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批判の死から再生へ : ハーバーマスにおける社会 批判の可能性

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批判の死から再生へ : ハーバーマスにおける社会 批判の可能性

著者 大村 一真

雑誌名 同志社法學

巻 71

号 5

ページ 1707‑1775

発行年 2019‑11‑30

権利 同志社法學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000465

(2)

批判の死から再生へ

――ハーバーマスにおける社会批判の可能性――

大 村 一 真 

1. 問題設定

 1-1. 批判の死の宣告  1-2. 本稿の展開

2. 批判的社会理論以前の批判をめぐる構想  2-1. 批判的社会理論の課題

 2-2. イデオロギー批判  2-3. マルクスとフロイトの収斂  2-4. 修正と新たな展望 3. 批判の手掛かりを求めて  3-1. 発達心理学の受容

 3-2. アメリカ・プラグマティズムに倣いて――モデルネに対する一つの応答 4. 批判的社会理論における批判をめぐる構想

 4-1. 間主体性をめぐる緊張――コミュニケーション行為と仮説的態度  4-2. 討議における合意形成・流動化・脱中心化――社会批判の在り方 5. 終わりに

1 .  問題設定

1-1. 批判の死の宣告

 理性的な合意という言葉は、現代においても依然として論争的である。な かでも合意という言葉に対する拒否反応は、合意できないものを無理やり力 業で「合意」させる現実を知っている者たちにとって不可避なものである。

合意という美麗秀句は跋扈する不正を覆い隠す見せかけの装飾に過ぎないも のであり、その不正を明らかにする批判的視座をうしなっている。このよう

(3)

に、合意を批判の死と結びつけ、合意には批判が欠如しているというのが、

大方の見方であるだろう。

 実際にこのような合意に対する疑念は、理性的な合意の主唱者として解さ れるドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスに対して今現在も向けられ続け ている。なかでもそのような懐疑は、一般的にポストモダンと称される哲学 的潮流から提示されていると言うことができるであろう。例えば、ドイツの 哲学者ペーター・スローターダイクおよびフランスの哲学者ジャン=フラン ソワ・リオタールによるハーバーマスへの異議申し立てが代表的な例として 挙げることができる。

 1999年9月、ドイツ国内でポストモダンの論陣を張る著述家スローターダ イクが一通の公開書簡をツァイト紙に公表した。その見出しには、「批判理 論は死せり(

Die kritische Theorie ist tot

)」という表題が掲げられている。「神 は死せり(

Gott ist tot

)」というフリードリヒ・ニーチェの言葉を彷彿させ る同公開書簡は文字通り、ドイツ国内の批判理論であるフランクフルト学派 に死を宣告し、とりわけその第二世代の旗手たるハーバーマスを直接名指し で非難するものであった。

 同公開書簡は極めてコンテクスト性が強いため、その詳細をここで割愛し たい1)。その要旨は、「批判理論の本懐が黄昏(

Dämmerung

)を迎えている ことは明らかです」という文面から明らかな通り、フランクフルト学派第一 世代(アドルノおよびホルクハイマー)からフランクフルト学派第二世代(ハ ーバーマス)への凋落について言及することであり、批判理論の自壊をスキ ャンダラスに暴露するものである。

「果たして、私が今現在見て取ることを述べることは許されるでしょう か。古き批判理論の様式(アドルノ)の場合、フランクフルト学派はグ

1) 遺伝子学論争と称されるハーバーマスとスローターダイクの「論争」は、1999年のスロータ ーダイクのエルマウ城での講演「人間園の諸規則」を発端としている。Cf. Couture, Jean- Pierre (2016): Sloterdijk,Cambridge.

(4)

ノーシス風の左翼的ゲオルゲ・クライスのようでした。それは、驚くべ き高邁な構想を世に広め、あらゆる世代を洗練された見識の中で誘惑し ました。それは、主体における自然の想起(

Eingedenken der Natur im Subjekt)という定式で総括できる影響作用を強く引き起こしました。

新しき批判理論の様式(ハーバーマス)の場合、フランクフルト学派は ジャコバン主義を暗に含むものであり、ジャーナリズムとアカデミズム での昇進を約束し、美徳の独裁を敷く社会自由主義的様式のようでし た2)」。

 一読すれば明らかな通り、スローターダイクはここでフランクフルト学派 第一世代と第二世代を対比的に描き出し、第一世代によって磨き上げられた 鋭い批判の刃が、第二世代へと交代することによって、錆びついてしまった ことを仄めかしている。スローターダイクからすれば、ハーバーマスは理性 的な合意をめぐる議論を前景化させることによって、美徳の独裁を敷くよう なジャコパン主義を暗に含んでいる。つまりここでは、理性が合意という武 器を用いて権力の座に付いているということが示唆されているのである。同 公開書簡は、スローターダイク自身の叙述の真偽は別として、ハーバーマス に対して頻繁に向けられる多数の疑念を端的に表明するものであることには 違いないであろう。

 また、ハーバーマスの標榜する合意に対する反論をすでに理論的次元から 表明していた思想家がリオタールであった3)。一般にポストモダン論争と称

2) Vgl. Sloterdijk, Peter (1999): »Die kritische Theorie ist tot«, in Die Zeit. 9. September.

3) ポストモダン論争と称されるハーバーマスとリオタールのやり取りは直接的なものではなく、

決められたテーマが存在したわけでもなく、それぞれ自分自身の著作、論考および講演の中で 相手側に対する異論を一方的に提示していた 。リオタールの場合、1979年刊行の『ポストモ ダンの条件』、1982年の論考「ポストモダン問題への軽やかな補遺」、および1986年の『ポスト モダン通信』等でハーバーマスを示唆的に取り上げていた。これに対しハーバーマスの場合、

1980年の講演「近代――未完のプロジェクト」や1981年の講演「近代建築とポストモダン建築」

および1985年の『近代の哲学的ディスクルス』では、リオタールだけではなくジャック・デリ ダやミシェル・フーコーをはじめとするポストモダン全般を標的にしていた。Vgl.Frank,

(5)

されるハーバーマスに対するリオタールの異議申し立てを要約した先行研究 の数々が明らかにしている通り、リオタールにとって看過しがたかったのは、

あらゆる差異を生み出す言語ゲームを十把一絡げに合意によってまとめ上げ 解消してしまおうとすることであり、「分化(Ausdifferenzierung)」した多 元的な諸価値を統合しようとする「総体化(

Totalisierung

)」の試みである

(Menke [2009] S. 209)。リオタールからすれば、ハーバーマスの理性的な 合意の形成という目論見は、理性の越権行為であり、必然的に全体主義的な ものへと陥るものであり、結局のところ批判の水没を意味していたのである。

1-2. 本稿の展開

 では、あらためて問う必要があるのは、ハーバーマス自身がどのように批 判という試みを捉え、またその試みをどのように彼の社会理論の内部で位置 づけているのかということであろう。本稿では「批判の死」という問題に対 して、ハーバーマス自身が、どのような見識を明らかにしてきたのかという ことに主題を限定して論述を試みたい。すなわち本稿は、謂わば「批判の再 考者」あるいは「批判の再生者」としてのハーバーマスの像を描き出すこと を目的としている。

 そのため本稿の第二章では、1968年までの初期ハーバーマスに着眼しつつ、

彼が当初どのように批判というものを捉えていたのかを示したい。ハーバー マスは当初、マルクスの史的唯物論とフロイトの精神分析に傾倒しつつ、大 衆が自らを社会的主体として定立するために批判が必要であるとみなしてい た。すなわち批判は、個人がイデオロギーによって歪められた所与の状況を 反省的に露わにすることであり、この状況から個人を解放することを使命と していた。しかし、初期ハーバーマスの批判をめぐる構想は、批判の担い手

Manfred (1988): Die Grenzen der Verständigung - Ein Geistergespräch zwischen Lyotard und Habermas, Frankfurt/ Main. [『ハーバーマスとリオタール』岩崎稔訳、三元社、1990年]. Menke, Christoph (2009): »Aporien der kulturellen Moderne- ein unvollendetes Projekt«, in:

Brunkhorst, H./ Kreide, R./ Lafort, C (Hrsg.): Habermas-Handbuch, Stuttgart/Weimar, S.

