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社会連帯再論 : 生存権理論の再構成

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(1)

社会連帯再論 : 生存権理論の再構成

著者 高藤 昭

出版者 法政大学社会学部学会

雑誌名 社会志林

巻 56

号 2

ページ 1‑18

発行年 2009‑09

URL http://doi.org/10.15002/00021068

(2)

社会連帯両論

いままで生存権のみを基礎原理として構成してきたわが国の社会保障法学界に、より基底的な原理として社会連帯原理を掘え、これを生存権と

並ぶ社会保障法の二つの構造原理として私が提示したのは一九八六年出版の荒木誠之先生還暦祝賀論文集『現代の生存権l法理と制度』(法律文(1)化社)においてであった。これを発表した時占州ではまったく孤立無援の状況であった。そしてこれには下記にような多一数の力のご批判をいただい(2)たが、反対に意外に多くの賛同者も得た。〈丁日では大抵の社会保障法の概説書には「社会連滞」の論評や解説が掲載されているようである。(柵)そしてその後、その賛同者、とくに私にとっての若手の研究者による社会迦怖についての研究が当心速に進められている。このことに意を強くす

るとともに、教示されるところが多く、目から鱗の落ちる思いをしている。そして、私の当初の見解がすでに古くなっていることに驚いている。

そこでこの際、私児への批判に対してお答えするとともに、私見をもう一度Ⅳ老する必要を感じた。これが小論執筆の助機である。以下、まず

私見に対する反対説に対して反論し、そののち現われた新しい研究を紹介して、私児を見、すこととする。

なお、私見において「社会迎榊」とは、.生活災川内における相対的強者が相対的弱背を援助する関係」である。その援助関係の類型として

は、例えば、⑥健康者が傷病者ないし病弱者の、⑪高所得者が低所得者の、⑥大企業(労働者)が中小企業(労働者)の、仙若壮年者が高齢者の、

⑥障害をもたない人が障害もつ人の、㈹使用者が労働者の援助関係のごとくである。この援助関係は、使用者と賃労働者、生涯にわたり障害をも

たない人と幼いときからの障害もつ人のように固定的であることがあり、ギブ,アンド・テイク的なイメージー功利的打算人たる市民社会の膿

社会連帯再論

はじめに

l生存権理論の再構成I

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68(1)

(3)

(4)理のイメージーの「相互扶助」関係ではないことに注意を要する.

第一章私見の社会迦帯剛論をめぐる諸説 (1)一般向けとして、私としては『社会保障法の紙水原川と櫛造』(法政大学出版局、一九九四年、)第二滝(二二頁以下)、『社会保障法制概論』(龍型

出版、第二版、二○○一年、五○頁、六○頁、六六頁以下)。社会述補の法叫論的解明としては、「社会迎緋の法叫と編祉囚家」(社会労働研究(現

社会志林)法政大学社会学部学会、四○巻一・二合併号、一九九三年、三四頁以下)で論じた。(2)菊池馨実『社会保障の法理念』(有斐閣、二○○○年、’三七頁以下。ただし私見への批判的な面も含む)、鮒勝洋『社会保障法総論』(第二版、東

大出版会、一九九六年、九九頁以下)、加藤智章、菊池馨実、倉田聡、前田雅子『社会保障法』(有斐閣、初版、二○○一年、五一頁以下)、江口隆裕『社会保障法の雑木原理を考える』(有斐閣、一九九六年、二○五頁以下。ただし後述のような私見への批判的紹介)、植村尚史「社会保障を問

い面す」(中央法規川版、二○○三年、一三画以下)、西村健一郎『社会係除法』(打斐閣、二○○三年)一一一一頁など。

なお、社会保障法学会の元代表哩耶、荒木誠之以外は私からみて聯手研究洲(河野正抑、西村他一郎、良氷弥太郎、淵付正彦、菊池蝉災の五氏

参加)の座談会「特集・社会保障法学の軌跡と展望」(有斐閣、民商法雑誌、一二七巻、四・五合併号、二○○三年、五W九頁以下。以下「荒木座

談会」という。)では、後述のように、荒木は社会連帯論に消極的反対であるが、良永は現在のその概念の不明確さからインパクトを感じないといい、岩村はノーコメントであったが、菊池は肯定的ト1ンであるし、西村は社会保障中、国家責征以外でおこなう部分についての基礎づけとして

必要であるとし、河野もほぼ同様であった。後の二人は私見支持である。

(3)池本錐和子「岡本における祉会述州総l道徳的脱範を越えられるかl」(仏教大学杜会学部諭災、三ヒザ(以下[池本論文〕と呼ぶ).台雌「社会述柵臓珈に慨する一湫察l倒鵬説に対寸る批削脂嫡を手がかりとしてl」(法政皿諭新潟大学法学会、一一○○七年一八四画以下、u

r[台論文]と呼ぶ)、新川秀樹「自立支援のための「礼会連帯」」(菊池馨爽紬箸『川流支援と社会保障』l主体伽を鰍璽する編仙淡療、所得保障を求めてI(Ⅱ本加除出腿平成二○年、第四章、以下[新川論文]と呼ぶ)など.(4)堀前掲書一○○頁。

第一節社会連帯理論に対する否定ないし批判説

(2)67

(4)

