• 検索結果がありません。

密教文化 Vol. 1989 No. 164 001桧垣 巧「韓国の祖先崇拝の調査研究――慶尚北道蔚珍郡厚浦里と安東郡川前洞の実態調査から―― P1-35」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "密教文化 Vol. 1989 No. 164 001桧垣 巧「韓国の祖先崇拝の調査研究――慶尚北道蔚珍郡厚浦里と安東郡川前洞の実態調査から―― P1-35」"

Copied!
35
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

調

-慶

調

ら-桧

は じ め に こ の 報 告 は、 昭 和 六 十 三 年 七 月 二 十 日 か ら 二 十 七 日 ま で に か け て 行 わ れ た 日 韓 漁 村 社 会 ・ 経 済 共 同 研 究 会 (甲 南 女 匡 溢 面 柱 三 団 長) に よ る 第 七 次 調 査 の 報 告 で あ る。 今 回 の 調 査 は、 昭 和 五 十 八 年 以 来、 第 二 次、 第 四 次、 第 六 次 と 三 回 に わ た っ て 行 わ れ て き た 訪 韓 調 査 の 成 果 を 一 冊 の 本 に ま と め る た め の 編 集 会 議 と、 過 去 三 回 に わ た っ て 行 わ れ た 訪 韓 調 査 の 補 足 調 査 が 目 的 で あ っ た。 過 去 三 回 の 調 査 地 は、 昭 和 五 十 八 年 の 慶 尚 北 道 蔚 珍 郡 平 海 邑 厚 浦 面 厚 浦 里、 昭 和 六 十 年 の 全 羅 南 道 莞 島 郡 莞 島 邑、 そ れ に 昭 和 六 十 二 年 の 慶 尚 南 道 忠 武 市 お よ び 統 営 郡 の 三 地 区 で あ る。 私 は 昭 和 五 十 八 年 の 一 回 目 の 韓 国 の 訪 問 以 来、 韓 国 社 会 の 儒 教 的 な 社 会 体 質 と 儒 教 的 な 祖 先 崇 拝 に 調 査 研 究 の 焦 点 を 絞 っ て き て い る。 そ の き っ か け と な っ た の は、 第 一 回 目 の 調 査 地 厚 浦 里 に お い て、 私 の よ き イ ン フ ォ ー マ ン ト で あ っ た 金 潤 澤 氏 が 厚 浦 地 区 の 金 海 金 氏 の 宗 親 会 の 会 長 を し て い た こ と の ほ か、 儒 教 的 な 葬 祭 に つ い て 博 識 で あ っ た こ と に 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(2)

密 教 文 化 よ る と い っ て よ い。 他 方 ま た、 厚 浦 里 に お い て 儒 教 道 徳 な い し 儒 教 思 想 が な お 強 力 に 生 き て お り、 私 が 足 を 伸 ば し た 幾 つ か の 近 隣 村 を も 含 め て、 い わ ば 儒 教 的 な 社 会 体 質 と も い う べ き も の の 存 在 を 印 象 づ け ら れ た こ と に よ る。 家 庭 に あ っ て、 子 供 は 親 に 対 し て 恭 順 で あ り、 妻 た ち は 貞 淑 で あ り、 水 協 ( 日 本 の 漁 協) や 役 所 な ど に お い て 下 位 者 は 上 司 に 対 し て 従 順 で あ り、 老 人 は 尊 敬 さ れ、 日 本 の 老 人 達 よ り 遙 か に 堂 々 と し て い る よ う に 見 受 け ら れ た。 厚 浦 調 査 の あ と、 全 羅 南 道 の 莞 島 郡、 慶 尚 南 道 の 忠 武 市、 統 営 郡 と 韓 国 の 調 査 を 行 っ た の だ が、 そ の さ い は 二 度 と も、 厚 浦 里 に お け る 韓 国 的 な い し 儒 教 式 の 葬 祭 法 の 知 識 を も と に 作 製 し た 祖 先 崇 拝 に 関 す る 質, 問 紙 を 使 っ て 調 査 を 行 っ て い る。 今 回 の 七 月 調 査 で は、 期 間 中 の 一 週 間、 編 集 会 議 や 懇 親 会 の た め た 日 時 が 食 わ れ る こ と を 考 え る と、 実 際 に 調 査 に 使 え る 日 数 は 三、 四 日 に 限 ら れ て い た。 し か し 私 は そ れ を 承 知 で、 相 当 強 引 な 計 画 を 立 て て い た。 一 つ は、 第 一 回 目 の 調 査 地 厚 浦 里 で 右 の 質 問 紙 を 使 っ て 百 世 帯 前 後 の 祖 先 崇 拝 に 関 す る 意 識 調 査 を 行 う こ と で あ る。 二 つ に ア ン ド ン は、 朝 鮮 半 島 で 長 く ﹁ 郷 魯 の 地 ﹂ (郷 は 孟 子 の 生 地、 魯 は 孔 子 の 生 地、 儒 学 が 盛 ん で 礼 節 を 重 ん じ る 地) と 称 さ れ る 安 東 の 地 を 調 査 訪 問 し た い と 強 く 念 じ て い た。 安 東 市 と そ れ を と り ま く 安 東 郡 は、 朝 鮮 半 島 に お け る 儒 学 の メ ッ カ で あ る と と も に、 ﹁ 両 班 の 里 ﹂ で も あ る。 そ れ だ け に、 安 東 市 ・ 郡 を 訪 問 す る と、 そ こ に は お そ ら く 最 も 原 型 を 多 く と ど め た ﹁ 儒 学 的 ﹂ な 祖 先 崇 拝 に お 目 に か か れ る は ず で あ っ た。 安 東 市 ・ 郡 を 訪 問 し、 そ こ で 数 人 程 度 の 旧 両 班 に 会 っ て 儒 教 的 な 祖 先 崇 拝 に つ い て 聞 き と り 調 査 を 行 う と と も に、 安 東 郡 内 の 百 世 帯 程 度 の 村 落 を 選 ん で 祖 先 崇 拝 に 関 す る 意 識 調 査 を 行 う こ と が で き れ ば 最 高 で あ る。 も ち ろ ん、 安 東 市 ・ 郡 の 訪 問 自 体、 今 回 の 補 足 調 査 の 将 外 の 新 規 調 査 で あ る が、 私 は な ん と か し て そ れ を 敢 行 し た い と 思 っ て い た。 成 算 の 目 的 は 五 分 五 分 以 下 で あ っ た。 ま ず、 厚 浦 里 に お け る 百 世 帯 程 度 の 祖 先 崇 拝 に 関 す る 意 識 調 査 に つ い て は、 厚 浦 水 産 業 協 同 組 合 の 組 合 長 金 洪 潤 氏

(3)

お よ び 専 務 晋 健 造 氏 の 全 面 的 な 協 力 に よ っ て 無 事 成 就 し た。 金 水 協 長 と 晋 専 務 と は、 私 が 持 参 し た 質 問 紙 を 各 三 枚 ず つ 水 協 の 全 職 員 に 配 布 し、 二 日 後 の 夕 刻 ま で に 回 収 し て 持 参 す る よ う に 指 示 を 与 え て く れ た。 い さ さ か 偏 則 的 な 回 答 者 の 選 定 方 法 で は あ る が、 短 時 日 内 で の 調 査 と し て は や む を え な い こ と で あ っ た。 次 に、 安 東 市 ・ 郡 の 聞 き と り 調 査 と 質 問 紙 を 使 っ た 意 識 調 査 に つ い て は、 多 く の 人 達 の 深 甚 な る ご 協 力 の 結 晶 で あ る。 ま ず 私 は、 厚 浦 ま で 同 行 し て く れ、 安 東 市 庁、 安 東 郡 庁 に 対 し て 私 の 今 回 の 調 査 に つ い て 仲 介 し て も ら っ た 釜 山 水 産 大 学 の 研 究 会 の メ ン バー 崔 正 銃 教 授 と 彼 の 友 人 韓 国 海 洋 大 学 の 姜 元 植 教 授 に お 礼 を い わ ね ば な ら な い。 な か で も 崔 教 授 は 約 四 十 分 間 に わ た っ て、 私 の 意 向 を 丹 念 に 安 東 市 庁、 郡 庁 の 職 員 に 伝 え て く れ た の で、 翌 日 両 庁 を 訪 問 し た と き に は、 私 の 意 向 は 忠 実 に 伝 え ら れ て お り、 市 ・ 郡 庁 で い ろ い ろ の 便 宜 を は か っ て も ら え た。 そ の あ と、 吏 員 が 私 の 意 向 を 伝 え て く れ て い た 安 東 市 内 に あ る 儒 道 会 安 東 支 部 総 務 部 長 の 襲 昇 換 氏 を 介 し て、 旧 両 班 の 家 々 へ の 訪 問 受 け リ ン ガ メ ン チ エ セ ン ド ウ 入 れ の 依 頼 お よ び 調 査 地 の 選 定、 調 査 受 け 入 れ の 依 頼 を と り つ け る こ と が で き た。 な お、 安 東 郡 臨 河 面 川 前 洞 ( 百 二 十 世 帯) の 全 数 調 査 を と ど こ お り な く 終 え る こ と が で き た こ と と、 川 前 洞 に お 住 ま い の 金 誠 一 (後 述) の 宗 孫 の 金 時 雨 氏 に お 会 い で き た の は、 現 地 川 前 洞 の 金 孟 浩 氏 の 多 大 の ご 尽 力 の お か げ で あ る。 最 後 に な る が、 昭 和 五 十 八 年 の 厚 浦 の 調 査 の と き の よ き イ ン フ ォ ー マ ン ト だ っ た 金 潤 澤 氏 に は、 今 回 も ひ き つ づ き 大 変 お 世 話 に な っ た。 金 氏 は 今 年 七 十 四 歳 に な る が、 昨 年 に は 自 動 車 の 運 転 免 許 を と っ て お り、 今 回 の 安 東 市 ・ 郡 の 調 査 に は 二 泊 三 日 に わ た っ て 一 緒 に 行 動 し て も ら っ た。 し か も、 氏 の 運 転 す る 自 動 車 が な か っ た ら、 短 い 期 間 中 の 安 東 市 ・ 郡 調 査 お よ び 六 人 の 旧 両 班 の 宗 宅 の 訪 問 は、 所 期 の 目 的 の 半 分 は お ろ か、 三 分 の 一 も 達 せ ら れ な か っ た で あ ろ う。 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(4)

