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駒澤大學佛教學部研究紀要 24 - 011クリステンセン フレッド・ミュラー「デンマークにおけるパーリ語および仏教研究」

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全文

(1)

マ ー

パ ー

仏 教

レ ッ

ー ・

ン セ ン

Frede

 

Muller

 

Kristensen

(奈 良康明 訳)

  

本稿は昭 和

40

年 10 月 19日, ク リス テ ン セ ン博士 が本 学におい て講演さ れ た際の 原 稿 の

 

翻 訳で る。 同博士は本文中に もある通 り, デ ン マ ーク の新進パ ー り語 学者 で, 現 在は

 

画期的な “ 批 判 的パ ー 語 辞 典” の編集に専念して い る 。

 

博士 の原 稿の 中に は言 語の 名 や書 名にして , 可 成 り特 殊 な もの が い くつ か ある。

 

〔 〕 を も つ た部分 は , そ れ らの語 に対する訳著の 補註で ある。

 

ヨ ー ・ ツ パ で は 大体 1750 年 頃か らイ ン ド哲

の 原

られ て い たが ,お よそ 1850 年頃 まで は, サ ン ス ク リ ッ ト の 理解は そ う進 ん だ もの で はなか っ た。 そ の 後 ヨ ー ロ ッ パ で は仏 典 よ り先 に, まず , 古 典 的 サ ン ス ク リ ッ ト劇, ヴェ ー , ウ パ ニ シ ドが 知ら れ る よ うに な っ た。 そ して ,

1855

年 に デ ン マ ー ク の イ ン ド学者, フ ァ ウス ペ ル が 法 句 経の 出 版 を す る まで は仏教文学は 正 し く知 ら れ て い な か っ た の で る。  さて デ ン マ ー ク に つ い て み る な ら ば, 何 故パ ー り語 と南 方上 座 仏教が イ ン ド学 の 一部 と な り, デ ン マ ー ク の 初 期の イ ン ド学者た ちの 関 心を得て パ ー リ研究の 伝 統 が芽生 え たの で ろ うか。 何 故そ れ が古

サ ン ス ク リ ッ ト文

や, 仏 教 梵 語の 作 品で は なか っ たの か, とい う疑 問が ある もの と思わ れ る。 実は彼等

t

ン ド学 者 がパ ー リ語 を 主 に研究 し た の は , デ ン マ ー ク に彼 等が 利用 し うる厖 大な, セ イ ロ ン か れ たパ ー リ 本 類が あっ た とい う事 実に よ るの で あ る。 で は い か に して , その 発生 の 地 よ りは る か に彼方 の 小 さ な 国で あ るデ ン マ ー , パ ー リ 語 写 本の 一コ レ ク シ さ れ の で あ ろ うか 。

 

こ の 問 題に答 える た めに, 我 々 は デ ン マ ー ク の イ

, ラ ス ム ス ・ラ ス ク (

Rasmus

 

Rask

 

1787

1832

) をら な け れな ら ない 。 学生 の 時か ら彼は 言 語 学 研 究に は

大 の 興 味 と非 凡 な才 能を 示 した。 (たとえば ), 彼は教 師か らデ ン マ ー ク訳 つ きの ア イ ス ラ ン ドの テ キ ス トを借用する と, そ れ を研 究 し て , そ の 言 語 の 語彙や 語 形 を導き出 し, ア イス ラ ン ド語の 文 法 と辞 書 を作 つ たの で あ る。 1807 に大 学で 勉 強 を始め た時に は, 当時の 誰 で もがす るよ うに, 神 学 を 学ぶ 予

(2)

      デ ン マ ーク に お け るパ ー お よ 教 研 究 ス テ ン セ ン )       

35

定 で あ っ た が , 彼は言語的 な 研 究 に興 味 を 引か れ て い つ た の で あ り, ア イ ス ラ ン       ■ ド, フ ィ ン ラ ン ド語, ラ ッ プ ラ ン ド語, グ リー ン ラ ン ド語, ス ラ ヴ語 等 さ らに イ ン 語 やペ ル シ ャ 語 まで 研究 した。

