人 の 方 が い い わ 。 後 は実 際 に 一 緒 にや って くれ るか ど うか だ け れ ど」 と い う意 見 が 少 な くな い 。 平 成13年 の 諏 訪 神 社 の 祭 りで、 三 崎 町 の 御 輿 は ライ オ ン ズ マ ン シ ョン に も立 ち寄 り、 新 住 人 を 歓 迎 す る様 子 が 見 られ た 。 ライ オ ン ズ マ ン シ ョン住 人 も、 三 崎 町 内 で行 わ れ る祭 りや 催 し物 な どの 際 に は 、 旧住 人 に 混 じっ て積 極 的 に 参 加 し、裏 方 の 仕 事 で協 力 して い る。 彼 らの 中 に は、 「町 会 の 活 動 に 参 加 した り、 近 所 づ き あ い を す る こ とを 前 提 と して こ のマ ン シ ョン に入 っ た」 と明 言 し、実 行 す る者 もい る。 ま た 、「谷 中 の 町 を 考 え る会 」 で は、 新 旧住 民 に よ る真 の 町づ く りは これ か ら始 ま る とい う認 識 を も って お り、 入 居 後 の ア ン ケー ト調 査 の 実 施 な ど、追 跡 調 査 も行 って い る。

3.三 崎坂 に お け る景 観 保 護 活 動

ラ イ オ ンズ マ ン シ ョ ン建 設 問 題 に 関 して 調 査 を 進 め る うち に、 筆 者 は 、 一 人 の 人物(A氏 とす る)の 存 在 に気 づ い た。A氏 は 、 三 崎 坂 に飲 食 店 を 構 え る 自営 業 者 で あ る。 最 近 で は主 な仕 事 は 従 業 員 に任 せ 、 店 に立 つ こ と は ほ とん どな い 。 地 方 出 身者 で、 東 京 の他 地 域 で の下 積 み を 経 て か ら、 自

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分 の 店 を 構 え るた め に 、昭 和50(1975)年 頃 谷 中へ 入 域 した。 彼 は 、10 年 ほ ど前 か ら谷 中三 崎 町 会 長 を務 め て お り、 ま た 、 「谷 中 さ ん さ き 坂 商 店 街 振 興 組 合」 発 足 当時 か らの 理 事 長 で もあ る。

ライ オ ンズ マ ン シ ョン建 設 問題 の 場 合 、 先 導 的 役割 を担 っ たの は、A氏 ば か りで は な か った 。 特 に、 谷 中 学 校 が 、 詳 細 に わ た る要 望 書 作 成 や マ ン

シ ョン の模 型 を 作 って 景 観 問題 の 所 在 を 明 らか に して建 設 業 者 を 説 得 した こ と、 そ して地 域 の ミニ コ ミ誌 で あ る 『谷 根 千 』 が 、 メデ ィ ア と して地 域 を 越 え て訴 え か け た こ とな どが 、問題 解 決 の大 きな 原 動 力 だ っ た。 しか し、

例 え ば、 マ ン シ ョン建 設 の 話 が 浮 上 した際 に、 近 隣 の寺 の 住 職 が 最 初 に相 談 を 持 ち か け た の はA氏 で あ った し、 谷 中学 校 に要 望 書 作 成 を 依 頼 した の もA氏 だ った。 一 般 住 人 は もち ろん の こ と、 関係 者 と話 を してい て も、必 ず とい っ て い い ほ どA氏 の 名 前 が 登 場 す る。 そ して 、 「そ の こ とは 、A氏

な ら知 っ て い る」 「私 よ りA氏 に 尋 ね た方 が い い」 と言 う人 も 多 い 。A氏 自身 も、 「こ っ ち は 好 き勝 手 に アイ デ ィ ア を だ す ん だ が 、 そ れ を きち ん と 模 型 なん か をつ くって くれ る の が 、 谷 中 学 校 の連 中 な ん だ よ な」 と、 自身 の 発 案 とそ の実 現 の た め の 協 力者 の 存 在 を 認 め る発 言 を す る。

本 稿 の 冒頭 で 述 べ た よ うに 、三 崎 坂 に お い て は 、 ラ イ オ ン ズマ ン シ ョ ン の 問 題 以 前 に景 観 保 護 の 活 動 が あ った 。 そ れ らは全 て 、A氏 が 発 案 した も の だ っ た。 本 節 で は 、 この 活 動 内 容 を 明 らか に す る。

(1)祭 りに よる 町 の 活 性 化 一 景 観 保 護 の 前 段 階 一

三 崎 坂 で は、 景 観 保 護 と して 建 物 に 関 す る諸 規 制 の 運 動 に 着 手 す る以 前 に 、 商 店 街 を 中 心 とす る町 興 しの 試 み が あ っ た。 最 初 の 活 動 は 、 昭 和 56(1981)年 頃 に 当 時 の 区 長 の 呼 び か け で 始 ま っ た 「江 戸 の あ る町 会 」 の 結 成 で あ っ た。 当会 は 、 「谷 中 の 良 さ を知 り、 勉 強 す る こ と」 を 目的 と し、

古 老 か ら話 を 聞 く形 で 始 め られ た。 そ の 後 、 聞 き取 りか ら明 治 あ るい は大

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現代社会における都市景観と住民 谷中 ・三崎坂を事例として85 正 時 代 の 地 図 を作 成 した り、現 状 の谷 中 の 様 子 を ビデ オ に 収 め て後 世 に残

そ う とい っ た活 動 に発 展 した。 活 動 が進 む うち に 「今 の うち に何 か行 動 を 起 こさ な い と、 谷 中 が無 くな っ て しま う。 地 図 に見 られ る昔 の 商 店 や 家 屋 な どわ か らな くな っ て しま う」 とい う危 機 感 が つ の っ て い った とい う。A 氏 は町 の 伝統 や 地 域 性 と関係 が あ る祭 りが 欲 しい と思 った。 そ こで、 か つ

て、 三 崎 坂 とは 不 忍 通 を挟 ん で つ な が る 団子 坂 に 菊 人 形 が あ り、 現 在 の 区 政 区 域 とは 関係 が な い 「谷 中」 と して の 祭 りが 行 わ れ て い た こ とか ら、「谷 中 菊 祭 り」 を発 想 した。

