﹁
空
性
思
想
の
形
成
﹂
研究序説
森
山
清
徹
、空の表現とその意義 、 ﹁ 自 性 の 無 ﹂ と ﹁ 無 の 自 性 ﹂ l l lち
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に つ い て l l l 本論文の目的は初期大乗仏教における空性思想を究明することにある。そこにおいて明らかにしようとすること は最初期の般若経︵八千領般若の原型︶からさ万八千領般若﹄﹃二万五千領般若﹄へと増広発展した般若経の変 遷において、それと伴って、空性思想がいかに発展したかを跡付けようとする。 現在八千領般若の党本と漢訳の小品系般若といわれる諸本とを比較検討すると現事党本は十世紀の施護訳﹃仏母 出生三法蔵般若経﹄と最もよく対応することが知られ﹃党本﹄には古訳のいわゆる支婁迦識訳﹃道行般若経﹄、支 謙訳﹃大明度無極経﹄、羅什訳﹃小品般若経﹄などには見られない新しい要素が導入され整備されている事実を随 所に見い出すことができる。この新しい要素を取り除いたものを仮にここで﹁般若経の原型﹂と呼ぶことにする。 ただし、これは梶芳光運博士の主張された﹃原始般若経﹄いわゆる﹃道行般若経﹄の道行品第一の最初三分の一に ﹁ 空 性 思 想 の 形 成 ﹂ 研 究 序 説 一 一 九一
一
一
O ① 相当する、という意味ではなく、全体の形態としては現帯党本の如く三十二章までの完成を見たものを指す。一、空の表現とその意義
空会口 H M Uーとどは、なにものかにとって、なにものかが欠けている状態を意味する。 m q m w H 世 間 吋H
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とは﹁この家はツボを欠いている﹂ ﹁この家にはツボがない﹂という意味であり釘ロヨ一は宮 ω可 ロS
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− 支 配 で あ る 。 ﹁A
はB
を欠いている﹂という端的な例を見町みると、 志 向 山 富 可m
ロ p t F P 4 m H 江 ・g
仲窓口 m w Eロ 富 島 ・ あるもの︵B
︶が、あるところ︵A
︶に容在しない。そのところ︵A
︶はそれ︵B
︶を欠いている。 こ こ でA
とB
が、家とツボのように別個のものであるとき﹁A
はB
を欠いている﹂という事柄は、A
においてB
が存在するか、︷仔在しないかを確認すれば、それが正しい主張であるか、誤りであるかは容易に決定される。とこ ろ が 、A
とB
の関係それ自体が問題となる場合、すなわちA
が 5 0 m w ︵ 色 ︶ で あ り 、B
が H・口 U m F 一 ω4 m w σ 一 g J 1 m w ︵ 色 の 自 性︶であるとき﹁A
はB
を欠いている﹂ことは、家とツポの場合のようには容易に確かめ得ないし、そのことを端 緒として主に中観学派などが取り上げている 29tg くω
︵自性︶を認めるか、認めないかという論議へと問題が発 展 す る 。 そこで、まず空会同ロヨ ν の説明を手掛かりにE
P
E
−の意味を究明する。その基礎作業として﹁般若経の原型﹂ と﹃一万八千領般若﹄﹃二万五千領般若﹄に現われる宮ロヨの表現を比較検討する。空窓口
5 1
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︶は色守口宮、︶をはじめとする五殖すべてについて、さらには十二処、十八界、すべてのもの︵一切 法︶についていわれるのであるが、いまは主にB
冨 − 一 を 代 表 と し て 例 示 す る 。 ﹁ 般 若 経 の 原 型 ﹂ に 現 わ れ る 空 ︵ 郎 国 H M M a・ ︶ の 表 現 古訳の小品系諸本において、もと/\﹁空﹂という表現が多用されているわけではないし、また﹁般若経の原型﹂ 支婁迦識訳と羅什訳には二百数十年の隔たりがあるので、 て、より厳密には支婁迦識訳と羅什訳にも一線を画さねばならないであろう。さらに古訳のものに杏在しても、逆 に現容党本に浮在しないものもあり﹁般若経の原型﹂の実体を明らかにすることは容易ではない。しかし、般若経 の歴史的発展を研究の目的とする場合には、現寄究本と古訳のものとの相違に常に注意を払い、できる限り党本に 認められる増広とそうでないものとの取捨選れという文献的操作は怠ってはならないと思われる。その立場から、 明らかな現害発本の増広と思われるものは範囲外とし、それを含まないものを、ここに一応﹁般若経の原型﹂とし ど 称 し て も 、 当然底本の異同は考えられる。 し た が っ て 示 す 。 最初、空会口ロヨ一︶はむしろ否定されている。 もし色は空である︵5
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ロ ヨB
︶ど実践するならば菩薩は相︵巳S
目立とを実践しているのである。. も し 色 は 空 で あ る と 実 践 し な い ︵ ロ 戸 時 ロ 宮 ・ 吾 郎 ロ ロ 可 m ・5
5
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︶ならば、そのように実践している菩薩大士は ③ 般若ハラミツを実践しているのである。 空性︵ E H H U 1 p 仲間︶に立脚している菩薩大士は般若ハラミツに立脚すべきである。:::色は常である、無常であ ると立脚してはならない。色は楽である、苦であると立脚してはならない白色は空である、不空である守口円高岳 ① E H M M a H H M m H b ロ ロ ω記号︶と立脚してはならない。 ﹁ 空 性 思 想 の 形 成 ﹂ 研 究 序 説一
一
一
一
一
色は空であるというのは執着である︵BUSSEBEEm
恥 ︶ ⑤ 弥 勃 菩 薩 成 − 一 阿 蒋 多 羅 三 窺 三 菩 提 一 時 。 説 日 一 般 若 波 羅 蜜 一 。 不 レ 説 − 一 色 空 一 。 不 レ 説 − 一 受 想 行 識 空 一 。 ⑦ 後に至って m h 一 切 法 空 ︵ω R
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︶﹂﹁菩薩大士はあらゆるものを空性という観点から︵E
3
仲 間 Eg m
