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自 由 党 結 党 後 の 党 組 織 化 の 動 向

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Academic year: 2022

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(1)自由党結党後の党組織化の動向. ︵6︶. 安. 在. 邦. 夫. ぺれぱ概してそれらは結成時か解党を対象とするものであって︑その. 級・階屑を捉携させ︑一地域の醐争を全国的なそれに発展させること ︵1︶ を可能にしたという遠山茂樹氏の指摘で︑大方の合意が得られている︒. 甘由民権運動におげる政党結成の意義と役割については︑複数の階. こと︑である︒後者の間題は多分に研究者の杜会情勢認識とかかわる. 運動におげる指導政党の存在や役割・組繊への関心が稀薄になった. ぎの二つのことが少なくとも考えられよう︒一つは︑関係史料︑特に ︵7︶ 定期大会や臨時大会などの史料が乏しく状況の復元が困難たこと︑. 過程を論じたものはきわめて少ない︒この原因としては︑おそらくつ. しかし︑では民権派政党の中核たる自由党の創設をどのように見るか. ことがらであろう︒しかしこのところ︑研究上の以上の弱点を克服す. はじめに. という点になると︑研究老の評価は多様である︒このことに関しては. る努力がなされ始めて来ている︒運動史研究においては民衆の意識や. 他は︑六〇年以降民衆史や民衆思想史への関心が深まったのに比し︑. すでに山田昭次氏の整理もあり︑わたくしもまとめたことがあるので︑. 動向とともに︑これを指導する組織の分析もなおざりにすることがで. ︵3︶. ここで言及することはしない︒触れておきたいことはかつて内藤正中. きない︒本︑稿執筆の意図もここにあるが︑問題意識および分析対象の. まず第一に︑結党後の自由党は党組織化のためにどのようた努力・. 時期を具体的にいえぱつぎの通りである︒. とである︒氏の如上の指摘があってはや二〇年余の歳月が経つ︒この. 活動をしたのかを見ること︑第二に︑そのような自由党にとって八二. ︵2︶. 氏が︑自由党の指導理論ないし方針が現実の組織過程︑運動過程でど ︵4︶ のように消化されていったかを点検する必要がある︑と墾言されたこ. 間自由党について論じた質の高い論稿も相当数あり研究を大きく前進. 年六月三目の集会条例追加改正はいかなる意味を持ったのかを考える. ︵5︶. 二八七. させたが︑全体として決して多いとはいえず︑また諾論稿につい.て述 自由党納党後の党紐繊化の動向.

(2) そのことについて触れる前に結党後の自由党本部の主要な動向を少し. 二八八. こと︑したがって第三に分析の対象としている時期は党結成後から集. く見て間題を摘出︑整理Lてみよう︒年表にLてLめすとつぎの通り ︵8︶. 会条例追加改正により届出・認可を受けるまでの八一年一〇月〜八二. 一一. 一一血. 臨さ. 日. である︒. 年. 年六月までであること︑以上である︒. 結党後の党中央. 一八八一年︵卵治一四︶一〇月二九目︑わが国最初の政党自由党が 創設された︒結党過程および総理以下本部役員選出経緯などにおいて. 盛(包文9明. 項. 本部役員会開会︑自由新聞発行に関し杜長. ﹁本部報﹂第五報発行. 板垣退助総理就任承諾. 例違反により罰金二円の判決. 束京裁判所林包明ら幹箏五名に対し集会条. 内藤狐一新聞株金募集のため福島へ出立. 号を寧静館と称し近板掲示︶. ⁝. ︵月日不詳一七日〜二二目の間に本部の屋. 』{. 事. ﹁本部轍﹂第四戟発行. 栃 木. 多々間題があったことは箏実である︒しかし地域に根ざした種々の結. ■;. 二二. 時れ 会 盟集 約会. 馬. 杜の結合・発展があったこと︑そLてそれを背最にともかくも主体的 に政党が緒成されたことの歴史的意義は︑過少評価されるべきではな. 一 豊年 一. 月. 二. 八. ○○九 .六○九七. 五山 名際 罰七 金司. ■. 出の )間. いであろう︒重要たことは党内にどのようた矛盾があり︑それがどの. ように拡大して行ったかを考えることではたく︑結党後の自由党がい. かに組織化に意を払い︑運動を指導しようとしたのか︑そしてそこに いかなる間魎が生じ矛盾が顕在化したのか︑を見ることであるように 思われる︒. さて︑﹁自由党盟約﹂﹁自由党規則﹂を制定し役員人事の決定を終え. たとはいえ創設された自由党は未だ何の組織も機関も︑また機関紙も. 1r本r八長(遊板自二内集両臨第条幹. 1本都本木坂月説垣由円藤会国時二例箏 ;都を都原八目出退党の魯条中会章違林 と報京報繁郎不発助判判一例村を削反包 L橋」祉を詳r・決決 連楼閑除の明 ;第区第北く 本竹に 大反でき問科京 1三銀二陛木一部内従 石に懇蛆魎で禰 1報座幸匡・原一報綱う 正よ親約討詰警 1発三発長繁月L・も 巳り会第議間察 幹 さ署 行丁行野祉末第馬検 目 れよ 柚事 地を1一場箏 削 るり 一 方常一報辰控 田林 除 。召 九 遊備二発狢訴 番 決 夜喚 説員月行ら。 定 の) 地 群. 出に三 発選目. へ 移 転. ●. 。一一. 九七 六〇. 持たない状態であった︒したがってまずなによりも︑中央本部の組繊 強化を図りつつ地方組織を強固にすること︑諾状況と本部の活動を正 しく伝達し︑かつ党員獲得・党勢拡大に努めるため機関紙を発行する こと︑が当面の課廼であった︒ではそれをどのように具体化したのか︒. 明八治八 (一.

(3) 二二一〇 八〇九七五三. 五. に板垣退助︑幹箏に馬場辰猪を選出. 林包醐中国地方遊説出発 ﹁本部報﹂第六靴発行 ﹁本部報﹂第七靴発行. ︵月日不詳 一月一九日〜二月一一目の間に 中島僑行の立憲政党総理就任−兼任ーを承. 諾︶﹁自巾新間﹂発刊のため株券発行︑株 金は三井銀行に預けることを決定 関束自由党迎合会を本部内で開会︑一県よ ることを決議. り三名ずつ︑関東各地へ巡回委員を派遣す. ﹁本部報﹂第八報発行. 板垣逃助︑竹内綱 東海・近畿地方遊説出発 ﹁本部報﹂第九報発行. 板垣遭難につき臨時報発行. 板垣岐阜で遭難. 板垣遭難につき臨時報発行. ﹃束京目日新聞﹄五月五日杜説﹁名突の. ﹁本部報﹂第一〇報発行. 弁﹂が板垣を説傷したと詰貨したことに対 し禰地源一郎より謝罪状届けられる ﹁木部靴﹂第一一報発行 ﹃自山新聞﹄発免免許 板垣退助帰京 ﹁本部報﹂第一二鞭発行 臨時大会閉催︵於浅草井生村楼︶ 幹瑛総代大石正巳 京楯讐察薯より喚間 ﹁本部報﹂第一三報発行 ﹃自由新聞﹄第一号発行 幹箏林包明︑京橋警察署より召喚︒ 臨時会 ﹁政党﹂の屈出 自山党の組繊認可される 自由党結党後の党紐繊化の動向. 一八八二年 二・. 三・一〇. 二八. 一三. 一九八. 五 四四 ・五・・四四 一八○ 六五 六六・. …. 六 六六. 七. 結党から︑集会条例追加改正による届出・認可までの党の動向を概. ㈲地方党員の獲得と組織. o板垣の総理就任と遭. 棚すれぱ以上のようである︒通観してこの時期の間魎を整理してみる. 嘗副総理中島信行の立憲政党総理就任. と﹁本部報﹂の発行を除けぱ︑o政府の弾圧. 難. 化︑㈲機関紙﹃自由新聞﹄の発刊︑の五つを上げることができよう︒. これらのうち板垣の遭難や中島の立憲政党総理就任は結党時には予期. しないできごとでいわぱ受身の対応であり︑四㈲が前述のように稜極. 的に取組まなけれぽならない主要課魎の突践であった︒. o〜斡についてここで棚単に記しておこう︒. 第一の政府の弾圧についてであるが︑−﹂れは集会条例連反による処. 断で同条例追加改正以前と以後の二回ある︒表でも記したように八一. 年二旦二〇日の判決に対して︑党はこれに服することを表明してい. るが︑その理由をつぎのように述べている︒. 束京裁判所ノ宣告ハ幹荻二於テ不服ナキニアラス然ルニ上告スレ. ハ数十目︑目数ヲ消費スルニアラサレハ落着二至ラス竺々タル事. ニテ貴重ナル自由党ノ班業ヲナス﹁能ハサルハ如何ニモ残念ナγ. ︵10︶. ハ弐円ノ罰金ハ早速上納セシモ検求ヨリハ共裁判ヲ不当トシテ上 告ツタリ. 結党直後の自由党にとって︑幹事五名が裁半間題で活動を制限され. ることは︑党活動不能にも連なる重大事であった︒たとえ罰金を支払. ってもそれを避けたいと考えたことが︑掲載史料から判明する︒この. 判決と自由党の対応に対し検求側が控訴しているが︑結局二一月二九. 二八九.

