• 検索結果がありません。

アメリカの金融政策に関する長期的考察

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "アメリカの金融政策に関する長期的考察"

Copied!
15
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

アメリカの金融政策に関する長期的考察

著者 地主 敏樹

雑誌名 同志社商学

巻 70

号 6

ページ 669‑682

発行年 2019‑03‑15

権利 同志社大学商学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000043

(2)

アメリカの金融政策に関する長期的考察

地 主 敏 樹

Ⅰ 国際的側面

Ⅱ 金融政策運営と裏打ちする考え方

アメリカの中央銀行として連邦準備制度(Federal Reserve System)が

1913

年に創設 されてから,100年を超えた。その間,1930年代の大恐慌,第

2

次世界大戦と戦後のブ レトンウッズ体制構築,朝鮮戦争とインフレーション,ケネディ=ジョンソン政権の積 極的政策運営とブレトンウッズ体制崩壊,2度にわたる石油危機とスタグフレーショ ン,レーガン政権とクリントン政権による金融自由化,ニューエコノミーと

IT

バブル 崩壊,さらに住宅価格バブル崩壊と世界金融危機および長期停滞と,様々な局面を経て きた。

最近にいたっては,トランプ政権の下,金融政策の独立性が懸念されるような状況が 観察されて金融市場も動揺している。2019年正月のアメリカ経済学会においては,バ ーナンケ,イエレン,パウエルと

3

代の理事会議長が並び,鼎談の形でインタビューを 受けた。そのハイライトは,パウエル氏が利上げ決定は経済状況次第でフレキシブルで あると説明したことと,司会者からの「トランプ大統領に辞任を求められたら辞任しま すか?」という質問に対してパウエル氏が「NO」と答えたことであった。

様々な興味深い局面があり,重要な教訓があるが,本稿では,2つの側面に絞って,

長期的な変遷を,厳密な検証には拠らずに少し自由に,傍観者の立場から論じてみた い。第

1

は,アメリカの金融政策の国際的な側面であり,第

2

はアメリカの金融政策運 営とその裏打ちとなった考え方の変遷という側面である。

Ⅰ 国際的側面

本節では,アメリカの金融政策の国際的側面について論じたい。連邦準備制度が担当 するのはアメリカ一国の金融政策でしかないが,それが世界経済に大きな影響を及ぼし

669)63

(3)

てきた点は否定できない。

(連邦準備制度創設から戦間期・大恐慌)

連邦準備制度の創設時期は,19世紀後半の高度成長を経て,アメリカが世界最大の 工業国となった頃であった。繰り返された金融恐慌への対応として,伝統的な草の根の 反対意見を抑えて,金融システムの安定性を高めるために創設されたのである。すぐに 第

1

次世界大戦が勃発して,連邦準備は戦費調達に協力することとなったが,その後の 戦間期に入ると戦前の国際経済・金融システムへの復帰が,必ずしも容易ではなかっ

1

た。アメリカは,伝統的な孤立主義が高まって国際連盟に加入しなかった上に,債権国 となったのに輸入品に対して高い関税を課す保護主義に陥っていった。アメリカに対す る返済を進めないといけない欧州各国は,アメリカの保護主義によって返済資金稼得に 困ることとなったのである。

世界経済のリーダー国の交替がスムーズに実現されなかったことを問題視する見方も 根強い。戦前までのリーダー国であった英国の経済力が低下し始めていたのに,新たな 経済大国となりつつあったアメリカが,リーダー国としての責任を引き受けなかったの だと評価されているのであ

る。19202 年代の地価や株価のバブルを経て,大恐慌(the

Great Depression)が始まると金利を引き下げたが,一時的には金本位制の平価防衛の

ために金利を引き上げたりもした。周知のように,大恐慌は日本も含めた世界各国に波 及することとなった。最終的には,英国などに遅れたものの,金本位制から離脱するこ とで金融緩和が本格化することとなった。アメリカ発の金融危機が世界経済を長期にわ たって動揺させたのである。

(ブレトンウッズ体制成立,1960年代のインフレーションとブレトンウッズ体制崩壊)

2

次大戦後のブレトンウッズ体制の下では,米ドルが金準備に裏付けられた国際機 軸通貨となり,各国は米ドルに対する固定為替制度を採用した。しかし,1960年代の ケネディ=ジョンソン政権の積極的な財政・金融政策がインフレーションを引き超すよ うになると,米ドルの対外価値が動揺するようになり,フランスなどが金兌換の実行を 迫るようになった。最終的には,1971年のニクソン政権による金ドル交換停止へとつ ながることとなる。

────────────

1 金本位制度の自動調整機能が実際に機能していたのかを疑問視する見方もある。また,金本位制度の下 で重要であった平価の水準に関して,戦時中のインフレーションを反映した新平価に移行するのか,あ るいは戦前の旧平価に戻るためにデフレーションを起こすのかの選択も,国によって分かれた。