密 教 文 化 (2) 安 東 市 ・ 郡 安 東 市 は、 慶 尚 北 道 の ほ ぼ 中 央、 内 陸 部 に あ る 地 方 都 市 で あ り、 一 九 八 七 年 の ﹁ 市 勢 要 覧 ﹂ に よ る と、 家 回 数 三 〇、 入 八〇、 人 回 一 一 五、 六 二 二 人 と い う 規 模 で あ る。 か っ て の 安 東 市 は、 隣 接 す る 臨 河 面 そ の 他 安 東 郡 内 の 町 村 部 で 栽 培 さ れ る 麻 を 集 荷 し、 市 内 で 麻 布 を 機 織 し、 安 東 麻 と し て 全 国 に 販 売 し て い た。 現 在 は 臨 河 面 の 一 部 で 麻 が 栽 (注) 培 さ れ る 程 度 で、 も は や 昔 の 面 影 は な い。 し か し、 安 東 市 ・ 郡 は か っ て 李 朝 時 代 に 朱 子 学 儒 教 の 偉 才 李 滉 を 生 み、 朝 鮮 儒 学 の 一 方 を 代 表 す る 嶺 南 学 派 の 拠 点 地 区 と な っ た こ と か ら、 す で に 述 べ た よ う に、 今 も ﹁ 郷 魯 の 地 ﹂ と 称 さ れ て 儒 教 国 韓 国 の 精 神 的 な 郷 土 の よ う に み ら れ て い る。 ( 注) 李 滉 退 漢 と 号 し、 東 方 の 小 朱 子 と 称 さ れ る。 安 東 郡 初 の 賜 額 書 院 (書 院 と い う の は、 李 朝 時 代 の 在 郷 私 立 儒 礼 安 面 に 生 ま れ る。 文 科 に 及 第 後 成 均 館 (李 朝 時 代、 首 都 学 教 育 施 設) で あ る 紹 修 書 院 を 造 っ た。 五 九 年 帰 郷 し、 ソ ウ ル に 設 置 さ れ た 国 立 の 儒 学 教 育 機 関) の 司 成 ( 成 均 安 東 郡 陶 山 面 に 陶 山 書 院 を 建 て 学 問 と 後 進 の 指 導 に 従 事 館 で 儒 学 を 教 え る 従 三 品 の 官) に な っ た が、 一 五 四 五 年、 す る。 李 滉 は 謙 虚 な 大 学 者 と し て 歴 代 の 王 や 学 者 か ら 尊 い つ し 乙 巳 の 士 禍 に 連 座 し て 官 職 を 失 っ た。 中 央 官 界 の 暗 闘 敬 を 受 け、 同 時 代 の 畿 湖 学 派 の 偉 才 李 栗 谷 と と も に 朝 鮮 と け い に 絶 望 し た 彼 は、 郷 里 に 隠 退 し て 洛 東 江 上 流 兎 漢 に 養 真 儒 学 の 最 高 峰 と さ れ る。 そ の 学 説 は 日 本 の 林 羅 山、 藤 庵 を 築 き、 兎 渓 を 退 渓 と 改 め て み ず か ら の 号 と す る。 の 原 幌 窩、 山 崎 暗 斎 ら に も 大 き な 影 響 を 与 え た。 門 人 に 趙 ち、 た び 重 な る 任 官 の 命 を 拒 め ず、 丹 陽、 豊 基 の 郡 守、 穆、 金 誠 一、 柳 成 龍 ら が 輩 出 し て い る。 成 均 館 の 大 司 成 等 に 任 じ、 豊 基 郡 守 の と き に は、 朝 鮮 最 一 九 七 五 年 に は、 日 本 の 技 術 援 助 に よ っ て、 市 の 南 部 を 流 れ る 洛 東 江 を 堰 と め、 韓 国 第 二 の 安 東 ダ ム が 完 成、 現 在 も ひ き つ づ き 付 帯 的 な 工 事 が 続 け ら れ て い る。 な お、 安 東 市 に は そ の 儒 学 の 学 都 た る こ と を 記 念 し て、 国 立 の 安 東 大

(5)

学 が あ り、 近 代 的 な ダ ム 建 設 と 平 行 し て、 こ の 儒 教 の 里 も 大 き く 変 貌 し よ う と し て き て い る。 つ い で に い っ て お く と、 か っ て の 嶺 南 学 派 の 拠 点 と し て、 安 東 市 ・ 郡 か ら は 歴 史 上 著 名 な 人 物 を 多 く 輩 出 さ せ て い る。 西 後 面 金 渓 洞 で 会 っ た あ る 文 筆 家 に よ る と、 数 千 人 の 歴 史 上 の 著 名 人 物 を の せ て い る ﹃ 韓 国 人 名 辞 典 ﹄ に は、 安 東 市 ・ 郡 出 身 者 約 四 百 人 の 名 が の っ て い る と の こ と だ っ た。 同 じ 人 物 は ま た、 ソ ウ ル 大 学 の 教 官 の う ち に は、 安 東 市 ・ 郡 出 身 者 が 約 二 十 名 い る と も い っ た。 国 立 安 東 大 学 が あ る こ と も あ っ て、 こ の 地 域 の 人 々 の 学 歴 も 概 し て 高 い。 さ て、 次 い で 安 東 郡 に つ い て 概 略 を 記 し て お く。 安 東 郡 は 安 東 市 を 周 囲 か ら 厚 く と り ま く 形 で 布 置 し て お り、 豊 川 面、 豊 山 面、 南 後 面、 一 直 面、 北 後 面、 西 後 面、 南 先 面、 禄 転 面、 陶 山 面、 臥 竜 面、 臨 河 面、 礼 安 面、 臨 東 面、 吉 安 面 の 計 十 四 面 に よ っ て 形 成 さ れ て い る。 私 は 安 東 市 ・ 郡 の 調 査 に あ た っ て、 安 東 市 の ほ ぼ 中 心 部 に あ る 四 階 建 て の ホ テ ル の 四 階 の 部 屋 に 宿 を と っ た。 ホ テ ル の 屋 上 に あ が っ て 周 囲 を 見 渡 す と、 四 面 遙 か に 丘 陵 を 見 渡 す こ と が で き る が、 そ の 丘 陵 た る や い ず れ も 二 〇-四 〇 メ ー ト ル 級 の な だ ら か な も の で あ っ た。 右 に 引 用 し た 西 後 面 金 渓 洞 の あ る イ ン テ リ は、 こ の な だ ら か i I 彼 は ﹁ 順 和 ﹂ と い う 言 葉 を 使 っ た-な 山 並 み こ そ が、 安 東 の 地 に 学 問 を は ぐ く み、 こ こ を 儒 学 の 里 に し た の だ と い っ た。 安 東 郡 内 に お い て と く に 注 目 し た い の は、 こ こ が 儒 学 の 里 で あ る と と も に、 ﹁ 両 班 ﹂ の 多 い 里 で も あ る と い う こ と で あ る。 李 滉 が 礼 安 面 の 出 身 で あ り、 陶 山 面 に 書 院 を 造 っ て 子 弟 の 教 育 に う ち こ ん だ こ と は す で に ふ れ た が、 安 東 市 内 の は ず れ に 近 い と こ ろ に、 か つ て 九 十 九 室 を 擁 し た と い う 固 城 李 氏 の 宗 宅 臨 清 閣 が あ り、 こ こ の 宗 孫 に お 会 い す る こ と が で き た。 ま た、 豊 川 面 の 河 回 洞 は、 秀 吉 の 朝 鮮 戦 役 前 後 の 頃、 左 議 政、 領 議 政 ( 総 理 大 臣)、 兵 曹 判 書、 都 体 察 使 (軍 務 総 司 令 官) な ど を つ と め た 柳 成 龍 の 生 地 で あ る。 私 は 河 回 洞 の 永 慕 閣 に 柳 成 龍 の 宗 孫 柳 寧 夏 氏 を 訪 ね、 先 祖 祭 杞 を め ぐ 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(6)

-5-密 教 文 化 っ て い ろ い ろ と お 話 を う か が っ た。 余 談 で は あ る が、 私 は 柳 氏 に 会 っ て、 そ の 風 貌 と 挙 止 と か ら 朝 鮮 の 両 班 の 高 い 格 調 に 接 す る こ と が で き た 思 い が あ る。 聞 く と こ ろ に よ る と、 こ の 柳 寧 夏 氏 の 人 柄、 品 性 に つ い て は、 こ こ を 訪 れ て く る 韓 国 の 国 会 議 員 で す ら、 み ん な 兜 を 脱 い で 帰 っ て い く と い う。 河 回 洞 は 柳 成 龍 の 宗 孫 を 中 心 と し て、 全 戸 が 両 班 の 村 と し て 全 国 的 に も 有 名 で あ る。 多 く の 家 々 が 豪 荘 な 門 構 え を も ち、 高 い 練 り 塀 を め ぐ ら せ た 広 い 屋 敷 地 を も っ て い る。 中 に ま じ っ て、 大 企 業 の 社 長 と な っ て 門 塀 や 屋 敷 を 新 築 し た 大 邸 宅 も あ っ た。 こ の 地 は、 現 在、 旧 両 班 の 里 と し て 観 光 名 所 と も な っ て お り、 私 が こ こ を 訪 れ た と き に も 観 光 バ ス が 二 台 路 上 に 駐 車 し、 若 い 男 女 連 れ の 観 光 客 が 多 く き て い た。 ま た、 郡 内 の 豊 山 面 素 山 里 は、 か っ て 李 王 朝 に 多 く の 人 材 を 送 っ た 安 東 金 氏 の 両 班 村 で あ る。 安 東 金 氏 の 主 流 派 に 属 す る 貴 門 の 家 々 の 多 く は、 首 都 ソ ウ ル に 移 り 住 ん で、 一 つ の 街 区 を つ く っ て い た。 一 八 ○ ○ 年 の 純 祖 の 即 位 と と も に、 安 東 金 氏 に よ る 勢 道 政 治 ( 国 王 の 外 戚 に よ る 政 権 の 独 占) を 行 っ て い る。 な お、 安 東 市 ・ 郡 は、 秀 吉 に よ る 朝 鮮 戦 役 を 通 し て、 日 本 と つ な が り を 持 っ て い る。 西 後 面 で 会 っ た 先 の 文 筆 家 は、 日 本 軍 が 安 東 に 侵 攻 し た の は 平 壌 か ら の 撤 退 の 途 中 一 五 九 二 年 ( 文 禄 元 年) の 六 月 二 十 日 の こ と で あ り、 そ れ か ら 約 一 か 月 間 占 領 を 続 け た が、 七 月 二 十 二、 三 日 頃 豊 山 面 で の 戦 闘 に 敗 れ、 安 東 か ら 徹 退 し た の だ と 語 っ た。 私 は 西 後 面 金 渓 洞 に、 こ の 地 の 旧 両 班 の 邊 用 大 氏 宅 を 訪 ね て み た。 こ の 家 に、 日 本 軍 の 安 東 占 領 時 に 目 本 の 武 士 か ら も ら っ た と い う 日 本 刀 が あ る と 聞 い た か ら で あ る。 日 本 軍 の 金 渓 洞 侵 攻 に あ た っ て、 村 に 人 影 が 全 く な く な っ た と い う の に、 邊 氏 の 先 祖 の 家 に だ け 人 影 が あ っ た。 日 本 軍 が 家 宅 に 侵 入 し よ う と し た と き、 病 床 に 臥 っ た 老 親 の 看 病 を 続 け、 体 を 張 っ て 老 親 の 命 を 守 ろ う と し た 息 子 が い た。 そ の 孝 心 の ほ ど に 打 た れ た 日 本 の 武 士 が 記 念 に 刀 を 置 い て 立 ち 去 っ た と い う。 刀 は 昨 年 か ら 錆 び つ い て、 刀 身 を 鞘 か ら 抜 く こ と が で き な く な っ て い た。 な お、 邊 氏 の 家 の す ぐ 近 く、 高 さ

(7)

