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智山學報 第55 - 021片野 真省「檀信徒と共に阿字の法を観る : 吉祥院阿字観道場の実際」

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(1)

檀 信徒

    〜吉祥

院阿

字観

の実 際

片 野

真  省

  プロ ロ

教 化 宗 団 が その存 在 意 義 を見 失 う と き

 お よそ、 ど んな状 況であ れ、 特に宗 教 集 団には、 本 来 的な姿を求め るベ ク トルと

現 状 を受け 入 れ

生 き な が ら え る た め に 曖昧 模糊 に し ようとするベ ク トル の双方が

互い の方向性や勢い を牽制しつ つ

団 を維持 するための バ ランス を保っ て存続し てい る

原理主義的 な動き と現状 追 認 的 な流れは

宗 教の みな らず

こ の世の中に はどこを切 り取っ て も、 そ うし た せ めぎあい の中で

両極へ の振幅を繰 り返 し な が ら 歴史を刻んで ゆく

宗 団の維 持がま まな らず

歴 史のうね りの中で姿 を 失っ た集 団 は

このバ ラン スを極 端に欠 いた り、 歴 史の うね りに抗 し切る酎力 を 欠いてい たか らに他 な ら ない。 耐 力 を体 力と置き換え ても差 し支え ないが

そうし た体力と な る何ら かの備蓄 を 怠っ た結 末が

悲 しい結末を呼び起こすこと と なる。   さて

そ れでは既 成 教 団にとっ ての体 力 と は何 だろうか ?  これ は 醫 う ま で もなく弘 法 大 師 空 海が遺し た言 葉 「法は 人によっ て弘ま る」とい う こ と に 尽き る だ ろう。 それでは

その

は どのよう な 入か ? これも言 う まで もな く興教 大 師 覚 鑁の 「もしバ ンが虚 言と言 う なら、 之 を修 して自 ら知れ」       ニ た く とい うこ と である。 いろいろ と御 託 を並べ てみても無意味。 自分で考え

自 分で修し

自分 で実践する 人材 を育て るこ と

その ことに終 始し

こ の こ と に最優 先で取 り組 ま なけれ ば、 既 成 教 団の体 力は お ぼつかない

狭い視点や 思い つ きや対 処 療 法に終 始 するだ けで は

体 力は蓄 えら れない

その場その       ま

りごと 場のた か だ か 4年の 政 で

指導者が 己の立 場 を忘れ て都の 享 楽に浸る だけ な ら

その宗 団 は歴 史の うね りの中に自 らの姿 を埋 没 させ ること になる。 (191)

(2)

 少しだ け時間 を後 戻 りさ せ て

既成 教 団のこれ までの動 向 を見 渡し て み る と

戦後の動 乱 期 を乗 り越 えて

大 衆が貧 困 か ら遣い上 が り

全 う な暮 ら し を手に入れ だ した頃

人々は豊かな生 活を手に 入 れ るこ と と引 き換え に

自 分自身の人 間性とい うか

存在意義に確か な手ご たえ を感じ ら れ なくなっ た

心の支え となる より所 を見 失い

何かを希 求 し始め る。 そんな時に

そ う し た 大衆の心の支 え と して

多くの新 興 宗 教 が 台 頭 した。 こ の新 興 宗 教の多 く は

既成 教 団が経 済 的 基 盤 と していた寺檀関 係に風 穴を開 け

それぞれ が独 自の方 法

戦 略で大 衆の信 仰 心 を掘 り起こ し、 目覚めさせ、 教 線の拡張に成 功 した。 都 市 部 を中 心とした各家の仏 壇に、 新 興宗教の位牌や お札が次々 と 祀 られ、 既 成 教 団の檀家の仏壇は

さな が ら

新興宗教の波に侵さ れたかの ようであっ た

 そんな状況に慌てた既 成 教 団 は

そ れ ぞ れの実 態 に応 じた、 い わ ゆ る 教 化 運動をス タ

トさせ、 新 興 宗 教 か ら檀 家 を奪 還

る動 きに転 じようとした。 しか し、 こ の 目論 見が思 惑 通 りに 進 む こ と は難し かっ た。 そのた め

真言宗 智山 派は

平 成9 年度より教化推進の軸 足 を大 き く動 か し たのであ る

そ れ ま で の スロ

ガ ン化さ れ た 「つ く しあい理 念にも とつく教 化 活 動に終 止 符 を打ち

教化目標 と教 化 年 次テ

マ を核 と した推 進 施 策 に リニ ュ

ア ルした。  こ の教 化 推進策の特徴 は

大 き く2点 あ る

ひ とつ は

これ までの つ くし あい は

どち らかと言 う と

寺 院 が檀 信 徒にどの よう に関わる か? とい う視 点を主体に

教化活動に取り組 むこと を推 進 させて きた。 しかし、 平成

9

年 度か らの教 化 推 進 策は

檀 信 徒が信 仰を深め る た めの活動に

具体的 に ど う 取 り組む か

そ うし た櫨信徒の信仰心の育成に寺 院住 職

教 師 が どの よ うに 関わ り

共に宗 教 的 感 動 を得 る か ?を課 題とした。 も うひ とつは

住職教師 も檀 信 徒 もそれぞれ が、 輿味を抱いたり

得意である活 動 を 選 択 して実 践で きる

ま た

宗団は そ う し た選 択に応 えら れ るシ ステムを

宗 派

教 区双方 で連 関 し合いなが ら構 築 するこ とを 目指し たのである

経 済 的な事情か ら檀 信 徒 教 化の裕が ない

ま た

住 職の得 手 不手か ら取り組み にくい教 化 活 動などは

教 区に おける教 化推 進 会議や宗 派主催の檀 信 徒 研修会が対応 する (192)

(3)

檀信徒と共に阿字のを観 る (片 野 ) とい うセ

フ テ ィ

ネッ トも備え ら れ た。  ま た

し あい では 「家の宗教か ら個の教へ 」とい 高い 理 想が謳 わ れ た。 しか し

そ れ か ら 四半 世紀以 上を経て

い まの 日本の既 成 教 団にお け る寺 院 を取 り巻 く現 状 を

fi

の当 た りにする と、 特に都 市 部における家の宗 教 は、 少 しずつ

崩壊へ の道 筋を辿っ てい る と言 えない だろ うか ? 近い 将 来 に は

都市周辺の地方に ま で

そうし た宗教事情が侵攻し て ゆくことは容 易 に推測 で きる

こ れまで の寺院が

檀信徒の希求に応 えられ ない姿 勢 を 目の 当た り に し て

檀信 徒は寺院に多 くを望 まな くなっ た。 分 業 化され無 痛 化 さ れた社 会の枠 組みの中で

かつ て

オウ ム真 理 教の上祐 裕 史が 語っ た ように

      た たず 世 間のくは 「儀 礼を行 うだけの単 なる風 景 」と して、 寺院の伽 藍は佇ん で いる と受け止められ てい るのである。  だ か ら

し あい を引き継いだ教 化 推進 は

寺 檀 関 係に お け る家の宗教 と個の宗 教 をどの ように再構 築 する か が大 きな課 題 となる

これ は

単に智 山派の教 化 推 進 だ けの問 題では な く

真 言宗 智 山派にとっ て、 そ して、 宗 団 を支える寺院と、 そ れを維持する住職

教 師の 死活問 題にもつ な が り

その 存 亡 をかけ た課題と も言 えるだろう

確か に宗団 にとって

その根 幹 を成す の は、 教 相であ り、 その両 輪 を なす事 相であ る。 しか し、 同 じ よ うに宗 団 を 構 成 する寺 院

教 会とそ れ を支 える擅 信 徒、 その寺 檀 関係と信 仰のあ り方は

追い 詰め ら れ ている 状 況 に あ る。 そ れ をこの ま ま放置 し

先 送 り に し て お く こと は

宗 団の瓦 解 と 自殺 行 為 をみすみす見 過 すこ とにな る

宗 団 を預 かる 責任 ある立場にいる指 導 者 は、 こ の現 況にしっ か りと眼 を 開い て見つめな く て はな ら ない し

陳腐で浅は か な 独善に よっ て

宗団の将 来 と多 くの檀 信 徒 と寺院

教会の未 来を潰しては な ら ない。  

1.

