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政策評価と管理評価 : アカウンタビリティの視点 から

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著者 湯浅 孝康

雑誌名 同志社政策科学研究

巻 16

号 1

ページ 139‑152

発行年 2014‑09‑20

権利 同志社大学政策学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013713

(2)

139 Graduate School of Policy and Management, Doshisha University

概 要

 評価が日本の行政組織をアカウンタブルなも のに変化させる可能性は低い。政策評価によっ て政策のアカウンタビリティを確保したいので あれば、少なくとも次の条件を満たす必要があ る。すなわち、アカウンタビリティ概念を正確 に理解すること、確保したい内容を事前に明示 し、それに応じた追及手段を選ぶこと、確保さ れない場合に制裁が有効に機能すること、アカ ウンタビリティ確保と両立しがたいジレンマの 存在を認識すること、である。しかし、日本で はこれらの理解が不足している。加えて、「ア カウンタビリティ」という英語を「説明責任」

という日本語に置き換え、アカウンタビリティ 概念を矮小化させたことや、行政の財政難から 効率(efficiency)が優先的に求められているこ となどから、日本では政策評価による政策のア カウンタビリティの確保は困難になっている。

 他方で、こうした時代の要請に鑑みると、日 本では管理評価によるマネジメントのアカウン タビリティ確保の議論がなじみやすいと考えら れる。しかし、このマネジメントのアカウンタ ビリティの確保も容易ではない。厳密な客観性 は特定の価値の中でのみ成立すること、政策評 価と管理評価は相互依存の関係にあること、欧 米諸国と日本とでは行政文化が大きく異なるこ と、そもそも評価とはどのような概念であるか ということ、これらの理解が不足しているから である。また、行政情報の公開には限界がある ことや、管理評価の前提である業績測定が不正 確なまま行われていることも、管理評価による マネジメントのアカウンタビリティ確保をより 困難にしている。

1.はじめに

 日本の政策評価には、中央省庁では

10

年以 上、地方自治体では約

20

年の歴史がある。そ の導入当初、政策評価に求められた機能の

1

つ に「国民に対するアカウンタビリティ」があっ た。この前提には、政策評価によって政策情報、

とりわけ政策を取り巻くアクターの構図、すな わち政策のアカウンタビリティの仕組みが明ら かになると同時に、政策そのものの質的改善が 起こるという理想が存在した。この政策のアカ ウンタビリティは、実務における

10

年ないし

20

年の経験を通じて、当初の想定どおり評価 によってうまく確保されているのだろうか。

 このような問題意識から、本稿ではまずアカ ウンタビリティの概念整理を行う。そこでは、

そもそもアカウンタビリティとはどのような概 念であるのか、その歴史的変遷や類型化、それ ぞれのアカウンタビリティ確保のための手段、

もう

1

つの責任概念であるレスポンシビリティ との比較などから、その特徴を明らかにする。

次に、日本における政策評価と政策のアカウン タビリティとの関係について、その導入時から 現在に至るまでの経過を述べる。そして、管理 評価とマネジメントのアカウンタビリティとの 関係を明らかにし、最後に日本におけるアカウ ンタビリティ追及の難しさについて述べる。

2.アカウンタビリティの概念整理 2. 1 説明責任とアカウンタビリティ  

「説明責任」なる日本語はいつから広く用い

られるようになったのだろうか。新藤宗幸によ

政策評価と管理評価

−アカウンタビリティの視点から−

湯 浅   孝 康

(3)

召命者の指示した規準に合致していることを弁 明しなければならないところに成立する概念で ある」と述べている(足立、1976、235ページ)。

 また、その単語が「account」+「ability」で 構成されているように、アカウンタビリティの 起源は計算によって説明できることにあるため

(足立、1976、235

ページ)、「会計責任」を想起 させる場合も多い(山谷、1991、152ページ)。

この「会計責任」としてのアカウンタビリティ は封建時代から存在したと言われるが、絶対主 義を経て近代に至る過程で予算制度が整備され るにつれ、予算執行と決算の責任を基礎にした

「予算責任」ないしは「財務責任」として定着

した(西尾、1990、358ページ)(山谷、1991、

152

ページ)。その後、アカウンタビリティは行 政機関が政治的機関に対して負う制度的責任を 指すまでに拡大したため、「法的責任」と訳さ れることが多くなった

(西尾、 1990、 358

ページ)。

 詳細は後述するが、アカウンタビリティの意 味内容はこのように時代を追うごとに拡大して いった。このためにその訳語はさまざまである のだが、その本質を一言で表現すれば、「行為 の結果について自ら説明(account)する能力

(ability)を求めること」(山谷、 2002b、 161

ペー ジ)にある。先の足立の表現を借りれば、アカ ウンタビリティとは行為者(命じられた者、代 理人)が召命者(命じた者、本人)に対して生 じるものであり、召命者から見れば統制手段の れば、それは村山連立政権下の

1994

年、行政

改革委員会行政情報公開部会における情報公 開制の審議途中からと言われる(新藤、2001、

203

ページ

)。他方、

この説明責任が英語の

accountability

の和訳だと広く認識され始めたの は、2000年

12

8

日に出された答申、「国際 社会に対応する日本語の在り方」以降と言われ る。この答申は、日本の国語政策に関する審議 会である国語審議会が、1993年

11

月に文部大 臣から受けた諮問、「新しい時代に応じた国語 施策の在り方について」に対して出したもので ある。この中で国語審議会は「一般への定着が 十分でなく、日本語に言い換えた方が分かりや すくなる語」の

1

つにアカウンタビリティをあ げ、訳例として「説明責任など」と記した。こ うしてアカウンタビリティは説明責任と同義だ という認識が一般化すると同時に、その意味は 矮小化して理解されたとも言われる。

 元来、アカウンタビリティとは一言で表現す ることが難しい多義的な概念である。この難し さは、アカウンタビリティという言葉に対応する 概念が日本社会に存在しなかったからだとも言 われる(山谷、1999、31ページ)。それゆえ、こ れまでアカウンタビリティはそのまま原語で使用 されるほか、さまざまな訳語があてられてきた。

