2007 6 JUNE
地域経済連携と農業政策
●EUの農業政策と貿易政策
●スイス農業政策の対外適応と国内調整
●EUの直接支払制度の現状と課題
●東アジア共同体構想と農業
●組合金融の動き
2 0 0
年7
月 第 巻 第 号
60 6
6
2007
年6
月号第60
巻第6
号〈通巻736
号〉6
月1
日発行農林中金総合研究所は,農林漁業・環境 問題などの中長期的な研究,農林漁業・
協同組合の実践的研究,そして国内有数 の機関投資家である農林中央金庫や系 統組織および取引先への経済金融情報 の提供など,幅広い調査研究活動を通じ 情報センターとしてグループの事業を サポートしています。
戦車の行進とアルプスの山並み
昨年,スイスの農業団体を訪問した際に目にしたポスターである。一方には,果てしな く広がる土地に,戦車を思わせる大型トラクターの隊列がほこりをたてて行進する写真,
一方には,美しいアルプスの山並みを背景に,緑の山麓に牛が点々と放牧されている写真。
ポスターは「あなたはどちらを選ぶのか」という問いかけをスイスの国民に発している。
いうまでもなくこれは,米大陸,豪州等の大規模,収奪的農業と,スイスの環境保全型農 業を象徴的に対比し,スイスにおける農業保護の必要性を訴えたものである。
スイスは,高度に発達した工業技術を有する貿易立国であること,国土が狭隘かつ山が ちであり,農業経営の自然的条件が厳しいこと,国内物価水準が高く,産業界,消費者双 方から農産物価格引下げに対する圧力が強いことなど,農業を巡る環境に我が国との類似 点が多い。スイスの農業政策がどのように展開され,どのような国民的合意が得られてい るかを知ることは,我が国に示唆するところも大きい。
我が国との対比において特に印象的であるのは,まず,農業の「多面的機能」について の国民的合意が,かなりしっかりした基盤を有しているという点である。美しいアルプス の農村風景は,スイス国民にとっての「原風景」としてかけがえのないものであり,冒頭 のポスターは正にそうしたスイス国民の心情に強く訴える。観光立国としての実利的側面 も否定はできないが,農業保護に関する法案が,環境団体,市民団体からも提案される,
といった動きからは,農業の有する多面的な機能への共感が国民に広く浸透していること がうかがえる。
第二に,そうした点とも密接な関連を有することであるが,政策面において規模拡大に よる農業構造改善というベクトルが,さほど強くは指向されていない点である。多面的機 能重視の立場からは,守るべきは,持続可能な多様な農業であり,直接支払いの条件とし ては,規模ではなく,環境への配慮が重要な要素となっている。さらに,環境への配慮に 対するインセンティブの一つとして,農産物の標示に関する厳格な制度が運営されており,
環境要件等,一定の条件を満たした農産物は特別の表示が許され(例えば山岳地帯で生産さ れる農産物の「アルプ」表示),付加価値の高いものとして,高価格での販売が可能となっ ている。
我が国においても,近年,農業の有する「多面的機能」が各方面で強調されている。し かし,その価値が,国民的コンセンサスとしてどの程度実感され,共有されているかにつ いては,依然疑問も残る。守るべきものとしての「多面的機能」がはっきりしているので あれば,採るべき政策もそれに整合的なものでなければならない。
我が国の美しい水田の風景は,日本人にとっての心の故郷とも言うべき貴重なものであ ると思う。安定的な食料供給に一定の役割を果たし,地域の産業基盤として地域経済を支 え,環境を守り,美しい国土を保全する農業の,まさに多面的な価値について,いかに国 民的なコンセンサスを得ていくかは,引き続き,我々農業に関係する者にとっての大きな 責任であろう。
((株)農林中金総合研究所基礎研究部長 原 弘平・はらこうへい)
今 月 の 窓
99年4月以降の『農林金融』『金融市場』
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【農林漁業・環境問題】
・世界市場における木材需給の構造変化と国産材時代 および新生産システムについて
・わが国大手食品メーカーの経営環境の変化と 海外展開の方向
――欧米との比較の観点から――
【協同組合】
・多様な組合員の意思決定への参加
――独仏の協同組合の事例から――
・イタリアの信用協同組合銀行(BCC)
――組合員制度の変更と現在の状況――
・森林組合の事業・経営動向
――第19回森林組合アンケート調査結果から――
・漁協経営の現状と取組み
――第25回漁協信用事業アンケート調査結果から――
【組合金融】
・平成18年度第2回農協信用事業動向調査結果
【国内経済金融】
・リース会計基準の改正とリース会社の対応
・米子信用金庫の資産運用アドバイス業務
・遠距離介護という視点からみた高齢者世帯
・りそな銀行における「女性活用」の取組み
【海外経済金融】
・国際商品市況の持ち直し傾向とその背景
本誌に掲載の論文,資料,データ等の無断転載を禁止いたします。
最 新 情 報 トピックス
2007〜08年度経済見通し(2007/5/21)
今月の経済・金融情勢(2007年5月)
「調査と情報」の休刊について(お知らせ)(2007年3月)
「農林漁業金融統計2006年度版」掲載(2007年2月)
日本の農業・地域社会における農協の役割と将来展望
――最近の農協批判に応えて――
(「総研レポート」18調一No.3/2006年5月)
スイス農業政策の対外適応と国内調整