観想 法 (膜想 )へ の希 求

憧 れ

リア リ ティを 求め る 人々

な ぜ

教化 年 次テ

マに阿字観を取り上 げ た か 〜

宗団

寺 院の視 点

 そ れ で は

真 言 宗 智 山派の これからの寺檀 関係とその信 俾のあ り方に つい て

どのような方向性が導き出 せ るのか ? そ れ は

家の宗 教 を維 持

復 興 (193)

(4)

して

さ らに

個の信 仰 を 育成 すること に尽 きる だろ う。 寺 院 がこれ までの 慣 習にどっ ぷ りと浸っ た ま ま

檀 信 徒が多 くを望まない 姿 勢に

おご り続 け る な らば

、一

体、 これ か らの本 宗の寺 檀 関係 は如 何 様になるのだろう ?   最 近、 説 明 責 任 と か、 イン フ ォ

ム ド

コ ンセン トとい う言 葉 を多 く耳に する世 間に対して

本 来 的 な 出世 間か ら は る か彼 方にある わ れ われの姿は、         うと 世 間にも疎い ま まで

これ か らも成 り立つの だろうか ?  寺院か らの

方的 なお 仕 着 せ を従 順に受 け入 れ

寺 院に何 も期 待 しない檀 信 徒 は

要 求さ れ る 「布 施

喜 捨 」に黙々 と応 え る。 何 故、 そ う してい るのか と言 え ば、 ご先 祖 様と自分の死に場 所を

人質の如く寺 院に取ら れ た 「墓 質」に よ る か らであ る。 そ して

自分の言葉で説明責任 を果 たさない住職

教師に よ る寺檀関係 において 「家の宗 教 」 は放 置 さ れてい る のだろう。 そのた めに

寺院 自 らが 本来 かつ 唯

一、

より所とする檀信徒の伝 統 的 な型 が 生み出 した 敬 虔 なる信仰 心は

い ま

消 失しよ うとし てい る。 だか ら

いま

無宗 教と か散 骨 とい う 話 題に世 間の耳 目は向けら れて いるの かも知れない。  そ れ で は

寺院に おける檀信徒へ の説 明責任と は何か ? その際た るもの が お仏壇の祀 り方と礼拝の仕方、 仏事の あれ こ れを分かりやす く

暮ら し の 中 で活か せ る ように説 くことだろう

そ ん なこと まで懇切 丁寧に やっ てい ら れ ない と云 う なか れ

1

  核 家 族 化 が 進 み、 家 族 間のコ ミュ ニ ケ

ショ ンが 希 薄に な りかける この時

例えば

その食卓で受け継が れ てきた味が 伝 わ らない味 覚 音 痴が急 増 し

食育の大 切 さが 学 校 教 育で叫ばれる。 そ れと 同 じ よ う に 「仏 事 育 」 な り 「家の宗 教 育 」 がいか に大 切であ るか を切 実 に 感 じるべ である。 受 け継 が れて きた仏事に対 す る 畏敬の念、 感 謝の心

そ れ に連な り

脈々 と受け継が れ てきた 「家の宗 教 」の維 持

まず

この家の宗 教 を正 しく承 継さ せる

橙信徒のに入 り込んで腰を引かず撒かなけ れ ばな らない し

お仏 壇の 祀 り方

礼拝の仕方

仏事へ の正しい理 解 を植 えつ け

沁み こませ、 身に付 けさ せ ね ば な ら ない

 しか し

現 実 的に

そうし た状 況に対 する認 識は

檀 信 徒 と同 じ ように

住 職

教 師の意 識に おい て も希薄化 し、 檀 信 徒の寺へ 向 けた意 識 も、 足 も遠 (194>

(5)

檀 信徒 と共に阿 字の法を観る (片野) のいてい ると言 わ ざるを 得 ない。 「今 時の檀 信 徒は

坊さ ん が家に訪 れるの       まこ と を面 倒 く さがる か ら

……

」 など と

実し や か に自ら に都 合の良い理屈を振 りかざして

住職 は寺に 引 き こもり

檀 信 徒に足 を運 ば せて施 しを受けるだ け

伽藍を立派にする ことのみ に専心 してい る印 象 を周 囲にバ ま くのであ       す た る

檀信徒の家の宗教は廃れ

寺 院の塔 堂伽 藍は栄 え、 寺 檀 関 係に信仰心 は 失 せて ゆく。 既 成 教 団に とっ て最 も大 切な はずの儀 礼と仏事は

猛烈な 速 度 で簡 略 化さ れ る状 況に あ る

初 七 日の回向や 棚経

仏 壇の 開眼 な どはその最 た るものだ ろう。  だ か ら

家の宗教の復 活と維持は

都 市 部の寺 院 を 中心に、 最 優 先 課 題と なる。 檀信徒の家を訪れる機 会 を伺い

仏 事 (お仏 壇 )の大 切さ を 檀 信 徒の

 

 

 

 

 

 

 

 

家で説 くこ と は

家の宗 教を復 活さ せ る イ チバ ン の手立てとなる

檀 信 徒 が お墓参り以外に

ほ と ん ど寺に足を向け ないことを嘆く(嘆くくらい な ら まだ い いが

) なら、 こちら か ら檀信徒の家に訪れ て法 を説 け ばい い の である。 来 な けれ ば行 く

そこで 仏事の こと を説き

茶 飲み話 を して

寺の こ とも 縷々説 明 して

年 中 行事へ の加 を勧め れ ば、 檀信徒の何 軒か は重い腰 を上 げて、 寺へ 来る ように な るだろう。 世間 とは そうい うもの で は ない だろう か ? そうした環 境 を 整 えな が ら

今 度は

個の信 仰を育 成 するス テ ッ プ ァ ップをは かる の である。  そ うし た現状を踏ま えて構築さ れ

本宗の教化 と して推 進 されたのが、 平 成9 年度からの教化推進策である

「智 山 勤 行 式 を お 唱 え しようc」 「お 仏 壇 を正しく礼拝し よう

」 「詠 歌

写 経

写仏

巡 礼

遍 路

団 参を し よう

」 「発 心 式

阿 字 観

結 縁 灌 頂に参 加し よう

」こ の ように具体的 な教 化 活 動が 提 示された。 そ してその中に、 檀 信 徒の信 仰 心を深め る教 化 活 動と し て

阿 字観が 究 極の教化活 動 に挙げ ら れ たので あ る

ロ、 現 代人 は何 を求め ている の か ?〜 檀信徒

社 会

般か ら の視 点

 そ れでは

なぜ

阿字観 を取 り上 げた のか ?  既成 教団が どこ も 押 し なべ て通 仏教 的 な教 化 活 動 を檀 信徒にし着せ る中で

真 言 宗 独 自の活 動として (195)

(6)

何 が考え ら れ るのか ? そうし た問い掛けに応 える のが、 発 心 式で あ り

結 縁 灌 頂であ り、 阿 字 観である。 特に

阿字観を真 言宗究極の教 化活動と位 置 づた こ と に は大 きな 理 由 が あ る。 そ れ は

現 代 社 会 が 抱 え

浸 食 し続け る 病 根に

充 分に対 処できる可 能 性を有 して いる からであ る。  その可能性は何ゆえにもた らされるのか? そ れには

戦 後の大 衆が何 を 求め てき たの か ? そ の流れ を しっ かりと見つめ る 必要 が ある。 高 度 成 長 期 以 降

われ わ れ は 物 質 文 明 か ら精神文 明へ 切 さ 「もの の時 代 から心の時 代へ とい う言 葉 を金 科 玉 条の ように使ってき た

強者か ら弱者 へ の視線が注目 され

社会的 弱 者へ 目を 向 け福 祉の時 代が訪 れる

次に は 「密教ブ

ム」が押 し寄せ て

超 常 現象

精神世 界へ の憧 れ が 話 題 とな る。 そ し て

「自分 探し」「ア イ デンティティ」 等の言 葉が持て はや され、 自己 開

re

 

