平成27年11月25日(水)
演題:
「私たち被害者遺族が伝えたいもの」
講師:朝日 沙織(NPO法人犯罪被害当事者ネットワーク「緒あしす」会員) 皆さん、こんにちは。ただいま御紹介いただきました朝日沙織と申します。 よろしくお願いいたします。本日はこのような貴重な場をいただきありがとう ございます。今日は、事件発生から今日に至るまで、私が感じたことや犯罪被害者 遺族となって気付いたこと、思ったことなどをお話しさせていただき、皆様に御 理解いただいて、今後に役立てばと思っております。今からお話することで、 もし何かが変わるきっかけとなったら、妹の命に報いることができるかと思います。 また、こうしてお話しさせていただければ、大事な人の命を奪われた被害者遺族 の方に、少しでも力になることができれば幸いです。 まずは、私の4歳年下の妹のなつみを御紹介します。 普段は「なっちゃん」と呼んでいます。そんな妹が生まれた日から今までの日々を 少し御覧ください。 今も流れているこの音楽はJUJU の『やさしさで溢れるように』という曲です。 この曲は、YouTubeを見ていた時にたまたま知ったのですが、私はいつも妹が 「暖かくて安らぐような気持ちがいい場所にいてくれたらいいな」と思っていて、 それがこの曲の「あなたを包むすべてがやさしさで溢れるように」という歌詞と すごくシンクロしました。この曲の歌詞そのものが、私が妹を想う気持ちそのまま で、私の中でとても大切な曲になり、妹を紹介するならこの曲も聞いていただき たいと思い選びました。 そして、今ここに写っている写真ですが、 これは事件があった年の4月に両親と祖父母 と名古屋城の桜を見に行った時の写真です。 妹らしい普段の笑顔で、私の一番のお気に 入りの写真です。 事件の概要は、冒頭に司会の方からお話しいただいた通りです。妹は、モデルの仕事と信じて現場に向かったにもかかわらず、実はわいせつ目的で偽りの仕事 の依頼をした犯人によって命を奪われました。今でも、事件の内容はあまり自分 の口から言いたくはありません。 妹は幼い頃から努力家で、妹いわく怠け者な私を半面教師にしていたそうです。 小学3年生から始めたダンスは、受験勉強が始まる前の中学2年生まで取り組み、 ミュージカルでは主役をやっていました。誰も知らないところで練習を一杯して いただろうなと思うくらい、知らない間にセリフを覚えていて両親も驚いて いました。努力家な妹の性格はずっと変わらず、毎日テストがあるのかと思うほど 勉強していました。大人になっても変わらず、自分のやるべきことはきっちりと こなす子でした。大学では心理学の勉強に専念しながらアルバイトもして、その 傍ら大好きなモデルの仕事も一歩一歩夢の為に頑張り、友達にも恵まれ、本当に 充実した日々を送っていました。頑張っていた妹は、毎日忙しそうにしながらも キラキラ輝いていました。 そんな大事なたった一人の妹を突然奪われました。事件後、妹の友人たちが遊び に来てくれると、「友達思いで、いつもニコニコして太陽みたいな子だった」とか 「みんな分け隔てなく接してくれる優しい子だった」と言ってもらえ、今更ながら 妹のことが本当に誇らしく感じます。私は、妹の人生の縮図を見ていただき、皆様 に妹はどこにでもいる女の子であって、私たちも普通の家族だということを感じ 取っていただきたいと思ったのです。もし御自分の娘だったら、兄弟、孫、親友、 恋人だったらと御自身の目線に置き換えて考えていただきたいと思います。 それでは、事件発覚から裁判前までのことについてお話しします。 まずは、事件発生時についてです。事件が発覚する前日の夜は、いつもと違う 感じがしたのを良く覚えています。水曜日の夜で、私はテレビを見ていたのですが、 「テレビなんか見ていていいのかなぁ」となぜか漠然と思ったのをはっきりと覚え ています。翌朝もその嫌な感じは変わらず、家の中を取り巻いて普段家の中に流れ ている空気と違い、真夏なのにひんやりとした感覚がありました。 一宮警察から連絡が入り、訳も分からないまま警察に向かいました。警察の方 からの説明も現実味がなく、妹の身に何が起きたのか、今起こっていることは現実 なのか、それすら訳が分からない状態でした。母は息も荒く、ショックのあまり 手が硬直し、コップも持てないような状態になり、立ってはいられず、父が連絡 をして駆けつけてくれた叔母にもたれかかって泣いていました。父は現実を受け 止められない中で、訳も分からず次々と進む事務的なことに追われていました。