Eichengreen(2013)では,当時のStrong NY連銀総裁が,英国の金本位制復帰・維持を後押ししよう

として,国内的には不要な利下げを実施したことが,資産価格バブル形成に寄与したという見方を紹介 している。

2 特殊な分権的構造をもっていた連邦準備制度は,国際的な政策協調などにおいて中核を担っていたベン ジャミン・ストロングNY連銀総裁が病死したことで,機能不全に陥っていたとみる人々もある。他 方で,当時の主要国中央銀行のトップたちの資質を押しなべて問題視する見方もある。また,各国の準 備通貨も,英ポンドが圧倒的であったのが,米ドルが増えていたという事実も報告されている。

64(670 同志社商学 第70巻 第6号(2019年3月)

(4)

米ドルの対外価値が大きく低下して,日本経済にとっては,「ニクソンショック」と なった(図

1)。これによって,ブレトンウッズ体制が崩壊して,ルーブル合意などの

試行錯誤の後,先進各国は変動為替制度へ移行していった。アメリカの国内経済問題が 国際通貨体制を変化させたのである。1970年代にはインフレーションがさらに高進し

て後に

Great Inflation

と呼ばれる状態となった。インフレーションを鎮静化しようとす

ると失業率が高まってしまい,失業率を引き下げようとするとインフレ率が再上昇して しまうこととなって,マクロ経済政策は試行錯誤を重ねて迷走した。

(高金利政策と双子の赤字,プラザ合意)

1980

年代に入るころ,連邦準備は強力なインフレーション鎮静化策を実施したが,

レーガン政権の大規模減税による財政赤字発生とあいまった形となり,アメリカの金利 が高騰した(図

2)。その余波はラテンアメリカ諸国などの債務危機を引き起こし

た。3 また,高金利は,ドルの対外価値を上昇させて,アメリカの貿易収支の顕著な悪化を引 き起こし

4

た。レーガン政権のマクロ経済政策は,インフレ鎮静化の政策アナウンスによ るインフレ期待の低下と,減税による労働インセンティブ上昇を通じた税収増を謳って 始まったが,その期待とはまさに反対ともいうべき結果となったのであ

5

る。

そこで,アメリカ政府および政策エコノミストたちは,米ドルの為替レートが高過ぎ る水準に留まっているというミスアラインメントの議論を進めて,1985年夏のプラザ

────────────

1970年代に石油価格が高騰したことを受けて,オイルマネーが米国などの大手金融機関によって運用 されて,ラテンアメリカ諸国などに投融資されていた。もちろん,借り手側の将来見通しが甘かったこ とが債務問題の根本要因であるが,貸し手側のリスク管理も全く低レベルであった。ラテンアメリカ諸 国救済に充てられた国際的な資金は,そうした大手金融機関の救済ともなったのである。

4 日本経済にとっては,直接的には,米国との間の貿易摩擦の激化がもたらされた。

5 レーガン政権の経済政策においては,むしろ,ミクロ経済政策に見るべきものがあったと言えよう。

1 円ドルレートの推移

出所:FRED

アメリカの金融政策に関する長期的考察(地主) 671)65

(5)

合意にこぎつけ,主要各国による大規模な国際協調介入実施によって,ドルの対外価値 低下を実現した。アメリカの国内政策の失敗がもたらした副産物を,国内経済政策の調 整ではなく,海外による政策協調によって解決しようとしたのであ

6

る。米政府高官や政 策エコノミストたちの為替レート関連の発言=「口先介入」も外為市場に影響して,日 本円の対米ドルレートは,約

2

年間でほぼ

250

円から

120

円近くへと大幅に上昇した。

(クリントン政権の金融自由化と国際的資金循環の変化,強いドル政策)

1990

年に入るころにはインフレーションは低位で安定しており,グリーンスパン理 事会議長の下,金融政策もテイラー・ルールに近い安定した運営が続いてい

た。907

代半ばになると,IT革命と関連する生産性上昇が顕著になっ て い く。後 に,Great

Moderation

と呼ばれるようになる,安定したマクロ経済状態が続く中,クリントン政権

は大規模な金融自由化を実施し

8

た。金利自由化は

80

年代のレーガン政権で実現されて いたのだが,残っていた州際規制と業際規制を全面的に自由化したのであ

9

る。金融業界

────────────

Eichengreen(2013)では,アメリカ政府がプラザ合意を各国に強く要請したとは,書かれていない。そ

の後の諸研究によって,国際的な政策協調が必ずしもポジティブな結果をもたらさないことが明確に論 じられるようになったことも,興味深い。また,アメリカの政策エコノミストたちはおしなべて為替介 入に対して否定的であり,アメリカ政府が海外諸国に対して為替相場操作国の認定を一方的に実施して いることも,皮肉な現状であると言えよう。