啓 発セ ミ ナ

が各所で行わ れ る

さ ら に は ヒ

リン グ

ム に よっ て

癒 され ない時 代に様々なセ ラ ピ

が紹 介 される

ミュ

セ ラ ピ

を 始め として、 ア

ト、 ア ロ マな どの療 法に人々は群 がっ た。 最 近では

心 療 内科とい う言 葉に象徴さ れ る と おり、 心が癒 され ず、 そ れによっ て身 体に変 調 を きたす人も多く 見受け ら れ る とい

 そして

現在はバ

チャル

リア リテ ィ

の時代であろう

インタ

ネッ トやコンピュ

グ ラフ ィック に より

リ アルで迫 力 ある映像や情報が

般に普 及して

仮想 現 実の世 界を簡 単に体 感で きる時 代となっ た。 それ は逆 に

その社 会や大 衆 が

リア リ ティ

を 喪 失し た時 代 と も言える だ ろう

汚 い、 辛い、 痛い とい う感 覚 か ら逃 避 した仮 想 現 実の世 界で は、 汚 れること も な く

辛く苦しい こ ともな く、 痛みも感じずに居 られ る。 画 面の中で は自分 を投 影し た主人公が

何度 でも死 に

リセ ッ ト さ れ れ ば

何 度でも生 き 返 ら れ る世 界。 そ う した場 面が当たり前の ように繰 り返 されると、 若 者 はい つ か

い の ちのさ や、 生 と 死の

大事を 実 感できな くなる。 死へ の恐 怖 も、 生へ の執 着 も

他人の痛みも

実 感できない 世界 が当た り前の ように創り出 さ れ

蔓延する

そ の

方で

そうし た無痛文 明 (痛みを感じない文 明 )へ の反 発と い か、 危 惧、 不 安 がど ん どん膨 らん でゆく。 (196)

(7)

檀 信 徒 と共に阿 字の法 を観る (片 野 〉  こ し た時代 潮流 に は

必ずと言っ てい い ほど

その裏 側で新 興 宗 教 が 勢 力を拡 大する。 キ リ ス ト教の原 理 主義運 動

心 霊 教 会

幸福の科 学

そ して

日本社会 を 震 懣 させた オウム理 教等

その時代の社 会で癒 され ない 人々は

何 を 求め るのか ?  た だ

そ う した人々 自身 が

自分で何 を求めて いる か を実 感し てい るのか と言え ば

必ずしもそうで はないだ ろう。 そうし たニ

ズ にえ る宗 教

時 期

即 興 の信 仰 をた ちのである。   そ して、 い ま

仮 想 現 実 (バ

チ ャ ル

リァリテ ィ〉の世 界で は

画 面を逓 して何で も体感で きる世 界が

立体的、 加速度 的に

その世 界を現実の もの に近づけようとする。

方で、 仮 想 現 実の世 界が

現 実のもの と違わ ぬ臨 場 感

緊 迫 感 を創 り出せ ば創 り出 すほどに、 そ うい っ た仮想 現 実の価 値 観で は       もた 満 足 な ら ない 感 性 がムクムク と 頭 を 擡 げ て くる

し か し

既 成 教 団の教 化活 動は

、一

方 通 行で

イン パ ク トも な く

金 太 郎 飴の ように切 り売 りを繰 り返 し

そ うし た教 化に飽 き飽 きする檀 信 徒が増えて いないだ ろうか。 彼ら は

自身が達成感や充足感を味わえる、 宗教 的 感 動 を体感できる教 化活動を欲し てい るの だが

そ うした希 求 (変 化) に寺 院は応 えるどこ ろか

気づ くだけ の触 覚 す ら錆 びつ い てい るのであ る。 ハ

何 は なくとも

観法 と祈り 1

個人的 体験と視 点〜   少 し だけ 個 人 的 な経 験 を述べ ることにする

十 数 年 前に

智 山

豊 山

新 義 真 言 宗の青 年 会が、 合 同で主催 した結 集の特 別 講 演で、 立 川武 蔵 先生 は 「文殊菩薩をこの で見たい !」とい う願いを持っ てい る と語っ た。 仏と出 会いたい という想い は

立 川 先 生のみ な らず仏教 徒な ら誰 もが胸の奥 底に抱 く想いだ ろう。 先生の熱 意に、 自 らの奥底に眠る想いが焚 きつ けら れ た

 そ れ と同じ時 期に、 当 時の智山伝法院

宮坂宥勝院長との会 話で

ご自坊 の岡 谷

照 光寺で檀 信 徒 を対 象に毎 朝

町 字 観 道 場 を開い て い るというお話 を伺っ た

檀 信 徒に 阿字観の指導が 可能 だ とい うことに驚 き

自 身が真 言 僧 であるに もか かわらず、 阿 字 観を修する機 会 もま ま な ら ない こと に気づ き

楞 然 と さ せ ら れ た

(197)

(8)

 そ う した機 縁と同 じ頃

練 行 を修する機 会を得て、 栃 木 県の山 中にあ る 道 場に て金 剛 界

胎 蔵 界 念 誦 次 第 を成 満し た。 こ の時

い くつ かの試みを も と に宗 教 的

神 秘 的 な体 験 を重 ね ることが 出 来 た。 こ の当 時の体 験 が

自 身の 内面にある観 法へ の希求 をい っ そ う強いものへ と駆 り立てた。  こ うし た経緯の後

平 成8 年に奉職 し た 智 山 教 化 センタ

本 宗 教 化 推 進の将 来ビジョ ンを企 画

提 案 する担 当 と なっ た

その際に

檀 信 徒 教 化の       ちのうちi 最 終 目的 と なる活 動 と して、 阿字 観 を取 り上 げることにも はや何の躊 躇 も なかった。 だから

平 成

9

年 度 か ら実 施 され る 「つ く しあい」 に 変わる教 化 推 進 (教 化目標

教 化 年 次テ

マ )の 4年 (最 終)次に

檀信 徒 対象の教 化 活 動 と して阿 字 観 を設 定 したのであ る。  こ の 頃 か ら

自身で阿 字 観 を修 す る よ う に な り、 瞑 想

観 法に対 す る意 識 というか、 観 法 を修 することで 自身 が 体 感 する心 地よ さ、 清 浄さ が、 今 振 り 返る と、 自分の意 識 を少しずつ 変容さ せ た ように 思 わ れ る

さ ら に

何かの 折に

好ん であ ちこちの寺院を訪れ て

そ の堂 内にしばらく座 して み る

す ると

諸 仏が虚 空に遍満する のを感じ

頬や後 頭 部 がピ リ ピ リするよ う な感 覚 を覚え

顔 面や胸が温 かみ を帯びて、 身 体 も心 も清 浄 な感 覚に包 まれるの である。 先年ご開帳の蔵王堂で、 また

山科

毘沙門堂、 根 来の大伝法堂、 京都の東寺講 堂な ど で は

特に そうし た身 体 感覚を強 く実 感 する ことが多い。 二

救い を求 める手に

寺院は応 え られ ない の か ?  い ま、 禅宗 寺院で座禅は、 次第に廃れ てい る と聞 く。 参禅会へ の参加者が 減っ たとい うよりも

参禅会 自体を開く禅系寺院 が 減少し ているらしい。 な ぜ

そんな状 況になる のだろ う?  これもひとつ の寺 離れ現 象と考 えら れる の だろうか ? その

巷の カルチャ

ー ・

スク

ル等で は

ガ が持 て囃 され、 どこ の スク

ル で も大 盛 況であ る。 ヨ

ガ (瞑 想 ) に対 す る 世 間 の興 味 は

この数年で 異様な ほ ど高まっ てい る に も か か わ らず

で あ る

恐 ら くは

リング

ム の流 れ か ら

また ダ イエ ッ ト効 果 を 期 待 した も のなのかも知れないが、 こうし た状 況は

禅とい う瞑 想の ス タ イルが飽 き ら (198)

(9)

檀信徒と共に阿字の法 を観る (片野 ) れ たとい こ となのだ ろう か ? しか し

も しそ うだ とす れ ば

軽 はずみと 言 われ よう と も

い ま こ そ

真言 宗の観 法の出番である。       ;まh  真 言 宗の教 師 なのに

……

こ の状 況に手 を拱いてい い のだろうか ?  真言宗       くわ 智山 派は指 を咥 え た ま ま なの だろうか?

