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シドニーの『アストロフェルとステラ』 : その構 造

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シドニーの『アストロフェルとステラ』 : その構

著者 坂本 完春

雑誌名 主流

号 46

ページ 17‑33

発行年 1985‑02‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014963

(2)

17 

シドニーの『アストロフェルとステラ j

ι ーその構造一一

坂 本

︒ 一 心

シドニー (SirPhilip Sidney)の

7

アストロフェルとステラJ(Astrophel  and Stella)の構造を論ずる者がしばしぼ言及する名前がこつある.→つの名 前はシドニーと同時代の文人。ト‑ 7ス・ナッシュ(ThomsNョshe)であり,

もう一つの名前はわれわれと同時代の之人・硯学

c

S.)Vイス (Lewis)であ

る.前者は1591年版の序文1に,この作品が thtragi‑comedyof love"で, the  argumentcruell Chastitythe prologue.  Hopethepilogu Dis‑ paue."であると説いた.これは同時代人の反応の一端を窺い知る縁となる が,これについて三つの点に注目しておく必要がある.すなわち,先ず,こ の作品にはストーリーが認められる.次に,プロローグとエピローグとの存 在からその構造が3部となる.以上の2点である

次 に

cs

ルイス2はこの作品について thefirst  thing to grpabout  the sonnet sequence is  that it  is  not a way of telling a story . . . . But the  sonnεt sequecεdoesnot exist to  tell  a rea l.or evna feignedstory.'¥と 語った.要するにタc.

s

ルイスはソネット連作にストーリーを読み取るの を拒否している. しかし,

c  S

ルイスがわれわれの考え方を代弁している わけではない.伝記的事実に沿ってストーリーを担っ上げる必要はないが,

だからと言って,ソネット連作にストーリーを読み取るのがあながち間違い とは言えまい.

ちなみに,シドニーが5香のソネットで見せた力学的離れ業を見てみよう.

(3)

18  シドニーの fアストロフェルとステラj

普通,イタリア式ソネットの論理構造は8: 6であり,イギリス式は12:2  である.ところが,シドニーはいくつかの真実を数え挙げながら,就中,

that 1 must Stella love(fステラを愛さずにはいられないJ),とする真実 が真実の中の真実だと強調するのに13.4行も使っている.つまり, 13.4: 

0.6の割合である.ソネット全体の力を最後の6音節に圧縮させて得たエネ ルギーを質的に転換して爆発させたのが that1 must Stel1a love"である.

そうであってみれば,この言葉に対する詩人の思い入れようが分かろう.と ころが,シドニーはこれだけで満足しない.続く 6番で,愛していると歌う のに, they their muses entertain" ,と歌う詩人もいれば, Someone his  song in Jove, and Jove's strange tales, attires, /Broidered with bulls and  swans, powdered with golden rain人と歌う詩人もいる.また, Another, humbler, wit to shepherd'spipe retires, / Yet hiding royal blood ful1 oft in  rural  vein.ぺと歌う詩人や Tosome a sweetest plaint a sweetest style  affords.へと歌う詩人もいる.このよう.に詩人達は種々な方法で修辞の限り を蓋すのだが 6番を歌っている詩人は, tremblingvoice brings forth,  that 1 do Stel1a love"の策しかない,と灰めかす. that1 do Stella lov巴"

はこのソネットの最後に位置し 5番と全く同じ論理構造をもっ. したがっ て 5,6番のソネットのエネルギーの質的転換による強調効果と 5番及 び6番と続けて, f愛している

J . r

愛している」と 2回繰り返して得られる

強調効果とが響き合いながら相乗効果を生み出す.それほど,この that1  must (do) Stella love"が鍵になる言葉である,と暗示しているのではない だろうか.

シドニーは104番でさらに続ける.傍観者的野次馬どもが他人の気持を付 度するのにいたたまれず, that1 / Do Stella love"と居直ってしまう.絶望し か残されていないからと言って.この that1 /. Do Stella love"は13行日か ら14行日へと句跨りとなっている. 5番や6番に見られるように, 13.4:  0.6の割合で圧縮される部分にはなく,その前に現われる.割合という点では,

(4)

シドニーの『アストロフェルとステラj 19  全く同じであっても,最後に現われる言葉は Fools,who doth it  deny?"で ある. it"が指示する内容は that1 / Do Stella love"が最後にあれば素直な 真情の吐露と聞えるが, 104香のように Fools,who doth it  deny!"の前に来 ていると,素直な真情の吐露と言うよりは居直りとして屈折した感情としか 受け取れない.ステラの拒絶に面食らった詩人には態勢を立て直す術は居直 りしか残されていない. したがって,詩人が匂跨りによって表現しようとし ている内容は,

r

愛している

J

ではなくて,

r

愛し続ける」でなければならな い. 5番及ぴ6番は愛を得て希望に満ち溢れている時であるからこそ,

r

している」となり, 104番は絶望に打ち祉がれてドるからこそ,

r

愛し続ける」

ことから元気を奮い起こさねばならない.