(4) 二九〇. されている︒﹁本部報﹂の記述に従い︑板垣の総理正式就任ぱ二一月. ﹁ナリシカ昨日愈落着セラルヲ以板垣君其就ヲ諾セラレタリ﹂と記載. 第四報には︑﹁総理任職ノ箏二就テハ彼ノ裁判一件ノ落着ヲ待ツトノ. 決定したように受げ取れる︒しかし︑二百三〇目発行の﹁本部報﹂. ⁝﹂とあり︑八二年︵明治一四︶二月九日板垣の総理就任が正式に. 員相議して猶ほ就任を佃講するに及んで︑板垣終に諾す︒翌十目⁝. を会して日く⁝⁝宜しく別に其人︵総理−註安在︶を撰択すぺしと︒党. 党史﹄によると︑﹁十一月九目︑乃ち︵板垣−註安在︶京に入り︑党員. つぎに第二の板垣総理就任と岐阜での遭難についてである︒﹃白由. ついては後述する︒. 其可否ヲ間合セ有之候処兼任ヲ可トスル老既二七拾名ニシテ之ヲ否ト. へ諮ったところ︑﹁中島信行氏近畿自由党総理兼任ノ儀ハ各地方部二. れる︒党では政治状況を考慮し︑﹁今目彼レニ仮シテ兼任ノ﹁ヲ諾ス ︵H︶ ルニ至ルハ却テ策ノ得タルモノニハ非サル乎﹂との認識に立ち︑党員. る︒したがって二一月初旬︑本問魎は具体的に提起されたものと思わ. 治一四︶二一月九日発行の﹁本部報﹂第二報にその経緯が記されてい. 任︶間題は︑大阪地方民権派の強い要請によるもので︑八一年︵明. からの分析が必要であろう︒第三の中島信行の立憲政党総理就任︵兼. いずれにしても﹁板垣死すとも⁝・・﹂の言動に把われない他の視角. ル由二付彼レ等ヨリ合併ヲ望ムトキハ決シテ亦タ拒マサルナリト. 併シ今回板垣ノ帰京ヲ待テ板垣ヲ招テ親睦会ヲ開キタシ杯云ヒ居. ︒犬隈等結合ハ吾結合二合スル様子ナキヤト尋シニ未タ其様子ナシ. 二九目と考えるぺきであろう︒板垣に関する後老の間題は︑何かと話. スル者一名ナル﹂結果を得たので︑﹁即我党ハ立憲党へ向同氏ノ兼任. 目同じ判決を得たのであった︒第二回目の集会条例遮反間題の対応に. 題とされるハプニソグであり︑セソセーショナルたものであったがゆ. ヲ承諾スルトノ回答﹂を与えたのであった︒立憲政党および同党と自. ︵13︶. えに﹃自由党史﹄も多くの頁を割いている︒本間題については紙数の. 由党の関係を考える場合︑中島の立憲政党総理就任間題の考察は重要. さて︑それでは第四の地方組繊化の状況はどうであろうか︒﹁自由. ^u︶. 関係もあり︑また別の機会にあらためて考えたいと思っているので︑. であろう︒. つの仮説をしめすに留めておきたい︒すなわち自由党の団結と立憲改. ︵15︶. ここで触れることはしない︒つぎの史料を提示することによって︑一. 進党を含む民権派全体の共闘の可能性を︑この板垣遭難問魎は付与し. 党規則﹂第一章に﹁東京に中央本部を設げ地方に地方部を置く︒其地 ︵蛇︶ 方部は各自地方の名称により自由党何部何某と称すべし﹂と記され︑. 地方部の設置がまず掲げられている︒そしてさらに第九章︑第一〇章. たのではないか︑ということである︒. ︒兇変以来自由党ノ勢力反テ盛犬二赴ク有様ナレハ尚此好機会二乗. 地方の便宜に任す﹂︑﹁地方部に於ては毎年六月十二月両度其地方党衆. で︑﹁地方部は中央本部に対する部理一名を置く︒其他の役員は潭て. シテ汎ク一般ノ団結ヲ計ラソトテ当時秘密ノ印刷二付シ置タル激 ︵12︶ 文ヲ一時モ速二地方部二密配シテ更二一段人心振起セシメ⁝⁝.

(5) ︵η︶ の名簿を調査し其加除増減を明にして中央本部に送達すぺし﹂と︑地. 渋谷良平. 新潟県高田. 部理. 兵庫県姫路. 吉田道雄. 室孝次郎. 愛知県名古屋概町. 政党にとって地方組織を創りこれを強化することは最大の任務である︒. 小垣忠治. 寺崎. 筒井弁治. まして結党まもない自由党にとってはなおさらのことであった︒八一. 岡田利勝. 犬井茂作. 部理. 年︵明治一四︶二一月三日発行の﹁本部報﹂第一報に﹁各地へ巡回員. 加藤米三郎. 小山宋四郎. 方としての独自性と地方部としての従属性が定められたのであった︒. モ可成早ク派出可為致様尽力中二付諸君モ宜ク本年中二地方部確立ア. 小出忠幸. 本山健次. 至. ラン■ヲ希望ス﹂と記したことにもそのことは窺われる︒﹁本部報﹂. 山ノ内徳三郎. 自由党各地ノ景況日々二宜シ続々地方部ノ組成確立スルアリ︑. ○第七報︵M15・2・11︶. 村へ出張地方部モ設立シテ帰京セリ. 去ル九目大石正巳︑柏田盛文ハ神奈川県下南多摩郡原町田及大塚. ○第六報︵M15.1.19︶. 富永常十郎. 久野幸太郎. は︑その後も地方部設置をつぎのように強く要請している︒. ○地方部設置ノ義ハ書信往復上二於テ切要ナル義二付未タ御設置無 之向ハ急々要二御尽カアラン■ヲ望ム︵第三報M・12・16︶. ○各地二於テ地方部早ク設立無之候テハ実際上甚不都合ノ箏有之候 間可成取急キ地方部御設立其場所及部理御撰定御報道アレ︵第六 報15・1・19︶. ○地方部ノ設立無キニ於テハ通信上甚タ不都合ノ次第有之候二付 未ダ設立無キノ地方ハ規約ヲ履ミ早々御設置有之度候班︵第十報. 長井︑横須賀等ノ有志者ノ招聰二応シ演説親睦会二臨席シタルニ. 自由党員加藤平四郎︑藤公治ノ両氏本月四日神奈川県三浦郡三崎︑. でば︑突際地方部の設置状況はどうであったのか︒﹃朝野新閲﹄八. 何レモ有志老多ク集会シ時班ヲ談スル頗ル盛ナリシ就中其席ニテ. 15・5・8︶. 二年六月二二日掲載の末広重恭﹁自由党の臨時大会議﹂によると︑. 自由党二加盟セソ﹁ヲ乞フ者アルヨリ不日此近傍ノ有志者相計リ. 静岡近傍. ニ九一. 同地撹眠杜長士居光華氏ノ尽カニヨリ岳南部ヲ設立シ. ○第八報︵M15.3.1C︶. 自由党ノ地方部ヲ組成スル﹁二決シタリト. ﹁地方部ヲ置クそノ三十余ケ所﹂と見えるが﹁本部報﹂より地方部設置. に関する記載部分を抜葦するとつぎの通りである︒ ○第一二抑榊︵M14・12.22︶. 今目迄地方部設置ノ箇所ハ左ノ如シ 自由党結党後の党紐繊化の動向.

(6) 専ラ党員ヲ募集中ノ由已二三百名余二及ヒ目々加盟者絶ヘサル趣. 任に関しかなりの軋櫟があったことが推丑される︒が︑党本部として. 田中正造の﹁書簡案﹂などを見ると︑本紙発刊および板垣の杜長就. 二九二. 人名ハ掲ケテ其新聞広告欄内ニアリ︒徳島︑同地ハ咋年前田兵次. は機関紙発刊に就念を燃やしていたことはいうまでもないことであっ. ︵19︶. 氏帰国以来非常ノ尺カアリテ已二阿国部ヲ設立シ党員二百余名二. た︒﹁本部報﹂第一報に﹁新聞ノ規則モ大抵起草アルヲ以⁝−﹂の一. には︑名称を﹃自由新聞﹄とし本杜を束京におくこと︑杜長幹事は自. 新聞規則﹂は第一報にいう﹁新聞ノ規則﹂にあたるものと思われる ︵刎︶ が︑その草稿となったのが﹁自由新閉発行要録﹂であろうか︒同要録. ︵20︶. 文が見えるのもそのことをしめしている︒﹁自由新聞発行主意﹂﹁自由. 及ヒシ由共名簿ハ同幹燕ヨリ回送二相成タリ ○第九報︵M15・4・5︶. 反対党ノ樹立アルヨリ我自由党へ加盟スル老目々二多ク千葉県ハ 已二下総地方部ヲ設立メ党員名簿ヲ送ラレ⁝⁝︒ ○第一〇報︵M15・5・8︶. が設立されたところないし設立が確実となったところは︑愛知県名古. ﹁本部報﹂で見る限り︑八二年︵明治一五︶五目初句までに地方部. 解者二御諭シアリタシ﹂というように︑かならずしもスムースにば行. ノ再行カト疑フモノアル由ナレバ全ク別種ニシテ更二関係ナキ■ヲ誤. いる︒本機関紙の創刊は︑﹁西園寺氏等ノ発行セラレタル東洋自由新聞. 由党本部役員の公選によって決めること︑編集その他の役員は杜長が. 屋・三河︑兵庫県姫路︑新潟県高田︑神奈川県原町田・三浦郡︑静岡. かなかったようである︒しかし関係老の努力の末︑六月一日には発見. 第九報后地方部ノ設置セル箇所左ノ如シ三河束海自由党O安房浩. 県︑徳島県︑千葉県︑島根県︑山形県などであることが分る︒これら. の許可を得︑周知のように同月二五目︑第一号を発刊したのであった︒. 任免すること︑資本金は二万株一〇万円とすること︑などが記されて. の実態についての考察は今後の課魎であるが︑たとえぱ福島県福島. 杜長・幹箏には板垣退助・馬場辰猪がそれぞれ就き︑編集人は︑哲学. 鳴杜O石見遂良杜︑石陽都O山形新庄部. 部・会津部のように︑﹁本部報﹂に記載のないところでも活発な活動. 担当田中耕造・中江篤助︑法律担当馬場辰猪・末広重恭︑経済担当田. 臨時大会の開催. ︵23︶. ︵22︶. が展開されていることを考えれぱ︑以上に見られる各地の状況は︑こ. 口卯吉・植木校盛であった︒本紙については︑復刻﹃自由新聞﹄第五. ︵18︶. れを重視し評価してよいように思われる︒前述の末広の記すところも︑. 巻に詳しい解魎がある︒. 二. あながち誇張とはいえないであろう︒八二年六月の臨時会開催は︑こ うした動向に対応するものであったと考えてよいように思わる︒この 間魎については第二章で触れることにする︒. 最後に第五の﹃自由新聞﹄発刊について述ぺておこう︒.