社会連粥iii論

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欠く。 (1)川初井説①社会迎冊を社ムバ保障法を恢導する法理念、法原肌として定慨するには、社会保障法がそれを於盤としてはじめて成り立つことの実証が必要であるが、社会保障制度中それにあたる制度としては、述柵的拠出金を雅金とする自主的共済組合組織を脚の制度化した社会保険制度のみで、それ以外の社会保障制度馴型l公賀による公的扶助、社会扶助的制度等lはこれを前提としなくても成り立ち、法原理的於盤を

66(3)

(5)

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いるのであり、この上で国家責任が改めて問われている。 本論文は、私凡を引川しつつ人間の社会的存在性から、岬①社会述柵論は蝋に道徳的にとどまらず、社会椎の詞ける共同のあり方を規疋する施凹な概念として検討される。 l池本論文 第二節私見をめぐる社会連帯論の肯定ないし臓極論

個人の椛利、自川が根底で社会述併に支えられたものであることが強調される。

一環として、あるいは法規範として社会桶祉椛を位悩づける展釧のもとで、現代社会にお

(4)65

(6)

社会迎イルili論

社会保険制度は桶祉国家のもとで確立した生存椛原川によって修正され、①国家責任に触づく生活保障システムとして阿榊成され、②生存樅保

障という目標が付与され、③連帯規模が国民国家の規模に拡大される。

社会連帯は偏祉国家の埜礎理念を提供し、そのもとでの公的扶助その他の各種施策の財源たる累進課税もその作川の一で、編祉国家の政府を通

して社会保障制度全般にわたる「法原肌的雅盤」を布するにいたっている(右記批判・桁摘2への反論)。なお、社会保陳制度群議会が社会述柵

を負担との関係で論じている点も、社会述帯原理の作用は対拠出者、対受給者の双方向のもので、拠出者が常に負担の見直しを求められるものでを負担との関係で論じている点も、

はない(批判・指摘3への反論)。 ③社会迎粥原理が具体的な形をとって現れるのはその黄川負担のあり力の場面である(批判・指摘3)。社会連帯は病人、障害者、高齢者を内包する共同体の内在的論理としての普遍性をもち、その法解釈や法原理としていかに現れるかは各時代の社会哲学によって規定される。現代においては福祉国家の成立によって強く規定され、その特色的な現象はそこで成立した生存権原理の連帯シス

社会述粥原叫は、雅本的な法制度設計レベルでの被川淵年金制度の廃止論、具体的な法制度設計レベルでの給付抑制の主張に対し具体的な対抗

理論を提供するもので、その「法班止の効川」は小さくない。

本論文は、命題lとして社会迎柵を社会保障の規範的根拠としてとらえること、同2として社会保障の(主)目的が個人の自立支援であること

の二点を一応承認した上で、個人の日立支援に役立つ社会保障制度の規範的根拠としての社会連帯の内容、効力が検討されたものである。 テムヘの、および政府を通した政策全般への影響である。 まず「社会連椛」に関する私見が紹介されたのち、これに対する次の三点の批判・指摘から始まる。①社会連柵原肌なるものは法原理として有すべき具体的効果を欠いているのではないか(批判・指摘l)。②社会保険制度以外の社会保障制度は、社会連帯関係を基盤とせず、したがって社会保障法全体の基本となるようなのではないか(批判・指摘2)。

結局、私見に

3新田論文 2ムロ論文

私見に対する籾井説を筆頭とする批判に対する反批判の論説で、私見は結果的に支持されている。 「法原理的基盤」がない

64(5)

(7)

社会保障法の解釈薙蝉、指針としての社会連帯については、憲法上明確に規定されている生存権と規定されていない社会連帯とでは規範の性格

や強度に箙が出るが、後者の内容をある繩度明確にできるのであれば社会迎怖理念は「条理上」導き出されることになる。

以上を要約すると、節一に社会保障法の制定を促進する意味での規範性の強さは生存樅の力がまさる。節二に社会述柵は社会保障法制定時には

立法政策指針として、制定後は解釈指針として機能する。今後は、それら指針等の中身の探求が重要となる(この点に関しての倉田聡の諸労作が 責務を櫛するという形をとることになる。

さらに社会述桁によって支援する側の負担の限界とそれに対する対応の問題が論ぜられる。この支援の観点からは個人の、立、自山を確保しう

る水準の保障にとどめるべきことなどについて共同体柵成員の参加した公共的な討議の必要性が指摘される。そして、その限界やわが国における

留意点とともに「自立支援のための社会連帯」の概念が示され、その具体化が、今後の課題とされる。 社会述柵の社会保障に対する規範の対象とその枕度についての学説にⅢしては、生存桁との対比において、①生存樅同様、社会保障法を背後から支える理念ないし思想とする説、②社会保障の制定根拠としての社会迎帯の意味にとる見方があるが、②説では、生存柿が社会保障法の制定を促す意味の規範としてと、制定された社会保障法の内容が生存権の内容に適合する規範として機能することが考えられるが、社会連締が生存権のように国民、国家の正肛的方向性をもった規範かに疑川が生ずる。しかし、問藤のような叫解なら説明可能。だが、川家は社会述楴炎現の政治的 この場合、「自立(支援)」は、それが社会保障の目的としてその内容を規定する限りにおいて、間接的にその内容も限定するものと解されているlやや繼解である1.その上で社会巡柵の当#としては①「社会巡怖」(Ⅷ総地織職域共同体)、②極敷の共同体側の巡州-7複数の共同体の構成員間の連帯、イ・共同体間の連帯、③国民連帯、④国際連滞(これらすべてを「連粥」と総称)の四類型に整理されている。