 

真 言宗の瞑想

阿息観や月輪観や 阿宇 観は

い ま

最 も

真 言 宗の教 師

寺 院の強 力 な武 器にな り

檀信 徒の た め に活か さ れ る はずで あ る。 内観の聖 者

特に観 法 を重ん じ た覚鑁 上 人 も 「まず

之 を 修し て自ら知れ」との言 葉を遺 され てい る。 苦 しみ 迷 える人々 が

い ま

この世の中に存在し てい る

そうし た衆生の寄る辺となる た め に も

自ら が仏の世 界 を覚 知 し

仏 を実 感 する宗教体験 を多く重ね

真言宗僧 侶として の 自信を築くことが 何より我々には必 要ではない だろうか ? そし て そ の自信を抱い て

檀信徒と接 し、 利 他 行 を実 践 する。 阿 字 観 道 場 をい き な り開くことに た め らいがあるな ら、 何 を

N

にする前に宗 祖 が伝 え

中 興の 祖が深め たこ の法 を 自ら 修 し

その体験を積み 重 ね ること は

直 ぐに で も 出 来る だろ う

その 体験 (大日如来 を 観 じ る )に よっ て培わ れ た自信は

葬儀の 引導の際にも

回 向にも

祈 願にも、 さ ま ざ まな活 動 を通 して

檀 信 徒の普 く

切に及ぶの である。

 2.

吉 祥 院にお ける教 化 活 動の実 情

平成

13 年

当 時

吉祥院の年中行事  さ て

檀信徒 向け の 阿字観道 場の開 設に あ たっ て

筆 者の師僧 寺の現 況を 少 し謁 してお く。 吉 祥 院で は

こ の数 十 年で さま ざ まな教化活動が行な わ れ てきた

特に年中 行事と し て は

新 春 祝 祷 会

新 春 法 話 会

浬 槃 会 (詠 歌 法 要 )

春 季 彼 岸 会 (正 御 影 供 )法 要

花 まつ り (子 ど も会

詠歌 法 要 〉

青 葉 ま つ り詠歌法要

施 餓鬼 法 詣

詠 歌 )

戦 没霊詠 歌 法 要

秋季彼岸会 (写 経 会

奉 納 法 要 )

除 夜 会 等が行 なわれ ている。 こ うし た年 中 行 事は

定 例の活 動 とし て

密 厳流 詠 歌 講 (毎週 月 曜 日 / 入門講 座 :毎週 金曜日〉 が

昭 和47年か ら30年 以 上続 けて行 な われて

その活 動 を通 して育 まれ た講 員が

年中行事 等で詠 歌 法 要 厳修 を通 じて支 えてきた。 (199)

(10)

檀 信 徒の意 識 を菩 提寺へ と向け る教化活 動

承継式

発心 式

 年 中行事以外の教 化活動として、 まず

何よりも大 きい ものが

承 継

発 心 式 (随 時 )の執 行で あ る

菩提寺が単な る霊園と異なり

信 仰 を 育み深め る空間 だ とい う意 識 を櫨信徒に植 え付 ける契 機 と して、 とても重 要 な もの で ある。 また

こう した承 継 式や発 心 式 は、 檀 信 徒が寺 を 訪れ、 本 堂 内で

ご 本尊 さ まに手 を合わ せて、 祈り

誓 うとい う行為を体験 す る 大 切な機 会であ り、 現在の寺檀 関係に おいて

核 となるものと断 言できる

 い ま

こ の発 心式を菩提 寺の活動にど う位 置付 け、 檀信 徒の信 仰 を深 め る 儀礼と してどう意 識付け

檀信 徒 が菩 提 寺にど う関 わ り、 行 事 に参 加 す る か を模索 する節 目にあるだろう

そ うい っ た意 味では

吉 祥 院 におい て、 承 継 式

発心 式は単 なる通過 儀 礼に留 ま らない のである。 ハ

檀信 徒の た めの教 化 活 勳   その他の教 化 活 動 と して は

掲 示伝 道 (吉 祥 院 門 前 月2回

真 福 密 寺 門 前 月2 回)

文 書 伝 道 (寺 だ よ り 「風 信 」年4回 発行

ニ ュ

ズレ タ

年4回発行

オ リジ ナル のパン フ レッ ト 「承継式のご案内」「阿字 観へ の誘い」「密厳流 ご詠歌 入 門」発行

「生 きる 力SHINGON 」 年4回 配 布

「ご宝 暦 」 配布)な どが あ る。 また、 これ ま で に

小 冊 子

風信雲書と して第 1集 「毘 沙 門 さ まの 功 徳 と 私 た ち 」

第2 集 「仏の こ とば を 読 む」 が刊 行 されている。  こう した年中 行事や教 化活動を通じ て檀信 徒教化をは かっ てきた吉祥 院の 現状にあっ て

さら な る

新しい 活動 とし て

現 代の檀 信 徒の希 求に応え る 阿 字観道 場 を 開 設 するこ とになっ たのであ る。  

3

阿 字 観 道 場 開 設の動 機 イ

救い を求める手が

差し出 されている のに

……

  どこ の寺に おいても

正年に

人 く らい は、 瞑 想 とか禅 を求め て訪 ねてく る 人 がい る と 良 く耳に す る

し か し

その際 に

寺の住 職

教 師のほ と ん ど は

丁 重にお 断 りす る とい う謡 を 聞 く

何 と も勿 体 無い ことでは ないか。 瞑 (200)

(11)

檀 信 徒 と共 に 阿 字の法を観る (片野) 想に対 する世 問の興 味は多数で はない として も確か に存在する。 そし て

そ の ように自分か ら寺の門を潜っ て訪れ る とい 意 欲 は

単な る興 味 本 位で は ない、 そ れ ぞ れの事情なり

並々な らぬ理 由が あるとい うこ とは想 像に難 く ない。 そうい う人か ら実 際に話 を聞いてみ ると、 実に真 剣 に 自 らの人生を考 え模 索して い る と か

何ら かの解 決しが たいみ を 抱 え ている とい う

ま た

癒され たい

い まの 自分の生活ス タイルを変 えたい とい う場 合 もある

 そうし た確か で真剣なニ

ズがある にもか かわ らず

既 成 教 団の寺 院の現 状は、 こう した救い を求め る手に

差し伸べ る手立て が無いの であ る。 こ の 点か ら し ても宗団の態勢

寺院の状認識の希 薄さが浮 き彫 りとなる。 救い の手 を差 し伸べ る に は どう したらい い のか? そ うし た檀 信 徒の希求に応 え る に は何 をすれ ばい い のか ? それ は何より も檀信徒の立 場

目線にな りき る こ と が、 先ず、 第

で あ ろう。 檀信徒が阿字観でも

その他の教 化 活 動で も

そうし た活 動に参 加 する場 合に

檀 信 徒の 目線で

信 仰心 を しっ か りと 深 め られ る 「信 仰 プログ ラ ム」 を考 える 必要がある。  何 か 瞑 想の よう なものが、 自分の心を落ち着か せ てくれそ うだ。 苛 立っ た り追い立 て ら れ る自分を伸び伸び と させ てくれそ うだ。 癒 して くれ る かも?  そうし た漠 然 とし た気 持 ちで瞑 想 を覗いて み ようと訪れ る者もい るだろう。 そう した迷え る 人 たちに

