戦 後 農 政 の 展 開 と 農 業 地 理 学 の 動 向
l t
政策と地域形成
i!
新 井
鎮 久 はじめに高度経済成長期以降の農業政策のうち︑農業地域の再編成
K大き
念影響を及ぼしたものとして︑
一九六二年に発足した農業構造改善
事業と
一九
七C
年にはじまる米生産調整政策をあげる乙とができ るo前者の農業構造改善事業は基本法ー農政の根幹であり︑後者の米 生産調整政策は総合農政を象徴する政策のひとつであろう
o
農業構造改善事業を中核とする基本法農政は︑都市化・工業化の 進展︑農産物需要構造の変化︑農業生産技術の革新等と相倹って︑
農業地域構造と農業生産の地域的配置に大き左変化をもたらした︒
その
結果
︑
ζ
れらの変化を反映して農業地理学の研究動向
K
も︑農 浩一京地域の形成と構造に分析の視角を設定した研究の増加とともK︑
﹁政策と地域形成i 一という新た左領域が加えら¥れること忙なった︒
か つ て 筆 者 は
﹁ 戦 後 農 政 の 展 開 と 農 業 主 理 学 の 私 見 に つ い て 概 観した際に︑高度経済成長期以前の農業地理学的研究動向
Kみられ
る問題点として︑﹁資本対農民﹂‑﹁農民層のAA化介解﹂
﹁政
策 と地域形成﹂左どの分析視角が欠落しているとと左いし不十分であ るととを指摘した︒本橋ではこれらの問題点のうちとく
K﹁政策と
地域形成﹂に注目しながら︑基本法農政段暗ならび
K
総合農政段階
kh
ける農政の展開と農業地理学の動向について︑v
展望することに
した
レポート作成のために検討した文献の範囲は︑ ︒ 地理学評論︑人文地理︑経済地理学年報︑東北地理︑歴史地理学紀
要︑新地理の六地理学会誌ならびに雑誌﹁地理﹂所収の論文である︒ 一九六五年以降の
左分︑各大学地理学教室の研究紀要の収集が不十分であったこと︑
単行本の検討を省略した乙と︑他学会の機関紙
K
発表された地理学 関係諸学会所属会員の研究を割愛したことなどの理由から︑本レポ
ートが対象とする領域の研究動向を︑
必らずしも十分に把握したも のでは左いととをあらかじめな断わりしてなきたい︒
一︑農業構造改善事業を中心とした土地基盤整備事業と 農業地理学
16 ‑
高度経済成長期の農政基調は︑価格政策から構造政策へ︑社会政一
策的左﹁面﹂の保護農政から産業政策的左﹁点﹂の選別農政へと移
行す
る︒
乙の農政墓調の転換を象徴するものが農業基本法の成立で
ある
o
農業基本法は農産物輸入の自由化︑農産物需要構造の変化︑
農業生産要素の流出等を背景にして成立し︑農業生産基盤の改善︑
農業生産の選択的拡大︑自立経営農家の育成を目標に掲げて発足し
生産基盤の改善︑ た ︒
具体的には農業構造改善事業を中心とした土地 基盤の整備効果左らびに経営近代化施設の設置効果に関する研究は︑
この種の事業の多︿が水稲波培を対象に展開されたこと︑
旧来の小
農技術体系
K
代る機械化省力技術体系の確立が米作分野氏顕著医進 行したことなどの理由
K
よって︑水田水稲作地域にやや偏して進め
られ
た︒
分析の視角も以下
K述べるとなり︑
土地基盤整備││大型農業機 械・施設の導入
ll
生産組織の再編成という図式の念かでとらえた
ものが最も多︿︑このほかK
は︑省力効果としての発生余剰労働力
の動向K
着目して︑農家形態の変化や農業経営形態の再編成をとり あげて考察した作品︑がよび土地基盤整備事業を契機とする農業水 利空間の再編成過程
K
ついて論じた作品が︑若干みられるだけであ る。
農業地理学関係者のうちで︑農業構造改善事業の諸作用
K
つい
て
{9・}いち早く着目したのは︑高橋正明(一九六
K)
であ
った
