不動産物権変動理論史 : 第三者論を中心に
その他のタイトル A historical aspect of the theory in civil law regulating acquisition of land's title
著者 月岡 利男
雑誌名 關西大學法學論集
巻 46
号 2
ページ 187‑230
発行年 1996‑06‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/00024557
ーー第三者論を中心に
I
不 動 産 物 権 変 動 理 論 史
︹論説︺
目 次 は じ め に
第一節実体法秩序形成に至る準備期
第二節旧登記法から旧民法へ至る過渡期
一旧登記法の成立
二旧民法における物権変動論
第三節現行民法における物権変動論
一民法の基本構造 二利益考量論の浸透 む す び
不動産物権変動理論史 月岡
︵一
八七
︶
利
男
( 1 )
本稿では︑不動産物権変動をめぐる学説の変遷を中心に︑旧民法︵明治二三年︶
行民法の制定ないし不動産物権変動論を整序するうえで重要な意義をもつ大審院明治四一年︱二月一五日の二つの判
決︵民録一四輯︱二七六頁︑民録一四輯一三
0一頁︶およびこの判例を学説上通説化するうえで画期的な意味を有す
る末弘厳太郎・物権法上巻︵大正一
0年︶に至る展開期を第二期︑ついで大正期においてややもすれば﹁概念法学﹂
と批判されかねない法解釈論に対する批判の論拠とされた﹁信義則論﹂に立脚する﹁背信的悪意者排除論﹂の展開へ
と向かう成熟期を第三期として︑各期について物権変動理論の展開の概要を辿ることにしたい︒
﹁明治維新﹂と称される政治革命をなし遂げた明治政府は︑明治四年の廃藩置県によって政治権力の中央へ
の移管を終えるや︑直ちに土地制度の改革に着手する︒同年の耕作制限の撤廃︵田畑勝手作の解禁
1 1
旧幕府︑藩によ
る こ
と に
な る
︒ 第
一 節 実 体 法 秩 序 形 成 に 至 る 準 備 期
ハ当事者ノ意思表示ノミニ因リテ其効カヲ生ス﹂と定めながら︑第三者間においては︑動産の物権変動と不動産の物
権変動を区別して︑引渡と登記に各優先要件としての効力を付与している︒しかも︑この引渡と登記には対抗要件と
しての効力しか認めないのが現在の通説であるから︑﹁物権変動論﹂は意思主義と対抗︵要件︶主義の間に展開され
明 治
一 ︳
二 年
に 施
行 さ
れ た
現 行
民 法
は ︑
は じ め に
関法第四六巻第二号
︵一
八八
︶
一七六条において︑物権変動の当事者間においては︑﹁物権ノ設定及ヒ移転
の制定に到る草創期を第一期︑現
る作付け強制の撤廃︶︵九月七日大蔵省達四七号︶︑東京府下︵おもに市街地︶
永代売買解禁﹂の太政官布告︵二月一五日太政官布告五
0号︶︑﹁地所売買譲渡二付地券渡方規則﹂︵二月二四日大蔵
( 2 )
省二五号︶によって︑地券制度が全国規模へと拡大される︒この太政官布告は︑アメリカとの修好通商条約︵いわゆ
る 不
平 等
条 約
︶
の改定期限を明治五年に迎えるにあたり︑条約改正を意図する政府にとっては︑﹁列国公法二依ル︑
我国律︑民律︑貿易律︑刑法律︑税制等公法卜相反スルモノ之ヲ変革改正セサルヘカラス﹂︵全権大使発遣事由書︶
が故に︑踏み出さざるをえなかった土地・税制改革のための第一歩であり︑それはまた国是とされた﹁内国租税改正
( 3 )
見込書﹂実現にとって不可避的な前提であった︒
ここで採用された地券制度は︑地券の新規発行︑書換えの都度︑地価の千分の五を徴収することを宣言するととも
に︑地租を百分の二︵半年後に百分の一に削減︶と定める への地券発行を経て︑翌五年の﹁地所
は︑同時に︑土地の譲渡に際して地券を発行し︑その控えを綴った元帳︵地券台帳︶を作成すること︑およびその後
の売買譲渡の際に地券を書き換えること︑さらにこの地券に対して﹁地所の持ち主たる確証﹂としての効力を認めた︒
( 4 )
これらに加えて明治七年の太政官布告は︑地券の交付をもって土地所有権移転の効力要件とすることを定めた︒
地券制度は︑長い目で見れば﹁土地制度の改革﹂の第一歩とは言えても︑﹁国民の権利保障という色彩は皆
無﹂であり︑﹁地租徴収のための地ならし﹂という性格を免れていない︒したがって︑その意義は︑地租改正事業の
ための土地所有者と地価を確定するための準備作業にすぎなかった︑という評価がこれに対する現在の定説といえよ
( 5 )
うか︒しかも︑この地券制度は︑近代的所有権に通ずる土地所有権の個別的な確定作業を前提とせざるをえなかった
にもかかわらず︑検地︑地籍調査を怠ったままいまだ未熟な市場に過大な期待を寄せたことによって︑必ずしも成功
( 2
)
不動産物権変動理論史
︵一
八九
︶
︵明治四年の太政官布告︶︒そして︑明治五年の前掲規則
からも明らかである︒
︵ 一
九
0 )
せず︑明治二二年には﹁地券廃止ノ件﹂︵三月二三日法律一三号︶によって廃止される︒その過程における個別事象
を列挙すれば︑明治七年に開始された地籍調査はまもなく後述の地租改正作業に吸収され︑地券による公簿制度改編
︵旧体制下における名主加判制の変革︶も挫折する︒また︑地券制度のもつ収税目的が忌避されたためか︑土地取引
の領域においても︑地券制度発足後もいぜんとして土地売買の証文を交付する旧慣が並行して行われ︑ついに明治一
( 6 )
0
年の司法省逹丁四九号は︑地券を取引の効力要件から後退させ︑第三者対抗要件とする︒
ここではまだ物権変動自体の要件論における﹁意思主義﹂は︑現民法の下で理解されている意味では実現していな
い︒さりとて公示方法への記入︵たとえば登記︶と結合されていないのだから︵地券台帳の公示方法としての評価に
関係する︶︑意思主義と対照的な制度と解されている﹁形式主義﹂が採用されている訳ではない︒それは︑公簿制度