七、 八 メ ー ト ル の 小 山 の 中 腹 に は、 邊 氏 の 息 子 の 孝 心 に 動 か さ れ て 村 人 ら が 造 っ た 忠 孝 堂 が あ っ た。 三 メ ー ト ル 四 角 の 瓦 葺 き で、 一 見 辻 堂 ふ う の 建 物 で あ っ た。 一、 調 査 地 の 概 況 (I) 厚 浦 里 の 概 況 慶 尚 北 道 蔚 珍 郡 平 海 邑 厚 浦 面 厚 浦 里 は、 行 政 的 に は、 高 麗 時 代 に は 箕 城 県 に 属 し て い た が、 李 朝 時 代 に は 平 海 郡 に 所 属 替 え と な っ た。 日 本 に よ る 韓 国 併 合 後 も、 一 九 一 四 年 四 月 か ら 一 九 五 三 年 一 月 十 九 日 ま で は、 平 海 郡 に 属 し、 厚 浦 出 張 所 が お か れ て い た。 一 九 五 三 年 一 月 二 十 日 よ り 蔚 珍 郡 平 海 邑 厚 浦 里 と な る が、 一 九 八 六 年 四 月 一 日 大 統 領 令 第 二 八 七 号 に よ り、 厚 浦 里 は 近 隣 の一、 二 菓 里、 金 音 里 を 併 合 す る こ と に よ っ て 厚 浦 面 に 昇 格 し て い る。 そ れ に よ っ て、 厚 浦 面 は、 一 里-五 里 よ り な る 旧 厚 浦 里、 一-四 里 よ り な る 三 栗 里、 一 2 四 里 よ り な る 金 音 里 の 三 里 十 三 洞 を も っ て 構 成 さ れ る こ と と な っ た。、 厚 浦 里 の あ る 厚 浦 面 は 蔚 珍 郡 の 最 南 端 に あ り、 面 積 は 二、 一 一 九 平 方 キ ロ メ ー ト ル ー 内 訳 は 水 田 二 二 七 平 方 キ ロ、 畑 一 六 八 平 方 キ ロ、 林 野 一、 八 五 六 平 方 キ ロ、 そ の 他 二 九 平 方 キ ロ で あ る。 一 九 八 八 年 一 月 現 在、 人 回一 二、 七 〇 二 人 (男 六、 一 九 〇 人、 女 六、 五 一 二 人)、 戸 数 は 三、 〇 七 一 一戸 -内 訳 は 農 家 五 二一号、 漁 家 七 七 六 戸、 そ の 他 一、 七 七 五 戸 で あ る。 そ の 他 の 人 回 に は 公 務 員、 商 店 経 営 者、 会 社 員 の ほ か に、 水 産 物 加 工 工 場 で 働 く 者 が 相 当 含 ま れ て い る。 厚 浦 水 産 協 同 組 合 の 組 合 員 数 ( 漁 村 契 員 と 漁 船 漁 民 の 双 方 を 含 む) は 一、 一 九 五 名、 全 体 と し て の 厚 浦 面 は 漁 業、 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(8)

-7-密 教 文 化 商 業、 農 業 の 町 だ と み て よ か ろ う。 面 内 に は、 小 学 校 二 校、 中 学 校 一 校、 高 校 一 校 が あ る。 な お、 厚 浦 里 に つ い て ( 1 ) は、 ほ か に 詳 し い 報 告 書 が す で に 出 版 さ れ て い る の で、 そ ち ら を 参 照 し て も ら え る と 幸 甚 で あ る。 回 川 前 洞 の 概 況 私 が 儒 教 の 里 安 東 郡 で、 蔚 珍 郡 厚 浦 面 と と も に 祖 先 崇 拝 に 関 す る 意 識 調 査 を 行 っ た の は、 す で に ふ れ た よ う に、 安 東 市 の 東 南 に 隣 接 す る 臨 河 面 川 前 洞 ( 一 二 〇 世 帯) で あ る。 臨 河 面 で は、 西 方 の 大 白 山 派 か ら 流 れ て き た 洛 東 江 が、 こ の 面 を 起 点 に 半 辺 川 と 吉 安 川 の 二 つ に 分 か れ て 東 流 し て い る。 面 は し た が っ て、 洛 東 江、 半 辺 川、 吉 安 川 に 沿 っ て 点 在 す る 十 四 の 洞 ( 一 般 に は 自 然 村 の こ と は 里 と よ ば れ る が、 安 東 郡 内 に 限 っ て 古 く か ら の 洞 と い う 呼 び 方 が 使 わ れ て い る) に よ っ て 構 成 さ れ る。 面 内 に は、 義 城 金 氏、 安 東 権 氏 以 下 二 十 あ ま り の 姓 氏 が あ り、 あ る 洞 で は 特 定 の 姓 氏 が 過 半 数 を 占 め る が、 他 の 洞 で は 多 数 の 姓 氏 が 集 っ て い る と い っ た ぐ あ い で あ る。 一 九 八〇 年 時 点 に お い て、 臨 河 面 は 九 九 九 戸、 一 一、 四 四 九 人 を 擁 す る 農 村 地 帯 で あ っ た が、 そ の 後 か な り の テ ン ポ で 過 疎 化 が 進 ん で き て い る。 ヨ ン ド ク 私 が 調 査 地 と し て 選 ん だ 川 前 洞 は、 吉 安 川 の 南 岸、 安 東 市 内 か ら 東 海 岸 の 盈 徳 に 抜 け る 国 道 に 沿 っ て、 車 で 約 二 十 分 距 離 に あ る。 川 前 洞 は 一 二 〇 世 帯 よ り な る 農 業 村 落 で あ る が、 洞 内 に は 義 城 金 氏 の 宗 宅 が あ り、 金 時 雨 氏 が 当 主 で あ る。 こ の 義 城 金 氏 の 祖 が 金 誠 一 ( 鶴 峰 と 号 す) で あ る が、 朝 鮮 戦 役 の 始 ま る 前 年、 時 の 大 臣 李 成 龍 か ら 抜 擢 さ れ て 日 本 へ 通 信 使 と し て 派 遣 さ れ て い る。 こ の 通 信 使 は、 正 使 が 慶 尚 北 道 尚 州 出 身 で、 全 羅 道 巡 察 使 や 兵 曹 参 判 な ど を つ と め た 黄 允 吉 で あ り、 副 使 が 金 誠 一 で あ っ た。 金 誠 一 は、 宣 祖 元 年 ( 一 五 六 八) 文 科 に 及 第、 史 局 に 入 り、 湖 堂 を 経 て 副 提 学 と な り、 宣 祖 二 十 四 年 ( 一 五 九 一、 朝

(9)

鮮 戦 役 の 始 ま る 前 年)、 右 に 述 べ た よ う に、 通 信 副 使 と し て、 黄 允 吉 と と も に 日 本 に 派 遣 さ れ た。 正 使 の 黄 が 釜 山 に 還 り つ く や、 急 い で 日 本 の 情 勢 を 報 告 し、 ﹁ 必 ず や 兵 禍 が あ り ま し ょ う ﹂ と 報 じ た の に 対 し て、 金 誠 一 は 日 本 の 侵 略 は な い と 報 告 し た。 文 禄 の 役 が 起 き る や、 宣 祖 の 処 罰 を 受 け か け た が、 柳 成 龍 ら の 弁 護 に よ っ て 免 れ、 招 諭 使 と し て 従 軍、 郭 再 祐 ら と 協 力 し て 兵 を 募 り、 晋 州 城 (慶 尚 南 道) を 守 っ て 戦 死 し た。 金 誠 一 は、 通 信 使 と し て 堂 々 と し た 態 度 で 役 目 を 果 た し た し、 思 想 面 で も み る べ き も の を 残 し て い る と あ っ て、 正 使 の 黄 允 吉 よ り 遙 か に 人 望 を 集 め て い る。 そ の た め、 死 後 朝 廷 か ら 文 忠 公 の 誰 号 を も ら い、 不 遷 位 ( 祠 堂 に 神 主= 位 牌 を お い て 永 久 に 祀 ら れ る) の 資 格 を 認 め ら れ て い る。 さ て、 金 誠 一 の 宗 孫 は、 十 三 代 孫 ま で は 現 在 の 安 東 市 域 に 居 住 し て い た の で あ る が、 十 四 代 に 至 っ て 金 門 中 ( 門 中 と は 血 の つ な が り が 比 較 的 濃 い 一 族 の こ と) の 両 班 と そ の 家 来 を 伴 っ て 川 前 洞 に 来 住 す る こ と に な っ た。 現 在、 川 前 洞 で 総 世 帯 数 の 四 分 の 三 を 占 め る 金 姓 九 十 世 帯 に は 両 班 が 多 く、 し か も 親 戚 関 係 が 重 合 し て い る の で、 川 前 洞 を 両 班 の 里 と い っ て も そ れ ほ ど い い す ぎ で は な い。 川 前 洞 の 商 家 二 ・ 三 世 帯 は 外 来 戸 で あ る が、 近 年 の ダ ム 工 事 に よ る 労 働 力 需 要 の た め 全 羅 南 道、 江 原 道、 京 畿 道 な ど か ら の 来 住 者 が ふ え、 李 ・ 権 ・ 崔 ・ 朴 そ の 他 の 姓 氏 合 せ て 約 三 十 世 帯 が 加 わ る こ と に な っ た。 さ て、 部 落 は 全 体 が 四 班 に 分 か れ、 各 班 と も だ い た い 三 十 世 帯 を も っ て 構 成 さ れ て い る。 部 落 の 自 治 機 能 な い し 行 政 の 末 端 機 構 に か か わ る 役 職 は 金 姓 で 占 め ら れ、 洞 長 ( 五 + 歳)、 部 落 開 発 委 員 ( 六 十 四 歳)、 セ マ ウ ル 指 導 者 ( 四 十 五 歳) 以 下 セ マ ウ ル 金 庫 長 ( 老 人 所 11 老 人 会 会 館 ﹁ 日 新 亭 ﹂ の 所 長 を 兼 任)、 営 農 契 長、 国 民 学 校 慈 母 会 長、 婦 人 会 長、 青 マ マ 年 会 長、 門 中 老 班 契 ( 金 門 中 の 役 つ と め を こ な し た 元 老 格 の 老 人 の 会)、 有 司 (会 計 役) な ど が あ る。 以 上 の 各 役 職 は、 有 司 が 任 期 一 年 で あ る こ と を 除 い て、 本 人 が 辞 意 を 表 明 す る ま で は 任 期 が 自 動 的 に 継 続 さ れ る こ と に な っ て い る。 こ れ ら の 役 職 は、 在 来、 村 の 最 高 決 議 機 関 で あ る 老 班 契 か ら の 進 言 を 受 け て、 郡 守 に よ る 任 命 制 が と ら れ て き た。 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(10)