︶観察する﹂と説明される。﹁空﹂に関する限り経典の構成は ﹁色は空であると実践しない﹂ ① 空であると観察しなければならない守口一宮昏宮口苫E
B
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明 広 告 富 岳 ︶ ﹂ と い う 方 向 へ 進 ん で 行 く 。 ﹁ 空 ﹂ の説明が、肯定、否定いずれにせよ、詰切符H
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ロヨ同町︵色は空である︶という表現に尽き拘 o ⑬ また﹁自性﹂に関しては8 4 m H
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何 回 凶 ︿ −m
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︵無自性︶ということばはほとんど見られない。党本に﹁色が自性をもた ない故に︵g
g
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可問︶という理由句が述べられていても、古訳の小品系般若にはそれに対 ⑬ 応するものが容在しないことがしばしばある。 ⑬ ﹁色は色の自性を離れている︵B
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︶ ﹂ と い う い い 方 は 、 ことから﹁色は その最初に見い出す こ と が で き る 。 ﹁般若経の原型﹂には﹁自性空︵毛与伊凶 4 .8 m H
郎 同H M M 1 p
︶ ﹂ という表現はなく﹁自性﹂に関する説明と﹁空﹂とは 直接﹁自性﹂の概念によって ﹁空会同 p u s − ︶ ﹂ は表現されてはいな 並列しており﹁自性﹂と﹁空﹂とが融合され、 l,'¥ 0 ﹃一万八千領般若﹄﹃二万五千領般若﹄の﹁空﹂の表現 ﹁般若経の原型﹂に於て、単に八百宮母E H
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とあったものから、以下の表 現に変わるといってよい。。
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絵官室」忘駅l
佳穏一 二 四 で あ る 。 ちなみに、竜樹の著作の中から﹁空﹂の表現を拾ってみると、 @ H μ 。 σ 。 出 山 内 H W M 刊 日 ω ω 件 。 ひ @ Hm w ・ ロ ず ω 何 回 目 H H m M ﹃ 日 ω H 岡 山 ω 件 。 D H v m w M 可 山 口 @ 自由拘︽凶 OBPEm 伝 忠 弘 芝 山 ω ω 件 。 D 円 目 。 E m m F S E m m 回 日 仏 W M L ω ω 件 。 ひ @ m N 戸 M m ω ロ 山 片 山 H D 向日岱。げ。 ω ω 件 。 D
−
v m w M 1 日 H H H M 。\\ m ω H M M W ロ m M 刊 日 ず 巳 m m 回 目 島 町 ︼ 刊 日 m v ︸ 同 可 m p ω 件。ひ切 m M 可 山 口 @ 品 D g H 5吾
mBωg 門 戸 E D Z E ロ 句 宮 \ ω g D H恒三口宮
このことは、最初 s u m H U E D 富島であったものから百円高岳百円高 sptg ︿ g m W E D −E
岳という表現に変化し、 定着したことを物語っている。 そ こ で 、 円 ロ ℃ m w H U b 口 H M U 占 昏 か ら2
円 高 見 回 同 ・ 口 S ω ︿ m w σ. 宮 間 ︿ O R w b A M H H U 1 目 立 回 あるいは23
昏 E u g m p 臥 口 口 可 忠 世 へ と 変 化したことは、単なる表現の相違にすぎないものか、それとも﹁空﹂の思想内容に於て、進歩が見られるのかとい う点を検討してみよう。 ﹁色が色の自性を欠く︵23
・ 岳 s u g J 1 m w σ F 凶 g ロ m w b ロ ロ3
・H U ︶﹂とはどういうことなのであろうか。 最初に寸この家︵A
︶はツボ︵B
︶を欠いている﹂という例を見た。そこでは﹀社切であるから、A
がB
を欠く と い う 事 柄 は 、A
におけるB
の容在すること、あるいは浮在しないことを確認すれば、その是非は決定される。し かし、いま問題とするところは﹀ H 回すなわち﹁A
はA
の 自 性 を 欠 い て い る 守 口 切 符 骨 sug ︿ 何 回 ず ﹃ 凶 ︿σ
ロ mニ ロ ロ 可 ω 母 ︶ ﹂ ﹁A
はA
を欠いている︵ S U P H U E ℃ ゆ 但 pb ロ ロ 苫 昏 ︶ ﹂ と い う 命 題 で あ る 。 ﹁A
はA
の自性を欠いている﹂と述べたあと﹁それは、なぜであるか﹂﹁それはその本性である︵ u s r 立 町 内 話 可 包 ・活︶すなわち、空性によって︵
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可叫︶色は空なのではない。:::色こそ空性︵吉宮H
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仲 間 ︶ @ 空性こそ色である︵EP
吉 、 富 山J 1
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廿 ︶ ﹂ で あ り 、 @ 一 方 ﹁A
はA
を欠いている﹂については、﹃二万五千領般若﹄は二十空を説明する中で、この形で空であること を示し、つづいて﹁それはなぜであるか、それはその本性である︵有限付吋巴5 ω
百 戸 芯 同 一 色 。 一 宮SD
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同町といいかえられている。 ︼ 径 三 円 ど ど す る 。 ま た 、 が理由句として述べられていたから、 これより察するならばヨ宮岳E H
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︿ ∞ ︺ ︶V M