205-214.

(6)

をもっぱら前衛的な知識人たちに位置づけ、批判を彼らの武器として定式化 しようとしていた。これに対し1970年代以降のハーバーマスは、批判を人々 が経験する日常的な生活の中に内在的に位置づけようとする。すなわち彼は、

批判それ自体を行使する主体一般に関する議論を展開しようとするのであ る。このように第二章は、初期ハーバーマスの批判をめぐる構想の展開とそ の挫折、そして新たな展望までを概括するものである。

 続く第三章では、ハーバーマスが1970年代以降に批判を捉え直そうとする に際して、二つの思想的潮流に影響を受けていることを確認する。第一に、

ハーバーマスにおける発達心理学の受容を取り上げる。ハーバーマスはこの 経験的学問を通じて、批判的主体が成立していくための人間形成過程論につ いて論じている。彼にとって発達心理学は、問題を解決しようとする理性の 関心を析出するものである。第二に、ハーバーマスはアメリカ・プラグマテ ィズムの伝統に則しながら、討議という間主体的実践を通じて自己を確証す る人間の在り方、すなわち一種の人間存在論を展開している。ハーバーマス はアメリカ・プラグマティズムの編み出した間主体的実践の中に、ヘーゲル の提起するモデルネの課題である自己確証という問いへの一つの回答を見出 すのである。

 最後に第四章は、ハーバーマス自身が批判という試みをどのように思索し たのかを論じるものである。ハーバーマスは批判的主体の在り方を「間主体 性(

Intersubjektivität

)」という彼のもっとも重要な哲学的概念に絡めながら 考察している。間主体性は、彼の「普遍語用論とは何か」(1976)で定式化 されている通り、「同一の意味の理解と普遍的な請求の承認に基づいて樹立 される、言語および行為能力を有する主体間の共同性を表わす術語」である

Habermas

[1984: 1976]

S

. 439)。ハーバーマスはこのような「同一の意味 の 理 解 と 普 遍 的 な 請 求 の 承 認 」 が 確 保 さ れ て い る 主 体 間 の「 共 同 性

Gemeinsamkeit

)」 と い う 調 和 的 な 像 を「 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 行 為

kommunikatives Handeln

)」という観点から描き出している。しかしこれと 同 時 に ハ ー バ ー マ ス は、 こ の よ う な 間 主 体 性 に 対 し て「 仮 説 的 態 度

(7)

hyposthetische Einstellung

)」を有する批判的主体について同時に言及して いる。彼の構想する間主体性は、異議申し立てをする批判的主体を封じ込め ようとする総体性とは一線を画するものである。

 そしてハーバーマスによればこれら批判的主体は、「討議(Diskurs)」と いう実践を行なう必要がある。従来、ハーバーマスの討議は、普遍的な社会 的規範を再生産するためのものであり、意見の不一致や対立を解消するため のものであり、「合意(

Konsens

)」を目指すものとして解されている。そし てそこから必然的にハーバーマスの討議をめぐる省察は、合意のできない諸 対立を覆い隠すものとして、あるいは合意に疑念を付す批判的意見を締め出 そうとするものとして、格好の標的とされてきている。

 しかし、ハーバーマスの討議は合意形成というモチーフの他に二つのモチ ーフが存在するのである。第一に、討議は同意をすることができない状況下 を出発点としている限りにおいて、そのような同意できないものに異議を申 し立てることを第一義的に意味している。つまり、討議は合意を確約するも のというよりも、むしろ妥当性を要求する集団的生活や社会的規範に対して 是か否かの態度をとり、現存の偽の合意を解体しようとする流動化のモチー フを有するものである。また第二に、討議は自らの動機や関心を普遍化する 力を有しているものである。討議という間主体的実践を通じて、諸個人は自 らの社会的規範を問い直そうとする動機そのものを内在的に反省する。すな わち討議は、他者のパースペクティブを受け取りながら、一つの見識に捕ら われない思考を手に入れ、原理的に思考する者たちの判断の狭隘化を防ぐ脱 中心化のモチーフを有するものである。その限りにおいてハーバーマスは批 判に死をもたらしているのではなく、生を与えようとしているのである。そ してこのような討議をめぐる三つのモチーフという観点から、彼の社会批判 をめぐる省察を把握することができるのである。

(8)

2 .  批判的社会理論以前の批判をめぐる構想

2-1. 批判的社会理論の課題

 ハーバーマスは1981年「合理化の弁証法」というフランクフルト学派第三 世代のアクセル・ホネット等との座談会の折に、自身の社会哲学的立場を表 わす「批判的社会理論(

kritische Gesellschaftstheorie

/

kritsche Theorie der

Gesellschaft

)」についての説明を試みている。批判的社会理論という用語は、

フランクフルト学派第一世代の綱領である「批判理論(

kritische Theorie

)」

とは一線を画することをあらわし、ハーバーマス自身の理論的立場を表明す るものである。

ハーバーマスによれば、テオドール・アドルノおよびマックス・ホルクハ イマーを代表とする批判理論は『啓蒙の弁証法』(1947)をはじめとする一 連の著作の中で、抑圧的イデオロギーとの対決およびその暴露に終始してい た。彼らの思想的モチーフは、『近代の哲学的ディスクルス』(1985)の言葉 を借りるとすれば、人間が「自己の内部の自然の抑圧という代償を払っての み外部の自然の支配の仕方を習得し、それによって自己のアイデンティティ を形成する」ということを暴露することである(

Habermas

[1985

a

S

. 133=192頁)。自己の生まれつき持っている内的自然の抑圧、自分自身が接 する周囲世界という外的自然の抑圧。この二つの自然の支配の手段となるの が、道具的理性である。二つの自然を支配しようとする道具的理性の活動が 歴史の必然であり原動力であると論じられるのである4)

4) 『啓蒙の弁証法』における各論のうちの一つ「オデュッセウスあるいは神話と啓蒙」では、

オデュッセウスによるセイレーンの歌声の鑑賞が、詭計を繰り出す道具的理性についての象徴 的なエピソードとして語られている。セイレーンの歌声は人々を恍惚の境地へと誘うが、しか しその代償として自らの死を捧げなければならない。しかしながら、オデュッセウスは自らの 身の破滅と引き換えに得るはずであるセイレーンの歌声を、おのれの身体上の保身を図る詭計 を通じて、聴き耽る。このアポリアに際して、おのれが狡猾であることによって、悦楽を手に