さて 5番及び6番と, 104番とがソネット連作の中でどこに配置されて いるか,を考えてみよう.先ず, 6番の結匂にある that1 do Stella love"と, 104番の結句にある that1 / Do Stella love"とが,99篇のソネットと10篇の ソンク、、を挟んで、響かせ合っている同じ音に耳を散てた者がいないのは残念で ある.ここで, 2点について指摘しておこう.一つは, 6番には5篇のソネッ

トが先行し, 104番には1篇のソングと4篇のソネットとが後続する.両者 が対称、的に配置されている事実は注目に価する.もう一つは,両者が響かせ 合っている音が同じ 「私はステラを愛す」ーであっても,その位置によっ て微妙な効果の違いが同時に聞きとれる.すなわち 6番では結句の最後に 来ているのに, 104番では13行目から14行目へと句跨りとなっている.した がって 6番の意味が「愛している

J

であるのに対して, 104番は「愛し続 ける」と読まねばならなかった.この意味のずれが,句跨りであるがどうか によって生じる効果の違いであるのは言うまでもないが,その上に 6番は ナッシュの言う「希望

J

を表わすプロローグ部分に登場し, 104番は「絶望」

を表わすエピローグ部分に登場するのと無関係ではない.なぜなら,詩人は ステラの拒絶に面食らって絶望したからこそ一層「愛し続ける」と自らに言 い聞かさなければならないからである.

(5)

20  シド三ーの『アストロフェルとステラj

このように,同じ音でありながら,効果に微妙な違いが生じる原因が,

c . s

司ルイスの説には反するが,ストーリー,つまり,構造に由来じている のが分かる.その構造について 諸家の主な説を図示すると次の様になる.

(Tはソネットを, Gはソングを,右肩の数字は作品番号を,示す.)  Young, R. B. (1958)4  T1‑ T43, T44 ‑ G3, T84 T108

Ringler, 

W .  

A. (1962t T1‑ T5¥ T52 ‑G8、G9‑ T108  Buxton,].  (1963)6  T1‑ T32 T33̲ G1, T64̲T108  Putzel, M.  (1967)7  T1‑ T30, T31̲ G7, G‑ T108  Rudenstine, N. (1967)8  T1 ‑ T40, T41̲ T72, G‑ T108  Hamilton, A. C. (1969)9  T1‑ T35, T36 T7Z, G̲ T108  Brodwin, L. L. (1969)10  T1‑ T35, T36 ‑ T88, T89ー ←T108 Weirr,A. D. (1974)Jl  T1‑ T20, T21̲ T45, T46 T69, 

T70 ̲ G8, G̲ 

1

108 

諸説が,ワイナーの5部構造を除いて ,3部構造となっている.これはナッ シュ説を踏襲したものと言えよう.ところが,区分の仕方は諸家によって区々 である.それは,諸家が主題の「貫性を求めながらも,主題の解釈に差があ るため,主題の一貫性に乱れが生じるためである.一例えば,ルーデンスタイ ンや川ミルトンはT72を第

E

部の終わりと考える. しかL ,筆者は Tn~

T72 G2に主題の一貫性を発見する.ステラの美しさに触れてステラを愛 し,ステラの徳に触れてその愛が善に方向づけられる.そのためにはエネル ギーである欲情を満たしてくれるよう, Giveme some food'"  (71:14)と哀 願する.続いて,抑えようとしても抑えきれない欲情をどのように処理すれ ばいいか思いあぐねて, but yet, alas, how sham" (7214)と嘆息してしま う. じかし,その欲情とは,また 'food'とは,直ぐ後に続く G2の O swetkiss"を先取りしていることに注意が向けられていない. したがって,

T

72を境にして第

H

部と第園部とに区分するのには無理があろう.これは解

(6)

シドニーの fアストロアェルとステラl 21  釈の相違の一例にしかすぎない.そこで,解釈の相違が無限に増えないため の歯止めとして,一つの解釈を補強する手立てが欲しい.