たとえば、足立忠夫はアカウンタビリティを「弁 明的責任」とし、それを「行為者が問責された ときに、その行為の外面的な結果が少なくとも

表 1 アカウンタビリティの 7 タイプ

(出典)山谷、2002a、218ページ;山谷、2006、233ページより筆者作成。

タイプ 現在考えられる確保の方法 基準 主な背景

1 Political Accontability

(政治のアカウンタビリティ) 選挙、住民投票、リコール 民意という視点での正統性、応

答性。必要性、公平性、優先性。 政治学 2 Constitutinal Accountability

(統治構造のアカウンタビリティ) 議会による統制、分権、公と私の

見直し 制度による正統性。 憲法学

行政法学 3 Legal Accountability

(法令のアカウンタビリティ) 裁判、審判、会計検査、行政監察 合法性、合規性、準拠性、適正

手続(デュー・プロセス)。 行政法学 行政学 4 Administrative Accontability

(行政運営のアカウンタビリティ) 行政監査・監察、財務監査、会計

監査 手続規則への準拠性。効率(能

率)の妥当性、適切性 行政管理論 監査論 5 Professional Accountability

(専門職のアカウンタビリティ) 資格、同僚の目、学会、評価研究 専門能力、研究能力、専門的妥

当性。 各専門分野

6 Management Accountability

(マネジメントのアカウンタビリティ)実績評価、業績測定、ベンチマー

、コスト分析、管理評価 効率(能率)、生産性、業績。

負担と効果の公平性。 経営管理 会計学 7 Policy Accoutability

(政策のアカウンタビリティ) 政策評価、プログラム評価、事業

評価 有効性、目的達成度。 政策学

行政学

(4)

政策評価と管理評価

141

図 1 レスポンシビリティとアカウンタビリティ

(出典)山谷、2008、247ページ

ンタビリティによって追及することはできな い。アカウンタビリティでは追及できない責 任の領域が存在するからである。そこではも う

1

つの責任概念であるレスポンシビリティ

(responsibility)によって責任が果たされる(上

記図

1

参照)。

 レスポンシビリティとは、端的に言えば「法 的に見ても道徳的に見ても正しいことを行う こと」(山谷、2002b、165ページ)である。こ こでの道徳は行為者個人の良心に依存するた め、責任の判定者は行為者自身となる。こうし た特徴からレスポンシビリティは自律的能動的 責任とも呼ばれる。アメリカの政治学者である フリードリッヒ(Carl J. Friedrich)は、議会に よる統制が有効に機能しなくなったことを理由 に、行政責任におけるレスポンシビリティの重 要性を説いた。彼は行政官自身が専門家として 与えられた職務を正しく遂行することが肝要だ と述べ、責任ある行政官の要素として技術的知 識(technical knowledge)と民衆感情(popular

sentiment)の 2

つをあげた。しかし、これらの

責任確保の手段は抽象的で制裁の手段もない。

レスポンシビリティは自ら

「とる」

責任であり、

職業倫理的な志向を持つからである。このため、

過度にレスポンシビリティを強調すれば、行政 の独断専行、権威主義、パターナリズムなどの 危険性が増してしまう。

 こうしたレスポンシビリティとは逆に、アカ ウンタビリティは行政統制の方向に作用する責 任概念である。前節で述べたように、アカウン タビリティは責任を「とらせる」ことをその本 質としている。卑近な表現を用いれば、「言わ れたことをきちんとやっているかどうか」を問 う責任なのである。イギリスの行政学者である 議論となる。アカウンタビリティが機能するた

めには、本人以外の誰かが何らかの強制力を背 景に、その誰かが求める価値(価値基準)を実 現したのかどうかあらかじめ指定・明示した方 法によって確認する、という条件を満たす必要 がある(山谷、2002b、162ページ)。

 逆に言えば、アカウンタビリティは外部者に 強制されて実現するものであり、行為者が自ら 主体的に取り組むことを想定していない

(山谷、

2002b、162

ページ)。問いかける主体が欠如す

る場合、そもそもアカウンタビリティは十分に 成立しないのである(田辺、2005、67ページ)。

したがって、アカウンタビリティを理解し、実 践するためには、①誰が誰に対して何について 説明し、誰に納得してほしいのか、②その際の 判断基準は何で、説明する内容はどのような方 法・手段を使って集めた情報なのか、③事前・

中間・事後のどの時点で説明するのかの

3

つを 召命者が理解し、これらを事前に明確にしてお くことが重要となる(山谷、

2012、 189

ページ)。

 また、前ページの表

1

のように、アカウンタ ビリティにはいくつかのタイプとそれに応じた 追求手段がある。このため、アカウンタビリ ティを追求する際にはそれぞれのタイプに応じ たオーダーメイド化を行う必要がある(山谷、

2006、226

ページ)。行為者はこれをふまえた

うえで、自らが追及したいアカウンタビリティ に対して適切な手段を選択することではじめて アカウンタビリティは確保されるのである。

2. 2  レスポンシビリティとアカウンタビ リティ

 もっとも、行政における責任はすべてアカウ

4

図 1 レスポンシビリティとアカウンタビリティ

「とる」(責任論、

内在的責任論)

Responsibility

「とらせる」(統制論、

外在的責任論)

Accountability

文化、モラール、プロフェッショナリズム、教育、研修

体制:誘導、強制の整備 自己規律、プライド、自覚

強制、制裁、処罰、ルールの設定

(出典)山谷、

2008

247

ページ

しく遂行することが肝要だと述べ、責任ある行政官の要素として技術的知識( technical knowledge)と民衆感情(popular sentiment)の 2 つをあげた。しかし、これらの責任確 保の手段は抽象的で制裁の手段もない。レスポンシビリティは自ら「とる」責任であり、

職業倫理的な志向を持つからである。このため、過度にレスポンシビリティを強調すれば、

行政の独断専行、権威主義、パターナリズムなどの危険性が増してしまう。

こうしたレスポンシビリティとは逆に、アカウンタビリティは行政統制の方向に作用す る責任概念である。前節で述べたように、アカウンタビリティは責任を「とらせる」こと をその本質としている。卑近な表現を用いれば、 「言われたことをきちんとやっているかど うか」を問う責任なのである。イギリスの行政学者であるファイナー( H. Finer )は、先 のフリードリッヒとは対照的に、行政責任においてアカウンタビリティを重視した。ファ イナーは、民主的政府における責任とは議会による伝統的で民主的な外在的統制を基本と し、フリードリッヒの言う新しい責任概念はあくまでも補助的なものにすぎないと考えた のである。