(9)

 このようなフランクフルト学派第一世代の試論に対して、ハーバーマスの 評価は厳しいものである。ハーバーマスは第一世代の描出した道具的理性の 世界を前にして、政治制度や社会制度および日常実践から「理性のあらゆる 痕跡が失われた」と論じている(Habermas [1985b]

S. 177=241頁)。ここで

失われた理性というのはあまりにも多義的であり扱いにくい主題であるが、

ハーバーマスは続く箇所で、この理性の喪失以後、第一世代に襲い掛かった

「困惑(

Verlegenheit

)」について想い出すことを推奨している。

 「今もう一度だけ次のことを想い出してほしいのです。すなわち、い かなる光のなかで批判を真に実行するのかと問われた時、困惑に陥るこ となく個々の問題を批判しうるような概念構成をわれわれは明らかにし なければならないということです。かつての批判理論はこの困惑に陥り ました――たとえのちにアドルノが、個別的なものを、傷つけられたも の、捉えがたいものとして、つまりいかなる論証的・同一的思考からも 零れ落ちざるをえない犠牲としてなおも救い出そうとし、そのことによ って、この困惑を困惑として体系化することに成功したとしても」

Habermas

[1985

b

S

. 177=241-2頁)。

ハーバーマスの述べる通り、もし我々が理性を喪失したとするならば、い かなる光の下で批判を遂行することができるのかという困惑に直面するだろ う。ハーバーマスが続く箇所で論じている通り、彼の師であるアドルノは道 具的理性による全体化の支配という惨状を前にして、この全体化によって傷 つけられた個別的なものを表象することを通じて、時代の抱える困惑をまさ しく困惑として純化することを通じて、逆説的に批判の力を手に入れていた。

入れるオデュッセウスの姿は、主観的な自己保存と理性が結託した道具的理性を深く物語るも の で あ る。Vgl. Horkheimer, Max./ Adorno, Theodor W (1947): Dialektik der Aufklärung.

Philosophische Fragmente. Amsterdam, Kap. 2. [『啓蒙の弁証法――哲学的断想』徳永殉訳、

岩波書店1990年/岩波文庫2007年].

(10)

しかし、ハーバーマスはアドルノ亡き時代において批判を真に実行するため には、批判のための「基準(Maßstäbe)」を創出する必要があることを主張 している(

Habermas

[1985

b

S

. 174=237頁)。したがって批判的社会理論の 課題は、実に多義的であり単一の解釈を許すものではないが、「規範的な基 礎への問いという体系的問題」を取り上げ、批判のための足場をつくりだす ことに存することにあると言えるだろう(Habermas [1985b]

S. 185=252頁)。

 しかし、ハーバーマスははじめから批判のための足場作りを行なったわけ ではなかった。むしろ以下で論じる通り、1970年代以前の初期ハーバーマス はマルクスの史的唯物論とフロイトの精神分析を組み合わせつつ、批判を武 器として有効に活用することを求めていた。すなわち批判は、史的唯物論の 歴史哲学的推進力に歯止めをかけるイデオロギーへと向けられたものであ り、忘却されて無意識に沈み込む解放的な認識関心を呼び起こし、断片化し ていた階級意識という総体性を回復させることに資するものであった。

2-2. イデオロギー批判

 ハーバーマスは『理論と実践』の後記(1971)の中で、これまでの自身の 理論上のモチーフを振り返っている。曰く、『社会科学の論理に寄せて』(1970)

や「解釈学の普遍性請求」(1970)、および『理論論争 社会理論か社会テク ノロジーか:システム研究は何を行なうか』(1971)という三つのテクスト の中で、問題となっているのは方法論の諸問題について考察を深めることで あった。

 この三つのテクストは各々、カール・ポパーならびにハンス・アルバート 両名との実証主義論争(1961-)、ハンス・ゲオルク・ガダマーとの解釈学論 争(1967-)、そしてニクラス・ルーマンとの社会システム論争(1971-)の 中で重要な役割を果たした文献である。ここから明らかな通り、これらの論 争でハーバーマスが問題としたのは、方法論の諸問題であり、より具体的に は実証主義・解釈学・社会システム論の抱える方法論の諸問題を析出するこ とにあったのである。では方法論の諸問題とは何か。それは、上述した三つ

(11)

の学問的分野をはじめとして、あらゆる学問が学問となり得る限りにおいて 前提とする背景や土台のことであり、「対象領域にたいして認識主体がとる 特異な姿勢」のことである(

Habermas

[1971: 1963]

S

. 17=576頁)。あらゆ る学問はある対象を分析する上で、必ず遡及し得ない何らかの認識論的基盤 を有している。このような認識論的基盤の特異な関心を析出することがハー バーマスにとって、方法論の諸問題を意味している。「批判という類型に属 する諸理論は、理論の構造的な成立経緯および理論の潜在的な活用経緯を自 ら反省するものである」(

ebd

.)。したがって初期ハーバーマスにとって批判 はさしあたり、「理論の構造的な成立経緯および理論の潜在的活用経緯」を 問い直す反省を促進するものであると言うことができるであろう。

 しかし批判は、このような「成立経緯」や「潜在的活用経緯」を問い直そ うとする理論的次元にのみ、関係しているのではない。つまり批判は、「体 制的に歪められたコミュニケーションの中に具現化されている力関係を、ど うしたら批判の過程によって直接的に克服しうるか」という実践的次元をも 考慮する必要があるのである(

Habermas

[1971: 1963]

S

. 17=575頁)。した がって初期ハーバーマスの批判をめぐる実践的モチーフは、日常的なコミュ ニケーションを体系的に歪めている「力関係(

Gewaltverhältnisse

)」を露呈 させることでもあるのである。

 では力関係とは何か。この力関係についての考察を展開しているのは、『認 識と関心』と同時期に出版された『イデオロギーとしての技術と科学』(1968)

の他、『理論と実践』(1963)に所収されているハーバーマスの論考である。

これらのテクストで論じられている通り、ハーバーマスにとって力関係は、

「科学や技術の〈合理性〉(»

Rationalität

«

von Wissenschaft und Technik

)」

と関連づけられるものである(

Habermas

[1968]

S

. 52=56頁)。引用符付き であることから分かる通り、この合理性は目的に対する適切な手段を選びと るというマックス・ヴェーバーが論じるような「合理的決定(

rationale

Entscheidung

)」ばかりを意味するのではない(

Habermas

[1968]

S

. 48=45 頁)。この引用符付きの合理性は、「支配権力を、政治的にカモフラージュし

(12)

つつ制度化」していく局面をも同時に意味しているのである(

Habermas

[1968] S. 49=47頁)。ハーバーマスは1963年に公刊した『理論と実践』所収 の論文「独断論と理性と決断」の中で、このようなカモフラージュを科学技 術の勃興と関連づけて論じている。ハーバーマスからすれば科学技術の勃興 は技術的処理力を質的に拡大し、生産力の増大を飛躍的なものへと高めてい くものであるが、その反面、「すべての生活実践の関係を、業績の効率と手 段利用の経済性というただ一つの関心に従属させる」ことに資するものであ る(