視点を変えてみよう.構造が主題から独立しえないのは言うまでもない.

しかし,構造が形として自立しうるものでなければ,主題を支えられないの も自然の理である.実際,形として構造を認識する視点は,まだ,提案され ていない.主題の要請のみで構造を組み立てる努力がなされて来ただけであ る.それが種々な説を生み出した原因であるのは言うまでもない.

では,どんな構造が提案できるだろうか.それは,ソネットの中にソング が散りばめられている事実に注目すればよい. しかし,ソングはもともとソ ネットの中に散りばめられていなかった,と反論する論者もいるだろう.確 かに, 1591年の【Quarto版ではシドニ一家やリッチ家への配慮からか,欠落 部分が目立つ.その上,ソングは全て巻末に収められていた.ところが,

1598年のFolio版では連作の劇的効果が配慮、されたためにソングが然るべ き位置に配置され,作品番号が付けられた戸今では,この Folio版を底本 としたリングラーの『アストロフェルとステラ

J

を定本とするのが確立して いる.この事実を基にして構造を読み取る.なぜ、ソングがソネットの中に散 りばめられているか?その必然性は? リングラーは,ソングが some‑ thing of aproblem九13と困惑顔で,その揚句, "fillers,14  (埋め章)でしか ない,と投げ遣りである.一方,ヤングはソングと劇的効果とに何らかの係 わりを発見する. しかじ,ソングに構造的な形を認めているのではない.ソ ングの中に構造上の柱を見つけ,解釈を補強するのに役立てる手立てを求め てみよう.

最初のソネット連作とも言うべきダンテの『新生j(La ViωNuova)には 42章ある.散文の中に詩があり,散文のみで独立した章はあっても,詩のみ で独立した章はない.散文は詩の情況を補足説明する機能を有し,詩は詩人

(7)

22  シドニーの fアストロフェルとステラJ

の直接体験を歌う.詩は総数31篇.ソネ7トが25篇,パラッドが1篇,カン ツォーネが3篇,未完カンツォーネが2篇である.主な登場人物は詩人,ベ アトリーチェ,愛の神.

r

新生j を全体として見る時 3部構造になってい るのが分かる.第 I 部は 1~16章.詩人が初めてベアトリーチェに出会う.

二人とも9才.詩人は一目惚れ. 2度目の出会いは9年後,ベアトリーチェ が初めて詩人に会釈する.詩人は有頂天になり,夢想に耽り,眠りこむ.ヴイ ジョンを見る.そこでは愛の神の腕に裸同然の姿でベアト 1)ーチェが横た わっている. 3度目の出会いでベアトリーチェは会釈しなくなる.詩人は悲 嘆に泣きくれ,眠りこむ. 2回目のヴィジョン.愛の神が泣いている.ベア トリーチェの慈悲を哀願し始める.真の幸福は会釈のような移ろい易いもの にはないのを悟る.第

E

部は17‑31章.ベアトリーチェへの讃美,詩人の病 気,ベアトリーチェの死を予表する恐ろしい夢,ベアトリーチェの死,と続 く.第匝部は32‑42章.哀悼,憂欝,その克服と失敗,白己憐潤,ベアトリー チェに代る美女の出現,その女性への讃美,ベアトリーチェ以外の女性に関 心を示したことへの自己嫌悪,自責,情熱と理性との葛藤,真の幸福が天国 のベアトリーチェと合一することにあると発見する.魂の巡礼.

I

部と第画部とには詩が10篇あるのに比べて,第

E

部には11篇ある.マ ルク・ムーザ(MarkMusa)が主張するように15この第

H

部に中心が来ると 見るのは妥当である.なぜ、なら,ベアトリーチェの死を確認するのは28章に おいてであるが,死の予表でありながら,死の確認より克明な死の描写は23 章で成されているからである.その上.23章は31篇の詩の中心に位置する.

そこで,ムーザの図を借用し16 修正すると,

S10̲ CI ‑S4̲CIl̲ S4̲ Clll̲ SlO 

となる .(Sは未完カンツォーネ又はパラッドを含むソネットを,アラビア 数字は詩の数を Cはカンツォーネを,ローマ数字はその順番を,示す).

散文を除くと,カンツォーネがほぼ各部を区分しているのに気づく.ところ

(8)

シドニーの『アストロフェルとステラ』 23  が, CIlだけは別の機能を与えられている .CIlは23章にある.CIlにはカ ンツォーネばかりか,詩全体の対称の中心点となる機能が与えられている.