私も現実を受け止めることは到底できませんでしたが、何が起こっているのか 分からない状態の中、母のことも支えないといけないし、父も感情を押さえて 必死に立っているのが分かったので、これは私がしっかりしないとダメだと思い ました。悲しいと言って泣き崩れている場合じゃない。「私がなんとかしないと」 と気が張っていました。気を張っていないと、気を抜いた瞬間に倒れる気がして いました。 やっと家に帰ってこられた妹に、あまり触れてあげることができませんでした。 妹に触れたら壊れてしまうような気がして怖かったし、冷たくなった妹に触れ るのが怖くて怖くて仕方ありませんでした。妹の部屋に広がるお線香のにおいも 違和感がありすぎ、現実を突きつけられているようで、長い時間そこにいること もできませんでした。本当に辛かったです。 その日から、葬儀が終わる4日間は家族全員、食事は全く喉を通らず、ずっと 気が張った状態が続きました。そんな怒涛の4日間が終わった次の日に突然、頭 にノートが浮かびました。我慢をしないでノートに口には出せない感情を全部吐 き出してほしい。家族みんなの心の心配もあったので、ここでみんな分かるように。 そんなことがふと浮かび、すぐにコンビニへノートを買いに行きました。 それが、家族ノートです。 今思うと、これは私の考えではなく、心配 した妹が私に伝えてきたのではないかなと 思っています。 両親に「みんなでこのノートに今の気持ち や思っていることを書こう」と言って妹の 部屋に置いておきました。 それが良かったのかは分かりませんが、 日々の心情の変化が、文章や筆圧から分かり お互いの状態が把握できました。今はもう 使っていませんが、それぞれの形でノート を続けています。 次は、葬儀が終わるまでの怒涛の日々の心情をお話しします。
葬儀が終わり、一呼吸置くこともなく今度は警察の事情聴取があったり、私と 母はサポートセンターの方とのカウンセリング、検察庁からの事情聴取があったり と毎日何かがあり、心が休まる時間はありませんでした。 そんな日々の中、私を支えてくれたのは、事件発覚当初からそばにいてくれた 友人や親戚など、サポートしてくださる方々の存在です。友人と過ごす時間は、 胸の内を話せたり、関係ないことを話して少し現実逃避したりとそんな時間が あったからこそ、私は笑顔を失うことは無かったのだと思います。 では、事件後すぐにみんな普通になれたのかと言ったら、そうではありません。 激しい感情の波がありました。衝突もたくさんありました。特に、私と父がよく ぶつかりました。家族だから同じ思いで足並みをそろえていかなければいけない と思い込んでいた私は、少しでも自分の気持ちと温度差を感じると「どうして」 と感情をぶつけていました。家族でもそれぞれに思う気持ちや、感じ方に差や タイムラグがあるのは当たり前だということに気付けずにいました。家族みんな ギリギリだったと思います。 そして、裁判までの日々についてです。裁判までの日々は、「仕事をしていても 何かできることがあるのではないか」とか、「こんなことをしている場合なのか」 と毎日思いながら仕事をしていました。そんな中、私は裁判が始まる1か月前から 緊張とストレスで精神的にキツくなってしまい、パニック障害の症状があらわれ 毎朝通勤途中に気分が悪くなり途中下車をしたりしました。(自宅)の最寄り駅から 会社の最寄り駅までは、乗り換えなしのたった5駅でしたが、その距離が当時の 私にはとても遠く感じました。朝礼にも不安感から出られず、その間だけ休ませて もらうなど苦労しました。 裁判への緊張と自分自身の症状への不安がある中、裁判に参加しました。裁判 に参加することは怖くないかと聞かれることもありました。初めは、犯人と対峙 することが怖くもありました。しかし、私が感じる恐怖や不安などは、あの時妹 が体感したものとは比べものにならず、自分のやるべきことを考えると怖さは吹 き飛びました。 次は、裁判についてお話しします。まず、裁判に参加を決めた理由と準備です。 私が裁判に出ることは、初めは私のことを心配した父に止められました。しかし、 裁判に出なかったら自分が後悔することは分かっていました。大切な妹を突然 奪われたからこそ、私は裁判に出ることで私なりに妹を守ろうと考えました。