Taylor(1999)。

8 政権発足当初は,冷戦終了と日本のバブル経済に直面して,「日本経済をストップすることを経済策上 の優先課題としていた」と,当時のCEAのスタッフエコノミストであったRael Brainardは回想してい る(Frankel et al(2002))。その後の日本経済の低迷もあって,国内経済の強化に進んでいったとも思 われる。なお,日本の金融危機時に,金融機関株式のショートセールを規制しようとした日本政府に対 して,アメリカ政府が反対を表明したことは記憶しておくべきだろう。その後の自国の金融危機におい ては,アメリカ政府は同様な規制の実施をためらわなかった。

9 どちらの規制も部分的には自由化が既に進められていた。州際規制は,州政府間で相互主義的な支店展 開が認められ始めていた。業際規制は,連邦準備制度などが,自己資本比率が高くリスク管理体制が整 っていると判断された大手金機関を中心に,部分的な業務範囲拡大などを許容し始めていた。クリント ン政権はそうした部分的な自由化を追認するととともに,連邦レベルでの全面的な自由化を実施したの である。

2 アメリカの政策金利

出所:FRED

66(672 同志社商学 第70巻 第6号(2019年3月)

(6)

では大掛かりな

M&A

の波が生じた。大手商業銀行は全国的な支店網を作り上げ,対 抗する形で投資銀行も巨大化し,持ち株会社の下に保険会社も含めた巨大金融グループ が形成された。様々な投資戦略を競う投資ファンドも数多く発達した。

こうした構造変化を経て,リスクテイク能力の高まったアメリカの金融機関が,世界 中から資金を負債の形で集めてその資金を世界中のリスク性の高い資産に運用するとい う構造ができあがっ

10

た。経常収支赤字国であるアメリカの金融機関が対外投資をするた めには継続的かつ大規模な資金流入が必要であり,そのためにはドル減価予想が障害と なることもあって,米国政府関係者がドル安を促すような発言をすることは目立たなく なった。このことは,日本では,「強いドル政策」として受け取られた。

(アメリカの金融構造と国際的な波及効果)

こうした新しい国際的な資金循環構造の結果として,アメリカ国内における信用拡張 と伸縮が世界の金融市場に大きな波及効果をもたらすことが,繰り返されるようになっ た。特に,今次の世界金融危機とその後の量的緩和政策においても,顕著な国際的な波 及効果が観察された。こうした波及効果は,資金の受け入れ国サイドの問題が深く関連 していることが多いものの,アメリカの金融産業の在り方が,国際金融システムにとっ ての不安定要因となっているとみられるのではないだろうか。

Ⅱ 金融政策運営と裏打ちする考え方

本節では,アメリカの金融政策の標準的な運営方法の変遷について論じたい。その運 営手法を正当化する考え方とともに,かなり頻繁に変化してきたことにも,注目されよ う。標準的な金融政策運営とは,あまり安定したものではないのである。なお,レーガ ン政権とクリントン政権による大規模な金融自由化と,その後の資産価格バブル生成・

崩壊についても,本節の中で,言及していく。

(草創期のリアルビルズ・ドクトリン)

連邦準備制度の初期の金融政策運営は,リアルビルズ・ドクトリン(the real bills

doctrine)という考え方に基づいたものであっ

た。実需に基づいた商業手形の割引を通11

じて,貨幣を供給していこうというもので,金融面の独走を防ぐ意図をもっていたが,

────────────

10 アメリカは純債務国であるが,その対外債務は財務省証券に代表されるようなドル建ての負債であり,

その対外資産は世界各国の現地通貨建てのリスク資産が多い。したがって,負債面の利子率よりも資産 面の収益率の方が高くなり易い。さらに,米ドルが減価すると,評価益が発生することとなっている。

多くの途上国が,自国通貨減価によって国際的債務支払いに苦しむこととなるのとは,対照的である。

このように米ドルが国際機軸通貨であることと,大手の投資銀行や投資ファンドに代表されるような金 融機関の比較優位に基づいた特殊な構造となっている点に,しばしば注目が集まっている。

11 当時の金融政策運営の大枠としては金本位制があったが,通常の政策運営において実効的な制約とはな らなかったと論じられている(Bernanke(2013))。

アメリカの金融政策に関する長期的考察(地主) 673)67

(7)

景気循環に対して金融政策が受け身になって順循環的になってしまうというマイナスも 持ち合わせていた。金本位制と併せて大恐慌のような局面では不適切な政策運営であっ たと批判されることとな

12

る。

(信用アベイラビリティ・ドクトリンとビルズオンリー・ポリシー)

