印度學佛敎學硏究第68巻第1号 令和元 年12月 (159) ― 390 ―
『五蘊論釈』の法処所摂色における
スティラマティの 釈態度について
清 水 尚 史
『五蘊論釈』の法処所摂色に関するスティラマティ について
スティラマティ(Sthiramati, c. 510–570)著『大乗五蘊論釈』(Pañcaskandhakavibhāṣa, 以 下,『五 蘊 論 釈』 と 略 す)は, ヴ ァ ス バ ン ド ゥ(Vasubandhu)の『大 乗 五 蘊 論』 (Pañcaskandhaka,以下,『五蘊論』と略す)の注釈書である.その内容は主に『倶舎 論』(Abhidharmakośabhāṣya,以下,『倶舎論』と略す)やアサンガ(Asaṅga)著『阿毘達 磨集論』(Abhidharmasamuccaya,以下,『集論』と略す)の内容を援用することによっ て構成されている1).しかし,『五蘊論』と『集論』に学説の違いが見られる場 合,両論の内容を踏襲している『五蘊論釈』において,スティラマティがどのよ うな 釈をなすかという視点からの研究は従来乏しかったように思われる2).『五 蘊論』と『集論』の両論において明らかに異なる教説の一つに法処所摂色があ る.『五蘊論』のヴァスバンドゥが無表のみを法処所摂色とするのに対して,『集 論』のアサンガは五種(極略色・極 色・受所引色(無表)・遍計所起色・自在所生色) の法処所摂色を説く.ヴァスバンドゥが『五蘊論』において有部と同様に法処所 摂色として無表のみを説くことに対して,スティラマティは『五蘊論釈』におい て次のように問題を提起している. PSkV 21.11–14: さらにそれ(法処所摂色)は五種ある.〔すなわち,〕(1)極略〔色〕,(2) 極 〔色〕,(3)受所引〔色〕,(4)遍計所起〔色〕,(5)自在所生〔色〕である.しかし, ここ(『五蘊論』)では,11の実体(五根・五境・無表色)のみがものの集合(色蘊)であ ると意図されているので,〔(3)の〕受所引色のみが,〔ヴァスバンドゥによって〕「示され ず,抵触されないもの(無見無対色)である」と説かれ,他は〔説かれ〕ない.では,ど うして説かれなかったのか.極略色と極 色が説かれない理由
『五蘊論』において法処所摂色として説かれなかった四種のうち,(1)極略色(160) ― 389 ― 『五蘊論釈』の法処所摂色におけるスティラマティの 釈態度について(清 水) と(2)極 色についてのスティラマティの説明をまず確認する.スティラマ ティは上述の問題提起の後につづけて次のように述べている. PSkV 21.15–22.3: (1)極略〔色〕とは,〔青などの〕諸極微にほかならず,〔それらは〕青な どの顕色と区別されない.そして,青などの顕色とは別に他の顕色としての現われはな い.(2)極 〔色〕とは,〔それを構成する〕諸極微にほかならず,それら以外の抵触をな す接触対象を欠くものである.そして,それら(諸極微)は,顕色を本質とするものであ るから,ここ(『五蘊論』)において〔顕色に〕まさに含まれているので,さらに〔法処所 摂色として〕改めては説かれていない. スティラマティは(1)極略色と(2)極 色が色彩の極微であると述べており, 既に色処の顕色・形色において顕色の極微は説かれているから繰り返し同じもの を法処の色として説かなかったと解釈している.もっとも,極 色が極微である かについては不明瞭な点が多かったが3),『五蘊論釈』においてスティラマティ は顕色の極微であることを明示している.ところで,『五蘊論釈』は経量部と同じ く形色の極微を認めず,顕色の極微の集まりによって形は作られるとしている4). そして,顕色は四種(青・黄・赤・白)だけであるとして,次のような解釈を示し ている. PSkV 11.4–9: 顕色は四種である.青・黄・赤・白である.【問】雲・煙・塵・霧・影・光・ 明・空処・闇・空というこれらもまたどうしてここで〔顕色・形色として〕説かれないの か.【答】顕色と形色のような色の種類であることによって説かれない.なぜなら,雲な どは諸々の規定された場所をもつものであり,そして,諸々の規定されていない場所をも つものである.そのなかで,諸々の規定された部分をもつもの,それらは他ならぬ形色に 含まれる.諸々の規定されていない部分をもつもの,それらは他ならぬ特殊な顕色であ る.したがって,顕色と形という二種でもって,各々に分類することは不可能であるの で,ここにおいて各々に説かれていない.そのなかで,空処はそれら以外の抵触をなす接 触対象を欠く場所のものである. スティラマティは雲・煙・塵・霧・影・光・明・空処・闇・空に関して顕色と形 色が含まれるとしつつも,それらを色処の顕色・形色の二種に区別することは不 可能であると説明している.その中で空処(abhyavakāśa)を無対であると説いて いる.したがって,空処という空間をかたち作る顕色の極微が,無見無対の法処 の色となる極 色であると指摘できる5). ヴァスバンドゥが極略色と極 色を法処所摂色として認めていなかったという ことではなく,『五蘊論』は一切法を包括する必要最低限の要素を纏めただけなの で,改めて説く必要が無かったというのがスティラマティの理解であるといえる.
