著者 菊池 望, 若林 邦彦
雑誌名 同志社大学歴史資料館館報
号 20
ページ 33‑51
発行年 2017‑06‑30
権利 同志社大学歴史資料館
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016836
田辺天神山遺跡出土銅釦の調査報告
菊池 望・若林邦彦
はじめに
田辺天神山遺跡1)は、京都府京田辺市に所在する弥生時代後期の高地性集落である。同志社大学京 田辺キャンパスの敷地内に位置するこの遺跡は、京都府立城南高校の山田良三を中心として、1966年 に宅地造成工事に伴う緊急調査2)が行われ、住居址からは、銅釦、砥石、土器、鉄製刀子などの遺物 が出土しており、1968年に『三山木弥生式遺跡』として報告されている(山田編1968)。その後、
1968年に森浩一を中心とした同志社大学考古学研究室により発掘調査3)がおこなわれた。その成果は
『田辺天神山弥生遺跡』として、1976年に報告され、1・2次調査出土遺物は本学歴史資料館に収蔵 されている。また本稿は、歴史資料館の若林邦彦の指導のもと、本学学生菊池望が執筆した。
本稿で取り上げる銅釦は、出土当時は類例が国内に見いだされることはなく、九州地方を中心に類 例が増加した現在でも、その形態的特徴が際立つ資料である。50年ほど前の報告(山田編1968、山田 1970)以来調査がなされておらず、現在の青銅器研究の見地からは十分な報告がされているとは言い 難い。そこで、保存処理の状態経過の確認も含め、資料の観察と理化学的分析を実施した。それらの 成果を報告すると共に、現在の研究の見地から国内出土の銅釦を分類したうえで、田辺天神山銅釦の 位置づけを示したい。なお、分析の費用は同志社大学歴史資料館に関連する研究費を用い、破壊分析 については若林を中心に歴史資料館で検討の上で実施を決めた。
1.銅釦とは
銅釦とは、広義には着装の機能を持つ青銅器全般を指す呼称である。左記の条件を満たすものは、
汎アジア的に様々な時代や地域において広く見られ、構造やサイズ、意匠において様々なバリエーシ ョンを有している。現在、列島における弥生時代の銅釦には二種類ある。半球状の座の内側に装着用 の鈕を有するもの(図1‑1)と、半球状の座の頂部に円孔を持つもの(図1‑2)である。前者は中
図1 弥生時代の銅釦2種 図2 銅釦の属性名称
2 1
西山田二本松 A 遺跡出土例 タカマツノダン遺跡出土例
同志社大学歴史資料館館報第20号
国考古学や韓国考古学においては銅泡とも呼ばれ、後者は一般的に鋲飾とも呼ばれる。これら二つは 銅釦という共通の名称を持つが、使用法や形態、製作技法から考えても、異なる性格を有した遺物で あることが想定されるため、本稿では、狭義の銅釦として田辺天神山遺跡出土資料を含む前者のみを 類例として取り上げる。なお、銅釦の各属性の名称に関しては、図2を参考にされたい。
2.遺跡の概要
田辺天神山遺跡
現在の京田辺市三山木天神山11番1に所在し、男山丘陵の一支脈の東端に存在する。遺跡は北西か ら南西に延びる尾根の平坦面に営まれ、南側を木津川の支流である普賢寺川が北流する。検出された
図3 田辺天神山遺跡における遺構の配置 (森編1976を一部修正)
集落域は、およそ南北60ⅿ東西45ⅿの楕円形を呈し、海抜82〜83ⅿの標高に位置する。平坦面からは、
切り会うように建て替えられた23棟の竪穴住居が検出されており、平面プランが円形から方形へと変 化していく過程が伺える(図3)。他の遺構としては、性格不明の大小の土坑が集落中央から見つか っている。これらの遺構に伴うかたちで、土器や打製石器、磨製石器、鉄器が出土している。年代を 示す遺物として、弥生時代後期〜庄内式期の土器が出土しており、集落存続に時間幅が存在すると考 えられる。銅製品は銅釦1点である。また、本遺跡において、金属器の生産が想定できる遺物は鉄片 と砥石類である4)。
1号住居址5)
1辺が約6.0ⅿの方形プランを持つ竪穴住居址である。1次調査では、住居址の南側半分が発掘調 査され、柱穴、炉跡が検出された(図4)。炉跡は、炭化物を含む焼土であり、その周囲に砥石や被 熱した土器片が出土している。遺物に関しては床面直上として、銅釦・鉄製刀子が出土しており、他 にも石器や砥石、土器類が出土している(山田編1968)。なお、調査は遺跡包含地であることの確認 と周知が目的であったため、1号住居址は北側を調査せずに埋め戻された。