改編の試みが挫折し︑かつ地券事務の停滞が地券の交付ないし書換えをもって効力要件とすることを放棄させたこと
( 7 )
地券交付事業に見られるいま︱つの理想︑つまり維新政府当初の﹁開明的官僚﹂がその確立を目指した﹁近代的土
地所有権﹂の創設も︑山野での領有関係解体のために行われた官林の無制限払下げ︵明治五年大蔵省達七六号︶なら
びにそれへの地券交付の方針が各種入会慣行の前に現実に撤退を余儀なくされただけではなく︑その間︑六年の太政
官布告﹁地所名称区別﹂による﹁皇宮地︑神地︑官庁地︑官用地︑官有地︑公有地︑私有地︑除税地﹂の区別の下で
﹁官庁地︑官用地︑公有地︑私有地﹂にのみ地券交付が制限されるなどして︑ついに一年数箇月後の同六年七月には
太政官布告をもって無制限払下げの方針自体が廃棄され︑官林については﹁いわばなし崩し的に︑旧幕期の御林︑公
儀の山から︑皇室御料地︑国有林への転化﹂が押し進められることによって︑制限的実現の道を歩むことになる︒
関 法 第 四 六 巻 第 二 号
四
五
地券制度の発足に遅れること二年︑明治六年に制定された﹁地租改正法﹂︵七月二八日太政官布告二七二号︶
や︑同一七年の﹁地租条例﹂︵三月一五日太政官布告三号︶によって開始される地押調査︵明治ニ︱年完了︶および
同二二年制定の﹁土地台帳規則﹂︵三月二三日勅令三九号︶をもって新土地税制が完成を見るに至る︒
この地租改正事業は︑全国にわたる検地︑土地の測量︵丈量︶︑収益による地価の査定を行うとともに︑土地の所
在 を
地 番
︵ ﹁
字 ﹂
で は
な く
︶
で表示することにより︑﹁地図﹂︵一筆限帳ないし地引地図
1 1
一 村 ︑
一大字の土地を一筆
ごとに境界を明らかにして記載する絵図︶上での土地の確定作業を行うことにあるが︑同時に途中で中断された地籍
編成のための調査︵地籍とは︑全国の土地の面積︑種類を記載する簿冊ー﹁地籍規則﹂ーーーであり︑これによって
( 8 )
﹁地所名称の区別﹂を明らかにすることが目的である︶を一部引き受けることを余儀なくされる︒
地租改正法は︑理念としてはいまだ維持され続けていた近代的土地所有権を前提としつつ︑収益算定法にもとづく
地価の百分の三をもって新地租としたが︵地租金納・地価賦税主義︶︑その前提モデルを商品生産を営む家族経営に
求めはしたものの︑その算定の根拠となる必要経費を一律に低く抑えたり︑利子率を最高七%︵小作地は五%︶と制
限するなど︑かなり乱暴な数字を用いることにより︑近代的とはほど遠い現実の地主的土地所有を追認する結果に終
わっている︒そして‑=%の地租率自体︑国家財政上の必要を根拠とするのみで︑将来の低減の約束︵最終的には
‑ %
ま で
低 減
︶ も
そ の
後 ︑
一七年の地租条例の撤回するところとなる︒ここには︑収益算定法に基づく地価の算定法
を将来にわたり我が国の土地政策上の各施策から追放することになる端緒が見られるだけではなく︑近代的土地所有
権そのものの確立を有名無実化する政策的禍根を見なければならない︒また︑明治一七年﹁地租条例﹂によって提起
された﹁地押調査﹂︵誤謬土地整理︶は︑地租改正事業における調査漏れによる脱落地やその後に生じた地目変換︑
( 3 )
不動産物権変動理論史
︵ 一
九 一
︶
︵ 一
九 二
︶
所有権の変動を追跡調査することを目的とするものであり︑その結果を登録するために﹁土地台帳﹂が創設され︵明
治一七年︶︑かつ﹁公図﹂と称される地図が作成される︵明治二
0年︶︒この徴税を主目的とする調査事業によって︑
すべての土地の所有権が確定されることになるが︑土地台帳が収税台帳であるとともに︑﹁土地所有者二取リテハ自
家不動産ヲ明記セル正本﹂︵明治ニ︱年主税局長口演︶とされたことによって︑土地所有権には台帳と公図の機能に
( 9 )
よりそれを公証する公簿が備えられることになる︒
こ う し て 地 押 調 査 の 完 了 を ま っ て ︑ 明 治 二 二 年 ︱ ︱ ︱ 月 二 二 日 勅 令 三 九 号 ﹁ 土 地 台 帳 規 則 ﹂ が 公 布 さ れ ︑ 同 日 法 律 ︱ ︱ ︱ ︱
号によって地券が廃止されるとともに︑﹁地租ハ土地台帳二登録シタル地価ニョリ其記名者ヨリ之ヲ徴収ス﹂るもの
とされた︒各種土地の所有権はこうして確定を見ることになるが︑地券制度の廃止は︑地租徴収にその中心的な目的
を置いたがために︑不動産取引の要請に応えられず︑そこに新たな調整が必要になったことを意味する︒
他方︑明治六年の﹁地所質入書入規則﹂は︑売買に先駆け︑担保制度において︑行政機関︵戸長役場︶に﹁奥書割
印帳﹂という公簿を設け︑これに証書の要旨を記入させる公証制度を採用した︒地券の発行によって土地の流動化は
進みはしたものの︑地券は所有権以外の権利の表示には適しないため︑活発化した金融取引の要請には応え得ず︑地
券を債権者に寄託する方法をもって代替させる外なかった︒したがって︑旧幕時代の旧慣︵名主加判︶の延長上にあ
る奥書割印帳をもってしても早急に土地担保の処理が必要とされたものであろう︒同様な暫定措置は︑建物について
も求められた︒二年後の明治八年には﹁諸建物書入質入及売買譲渡規則﹂が制定され︑ここでは担保だけではなく売
買譲渡も公証に服することになるが︑その後︑明治一三年の﹁土地売買譲渡規則﹂は土地の所有権移転にも公証制度
( 1 0 )
を及ぼし︑ついに地券はその私法的機能を喪失する︒
関 法 第 四 六 巻 第 二 号
六
もっとも︑前掲六年の﹁規則﹂の目的は︑公証制度の整備にとどまらず︑土地担保における地租負担者と地券所持 者との一致を図ることにあった︒なお︑前掲八年の﹁規則﹂に対しては︑﹁建物を土地とは別個の不動産とするとい うわが国の土地制度の最大の過誤といってよいものが︑
( 1 1 )