(7) 大石正巳を副議長に︑林包明︑山際七司︑内藤魯一︑土盾光華を幹率に. に開く︒各地方代議員の席に列する老七十余名︑片岡健吉を議長に︑. 状況を﹃自由党史﹄は﹁十五年六月十二目より臨時会を浅草井生村楼. 一八八二年︵卵治一五︶六月︑自山党は臨時会を闘いた︒−﹂の時の. 選擢シ充分二決議実行ノ権カヲ与へ大会二出頭被致度求代議人タ. 党衆ノ代議トシテ派遣セラル・ノ委員ハ其地方衆望ノ帰スル人ヲ. 二関スル組織事業丼二会計ノ事等ヲ議決実行スル﹁ナレバ各地方. 地方部二依托スルモ妨ゲナシ党衆ノ大会二於テハ素ヨリ党衆一般. ノ都合二依リ委員一名ヲ出スモ亦已ムヲ得ザルノ事故アリテ他ノ. ︵別︺. 推撰し︑本部維持法︑役員改避︑及び規則の修正等を議了﹂︑将に総. 自由党本部. ︵25︶. ル老大会二出京セラル・節ハ共地方部党員名簿持参被致度候事. 下の通りである︒. つぎに﹁本部報﹂より︑臨時会関係の記載部分を摘出してみると以. 明治十五年五月. 理の慰労を兼ね︑懇親会を開かんとすLと記している︒しかL︑同書 はその会議の様子について触れていない︒またそのあとも︑同月二一 日︑二七日に京橋警察署より﹁集会条例述反﹂で幹班が召喚されたこ. と︑同三〇日に政党団結の届出をしたこと︑そして七月八目認可され. 前報二御通知申候如ク来ル六月十日ヲ期シ臨時会開設候二付テハ. ○第一〇報︵M15・5・8︶. か︑などきわめて重要なことがらの記載が全く欠げているのは︑不親. 代議人タル老其期日二遅延ナク御着京被下度是迄ノ習慣トシテ開. たこと︑を簡単に記しているだけである︒規約がどのように変ったの. 切であるだげでなく︑不自然とさえ思える︒. 会ノ期二後レ出京スル者往々有之為二会議上不都合ノ事不寡候二. 付今回ノ会議二於テハ右様ノ事無之様可成的早ク御出京右之度候. それでは臨時会は何のために︑どのような状況の下で開かれたのか︒. 本章ではまずこのことについて触れ︑再度の幹箏召喚と規約の改正に. 事. ニ九三. 臨時会ハ本月十二目ヲ以テ議事ヲ開キ別冊議決録二記載セル所ノ. ○第一一二蝪川︵M15.6.23︶. 名ノ派出ヲ報シ来ルアリ殊二盛会ナルベシト確信セリ. 臨時会二列席スベキ地方之委員陛続着京多キハ一地方部ヨリ六七. ○第一二抑榊︵M15.6.2︶. 御決定次第早遮御通知被下度候事. 代議人トナリ出京セラル・委員ハ幾名ナル乎其委員ハ誰レナルカ. 関しては次章で記すことにする︒. 前掲末広の﹁自由党の臨時大会議﹂によれぱ︑本臨時大会は︑地方 党員の要諦と地方の﹁元気の妓舞﹂を図る本部方針との一致によって. 開かれたとされているが︑この臨時大会閉催について触れた最初の史 料は︑管見の限り︑代議人の派遣を要諦したつぎのものである︒. 今般我党衆諸君ト御評議致度緊要ノ箏件出来候問来ル六月十日ヲ 期シ束京ナル中央本部二於テ我党ノ臨時大会ヲ開設可致候二付一. 地方部ヨリニ名以上五名以下ノ代談人ヲ派遣有之度候尤モ地方部 自由党給党 後 の 党 組 繊 化 の 動 向.

(8) 結果ヲ表シクリ今度ノ会議二付各地ノ有志老益奮澄勇起シテ広ク. 蕪項ヲ議了シ且ツ我党前途経画上ノ事二付種々懇談ヲ遂ゲ頗ル好. れたことが分る︒これはoの党組織に関するものであり︑三島文書に. 引用部分から︑⑦本部維持法︑④役員改選︑◎規則の修正︑が議了さ. こでここでの議案に関し少し触れておこう︒まず﹃自由党史﹄の冒頭. 二九四. 我党ノ団結ヲ図リ我勢カヲシテ隆盛ナラシムル■二怠ラサル筈ナ. 即していえぱ役員公選に関することであろう︒叙上の⑦〜◎について. はつぎのようなものであった−﹂とが︑現在判明Lている︒少しく長い. レハ諦君益御齋励アラン■ヲ乞フ. 以上の史料から分ることは︑第一に︑臨時会の開催通知は五月初め. が︑全文を掲載しておく︒. 第一条地方部ハ党員一人二付一ヶ年金五十銭ヲ以テ目安ト為シ. 本部維持法. ︵少なくとも七日以前︶に出されたこと︑第二に︑当初は六月一〇日. より開会の予定であったこと︑第三に︑しかし実際に開かれたのは六. 月二一目からであったこと︵このことは先の﹃自由党史﹄や諾新聞も. 以テ中央本部ヲ維持スル費用二供ス可シ. 但一地方ノ人員千人以上二上ル老ハ五百円ヲ収ムルヲ限リト. 伝えるところである︒ただし三島文書中の﹁自由党臨時会関係書類﹂. に﹁大会ハ来ル十一目ヨリ両国中村屋ナルベシ﹂との密偵報告があり. 地方部ノ分担金ハ一ヶ年両度︵三月十月︶トナシ其地方. シ其地方部ノ適宜二従フベシ. ︵%︶. 嘗会計などであったこと︑などである︒前述の. 第二条. 流動的であったことが分る︶︑第四に︑臨時会での主要な討議課題は︑. H党組織︑⇔党箏業. 致度緊要ノ窮件﹂と見えるが︑着々と創設される地方部の掌握と党財. 以テ明年ノ費用二供ス可シ若シ歳出二不足ヲ生ズル洋ハ一時操. 第三条本部に徴収スル金額二残余アル洋ハ之ヲ銀行へ預ケ置キ. 部理之ヲ纏メテ本部二回送スベシ. 政確立のためにも︑組繊・事業・会計に関する討議はまさに﹁緊要の. リ替ヘタル上翌年ノ会議二付シ其償却法ヲ議定スル可シ. ﹁代議人派逝要諦﹂をしめす史料の冒頭に﹁今般我党衆諾君ト御評議. 要件﹂となったものと思われる︒では具体的にはそれはどのようなも. ○此度臨時会ヲ開クニ因リ十月ノ本会ヲ召集セズ因テ総理初メ役. 役貫改撰ノ事. でその点は不詳であるが︑前述の三島文書中の密偵報告書の中に︑﹁犬. 員ヲ改撰ス可シ. のであったのか︒﹁本都報﹂第ニニ報にいう﹁別冊議決録﹂が不明なの. 会ノ議案﹂として﹁非常之大金ヲ募集スル事︑派出委員ヲ全国二出タ. 常議員ヲ増ス事. 第一条公撰ヲ以テ更二常議員十名ヲ置ク■. ス事︑都テ役員ヲ公撰スル箏﹂と記載されている︒以上の案件につい ては同史料の他の箇所で﹁第二︑第三案二賛成者多ク有之原案二決ス﹂. 第二条. 常議員ヲ以テ幹箏ヲ兼子又ハ常備員ヲ兼ヌルヲ得ル毛ノ. と見え討議されたことが知られる︒Lかしこれでは不充分である︒そ.