-9-密 教 文 化 し か し、 盧 泰 愚 大 統 領 に よ る 自 由 化 政 策 の 一 環 と し て、 来 年 か ら は 選 挙 制 が 導 入 さ れ る こ と に な っ て い る。 役 職 者 に な り た が っ て い る 人 も い な い で は な い が、 そ れ に よ っ て 労 働 時 間 が 割 か れ る こ と を 嫌 っ て、 概 し て 役 職 は 敬 遠 さ れ る 傾 向 に あ る。 村 の 家 々 で は ほ と ん ど す べ て、 子 弟 を ソ ウ ル、 大 邸、 釜 山 な ど の 大 都 市 へ 送 り 出 し て お り、 村 に は 長 男 を も 含 め て 若 い 年 齢 層 は 少 な く、 た だ 安 東 市 に 通 勤 す る サ ラ リ ー マ ン だ け が 例 外 で あ る。 と く に、 適 齢 期 の 女 性 は ほ と ん ど 出 払 っ て し ま っ て お り、 農 家 に 嫁 入 り す る 女 性 は ま ず い な い。 部 落 内 に は、 郷 校、 寺、 教 会 と い っ た 人 々 の 精 神 的 統 合 の 中 心 に な る よ う な 建 造 物 が な い。 あ る い は 義 城 金 氏 の 宗 宅 の 存 在 が、 そ の 代 り を つ と め て い る の で あ ろ う か。 宗 宅 の 当 主 の 金 時 雨 氏 だ け は、 村 の 労 働 力 の す べ て が 出 払 っ て い る と き に も 必 ず 在 宅 し て い る。 金 氏 を 訪 問 し た と き、 氏 は ボ ー ル ペ ン を と っ て ノ ー ト に、 ﹁ 奉 祭 杷 接 賓 客 は 両 班 の 美 俗 ﹂ と 書 い て 示 し た。 い つ、 ど な た の 来 訪 を 受 け る か も 知 れ ぬ と あ っ て、 名 家 の 宗 孫 は 必 ず 在 宅 し て 接 賓 客 に そ な え な け れ ば な ら な い。 こ れ は 昔 か ら の 仕 来 り で あ る。 私 は 安 東 市 ・ 郡 で 著 名 な 両 班 の 宗 孫 を 六 人 訪 れ た が、 い ず れ も 在 宅 し て い て、 そ の 応 接 ぶ り は 丁 重 で あ っ た。 川 前 洞 の 古 老 の 話 で は、 か っ て 洞 内 で は、 村 で 一 番 大 き い 松 の 木 が 神 木 と し て 祭 ら れ て い た の だ が、 セ マ ウ ル 運 動 の 一 環 と し て の 迷 信 打 破 の 掛 け 声 で そ れ が 廃 止 さ れ た そ う で あ る。 さ て、 川 前 洞 の 意 識 調 査 に あ た り、 調 査 票 の 配 布 ・ 回 収 の 責 任 者 に な っ て も ら っ た 金 孟 浩 氏 は、 安 東 市 域 か ら 川 前 洞 に 移 住 し て き た 十 四 代 宗 孫 の 分 家 の 子 孫 で あ る。 (3) 基 本 調 査 票 に よ る 調 査 二 地 区 の 概 況 次 い で、 厚 浦 里 と 川 前 洞 に つ い て、 質 問 紙 に よ る 調 査 結 果 の 分 析 に 入 る 前 に、 基 本 調 査 票 か ら え ら れ た 両 地 区 の 概

(11)

況 を 紹 介 し て お き た い。 そ の さ い、 す で に ふ れ た よ う に、 厚 浦 里 に つ い て は、 総 人 回 九、 七 八 四 人 ( 一 九 八 八 年 六 月 現 在) の 中 か ら 全 く 任 意 に 一 〇 七 名 ( 総 入 口 の 約 一 ・ 一 % に す ぎ な い) を 選 定 し た も の で あ る。 厚 浦 里 に あ る 水 協 の 職 員 約 四 十 名 が、 各 々 三 部 の 調 査 票 を 受 け と り、 自 分 で 一 部 を 記 入、 他 の 二 部 は 主 と し て 近 所 の 親 し い 家 々 に 配 り、 そ れ を 回 収 し た も の で あ る。 そ れ ゆ え、 い ず れ か と い え ば、 厚 浦 里 の 産 業 的 条 件 も 加 味 さ れ て、 里 内 の 商 業 地 区 ・ 住 宅 地 区 よ り も、 漁 業 地 区 の 比 較 的 高 学 歴 の 人 々 の 回 答 者 が 多 か っ た か と 思 う。 そ れ に 比 べ る と、 臨 河 面 川 前 洞 の 方 は、 百 二 十 世 帯 を も っ て 構 成 さ れ る 農 村 部 で あ り、 し か も、 そ の 四 分 の 三 に あ た る 九 十 世 帯 が 金 姓 ( 義 城 金 氏) で 占 め ら れ て い る。 私 は 一 二 〇 枚 の 調 査 票 を 一 括 し て 金 猛 浩 氏 に お 渡 し し て、 調 査 票 の 配 布 ・ 回 収 方 を お 願 い し た。 金 氏 は そ れ を 四 人 の 班 長 に 配 分 し、 そ の 配 布 ・ 回 収 方 を 依 頼 し た。 記 入 に 要 し た 期 間 は、 今 日 の 夕 方 に 配 布 し、 明 後 日 の 朝 十 時 頃 に 回 収 を 終 え て も ら う と い う あ わ た だ し さ で あ っ た。 私 は 両 地 区 と も に、 世 帯 主 に 回 答 を 依 頼 し た の で あ る が、 あ ま り に も 短 期 間 の 調 査 の こ と ゆ え、 必 ず し も 私 の 期 待 通 り に は い か な か っ た。 左 に 両 地 区 の 回 答 者 の 性 別 と 年 齢 別 に つ い て 記 し て お く。 右 の 表 を 要 約 す る と、 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(12)

-11-密 教 文 化 男 厚 浦 里 九 七 人 ( 九 〇 ・ 七 %) 川 前 洞 九 〇 人 ( 七 六 ・ 三 %) 女 厚 浦 里 六 人 ( 五 ・ 六 %) 川 前 洞 一 九 人 ( 一 六 ・ 一 %) N A 厚 浦 里 四 人 ( 三 ・ 七 %) 川 前 洞 九 人 ( 七 ・ 六 %) と な る。 な お、 男 性 世 帯 主 の 抽 出 に つ い て は、 役 揚 の 世 帯 主 名 簿 に 記 載 さ れ て い る の を そ の ま ま と る か、 そ れ と も こ ち ら が た と え ば 三 十 五 歳 か ら 六 十 五 歳 ま で を も っ て 世 帯 主 と す る と い う ふ う に 年 齢 枠 を は め て 決 め た 方 が よ か っ た の か、 判 断 に 迷 う。 男 性 の 回 答 者 が 八-九 割 い た と い う 事 実 は、 私 の 希 望 条 件 は ほ ぼ 満 た さ れ た と 見 る ぺ き だ ろ う か。 と く に 厚 浦 里 で は、 男 性 回 答 者 が 九 〇 % に 達 し て い る こ と の ほ か に、 農 村 部 の 川 前 洞 に 比 べ て 回 答 者 の 年 齢 が か な り 若 く な っ て い る。 こ れ は 水 協 の 職 員 が 自 分 が 頼 み や す い 同 世 代 な い し 年 下 の 者 に 調 査 を 依 頼 し た こ と の ほ か、 地 区 漁 民 の 漁 業 収 益 が か な り よ い こ と が 若 年 層 を 地 域 に 多 く 引 き と め て い る こ と も あ ろ う。 な お い え ば、 川 前 洞 一 二 〇 世 帯 の う ち、 一 一 八 世 帯 ( 九 八・ 三 %) よ り 有 効 回 答 票 を え ら れ た の は 嬉 し い こ と で あ っ た。 次 に、 両 地 区 の 回 答 者 の 職 業 に つ い て 記 し て お く。 厚 浦 里 の 回 答 者 に、 公 務 員 と 会 社 員 が 多 い。

(13)

私 が 使 用 し た 基 本 調 査 項 目 は、 韓 国 の 漁 村 を 対 象 と し て 作 ら れ た も の な の で、 農 村 部 で あ る 川 前 洞 の 生 業 (職 業) 調 査 に は 不 適 切 で あ っ た。 農 業 を 主 業 な い し 副 業 と す る 人 々 は、 適 当 な 記 入 欄 が な か っ た も の だ か ら、 ﹁ 農 主 漁 従 ﹂ と ﹁ そ の 他 ﹂ と に 分 散 し た も の と 思 う。 ま た、 川 前 洞 に 漁 業 を 主 業 と す る 者 が 三 名 い る の は、 回 答 者 の ミ ス に よ る も の で あ ろ う。 川 前 洞 に は 店 舗 は 三 軒、 農 業 は 米 麦 が 主 で 僅 か な が ら 麻 を 栽 培 す る も の も あ る。 公 務 員、 会 社 員 と し て 安 東 市 に 通 う 者 が 約 三 十 名、 彼 ら は ほ と ん ど す べ て が マ イ ヵー を 所 有 し て お り、 部 落 全 体 で の マ イ ヵー の 所 有 台 数 と ほ ぼ 一 致 し て い る。 そ の ほ か、 安 東 市 ・ 郡 で 現 在 行 わ れ て い る ダ ム の 付 帯 工 事 の 土 方 仕 事 に 雇 わ れ て 働 く 者 が 主 婦 達 を も 含 め 三、 四 十 名 を く だ ら な い。 そ の た め、 川 前 洞 で は 働 け る 人 は ほ と ん ど な ん ら か の 仕 事 で 働 い て い る の で、 日 中 に は 村 に 人 影 が 見 ら れ な い 状 態 と な る。 な お、 厚 浦 里 の 生 業 そ の 他 に つ い て は、 す で に 紹 介 し た 調 査 報 告 書 を 参 照 し て い た だ き た い。 < 回 答 者 の 漁 船 所 有 状 況> 右 の 結 果 か ら 分 か る こ と は、 厚 浦 里 の 漁 民 の も つ 漁 船 は 比 較 的 ト ン 数 が 大 き い。 そ れ だ け に、 日 本 の 沿 岸 漁 村 の よ う に、 ほ と ん ど の 漁 民 が 三-五 ト ン 級 の 漁 船 を 所 有 し て 漁 業 を 自 営 し て い る の に 比 べ て、 船 主 と 雇 わ れ 船 員 と に 層 分 け さ れ て い る こ と が 知 ら れ る。 農 村 部 の 川 前 洞 に は、 い う ま で も な く 漁 船 は な い。 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(14)

密 教 文 化 < 規 模 別 田 ・ 畑 ・ 山 林 所 有 者 数> い う ま で も な い こ と な が ら、 漁 業 を 主 業 と す る 厚 浦 面 の 人 達 の 所 有 す る 耕 地 ・ 山 林 の 規 模 は 零 細 で あ り、 ま た 所 有 者 も 少 な い。 そ れ に 比 べ て、 川 前 洞 の 農 民 の 所 有 す る 耕 地 ・ 山 林 の 規 模 は、 全 国 平 均 (耕 地 で 約 一 ヘ ク タ ー ル) を 上 回 っ て い る。 < 学 歴> す で に 述 べ て お い た よ う に、 厚 浦 里 の 回 答 者 は 水 協 職 員 自 身 と 彼 ら が 調 査 票 を 配 布 し 回 収 し た 者 な の で、 そ れ だ け に 比 較 的 学 歴 の 高 い 者 が 選 ば れ て い る。 し た が っ て、 厚 浦 里 の 回 答 者 に つ い て は、 そ れ が 地 区 の 一 般 的 な 学 歴 水 準 を

(15)