「絶対逃げたくない。守ってあげたい時に守ってあげられなかった」という思い が強くあり、裁判に参加することが犯人と直接戦える唯一の方法だと思い、悲しみ や苦しみ、悔しさや怒り全てをぶつけることで、犯人に自分が犯した罪の重さを 十分に実感させたい思いが私の中にあり、誰に止められても裁判に出ると決め ました。そして、裁判に臨むまでに私がしなければいけないことがありました。 それは、事件の内容を全て知ることでした。それまで詳しくは聞いていなかった ので、何も知らずに行って裁判で全てを知り、何もできなくなるのは絶対に嫌で した。妹が何をされ、どんな思いをしたのかを知ってあげることが、まず私が するべきことだと考えたのです。検事さんに連絡を取り、検察庁までは友人について きてもらい、一人で話を聞きました。怒りと悔しさで頭が一杯になり、大事な妹 がこれだけひどい目にあったということを裁判員の方に訴え、必ず極刑に科すこと だけを力に裁判までの日々を過ごしました。 次に、公判中に関してですが、私を気遣ってくれる検事さんや代理人の先生が 公判中は犯人と顔を合わせないようについ立てを使うことを提案してくれました。 しかし、私としては犯人の顔を見て言ってやりたい思いと、犯人に私たち家族の 表情を見せることで、怒りや悲しみを感じてほしい思いがあり、つい立ては使い ませんでした。 実際に裁判が始まり、初めて入廷してきた犯人を見た時は怒りや悔しさが溢れ 出しました。気付けば犯人の姿が目に焼き付くほど、目が痛くなるほど睨んでい ました。犯人がこちらをじっと見ることはありませんでしたが、一瞬だけこちら の方をチラッと見ました。しかし、すぐに目をそらされました。まともにこちら を見ることもできないのかと腹が立ち、「どうしてこんな奴に」と悔しさで一杯に なり涙が止まりませんでした。また、自分の衝動を抑えることにも必死でした。 証言台に立てば、犯人は目と鼻の先です。正直「ボールペンでもなんでも持って いればなんとか」などと考えもしました。どうにかして仇を討ってやりたい、 それは遺族として当然思うことです。しかし、事件から裁判まで私たち家族を ずっと支えてきてくれた人たちの存在や妹を悲しませてはいけない気持ち、自分 の思いを伝えること、正当に判断してもらうこと、それが自分の中にある真っ黒 な気持ちを抑えてくれていました。 そして、判決と結審後についてです。私は、裁判が被害者である妹の代わりに 私たち遺族が無念を晴らすための手段の一つであり、自分ではどうにもできない ことを司法が裁いてくれるただ一つの希望だと思い裁判に臨みました。そのために
私は裁判までの1年2か月間準備してきました。しかし、私たちの望みは叶わず、 犯人に下された判決は有期刑でたった27年でした。人の命を奪って27年で全ての 罪が許されるのでしょうか。この判決も「裁判員裁判だったからこの判決 だった」という見方もあるようですが、私は裁判員裁判だからこそ、もっともっと 厳しい判決を下してくれるという期待をもっていました。また「より重い判決を 得るだけの立証は困難と判断した。裁判員裁判ということも踏まえた上で、こう なった」との理由から、控訴もしてもらえませんでした。このような回答では 納得などできません。私には立証が困難だからではなく「裁判員裁判だったから 控訴できない」と言われたようにしか思えません。裁判員裁判で出た判決を重視 して、被害者や被害者遺族の思いは重視されないのかと思わずにはいられず、 嫌気が差しました。控訴できないと連絡を受けた時、ショックのあまり部屋に閉 じこもっていましたが、このままではダメだと思い、早く何かしないと忘れられ てしまうと、とても焦っていました。何もできない自分に無力さを感じ、眠るこ とさえいけない様な気がしていました。裁判所の判決はどう考えても甘いとしか 思えません。控訴したくても検察は控訴してくれず、私たちには控訴する権利は ないのに対し、犯人は簡単に控訴できます。代理人の先生が、控訴はできないと 判断した次席検事と直接話ができないか連絡してくださいましたが、結局、返事 はきませんでした。せめて、控訴するかしないかを被害者、被害者遺族を含めて 話し合うことができたらと思いました。被害者や被害者遺族は、昔より格段に権利 を守られてきてはいるのでしょうが、まだまだ蚊帳の外に出されて、中に入れて もらえないような気がします。 裁判に参加した感想として、裁判に参加できたことはとても良かったと思います。 ただ黙って傍聴席に座っていることは、私には耐えられなかったと思います。 公判中、犯人の絶対に許せない発言があり、私は意見陳述の前に証人として話を した際に、その発言は何があっても許さないとハッキリ言うことができました。 被害者も被害者遺族も裁判の場で訴えたい思いが必ずあります。犯人に直接言える のはそこしかありませんし、その場が与えられることはあって然るべきだと思い ます。私も、自分の思いを意見陳述で言えたことは良かったです。参加したこと には後悔はありません。ただ不満を言うのであれば、それは今の裁判の仕組みに 言いたいだけです。あの時、私の目の前に「司法」「判例」など自分の力ではどう することのできない大きな壁が立ちはだかり、裁判員裁判であれば、せめて過去 の判例と比べられることだけは打ち砕くことができるかもしれないと思いましたが