1816

年, 彼 はデ ン マ ー ク 国王 の 後援を 得 て , ス ェ ー , フ ィ ン ラ ン ド, ロ シ ア , さ らに ペ ル シ ャ , イ ン ドへ の 長 い 旅 に 出 発 し た 。 イ ン ド の ボ ン ベ イ で は彼 は ア ヴ ェ ス タ 〔古 代イ ラ ン 語 の 一

や パ フ ラ ヴ ィ 語 〔中期 ペ ル シ 語 〕を 習い , マ ドラ ス で は タ ミール 語 を勉 強 し, 1821 年

11

月に コ ロ ン ボ に到 着 し た。 彼はセ イ ロ ン でパ ー リ語 , セ イ ロ ン 語!(

sinhalese

), ゼ ン ド 語 〔古代 イ ラ ン 語の 一・〕等 を研 究 し, 1824 年に 出 版 さ れ た ク ロ ー (B .Clough

の パ ー 文 法 寄 稿 して い 。 セ イ ロ ン 滞在 中, 彼は 貝 多 羅 葉 写 本 の 大 コ レ ク シ ン を得て ,

1822

年 コ ロ ン ボ を 出航 して い る。 し か し船が 難破 して 彼は 書 籍や 金 品 を失 っ た が, 生命 とすべ て の パ ー り写 本は幸 運 に も失 うこ と は なか っ た。 彼 は デ ン マ ー へ 帰 る為 セ イ ロ ン さ ら 月 も在 を余 儀 な くされ た が , そ の間 に コ ロ ン ボ で デ ン マ ー ク語 に よ り 「セ イ ロ ン 文 字 書 法」 す なわ ちセ

イ ロ ン 字の 門 書 出 版 て い る。 (

Sinhalesisk

 

Skriptlore

, 

Colombo

1822

年 )

1823

年, 彼は 貴 重 なパ ー リ写 本 の コ v ク シ ョ ン と共 に コ ペ ン ハ ーゲ ン へ 帰 っ た 。 長 年 にわ た りイ ン ドの 言 語 研 究 に没頭 して 多 くの 貴重 な資 料 を持ち 帰 っ た こ とか ら, 彼はパ ー リ文 法か , ま た は そ れ に類 し た もの を 出版 す る で あろ うと予 想 さ れ て い た が , その 実, イ ン ド, セ イ ロ ン よ り帰 国 後の 最 初の 出版は ス ペ イ ン 語 の 文 法 書 で あ っ た。 彼 は東 洋へ の 旅行 後 は非 東 洋的言 語 や一般言 語学の 研 究 に 没 頭 して い たの で あ り, その 書 簡の 一 つ の 中に 「私はす べ て東 洋 的な もの は 忌み 嫌 う」 と書い て い る。 これ は彼が 旅 行 巾の 病 気, 貧 困,苦 労な ど か ら東 洋研 究 に嫌 気を さ し た の で あ ろ う と考え られ る。 し か し彼は ドラ ヴ ィ ダ語の 研究の 準 備を し, ま た 出版 され は しなか っ た が , バ ー ラ ア ヴ ァ タ ーラ (

Balavatara

) 〔

13

 

C

.頃に か か れ たパ ー 文 法 入 門

い パ ー 文 法 や , 彼の 死後 (

1862

年 )に 出版 さ れ た イ ラ ン イ ン ド語 の 概説 な どを 書 い てい る。 これ らの こ と は ラ ス ク 自 身, 自らセ イ ロ ン よ り持 ち帰 っ た貴重 な パ ー リ ・ コ レ ク シ ョ ン を 活用 しなか っ た とい こ とを意 味 して お り, そ の 先 鞭 を附けたの は デ ン マ ー ク の イ ン ド学 者, ヴ ェ ス タ ーガ ー ド (

Nils

 

Ludwig

 

Westergard

 

1815

1878

)で あ っ た。

 

1848

, ヴ ェ ス タ ーガ ー ドは ラ ス ム ス ・ラ ス ク の 死後は王室 図 書

に 納め ら れ て い たパ ー リ写 本の 目録 を 出 版 したが , しか し彼 もこ の 日録以 外に はパ ー リ写 本 に つ い て の 仕 事 は して い ない 。  西洋に お け るパ ー 仏 教 研 究 し て最 も重 要 , ラ ス ム ス ・ラ ス ク

(3)