ないか﹂という指摘がある︒
(1)水本浩﹁民法学の転回と新展開②ー大正一
0
年ー昭和二0
年の民法学史﹂独協法学第四一号四
0
五頁注4は︑明治五年の太政官布告によって法制度上の近代的土地所有権が成立したと見るものとして︑末弘厳太郎・農村法律問題︵大正一
三年︶および明治一三年一
0
月五日の大審院否定判決第二五六号民録六輯三二九頁を転換した大判大正七年五月二六日民録 ニ四輯一〇一四頁を掲げて︑これに賛成している︒なお︑吉田久・土地所有権論︵昭和︱二年︶はこれに反対︒
(2
)
この地券制度は︑明治二年に集議院判官神田孝平の提唱した﹁泊券税法﹂に由来する︒
(3)
丹羽邦男・土地問題の起源(平成元年)。なお、同•明治維新の土地変革(昭和―二七年)も参照。
(4)清水誠﹁わが国における登記制度のあゆみー一冥描と試論ー﹂不動産登記制度の歴史と展望︵昭和六一年︶所収は︑こ
こで付与された私法的効力を評して︑地券を強制し所有権を確定するための手段に過ぎないとする︒
(5
) 前掲注(4)参照︒なお︑ここでは︑小野武夫・地租改正史論のいう﹁土地所有権公認の表示方法﹂という評価を掲げてい る ︒
(6
)
福島正夫﹁旧登記法の制定とその意義﹂法協五七巻八
10
︑一︱号は︑小林平左衛門﹁明治前期の地券制度と農地金融﹂帝国農会報一八巻八号が地券書換えを﹁対抗要件﹂とする転換に対し︑﹁取引の通念から見て洵に当然なる取扱であっ
た﹂と肯定する評価に賛同し︑この転換理論を﹁明らかに仏法的である﹂と指摘する︒
(7
)
前掲注
(3
) は︑明治八年三月までは大蔵省租税寮改正局にあり︑その後は大蔵・内務両省間に設置された地租改正事務局
にあって︑ほとんど孤立無援ないし政府上層部の反地租改正的な方向が顕著になる中で︑この事業を完成させた四等官︵副
長︶から七等官までの官員を指して︑このように言う︒
(8
) 明治七年の公有地の官民区分実施を命ずる太政官布告に基づく公有地の所有権決定作業ものちに地租改正事業に吸収され
不動産物権変動理論史
七
いわばその定着への第一歩を踏み出したといっていいのでは
︵一
九三
︶
布・施行の現行不動産登記法と区別して旧登記法と呼称する︶︒
( 1
) 旧登記法の成立
第 二 節 旧 登 記 法 か ら 旧 民 法 へ 至 る 過 渡 期
︵ここでは明治三二年公 ︵公証簿の保管上の欠陥︑詐欺等による﹁公証
︵ 一
九 四
︶ る ︒
(9
)
こ の
土 地
台 帳
に つ
い て
は ︑
岡 松
参 太
郎 ﹁
不 動
産 登
記 法
﹂ ︵
明 治
二
0 年
︶ は
︑ ﹁
殆 ン
ト 台
帳 ノ
名 義
ヲ 附
ス ル
能 ワ
サ ル
モ ノ
ナ
リ ﹂
と 批
判 的
で あ
る の
に 対
し ︑
前 注
(6
)
福
島 論
文 は
﹁ わ
が 国
の 近
代 的
地 籍
は こ
こ に
完 成
し た
﹂ と
好 意
的 に
評 価
す る
︒
( 1 0 )
司 法
省 調
査 部
﹁ 不
動 産
登 記
法 の
改 正
に 関
す る
研 究
﹂ 司
法 研
究 ・
報 告
書 二
九 輯
七 号
お よ
び 前
注
(6
)
福
島 論
文 参
照 ︒
( 1 1 )
前 注
(3
) ︒
明治一四年︑内務省での登記法取調掛の設置にはじまる登記法立法化の準備は︑明治一
0年代のデフレから
インフレヘの急激な経済変動のもたらした﹁土地兼併の盛であったこと此の時に過ぐるものはない﹂︵前掲・司法研
究 報
告 書
︶
という状況下において︑公証制度への信頼が揺らぐ中で
簿﹂事故の頻発︶開始された︒同一七年には司法省がこの作業を引き継いで︑登記条例ないし登記法草案として元老
( 1 2 )
院に附議し︑かくて登記法は同一九年法律第一号として公布・翌二
0年二月に施行される
旧登記法審議の過程ではその立法目的が︑﹁第一に︵不動産の︶保護第二に収入﹂と表明されはしたものの︑その
第一目的はむしろ﹁財政的理由﹂にあり︑権利者保護の目的は︑登記制度のための準備調査が当初の内務省から司法
省へと移管されることによって付加されたものである︒元老院における審議においても︑その中心は﹁登記機関﹂に
置かれた︒その趣旨は登記法制定の理由につぎのように述べられている︒ 関法第四六巻第二号
八
九
﹁⁝⁝今日不動産ノ保護ハ区戸長役場ノ奥書契印二成立ス︒然ルニ区戸長ハ行政事務ノ頻繁ナルニ由リ充分之レカ
保護二任スル能ハス︒⁝⁝専ラ行政事務二意ヲ注クヨリシテ︑往々二法律所謂司法事務二暁通セス︒⁝⁝本案ハ従来
行政部分二属セシ不動産ノ保護ヲ司法部分二移シ︑司法官吏ヲシテ之レヲ保護セシムルニ在リ︒即チ区戸長役場ノ奥
書契印ヲ登記所ノ登記二換ルニ外ナラス﹂として登記機関官掌変更の必要を強調したうえで︑さらに︑財政上の理由
﹁⁝⁝此施設タル政府モ幾多ノ費用ヲ要スルヲ以テ︑第 4 章ノ登記料及ヒ手数料ヲ収入スルコトヲ要ス︒而シテ其
収入額ノ如キ卿力多キニ過クルノ感アレト︑登記法ノ施行ハ独リ不動産ノ保護ノミナラス即チ国費ヲ補フモノニシテ︑
凡ソ国費多端二際シ幸二賦課ス可キ理由アル事物ニハ之レニ税金ヲ賦課シ以テ国庫ノ収入ヲ増益スルヲ善シトス﹂
0
七二のうち、治安裁判所九•四%、郡役所一七・五%、戸長役場七三・ニ%、同ニ―年は九四二のうち治安裁判所二
0•
五%、同出張所六九・六、郡役所一・六%、戸長役場八・三%。物的編成主義を採用︵法一三条︑登記法取扱規則・司法省訓令第一二二号三条︶︑登記簿は土地・建
物・船舶の三種︵法一条︑同規則二条︶︑登記簿の構成は表題部︑甲区︑乙区︑丙区︵同規則三条︶︒
︵ 法 一
0
条﹁登記ハ⁝⁝契約者双方ノ請求若クハ裁判所ノ命令アルトキニ
非サレハ之ヲ為シ又ハ変更シ又ハ取消スコトヲ得ス﹂︶︑登記を実行するに際しては︑登記事項を審査した上︑
﹁本人二之ヲ示シ︑又ハ読聞カセタ上署名捺印セシメ﹂る︒また︑保存登記には戸長による﹁所有者﹂である旨
