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1January No.614 特集 新春経済展望 日本貿易振興機構アジア経済研究所所長一橋大学経済研究所特任教授深尾京司氏 この人に聞く 東京大学名誉教授豊田工業大学名誉教授 前学長学校法人トヨタ学園常務理事榊裕之氏 ビジネスインタビュー 矢龍有限会社小山矢

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新春経済展望

日本貿易振興機構 アジア経済研究所 所長

一橋大学経済研究所 特任教授

深尾 京司 氏

特集

東京大学 名誉教授

豊田工業大学 名誉教授・前学長

学校法人トヨタ学園 常務理事

榊 裕之 氏

この人に聞く

No.614

1

January

矢龍

有限会社 小山矢

ビジネスインタビュー

(2)

パ ソ コ ン や ス マ ホ を は じ め 、さ ま ざ ま な 電子機器 が 小型化 し 、高性能 に な っ た の は、 半 導 体 電 子 工 学 の 発 達 に よ る と こ ろ が 大 き い。 そ の 世 界 的 権 威 で あ る 榊󠄀 裕 之 氏 に、 ご 自 身 の こ れ ま で の 歩 み や 専 門 分 野 に つ い て 話 を お 聞 きした。 1944年生まれ。名古屋市出身。 1968年 東京大学工学部電気工学科卒業 1973年 東京大学博士号取得・同助教授 1987年 東京大学教授 2007年 東京大学名誉教授 2010年 豊田工業大学学長 2019年 学校法人トヨタ学園 常務理事 豊田工業大学 名誉教授 1976-77年 IBM ワトソン研究所客員研究員 1988-93年 科学技術庁創造科学推進制度 「榊量子波プロジェクト」総括責任者 2004-06年 応用物理学会 会長 2005-08年 国際純正・応用物理学連合(IUPAP) 半導体部門委員長 2005-11年 日本学術会議(第3部)会員 〈 経 歴 〉 〈 主な受賞歴 〉

東京大学 名誉教授

豊田工業大学 名誉教授・前学長

学校法人トヨタ学園 常務理事

工学博士

榊 裕之

1996年 IEEE David Sarnoff Award 2000年 藤原賞 2001年 紫綬褒章 2004年 江崎玲於奈賞 2005年 日本学士院賞 2008年 文化功労者 2019年 日本学士院会員

研 究 領 域 は 半 導 体 電 子 工 学 で す。 研 究 テ ー マ は、 「 半 導 体 ナ ノ 構造を用いた電子の量子的な制御 とその応用」ですが、専門外の方 にはよく分からないでしょうね。 シリコンなどの半導体の中を走 る電子について調べるのですが、 半導体を加工し、極微の構造にし た時に現れる電子の新しい性質、 特に、量子力学的な波としての側 面を解明し、情報通信技術などに 役立てる研究をしてきました。 いえ、高校三年までは科学には さほど興味がなく、歴史や国際情 勢などへの関心がより強かったで す。名古屋大学教授の父がドイツ に単身留学したため、外国には特 に強い関心を持ちました。 将来は国連か外務省に勤め、国 際平和に貢献したいと思い、高校 三年になった 1962 年夏に米国 ミネソタ州の高校へ留学し、一年 を過ごしました。 ところが、留学した直後に、英 語力の不足に加え、米国とソ連が 対峙したキューバ危機も体験して 国際関係のあまりの複雑さに圧倒 されました。 「困ったな」と思ったのですが、 ケネディ大統領が提唱した「平和 部隊 」 の 誕生 の 直後 で も あ り 、「 専 門 技 術 を 通 じ て 世 界 に 貢 献 す る 道」に興味を持ちました。 「 平 和 部 隊 」 と は、 技 術 を 持 つ 青 年 を 開 発 途 上 国 に 派 遣 し、 発 展 に 貢 献 す る 組 織 で す。 こ の 構 想 は 他 国 に も 広 が り、 日 本 で は 1965 年に青年海外協力隊が創 設されています。 帰国後、 1964 年に東京大学 に入学し、最初の二年を教養学部 で学んだ後、工学部に進学しまし た。教養学部で興味を感じたのは 政治学や経済学などです。講義で は、エーリッヒ・フロムの『自由 か ら の 逃走 』 や デ イ ヴ ィ ッ ド ・ リ ー スマンの『孤独な群衆』などの書 物を紹介され、夢中で読み、刺激 されました。 他方、数学や物理学はレベルが 高く、とても苦労しました。物理 学は奥深さを認識しましたが、本 来 の 面 白 み を 感 じ た の は、 後 に なってからです。 工学部に進学する際は、開発途 上国が必要とする電力技術などを 考 慮 し、 「 電 気 工 学 科 」 を 選 び ま したが、進学後に受けた専門講義 群には興味が持てませんでした。 電 気 工 学 の 巨 大 体 系 を 短 時 間 で 学ばせるため、知識を詰め込まな ければならなかったためです。 た だ、 「 ト ラ ン ジ ス タ 」 に は 興 味があったので、 1967 年、卒 業研究では関連テーマを選び、菅 野 卓 雄 先 生 の 研 究 室 に 入 り ま し た 。 1948年にアメリカのベル研究所のショックレー、バーディーン、ブラッティンの3人が、 最初のトランジスタを発明し、1956年にノーベル物理学賞を受賞した。この素子は、電 子の多いN層と正電荷(正孔)の多いP層のサンドイッチ構造を持っており、双極型トラ ンジスタと呼ばれる。1960年に、MOS型電界効果トランジスタと呼ぶ第2の素子も誕生 し、現用のLSIの大部分はこの素子から作られている。いずれの素子も、電子回路中で信 号を増幅したり、電流を断続する機能を持ち、スマホなどの電子機器の小型化・高速化・ 高性能化・低廉化に留まらず、エアコンやEVに必須のモータの制御なども可能にした。 トランジスタ ~20世紀の大発明 ~