フリードリッヒとファイナーが展開したこの行政責任論争は、今から 70 年以上前の 1930 年代末から 1940 年代にかけて起こった。この古典的な議論が今日でもよく引用され るのは、回顧と展望の狭間で「責任ある行政とは何か」という解答なき問いをめぐって、

真剣に論争を戦わせた両者の熱気が伝わってくるからだと言われる(西尾、 1995 、 285 ペ

ージ)。翻って、今日の日本ではこうした論争の存在も知られないまま、責任概念のうちア

カウンタビリティが強調されることが多い。しかし、レスポンシビリティと同様にアカウ

ンタビリティは万能ではない。事なかれ主義、法規万能主義、前例踏襲主義などがその代

表であるように、行き過ぎた統制は官僚の無責任という病理を秘めているからである。

(5)

た。その起源は古く、いわゆる「正統派行政 学」の時代がアメリカで終焉を迎えつつあった 時期まで遡る1

。当時を代表する行政学の古典、

『行政学のフロンティア(The Frontiers of Public Administration)』

に収録されているガウス

(John M. Gaus)の論文「行政のレスポンシビリティ

(Responsibility of Public Administration)」

で は、

すでにレスポンシビリティが複数の価値から 構成されることが述べられている(Gaus, 1936,

p.36)(山谷、1991、147-148

ページ)。

 その後、前節で触れたフリードリッヒとファ イナーの行政責任論争が起こった。この論争は 当時の時代背景、すなわち「行政国家」現象に よって議会による従来の行政統制が機能しなく なったことに起因する。こうして注目された責 任論および責任の概念は、ギルバート(Charles

E. Gilbert)によって発展・精緻化された。彼に

よれば、責任とは上記の表

2

に掲げた 12の価 値から構成されるという(Gilbert, 1959, pp.375-

378)(足立、1971、208-209

ページ)。これらの 価値をいかにして確保するか、その方法を考え る際に、ギルバートは外在的か内在的か、公式 か非公式かで分類したマトリックスを提示した

(Gilbert, 1959, p.382)。

 そして、元来レスポンシビリティの一部で あったアカウンタビリティは

1980

年ごろから 拡大し、レスポンシビリティを浸食していく

(山

谷、1997、190ページ

)。行政において責任の

ファイナー(H. Finer)は、先のフリードリッ

ヒとは対照的に、行政責任においてアカウンタ ビリティを重視した。ファイナーは、民主的政 府における責任とは議会による伝統的で民主的 な外在的統制を基本とし、フリードリッヒの言 う新しい責任概念はあくまでも補助的なものに すぎないと考えたのである。

 フリードリッヒとファイナーが展開したこの 行政責任論争は、今から

70

年以上前の

1930

年 代末から

1940

年代にかけて起こった。この古 典的な議論が今日でもよく引用されるのは、回 顧と展望の狭間で「責任ある行政とは何か」と いう解答なき問いをめぐって、真剣に論争を戦 わせた両者の熱気が伝わってくるからだと言わ れる(西尾、1995、285ページ)。翻って、今 日の日本ではこうした論争の存在も知られない まま、責任概念のうちアカウンタビリティが強 調されることが多い。しかし、レスポンシビリ ティと同様にアカウンタビリティは万能ではな い。事なかれ主義、法規万能主義、前例踏襲主 義などがその代表であるように、行き過ぎた統 制は官僚の無責任という病理を秘めているから である。

2. 3 アカウンタビリティの拡大

 ところで、アカウンタビリティはかつてレス ポンシビリティを構成する価値の

1

つであっ

1 正統派行政学については、足立, 1971; 手島, 1995; 西尾, 1976a; 湯浅, 2012を参照。

表 2 行政が守るべき価値とその代表的な失敗例

価値 代表的な失敗例

(mal-administration) 価値 代表的な失敗例

(mal-administration)

1 応答性

(responsiveness) 現場の住民の意識を汲み上げない 7 率直さ

(candor) 率直に失敗を認めないため問題を ひどくする

2 柔軟性

(flexibility) 硬直的な対応 8 有能さ

(competence) 政策手段の選定ミス、行政の無知 無能、職員のやる気のなさ

3 一貫性

(consistency) 一貫性の欠如 9 効力

(efficacy) 政策実施をめぐる自治体の権限不 足、中央−地方関係の混乱

4 安定性

(stability) 安定した政策運営を妨げる政策資

源不足(ヒトと予算)・時間不足 10 慎重性

(prudence) 慎重さに欠ける運営

5 指導力

(leadership) 首長のリーダーシップ欠如 11 適正手続

(due process) 手続きミス

6 誠実性

(probity) 不誠実な対応 12 説明可能性

(accountability) 説明が一切ない政策実施

(出典)Gilbert, 1959, pp.375-378;足立、1971、208-209 ページ;佐川・山谷、2010、135 ページより筆者作成。

(6)

政策評価と管理評価

143

 他方、1998年

3

月に発足し、通商産業省に 事務局が置かれた政策評価研究会の最終報告書 では、政策評価の目的として施策等の質の向上 と行政の説明責任が掲げられている。ここでの 行政の説明責任とは、施策・業務について行政 関与が必要であるか、行政活動の内容は国民 ニーズに応答的であるか、またそれは効率的に 実施できているかに対する説明責任(アカウン タビリティ)であるとされる

(政策評価研究会、

1999、17-21

ページ)。この定義は行政改革委

員会「行政関与の在り方に関する基準」(1996 年

12

月)を論拠としている。同基準の考え方 をまとめた行政改革委員会「行政関与の在り方 に関する考え方」(1996年

12

月)では、基本 理念の

1

つである「行政の関与を見直す際の基 本的考え方」においてアカウンタビリティの確 保が掲げられている。そこでは、アカウンタビ リティ(説明責任)は行政活動の適否に関する