この 案 を 実 現 す る た め 、 まず 、 菊 祭 り実 行 委 員会 が 発 足 され る。A氏 に よ れ ば 、 複 数 の 町会 や他 の 団 体 か ら成 る実 行 委 員会 で な くて は 、行 政 側 か ら協 力 や 援 助 を受 け る の は難 しい。 当時 三 崎 町 会 長 で は な か ったA氏 は、

坂 に面 す る全 て の 町 会 に菊 祭 りへ の協 力 を 要 請 した。 この よ うに 、地 域 住 民 を 取 り込 む と共 に 、行 政 側 と手 を 結 ぶ た め の 手 段 と して 、 実 行 委 員 会 は 発 足 さ れ た の で あ る。

祭 り運 営 の資 金 調 達 に は 、 「谷 中 さ ん さ き坂 商 店 街振 興 組 合 」 の 発 足 が 関 係 してい る。A氏 は、 当組 合発 足 当時 か ら理 事 長 で あ る。 三 崎坂 に は既 に 、 「谷 中 さん さ き 坂 商 店 会 」 が 存 在 して い た が 、 当 会 は、 昭 和58(1983) 年 に 現 在 の よ うな商 店 街 振 興 組 合 へ と改 組 さ れ る23。 組 合 に な る と法人 格

を 与 え られ る の で 、 そ れ な りの 事 務 手 続 き で仕 事 が 増 え る こ とに な る が 、 何 らか の 活 動 を 起 こす ときに は組 合側 か ら助 成 金 が与 え られ る とい う メ リ

ッ トもあ る。A氏 は 、後 者 の 利 益 を 目論 ん だの で あ る。 この 助 成 金 と、実 行 委 員 会 を 構i成す る他 の 組 織 の 協 力 を 基 に、 昭 和59(1984)年 に 「谷 中菊 祭 り」24が大 円寺 で始 め られ た ので あ る。

同年 、 地 域 の ミニ コ ミ誌 で あ る 『谷 根 千』 が 創 刊 され る。 発 行 元 で あ る

「谷 根 千 工 房 」 は 、 「谷 中菊 祭 り実 行 委 員 会」 の メ ンバ ー で もあ る。A氏 に よれ ば 、 谷 中 に興 味 を 持 ち 、 当 地 に つ い て の 書物 を 出版 した い と考 え て い

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た 谷 根 千 工 房 の 中心 人物 が 、A氏 の元 を訪 れ た と ころを 勧 誘 した そ うで あ る。 更 にA氏 は 、菊 祭 りに つ い て の冊 子 を 発 行 す る よ う提 案 す る。 こ う し て 『谷 根 千 』 の創 刊 号 で は 「谷 中菊 祭 り」 が 特 集 と して取 り上 げ られ 、 そ れ に 因 ん だ記 事(「 団子 坂 の菊 人 形 」、「大 円 寺 と瘡 守 稲 荷 」、「三 崎 坂 」 な ど) が 掲 載 され た25。

翌 、 昭 和60(1985)年 に は 、A氏 の 呼 び か け の 下 、 三 遊 亭 圓 朝 の 墓 が あ る全 生 庵 で 「圓 朝 祭 り」2Gが開 催 され る。 これ は、 江 戸 か ら明 治 に か け て 人 気 の 高 か っ た怪 談 噺 の 名 人 、三 遊 亭 圓 朝 を 偲 ぶ もの で 、8月11日 に は落 語 の 寄 席 が 行 わ れ る。 そ こで は 、 圓 朝 の怪 談 噺 に 因ん で 全生 庵 が 保 有 す る 幽 霊 画 も公 開 され る。 これ に は エ ピ ソー ドが あ る。 第 一 回 「谷 中 菊 祭 り」

の 後 、A氏 は 、 全 生 庵 で 幽 霊 画 の 虫 干 しに 出 くわ す 。 彼 は住 職 に 、 虫 干 し を 一 ケ月 間 公 開 して 欲 しい と要 望 す る。 返 事 を 渋 る住 職 に、 「谷 中 が 有 名 に な る と、 人 が来 て くれ る。 人 が 来 て くれ る っ て事 は 、谷 中 を 守 る っ て事 な ん だ」 と何 度 も訴 え、 よ うや く受 け 入 れ られ た の だ。 こ こか らA氏 の 、 外 に 向 け て谷 中 を 発 信 す るば か りで は な く、 地 元 住 民 に 対 して も その 価 値 に 気 づ くよ う触 発 して い る様 子 が 窺 え るの で あ る。

(2}谷 中小 学 校 の 改 築 お よ び 学校 前 ポ ケ ッ トパ ー ク の 建 設

昭 和63(1988)年 、 老 朽 化 し た谷 中 小 学 校 が 改 築 さ れ る こ とに な っ た 。 設 計 は 同 年 の7月 に 始 ま って い た が 、 台 東 区 か ら住 民 へ の 説 明 が あ っ た の は 、11月 頃 に な っ てか らで あ っ た。

当 初 、 台 東 区 は 、 小学 校 お よ び学 校 前 公 園(ポ ケ ッ トパ ー ク)の 大 よ そ の 構 想 しか も って い な か っ た。 そ こでA氏 は 、 区長 に 「住 民 に 開 か れ た感 じの 学 校 と公 園 をつ く りたい 」 と要 望 し、 住 民 参 加 の話 し合 い の 場 と して

「谷 中 小 前 公 園 を 考 え る 会 」 を立 ち上 げ た。 そ こ に は 谷 中学 校 も参 加 して お り、 専 門 家 の立 場 か ら要 望 書 作 成 の協 力 を 行 っ た。

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現 代 社 会 に お け る都 市 景 観 と住 民 谷 中 ・三 崎 坂 を事 例 と して87

翌 平 成 元(1989)年3月 ま で に 、 区 の 出 張 所 や 自宅 の2階 で 、 「谷 中 小 前 公 園 を 考 え る 会 」 の メ ン バ ー と、 区 の 施 設 課 、 あ る い は 教 育 委 員 会 と の 話 し合 い が何 度 も繰 り返 され 、 「谷 中 とい う寺 町 に 合 っ た学 校 」、 「町 の 人 と学 校 関 係 者 との 交 流 の 場 に な る よ うな 公 園 」27とい うコ ンセ プ トで 設 計 案 が 練 られ た。 更 に 、 「何 か シ ンボ ル を 置 き た い」 想 い か ら、谷 中 の 大 名 時計 に 因 ん で 、 同様 の 時 計 を 設 置 す る こ とを 要 望 した 。 大 名 時 計 だ け で も 一 千 万 円 以 上 を要 した。 当時 は、 バ ブ ル 景 気 の 只 中 だ っ たの で、 設 置 が な ん とか可 能 とな っ た と関係 者 は語 る。