つぎに社会連帯の外観的形態は構成員の相互扶助で、さらに具体的にはこれには費用援助者の財貨の提供と団体的扶養があり、給付反対給付均

等の原則のないことが社会連柵の「社会性」の中核である。これが典型的に兄られるのが社会保険の分野であるが、公的扶助や社会福祉制度にも

評価されている)。 妥当すると解するのが一般である。

また、社会連帯の基盤としては、①人間の自己保存性向、

う事実、④公正ないし公平への配臓、の四点が挙げられる。 ②人間の他者に対する利他的な感情・感覚、③人間がもともと社会的存在であるとい

(6)63

(8)

社会迎イガw論

右の点を除いても、児童手当制度中、経費の七割を使用者が負担する被川者関係部分、さらに一般に社会保障法の一分肢に位置付けられている

社会福祉法領域にみられる賀川の応能負担のみならず、その総則的規定において、「社会連粥の剛念」にもとづく各法適川対象者に対する国民の

援助義務を規定している(障害若雌本法鋪六条。身体障害者編祉法節三条輔二項、知的隙惑者桶祉法第二条第二項など)ことをどうみるのか。そ

の上、禰祉サービスの費川負担は社会述柵原肌の現れとしての応能能負担の形がとられている(老人偏祉法節二八節一項、兄賦禰祉法節兀六条輔(5)一一項、身体障害者編祉法第一一一八条第一項、知的障害者補祉法第二七条など)のである。

以上のように籾井説①のいう社会連帯の基盤は現行法上十分存しているのみならず、法はすでに積極的に「社会連帯のⅢ念」を社会保障法の蕪 財源負担ではないことについては後述する。

右の点を除いても、児童手当制度中、経辨

つぎに籾井説②の指摘について。この説は社会連帯の立法論上の効用についての疑問を提示し、効川として社会保険の立法的選択、財政負担の

根拠づけ以外になにがあるかという。しかし、指摘されているその事柄はきわめて重要で軽視されるべきではない。もともと私の社会連帯の発想 礎理念にすえているのである。 前述①は、社会保障制度中、社会連帯が領導するのは社会保険のみであるとの指摘である。たしかに社会保険以外の公費負担給付は社会保障制度のなかで飯要な役割を減じているが、しかし、なんといっても社会保険は、年金保険制度、医療保険制度等、社会保障制度の中心部分を構成するものであって、社会保障費の大部分(八判力)を占める。社会保障からこれを除いてなにが残るのかといいたい。(1)伐ったとみられる公世負狐諸制度にしても、その財源には、社会述州爪肌に一払った累進棚悦による税収が含まれていて、純粋の国家黄征による 新川説を一口でいえば、規範性、ないし規範力については社会連帯は生存権より劣るが、その自立支援のありかたを具体的に示す必要があると

し、私の提示した抽象的な社会連滞の理念、理論に具体的な肉づけがなされている点で大いに啓発されるものがある。

ればならない。 ともあれ、社会連帯の認識には社会保障への局部的、近視眼的的アプローチではなく、大局的観点に立ってその裏に存在する「社会」を兇なけ 1籾井説について 第三節各説の論評

62(7)

(9)

私見は社会連帯の枠組みを肢大規模として世界社会を念頭に侭いている。世界社会における社会連帯の必要性は、目先の問題としては地球柵暖

化、それに対する京都識定評が想起される。いまや社会述締を一国や国家の枠組みのなかで捉えるべきではない。その武任主体は、さしあたり国

連であろう。しかしその理論づけはいまだ手つかずの状態である。今後の重要な研究課題である。 は純粋に学問的に社会保障法の機軸原理を生存権一木で理解することが困難であることに対する疑問から出発している。そして国家と国民との縦の関係である生存樅に対し、社会櫛成員Ⅲ互間の樅の述挽側係を社会述柵として、社会保障法をこの二つによって二元的に肌諭術成したものである。そしてこのことによる効用は籾井説の指摘のような小さなものではないのである。

まず、社会保障法理論に社会連帯原理を加えることによって、より完全な社会保障の理解を可能とするとともに、いままでの社会保障法の理論

も緬域も拡大せしめた。いままでの社会保障法は、生存樅の責任主体たる国家と受給者も含めた川民の関係の二面関係のみで捉えられていたのが、

囮氏相互間の援助関係も眼中に櫛くことよって社会保障法学はいままで視界になかった部分を取り入れて研究に幅と深みを卿すことになったと自

負する。例えば私が最近おこなった障害をもつ人と一般住民間の横の関係が中心となるノーマライゼーションを社会連帯関係と捉えることによっ(6)て社会保障・福祉の一環にとりこんだうえ、この法領域への研究の光を当て、将来のノーマーフイゼーションに関する立法指針を明確にすることが

可能になった。それは社会保障法の研究傾城の拡大でもある。具体例を示せば、ノーマラィゼーションのより川確な視点からの研究分野が附け、(7)それが細部にわたるノーマーフイゼーションの立法指針を誘導することになる。目下大川題の障害者自立支援法上の費川負担の「応能」か「応抽」

かの問題も社会連帯理論なしには論ぜられない。このような側面で社会連帯が重要な機能を果たすのである。

しかし、なにぶんこれは新しい研究航域に属し、その関連立法誘導のためには多くの立法関係舌や研究背の社会迎州関係の立法理論の研究と研

究時間を要することになる。この分野の研究はまだ緒に就いてもいない状況である。なお、ここで「立法理論」とは、いわゆる政簸学の価域であ

る「立法政策論」ではない。これをもっとも平易にいえば、(多くの場合、憲法を基底においた)「立法の法的理論づけ」である。

私の立場は荒木説脂摘のような社会述椛を高齢化の結果とする几力(荒木肥談会四四九頁以下)ではなく、社会保障法の奥には生存樅ではなん

Pb

としても皿解できない要素があり、それが社会連帯原皿であるというものである。

3江佃説について 「立法政策論」では2荒木説について

(8)61

(10)