結局それに勝てなかったことには悔いが残り、私は未だに妹の無念を晴らしてあ げられたのかは分からず、裁判で判決が出て結審しても終わっていないように感じ ています。「何をしたら判決が変わったのか」と今でも思う時があります。しかし、 時間が経ち、自分が経験した裁判を改めて考えたり、様々な事件や裁判の話を聞 いたりするうちに、結局は何をしても今の判決を出す判断基準自体が変わらない 限り、何をしても変わらないと分かりました。こんな思いを被害者や被害者遺族 にさせるべきではなく、裁判の在り方が分からなくなりそうです。普通の判決より は重い方だとも言われることもありましたが、人の命を奪って27年で何が償える のか私には分かりません。そして、何より犯人が刑期を終え、社会に出てくること が私には許せません。犯人が極刑になれば満足なのかと言われてもきっとそうで はありません。私たち遺族にとってみれば、命をもって償うことは当然だと思う からです。犯人への刑罰で、どうなれば納得ができるのかは一生分からないと思 います。ただ、これは私個人の考えですが、例え極刑であろうと刑務所で自殺 したであろうと何であれ、死なれたら私は犯人に自分の犯したことからうまく「逃 げられた」気がしてしまいます。では、生きて償ってほしいのかと言われたらそれ も違うのです。実際、今生きているのは私たちが納めた税金で御飯と寝床が与え られているのですから納得はできません。真面目に刑に服しているのであれば まだマシですが、半年に一度送られてくる処遇を見る限りでは、反省の欠片も 感じられません。それを見る度に、言葉がキツいかもしれませんが、「はっきり言って 生かしておく意味があるのか」と疑問を抱きます。この感情は、いつも考えて いたら頭がおかしくなりそうなので、普段は忘れるようにしています。 ここで、参加して感じた裁判員裁判に対する感想・疑問・改善点についてお話 しします。国民の司法参加により、市民が持つ日常感覚や常識といったものを 裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図る ことが目的とされているとありました。しかし、実際に裁判に出てみて、本当に この目的が果たされているのかと疑問も感じました。その大きな理由として、 「過去の判例」や「量刑相場」という基準があるからです。社会通念や市民感覚 を取り入れることを目的としているのに、量刑を過去の判例を基準にしていては 何も意味がありません。大阪府で起きた警察官が結婚していることを交際相手に 知られてしまったために殺害した事件の判決が、たった18年だとニュースで知り ました。どう考えても短すぎます。当初、検察の求刑が20年というのをネット ニュースで見たのですが、そこには、一般の方の意見が500件ほど投稿されていま
した。「20年なんて短すぎる」「極刑が妥当だ」「いつも思うけど刑が軽すぎる」「甘 すぎる」といった意見がほとんどでした。中には「現代社会の日本では、もはや 時代遅れの法律ではないのか」という意見や「極刑でいい。大半の人がそう思う のでは」という言葉、「日本の殺人は刑が軽すぎる。遺族が浮かばれない」「今の 法律はおかしい。呆れる」という意見がありました。これが、本当の市民感覚で あり、社会通念ではと思います。こういった意見を反映させるための裁判員裁判 なのでしょうが、本当の普通の人としての感覚や意見とは、全く異なった結果 ばかりが出ているのがよく分かると思います。犯罪はすでに凶悪化しており、無差別 殺傷事件も多発し、いつどこで誰が巻き込まれるか分かりません。どんどん犯罪 は進化し悪くなって行くのに対し、司法は進化せずそのまま。すでに、今の法律 であれば自分はこれぐらいの刑だろうと考えて犯罪を犯し、尊い命を奪った事件 があったくらいです。こんなことが許されていいはずはありません。時代ととも に司法も見直し、もっともっと強化していくべきです。検察や裁判所は、被害者 を守るためにあると被害に遭った人間は思うしかありませんが、今の状態では どこかで“今の日本の司法では裁ききれない。”などと諦めのような気持ちを持って しまいます。これでは、裁判員裁判の目的の司法への信頼はとても持てません。 既に被害に遭って心を傷つけられて苦しい思いをしているのに、これ以上苦しめ ないでほしいのです。