最 終 的 に谷 中小 学 校 は 、城 の よ うな 白壁 に瓦 屋 根 の 建 物 に新 改 築 され た。

先 に 述 べ た よ うに 、 ポ ケ ッ トパ ー クに は谷 中 の シ ン ボル で あ る大 名 時 計 が 設 置 さ れ て い る。 「谷 中 に 合 った 建 物 」 とい うだ け で は な く、 結 果 的 に 一 種 の 観 光 ス ポ ッ トと も思 わ れ る場 に な っ た の で あ る。

(3)初 音 交 番 の建 設

は つ し ち ょ う

初 四 町28内(谷 中3丁 目7番 地)に 、 明 治42(1909)年 か ら、 昭 和 19(1944)年 お よ び 同42(1967)年 の 改 築 を経 て 、 初 音 派 出所 が あ っ た。 当 派 出 所 が 、 平 成4(1992)年 頃 に 三 崎 坂 に 移 転 して くる 話 が 浮 上 す る。A 氏 は早 速 「三 崎 坂 派 出所 を考 え る会 」 を 発 足 させ 、 谷 中学 校 に も依 頼 して 参 加 して も ら う。 谷 中 小 学 校 の場 合 と同 様 、 「谷 中 に相 応 しい 建 物 」 を コ ンセ プ トに 図面 が描 か れ る。 瓦 屋 根 葺 き で 、建 物 の 前 面 に は木 を植 え、 建 物 自体 は威 圧 感 を 与 えな い よ うに道 路 か らな るべ く引 っ込 ん で建 て る案 を 下 谷 警 察 署 に提 出 した 。 そ の 際A氏 は 、 「あ ん ま りき ち ん と した の を 出 し

た ら具 合 が 悪 い。 素 人 が 描 い た よ うに して 出 した ほ うが い い 」 と、 手 書 き で 図 面 を描 くよ う勧 め る。 権 威 主 義 的 な空 気 が 漂 う警 察 を 相 手 に 、 「建 築 に 関 して 素 人 の 住 民 が 、 一 所懸 命 お 願 い す る姿 」 を 印象 付 け る とい う戦 略 な の だ。

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警 察 側 も 、襲 撃 や 火 災 に対 す る配 慮 か ら交 番 の 建 築 に は構造 や 素 材 の面 で 規 制 が 多 い た め29、 考 え る会 か らの 提 案 は、 なか な か 受 け 人れ られ な か っ た。 そ こで 、 当時 の 署 長 らに 谷 中 を 歩 い て も ら うよ う懇 願 す る。 実 際 に 町 を見 て も らい 、 図面 を再 検討 して も ら う こ とが 目的 だ っ た。 この願 い は 受 け 入 れ られ 、 署 長 他 数 人 が 住 民 の 要 望 に応 え るべ く谷 中を 訪 れ 、技 術 的 に受 け 入 れ 可 能 な最 低 の線 で 、 瓦 屋 根 葺 き仕 様 と入 り口 を道 路 か ら引 っ込 め る こ とに 同意 す る に 至 った 。

警 視 庁 の 署 長 は 、1、2年 で転 属 に な る。 部 下 で も、長 くて5年 で勤 務 地 を 変 わ っ て しま う とい う。 この よ うな い わ ゆ る役 人 と、 定 住 して い る住 民 との 対 話 が一 番 難 しい とA氏 は語 る。 そ の 中 で 、 当 時 の 下 谷 警 察 署 長 が 住 民 の要 望 を快 く受 け入 れ た こ とを 、A氏 は高 く評 価 して い る。 現 在 、下 谷 警 察 署 内 で この エ ピソー ドを 知 る者 は い な い。

(4)公 衆 トイ レの設 置

A氏 は 、 何 年 も 「谷 中 菊 祭 り」 を 開催 す る うち に、 公 衆 トイ レが な い 不 便 さ を 経験 す る。 祭 り執 行 に あ た り、 寺側 か ら簡 易 トイ レを 設 置 す る こ と を 条 件 に 境 内 の使 用 を 許 可 され て い る こ とか ら、毎 年 、 トイ レの 設 置 だ け で も数 十 万 円 の 費 用 を 要 して い た。 この 出費 を 回避 す る 目的 か ら、谷 中小 学 校 前 に公 衆 トイ レを つ くる要 望 を 区 政 懇 談 会 に提 案 した 。 た だ し、A氏 の 語 りで は 、第 一 に 三 崎 坂 は 、 盆 や 彼 岸 に車 の往 来 が 激 し く、 そ れ だ け人 が 集 ま る に もか か わ らず 、坂 上 まで 公 衆 トイ レが な く、 第 二 に 、菊 祭 りを 初 め 様 々 な 祭 りが 行 わ れ て い る ため 公 衆 トイ レが 必 要 だ とい う順 序 で 説 明

され る。

通 常 、 公 衆 トイ レの 設 置 に は、 住 民 の 反 対 が 付 き物 だ とい う。A氏 に よ る と、 区 役 所 側 で は周 辺 住 民 の 反 対 多 数 を 予 想 して 、 「住 民 の 賛 成 を とれ れ ば 応 じる」 と高 を く くっ て い た よ うだ。 と ころ がA氏 が 賛 成 を 表 明 す る

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現代社会における都市景観と住民 谷中 ・三崎坂を事例として89 署 名 を 獲 得 して く る と、 「何 だ 、Aさ ん が 言 って た の か 。 これ は 引 っ か か った な 。Aさ ん に か か っ た ら、す ぐに判 子 押 しち ゃ うよ」 と応 え たそ うだ。

こ こか らも、A氏 が 区 役 所 で も知 られ た 町 づ く りに 関 す る諸 活 動 の リー ダ ー 的存 在 で 、 住 民 か らか な りの 信 頼 を得 て い る こ とが理 解 で き る だ ろ う。

こ う して 平 成10(1998)年 、 谷 中小 学 校 の 建 物 の 一 部 と して 入 り口 の 脇 に置 かれ て い た コ ミ ュニ テ ィ委 員 会 の ごみ 置 き場 が 、 特 別 な 場 合 に使 用 可 能 な 公 衆 トイ レ と して新 設 され た30。