郵政民営化後の「実施計画」の内容について
農 林 金 融 第
60
巻 第6
号〈通巻736号〉 目 次 今月のテーマ今月の窓
談 話 室
地域経済連携と農業政策
(株)農林中金総合研究所基礎研究部長 原 弘平
兵庫県信用農業協同組合連合会 代表理事理事長 中村芳文
――
統計資料 ――
66
農業に想う
他業態の各金融商品に対する取組姿勢の 変化とその特徴
38
江川 章
―― 64
組合金融の動き 組合金融の動き
渡部喜智
―― 53
清水徹朗
―― 2
EU
の農業政策と貿易政策平澤明彦
―― 14
戦車の行進とアルプスの山並み
農政改革にかかる国民合意と96年の憲法改正
EU
の直接支払制度の現状と課題東北大学大学院農学研究科准教授 石井圭一
―― 27
東アジア共同体構想と農業 石田信隆
―― 40
政策デザインの多様化と分権に向かって 国際経済秩序の変化とEU
木村俊文
―― 60
米国サブプライム住宅ローン問題
――問題の特徴とその影響――
――農協信用事業動向調査結果から――
情 勢
EU
の農業政策と貿易政策――国際経済秩序の変化と
EU
――〔要 旨〕
1 欧州でEUの出発点となるローマ条約が締結されてから,今年は50年目にあたる。EUは,
昨年(06年)新たに2か国が加盟し,加盟国は27か国となり,そのGDPは米国を1割上回 る規模になっている。
2 欧州の統合は,欧州が2つの世界大戦で主要な戦場となったことへの反省から出発し,
1958年に6か国によりEECが設立された。EECに対抗してEFTAが結成されたが,EUは,
その後東欧等に加盟国を拡大するとともに,通貨統合など統合の中身も深化させてきた。
3 共通農業政策(CAP)の実施はローマ条約に盛り込まれていたが,共同市場,共通関税 が完成したのはEEC設立後10年を経た68年であった。CAPは欧州の農業者の所得安定と 食料の安定的供給に大きな役割を果たしたが,その価格支持政策は農産物過剰と財政負担 増大をもたらし,ECの輸出補助金による農産物輸出に対して,米国や豪州から批判が強 まった。
4 こうした状況に対応し,EC委員会は91年に,支持価格の引下げと直接支払いの導入を 主な内容とするCAP改革案(マクシャリープラン)を提案したが,この改革案はECのウル グアイラウンド対策としての側面を持っていた。マクシャリープランは93年から実施され たが,EUは東欧諸国の加盟等に対応してさらなるCAP改革を進め,近年では環境政策,
農村開発にシフトしてきている。
5 EUは,WTOによる多角的貿易体制を支える主要メンバーであるが,周辺国を中心に 様々な貿易協定を締結しており,EUの貿易政策,関税制度は重層的になっている。WTO 交渉の停滞や中国,インド等の経済発展を受け,EU委員会は,昨年(06年)10月に,アジ アを重視しFTAを締結していくという新しい貿易政策の方針を示した。
6 WTO交渉はこう着状態にあるが,EUは,域内の農業生産,農村地域を維持するという 政策を今後も継続していくであろう。一方,EUは,これまで行ってきたACP諸国に対す る特恵制度を見直し,ACP諸国とEPAを締結していく方針を決定した。今後EUが,
ACP諸国とEPAを締結し,ASEAN,インド等のアジア諸国とFTAを締結すると,世界 の貿易体制は大きく塗り替えられることになる。FTAを巡る世界の情勢は混沌としてきて いるが,FTAを巡る今日の状況はいずれ反省を迫られ,WTOの改革を含めた世界貿易体 制の再構築が必要な時期が到来するであろう。
欧州は多数の主権国家から構成されてお り,その多くがそれぞれ独自の言語を有し,
かつては使用する通貨もそれぞれ異なって いた。その欧州において,
EU
の出発点と なったローマ条約が締結されてから,今年 は50
年目にあたる。EUは,当初,西ドイツ,フランス,イ
タリアとベネルクス3国(ベルギー,オラ ンダ,ルクセンブルク)の計6か国でスタ ートしたが,その後加盟国を広げ,昨年(06年)新たにルーマニアとブルガリアが 加盟したことにより,加盟国は
27
か国にな った。現在,EU
の面積は428
万km
2(日本の 約11倍,米国の4割強),人口は4.9
億人(米 国の1.7倍)となり,EUのGDPは米国を1 割程度上回る規模になっている。このように,統合することによって巨大 な経済圏となった
EU
を,どう考えどう評価 し た ら よ い の で あ ろ う か 。 世 界 的 に
FTA
網が蔓延し,「東アジア共同体」構想 が提起されるなかで,50年前から経済統合 を進めてきたEUの経験は,今後,アジア 地域の経済連携を進める上で大いに参考に なると考えられる。本稿では,この
EU
について,農業政策 と貿易政策という観点からこれまでの歴史 的過程と現状を概観し,今後のEU
と国際 貿易体制の展望について考えてみたい。(1) 初期の統合理念
欧州において経済統合の気運が高まった のは,第2次世界大戦後のことである。そ の背後には,欧州が第1次世界大戦,第2 次世界大戦という二度の大戦において主要 な戦場となり,こうした悲惨な戦争を回避 するための枠組みを作らなくてはならない という強い反省があった。(注1)
目 次 はじめに
1 欧州統合の歴史的過程
(1) 初期の統合理念
(2) ECの拡大とEFTA
(3) 東欧諸国の加盟と統合の深化 2 共通農業政策の導入と展開
(1) 共通農業政策の目的と機能
(2) 農産物過剰と財政負担増大
(3) ウルグアイラウンドとマクシャリー改革