被害者には、司法に対する苦しみも悔しさも怒りもぶつける 場所がありません。本当に被害者を守るためにも変わってほしいのです。 私はこの裁判で、遺族として犯人に対して極刑を望みましたが、犯人が自首 していることが気がかりでした。事件当時、自首にどこまでの効力があるのかを 調べましたが、必ずしも自首軽減が適用されるとは限らないとあったので、事件 の内容を考えると、絶対に適用されないだろうと思いました。何より裁判員裁判 だからこそ適用されないと思ったのです。しかし、判決理由の中には「自首した こと」という文言があり、結局は自首軽減が適用され、有期刑となってしまい ました。どうしてあんなひどいことをした人間に酌量の余地があるのでしょうか。 自首軽減をすべき時とそうでは無い時をもっと事件内容をみて判断してほしいの です。そして、この事件内容をみて判断してほしいのは自首だけのことではあり ません。判決では、被害者の人数や計画性の有無、殺意の強さが責任能力の有無 量刑の判断基準になっているようです。 しかし、私はそれらに基準があることに疑問を感じずにはいられません。実際 に、妹の裁判の時にも判決理由の中にありました。被害者が一人でも二人でも命 が奪われたことになんら違いはありませんし、それが判断基準の一つとなった
ことに納得はできません。被害者遺族として全く理解できません。返してほしく ても返らない大切な人を亡くして、判決で被害者が一人だということを理由に されては誰のための裁判なのか分かりません。また、計画性があろうが無かろう が起こしたことには変わりはなく、計画性が無ければ、それは衝動的に人に危害 を加える危険な人物であることがハッキリと分かります。また、殺意の強さの 判断基準も納得がいきません。例えば、1回刺したことと2回刺したことで殺意 の強さが違うと判断されるようですが、急所を狙って1回刺したのなら、それは 殺意が強かったと言えるのではないか。回数でなく、何をされたのかを考えて ほしいのです。責任能力の有無を問うのもおかしいと思います。小さい子供が他 の子を押した時に、お母さんが言うのは「いいことと悪いことが分からないから 仕方ないよね」ではなく「いけないことでしょ。ごめんなさいは」と形は違えど 自分がしたことの責任を取らせる意味でもきちんと言うはず。それが大人になり 罪を犯したにもかかわらず、責任能力があるか無いかを問うのは、おかしなこと だと思いませんか。遺族にとっては大切な大切なたった一人の命。その人がどんな ひどい目に遭ったのか過去の判例をベースに量刑を考えるのではなく、それぞれ の事件の内容をしっかりと考えて判断して欲しいのです。 次に、私たち家族をサポートしてくれる方々がいることの心強さをお伝えしたい と思います。この事件に遭って以来、私たち家族はいろんな方からのサポートや 優しさに助けられてきました。本当に恵まれているなと感じます。私たち家族を 事件直後からサポートしてくださっている警察の方々、検事さん、そして刑事 裁判から民事裁判までずっと家族を見守り、一緒に戦ってくださった弁護士の 先生方がいます。その方々が一人でも欠けていたら、家族はバラバラになっていた かもしれません。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。本当にありがとう ございました。 私は、裁判で初めて犯人を目の前にした時に、怒りと憎しみと悔しさで破裂 しそうになり、思わず隣に座っていた弁護士先生の手を握りました。本当に安心 できました。 警察の方にもずっと支えていただいています。妹がやっと家に帰って来られる こととなり、警察署まで迎えに行ったとき、私たちが会えたのは「変わり果てた なっちゃん」ではなく「いつものなっちゃん」でした。警察の方が「いつもの姿 でおうちに返してあげなきゃいけない」と強く思い、上司の方に掛け合ってくだ さったそうです。そのお気持ちに本当に感激しました。事件後から様子を見に