戦後の

1951

年のアコー

13

ドによって独立性が回復された後は,短期国債の売買による 貨幣量の調節に限定したビルズオンリー・ポリシー(the bills only policy)が標準的手 法となった。銀行が大量の国債を保有していたので,長期国債の売却に伴う損失実現は 避けるだろうから,短期国債の公開市場操作だけでも貸出を左右できるとする信用アベ イラビリティ・ドクトリン(the credit availability doctrine)が,そうした運営方法を裏 打ちするものとされた。しかし,銀行が国債保有を速やかに調整したので,この考え方 の現実妥当性は低いものとなった。ただし,当時の金融政策運営方針はきわめて保守的 なもので,低位でのインフレの安定化を重視していたので,1950年代は初頭の戦時イ ンフレーションを除くと,低いインフレーションを実現できてい

14

た。

────────────

12 大恐慌下の1935年にグラス=スティーガル法が立法されて,金融システムの安定性を高めるために,

銀証分離が導入され,預金保険公社(FDIC)と証券取引委員会(SEC)が創設された。それに応じて,

連邦準備制度の政策目的の中で金融システムの安定性のウェイトが低下した。他方で,大恐慌下の経済 状況を反映して,政策目的としての雇用や物価のウェイトが高まったと,認識されている(Bernanke

(2013))。

13 「全面戦争(total war)」となった第2次大戦がはじまると,経済の様々な側面で価格・生産・販売の統 制が行われた。連邦準備制度も戦費ファイナンスに協力して,長期金利を固定(ペグ)するようになっ た。戦後も,国債価格下落懸念から長期金利ペグは継続されたが,朝鮮戦争に伴うインフレ高進に直面 して,財務省と連邦準備制度の間でアコードが成立して,金融政策運営の独立性が回復された。

14 当時の金融政策運営の考え方については,Romer and Romer(2002)参照のこと。

3 フィリップス曲線

出所:FREDのデータを用いて筆者作成

68(674 同志社商学 第70巻 第6号(2019年3月)

(8)

(ケインズ学派とファイン・チューニング)

1960

年代に入ると,ケインズ経済学の積極的な活用による景気安定化が目指される ようになっ

15

た。金融政策運営のレジームが変わったのである。しかし,財政政策も含め たマクロ経済政策の機動的運用=ファイン・チューニングは,政策ラグによる失敗の可 能性などの理由から批判されることとなった。さらに,インフレーションと失業との安 定的なトレードオフを前提としたマクロ経済政策運営は,インフレーションの高進を招 いて,失敗に終わったと評価されていると言えよう。図

3

に示したように,フィリップ ス曲線は明らかに上方シフトしていったのである。こうしたフィリップス曲線について は,インフレ期待と自然失業率が導入された形=「自然失業率仮説」が,現実妥当性の ある理解として提案されて,次第に受け入れられるようになっていく。

(Great Inflationと試行錯誤)

1970

年代に入るころには,インフレーション鎮静化がマクロ経済政策目標として,

最重要視されるようになっていた。シカゴ学派の経済政策思想を基礎としていたニクソ ン政権では,景気の低下と失業率増大を容認してインフレを低下させようと,財政・金 融政策を引き締め気味に運営したが,失業率のみが高まってインフレ率がなかなか低下 しなかった。図

3

でも,1960年代末から

1970

年頃にほぼ水平な移動が観察できるの で,失業率だけが増大していたことが読み取れよう。そこで,1971年に経済政策を大 転換して,価格コントロールや金ドル兌換停止,輸入課徴金や投資減税などからなる政 策パッケージを実施することとなった。「ニクソン・ショック」である。確かに,一時 的にはインフレ率が低下した。しかし,平時には珍しい価格コントロールは,民間の広

────────────

15 当時の金融政策運営には,経済成長率にも貨幣量が影響し得るという貨幣的成長理論の考え方なども影 響していたと考えられる。Tobin(1965)やSummers(1981)を参照のこと。

4 コア・インフレーション(CPI less Food and Energy)

出所:FRED

アメリカの金融政策に関する長期的考察(地主) 675)69

(9)

範な理解・協力を得ることが難しかった上に,90日間の凍結の後の解除策も準備され ておらず弥縫策の実施に追われたが,第

1

次石油危機で吹き飛ばされてしまった。イン フレ率は再上昇して高進し,後に

Great Inflation

と呼ばれる状態となった。

当時の連邦準備理事会議長の

Arthur Burns

は,こうしたニクソン政権の全体的な経 済政策運営に深く関与しており,そうすることで金融政策運営の独立性を損なったので はないかという評価を,後に受けることとなった。失業率が高まったのにインフレ率が 低下しなかったのは,ベビーブーマーの労働市場参加による自然失業率上昇と