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ぞ と い う副詞的な意味であるから、 それは﹁色は色それ自体として空である﹂ ﹁色は本来的に空である﹂と解釈すること が で き よ う 。 @ それはまた、自相空︵m J
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口 口 可 也 、g
︶の理由を店宮、H U
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︶それ自体として空である @ ちゃ、縁覚たちゃ、諸仏世尊たちがなしたこどではない︵ロ戸肘立山廿︶﹂ ﹁A
はそれ自体 ︵ω J
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︶ そ れ ら は 、 声聞た さらに、自性空︵ω J 1
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︶を説明して﹁実に、自性どは顛倒のない本性である 立 町 内2
・ 志 向 山 門 戸 仲 間 ︶ 本 性 に と っ て 本 性 は 、 そ れ 自 体 と し て 空 性 で あ る 公 認 可 凶 可 間 宮 可 間 宮 ロ ヨ −g
︶空性は知識がなしω
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仰ぐ。日回目U H
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︶それは、なぜであるか、それはその本性であるよ たことではないし、 見ることがなしたことではない ﹁ 空 性 思 想 の 形 成 ﹂ 研 究 序 説 一 二 五一 一 一 六 また他性空︵司
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︶を説明して﹁如来たちが世に現われようと、現われまいと諸の帯在のまさに 立脚しているその法性2 z
− ロ ロm w
仲 間 ︶ 法 の 安 定 性 ︵ 仏 伊 良g
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仲間︶乃至、実際︵σ
何 回 国g
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三 日 ︶ は 、 @ それは、それ自体として空性である。﹂とあることからも、 それにとって ﹁色は本来的に空である﹂﹁それ自体として空である﹂ ということが確認されよう。 ﹁色は空である﹂ということが色本来のことでなければ、色と空性との全問、すなわち﹁空性より別に色がある 色より別に空性があるのではない の で は な い ︵ 口 問 ロ ヨ 可ω
郎 口 ロ ヨ 仲 間 可 間 百 円 出 昏 ︶ ︵ ロ 凶P U 1
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︸ 仰 の の 吋 岡 田H M M
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仲 間 ︶ 色 ⑫ こそ空性であり、空性こそ色である﹂はいえない。単に2
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とするところに﹁色即是空︵性︶・空︵性︶即是色﹂という色と空性との全問へと導入し得る根 拠となると考えられる。 ま たE H
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・ ︵ 空 ︶ は 形 容 詞 で あ り 、 の杏在の様相・仕万を示すものであるといえよう。した ⑬ に対して弘口H q m
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︵ 不 空 ︶ と も い い 得 る 。 それはB l
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︵空性︶が、単なる﹁無﹂ではない所 以も、この点にあると思われる。 ﹃ 一 万 八 千 領 般 若 ﹄σ H H
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。 ロ N O K r 品 l寸 志 H H, 5 2 3 K F 島北京版﹁西蔵大蔵経﹂ 4 0 − N 。 ・z
。 ・ J a N H ι , q H H M m w m g i 吋UE 昨 日 ω 川 口 凶 器 Z W M H ℃ l o p σ 司 Z ・ ロ ロ 件 付 同 J l 寸 志 H 1 ﹁ 528 司 ︿ 北 京 版 ﹁ 西 蔵 大 蔵 経 ﹂ ︿ 。 − 5 ・ Z 0 ・ J a H⋮
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己 州 訪 問 ﹃ 何 回 ω 門 戸 日 同 問 問 ℃ i o 品・ず吋可・ 0 何 回 。 醤 ③ ② ① 梶芳光運﹃原始般若経の研究﹄本論第五篇。 菩薩地包・ 4 ﹃ 。 巴g
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・ ﹃ 中 辺 論 ﹄ Z お き 盟 国 明 百 回 ℃ ・ k r 日 斗 U H m J − m 守口﹃道行﹄大・八・四二六・ c 、 設 空 一 一 色 行 一 為 一 一 行 想 一 為 レ 不 レ 行 一 一 般 若 波 羅 蜜 一 不 レ 空 一 一 色 行 一 ﹃ 小 品 ﹄ 大 ・ 八 ・ 五 三 八 ・ a 、 若 空 一 一 色 行 一 為 ニ 行 相 コ : : : 不 レ 行 ニ 色 空 一 。 : : : 是 名 レ 行 ニ 般 若 波 羅 蜜 一 。 k r H ω 8 5 t − E H U N ω J ﹁ 道 行 ﹄ 大 ・ 八 ・ 四 二 九 ・ b 空・不空の説明はない。﹃小品﹄大・八・五四 0 ・ b 、 於 一 一 大 乗 一 以 ニ 空 法 一 住 一 一 般 若 波 羅 蜜 一 。 : : : 不 レ 応 レ 佳 一 一 色 若 空 若 不 空 一 。 krβSH ∞ t ﹃ 道 行 ﹄ ︵ 大 ・ 八 ・ 四 四 二 ・ b ︶ 知 一 一 色 空 一 者 。 是 臼 レ 為 レ 著 。 ﹃ 小 品 ﹄ ︵ 大 ・ 八 ・ 五 五 一 c J 五 五 二 a ︶ 分 ニ 別 色 空 一 。 即 名 為 レ 著 。 ﹁ 小 品 ﹄ 大 ・ 八 ・ 五 五 二 c ﹃ 道 行 ﹄ ︵ 大 ・ 八 ・ 四 四 ゴ て し ︶ 不 レ 空 レ 色 説 一 一 般 若 波 羅 蜜 一 −P