社会迎+lIW論

4菊池説、艮永説(流水服談会、五バー頁)について

私見の社会連帯論に多く寄せられている社会連帯の概念、内容や効果は私見のように社会連帯を法的概念として捉える場合には不可欠の頭要性

を持つが、生存権に関してはその根拠とされる憲法二五条一項の「健康で文化的な最低限度の生活」が保障目標として明記されている限りで同項

の趣旨は分かる。しかし、それ以上の具体的な金額、保障方法・方式にについては規定がない。そこで判例・通説は同条項は相対的、抽象的で内

祥は不明確であり、具体的には立法我鼓の問題としている(いわゆる包括的立法放戯論)。それが社会述柵となると態法上なんらの規定もなく、

その内容はまったく不川である。それは近代懸法が、国家と国民の関係の規律法であるから当然といえる。それを強いて間接的に求めるとすれば、

私見では憲法一三条と、二五条二項における「社会」保障、「社会」編祉である。したがってその内容などまったく不明であることは菊池説の折

摘のとおりである。しかもそれを法規範と解するならば、その具体的内容の把握は必要不可欠であろう。

そして、わが国の一般的法理論体系上は、憲法に明文がないことは、社会述椛の法規範的観点からみて弱いことは否めない。その点は新川説も

指摘するところである。さらに私見の場合、労働組合や健服保険組合、共済組合のようなミクロの述帯関係も視野に入れるので、具体的にいかな

る社会柴肌が社会述柵組織であるかも判然としないことが多い。例えば主として障害をもつ人についていわれる〃ノlマライゼーション“はなに

なのか。これが分からないと、この概念にかかわる立法作業は川難である。社会迎帯関係であることは、前述のように、私がごく肢近論証したば

かりであるが、これによってノーマラィゼーションにかかわる立法の指導原理があきらとなってはじめて正しい立法作業が可能となる。

社会連帯に関する立法はこのような基礎的立法原理の解明の作業を必要としながら、しかも範囲や内容、基準等について不明確な側面があまり

に多い。それが菊池説、艮永説的な疑問となるわけである。しかし「社会連帯」の語は、柳井説のところで説明したように、すでに多くの実定法

に湊を現している。これがいかなる意味合いのものかが検討されなければならないが、わが国はフランスと異なり、いまだこの社会迎粥の研究は

緒についてもいない段階である。とても個別的制度ごとに内容が明確にされる段階ではない。しかしすでに法文にも現れ、籾井説に関して述べた

ように、社会連帯は社会保障の理解について不可欠できわめて重要な概念であるから、池本、台、新川の各説が試みているような、今後の研究が 両論する。 社会保障の財源としての税と保険料の性格の差も、右の理解と連動するのであろうが、税も現在の国民健康保険税のように目的税とされており、(8)またそれが応能的構逸廻がとられるときは、性格上それほど大きなものとは解されない。江口説自体もそのような口吻がみられる。この点はのちに

60(9)

(11)

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待たれるところである。しかし「社会迎怖」の観念さえおさえれば、あとは各側別立法ごとにその具体的あり力を検討すればよいのである。

艮永説についていえば、いままで不明確であった社会保険の財源術成に関し、労使負担が労使連粥関係であることが明確化し、今後のこの点に

ついての立法に大きな奇与をなすはずである。

(1)

(2)

(3)(4)私見とは貯干のニュアンスの差があるが、前述の台論文では、社会述粥は累進課税の理念を支える唯一の理念とはできないとしても、少なくとも、

累進税制を支えるⅢ念の一であることは否定できるものではないと脂摘する(前掲論文一九一頁)。私が累進税制を社会迎柵とみた発端、根拠は後 柳井「総論的検討l社会保臓江川前掲課、二○五頁以下)。菊池前掲調一三八頁。 「総論的検討l社会保障法の理念と制度体系」日本社会保障法学会誌一二号、一五○頁以下。

(10)59

(12)

社会連帯再論

以上、前章第一、二節で社会連椛についての諸見解を紹介し、同章第三節でこれに対する私見の立場を述べたが、本章では私自身の抱いてきた

社会連帯論に対する問題点を紹介し、かつ私の改説したところを述べる。(1)いままでの社会連帯に対する私見は、まず①根拠としては、人の集団性1人は独りでは生存できないことである。つぎに、②社会保障を支える

基礎的原理としては、生存権原理(Ⅱ国家と国民の縦関係)と社会連帯原理(Ⅱ社会の構成員相互の横の関係)の両原理がある(基礎原理の二重

性、二元的原理構成)。このうち、③①の理由から、社会連帯は国家以前から存在した関係(前国家的関係)であり、生存権は後国家的関係で(2)あるので、社会連帯の方がより基底的な位置を占める。④社会連帯も法規範Ⅱ法的原理である、といったものである。

以上のうち、①が、私見における社会連帯思考の根源をなすものである。人は大なり小なりの集団を形成して生活を営む。集団なしに人の生活

はありえない。この人にとって不可欠な集団の核をなすのが社会連帯原理である。集団あるところ必ず社会連帯あり。これの欠ける集団はいわゆ 第二章社会連帯抑

第一節問題の発端 (7)この極の事例としてもう一例を挙げれば、新障害者権利条約による障害をもつ人の就労を容易にするために企業に配慮を義務づける(いわゆる合

理的配慮)立法をする場合、その根本となる法理はなにか、それがもしノIマライゼーション思想に基づくものとした場合、その思想の法理論的

検討、解明が企業の負担との関係もあって不可欠である。これらの社会保障法上の問題の検討にはほとんどすべて社会連辮原理が関連すると思わ

れる.そしてその検討の結果、それが立法化された場合の解釈某準ともなることが多いのであるl現に起っている問題としては障害者自立支腱

法上、賛川の応益負担(定率負担)廃止訴訟のよう瀬場合1.