不動産物権変動理論史
団 登 記 手 続 共 同 申 請 主 義 を 採 用 し
S
登記簿 m
登記機関行政機関から司法機関︵治安裁判所︶
への事務の移管︒ただし︑明治一九年の登記所は総数二︑
( 2 )
旧登記法の内容を要約すれば︑以下の通りである︒ を次のように説いている︒
︵一
九五
︶
みが登記簿へと移管されることによって︑分解されることになる︒福島正夫氏は︑この現象について︑﹁公証の新旧
要素︵奥書行為と割印帳記載行為︶
に内部的分裂を実現したものであり︑制度の分化的発展はここに︱つの輿味深い典型を示したものということができ , ' ま ︑
明治七年の太政官令の定めるように︑地券の書換えが土地所有権移転の効力要件であったならば︑登記法二
0
条が﹁地所船舶売買譲与ノ登記ヲ受ケ地券鑑札ノ下付若クハ書換ヲ請ントスル者ハ登記所ヨリ登記済ノ証ヲ受ク可
シ﹂と規定することによって︑登記もまた土地所有権移転の効力要件と評価する余地がある︒しかし︑すでに地券書
換えが対抗要件に転換されていたため︵前掲明治一
0年司法省逹︶︑登記簿をして﹁できる限り登記を普及せしめて
( 1 4 )
土地原簿たる実を完成しようとの志向﹂をここに見る外ない︒その意味では︑証書登録制や地券制とは異なるドイツ 法制に属する土地原簿制︵あらかじめ全不動産の現況を原籍簿たる台帳に記載し︑その後の権利関係の変動をその都 度記入して権利関係の系譜を明らかにしつつ現在の権利関係を公示する機能が期待される制度︶
であろう︒やがてくる地券制度の廃止︵明治ニ︱一年︶を併せて見るとき︑従来の公証制度︵としての奥書割印制度︶
一方で取引証書に対する戸長の認証行為が﹁公証人規則﹂︵明治一九年︶として再生し︑他方で割印記載行為の
( 3
) あ る
︵ 法
六 条
︶ ︒
(エ)
︵一
九六
︶
( 1 3 )
の証明︵法四
0条︶および地券や印鑑証明書の提出︵司法省令甲第五号三︑四条︶が必要とされる︒したがって︑
登記の実行は地券︑各種証明書および地券台帳︑登記簿等の公簿により︑所有者の確認とともに﹁物件二故障ナ
キ﹂ことの確認を経て行われる
登記の効力
関法登記は第三者対抗要件︒第三者の﹁善意悪意﹂について法文上は不明であるが︑学説には両論
第 四 六 巻 第 二 号
の機能的跛行性は日を遂うて増大し︑⁝⁝登記法の制定は複合的構造の公証制度
︵ 同
規 則
九 条
︶ ︒
1 0
への道に就いたもの
( 1 5 )
よう﹂と述べる︒もちろん登記の実行自体が法定の証明書にもとづく厳格な権限審査にもとづいて行われることが要 求されているならば︑その限りで登記の真正に問題がない︒しかし︑従来の奥書割印帳などの公簿自体の真正に信頼 性が乏しいときは︑その限りにおいて登記の真正の維持は難しく︑また一旦分離された﹁公証人規則﹂との連結が明 かでないため︑登記の原因行為の真正を保障する手段が必ずしも得られない︑という難点はこのときに始まって今日 まで解消されていない︒しかし︑そのことを別にすれば︑公示制度としての登記法自体が一方において純化されつつ︑
他方において形式的土地法としての統一化が実現されたことは否定できない︒
旧 登
記 法
は ︑
いまだ﹁民法﹂という実体法を欠いたまま発足せざるをえなかったため︑実体的土地法へまで 踏み込んで登記の効力を規定している︒法六条は︑﹁登記簿二登記ヲ為ササル地所建物船舶ノ売買譲与質入書入ハ第
三者二対シ法律上其効ナキモノトス﹂と規定することによって︑ いわゆる登記主義を否定し︑第三者との間にその優
劣を決定する基準としての効力を認めるにとどまっている︒その意味では﹁その基調が仏法的なことも一点の疑いを
( 1 6 )
いれない﹂︒しかし︑その第三者の範囲については︑明文がなかっただけに︑学説にも善意悪意不問説と悪意者排除 説とが対立している︒福島正夫氏によれば︑前者に属するものに杉村虎一・登記法釈義︵明治一九年︶︑横山寛平
1 1
高橋藤之丞・日本登記法義解︵明治二 0 年︶︑後者に属するものに長山徹・登記法心得︵明治二二年︶︑伊東忍
11
緩鹿
( 1 7 )
実影・登記提要上絹︵明治ニ︱︱一年︶がある︒また︑登記がどんな物権変動について必要とされるかについては︑法六 条から︑﹁売買譲与質入書入﹂に限定されていることが明らかである︒売買譲与とは︑売買︑贈与のほか
( 4
)
不動産物権変動理論史
︵ 一
九 七
︶
︵ 一
四 条
︶ ︑
家督相続︑死亡相続(‑五条︶︑公売処分︵一六条︶︑官有の払下げ︑無代価下渡︵一七条︶を含むことは法文上も明
( 1 8 )
ら か
で あ
ろ う
︒
( 5 )
︵一
九八
︶
登記の効力に関する議論はその後の登記法改正の論議にも影を落としている︒旧登記法は﹁意外な不人気と不成
績﹂によりすでに明治二
0年には改正に附され︑主として︑﹁従来登記の任意制度であったものを︑以後売買譲与質
( 1 9 )
入書入の場合には必ず登記すべきを命ずる強制法に変ぜしめるもの﹂であったが︑この強制には罰則等の制裁はなく︑
実際にはどこまで実効があるか疑わしい改正であった︒しかし︑立法者がその改正理由を﹁制定ノ当時⁝⁝本法二依
リ登記セサル売買譲与質入書入卜共二第一︱︱者二対シ効カナキヲ以テ毎件必ス登記ヲ請ウナラント想像セシニ︑登図ラ
ン︑民情未夕此ノ必要二感セス⁝⁝︒故二⁝⁝所有権保護ノ主旨ヲ解知セシメ︑彼ノ迷誤ヲ喚ヒ覚サン﹂ことに求め
るのであれば︑元老院での審議において指摘されたように︑いわゆる登記主義︵当事者間における登記の効力要件主
義︶をとるべきであろう︒したがって︑﹁元老院側も政府側も︑登記の効力を有効要件と変ずるは︑﹃所有権保護ノ主
( 2 0 )
義﹄を収税主義に転ずること余りに露骨のものとみた﹂からでははなく︑もっぱら罰則による登記の強制︵土地原簿