(4) さらなるCAP改革と環境政策・
農村開発へのシフト 3 EUの関税制度と貿易政策
(1) 重層的なEUの貿易制度
(2) EUの関税構造
(3) EUの貿易政策の新展開 4 WTO体制の行方とEU
(1) 難航するWTO交渉とCAP
(2) EUの対途上国政策とCAP
(3) EUのFTA政策と国際貿易体制の行方
はじめに
1 欧州統合の歴史的過程
そして,1951年に,2つの大戦において 対立したドイツとフランスの両国にまたが る石炭,鉄鉱石資源の共同管理を行うため の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立さ れ,57年のローマ条約調印を経て,58年に
EEC
(欧州経済共同体)が発足した。なお,戦後,ソ連・東欧に対抗して形成 さ れ た 西 側 の 安 全 保 障 の 枠 組 み で あ る
NATOが西欧の統合に大きな意味を持ち,
また,米国による欧州復興計画(マーシャ ル プ ラ ン )の 受 け 皿 と し て 設 立 さ れ た
OEEC
(後のOECD)も,西欧諸国間の連携 に大きな役割を果たした。(注1)第2次世界大戦後における欧州統合の構想 は,チャーチル(イギリス首相)による「欧州 合衆国」の提唱(1946年)に始まるが,統合が 現実化したのは,ジャン・モネの構想を受け,
ロベール・シューマン(フランス外相・首相)
が中心となって設立した欧州石炭鉄鋼共同体が 最初である。なお,欧州統合のルーツとして,
クーデンホーフ・カレルギーを中心とする1920 年代の「汎ヨーロッパ運動」があげられるが,
それよりも早く,ケインズが『平和の経済的帰 結』(1919年)のなかで,欧州地域の「自由貿易 同盟」を提唱していることを再評価すべきであ ろう。
(2) ECの拡大とEFTA
こうした
EEC
の結成に対抗して,EEC
に加わらなかったイギリス,デンマーク,スウェーデン,ノルウェー,スイス,オー ストリア,ポルトガルの7か国は,
60
年にEFTA
(欧州自由貿易連盟)を結成した。EFTA
は,EEC
のような域外に対して共通 関税を設ける「関税同盟」ではなく,加盟 国間の関税は撤廃するが,加盟国以外に対 する関税は各国ごとに定める「自由貿易協 定(地域)」である。EFTA
は,西ドイツ,フランスを中心とするEECに対抗してイギ リス主導で形成されたものであるが,その イギリス自身は,
EFTA
結成の翌年(61年)には
EEC
に加盟申請をしている。EEC
は,67年に,欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC),欧州原子力共同体(EAEC)と統 合して
EC
(欧州共同体)となり,(注2)
73
年には,イギリスとデンマーク,アイルランドが
ECに加盟した。その後,81年にギリシャ,
86
年にスペイン,ポルトガル,95
年にオー ストリア,スウェーデン,フィンランドがEC
(EU)に加盟し,95
年から04
年までの 9年間はEUの15か国体制が続いた。一方,EFTAは,設立以降,フィンラン ド(61年),アイスランド(70年),リヒテ ンシュタイン(91年)が新たに加盟したも の の , 原 加 盟 国 の 多 く が
E C
に 加 盟 し てEFTAを脱退したため,現在では,EFTA
加盟国はスイス,ノルウェー,アイスラン ド,リヒテンシュタンの4か国のみになっ ている。なお,72
年にEFTA
とEC
の間で 自由貿易協定が締結され,EFTA加盟国とEC
との間の工業品関税は撤廃された。(注2)ただし,3つの共同体の理事会・委員会は 統合されたが,EEC及び他の2つの共同体もす ぐになくなったわけではなく,3つの共同体を 包含する機関としてECが生まれたというのが正 しい(内田勝敏・清水貞俊編著『EC経済論』)。
EUも同様であるが,本稿では,通例に従い,
1957〜66年はEEC,67〜92年はEC,93年以降 はEUと使い分ける。
(3) 東欧諸国の加盟と統合の深化
80年代末以降の東欧革命
(89年)とソ連 崩壊(91年)は,経済的にも安全保障面で もEC
にとって重大な事態であった。特に,東西ドイツ統一(90年)は,ドイツやECの 経済・社会にとって早急な対応が迫られる 問題であった。
EU
は,東欧革命やソ連崩壊という事態 に対応して,東欧諸国とFTAを締結する ことによって経済関係を強化する方針をと り,90
年代に東欧諸国とEU
の間で多くのFTA
が結ばれた。(注3)
また
EU
は,それと同時 に東欧諸国のEU加盟の道を模索し,04年 には東欧諸国(ポーランド,ハンガリー,バ ルト3国等)など10
か国が新たにEU
に加盟 し,さらに07
年にはルーマニアとブルガリ アが加盟し,EUはまさに欧州全体を覆う 機関となった。EUは,現在,旧ユーゴ諸 国やトルコとの加盟交渉を行っており,将 来的にはEFTA
に残った4か国のEU
加盟 の可能性もあろう。(注4)
EUは,こうした拡大の一方で,統合の
中身も深化させており,86
年の単一欧州議 定書を経て,92
年のマーストリヒト条約(93年発効)によって安全保障政策,司法に おける統合を進めるとともに,98年に欧州 中央銀行を設立し,
99
年には共通通貨ユー ロを導入した。また,欧州市民権を導入し 国境手続きの簡素化を進めるなど,欧州に おける国境の壁はますます低くなっていっ た。(注3)90年代に,EU・EFTAと東欧・中東諸国