(161) ― 388 ― 『五蘊論釈』の法処所摂色におけるスティラマティの 釈態度について(清 水)
遍計所起色と自在所生色が説かれない理由
次に(4)遍計所起色と(5)自在所生色についての『五蘊論釈』の注釈を確認 したい.スティラマティはヴァスバンドゥが『五蘊論』に遍計所起色と自在所生 色が法処の色として説かなかった理由を次の通り述べている. PSkV 22.3–8: (4)遍計所起〔色〕とは,骸骨などの影像色である.(5)自在所生〔色〕と は,〔八〕解脱の禅定者の対象となる色である.それは,分別を本質とするので,ここ (『五蘊論』)において含まれていない.なぜなら,それはその形象をもつ識の顕現の外には 存在しないのであるから.一方また,影像はほかならぬ識の対象としての現われであるの で,識とは別に影像がなく,あるいは,影像とは別に識がない.したがって,(3)受所引 〔色〕(無表)のみが説かれ,他は〔説かれ〕ない. (4)遍計所起色と(5)自在所生色は,意識によって見られる影像色のことであり, 禅定の対象となる色として説明されている.すなわち,遍計所起色は,大地が骨 鎖で満ちたものと見られる不浄観を想定しており,自在所生色は八解脱の禅定を 修する者が意識によって見る影像のことを指している.それらは分別を本質とし ており,意識の対象は意識と別々にあるのではなくて同一であることが『五蘊論』 で説かれなかった理由としてあげられている.また,識に現れる影像はすでに分 別された遍計所執性のものと理解する無相唯識説が背景にあることを窺わせる6). 唯識学説に従えば遍計所起色と自在所生色だけではなく全存在が識の影像と説 かれるべきである.しかし,『五蘊論』は瑜伽行派の論書であるけれども,法相 的観点から法を個々に分類解説していることから7),極微や影像として全てを分 析することに主眼を置いていない.結論
以上,『五蘊論釈』の法処所摂色における四種(極略色・極 色・遍計所起色・自 在所生色)についての 釈内容を検討した.極略色と極 色は顕色の極微である として,既に色処の箇所で議論されている顕色と同じものであるから,改めて法 処所摂色として『五蘊論』の中で説かれなかったとスティラマティは 釈してい る.また,遍計所起色と自在所生色は影像色であり,識の外には存在せず,分別 を本質としているから説かれなかったと説明している. スティラマティは,ヴァスバンドゥが受所引色以外の四種の法処所摂色を否定 していたわけではなく敢えて説いていないと理解している.法相的観点から簡潔(162) ― 387 ― 『五蘊論釈』の法処所摂色におけるスティラマティの 釈態度について(清 水) にまとめた『五蘊論』の性格を考えればヴァスバンドゥ本人もそのような意図を もっていた可能性は高いように思われる.法処所摂色に限定すれば,スティラマ ティはアサンガと同様に五種を前提にしているが,一種であると説くヴァスバン ドゥに対して消極的な 釈態度は見られず,むしろ説かれなかった理由を明らか にすることで,『五蘊論』が略説によって法相を理解できる人々のための論書で あるという性格を顕著に表している8). 1)Cf. Kramer 2008; 2013. 2)『五蘊論』と『集論』に説かれる法体系の差異とその理由 については,横山剛氏が日本印度学仏教学会第70回学術大会のパネルAにおいて発表し, その内容を近日中に論文として発表する予定であると報告を受けている. 3)Cf. 加 藤1987; 1996. 4)Cf.兵頭(2002, 318). 5)Cf.車 1995. 6)車 1995によると 遍計所起色は誤った判断によって生じた実在でない虚構のことであるとも指摘されてい る.すなわち,夢や幻といった類のものが考えられる. 7)Cf. 瀧川 1996. 8)『五 蘊論釈』では冒頭に『五蘊論』は略説を重視する人々のためであることを述べている.Cf. Kramer (2013, 1033). 〈略号および参考文献〉
PSk Vasubandhu s Pañcaskandhaka. Sanskrit texts from the Tibetan Autonomous Region 4. Eds.
Li Xuezhu and Ernst Steinkellner, Beijing: China Tibetology Publishing House; Vienna: Aus-trian Academy of Sciences Press, 2008.
PSkV Sthiramati s Pañcaskandhakavibhāṣā. Sanskrit texts from the Tibetan Autonomous Region
16/1–2. Ed. Jowita Kramer. Beijing: China Tibetology Publishing House; Vienna: Austrian Academy of Sciences Press, 2013.
Kramer, Jowita. 2008. On Sthiramati's Pancaskandhakavibhasa: a preliminary survey. Nagoya
Stud-ies in Indian Culture and Buddhism: Saṃbhāṣa 27: 149–171.
̶̶̶. 2013. A Study of the Saṃskāra Section of Vasubandhu s Pañcaskandhaka with Reference to Its Commentary by Sthiramati. In The foundation for Yoga practitioners: the Buddhist
Yogācārabhūmi treatise and its adaptation in India, East Asia, and Tibet, ed. Ulrich Timme Kragh,
986–1035. Harvard Oriental Series 75. Cambridge: Harvard University Press.
加藤利生 1987 「『瑜伽師地論』に見られる瑜伽行派の極微論の特色」『印仏研』35(2): 80– 82. ― 1995 「唯識学派に於ける法処所摂色の取り扱い」『印仏研』43(2): 174–177. ― 1996 「『瑜伽師地論』に見られる法処所摂色の取り扱い」『印仏研』44(2): 24–28. 車 承厚 1995 「瑜伽行派における法処所摂色について」『印仏研』43(2): 136–138. 兵藤一夫 2002 「経量部師としてのヤショーミトラ」櫻部建博士喜寿記念論集刊行会編 『櫻部建博士喜寿記念論集 初期仏教からアビダルマへ』平楽寺書店,315–336. 〈キーワード〉 安慧,スティラマティ,五蘊論釈,法処所摂色 (東京大学大学院)