(9) トス. 第三条. 常議員会ニハ綜理之ガ会長トナル. 常備員ヲ各地方ヨリ出ス事 ○地方ノ適宜二従ヒ一地方部又ハ数部申合セノ上常備員ヲ選挙ツ テ以テ本部二出ス可シ. 演説会ノ砺 ○杜会二非常ノ蔀件又ハ我党ノ主義ヲ妨害スルカ如キ事件出来ス. ル洋ハ各地方部ハ中央本部ノ電報二因テ同時二大演説会ヲ開ク ■アルヘシ. 党員タルモノハ各自印章ヲ携帯ス可シ其之ヲ有セサルモ. 党員印証ノ事 第一条 ノハ党員ト見傲サ・ル可シ. 第二条 印章ハ入党ノ序之ヲ部理ヨリ附与ス脱党ノ節ハ之ヲ部理 二返還ス可シ. 臨時党員ノ義務 ○緊要ノ衷件アルニ際シテハ全国党員ハ総理ノ通知二因テ東京又. ハ指定スル所ノ府県二集会ス可キ班. 始末ヲ本部二具伸シ本部ハ会議ノ上全国党員ヨリ多少ノ金ヲ募. 集シテ以テ遭難者二贈ル可シ. 若シ故ラニ条款ヲ設クル洋ト雄モ政治二関スル難項ヲ掲. 地方部ノ盟約書中主義目的ノ綱ハ自由党盟約ヲ準拠トス. 地方部規則 第一条 可シ. 第二条. グル■ヲ得ズ. 九州其他同主義ノ党ニシテ未ダ同盟セザル党二対スルノ処置 ︵η︶ ○我党ハ同主義ノ各党二向テ委員ヲ派遣シ連合同盟ヲ謀ル可シ. ここに掲載した史料の条文より︑④の役員改選とは総理の改選を. はじめ常議員の人数や常備員の選出方法にまでおよぶものであったこ. と︑そして︑それが◎の一部にも速なることであったことなどが判明. する︒が︑そのことはともかく留意しておきたいことは地方の組織化. およびそうした状況を基にした党全体の組織の充実と党主体の確立が︑. ここでは重視されているということである︒立憲改進党︑立憲政党︑. 九州改進党︑立憲帝政党など諸党の生誕がその背景にあったことはい. うまでもない︒また先にしめしたo党箏業とは機関紙間魑や派出委員. の決定︑θ会計とは﹁大金ノ募集﹂など党財政に関することであった. と︑思慮される︒いずれも党主体確立に関することである︒Lたがっ. 入党ノ事. 第一条 破廉恥ノ挙動アル老ハ入党ヲ許サズ. て以上の議案を勘案すれぱ︑六月の臨時犬会は︑第一に各地で結成さ. 二九五. いう状況での主体性・指導力の維持・確保︑を主目的とLて開かれた. れつつある地方部の掌握︑第二に党財政の確立︑第三に︑諸党生誕と. 第二条官吏ト雌粍主義ヲ同クスル者ハ入党ヲ許ス 遭 難 老 救 助ノ噂. ○党員ニシテ我ガ主義ノ為メニ災厄二罹ル﹁アレバ部理ハ其遭難 自由党結党後の党姻繊化の動向.

(10) ということができよう︒では六月=一目より開会の臨時大会には︑ど ︵㎎︶. のような人が︑何人ぐらい集まったのであろうか︒三島通府文書の中 ;こ. 愛知県 岐阜県. ︑. ﹂︑. ﹇1. 神奈川県. 埼玉県. 千葉県. 淡城県. 円1. 新潟県. 馬. 井. には︑﹁六月八目夜自由本部寧静館会議人名﹂として︑﹁福島県下総代. 人河野広中・村上健五・高橋莱︑岡山県総代人加藤平四郎・小林樟雄・. 菊池九郎・田中良重・設楽某︑長崎県下総代人松田正久︑群馬県総代 人山崎重三郎・斉藤壬生雄・長坂八郎・小勝某︑栃木県同断荒井常吉・. 水野遺吉 岩手県同断鈴木舎定右之外拾二三人﹂の史料があり︑また 一府二〇県五五名の名が記された﹁自由党会議の為メ各地方部ヨリ出 ︵29︶. 京セシ人タル左ノ如シ﹂という表魎の史料も見える︒しかし︑三島文. 書中の上記の史料がきわめて乱雑なものであるのに対し︑樺山資紀文 書の中には︑はるかに多くの名が記されかつ信姪性の高いと思われる ︵30︶. 同臨時会出席老名簿がある︒﹁自由党臨時会出席人名簿﹂の表魎が付. ⑳塩田奥造. ⑲他山隣吉. ⑭山下善之 忠夫. ⑳岡田三郎. ⑱斎牒壬生雄. ㊧宙樫猟吉. ⑧岸. ︵祈外︶小田島儀一郎. ⑭熊谷平三. ⑬加藤勝弥. ㊧山添武治. ︵掃外︶八木原繁肚. ㊧山際七司. ⑳木内伊之助. ⑳内田甚右ユ門. ⑬富松正安 ⑯渡辺豊八郎. ⑳斎藤和助. 健. ⑳吉原次郎八. 二九六. ⑳矢部忠右衛門. ⑲山来. ⑯桜井. ⑳松本左八. ⑳岡田健二郎. ⑳平田嘉吉. 寛 ⑳椛木惣兵ヱ. ⑫飯田喜太郎. ⑪岡田順達. ⑱中島儀三郎. ⑱小貰帳則. ⑮山崎平兵術. ︵新外︶岡田正康. ⑮吉田暢四郎. ⑯非上篤太郎. ⑳堀越寛介. ⑫山崎祥一郎. ⑦林. ⑫石坂昌孝. ⑳仰達. ⑳青木庄太郎. ⑳深沢権八. ⑪池田越太郎. ⑳内山末太郎. 時. ⑥鎌田喜三. ⑳水島保太郎. ⑳概本重美 ⑳薄井盛善. 副重. ⑳佐藤貞幹. ⑳佐伯十三郎. ⑱桜井光奥. ⑲永田. ⑬曽田愛三郎. ⑪平岩隆三. ⑳土居光華. ⑰吉田道雄. ⑳庄林一正. ⑬志内一雄. ⑮井村輝太郎. ⑯今村十七校. ⑳内藤魯一. ⑳深浦膿太郎. ⑫鷲野鎗太郎. ⑮犬場小哉. 英 ⑭河合開一. ⑱鷲井三九郎 ⑮安囚節蔵. ⑤早野拓ホ. 11. 15. 哩. ,. 県. 群 福 静. されたのがそれで︑本史料をもとに若干の整理をして出席者の名をし ︵帥︶. 自由党臨時会出席人名簿. めすと表1のようになる︒ 表−. ⑳工藤弥兵工⑮山本忠礼. 人員合計. ③鈴木舎定. 人名命番はむ出は席本番会号終了日出馬者︶. ⑬山田青争腫㊧鷲田義則. 2. @岡野知荘. ⑫遠牒庄象 ⑳岡田亮太. 1 ⑳新非章吾. 2. 府県 函館県. 岩手県 山形県. 福島県 栃木県. 2. 3.

(11) 潔. 外︶ ︵新. ⑳⑰① 鳩小中 場野島 辰久又 猫鹿五. ⑳ 笹 部 魏 雄. ⑬⑨ 島竹 希内. 日1j. 2. 11 一 一一. 4 1 3. えて同月二十七日幹事林包明再び警察署に召喚せられ︑間答する所左. の如し⁝⁝百方論陳して厳法の検束を脱せんとせるも到底官政認定の. 意を翻へす能はず︑自由党は即日協議の後ち︑遂に届出の手続を為す. ︵説︶. に決し林をして認定承諾の旨を通ぜしめ︑二十九目更に臨時会を開き. 二一目. 役員改選・党員印証・党員義務・入党手続・遭難老救助. 議事規則議決. ⁝⁝﹂とあるのみである︒そこでこのことについては﹃朝野新聞﹄の ︵鎚︶ 記事より復原してみよう︒つぎの通りである︒. ニニ日. 地方部規則・同主義の党にして未だ同盟せざる老への処. 置などに関する一次会︑二次会︒本部維持法・常議員選. 全国合計﹁一〇七名﹂という数字字は先の末広の文中に述ぺられて. 一七日. 一六日. 一五目. 一四目. 宴会︵於枕橋八百松楼︶. 各地議員総代二五名︑党領袖と種々協議. 懇談会︵板垣演説︶. 各議案を議了. ニニ目議斬案件に関し小会議. 出に関する一次会. いる﹁会二列ナリシ老ハ地方部ノ代議員九十余名ニシテ其ノ地方ヲ出. 一八目. 計︶. デ現二途上二在ルモノモ亦二十余名﹂という数とほぼ付合する︒とこ. 各案の確定︑役員選出︵総理板垣退助︑諮問後藤象二郎︑. 幹事鈴木舎定・宮部襲︑常議員馬場辰猪・末広重恭・竹. 以上の経過を考えれぱ︑﹁本会了ルノ日﹂というのは六月一九目と. 外ト記載ノ分ハ本会了ルノ日出席セシ部ナリ﹂とあるからであるが︑. か︒﹃自由党史﹄の記載はこの点に関しても全く暖昧である︒すなわ. 考えてよいであろうか︒ここで確定を見た党規的などは前掲草案と犬. 内綱・大石正巳・大井憲太郎・林和一・北田正董︶. ち六月二一目京橋警察署より召喚を受け︑大石正已が同月同日の日付. 二九七. 差はなかったであろう︒では︑会議の状況はどうであったのか︑つぎ 自歯党納党後の党組繊化の動向. で自由党は政談杜ではない旨文書で回答したことを記したあと︑﹁越. では﹁本会了ルノ日﹂というのは何目のことを指しているのであろう. 一九目. 一. 1 2 6 1 l07国g合. (全. 之. 久恭昇. 原 鉄 臣. 県. ろで︑ここで﹁番外は本会終了日出席者﹂と記したのは原史料に﹁番. 山[日井. 野 正 高. ⑲山. ⑳⑳ 谷奥 重宮 中健. 郎. 皆. ⑳⑳ 片林. ⑭ 小. 県. 郎. ⑫. ⑳⑰④ 村北大. 嘉. 岡 鴎 正. ⑳ 田. 県. 兵 次. 県. 県. ⑬ 竹 内 正 志. ⑳⑫⑲ 伊末堀 藤広口. 脇 鋭 郎. 誠. ⑯ 加 藤 平 四 郎. 広 済. @. 健包 吉卵. ⑯ 薩. 岐代. ⑬ 真 野 方 郎. 儀正悲 七並太. ⑰② 立中 石山. 県. 府. 道綱. 勇. 山. 県. 岡. 県. 川. 賀 県. 根 媛 島 知 分. 山. 治. 山. ⑪ 藤 井. 善重. 次. 滋 京. ⑳ 園. 公. 兵 庫 取. 岡 鳥. 島. 愛 徳 高. 犬 東.