代 表 し な い こ と を 断 っ て お く。 同 時 に い っ て お き た い こ と は、 川 前 洞 の 村 人 の 学 歴 は、 村 落 部 と し て は 高 い 方 な の で あ る。 そ の こ と の 結 果、 こ こ で 一 つ 注 意 し て お き た い こ と が あ る。 そ れ は 次 の 章 に お い て、 厚 浦 里 と 川 前 洞 の 祖 先 崇 拝 に 関 す る 意 識 調 査 の 比 較 ・ 分 析 を な す に あ た り、 前 者 の 回 答 者 が 概 し て 地 区 で 学 歴 の 比 較 的 高 い 人 々 に 片 寄 っ て お り、 そ れ と 後 者 の 地 区 の 総 体 と を 比 較 ・ 分 析 す る こ と に 伴 う 学 歴 の 不 均 等 性 で あ る。 と い う の は、 学 歴 が 高 く な る に つ れ て、 不 合 理 な 因 襲 な い し 慣 習 に と ら わ れ る こ と を 拒 絶 し、 個 人 主 義 ・ 合 理 主 義 の 傾 向 を 強 め て い く こ と に な ろ う。 そ の こ と が、 厚 浦 里 の 人 達 の 祖 先 崇 拝 に 関 す る 熱 心 度 を 薄 め る 方 向 で 微 妙 に 作 用 し た こ と が 予 想 さ れ る。 < 一 か 月 の 平 均 収 入> こ の 結 果 か ら す る と、 厚 浦 里 の 人 々 の 所 得 水 準 は、 川 前 洞 の 人 々 の 約 半 分 く ら い に な る。 そ れ に つ い て は、 あ と の と こ ろ で も 述 べ る よ う に、 川 前 洞 の 人 々 の 方 は 男 女 の 別 な く 働 け る 者 は こ と ご と く 働 い て お り、 日 中 は 老 人 と 子 供 だ け し か 目 に つ か ぬ 状 況 と な る。 そ れ に 比 べ る と、 厚 浦 里 で は 日 中 家 に い る 主 婦 は 多 い よ う で あ り、 川 前 洞 の よ う に は 働 い て い な い。 同 時 に、 川 前 洞 の 回 答 者 が 全 体 と し て 所 得 を 正 直 に あ る が ま ま を 回 答 し て く れ た こ と も 考 え ら れ る。 さ て、 以 上 が 厚 浦 里 と 川 前 洞 の 基 本 調 査 項 目 か ら み た 特 徴 で あ る。 す で に 述 べ た よ う に、 厚 浦 は 面 ( 町) で あ り、 漁 業 と 商 業、 水 産 物 加 工 業 を 主 な 産 業 と し て い る が、 近 年 ま で は、 厚 浦 あ た り か ら 北 方 の 江 原 道 の 江 陵 に か け て の 海 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(16)

密 教 文 化 岸 沿 い の 地 域 は、 韓 国 の 中 で も 最 も 交 通 の 不 便 な 地 域 で あ っ た。 そ れ に 対 し て 川 前 洞 の 方 は、 慶 尚 北 道 の ほ ぼ 中 央 部 に あ た る 内 陸 部 に あ っ て、 長 ら く 農 業 を 唯 一 の 生 業 と し て き た 自 然 村 で あ る。 川 前 洞 の あ る 臨 河 面 は、 地 方 都 市 安 東 と 境 を 接 し て い る と は い え、 交 通 事 情 は 厚 浦 面 と 似 た 状 況 に あ っ た。 二、 祖 先 崇 拝 に 関 す る 意 識 調 査 の 分 析 私 が 使 用 し た 質 問 紙 に は 二 十 五 の 質 問 項 目 が あ る が、 そ れ ら は 大 き く は 次 の よ う に 分 類 さ れ る。 ( 一) 雑 三 問 ( 二) 相 続 二 〃 ( 三) 家 庭 生 活 二 〃 ( 四) 孝 行 ご 〃 ( 五) 霊 魂 ・ 祖 霊 観 三 〃 ( 六) 先 祖 崩観 二 〃 ( 七) 先 祖 祭 祖 八 〃 ( 八) シ ャ ー マ ニ ズ ム 的 祖 霊 観 三 〃 以 下、 こ の 順 序 に 従 っ て 質 問 と 回 答 結 果 を 示 し、 簡 単 に 分 析 を 施 し て い く こ と に す る。 以 下 に の せ る 回 答 結 果 に お い て、 回 答 の 合 計 が 回 答 者 数 を 超 え て い る も の が あ る の は、 重 複 回 答 が あ っ た も の と 承 知 し て も ら い た い。 ( 一) 雑

(17)

問 一 出 世、 成 功 に と っ て 一 番 大 切 な 条 件 は 次 の ど れ で す か。 こ の 結 果 に つ い て は、 両 地 区 の 成 功 の 要 因 と し て の ﹃ 学 歴﹄ に 関 す る 有 意 差 に 注 目 し て お き た い。 す で に み た よ う に、 厚 浦 里 の 回 答 者 の 学 歴 は 川 前 洞 よ り 高 か っ た の だ が、 こ れ は 水 協 に 勤 務 す る 職 員 の 回 答 者 が 多 く 含 ま れ、 そ の こ と が 学 歴 の 高 さ を 押 し 上 げ る 原 因 と な っ た。 川 前 洞 の 村 人 達 は、 こ の 村 が 李 朝 時 代 以 来 の 両 班 村 で あ る こ と に よ っ て、 人 々 の 教 育 に 対 す る 関 心 は 強 く、 事 実、 近 隣 村 の 中 で は 教 育 程 度 も 高 い。 し か も、 川 前 洞 の あ る 臨 河 面 は 安 東 市 と 接 し て お り、 そ の 安 東 市 に は 小 さ な 都 市 で あ る に も か か わ ら ず、 国 立 安 東 大 学 が あ る。 そ れ に 比 べ る と、 厚 浦 面 は 近 年 ま で、 も と も と 漁 村 で あ っ た 厚 浦 里 を 面 の 中 核 と し て お り、 漁 村 で は 概 し て 腕 一 本 に 頼 る 傾 向 が 強 い ゆ え に、 学 歴 に 対 す る 関 心 は む し ろ 川 前 洞 よ り 一 般 的 に は 低 か っ た と 思 わ れ る。 両 地 区 民 の 学 歴 評 価 に 対 す る 有 意 差 は、 こ の 点 か ら と ら え ら れ る べ き で あ ろ う。 問 二 あ な た は 官 吏 に な り た い と 思 っ た こ と が あ り ま し た か。 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(18)

密 教 文 化 右 の 結 果 か ら す る と、 両 班 村 と し て よ り 官 吏 に 近 い 位 置 に い た は ず の 川 前 洞 の 方 に、 官 吏 志 望 者 が 少 な か っ た こ と に な る。 そ の 理 由 に つ い て は 十 分 に 答 え ら れ な い の だ が、 官 吏 に な る た め の 科 挙 の 試 験 の 難 し さ や、 官 吏 と い う も の の 生 活 の 実 際 を 身 近 に 知 っ て い て、 そ れ だ け 醒 め た 目 で 官 吏 を 見 る こ と が で き た た め で あ ろ う か。 歴 史 的 な 韓 国 で は、 両 班 官 職 層 が 日 本 以 上 に 幅 を 利 か せ て き た し、 現 在 に お い て も 韓 国 民 の 間 に お け る 公 務 員 志 望 熱 は 根 強 い も の が あ る。 私 が 過 去 に 行 っ た 韓 国 の 村 落 調 査 で も、 官 吏 志 望 者 の 比 率 は 六-七 割 に 達 し て い た と こ ろ も あ る。 両 地 区、 と く に 川 前 洞 に 官 吏 志 望 者 の 割 合 が 低 い の は、 こ の 村 落 が 両 班 村 で あ る た め に、 あ る い は 両 班 官 職 層 に ょ る 搾 取 収 奪 が あ ま り 激 し く な か っ た こ と を 反 映 し て い る の か も 知 れ な い。 官 吏 か ら 痛 め つ け ら れ た 恨 み が 強 い ほ ど、 官 吏 志 望 熱 が 強 ま る こ と は あ り う る こ と で あ る。 か つ て の 朝 鮮 で は、 両 班 と 平 民 と で は 雲 泥、 天 地 の 懸 隔 が あ っ た と い わ れ、 村 の 両 班 や 富 豪 層 の 子 弟 が ﹁ 書 院 ﹂ ( 儒 学 校) に 通 い、 そ の 勉 学 に 打 ち 込 ん だ と い う の も、 た だ 官 職 を え る た め の こ と で あ っ た。 官 職 層 が 知 識 と 権 力 を 独 占 し、 無 知 な 民 衆 を 道 徳 的、 政 治 的 に 教 化 す る の は、 儒 教 的 な 理 想 に 叶 っ た こ と だ っ た。 問 三 お た く で は 遺 体 の 処 置 は 土 葬 で す か、 火 葬 で す か。 古 代 の 儒 教 中 国 以 来、 火 葬 は 最 も 嫌 忌 さ れ て き た が、 世 界 一 の 儒 教 国 で あ る 現 代 の 韓 国 で も、 政 府 に よ る 火 葬 の 奨

(19)

励 に も か か わ ら ず、 儒 教 思 想 の 残 存 度 の 強 い と こ ろ ほ ど 火 葬 が 忌 避 さ れ て い る。 川 前 洞 の 調 査 を 引 き 受 け て く れ た 金 孟 浩 氏 に よ る と、 安 東 市 ・ 郡 で は お そ ら く 九 八 % く ら い の 人 々 は 土 葬 を 選 ん で い る だ ろ う と の こ と だ っ た。 朴 大 統 領 は ﹁ 家 庭 儀 礼 準 則 ﹂ を 出 し て、 国 民 に 葬 祭 の 簡 素 化 を 命 じ、 違 反 者 に 罰 則 を 適 用 す る も の と し た。 同 時 に そ の 中 で、 山 林 の 墓 地 造 成 に よ る こ れ 以 上 の 蚕 蝕 を 押 え る べ く、 火 葬 を 奨 励 す る。 し か し、 政 府 に よ っ て 奨 励 さ れ て き た 火 葬 の 方 は、 中 層 以 下 の 一 部 の 人 々 を 除 い て あ ま り 守 ら れ て い な い。 私 が 安 東 市 郡 で 調 査 を 行 っ て い た 一 日、 朴 大 統 領 時 代 に 布 告 さ れ た ﹁ 家 庭 儀 礼 準 則 ﹂ を 守 ら な く と も 罰 則 の 適 用 は し な い と い う 政 府 通 達 が 報 ぜ ら れ て い た こ と を 記 し て お く。 ( 一 九 八 八 年 七 月 二 十 六 日 付 ﹁ 中 外 日 報 ﹂) 問 四 日 本 で は あ と つ ぎ の 男 子 が い な い と き は、 娘 一 人 を 残 し て 婿 養 子 ( 血 縁 関 係 が な い こ と が 多 い) を も ら っ て あ と を つ が せ ま す が、 あ な た は こ の 習 慣 を ど う 思 い ま す か。 韓 国 で は 中 国 の 儒 教 的 な 伝 統 に 従 っ て、 血 統 主 義 と 男 性 優 位 主 義 と が、 本 国 以 上 と い え る ほ ど 忠 実 に 踏 襲 さ れ て き て い る。 そ の 点 で は、 両 班 村 の 儒 教 的 伝 統 を 今 な お 強 く 受 け つ ぐ 川 前 洞 の 方 に、 そ の 忠 実 な 意 思 の 表 明 が 見 ら れ る。 す な わ ち、 男 性 優 位 の 血 統 意 識 に 対 し て 極 め て 鈍 感 な 日 本 人 の 相 続 法 は、 韓 国 人 の 目 か ら す る と、 ご 都 合 主 義、 便 宜 主 義 的 な も の と 映 ず る。 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(20)