︒ 高橋は非農 業部門への労働力流出機会の少ない滋賀県野洲川上流域の農業構造
改善事業をとb
あげ︑空間的
K限定された土地基盤整備事業では︑
水稲生産組織を再編成するほどの機能をもち得左いととを指摘し︑
事業効果の限界を明らか
K
した
( ︒ 3) 同じ頃︑松井貞雄(一九六八)は︑前者の野洲川流域と正反対の
社会環境K
ある︑名古屋近郊農村の変貌の特徴的現象として︑稲作 生産の地域的組織化を抽出し︑その推進力として地方自治体・農業 団体の指導力を高︿評価するととも
K︑組織化現象を﹁近郊農村の 合理的・理想的対応の姿勢である﹂と結んでいる︒松井の﹁政策と
地域形成﹂という問題意識は︑
その後の地域研究
Kかいても随所K
展開され︑斯界の研究水準を示す存在と左っている︒
蒲原平野
k bける生産手段の大規模化
K
伴う生産組織の再編成と 個別経営との関係を追求し︑農民内部の対立と農民層の分解
K
つい
( 4 )
て論及した川上誠︿一九六九)の検証も注目に値する︒川上はその後 も水稲生産組織の問題と精力的に取り組み︑
一九
払郡
山平
K
は水稲生 産組織の系譜的類型化
K関する成果を報告している︒
ζ
のほか岩手県花巻市の開田事業地区と旧田地区の稽作機械共同 利用組合の展開過程を分析し︑地域農業がかかえる諸問題を検討し
(6 )
︑ ー た 三 上 美 智 子 ( 一 九 七 五 ) 川 上 と 同 じ く
︑ 生 産 組 織 が 個 別 経 営
K
及ぼす機能について︑福井県丸岡町をと
hJ あげて考察し︑組織の存 立基盤の特殊性とぜい弱性を指摘した水間不二雄・笠間悟(一九七
(7
)
六)らの研究も︑丹念に実証された労作である︒
行政主導型の機械化と共同化が進展する十勝農業
Kついて︑経営
{ 0 0 }
近代化と離農の関連を統一的
Kとらえようとした長岡顕(一九七六︑)
ゃ︑同じく農業生産法人の成立と農地問題をとらえ︑法人経営の発 農を農民層分解の帰結として位置づけようとした進藤賢一(一九七
(9
)
六)等の共同研究も︑組織活動ならではのまとまりと広がりをもっ
‑ 17 ‑
たレポートである︒
以上に述べた諸論文は︑
いずれも稲作生産構造もしくはそれを地 010域 ) ) と
は の、 関
連 で と ら え た も の で あ る。
ζれK
対して山本正三(一九七
﹁農業生産の基盤整備や地域的な生産組織の育成策が農業 空間構造
K与えた影響﹂K
ついて︑水利組織の用・排水機構や農業 協同組合の生産・集荷機構を中心
K
考察した︒農業地域の空間構造
を並列・放射・集中の三類裂に整理した山本の地域構造論的左試論は︑
生産力視点からの経営経済学的接近が大勢を占めるなか
K
あっ
て︑
示唆に富んだ出色の論文といえる︒
左
hg
富山地理学会グループ
K
よる富山平野を中心とした一連の研
( 4 1 )
究も︑地域K
密着した地方学会の利点を余すところなく発揮して︑
この領域にかける研究の推進力となってきた︒地域認識姿勢の是非 はきてないて︑看過しては念ら念い学会動向の一駒でるろう
o
水穏を基幹作部門とする農業構造改善事業地域での発生余剰労働 力の去就に着目して︑農家形態の変化や農業経営形態の再編成をと
︒ ( ロ ) ( 日
) ( H H )
りるげた研究
K
は︑筆者へ一九七
O)
と阿部和夫(一九七
O)
の報
告があるo
前者は富山県射水平野の新産都市近郊農村なよび首都近 郊農村を︑同じ︿後者(阿部)は岩手県砂鉄川流域農村を例にそれ
ぞれ検討した︒
土地基盤整備事業を契機とした農業水利組織の変更や水利空間の
﹁用水の社会的性格﹂を視点に水利閏体の行政
(日 )
機調への包填過程を宮田用水地域を聞に論じた新井信男(一九七三) 再編成については︑