(地中海諸国を含む)の間,あるいは東欧諸国間 で締結されたFTAは80に達し,当時世界で締結 されたFTAの大部分がこの地域のものであった。
なお,EUへの加盟はEUの法体系(アキ・コミ ュノテール)に従うことを条件としており,EU 加盟に伴ってそれまでその国が締結していた FTAは効力を失うことになる。
(注4)現在EFTAにとどまっている4か国はいず れも高所得国であり,石油資源の存在(ノルウ ェー),漁業問題(ノルウェー,アイスランド),
直接民主制(スイス),付加価値税率の差(スイ ス)などの理由により,EUに加盟するメリット を感じていない。ただし,スイスは92年に,ノ ルウェーは72年と92年に,ECに加盟申請を行っ ている(いずれも国民投票で否決)。
(1) 共通農業政策の目的と機能
欧州では,かつては,それぞれの農業構 造をふまえ各国が独自の農業政策を実施し ていたが,
EEC
は設立当初より共通関税,共同市場のもと共通の農業政策を採用する ことを取り決め,設立時のローマ条約に共 通農業政策(Common Agricultural Policy: CAP)の実施が盛り込まれた。
ローマ条約(第39条)では,CAPの目的 を,①農業の生産性向上,②農業従事者の 所得の確保,③農産物市場の安定,④食料 供給の安定性確保,⑤消費者に対する合理 的価格での食料供給,としているが,
EEC
がCAPを導入した背景には,利害が錯綜し 政治的問題に発展しやすい農業問題は,各 国ごとに行うよりもブリュッセル(EEC) に委ねたほうが望ましいという判断もあっ たと考えられる。しかし,実際の
CAP
の導入は,農業経 営の規模が比較的小さいドイツと農業大国 であるフランスとの間の対立を軸に難航を 極めた。(注5)そして,58年のストレーザ会議,60
年の最終提案提出を経て,62
年にようや くCAP
の骨子が決定し,穀物について共通2 共通農業政策の導入と展開
政策が導入された。その後,CAPは対象品 目を広げ,共同市場,共通関税が完成した のは,
EEC
が設立されてから10
年を経た68
年であった。CAPの基本的仕組みは,域外からの農
産物輸入に対して可変課徴金を(注6)課すことに より安い輸入農産物の流入を防ぎ,その一 方で,域内で生産された農産物については,市場価格が一定価格以下に下落した場合は 介入価格で買い支えるというものである。
これにより,国際的な農産物価格の不安定 性から域内市場を隔離し,農業者に対して 最低価格を保証するとともに,消費者に対 して安定的な価格で安定した食料供給を行 うことを可能にした。
(注5)CAP導入時の政治過程については,渡辺寛
『迷走するECの農業政策』(1994,批評社)が詳 しい。
(注6)可変課徴金は,域内の基準価格(境界価格)
と国際価格(輸入価格)の差を調整金として徴 収するものであり,国際価格が変動すると調整 金の額も変動するために「可変」課徴金と呼ば れる。関税の一種ともいえるが,EUは,ウルグ アイラウンド合意に基づいて可変課徴金を廃止 し,一般関税に移行した。
(2) 農産物過剰と財政負担増大
CAP
による農産物価格支持は,EC
の農 業者の所得安定に寄与し,食料供給の安定 のため大きな役割を果たしたが,その一方 で,次第に農産物過剰と財政負担増などの 問題をもたらすことになった。農産物過剰問題は既に
60
年代から現れて おり,68年には農業構造を改革し農業の生 産性向上を進めることを目指したマンスホ ルトプランが発表された。その後,70
年代 には,ソ連による穀物大量買付け等を契機に国際穀物価格が高騰したため,問題は一 時沈静化したが,
80
年代に入ると,一転し て世界的な農産物過剰となって国際農産物 価格が下落し,CAP
の問題点が強く指摘さ れるようになった。特に,
EC
は,市場介入によって購入した 過剰農産物を輸出補助金をつけて国際市場 で処分(輸出)したため,このEC
の輸出補 助金による農産物輸出は,国際農産物市場 を歪め農産物価格を低下させているとして 米国や豪州などから強い批判を受け,それ がウルグアイラウンドにおける米国とEC
の激しい対立に発展していった(第1図)。 こうした輸出補助金は,EC
財政にとっ ても大きな負担になってきた。CAPのため の財政支出は80年代まではEC財政の7割 を占めており,その財源は輸入関税(課徴 金)や付加価値税の一部であったが,欧州 では70
年代後半より景気低迷によって失業 率が高まったこともあり,消費者や産業界資料 FAOSTAT
(注) EC12か国(1986年時点の加盟国)の集計。
30
(百万トン)
120
(百万トン)
25 20 15 10 5 0
△5
△10
△15
100 80 60
20 0 40
61
年 65 70 75 80 85 90 95 00 04 第1図 ECにおける小麦の生産量と貿易量
生産量(右目盛)
貿易量(輸出−輸入)
からCAP財政に対する批判が強くなった。
(3) ウルグアイラウンドと マクシャリー改革
こうした状況のなかで,91年にEC委員 会によって
CAP
改革案(マクシャリープラ ン)が提出された。マクシャリープランは,CAP
の支持価格の水準を引き下げるととも に,生産調整を伴う直接支払いを導入する というものであり,輸出補助金をもたらす 過剰生産を抑制することを目的にしたもの であった。マクシャリープランが発表された当時,
ウルグアイラウンド交渉が進行中であり,
EC
の輸出補助金や国境措置を巡る激しい 交渉が行われていた最中であった。EC