密 教 文 化 韓 国 で は、 娘 は す べ て 婚 出 さ せ る と い う の が 原 則 で あ り、 仮 り に 例 外 的 に 娘 に 婿 養 子 を と ら せ た と し て も、 夫 婦 は そ れ ぞ れ 別 々 の 姓 を 名 乗 る の み か、 夫 婦 の 間 に 生 ま れ た 子 供 は 男 性 優 位 主 義 の 原 則 に 従 っ て 婿 養 子 側 の 姓 を 名 乗 る ﹄ そ の た め、 日 本 の ば あ い の よ う に、 娘 に 婿 養 子 を と っ て そ の 家 の ﹁ 姓 ﹂ と と も に ﹁ 血 統 ﹂ を つ ぐ こ と は で き な い 相 談 で あ る。 私 は 昭 和 六 十 年 に、 儒 教 的 ・ 両 班 的 伝 統 が か な り 稀 薄 な 全 羅 南 道 莞 島 郡 莞 島 邑 長 佐 里 の 調 査 を 行 っ て い る。 こ の 部 落 は、 世 帯 数 一 七 八 ( 有 効 回 答 者 数 二 二 五 世 帯) と い う 半 農 半 漁 村 で あ っ た が、 同 じ 質 問 に 対 す る 回 答 で は、 ﹁ 賛 成 九 四 人 ( 六 九 ・ 六 %)、 反 対 二 五 人 ( 一 八 ・ 五 %)、 そ の 他 一 一 人 ( 八 ・ 二 %)、 N A 五 人 ( 三 ・ 七 %) で あ っ た。 問 五 ( 前 間 で ﹁ 反 対 ﹂ と 答 え た 人 に)-反 対 の 理 由 は な ん で す か。 前 間 の S ・ Q で あ る こ の 問 の 結 果 に よ っ て も、 両 地 区 民 の 回 答 の 違 い、 ま た は 両 班 の 里 川 前 洞 の 儒 教 主 義 的 な 独 自 性 が く っ き り と 示 さ れ て い る。 川 前 洞 の 回 答 者 で、 ﹁ あ と つ ぎ は 男 子 に き ま っ て い る か ら ﹂ と 答 え た も の が 八 割 強 を 占 め る が、 そ の 意 味 す る と こ ろ は、 ﹁ そ れ 以 外 に は 考 え よ う の な い 絶 対 的 な 原 則 だ ﹂ と い う に 近 い で あ ろ う。 ( 三) 家 庭 生 活 問 六 お た く で は 平 生 財 布 の 紐 を に ぎ っ て い る の は 誰 で す か。

(21)

右 の 回 答 結 果 か ら、 漁 業 世 帯 が 比 較 的 多 い 厚 浦 面 の 方 に、 妻、 母 と い う 女 性 の 家 計 管 理 者 が か な り 見 ら れ る の に 対 し て、 儒 教 の 里 川 前 洞 の 方 で は そ れ が 極 め て 少 な く、 世 帯 主 ( 男 が ほ と ん ど)、 父 が 合 せ て 九 〇 人、 七 六 ・ 二 % と 八 割 近 く に 達 し て い る こ と が 知 ら れ る。 儒 教 的 な 男 尊 女 卑 の 傾 向 は、 こ こ か ら も は っ き り う か が え る。 問 七 子 供 の 進 学 や 就 職 を 決 定 す る の は 誰 で す か。 こ の 回 答 結 果 で も、 厚 浦 面、 川 前 洞 と も に 母 権 に 対 す る 父 権 の 圧 倒 的 な 優 越 傾 向 は 見 ら れ は す る が、 父 親 の 強 さ に つ い て は 有 意 差 は な く、 む し ろ 厚 浦 里 の 方 が 上 回 っ て い る。 日 本 に 比 べ る な ら ば、 両 地 区 に お け る 父 権 の 強 さ は 別 格 の も の と い え る。 な お、 ﹁ そ の 他 ﹂ の 内 訳 は 父 と 子 供 ま た は 両 親 と 子 供 で あ る。 ( 四) 孝 行 間 八 道 徳 の う ち で 一 番 大 切 な も の は 次 の ど れ で す か。 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(22)

密 教 文 化 こ の 間 は、 儒 教 国 家 韓 国 に お い て、 道 徳 の う ち で ﹁ 孝 行 ﹂ の 位 置 づ け、 重 み が ど れ ほ ど の も の で あ る か を 知 る た め に 行 っ て み た。 こ の 結 果 か ら す る と、 厚 浦 里 で は 孝 行 を 最 重 要 の 道 徳 と す る も の が 六 五 人、 五 八 ・ 六 % と 六 割 を 占 め る の に 対 し て、 川 前 洞 の 方 で は、 孝 行 六 〇 人 ( 四 一 ・ 四 %)、 愛 国 心 五 〇 人 ( 三 四 ・ 五 %) と 両 極 化 の 傾 向 が み ら れ る。 し か も、 両 者 を 合 せ る と 一 一〇 人、 七 五 ・ 九 % と 八 割 に 近 づ く。 庶 民 的 な 儒 教 道 徳 で は、 そ の 中 心 が 孝 行 に 集 約 さ れ る 傾 向 に あ る の に 対 し て、 両 班 の そ れ で は 孝 行 と 愛 国 心 へ の 二 極 化 に 向 か う も の の よ う で あ る。 問 九 あ な た は 自 分 の 老 後 を ど う 感 じ て い ま す か。 自 分 の 老 後 は、 子 供 を 頼 り に す る こ と に よ っ て 心 配 な し と す る 意 見 は、 上 か ら 三 番 目 ま で の 選 択 肢 を 選 ん だ 者 を 合 せ て、 厚 浦 里 で 九 二 人、 八 五 ・ 九 %、 川 前 洞 で 一 一 二 人、 九 四 ・ 九 % で あ る。 老 後 に 不 安 あ り と す る 回 答 も 厚 浦 里 の 方 に 多 い こ と か ら、 儒 教 の 里 川 前 洞 の 子 弟 の 方 に 孝 心 が あ つ い と み て よ か ろ う。

(23)

( 五) 霊 魂 ・ 祖 霊 観 問 十 ひ と が 死 ね ば 霊 魂 は 残 る と 思 い ま す か。 川 前 洞 の 方 に 死 後 の 霊 魂 残 留 説 が 多 い が、 有 意 差 と い え る か ど う か は 微 妙 で あ る。 ま た い え ば、 そ の こ と が 両 地 区 民 の 間 に お け る 祖 先 崇 拝 に 関 す る 熱 心 度 の 相 違 に 通 ず る と い え る の か ど う か。 問 十 欄 祖 先 は ふ だ ん ど こ に い る と 思 い ま す か。 厚 浦 里 の ば あ い、 祖 霊 の 平 生 の 居 場 所 と し て ﹁ あ の 世 ﹂ ( 冥 土) を 選 択 す る 者 が 多 く て、 ほ か の 場 所 が 霞 ん で し ま っ た。 お そ ら く 厚 浦 里 全 体 で 桐 堂 を も つ よ う な 両 班 の 家 系 は な い で あ ろ う か ら、 墓 地 を 仮 定 す る 者 が 比 較 的 多 く な っ て い る。 そ れ に 比 べ て 川 前 洞 で は、 金 誠 一 直 系 の 宗 孫 で あ る 金 時 雨 氏 宅 が あ り、 こ の 家 に あ る 桐 堂 に は、 金 時 雨 氏 の 五 代 に わ た る 神 位 ( 神 主・ 木 の 位 牌) の ほ か に、 不 遷 位 の 地 位 を 認 め ら れ て い る 金 誠 一 の 神 位 も 杷 ら れ て い る。 そ の た め、 そ の 分 家 筋 の 重 だ っ た 者 も、 先 祖 祭 杷 に 参 列 し て い る。 そ う し た 事 情 が あ る た め、 祖 霊 の 居 場 所 は 大 き く 桐 堂 と 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(24)

密 教 文 化 墓 地 と に 二 分 さ れ て い る。 問 十 二 祖 霊 は 清 明 節、 秋 夕 な ど に は 帰 っ て く る と 思 い ま す か。 清 明 節 や 秋 夕 に は、 祖 霊 が 家 に 帰 っ て く る と す る 考 え は、 両 地 区 と も 半 数 ほ ど を 占 め、 そ れ を 否 定 す る 見 解 は 少 な い。 日 本 の 諸 村 落 で 同 じ 質 問 (彼 岸 や お 盆) を し て も、 両 地 区 民 と ほ ぼ 同 じ よ う な 答 え が え ら れ て い る。 韓 国 の 儒 教 的 祖 先 崇 拝 と 日 本 の 仏 教 的 な 祖 先 崇 拝 を、 そ れ ぞ れ の 理 念 型 に 還 元 し て 比 較 す れ ば、 理 論 的 に は か な り 本 質 的 な 違 い が 指 適 で き る。 し か し、 こ の 間 と 回 答 の よ う に、 庶 民 的 な 感 情 の 基 底 部 分 に 下 降 し て 探 っ て み れ ば、 両 国 民 の 間 に 共 通 す る と こ ろ が 多 い こ と が 知 ら れ る。 ( 六) 先 祖 観 問 十 三 先 祖 と は 次 の ど れ を さ す と 思 い ま す か。 日 本 の 村 落 で 同 じ 質 問 を し た ば あ い、 最 も 多 く 回 答 が 集 中 す る の は、 ﹁ 始 祖 以 来 家 系 を 継 承 し た 父 母 双 系 の 死 者 夫

(25)

妻﹂ で あ る。 ま た、 韓 国 で は お そ ら く 考 え ら れ な い こ と で あ ろ う が、 ﹁ 幼 く (若 く) し て 死 ん だ 子 供 ﹂ は 先 祖 の 中 に 入 る か ど う か を 尋 ね る と、 六 割 程 度 の 者 が 先 祖 の 中 に 入 る と 答 え る よ う だ。 な お、 ﹁ 始 祖 ﹂ を も っ て 先 祖 と す る 考 え は、 日 本 で も 韓 国 の 二 地 区 の ば あ い と 大 差 は な い。 両 地 区 の う ち で は、 川 前 洞 の 方 に 儒 教 的-正 確 に は 大 陸 的 と い う べ き か も し れ な い-な 先 祖 観 が 最 も く っ き り と 現 れ て い る。 す な わ ち、 ﹁ 始 祖 以 来 家 系 を 継 承 し た 父 母 双 系 の 死 者 夫 妻 ﹂ を も っ て 先 祖 と す る 回 答 は 皆 無 で あ る 代 り に、 ﹁ 家 系 を 継 承 し た 父 系 の 死 者 夫 妻 ﹂ を 先 祖 と み る 回 答 が 約 七 割 を 占 め て い る か ら で あ る。 そ の 点 で 思 う に、 日 本 で も 先 祖 の 概 念 は 封 建 時 代 こ の 方、 川 前 洞 張 り の 父 系 的 先 祖 観 が 長 く 支 配 し て き て お り、 父 母 双 系 的 な 先 祖 観 の 発 生 は 戦 後 の 産 業 化 ・ 都 市 化 ・ 核 家 族 化 の 進 展 が ひ き 起 こ し た 面 が 強 い の で は あ る ま い か。 問 十 四 あ な た は 父 方、 母 方 い ず れ か よ く 知 っ て い る 方 で、 何 代 前 ま で の 先 祖 の 名 前 が い え ま す か。 祖 先 崇 拝 の 対 象 が、 両 親 ・ 祖 父 母 と い う ﹁ 近 親 ぼ と け ﹂ だ け に 限 定 さ れ が ち な 日 本 の ば あ い で は、 先 祖 名 を い え る の は 祖 父 母 く ら い ま で に 終 る の が 一 般 で あ る。 そ の 点、 四 代 祭 杷 ま で を 家 庭 で 行 い、 五 代 以 上 の 先 祖 に つ い て も 墓 祭 を 行 う 韓 国 で は、 ﹃ 族 譜 ﹄ の 普 及 と あ い ま っ て、 相 当 の 代 数 を さ か の ぼ っ て 先 祖 の 名 前 を 記 憶 し て い る こ と が 予 想 さ れ た。 回 答 結 果 か ら す る と、 先 祖 祭 杞 に ょ り 熱 心 な 川 前 洞 の 方 に は っ き り と そ の 傾 向 が う か が わ れ る。 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(26)