制度の完成︶によって収税主義への転換を図ることについて躊躇したのではなかったか︒いまだ︑取引の中での登記
主義に議論が集約されていたとはいえないように思われるのである︒
明 治 二
0年の旧登記法改正は︑僅か三箇条にとどまったが︑さらに同二三年には︑不評であった登記手続を
簡易化するための改正が行われた︒その第一は︑登記に際し︑契約当事者がその証書を提示するだけではなく︑﹁其
署名捺印シタル謄本一通ヲ差出ス可シ﹂とし︑﹁登記簿ノ一部トシテ之ヲ添へ置クヘシ﹂(‑四条︶とするものであり︑
その第二は︑保存登記の添付書類を﹁戸長ノ証書﹂から﹁所有権ノ証明書類﹂ 関法第四六巻第二号
へと変更したことである︵四
0条 ︶ ︒
これについては︑﹁単なる所有者の証明をもって保存登記をなし得しめたこと﹂は︑﹁手続の簡易化というよりは︑む
( 2 1 )
しろ退化的改悪であった︒なぜならば旧法の企図した権原審査はこのためほとんどその実を失﹂うに至ったと評する
で 問
わ れ
て い
る ︒
ものがある︒もちろん法改正に際して出された司法省総務局長通達﹁登記制度二関スル諭告﹂も︑法四
0条が﹁郡区
戸長ノ証明ヲ要スル手続ヲ削除シ⁝⁝︵権原審査が︶偏エニ登記請求者ノ証明二因ルノ外之ナキ﹂に至ったことが︑
法の目的とする﹁土地原簿タルノ精神ヲ失却スルノミナラス遂二人民ノ所有権ヲ保護シ能ワサルニ至ルヘシ﹂と危惧
するところであった︒それにもかかわらず法改正に踏み切ったのは︑すでに将来において土地台帳の謄本を各登記所
︵明治二六年の司法省訓令で台帳謄本の備え付けが行われる︶︑﹁コノ
謄本ヲ備工サル間ハ裁判所二於テハ登記請求者ノ証明二因テノミ登記ヲ為スノ止ムヲ得サルヲ以テ主任者ハ一層慎蜜
懇到ノ取扱ヲ為シ成ルヘク誤失二陥ラサル様注意﹂することに期待する外ないこともすでに立法者の認めるところで
( 2 2 )
明治二
0年発刊の法学協会雑誌は︑﹁情ヲ知リ不動産ヲ後二買受ケ先二登記シタル者ノ所有権有無ノ件﹂と
いう興味深い﹁討論会﹂記事を掲載している︒その論題は︑﹁甲者アリ或建物ヲ乙者二売払ヒ又之ヲ丙者二売払ヒタ
リ︒丙ハ乙者二先立チ登記シタルモ既二甲乙間二売買アリタルコトヲ知リテ買取リタルモノトス︒乙丙何レカ所有者
ナルヤ﹂というものであり︑悪意の第三者︵第二譲受人︶も登記を経由すれば︑第一譲受人に優先しうるかが︑ここ
第一譲受人乙の優越することを主張する立場に立つ城数馬氏は︑まず︑﹁引渡主義﹂から﹁合意主義﹂への歴史的
推移を﹁意思主義﹂の立場から肯定的に評価した上で︑この意思主義の下で生じることのある︑善意の第三者が被る
不測の不利益に対してどう対応すべきか︑と論旨を展開し︑所有権の取得を世人に知らせることを怠ったために第三
者に損害を与えた第一譲受人はその損害を賠償すべき責任を負わねばならないが︑このような事後的な損害賠償によ
不動産物権変動理論史
( 6 )
あ っ
た ︒
に備付けることを企図していたためであろうが
︵一
九九
︶
その趣旨に外ならない︒ 果﹂であるから︑登記の優劣決定基準の働かない例外と解する︒
︵ 二
0 0
)
一 般
る両譲受人間の調整よりも︑取引の対象たる不動産の帰属を被害者である第二譲受人に認めた方がより現実的な解決
であるとして︑登記法の実体法上の意義をここに求める︒しかし︑登記による両者の優劣決定にもおのずと限度があ
り︑設問のような悪意の第三者については︑﹁知リッツ買取ルハ︑則自己ノ過失ニシテ︑乙二取戻サルルモ自招ノ結
これに対して︑榊原幾久若氏の展開する議論によれば︑旧登記法六条が﹁登記簿二登記ヲ為ササル地所建物⁝⁝ノ
売買譲与⁝⁝ハ第三者二対シ法律上其効ナキモノトス﹂と規定する以上︑所有権の移転は当事者間においてのみ実現
し︑対第三者の関係では生じない︒第三者には第一譲渡をすすんで知るべき義務はなく︑第一譲受人こそ自らその第
一譲渡の事実を公示すべきであって︑これを怠ることは﹁過失﹂と評価される︒したがって︑その過失ある第一譲受
人は第二譲受人の登記経由を非難することはできない︒法六条が﹁第三者の範囲﹂から悪意者を排除していないのも
以上の両説の対立を前にして︑富井政章氏は︑前説に立ちつつ︑単純悪意者を第三者と認めながら︑詐欺による第
二譲受人を第三者から排除することには賛成する︒氏の議論の出発点は︑意思主義の形式主義に対する勝利を自然法
学派の法理に求めた上で︑二重譲渡について後説の従う相対説ないし関係的所有権論を排して︑﹁白キ物ハ︑
対シテ白シ。•••…其一人二対シテハ白ク、又一人二対シテハ黒シト云フノ理アルヘカラス。所有権卜雖モ亦然リ」と
言うにある︒その上で︑登記法を一般法に対する例外法と解してその厳格な適用を求め︑登記の目的が正当な譲受人
を保護することにある以上︑純理からすれば悪意者を第三者から排除すべきであり︑第一譲受人による悪意の反証を
( 2 3 )
許容すべきであるが︑実際の便益という観点からは︑単純悪意は不問に附し︑第二譲受人が詐欺による悪意者である
関 法 第 四 六 巻 第 二 号
一四
および﹁訴件二直接ノ証拠ハ︑法律ノ禁セサル以上ハ︑
一五
﹃登記法﹄を別として︑実
場合にのみ︑これを証明した第一譲受人の所有権取得に対抗力を肯定することに同意する︒なお︑登記法上︑第二譲 受人の詐欺の反証を許すことの是非について︑穂積陳重氏は︑登記法の精神が詐欺奸策を擁護するものではないこと︑
コレヲ挙ルヲ得ベシ﹂が証拠法の原則であること等を根拠と