1960

年 代の経験に基づくインフレ期待の上昇という,2つの構造変化が生じてフィリップス曲 線が右上方にシフトしていたからだと,後には理解されるようになった。近年の日本に おいては,インフレ期待が低下してしまい,労働力人口が縮小し高齢化している状況な ので,ちょうど反対方向の構造変化が生じていたのだと言えよう。

(マネタリズムと高金利政策)

1970

年代には,フォード政権がインフレーションを鎮静化しようとすると失業率が 高まってしまい,ウオーターゲート・スキャンダルの余韻もあって,政権は交替した。

しかし,カーター政権が失業率を引き下げようとすると,インフレ率が再上昇してしま うこととなった。マクロ経済政策は試行錯誤を重ねて迷走したのである。第

2

次の石油 ショックも発生してして,インフレ率が

2

桁になって,金融政策のレジームが再び転換 された。今度は,インフレ鎮静化のために,貨幣量をコントロールするというマネタリ ズムの考え方が採用されることとなった。1970年代末から

1980

年代初頭にかけて,

Volker

理事会議長の下,強力な引締めが実施されて,政策金利は急騰したが,貨幣量

をコントロールしようとしているのだとして,正当化され

16

た。

新しい古典派の考え方に基づいて,インフレ鎮静化へのコミットメントが人々のイン フレ期待を低下させることとなれば,失業率の大幅な悪化を引き起こさずにインフレ率 を低下させることができるのではないかとも期待された。確かにインフレ率の低下には 成功したが,失業率が

2

桁にまで上昇してしまった。「無痛のインフレ鎮静化」は実現 されなかったのである。レーガン政権では,「税率の大幅な引き下げが労働インセンテ ィブを顕著に高めることで

GDP

を増大させて,税収をむしろ増やすこととなる」とい う「無痛の財政赤字縮小」も謳われたが,現実の財政赤字は大幅に増大してしまった。

ドル高や貿易赤字増大も招いて,「双子の赤字」が問題化することとなった。

(金利自由化と

S&L

危機)

1990

年代に入るころには,アメリカ各地で資産価格低下と金融機関破綻の大きな波

────────────

16 貨幣量の正確なコントロールは,実際には困難であった。目標とされた範囲に収まらないことが多かっ たので,連邦準備制度のマネタリズム採用の真剣さを疑問視する人々も少なくない。ただし,Good­

hart’s lawが主張したように,何らかの貨幣量をコントロールしようとすると,特徴の近接した貨幣的

資産との間で代替が生じてしまうので,コントロールは難しいというのも,経験知である。

70(676 同志社商学 第70巻 第6号(2019年3月)

(10)

が発生していた。レーガン政権下で,金利規制が自由化されたことを受けて,住宅金融 のウェイトが高かった業態(S&L:貯蓄貸付組合)が経営困難に陥った。資産サイドが 長期の固定金利だったところに,自由化された預金金利が高まって逆鞘状態になったの である。当局は,S&Lの資産運用の規制を緩和して収益率を高めさせようとしたが,

地価を始めとする資産価格のアップダウンによって,相当数の

S&L

が大きな損失を被 ってしまった。S&Lが最も顕著であったものの,他の預金金融機関も相当に傷んでし まった。

後継のブッシュ政権はこうした金融危機の処理を実施することとなった。その後のク リントン政権は,アメリカ経済再生を謳って選挙に勝利した。当初は,景気対策や中間 層減税などを実施する予定であったが,その実施前に景気が回復したことと,財政赤字 削減を優先する方向に政策方針を転換した。このことが,金融市場に歓迎されて長期金 利が低下し,おりからの

IT

革命を進める企業投資の増大に貢献して,1990年代半ばか らの生産性上昇につながったと評価されてい

17

る。

(州際・業際規制の自由化と

IT

バブル生成)

クリントン政権の経済政策としては,金融規制の自由化も大規模なものであった。第

1

節でも触れたように,商業銀行をはじめとする預金金融機関の支店展開を規制してき た州際規制を撤廃し,銀証分離に代表されるようなグラス・スティーガル法の業際規制 も撤廃したのである。州境を超える銀行合併の波が発生し,スーパーリジョナルズと呼 ばれる大規模商業銀行などが発達して,最終的には全国的な支店網をもつようになって いく。また,持ち株会社の下に,商業銀行や証券会社および保険会社を子会社として展 開する総合的金融グループも形成されていった。こうした中,大手投資銀行はそれまで のパートナーシップから株式会社化することで,大手商業銀行に対抗するように規模を 大きくし,リスクテイク能力を高めて,収益増大に邁進した。ヘッジファンドなど,資 産運用に特化した様々な投資ファンドも盛んに設立された。