Habermas

[1971: 1963]

S

. 324=375頁)。つまり科学技術の合理性は、生 産力の上昇に寄与するものの、そこに携わる人々の関心を操作し、ただひた すらにその人々の関心を「業績の効率(

Effektivität von Leistungen

)」と「手 段利用の経済性(

Ökonomie der Verwendung

)」へ方向づけることを通じて、

その生産関係そのものの在り方を問い直そうとする意識を覆い隠す「イデオ ロ ギ ー(

Ideologien

)」 と し て 機 能 す る も の で あ る(

Habermas

[1968]

S

. 72=69頁)5)

 以上の通り、初期ハーバーマスは人々の関心を操作するイデオロギーを糾 弾するイデオロギー批判をモチーフにしている6)。このイデオロギー批判を

5) イデオロギーは、マルクス主義が定式化した「虚偽意識(falsches Bewusstsein)」と深い関 わりを有している。フランスの社会学者ジョセフ・ガベルによれば、マルクス主義にとって虚 偽意識とは「拡散した精神状態」であり、このような虚偽意識を覆い隠し正当化する装置、す なわち「理論的結晶作用」がイデオロギーである。Cf. Gabel, Joseph (1962): La Fausse Conscience : essai sur la réification, Paris. [『虚偽意識――物象化と分裂病の社会学』木村洋 二訳、人文書院、1980年]. また、ガベルも影響を受けた社会学者カール・マンハイムに則す るとすれば、虚偽意識とは「現実を正しくとらえていない意識」のことであり、この意識が硬 直化し、「存在拘束性(Seinsverbundenheit)」に到るとき、イデオロギーは成立する。 Vgl.

Mannheim, Karl (1929): Ideologie und Utopie, Bonn. [『イデオロギーとユートピア(世界の名 著56)』高橋徹・徳永殉訳、中央公論社、1971年].以上のようなイデオロギー論は、西欧マル クス主義の伝統において注目を集めるものであり、マルクス主義の正統派たちが解釈する史的 唯物論という古典的規定、すなわち生産力の増大が生産関係を変革させるという下部構造論の 不十分さを指摘する格好になっている。

6) このイデオロギーは、ハーバーマスの議論において、単に科学や技術の合理性にのみならず、

多角的な様相を見せるものである。例えば、ガダマーとの解釈学論争の折に、ハーバーマスは ガダマーの主張する伝統がイデオロギーとして硬化してしまう危険性について警鐘を鳴らして いる。ガダマー自身、伝統の批判的受容を標榜する。にもかかわらずハーバーマスは、ガダマ

(13)

遂行するため、初期ハーバーマスは、当時のヘーゲル=マルクス主義の流れ に掉さす史的唯物論の潮流を踏襲しつつ、そこにフロイトの精神分析を接木 することによって、独自の批判をめぐる構想を生み出そうとするのである。

2-3. マルクスとフロイトの収斂

 ハーバーマスの知的遍歴にとって出発点となったのは、カール・マルクス とマルクス主義であったことに疑いの余地はない。ハーバーマスはすでに学 生時代に、初期マルクスの著作に感化され、哲学者カール・レーヴィットの

『ヘーゲルからニーチェへ――十九世紀思想における革命的断絶』(1923)に よって青年ヘーゲル派へと通暁し、哲学者ジェルジュ・ルカーチの『歴史と 階級意識』(1923)にも刺激され、彼の

F

W

J

・シェリングに関する学位 請求論文にもマルクスの影響をみてとることができる7)。しかし、彼のマル クス主義的志向を深化させ決定的なものにしたのが、博士論文の指導教官で ある哲学者エーリッヒ・ロータッカーの指示のもとで着手することになった イデオロギー研究である。ハーバーマス自身、このマルクス主義へと傾斜し

ーの解釈学的アプローチでは伝統が無反省に受容されてしまう危険性を主張するのである。こ の論争について以下の著書を参照せよ。Cf. Schreibler, Ingrid (2000): Gadamer: Between Heidegger and Habermas, Lanham.

7) ハーバーマスはその学位請求論文「絶対者と歴史」の中でシェリングの哲学において二つの 関心の緊張を見てとる。第一に、シェリングは理論的関心を有し、世界を把握する認識様式を 獲得することを求めている。シェリングにとって、自然は理性に満ちており(秩序づけられ合 理的である)、自然は理性と本質の論理的かつ存在論的一致を為している。第二に、シェリン グは実践的関心を有し、国家の発生そのものを問題化している。シェリングにとって、国家は 暴力の発生という自然の堕落の下に誕生したものであり、この暴力を抑止するために打ち立て られた制度である。しかしながら、そこで制定された法は人間の内的自然(ありのままの人間)

を疎外し否定するものである。したがって、シェリングの世界時代の哲学においては、堕落し た世界に働く国家権力を廃棄しようとする唯物論的エネルギーにかつては満ちていた。以上の ようにシェリングの哲学には二つの関心が混在していた。しかしながら、後年理論的関心が優 位となり、静観的生活、国家の彼方にある自由を追い求めることになる。したがって、ハーバ ーマスによれば、シェリングは理論と実践の分離を惹起してしまっている。Vgl. Frank, Manfred (2009): »Schelling, Marx und Geschichtsphilosophie- Das Absolute und die Geschichte: Von der Zwiespältigkeit in Schellings Denken« in: Brunkhorst, H./ Kreide, R./

Lafort,C (Hrsg.): Habermas-Handbuch,Stuttgart/Weimar,S.133-147.

(14)

ていった経緯を、学生時代以後の知的遍歴を述懐しながら、「ニュー・レフト・

レビュー」紙によるインタビュー(1984)の中で以下のように語っている。

「その学生時代の直後に、産業社会学に取り組みました。そのときイデ オロギー概念の研究のための奨学金を得たおかげで、私はヘーゲル=マ ルクス主義と知識社会学をさらに深く研究し、またアドルノの『プリズ メン』と『啓蒙の弁証法』を読みました。フランクフルトに移った1956 年からは、さらにブロッホとベンヤミン、『社会研究誌』の個々の論文、

そしてマルクーゼの本が加わりました。また当時そこでは、いわゆる哲 学的マルクス、人間学的マルクスについて生き生きとした議論が行われ ていました」(

Habermas

[1985

b

S

. 214=297頁)。

 ハーバーマスの言う通り、彼はドイツ学術振興会の研究資金の補助の下で、

イデオロギーという概念の研究プロジェクトを実施する。このことを機縁と して、ハーバーマスはマルクスおよびマルクス主義の文献をこれまで以上に 精読する機会を得た。またハーバーマスは1956年以降、フランクフルト・ア ム・マインに居を構える社会研究所でアドルノの助手を務めることになる。

そこではマルクス主義の薫陶を受けた哲学者たち、アドルノの『プリズメン』

(1955)や『啓蒙の弁証法』ばかりでなく、哲学者エルンスト・ブロッホお よびヴァルター・ベンヤミンの哲学的著作を渉猟している。その包括的な取 り組みは、ソヴィエトのマルクス主義と西欧マルクス主義の現代的運動を網 羅的に要約した「マルクスとマルクス主義をめぐる哲学的討論について」