して︑これを第三者から排除することを主張し︑本討論会の設問についても︑丙の﹁抜ケ駆ケノ登記﹂をもって乙の 登記権を侵害し︑故意に登記法の精神を曲げて乙を害した以上︑﹁之ヲシモ詐欺卜云フ可ラズンバ︑世間何ノ詐欺ナ ルモノアラン﹂と論ずる︒ただし︑前者は設問の第二譲受人を単純悪意者と解するのに対し︑後者は︑これを詐欺に よる悪意者と解する︒その差異がどこからくるのか︑必ずしも明らかではないが︑おそらくその前提として︑﹁問題 上ニハ乙者ハ塀怠ニヨリテ登記ヲ延滞セシ等ノ事実ハ少シモ表レス只丙者力先二登記セル事実アルノミ﹂という設問 への理解のしかたが重要な意味をもつものと思われる︒いわゆる対抗要件主義と意思主義との関係は︑それが極限に まで達したときには︑意思主義そのものが否定されることのあることがここには意識されつつあるかのようであり︑
それ故︑登記を放置していることが登記の惟怠と評価されるか否かが︑第三者を単純悪意者と解するか︑詐欺による
悪意者と解するかと裏腹の関係にあるように思われる︒
なお︑上記の記事を紹介した有川哲夫氏は︑その議論の環境について︑﹁明治一九年の 定法としての民法が︑制定されていない状況を反映して︑討論者は︑所有権移転の法規制の歴史的進化︑所有権の本 質論︑登記法の立法精神︑フランス民法の規定︑ボアソナードの学説︑イギリス法の判例等を︑論拠として援用し︑
( 2 4 )
多彩な議論を展開している﹂と総括している︒
不動産物権変動理論史(︱
I O
I )
一条︑三四八条以下は次の通りである︒
( 2
)
ろうが︑内容にわたる議論は十分解明されていない︒
︵ 二
0
二 ︶
明治二三年公布の旧民法典は︑民法典論争に代表される議論の前に︑遂に日の目を見ることなく同二五年の
延期法の公布によって死命を制せられ︑われわれが実体法としての統一的な物権変動理論を持つには︑翌二六年から
一五八回の法典調査会の審議を経て︑同一︱九年公布︑三一年施行の現行民法典を待たねばならない︒
しかし︑明治初年の不動産物権変動に関する議論は︑これまでの論述からも明らかなように︑わがくに固有法の再
構成へと向うことなく︑大方は外国法︑とりわけフランス法の影響下に止まっていたことは否定できない︒明治二年
( 2 5 )
以降の蓑作麟祥の仏法の翻訳︵同氏訳﹁佛蘭西法律書民法﹂︶︑明治三年の江藤新平による民法編纂事業の開始︑明治
( 2 6 )
五年に来日して明法寮で講義・立法の準備作業を担ったとされるプスケの影響︑同六年に来日して翌七年から九年に
( 2 7 )
わたってフランス民法を中心とする講義や明治︱一年民法草案作成作業を指導することになるボアソナードの影響︑
( 2 8 )
明治︱︱︱一年に始まるボアソナード﹁旧民法﹂へ向けての民法編纂事業の開始等はその背景事情ともいうべきものであ
旧民法・民法財産取得編四四条および四五条は︑売買契約による所有権の移転について︑財産編三三一条に
従うこと︑および売買の目的物が不動産である場合には︑﹁其契約ヲ以テ売主ノ特定且善意ノ承継人二対抗スルニハ
財産編三四八条以下ノ規定二従ヒテ登記ヲ為スコトヲ要ス﹂る︑と規定している︒ここで援用されている財産編三三
三三一条﹁特定物ヲ授与スル合意ハ引渡ヲ要セスシテ直チニ其所有権ヲ移転ス⁝⁝﹂
︱︱一四八条﹁左二掲ケタル諸件︵第一号から第四号までに掲げる不動産所有権その他の不動産物権の譲渡︑それらの ( 1
) 旧民法における物権変動理論 関法第四六巻第二号
一 六
限 ル
︒
一 七
権利の変更︑放棄︑差し押えた不動産の競落︑公用徴収を宣言した判決または行政上の命令ー引用者注︶
三四九条﹁登記ハ当事者ノ請願ニョリソノ費用ヲ以テ之ヲ為ス︒⁝⁝登記二関スル方式ハ特別法ヲ以テ之ヲ規定
三五
0条﹁三四八条二掲ケタル行為︑判決又ハ命令ノ効カニ因リテ取得シ⁝⁝タル物権ハ其登記ヲ為スマテハ伯ホ
名義上ノ所有者卜此物権二付キ約束シタル者又ハソノ所有者ヨリ此物権卜合容レサル権利ヲ取得シタル者
ニ対抗スルコトヲ得ス︒但其者ノ善意ニシテ且其行為ノ登記ヲ要スルモノナルトキハ之ヲ為シタルトキニ
悪意及ヒ通謀ニツイテハ第三四七条ノ規定二従ヒテ之ヲ証スルコトヲ得﹂
これらの法文の規定するところは︑要するに︑ a .意思主義の採用︑および b .不動産物権の譲渡等変動は登記な
( 2 9 )
しには善意の第三者に対して対抗できない︑というものである︒なお︑第三者に譲渡人との通謀があったときは︑
﹁其通謀ハ通常ノ証拠方法ヲ以テ之ヲ証スルコトヲ得﹂るが︑その悪意は︑﹁自白二因ルニ非サレハ之ヲ証スルコト
( 3 0 )
ヲ得ス﹂︵財産編一=四七条︶とされる︒また︑第三者の善意は︑登記の欠鋏によって推定される︒上記の各条を審議
する法典調査会の質疑の中でも︑﹁ボアソナードニ云ハヌト分ラヌゼ︒箇様ナ所ハボアソナードニ云フ方ガ宜シイ﹂
とか︑﹁翻訳デ日本文カラ翻訳文二間違へ︑⁝⁝翻訳者ガ何程欧羅巴文ヲ書クニセヨ︑読ムニモ間違イガアルカモ知
レヌト思フカラ間違イノナイ様二⁝⁝﹂という発言があるように︵民法草按人権之部第二六回議事筆記・明治ニ︱年
( 3 1 )
二月一五日︶︑ボアソナード︑ひいてはその母国法であるフランス法の影響は否定できない︒ボアソナード氏起稿・
不動産物権変動理論史
ス ﹂ ハ財産所在地ノ区裁判所二備ヘタル登記簿二之ヲ登記ス﹂
︵ 二
0 ‑
︱ ‑
︶
通説とは必ずしも同一ではないと自認しつつ︑
︵ 二
0
四 ︶再閲修正民法草案注釈︵第弐編・人権之部︶上巻によって︑ボアソナード民法の主旨は以下の通り要約できる︒
a .二重譲渡の両当事者が未登記であるときといえども︑﹁契約ヲ為シタル日付ノ先ナルハ登記法制定ノ前卜雖モ
b .第一譲渡に登記のない間は︑﹁旧所有者ハ第一︱︱ノ人二有効ナル新譲渡ヲ為スノ能権﹂を失わない︒
C .公示方法は第一譲渡の﹁合意﹂を知った者については必要ないから︑第一譲渡の登記欠鋏による第二譲受人の
善意の推定は﹁完全ナリ即反対ノ証拠ヲ許サス﹂︒しかし︑公示制度は一般的に﹁公安﹂の目的を有するけれど
も︑物権変動の優劣を争う関係では︑﹁二箇ノ私益タルニ過キナイ﹂から︑自白︑宣誓︵法案では削除される︶