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電子の分野にご関心を持たれたわ けですね。 三年生の時、トランジスタの講 義を受けたのですが、 “消化不良” に 終 わ っ た の で 学 び 直 そ う と 思 い 、 トランジスタに関するテーマを卒 論に選んだわけです。 ト ラ ン ジ ス タ は、 微 弱 な 電 波 信 号 の 増 幅 の ほ か、 計 算 機 の 演 算 部 品 と し て 電 流 を O n-O ffす る 役 割 な ど を 果 た す 素 子 で す が、 1948 年の発明から 20年も経っ ており、成熟したものと思い込ん でいました。幸いにもそれは勘違 い で し た。 卒 論 の 対 象 は、 第 一 世 代 の ト ラ ン ジ ス タ で は な く、 1960 年にベル研究所で誕生し た 「 M O S 型 ト ラ ン ジ ス タ 」 で 、 開発段階にあり、未解明の点も多 かったのです。 こ の M O S 型 ト ラ ン ジ ス タ を 微細化し、数ミリメートル角のシ リ コ ン チ ッ プ 上 に 詰 め 込 み、 情 報 処 理 や 通 信 に 用 い て い る の が L S I (大規模集積回路)です。 卒論研究でこの素子に出会ったお か げ で、 L S I の 基 礎 的 側 面 の 研究に関わることになりました。 以来、半導体に魅せられ、 50年以 上も研究を続けています。 1970 年時点で、一チップに 搭載されるトランジスタ数は千個 ほどでしたが、その後は 15年毎に 約 千 倍 に 増 え、 こ の 半 世 紀 で 約 10億倍になっています。この素子 数 の 飛 躍 的 増 大 に も 拘 わ ら ず、 チップの値段はほぼ維持され、普 及が進みました。その結果、世界 の L S I 市 場 は 45兆 円 を 超 え て おり、マイクロプロセッサーやメ モ リ ー な ど、 L S I の ほ と ん ど は M O S 型 ト ラ ン ジ ス タ か ら 作 られています。 M O S は、 ようなものですか? ま ず、 M O S 構 造 と は、 金 属 ( M eta l)・ 絶縁性酸化膜 ( O xid e)・