(12) 間に︑かなりの葛藤があったことが窺われる︒﹃自由党史﹄に記載が. 二九八 に現在知り得るところの史料を提示し︑若干のコメソ十を付しておく. ないのも︑−﹂のあたりの事情があってのことかとも察せられる︒. 密債報告書から推量すると︑一八八二年︵明治一五︶六月二一目よ. 改正集会条例布告への対応. ノ説ヲ以テセリ諸君之議論ハ鼠ノ相互二争ヲ成シ猫二裁判ヲ仰ク. り開かれた自由党の臨時大会は︑かなり紛糾したことが窺われる︒そ. 三. ことにしたい︒前述の三島文書﹁自由党臨時会関係書類﹂中のもので︑. ^︸1︺. つぎのように記されている︵同表題でまとめられているが︑異なった 報告書たので記号を付し収めておく︶︒. カ如キ■成サザルヲ望ムト言フ説ヲ以テ一和ノ■二尽カスシカリ. して同時に︑結党時に軋礫があったことも枕佛させる︒しかし︑政党. ⑦各地之総代ト土佐人トノ不和ヲ治メソカ為メ嶋本中道ナルモノ左. ト雛トモ衆佼リ強クシテ一和ナラズ⁝・・⁝・⁝⁝是迄ノ議会ハ東京. 結成・組織化という点から考えれぱ︑それは不可避であり︑一度は通. ^︷一︺. 自由員又各県下代人几八十人出席スル時ハ土佐人モ八拾人罷出候. 過しなげれはならない陣痛期であったともいえよう︒問題は︑内に抱. る程度看取することができる︒関係史料の発掘と分析を通して︑今後. めたかである︒前章末尾にしめLた史料からも︑その模索の状況はあ. ^1︸︺. 工共今回ノ大会二右ノ人員ハ壱人モ不差出ト云又アル税ニハニ一. この辺を明らかにする必要があろう︒ともかくもこの時期︑各地に地. えたそのような矛盾を︑党中央部や党員がどのように解消しようと努. 方部が創設されたこと︑また創られつつあったことは注目されてよい︒. 人ツ・差出シ大勢ハ不差出ザル蕪二相成候ト云. 代会議二而高知人ヲ斬殺スルト決シタルヲ板垣嶋本両人ノモノ聞. 一高知人ト惣代人ノ分離ハ未タ分離二至ラズ然ルニ過日スミヤノ惣. ④. 込候ヨリ分離ノ云ミヲ治メソカ為メ哉右大会ノ当目高知人余分ハ. 事実はしめLているといえよう︒−﹂のことはまた臨時大会出席者数か. 客観的にも︑主体的にも︑自由党発展の可能性があったことを︑この. 一中国辺ノ惣代ノ内速二分離ナラサルヲ遺憾二思量シ板垣嶋本両人. 壱人モ不出候. ヲ斬殺スト決シ候モノ四五人有之又外ニモ斬殺スルトノ事有之之. 表で明らかたように︑結党大会参加者は二一六名であるが︑これは. 表2のようにたる︒. をもとにし︑これに八二年六月の臨時夫会出席者をつけ加えてみると. らも察知することができる︒すなわち江村栄一氏が作成した八一年一 ︵脳︶ ○月の結党大会席出者・同年同月の﹁自由党会員名寝﹂記載老一覧表. レハロ上二而上申ス. 密偵の報告書からだげで臨時会の状況を述ぺることは差し控えなげ れぽならないが︑党のヘゲモニーをめぐって土佐派と各地総代人との.

(13) ○○. O. ○OO. ○○○OOOO O ○O○. O○. 忠雄山下善之岡田三郎亀山隣吉. O○○○○O○. 爽小勝俊吉岸. ○O○ ○○○○. 斎藤壬生雄宮部. O○○. 田中正造山口信治溺井藤七塩田奥造岡田亮太福囚定一郎横堀三子吉沢兵左新井章吾. OO○. ○○. 一. 山際七司八木原繁祉赤沢常容. O○○OOOOO. 宮城. OO○ O○○○. 大立目謙吾二宮景輔高橋博吉. ○O. 山形. ○. ○○OO○. 岩手. 河野広中口﹈母野秀顕三浦信六大田弘中岡野知荘遠藤庄象. 二九九. 群馬. O 鈴木舎定布施長成横浜囲郎高橋辰治長野又四郎. 栃木. 狩野元吉. 自由党結党後の党紐繊化の動向の. 福島. ○. 脊森 秋田. ○ 阿部信次郎山[日静麿鷲田竣則. O O 服部吉之丞. ○ ○. 「M1O.10自由党会員名窪」記籔者. M14.10自由党結成大会出席老. O○. 北海道. 新工藤弥兵工山本忠礼 本多. M156臨時犬会出席老. 名 氏. 結党初期の自由党員 表2.

(14) 三〇〇. ○○○○○○OO○ ○○ ○. ○○○○○. ○O○○○○○ ○○. ○OO○○. ○ ○○○. ○O○○○○. 指田茂十郎 田村半十郎 永島庄兵衛. ○OOOOOOO. 佐藤貞幹 中村克昌. ○OOOO. 水島保太郎 成内頴一郎. O○ ○○○○○○. 中村裁聞. ○○○○. 勤治吉弥郎. 腱貰蕊黛㌫. 時. 伊達. ﹈. 埼ヨ…. 本㌶㍑. 千葉. 介衛功介安平助三郎 静郎八助ヱ寛健則 郎郎輔介八達門衛吉郎郎康 太郎和兵 義 灸 −兵 清興之正球之 伊平八 盟 山田関松柳内谷辺 井賦藤糀井来貫 森磯粟関富青木熊渡 桜飯吉斎高桜山小 中吉保堀松岡矢山平山岡岡. 茨城. 商木永太郎. 石川. 松村才吉. 内日堪右ヱ門. 福井. 田 柿山窟加小. 潟 新.

(15) 鎌田喜三 林 副重. 井上篤太郎 佐伯十三郎. 内山未太郎. 桜井光奥. 自歯党結党後の覚紐繊化の動向. ○○O○. OO. ○OOO○○O. OO. O. ○○OOOOO. OO. ○OOOO O. O○○. ○O. 兵座. ○○O○○○○. 滋賀. ○○○○. 三〇一. 岐阜. 卵毅作作 記弘平太. 愛知. 志内一雄 土居光撃 古都米作 搬岡. 一郎櫨蔵英正平郎雄英郎三一枝 義一亦郎哉蔵 魯次政愛定一良太道 太隆開七 徳啓拓九小節 三 藤肺鴛川林谷榊田田醐岩合肘 田川野井場田 内太和松荒庄渋井吉永鷲平河今 岩早早鶯大安 切. 田野家家 小幡古古. 山梨. 榎本重美 石坂昌孝 蒲井盛善 深沢権八 神奈川. 藤 公治 筒井弁治 山脇鋭郎 青木庄太郎 池田越太郎. 深浦藤太郎 曽田愛三郎. ○OOOOOOOOOOO. 山本作左術門. OO. 中川良知.

(16) OOO○O O. ○○○O. ○OO. ○○O. OO○○. ○. O○. 岡山. 中山喜代次. 広島1. 竹内正志 立石 岐 守下 蕪. 小林樺雄. ○○. OO○. ○O○. 三〇二. OO. 鹿見島. 政. ○○. 福岡. 前田兵次. 徳島1. 文粋三 盛純禎 田都元 柚宇隈. 宗像. OO. 高. 知. 盛稔明孝表寿門之道吉中 郎鋭信誠利 衛 次 親通 枝包三花喜左 健 仰 健 重 帥野花花 木島 田宮尾田 平宮本岡 植児林浜三平山奥島片谷 吉桑立立郡. 熊本. ○○○○O. 愛媛. 徳高済 隆正広 本野川 山藤皆. 藤井誠. 園山 勇 小原鉄臣 島根. 謙蔵潔 千正 上田島 村飯岡. 鳥取. 上田長次郎. 犬分. 武富陽春 笹部襲雄. 長崎. ○O○○○○O. 加藤平四郎. ○O. 籔内平次郎. O○. 和歌山. O○. 大阪. 真野方郎 帝山 燕.