と︑黒部川一同一状地の農業水利空間の再編過程を地域構造論的にとら
( 日 山 )
えた間休明(一九七四)合研究がある︒ともに論旨がよく整理され たレポートでるるoなな黒部川一円一状地の農業と農村の変貌過程につ
(幻 ) 主態学的アプローチを試みた山本正一二・田林明(一九七五)
いて
︑
の研究も者欲的である︒
一一︑選択的拡大生産政策と農業地域論
輸入費産物との競合を回避し︑
米麦偏重型の生産構造を打破すべ く設定された孜策白標﹁襲業生産の選択的拡大
1 一は︑
いわゆる適地
適理主連代基づく生産地形成を目指したものである︒
この選択的拡
十人
生産
の一
回的
実現
li
主意地形成ーーを指向する農業構造改善事業
( 泊 目 )
や経営部門別
K
設定された各種助戎策は︑農業地域の再編成と趨品 生産の地域的動向を規定する重要左ファクターとして︑研究者の注
日すると乙ろと在った︒
ところで選択的拡大生産政策合主要対象が︑畜産・果樹・
2 m 棄の
三部門になかれていたととから︑研究の多くは︑
乙れら三部門の産 地形成と産地構造の解明を中心
K展開をみるととになる︒以下︑
﹁政策と地域形成﹂を視点K
した研究動向を経営部門別に展望して
みた
い︒
農業政策と酪農地域論
酪農地域の発展を把握するためには︑乳 業資本の動向はもちろん︑関連振興諸施策の接関をきてないて︑
と れを論ずることはきわめて困難でるる︒酪襲地域の発展に直接かか
( 明 日 )
わる致策要因としては︑飴農振興法をはじめ開拓パイロット事業︑
(加 ) 農業構造改善事業︑各種制度資金︑不足払制度等があげられ︑間判援
︒ ︒
'BA 的要因K
は水田作付転換政策を例示することができる︒
これらの諸
要因のうちには︑制度資金や酪農振興法のようにすべての酪農民地域 の成立・発展にかかる要因もあれば︑開発パイロット事業や不足払 制度のよう代北海道酪農や山地酪農の展開を規定したり︑水田作付 転換政策のように水田酪曲授の展開に影響をなよほしているものもあ 上述の﹁乳業資本﹂と﹁政策﹂の両視点を︑ る ︒
研究対象地域ががか
れた状況に応じて取捨選択し︑あるいは軽重をもたせ与ながら展開し
ている酪農地域論のうち︑乳業資本と酪護政策の南要因に注目して
( 幻 ) ( 幻 )
論じたのは︑事西大和(一九七
O)
と山本公之(一九七
) J
であ
一る
︒ 葛西は十勝平野になげる犠曇の発畏過程を加工資本との一関連でとら
ええ際氏︑
﹁乳業資本間の原料乳獲得競争がもたらした相対的合高
乳価と積極的左酪農政策の展開とが発展の重要ファクターである﹂
とし︑後者山本は大都市近郊の大規模酪農の系譜・存立基盤に視点
﹁耕作農民系譜の頭数規模拡大は︑地をがいた調査報告の左かで︑
一冗プラントの多頭化資金のほかに近代化資金・酪農資金などの制度
資金K大きく依存し左がら展開した﹂乙とを指摘している︒
これ
K
対し
て︑
﹁政策と酪農地域
(忽)
形成﹂の両者を統一的
K
とらえたのが山口不二雄(一九七三)であ
﹁乳業資本と酪農地域支配﹂・
る︒す左わち︑生乳生産配置の把握を試みた山口は︑検討を通じて︑
資本主導型市場編成のもとでの諸価格範鴎の実現いかんが個別酪農 経営の発展と分解を規定すること︑生乳生産配置の動態とは酪農経 営分解の地域的差異が反映されたものであることのこ点を明らか
K
したが︑その際︑酪農振興法(一九五回)の不足払制度(一九六五)
についても言及し︑
乙れら一連の酪農振興政策を乳業資本の市場支
配力の強化策としてとらえている︒
一方︑政策と酪農地域形成を視点とした考察には塚田秀雄(一九
( 勉 ) ( お )
七一)と石原照敏(一九七