「挙証責任」という意味で用いられている。

 そして、先の行政改革会議の最終報告書の理 念

方針を法制化した「中央省庁等改革基本法」

(1998

6

月)を根拠とした「中央省庁等改革 の推進に関する方針」(1999年

4

月)に基づき、

「政策評価の手法等に関する研究会」(1999

8

月)が設置され、計

15

回にわたって研究会 が開催された。この研究会では一部2を除いて アカウンタビリティと説明責任が区別されてい る。しかし、本研究会の最終報告(2000年

12

月)では、政策評価の導入の目的の

1

つとして

「国民に対する行政の説明責任(アカウンタビ

リティ)の徹底」があげられており、説明責任 とアカウンタビリティは同義であるかのような 表現になっている。なお、そこでの意味は、

「法

令や手続を遵守しているかという手続的な側面 についての説明責任に加え、一定の資源の中で 効果的・効率的に成果を上げているかという結 果についての説明責任を果たすこと」と定義さ れている。

 その後、この最終報告は「政策評価に関する 標準的ガイドライン」(2001年

1

月政策評価各 府省連絡会議了承)に引き継がれる。そこでは、

政策評価とは「国の行政機関が主体となり、政 策の効果等に関し、測定又は分析し、一定の尺 対象が手続重視から次第に内容重視へと転換す

る過程で、業績や有効性も担保することが求め られ、その手段の開発が進められたからである。

それまでは行政責任論の中に行政統制論が位置 付けられ、前者でレスポンシビリティが、後者 でアカウンタビリティが論じられていた。アメ リカ会計検査院(General Accounting Office)が その追及するアカウンタビリティを時代ごとに 変化させたことは、この典型的な例である。

 こうした背景から、アカウンタビリティは

「外

部から」「明確な基準・法令・規則に従うこと」

を、「制裁を背景に強制する」責任概念として 特化された(山谷、2008、247ページ)。他方、

あくまでも個人の良心や倫理に依存するレスポ ンシビリティは、その実効性を担保する手段が 弱いことから、今日の日本において行政現場で はあまり重視されていない。ただし、このよう な今日における行政責任論と行政統制論、言い かえればレスポンシビリティとアカウンタビリ ティは、いわゆる「コインの表裏」の関係にあ るとも言える。このことにも日本の行政現場で はほとんど注目されていない。

3.日本における政策評価とアカウンタビ リティ

3. 1  中央省庁における政策評価の導入と その変容

 さて、このような特徴を持つアカウンタビリ ティは日本において評価とどのように結びつい ていったのだろうか。

 まず、中央省庁における政策評価は、いわゆ る「橋本行革」の時代に行政内部の積極的なイ ニシアチブによって導入された。1997年

12

月 に行政改革会議が出した最終報告書では、政策 の評価を事前または事後に厳正かつ客観的に行 うことで、政策の不断の見直しや改善が起こる と期待されていた。なお、同報告書では説明責 任は評価結果の政策への反映についてのみ述べ られるにとどまり、アカウンタビリティという 単語は見当たらない。

2 一部とは第1回と第10回である。

(7)

院のベッド数など主としてインプット指標に おける効率を考えたことで、「評価結果を予算 に反映させる」という誤った考え方も導き出 された。政権交代前後における政治からの指 示も相まって、こうした「予算への反映」と

効率の主流化(efficiency mainstreaming)」は 政策評価の本来の目的や機能を変質させた(山 谷、2011、231ページ)。さらに、数字にこだ わる効率化を求めた結果として、日本の政策評 価は行政管理型の評価の性格を強めた(山谷、

2010、218

ページ)。

3. 2 自治体における評価

 この行政管理型の評価は自治体でも同様に普 及した。評価の先駆的自治体である三重県の取 り組みは、評価制度を導入した多くの自治体に 大きな影響を与えた。三重県では、北川正恭知 事が就任

1

年目であった

1995

年から、「さわや か運動」と呼ばれる職員の意識改革が始められ た。この運動は有効かつ低コストで政策を形成

実施することを目的とし(梅田、2002、

55

ペー ジ)(窪田、2005、83-111ページ)、その具体的 方策の

1

つとして事務事業評価が注目された。

こうした経緯から

1996

年に導入された事務事 業評価システムは、目的−手段関係の明確化と、

それを論理的に作り上げていくプロセスとして の政策形成を目的としていた(梅田、2002、55 ページ)。当初このような性格を有していた事 務事業評価システムは、改良の際に予算担当課 が参加したことで、その目的が意識改革からア カウンタビリティや政策選択へと次第に変化し ていく(窪田、2005、133ページ)。

 ここでのアカウンタビリティは、政策に関す るさまざまな情報の公開を前提とし、それに対 して行政が説明を行う責任がある、というよう な意味で用いられている3

。なお、国において

も同様に情報公開の文脈でアカウンタビリティ が説明責任という意味で用いられている4

。ま

た、情報公開法に関する文献の多くもアカウン タビリティを説明責任と同義として取り扱って 度に照らして客観的な判断を行うことにより、

政策の企画立案やそれに基づく実施を的確に行 うことに資する情報を提供すること」と定義さ れている。ここにもアカウンタビリティないし 説明責任という言葉は見当たらない。ただし、

2001

年に法制化された「行政機関が行う政策 の評価に関する法律」の第

1

条では、政策評価 の目的の

1

つに「政府の諸活動について国民に 説明する責務を全うすること」が掲げられてい る。これは、先の最終報告であげられていた政 策評価の目的がこのガイドラインに引き継がれ たことに由来すると考えられる。

 ここで確認しておきたいことは、説明責任と アカウンタビリティは同義とされたりされなかっ たりと、両者の概念はともに非常にあいまいだっ たことである。前章で紹介した本来の意味で のアカウンタビリティはあまり意識されていな かったのであろう。このため、アカウンタビリティ は何の抵抗もなく説明責任という言葉に置き換 えられ、その字面が先行したことで、アカウン タビリティの意味は矮小化された。その必要性 を訴え始めた人の意思とは裏腹に、アカウンタ ビリティ概念は導入当初からすでに定着する可 能性が低かったことが指摘できる。

 また、導入当初は政策評価には総合評価的な 役割、すなわち①政府全体における政策調整機 能、②政策の企画立案に携わる者の学習、③キャ パシティ・ビルディングが想定されていた(山 谷、2011、231ページ)。ところが、こうした 総合評価としての政策評価の役割は財政危機を 契機として次第に失われていく。世界的に流行 した