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に は 不 レ 説 一 一 色 空 一 の 相 当 文 な し o pgSHJ ﹃ 小 品 ﹄ 五 五 八 c 、他に五五七 a ・ 五 六 一 c ・ 五 六 三 b ・ 五 七 一 c ・ 五 七 六 b ・ c 。 k r g N U ω ﹃ 小 品 ﹄ 五 七 六 b 観 一 二 切 法 空 一 。 k r ・ J E m w ℃民﹃小品﹄五六八 c 応 レ 観 一 一 色 空 一 。 ① ⑤ ① ③ ⑦ ① ﹁空性思想の形成﹂研究序説 一 二 七1
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⑧ 制起(釘myata)日0
$,ド~ riipasya釘myata~ユ小1阿部込 ~}Q0 (A. 602p. 26『捌忠』国同1
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。) @ nil)svabh玄va~DIRll..('I ミこ持会。 ⑧ (A. 405p 18『摺忠』園田! υ 『合唱』同同1..o) (A. 538p 6, 25『畑ね』自国兵 ω 『会ng』同同.\]υ) (A. 736p 20『矧L
ピ』国同.\]υ
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『i
選択』巳υ
『銀鱗Jl1
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I'迫日 Pv250, -1 (nama)。 @ Pv, 191, 226, 240, 248, 258p, Ad-I 39p. ⑧ Pv. 128, 155p. ⑤ Pv. 253p 18, 263p 8. ⑨ Ad-II 73p 8, 113p. ⑧ Ad-I 114p 4. ⑧ Pv. 253p 20 Ad-II 74, 77, 81p. @ Ad-I 187p 5. ⑧ Pv. 228p 10Ilg'.挺日 229p7. ⑧ Ad-I 22p. ⑧「匝制J~~ riipasya釦nyata. R) Pv. 38p 6, 46p 3, 128p 11, 141p 2, 155p 15. ⑧ Pv. 173p 14. c Ad-II 81p 6. ⑮ Ad-II 73p. ⑧ 『ヨロ均二手詩話勧争〈題*叫』脚砲娼.;:i十朗起哩!三挟炉心争く錘糾m
目玉駅1
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く阿"1
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.\]思。 ⑧ ibid. 30p 42 Verse.⑪ ⑬ @ @ ⑩ @ @ @ @ @ @ @ @ @ 日 目 ︸ 山 内 山 ・ ω A F H v m ω く ・ 笠 円 山 ・ H O H 喝 印 斗 く ・ に 対 す る 自 注 。 出 ︶ 山 内 回 ・ h F H M V 。 ∞ く ・ H M く ・ ω
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H V 巴 ・ 注 @ 参 照 。二、﹁自性の無﹂と﹁無の自性﹂
1 1 1 M H U F 凶 . ︿ 出 印 ︿ , m 円σ
宮 山 . く m wについて
l l l ① 二万五千領般若に現われる十八空とか二十空といわれる空の分類は、中阿含の﹃大空経﹄に内空、外空、内外空 という分類があるから、すでに原始仏教にその萌芽のあることが知られるが、十八や二十という形でまとめられた のは二万五千領般若などの拡大般若経が最初である。これらは単なる空の分類であるという見方もできるが、空を 説く経典であるといわれる膨大な般若経典群にあってきえ、空を組織的に説くところは比較的少なく、まして﹁般 ﹁ 空 性 思 想 の 形 成 ﹂ 研 究 序 説 一 二 九一 三 O 若経の原型﹂では空とはいかなる内容のものであるかを知ることは非常に困難である。 こういう事情であるから十八空や二十空は、中でも組織的に空が説かれているものである。② この二万五千領般若の空の分類は後に月称の﹁入中論﹄にほとんどそのまま引用されており、入中論第六現前地 の骨子の一つである。 ③ また稔伽系の論書でも、世親は﹃中辺分別論﹄に十六空を引用しており、第一章相品における空性の説明の中心 をなすに至っている。 このように二万五千領般若などの空の分類は論を展開する上で重要視されたようである。 したがって、この空の分類を検討することは大乗仏教初期における空の内容を知る上で欠かすことができない。 同 福 田
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頁にかけて二十の空性の説明がある。 ④ 他にも多く﹁空の分類﹂は挙げられているが、そこでは名称を示すのみで内容の説明はないので、この箇所に於て、 ③ ③ 党本、漢訳、チベット訳の比較検討を行う。漢訳は異訳諸本によって、まち/\な訳語もあるので適当と思われる も の を 採 用 し た 。 ︵ 凶 ︶ O" ~ ~ 0... :::r' :::r' t : ・ 可ι
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空性を述べ、さらに四空を説明している。チベット訳はω
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の説明をし︹M W
・側の説明はない︺さらに漢訳同様、 四空を説明している。四空を別出する点では漢訳とチベット訳は一致し、党本のみがそれら四空をも含めて全体で 二十の空性としてまとめている。 ① 漢訳とチベット訳の別出の四空とは、党本との内容の比較からすると仰・ω