2次調査では、1968年の報告において床面として認識していた個所より下に10〜15㎝ほど埋土が残 存しており、炭や遺物を含んだ黒色土層が一面に広がっていたことが分かり、火災による住居の廃棄 が想定される。また、1次調査において炉跡として検出された焼土は、掘り込みを持つ遺構ではない ため埋土の一部とであると結論付けられている。遺構は、壁面周溝、住居外へ延びる排水用の溝、炉 跡、炉跡から壁面周溝の北隅へと続く溝が検出されている(図5)。遺物に関しては、土器や砥石含 む石器類、鉄器が出土している(図6)。また、1次調査の際には検出できなかったが、1号住居址 と切り会うかたちで2号住居址が検出されている(図3・5)。西側は造成工事で失われたが、1号 住居址廃棄の後に作られた床面、柱穴、壁面周溝が見つかった。2次調査の際には残存した2号住居 址からは遺物が見つからなかったが6)、その一部は1次調査の1号住居址の出土遺物に混入している 可能性が指摘されている(森編1976)。
銅釦が床面直上出土ではないことは、1次調査の報告書に掲載された出土状況の写真(図7)にお いて、座が地面に対して垂直に近い角度で出土していること
から確認できる。これらから、銅釦の廃棄年代は、1号住居 址埋土からの出土遺物の年代と等しいと考えられる。埋土の 土器は、弥生時代後期後葉の土器を中心に一部庄内式期の土 器を含んでいるが、それらよりも新しい時代の遺物は確認で きなかった。製作年代や獲得年代は不明であるが、廃棄年代 は土器の年代と等しく後期後葉〜庄内式期であると考えられ る。
図7 田辺天神山銅釦出土状況 (山田1968を部分修正)
同志社大学歴史資料館館報第20号
図4 1次調査において検出された1号住居址及び銅釦旧実測図 (山田編1968を部分修正 S=1/100)
図5 2次調査において検出された1号住居址 (森編1976を部分修正 S=1/100)
3
ⅿ0
3
ⅿ0
図6 1号住居址出土の石器・土器・鉄器 1号住居址出土土器(森編1976S=1/4)
1号住居址出土鉄器(菊池実測)
同志社大学歴史資料館館報第20号
3.理化学的分析の結果
蛍光X線分析
銅釦の成分組成を明らかにするため、No.1と No.2の二か所に対し、蛍光X線分析を実施した。
なお、分析に関しては株式会社吉田生物研究所に依頼し、島津製作所製のエネルギー分散型蛍光X線 分析装置 EDX-800を用いた。測定条件は以下のとおりである。
測定範囲:Na-U、X線管球:Rh(ロジウム)、管電圧:50kV、管電流:Auto(約10μA)、計測 時間:1ポイント100秒、測定雰囲気:大気中、X線照射径:約φ6㎜、試料との距離:10㎜。
精度を高めるため、分析は座の頂部(No.1)と鍔(No.2)の二か所に対して行い(図8)、さら に一か所につき2度測定した。表中のハイフン以下に示した数字はそれぞれ1回目、2回目の結果で あることを表している。図9には分析結果のスペクトルを示す。また表に分析結果を wt %に換算し た数値を示した(表1)が、定量的に算出したものではないため、あくまで参考に過ぎないものであ る。
成分の主体は Cu、Sn、Pb からなる三元青銅である。微量元素である As、Ag、Sb は、銅の精錬 過程で精錬しきれず残留したものと考えられる。Feは土壌由来か始原鉱石由来かは不明である。Si、
Ca、Scは継起X線である β線が検出されていないため存在しないほど微量であると考えられる。
No.1と No.2の成分比は(表1)参考値だが、Cu と Sn と Pb の比率が大きく異なる結果となった。
Cu より Sn の含有量比率が高いといった分析結果は、一般的な弥生時代の青銅器の成分組成とは 大きく異なっている。蛍光X線分析は非破壊で試料の表面を対象とした分析であり、錆や土中環境の 影響を受けている可能性がある。
図8 蛍光X線分析測定箇所
表1 田辺天神山銅釦の成分分析結果
図9 田辺天神山銅釦の蛍光X線分析結果のスペクトル
同志社大学歴史資料館館報第20号
ICP 発光体分析