M

O

S型

半 導 体(S em ic on du cto r) か ら なる三層構造のことです。通常、 半導体にはシリコンを用います。 こ の M O S 構 造 で、 シ リ コ ン と 金 属 板 の 間 に 正 電 圧 を 加 え れ ば、金属板に正電荷が溜まり、シ リコン側に負電荷、つまり伝導電 子が溜まります。蓄積した電子は シリコン表面に沿って流すことが で き る の で、 そ の 両 端 に 一 対 の 電 極 を 設 け れ ば、 電 気 的 に 導 通 ( O‌ n)状態になります。 他方、シリコンと金属板の電圧 がゼロの場合、シリコン表面の電 子 が 蓄 積 し な い た め、 電 極 間 は O ff となります。 なお、高純度のシリコンの中に 存在する電子の濃度は低く、金属 の場合の一兆分の一ほどです。こ の M O S ト ラ ン ジ ス タ を 多数個 、 チップ上に形成し、金属線で相互 に配線したものが L S I です。 M O S て、 すか? 大 学 院 時 代 は、 M O S ト ラ ン ジスタにおいてシリコン表面を流 れる電子について調べ、量子力学 的な性質を示すかどうかを研究し ました。 M O S 構 造 で は、 電 子 は 絶 縁 膜を介して金属板側の正電荷と引 き合っているため、シリコンの表 面の近くにだけ蓄積します。 10億 分の一メートルのことをナノメー トルと言いますが、電子の蓄積し た層の厚みは数ナノメートルしか ありません。このため、電子は、 層内の二方向に粒子として自由に 動きますが、膜厚方向には粒子と して動くのではなく、量子力学に 従って、波として振る舞うことが 予 測 さ れ ま す 。 こ う し た 超 薄 膜 の 中 の 電 子 を 、「 二 次 元 電 子 」 と MOS型トランジスタの構造 原子核の周りの微細空間の閉じ込められた電子の 振る舞いなど、ナノメートル(10億分の1メートル) に近い寸法の世界で起きる現象には、ニュートンが 17世紀に確立した古典力学では説明できないことが 起きる。 そうした極微の世界の現象は、20世紀初頭に誕生 した量子力学の法則が支配しており、電子を含め、 物質には、粒子的な性質に加え、波動的な性質を兼 備していることが明らかになっている。また、逆に、 波と思われてきた光には、粒としての性質があるこ とも明らかになっている。 例えば、金属を熱して、その中の電子を真空中に 飛び出させた時、電子はほぼ粒子として走行する。 しかし、この電子を、原子を規則的に並べた金属の 薄膜に衝突させると、電子は、波として個々の金属 原子に散乱されて種々の方向に広がり、多数の原子 で散乱された電子の波が干渉する。その結果、特定 の方向に伝わる波が強くなること(回折)が見出され、 電子の波動性の証拠となっている。 また、電子の波を壁にぶつけた場合には、壁から 反射されるが、壁の厚さがナノメートル級になると、 電子の波が、わずかながら壁の中に侵入し、壁を透 過する確率が無視できなくなる。この現象は、トン ネル効果と呼ばれる。粒子と波の両方の性質を兼備 するとの考えは、理解し難いが、電子は代表例である。 電極Ⅰ 金属板(M) 電極Ⅱ 半導体(S) 絶縁膜(O) x y z