は,支持価格の引下げにより輸出補助金を削減 することが可能となり,また直接支払いが ブルーボックスとして
AMS
(国内助成合計 量)の計算から除外されたため,AMS
の 削減も可能になった。マクシャリープラン はEC内部からの改革案であったが,それ が提出された時期,背景,内容を考えると,EC
のウルグアイラウンド対策としての性 格を有していたということができよう。(注7)
マクシャリー改革は,それまでの価格支 持政策から直接支払いに移行する大きな農 政転換であり,その後,米国も
96
年農業法 で不足払いを廃止して直接支払いを導入し た。(注8)
(注7)マクシャリープランが発表されたのは91年 1月であり,ウルグアイラウンドのドンケル案
(「例外なき関税化」を示したもの)が提出され たのは91年11月であった。また,マクシャリー
プランの決定(合意)が92年5月であり,米国 とEUの間のブレアハウス合意は92年11月であっ た。その後,ウルグアイラウンドは93年12月に 合意し,94年4月のマラケシュ会議で調印し,
合意結果は95年より実施に移された。ウルグア イラウンド合意とCAP改革の関係については,
篠原孝『EUの農業交渉力』(2000年,農文協)
に詳しい解説がある。
(注8)EUと米国が直接支払いを導入したため,
世界の農政の潮流は価格支持から直接支払いに 移行していると言われることが多いが,米国は 2002年農業法で,96年農業法で廃止した不足払 いを実質的に復活したし,EUも,従来からの価 格支持政策を全面的に廃止したわけではない。
また,EU内では,直接支払いの仕組み自体を見直 す動きがあることも理解しておく必要があろう。
(4) さらなるCAP改革と環境政策・
農村開発へのシフト
マクシャリー改革によってCAP財政は 大きく変化し,価格支持や輸出補助金に関 する財政支出が減少する一方で,直接支払 いに対する支出が増大した(第2図)。
しかし,東欧諸国のEU加盟が検討され るなかで,農業の比重が高く所得水準も低 い東欧諸国に対して,それまで行われてい た
CAP
と同じ内容を実施することは難しか資料 EU委員会予算書により作成
(億ユーロ)
400
300
200
100
0 80年
第2図 CAP財政の内訳推移
市場介入費
直接支払い
輸出補助金 その他
85 90 95 00
ったため,EUはさらなるCAP改革が迫ら れ,
99
年にAgenda2000
を発表し,支持価 格の一層の引下げを行った。さらに,
03
年のCAP
改革において,生 産から切り離された(デカップリング)直 接支払い(単一農場支払い)に完全に移行 し,同時に,直接支払いに際して環境遵守 を義務付け(クロスコンプライアンス),大 規模農家への助成金受取額を減額して農村 開発に振り向ける調整制度(モジュレーシ ョン)が設けられた。EU
では,既に75
年より条件不利地域に 対する直接支払いが開始され,80年代半ば より環境保全を重視する政策を採用してき たが,一連のCAP
改革によって,EU
の農 業政策は環境政策や農村開発に一層シフト してきている。(1) 重層的なEUの貿易制度
EUは,WTOによる多角的貿易体制を支
える主要メンバーであるが,一方で周辺国 を中心に様々な貿易協定を締結しており,EU
の貿易政策,(注9)
関税制度は重層的に展開 されている。
a EU域内(27か国)
EU
は関税同盟であり,加盟国相互間の 関税はすべて撤廃されており,加盟国間の 貿易には関税がかかっていない。また,製 品規格や認証も統一され,域内の国境手続 きは簡素化されている。b EFTA(4か国)
EU
は,スイス以外のEFTA
加盟国(ノ ルウェー,アイスランド,リヒテンシュタイ ンの3か国)との間でEEA(欧州経済地域)を形成しており,工業品の関税を撤廃して いる。スイスとの間でも,
72
年にFTA
を 締結し工業品の関税を撤廃しており,さら に農産物,加工農産物を含む分野別バイラ テラル協定を締結している。c その他FTA(18か国)
EU
がFTA
を締結している国は,EFTA
以外に下記の通り18か国ある。これらの国 との間では,主要農産物については国境措 置を残しているが,工業品の関税は撤廃し ている(一部移行過程)。①関税同盟(工業品)
トルコ,アンドラ
②安定化・連合同盟
クロアチア,マケドニア,アルバニア
③地中海連合協定
エジプト,アルジェリア,チャニジア,
モロッコ,イスラエル,レバノン,シリア,
ヨルダン,パレスチナ自治政府
④その他FTA
メキシコ,チリ,南アフリカ,フェロー諸島
d 一般特恵関税(GSP)(178か国・地域)
一般特恵関税は,途上国の貿易促進と経 済発展を支援するため,途上国に対して一 般関税率(MFN)より低い関税率を適用す る制度であり,
UNCTAD
(国連貿易開発会 議)の主張を受け入れて71
年より導入され3 EUの関税制度と貿易政策
た。現在EUは,中国やインド,ブラジル,
ロシア,タイなど世界の
178
か国・地域をGSP
の対象にしている。e コトヌー協定(77か国)
EU
は,コトヌー協定(旧ロメ協定)によ り,加盟国のかつての植民地であるACP
諸 国(アフリカ48か国,カリブ海地域15か国,太平洋地域14か国)に対して,一般特恵関 税(GSP)を越える条件で関税の特恵や輸 入割当を行っている。
f その他(MFN(最恵国待遇)適用国)
(9か国)
a〜e以外の国に対しては,
WTO