そこにはベアトリーチェの死を予表する描写があることは既に指摘した.こ こを対称、の中心と定めれば,提示音防当ら結末部への展開が,詩人の心の動き と共に,一目瞭然となる.

カンツォーネを構造上の柱として配置する方法はベトラルカによって受け 継がれる .

r

リーメ j(The Rime sρ,arse)では317篇のソネット, 29篇のカン ツォーネ 9篇のセスティーナ 7篇のパラッド 4篇のマドリガルを使っ て,美しく貞節で、, '1;真しみ深いラウラの愛を求め続けた詩人の心の軌跡が語

られる.詩人はラウラに初めて出会って一日惚れする(3番).シチI}アから イタリア北部にまで椙振を極めたベストの犠牲となってラウラは死ぬ (267 番). 1‑263番が第

I

部, 264‑366番が第

E

部となり,その区分はほぼラウ

ラの死を境目にしている.第

I

部はやや官能的 第

E

部は霊的と言われる.

しかし,詩人がラウラを愛し始め,その愛が報いられないのはラウラの死に よるのではない.詩人が求愛し(構造的には第I部となる),愛が報いられ るのを望みながら,拒まれ,詰られるのはラウラの死以前に起こっている.

ラウラの死によって現世で「ひょっとすれば

J

というー緩の望みが完全に断 ち切られてしまう. したがって,ラウラの死は第

H

部のほほ吹台めにあり,正 確な意味でクライマックスを構成する. ~新生』ではベアトリーチェの死が

E

部の中心に配置されていたが,この点で『リーメj とは構造的に相違が ある.その上,

r

リーメ

J

では『新生』に見られた散文が姿を消している.

ところが, R ダーリング(R.Durling)が指摘するのだが17

r

新生

J

の対称、

構造が『リーメ

J

の第

E

部に現われる.すなわち,264, 268, 270番のカンツォー ネが導入部に,中心部に323,325, 331, 332番,結末部に359,360, 366番 が来ている.

r

新生』で用いた図を応用すれば,

C3S S52 ‑ C¥6 ‑S26 ‑ C3s

(9)

24  シドニーの fアストロフェル色ステラi

となる(右下のシンボルはカンツォーネ群の中に含まれるソネット数を表わ す).確かに, C4を中心に対称となるが,

r

新生j と異なる点はカンツォー ネ群(下線は筆者)が構造上の柱となっでいる点である.そして, S5Z

SZ6の2倍で,正確な意味での対称、とは言い難い.しかし, C4群に対称、点 が来れば,構造的に意味深い.実際には

c

4群に属する314番が第

H

部全 体の中心で、ある.さらに,ラウラの死が第

E

部導入部の

c

3群に属する267番 で起こるため

c

4群に主題の転回点を求めえない.結論を言えば,ラウラ の死を悼む悲歌が聞かれる第

E

部で主題と構造との対応関係が説明されねば

『新生』におけるような主題と構造との有機的統一は求められない.

シドニーの『アストロフ iルとステラ

J

の構造上の租型は『新生jや『リー メ』にある.ベトラルカはダンテのように散文で補足説明するのを避けて,

カンツォーネやパラッド等に語らせる.シドニーはペトラルカに従っている.

しかし,ベトラルカから直接学んだのかどうか判断し難い.なぜなら ,1572  年にシドニーはシャルル九世の宮廷に伺候した機会に「スバル派

J

のロンサー ル(Ronsard)に出会っているかも知れないからである.ロンサールの『エレー ヌへのソネット

J

や『カヴサンドラへの恋愛詩集j にはソネットの中にシャ ンソンやマドリガルが散りばめられている.しかしロンサールにシャンソ ンを構造上の柱として利用する認識があったかどうかは別として,カン ツォーネ,シャンソン,ソングと来れば,ソングにカンツォーネと同じ構造 上の役割を与えるのを思いつくのにはそれほど難しいものではない.

ステラのモデルはRich夫人のPenelopeDevereuxである.これは疑え ない.オデユヴセウスの妻,ベネロペは夫の留守中, 108人の求愛者を断り 続け,貞節を守る.

r

アストロフェルとステラ

J

にはソネットが108篇あり,

ソングが11篇含まれている.その日篇のソングの詩連は総計108を数える 18

偶然の暗合ではあるまい.ここには重要な意味が隠されているに違いない.