真 言宗の瞑想と は こうい う ものだ と

手ほど き し なが ら、 その素晴ら し さ を少しずつ 体感できる プロ グラム を考 える こと は

何 よ りも必 要 だ と言え るだろ う

自分が 正 し く修す る こ と が で き る の か?  檀 信 徒のニ

ズ が

と はい うもの の指 導する 立場に あ る 教 師 が

阿字 観の修法を積ま なければ

檀信徒のための阿字 観 道場 開設 など思い もよ らな い 。 実 際にそ う した 声 が 多い のは 当然の こと と思 う。 事実

5 年前に智山勧 学 会の奨 励 研 究の際に実 施 し たア ンケ

ト 体 宗 教 師 対 象)で は

そ うし た 考えがハ ッキ リ存 在 することを 示 している。  阿 字 観 を数 回 伝 授 され た か ら といっ て

すぐ に檀信徒へ の指 導 ができる と (201)

(12)

思 える教 師 は実に少 ないだろう。 自分 自身が何 度 も積み重ね て修し て

その 上で

何 らかの 自分 な りの確 信が得ら れ ない と

阿字観道場を 開こうと はな かなか思えない

際 に

阿字観の伝 授や指 導 者 講 座 を受 講し ても

その後 に

自身が阿字観の修法を実践

継続 する者 は極 めて少 ない とい う調 査 結 果 も明らか になっ てい る。  こ した現 状に はい くつ かの要 因がある。 ひとつ には

伝 授な り受 講し た 後に

自坊に帰っ て阿 字 観 を修してみて

果た してそ れ が正 しい ものなのか どうなのか ?  多くの教 師は疑 問を抱いた ま まにある。 本 来であ れ ば

自分 の師僧に自ら の修法を確か め

修 正できればい い のだが、 現 実 は そ う上 手 く はいか ない。 自らの修する阿字 観

月輪 観 が 正 しい のか どう なのか を

問い かけ

こと細 か く確かめ られる機 会が、 観法に とっ ては 必要不可欠 だろう

しか し、 現 状で は、 そ う した機 会は無 きに等しい。 こ れ が現在

阿字 観の浸 透 を 図る 上 で、 何より も障 害となっ ている

  も う ひ とつ に は

檀 信 徒 を 指導 するための道場 開 設の具 体 的 な 手 引 き (ア ク ショ ン

プラン

モデル

ス)が提 示 され てい ない こ と が挙 げら れ る

さ らに 阿 字 観 が どれほ ど素 晴 ら し く、 檀信徒教化に必要不 可欠なもの かとい うことを教 師 に納 得 させ、 モチベ

ショ ンを植えつ けられる戦略なり方法論 が 明 確 に定まっ てい ない

だ か ら

教師は

これまで どおりの教 化 活 動で事 足 りる、 檀 信 徒 教 化 など別にする必 要 もない とい う倦怠 感が蔓延 し て

教 師 の意 識 を代 えら れない現 状となっ てい る。   寺院 に起居 す る住職

教師が

真言宗の精 神世 界を正しく体 感し てい るの か ?  宗教 体 験に根 ざ した 活 動 を 自信 と して

檀 信徒 と接 しているのか ? こう した 自 問 自答 を 基 点 と して、 教 師の モチベ

ショ ンを喚 起してゆくこ と が求め ら れ る だ ろう

自ら が修法を積み重ね て

その際に抱 く疑 問に応 え ら れ る指 導 体 制 を宗 団が整 え られるかどうか ?  それ はこれまで の発 想に は見 ら れない

新しい人材 養 成の視 点である。 それがこの附 字 観の浸 透の成 否 を 握る鍵であ り

葬式 仏 教とい 批判を もの と も せずに

自信を持っ て檀 信 徒 に接 する ことが 出 来る住 職

教 師の人 材 養 成につ ながるのであ る

(Z〕2)

(13)

檀 信 徒 と共 に阿字の法 を観る (片野)  少 し

筆 者 自 身の ことを省み れ ば

阿字観伝授を4

5回重 ねて

自分 自 身で何 度 も修してみ た。 し か し

何よ り不 安なのは

阿 字 観 作 法 どお りに やっ ては み るもの の

は じ めの頃に は

月輪 観 な り阿 字 観の 自身の イメ

ジ が本 来のものなの か

本 当の もの なのか半 信 半 疑だっ た。 イメ

ジしようと して も上手 くいか ない

上手 くいっ た と思 っ て も

次の時に は

よ り良く な る ように期 待 して も

上手くで ない。 そんなことが繰り返さ れ る

この段 階で

周 囲の誰に聞いて よいか も分か らず

ま た

自分のイメ

ジ を上 手 く 言葉に できる自信 も無 く

誰が阿字観を修し てい て

適切 に ア ドバ ス して くれ るの かもわ か ら ない

じ よ う に途方に暮れる教 師がい る ことも想 像に 難 くない

実の ところ

真 剣に修 したい とい う想いが 強い 教 師ほ ど

そ うし たジレ ンマ に悩 むこ とが 多い の ではない だ ろうか? 実 際に檀 信 徒を指 導し た際にも、 数 年 経っ てか ら、 イメ

ジが上手 くでき ない と悩み

問い掛け る 参加者も多いの で あ る

  筆 者 自 身は

練 行 中の宗 教 体 験や神 秘 体 験 が

阿 字 観の修 法に大い に生 か され た。 姿 勢 を 正 し

呼 吸 を深 く して、 心 を沈める。 そ して、 対 象となる種 子 曼荼 羅に意 識 を 集 中 して見つ め ること を繰 り返す う ちに

眼 前に見 える 世 界 は

かつ て 目 に し たことのない

神 秘世 界 その もの と なっ た。 月輪 観や阿 字 観を修法 する場 合に も

そ うし た体 験 を想 念 して トライ し て み る と

案外

清浄と し て厳かな空間を体感できる

つ まり

出来る か どうか ? ど ん なこと に な る の か ? とい う不安や 疑 心曙 鬼に満ち た状 態で修 法して も

な か な か上 手くはいか ない の である

そうした不安を

掃するため にも

指 導者の適 切 なア ドバイスを 適 時に得られる機 会がな けれ ば

阿 字 観の浸 透 は

停 滞し た ま ま先へ 進 ま くなっ てし まうのである。 ハ

自分 が

……

本 当に

指導できる の か?  真 言宗智山派と して の阿 字 観 作法を作 成する た め に

また

本 宗がは じめ て

宗 派 規 模で檀 信 徒 教 化 と して阿 字 観 を取 り上 げ る際に

教 化センタ

は 用 意 周 到 な準 備 を行 なっ た。 センタ

に おいて

宗内各関係機関 に参加 を 呼 (203)

(14)

び か け た 阿 字 観の硬 究会では

阿 字観の伝授

実修を重ね て

珂字観作法を 練 り上げた。 そ う した智 山 派独 自の

字観作 法を創作する作 業の中で

教 師 の殆ど が習 慣 的に修 さない阿 字観でも

檀 信 徒 対 象と し て教 化できる可 能が 大で あ る と の確悟も持で る ように なっ た

そ れ と共に、 教 化 年 次テ

マ を企 画

提 案 した手 前

……

自分 自身が身を持っ て阿字 観 を修し て み なけれ ば な ら ない。 しかし

こ うし た経 験 を繰 り返 す うちに

自身 が 阿 字 観 を修 する自信 も少 しずつ 膨 らみ

不 安 は 少 しずつ解 消 されてい った

  阿 字 観 は檀 信 徒 に難 しい ものか ?  決 してその よ う なこと は ない と今 は断 言で きる。 そ れは、 自 らが 修 し、 修 す ること を積 み 重 ねて、 さ らに

阿 字 観 道場を 開い て檀信 徒 と共に 阿字 観を修し て み れ ば

こん なこ と を議 論 する余 地 が 無 駄である こと を実 感できる。 真 言密 教の奥 義 だから とか

き ちんとし た前行な り

密教に対する備 えのない者には 無理 だ とか

そ んな理屈はい く らで も積み 上げ られるだろ う。 しか し

そ う して

い ろ んな理 屈 を積み上 げ る前に

しっ か りと必要 なこと を周 到に準 備して

修して み れ ばい いと思 う。 それ で、 もし何 か 問題があれ ば

適時に修正し てゆけ ばい い 。 そ の段階まで 進まない と

対処療法が見 えない ことはい ら でもある。 ネガ テ イ ヴ に考え       い たずら ていて は何 も進まない

何もし ない で手を拱い てい て は

徒に時は過 ぎ

その間に衆 生は悩み続 けて

こ の世界は終っ て し

うことになる。  

4.