(1956/1957)等、ハーバーマスの初期の論考に結実しているとみることがで きるであろう。

 そしてハーバーマスのマルクス主義的志向は、『認識と関心』(1968)の中 にも脈々と流れ込んでいる。『認識と関心』の中で述べられている通り、ハ ーバーマスは当初、マルクス主義の史的唯物論に依拠しながら、「人類の自 然 史 的 な 自 己 構 成 作 用 の イ デ ー(

Idee der naturgeschichtlichen

(15)

Selbstrekonstituierung der Menschengattung

)」を発見しようと努めている

(Habermas [1973: 1968] S. 341=295頁)。抑圧の経験者たちが「自らを社会 的主体として措定する」(

Habermas

[1973: 1968]

S

. 50頁)ことを通じて、

人類史というマクロな主体の規模のなかで、解放を目指す集団が構成されて いくこと。この壮大な歴史過程をハーバーマスは『認識と関心』の中で記述 しようとしている。その際に、念頭に置かれているのは、さしあたりヘーゲ ルおよびマルクスが描き出した「弁証法(

Dialektik

)」に基づく「宥和

Versöhnung

)」をめぐる思想である。

 ハーバーマスは『認識と関心』の中でまずさしあたりヘーゲルについて言 及し、彼を「人倫の弁証法(

Dialektik der Sittlichkeit

)」を展開した思想家 として位置づけている。この著書の解釈に則するとすれば、ヘーゲルは共同 体 の 掟 を 廃 棄 し、 自 分 を 個 と し て み な そ う と す る 個 人 を「 犯 罪 者

Verbrecher

)」として、およびその人が陥ってしまう状況を「刑罰(

Strafe

)」

として比喩的に表現することを通じて、自由を手に入れた個人とその疎外に ついて叙述する(

Habermas

[1973: 1968]

S

. 78=67頁)。すなわち諸個人は行 動する自由を手に入れたにもかかわらず、共同性を示す「人倫(

Sittlichkeit

)」

を失う結果となり、主観(個)と客観(全体)の内的分裂という「疎外

Entfremdung

)」を経験することになる。ここに招来するのは、他者を排し

て自分自身こそが優越していると誇示する生死を賭した「承認をめぐる闘争

Kampf um Anerkennung

)」である。

  ヘ ー ゲ ル は こ の よ う な「 原 初 の 人 倫 の 抑 圧(

Repression anfänglicher Sittlichkeit

)」 お よ び「 人 倫 の 総 体 性 の 分 断(

Zerrissenheit der sittlichen

Totalität

)」を描き出すことによって、諸個人を再び宥和させるための人倫

そのものを回復していく弁証法を構想した(

ebd

.)。そして、このような抑 圧からの解放のモデルを継受したのがマルクスである。ハーバーマスは、マ ルクスがどのように人倫の弁証法を受け継いだのかを示すことに傾注してい る。

(16)

「マルクスは人倫の総体性を、人間が外的自然の獲得によって自らの生 の再生産のために生産を行なっている社会として、捉えている。〔……〕

社会的労働を基盤として遂行される人倫の弁証法をマルクスは、特定の 諸党派の間に限定された闘争の運動法則として受け取っている」

Habermas

[1973: 1968]

S

. 79=68頁)。

 ハーバーマスの言う通り、マルクスはヘーゲルによって明らかにされた人 倫の総体性を、人間自身が労働という生産行為によって外的自然を「獲得

Aneignung

)」し、それによっておのれ自身の生をも再生産する社会として

読解している。その結果によりマルクスは、ヘーゲルの人倫の弁証法を特定 の諸党派の間で行なわれる階級闘争として解読しようとするのである。では 改めて階級闘争とは何か。ハーバーマスは以下のように説明する。

「この闘争は、人倫の回帰する弁証法として、大きく見れば反省過程で ある。この過程において、階級意識の諸形態が形成されるが、とはいえ それらは、観念論的に絶対精神の自己運動において形成されるのではな く、唯物論的に、外的自然の獲得による様々な客体化を基礎として形成 されるのである」(

Habermas

[1973: 1968]

S

. 83=71頁)。

 ハーバーマスによれば階級闘争は、労働の対価として獲得されたはずの「外

的自然(

externe Natur

)」である生産物を、ふたたび獲得しようとする「反

省過程(

Reflextionsprozess

)」である。諸個人の労働の対価である生産物は、

社会的労働の諸体制という支配を通じて収奪されている。そしてさしあたり このような収奪を通じて、外的自然の強制が立ちはだかり、社会は諸階級に

「分裂(

Aufspaltung

)」させられているのである(

Habermas

[1973: 1968]

S

. 80=68頁)。このような趨勢において階級闘争は、うしなわれた外的自然を 改めて獲得することを通じて、階級意識を客体化させるものである。したが ってハーバーマスは、このような階級意識の回復のための一連の過程を、ヘ

(17)

ーゲルの人倫の弁証法に比しながら、「階級対立の弁証法(

Dialektik der Klassenantagonismus)」と命名している(Habermas [1973: 1968] S.81=69頁)。

 ではどのようにして、分断された階級意識という総体性を再び回復するこ とが可能なのだろうか。すでに見てきた通り、階級意識という総体性は人々 の関心を操作するイデオロギーの働きによって断片化している。これに対し ハーバーマスは以下で見ていく通り、この分断された総体性フロイトの精神 分析の議論を応用することによって再び回復できると主張するのである。

 実際、フロイトの精神分析は1950年代から1960年代のハーバーマスの思想 形成において、大きな役割を果たすものである。ハーバーマス自身、この精 神分析へと触発された経緯を、アドルノの助手を務めたフランクフルト時代 を述懐しながら、「ニュー・レフト・レビュー」紙によるインタビュー(1984)

の中で以下のように語っている。

「またフランクフルトでのこの最初の数年間に初めて社会学を学び、ま ずマス・コミュニケーション、政治的社会化、政治心理学等についての 経験的研究を読みました。そしてこの時初めてデュルケムとウェーバー、

そしてきわめて慎重にではありましたがパーソンズに触れました。しか0 0 しそれ以上に重要だったのは、1956年のフロイト講演会でした。アレク0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 00 0 0 0 00 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 サンダー、ビンズワンガーからエリクソン、スピッツに至る国際的エリ0 0 0 00 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 00 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ートたちの講演会を聴いて以来私は、精神分析はあらゆる悲劇的評価に0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 もかかわらず、真剣に受けとめられるべきものだと思っていま0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 す」

Habermas

[1985

b

S

. 214=297頁、強調筆者)。

 1956年にハイデルベルクとフランクフルトで精神分析医のアレクサンダ ー・ミッチャーリッヒとホルクハイマーの指導下で、生誕百年を祝して、フ ロイトをめぐる連続講演会が企画される。精神分析学者フランツ・アレクサ ンダー、精神科医ルードヴィッヒ・ビンズワンガー、発達心理学者エリク・

H

・エリクソン、精神分析学者ルネ・スピッツ等、錚々たる精神分析の権威

(18)