蛍光X線分析による表面の成分組成との比較を目的として、地金から採取した試料による金属組成 の定量分析である ICP 発光体分析を実施した。分析は株式会社日鉄住金テクノロジーに依頼し、
ICP 法及び ICP-MS 法を採用した。ICP はサーモフィッシャーサイエンティフィック製 iCAP6300、
ICP-MS はアジレント・テクノロジー製7700xを用いて行われた。試料採取に関しては、同志社大学 歴史資料館同意のもと、精度を維持すべく錆部分や復元部分が混入しないように留意したうえで、破 面付近の2ヵ所をドリルにより採取した7)(図10)。なお、この際に採取した試料の一部を対象に、
鉛同位体比分析も行った。結果は次節にて示す。試料の処理から測定までの過程は下記のとおりであ る。試料約25㎎を硝酸、塩酸で分解後、濾過し、50mL に希釈定容したものを酸可容分(sol液)の 測定資料とする。定量方法は SPEX 製標準溶液を用いて検量線を作成することにより定量値を算出 する。
定量分析の結果は表2に示す。本来であれば、酸可溶分中の元素の合計質量は90%を超える数値が 一般的であるが、今回の分析では84%にとどまる結果となってしまった。この原因として考えられる 可能性は、試料量が少なかったこと、サンプル採取の際に酸化した個所や出土後に施された表面の保 存処理及び、復元部分が混入してしまったことである。
各元素の wt %は、Cu が63.29%、Sn が9.31%、Pb が7.49%であり、銅釦の表面の蛍光X線分析 とは大きく異なる結果が出た。また、先述の元素よりは微量だが、Sb や Ag が検出されている。
84%を全体量としたとき、あくまで参考値ではあるが、Cu が約75%、Sn が約11%、Pb が約9%
であり、それらに As、Si、Ca が各1%前後となる。Siは復元個所の成分に由来する可能性も存在 する。
Cu に生じる錆は、多くは緑青と呼ばれる安定した錆(CuCo 3・Cu(OH)2)であるが、一部白 緑色の進行性の錆(CuCl)が存在し、錆の進行過程で膨張・亀裂といった所謂ブロンズ病を生じさ せる。田辺天神山銅釦もブロンズ病の腐食作用を受けたと考えられ、表面は均一に Cu が腐食された 結果、Cu の割合が少なく、残留した Sn、Pb が相対的に高い割合となることが考えられる。また、
器厚が薄い鍔などの箇所に関しては、腐食が進行した結果として後述のクラックが生じ、厚みのある 頂部よりもさらに Cu の割合が低い分析結果が得られたと解釈できよう。
表2 ICP 発光体分析の結果
元素名 Cu Sn Pb As Bi Ni Zn Fe Mn Ag Sb wt % 63.29 9.31 7.49 0.993 0.145 0.11 0.004 0.066 <0.001 0.243 0.599
Co Au Cr Mg Si Ca Al B W Ba Sr 合計 0.047 0.016 <0.001 0.005 0.803 0.897 0.050 <0.001 <0.001 0.002 0.002 84.07
鉛同位体分析
先述のサンプルを用い、鉛同位体分析を実施した。分析は株式会社日鉄住金テクノロジーに依頼し、
Finnigan 製 MAT262を用いた。試料の処理から測定までの過程は下記のとおりである。試料に硝酸 を加えて溶解したのち、直流2Vで電気分解を行う。鉛は陽極の白金電極板上に二酸化鉛として析出 するため、硝酸、過酸化水素水で溶解させ、鉛同位体測定用の溶液とする。約200ng の鉛を含む溶液 を分取し、リン酸とシリカゲルを加えてレニウムフィラメント上に塗布し、質量分析装置内に導入す る。加熱温度は1200℃、昇温時間は20分である。標準鉛である NBS-SRM-981を用いて規格化を行 う。測定結果を図11に示す。
鉛同位体分析とは、鉛の各安定同位体の比率は鉛の産出地の鉱山によって異なるという特性を利用 して、文化財の原材料に含まれる鉛の原産地を推定することを目的とした分析である。国内外の青銅 器の多くのサンプルの分析が行われ、それらのデータの蓄積から、A領域(前漢鏡)、B領域(後 漢・三国鏡)、C領域(日本産鉛)、D領域(朝鮮半島系遺物)の4領域のグループ分けが有効である ことが明らかになっている8)。また、比較する同位体比の異なるA式図とB式図が存在する。B式図 は自然界に存在する安定同位体のうち、存在する量が最も少ない204Pb を用いるため、測定誤差が大 きくなるといった特徴がある。