密 教 文 化 ( 七) 先 祖 祭 把 問 十 五 あ な た は 桐 堂 ( 寵 室) を 拝 み ま す か。 韓 国 に は、 日 本 人 が 仏 壇 に 向 か っ て そ う す る よ う に、 桐 堂 ま た は 寵 室 を 毎 日 拝 む と い う 習 慣 は な い。 先 祖 祭 杞 に 熱 心 な 旧 両 班 層 な い し 富 裕 層 で も、 命 日、 清 明 節、 秋 夕 以 外 で は せ い ぜ い 朔 望 (毎 月 の 一 日 と 十 五 日) に 拝 む だ け で あ る。 問 十 六 平 生 桐 堂 の 世 話 を す る の は 誰 で す か。 韓 国 で は 右 に 述 べ た よ う に、 桐 堂 ま た は 寵 室 に 毎 日 茶、 花、 水 ( 茶)、 ロ 通 ソ ク、 線 香 を 供 え て 拝 む と い う 習 慣 は な い の で、 問 の 文 章 の う ち の ﹁ 平 生 ﹂ と い う 文 字 を 消 さ ね ば な ら な い。 日 本 で は、 平 生 仏 壇 の 世 話 を 受 け 持 ち、 同 時 に 礼 拝 す る の は、 お お む ね 主 婦 の 仕 事 と な っ て い る。 私 の 推 測 で は、 日 本 で も 男 尊 女 卑 の 封 建 制 度 の 時 代 に は、 命 日 そ の 他 特 別 の 機 会 に 行 わ れ る 先 祖 の 祭 杷 は 男 性 の 主 導 に よ っ て 行 い、 あ る い は 女 性 を 参 列 さ せ な い こ と も あ っ た か も 知 れ な い と 思 う。 江 戸 時 代 も 晩 期 と な り、 庶 民 層 の 間 に ま で 仏 壇 が 行 き わ た る よ う に な る に 及 ん で、 男 性 家 長 が 毎 日 の

(27)

仏 壇 の 世 話 を 厭 う と 共 に、 こ う し た 世 話 に つ い て は 女 性 の 関 心 の 方 が 強 い と い う 事 情 も 手 伝 っ て、 次 第 に 平 生 の 世 話 役 を 主 婦 に 移 譲 す る よ う に な っ た も の か と 思 う。 さ て、 右 の 回 答 結 果 か ら、 年 間 の 特 別 の 機 会 に し か 桐 堂 ま た は 寵 室 を 拝 ま な い 風 習 と あ い ま っ て、 一 般 に、 主 婦、 祖 母 な ど 女 性 が 先 祖 祭 杞 の 司 祭 者 と な る こ と は な い。 韓 国 で は 中 国 の 慣 習 を う け て、 も と も と 先 祖 祭 杷 の 司 祭 者 は 男 性 で あ る こ と が 一 般 で あ り、 女 性 の 参 与 は 祭 壇 に 供 え る 料 理 作 り ま で で あ っ て、 作 っ た 料 理 を 祭 壇 ま で 運 ぶ こ と か ら 先 は 男 性 司 祭 者 の 独 壇 場 と な っ て い た。 問 十 七 先 祖 を 拝 む ( 祭 る) の は な ぜ で す か。 同 じ 質 問 を 内 地 の 村 落 で 行 っ た ぱ あ い、 一 子 孫 と し て の 義 務﹂﹁ 人 間 と し て の 義 務 L と 一 先 祖 へ の 感 謝﹂ ﹁ 先 祖 の 冥 福 を 祈 る た め ﹂、 そ れ に ﹁ 家 の 安 全 ・ 繁 栄 の た め ﹂ と い う の が 回 答 の 三 本 の 柱 と な る。 そ の な か で 最 も 強 力 な 柱 と な る の は、 ﹁ 先 祖 へ の 感 謝 ﹂ ﹁ 先 祖 の 冥 福 を 祈 る た め ﹂ と い う 宗 教 的 と い う べ き 動 機 づ け で あ る。 こ の こ と は、 日 本 の 祖 先 崇 拝 が 仏 教 と い う 普 遍 的 な 世 界 宗 教 と 習 合 し、 そ れ に よ っ て 裏 打 ち さ れ て い る こ と と 関 連 が あ る で あ ろ う。 そ れ に 対 し て、 韓 国 人 の 祖 先 崇 拝 に あ っ て は、 右 の 回 答 結 果 で は 必 ず し も そ う と は い え な い が、 だ い た い ﹁ 子 孫 と し て の 義 務 ﹂ ﹁ 人 間 と し て の 義 務 ﹂ と い う 道 徳 的 な 動 機 づ け が 最 も 多 く な る よ う だ。 二 地 区 の う ち で は 厚 浦 里 で、 宗 教 的 な 動 機 づ け が 道 徳 的 な そ れ を 上 回 っ た の で あ る が、 川 前 洞 に お い て は、 前 者 が 五 〇 人、 三 五 ・ 二 % で あ る の に 対 し て 後 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(28)

密 教 文 化 者 が 入 四 人、 五 九 ・ 二 % と な る。 こ れ が 道 徳 思 想 と し て の 儒 教 本 来 の 先 祖 祭 杷 の あ り 方 な の で は あ る ま い か。 な お、 日 本 の 村 落 部 で の 同 じ 質 問 に 対 す る 回 答 に 比 べ、 家 の 安 全 ・繁 栄 の た め L と い う 動 機 づ け が 少 な い の は、 韓 国 で は 亡 親 な ど の 墓 地 の 選 定 に あ た っ て、 風 水 思 想 に よ っ て 別 途 ﹁ 家 の 安 全 ・ 繁 栄 ﹂ の 場 所 が 念 入 り に 卜 せ ら れ る か ら で あ る。 問 十 八 よ そ か ら 珍 し い 食 べ 物 な ど を も ら う と、 ま ず 桐 堂 ( 寵 室) に 供 え ま す か。 右 の 回 答 結 果 は、 現 今 の 日 本 の 村 落 部 で の そ れ と 大 き く 違 わ な い と 思 わ れ る。 寵 室 が な い 家 で は 床 の 間 が 桐 堂 代 り に 使 わ れ る。 問 十 九 子 供 の 結 婚、 出 産、 入 試 ・ 入 社 の 合 格、 家 の 造 改 築 を 先 祖 に 報 告 し ま す か。 こ の 回 答 の 結 果 も、 日 本 の 村 落 部 で の 一 般 的 傾 向 と 変 っ た も の で は な い。 先 祖 を 思 い、 先 祖 を 敬 う 庶 民 層 の 気 持 に は、 両 国 民 の 間 に あ ま り 違 い は な さ そ う で あ る。 問 二 十 あ な た の 家 で は 族 譜 を 買 い ま す か。

(29)

私 を 安 東 市 郡 に 同 行 ・ 案 内 し て く れ た 厚 浦 面 の 金 氏 は、 富 裕 な 家 は も ち ろ ん の こ と、 少 な く と も 孝 子 を 自 負 す る く ら い の 者 な ら 族 譜 を 買 う。 厚 浦 の 七 割 く ら い の 家 々 で は、 た と え﹃ 大 同 譜 ﹄ ( 始 祖 以 来 の す べ て の 成 人 の 死 亡 者 を の せ た 系 図 書) は な く と も、 ﹃ 中 譜﹄ (支 派 始 祖 以 来 の す べ て の 成 人 の 死 亡 者 を の せ た 系 図 書) く ら い は 持 っ て い る L と 語 っ て い る。 両 班 の 村 川 前 洞 で は、 外 来 の 異 氏 姓 の 家 々 を 除 き 金 一 族 の 者 は ま ず す べ て 族 譜 を 所 持 し て い る と み て よ か ろ う。 問 二 十 一 次 の 諸 行 事 の 大 切 さ の 順 を い っ て く だ さ い。 韓 国 の 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(30)

密 教 文 化 右 の 結 果 か ら す る と、 厚 浦 里 で は 冠 婚 葬 祭 の 四 礼 の 重 要 度 の 順 位 は、(1) 葬 式、(2) 結 婚 式、(3) 法 事、(4) 出 産 祝 と な る。 そ れ に 対 し て、 川 前 洞 で は、 葬 祭 の 順 位 が ほ ぼ 同 数 な が ら も、(1) 法 事、(2) 葬 式、(3) 結 婚 式、(4) 出 産 祝 と な っ て い る。 厚 浦 里 に お け る 四 礼 の 重 要 度 の 順 序 は、 日 本 の 村 落 の そ れ と も 大 体 一 致 し、 死 者 の 葬 送 は ひ と ま ず 儀 礼 的 に 一 位 に 置 き は す る が、 二 位 に は、 生 者 の 方 の 最 大 の 慶 事 の 実 質 質 な 重 要 性 を 見 逃 し て い な い。 そ れ に 比 べ る と、 川 前 洞 の よ う に 法 要= 先 祖 祭 杷 と 葬 式 が 同 列 に 並 び、 し か も 僅 少 差 な が ら も 前 者 が 一 位 を 占 め る と い う 例 は、 私 の 内 地 で の 意 識 調 査 の 結 果 で は か つ て み ら れ な い も の で あ る。 葬 祭 は 死 者 の 記 念 ・ 追 悼 に か か わ る も の で あ り、 い っ て み れ ば 死 者 と 過 去 に か か わ る 行 事 で あ る。 生 者 の 現 在 的、 未 来 的 関 心 の 対 象 で あ る 結 婚 と 誕 生 に 対 し て は、 儒 教 的 な 川 前 洞 の 村 人 達 は ﹁ う し ろ 向 き し の 姿 勢 を 示 し て い る こ と に な る。 問 二 十 二 あ な た は 死 後 子 孫 が 自 分 の 祭 杷 を し て く れ な い と し た ら 不 安 で す か。

(31)