(8)江口前掲書一九○頁。 (6)ノーマライゼーションが社会連帯関係であることについては高藤『社会保障法と障害をもつ人Iノーマラィゼーションを越えて』(明石書店、二 述する二四頁)。

(5)もっとも障害者自立支援法では経費の一割負担(応益負担)とされて(第二九条第三項)社会連帯原理を消滅させたが、これには障害者からの猛

○○九年)一五○頁以下 反対にあって存廃の瀬戸際にある。

社会連帯理論の問題点と生存権理論の再検討

58(11)

(13)

この集団には最小規模としては血縁的集団として(家父長制)家族(最小単位は、夫婦)などの血族的共同体にはじまり、歴史的には古代の集

落、さらに宗教的結合体(寺院や教会による組織)、また労働者間の友愛組合、共済組合、商人間(資産家)のギルド組織、地域的には村落共同

体、比較的に最近ではわが国戦時中の隣組などが存在し、それが種々の形態で原始社会連帯関係を組織してきたTミクロの社会連帯組織)。そ

してその規模は次第に拡大し、やがて一国家の全領域に及びTマクロの社会連帯組織)、最後には世界的規模の組織(Ⅱ世界連帯)に達する。

集団の規模が小さい場合は、その核をなす社会連帯関係は肉親愛、同族愛等によって自然発生的に形成される。それを統括する特別の権力機構

(Ⅱ国家)は不要である。その段階においては、社会連帯はその社会集団構成員間の純粋に、かつ、真正の横の相互援助組織の紐帯として存立し

えた。それは社会連帯たるにもっとも自然な形をとっていたとみられる。もっとも、現在でも農村地区においてみられる「寄合」(当該集団の意

思決定機関)や「村八分」(当該集団の事実上の制裁手段)のようなそれぞれの集団内部に社会連帯関係の維持・存続のための事実上の組織・機

術や制裁的、強制的仕組みをもっていたことは容易に想像される。しかしそれは同然発生的なもので、制度というにはあまりに素朴なものであり、

「権力機構」などといういかめしいは組織ではなかったに違いない。

しかしその集団の規模が大きくなるにつれ、その社会連滞体制維持のためには確固たる法制、違反行為に対する明確な制裁制度を要することに

なる。それが、マクロの社会連帯組織ともなると最強の権力機構T国家)を要することになる。その強力をもってしても、わが国現在の代表的(3)社会保険制度たる国民年金制度さえもが加入者の拠出金不納付によって制度存立の危機に直面しているほどである。

しかしここで見逃しえないことは、その国家権力の社会保険制度への関与は国民の横の組織体としての社会連帯の組織原理とは異質、というよ

り相対立する性質のものであることである。したがって前者の社会保険制度への関与が強まれば強まるほど、その分、その制度における後者の要

素は希薄化し、最後には完全に消滅して「社会」保障が「国家」保障に転化するのではないかの疑問も生ずる。はたしてそうなるか、あるいはそ

うなってもよいか、である。そして、この二つの相対立する要素の将来のかかわりかたがどうなるかが重大関心事となる。以下、この問題の考察

からはじめることになる。 る「うば捨山」社会であって、その集団は自壊する。

第二節社会連帯と福祉国家(Ⅱ権力機構)

(12)57

(14)

社会連滞再論

以上のように、社会連帯の成り立つ社会集団の規模が大となるにつれて、その集団における社会連帯意識が希薄化し、その代わりに構成員の横

の関係たる社会連帯とは正反対の異質な要素が絡むことになる(例えば年金拠出金の国家の強権発動による徴収)。それは、社会連帯関係への国

家(Ⅱ国と社会構成員個人との縦の関係)の介入、さらに面倒なことにはその介入には費用負担(国庫負担ないし補助)関係を伴うのである。

この異質な要素が絡んだ瞬間、その集団の核をなしていた社会述帯原叫はその純粋な性格が柧なわれる。その結果、その集団の性格までも変化(1)を及ぼす。P・ロザンバロンの指摘によれば、それは社会連柵を形骸化し、典の社会迎州を破壊する。この災画な要素が絡むとき(異質物汎澗)