ちょくちょく家へ来てくださり、いろんな話をしました。家族の誰かと誰か、主に 私と父ですが、ケンカをすると話を聞いてもらうこともありましたし、なだめて もらうこともありました。家族間のことまで、本当にいつも気にかけてください ました。それは今も変わらずです。こういったことで、信頼関係も築けたのでは ないかなと思います。それだけ信頼ができていたので、意見陳述・証人尋問の際 には隣に座っていてもらいました。自分の精神的な不安を和らげていただくのと 怒りに身を任せて、自分が何かしでかしてしまった時に抑えてもらおうと思った からです。私も両親も支えてくださる方々を100%信頼していました。 また、担当の検事さんも事件のことだけではなく、家族のこと、妹のことをよく 理解してくださったので、妹の(裁判の)証拠としてアルバムを作ってほしいと 提案してくださり、妹の人生をよく分かってもらえるようにと考えてくださった ことがすごく伝わってきました。検事さんが、妹の部屋を訪れてくださった際に 「この部屋で裁判が出来れば絶対に裁判に参加する方々に、なつみさんがどんな 方だったか、どんな御家族とどんな風に育ってきたかすぐに分かると思います。」 と言ってくださったことも、私たちには嬉しい言葉でした。それぞれの方が一生 懸命私たちを支えてくださり、寄り添ってくださいました。 「仲間だと思っていますから」「自分にとって大切な方たちなので」「人として 当たり前のことをしているだけですから」「無力なのが悔しい」「自分にできること を全力でやるだけです」「皆さんを見ていると力になりたくなるんです」こんな 言葉を検事さん、警察の方々、弁護士の先生方、記者の方が声をかけてください ました。本当に親身になってくださる方々ばかりで、会ったことのない妹のこと をどうしてこんなに思ってくれるのだろうと不思議に思うこともありました。 もし、誰かに「どうしてそんなに信頼できたの」かと聞かれることがあったら 私は「周りにいてくださった皆さんが、私たちと「仕事上の関わり」ではなく「人 として自分ができることをという気持ち」で接してくださっていることが、しっ かり伝わってくる方々ばかりだったからと答えます。今でも、私にとっても家族 にとっても何でも話せるし相談できる大切な方々です。少しの不安もなくやって 来られたのは、皆さんがいてくださったおかげです。 また、「緒あしす」のメンバーの方々もそうです。事件当初は、同じ境遇の人が 集まって傷を舐め合って何になるのかと思っていました。そういった場に参加 すると、自分が遺族だと実感してしまうような気がして嫌でした。しかし、「緒あ しす」に参加して同じ想い、同じ感覚、悲しみを共有し、話すことができる場所 があることにとても救われました。私には、自分にも心に痛みがありながらも、
誰かをサポートしてあげたいと思えるような強さはありませんが、せめて人の 痛みには敏感でありたいと思います。寄り添ってあげたいと思っています。そう 思えるのは、自分がそうしてもらったからです。これまでも、今この場でも、私 は周りの方に助けられています。 遺族として望むことについてお話しします。判決が出てから3年が経ち、私の 妹を奪った犯人は24年後にまた社会に出てきます。その時にまた何をするか分か りません。犯人は、これまで何回もの性犯罪の前科があり、そして最後にこの 事件を起こしました。犯人は検察側が控訴しないということが分かった途端に、 判決不服として控訴しました。結局は取り下げましたが、自分のしたことを何も 反省していないことがよく分かりました。反省もしていない人間が27年間自由を 奪われ、やっと自由になった時、必ず今まで溜めてきた欲求を満たそうとすると 私は思います。47年生きてきて作り上げられた人格や嗜好を、27年で治せるとは 私には到底思えません。裁判所も再犯の可能性を認めています。それを認めて いながら、27年後にはそのような危険な人物を社会に戻す。日本の司法は、一体 誰を守っているのでしょうか。また同じような目に遭う人がいるかもしれない。 その時に、被害者だけではなく、私たち遺族も同じように傷付き、悔しい思いを すると思います。こういう思いをすることが、二次被害の一つだと私は思います。 何よりそんなことが起きたら妹も悔しい思いをすると思うのです。あの時の裁判 はなんだったのかとは思いたくありません。更生の可能性よりも、また同じ様に 被害者が出る可能性を考えて欲しいのです。少しでも再犯の可能性が考えられる 犯罪者には裁判でより厳しい判断を下してほしいと思います。 次に、当事者の声を聴いて考えてほしいと思います。今回のことで、当事者 だからこそ分かることや気持ちがたくさんあるということを学びました。被害者 や被害者遺族、支援者にしか分からない改善すべき事柄はたくさんあります。 やはり大切なのは、体験者の話、意見を聞き、取り入れることだと思うのです。 その道に精通した方だけではなく、実際に体験した人と共に考えることは、専門家 とはまた違った観点や視点があると思い、より良いものを作っていく上で重要な ことだと思うのです。それが、被害者参加制度を導入した糧になると思うのです。 一番リアルな声を聞くことで、改善点が明らかになり、より良い方へ変わってくる と思います。専門家の意見だけではなく、実際に経験した人から話を聞き、何が 足りないのか、何が問題なのかを考えてほしいと思います。