36

ヂ ン マ ーク に お け るパ ー お よ び仏 教 研 究 ク リス テ ン セ ン ) 将 来 の 写本 につ い て専 心 に研 究 し た デ ン マ ー ク の イ ン プ ア ス ベ ル       i

Viggo

 

Fausboell

 

1821

− 1908 )で る 。 彼 も大 学で 勉 強 を始め た時 に は神 学を 学 ぶ こ とに な っ て い たが, ラ ス ム ス ・ラ ス ク の 論文 に大い に 感 激 して 言 語 学的研 究 を 主 要 課 目と し, ア イ ス ラ ン ド語や サ ン ス ク リ ッ ト等を学ん だ 。 当時の イ ン ド学 の 教授で あ っ た ヴ ェ ス タ ー パ ー つ い 研 究 す よ う は げ ま したの で , 1848 年以 降, パ ー リ研 究 に 没頭す る よ うに な り, ラ ス ク将来写 本 に 真 剣 に と り くん だ の で あ る。 彼 は文 法 に 関 す る テ ク ス トか ら仕 事 を始め た が, す ぐ に ジ ャ ータカ 〔本生 話 〕の 写 本に関心 を もつ よ うに な っ た。 1855 年彼 は法 句 経 (

Dhammapada

)を出 版 し た が , こ れ は すべ て ロ ーマ 字 体で な され た パ ー り ・テ ク ス ト の 最 初の 出版 で り, 法 句 経 か らの 抜 萃 と, 当時の ヨ ー ロ ッ パ で の 学術 語 で あ っ た ラ テ ン 語訳 が 含 ま れ て い る。

1861

− 1872 年 に わ た り, 彼は短 い ジ ャ ー カ ・テ ク ス トを 出 版 し,

1877

年か ら

1896

年の 間に ロ ン ド ン で 6 巻 の ジ ャ ー カ の 刊 本を出版 した が, これ は ガ ー タ ー (

gatha

偈 頌 ) と散 文の 物 語 り, お よび註 釈

両 方を含 んで い る。 さ らに

1881

年に は東方聖 書 (

Sacred

 

Books

 of the 

East

の 中に経集 (

Suttanipata

)の 訳, 1885 年か ら

1894

年に は語 彙つ きの ス ッ タ ニ パ ー出版 をな し て い る。

1878 年

は コ ペ ン ハ ー 大 学の イ ン ド学 教

に 任命 さ れ た 。 長年に わ た っ た ジ ャ ータ カ刊 本 仕 事力 を退 させ , 晩 年 に は ほ と ん ど盲 目 と な っ て し ま っ た の で あ る 。   フ ァ ウス ベ ル 活躍 し た の と殆ど時を 同 じ くして , コ ペ ン ハ ーゲ ン に, も う 一 人 の デ ン マ ー ク の イ ン ド学 者, トレ ン ク ナ ー (

Vilhelm

 

Trenkner

 

1824

1891

い た。 彼は

1841

年 に大 学で 言 語 学 的研 究 を 始 め, 古典言 語 学 , ペ ル シ ャ 語 , ア ラ ビ ア 語 等, さ らに 近 代 言 語を も研 究 し, ヴ ェ ス タ ー教 授 指 導 で サ ン ス ク リッ ト, ゼ ン ド語,パ フ ラ ヴ ィ語を 習 っ た。 彼は さ らに独 学で ベ ン ガル 語, ヒ ン デ , セ イ ロ ン 語, ビ ル マ 語 も勉 強 し た の で ある 。 こ の よ うに多 くの 言 語 を勉 強 した た め に彼は一 つ の 言 語, あ るい は 二 つ か 三つ の 特 定の 言 語 研 究 に専念 する こ とが 出 来 ず,か くて 彼 は学 位 も 取得なか っ た し, 大 学や王立 図書館 で 地位を 得る こ と も 出 来 なか っ た 。 彼は 自分 の 資産が あ り, コ ペ ン ハ ーゲ ン で 孤 児 の 学 校 の

の 地

につ てい る。 彼は し ば ら くイ ン ド学研究 にたずさ わっ て い る う ち に ますますパ ー リに関心 を持つ よ うにな っ た 。 フ ァ ウベ ル は すで に 自 ら考 案 し た特別 な速記 法 を 用 い て い くつ か の パ ー リ ・テ ク ス トを筆写 して い た。 トレ ン ク ナ ー もこ の 方 法に よ りコ ペ ン ハ ーゲ ン あ るすべ の パ ー リ ロ ン ドン る もの の い くらか を筆写 したの で あ る。 (例 えば