E)
の労作がある︒塚田は﹁政治や行政 がいかに強︿地域の在り方を支配するか﹂という点から︑北海道上 サロベツ原野の開拓酪農の展開過程をとりあげ︑国政金よび道政レ ベルの開拓政策と酪農政策とが︑耕境地帯
kh Fよほす影響の大きさ を浮き彫りにした︒戦後の北海道開拓農業の総決算
K値する労作で
ある︒また石原は島根県石見東部を例
K︑﹁町当局による山林所有 の権利調整を基盤とする開拓パイロット事業の導入と農業構造改善
事業K
よって創ーされた余剰労働力とが︑草地酪農型の規模拡大を 可能にした﹂とし︑酪襲地域の成立・発展
K
かかわる政策効果
Kつ いて言及した︒
これまで述べたよう
K︑酪農地域の形成要因として︑一連の生産 政策・価格政策を評価した研究は少なく左い︒しかし半ば政策的に 形成された酪農地域が︑今日︑抱えている諸矛盾の摘出
K
まで考察
を深めた研究は︑そう多くない︒
生産過剰傾向のなかで高度経済成長期
K
導入した資本の 償却・償還
K追われる富士西獲の酪農地域を例に︑大規模酪農家の
その
点︑
成立が必らずしも経営改善と直結していないことを明らかにするこ
﹁描農振興策の展開と農民層の分解﹂を示唆した島方
(お
) 洗一ほか(一九七七)の研究︑ならび
K︑農業の主産地形成
K内在
する問題点として︑制度資金など
K
よる過剰投資傾向と総合農政下
とによって︑
の大型企業経営育成策は︑反面︑農民層分解という厳しい現実を伴
(刀 ) うことを指摘した内田実(一九七三)の報告などは︑特筆すべき存
‑ 19 ‑
在であろう︒
なが︑北上山系遠野地区の畜産予定基地を対象
K
農業的土地利用
(却 )
と集落配置
K
ついて検討した揚村・河野・徳江(一九七三)らの研 究は︑戦後の緊急開拓期以降︑絶えて久しい応用地理学的成果であ り︑その後の行政の地域計麗
K
対してどのよう左影響力を持ち得て
いるか︑続報が待たれる研究のひとつである︒
市場対応力の高い出荷組織づくりと 所要資金規模の大きい生産施設の近代化という課題氏︑価格変動幅
農業政策と施設園芸地域論
の大きい生産物の特性が加わって︑
施設園芸地域の形成
K
占める自 治体と政策の比重はより大き左ものと左っている︒それだけに乙の 領域の論文K
は﹁政策と地域形成﹂視点からのアプローチが目立ち︑
紹介
K値する作品
Kもとと欠か左い︒
ところでとの領域で最も傑出した研究実績をあげているのは松井 貞雄であろう
o彼の﹁政策と地域形成﹂K
対する一貫した問題意識 は︑水稲生産組織の再編問題ととも
K︑施設園芸地域論でもいくつ
かの労作を提示した︒以下︑主左ものをあげると︑三河高原西部山
村にかける農業構造改善事業と工場誘致の波及効果の分析をとなし て︑急激左都市化過程の念かで行政的
K
指導・育成された園芸農業 地域形成力としての施策効果と現実
(四 )
との議離をレポートした作品(一九七
O
て 国 の 連 続 的
・ 集 中 的 な 農業投資が産地形成過程にあった渥美半島の施設園芸の発展を促進
し︑きらK
産地の国定化・大型化
Kまで影響し︑ の存立基盤のもろさを指摘し︑
乙れを支配してい
る事実を明らか
Kするとと
K
よって︑温室園芸農業の特産地化傾向
(叩 ) がもっ地域的性格をとらえようとした作品(一九七一)︑岡山県の 温室ブドウ園芸地域の発展を規定する要因として︑経営組織なかん づ︿︑複合経営の内容と国の農業施策││具体的
Kは開拓パイロッ
ト事業や農業構造改善事業
llk
対応する地域農民たちのタイミン (笥 )
グの適不適を指摘した作品(一九七四︺などである︒
松井論文以外では︑神奈川県秦野市
Kがける一九六O