本 節 で見 て きたA氏 の 行 動 は 、 彼 の 地 域 に お け る リー ダー と して の 特 質 の 形 成 過 程 で もあ る。 小 浜 は 、 占領 下 の 谷 中地 区 に お け る町 内会 の 再 編 過 程 の 研 究 を 通 して 、 戦 前 ・戦 時 に お け る居 住 年 数 の 長 い 地 域 の有 力 者(来 住 二 世 代 目を 含 む谷 中生 まれ の地 付層 と来 住 者 層)に 替 わ り、 賃 労 働 者 か

ら 自営 業 主 層 へ と上 り詰 め た来 住 者 が 町 内の リー ダー と して 現 れ る過 程 を 述 べ て い る3t。A氏 の 場 合 は、 来 住 時 か ら 自営 業 者 で あ っ た の で 、 小 浜 の 指 摘 とは 多 少 状 況 を異 に す るが 、 定 住 す る こ とで町 内 に お い て 経 済 ・社 会 的 な 基 盤 を 確 立 した こ と は確 か で あ る。 彼 が 三 崎 町 会 長 に選 ば れ た の は、

一 連 の 活動 期 間 の 途 中 に お い て で あ る。 本 節 を 通 して、 時 の 経 過 と と もに A氏 の 存在 感 が 強 ま り、住 民 か らの信 用 を 獲 得 す る に 至 る過 程 が見 られ た。

A氏 の ア イ デ ィ ア か ら始 ま っ た 一 貫 し た町 の 活 性 化 や 景 観 保 護 の運 動 は 、 住 民 の 生 活 に 対 す る 意 識 を 高 め 、 地 域 住 民 と して の結 束 の 基 盤 を 形 成 す る結 果 に至 っ た。 この下 地 が あ っ たか ら こそ 、 ライ オ ンズ マ ン シ ョ ン 建 設 問 題 が 起 こ って も、 既 存 の ネ ッ トワー クを使 って 問 題 解 決 に い ち早 く 取 り組 め た の だ と考 え られ る。 これ ら一 連 の活 動 に は 、 自営 業者 で あ るA

氏 の 商 店 街 を興 そ う とい う 目的 が 全 く含 まれ て い な か っ た とは 断定 で きな い 。 しか し彼 は 、 当地 域 の 住 民 で も あ り、 町 会 長 で もあ る。 「若 い うち は ど こへ で も行 か れ て い い が 、 年 取 った ら町 や 近 所 しか な くな る ん だ 。 だか

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ら、 町 の こ とを 考 え な くっち ゃ」 と、彼 は語 る。 経 済 面 のみ に と らわ れ な い地 域 へ の 関 わ りの意 図 が 、 この 言 葉 か ら読 み取 れ る。

4.「 観 光 の ま な ぎ し」 の 取 り込 み

第2、3節 で 見 て き た三 崎 坂 に お け る一 連 の 活 動 につ い て 、A氏 は 、「町 ・ 町 の 者 の た め に」 あ るい は 「町 ・町 の 者 の こ とを 考 え て」 とい う表 現 を よ

く使 う。 これ に 加 え て 「『谷 中 は い い な』 と思 わ せ る。 見 に 来 た人 の 目 を 借 りて、 町 の保 存 に 繋 げ るん だ な 」 とも語 る。 つ ま り、 地 域 や そ の住 民 を 考 え る 内 向 きの 志 向 性 と同時 に 、 観 光 客 を 対 象 に 、 外 に 見 せ る行 為 も視 野 に入 れ て い る こ とに な る 。 実 際 に 、 台 東 区 が 発 行 す る 「景 観 資 源 マ ップ 」 に も 「特 徴 あ る界 隈 、 み ち す じ」 と して 、三 崎 坂 が マ ー クされ て い る。 先 に挙 げ たA氏 の 言 葉 を 手 が か りに 、 本 節 で は 、 谷 中に お け る 「観 光 の まな ざ し」 を 考 察 してみ た い。

筆 者 が 調 査 に行 く と、 平 日で も カ メ ラ や 地 図 を 片手 に した 多 くの観 光 客 に 出 会 う。 彼 らの話 に 耳 を 傾 け る と、昔 な が らの 商 店 に入 った り、谷 中の 町並 み を 眺 め な が ら 「懐 か しい ね 」「何 か落 ち 着 く」とい う感 想 が き かれ る。

印刷 物 の 中 で表 現 さ れ て い る谷 中 に は 、 例 え ば次 の よ うな もの が あ る。

「寺 と坂 の あ る ま ち 、 静 か な た たず ま い に 先 覚 者 た ち の 足 音 が 偲 ば れ る」32

「一 歩 、 谷 中 の 街 に 足 を 踏 み 込 ん だ と き に、 こ れ 程 ま で 静 か に、

江 戸 の 町 並 み とた た ず ま い が 残 さ れ て い る こ とに 、 心 動 か され る と思 い ま す。」33

「谷 中 地 区 に は 、 古 い 民 家 と と もに 、 寺 院 も多 い。 東 京 の 中心 部 で あ りな が ら閑 静 で 、 独 特 な 雰 囲 気 が あ る。 町 並 み に は 江 戸 的 な 情 緒 も感 じられ る。」34

「ホ ッ とす る ま ち 、谷 中」.3rl

「緑 と空 と粋 の 町 。 江 戸 の風 情 が な つ か しい 、 三 崎 坂 中 あ た り」36

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現 代 社 会 に お け る 都 市 景 観 と住 民 谷 中 ・三 崎 坂 を事 例 と して91

これ らを 要 約 す る と、 谷 中 は、 「寺 町 」 と して の み で は な く、 「歴 史 性 を も っ た 町 並 み と、 静 か な 生 活 が 約 束 さ れ た 町 」 で あ る。 この 表 象 は 、地 域 の 「内」 と 「外 」 の双 方 か ら規 定 され て い る。 当該 住 民 自身 が 、 生 活 居 住 空 間 を静 か な 生 活 が 約 束 さ れ た場 と認 識 す る こ とに は 、 さ ほ ど問 題 は な い だ ろ う。 しか し、 「静 か な 生 活」 は、 外 部 者 に対 して 観 光 地 とな り得 る の で あ ろ うか。 そ こで 筆 者 は 、 この 「静 か な生 活」 とい う点 に着 目 した い。