このように金融業界の構造が大きく変わっていく中,クリントン政権は新たな金融産 業構造に対応した金融規制の導入には消極的であった。国法銀行と州法銀行とが併存す る

2

元銀行制度は温存され,金融会社や保険業界の規制・監督も州政府レベルに任され ていた。さらに,デリバティブ(金融派生商品)取引が大規模化して,金融機関のリス クテイクが高まりつつある中でも,一部の当局関係者による規制強化への提案は封じら れて,規制監督の一元化も実施されなかった上に,むしろ自由化が進められた。政権末 期には,IT関係企業の株価上昇を特徴とする

IT

バブルが発生して崩壊することとなっ た。

────────────

17 Blinder and Yellen(2001)。

アメリカの金融政策に関する長期的考察(地主) 677)71

(11)

(Great Moderationとテイラー・ルール)

この時期のマクロ経済は好景気と物価安定とが両立する時期が長く続いて,のちに

Great Moderation

と呼ばれるようになった。グリーンスパン理事会議長の下の金融政策

運営も,その巧みさが高く評価されることとなった。マクロ経済学者からは,基本的に テイラー・ルールに近い安定した運営が評価された。連邦準備制度が政策目的として与 えられている,物価と雇用とを両にらみしながら,政策行動に関する予想の立てやすい 小刻みな調整が特徴であっ

18

た。金融市場参加者からは,グリーンスパン・プットと呼ば れることとなり,資産価格下落に対して,早期の兆候段階で対応して,さらなる下落を 防いでくれる金融政策運営と讃えられ

19

た。

(FED view と実質ゼロ金利政策)

2000

年に入るころの

IT

バブル崩壊への対応は,就任したてブッシュ政権の大規模減

20

税と金融緩和とが効果的であった。こうしたこともあって,連邦準備制度は資産価格バ ブルへの対応策として,バブル崩壊後の金融緩和で対応可能であるという考え方(FED

view)を強めて,崩壊前に利上げして資産価格上昇を抑制すべきであるという考え方

(BIS view)を排していった。

しかし,日本のバブル崩壊後の停滞とデフレーションの経験に基づいて,デフレーシ ョンを警戒して,低金利(実質ゼロ金利)政策をかなり長く実施した。この低金利政策 が,クリントン政権期の金融規制緩和に基づく金融機関のリスクテイク志向と相まっ て,2000年代半ばからの住宅価格バブルに繋がったのだと見るエコノミストは少なく な

21

い。

(住宅価格バブル,シャドーバンク部門の崩壊と金融システム安定化)

911

テロからアフガン戦争とイラク戦争を経て,アメリカ経済は好況を謳歌していた が,2005年頃をピークに住宅価格低下が始まっていく。住宅ローン債権をプールして 加工した仕組債の価格が疑問視されるようになって,資本比率規制を回避して高収益を 求めていたシャドーバンク部門が動揺した。仕組債を発行していた大手投資銀行のリー マン・ブラザーズが破綻すると,短期金融市場での取引がストップしてしまった。どの 金融機関がどれだけ仕組債関連で損失を被ったのか不明で,貸し手はカウンターパーテ ィー・リスクを回避する行動をとったのである。

────────────

18 後にBlinder(2004)が説明したように,政策情報の公開を進めて政策行動が理解されるように努めて いく「中央銀行の静かな革命」が生じつつあったとも言えよう。

19 グリーンスパンは民間エコノミストとして,多様な経済データをよく知り,よくモニターしていると言 われた。就任当初の198710月には株価の一時的な急落があったが,大胆な流動性供給で乗り切って いた。

20 減税そのものは,クリントン政権末期の財政黒字に対して,大統領選挙戦から減税すると公約していた もので,危機対応の政策行動ではなかった。

21 地主・川波(2013)。

72(678 同志社商学 第70巻 第6号(2019年3月)

(12)

仕組債を購入していた投資ファンドも損失を抱えることとなって,そうした投資ファ ンド発行の

CP(短期社債)を購入していた MMF

から資金が流出した。銀行取付と同 じ事態である。投資銀行も金融会社も資金繰りがつかなくなって,破綻の危機に直面し た。仕組債のリターンを保証する信用デリバティブを大量に販売していた大手保険会社 も同様であった。シャドーバンク部門は崩壊したのである。

連邦準備は様々な新しい仕掛けを編み出して,伝統的な中央銀行貸出の対象外であ る,シャドーバンク部門を構成する金融機関向けの流動性供給を急拡大し

22

た。この危機 に至るまで,シャドーバンク部門に対する規制・監督は緩くかつ統一されておらず,流 動性供給手段もほとんど準備されていなかったのである。米国の連邦制の下で金融機関 の規制監督がもともと州政府の管轄であったことも寄与していると考えられるが,当時 の金融機関規制・監督が金融産業の実態から乖離していたわけで,明らかな準備不足で あった。金融システムの安定化に向けては,当初は仕組債の買い上げ制度として構想さ れ立法化された