年以降の温 室園芸の展開要国として︑農地高騰
K
伴う担保能力の強化を習景と 寸る制度資金の導入や農業構造改善事業による生産と流通施設の整 備によって︑園芸農業成立の第一条件といわれる資金面の困難を克
﹁2
J
服したととを指摘する沢田裕之(一九七一﹂)︑国・地方公共団体レ
ベルでの農業施策と公共投資が︑
生産・出荷両面での組織化をとな して︑九十九里平野の施設置芸地域の形成要因と在ったことを明ら
(お )
かにした+亦川泰司(一九七一)左どの研究もみられる︒赤川はその
( 紘
﹀
後一九七四年
Kも︑南一房総の花井栽培K
ついて考察し︑施策的な主 産地形成が栽培地域全般の消長
K
まで影響をがよぼしているととを
報告した︒
主産地形成にかかわる行政効果のプラス面を評価する上記諸論文
K対して︑その矛盾をとらえて問題の本質
K
せまろうとした研究
K
(お )
は︑太田理子のレポート(一九七七)がある︒吉岡位農業生産性地域
といわれる渥美半島の赤羽可を例
K
︑農業構造改善事業︑豊川用水
事業左どの展開閉K
みられる一連の行政縞策を生産力形成条件として
一応高︿評価しつつも︑窮極的には︑これらの政策的テコ入れや︑
農協の指導力は︑
地域農業の構造的矛盾を拡大乙そすれ︑根本的左
解決策K
は在っていない点を指摘した太田の論調は︑今後︑政策と
‑ 20ー
地域形成に関する新らしい考察方向を示唆するととに左るものとみ
られ
る︒
農業政策と高冷地農業地域論
自立経営農家育成の方向を所有権 移転による経営規模拡大に求めて破たんした基本法農政は︑
その後
一九
七O
年の農地法改正を足がかり
K
して
︑ 反農地法的な土地利用 秩序の肯定と農用地利用増進事業(利用権設定)への道をひらいた︒
経営発展の方途を高度に集約化された内面的充実(集約経営
)K求
めるか︑または経営権の受委託
K
よる外延的拡大
K
模索せざるを得 左い状況の左かで︑農民膚の分化・分解を伴わない耕地規模拡大の
可能性をもつのが︑
いわゆる自然的豊度と社会的位置条件に恵まれ
左い限界地域であった︒事実︑一部の限界地域では飼料自給基盤の
高い酪農や高度
K
商品化された野菜の大規模産地が展開をみている︒
こ れ ら の 産 地 の 多 く は
︑ 多 分 に 政 策 的 左 助 成 と 地 方 自 治 体 の 行 政
指世毎げいよって成立・発展した地域である︒しかしながら建業政策K
限らず社会政策的にも行財政投入の機会が多く︑
かつ加士資本︑商 社 系 資 本 の 地 域 支 配 力 も 加 わ っ た 限 界 地 建 業 問 題
K閣する報告は︑
後述の果樹農業地域の場ム?と同様にど︿少ない︒南佐久になける高 冷 地 野 烹 の
︑ 主 産 地 形 成 に 果 し た 農 励 の 役 割 り を 評 価 す る 加 藤 武 夫 (お ) ( 一 九 六 五 て 中 央 高 地 と 関 東 北 西 部 に な け る 古 宮 市 地 閣 芸 農 業 の 最
近の一動向氏関する報告の中で︑野望へ指定産地制度と開拓パイロット
事業を産地発展の主要契機の一びとつとして指摘した市川健夫(一九
(訂 )
七四)以外は︑寡間判Kじて知ら左い︒
農 業 政 策 と 果 樹 農 業 地 域 論 基 本 法 農 政 の 畏 間 以 来
︑ 樹 木 農 業 と
︿げい果樹農業は︑成長作目部門のひとつとして政策的に重視されて き た
︒ そ の 結 果
︑ 生 産 過 剰 を き た す ほ ど の 著 し い 地 域 的 畏 開 を と げ る 忙 い た っ た
︒ 乏 か で も 農 業 構 造 改 善 事 業
K
よ る 樹 閣 地 の 整 備 と 拡 大