協定 上の最恵国待遇(MFN)の関税率が適用さ れる。しかし,これに該当するのは,欧州 以外の先進国9か国(日本,米国,カナダ,豪州,ニュージーランド,韓国,台湾,香港,
シンガポール)のみである。
(注9)ローマ条約では「Commercial Policy」
と書かれており,一般には「通商政策」と訳され ることが多いが,本稿では「貿易政策」とする。
(2) EUの関税構造
EU
が適用する関税率は,その国が上記 のどのグループに属するかによって異なっ ている。EU
は貿易額の3分の2を占める 域内の貿易には,農産物も含め関税がかか っておらず,またFTA
対象国や途上国に 対しても工業品の関税を撤廃・削減してい る。そのため,最恵国待遇を適用している 国は9か国に過ぎず,これらの国からの輸 入額は,EU
の輸入額全体(域内貿易を含む)の1割程度,域外貿易の3割程度になって いる。
EUの平均関税率
(MFN実効税率,単純 平均)は6.9
%であり,うち農産物が18.6
%,非農産物が
4.0
%であり,日本(平均6.5%,農産物17.1%,非農産物3.7%)よりやや高い。
関税率が0%の品目が26.0%(タリフライ ンの割合),0〜5%の品目が
55.5
%で,5%未満の割合が8割を超えているが,一方で,
関税率が
50
%以上の品目も農産物が5.4
%,工業品が1.7%ある。特に,穀物(55.2%), 乳製品(39.5%),肉類(30.0%),砂糖類
(27.3%)など,
EU
の重要農産物の関税率 は高く,さらにEU
は,農産物を中心に98
品目(牛肉,乳製品,小麦,砂糖,でんぷん,米等)について関税割当を設けている。こ のように,
EU
の農産物関税率は現在でも 高水準であり,この国境措置の高さがEU
の共通農業政策による農産物価格安定を可 能にしているといえよう。(3) EUの貿易政策の新展開
EU
委員会は,昨年(06年)10
月に,EU
の 新 し い 貿 易 政 策 の 方 針 を 示 し た 文 書「
Global Europe: Competing in the world
」を(注10)
発表した。この文書で
EU
は,WTO
交渉の停滞や中国,インドの経済発 展等を受けて,今後の貿易政策においてア ジアをより重視し,その手法としてWTO
を尊重しながらもFTA
締結を広げていく という方針を示した。また,今後の貿易政 策において,市場アクセスの拡大のみなら ず,資源確保や非関税障壁解消にも取り組むとしている。
これまで
EU
は,東欧諸国のEU
加盟に最 大の努力を傾けており,EU
のFTA
は地中 海諸国等の周辺国が中心で,これまでアジ ア 諸 国 と のF T A
は な く , メ キ シ コ と のFTA
も米国(NAFTA)への対抗上締結し たものであった。今回の文書で,EU
がア ジア地域(ASEAN,インド,韓国)とのFTAを進めるという方針を打ち出したこ
と は 大 き な 路 線 転 換 で あ り , こ れ はASEAN
やインドとFTA
を進めようとして いる日本やEFTA
,あるいは韓国とのFTA
に合意した米国に対抗するためのものであ るといえよう。EUは,将来的にはロシア とのFTA
も進めるとしているが,中国に 対しては,FTA
とは異なる枠組みで別途 戦略を検討するとしている。ただし,EUは,これまでのFTAや特恵 関税(ACP,GSP)において,
EU
の域内農 業に影響の出る可能性のある農産物につい ては,多くは関税撤廃・削減の対象にして こなかった。(注11)そのためEUは,00年からメ ルコスール(南米南部共同市場)とFTA
交 渉を行っているが,農産物の扱いを巡って 交渉は難航しており,未だに合意に至って いない。(注12)今回の戦略文書では,農産物の扱 いについてはほとんど触れられておらず,今後
EU
がアジア諸国とFTA
交渉を進める に当たって,農産物をどう扱うのかが注目 される。(注10)このEUの国際戦略は,雇用拡大と成長促 進を目的にEUの産業の競争力強化の方針を示し た「リスボン戦略」(2000年策定,05年改定)の 国際版であるということができる。
な お , 今 回 の 文 書 は E U 委 員 会 の サ イ ト
(http://ec.europa.eu/trade)から入手でき,
菅原淳一「EUの新通商政策」(2006.11.1 みずほ 総合研究所「みずほ政策インサイト」)にわかり やすい解説がある。
(注11)EUは,メキシコとのFTA(2000年発効)
で3分の2の農産物の関税を撤廃したが(最長 10年の経過期間あり),穀物,食肉,乳製品,果 汁等の重要品目は例外にした。
(注12)EUはGCC(湾岸協力会議)とFTA交渉を 90年に始めたが(中断を経て02年から再開),サ ービス分野,投資等を巡って交渉は難航してお り,交渉開始から17年を経過しても未だに合意 に至っていない。
以上,EUが,南北問題,ソ連・東欧の 崩壊,ウルグアイラウンド,アジアの経済 発展,グローバリゼーションなどの国際環 境の変化に対応して,農業政策と貿易政策 をどう展開してきたかを概観したが,こう した過程を経て,
EU
,CAP
が今後どのよ うな方向に進んでいくのかについて,国際 貿易体制の展望も合わせて考えてみたい。(1) 難航するWTO交渉とCAP
ウルグアイラウンド交渉の合意過程で
CAP
改革(マクシャリー改革)が大きな意 味を持ったが,現在のこう着状態にあるWTO交渉のなかでEUはどう対応していく