か つ て の 儒 教 的 な 韓 国 人 ( 朝 鮮 人) に と っ て、 ﹁ 無 後 ﹂ ( あ と つ ぎ が な く、 し た が っ て 先 祖 祭 祀 を し て も ら え な い こ と) は 人 間 最 大 の 悲 劇 で あ り、 亡 親 な い し 先 祖 に 対 す る 最 大 の 不 孝 で あ っ た。 両 班 が お ら ず、 そ れ だ け に 儒 教 の 浸 透 力 が 徹 底 を 欠 い た 厚 浦 面 で は、 先 祖 祭 杷 を し て も ら え な い こ と に 対 し て 不 安 を 感 じ る 人 々 は、 ﹁ 大 い に 不 安 ﹂ ﹁ 不 安 ﹂ を 合 せ て 二 五 人、 二 三 ・ 四 % と 四 分 の 一 弱 に す ぎ な い。 そ れ に 対 し て、 両 班 と 儒 教 の 里 で あ る 川 前 洞 で は、 六 十 二 人、 五 二 ・ 五 % と 半 数 を 上 回 っ て い る。 ( 八) シ ャ ー マ ニ ズ ム 的 祖 霊 観 問 二 十 三 先 祖 祭 杷 を 粗 末 に す る と 祖 霊 が た た っ た り、 家 が 亡 ん だ り し ま す か。 崖 吉 城 の 著 ﹃ 韓 国 の シ ャ ー マ ン ﹄ の 序 で、 わ が 桜 井 徳 太 郎 氏 は、 韓 国 に お け る シ ャ ー マ ン の 活 動 の 見 聞 の 上 に 立 っ て 次 の よ う に 述 べ て い る。 ( 2 ) ﹁ 異 常 死 者 の 霊 が 怨 霊 と な っ て 生 存 者 に 復 讐 す る 怨 魂 の 崇 り や 障 り と い う 観 念 構 造 は、 中 国 の 孤 魂 や 日 本 の 怨 霊 に み ら れ る が、 韓 国 の ば あ い は 殊 の 外 烈 し い。 韓 国 の ム ー ダ ン ( 巫 堂 と 書 く。 シ ャ ー マ ン の こ と) の 動 き、 韓 国 巫 俗 の 様 相 は、 こ ん に ち の ア ジ ア の な か で 最 も ビ ビ ツ ド な 名 残 を と ど め て い る と み て よ か ろ う。 世 界 の シ ャ ー マ ニ ズ ム 研 究 者 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(32)

密 教 文 化 が、 こ ぞ っ て こ の 国 に 関 心 を よ せ る 所 以 で あ る ﹂ と。 さ て、 右 の 回 答 結 果 か ら す る と、 ﹁ 怪 力 乱 神 を 語 ら ず し、 合 理 主 義 を 標 傍 す る は ず の 儒 教 思 想 の 浸 透 が 深 い は ず の 川 前 洞 の 人 達 の 方 が、 祖 霊 の 崇 り を 信 ず る 気 持 が 遙 か に 強 い。 儒 教 は も と も と、 誇 張 的、 形 式 主 義 的 な 道 徳、 政 治 思 想 で あ る が、 そ れ ゆ え に 個 人 ま た は 人 間 の 意 識 の 深 層 の 問 題 に ふ れ る こ と は な い。 し た が っ て、 儒 教 徒 は 一 見 そ の 合 理 主 義 的 立 場 ゆ え に シ ャ ー マ ニ ズ ム の 対 極 に 位 置 し て い る。 し か し 同 時 に、 シ ャ ー マ ニ ズ ム を 政 治 的 ・ 強 権 的 に 弾 圧 す る こ と は で き て も、 か え っ て ネ ガ テ ィ ブ な 仕 方 で 足 元 に そ れ が 浸 透 し て く る こ と に 対 し て 非 力 で あ る。 そ れ に 比 べ る と、 日 本 仏 教 は、 祖 先 崇 拝 の 中 に あ る 古 代 的 な シ ャ ー マ ニ ズ ム と 習 合 し 妥 協 し な が ら も、 人 間 意 識 の 深 層 に 対 し て も つ 宗 教 的 な 合 理 性 ゆ え に、 か え っ て シ ャ ー マ ニ ズ ム そ の も の を 内 側 か ら 非 力 化 さ せ る と い う 側 面 を も っ て い た。 問 二 十 四 い た ん だ 墓 を そ の ま ま に し て お く と た た り が あ る と 思 い ま す か。 こ こ で も、 川 前 洞 に お け る 先 祖 祭 杞 な い し 葬 祭 の 重 視、 す な わ ち 儒 教 思 想 の 浸 透 の 深 さ が、 先 祖 の 崇 り と い う シ ャ ー マ ニ ズ ム と 抱 き 合 せ の も の で あ る こ と が 知 ら れ よ う。 儒 教 的 合 理 主 義 は、 李 朝 時 代 に し ば し ば シ ャ ー マ ニ ズ ム な い し ム ー ダ ン を 弾 圧 し て き て い る が、 心 の 深 層 に お い て は か え っ て 非 合 理 的 な シ ャ ー マ ニ ズ ム と 相 互 に 補 完 し あ う 関 係 に あ っ た と み ら れ る。

(33)

問 二 十 五 あ な た は ム ー ダ ン ( 巫 堂、 巫 女 の こ と) が、 家 に 凶 事 が お こ る の は 何 代 か 前 の 先 祖 の 祭 り を 粗 末 に し て い る た め だ と い っ た ら 信 じ ま す か。 こ の 問 に お い て も、 子 孫 に 対 し て 懲 罰 を 加 え た り、 少 な く と も そ の 前 兆 を 示 し た り し て、 祖 霊 が 崇 る も の で あ る と と す る 考 え は、 厚 浦 里 よ り 川 前 洞 の 人 達 の 方 が 上 回 っ て い る。 日 本 の 村 落 で の 同 じ 質 問 に 対 す る 回 答 と 比 較 す れ ば、 先 祖 の 崇 り を 信 ず る 気 持 に 関 す る か ぎ り、 両 地 区 の 方 が 強 い と い え よ う。 た だ、 仏 教 の 浸 透 が 稀 薄 で、 い ま だ に 韓 国 と 同 じ ぐ ら い シ ャ ー マ ニ ズ ム が 支 配 的 な 琉 球 列 島 は 別 で あ る。 あ と が き 本 文 の 中 で も い っ て お い た よ う に、 厚 浦 里 の 回 答 者 は 概 し て 学 歴 が 高 い 者 が 選 ば れ て い る。 し か も、 厚 浦 面 ( 面 と は 町 の こ と) は、 そ れ ま で 里 で あ っ た の が、 一 九 八 六 年 四 月 に 近 隣 の 二 村 を 合 併 す る こ と に よ っ て 面 に 昇 格 し た が、 旧 厚 浦 里 は 新 し く で き た 厚 浦 面 の 中 心 地 区 で あ る。 そ れ だ け に、 も と も と は 漁 村 と し て 出 発 し な が ら も、 現 在 で は 漁 業 の ほ か に 商 業、 水 産 加 工 業 そ の 他 の 産 業 を 分 化 ・ 発 展 さ せ て お り、 町 と し て の 体 裁 も か な り 整 っ て き て い る。 な お い 韓 国 の 祖 先 崇 拝 の 調 査 研 究

(34)

-33-密 教 文 化 え ば、 こ れ は 検 証 の 限 り で は な い が、 土 地 に 縛 ら れ 伝 統 的 な 習 慣 に と ら わ れ や す い 農 民 に 対 し て、 漁 民 は 概 し て 実 力 主 義 ・ 個 人 主 義 な ど 自 力 依 存 の 傾 向 が 強 い の で、 こ の こ と が 祖 先 崇 拝 の 熱 心 度 を 幾 ら か 低 下 さ せ る 向 き が あ る の か も 知 れ な い。 さ て、 私 は 過 去 に お い て、 韓 国 ・ 日 本 の 諸 村 落 ・ 琉 球 列 島 と 祖 先 崇 拝 に 関 す る 意 識 調 査 を 続 け て き た。 そ の 結 果、 祖 先 崇 拝 の 熱 心 度 は、 農 ・ 山 ・ 漁 村 と い う 生 業 の 種 別 よ り も、 む し ろ そ の 地 域 の 開 放 化 ・ 産 業 化 ・ 都 市 化 の 程 度、 回 答 者 の 性 別、 年 齢、 学 歴 な ど と 深 く つ な が る も の で あ る こ と が 検 証 さ れ て き て い る。 し か し、 韓 国 の ば あ い に つ い て は、 そ う し た こ と も あ る で あ ろ う が 今 回 の 川 前 洞 の ば あ い は、 儒 教 の 本 拠 地 と さ れ る 安 東 郡 内 に あ る こ と が 考 慮 さ れ な け れ ば な ら な い。 私 は 韓 国 の 諸 村 落 で 祖 先 崇 拝 に 関 す る 意 識 調 査 を し て い る と き、 別 に 相 手 の 答 え に 期 待 を も つ わ け で も な い が、 村 の イ ン テ リ を つ か ま え て、 ﹁ 日 本 と 韓 国 と で 祖 先 崇 拝 は ど ち ら が 熱 心 だ ろ う か ﹂ と い う 問 い を 向 け て み る。 す る と、 相 手 が 富 裕 な 家 の イ ン テ リ で あ れ ば あ る ほ ど、 ﹁ 日 本 よ り 韓 国 の 方 が 祖 先 崇 拝 な い し 先 祖 祭 祀 に 対 し て 熱 心 だ ﹂ と 異 回 同 音 に 答 え る。 こ の こ と は、 彼 ら の 学 歴 ・ 教 養 の 中 に 儒 教 主 義 的 な そ れ が 強 い こ と の ほ か に、 先 祖 祭 杞 と い う も の の 内 包 的 な 意 味 が 日 本 人 と は か な り 大 き く 違 っ て い る こ と と つ な が り が あ る。 日 本 人 の 目 か ら す る と、 儒 教 式 の 先 祖 祭 杞 は 鳴 物 入 り で 随 分 仰 々 し く 誇 張 的、 作 為 的、 形 式 主 義 的 な も の に み え る。 し た が っ て ま た、 儒 教 式 の 韓 国 人 の 祖 先 崇 拝 で は、 義 務 的 な 強 制 の 方 が 目 に つ い て、 主 情 的、 宗 教 的 な 心 情 の 深 ま り が 欠 け て い る。 ち な み に 日 本 人 が 仏 壇 に 向 か っ て 合 掌 す る と き、 ﹁ や や し ば し ﹂ の 時 間 の う ち に 亡 親 な い し 先 祖 の 立 場 に ﹁ 思 い 入 れ ﹂ ( 利 休 ﹃南 坊 録 ﹄) を し、 先 祖 の 側 に 立 っ て そ の 冥 福 を 祈 る こ と が 多 い よ う に 思 う。 こ の あ た り の

参照

関連したドキュメント

3) Ruscello DM: An examination of nonspeech oral motor exercises for children with velopharyungeal inadequacy, Semin Speech Lang,. 29:

・この1年で「信仰に基づいた伝統的な祭り(A)」または「地域に根付いた行事としての祭り(B)」に行った方で

第4 回モニ タリン グ技 術等の 船 舶建造工 程へ の適用 に関す る調査 研究 委員 会開催( レー ザ溶接 技術の 船舶建 造工 程への 適

東京都船舶調査(H19 推計):東京都環境局委託 平成 19 年度船舶排ガス対策効果の解析調査報告書 いであ(株) (平成 20 年3月).. OPRF 調査(H12

会社名 現代三湖重工業㈱ 英文名 HYUNDAI SAMHO Heavy Industries

(2)工場等廃止時の調査  ア  調査報告期限  イ  調査義務者  ウ  調査対象地  エ  汚染状況調査の方法  オ 

復旧と復興の定義(2006 年全国自治体調査から).

1970 年代後半から 80 年代にかけて,湾奥部の新浜湖や内湾の小櫃川河口域での調査