檀 信 徒が阿字 観 を身に付 ける に は ?

檀 信徒 プロ グ ラム構 築

檀 信 徒 が

歩ずつ

行 を修 するための類 型 (檀 僧 徒の 目線 か ら)   真 言 宗 智 山派の教 化 推 進 施 策 と して、 教 化 年 次テ

マ を企 画 し、 その 中の 活 動 の ひ とつ と し て

阿字 観を取 り入 れ た当人として は

自分自身が修し て みて、 さ らに檀 信 徒 向 けの 阿 字 観 道 場を開かな けれ ば

……

とい う変な使 命 感?責任感 もあっ たと思う

そ ん な わ け で

師僧 寺である吉祥 院 (埼玉第

教 区寺籍5番)で

平 成 13 年

10

月か ら阿 字 観 道 場 を 開 くこ と を発 願 し

住 職の了解を得て

その準備 に取りか かっ た

  道場 開 設に際 して

始 めに手掛 けることは

先 ず

山 内におい て阿 字 観 と (204}

(15)

檀 信 徒と共に阿 字の法 を観る (片 野 ) は何か を 理解して貰 うこ と である

寺 族の理解を得ら れずに

檀信 徒 の理 解

参 加 もあ り得 ない。 そんな わ けで

阿字 観の 理 解 を得るための資 料 を 作 成 し

そ れによっ て

住 職

寺 庭 婦 人

寺 族の正 しい理 解 を深 め

さ らには

その ノ ウハ ウを檀 信 徒へ の周 知に活 用 しようと考 えた

ま た

実 際に参加さ れ る檀 信 徒が、 は じ めて の瞑 想に不安や疑心暗鬼 (自分が本当に 出 来 る の だ ろ うか ?) を少し でも拭える ように

段階 的な修得プログ ラムの よう な もの を 搆築するこ とが 必要と思い

そのコ ンセプトを ま とめ て み た

その概 要は次 の とおりである。   型 

仏 教に対 する知 識 (理 解 )を積み上げる。 作 法 を身に付 ける

   自 己観 察 (内観

自利)      

教えを理解

実感して、 修する こ と が本質と知る

   自己表現 (利他)        

修 得 した 宗 教 的 感 動 を他に振 り向 け ることを実 践 する

   自己実 現 (実 践 )

阿 字 観

月輪 観 を習 得か ら修 得に向けて

……〜

法 話 (講義

伝 授)と対 話 を 璽視 する道 場へ

……

 阿字 観 を実 修 する にあたっ て、 先にまと め た類型 をベ

スに参加 する檀信 徒を指導する わけだ が

その際に

特に こ だ わりたいがい くつ かあっ た。 そ れ は

参加者との コ ミュ ニ ケ

ショ ンを どのように築いて ゆくか。 瞑 想 を 行 な う環 境に適 したコ ミュ ニ

ショ ンをいかに整 える か とい う点である。 まず

真言宗の瞑想をどの ように 理解し て も らうか

さ ら に

瞑 想 とい う心 的作用を行なうにあた っ て

檀 信 徒の習熟 度を どの よ うにチェ ックす る か と い う2 点が とて も気に なっ た。 この課題をク リアするため にい くつかのアイ ディアをかた ちに した。 そ れ は次のとおりである。     法 話

阿 字 観へ の理 解 を得る た めに

……

    伝授

開眼

参加者が秘密荘厳の世界を感じ るため に

……

    シュ ミ レ

シ ョ ン

正 しい阿 字 観 作 法を身に付け る た め に

……

    リ ラ グゼ

シ ョ ン

リ ラッ スし た雰 囲 気を整えるた めに

……

       (205)

(16)

   アンケ

月輪 観

阿 字 観の習 熟 度 を確か め るため に

……

 阿字 観 を 修 する に は

宗派で制 作さ れ た 「阿字 観作 法」に則っ て行 な うこ とにする。 参加者 は

こ の作 法 を身に付けて

実 修するこ とになる。 まず

この作 法に対 する理 解 を深 めるた めに法話 (講 義 )が 必 要 と考 え た。 仏 教に おける瞑 想と は何か ? 仏教という教え は ど んな ものか ?  真 言 宗の瞑 想は ど ん な特 徴があるのか ? 月輪 観と は

阿字観とは

どうい う もの なのか ?  阿字とは何か ? 大日如 来 とは何か ? 参 加さ れ た檀信 徒の疑問 は際限 が 無い はず

こうし た疑 問 を理 解に進化さ せ るため の話が欠か せない と思っ た。   「阿 字 観 作 法 」の伝 授に際して は

出来る限 り厳かな 空 間の中で

こ の作 法が脈々 と受け継が れてき た仏 教のエ ッセ ン ス であ り

教 え を実 践 する究 極 のもの である こと を参加者に自覚さ せ る こ と に重 きを置いた。 そ して、 こ の 伝 授は

巡 り会 うこ とが難しい

い ま まさ に巡 り会えた貴重な

瞬であ るこ と を実 感し てもらう

ま た

阿 字 観ご本 尊のパ ルは智 山派 制 作の もの で あ る が

この道 場 にて

檀 信 徒の前で厳 か に 開 眼作 法 を 行い

ご本 尊 が 単 なるパ ルで はな く、 聖 な る尊い ものであ ると意 識 させ る よ う意 図 した。  阿字観作法を伝 授し、 その内容 をひ と と お り解 説 する だけで は、 檀 信 徒は 実 修に 入 りにくい

阿字 観 作 法 を目の前に し て

作 法に 則っ て実 修 を 進め て み ようと し ても、 あれこれ思い惑っ て途 中で右 往 左 往 するの は当たり前であ る。 特に

調身や調息は

初 心者に は自分だ けで正しく行なうことは な かな か 難 しい 。 その ため に

参 加 者 を前に し て

指 導者が作 法 すべ てを順々と実 修 して見せること (シュ ミ レ

シ ョ ン)が必 要にな る し

毎 回

作 法の ひとつ を取 り上げて、 復 習

確 認 する機 会 を 設 けて、 参 加 者の誤 解 や 思い込みを極 力 少なくするように努めた

さ ら に

参加者が リ ラッ クス して道 場で瞑 想で きる環境

空間を整 える た め に

い くつ かの オ プシ ョ ンも 用 意 し た

簡 単 な ス トレッ チ や ゲ

ム、 トライアル も取 り入 れて、 堅苦 し くない、 和や かな雰 囲気 を創 り出 す 工 夫も凝 すこ と に し た

  そ して

何 よ りも大 事 なのは

実 修 後の アンケ

トである

アンケ

ト と 言 うと誤 解 を生 むか も しれ ないが

実 修 後の問診 と言 え ば イメ

ジか湧 くだ (206)

(17)