TARP

を転用して,資本不足の金融機関向けの公的資金注入が実施さ れていく。さらに,大手銀行の健全度を測るストレス・テストが実施されて,個別行の 健全性の相違が明示されて,漸くに金融市場も落ち着きを取り戻したと評価されてい る。

(量的緩和政策と長期停滞論)

マクロ金融政策面では,危機直前までのインフレ警戒から急速に金利引き下げを進め て,ゼロ金利状態に持ち込み,2008年末からは量的緩和政策にも踏み込んでいった。

バーナンケ議長は,連邦準備制度が住宅ローン関連証券を購入していることで,資産サ イドの内容の重要性を強調して,日本銀行が

2000

年代前半に実施した量的緩和政策と 区別しようとした。確かに国債に限定せずに大規模な購入を行ったのは事実であるが,

購入対象とした住宅ローン関連証券は高品質なものに限定してい

23

た。

ゼロ金利の下に量的緩和政策を進めても,景気回復は鈍く,なかなかに失業率は低下 しなかった(Great Recession)。FED viewに対しても,主流派マクロ経済学の考え方に 対しても,懐疑的な見方が強まった。大恐慌後の長期停滞論を再検討するような見方も 現れていく。金融政策を決定する

FOMC

においても,自然利子率低下の可能性が認識 されていた。FOMC参加メンバーの経済見通しの中で,長期的な利子率の均衡水準の 推定値が低下していた。そうした中,量的緩和が継続されながら,幾度かのレジーム変

────────────

22 この流動性供給を信用緩和(credit easing)と呼ぶこともあり,連邦準備のCP購入が実物経済への資金 供給であると考えられたこともあるようだが,その中核はシャドーバンク部門への流動性供給でしかな かった。シャドーバンク部門の諸金融機関が,それぞれに金融市場を経由した資金調達を行っていたの で,それぞれの調達手段である証券を購入する形での資金供給を実施したのである。

23 政府系の住宅金融機関が保証した住宅抵当証券(RMBS)と,当該住宅金融機 関 が 発 行 し た 債 券

(Agency Bonds)だけが,購入対象であった。

アメリカの金融政策に関する長期的考察(地主) 679)73

(13)

更があり,それぞれにインパクトも異なっていたと評価されている。

(出口政策)

2014

年からは出口に向かって,まずは追加的な資産購入を停止して,保有残高を維 持するための満期分の再投資だけを実施していたが,2017年からは保有証券の満期到 来に応じて保有残高を漸減している。この間に,ゼロ金利からの利上げを,25ベーシ スポイントずつの調節で緩やかにすすめてきた。日本銀行は

2000

年代前半の量的緩和 からの出口において,急速に資産残高を減少させて量的緩和を終結させ

24

て,その後に政 策金利を引き上げ始めたのとは,異なるステップで出口を進めている点が注目される。

2019

年初頭現在で,政策金利であるフェデラルファンズ・レートの水準は

2% 強と

なっている。日欧など先進各国の中央銀行がまだマイナス金利や量的緩和を継続してい る中で,金融危機の震源地となったアメリカでは金融政策の正常化を進めているのであ る。

本稿では,アメリカの金融政策について,国際的な側面と,運営手法とその考え方と いう側面に焦点をあてながら,長期的に俯瞰してきた。誤った金融政策運営によってア メリカ国内でインフレーションが引き起こされて,その鎮静化のための極端な金融引締 めが実施された。それらの国際的な波及効果が主要な原因となって,ブレトンウッズ体 制は崩壊し,途上国債務問題も発生した。高金利がドル高をもたらすと,各国に要請し てプラザ合意をとりつけて協調介入も実施させた。

────────────

24 当時の日本銀行は,出口に向けて保有債券の短期化を進めており,出口到来後は保有債券の満期到来に よって,保有債券の売却に頼ることなく,資産残高を減少させたのだと理解されている。

5 失業率の推移

出所:FRED

74(680 同志社商学 第70巻 第6号(2019年3月)

(14)

アメリカの連邦制に基づいた金融規制・監督体制は統一性のない弱体なものであり,

金融産業を取り巻く経済環境や技術の変化に対応し,金融産業の国際競争力を高めよう とした金融自由化は,繰り返して金融機関の行き過ぎた行動を招いて,資産価格バブル に繋がってきた。アメリカの金融産業が世界中からドル建て負債の形で資金を借り入れ て,世界中の現地通貨建てのリスク資産に投資するという,国際的な資金循環構造が構 築されると,アメリカの信用膨張と収縮のサイクルは世界中に波及してしまうようにな った。