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に相当する oM W
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はそれぞれ同一のもののようであるが漢訳はそれぞれ別々に説明している。M W
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の意味が読み方及び内容の上から不明瞭である点に起因すると思われる。 ① 以下この点に関して検討を加えてみる。υ σ
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⑬ ’ 伊 ず 日 同 問 ぐ , m b 口ロヨ仲間︵有法空︶との単なる合成なのか、それとも M W ど帥どはまた別な空性であるのか、つまり m w t F P J 1 m g J 1 M H σ H H 悶︿仰とは﹁無法と有法﹂なのか、それとも﹁無法の有法︵自性こなのかということである。 m p ず ︸ 戸 山 ぐ m w m J 1 m w σ 日 同 凶 ︿ ωむ 口 I H M M S ‘ 一g は次のように考えることができる。 ⑬ 無 法 ︵ ロ ヴ 同 国 々 ・ P ︶と有法︵ ω J 1 p ず 町 凶 J y p ︶は共に空性である。 (A)ω
無を自性とすることの空性︵無の自性が空性であること︶ m w t F 凶 4 m m w J 1 m ず 宮 山 ︿ m w b 口 ロ M 1 m w 仲間はチベット訳では、 円 四 D 2 3 5 0 仏 円 高 ︸ 1 5 。 σ 。 虫 色 ω件 。 D H K H 国主であり υ σ H M 凶g
と m w J 可 山 ず 伊 仰 ぐ m F は m o p 由 民 J 1 0 g 仲 切 口 門 戸 ︼E 3
・ で あ り 、 ﹁ 無 法 ︵ 仰 げ ﹃ 悶 ぐ と と 有 法 2 4 m p σ g J 1 p ︶ ﹂ と い う つ 仏 ,g
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門7 1 m w で は な い 。 チベット訳に従う限り、 それは﹁無の自性﹂ということであって そこでω
・倒のいずれがより妥当するかを知るために 次に︹E
︺ 記 ︶ げ 凶 J N . m g J 1 m z u H H 凶 J N I P の用例からその意味を検討する。 ︹I
︺ ω J 1 M H σ ﹃ 仰 ぐ 川 戸 ︵ 自 性 ︶ を 考 察 す る こ と か ら は じ め る 。 「\ LJ ⑪ m H σ H H 仰 ぐ 。 門 口 一 古 川 戸 ω 可 ω ω J 1 m ず 町 凶 ー ︿ 州 H︸ い 色の自性は無である。 ﹁ 空 性 思 想 の 形 成 ﹂ 研 究 序 説一
一
一
一
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一
⑧ rupasya svabhavo nasti, yasya svabhavo nasti so
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bhaval}. $]!:1~但起立与持組,_)~ニ。 ~l{o<fP (;主」ムj ¥'y
但起立与持w
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~ニ F s--\ノ兵~善幸、 p ,時 l{o 。 ⑧ yasya sarhyogika]J. svabhavo nasti so'bhaval}. 嶋崎 <fP(;):1~ 寝.qII ):1.L6 ¥'y 制エコドニ l{o 叩起~険制,_)ぷきニrE年ノ£主主事、子.Jヰ屯l{o。 ⑧ yo’svabhaval}. so’bhaval}. 議担割下./ ~l{o.fP(;W * ζ~ 島幸子ノ嶋崎。 @ dharmal)arh svabhavo nasti 紙特同):1~ 担割るよさニ。 ⑧ abhava eva sarvadharmahi
能川町崎,..01志向<fP(;p
持l{o0〔同〕
⑬
111] 151
yadi bhagavann abhavasvabhaval}. sarvadharmah (bcom ldan 1}.das gal te chos thams cad d合OSpo
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臣棋鋸蝶駒漁民11若手、記1姥11但起 @1
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誕五lllffi211単組i姥11判(団組1般若波羅蜜は無を自性とする。 すべてのものは無を自性とする。 ︵
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︶と︹E
︺を対比した例を示そう。 世尊よ、いかにして如来応供正等覚者は、無を自性とする四禅・六神通を生じたのか、いかにして衆生と非衆生 は三家に於て記を受けたのであるか。 もしスブl
テ ィ よ 、 欲あるいは悪あるいは不善というものに自性︵ ω くω
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仰ぐとがあるならば、スブl
ティよ、私が昔、菩薩行を実践していたとき、無を 自性とする欲・悪・不善というものを知って、四禅を成就し、依止することはできなかったであろう。スブl
テ ィよ、欲・悪・不善というものには自性はなく、自体はなく、他性はない。それとは別に無の自性だけはあるが 故に︵ P P M− 丘
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︶ 私は昔、菩薩行を実践しているとき欲・悪・不善というものを遠離し、有尋、有伺な、遠離した、喜楽な初禅を、 同様に四禅を成就し、依止したのである。スブ l ティよ、もし諸神通に自体、白性、他性があるならば、スブ l ティよ、私は無を自性とするあらゆる神道を知って、無上にして完全なさとりをさとることはできないだろう。 ス ブ l ティよ、すべての神通には、自体・自性・他性が容在しない。それとは別に無の自性だけは布在するから ︵5