三つ目として、当たり前としていることを今一度見直してほしいと思います。 裁判で大切な人を奪った犯人に、とにかく重い刑を科すことが遺族の目的であり 願いです。法廷で自分の思いを吐き出すことで、全ての気持ちが消化される訳では ありません。極刑になっても、決して被害者や遺族の無念が全て救われる訳では ありません。それでも、裁判の結果が少しでも被害者や遺族の気持ちを楽にする 前に進める一つのきっかけとなるべきだと思うのです。 だからこそ、裁判の在り方が犯罪者をしっかりと裁き、犯罪の抑止になるよう に社会に見せてほしいと思います。犯罪被害者の方と集まったり、お話をしたり する際に聞くことはみんな同じです。感じることも気持ちも同じです。「こんなに みんな同じ思いをしているのに、どうして誰も助けてくれないのだろう。変えよう としないのだろう」と本当に不思議に思います。 以前、御遺族の方が裁判所の前での会見で、涙ながらに「加害者のための裁判 なのですか。ごめんね。お母さん何もしてあげられなかった」とおっしゃって いる映像をTVで見ました。周りは「そんなことないよ」と言うかもしれませんが、 遺族はそう思わずにはいられないのです。自分の無力さをヒシヒシと感じさせ られるのです。私も全く同じことを思いました。私は、申し訳なさ過ぎて妹の写真 とすら目を合わせられませんでした。こんな思いを、ただでさえ心に傷を負った 人たちに味あわせないためにも考えてほしいと思います。裁判もそうですし犯罪 がTVや新聞の中での出来事という感覚をなくしてほしいと思います。妹も私たち 家族もこんなことになるとは夢にも思っていませんでした。それは、自分たちが どこにでもいる普通の家族だからです。この立場になって、初めて分かりました。 日本は海外に比べれば治安がいいかもしれません。しかし、自分の周りは安全だと 過信せず、自分はなんとかなるから大丈夫とは思わず危機管理意識を持って生活 してほしいと思います。 最後に、被害者支援の中の一つとして、司法を見直してほしいと思います。 妹は、わいせつ目的の末に犯行にあったので、性犯罪者に対する罰則をより厳しく してほしいと思います。警察の方に「性犯罪は大なり小なり毎日起こっている」 と聞きました。「ニュースで流れていることは氷山の一角で、実際にはもっとたく さん起こっている」「普通に生活できることは本当に幸運なこと」だと聞きました。 私は、妹の所属していたモデル事務所の調査不足が、この事件の引き金となった 大きな要因だと今でも思っています。だからこそ、もし、日本がアメリカや韓国
の様に性犯罪者の情報開示やGPSが装着されていたら、事務所がきちんと調査して いれば事件を防げたかもしれないと思うのです。そのようなシステムがあれば、 日本の性犯罪は少しでも減るかもしれません。毎日のように性犯罪のニュースを 見ます。その度に、私たち家族は悔しい思いをします。私は、24年後犯人が出所 した時に、また同じ犯罪を起こさせないためにも、自分に子供ができたときや 大事な友人たちの子どもたちが安心して外で遊べる社会にしてほしいのです。 これは、ここにいらっしゃる皆さんにも当てはまると思います。御自身の大事な 人のためにも、「心の殺人」と言われる性犯罪に対し、厳しく罰し、安心して暮ら せる社会にしてほしいのです。私は、愛知県が全国のお手本となるように条例を 作ってくれることを期待し望んでいます。 7月に結審した妹が所属していたモデル事務所との民事裁判についてお話しし ます。民事裁判は、安全配慮が欠けていたことを認めてもらい、妹に謝罪をして ほしいのと二度と同じことが起きないように具体的な対策を作ってほしいという のが目的でした。民事裁判は刑事裁判と違い、1か月に一度の書面でのやり取り が主だったので 数分で終わってしまうことがほとんどでした。その相手側から 来る書面に憤りを覚え、誠意のなさに悔しい思いもしました。裁判が終わるまで、 相手側からの謝罪の言葉もなく、人ひとりの命が奪われたにもかかわらず、誠意 は一度も感じられませんでした。私は、言葉での謝罪が最後には聞けると思って いましたが、結局最後まで事務所社長の口から謝罪の言葉は出てきませんでした。 これだけは本当に今でも悔しいです。誠意の欠片もない会社だと私は今でも思っ ています。妹が所属していた事務所との裁判は「和解」で合意しました。私たち 家族にとっては違和感のある言葉ですが、実際に裁判長から「では、双方とも和解 でよろしいですね」と言われた瞬間に、いい意味で肩の荷が下りたような感覚が あったのは確かです。