田辺天神山遺跡出土の銅釦に含まれる鉛の同位体比は、A式図とB式図のいずれにおいてもA領域、
すなわち前漢鏡と同じ領域を示している。また、A式図とB式図の鉛同位体比が示す領域が一致した ため、測定結果の精度は高いものであるといえる。
図10 サンプル採取箇所とその経過
同志社大学歴史資料館館報第20号
図11 田辺天神山銅釦の鉛同位体比
4.形態復元と観察所見
X線透過写真
1次調査において実測図は公開されているが(山田編1968)、欠損部分の復元が行われた経緯やそ の方法、オリジナルの残存範囲、破片の個数などが示されていないため、完形品であるといった誤っ た認識が流布している。それらの問題を解決するため、株式会社吉田生物研究所に依頼し、X線透過 写真の撮影を行った(図12)。機器には、ソフテックス株式会社製 SOFTEX M-150W-S を使用した。
写真中において白色に見えているのが、オリジナルの地金である。オリジナルが残存しているのは、
鈕・座の上半部分・鍔の一部であることが分かった。座の上半や鈕の形態は比較的製作時の状態を留 めていると評価できるが、座の下半や鍔に関しては細片化してしまっており、損傷が激しい。また、
出土時の破片数の把握は困難である。割れにも、出土時にすでに起こっていたであろう割れと、出土 後に先述のブロンズ病により進行したと考えられるクラックの二種類がある可能性がある。それらは、
各破片の間隔が大きい前者と小さい後者として判別できる(図12‑3)。出土時の写真には、鈕がつく 座の上半のすぐそばに座の下半と思われる破片が確認できるが(図7白色矢印部)、この個所に該当 すると考えられる個所も細片化しており、これは後者の割れに該当するであろう。また、肉眼観察で は確認できなかったが、微細な鬆(細かい気泡)が全体に渡って存在することも判明した(図12‑2・4)。
山田良三による本資料の報告には、鍔の裏面に凹線が存在したと記されているが(山田編1968)、
現状の器面への肉眼観察からは確認できなかった(写真2)。鍔の表面は平坦であるため、X線透過 写真であれば、濃淡として凹線の痕跡が現れることを期待したが、こちらでも確認できなかった。し かし、割れのうち、一般的なアトランダムな割れと異なり、鍔端部から少し鈕側を同心円状に走る連 続したクラック(図12‑3)は、凹線と関係がある可能性もあるが、推測の域を出ない。
図12 田辺天神山銅釦のX線透過写真
同志社大学歴史資料館館報第20号
観察の所見
以上、X線透過写真から得られた所見を参考に、田辺天神山遺跡出土の銅釦の観察所見を示す(図 13、写真1・2)。半球状の座に対し、幅の狭い鍔がつく点では、国内出土の銅釦と共通の特徴を持 つといえる。座下半部は先述のクラックにより製作時の状態が不明なため、座高の復元には不安が残 る。同様に、座の断面形態に関して、過去の復元(図2)のようにS字状の緩やかなカーブにより鍔 へとつながり、座と鍔の間に明瞭な稜線を持たないものか、類例のように座と鍔の間に明瞭な稜線を 持って屈曲するかは、現状の器面観察やX線透過写真からは判断しがたい。しかし、出土時の写真か ら現状より取り上げ時の方が残存状況の良かったことを想定すると、前者の形態を想定するのが妥当 である。
また、他の類例と異なる特徴は、鍔の断面形態である9)。鍔にも先述のクラックが及んでいるが、
残りの良い個所を観察すると、やはり旧実測図同様に、座から鍔への変化点から徐々に鍔が薄くなる という特徴を持つ。また、鍔の端部は丸みを帯びており、平坦な面を持たない。布施ヶ里銅釦や下扇 原銅釦など、九州において出土する銅釦は端部を明瞭に面取りするものがあり、本資料と異なってい るといえよう。これらの形態的差異の要因が鋳型に彫りこまれた鍔の形態に起因するか、仕上げとし ての研磨段階で発生するかは、類例の実見観察に及んでいないため現段階では不明である。
鈕断面は、座の付近では幅の広い楕円形だが、鈕頂付近ではその横幅が狭くなる。直線的かつV字 状に延びる鈕は、図13における右側が長く、左側は短い。座と鈕の接点が作り出す角度も左右で異な り、鈕の頂部も座の中央からずれている。鈕や座の内面には未研磨の鋳肌が残存し、鋳バリやその痕 跡が見受けられないことから、分割した中型10)に鈕を彫りこむ方法ではなく、中型に左右から直接V