アー リに よ れ ば、 「観 光 の ま な ざ し」 が 向 け られ る の は、 日常 とは 質 を 異 に した場 所 で あ っ た。 この見 解 を 踏 ま え て 、 浜 は、 科 学 万 博 を ピー ク と

して 下 降 して い った 「筑 波 山 の が ま」 の 観 光 性 の 要 因 の一 つ を 、 次 の よ う に述 べ て い る。

新 幹 線 網 や 高 速 道 路 網 が 整 備 され た こ とに よ って 、観 光 圏 が 大 幅 に 拡 大 した こ とが 挙 げ られ る。 単 純 に 言 っ て 筑 波 山 の ライ バ ル が 増 え た の で あ る。 そ して 、単 に 増 え た だ け で は な く、 新 た に視 野 に 入 っ て きた 観 光地 の 方 が観 光 客 に とっ て は 目新 しい 、 す な わ ち よ り非 日常 的 な の で あ る。 観 光 の ま な ざ しは 日常 か ら非 日常 に 向 け られ る もの で あ っ た。 観 光 の ま な ざ しが 成 立 す る た め の 条 件 で あ る 日常 と非 日常 の 落 差 が 、 筑 波 山 の場 合 、 相 対 的 に低 下 して き た の で あ る。 筑 波 山 は 、 次 第 に 日常 の 山 に な っ て き た の で あ る37。

「観 光 の ま な ざ し」 が 非 日常 性 を 指 向 して い るの な ら、谷 中 に お け る 「静 か な生 活」 は 、 観 光 客 に と って の非 日常 で あ り、 同時 に 当該 地 の人 々 に と っ て の 日常 な の で あ る。 本 来 、 人 間 の 日常 に あ るべ き 「静 か な 生 活 」 が あ る場 が観 光 地 に な る ほ ど、 現 在 多 くの 人 々に とっ て 日常 が 非 日常 化 して い る と考 え られ る。 この よ うな 自己の 「日常 」 と他 者 の 「日常 」 が 差 異 化 さ れ る か ら こそ 、 そ こに 「観 光 の ま な ざ し」 が 生 まれ る の で あ る。 谷 中 で は 守 り抜 か れ た 景 観 が 、 日々 の 生 活 を 営 む住 民 の 姿 に独 特 の魅 力 を 与 え 、 外

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部者 を 惹 きつ け る。 この よ うな 「日常 」 の 差 異 化 を 通 して 、 谷 中 は 、 他 者 に と って の 「非 日常 」 とな り得 る の で あ る。

こ の こ とは 同 時 に 部 外 者 か ら生 活 の 営 み を 覗 き込 ま れ て い る こ とに な る。 好 む と好 ま ざ る とに 関 わ らず 、 観 光 地 の宿 命 と して この よ うな状 態 を 受 け 入 れ な け れ ば な らな い。 谷 中 の場 合 も、 「生 活 を 覗 き込 む 」 観 光 客 を 不 愉 快 に 感 じて い る人 々 も少 な くな い と聞 い て い る。 これ は通 常 許 され る こ とで は な い の で、 多 くの場 合 、 観 光 業 者 の手 に よ っ て観 光 スペ ー ス が 作 られ 、 生 活 の 舞 台 裏 へ の 侵 入 か ら 自己 防衛 を す る結 果 に もつ な が る38。

しか し谷 中 の 場 合 、 日常 生 活 と生 活 環 境 そ の も の が 「観 光 の ま な ざ し」

に曝 され る とい う負 の側 面 を 伴 う こ とを承 知 しな が ら も、 来 訪 者 を拒 ん だ りは して い な か っ た。 む しろ、 外 部 者 か ら受 け る評 価 を 有 効 に利 用 して い る。 つ ま り、A氏 は 「外 」 か らの 評 価 を通 して 、地 元 住 民 た ち に 自 らの 生 活 環 境 の再 評 価 を 促 す こ とを狙 って い たの で あ る。 そ れ は 、 これ まで見 て き た諸 活 動 をA氏 が 始 め る際 に 、 「人 に 来 て も ら って 谷 中 の 良 さ を 知 っ て も ら う。 そ うす る こ とに よ って 、 町 の 保 存 につ な げ るん だ 」 とい うコ ンセ プ トを 訴 え て きた こ とか ら も読 み 取 れ る。 自 らが 自身 を 褒 め る よ り、他 者 か ら評 価 を受 け るほ うが 効 果 的 な の だ 。

ま た 、冒頭 で指 摘 した 通 り、谷 中 は基 本 的 に 住 宅 地 だ。 この事 実 か ら も、

谷 中に お け る 「観 光 の ま な ざ し」 が 、 昔 か ら続 く、 あ るい は現 状 の 生 活 や 環 境 の 維 持 を 通 して 、 あ くま で そ こで生 活 す る住 民 の た め に利 用 され るべ

き もの で あ り、 この 点 に お い て重 要 性 を 帯 び る の で あ る。

そ して 更 に 、 「高 層 ビル を 建 て さ せ な い」 とい うよ うな 住 民 の 生 活 に 直 接 関 わ る問 題 へ の取 り組 み が 、 景 観 資 源 を 保 護 し、観 光 地 と して の 評 価 に 繋 が る。 来 訪 者 を受 け 入 れ な が ら も 「観 光 ス ペ ー ス」 化 して しまわ な い こ

とが 、 「ま が い物 」 で はな い 「本物 」 の 評 価 を更 に高 め て い る の だ。

と こ ろで 、A氏 も地 方 か らの 来 住 者 で あ る。 外 見や 話 し方 か らは 、 地 元

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現代社会における都市景観と住民 谷中 ・三崎坂を事例として93 出身 者 とい っ て も疑 われ な い だ ろ う。 しか し実 際 は、 外 か ら来 て 、 谷 中 に 住 み 続 け 、 この 地 を 高 く評 価 し、 そ の よ さを 守 ろ う と活 動 して い る人 物 で あ る。 観光 とい う文 脈 の み で は な く、 外 か らの 目を 取 り入れ る こ とが 、 町 の 再 評 価 や 活性 化 につ な が る こ とを 身 を も って経 験 して い る 人物 で あ る と も言 え る。 だ か ら こ そ、 外 部 者 の 意 見 も聞 き 、誰 で も受 け入 れ る心 構 えが で きて い る の で あ ろ う。 谷 中 に は 、 様 々な 分 野 か ら多 くの 研 究 者 や 学 生 が 調 査 に 入 っ て くる が 、 これ をA氏 は、 「そ うい う人 た ち と話 を した り、 書 い た もの を 読 む と、 『あ あ 、 そ うか 』 と勉 強 に な るん だ よ」 と評 価 す る。