(10)

シドニーの『アストロフェルとステラj 25  さもなければ,ソングをソネットの中に全く恐意的に配置されたにしてはソ ネットの数とワングPの詩連の数とが一致するのには見事すぎる.あるいは,

全くの偶然なのだろうか.ソネットのみな白ば,主題の統一・展開という視 点から見当がつく. しかし,詩とは言っても形の異なるものを組み込むには それなりの必然性がなければならない.したがって,ソングに特別の役割が 与えられている,と予測しなければならない.つまり,ダンテやベトラルカ のカンツォーネ(群)に似て,ソングを構造上の柱,と予測する.

この予測の妥当性は,先ず第一に,情熱的な行動が全てソングの中の出来 事である事実によって説明しうる.そして,それらの出来事は,ストーリー の展開に重要な意味をもつものばかりである.視点を変えれば,ストーリー の展開の鍵になる行動は全てソングの中に認められる.これは,ベアトリー チェの死の予表の描写がカンツ才一ネで成された事実とも符合する.ステラ の寝所で口づけを盗むのはソング2番であり 1度目の逢引はソシグ4番, ステラの拒絶に面食らう 2度目の逢引はソング8番,ステラの窓辺に忍び、よ るのはソング11香という具合いである.オヴイデイウスの『恋の手引き

J

忠実な行動はソネットには~~/j染まないとする慮りが働いているかも知れな い.だから,ソングが利用されている,と. しかし,それよりは構造への配 慮を重視すべきでないだろうか.

第二に,そうでなければ 5番から9番に至るソング群の団塊性をどう説 明しうるだろうか.そのためには,数による強調が質に係わっている,と証 明すればよい.つまり,このソング群を「連作

J

の中心点と読めばよいe 中 心とは数による対称、点ではなく,クライマックスを意味する.ちなみに,ベ アトリーチェの死の予表が対称点であるとは既に指摘じた.

さて,クライマックヌとは葛藤の結着の方向が暗示される地点である.こ の「連作

J

の葛藤は,欲情の充足か,恋愛の成就,つまり,結婚か,このい ずれに係わるのだろうか?前者の場合,辺りが寝静まうて物音が聞えず,聞 えても, Thatyou heard was but a mous巴"(1.25)と安心させ, Young

(11)

26  シドニーの『アストロフェルとステラj

folks, take time whileyou may" (l.28)という声に急かされ, Concordbet‑ ter fittethus" (l.44),と口説くソング4番が欲情の充足を暗示しているので

クライマックスとなる.後者の場合,

Trust me [Stella ,]while 1 thee [Astrophel] deny,  In my self the smart 1 try; 

Tyrant honour thus doth use thee; 

Stella's self might not refu.se thee. (11. 93‑6) 

と,ソング8番が結婚の可能性を否定しているのでクライマックスとなる.

エリザベス朝のソネット連作は恋愛と結婚とを主題にするのが定石である.

一方,ソング8番はソング群の中に含まれる.この2点からソング8番がク ライマックスと結論しうる.

それでは,クライマックスであるソング8番とソング群及びその他のソン グとの関係を調べて見る.ステラがアストロフェルを拒絶するのはソング5 番で準備される. Butnow that hope is  lost, • • ."  (1.13),と希望が失われる 以前一一希望が決定的に挫かれるのはツング8番においてであるーーには,詩 人はステラを讃美した.その典型はソング1番である.ところが,希望が挫 かれた後は, 1[Astrophel] think now of thy [Stella'sJ  faults, who late  thought of  thy praise" (1.16),と言って,ステラを Ungrateful"(1.42), 

thief' (1.43),murder' (l.55),tyrant' (1.85),witch' (1.87),devil' (1.87),と 口を極めてステラを罵る.希望が絶望へ,讃美が罵りへ転ずるソング5番は ソング8番の伏線である.続くソング6番は,

o

you that hear this voice, / 

you that see this face." (11.1‑2), と声と顔とのどちらが美しいか,判定 するよう迫まられるので,一見讃美の歌に聞える.讃美が罵りに変質したソ ング 5番 の 後 で は , ソ ン グ6番 の 讃 美 は 奇 異 に 響 く . し か し Say whetherthou wilt crown / With limitless renown" (11.53‑4),と判定を求め

られるのは理性である.そうして,理性が判断を下す以前にソングが終わっ

(12)

シドニーの『アストロフェルとステラj 27  てしまっているのは,理性が返答に窮している情況を暗示し,理性が混乱し ている状態を物語る.美しさを判断するのにも理性が混乱しているのでは,

爆発的な罵りの時には理性が一層混乱するのは火を見るより明らかである.