図13 田辺天神山銅釦実測図(S=1/1)
字状に穿孔することで鈕を鋳出したと考えられる11)。研磨状況について観察可能であるのは、座の内 外面、鈕、鍔の一部である。座の外面は研磨が著しく、鋳肌はほとんど残存していない。また、オリ ジナル部分の研磨方向や単位は確認できない12)。座の内面は付着土や表面に結晶化した保存処理剤の 樹脂により見づらい個所が多いが、鈕により手の届かない個所以外は研磨が行われ、平滑になってい る。また、製作時の痕跡、使用痕、出土時後に生じた傷のいずれかは判断しかねるが、ひっかき傷状 の線状痕跡(写真2)が多数みられた。鈕の頂部付近や表面は研磨が行われているが、座同様に手の 届きづらい鈕の内側には鋳肌が残存している。また、紐ずれ等の着装の痕跡は見られなかった。座の 器厚は、図13における地金残存個所の下端から上端に向かって0.5㎜ほど薄くなっていく。これは鋳 込みの際に内型がずれたことに起因する。同様の現象は、巴形銅器においても検証されており、田尻 義了は、座の器厚、鈕の位置、湯口の切断痕などは湯道と連動して現れることを明らかにした(田尻 2012)。田辺天神山銅釦において、湯口推定の手掛かりは鈕の内側の痕跡である。図13における鈕の 上側は、孔に向かって円錐状に窪むが、反対側の側面は、他の個所と同様に断面楕円形に鋳出されて いる。これは鋳込みの際の鋳崩れに起因し(写真3.4)、湯口の反対側が鋳上りが良く、湯口側は鋳 上りが悪くなる現象は、鏡の製作痕跡としては一般的なものである。上記の理由から鈕に直行する位 置に湯口が設定されたと推測できる(図14)。
写真1 田辺天神山銅釦 表面 写真2 田辺天神山銅釦 裏面
写真3 鈕孔(湯口の反対側) 写真4 鈕孔(湯口側)
同志社大学歴史資料館館報第20号
5.弥生時代の列島出土銅釦の分類と田辺天神山銅釦の位置付け
今回の観察で、田辺天神山銅釦の鈕は、他の類例とは大きく異なることが分かった。九州出土の銅 釦は、座の内面側の鋳型の頂部を彫りくぼめ、そこに中子を渡すことで鈕孔を鋳出す鈕を持ち、これ らは、北九州産の巴形銅器や小型 製鏡の鈕孔の製作技術と共通している13)。一方で、田辺天神山銅 釦は、中型に直接 V 字に穿孔することで鈕孔を鋳出している。このことから、九州出土の銅釦と田 辺天神山銅釦は直接的な技術系譜関係が見られないと考えられる。
田辺天神山銅釦含め、列島出土の銅釦の製作背景を、列島外で作られた舶載品と考えるか、列島内 で生産されたものとするかは諸説有る。安藤広道は、巴形銅器と座の形態が一致していることや朝鮮 半島南部出土の銅釦には鍔を有したものがないことから、銅釦の多くは日本列島内で製作されたとす る(安藤2003)。また、山田良三も楽浪文化の影響の末端であると位置づけている14)(山田1970)。一 方で、寺澤薫は、当時銅釦の鋳型の出土例がなかったこと、そして、大陸の銅釦には多様なサイズが ある中で、国内出土の銅釦の全径が5㎝台にそろっていることを評価し、宝器的儀器として需要側の 意志が反映された結果もたらされた舶載製品であると位置付けている15)(寺沢2014)。
今回の検討において、鈕孔の製作技術から、九州産の銅釦と田辺天神山銅釦は同一の技術系譜上に あるものでないことが明らかになったため、田辺天神山銅釦の位置付けを明らかにするにあたり、製 作背景も個別に検討していく必要がある。その為、弥生時代の列島出土の銅釦の製作背景を想定可能 な以下4つのパターンとして仮定したうえで、それらが実際の遺物の分類とどのような関係性を持つ かを確かめたい。
パターン1:大陸で製作されたもの
パターン2:大陸における鈕孔製作技術の影響を受け、小型彷製鏡や巴形銅器と同じ製作背景で、
北九州において製作されたもの
パターン3:北九州における鈕孔製作技術から派生した技術系統により製作されたもの パターン4:パターン2・3以外の技術系譜により列島において製作されたもの
これら4パターンを想定したうえで、列島出土の弥生時代の銅釦を、鈕を含めた複数の属性から分 類を試みる。属性とその分類は以下の通りである(図15・表3)。