Abhidhanappadipika

, 

Majjhi

(4)

      デ ン マ ーク に お け るパ ー リお よ び仏 教 研 究 (ク リス テ ン セ ン )      37

ma −nikaya , 

Suttanipata

, 

Dhammapada

−at ζ

hakata

, 

Jataka

, 

Milindapafiha

)。

トレ ン ク ナ ーの と は 写本の 単 な

写 , コ ピ ーで は な く, 批

的 な

見 , 考 察で満た され て い る。 そ して 彼の パ ー リ ・テ ク ス ト の 出 版は そ れ に基 づ くもの で あ り,

1879

年ロ ン ド ン よ り

Milindapa

曲 a 第

1

章 , 翌 年 に は 同書の 全 部の 校 訂が 完 成 ,

1888

年 には ロ ン ド ン よ り

Majjhima

−mik   a

1

が 出,

2

3

巻は死後 に 出版さ れ た 。 トレ ン ク ナ ー 自分 写 を大辞 書 編 纂 の 資 料に と考 え, ま た 文 法 用 例 も集め て パ ー 細 な 文 法 出 版 を 意 図 の で っ た が , つ い に 生前に は 実 現す る こ と が 。 この 辞書編 纂の た め に 彼の 収 集 し た 用 語に つ い て は , ま た後に ふ れ る 。

 

1903 年, ア ン デ ル セ ン (

Dines

 

Andersen

 

1861

1940

)は コ ペ ンハ ーゲ ン 大 学 の イ ン ド学 教 授に任命 され た 。 彼は 最初, 古典 言 語 学 を学ん だが , そ れ 以外に も 一 般 書語 学や, フ ァ ウス ベ ル 教 授の 指 導の も と に サ ン ス ク リ ッ トを も勉 強した。 数

問に わ た っ て 彼は サ ン ス ク リ ッ ト文 章論の 研究に没頭 して お り, 1889 年 に は大

よ り金メ ダル を 授 与れ ,

1892

年に学 位 を

て い る。 次 い で パ ー リ 研究に従

す る よ うに な り,

1819

年 に は

Rasavahini

の 一部を翻訳 し,

1897

年に は フ ァ ウ ス ベ ル の ジ ータ カ 刊 本索 引作 製 した。 1901 年 か ら 1907 年に わ た り, 彼の 有 名 なパ ー J語 読 本 , 非 常に有 用な語 彙と ともに 出版 さ れ た。 ス ウ ェ ー

協力 者 , ヘ ル マ ー ・ス ミス (

Hel

皿 er 

Smith

)と共 に, 彼 は

1913

年 に は

Suttani

pata

を, そ して 1921 年 に は

Pali

 Dhatupatha 〔パ ー リ語 動詞 の 語 根 を 集 め た作品〕

を校訂 出 版 し てい る。 しか し, パ

学に と っ て 最 も重 要 な 彼 の 貢 献 は , “

判 的パ ー 辞 典

Critical

 

Pali

 

Dictionary

, 以 下

CPD

と略 記 )の 仕 事 で あ る (こ れ に つ い て は後 に改め て 述べ

1927 年

に教授の 地 位を退い て か ら後, 彼 は 終 生

CPD

仕 事に専念 し て い た 。

 

ア ン デ ル セ ン 教 授 の 後 任 は ボ ウル ・ト ク セ ン

Poul

 

Tuxen

 

1880

1955

り, 彼は主 に .占典 イ ン ド哲 学 に関心 を も っ て い た が, 仏教研 究 に も 貢 献 して い る。

1928

, 彼 は デ ン マ ー “ ブ ツ ダ, 彼の 教 説 , 伝 統お よ び 生 き て い る仏 教 ” を 出版 した。 彼 は長 ら くタ イ 国 に滞在 して 僧 院に 生 活し た こ と も あ り, 現に生 き て い る仏 教 を研 究 し て こ の を書い た の で