による悪意の自認を排除することは法の目的に反しない︒したがってまた︑ここでいう﹁私益二関スル完全ナ法
律上ノ推定﹂は原則として反対証明を許さないことによって︑﹁擬制﹂に極めてちかい︒
このボアソナード旧民法の構造をいわゆる悪意者排除説と解するか︑背信的悪意者排除説と解するかについては議
論の分かれるところであるが︑後説は﹁旧民法の規定は財産編三五
0条が善意を要件としているにも拘わらず︑︹原
則的に︺善意を不問として登記の欠訣を要件として対抗という実体法上の効果が発生すると捉えられ︑これは現行一
( 3 2 )
︵
3 3 )
七七条の善意悪意不問の構造と全く同様とみられるものである﹂と解している︒ボアソナードみずから自説が仏法の
一八五五年法の趣旨に従って︑﹁売主卜通謀シテ其証書ヲ知ラシメサ
ル所ノ第一獲得者ノ悪意ヲ排斥シ又此売主卜善意ニテ結約シ而シテ其後奄モ其身二責ムヘキノ愕怠ナクシテ第一ノ買
( 3 4 )
主ノタメニ其権利ヲ奪取セラルル所ノ第ニノ結約者ヲ保護スル﹂ためには︑登記の欠訣時には第二譲受人が善意であ
ると擬制されざるをえないことを明らかにしている︒したがって︑対抗要件主義の下では一っのジレンマではあるけ 先取権ヲ得セシムル利益ナレハ﹂︑第一譲受人が優先する︒ 関法第四六巻第二号
一八
れども︑第一譲受人の意図的な登記の放置に対する非難︵その意味では一種の登記強制主義に陥る危険性がある︶が ひいては第二譲受人の善意の要件を必要とさせたことを窺うことができる︒﹁共謀二係ル詐欺﹂が一般的な立証方法
( 3 5 )
によって排斥されたのも︑このバランスを考慮する必要がないと考えられたからに外ならない︒
( 1 2 )
登記条例から登記法への改称について︑前注
(6
)福島論文は︑明治一九年の勅令一号公文式との関係を示唆する︒
( 1 3 )
死亡相続等が例外とされていることは︑法一五条参照︒なお︑家督相続の扱いについて︑司法省と法務省との間に議論の
あったことは︑前注
(6
)福 島論 文参 照︒
( 1 4 )
前注
(6
)福 島論 文︒
( 1 5 )
前注
(6
) 福
島論 文︒
( 1 6 )
前注
(6
)福島論文︒ただし︑前注
(4
)は︑登記主義的発想があったと推測する︒
( 1 7 )
前注
(6
)福 島論 文︒
( 1 8 )
前注
( 1 0 )
報告書によれば︑わが国において未登記不動産が多いことは︑登録税が高いことや任意登記主義を採用したこと
とならんで︑﹁殊に旧登記法の建前が︑不動産の登記を︑売買︑抵当権設定等不動産を何等かの処分に至るまで放任せしむ
る習慣を馴致する結果を招いた﹂ことに起因する︒
( 1 9 )
前注
(6
)福 島論 文︒
( 2 0 )
前注
(6
)福 島論 文︒
( 2 1 )
前注
(6
) 福
島論 文︒
( 2 2 )
法協三七号︑三八号︵明治二
0
年 ︶ ︒
( 2 3 )
富井政章・討論会﹁情ヲ知リ不動産ヲ後二買受ケ先二登記シタル者ノ所有権有無ノ件﹂法協三七号︒
( 2 4 )
有川哲夫﹁二重譲渡と悪意の第三者﹂福岡大学法学論叢二四巻四号︒
(25)
これについて異論のあることは、手塚豊「明治初年の民法編纂—~江藤新平の編纂事業と其草案||'」司法資料別冊ニ―号 ︒
( 2 6 )
前注
( 2 5 )
論文
︒
不動産物権変動理論史
一 九
︵ 二
0
五 ︶( 2 7 )
石井良助﹁明治︱一年民法草案①②﹂法時三
0
巻四︑六号参照︒( 2 8 )
前注
( 2 7 )
論文 参照
︒
( 2 9 )
但し︑担保については第三者の善意は要求されない︒債権担保絹︱一九︑一七七︑ニ︱三条参照︒
( 3 0 )
証拠編八六条は︑﹁公示ナキニ因リ第三者二知レサルモノト推定シテ或ル権利ノ行使ヲ拒絶スルトキ﹂は︑その推定は︑
﹁利益二関スル完全ノモノタリ﹂と定める︒
(31)星野英一﹁フランスにおける不動産公示制度の沿革の概観﹂フランス民法の一五
0
年︵昭和三二年︶︑民法論集第一一巻︵昭和四五年︶所収︑同﹁フランスにおける一九五五年以降の不動産公示制度の改正﹂法協七六巻一号・民法論集第二巻所 収︑伊藤道保﹁一九五五年フランス不動産登記制度の改正について﹂比較法研究一六号︑浜上則雄﹁フランス法における不 動産二重譲渡の際の第三者の悪意﹂阪大法学五一号︑鎌田薫﹁フランス不動産譲渡法の史的考察曰ー同﹂民商六六巻三ー六 号︑同﹁不動産二重売買における第二買主の悪意と取引の安全フランスにおける判例の﹃転換﹂をめぐってー﹂比較
法学九巻二号、滝沢幸代「物権変動における意思主義・対抗要件主義の継受ー—'不動産を中心に
1
日ー田」法協九三巻九、
︱︱︱二号︑九四巻四︑七号・物権変動の理論︵昭和六二年︶所収等を参照︒
( 3 2 )
七戸克彦﹁不動産物権変動における対抗力の本質
1
ボアソナードを起点としてー﹂慶応義塾大学大学院法学研究科論
文集
ニ︱
二号
︒
( 3 3 )
星野英一﹁日本民法典及び日本民法学説における
G・ボアソナードの遺産﹂加藤一郎先生古稀・現代社会と民法学の動
向m︵平成四年︶所収も︑同旨︒
( 3 4 )
ボアソナード氏起稿・再閲修正民法草案注釈第弐編人権ノ部上巻︵明治一六年か︶︒
( 3 5 )
前注
( 3 3 )
論文
は︑
f a u t
e
(過失︶理論から説明する︒
第三節
現行民法の基本構造現行民法下における物権変動論
関 法 第 四 六 巻 第 二 号
二
0
二0
六 ︶
同
で あ
る ︒
明治三一年施行の現行民法は︑その一七六条において︑﹁物権ノ設定及ヒ移転ハ当事者ノ意思表示ノミニ因
リテ其効カヲ生ス﹂とし︑さらに一七七条では︑﹁不動産二関スル物権ノ得喪及ヒ変更ハ登記法ノ定ムル所二従ヒ其
登記ヲ為スニ非サレハ之ヲ以テ第三者二対抗スルコトヲ得ス﹂と規定している︒ここでは︑取引当事者間における物