︑ 左 ら び に 付 随 す る 近 代 化 事 業 に よ る 集 出 荷 施 設 の 整 備 は
︑ 果 樹 主 産 の 規 模 的 拡 大 と 市 場 対 巴 力 の 増 大 を も た ら し
︑ 産 地 構 造 の 強 化 とその地域的展開に貢献してきた︒反面︑輸入農窪物との競合︑
産過剰傾向の深まり︑
加工資本の一進出等は︑果樹農業地域の構造に 陰影を投げかけ︑複雑左対応上の地域差を生じきせている︒
とうした状況にもかかわらず︑
﹁護政と果樹農業地域形成﹂に閣 す る 姉 究 は 以 外 に 少 な く
︑ わ ず か
K﹁新興遠日明(熊本県一内陸部)葉
産地の成立と発展は︑行政諸施策をテコ
K
薪 炭 林 や 普 通 畑 か ら の 移
( 3 )
行 を 通 じ て 行 な わ れ た
﹂ と す る 元 木 靖 ( 一 九 七 四 ) の 粟 栽 培 地 域 の 転 換 簿 造 に 鳴 す る 研 究 と
︑ 向 じ
︿ 福 井 県 三 方 町
kh
gけ る 悔 栽 培 の 小
規 模 産 地 形 成 に か か わ る 主 要 条 件 と し て
︑ 農 業 構 造 改 善 事 業 を は じ
ヘハ出)
め 一 連 の 行 政 抱 策 を 重 視 す る 水 島 一 雄 ( 一 九 七 六 ) の 研 究 を
︑ 収 録
し得たにすぎ左い︒
加 士 資 本 と 農 政 を か ら め た 農 業 地 域 論
K
は
︑ 十 勝 平 野 の 製
(MW)
糖 資 本 と て ん 菜 生 産 地 域 の 動 向 を 分 析 し た 田 中 紀 彦 ( 一 九 六 五 ) と
をな︑
山 形 県 村 木 沢 に な げ る ホ ッ プ 栽 培 地 域 の 形 成 機 構 を 考 察 し た 長 岡 顕 (4 )
(一九七
O)
の 佳 作 が る る
︒ 両 論 文 と も 部 分 的 も し く は 補 足 的 左 扱
い方であるが︑田中は吉田農層闘の要請K
こ た え て 発 足 し た 農 業 構 造 改 善 事 業 を 契 機 と す る 負 債 農 家 の 発
生l
l
農 民 署 の 分 解
│
│ 離 農 の 発 生 等 の 連 鎖 的 マ イ ナ ス 現 象 を 指 摘 し
︑ 長 岡 は 一 九 六O
年 以 降
︑ 企 業 サイドの助成策げれかわって農協資金が導入されたとと︑地方自治体 の 行 政 指 導 が 産 地 形 成 の 補 強 策 と し て 展 開 さ れ た と と な ど を 報 告 し
21
ているo
加 工 資 本 の 動 向 に 着 目 し た 上 記 論 文
K
対 し て
︑ 萄 社 系 資 本 の 地 域 支 配 機 構 に 関 す る 考 究 は
︑ 鹿 児 島 県 笠 野 原 台 地 で の 高 級 果 菜
(位 )
の 契 約 栽 培 に つ い て 寸 報 し た 筆 者 以 外 陀 は
︑ ま だ 左 さ れ て い
4ないよ うであ
Jブ
Q Q
生
三
︑ 米 生 産 調 整 政 策 の 展 開 と 農 業 地 理 学
一九
七O
年 以 降 の 米 生 産 調 整 政 策 の 展 開 に よ っ て
︑ 水 回 日 水 稲 と い う 土 地 利 明 上 の 固 定 的 関 係
K
大きな動揺をきたしたととから︑
土 地 利 用
︒ 変 化 や 農 業 地 域 の 再 編 成 要 因 と し て 政 冶
・ 行 政 に 対 す る 関 心がいっそう高まっていった︒
一九七O
年 春 季 日 本 地 米生産調整の問題を最初とりあげたのは︑
理 学 会 で
︑ 富 山 平 野 の 地 域 再 編 動 向
K
つ い て 米 価 措 置 や 減 反 政 策 を