NPM(New Public Management)の考えが

支配的になったからである。とくに、2001年

6

月に閣議決定された経済財政諮問会議「骨太の 方針(今後の経済財政運営及び経済社会の構造 改革に関する基本方針)」と、これをふまえて 設置された

「新たな行政マネージメント研究会」

が提出した報告書によって、NPMの思考様式 は広く普及した。

 これ以後、政策評価の文脈ではない「効率」

が求められるようになった。また、職員数や病

3 三重県議会の会議録からは、当時の北川知事をはじめ、行政側も議員側もアカウンタビリティをおおむねこのような意味で用いている

ことが確認できる(1997年〜2003年)。

4 たとえば、国会の会議録からは、1996年に当時の科学技術庁長官を務めていた中川秀直議員が、衆議院予算委員会(27日、220日)、

科学技術委員会(222日、613日)、科学技術特別委員会(31日)、決算委員会(93日)、予算委員会(126日)での答 弁において、アカウンタビリティをこのような意味で用いていることが確認できる。

(8)

政策評価と管理評価

145

行政評価として定着した理由としては、政策的 思考の未熟、コスト削減のみの現場の業務運営、

既存組織を前提とする組織態勢、不適切・ミス マッチな政策研修などが指摘されている

(山谷、

2012、185-188

ページ)。事業実施主体の側面

が強い自治体の特性や、前節で述べた政策評価 の文脈ではない「効率」の希求なども加わり、

本来の政策評価の議論は地方自治体ではかなり 早い段階で急速に影をひそめていった。

 この結果として、日本の行政評価には本来の 政策評価とは異なる点が見られると指摘されて いる。たとえば、内部管理事務が評価対象に含 まれていることや、経費削減が評価のおもな目 的となっていることである。また、自治体にお いて政策評価は行政評価に含まれることがある が、そこでは政策の定義がなく混乱しているこ ともある(山谷、2012、166-169ページ)。これ らは、確保したいアカウンタビリティの内容に ついて召命者自身も混乱していることや、その 内容が政策ではなくマネジメントであることを 表している。

3. 3  評価とアカウンタビリティについて の課題

 以上をふまえて、日本における評価とアカウ ンタビリティに関する問題点についていくつか 指摘したい。

 まず、アカウンタビリティを説明責任と呼ぶ ことについての問題点である。アカウンタビリ ティが説明責任に置き換えられた理由はすでに 指摘したとおりであるが、ではなぜそのことが 問題になるのだろうか。まず、「説明責任」と 呼べば、行為者側が「説明すればいい」と誤解 し、召命者など説明を受ける側の納得や、その 判断基準、説明する内容の情報源などを軽視す る恐れがあるからである。また、仮に行為者側 が中身のないレトリックを用いて説明した場合 でも、説明を受ける側がそれに気づかない恐れ もある(DeLeon and Martell, 2006, p.42)。こう した事態を避けるためには、召命者や説明を受 ける側が説明を受ける内容、言いかえれば問い いる5

。つまり、日本では情報公開の議論が政

策評価の議論に先行して進められ、情報公開の 文脈で政策評価が語られた結果、説明責任とし てのアカウンタビリティが政策評価に求められ る第

1

機能となった可能性がある。

 ところで、三重県における先の評価の性格の 変化は、窪田好男の言葉を借りれば、それまで の分析型政策評価に判決型政策評価の視点が加 わったと表現できる。分析型政策評価では、政 策の変更や終了など政策改善を目的に、政策の インパクトを対象として実施政策の微調整や政 策そのものの改善、政策目的の見直しなどが行 われる(窪田、2005、28-30ページ)。これは 政策学でしばしば議論される政策内容の変更6 に踏み込むことになる。これに対して、判決型 政策評価では行政の責任の立証を目的に、アウ トカムを対象としてアカウンタビリティを通じ た行政統制が行われる(窪田、

2005、 20-22

ペー ジ)。目的と成果の明記、そして成果指標を数 値で求めたことの帰結として、追及するアカウ ンタビリティのタイプ(140ページ表

1

参照)

も変化したのである。

 こうした傾向にあった三重県の事務事業評価 システムは、国の場合と同様に

NPM

の世界的 流行を契機として誤った形で他の自治体に伝播 していく。デフレや円高、景気悪化という社会 環境や、当時の小泉内閣による「三位一体の改 革」の影響によって財政が逼迫したからである。

三重県の改革そのものは

NPM

の影響を受けて いないが(窪田、2005、103ページ)、「マネジ メントの強調」など結果的に

NPM

の考え方と 一致する部分もあったことから

NPM

改革の

1

つとして理解された。こうして、後続のほとん どの自治体で評価は行政評価という名称で定着 した。

 もっとも、三重県と同時期の

1990

年代の終 わりごろに評価を取り入れた自治体、たとえば 北海道庁、秋田県庁、岩手県庁などでは本来の 政策評価の議論が行われていた

。また、この本

来の政策評価の議論は、20世紀末に大きな動 きを見せた地方分権改革の際に盛り上がっても いた。こうした動向があったにもかかわらず、

5 たとえば、宇賀、1998、5ページ藤原、1998、34-35ページ三宅、1999、144ページを参照。ただし、小早川、1999、13-15ページのように、

本稿で述べた概念に近い記述が見られる文献もある。

6 たとえば、Knill and Tosun, 2012, p.30

(9)

明することでアカウンタビリティが確保される ことになっているからである。しかし、この構 造はレスポンシビリティそのものである

(山谷、

2008、247

ページ)。仮にレスポンシビリティ

実現が目的ならば、信頼に基づく教育や研修の 機会などをさらに増やさなければならないが

(141

ページ図

1

参照)、そうした動きはほとん ど見られない。他方、本来のアカウンタビリティ の実現を目指すのであれば、すでに指摘した召 命者の能力向上とともに、制裁の事前の明示と その実効性の確保が必要となる。

 一方で、このようにアカウンタビリティを確 保する方向で体制を整備することにも課題はあ る。アカウンタビリティ確保の要請と効果的な 執行の要請との間に緊張関係があることは、行 政学においては古典的なジレンマの

1

つとし て知られているからである(Self, 1981, p.335)。

アカウンタビリティを確保するために各種制度 や組織を整備すればそれだけ行政の事務量が増 加し、本来業務に支障が出てしまうのである。

この現象はいわゆる「アカウンタビリティのジ レンマ」と呼ばれるが、アカウンタビリティ追 及と組織学習の間にもジレンマは存在する(山 谷、2012、223-224ページ