図14 湯口の推定(縮尺任意)
図15 銅釦の分類とその属性(田尻2015をもとに作成) 表3 国内出土の銅釦・銅釦鋳型(田尻2015をもとに作成)
同志社大学歴史資料館館報第20号
①鈕孔製作技術
Ⅰ:中型を半球形に彫りくぼめ、円柱状の中子を渡し鋳出す鈕
Ⅱ:中型を紡錘形に彫りくぼめ、円柱状の中子を渡し鋳出す鈕
Ⅲ:中型を長楕円形に彫りくぼめ、円柱状の中子を渡し鋳出す鈕
Ⅳ:中型に2方向から穿孔を行い、鋳出すV字状の鈕
②鍔端部の断面形態
ⅰ:座の下面に向かい傾斜する面取りがあるもの
ⅱ:先端が丸くなっているもの
ⅲ:先端は丸く、下面は水平で、鍔は徐々に細くなるもの
ⅳ:その他
③鉛同位体比16) A:A 領域 D:D 領域
④座径╱直径(%)
①は他の属性に比べ模倣が容易でなく最も工人差の現れる属性であると考えられるため、①に従い 銅釦をⅠ〜Ⅳ類に分類した。表3から、④は、60%前後、68%前後、76%、80%前後におよそ分ける ことが出来き、③を除く、それぞれの属性が銅釦の分類と対応関係を持つことが分かる。
Ⅰ類は、①Ⅰ類、②ⅰ類、④80%前後の数値をもち、布施ヶ里銅釦の三点が当てはまる。これらは、
南健太郎により銅釦Ⅱ類に分類された資料で、北九州において成立した鈕孔製作技術によるものであ る13)。これらの製作背景は、パターン2に該当すると考えられる。銅釦Ⅱ類は①Ⅱ類、②ⅱ類、④70
%前後の数値を持ち、西山田二本松 A 銅釦・神水銅釦・小野崎銅釦が当てはまる。これらは、鈕孔 製作技法から、パターン2の持つ技術系譜と近縁ないし先行・後続すると考えられ、製作背景はパタ ーン1・3のいずれかである。なお、鉛同位体比がD領域を示した小野崎銅釦のみをパターン1とし て想定することや、D領域の鉛を持つ製品がA領域の鉛を持つ製品に先行して列島に出現することか ら、Ⅰ類に先行する分類と位置付けも可能である。しかし、あくまで、属性①②④の全てにおいて西 山田二本松A・神水銅釦と共通性を持つことから、Ⅱ類に含む。Ⅲ類は、①Ⅲ類、②ⅱ・ⅳ類であり、
鍔を有さない截頭形の原の辻銅釦と、つばの幅が広くピューター製の下扇原銅釦が当てはまる。鈕が 細長くなっていること以外の共通性はなく、型式的なまとまりを有しているとはいいがたいが、鈕形 態がⅠ・Ⅱ類から変化し、鍔や座の形状における規格性が弛緩した、Ⅰ・Ⅱ類から後継する分類と位 置づけられよう。また、今後の検討次第では、該当する2例はそれぞれが別の分類にもなりうる。製 作背景はパターン3に該当する。Ⅳ類は、①Ⅳ類、②ⅲ類、④76%の数値を有し、田辺天神山銅釦の みがあてはまる。鍔の断面形態においても、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ類と異なる要素を持つ。製作背景はパターン 4が該当する。
なお、属性②に関しては鋳型構造との関連性が想定できる。巴形銅器の製作技法に関する研究にお いて、脚の断面形態の観察から、脚をどちらの鋳型に彫り込むかにより、鋳型の材質や新旧関係、技
術系譜を抽出しようとする研究がある(赤 塚2004・田尻2012)。これらの方法は、銅 釦における鍔の断面形態にも応用できると 考えられる。田尻による巴形銅器の脚断面 形態による彫り込み技法(図16)の分類に お け る、① A・②・③は、それ ぞ れ 本 稿 のⅰ類・ⅱ類・ⅲ類と対応する。これらよ り、Ⅰ類の銅釦は鋳型構造を北部九州産の
巴形銅器と、Ⅱ類・Ⅳ類の銅釦は非北九州産巴形銅 器と、鈕や鍔における鋳型構造を共有している可能 性がある。しかし、銅釦の鍔の断面形態は、鋳型構 造に起因するものか、脱型後の研磨によるものかの 検討が必要であるため、これらは仮説の域を出ない ものである。
各銅釦の分類の時間的前後関係は現段階では不明 な部分が多い。これらの遺物は、出土遺構から製作
年代を検討することは困難であり、実際に各分類のもつ廃棄の時期は、およそ中期末から後期後葉と 幅を持ち、分類に対応した明確な前後関係は示さない。なお、国内における銅釦製作を示す資料とし て、藤木遺跡の銅釦鋳型(図17)が存在するが、帰属年代は後期であり、パターン2・3の製作背景 が後期の段階に存在したことを示している。また、藤木遺跡出土の銅釦鋳型は彫り込み技法②または