たちが集うことになる同講演会の記憶は、ハーバーマスによって逸話のよう に感動的な調子で語られている8)。当時の精神分析はあらゆる悲劇的評価で あったにもかかわらず、ハーバーマスはこの講演会以降、フロイトの精神分 析の生き生きとしたアクチュアリティを感じ取るのである。そして、このフ ロイトの精神分析の手法に倣って完成させたのが『認識と関心』(1968)で ある9)

 精神分析は人間の心理を探究する。それは具体的に、人間の言い間違いや 書き違い等、失錯行為に目を留め、このような失錯行為に至るまでの「抑圧

Verdrängung

)」の経緯を解読し、無意識に隠された秘密の願望を手繰り寄

せる。『認識と関心』の中でハーバーマスは、この精神分析の議論に類縁を 見出しながら、未だ意識に昇ることのないユートピア的関心――「解放的な 認識関心(

emanzipatorische Erkenntnisinteresse

)」(

Habermas

[1973: 1968]

S

. 244=208頁)――を意識させる術を獲得しようとするのである。ハーバ ーマスにとって、この解放的な認識関心は「理性の関心(

Interesse an

8) Vgl. Müller=Doohm, Stefan (2014): Jürgen Habermas. eine Biographie, Frankfurt/ Main, S.

111ff.

9) ハーバーマスがフロイトを解釈する際に慎重にさしあたり留保しているのは、彼がフロイト のメタ心理学の中でも、とりわけフロイトの「一般的解釈(allgemeine Interpretationen)」に 依拠しているということである(Habermas [1971: 1963] S. 314=271頁)。ドイツ語でアルゲマ イネという用語が一般的という意味の他に本源的という意味を指し示す通り、このことは、ハ ーバーマスがフロイト解釈をめぐる正統派に依拠していることを示唆している。アンナ・フロ イトやハインツ・ハルトマンに見られる通り、しばしばフロイト正統派と称される人々は、無 意識の第一義性や幼児性欲およびエディプス・コンプレックスを認定し、自我の発達過程を析 出する「自我心理学(Ego Psychology)」を標榜する(Cf. Hughes [1975] Chap. 5)。したがっ てハーバーマスは、フロイトの精神分析を論じつつも、とりわけフロイトとのその一派が析出 した自我の発達構造に中心的に目を留めていると言えるだろう。このことは、ハーバーマスの その他の活動および論文から理解することができる。ハーバーマスは1968年の夏学期に社会化 理論についての講義をおこなう。それを基にして作成されたのが、論文「社会化理論に関する 覚書」(1968)である。この論考では、アンナ・フロイトの防御機制をめぐる一連の業績を参 照しながら、フロイトの精神分析の諸概念(超自我・衝動制御・現実原則)を、社会化理論な いし役割理論と組み合わすことで、自我の発生についての考察が展開されている。Vgl.

Habermas, Jürgen (1973): »Stichworte zur Theorie der Sozialization« in ders: Kultur und Kritik: Verstreuete Aufsätze.Frankfurt/ Main.

(19)

Vernunft

)」をも意味していた(

Habermas

[1973: 1968]

S

. 244=207頁)。と いうのも、解放的な認識関心は自らの境遇や生活様式の不合理さという支配 からの自由を希求するものであったからである。

 ハーバーマスはフロイトの精神分析に依拠することによって、忘却された ユートピア的関心を自己反省するための方法を手に入れようとする。ハーバ ーマス自身の『理論と実践』の後記(1971)の言葉を借りるとするならば、

そのモチーフは「精神分析的な対話を例証にして、批判的に指導された自己 反省の過程を研究し、これによって批判から自己解放への転換の論理」を明 らかにしようとするものである(

Habermas

[1971: 1963]

S

. 23=584頁)。ハ ーバーマスにとってこの精神分析的な対話は、次のように精神分析医と患者 との間で行なわれる治療過程を意味している。

「精神分析医は、患者を導いて、患者自身が、破損し歪曲した自分のテ クストの読解を学習させ、さらに私的な言語に変形した表現法から成る 記号を公的なコミュニケーションの表現法への翻訳を学習させるように する。この翻訳は、生活史の上で重要な局面に対する想起が妨げられて いたことに代わって、その想起を可能にし、自らの形成過程を意識させ るものである」(

Habermas

[1973: 1968]

S

. 280=239-40頁)。

 引用文にある通り、精神分析的な対話は、精神分析医による歪曲されたテ クストの復原および翻訳、そしてこの分析作業を踏まえた上で、患者自身に よる歪曲されたテクストの読解という自己反省までの一連の過程をあらわし ている。それは、公的な「コミュニケーションから排除された言語の私的な 部分(

privatisierte Anteil der exkommunizierten Sprache

)」(

Habermas

[1973:

1968]

S

. 279=239頁)を「想起(

Erinnerung

)」させるものである。ハーバー マスが引用に続く箇所で論述している通り、精神分析医の仕事は、「考古学

者(

Archäologen

)」のそれに類似したものであり、患者自身の先史を再構成

す る こ と で あ る(

Habermas

[1973: 1968]

S

. 282=241頁 )。 こ の「 再 構 成

(20)

Rekonstruktion

)」という一連の考古学的な方法を用いることにより、公的 コミュニケーションから排除されていた私的な記号が復原され、公的なコミ ュニケーションへと翻訳し直され、これを読解することが可能となるのであ る10)

 そして『認識と関心』の中では明示的に語られることのないものの、ハー バーマスはこの精神分析医と患者の間で交わされる対話が、現実的な社会状 況における知識人の役割を決定づけるものであると解していると言うことが できるであろう。ハーバーマスにとって知識人たちは抑圧された者たちの直 面する状況を診断し、彼らに支配からの自由という理性の関心を呼び起こす 存在であった。知識人たちは批判という武器を用いて不正を明確に表現し、

その不正を被る民衆たちに自分自身のあるべき生活を取り戻そうとする熱烈 な渇望を賦活する存在である。このような知識人の在り方をハーバーマスは 精神分析的な対話から把握している。

 以上の精神分析的な対話のモデルから明らかな通り、初期ハーバーマスに とって批判とは、いまある生活の歪められた状況を復原し意識させることで あり、これによって自分自身のあるべき生活を取り戻そうとする熱烈な渇望 という「抑圧された生の反作用(

Reaktion des unterdrückten Leben

)」を人々 に鼓舞させようとするまでの一連の取り組みを指していると言うことができ るだろう(

Habermas

[1973: 1968]

S

. 80=68頁)。このハーバーマスの批判

10) この再構成という治療的方法は、ハーバーマスが『認識と関心』の中で自負する通り、フロ イ ト の 影 響 を 受 け た 精 神 分 析 医 ア ル フ レ ー ト・ ロ ー レ ン ツ ァ ー の「 深 層 解 釈 学

(Tiefenhermeneutik)」に負うところが大きいようである。「〔……〕彼の仕事によって、我々は、

言語病理、内的な言語構造と行動構造の変形およびその精神分析的解除などの決定的なメカニ ズムをより正確に捉えることができるようになった」(Habermas [1973: 1968] S. 312=269頁)。