)。これは、

先ほど 提示した分析型政策評価と判決型政策評価の概 念を用いれば理解しやすい。つまり、行政の責 任の立証ばかりを追及してしまうと、行政側が 委縮し、失敗を恐れるあまり実験的な試みを行 いにくくなるのである。政策の変更や終了など の政策改善は政策の失敗を前提とするが、失敗 をしなければ行政組織が学習する機会がそもそ も生まれない。アナクロニズムな政策が無意識 かつ漫然と続けられる状況は、このジレンマの

1

つの帰結であろう。

 最後に、確保するアカウンタビリティの内容 について指摘したい。140ページの表

1

からも わかるように、アカウンタビリティは多様に存 在するが、このうち政策評価によって確保でき るアカウンタビリティは「政策のアカウンタビ リティ」である。ここでは政策の有効性やその 目的の達成度が基準となる。しかし、日本にお かける内容について事前に十分に理解し、細か

な内容まで詰めておくことが必要となる。つま り、アカウンタビリティを追及する召命者や説 明を受ける側の能力が求められるのである。

 また、行政改革会議が出した最終報告書では、

政策の評価を事前または事後に厳正かつ客観的 に行うことで政策の不断の見直しや改善が起こ ることが期待されていたが、この客観性の問題 もアカウンタビリティと強い関連がある。これ は評価論ではしばしば議論される点であるが、

「誰のための評価か」、言いかえれば「誰が評価

するのか」、その評価主体によって評価結果は 変わってしまうからである。評価においても厳 密な客観性は特定の価値のなかでしか成立しな い。したがって「どのアカウンタビリティを確 保させたいのか」は、「どんな価値を守らせた いのか」と同義となる。

 ここで重要なことが、問責者と答責者の役割 と機能の明確化である。そもそも、評価を通じ てアカウンタビリティを実現したいのであれ ば、評価における問責者と答責者の役割と機能 が明確になるよう、行政の組織体制を整備して いかなければならない(山谷、2008、247ペー ジ)。日本ではこのことがあまり理解されてい ないために、評価を通じたアカウンタビリティ の確保が難しいのであるが、これは究極的には 権力分立、すなわち日本の統治構造に突き当た るとの指摘もある(南島、2013、65ページ)。

言いかえれば、日本の行政制度や公務員文化は アカウンタビリティを前提に形成されていない のである7

 加えて、客観性の論点の際に述べた「価値」

を「守らせる」という点からは、アカウンタビ リティの背景に制裁(sanction)が存在するこ とが必要である。しかし、日本においてはそう でないことが多い。そればかりか、追及される 側である行政がアカウンタビリティの確保を強 調する場面も見られる。田辺国昭が「強制され た自己評価」と表現するように(田辺、2001、

9

ページ)、日本の政策評価は自己評価にはじ まり、行政側が自らの担当する政策について説

7 ある国の文化をあえて定義するなら、「その国の長年の歴史から醸成され、国民の大多数に共通する思考様式」と言うことができる。

このため、欧米諸国と日本の行政文化について、ここではそのそれぞれを仔細に検討する紙幅はない。しかし、欧米の行政制度が日本 ではなじまない現象を示して両者の違いを導出することは可能である。この例としては職階制をあげることができよう。職階制は戦後 アメリカから導入されたが、国家公務員法では条文で明記されたにもかかわらず、実施されないまま2009年に廃止されてしまった。

アカウンタビリティについても、これと似た状態になる危険性をはらんでいるのである。

(10)

政策評価と管理評価

147

調整および実行手段の統合」(三宅、1974、20 ページ)、「一般に所与の仕事を効果的に行うた めにするくふうないしはたらきで、現状の改善 と向上を図る所にその真義が存する。またその 指導理念は刷新(innovation)と創造(creation)

に求められねばならない」(田中、1976、221-

222

ページ)、「ダイナミックかつ日常に密着し た活動で、人間の主体的な行為」(西尾、1991、

58-59

ページ)などである。したがって、「管

理の硬直化」という言葉は概念矛盾を起こして いることになる(西尾、1976b、2ページ)。

 この管理の機能には、①資源の調達と配分

(基

幹的管理)、②日常業務の改善(狭義の管理)、

③組織目的に関する企画・情報・評価の活動を 促進する態勢を整えること(広義の管理)の

3

つがあり、管理評価は広義の管理までをその射 程に入れている(西尾、1976b、2-3ページ)。

つまり、管理評価とはこの

3

つが適切に行われ ているかを点検することになる。

4. 2 管理評価と政策評価

 ところで、この管理評価は政策評価とどのよ うな関係にあるのだろうか。

 まず、アカウンタビリティとの関係では追及 できるアカウンタビリティが異なる(140ペー ジ表

1

参照)。これは前章の最後で指摘したと おりである。これに関連して、管理評価と政策 評価ではその評価対象が異なる。具体的には、

管理評価の評価対象はアウトプットの領域まで だが、政策評価の評価対象はアウトカムないし はインパクトの領域までをも含む(次ページ図

2

参照)。このため、管理評価は政策評価より も評価対象のコントロールが容易となる反面、

追及できるアカウンタビティの範囲は政策評価 よりもかなり限定的になる。財政危機が懸念さ れ始めてからの日本では、国・自治体ともに時 代の要請からマネジメントの改善に関心を向け ざるをえない状況にあるが、管理評価はこの状 況に適した評価手法であると言える。

 他方で、管理評価は政策評価の基盤を形成し、

政策評価(制度として位置付けられた当時のイ ギリスではプログラム分析評価)を支援する機 いては効率や業績が重視されていることから、

評価によって確保しようとされているアカウン タビリティは「マネジメントのアカウンタビリ ティ」であるように思われる。仮にそうであれ ば、その確保の方法は政策評価ではなく管理評 価ではないだろうか。評価とアカウンタビリティ を考えたとき、こうした政策評価と管理評価の 混乱(山谷、2010、218ページ)は、日本で見 られる問題点のなかでも最も違和感を覚えるも のの

1

つである。では、日本においてこの管理 評価はマネジメントのアカウンタビリティを追 及する手段となり得るのだろうか。次章ではこ の可能性について考察していく。

4. 管理評価の可能性 4. 1 管理評価とは

 日本の評価制度に

NPM

が大きな影響を与え たことはすでに述べたとおりである。これに よって政策評価と称した行政管理型の評価が導 入されたが、多くの場合、その中心的な手法は 業績測定であった。この業績測定の起源は