確かに一時的には,物価と雇用を両にらみにする金融政策運営は洗練されて,テイラ ー・ルールのような標準的な運営手法が確立され,政策情報公開も進んで安定がもたら されたかに見えた。しかし,そうした金融政策運営と政策思想では,資産価格変動と金 融機関行動をほとんど捉えられていなかったという欠点が,今次の金融危機で明らかに なった。

100

年余を超える連邦準備制度の金融政策運営を振り返ってみれば,標準的な政策運 営手法とその裏付けとなる政策思想は,それぞれに

10

年程度しかもたなかったことが 判る。その理由の一つは,ルーカス批判で指摘されたように,確立された政策運営に対 応して,金融機関や人々の行動が変化してしまうからであろう。グッドハート法則もそ の一例であった。そうした予想されなかった行動変化は,確立された政策運営手法の効 果を変化させてしまうのである。

現時点においても,標準的と目される金融政策運営手法は変わりつつあるように見え る。ゼロ金利や量的緩和および準備預金付利などの非伝統的金融政策を実施してきた経 験に基づいて,新たな標準的金融政策手法が模索され,金融政策運営手法を検討する理 論モデルの開発も続いているのである。こうした挑戦に終わりはないのかもしれない。

参考文献

Ben S. Bernanke, A Century of US Central Banking : Goals, Frameworks, Accountability, The Journal of Economic Perspectives,Vol.27, No.4(Fall 2013), pp.3-16.

Alan S. Blinder and Janet L. Yellen,The Fabulous Decade : Macroeconomic Lessons from the 1990s, Century Foundation, 2001/6.

Alan S. Blinder,The Quiet Revolution : Central Banking Goes Modern(Arthur Okun Memorial Lectures Se- ries), Yale University Press, 2004/3.

Barry Eichengreen, Does the Federal Reserve Care about the Rest of the World? The Journal of Economic Perspectives,Vol.27, No.4(Fall 2013), pp.87-104.

Jeffrey A. Frankel,−Peter R. Orszag ed., American Economic Policy in the 1990s−, University of Chicago Press, 2002.

Charles A. E. Goodhart, Problems of Monetary Management : The U.K. Experience ,Papers in Monetary Eco- nomics.I, Reserve Bank of Australia, 1975.

Christina D. Romer and David H. Romer, A Rehabilitation of Monetary Policy in the 1950s, American Eco- nomic Review92(2):121-27, 2002.

アメリカの金融政策に関する長期的考察(地主) 681)75

(15)

Lawrence H. Summers, Optimal Inflation Policy, Journal of Monetary Economics, vol.7(2), pages 175-194, 1981.

John B. Taylor, A Historical Analysis of Monetary Policy Rules, in Taylor ed.,Monetary Policy Rules,pages 319-348, University of Chicago Press, 1999.

James Tobin, Money and Economic Growth, Econometrica,Vol.33, No.4(Oct., 1965), pp.671-684

川波洋一・地主敏樹,「アメリカ経済と金融危機」,櫻川・福田編『なぜ金融危機は起こるのか』所収,

東洋経済新報社,20131月。

地主敏樹,『アメリカの金融政策 −金融危機対応からニュー・エコノミーへ−』,東洋経済新報社,

200611月。

地主敏樹,『非伝統的金融政策について』,日本金融学会会長講演,名古屋市立大学,20181020 日。

76(682 同志社商学 第70巻 第6号(2019年3月)

図 3 フィリップス曲線
図 4 コア・インフレーション(CPI less Food and Energy)

参照

関連したドキュメント

and Bandow, H.: Temporal change in atmospheric polycyclic aro- matic hydrocarbons in particulate matter from an urban location of Osaka, Japan: estimation of causes of a

Algorithm 2 takes as input any directive bi-sequence of length n for a two-letter alphabet, normalized or not, and computes, in linear time with respect to the length of the

ホットパック ・産痛緩和効果は得られなかった(臀部にホットパック) 鈴木 2007 蒸しタオル ・乳汁分泌量が増加した(乳房に蒸しタオルとマッサージ) 辻

III.2 Polynomial majorants and minorants for the Heaviside indicator function 78 III.3 Polynomial majorants and minorants for the stop-loss function 79 III.4 The

191 IV.5.1 Analytical structure of the stop-loss ordered minimal distribution 191 IV.5.2 Comparisons with the Chebyshev-Markov extremal random variables 194 IV.5.3 Small

TOSHIKATSU KAKIMOTO Yonezawa Women's College The main purpose of this article is to give an overview of the social identity research: one of the principal approaches to the study

administrative behaviors and the usefulness of knowledge and skills after completing the Japanese Nursing Association’s certified nursing administration course and 2) to clarify

The dynamic nature of our drawing algorithm relies on the fact that at any time, a free port on any vertex may safely be connected to a free port of any other vertex without