電子は「粒としてふるまう」か「波としてふるまう」か

e 量子薄膜の中の 2次元電子の動き e 二重の量子薄膜

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呼びます。 二 次 元 電 子 の 膜 厚 方 向 の 運 動 は、両端が固定されたバイオリン の弦の振動と似ており、膜の上下 の端では固定され、膜の中央で大 きく振動する波として振る舞うこ とが理論的に期待されます。 他方、シリコンの表面には結晶 の 熱 的 な 振 動 に 加 え て、 原 子 ス ケールの凹凸も存在し、電子の運 動 を 乱 す た め、 室 温 で 動 作 す る M O S 素 子 で は、 電 子 の 波 動 性 は無視できるとの説もあり、量子 的な波動性が重要か否かは未解明 でした。 そこで、波動性が重要か否かを 調べることにしました。シリコン では、原子の並び方により、粒子 運 動 に は 独 自 の 方 向 性 が 現 れ ま す。他方、伝導層が薄くなり、量 子的波動性が強まると、膜構造で 決まる方向性がより強くなるはず で す。 磁 石 を 使 っ て、 M O S ト ランジスタに種々の方向から磁界 を加えると、電子は磁界の作用で 周回運動をするために電気抵抗が 変化しますが、この計測を系統的 に行うことで、電子の波としての 振る舞いがどの程度であるかが明 らかにできたのです。 幸い、この実験と関連の理論解 析が高く評価されたため、博士号 の取得や東大への就職に繋がりま した。 は、 たのですか? 1973 年に博士号を得て、東 京大学生産技術研究所で研究室作 りを始め、大学院での研究とは異 なる斬新な課題を探したのです。 当初は苦戦しましたが、一年余の 模索の後、幸いにも着想が浮かび ました。 超薄膜中の二次元電子は、氷の 盤面上を自由に滑るスケート選手 に似ていますが、この二次元運動 を制御することで、新たな性質や 機能を生み出して、電子工学に用 いることを考えついたのです。 どのようにするのでしょうか? 平坦なスケートリンク上に、線 状のガードレールを狭い間隔で設 ければ、リュージュのように、電 子を一次元的(線状)に走らせる ことができます。また、碁盤目状 の壁を設ければ、個々の電子を箱 の中に収容でき、動きが抑制でき るとの考えが浮かんだのです。 照明用LEDは、発光部に10ナノメートルほどの超薄膜が使われている そうした構造中の電子に関する 理論解析を行った上で、極微の細 線や箱構造をトランジスタや光素 子に活用することを提案する一連 の論文を、 1970 年代後半から 80年代前半に発表しました。幸い にも、こうした概念の提唱は、世 界初でした。 発表当時、そうした構造の作成 技術が不在でしたが、後の進歩に より多くが実現され、実際、電子 運動の制御が実現しています。電 子を一次元(線状)的に走らせる 構造を「量子細線」と呼び、電子 一個ずつ閉じ込める箱構造を「量 子ドット」と呼びますが、各種の 素 子 に 応 用 す る 試 み が 進 ん で い ま す 。 例 え ば 、 D V D 用 の 半導体 レ ー ザ や 照 明 用 の L E D で は、 発 光 部に 10ナノメートルほどの超薄膜 が使われ、そこに負に帯電した電 子と正に帯電した正孔を流し込む ことで光を発生させています。こ の発光層に量子ドットを埋め込め ば、電子や正孔の熱的運動が抑制 され、レーザの温度安定性が向上 す る こ と に 気 付 い た の で、 荒 川 博士と共著で 1982 年に論文を 発 表 し ま し た。 こ の 量 子 ド ッ ト レ ー ザ の 優 れ た 特 性 が 実 証 さ れ て、製品化も進んでいます。 この他、量子ドットに電子一個 が入ると、次の電子が入れなくな る性質を使えば、電子を一個ずつ 動かすことも可能です。そのため には、単一の量子ドットに対し入 口側と出口側に電極を設けると、 ビルの回転ドアと同様の構造にな ります。まず入口側から電子一個 がドット内に入ると、二個目は入 れなくなります。この電子が出口 側に流出すると、次の電子の流入 が可能になります。このため、電 子を一個ずつ搬送することが可能 となり、電流を精密に制御するこ とができます。通常の金属の中で は、無数に近い多くの電子が流れ て い ま す が 、 量子 ド ッ ト 素子 で は 、 電子を一個ずつ動かすことができ るのです。 最近、量子コンピュータが注目 され、幾つかの方式が平行して研 究されていますが、その中には量 子ドットを使う方式の研究も進ん でいます。 e 量子ドット e 量子細線

(5)