この 外 部 者 の 地 域 へ の 取 り込 み を 、A氏 の 他 に 、意 識 的 に 見 つ め る人 も い る。 次 の 言 葉 は 、 あ る 公 共 施 設 職 員 か ら筆 者 に 向 け られ た もの で あ る。

「学 生 さん が 来 た り、 あ な た の よ うな 人 が 来 る こ と に よ っ て 、 田∫

会 の 人 た ち も活 性 化 さ れ て る ん だ よ。 話 の 種 に しな が らね 。 そ う で な け れ ば 、 町 会 は 、 どん な に若 く っ た っ て40代 の 人 た ち ば か

りの 集 ま りだ よ。 い つ も同 じメ ンバ ー で 、 同 じ こ との繰 り返 しで は、 空 気 も澱 ん で 、 今 み た い な 活 気 は な い だ ろ うね 。」

おわ りに

従 来 、 本 稿 で取 り上 げ た よ うな景 観 保 護 の 活 動 に つ い て の 研 究 で は 、 保 護 す る側 の 住 民 と破 壊 す る企 業 との 両 者 の 対 立 に焦 点 が 当て られ 、 「住 民 」 が一 ま とめ に扱 わ れ て きた 感 が あ る。 何 か 新 しい 、 あ るい は 画 期 的 な こ と が 起 こ る 陰 に は 、 特 定 の 発 案 者 の 存 在 が み とめ られ る 場 合 が 多 い。 ま た、

同 じよ うな 状 況 に あ り、 同様 の 気 持 ち を抱 い て い て も、 そ れ が 集 団 内 で意 識 化 さ れ るに は 、 意 識 化 を促 す リー ダー の 存 在 が 不 可 欠 で あ る と筆 者 は考 え る。

エ スニ シテ ィ論 で は 、経 済 的 に 劣 位 に立 ち 、 か つ 文 化 的 に も隷 属 的 な地 域 で あ る とい うだ け で は 、エ ス ニ シテ ィが 顕 在 化 し、 政 治 動 因 が 生 じる説

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明 に は不 充 分 だ とい う見 解 が あ る。 「構 造 的差 別 を 、受 忍 限度 を 超 え た 『不 満』 と して集 団 な い し地 域 の 成 員 に認 識 させ 、運 動 を組 織 化 す る担 い 手(リ ー ダー)が 、 エ スニ ッ ク ・モ ビラ イ ゼ ー シ ョ ンに は不 可 欠 」39であ る とい

うの で あ る。 この概 念 に従 っ て 、本 論 で 見 て き た よ うな地 域 住 民 の 生 活 環 境 へ の 再 認 識 お よび 再 評 価 を考 え て み た い 。

イ ンナ ー シ テ ィ 問 題 を 抱 え、 且 つ 、 外 部 資 本 が侵 入 して くる地 域 で は 、 景 観 や 地 域 の 伝統 の 崩 壊 に対 して住 民 が 多 か れ 少 な か れ何 らか の 感 情 を抱

くで あ ろ うが 、 集 団 が 「危 機 感 」 を 認 識 す る に は 、や は り リー ダー の存 在 が 必 要 で あ る と考 え られ る(図1)。 ま た、 冒 頭 で指 摘 した 通 り、 住 民 は リー ダー に よ りそ の 集 団 と して の性 格 も決 定 され る とい え る。だ か ら こそ 、 本 稿 で扱 っ た 住 民 運 動 の よ うな事 象 を 把 握 す る場 合 、 リー ダー の 行 動 に着 目す る こ とが 重 要 で あ る。

次 に 、 本 稿 で は 特 定 人 物 が 景 観 保 護 あ る い は 生 活 環 境 維 持 の た め 、 「観 光 の ま な ざ し」 を 取 り込 ん で い る点 を 考 察 した。 この 特 定 人 物 は 、 あ くま で も住 民 の立 場 か ら 、観 光 に よ って も た らさ れ る 積極 的 な 効 果 を 狙 っ て い た 。 経 済 効 果 に 即 つ なが る よ うな 「観 光 」 を期 待 して い たわ け で は な か っ た 。 こ こに生 活 者 の 主 体 的 な 生 存 の 戦 略 が見 られ る。

この 視 点 か ら見 て 行 く と、 敵 と味 方 、 あ る い は 地域 外 部 者 と内部 者 を敢 え て厳 密 に 区 別 しな い柔 軟 な態 度 を 捉 え る こ とが で き る。 す る と、 一 連 の 景 観 保 護 へ の 関 わ りも 、硬 い抵 抗 の 意 味 合 い が強 い 「運 動 」 と して で は な

く、 ソ フ トで 臨 機 応 変 な 「活動 」 とも理 解 し得 る だ ろ う。

「住 民 」 を 一 枚 岩 で描 か な い とす る な らば 、 リー ダー の み で は な く、 さ らに多 様 な人 々 の 対 応 と 「戦 略」 を も把 握 しな け れ ば な ら ない 。 事 実 、彼 らは 自 らの生 活 と生 活 環 境 の観 光 化 の 間 で 、異 な る影 響 を 受 け て い る。 そ して さ ら に 、 ライ オ ン ズマ ン シ ョン入 居 者 の よ うな 新 住 民 の 参 入 に よ り、

町 づ く りに 変 化 が 見 られ る こ とは大 い に 予 測 され る。 今 後 も谷 中の 調 査 ・

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現代社会における都市景観 と住民 谷中 ・三崎坂を事例 として95 研 究 を 続 行 し て これ ら の 課 題 に 取 り組 み た い 。

11

3

濯4J676Q)

谷 中1〜7丁 目 お よ び 上 野 桜 木1、2丁 目 に 当 た る 地 区 。

こ れ に 関 し て は 、 国 勢 調 査 報 告(平 成7年)(1999,東 京 都 台 東 区 総 務 部 総 務 課, p.9)、 お よ び 東 京 と 台 東 区 住 民 台 帳 人1=1(1971〜2000年)を 参 照 さ れ た い 。 有 末(1999:pp.216‑222)は 、 東 京 区 部 の イ ン ナ ー シ テ ィ 的 状 況 を 中 林 を 引 き な が