したがって,ソング6番における理性の混乱こそソング5番の罵りを増幅さ せるものでしかない.ソング7番も顔と声とを讃美する.しかし,もう,ソ ング6番の判定者である理性は登場しない.理性がいかに無能であったかを 思い知らされるだけである.そのような情況では讃美も空虚に響くだけであ る.この空虚な響きはソング8番へと続き,アストロフェルの必死の口説き もステラには通じない.ステラはアストロフェルを愛しているが,操を破る わけにはいかないから,締めてくれるよう哀訴する.ソング9番はソング8 番の確認である.ソング8番で開いたステラの拒絶に対して種々な反問を試 みながら, Stellahath tefused me" (1.21 and 26),と 2度も絶叫し,ソング 8番の Allmy bliss in thee [Astrophe1] 1 [Stella]lay; / If thou 1ove, my  love content thee, / For alllove, all faith is  meant thee." (11.  90‑2)とは真 赤な嘘で, No,she [Stella] hates me [Astrophe1], wellaway." (1.41)とた冶 みかけ,最終連で, Thenadieu, dear flock, adieu." (1.46),とうなだれて別 れを告げている.

ついでながら,ソング9番に続くソネット87番は,

r

不在」を扱う最初の ソネットで,詩人はステラから引き離されている( 1was forced from Ste1‑ 1a").ソング9番から時間が経過しているのは,時制が過去形になっている ことでも分かるが,結論の Thuswhi1e th'effect most bitter was to  me  [Astrophe1 ,J And nothing than the cause more sweet cou1d be, I 1 had  been vexed, if  1 vexed had not been." (11. 12‑4)にはその事情が語られてい る.先ず,ステラと別れたのは過去である. しかし,別れる苦しみを味わわ なかったとすれば,かえって苦しむごとになっただろうと言う.つまり,苦 しみに苦しんだ,と灰めかしている.そしてそのように苦しんだと告白でき るのはかなりの時間が経過しなければならない.事実を客観的に観察するた

(13)

38  シドニーの fアストロフヱルとステラ

J

めの時間である. mostbittet'であったのが'mores背広巴巴t'になるための時間 である.その上 'more'と比較級になっているのも時間が経過して初めて比 べうるものである.つまり,ソング9番と,それ以上に,ソング群とソネッ

ト87番との問には時間の隔たりが大きい事実が浮かんで来る.クライマック スであるソング8番を含めてソング群と ソネ1 ト87番とは載然と区分でき ると言える.ソング群が構造上の柱と説明しなければ,一このソネット87番と の間にある時間を説明できないのである.

ついで,'もう,~つの構造上の柱を求めよう.ソング 1 番はステラへの讃美 である.讃美を捧げる対象が他の誰でもなく"you'(ステラ)である,と特 定することで始まり,終わる.それは,初めの第1連19と最後の第9連とは 同ーの内容で,第9連は第1連の繰り返しになっている事実と,第1連及び 第9連の最終行に Onlyin you [Stella] my song begins and endeth." (イタ

リックスは筆者)となっている事実とにより確認される.そして,第2連か ら第8連まで,目,唇,足,胸,手,髪,声の順番でステラの肉体の各部の 讃美をする.統語法(讃美する方法)はほぼ同一であるが,最終行の Only

…you"の中は前置詞が'for¥ by¥ to¥'through',at¥ o,'f'with¥(肉体の各 部)と変化し,また,最後の7音節に含まれる内容が変化するだけである.

したがっで,基本的には繰り返しの統語法である.さらに,第2. 3, 4連 は同ーの統語法で,目,唇,足と視線は上から下へ動く.ところが,第5.

6連の最初の2行は第7,8連の最初の2行と対称、的である.ただし,前者 は2行でーワの疑問文を作るのに,後者ではそれぞれ独立した疑問文を作る.

そして,第5. 6連,第7,8連でも視線は上から下へ移動する.図示して みよう.

詩連 肉体各部 視線 疑問符 1  A 

2  B  目

r

r ‑

(14)

シドニーの『アストロフェルとステラj 29  3  B  ι

4  B  足

5 C  胸

6  B  手 つ

7  B  髪 ?っ

8  C  声 つつ

9  A 

ここには種々な形の繰り返しが共鳴している.視線さえもが上から下への動 きを繰り返す.