(17) O. O. OOOOOOO. ○OOO. 一郎郎郎 屯次 系 真三 文一 文 塚口 藤. 107名. 101名 126名. OOOOOOOOOOO○○OOOOOO. OOOOOOOOOOOOO○○○○○○. 郎恕男猪明湿綱巳熊郎郎郎行恭一平道郎乾郎郎昇鹿董七久. 八駿辰正 正信犬心=信重基剛玄太五太久正儀善 帥長野場江内石岡軸腎広橋伯村醐野罵口野田山藤. 地域 不名. 宮倉矢馬林犬竹犬寵山長後中末高佐西伊浅中犬堀小北村伊 犬山林後. 自歯党結党後の党組繊化の動向. 東京. 三〇三.

(18) 三〇四. かるのである︒それでは−﹂のような状況は何をもたらLたのか︒結論. は疑間を抱くとしても︑白中党は確実に党員数を増していたことが分. を考えれぱ︑﹁党員ノ多キ五万人ヲ以テ数フルニ至ル﹂という記述に. た﹂といわれるように︑有力党員で出席できない人もいた︒このこと. また﹁当時磐州は福島県会開議中であったため︑其の会に臨まなかっ. なろう︒これに対して六月臨時大会は各地の総代が主となっており︑. 数は︑おそらく﹁名窪﹂記載の一〇一名という数字が最も近いことに. よう︒自由党の叙上の論理も︑しかし前章引用史料の一文のことく﹁官. というのは奇妙な論である︒当時の特異な状況がここからもまた窺え. いことを主張した︒考えてみれぱ︑政党が政治を談するものではない. うとLた︒そしてその後も一貫して政治を講談論議する政談杜ではな. することに尽力すぺし﹂を削除することによってその適用から免れよ. 条例違反に間われると︑盟約第二章﹁吾党は善良なる立憲政体を確立. ことは確認されなけれぱならない︒ところで自由党は︑結党直後集会. は︑それだげ官憲に測り知れない恐怖を与えたといえるである︒この. った︒視角を変えてこれを見れば︑各地におげる自由党地方部の結成. からいえぱ政府におげる危機意識の顕著化であって︑六月三日の﹁集. 府認定の意を翻へす能はず﹂︑自由党は追加改正された集会条例への. 一目でも参加した人の合計である︒したがってこの時期の正式の党員. 会条例改正﹂は︑まさに官憲のそうした畏怖心の表白であったのであ. 対応を迫られることになった︒﹃自由党史﹄によると︑六月二七目林包. ︵肪︶. る︒ここでは二つの間題が考えられる必要があろう︒その一つは政府. 臨時会を開会︑翌三〇目政党団結の届出をすませた︑と記されている︒. ︵36︶. の政党認識であり︑他は集会条例の適用を政党にまで拡大したことの ︵抑︶ 意味である︒以上のことに関してはすでに研究成果をもっているので︑. 果してどのようた経緯・状況であったのか︑つぎの史料を見てみよう︒. 明が召喚を受けると即目協議をして法令に服することに決し︑二九日. あらためて触れることはしない︒要オるに集会条例を改正することに よって政党に対応しようとしたと−﹂ろに︑政党の政党観・政党認識の. ノ郷重ナル取扱ヲ語テ日ク警察使ノ言ハル・二過目大石正巳ガ総. 林包明警察署ヨリ帰館シ本日︵六月二八日−注安在︶二限リ警察署. さて︑政府がH政杜︵政党︶の支部設置を禁じたこと︑⇔内務卿権. 代ノ名義ヲ以テ差出セシ書面ハ今日共方ガ政党ノ届ヲスルニ当テ. 本質︵あるいは不明確さといってもよい︶がしめされている︒. 限により特定人物の全国におげる遊説活動を一年間禁止し得ることに. 二於テハ罪人ヲ搾ヘルヲ好マス故二前キノ書面ハ来ル三十目届書. 不都合ナリ之レヲ持出セバ犯罪者ヲ生スルニ至ラン然レ居警察署. 成期の政党にとっては決定的な意味を持つものであった︒特にHは︑. ヲ差出セツ上ハ反故ト見テ差返スヘキニ付左様心得ヨト言ハレタ. したこと︑員学術演説会にも警官が臨監できるようにしたこと︑は創. 地方の組織化を図り︑運動を全国的なもの国民的なものに高めかつ深. リ実二按外二寛貸ニテアリシ云々隻二於テ集会ノ面々日ク芙レハ. ︵ママ︶. めて行こうと惹図した政党の活動を完全に抹殺するに等しい措置であ.

(19) のは多分に集会条例を意識したもので︑内実は臨時会であった︒では. 昨廿九日自由党会議相催候義ハ去ル廿七日二幹事林包明義京橋警. 妙ナリ意外ナリト又板垣日ク其レハサヤウアルベキ筈ナリ何トナ. 三十日迄漸ク目延ベシ呉レタリ依テ其目ハ胴書ヲ出サ・ルヲ得ス. 察署へ呼出サレ党派組織之義尋間有之種々答弁セシ未到底政治二. その日はどうであったのか︒密偵報告書はつぎのように記している︒. 今日ヨリ規則ノ改正着手スヘシ云々右二就テ一同炎謙ノ上表面丈. 関係スルモノト思想候二付明廿八日否哉申出ベシト達シアリ依テ. レハ一々摘発シテ罰スル時ハ自由党中二加盟シアル国友杜員モ亦 ︵守マ︺ 罰セサルヲ得ス云々右二就テ一胴間日延ヲ訪ヘトモ許サレズ来ル. ケ各地方部ヲ廃シ束京自由党ノ直轄トナシ各地方へ通信委員ト云. 尚又猶予ヲ願度会議ヲ催し多る会議ナリ. シテ本日ハ各地方部会員等銘≧二冗報ヲ掛クル者アリ書留メニテ. シ或ハ屈スルカ如キ者ハ到底今目ノ業二任ズヘキニ足ラズ云々而. 曇二於テ板垣又日ク自由党衆ニシテ地方部ヲ廃シ為メニ素志ヲ変. ノ主張スル処ハ是迄度ミ協議決シタル通リ押シ通シ本年ニモ兵ヲ. 前案如何心得ラレタルヤト相延ベタリ夫々論議ハ区〜ナレ陪惣代. 派一同二向テ右警察署二呼出サレタル云々ヲ延べ此上警察署江. 二付王子村海老屋ト舛京橋日吉町同愛館式ケ所二集会ス板垣ハ党. 昨廿九日党派多人数. フ著ヲ置キ常二書信ヲ取扱ハシメ内部ハ是迄ノ逓リ動カサス云々. 郵便ヲ出シテ地方部ノ霜板除キ党員ヲ解散サセ束京自由党ノ直轄. 起シ候方ヲ然ト主張シ又板垣之論ハ兵ヲ起スハ三ヶ年自後之見込 ^守マ︶. ︵約︶. ヲ主張スレトモ論議一致セス依テ翌三十目午後四字頃ぷ又ミ集. 云々ヲ報知セシ者アリシ由 ︵38︶ 一︑明廿九目ハ王子ノ扇屋へ集会シ親睦ノ宴会ヲ開ク由. 〇目までの延期しか認められなかったこと︑第四に︑そこで自由党で. 警察署を訪れ︑回答の一週問延期を要請したこと︑第三に︑しかし三. て︑翌二八日自由党は臨時会を開いていること︑第二に︑この日林は. ることは︑つぎのようなことである︒第一に︑二七日の林喚問を受け. 合ノ景況﹂の表魎が付された密伐報告書の一部であるが︑ここから分. 掲載史料は﹁自由党員集会条例二依リ警察署へ喚間ノ件二付臨時会. 府への対応および規約問魎など容易に結論が得られず︑会議は回答期. すれぱ︑規則の犬幅な変更が不可避となる︒したがって意見百出︑政. わめて過激な議論が脚わされたことが推測される︒集会条例に従うと. ぽり全場は二ヶ所に分げられたようであるが︑掲載史料で見る限りき. ものであったことが判明する︒二九日の会議参加老はかなりの数にの. は︑二七日召喚された際︑その対応の回答を翌目とされたことによる. ー﹂こに収めた史料から︑先に指摘した二八目の林の京橋警察署訪問. 会スル﹁二決ス. は炎議のうえ地方部の廃止を決めたこと︑第五に︑翌二九目王子扇屋. 限きりぎりの翌三〇日までもちこされたのであった︒こうしてようや. 三〇五. で親睦会を閉くようにしたこと︑以上である︒二九目の親陛会という 自山党結党後の党組繊化の動向.