20

世紀初頭から半ばにかけてのアメリカ行政学に ある。政治腐敗や資源浪費が顕著であった時代 背景から、全米各地の市政調査会が「節約と能 率(economy and efficiency)」をキーワードに 行政に内部改善を促したことがそれにあたる8

現在では、業績測定は予算管理と定員管理のた めの情報収集を目的とするが、これに予算統制 の視点を加えたものが管理評価である(山谷、

2012、112

ページ)。

 管理評価(Management Review)とは、「管 理の態勢と方式そのものの作動状況を評価する こと」(西尾、1976b、2ページ)で、1972年に イギリスで初めて公的な制度として位置付けら れた9

。そもそも、この管理評価の「管理」と

は、その言葉が持つ一般的なイメージとは異な り、行政学では次のように定義される。すなわ ち、「組織目的の効率的・能率的達成のために 組織態勢そのものの維持発展を図るもの」(西 尾、1976b、1ページ)、「摩擦の解消、政策の

8 当時のアメリカの市政調査会の活動については、足立、1971;手島、1995;西尾、1976a;湯浅、2012を参照。

9 管理評価については、伊藤、1979を参照。

(11)

 このことは、日本における管理のあり方を検 討するうえで非常に重要な指摘である。「適切 な管理」と言ったとき、そこには唯一絶対の基 準や尺度があたかも存在しているような印象を 受ける。しかし、それは無意識であれ、発言し た本人の考え方の影響を受けている。ここでの 考え方とは個人の価値に他ならない。したがっ て、その考え方が明確で、かつそれが組織メン バーに理解

共有されていないと、

「適切な管理」

を評価することはできないのである。

4. 3 管理評価とアカウンタビリティ  前章の最後では、日本では効率や業績が重視 されていることから、評価によって確保しよう とされているアカウンタビリティはマネジメン トのアカウンタビリティであること、そしてそ の確保の方法は政策評価ではなく管理評価であ る可能性を指摘した。それでは、この管理評価 を通じて、日本においてマネジメントのアカウ ンタビリティを追及することはできるのだろう か。それは冒頭からこれまでの議論をふまえた だけでも困難と答えざるをえない。一部は繰り 返しになるが、その理由はたとえば次のものが ある。

 1つめに情報公開の限界があげられる。アカ ウンタビリティを追及する際には、事前に決め られたことを実行しているかどうかを確認する 能を持っている。管理評価には先に述べた「広

義の管理」の機能が含まれるからである。この

「広義の管理」では、管理が組織目的に関する

活動を補助する。つまり、管理の内容は組織目 的に依存し、それにともなって評価内容も変化 することになる。このため、「管理」の究極的 な合理性の評価には政策評価が先行していなけ ればならないのである(西尾、

1976b、 2

ページ)

(加藤ほか、1985、59

ページ)。

 このことは、政策評価のプロトタイプとも言え るプログラム評価の理論にも見られる。たとえば、

評価論の著名なテキスト『プログラム評価の理論 と方法

(Evaluation: a systematic approach)』

では、

「評

価階層(evaluation hierarchy)」の理論、すなわ ち評価は次ページの図

3

のように階層をなすこと が示されている(Rossi, Lipsey and Freeman, 2004,

pp.79-81)。つまり 、ある評価はその下部にある評

価を前提にしてはじめて議論が可能となり

、そこ

が明確でないと評価全体が揺らいでしまうことが 指摘されているのである

(南島、 2011、 68-69

ページ)

(山谷、2012、211-212

ページ)。したがって、最 上部に位置するコストや効率の評価のためには アウトカムやインパクトがある程度明確である ことが必要となるが、言うまでもなくこれらを 計量的に測定することは容易ではない。さらに 言えば、当該事業や業務の必要性が問題となっ ているときにコストや効率の評価を持ち出すこ とはほとんど無意味なのである。

図 2  政策とその評価対象

(出典)筆者作成

国・自治体等

①行政の組織活動を見る:

予算、人員、アウトプット

②計画・施策そのものの良し悪し、

出来・不出来を見る

③計画・施策の対象に 起きた変化(成果)を見る

④周りの社会の変化

(インパクト)を見る

(12)

政策評価と管理評価

149

が、そうした論点は日本の行政現場ではあまり 目にしない。短期的には削減のための業務量な いし事業量の把握が逆に全体のコストを増加さ せることになるかもしれないが、長期的な視点 ではその増加分も大きくはならないはずであ る。削減ありきではなく、こうしたマネジメン トの部分であっても必要なものにはコストを惜 しまない姿勢も重要である。

 3つめは価値観の問題である。このことは前 章第

3

節でも触れたが、よりミクロなレベルで ある管理評価でもこの問題は発生する。定めら れた目標を解釈し、それを指標化する際にどう しても個人の価値観からの影響を受けてしまう からである(山谷、2000b、85-86ページ)。そ れがたとえ量的に測定できるものであっても、

そのとらえ方が個人の価値観に左右される可能 性は排除できない。たとえば、ビンに半分入っ た水を「もう半分しかない」ととらえる人もい れば、「まだ半分ある」ととらえる人もいるか らである(佐々木、2010、38ページ)。このこ とがあいまいなままであれば、事後にアカウン タビリティを追及することは困難となる。費 用対効果(B/C)によるコスト算出が多様にな らざるをえない背景の

1

つには、この価値観の 問題が深くかかわっている。また、前述のコス トの論点の最後で指摘したコストを惜しまない 姿勢も、ある意味ではこの価値観の問題とかか わっているのかもしれない。

 4つめに、そもそも評価とはどんなものかが 十分に理解されていないことである。たとえば、

最近では国や多くの自治体で人事評価が導入さ 作業が必要となる。しかし、行政が実施してい

る日常業務の運用実態のすべてを外部から把握 することは事実上不可能である。しかも、統制 には監視のコストがかかるため、統制を強めれ ば強めるほど重視するべきはずの効率化とは逆 の方向に舵を切ることになってしまう。先の正 統派行政学の時代では、節約と能率の視点か ら行政の自己改善を促すにとどまっていたた めにこのことはあまり問題にならなかったが、