とは、その国家・社会が補祉社会から編祉国家(Ⅱ国家の国民生活保障への機能の変化)に転換したときである。これを仙界で妓初に実現したの

は、後述の一九○九年のロイド・ジョージによる「国民予算」においてであった。

そうすると、偏祉国家においては純粋の社会連帯は洲滅に向かうことになるのか、である。しかし純粋の社会迦冊は消滅するかもしれないが、

完全に消滅することはありえないのである。それは上述のとおり〃社会あるところ「社会連帯」あり〃の社会の原理に由来する。

その問題はさておき、福祉国家段階における社会保障の財源は、もっとも中心に位置する被用者保険を例にとれば、①応能負担たる受益者負担

(Ⅱ個人責任と社会連帯的要素の混在)、②事業主負担、③国庫(地力目沿体を含む)負担の三者負担が標準的な形である。私は、これを従来、①、

②は社会連帯関係、③は生存権原理に基づく国家の負担と考えてきた。これは、福祉国家は、社会保障制度における社会連帯の限界を国民の生存

権の保障主体としての国家の負担でカバーする叫家体制とみ、国民生活の状況がもはや社会連帯のみでは支えきれなくなった結果出現したものと

剛解してきたことによる。この結果、社会保障は社会迦粥(被川背間と被川洲に対する使川者間)と国家責任との二元的な責任榊造をとることに

そしてここでの国家責柾には、社会保障の財源負担の耐と制度削設・改造・巡営面の両而がかかわる。従来、私は、前考は、生存権灰皿の直接

的発動であり、後者は規模の大きくなった架川の述怖に不可欠な代叫人、平易にいえば「まとめ役」、P・ロザンバロンのいう中心的挑巡背(P⑪)(シ晦自[8コ【日一)としての国家の機能発抑で、つまり、ここにおける国家は、性格の異なる二つの地位を併有するものと理解していた。

そして、さきにも触れたが、現在の国民年金制度が直面しているような危険状態に、この両面を併有した国家の役割は急速に塒大する。国民は

制度の必要性を十分に感じながら、その費用負担に苦しんでいるとみられる現状に対応するためである。国民の生存権保障の責任主体である国家

は、制度の維持のために負担すべき費用の額が、二○○九年度からは国民年金の国庫負担割合は従来の三分の一から二分の一に引き上げを迫られ なった。

56(13)

(15)

担ではないことになる。これは一体どう理解すべきか。

このことは国民年金を全額税方式としても、そのな処 しかしこの助向には絶対的限度がある。年金制度が維持されるかぎり、粁干の所得制限が付されることはあっても、公的扶助(生活保謎制度)のような柵足性の原則T資産調盃つき給付制度)に立つ制度とは一線が画されなければならないからである。それは同船、障害等、一定の要保障生活陣害が続くかぎり均一の定期・定額の給付がなされる〃年金〃制度の絶対命題である。かりにその財政力式が全額税力式に切り杵わったと

、、、、しても、年金制度が継続されるかぎり、とくに、受給権者が死亡したとき給付がうち切られる場合(〃死んだら掛拾て国民年金“が維持される場

合)、また給付額に保険事故発生の確率が考慮されない場合、さらに財政方式が賦課方式である場合(老齢年金の場合、悲壮年者による年金受給

老たる高齢者の年金財源負担)には、社会連帯関係は強靭に生き残るのである。しかしそれだけなのかどうか。

ここで国庫負担の財源となる税における累進課税が想起されなければならない。そしてここからが国家と社会を峻別する私にとってのもっとも

深刻な難問となる。私見では、老齢年金制創設のための累進課税制度(国民予算制度(□⑦()ローQ⑪ヶ且帰[))(一九○九年)はその創始者であるイギ

リス財務大阪ロィドジョ1ジがその趣旨を、〃何百刀人の貧胴者を救済するために揃桁者の快楽に課税する〃と述べたことからもっとも鮮明に樅(6)(7)川されるように、社会迎州思想の現れとみる。それは、巨緬に上る年金なる新たな社会保障制度創設のための(イギリスの場〈、、淑邪澱その他の(月)経曲捻出の目的もあったが)制度であった。現在、わが川では、所柵税、Ⅲ統税、地方税(国民健康保険税を含む。)に採川されている。つまり、

年金その他の社会保障Ⅲ度緋持に投入される国庫(地力、治体も含む。)財源の一部には当然に社会迎帯灰皿の典素が混入しているわけである。

このことは比例税、所得比例拠出制にもいえる。たとい一部であっても、異質な要素が混入すれば、全体の性絡も変化する。そうなれば、国庫負

担とは、結局のところ、国家がカバーする範洲内の社会構成員の社会連帯原珊の要素を帯びた負担ということになり、純粋に国家独自の固有の負 た、それでよいのか。 この動向が財源面で典型的に現れているのが、民主党を始めとして論じられるにいたっている国民年金の全額国庫負胆制、いわゆる「全額悦力

式」論である。これはかつていわれていた社会保険の公的扶助化の究極の形であるようにみえる。そしてこれは第一一の生活保護法となるのか。ま 機構の強化が求められる。 た。また、この制度は前述のような拠出不能者に対する罰則つきの拠出強制の存続のため社会の代理人としての国家の機能に対応する強力な権力

そのなかには累進課税分が含まれているのであるから同様である。形の上では全額国庫負担の制度

(I!)55

(16)

社会連帯再論

生存樅は従来からの支配的兇解では癒法二兀条一項の国民の「他服で文化的な生柵を悩む椛利」として規定され、これは現行慰法の象徴ともい

える条項である。これが川碓な規定のない社会述州と異なり、またそれゆえに法的効力としては生存樅の力が優越的に解されている肌山である。

しかしこの国民の権利に対応する義務主体については、同条項はなんら触れてはいない。したがってこの条項は自然法的な意味合いの樅利宣言的

規定とも解されうる。また、前述のようにこの条項は机対的、抽象的で、具体的請求権規定ではないとするのが通説・判例でもある。さきにもふ(9)れたが、私はこの生存権と社会連帯については、すでに社会連帯の力が基底的であると解してきた。そして「国家は巾民社〈云の組織機構たるにすぎないことになる。また、その生存権のその責任主体としての地位も名目的なものにすぎず、実質は社会そのものと解され、そうすると生存権は(川)社会連帯を近代的に再編成されたものとされ、両者は概念上区別される基礎を失う」と述べてきた。この点は現在でも変わらない。福祉国家段階