ら(中 林 一樹,1983年10月,「 大 都 市 内 部 市 街 地 に 関 す る 研 究(1)一 一東 京 の 都 心 周 辺 高 密 市 街 地 の 現 状 に 関 す る 資 料 」 『総 合 都 市 研 究 』 第13号,東 京 都 立 大 学 都 市 研 究 セ ン タ ー,PP.113‑132)、 「地 域 社 会 の 衰 退 」、 「経 済 の 停 滞 」、 「市 街 地 環 境 の 衰 退 」、 「社 会 病 理 的 状 況 」 か ら 、 イ ン ナ ー シ テ ィ 的 状 況 の 人 小 を 導 き 出 し て い る 。

「⊥ 地 利 川 の 現 況 」p .1,p.25

本 売 却 状 況 は 、2001年 夏 の 情 報 で あ る 。 梶 田 孝 道,1988,pp,36‑50

1=11.̀L̲1,2000 矢 島 妙 子,2000 竹 中 宏 子,1999 10ア ー リ,J.1995,P.21

11川 森(1996:pp.150‑158)は 、 伝 統 的 な 文 化 が 、 ノ ス タ ル ジ ア を 求 め る 観 光 と い う 枠 組 み の 中 で 再 構 成 さ れ て い く 過 程 を 、 遠 野 を 例 に 論 じ て い る 。 橋 本(1996:

pp.178‑188)は 、 「壬 生 の 花 田 植 」 と い う 民 俗 芸 能 を 取 り一ヒげ 、 観 光 を 介 し て 生 成 す る 民 俗 芸 能 の あ り方 を 述 べ 、 観 光 と 民 俗 芸 能 の 保 存 と の 相 互 関 係 を 考 察 し た 。 ま た 、 山 下(1988:pp、157‑173)は 、 トラ ジ ャ を 例 に と り、 観 光 開 発 と そ の 促 進 に よ り 当 該 民 族 の 伝 統 文 化 が 彼 ら の 文 化 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 重 要 な 指 標 に な っ て い る 現 状 を 明 ら か に して い る 。 た だ し、 こ の 観 光 開 発1よ イ ン ドネ シ ア と い う 国 民 国 家 に よ り一一民 族 で あ る トラ ジ ャ に も た ら さ れ た も の で あ る 。

12京 都 の 左 大 文 字 に お け る 「演 じ る 者 」 ・「と も す 者 」 と 「見 物 人 」 ・「祈 る 者 」 の 動 態 的 な 相 補 関 係 を 明 ら か に し た 研 究(和 崎:X987)、 小 倉 祇 園 太 鼓 に お け る 「見 ら れ

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る 」 と い う他 者 か ら の 視 線 の 存 在 、 そ し て そ の 意 識 化 に よ り 、 新 た な 太 鼓 た た き の チ ー ム の 形 成 や 発 展 を 促 す こ と を 論 じ た 研 究(中 野:L'.000)な ど で あ る 。

13『 台 東 区 史 』,2000,pp.35‑36 14r台 東 区 史 』(前 掲 書),p.36 15『 台 東 区 史 』(」二),P.777

16建 築 基 準 法 に よ る と 、 近 隣 商 業 地 域 に は 、 主 に 、 次 に 挙 げ る 建 物 以 外 は 建 設 可 能 で あ る 。1)客 席 の 床 而 積200㎡ 以 上 の 劇 場 や 映i画館 な ど、2)風 俗 営 業 内 の 料 理 店 ・キ ャ バ レ ー ・ダ ン ス ホ ー ル 、3)個 室 付 浴 場 、4)床 面 積 が150m以 上 で 危 険 性 や 環 境 悪 化 の 恐 れ が や や あ る 工 場 、5)床 面 積 が1501竹 以 上 で 危 険 性 や 環 境 悪 化 の 恐 れ が あ る 工 場 。

17正 確 な 名 称 は 、 「ラ イ オ ン ズ ガ ー デ ン 谷 中 三 崎 坂 」 で あ る が 、 こ こ で は 通 常 使 用 さ れ て い る 「ラ イ オ ン ズ マ ン シ ョ ン 」 と い う名 称 を 用 い る こ と に す る 。

18平 成8年8月 現 在 の 「土 地 利 用 現 況 図(建 物 階 数 別)」 で は 、 三 崎 坂 頂 」二付 近 に 中 層 (6〜7階)の 建 物 が 戸 あ る の み で あ る 。

19谷 中 の 生 活 文 化 を 大 切 に した い と考 え る 、 地 元 の 有 志 と建 築 や 都 市 計 画 の 若 手 専 門 家 の 集 ま り。 谷 中 の 生 活 文 化 の 調 査 研 究 お よ び そ の 地 元 へ の 報 告 、 住 民 参 加 に よ る ワ0ク シ ョ ッ プ の 開 催 、 谷 中 地 区 で の 建 て 替 え 相 談 な ど を 主 な 活 動 と して い る 。 谷 中7丁 目 に 寄 り合 い 所 を 持 つ 。 詳 し く は 、 葛 城(1996)の 論 文 を 参 照 さ れ た い 。 20小 浜 は 、 『谷 根 千 』 を 「コ ミ ュ ニ テ ィ ・メ デ ィ ア の う ち 、 広 く 、 日 常 生 活 に 関 す る

情 報 を 活 字 化 した 印 刷 メ デ ィ ア 」(小 浜,1996:p.321で あ る コ ミ ュ ニ テ ィ ・プ レ ス と位 置 づ け 、 そ の 活 動 と機 能 の 分 析 ・検 討 を 行 っ た 。(小 浜,1996:PP.31‑45)

21道 路 の 境 界 線 か ら5mま で は 、4階 以 下(高 さ14m)で 、5m以.ヒ は 、6階 以 下(高 さ18.5m)の 制 限 が 設 け ら れ て い る 。