(20) く決められたのが︑八=年七月一日︑二目の﹃自由新聞﹄に記された ﹁自由党盟約﹂および﹁自由党規則﹂である︒改正された盟約︑規則 はつぎの通りである︒全文掲げておく︒. 自由党盟約. 党名 自由党. シ. 第十一条. ︵ママ︶. 三〇六. 会議ハ毎年四月二於テ. 第十四条. 緊要ナル求件アル. 大会議二於テハ党中一般二係リ創起スベ. 第十二条. 党中ヲ脱セシトスル者其理由ヲ詳記シタル書面. 第十三条. ヲ以テ琳務所二届出ヅベシ 之ヲ開ク. キ班件施行スベキ泰件ヲ議定ス. 党員ハ一ヶ年金弐拾五銭ヲ酸シ以テ自由党ヲ維持スル. 洋ハ総理ハ臨時二党員ヲ招集シテ以テ会議ヲ開ク﹁アル可シ. 第十五条. 第十七条. 事務所. 党員分担金ハ一ヶ年両度︵三月九. ノ費用二供ス. 第十八条. 党員ノ我主義ノ為メニ. 用二供スベシ若シ不足ヲ生ズル序ハ一時操替タル上翌年ノ会議二. 二徴集スル金額二残余アル序ハ之ヲ銀行二預ケ置キ以テ明年ノ費. 第十六条. 位置. 月︶トナシ之ラ纏メテ事務所二回送スベシ. 京橘区銀座三丁目拾九番地寧静館. 一︑吾党ハ自由ヲ拡充シ権利ヲ保全シ幸福ヲ増進シ杜会ノ改良ヲ図 ルベシ. 一︑吾党ハ善良ナル立憲政体ヲ確立スル﹁ヲ希望スルモノトス. 附シ其償却法ヲ議定スベシ. 災厄二罹ル事アル序ハ其最寄党員ハ遭難始末琳務所二具伸シ事務. 白由党規則 第一条党中二於テ総理一名常議員七名幹來二名ヲ撰挙シ自由党. 竹内綱. 犬石正巳. 末広重恭. 金五銭ヲ救助金ト為シ之ヲ事務所二逓送スベシ 板垣退助. 理. 総. 馬場辰猪. 北田正董. 常議員. 郎. 林和一. 大井憲太. ス﹂という文面で復活し︑第三章の﹁吾党ば目本国に於て吾党と主義. 約では第二章が﹁善良ナル立憲政体ヲ確立スル﹁ヲ希望スルモノト. 党結成時の盟約および規則に比し︑改正されたおもな点は︑童ず盟. 幹箏林包明宮部襲. 党員ハ一ヶ年. 所ハ多少ノ紛額ヲ遭難者二送ルベシ. 常議員ハ党中ノ利害二関スル重 常議員会ニハ総理之ガ会長トナル. 常備委員ハ事務所議事二参シ及ピ事務所. 几ソ役員ハ再三ノ撰二当ルヲ得. 第十九条. 全体二係ル箏務ヲ管理セシム其任期ハ各一ヶ年トス︵但幹事ハ総 条二条 最寄党員ヨリ常備員ヲ撰挙シ. 第五条. 第四条. 第三条 総理ハ通常会井二臨時会二於テ決. 理 ノ 特 撰 ヲ 以 テ任ズ︶. 事務所二出サシム 定セシ蔀件ヲ実行ス 要ナル瑛件ヲ評議ス. 第八条. 第七条 幹瑛ハ常議員又ハ常備員ヲ兼スル■ヲ得. 第六条幹事ハ会計及ピ党員ノ出入文書ノ往復所品ノ監護等ノ諾 事ヲ分掌ス ルモノトス. 第九条. 新二党衆タラソトスル者ハ之ヲ自由党事務所二届出ヅベ. ノ事莱ヲ翼賛ス 第十条.

(21) 幹箏の縮少︵五名←二名︶・常議員の充実︵芳干名←七名︶など︑⇔. 条となったこと︑内容についていえぱo人事の面で︑副総理の廃止.. しLという一文が削除されたこと︑つぎに規則では全一五章が全一九. を共にし目的を同くする者と一致協合して︑以て吾党の目的を達すぺ. たったが︑それだげでは不充分のように思える︒また第二の間題を考. の確執など自南党史編纂上都合の悪い束態が生じていたことは明瞭と. だ沢山ある︒﹃自由党史﹄の叙述に関しても︑土佐派と他地域総代と. 検討も必要であり︑解き明かすことのできたかったことがらがまだま. を設けたこと︑そLて㈲に︑当然の−﹂とながら地方都条項が削除され. たに付げ加えられたことからとして︑主義による遭難老への救助規定. の点で︑党費︵党員一ヶ年二五銭︶などが明確にされたこと︑㈲あら. も︑ここにあったとさえいえる︒党の組織化にとっても支部設置の禁. いる︒結党時の党内矛盾が解消されずにより顕著化した一つの原因. 地方部の結成という諸状況を思うとき︑ますます確かなものになって. 上に確認Lたいと思ったゆえであった︒この点についての認識は各地. えたいとしたのは︑集会条例改正のもつ前要性を従来説かれている以. たこと︑などである︒本盟約・規則が認可されたのは七月八日であっ. 止は折角芽生えた芳芽が根こそぎ抜き取られるに似た決定的な打撃と. 大会に関して︑秋︵一〇月︶から春︵四月︶へ変更されたこと︑嘗会計. た︒あらたな試練の中に︑自由党︵他の政党水同じであるが︶は立た. なるものであった︒Lかしそのことは一面︑主体性の確立をあらため. ︵1︶. 駐. 本小論は大学院での授菜−日本史学研究ω﹁自由党論﹂ーの中で﹁自由党の組. 三〇七. 遠山茂樹﹁自由民権運動の学習の重点﹂︵﹃歴史地理教育﹄=八四−一九七八年一. 表Lたい︒. 記してお礼榊L上げたい︒また院生誌君からは示唆に窟む批判を戴いたo感謝の意を. 譜館惣政資料室の広瀬順略氏︑福島県歴史資料館の誉田宏氏に大変お世話になった︒. ったので︑木稿執筆にあたっては表麺を改めたoなお史料閲覧にあたつては︑国会図. いのではないかとのちに考えたこと︑およぴ政府の弾圧については触れる紙幅がなか. で補ったつもりである︒ただし﹁組繊拡大化﹂というよりも﹁組織化﹂とLた方がよ. が一回︵九〇分︶であつたので授業での報告はきわめて不充分であった︒この点本稿. 織拡大化と政府の弾圧﹂として話したものをまとめたものである︒本麺での割当時間. ︵追記︶. つぎの課題としたい︒. て要諦されることにもたったのである︒自由党はどう対応したのか︑. されることになったといわれるぺきであろう︒. おわりに 本稿の課題ば︑第一に一八八二年︵明治一四︶一〇月結党した自由 党の︑その後の組織化の動向を見ることであり︑第二に︑その過程で. 生起した集会条例の改正と政党への適用が︑政党組繊化にとっていか なる意味を有したのかを考えること︑であった︒前老は︑﹃自由党史﹄. の記載がきわめて杜撰・暖昧であることから︑まずその復原を図りあ. わせてなぜ記述がそのようになったのかを考察したい︑との間魎意識 より設定したものであった︒本部報や密僚報告書などの分析を通Lて その実態を少しは明らかにできたと考えるが︑密償報告書そのものの 自由覚結党後の党組織化の動向.