では生存権は社会連帯の現代的表現と解されるのである。 そうすると、いままで純粋に国独自の国民の生存権保障主体としての負担と理解されてきた給付は、実質は国と社会の共同負担であったということにならざるをえない。表向きは国の生存権保障として「国」の負担による給付制度の形をとりながら、内実は国と社会(構成員)の共同負扣による制度であったということになる。この生存権の外観と内実の乖離の結果として、私のとってきた上述の二元論はもろくも崩れざるをえない。生存権1V国家責任11国庫負担の理論系譜も同様に崩れる。そしてこのことは、社会保険制度だけでなく、生存権自体、具体的には生活保護制度その他従来純粋に生存権にもとづくと考えられてきた全額国庫財源による給付制度全体にも波及する。ここにおいて生存権とは一体なになのか

そしてこの場合、さらに重要なことは、かりに生存権保障に充当される国庫財源には社会連帯原理Ⅱ累進課税の税収が混入していないと仮定し

ても、つまり従来どうりの北作樅概念l典体的には生活保護法に代炎される’としても両検討の必婆があるのではないか、である.すなわち、

それが無拠川給付であり、かつ、その財源が他の社会術成員の負担した給付である以上、形は生存椎原理の発現とみえても、受給者とそれ以外の を改めてⅢわなければならないことになる。 側連帯関係)。国庫負担のの負担ということになる。 でも、それは純粋に国の国民化活保障の黄任主体としての生存樅に対応する負担と理解することはできないのである。全額川町負担の制度をよくよく分析すれば、実質、社会迎柵原班に韮づく受給巻以外の全社会柵成員の負担も含まれた受給者への給付なのである(受給者とそれ以外の国民Ⅲ連帯関係)。国庫負担のなかに社会述舟原理が導入されている場合、それに対応する税収部分は純粋の国庫財源以外の、私流にいえば、「社会」

54(15)

(17)

これをあれこれ考えているうちに累進課税の問題だけではなく、それを度外視しても、一体、生活保謹は国民が稼得した所得の一部の国への納

付、すなわち国民の納税を財源とした制度ではないか。そうだとすれば、生活保護制度とは、形の上では国の国家財源を使った給付であるが、こ

のⅢ源而、制度の突面に満目すると生油保誕受給汁に対する受給打以外の川氏による生栖支援制度ではないか。そうすると、生活保池もいままで

の国家と国民との縦の関係ではなく、国民相互の横の援助関係と捉えるべきではないかという結論に達したのである。 私は、かって国民の最低生活の保障条項(憲法二五条一項)は、「およそこの世に一人たりとも最低生活水準にも達しない生活状態に放悩されてはならず、もしそのような人がいれば、ただちに社会や国家はその救済に駆けつけなければならないという、崇高な社会正義の理念に基づくも(Ⅲ)の」という趣』脚と解してきた。従来の生存樅を裏側から捉えた好干自然法的意味〈Ⅱいを州びた解釈であるが、これはまさに社会述柵の思想にほかならないではないか。そうなると、生存樅原理も社会迎桁原皿も一体的関係で、さきに述べたように前考は後荷を現代的に一一一一mい換えたものと捉えられる。桶祉国家と桶祉社会を別概念で捉えてみても、結局は、より氷底的には社会述州灰皿に立つもので、もはや前村は国家と国民側の縦の関係、後者は国民州立間の織の関係として別個のものとみることができなくなったのである。

ここにいたって私のいままでのぢえ力を改める必嬰を生じた。生が樅はいまや社会述柵の別の表現である。従来からの私見である両背の二元的

捉え力は、ここで改め、社会述術を社会保障の唯一、単独の脳水原Ⅲと肝することとする。いままでの私の生存椎の捉えかたは皮川的であった。

かつたのである。 筋三節不承のむすび

私の懸案であった一般税収への累進課税の批入の川越から発し、生存樅Ⅲ論について新説を立てることになった。いままで金科玉条として守っ

てきた説を改説するにいたった動機は、いままで国家による国民の肢低生活を守る使命をもった生活保護法も社会連帯原理にもとづくものではな

いかとふと考えたことである。その発端となったのは生沼保謹法の財源側係における累進税制の存在についての考察であった。これはいままで私

の喉にささった刺のように感じながら放佃してきた課題で、私にとってのいずれは解決すべき難題であった。それが本論執瓠途上、私に立ちはだ 納税渦との社会連帯原理に立脚した給付と理解されるのが当然ではないか。簡潔にいえば、生活保護法も根底において社会連帯原理に立った制度と捉えられるべきではないかということである。

(16)53

(18)

社会連帯再論

しかもこの紡論はただ財源面への溝Ⅱではない。もしそうであれば、すべての国庫負担事業がこの関係ということになってしまいかねない。も

う一つ、国民(Ⅱ社会構成員)一人一人にこの社会に一人でも最低生活以下の生活に陥っていてはならない。その場合は、国のみではなく社会全

体で救援にかけつけるべきであるという規範的意識が希薄ながら存在し、これが生活保護制度を支えているのではないかということである。

私がこう思うのは、私のいう世界迎滞における一つの制度である政府開発援助(CDシⅡ)○田c区ロ⑦くc}。ご曰①ヨン⑫叩の一切白。S)のような従来の観念の生存権とは無関係な国際制度においても、わが国がこの制度の拠出大同になっていることについて、わが国自体が困っているのになぜ、と