NPM

において想定されている効率では外部か ら検証可能であることが求められる。このため アカウンタビリティが必要になるのだが、この 監視のコストの問題は日本のアカウンタビリ ティの議論のなかで取りあげられることは少な い。そもそもアカウンタビリティを前提に形成 されていない日本の行政制度や公務員文化を、

財政難と効率化の現状とあわせて考慮すると、

その膨大なコストはかなり大きな問題である。

 2つめに、管理評価の前提としての業績測定

(加藤ほか、1985、66

ページ)が適切に行われ ていないことである。この典型的な例は人件費 削減である。財政再建が語られるとき、人件費 削減は国や自治体を問わず、あらゆる行政機関 で第一に取り上げられる。その一方で、その根 拠となるべき職員の勤務時間の実態把握は十分 だとは言えない。公会計制度の導入努力はある にせよ、政策のコストがあいまいなこともこれ が原因であり、結果として業務量ないし事業量 の把握が評価できるレベルに達していない。ア カウンタビリティはもとより、こうしたエビデ ンスを求めることは評価の議論では重要である

図 3 評価階層 (evaluation hierarchy)

(出典)Rossi, Lipsey and Freeman, 2004, p.80を筆者加筆 プログラムのコストと効率の評価

プログラムの過程と実施の評価

(Assessment of Program Cost and Efficiency) プログラムのアウトカム/インパクトの評価

プログラムのデザインと理論の評価

プログラムの必要性の評価

(Assessment of Program Outcome / Impact) (Assessment of Program Process and Implementation) (Assessment of Program Design and Theory)

(Assessment of Need for the Program)

(13)

ついて、日本の現状をふまえながら、それらを 通じてアカウンタビリティは確保できるのかど うかについて述べた。アカウンタビリティ確保 のためには政策評価と管理評価の両方が重要と なるが、結論から言えば日本ではどちらも難し く、しかもその原因は根深い。まず、政策評価 と言いながら実際は管理評価、具体的には業績 測定が行われていることである。残念なことに、

日本の評価においては管理評価の問題が語られ るばかりで、政策の内容まであまり踏み込めて いない。また、管理評価を実施する際に注意す べき点もあまり考慮されていない。それは評価 についての理解や知識が不十分であることに起 因する。日本の評価におけるアカウンタビリ ティ発展のためは、以上で述べた問題点が十分 理解されてその対応が考えられるとともに、評 価学について社会的認知を受けることが重要で ある。

 翻って、アカウンタビリティが求められるよ うになった当初の目的は行政活動の公開であ り、これによって行政活動が改善されると期待 されていた。政策評価とアカウンタビリティが 関連付けられたのもこのためであろう。では、

仮に以上のような条件が満たされ、アカウンタ ビリティの視点から管理評価そして政策評価が 適切に機能したとき、政策は改善されるのだろ うか。これも残念ながらあまり期待できない。

客観的で科学的な政策分析に裏付けられた政策 評価が政策の変化を導かないことはすでに指摘 されており(DeLeon, 1983)、日本においても 最近の研究結果でそれが実証されているからで

ある

(岡本 , 2013)。

政策終了をもたらすものは、

エビデンスベースの冷静な議論というよりはむ しろ政治的要因なのである

(DeLeon, 1983)(山

谷、2013、62ページ)。

 窪田好男の最新の研究によれば、これまで業 績測定が中心であった評価手法が変化するな ど、日本において評価は改善あるいは進化して いるようである

(窪田、2014、25

ページ)。こ れは興味深い現象ではあるが、そこにおいても 評価主体とその価値観を考慮しなれればならな い。誰が何を求めて評価を行っているのか、こ の点を抜きにして評価を語ることはできないか れているが、これまで実施されてきた人事考課

との違いが明確に示されていることは少ない。

かつてサイモン(Herbert A. Simon)は管理情 報を

3

つに分類したうえで、同一の情報が受け 手の立場やとらえ方によって変化し、時に弊害 を生むことを指摘している(Simon, et al., 1968,

pp.15-23)。これをふまえ、西尾勝は評価結果

をその精度にみあう程度以上の用途に使用しな いように忠告している(西尾、1976a、208-209 ページ)。先の価値観の問題とも関係するが、

考課ではなく評価として実施する際、この点は アカウンタビリティとの関係でも十分に注意す る必要がある。具体的には、評価規準は何で、

どうすればどのような評価になるのか、これら を評価する側とされる側が事前に理解・共有し ておかないと、される側から事後に不服申し立 てがあった際に明確な回答はできず、アカウン タビリティも不十分なものになってしまうから である。

 5つめに、日本と欧米諸国、とくにアカウン タビリティの概念や

NPM

が発達したアングロ サクソン諸国では行政文化が異なることであ る。これはアメリカでの行政学の発展過程、ま た

O&M(Organization & Methods)

10に 代 表 さ れるイギリスの自己改善の伝統からも明らかで ある。以上で述べた評価や測定について、これ らの国が今日まで理論的にも実務的にもさまざ まな経験をしてきたことはこの過程や伝統と無 縁ではない。こうした行政文化の違いを考慮し ないまま制度だけを導入しても、その制度がう まく機能するはずもない。長期的な視点で欧米 のような文化を醸成する覚悟を持ち、しかし日 本の行政文化になじむ制度設計を試みていく、

そうした努力が求められるのである。逆にそう した努力ができないのであれば、軽々に外国の 制度や言葉を導入するべきではない。この点は これまで議論してきたアカウンタビリティと説 明責任の経過からも指摘することができる。

5. おわりに

 以上では、政策評価と管理評価のそれぞれに

10 Organization & Methods とは、組織目的がよりよく達成されるように、現行組織のマクロレベルの体制や運用をボトムアップで分析・提

言して組織改善を行うことを指す。

(14)

政策評価と管理評価

151

らである。日本では評価主体は行政自身である ことが多いが、ではその行政は何を求めて評価 を行うのだろうか。あるいは行政組織に所属す る職員は評価にどんな価値を期待しているのだ ろうか。こうした行政職員の持つ価値について は本稿では迫ることができなかった。この点に ついては今後の課題としたい。

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地方自治体における指定管理者制度などがある。 上の一般的な性格づけと, これらの具体的な内容を思いおこすならば,

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