であろうか。現在進行中の
WTO
交渉は,99
年のシア トル閣僚会議での立ち上げに失敗し,01
年11月のドーハ閣僚会議で開始したものであ
るが,途上国と先進国の対立を軸に交渉は 難航しており,交渉開始から既に5年半が4 WTO体制の行方とEU
経過している。(注13)
米国は,
2002
年農業法で不足払いを実質 的に復活し農業保護の水準を高めたため,農業保護削減を約束できない状況になって いる。また,EUとしても,WTO交渉で輸 出補助金が禁止されるとなると,
CAP
運営 の大きな足かせになる。米国,EU
とも,ウルグアイラウンドの時のような内部改革 の圧力に乏しく,両者とも身動きができな い状態になっている。
EU
は,ウルグアイラウンドで可変課徴 金を廃止したが,主要農産物の国境措置や 価 格 支 持 政 策 を 放 棄 し た わ け で は な く ,FTAにおいても重要農産物は例外にして
いる。域内の食料生産,農村社会,田園景 観を維持していこうというEU
の方針は一 貫しており,これまでEU
は,東欧への拡 大を進める一方で,CAPを環境政策や農村 開発政策にシフトさせる改革を着々と進め てきた。EU
は,今後も,域内の農業・農 村社会を維持するという農業政策の根幹は 継続していくと考えられ,WTO交渉にお いても安易な妥協はしないであろう。(注13)農業交渉は,ドーハ閣僚会議に先立ち2000 年1月から始まっており,既に7年以上が経過 している。
(2) EUの対途上国政策とCAP
CAP
にとってWTO
交渉とともに重要な のは,EU
の対途上国政策である。既に説 明したように,EU
は一般特恵関税(GSP)に加えて,ACP諸国に対する特恵関税を設 けてきた。この
ACP
に対する特恵(旧ロメ 協定)は,EU
が関税を撤廃・削減するが,ACP諸国には関税撤廃・削減の義務を課さ
ない片務的(非互恵的)なものであり,特 定の国を他の国より優遇するという点でWTO
の最恵国待遇原則に反する内容であ ったため,WTOの成立を受けてロメ協定 のWTO
整合性が問題になった。(注14)そのため,
01
年にロメ協定に代わり新た に締結されたコトヌー協定では,ロメ協定 にあった開発援助政策(輸出所得安定化政 策等)の内容は引き継いだものの,それま での片務的な貿易条項を改め,EU
とACP
諸国(後発途上国(LDC)は除く)は,WTO
協定に整合的なEPA(経済連携協定)を締 結することとした。現在,EUとACPは,07
年末までの合意を目標にEPA
交渉を行っ ており,2020
年までに自由貿易地域を形成 することを計画している。コトヌー協定は,ロメ協定によるACP への援助が,当初期待されたほどの成果を 生まなかったことへの反省を踏まえ,また 中国,インドにおける経済自由化による経 済発展に刺激され,ACP諸国をグローバル 化する世界経済のなかに導き入れようとし ているということができよう。
ロメ協定では,
EU
は域内で生産される 農産物と競合しない熱帯産品については関 税を撤廃したものの,CAP
対象品目はそれ ほど多くは譲許していなかった。(注15)コトヌー 協定によるEPA
では,WTO
協定(第24条)に整合的な内容にするため,EUもACP諸 国も貿易額の90%以上の関税撤廃を行うこ とになろうが,その場合,
EU
が農産物に ついてどの程度関税撤廃・削減の対象とするかが注目される。
(注14)EUは,ACPに対する特恵を維持するため ウェーバーを獲得していたが,WTO成立後,ウ ェ−バーを獲得するのが難しくなったため,96 年に発表したグリーンペーパーでいくつかの選 択肢を示し,様々な論争を経た後,EPAを締結 するという方針を選択した。なお,ロメ協定は,
イギリスのEC加盟(73年)に伴い,イギリスの 旧植民地に対する英連邦特恵関税と,フランス の旧植民地を中心とするアフリカ諸国に対する 特恵制度(ヤウンデ協定)を統合し,75年に締 結されたものであり,第4次まで改定された。
ロメ協定,コトヌー協定については,前田啓一
『EUの開発援助政策』(2000),是永東彦「EUの 対アフリカ政策と農業」(2005,農林水産省「平 成16年度欧州・アフリカ地域食料農業情報調査 分析検討事業」,豊嘉哲『EU共通農業政策と結 束』(2006,山口経済研究叢書第31集))参照。
(注15)EUがACP諸国に譲許しているCAP対象品 目は,穀物,砂糖,牛肉など一部の品目に限ら れ,しかも低関税率の特別枠が設けられている のみである。
(3) EUのFTA政策と国際貿易体制の 行方
EU
がACP
諸国とEPA
を締結し,さらにASEAN
,インド等のアジア諸国とFTA
を 締結するとなると,世界の貿易体制は大き く塗り替えられることになり,今後の国際 貿易体制,国際経済秩序に大きなインパク トを与えるであろう。一方,米国は,南北アメリカ大陸を包含 する自由貿易地域(FTAA)の形成に向け た交渉を進めてきたが,
FTAA
構想はブラ ジル,ベネズエラなど左翼政権が多くなっ た南米諸国から反発を受けており,交渉は こう着状態にある。こうしたなかで,米国 は,韓国とのFTA
に合意し,またAPEC
で の自由貿易圏構想(FTAAP)を打ち出し たが,APEC
加盟国からの反応は鈍く,ま たタイとのFTA交渉も,タイ国内の反対運動に会い難航している。
EU
は,農産物で衝突する可能性のある 米国,カナダ,豪州はFTA
の対象とは考 えておらず,またASEAN