また、ガダマーとの解釈学論争の際に発表された論文「解釈学の普遍性請求」(1970)では、

ローレンツァーに依拠しながら、再構成という治療的手法を、以下のように「再記号化

(Resymbolisierung)」と言い換えている。「先述した通り、アルフレート・ローレンツァーは 精神分析の意味を、次の点に見ている。すなわち、公的コミュニケーションによる私的言語の 狭隘化をもたらす引き裂かされた記号内容を再度、一般的な言語使用へと統合することにある のである。抑圧の過程を取り消す分析の作業は、〈再記号化〉に尽力するのであり、それゆえ 抑圧そのものは〈脱記号化〉として理解され得るのである」(Habermas [1973b] S. 288)。

(21)

をめぐる構想の支えとなっているのが、イデオロギーとユートピアの弁証法 的関係である。『認識と関心』の中で指摘される通り、イデオロギーは、「自 在な対話関係の抑圧を秘匿すること」を意味しているが、このイデオロギー が公に認知されることを通じて、すなわちイデオロギーがイデオロギーであ ることが告知された瞬間に、抑圧からの解放を予示するユートピアへと変貌 する(Habermas [1973: 1968] S.82=70頁)11)。そしてすでに見てきた通り、

当時のハーバーマスにとってこのユートピアは、「社会的主体の0自己意識

Selbsbewusstsein

>

des

<

gesellschaftlichen Subjekts

)」を有する「類(

Gattung

)」

として人々が構成されることを意味している(

Habermas

[1973: 1968]

S

. 75-77=65-66頁)。このように初期ハーバーマスの批判をめぐる構想は、批 判の目的をマルクスから、そして批判の方法をフロイトから引き出すことを 通じて、両者を収斂させる独自のものになっている。しかし、このような歴 史哲学的発想および精神分析を社会理論へと応用する彼の構想は以下で見て いく通りきわめて問題の多いものであった。

2-4. 修正と新たな展望

 『理論と実践』の後記(1971)や『認識と関心』の後記(1973)および多 くの二次文献でも触れられている通り、初期ハーバーマスの批判をめぐる構 想は新しく舵を切ることを余儀なくされる12)

 その第一の理由は、批判の目的となるヘーゲル=マルクス主義の史的唯物

11) ハーバーマスはすでに、1968年に公表された『理論と実践』に所収されている論文「哲学と 科学の間――批判としてのマルクス主義」の中で、このような弁証法的関係を希望の哲学者ブ ロッホの読解を通じて、次のように述べていた。「ブロッホは、イデオロギー的被覆の中にも ユートピア的核心を、虚偽意識の中にも真実の意識の契機を発見する。確かにより良い世界の 透明性は、たとえ現存するものの彼方を指し示す諸契機の中に存在しようとも、覆い隠された 関心によって歪められている。しかしながら、これが呼び起こす希望の中に、そして、これが 成就させる憧憬の中には、やはり同時に、教示されれば批判的な推進力と化するエネルギーが 潜んでいるのである」(Habermas [1971: 1963] S. 268=305頁)。

12) Vgl. Rehg, William (2009): »Erkenntniskritik als Gesellschaftstheorie«, in: Brunkhorst, H./

Kreide,R./ Lafort,C (Hrsg.): Habermas-Handbuch,Stuttgart/ Weimar.S.165-176.

(22)

論という歴史哲学的前提があまりにも論争的なものであったからである。人 類の自然史的な自己構成作用のイデーという見地からして明らかな通り、当 時のハーバーマスは、特殊的なるものと全体的なるものの分裂を、疎外や抑 圧および搾取なき総体性の下で再び止揚させようとする弁証法的論理に感化 されていた。ハーバーマスからすれば、社会批判はこのような総体性の創出 に何よりも資するものであったのである。そして彼によれば、その創出の鍵 となるのは、支配からの自由を求める解放的な認識関心ないし理性の関心で ある。このような歴史哲学的視座をハーバーマスは、フランクフルト大学就 任講演「認識と関心」(1965)の中で次のように論じている。

「確かに理性は適応の器官でもある。しかし認識を主導する関心の根底 にある自然史的関心は、自然から生じるとともに同時に文明による自然0 0 0 0 0 0 0 との断絶0 0 0 0から生じてくる。そこには自然的衝動の貫徹という契機ととも に、自然的強制の解消という契機が含まれている」(

Habermas

[1968]

S

. 161=165頁、強調ハーバーマス)。

 アドルノおよびホルクハイマーを初めとするフランクフルト学派第一世代 が定式化したのは、人類史の中では「適応の器官(

Organ der Anpassung

)」

である理性が、自己保存という「自然的衝動の貫徹(

Durchsetzung der

Naturtriebs

)」を成し遂げるという歴史哲学であった。これに対しハーバー

マスは、この第一世代のペシミスティックな歴史哲学に抗するため、その正 反対の歴史哲学、すなわち「自然的強制の解消(

Lösung von Naturzwang

)」

を目指す理性的な解放的関心が自己を人類史という規模で展開していく新た な啓蒙の歴史哲学を再定式化しようとするのである。

 確かに、このような自然的強制が理性の関心によって乗り越えられていく という歴史哲学的視座は、以降のハーバーマスの啓蒙への加担を告示するも のであると言えるだろう。しかしそれと同時に論争的であるのは、この理性 の関心が何よりも階級主体という大きな類的主体の編成に資するものとして

(23)

みなされているというマルクス主義的見地であった。すでに見てきた通り、

ハーバーマスは当時、理性の関心という抑圧された者たちの反作用をヘーゲ ル=マルクス主義の解放の弁証法の中から抽出していた。しかしこのハーバ ーマスの構想は、支配からの自由を求める理性の関心をただマクロな主体の 編成、とりわけ階級主体という総体性の編成にのみ寄与するものであるとみ なすことを意味している。したがって彼の唯物論的な歴史哲学は、単一的か つ直線的な歴史的方向しか指し示すことができず、この歴史方向に対して異 議を申し立てようとする批判を締め出しているという点からして柔軟性に欠 けるものであった。

 したがって、ハーバーマス自身が『理論と実践』の後記(1971)で振り返 りながら自省している通り、「われわれは、実践的意図で構想される社会理 論の規範的基礎が、或る意味ではまだマルクスが考えていたように、弁証法0 0 0 的論理の中にあるとはもう考えていないのである0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0」(

Habermas

[1971: 1963]

S

. 23=586頁、強調筆者)。あるいは、『史的唯物論の再構成』(1976)に収録 されている「史的唯物論の再構成に寄せて」での言葉を借りて言えば、「わ れわれは、歴史の単線性、必然性、連続性、不可逆性等の求めることを要す ることをしない」のである(

Habermas

[1976]

S

. 154=180頁)。ハーバーマ スはここで明らかに総体性を生み出そうとする弁証法的あるいは歴史哲学的 思考からの脱却を図ろうとしているのである。

また初期ハーバーマスの批判をめぐる構想が新しく舵を切ることを余儀な くされる理由は、このマルクスの史的唯物論にのみ有るわけではなかった。

その第二の理由は、批判の方法であるフロイトの精神分析的な対話に由来す るものである。すでに見てきた通り、当時のハーバーマスは精神分析的な対 話に類縁を見出すことを通じて、イデオロギーおよびそれによって歪められ た状況を意識させる術を考案しようとしていた。しかし、このような批判を めぐる構想は現実の社会状況においていったい何を帰結するのであろうか。