1936年

に は 中観派や竜 樹の 仏 教 相 対主義に つ い ての を出版 して い る (

2nded

., 1953 )。 さ らに 法 句 経 の デ ン マ ー も出 し て 。   トク セ ン 教授の 継 者は現在 の イ ン 学 教 授 , ヘ ン ド リク セ ン (

Hans

 

Hendri

ksen

 

1914

で あ る。 以前, 彼はパ ー り語に非 常 な興 味 を示 し, 彼 の 博士論 文は

(5)

38

    

デ ン マ ーク に お けるパ ー お よび 仏 教 研究 (ク リス テ ン セ ン )

パ ー リ語の 文 章 論につ い て で あ っ た (

Sylltax

 on  the 

Inde

丘nite  

Verb

 

Forms

 

in

Pali)

。 

CPD

の 仕

に も何 年か 従事し たが, 現 在で は イ ン ドを 教授 す る に 必 要 なこ と以上 に は, パ ー リ研 究 に特別 な 関心 は な く, もっ ぱらイ ン ドの 代 語, ヒ マ ラ ヤ 地 方の パ ノ・ 一 リー 方 言 (

Pahari

)の 研究 を し て い る。

 

以上 , デ ン マ ー ク の イ ン ド学 者 と そ の 重要な出版, 特に パ ー リ ・ ス ト の 訂につ い て き た が , こ うした 諸 著 作が, パ ー リ及 び 南 方上 座仏教の 研究 に 大 の 貢 献 を して き た こ と は論 を ま たな い 。 し か しパ ー

関 す ン マ ー ク で の 出版で , 世 界 中の / ン ド学 者, 仏 教

者, 言 語 学者 に よ く知られ て い るの は, デ ン マ ー 王 立学士院 て 出版さ れ る

CPD

で あ ろ う。 そ こ で , こ の 辞 典編 纂の 歴 史 と現状 につ い て簡 単に述べ て み い 。 す で に トレ ン ク ナ ー が パ ー 写本の 大 部分 の 批 判 的筆写 をし た こ と は前に述べ た が こ の 筆写本 を もと に して , 彼は パ ー 語 辞 書 を 出版 する た め名詞 動 詞 語根 の 二種類の カ ー ドを集めた。 原 写本か らパ ー り ・テ ク ス トを 筆 写する場 合, 彼は フ ァ ウス ベ ル が この 目的の た め に 考案 した速記 法を使 っ て い るが, その 例を示 せ ば次の 通 りであ る。

 

1

 

子 音の

母音 a は省 略 する 。    例

bl

bala

 

2

  長母 音, 二 重 子 音の 例 。

    

a

.・

i

, 

a

一 矼 百 ・

t

・;

kk

99

・t・・  

3

  子 音 の 気 息音 は字 体 を少 々

    

イ・

k

汐… 己

4

P

・磁

    

fC

・…

para

 

pl

phala

 

41

bala

 

4

  随 音 ・7n ・s = mamsa

 

5

鼻音

/ 鰯

・ ・

g

・−

gh

ndh m

 

6

絶 対法 の 後

E

・ 特 殊記 号 t・a :

g

離 幅

 

トレ ン ク ナ ーは こ の 方 法 をそ の その カ ー ドに ま で広 く使 っ て い る。 し か し前 述 し た 如 く, トレ ン ク ナ ー 辞 書た り 出版 す と は出来 たの で , 彼の 集め た筆写やカ ー , 大 学 図書 館に

め られ た。 そ し て 当時司 書 で あ っ た, ア ン デ ル セ ン の

理 す る と こ ろ と なっ た。 ア ン デ ル セ ン は パ ー パ ー リ言 語 学 を厳正 な言 語 学的 基礎の 上 に研 究 で き る よ うにす るた め に,

CPD

の 必要 性を痛 感して い た。 そ して こ の ト レ ン ク ナ ー ・コ レ は げ ま さ れ て こ の 計画 を完成 させ る た めに 努 力 するこ と を

意 し た の で ある。

(6)

      デ ン マ ーク に お け るパ ーお よ び 仏 教 研 究 ク リス テ ン セ ン        39

1912

, ア テ ネ で の 東 洋 学 者 大会で 国 際 的 な 規模で パ ー リ語 の 辞典を編纂す る こ と が決 め ら れ た が ,

1914 年

の 世界大 戦の 勃 発は こ の 計 画 実 現の 障害 と な っ て し ま っ た。 そ こ で ア ン デ ル セ ン は ス ウ = 一 か ら と し ー ・ ス ミ ス を 招き, コ ペ ンハ ー ゲ ン で 独 力 で も辞 典 を 出版 し よ う と決 意 した。 両 者は トレ ン ク ナ ーの 集め た 材 料が辞