その上,この繰り返しはこのソング 1番だけに限られたものではない.例 えば 7番のソネットでステラの日が黒い理由を説明しながら讃美する.ま た 9番のソネットでは,額は'alabasterpure'製,髪は Goldis  cover‑ 'ing.. . 口 は Redporphyr'と形容する.ステラの胸は隠れんぼうする場に

なったり,ソファーになったりする (11番).また, 32番では whencehast  thou [Morpheus (夢の神)] ivory, rubies, pearl andgold / To show her  [Stella] skin, lips, teeth, and head so well?" (11. 10‑1),とベトラルカ風のイ メージで讃美する.要するに 1番から63番に至るソネットの中で繰り返し 讃美されたステラの肉体器官を,ソング1番がその讃美を繰り返したもので あるのは分明で、ある.では,ソング1番が繰り返した理由は何であろうか.

それは総括のためである.既に言及したように,第9連が第1連を繰り返し,

それがソング l番の始めと終わりとに配置されている理由もこの辺にある.

なぜ、なら,このソングで総括された上で,このような讃美は変質するからで ある.勿論, 64番のソネット以降にもステラ讃美の歌は開かれる. しかし,

讃美が罵りに変質しやすい事情は既に論じた通りである.

もう少し,ソング1番の前後のソネットを検討してみよう.アストロフェ ルはステラの美しさを愛しながらも,その操正しさに阻まれて思いを逐げら

(15)

30  シドニーの『アストロフェルとステラj れずに悶々とする.

A strife is  grown between virtue and lo've,  While each pretends that Stella must be his,  Her eyes, her lips, her all, saith love, do this.  Since they do wear his badge, must firmly prove  But virtue thus that title doth disprove: 

That Stella (0 dear name) that Stella is 

That virtuous soul, sure heir of heavenly bliss,  Not this fair outside, which our hearts doth move; 

And therefore, though her b utyand her grace  Be love's indeed, in Stella's self he may 

By no pretence claim any mannrplace  Well, love, since this demur our suit stay, 

Let virtue have that Stella's self; yet thus,  That virtue but that body grant to us. (52) 

ステラが操を守るのは結構だが,その肉体は賜わりたい,と取引きを試みる が,それは叶わない.欲情が Dothplunge my wellformedsoul even in  the mire I Of sinful thoughts, which do in ruin end . . . ." (14:6'::"8),と罪作

りなものだからと誇詳と諭されでも,欲情なくては愛し続けられない, Yet dear, let me this pardon get of you, I So long (though he from book mich to  desire) I Till without fuel you can make hot fire." (46:  12‑4),と告白して,

ステラの情に鎚りつく.しかし,告白のままで while1 [AstrophelJ spurl  My horse, he [love] spurs with sharp desire my heart; I He sits  me fast,  howevr1 do stir, • • ." (49:  10‑12)の腰着状態は続く.なぜなら,この膝 着状態こそ63番のソネットまで続く奴隷状態, I . . . am giv'n up for a  slave." (29:  13‑4)であるからである.ステラはリッチ卿と結婚したため不

(16)

シドニーの『アストロフェルとステラJ 31  幸である( Hathno misfortune, but that Rich she is." [37:14))が,政略結婚 であるがために詩人とステラとの聞に真の愛が育つと己れに言い聞かせてい ても,ステラの方はアストロフェルに反応を示していなかった.ステラが初 めてアストロフェルに反応を示すのは60番のソネットにおいてであるが,そ れは Thundereddisdains, and lightnings of disgrace' (60:4)と積極的な意 味をもたない.その上,ステラはアストロフェルのいない所で一一 Shows love and pity to my absent case." (60:8)一一好意を示しても,何の役にも立 たない,ステラがアストロフェルの愛を受け入れながら,その欲情を拒む 一一 1(Astrophel]love not, without 1 leave to love." (61:14)及び loveshe  [Stella]  did, but loved a love .not  blind."  (62:6)一ーのは全くの angel's sophistry' (61 :3)にしか聞えない.

このような膝着状態,ベトラルカ風の閉塞状態への訣別宣言が Nomore,  my dear, no more these counsels try;  / 0 give my passions leavtorun  their race.",と64番で発せられる.その激しさは連作中否定語が冒頭に登場 するのはこのソネットのみという事実の重さによって裏づけられる.アスト ロフェルは美智、とか理性とかに干渉されて被っていた仮面をかなぐり捨て,

「情熱の赴くままにさせてくれ

J

,と並々ならぬ決意を披涯する. しかし,

この決意は突如として爆発したものではない.腰着状態で欝積していたもの が爆発寸前にあったという伏線が周到に用意されている.56番のソネットを 見ょう.