いう疑問をもつ人もいようが、世界的規模における飢餓や自然災害に生死の淵にさまよっている途上国を助けようとするのが普通の国民の意思で

はないかlこの鯏痩に災を唱える説が兇Ⅶたらないlと考えた.世界的脇膜でさえも、人は利己的精神とともに利他的柵神をももっていると

このような生存権概念の把握の転換に達するとは、

1V国家責任11国庫負担の理論的系譜も消滅する。

体は、前述の「社会の代皿人」としての国家である。 思われる。

結局、編祉国家とは国家の柿成員Ⅱ国家を版図とする社会の術成員、が一体となってその榊成曲どうしの偏靴を保障しあう、具体的には柵成員

のなかの恵まれた者が恵まれない者の生活を保護する国家・社会体制であるということである。したがって、ひとり国家が責任主体となって国民

の生活を保障する体制ではないことを理解する必要があるのである。

なお、国の財源不足柵填のため逆進課税たる消費税の墹税をもってあてることは、とうてい許されるべきことではない。

(1)社会連帯の根拠に関しては、新田秀樹の説はさきに紹介したとおりであるが(六百)、斉藤純一が社会連帯の理由として挙げるのは、①生のリスク、

②生の偶然性…恵まれた者の恵まれなかった者への繍倣、③生の愛苫への感応l他人の並の受絆への感受性、④生の複数性…人の生の多様化を

禅くこと、の四点である。斉藤純一編蒋『桶祉国家/祉会迎帯の理Ⅲ』(ミネルバ書一切、二○○四年)二八六頁以下。

(2)高藤前掲「社会連帯原理と偏祉国家」社会労働研究(現「社会志林」)W○巻一・二号合併号、四五頁以下。(3)H経新聞調査(○五年九・二日付)では、保険料未払いの理由は、同級で紹介している次頁の図表にみられるように、被保険者の低所得が圧倒

的に多い。このほか、社会保険庁への不信感、年金を必要としないことを理山とする者が芳干いることに注意を要する。 執筆開始の時点では思いもしなかったことである。さきにも述べたが、この結果、生存権「生存権」の名は今後も残るであろうが、それは社会が併呑した概念であって、その義務主

52(17)

(19)

〆戸、グー、

、-、-〆1110

なものであった。世界的にみて、累進税制は、社会保障財源確保のために創設されているようである。(9)高藤、前掲『社会保障法の基本原理と構造』では「生存権は社会連帯関係を近代的に再編成したもの」と(四四頁)、また同、前掲「社会連締の法理と編祉国家」では「囚家を肢大規模の社会巡粥姫団と捉えれば、マクロとしての社会迦柵上の権利は生存椎と変わらないことになる」とも述べ 国民年金保険料を払っていない理由は?

(払っていない子がいる親、払っていない本人に聞いた。複数回答)

0%10203040 高藤『社会保障法制概論』第二版(龍星川版、二○○一年)・’○五頁。 高藤、前掲『社会保障法の雅木原理と構造』四四頁。 理と編祉国家」下ていた(五一頁)。

収入が少ない、または安定しないから 保険料負担が重いから 年金財政が破綻するだろうから 社会保険庁が信用できないから 今から払ってももらえないから 国民年金を必要としていないから 手続きがよく分からないから

(注)胴査会社マイ

遭いからEY藏罰憲亘両家1 jだろうからE蚕rrZ了河 港ないからE戸Y=I

えないから[二コ

「いないからE。

うないからロ

胴査会社マイボイスコムが05年8月上旬に実施

(4)国のqの幻。g二目一一.P“F餌Cユ⑫の□の一向[日‐己『○ぐ一月。8.(両&(】○口⑫8mの巳]』①⑪】・)ロ・己(5)ロザンバロンはまたここで国家の立場を圓胃目。ョ…8,|火中間介在者lとも説明する、一員(6)モーリス・ブルース”『冒○・旦・噸。(夢の薑の一葡扇の…秋田成就認『福祉個家への歩みlイギリスの辿

った途』法政大学出版肺、一九八四、三二四頁以下、やや詳しくは、商藤、前掲『社会保障法の飛本灰皿と

榊造』同、一九九四年、四兀頁以下』参照。

(7)本文で述べたロイドジョージの国民予算の導入時の説明はよくこのことを示すが、L・デュルケムに始ま

る〃社会連帯“発祥の地フランスにおける研究はその承継者L・ブルジョアの、知的、物質的能力をもつ者

はその能力に比例した累進税化の必要性を説いている(中村睦外『社会権法理の形成』櫛斐側、昭机Ⅶ八年)、

二○○面以下。社会迎帯の研究成果は、その母川、フランスがもっとも似禰である。とくに社会巡粥の法規

範性についてのE・デュギーの説は重要で、私としては前章注(6)文献一六三頁で紹介した。

(8)わが国の創設期(明治二○年)の所得税法は世界に先駆けて累進課税を採用しているが、それは年三○○円

以上の高額所御満に五段階の(一~三%)単純累進課税制がとらていた。簡岻な紹介として、平成七年版、

『図説・日本の税制』Ⅲ経詳糀祉、五○頁』)。それは現れの累進税制からみて、世界的にはきわめて不十分

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