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ロ 円 高 ω ︶それ故に如来応供正等覚者は無を自性とするあらゆる神道を知って無上にして完全なさとりをさとつ @ た の で あ る 。 ﹁空性思想の形成﹂研究序説 一 三 五一 一 二 六 あるものには結合することによって生じている自性は容在しない ある。こういうふうに、すべてのものは無を自性とする︵ p t F 凶 4 2 4 n F ず ﹃ 凶 S F 8 3− m 色 町 R B 凶 廿 ︶ さ ら に ま た 、 すべてのものは空性を自性とする︵ E H H E 仲 間 ωぐ 主 任 問 ︿ 凶 ﹃ ︶ 無 相 を 自 性 と す る ︵ 凶 忌 日 目 立 g ︿ 釦 ず 伊 凶 ︿ 同 町 ︶ 無 願 を 自 性 とする︵
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ES2p ず H M 凶 a F ︶真如を自性とする︵宮吾川与問 2与
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・4 間 町 ︶ 実 際 を 自 性 と す る ︵ ず 伊 国 g−
8 2 ω J 1 m w a こういうふうに、すべてのものは無を自性とすると ︵ ω凶 H U M − 。 岡 山 w m 争 ω J 1 m H σ 月 岡 山 当 。 口 問 ω民︶それは無で σ E 4 凶宮︶法界を自性とする︵仏 FRB包
E Z ω J 1 m w t g s f ︶ @ 知られなければならない。 @ ︵ ω ず ﹃ 凶 ︿ m g J 1 m t H H 凶 ︿ 岱 ︶ ﹂ 故 に と し 、 あるものが認識されない官。宮−ち﹃百件。︶その理由を一方は﹁無を自性とする @ 他方では﹁自性が帯在しない︵ ω J 1 m t F 凶 ぐ 。 ロ g Z ︶﹂ためであるとする。これもこの例に属するであろう。 @ ﹃一万八千領般若﹄﹃二万五千領般若﹄以外に﹃十地経﹄ @ ﹁般若経﹂の中でほ後期に属するが﹃善勇猛般若経﹄に も m w σ ﹃ 間 J 1 m g J 可m w σ げ 凶 J 1 m w の用例はみられる。 以上より結論し得ることは m号 げ 凶 ︿ g J 1 m w t F 仰 ぐ m F ︵ 門 吉 ー 。 ω 唱 。 BO 仏 ℃ m H ︸ l p 。 σ 。 出 日 仏 ︶ は 取 り も 直 さ ず ﹁ 無 の 自 性 ﹂ を意味する。したがって ωず 伊 仰 ぐ 凶 ω 4 m σ ﹃ 仰 ぐ m E D 3 ・ 仲 間 ︵ 弘 匹 。 ω 唱 。 B O品 切 何 戸 空 匹 。 ず 。 虫 色 ω g p 宮 − 一 虫 色 ︶ は ﹁ 無 の 自 性の空性﹂﹁無を自性とすることの空性﹂を意味すると考えられる。それが﹁無法︵ υ σ H M 凶 Jーとと有法︵ ω ぐ m p ず 何 回 悶 J記 ︶ は共に空性である﹂という意味に理解し得ることは Pず 町 聞 く M H ω J 1 m σ F 凶 J 1 m w の用例を検討した限りでは証明されないと 思 わ れ る 。 それに加えて言い得ることは﹁あらゆるものは空性である﹂こととは﹁あらゆるものには自性が容在しないこと﹂ ということもできるし﹁あらゆるものは無を自性とする﹂ということもできる。それらが別々なものではなくこに して一なるものであることは言うまでもないであろう。それは﹁あらゆるものは自性が帯在しないことを自性として寄在している﹂﹁あらゆるものは自性主在しないという仕方で寄在している﹂と言いてもいいかも知れ味。 空性が﹁自性の容在しないこと﹂と同時に﹁あらゆるものの不在性を示し、あらゆるものを成立せしめること﹂の こにして一なる意義をもっ所以は、この点に求められるであろう。 , @ @ @ 初期の般若経とはまた時代が下るが
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については、世親の﹃中辺分別論﹄や﹃三性論﹄にもそ の用例を見ることができる。﹃中辺分別論﹄には般若経から十六空の引用があることは最初に一言したが、 ﹁実に、二つの無と無の有とが空の相である。 @ 弥勅億一・一一一こに対し世親は次のように釈している。 ﹁知られるものと知るものの二つの無と、その無の有とが空性の相である。そういうふうに空性には無を自性とす ︵ 仏 ︿m q m
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日 ロ ロ 。 ︶ またその無の自性であるものは﹂ @ ﹁有でもなく無でもない︵弥勅偏一・一三︶﹂ 世親によれば﹁無を自性とすること﹂とは知るものと知られるものの﹁無であること﹂と同時に﹁無の有である @ こと﹂を指し示している。 さらに、弥勅偶一・二O
に対し以下のように注釈する。 我と浮在との無が空性である。またその無の有が空性である︵宮弘山σ
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︶ 町 凶g F
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H出品。包含g
唱。吉弘吉宮ひ ω件 。 民 間 話 回 日 仏 門 目 。 ︶ : : : 空 性 の 相 を 明 示 す る こ と の た め に 最 後 に 二 種 類 の 空 性 を 設定する。すなわち無の空性︵ω
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仲 間 ︶ と ﹁空性思想の形成﹂研究序説 一 三 七一 三 八 ⑮ で あ る 空性とは、我と荏在の﹁無﹂と﹁無の有﹂である。そして﹁無﹂と﹁無の有﹂それぞれが﹁無の空性﹂であり、 ﹁無を自性とすることの空性﹂であるとする。この二が﹁空性の相﹂にほかならない。世親は弥勅備︵一・二
O
︶ の﹁無の有︵ n t F 凶 ︿ , m g M 1 9 8 仏 σ F 凶 J 1 m V ︶という空性﹂に対し﹁無を自性とすることの空性︵ p σ g d. P ω J 1 p σ 宮 間 J 1弘
g a.