刑事裁判が終わり、その後、民事裁判が始まりずっと妹の 為にと気張ってきたことが「ついに終わった」と、どこか気が抜けたような感じ だったのかもしれません。しかし、この「和解」という言葉を世の中の方が、 どれだけ意味を理解しているのか。そこが不安でした。私自身も当初は「和解」 と言われると、「仲直り」のような「譲歩」したような印象でしかありませんでした。 それを、そのまま文字だけを見た印象で受け取ってしまわれたら、私たち家族が これまで頑張ってきた意味を理解されないままになってしまうのではないかとても 心配になりました。 また、報道では和解に至った条件として、「解決金が支払われること」という言
葉が最初に出てきて、その次に「再犯防止策」が出てきていました。そんな報道 の仕方では、私たちの真意が伝わらない。ましては、解決金という表現がとても 不快でした。お金で解決したのかと思われたらと、とても不安になりました。 それまでは、きちんと分かってくれる人に理解してもらえればそれでいいと思 っていたのですが、あまりに自分たちの真意が伝わっていないと思えて心配にな りました。 しかし、中日新聞さんが書いてくだ さった記事を読み、不安は消えました。 中日新聞の記者さんはずっと関わって いただいていたので、私たちの思いも よく理解してくださっていました。 この記事を読んでもらえれば、ちゃんと 分かってもらえる、そんな風に思える 記事を書いてくださいました。 結果として、事務所からの直接の謝罪はもらえなかったものの、自分たちの 望んでいたことが形になったと感じられることができたと思います。事件から 4年経って、やっと妹に良い報告が出来たと思えました。 長くなりましたが、最後に私自身の心境の変化についてお話しさせてください。 事件から4年が経ち、心境にも変化があります。妹に対する気持ちと自分自身 が少しずつ前を向けるようになってきたことです。初めの頃は、夢に向かって 頑張っている妹と、ただなんとなく生活している自分を比べてしまい、妹がいな くて自分が残ってしまったこと、生きていることへの罪悪感のような感情もあり ました。笑っている自分にも嫌悪感を抱き、自分はなんて薄情者なのだろうと思 ってしまう時もありました。でも、時間の経過と同じ境遇の方とお会いする機会 を持つことで、笑ってもいいのだと思えるようになり、少しずつ感覚を取り戻し てきたように思います。 裁判が終わってからの一年間は、外に出ることに不安を感じ、一人で外出する こともできなくなりました。一番ひどい時には、家の近所へ一人で出歩くことす ら不安になってしまい、さすがに自分でもまずいなと感じ、この先自分はどうな ってしまうのだろうと思わずにはいられませんでした。裁判後一年間は、無理を して過ごすことはやめようと思い静養しました。 2年前の12月に「緒あしす」で講演をさせていただいたことが自信となり、仕事
にも就けるようになりました。事件の強いストレスから出た適応障害とパニック 障害の症状は、今では以前に比べて格段に良くなりました。とは言いつつも、 まだまだ不安感が全く消えた訳でもなく、自分の気持ちとの戦いは続いています。 妹との向き合い方も大きく変わりました。事件があってから2年間は、ずっと 妹がここにいたいなら、ずっといればいいと思っていました。ずっと家族4人で 一緒にいればいい。ここにいることで、気持ちが落ち着くのであればそれでいい。 そう思っていました。でも、それは「妹がしたいなら」ではなく、「私がそうして ほしい」と望んでいたことだと3年経ってようやく気付けました。「妹を送って あげなければいけない」「自分の気持ちで引っ張っていては、妹はいつまで経って も安心できない」と気付いたのと同時に、「妹を安心させてあげられることは、私 たちがちゃんと前を向いて、悲しい顔ではなく笑顔で生きていく姿を見せること」 だと思いました。時には寂しくなったり、事件のことを思い出して、時間が戻った ようにあの時の感情があふれる時もあります。でも、前を向いていこうと思います。 こう思えるまでは、「自分の幸せなんていらないから、妹のために何かをしてい ければいい。」そう思っていました。大げさかもしれませんが、それが私の使命だ と思っていました。 でも、今は自分が幸せだと思うこと、その姿を見せることが一番大切なこと だと思えるようになりました。そうすることで、家族を幸せにしてあげることが できると思えるのです。それが、妹から託された私の役割だと思い、今を過ごし ています。以上で私のお話を終わります。本日は御静聴ありがとうございました。