③と類似した構造を持つと考えられるが、石製鋳型である17)。田尻自身も彫り込み技法と鋳型材の相 関性は仮説の段階であるとしている。銅釦の鋳型構造は変遷の過程において、巴形銅器の製作技法の 系譜から派生し、異なる変遷を辿ったとも考えられる。
田辺天神山銅釦の位置づけを含め、今回の銅釦の検討についての結論は以下三点である。
①列島出土の銅釦は4つに分類することが可能で、Ⅲ類以外は、巴形銅器と製作技術における共通点 が多い。
②田辺天神山銅釦は、鈕は九州出土の銅釦や瘤・橋状鈕の巴形銅器とは異なる技術で製作されており、
鍔は非北部九州産の巴形銅器と共通の技術により製作された可能性がある。
③想定したパターンと分類と相関から、列島出土の多くの銅釦は舶載品である可能性は低い。
おわりに
田辺天神山銅釦の理化学的分析の結果と観察結果から、その位置づけを示した。今回行った銅釦の 分類は、現段階ではそれ単体で有意義なものではなく、共通の属性から巴形銅器や小型彷製鏡、大陸 出土の銅釦や鏡類の分類・編年とのすり合わせを行うことで、初めて意味を持つものである。また、
検討属性に加えられなかった研磨状況・湯口の方向・中子設置施設におけるくぼみの存否などの属性 図17 藤木遺跡出土銅釦鋳型及び復元品
(田尻2015を一部編集、S=1/4)
復元
品 上端面右側面
表面 裏面
図16 脚の断面形と鋳型への掘り込み相関図
(田尻2012を部分修正)
同志社大学歴史資料館館報第20号
において今後も検討する必要がある。とりわけ、巴形銅器の座の球体化に関しては、銅釦の影響が指 摘されていながらも、大陸の銅釦含め、巴形銅器と銅釦を同時に比較検討した論考はごく僅かである。
この件に関しては、今後の検討課題としたい。小型青銅器類に関しては十分な観察や理化学的分析が 行われている例が少なく、銅釦もその例外ではない。本稿における報告が今後の小型青銅器研究の一 助になれば幸いである。
謝辞
本稿を成すにあたって、以下の個人及び機関に資料の収集、実見、分析、検討に際して多大なる助力を賜 った。記して感謝したい。
上峯篤史, 朝井琢也, 繰納民之, 手島美香, 田尻義了, 利光恭子, 浜中邦弘, 藤井咲子, 藤田秀臣, 藤原怜 史, 松田恭司, 松藤和人, 渡邊緩子, 株式会社日鉄住金テクノロジー, 株式会社吉田生物研究所, 同志社大 学歴史資料館, (五十音順, 敬称略)
註
1) 後述のとおり、本遺跡は二度にわたり調査・報告が行われ、それぞれ「三山木弥生式遺跡」と「田辺 天神山遺跡」という異なる名称で報告されているが、本稿では「田辺天神山遺跡」の名称を用いる。
2) 以下、1次調査と呼ぶ。
3) 以下、2次調査と呼ぶ。なお、この調査の報告書(森編1976)でも、1968年内において三つの時期に おいて実施された調査をそれぞれ第1〜3次調査と呼んでいる。報告書は、第1〜3次調査までを総括し た報告がなされている。1966年度の調査との区別を明確にするため、本稿においては1968年度調査を2次 調査としてまとめることとする。
4) 本遺跡出土資料のうち、鉄器生産に関わると考えられる未報告資料も存在する。2号住居址からは少 量ながら鍛造剥片の可能性がある鉄片が出土している。また、石斧や石庖丁、叩石といった製品であるこ とを想定できず、一面以上に顕著な摩滅を持つため、砥石として認定すべき石製品の未報告資料が存在す る。なお、田辺天神山遺跡においては磨製石器も存在することから、これら砥石がすべて金属器製作に使 用されたとは言えないが、製品としての一定量の鉄器、炉跡とは異なる住居址内の被熱遺構の報告、鍛造 剥片の存在から、鉄器生産が行われていた可能性がある。また、青銅器の鋳造に関しては、銅滓や鋳型な ど直接的な鋳造関連資料が存在しないため、行われていた可能性は低い。
田辺天神山遺跡における金属器生産に関しては、稿を改め検討を加えたいと思う。
5) 1次調査の報告では「竪穴式住居址」、2次調査の報告においては「1号住居址」として報告されてお り、特に断りがない限りは後者の名称で呼ぶこととする。同様に、他の住居址の呼称においても、2次調 査(森編1976)の報告において用いられた呼称に準拠する。