の 基礎 と な るべ , つ づ い て こ れ を お ぎな う仕 事を 開 始 した。 ア ン デ ル セ ン は ト レ ン ク ナ ー が集め た 動 詞 語根を ホ イ ッ トニ ー

W

, 

D

Whitney

)の “ サ ン ス ク リ ッ ト語 根 ” 〔

The

 

Roots

, 

Verb

forms

, and

primary

 Derivatives  of the 

Sanskrit

 Language

, 

Leipzig

, 1885

に倣 っ て 再 整 理 した。

1924

年 に は

CPD

の 第

1

分 冊 が 出 版 され ,

1948

年には 第

1

巻 が完成 した。 こ の 第

1

巻 は主 と して ア ン デル セ ン ス ミ ス に よ て 出版 され た もの で ある が , 前

は /940 に 亡 の で , 第

1

巻の 最 後の 分冊 は ス ミ ス が

在 の コ ペ ン ハ ー ン 大 学 の イ ン 学教 授 た る

H

.ヘ ド リ セ ン の 助 力 を 得 て 出 版 して い る。 第 1 巻 の 完 成後, ス ミス は

CPD

の 仕事 よ り引 退 し, ヘ ン ド リ ク セ ン が二 人の 弟 子, ポ ウ リ ー夫 人 (

Mrs

. 

Pauly

)と私 , すな わ ち, ク リス テ ン セ ン の 助力 を 得 て , 今 後の の た めの 資 料を準 備し たの で あ る。 1957 年, ヘ ン ド リ ク セ ン 教 授 は

CPD

か ら引 退 し た の で , ポ ウ リ ー夫 人 と私 の 二 人 だ けが こ の 仕 事 の た め に残 さ れ る こ と とな っ た 。 比較文法 を 専攻 して い る ヴ ァ ル ン ダール 氏 (

Mr

 

Warundahl

)が時 に我々 て くれて い る。

 

さて ア ン デル セ ン ス ミ ス っ て な され た 第 1 巻 の 出 版 に は

25

年 の 歳 月 を

して い る。 従 っ て, 我 々 が

りの 巻 数一

6

乃 至

7

巻の 予 定一 すべ て の 資 料を準 備 し て出 版す る に は , 少 くと も 200 年は か か るこ と に な るで あ ろ う。 か くて 1958 年に

CPD

デ ン マ ー ク委 員会 と デ ン マ ー お け るた ち 際 的 基盤の 上 に こ の 出版 を継 続 す るこ とを決 定 した。 我 々 は多 くの 外国 の 学 者 と連 絡 を と り, そ の あ る人 は有 力な協 力者 と な っ て い る。 こ の 辞 典の 出版 を 推進す るた め に我 々 は い ろい ろ な方 法 を 考 えて み た の で る が , か か る大 事 業 の 組織 を作 り 上 げるの は容 易 なこ と で は ない 。

1963

年,

CPD

事 業の 再 編 成に関 し, 私 は 従来 の 経 験を も と に勧 告 す るよ うに要 請 さ れ , 次の 二点 を 強調 し た。 そ れ は

CPD

す べ 稿 コ ペ ン ハ ー ン の

局 へ 送 ら れ る , 少 くと も別 の 協力 者の 一 人が 改 訂 すべ る こ と , 多 くの 国々 に活 動セ ン ターを 出来 る だ け早 期に設 立 して 独 立 に仕 事を進め るべ る こ と, の 二 点 で あ る。 すべ て の 仕 事 , す なわ ち, 参照事項 の 確認 原稿 の 改訂等, は各 国 の セ ン タ ーでな さ れ る こ と にな る。 こ の セ ン タ ーは次の に お か れ るこ とにな っ て い る。

(7)

40        デ ン マ ーク に おけ るパ ー お よ び仏 教 研 究 ク リス テ ン セ ン )

 

ドイ ツ

 

こ こ で は次 の 諸

者の 活撥な

力 が約 束 さ れ て い 。 コ ッ プ 博士

Dr .