Fischool of patience, fie; your lesson is  Far, far too long to  learn it  without book:  What, a whole week without one piece of look,  And think 1 should not your large precepts miss? 

0, patience; if thou wilt my good, then mke

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32  シドニーの fアスト臼ブェルとステラ』

Her come,and heatwith patie'nce mydesire,  And then wi thpatience. bid. mtearmyfire 

否定語で始まってはいないが,もう我慢がならないとの不快感が頂点じ達し ている

J

そして, 64番を暗示する否定語が12行目に登場する.この閉塞状態 からの訣別宣言こそ,ソング1番と,ソネット64番とを区分する根拠となる.

さて,

w

アストロフェルとステラ

J

の構造が見えた,すなわち,第

I

部は 1 ‑ソング1番,第

H

部が64‑ソング9番,第園部が87‑108番となる.こ うして見ると,ソングが構造上の柱として重要な役割を担っているのが分か る.そして,ダンテやベトラルカの伝統を継承しているのが十分に理解しう る. リングラーが主張するような「埋め草jでもければ,巻末で継子扱いす る代物でもない.

1 Sidney Lee (ed. ,),ElizabethanSo倒 的(NewYork: Cooper Square Publishers,  lnc;, 1964), VoL 1, p.  5. 

2 C. S. Lewis, English Literature inthe Sixteenth CenturyExcluding Drama (Oxford:  Clarendon Press, 1954), pp. 327‑8 

3 Kathetine  Duncah‑Jones  (ed.)" Sit  Philip  Sidn Selected POelnS (Oxfotd:  Clarendon Press, 1973), p.  119なお,以後,A

lrψhel and Stellaからの引用はごの 版に依る.アラビア数字はソネット,あるいは,ソングの作品番号を示す.

4 R B. Y oung, 'English Petrarke. A Study of Sidney's Astrophel and Stella, Three  Studies  in  the  Renaissance:  Sidney, J1S0J1" MiZ,加~ (N ew Hayen:  Yale  U niγP ,.r 1958), pp. 9‑88 

5 W. A Ringler (ed.), The Poems 0/ Sir  Philip Sidney (Oxford:  Clarendon P ,.r 1962), pp. xliv‑x. 

6 John Buxton, Elizabethan Taste(Londo:Macmillan, 1963), p.  283. 

7 M. Putzel (ed.), Astrophel and Stella (New York: Doubleday and Co., 1967), pp 

XX‑XXll 

8 N. L. Rudenstine, Sidn,のc;Poe白ヒDevelopment(C<imbridge, Mass :,Harvard Univ 

(18)

シドニーの fアストロフェルとステラJ 33  P ,.r1967), pp. 183‑221 

A. C. Hamilton, 'Sidney's Astrophel and Stella as  a Sonnet Sequence' EL瓦36 (1969), pp. 59‑87. 

10  L噌L.Brodwin,The Structure of Sidney's Astrophel and Stella,' M P, 67 (1967),  pp.25‑40 

11  A. D. Weiner,Structure and ζFore‑Conceit' in  Astrophel and Stella,"  TSLL, 16  (1974‑5), pp.  1‑25 

12  R. B. Young, 0)cit.,p. 39 Furthermore, all  of the songs, which in the quartos  had been placed together at  thendin  the folio are placed with dramaticffectin  the bo

ofthe sequence."イタリックは筆者.

13  W. A. Ringler (ed.), op.αp.xlv  14  lbid 

15  M. Musa (tr.),  La Vita Nuova of Dante Alighieri (Bloomington: Indiana Univ  P ,.r1962), p.  xx 

16  Ibid. 

17  R. M. Durling (tr. and ed.), Petrarch's Lyric Poems (Cambridge, Mass.: Harvard  Univ. P ,.r1976), p.  11. 

18  ].  Fuller, The Sonnet (London: Methuen, 1980), p.  40 

19  ダンカンージョーンズは第1連第1行自を Doubtyou to whom my muse' these  songs intendeth"とし,第9連第1行日を Doubtyou to  whom my muse these  notes intendeth"としている. songs'と notes'とが違っているのが自につく.

1591年版のQuarto版でも, Ringler版や, Putzel版でも, songs'は無く,どちら もnotes'となっている.勿論,ダンカンージョーンズは本文校訂をしていない.解 説も加えていない.要するに,根拠が判然としない.第1速は songs'で,第9連 が notes'なら,解釈上大きな違いが生まれる.つまり, songs'が'notes'に変化 した理由がストーリーの展開と関係しているとすれば,ソング1番がいよいよ鍵と なるのであるカえ

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