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仲 間 ︶ ﹂ を 当 て て い る 。 八空について、これを﹁無と、無の有﹂と考えることは、中観学派とは何ほどか異った、聡伽行学派の独自の解 釈であり、発展した解釈であると考えられる。その独自な所以、発展したという意味は、根幹的な主題である虚妄 ⑬ 分別、あるいは﹁識﹂との、深い結びつきにおいて空が考察されていることにある﹀ といわれるように稔伽行派の思想を背景にした世親釈と般若経の空性の説とでは、異なった事情を前提にしてい ることは十分察せられるし、その上、世親は m H ず 伊 悶 J a E H M ・3
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と m w t H H 仰 ぐ m H ω 4 m F t F 凶 J 1 m H Eロ ヨ −
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を他の十四の空性と ⑪ は別なものとして、十四の空性の総括的な意味をもつものとして説明している。 ﹃二万五千領般若﹄に於ては、そ の二空性が他の空性に対し、どういった位置を占めるかは、その説明からでは明らかでない。こういった相違にも かかわらず、世親が空性について p σ 何 回 凶 4 . m g d . p σ ﹃仰ぐ仰といったことは無論、弥勅備の m H ず 伊 凶 J 1 g M 1 m p g ι σ g ・4 m w f ︵ 無 の有︶ということも﹃一万八千領﹄﹃二万五千領般若﹄の m H t g J 1 m g g σ E J 1 p との結びつきが認められると思われ ⑫ る。すなわち、世親は﹃般若経﹄からの引用を明示するものや十六空を引用したのみならず m H t F 凶 ︿ 州 訪 ︿ 己 診 仰 ぐ ” に ⑬ ついても﹃般若経﹄の中で知り、それを﹃論﹄の展開の上で巧みに活用したのではなかろうか。 小品系︵八千領系︶から大品系︵二万五千領系︶般若への変遷については、八
I
大口問類は小品類の最初の一口聞を二十数品に増大した点と、E
大品類は小品類の終りから第三品の前に約二件 品を加えた点と、この二点に相違が認められるのみで、他の部分に著しい形式上の変化はない。﹀といわれている。 小品系から大品系般若への増広発展というものには二つのものが考えられる。その一つは形態上の、いわゆる同 一線上の量的増広と、他の一つは、内容上のいわゆる大品系にのみ認められる異質な質的発展とである。 この第二のものについて考えてみると、すでに指摘されたものに﹁浄仏国土思想﹂﹁般若経の十地﹂ @ ﹁ 六 度 栢 摂 ﹂ 等 が あ る 。 ﹁ 十 八 空 百 八 三 昧 ﹂ ﹁ 陀 羅 尼 ﹂E
の増広については﹃大品﹄でいうならば第侃品前後から第鉛口間前後に相当する。ここに於ける﹃八千頃系﹄か ら﹃二万五千領﹄﹃一万八千領﹄への質的な発展である一波羅蜜を修習すれば他の五波羅蜜を摂するという、いわ ゆる六度相摂は﹃大品﹄第四∞品︵ K r a −H
S
マ
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︶ に 現 わ れ る 。 新たに次のものをその質的発展を示すものとしてつけ加えることができる。 先 の m w σ H H 仰 ぐ m g J 1 m w σ ﹃ 仰 ぐ m w の用例を多く見るのは﹃大品﹄第万品前後である。これとほぼ軌を一にして説かれるの が、以下の聞いに対する答えである。 み ℃ 7 υ、
いかにして般若 あらゆるものがそれ自体として空である︵ ω母 ぐ 史 容 同 月 日 間 町 ω J 1 m ず ﹃ 悶 ぐ 弘 田 口 可 悶 ︸ 乙 な ら ば 、 ⑬ ハラミツを実践している菩薩大士は無上にして完全なさとりをさとるのか もし般若ハラミツ・菩提をもが認識されない @g M
刊とするのか もし、あらゆるものが無を自性とする ⑬ してきとるのであるか ︵ ロ 。 宮 、 宮 げ 伊 豆 、 件 。 ︶ な ら ば 、 い か に し て あ ら ゆ る も の を 識 別e s
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︵ β σ F 凶 ︿ m g J 1 m H H ︶ ﹃ 仰 ぐ 凶 F83mw 円 四 F m w 同居間︸乙ならば、如来は︵それを︶いかに ﹁ 空 性 思 想 の 形 成 ﹂ 研 究 序 説 一 三 九一 四 O もし、あらゆるものが無を自性とするのであれば、 いかなる意義︵
m E
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占宮︶を認めつつ菩薩大士は衆生たち @ のために無上にして完全なさとりに向って行く︵g
H
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買
主
Z
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巳むのか あらゆるものが区別されない︵m
g
H
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ずE D
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︶場合、いかにして、善・不善・世間・出世間・有漏・無漏・有為 @ ・無為という説明︵E
E
広 m H︶が寄在するのか 夢の如き、非実在な︵υ J
1 8
g w
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︶、無を自性とする、自相本来から空︵ ω ︿m
z
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g
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ロヨ︶であるあらゆるもの @ の 設 定 ︵ ︿ 苫 − 一 J 詰 ω 任 問 ロω