,インドとのFTA構想も,日本への対抗という面があ
り,日本とのFTA
も考えていない。そこ には,単に貿易自由化を進めるという単純 な思考ではないEU
の戦略的思考がある。こうした状況のなかで,日本では,「世 界の
FTA
の流れに乗り遅れるな」との意 見が一部に出ているが,「乗り遅れるな」というのは皮相で戦略性に乏しい見解であ る。FTAを巡る世界の情勢はますます混 沌としてきており,FTAを巡る今日のよ うな状況はいずれ反省を迫られ,
WTO
改 革を含め,世界貿易体制の再構築を行わな ければならない時期が必ず到来するであろ う。その際に,環境保全や途上国の経済発 展に資するような,自由貿易主義に代わる 新しい貿易政策の理念が必要になるであろ う。(注16)
(注16)かねてより途上国に対するIMFの経済自由 化政策を批判してきたスティグリッツ(元世銀 副総裁)は,近著『フェアトレード』(2007)で,
かつてはGATT交渉に途上国が参加していなか ったため,世界の貿易体制は先進国に有利な仕 組みになっており,現在進行中の「ドーハ開発 アジェンダ」も,真に途上国の開発,貧困解消 に寄与する交渉にはなっていないと批判してい る。そして,先進国は,知的財産権,競争など の分野で途上国に対して過度な要求をするべき ではないとし,一方で,先進国の農業保護政策 の問題点を指摘している。米国,EUのような農 産物輸出国の農業保護,輸出補助金と,日本の ような農産物輸入国の国境措置を同じレベルの 問題として議論すべきではないが,同書は現在 蔓延しているFTAに対する批判も含んでおり,
傾聴すべき主張であろう。
<参考文献>
・是永東彦ほか(1994)『ECの農政改革に学ぶ』農 文協
・清水徹朗(2002)「自由貿易協定と農林水産業」
『農林金融』12月号
・スティグリッツ. J,A.・チャールトン,浦田秀次郎 監訳(2007)『フェアトレード』日本経済新聞出版 社
・田中素香(1982)『欧州統合』有斐閣
・田中素香(2007)『拡大するユーロ経済圏』日本経 済新聞出版社
・フェネル・ローズマリー,荏開津典生監訳(1999)
『EU共通農業政策の歴史と展望』食料・農業政策 センター
・前田啓一(2000)『EUの開発援助政策』御茶の水 書房
・山澤逸平・平田章編(1990)『先進諸国の対発展途 上国貿易政策』アジア経済研究所
・WTO(2007)「Trade Policy Review(EU)」
http://www.wto.org/english/tratop̲e/tpr̲e/
tp278̲e.htm
(主任研究員 清水徹朗・しみずてつろう)
〈 頒布取扱方法 〉
編 集…株式会社農林中金総合研究所
〒 10 0 -000 4 東京都千代田区大手 町 1 -8 -3 TEL 0 3 ( 324 3 ) 7318 FAX 0 3 ( 327 0 ) 2658 発 行…農林中央金庫
〒 10 0 -842 0 東京都千代田区有楽 町 1 -1 3 -2 頒布取扱…株式会社えいらく営業第一部
〒 10 1 -002 1 東京都千代田区外神 田 1 -1 6 -8 TEL 0 3 ( 529 5 ) 7580 FAX 0 3 ( 529 5 ) 1916
〈 発行 〉 200 6年 1 2 月
農林漁業金融統計2006
農林漁業系統金融に直接かかわる統計のほか , 農林漁業に 関する基礎統計も収録。 全項目英訳付き 。
なお, CD−RO M版をご希望の方には,有料で提供。
発刊のお知らせ
A4判, 194頁 頒価 2,000円(税込)
スイス農業政策の対外適応と国内調整
――農政改革にかかる国民合意と
96
年の憲法改正――〔要 旨〕
1 ヨーロッパの小国スイスにおいては対外適応(なかでも主要な貿易相手である欧州諸国へ の対応)の優先度が高く,農業政策もその例外ではない。80年代までは2つの世界大戦に おける輸入困難化の経験から,自給能力の強化がその重点であった。また93年に開始され た農政改革の実質的期限はGATT交渉と想定されていたEC加盟のスケジュールに規定さ れ,いかに国内の妥協を図るかが問題となった。改革のおもな要素は,国境保護措置の削 減,市場による価格決定,多面的機能に対する直接支払いであった。
2 96年の憲法改正に先立つ4つの国民発議を経て,新しい農業政策に関する国民的合意が 成立した。このとき,消費者や中小農民の意見を反映して,直接支払いに対する環境保全 要件(クロスコンプライアンス)と,産地・品質・生産方法の表示という現行農業政策の重 要な特質が追加された。
3 これまでの改革の結果,農家数と農業生産額は3割,純付加価値は6割近く減少した。
直接支払いによる補てんもあって労働当たり所得はやや増加したものの,非農業部門との 所得格差は拡大した。また,農産物価格の低下により耕地から草地への転換が進み,純食 料自給率(熱量)は5ポイント,穀物自給率は9ポイント低下した。
4 新しい「農業政策2011」(08〜11年)では,ドーハ・ラウンドの合意を見越してWTO対 応を進める一方,農業の川上・川下部門における競争力の改善や,社会的に耐え得る構造 変化といった形で,農家への配慮も示している。
5 スイス国内における合意や調整の促進要因としては,①長期的にEUやWTOへの適応が 避けられないという共通の認識,②「合意民主主義」の仕組み,③小国ゆえの国内調整の 容易さ,が挙げられる。しかしスイスに限らず,熟議を通じた合意の形成は,先進国で農 業を維持していくための共通の課題であろう。