KoPP

, ア ル ス ドル フ 教授 (

Prof

. 

Alsdorf

), ベ ツ ヒ ェ ル ト (

Bechert

), ヒ ー ブ

ラ _

Haebler

), ブ ッ ド ゥ ラ ス (

Buddrusss

), また, オ ラ ン ダ か らの ボ レ ー博士

Dr

. Bollee ) あ る

 

チ ェ ッ

コ ス ロ バ キ ア

 

ス ン プ博

Dr

. 

Tisunp

)と彼 の

 フ ラ ン ス   カ イ ラ夫 人 (

Madame

 

Caillat

M

ロ ル 夫

Madame

 

Martini

Terrol が多 分1966 か ら常 時 協 力 者 となる こ と に なっ て い る。   日本 辻 直四郎教 授 を委 員 長 とす る九入 よ り成 る国 内監 修 委 員会 と 三 人 の 力 者, 名古屋 の 前 田恵 学, 京 都 の 雲 井 昭 善 , 桜 部健各 教授が い る。

 

ロ ン , すで に ゴ ダ ク ム ル ラ 博士 (

Dr

. 

godakumlura

), ジ ャ ヤ ヴィ ク ラ マ 教 授 (

Prof

. 

Jayawickrama

, ニ ワ ラ プ ッ ディ ー教 授

Prof

 

Niwalabuddhi

)等が 尽 力 さ れ て い る。 昨年 私が セ イ ロ ン を訪れ た 際,

CPD

セ ン タ ー を 公 式 に設 立 す る た め に 文部 省, 大学の 代 表 者達 と相談 した が , ま だ最 終的 解答 は得て い ない 。  イ ン 昨 年ド に滞 在 て い た 時

CPD

セ ン ーの 立 計画 を大 学 と文 部 省 の 代 表 と話 し合 っ た。 今 回 も 日本 か らの 帰途 にはイ ン ドに立 ち寄 り, こ の 計 画 の 細 部に わ た る話 し合い を す る 予 定 で あ る。 さ らに ア メ リ カ も

CPD

セ ン タ ー を 持つ こ と に多 大の 心 を示 して い る。  1960 年以来 第

2

巻の 三 分 冊 a か ら ayu の 分 まで が 出版 さ れ た が, 来 年 に は 次の 一分 冊が 出 版 さ れ る こ と に な っ て い る。 さ らに

1967

年以降に は 毎 年二分冊 つ つ 出版 れ る こ とを希 望 して い る。 多 くの 国々 か らの 協 力 者を得て こ の 事 業が 伸 展 する に応 じて 出来る だ け 仕事を 統一 あ る もの に す るべ , 協力 者 達 に,

CPD

の 項目 を書 く際 の 一一般 的 指 示 を き め て お く必要 が あ る 。 私 は こ れ に関 す る資料を

め て お り, ユ

966 年

まで に は完 成 したい と願 っ てい る。 そ し て

第 1

巻と 同じ線 を維 持 す る よ う努 め たい 。  今後の 編 纂の 基 本 原 理は第

1

巻 と同 じで っ て , そ れ は, 集 め られ解 釈 され る 語はパ ー

y

文 学だ けれ る こ とで る。 すな わ ち 「部 内 的 原典 批判」 (

inter

nal  textual  criticisum り, パ ー リ文 学 を, 他の 言 葉, 例えば 中 国語や チ ベ

ッ ト語で 伝 承 され た 仏 教 文

と比較す る こ と は し な い 。

CPD

は そ の よ うな 比

研 究へ の 一つ の 手段で あ るべ

CPD

が拠 るべ き第一 の 資 料 は

ユ巻 と 殆 ど同 じで っ て , 聖典 テ キ ス ト, 註 釈 書 類 古 い 歴 史 書 や技 術に 関す る文 献な どで る。 私は こ の 資料の 中に 古い

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(註釈 ) も加 えたい と思 う。 将 来 は む つ か しい 言葉や術 語 を 説 明 するため に , 二 次的 資 料 と して , 一般の 註 釈文学 も大

(8)