︶が、いかにして存在するのか 深遠な般若ハラミツを実践している菩薩大士はあらゆるものが無を自性とし、 あり、はじまりも終りもないという点で空宮口 m w︿ 日 間m
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− − ︶ で あ る に も か か わ ら ず 、 @ 法乃至有為法、無為法であると設定する もし、色が本性から空︵u
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立広ロロヨ一︶でなければ、菩薩大士は無上にして完全なさとりをさとることはできな 究極的に空 ︵ m H C占 ロ 片 山 H m 山 口 ロ 可 m w︶ で こ れ ら が 善 法 、 不善 い。したがって菩薩大士はあらゆるものが本性から空であることを知って、無上にして完全なさとりをさとるの @ である 般若ハラミツを実践し、あらゆるものを非実在であると見ている菩薩大士は善巧方便によって無上にして完全な @ さとりに向って行く 衆生たちは諸容在が自相本来から空であると知らないので @ ︵それを︶知らない彼らは五趣から解脱しない これは﹁空﹂であるからこそ、さどることができるし、すべてのものが成立し得るし、まさに成立しているとい うことをいっているものである。 ﹁宮ことは単に﹁自性の無﹂を意味するのみならず、あらゆるものを成立させるものであることを知らしめている。これと同じ主張をナ l ガールジュナが﹃中論﹄や﹁廻誇論﹄においてなしてい @ 知 特 に ﹃ 中 論 ﹄ 第
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章に於けるそれとはまさしく一致する D ﹃一万八千領﹄﹃二万五千領般若﹄では、スブl
テ ィと世尊とのやり取りであるが﹃中論﹄では有自性論者に対するナ l ガールジュナの反駁という形式上の違いをも つだけである。 ﹁般若経の原型﹂から﹃一万八千領﹄﹃二万五千領般若﹄へと変遷するに伴い﹁空﹂は単に、あるものの杏在して いない状態を意味するだけでなく﹁自性の無﹂であることを明示し、さらに﹁自性の舗とのみならず﹁あらゆるも のを成立させている﹂という意義を明瞭にしたのである。そのことによって、竜樹や世親と通じるものをもつに至 ったといってよいであろう。 ﹁空﹂のこの﹁自性の無﹂と﹁あらゆるものを成立させている﹂という相反する如き意義を一体とならしめるの ⑪ は、ほかでもなく﹁無の自性﹂ m号宮間 J 1 m p ω ︿ m wず﹃悶︿ m w の説であると考えるのである。 ① 赤 沢 智 善 ﹃ 仏 教 教 理 之 研 究 ﹄ 四 O 五 頁 以 下 に 詳 ③ ② ﹃ 中 阿 合 経 ﹄ 巻 第 四 九 ・ 大 一 ・ 七 三 八 b c 、 冨 Z ・z
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、 し い 。 小 川 一 乗 ﹃ 空 性 思 想 の 研 究 ﹄ 三 二 五 頁 以 下 。 Z お き 回 ︸ 同 割 引 当 医 ℃ 、 こ れ が ﹃ 般 若 経 ﹄ に 由 来 す る こ と は 、 長 尾 雅 人 ﹁ 金 剛 般 若 経 に 対 す る 無 着 の 釈 偏 ﹂ ︵ 東 方 学 会 創 立 二 十五周年記念東方学論集︶五五八頁。なお、この日空は K F 仏に相当する﹃大般若第三会﹄のそれ︵大・七・四八Ob︶と 数 ・ 順 序 ど も 一 致 す 。 司 ︿ ・ N A F H ︼ 一 戸 。 ・ h H A F ℃ H ω ・ H N O ℃ 一 戸 ∞ . 一 戸 ω ω ℃ F H ω A W H M N ・ ﹃ 放 光 ﹄ 大 ・ 八 ・ ニ コ て 4 ﹁ 光 讃 ﹄ 一 八 九 b ﹃ 大 品 ﹄ 二 五 O b ﹃ 大 般 若 第 二 会 ﹄ 七 ゴ 一 a 。 可 ︿ ・ l 寸 志 ︿ 。 ﹁ H ∞ 2 0 ・ U−
ω r N N h F σ ・ ⑤ ① ④ ﹁ 空 性 思 想 の 形 成 ﹂ 研 究 序 説 四11511]
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巳首℃怠 J 1 2 8 に g 2 0・ v g g m ︿ 包 ω w g g 廿 ︵ あ ら ゆ る も の は 無 を 自 ら の 相 と す る ︶ どある。これも同内容のものと考えられる。 z o 岡 山 。 回 目 戸 川 向 日 当 m H N ω U H ・ 吋 円 山 2 M H σ g g ﹃ 山 口 益 仏 教 学 文 集 上 ﹄ H N ∞ ・ 同 ω N ・ H ω ∞ U N O J 可 O E O − Z ω m m H 。 回 ﹃ 忠 百 戸 N N U N ω ・ F E N ω ロ ・ 山 口 益 ﹃ 漢 蔵 対 照 弁 中 辺 論 ﹄ 区 切 切 ・ ﹁ 無 の 有 ﹂ に つ い て は g E S B m 注 目 の 説 明 が あ る 。 宮 包 叩 弔 問 己 2 5 H H M 阿 曽 仲 間 g a ・ ∞ ・ J F B m w m s E 何 者 ・ 怠t
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・ 同 和 訳 七 三 頁 。 zag 盟 国 司 mNS ・山口益﹁漢蔵対照弁中辺論﹄ N H U ・ 長尾雅人﹁金剛般若経に対する無着の釈偏﹂五六七頁。 z m w m g 回 ︸ 品 叫 3 N S・そのニ空性を他の十四空性とは別な空性︵832
口 百 件 釧 ︶ と し 、 前 者 を 増 益 ︵ g g旬 。 宮 ︶ の 、 後 者 を損減官官ぐ似合︶の除去のためとする。葉阿月前掲書三四七、三七八頁参照。 Z ω m m 。 切 H M 釧 胡 河 内 戸 い お M V H 2 ・ @ @ の 用 例 な ど 。 山田竜城﹁大乗仏教成立論序説﹄二 O 六 頁 。 赤沼智善﹃仏教経典史論﹄二六五t
六 頁 。 三 三 O 頁 o k r 品 l H H H A S − ﹃ 大 品 ﹄ コ 一 六 九 b 。 @ @ @ @ @ @ ⑬ @ ⑮ ⑮ ⑭ @ @ ﹁ 空 性 思 想 の 形 成 ﹂ 研 究 序 説 一 四 三@ @ @ @ @ @ @ @ ⑮ ⑬ @