檀 信 徒 と共に阿字の法を観る (片野 ) ろうか

つ ま り

参加 者が法 話によっ て

瞑 想に対 する理解を少しずつ 深 め る ようにな り

つ い に伝授

実 修へ

実修の段 階になっ た ら

こ の問 診チェ 実 修ア ンヶ

ト)を毎回 行 な うの である

そ の 日 の体調 と精 神 状 態 を 簡単 に尋 ね、 後は、 実 修で何が できて何が で きなかっ たか?  どんな 疑 問が あ る か ? 何を感じ た か を出 来る 限 り

自分の言 葉で ア ンケ

ト用 紙に 記し ても ら う

この アンケ

トを終 了 後に回収

作 法の どこが 分から ないか をチェ ッ クして

次回 にそ れ を確 認、 復 習 す る。 月 輪 観

阿 字 観の実 修を各 参 加 者 そ れ ぞ れ が、 どの程 度、 習 熟 してい るのか を把 握 する た め で あ る。  ア ンケ

ト (参考 資 料   P223) は

これを記 入する参 加 者にとっ て も大 切 と言 える。 自 らの実 修で何 を感 じたのか を言 葉にす ると、 改め て

現在のあ りの ま まの 自分 を知 ることにな る

自分 が 阿 字 観

月 輪 観で何 を体 感 したの か を 自覚 することにつ ながる。 また

体 調と実 修との関 係を知るこ と に よ り

瞑 想がその時の心 身の状 態と深 く結びつ こと、 体 調や気分が瞑想に何ら か の影 響を与え る場 合 もある。 阿字観は 回 数 を重ね れ ば習熟度が増して

しっ か りと した実 修 がで きる もの で もない。 その際の体 調、 集 中 力 など に よっ て も

実修が う ま く で き る

で き ないが

複 雑 に 絡 み 合 うので あ る

具 体 的 な指 導スタ イル と して

……

 阿字 観 道場は

教 師が檀 信 徒に指 導 することで

檀 信 徒も 進化し

指導者 もそ れ に よっ て

さま ざ まなこ とを学び

経験 を積むことになる

道場がそ こ に集 う人々 を研鑚さ せ成長 させ る と言え るだろう

しか し

すべ て が初め て の こと ばか りである。 考 え得るこ と は考え

想 定で きる 限 りは 想定し て

準 備を怠ることなく積み重ね る。 その上で

まず、 想 定 した プログラム を実 行し て

参加 者の反 応に柔軟に対 応 する というス タ ン スを保つ ことにした。  また

指導者 自身の研鑚 も怠ら ない よう心掛け

自 身の体 験や研 鑽 を積み 重 ねること にも時 間 を割い た。 禅

チベ ッ ト

タ オ等の他のジャ ン ルの瞑 想も 体 験 し

そうし た実 感を

阿字観 道 場の参 加 者へ の刺 激となる会 話

指 導につ な げ たいと考 えて、 出 稽古 ?した。 (207)

(18)

 

5

阿 字 観 道 場 開 設の準 備 手 鑑 イ

ミング 「瞑 想

満 月の会 」  阿 字 観道場の開 設にあたっ て

始め に苦 心 した のが

名 称 を何にするかで あっ た。 阿 字観

月輪観の言葉をそのま ま用いても、 檀 信 徒は? ??チンプ ンカンプンだろうし

何が 行 なわ れる のか皆 目見 当 もつか ない

の イ メ

ジ も浮 か ば ない こと になる。 禅の ように

ある程度

周 知 さ れ た 言 葉であ れ ば

檀信徒も何 をやってい るのか

何となく伝わっ て くる

そこ で色々 と考 えて みたのだ が

……

 真 言 禅 ? 密 教禅?  密教瞑 想 法? 観 想 法 ? 観 法 ? 観 月? どれ もピンとこない

1

 

檀 信徒

社会

般 に 認知さ れ

受 け 入 れやすい キ

ドは何か ?

 

そこ で ヒン トになっ たのが

智 山派の指導要 領の ナ レ

ションにある 「いつ も心 に満月 を

1

」 とい う言 葉だっ た。 こ の 「満月」 「月が満ちる」とい う言 葉 を キ

ドにしよう。 しか し

真言 と か密 教

観 法 とかの言 葉 を使い たくて も

説 明 し ないと伝わりに

という言 葉 は余 り使いた くない。 そんな こ とから

伝わ りやすい メッセ

ジ と して 「瞑 想」 「満 月」の言葉 を 用いて 「瞑 想

満月の会」としたの である。 ロ

広 報 (情 報 伝 蓬 )

 

現在の真言 宗 寺 院で ほとんど行われてい い 阿字観

月 輪 観の道 場 を開 設 し て

定期 開 催 する と して も

F

何故や るの か ? (目的 )」 「何をやるの か ? (内 容 )」 「行 な う と ど うなるの か ? (効   」こ の

3

点 を簡 潔 に 伝 える手段 を 考 えるのが、 ま た

、一

苦労と な る。 と りあ え ず 考 えつ く媒 体と し て は

ボス タ

ー ・

ン フ レ ッ 小 冊 子 )

文 書伝 道

示 伝 道

チ ラ シ

HP (ホ

ジ)等だ ろう

さ ら に

広 報の機 会と して

法 話や行事での PR と い うことにな る。  果 た して、 世 間に馴 染みの ない 阿字 観に

檀 信 徒が興 味を示し

参加 者 が 集 まるだろ うか ? そん な不 安が 頭 を 過 ぎりもし た

その

方で

参 加 者が (208)

(19)

檀信徒 と共に阿 字の法 を観る (片野〉 多 くな ると指 導が行 き届か ない

……

10 名前 後 がベ ス ト と も考え ていた

 

平 成 13年 le月開設 に向け て

秋 彼 岸の檀信 徒へ の内 と

緒にチラ シを 同封し

寺だよりにも告 知 し、 門 前に案 内を掲示し

さ ら に

本 堂の入 り口 に案 内 を掲 示 す るスペ

スを造 り

は がきサ イ ズの内 状 も作 成して

大広 間 (法 事 控 え室 )に置い て

法事に訪れ る人たちの 目に も触れ る ように した

檀信徒へ の通 知 だ けでな く

その家 族 や 親 族 縁 者にも告知で き る からである

道場荘 厳

 

阿字観 道 場の荘 厳は

は じめて の開設なので未 知の準 備

荘厳作 業 とな る。 法 要や行 事の会 場 設 営よりも

色々な点に 配慮 しな けれ ば な らない。 例 えば、 場 所の条件と し て は

畳 のある広 間

ご 本尊 を立てか け られる壁 面のある部 屋

部屋 (道場)に 入 る 日差し

調 光できる部屋

諸 仏が遍 満 する空 間と な り得 る 環 境 を考 えなければ ならない。 また

心 地 良い音楽が響きやすい

香 の香 りが 利 く

外 部の雑 音が余り入ら ない とい うこと も考慮する。  道場に 用意するものとし て は

塗 香

線 香

蝋 燭

阿 字 観 作 法 (参加者に 配布)

雪 洞 (調 光 用)

座 布 団

詠 歌 用 椅 子

机 (足の不 自 由 な人用 )

阿字 観 パ

大日如 来 図絵 等 が 必 要 となる。 また、 その 日に話 す内容 (法 話〉の レ ジュ メ と ア ン ケ

ト用 紙 も道場の 入 り口 に

塗 香 と共に置いてお き

参 加 者が道場に 入っ てきた時に各 自が受 け取 れるように準 備した

二 、 開 催 周 期

プログラ ム

時 間 配 分につ いて   参 加 者が阿 字 観 を習熟 するのに最 も適 したペ

ス と は、 何を 基準に判断 す れ ば よい のだ ろう

開催日と開催日の間が空 きす ぎても

前 回の感 覚 を忘れ てし まうかも知れない し

間 隔 を短 く して頻 繁に行 な うようにする と

参加 者 は負担 を感 じて欠 席 が 多 くなるので は とか、 指導する側の準備が不 足 する か も 知 れ ない と 心 配 は尽 き ること が 無い。  結 局