権変動の要件について﹁意思主義﹂を採用しつつ︑第三者間における優劣の要件を公示方法としての登記に求めて︑
登記を経た物権変動に対してはじめて﹁対抗力﹂としての効力を付与するいわゆる﹁対抗︵要件︶主義﹂を採用して
( 3 6 )
いることは︑文言上明らかである︒
また︑翌三二年には不動産登記法が制定・施行され︑旧登記法は廃止される︵同法付則一六〇ヽ
記法六条に相当する登記の効力を直接定める規定はここにはなく︑民法一七七条がこれに代わることになる︒した
一七七条は︑﹁一方二於イテハ当事者ノ意思ヲシテ法律上極メテ充分ナル効カヲ生スルコトヲ得セシメ他ノ
( 3 7 )
一方二於イテハ其自由ナル意思ヨリ生スル種類ノ弊害ヲ矯正スル為メ適宜ノ方法ヲ設クル﹂ために必要とされた措置
しかし︑旧登記法六条と民法一七七条の関係は︑前者が後者に単純に置き換えられたわけではなく︑登記を要する
物権変動は︑﹁地所建物⁝⁝の売買譲与質入書入﹂から﹁不動産二関スル物権ノ得喪及ヒ変更﹂へと拡大され︑また︑
登記塀怠の物権変動は﹁第三者二対抗スルコトヲ得ス﹂と明示される︒さらに︑旧民法三五
0条の趣旨は︑訴訟的要
素を削除して不動産登記法四条︑五条に一部引き継がれ以下のように規定される︒
不登法四条﹁詐欺又ハ強迫二因リテ登記ノ申請ヲ妨ケタル第三者ハ登記ノ欠鋏ヲ主張スルコトヲ得ス﹂ が
っ て
︑
( 1
)
五条﹁他人ノ為メ登記ヲ申請スル義務アル者ハ其登記ノ欠鋏ヲ主張スルコトヲ得ス⁝⁝﹂
不 動
産 物
権 変
動 理
論 史
︵ 二
0
七 ︶一 六
一 条
︶ ︒
旧 登
( 3 )
対抗要件としての登記が必要とされる物権変動︵変動原因︶
の 種
類 に
つ い
て ︑
︵ 二
0
八 ︶
を制限していない︒変動原因無制限説の主張される所以である︒富井政章氏は︑いわゆる意思表示制限説をとる明治
三
0年代の下級審判決ないし大審院判決を掲げて︑﹁此見解ノ根拠トスル所ハ民法第百七十七条ノ規定ヲ以テ第百七
十六条ヲ承ケタルモノト為スニ在ルモ是一大謬見卜謂ワサルヘカラス﹂と批判し︑﹁設定及ヒ移転﹂︵一七六条︶と
( 3 8 )
﹁得喪及ヒ変更﹂︵一七七条︶の表現からも︑両者の範囲が異なることを指摘しているが︑法典調査会における起草
( 3 9 )
委員︵穂積陳重︶の説明などに共通するものである︒富井氏はこうして相続︵ことに隠居・入夫婚姻︶︑時効につい
( 4 0 )
ても本条の変動原因と認める︒
しかし︑判例は明治四一年に到るまで意思表示制限説に固執する︒たとえば大判明治︳︱‑八年︱二月︱一日︵民録一
一輯一七三六頁︶は︑﹁第一七七条ノ規定ハ︑其権利力当事者意思二因リテ発生移転スル場合二於イテ︑其当事者ニ
シテ此行為ヲ為シタル者ハ速ヤカニ登記ヲ為セハ第三者二対シテ自己ノ利益ヲ保護スルコトヲ得可キニ其手続ヲ怠リ
タルトキハ第三者保護ノ為メ其者二不利益ヲ被ラシメル精神二出テタルコト疑ナシ﹂と一般論を述ぺた上で︑家督相
続に登記を要求することは困難を強いるものであることや︑被相続人と取引する者は戸籍簿︑登記簿等で相続の有無
( 4 1 )
を知ることができるから︑相続登記がなくても不都合がないことを理由として︑意思表示制限説に従っている︒
なお︑この意思表示制限判決に対して︑﹁登記を契約の公示であると考えるフランス法の古典的な考え方と論理構
造の上で共通している﹂ことを指摘し︑かつ︑﹁一七七条が機能するのは︑可能な手続きを怠った第一譲受人に対し
( 4 2 )
て第三者を保護する場面においてである﹂と解する旧民法的な﹁過失主義的な論理﹂をここに見出すものもある︒
( 2 )
明治四一年には大審院が二つの連合部判決において︑﹁変動原因﹂無制限説︵大連判明治四一・︱ニ・一五
関法 第 四 六 巻 第 二 号
一七七条は文言上なんらこれ
引の安全のためには︑
民録一四輯―――10
一頁)および「第三者」制限説(大連判明治四一•―ニ・一五民録一四輯―二七六頁)へ と
判 例
の
七条ノ規定ハ同一ノ不動産二関シテ正当ノ利益ヲ有スル第三者ヲシテ登記二依リテ物権ノ得喪及ヒ変更ノ事情ヲ知悉
シ不慮ノ損害ヲ免ルルコトヲ得セシメンカ為二存スルモノ﹂であるから︑﹁畢覚第三者保護ノ規定﹂であることに求
める︒したがって︑そこには意思表示による物権変動と家督相続のような法定原因による物権変動を区別する理由は
( 4 3 )
しかし︑この判決の先例としての意義については︑肯定説も多いが︑否定的な見解もある︒変動原因無制限説とい
う一般的な評価を与えるよりは︑相続登記要求判決と評価するに止めるべきであるとして︑そこに個人主義的な商品
社会の論理を拒む家産制度との矛盾点としての生前家督相続制度と民法起草者が意図した物権関係の画一的処理の要
( 4 4 )
請との葛藤︑衝突を見て︑後者による前者の克服の一過程と見る︒この評価は︑その後︑隠居後の前戸主のした保存
登記を無効とする下級審判決があい続き︑相続介在型二重譲渡についての判例変更は大連判大正一五年二月一日︵民
集五巻四四頁︶︑また相続登記要求判決の﹁完成﹂は大判昭和一五年四月二
0日︵民集一九巻七三二頁︶を待たねば
ならなかったことからも同意できる︒同様のことは大連判大正一四年七月八日︵民集四巻九号四︱二頁︶
要求判決についてもいえる︒したがって︑前掲大審院連合部判決の先例機能は当面︑生前相続登記要求判決としての
( 4 5 )
意義を持つにとどまらざるをえなかった︒たしかにこの相続登記要求判決自体︑その判旨の目的が﹁第三者保護﹂に
あることを認めていることからすれば︑その﹁趣旨は︑要するに︑相続人にとって多少の不利益はあるにしても︑取
( 4 6 )
一律に登記を要するとしなければならない﹂ということであろう︒しかし︑単に変動原因無制
不 動
産 物
権 変
動 理
論 史
転換を図る︒前者は︑意思表示制限説を否定した上で︑
︵ 二