I

B

M

ワトソン研究所

で、 残っていることは何でしょうか? 教 員 と し て 一 番 印 象 的 な こ と は、大学院生たちとともに真剣に 研 究 に 取 り 組 む な か で 、 彼 ら が 驚くべき成長を遂げることを目の 当たりにしてきたことですね。 他方、研究者として忘れ難いの は、 31歳 の 時、 米 国 I B M ワ ト ソン研究所の江崎玲於奈先生に招 かれ、一年半の間、超薄膜研究に 携わった経験です。 こ の 貴 重 な 機 会 は 、 私 が 博 士 課程に在籍中の 1972 年、私の 属する菅野研究室に江崎先生が来 訪されたことがきっかけとなって い ま す。 そ の 時、 M O S ト ラ ン ジ ス タ の 研究 を 紹介 し た の で す が 、 「 面 白 い で す ね 」 と い う コ メ ン ト をいただいた上、直後に「博士課 程 の 修 了 後、 I B M の 客 員 研 究 者として招くので、一緒に仕事を しませんか」という手紙までもい ただきました。 博士課程を修了した 1973 年 に渡米できたのですが、東大生産 技術研究所の助教授として採用い ただく話もいただいたので、まず 就 職 し、 三 年 後 に I B M の 客 員 研究員になったわけです。 当時、江崎先生は、二種類の半 導体の超薄膜を交互に積み上げた 「 超 格 子 」 の 研 究 を 進 め て い ま し た。超格子では、一方の層( A) に電子が二次元電子として閉じ込 められ、他の層( B)は電子の波 を 反 射 す る 壁 の 作 用 を 果 た し ま す。この壁の層を数ナノメートル 以下に薄くすれば、電子の波がト ンネル効果によって透過するよう になります。 超格子では、これらの A層と B 層の組成や膜厚を適切に選ぶこと で、多様な性質や機能を生み出す 写真左が江崎玲於奈氏、右が榊裕之氏。1976年IBMワトソン研究所にて。 ことができます。 I B M で の 滞 在 期 間 中 に は、 超格子の中を動く電子の波動性の 詳細を解明するとともに、それを 用いた新たな原理の赤外検出器を 考案することもでき、実り豊かな 研究生活が送れました。 な お 、パ ソ コ ン や デ ー タ レ コ ー ダ ー で は 、 半 導 体 の 不 揮 発 性 の メ モ リ ー に 加 え 、ハ ー ド デ ィ ス ク の 読 取 り ヘ ッ ド に 使 わ れ る 磁 気 ト ン ネ ル 素 子 が 重 要 で す が 、 い ず れ も ト ン ネ ル 効果を巧みに活用しています。 1970 I B M ば、 世界 タ市場を席巻していた巨大企業で す。 は、 だったのでしょうか? 当 時 の I B M は コ ン ピ ュ ー タ 業界の巨人でしたが、コンピュー タもそれに必須のトランジスタも I B M が 発 明 し た も の で な い こ とを謙虚に認め、ワトソン研究所 の目的はビジネスに寄与すること ではなく、良質な研究成果を生み 出すことで、コンピュータなどを 生み出した科学と技術の世界にお 返 し を す る こ と だ と の 説明 を 受 け 、 驚かされました。 そうした組織であるため、研究 者の研究姿勢は真剣ですが、ゆと りがあり、研究を楽しむ雰囲気に 満ちていたのが印象的でした。研 究は成功の保証がなく、不安なも のですが、不安が過ぎると萎縮し て上手くいかなくなります。楽し い心持ちで研究するほうが結果は 良くなると皆が考えているように 感じました。上司や同僚からの視 線を気にし過ぎる日本的な組織と は一味異なり、伸びやかな雰囲気 がありました。 ま た 、 密 度 の 濃 い 研 究 時 間 を 一〜二時間ほど過ごしたかと思え ば、眺めの良い廊下に出て、 10〜 20分ほどの間、コーヒーや外の景 色を楽しみつつ、互いに議論しあ うのが習慣化していました。廊下 に は い つ も 誰 か が 屯 し て い る の で 、 客員研究員の私でも多くの研究者 と交わり、議論でき、大いに刺激 を受けました。

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や医療への応用

半導体電子工学の研究を基に ITが し、 が、 後、 のような分野でさらなる発展が期 待できますか? いろいろな領域で発展が予測さ れますが、まずはエネルギーや電 力の分野でしょう。 E‌ Vや H ‌ Vなどの電動型の車で は数十 k‌ Wレベルのモータが使わ れますが、モータ駆動に必要なイ ンバータ回路の中の半導体素子の 需要が飛躍的に高まり、高効率化 も求められています。エアコンで は一 k‌ W級のインバータが広く使 われ、モータで動く冷暖房用コン プ レ ッ サ の 高 効 率 化 が 進 み ま し た。従来、シリコン系電力素子が 主 力 で し た が、 S i C や G a N など高電圧化に適した材料を用い た M O S ト ラ ン ジ ス タ も 注 目 さ れています。 電力素子の分野では、日本の企 業 は 世界 を リ ー ド し て き ま し た が 、 各 国 も 力 を 入 れ、 特 に ド イ ツ の シーメンス社は世界最強になるた めの戦略を進めています。日本企 業 も 優位 を 維持 し て ほ し い で す ね 。 もうひとつは医療や介護支援の 分野です。 センサを使って種々の情報を取 得・ 分 析 す る 技 術、 た と え ば、 M R I や C ‌ Tな ど の 医 療 機 器 で はエレクトロニクスが貢献してい ます。手術用ロボットの “ 目 ” も 同様です。身体装着型のセンサも 発展しています。 この分野は、革新的技術の誕生 可能性を探りながらも、従来技術 の改善・高度化を不断に進める必 要があり、該当企業や研究機関で は、研究開発を継続できる基礎体 力の確保が必須です。特に、新技 術は、誕生直後は注目されても、 後 に 息切 れ す る ケ ー ス も 多 い の で 、 産 官 学 の 連 携 に 期 待 し た い で す ね 。