(22) 一月−︶︒. 内藤正中﹁自由党論﹂︵﹃歴史学研究﹄二四七−一九六〇年二月1︶五〇頁︒. ﹁民権派中央政党の結成﹂︵﹃歴史評論﹄三八O−一九八一年一二月1︶o. 一九七六年o. ︵3︶. ︵2︶ ﹃シソポジウム日本歴史﹄16 学生社. ︵4︶. たとえぱ稲田正次﹁困会期成同盟の国約慾法への工作・自由党の緒成﹂︵稲田編. 前. ﹁天皇制成立期における国家威信と対外聞翅﹂︵中村政則他編﹃大系日本国家史﹄4 所収︶︑内藤正中﹃自南民権遜動の研究﹄︵第四章﹁国会開設運動の発展﹂︶︑長谷川 昇﹁明治一七年の自由党﹂︵明治史料研究連絡全編﹃民権運動の展開﹄所収︶︑山囚昭. 次﹁明治一四−一五年の自由党﹂︵犬塚史学会編﹃東アジア近代史の研究﹄所収︶︑寺. 崎修﹁目由党の解党について﹂︵手塚豊編著﹃近代日木史の薪研究﹄所収︶たどは︑ さしあたって上げられる主な論稿である︒. このことに触れて全体を適観する形で論じたものに︑大日方純夫氏の論稿﹁民権. 江村栄一氏は︑﹁自由党については結成時の関係書類︑大会︑臨時犬会ごとの記. 派中央政党の濡動﹂︵﹃歴史評論﹄三八○︶がある︒. ︵6︶. ︵7︶. 録︑常備貝などの中央員的た活動をする人たちの記録が︑﹃自由党史﹄や散発的に見 つかっている党報以外にわからなくて︑史料的に犬きな穴があるという難点がありま. 岩波文卿﹃自由党史﹄︵中︶﹁本部報﹂︵拙稿﹁︿史料紹介v自由党本部報﹂︵﹃福島史. す﹂と述べている︵注2同む 一〇五頁︶︒ ︵8︶. 学研究﹄復刊第三二・三三合併号︶などより作成︒なお拙稿﹁︿史料紹介﹀自由党本部. 49■. 一付︵り前の←意前よ︶. 罰金弐円 尽カ中二付諸君モ占旦シL 尽カ中二付諸君モ宜シ. 一名ナルヲ. 前3. 一名十ナノレヲL. 加盟セソ﹁ヲ迄フ■ 加盟セン﹁ヲ乞フ. 正. 後8 後61. 後9■ 罰金弐百円1. 誤. 報﹂において︑ ○そ その の部 部分 分を を記 記﹂ Lあ あわ わせ せて てお お詫 詫び びし したい︒ o かか なな りり のの 誤誤 記記 ・● 誤誤 植植 がが ああ っつ たた︒. 52. 上. ■下. 53. 下. 右同書. 九=頁︒. 已二. 人名ハ掲ゲテ. 三〇八. 巳二. 即チ摂. 謝罪致候上ハ. 人民ハ掲ヶテ. 謝罪致候ハ. 板垣. 板垣君ヲ介抱. 即千摂. 板坦. 饗応セズ. 板垣君君介抱. 饗応シズ. 板垣退介. 犬石正巳︑林正明が. 板胴︑追助. 井出孫六他編﹃自由民楕機密探偵史料集﹄=二書房. ︵8︶同書八五頁︒. 一九八一年. 以下﹁本部報﹂はすぺて同詔より引用するので同書名は記さたい︶o ︵11︶. ︵13︶. ︵12︶. ︵8︶同書八○〜八一頁︒. ﹁本部報﹂第七報−八二年二月一一日Io. ︵M︶﹁本部報﹂第二報−八一年=一月九日1︒ ︵15︶. ︵16︶︵17︶. 第一条. 岩代州福島二自由党地方部ヲ設置シ臼由党福島部ト称シ部内ノ党衆ハ其地方. ○自由党福島部申合規則. 興昧深い︒. 収められている︶︒﹁自由党規則﹂に沿った活動が始められていることをしめすもので. お﹃福島県史﹄11︑圧司吉之助著﹃日本政社政党発達史﹄には﹁会津部申合規則﹂が. つぎのような﹁臼由党福島部申合規則﹂﹁臼血党福島部三泰組申合規則﹂がある︵な. 部がそれぞれ設立され活動Lている︒福島県歴史資料館保管の苅宿俊幸家文書には︑. ︵18︶福島県においては八一年︵明治一四︶一二月福島部が︑また翌年二月には会津. 八六頁︒. ︵10︶﹁本部報﹂第一報−八一年二一月三目1︵﹃福島史学研究﹄三二・⁝二合併号. 選ぱれたが︑まもなく林正明が辞め柏田盛文が就いた︒. 一〇月二九日の役員選挙では林包明︑山際七司︑内藤魯一. 後. 騒握の景況﹂︵堀江英一・適山茂樹編﹃自内民権期の研究﹄第三巻所収︶︑芝原拓自. ﹄︵躯=部﹁民椛遡動の発展﹂︶︑下山三郎﹁明治十七年における自由党の動向と農民. 前. 八九︶︑﹁自由党結成再論﹂︵﹃経済志林﹄四八悲四号︶︑後藤靖﹃自巾民権運動の展開. ﹃明治困家成立の政治過程﹄所収︶︑江村栄一﹁自由党の結成と政休構想﹂︵﹃史潮﹄. 前. 前. 敦 上. 前. 後. ︵5︶. ︵9︶. 2 8 4 3 4 4 8 7 後. 頁. 48.

(23) ︵19︶. 復刻﹃自由新聞﹄第五巻林茂氏の解説に掲載︒なお同解説で林氏は発起人の一人. ﹃田中正造全集﹄第一巻 四三八〜四四〇頁︒. 第二条. 党務委員ハ部内諸般ノ郡務ヲ筆管シ. ︵21︶. ︵8︶同拙稿﹁史料細介﹂の中に翻刻・納介︵﹃福島史学研究﹄三二・三三合併号. り幹事となっているo. ったが−⁝﹂と記しておられるが︑註︵9︶で述べたようにこの時期柏田は林正明に代. とLて名を迎ねている柏田盛文について﹁柏田だけは当時党の役職にはついていなか. ノ形状二依リ組合ヲ定メ自由党福島部何某郡名若クハ地名等紐ト称スヘシ. 第四条. 部理ハ部内全休二係ル邸務ヲ綜督シ通常会丼二臨. ︵20︶. 第三条. 部内党中二於テ部理︵一名︶党務委口︵三名︶ヲ置ク其征期ハ各一ケ年トシ遜常会 議二於テ之ヲ公撰ス. 第六. ﹁本部報﹂銚九報−八二年四月五目1︒. 六一〜六=頁︶︒. 各組二幹都一名ヲ置ク其他ノ. ︵22︶. 第七条. 部理以下ノ役員ニハ定ムル処ノ手当金ヲ給ス. 時会二於テ決定セシ事件ヲ執行ス 第五条. 第八条. 樺山資紀文書﹁謂類之部﹂︒. 三島遜府文書︿四九六﹀. 通常会期ヲ待チ難キ郭件アル時ハ幹砺及ピ都務係二. 幹事ハ逝常会議二於テ前年度施行シタル経費決算ノ. 三浦雄助所蔵文書︑︵8︶同拙稿﹁史料細介﹂の中に翻刻・収録︒. 樺山資紀文書﹁名簿﹂では﹁奥當健之﹂が福島県のところに記載されているが︑. 樺山資紀文書﹁篶類之部﹂o. ︵8︶同む一九九〜二〇〇頁o. 江村栄一﹁自由覚結成再論﹂︵﹃経済志林﹄四八雅四号所収︶︒本表作成にあたつ. ︵37︶. ︵35︶. 政府の政党認識について考察Lた最も新しい論稿に大日方約夫﹁立憲帝政党の結. 末広重恭﹁自由党ノ臨時大会議﹂︵﹃靭野新聞﹄一八八二年六月=二日︶︒. ﹃河野磐州伝﹄上悲四五一頁︒. 三八01一九八一年二一月号︶がある︒ ︵38︶︵39︶三島適庸文譜く四九六v㊧︒. 三〇九. た集会条例の拡大解釈の閥魎については阿部恒久﹁民権派地方政党論﹂︵﹃歴史評論﹄. 党をめぐる基礎的考察﹂︵﹃口本史研究﹄二四〇1一九九八二年八月号1︶があり︑ま. ︵36︶. ては結成大会に一日でも参加Lたことがある老をは出席とLた︒. ︵舶︶. ︵33︶﹃朝野新聞﹄一八八二年六月二三目︒. ︵32︶. これを高知県へ移Lた︒たお︑山際七司と北田正董はいずれも㊧で重複している︒. ︵31︶. ㊧o. 三浦雄助所蔵文讐︑︵8︶同拙稿﹁史料細介﹂の中に翻刻・収録︒. ︵8︶同讐一九七頁︒. ︵別︶. 凡ソ党衆ノ加除出入ハ組幹事二於テ査察. 各組二於テハ毎月末党衆名無ノ加除増滅ヲ明カニ. ︵23︶. 地方部ノ経費ハ部内党衆ノ負担トス. 及部内ヲ巡回ス. 条. 第九条. 役員ハ揮テ紐合ノ便宜二任ス ノ上之ヲ詐否スペシ 各組二於テハ其時々該地方ノ景況ヲ詳悉シテ. 毎年三月九月各紐ヨリ代議貝ヲ出シテ全議ヲ開. 第十条. 第十一条. 地方部二報告スペシ. ︵26︶. ︵25︶. シテ地方部に届山山ヅペツ. 第十二条部理ハ通常会二於テ前年度施行シタル都件及経費決算 通常全期ヲ待チ難キ急要ノ事件アル尾ハ部理党務. ク其会謎二列スル人員ハ一組五名以下トス 但会謎ノ場所ハ毎会前回ノ決議に依テ. 定ルモノトス 第十三条. ノ報告ヲナスベシ. ︵28︶︵29︶︵26︶同文書︒. ︵27︶. 第十二条. ︵30︶. 委員協議ノ上臨時会ヲ開ク■アルペシ. 第二条. 但ツ. 墾二条組内党中二於テ. 磐城州三春二自由党組合ヲ設置シ臼血党福島部三春組合ト称ス. ○自由覚福鵬部三森組合申合規則. 第一条. 組内ノ党衆ハ其ノ地二依リ区醐ヲ定メ何区ト称スヘシ. 幹事壱名箏務係二名ヲ置ク其ノ征期ハ各一年トシ通常会議二於テ之ヲ撰任ス. 第七条. 躯荻係ハ幹事ヲ補佐シ組内諸般ノ箏務ヲ整. 幹郡ハ組内ノ事筋ヲ管理シ通常会及ピ臨時会二. 第五条. 第四条. 第六条 侮区二区務委員ヲ置キ区内ノ郡赫ヲ整理セシムペシ. 於テ決定セシ部件ヲ執行ス. 役員ニハ給料ヲ与ヘス. 理ス. 第十条地方部ノ. 第九条. 第八条 党衆タルモノハ一ケ月金五銭ヲ出. 薪二党衆二入ルモノハ区務委貝二於テ査察シ之ヲ許否シ侮月末党衆名簿ノ加除増減 ヲ明ニシテ組合事務所へ届出ヅベシ. 組合会議ハ各区ノ委員ヲ以テ成ル其ノ人員一区五名以下トス. シ党中一般ノ定費二充ツベシ 但シ該金ハ年両度六月十二月二収入ス. 第十三条. 第十一条通常会ハニ月八月ノ両期. ヲ以テ之ヲ閲ク. 全議二参スル議員ハ各区談貝ノ投票ヲ定ム. 報告ヲナスベシ. 於 テ 協 議 ノ 上 臨 時会ヲ閲ク﹁ヲ得 自由党緋党後の党組繊化の動向.

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