22平 成ll年12月8Elに 行 わ れ た 住 民 大 会 の 配 布 資 料 に は 、 「谷 中 に あ っ た 建 物 の 基 本 的 な 考 え 方 」 と して 、 次 の6点 が 挙 げ られ て い る 。D歴 史 ・文 化 に 対 す る 配 慮(町 の 景 観 に 溶 け 込 む こ と。 長 年 培 わ れ て き た 寺 町 の 雰 囲 気 ・家 並 み を 壊 さ な い 。 坂 の 景 観 へ の 配 慮)、2)ヒ ュ ー マ ン ス ケ ー ル を 守 る(居 住 者 に も 町 の 人 に も 圧 迫 感 を 与 え な い 、 親 しみ が も て る ス ケ ー ル 感 で な け れ ば な ら な い 。 人 間 の 生 理 に 合 っ た も の と す る)、3)居 住 者 の 暮 ら しぶ り が 感 じ ら れ る(谷 中 の 町 が ホ ッ と す る 一 つ の 要 素 は 住 民 の 暮 ら しぶ り が 田丁へ 伝 わ っ て く る か ら で あ る 。 居 住 者 の 暮 ら しぶ りが 感 じ

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現 代 社 会 に おけ る都 市 景 観 と住 民 谷 中 ・三 崎 坂 を 事 例 と して97 取 れ る つ く りに す る こ と で 地 域 の 人 が 安 心 感 を も て る 。 閉 鎖 的 な マ ン シ ョ ン に し な い)、4)地 域 住 民 と 交 流 を も つ(子 供 の 教 育 、 高 齢 者 福 祉 等 、 地 域 の 中 で 支 え あ い な が ら住 む こ と は 定 住 の 基 本 で あ り、 そ の た め に は 日 ご ろ か ら地 域 の 人 々 と の つ き あ い が ス ム ー ズ に い く必 要 が あ る 。 特 に 大 規 模 マ ン シ ョ ン の 場 合 、 地 域 か ら遊 離 し 地 域 の よ さ に た だ 乗 りす る 場 合 が 多 い 。 こ こ で は ぜ ひ 地 域 と つ き あ い が あ る マ ン シ ョ ン と し て ほ し い)、5)自 然 を と り こ む 緑 豊 か な 環 境(谷 中 は 空 が 広 く緑 が 豊 か で あ り、 都 心 に あ っ て 自 然 と 楽 し め る 稀 有 な 地 域 で あ る 。 … こ の マ ン シ ョ ン に お い て も 緑 豊 か な も の と し て ほ しい)、6)自 然 の 素 材 を 使 う(人 間 に 一 番 な じみ の あ る 木 や 土 に よ っ て 谷 中 の 町 は つ く ら れ て き た 。 現 在 は 法 的 に マ ン シ ョ ン は 木 造 で つ く る

こ と は で き な い が 、 な る べ く 自 然 の 風 合 い が あ る も の を 使 用 し て ほ し い 。 …) 23「 谷 中 さ ん さ き 坂 商 店 街 振 興 組 合 」 の 歴 史 的 経 緯 は 次 の よ う で あ る 。 当 組 合 の 前

身 と な る 三 栄 会 と い う 商 店 会 が 、 昭 和30(1955)年 に 発 足 し た 。 そ の 後 、 不 忍 通 の 商 店 会 に 押 さ れ て 商 店 街 は 沈 滞 し 、 同 会 の 活 動 も 振 る わ な か っ た 。 更 に 昭 和 45(1970)年 以 降 、 ス ー パ ー マ ー ケ ッ トが 近 隣 に 進 出 し て き た 。 こ の 事 態 に 対 応 す べ く 、 昭 和57(1982)年 に 三 栄 会 を 発 展 的 に 解 消 し て 谷 中 さ ん さ き 坂 商 店 会 を 結 成 し、 次 い で 翌58(1983)年 に 現 在 の 谷 中 さ ん さ き 坂 商 店 街 振 興 組 合 へ と 改 組 し た 。 (『商 店 名 鑑i』,1995:p.112)

24毎 年10月14日 頃 行 わ れ て い る 。

25『 谷 根 千(谷 中 ・根 岸 ・千 駄 木)』 其 の1,1984

26こ の 祭 り は8月1〜31ま で 行 わ れ る 。 そ こ で は 圓 朝 祭 り実 行 委 員 会 が 組 織 さ れ 、 下 谷 観 光 連 盟 や 百 貨 店 も 後 援 し て い る の で 、 「谷 中 菊 祭 り」 に 比 べ 規 模 も 大 き い 。 27A氏 は 更 に 「た だ 木 を 植 え て 、 普 通 の 公 園 の よ う な も の を つ く る ん じ ゃ あ 而 白 く な

い 。 そ こ ヘ テ ン トを 張 っ て 何 か す る と か 、 学 校 と 一緒 に 何 か や れ た ら … と思 っ て 提 案 し た ん だ 」 と言 っ て い る 。 現 在 で は 、 「谷 中 菊 祭 り」 に な る と 当 ポ ケ ッ トパ ー ク に テ ン トが 張 られ 、 祭 り 本 部 に な る 。 そ の 横 か ら 校 舎 の 入 り 口 ま で 、 学 校 関 係 者 や 子 供 た ち が 露 店 を 連 ね る 。

28元 は 、 初 音 町 四 丁 目 だ っ た こ と か ら 初 四 町 と 名 づ け ら れ た 。

29こ れ は 、 あ く ま でA氏 か ら の 聞 き 取 りで あ る 。 交 番 建 築 に 関 す る 詳 しい 情 報 は 、 機 密 事 項 と い う こ と で 警 視 庁 下 谷 警 察 署 で は 聞 く こ と が で き な か っ た 。

30工 事 のTE式 名 称 は 、 「屋 外 職 員 便 所 新 設 設 備 工 事 」 と な っ て い る 。

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31小 浜 ふ み 子,1994,pp.33‑35

32『 谷 中 界 隈 散 策 ス ポ ッ ト』(パ ン フ レ ッ ト) 33石 田 良 介,1984,P.7

34『 谷 中 の す ま い 』,1985,(序 文 よ り) 35谷 中 学 校 平 成10年 度 案 内 よ り

36ラ イ オ ン ズ マ ン シ ョ ン 入 居 者 募 集 の 広 告 よ り 37浜 日 出 夫,1999,p.14

38ア ー リ,J.1995,前 掲 書,P」6

39李 光 一・,1985年,p.203,な お 、 こ こ で 李 は 、 エ リ ッ ク ・ リ ー フ ァ ー の 提 言 を 要 約 し な が ら ヘ ク タ ー の 論 を 批 判 し て い る こ と を 付 し て お く 。

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