6) 細片化しているが、2号住居址出土の注記がなされた土器片も少量ながら存在し、鍛造剥片や磨製石 器の存在も確認できた。
7) サンプル採取によって生じた孔は保存処理を施したのち、復元修復を行い埋める予定である。
8) 鉛同位体分析の測定結果が示す数値やそれらの数的処理によって設定されたA〜Dの各領域は、遺物 の示す測定結果であり、遺物の出土地・製作地=鉛の産出地とはならないことには留意が必要である。鉛 同位体分析値の理解や論争に関しては、井上洋一により簡潔にまとめられているので参考にされたい(井 上他2002)。
9) 鍔の断面形態が、類例に比べて特異であることは田尻義了氏にご教示いただいた。
10) 中型 は、座の内面と鈕を鋳出す半球状の鋳型の一部を想定した用語であるが、それが、下面の鋳型 と別個に製作された後に固定されたものか、下型と一体に製作されたものかは、田辺天神山銅釦の観察か らは不明であった。
11) 藤原怜史氏のご教示による。
12) 座に対する鍔に沿った水平方向の研磨痕が存在するとの指摘もあるが(友廣・渡邊2011)、復元個所の 製作痕跡を研磨痕として誤認してしまった可能性がある。
13) 南健太郎は、小型 製鏡の鈕及び鈕孔の製作技術と関連させて銅釦を分類している。鈕孔の製作技法 には、器種を超えてAとBの2種類に分類可能であり、これらの鋳型構造の差異は、中子設置用のくぼみ が痕跡として認められる鈕孔製作技法A類と、認められない鈕孔製作技法B類として、製品に反映される とした。これにより、朝鮮半島の技術系譜であるA類に含まれる銅釦Ⅰ類と、北九州の技術系譜であるB 類に含まれる銅釦Ⅱ類を抽出した(南2005)。なお、南の銅釦Ⅰ類には、多松里遺跡出土銅釦が挙げられ ており、本稿におけるパターン1に当てはまる。
14) 山田の論考は、大陸における鈕を有する半球形の小型青銅器から、類例や田辺天神山銅釦の祖形や、
列島内での扱われ方を考察しており、直接的に国産か搬入品かの判断を行ったものではない。
15) この見解は、佐賀県藤木遺跡において、復元される製品の直径が8㎝の石製の銅釦鋳型が発見される 以前の見解であることには留意が必要である(寺沢2014)。
16) 田辺天神山銅釦以外の鉛同位体比に関しては、友廣美和と渡辺智恵美の報告に依拠した(友廣・渡辺 2010)。
17) 鋳型自体は石英斑岩製であり、銅鏃や銅釧の鋳型と共伴する。田尻は、鍔と座の境に段を有すること、
鍔の先端部分に縁が生じること、出土する銅釦の類例よりも大型であることなどから、特異な例として位 置付けており(田尻2015)、今回の分類のいずれかに該当する可能性は低い。しかし、今後この鋳型によ る製品やその類例が発見された場合、下型の構造は不明だが、鍔を上型に掘り込むことや復原から推定さ れる属性④の数値が70%前後であることから、Ⅱ類に近縁性を有していると言えよう。
参考文献>
赤塚次郎 2004 「弥生時代後期巴形銅器の研究」『地域と古文化』 地域と古文化刊行会 安藤弘道 2003 「弥生古墳時代の各種青銅器」『考古資料大観』6 青銅・ガラス製品 小学館
井上洋一他 2002 「東京国立博物館の弥生時代青銅器の鉛同位体比」『MUSEUM』577号 美術出版社 田尻義了 2012 「巴形銅器から捉える弥生時代青銅器の生産体制」『弥生時代の青銅器生産体制』九州大学
出版会
田尻義了 2015 「藤木遺跡出土鋳型について」『藤木遺跡』鳥栖市文化財調査報告書第84集 鳥栖市教育委員 会
寺澤 薫 2014 「交易システムと鉄器普及論批判」『弥生時代の年代と交流』吉川弘文館
友廣美和・渡辺智恵美 2010 「佐賀県小城市布施ヶ里遺跡出土銅釦の修復報告」『文化財科学会第27回大会 研究発表要旨集』 日本文化財科学会
友廣美和・渡辺智恵美 2011 「日本出土の銅釦集成と自然科学的調査」『文化財科学会第28回大会研究発表 要旨集』日本文化財科学会
南健太郎 2005 「弥生時代小形 製鏡の鈕および鈕孔の製作技法」『鏡 研究Ⅲ』二上古代鋳金研究会 森浩一編 1976 『田辺天神山弥生遺跡』同志社大学文学部文化学科考古学研究室
山田良三編 1968 『三山木弥生式遺跡』田辺町文化財保護委員会
山田良三 1970 「三山木出土の異形青銅器」『日本古文化論 』吉川弘文館
同志社大学歴史資料館館報第20号