思 案し た挙句

参加 者の モチベ

ショ ンな ど を考 え

さらに

途 中 か ら抜け る こと も入 ること もできる ように期 聞 を区 切 り、 半 年 }期と設定し (209}

(20)

た。 また

毎週 開催だ と頻 繁 す ぎる の ではとい う配 慮か ら

隔週 開催で 尚 且つ 回 完 結

め 人 な ど

日 はく休 日時 間が あ 参加できる ように、 月

2

回 第1

3土 曜日 に開くことと して、 半 年

1

期 12回 のプログ ラム を組 む よ う に し

陽 ざ しが 陰 り始め る午後 3

90

分 間 の実 施とする。 これ は

普 通に人が集中で きる時 間 (ご詠歌な ら休憩 を挟 ん で 2時 間 ) を考慮して

1回の内 容 を次の ように構成し て み た

    お勤め (智山勤行式)     法 話 儲義〉

 

  作 法の確 認 (その他

ス トレ ッチ & リ ラ グゼ

シヨ ン& ゲ

ム等)    阿字観

月輪観の実 修    ティ

タ イ ム (ア ンケ

ーy

記 入

回収)    コ ミュ ニケ

ショ ン (対話)  法 話は半年を 1期と し て12回で iつ の テ

マ に沿っ て話 すことにする。 半年間で各回毎の法話の テ

マ と

実修プロ グラ ム を具 体 的に組み立てて

初 回 か ら参 加 者に

い つ

何 をする の か ?  ど うステップ アップする か ? 何が でき て、 何がで きないか?とい うこと を知っ ても ら う よ う配 慮 した。 ホ

ご本 尊   阿 字 観

月輪 観の道場に おいて

最 も尊 くて聖 なるものは

ご本 尊である。 道場と し た本堂 且階の大広 間には

正面に ご本 尊 様 (不 動 明 王 )が 祀ら れて お り

その お前 立 ちに宗祖 弘法大 師のこ尊像が安置さ れてい る。 普段は、 法 事の控 え室に使 わ れる畳 敷 きの広 間 (40畳 )だが

瞑 想満月の会の時に は

真 言宗の精 神 修 養の根 本 道場 となる。 その ご本 尊に参 加 者

堂、 礼 拝し て か ら満 月の会 を始め る こ ととした

 また

参加者それぞれが 相対 する阿 字観パ ル も、 ご本 尊

大 日如 来の種 字が描 かれ たもの であ り

単な るパ ネルで はない

パ ネルが聖 なるものであ り尊い もの である ことを参 加 者に心に刻みつ て も ら うため に

魂 を 入れ る 開 眼 作 法 を

参 加 者

堂の前で執 り行っ た

阿字観ご本尊が

聖 な る尊い も (210)

(21)

檀 信 徒と共に阿字の法 を観る (片 野 ) の とい う感 触を身に刻んだ参加者は

そ の後には

阿 字 観ご本 尊の取 り扱い にも、 こ と さ ら注意を払うようになっ た。

 

阿字観 を実際 に修 する時に は

阿字 観ご本尊を立て掛 け られ る壁 面 が必 要 になる

ま た

阿 字観ご本 尊 か ら行 者に向け て、 光が差 し込 まない よ うに 配 慮 する

寺 院の広 問で

阿 字 観ご本尊を置くスペ

スには

構 造 上 限 りが あ るので

こ う したこと に注 意し て道場を荘厳しな くてはなら ない

アンケ

ト (参加 者 との対 話

コミュニケ

ション)  檀 信 徒 が 阿 字 観 を修 する 上 で最 も懸念さ れる の は

月 輪 観

阿 字 観を き ち ん と修す る こ と が で き る の か ?

 

何が上 手 くで きて

何が 上手 くでき ない か が はっ き りわ か らない

指 導 する側 が 把 握 することも勿論である が

実際に 修してい る本人 が

何ら かの 目安 とな る 「はか り」がなけれ ば

やっ ていて も張 り合いがな く、 モ チベ

ショ ンを保つ こと は難しくなっ てくる。 そのた め に参 加 者の ア ンケ

トが 必要と な る

このアンケ

ト は

次の ような目的 で行なうこ とにした。    現 在の自分 惨 加者 )の体 調 を把 握 して おく

   何が分か ら ないか を自分でス ッキ リ させ る

   何を 感じ た かを確認 する

   自分の習 熟 度 を少 しでも知 る。    分 か らない ことは反 復 する。

 

こ の ア ンケ

トによっ て

作 法の 中 で 上手 くできない箇 所 を次 面に確認 す る。 参 加 者の 習 熟 度 を把 握 し、 それに応じた対応 も 少 な か らず講 じ ら れ るこ とになる。  

6.

阿字観道場開設の実際 (平成13年10月

現在。 1期半年

8期 目

通算loo回) イ

山 内の理 解 浸 透

瞑 想 と は何 なの か ?

 

吉 祥 院で は定 期 的な教 化 活動 と し て

密 厳流ご詠 歌 講 を

30

年 以上継続し て いる

そのた め講 員 さんがご詠 歌のお稽 古 に山 内を訪れ た時の応 対やお 茶 (211)

(22)

の 接 待 は心 得てい る。 し かし

阿字観 道場

瞑 想とい う初めて の試み に

山 内で の理 解 を得 な け れ ば な らない し

い くつ か の点に注意を払 う必 要 が ある。 例 え ば

道場の近辺で悪 戯に物 音 を立てない とか

電話の と か、 開 会 中へ の道 場へ 出入 り

わ せ が 説 明 な ど

よ う に対 応 した らい いか

実 際に 戸惑い も あっ た ら しい

 そ う した 真 言 宗の瞑 想へ を は かめ に

寺族に は月輪 観 を 修 して

それ が どん な もの か を体験し てもらった

また、 「阿 字 観へ の誘 いを編集

作成して

瞑 想

満 月の会」の案 内パ ン フレッ ト (小冊 子 ) と して

瞑想に関 する問い合わ せ があっ た時 な ど に、 こ の印 刷 物 を配布するこ と と し た。 ロ、 各資料の用 意   先に記し た ように、 参加 者 が 今 後、 瞑 想 をどの よ うに修 得 してい くかをあ ら か じ め知っ て貰うた め に プログラ ムを作 成 した。 月

2

回、

1

期 半 年 12回 で実 施 する概 要 (法 話テ

実 修の順 序等 )を資料と して配布し た。  また、 法 話 を行 な う際に

専 門 用語 が 分 かる ように

資料 (レ ジュ メ)を 作 成し た。 法 話の期 間テ

マ は、 例 え ば 「瞑 想 とは ?」「仏 教の概説」 「真言 宗の概説」 「曼 荼 羅 」 「勤 行 式 」 等で

期 間 中の各 回のテ

マ も

あら か じめ プロ グラム に明 記 して

参 加 者が興味を抱 くように し た

 参 加 者との コ ミュ ニ

シ ョ ンを 図 り

習熟 度 をチェ ッ クする アンケ

ト (参考資料  )の 内容

先 述 した とお りであ る。 毎回必 ず 記 入

提 出 する こ とを繰 り返し お願い して

感じ たこと や 疑問を何で も書 くように奨め る。

 

また、 指導する側 と して は

実 修の際の ナレ

ショ ンを用意して

実修の 際にそれを読み聞か せ、 イ メ

ジ作 りの

助とす る わ け だ が

「智 山 派 指 導 者 要 綱 」 を 参 考に

吉 祥 院 道 場に ふ さ わ しいオ リ ジ ナル の原 稿を作 成し た。 ハ

お 勤 め  満 月の会 で毎回 お 勤 め を行 うようになっ たの は

こ の会がス タ

ト し て2 (212)

参照

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奥付の記載が西暦の場合にも、一貫性を考えて、 []付きで元号を付した。また、奥付等の数

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