      デ ン マ ーク に お け るパ ー りお よび 研 究 ク リ ス テ ン セ ン         41 い に 利 用 し たい と思 っ て い る。 トレ ン ク ナ ーの 集録, ア ン デル セ ン の 語 根 の 集 録 , そ して ア ン デ ル セ ン ・ス ミ ス の 集 録 どの い 資 料 に加え る もの と して , 我 々 は ガ イ ガ ーの め た資料, フ ラ ン ケ の 集 録

これ は 韻 文 文 学よ り語 を集め た もの ) を 自由に

用 し う るの で あ り, さ らに索 引な ど に 基 づ く新しい 集 録が準 備 さ れ つ つ  以 上, デ ン マ ー ク の イ ン ド学者 た ち が な して き たパ ー り語 お よび仏 教研究 の 概 要 を お 話 し して きたの で あ る が , これ 以 外 に, 専 門家で な い 人 た ち, イ ン ド学者 と は 呼べ い 人 た ちの 手 に な る仏 教 関 係の が ある。 そ れ らは大体 , 他 の 学 者 の 著 作や仏 典 の 訳 な ど に基づ い て 書か れ た もの で あ っ て , 学 術的 な面か ら言え ぱ 二 義 的な もの で る。 し か し, デ ン マ ー ク の 人 人 の 問 に仏教の 智 識 を広め た と い う点 で は 重 要な役 割 を 果 して きて い るの で る。 い ず れ もデ ン マ ー ク語で 書か れ た もの で あ り, その い くつ か をご 紹 介 し た い 。

  E

,レ ーマ (Edward  

Lehman

, “ プ ツ ダ と そ の ”, 1907 , (3rd . ed ., 1920 ). “ 仏教概 要 と そ の 伝 播

  H

.ヘ フ デ ン グ

Harold

 

Hoeffding

宗 教の 哲学” ,

1901

.本 書 は二 章 を さ い て 仏 教 に あて て い る。

  W

.グ レ ン ベ ッ ク (

Vilhelm

 

Groenbeck

), “ ヨ ー ロ と イ ン ド の 神 秘 義 者” ° 1

仏 教 て られ , 著

は仏 教 に深 く傾到 して い る。

 

K

.ジ ェ レ ラ ッ プ (

Karl

 

Gjellerup

)は 仏 教に 関 す る現 代 の 著作 につ い て ,

1906

年 よ り 1907 年 に か けて い くつ か の 論 文 を 発 表 て い る 。  

F

.メ ル ビ ェ (

EMelbye

) , “ ブ ッ ダの 宗 教 1926 .

 

レ ベ ン トロ ー (

Chr

. 

Reventlow

), “ ブ ッ ダ は我 k に 人 生の 意義に つ い て 何 を 教 え た か”, 1943 .

 

さ ら に デ ン マ ー ク に を うけ た 小 詩 も あ

K

,シ ェ レ ラ ッ プ は

1906

年 に, “ 巡 礼 増 カ ーマ ニ ー ダ ’ を書 き,

1907

年 に は “ 完成 者の ” とい う 韻文劇 を世 に 問 うて い る。

 

レ ベ ン トロ ー

1921 年

盲 目 う ちに 」

1924

年に は 「煉 獄か らの 便 り」を書 い て い る。 さ らに ワ ル デ マ ル ・ロ ール ダ ム は

1925

年に

6

幕物の 劇 「ブツ ダ 運命 の

」 を 出 して い る。

 

デ ン マ ー 於け パ ー 語 や仏 教 関 す学 術 的 著 作 も , ま た 一般的 著 作 も デ ン マ ー ク人 を仏教に 改 宗せ し め る もの で はなか っ た。 人 々 を 改 宗 させ る の は 学

(9)

42      デ ン マ ーク に お け るパ ー 語 お よ教 研 究 ス テ ン セ ン ) 術的 な仕 事で は な く, そ れ は 伝 導 者の 任務 で あ る。 しか しな が ら これ らの 著作が デ ン マ ー ク の 大 部 分の 人 k に 仏教の 知 識 を与え, これ に よ りデ ン マ ーク 人が 宗 教 的 な 面 に於 い て よ り寛 容 にな るの 貢 献 して来 たこ と は うた が い い と こ ろ で あ る。 そ れ と同時に , デ ン マ ー ク人 に , 仏 教が主 要 なる要 素 とな つ て い る文 明 をよ り 正 し く理 解 させ て た の で る。

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参照

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