虚偽意識や抑圧一般を抉り出そうとするイデオロギー批判は果たして可能な のだろうか。このような疑念を端的に表明しているのは、以下のマーティン・

(24)

ジェイの記述である。

「精神分析から「社会分析」への移行というハーバーマスの議論に対し て彼の批判者たちが呈する疑義は、まさに、社会的状況の内で意思がし める不確定な地位に起因する。というのは、患者と精神分析医は、患者 の神経症の症状の除去という関心をアプリオリなものとして共有してい るのに対して、社会においてはそのような意志の一致を想定することが できないからである」(

Jay

[1984]

p

. 480=752頁)。

 ジェイの述べている通り、実際の社会において何がイデオロギーであるか という問題に対する意思が一致しない以上、何が抑圧対象であるのかを明ら かにしようとする精神分析に則したイデオロギー批判の試みはそれ自体困難 なものとなる。これは言い換えれば、抑圧や虚偽意識を突き止めようとする 試みは、ある種の教条主義的な側面を有していることを意味している。何が 正しく何が間違いであるかを教化しようとする試みは、現実の状況を認識す る術や自己理解の余地を人々から奪い取ってしまう可能性を有している。こ のような可能性は、現実の「理論」と「実践」をめぐる政治的局面において も容易に看取することができるものであった。すなわち、「理論」を司る知 識人たちと「実践」を司る知識人以外の人々の間では、自分たちの直面する 状況認識についての齟齬が少なからず常に生じるものなのである13)。このよ

13) この齟齬が顕在化したのが、ドイツにおける1968年の学生運動の折である。この齟齬は具体 的に、ハーバーマスと学生運動の担い手たちであるドイツ社会主義学生同盟(通称SDS)の 代表者たちの間で引き起こされた。ハーバーマスは1968年の6月2日に催された「高大合同大会」

の中で、状況認識をめぐって、SDSに反対するテーゼを表明する。学生は状況を革命的であ ると感じている。しかしハーバーマスからすれば、大衆における反乱の兆候が存在しない以上、

そのような状況認識は誤っており、彼らは妄想観念にとりつかれているのである。ハーバーマ スはこのように臨床的見地から状況認識の誤りを論じるが、これに対してSDSの側から猛烈 な反発が巻き起こった。SDSの立場からすれば、ハーバーマスは臨床上の表現という詭弁を 弄して学生運動から距離をとり、運動の弱体化に貢献する人物であった。つまりハーバーマス は、学生運動の担い手たちからすれば、運動の担い手たちを高みから診断する「ブルジョワ的」

な 知 識 人 で あ っ た。Vgl.Demirovic,Alex (1999): Der Nonkonformistische Intellektuelle,

(25)

うにイデオロギー批判の教条主義的側面が、初期ハーバーマスの批判をめぐ る構想にも存在していることが多くの論者によって指摘されたのである。

 この一連の疑念に対して、ハーバーマスは『理論と実践』の後記(1971)

の 中 で、 イ デ オ ロ ギ ー を 批 判 し よ う と す る「 武 器 の 批 判(Kritik der

Waffe

)」を研ぎ澄ますのではなく、イデオロギー批判のような一連の批判的

試みの正しさを検証しようとする「批判の武器(Waffe der Kritik)」につい ての考察を深化させることを表明する(

Habermas

[1971: 1963]

S

. 37=608頁)。

 そして、ここからハーバーマスは新たな展望を抱く。ハーバーマスは批判 というものを知識人によるイデオロギー批判として限定的に把握するのでは なく、より柔軟に捉え直し、批判的であることを改めて模索しようとする。

その際に準拠するのは、マルクスやフロイトのようなドイツにおける体系的 な哲学的議論、あるいはカントやヘーゲルというドイツ由来の哲学的観念論 ではなかった。明らかにハーバーマスは古風なドイツ由来の学問的伝統に魅 惑されることを拒否しつつ、ドイツという土地に固有ではない英米圏の経験 的学問に新しい活路を見出そうとしていた。後述する通りハーバーマスは、

1970年代にフランス人のピアジェとアメリカ人のコールバーグの発達心理学 を論じることを通して、そして1980年代にアメリカ・プラグマティズムを論 じることを通じて、自己のしたがう社会的規範や集団的生活に対して異論を 唱えようとする批判的主体――ハーバーマス自身の言葉を借りれば、「自律 的自我(

autonomes Ich

)」(

Habermas

[1976]

S

. 65=70頁)――の形成過程 とその在り方を突き止めようとするのである。これは言い換えれば、ハーバ ーマスが類的主体に奉仕する理性の関心ではなく、集団的生活や社会的規範 の硬直した在り方からの自由を求め、問題を解決しようとする人々一般の理 性の関心を析出しようとしていると解することができるであろう(この点に ついては第三章で論じる)。

 またハーバーマスにとって喫緊の課題となったのは、批判的主体による実

Frankfurt/ Main.[『非体制的知識人――批判理論のフランクフルト学派への発展』仲正昌樹責 任編集・出口剛司他訳、御茶ノ水書房、2009-2011年].

(26)

際的な批判の行使のための方法的枠組み、および提起された批判の妥当性を 検証するための方法的枠組みを新たに構想することであった。ハーバーマス にとって批判的社会理論における批判をめぐる構想は、『理論と実践』の後 記(1971)の中で述べられている通り、「討議の制度化(Institutionalisierung

von Diskrusen

)」という問題意識に符合するものであった(

Habermas

[1971:

1963] S. 31=600頁)。以降のハーバーマスは、何が正しくて何が間違ってい るのかという批判をめぐる問題に対して、その批判を正当化することによっ て根拠づける討議についての理論を構築することによって応えようとするの である。批判は繰り返し続けられる活動であり、相互的に点検し検証するこ とを必要としているのである。そしてハーバーマスにとって検証されるべき 対象は、硬直した社会的規範や集団的生活の不合理さだけではなかった。彼 にとって、社会的規範を問い直そうとする自己そのものの関心をも脱中心化 させる必要があるのであったのである(この点については第四章で論じる)。

3 .  批判の手掛かりを求めて

3-1. 発達心理学の受容

 ハーバーマスはすでに、1956年のフロイト講義を発端として精神分析に傾 倒していたが、1971年のシュタルンベルクのマックス・プランク研究所への 赴任を機に、ピアジェの認知発達心理学およびコールバーグの道徳性発達理 論への傾斜を深めることになる。

 1971年、ハーバーマスは「科学技術化された世界の生活条件の調査のため のマックス・プランク研究所(

Das Max

-

Planck

-

Institut zur Erforschung der

Lebensbedingungen der wissenschaftlich

-

technischen Welt

)」という学際的 な研究プロジェクトの共同所長に就任した。ハーバーマスにとって、このシ ュタルンベルク時代は、自身の哲学的展望を開拓する決定的な出来事であっ た。というのも、この就任を機縁にハーバーマスは、システム理論や言語理

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