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豊田工業大学は1981年4月、 トヨタ自動車が社会貢献活動 の一環として設立した私立大 学です。 モノづくりの原点ともいえ る工学基礎に関わる教育研究 を進め、次代の社会の開拓に 貢献するために、豊かな人間 性と創造性を備えた実践的な 開発型技術者や研究者を育成 しています。建学の理念は、 豊田佐吉翁の遺訓「研究と創 造に心を致し、常に時流に先 んずべし」です。 入学定員90名、教員一人当 たりの学生数は約10名と少数 精鋭での充実した教育体制を 持ち、複合化する科学・技術 に対応するため、機械システ ム、電子情報、物質工学のす べてを横断的に学ぶ独自の「ハ イブリッド工学」教育を実践 しています。 トヨタ自動車を創業した豊 田喜一郎氏は、1930年代の前 半に、欧米が遥かに先行する 自動車産業への参入を決意し、 苦労を重ねながら自動車国産化 への挑戦を開始し、1937年に トヨタ自動車を設立しました。 その経験から「これからの日本 は外国技術の模倣から一日も 早く脱却し、日本独自の産業 技術の確立を図る必要がある」。 「わが国の発展のためには、優 れた研究と人材教育が重要で ある」ことを痛感し、「社業繁 栄の暁には大学を設立したい」 という夢を抱いていました。 1950年代後半から日本は高 い経済成長を遂げ、モータリ ゼーションの波も強まる中、 トヨタ自動車は、燃費・信頼性・ 環境性能に優れた車の生産で 順調に成長し、1977年に創立 40周年を迎えました。40周年 を記念する社会貢献活動とし て、明日の産業界を担う技術 者を育てる豊田工業大学の設 立が決定され、1981年に名古 屋市内に誕生しました。初代 理事長は、当時の社長の豊田 英二氏です。 人間性を磨くために、新入 生全員が寮生活を1年間体験す るほか、工学に関わる横断的 な基礎教育と産業界との強い パイプを活かした企業派遣講 師による講義や実習を進め、 企業との共同研究も活発に行っ ています。また、米国シカゴ にAI専門の姉妹大学を設立し、 現地派遣や On-Line による教 育・研究提携を進めています。 また、海外でのインターンシッ プも活発で、それに備え、海 外英語演習やキャンパス内で の英語プログラムを充実させ、 英語の活用力・国際的な視野・ 異文化の理解力を育てています。 学部・修士・博士課程があり、 学生は幅広い工学の学識と専 門性を修得し、卒業後は自動 車関連に加え、電気電子・情報・ 素材・商社など、広い領域で 活躍しています。開学以来、 就職率100%を続けています。 所在地/名古屋市天白区久方二丁目12-1 TEL/052-802-1111(代表)

豊田工業大学

トヨタグループ各社の支援のもと 創造的で実践的な開発技術者を育成する かも の取得者が多くなっています。し 湾のほうが、人口当たりの博士号 欧米はもちろんのこと、韓国や台 充実と活用が大切だと思います。 うした人材育成には、博士課程の 創意工夫の結合が必要であり、そ つには、深い学識と独自の発想や なかでも、厳しい国際競争で勝 にする人材の協力が必須です。 的普及を進めるには、得意技を異 研究開発、製品化と生産、社会 ね。 将来を担う人材の育成も必要です

人材の育成

海外 の 大学 で 学位 を 取得 し 、 国際性も備えた 30代の人材が活躍 しており、わが国もそうした人材 を育てなければ、世界に勝てない ような気がします。 私自身、半導体の超薄膜の中の 二次元電子を直進させたり、停止 させるための量子細線や量子ドッ トの概念を提唱したのは 30代でし た 。 当時 は 、 実現 が 困難 で し た が 、 い ず れ 可 能 に な る と 信 じ て 学 術 論文を発表したのです。 世 界 に は 多 様 な 人 が い ま す か ら、互いに知恵を出し合うと、思 わぬブレイクスルーが起きます。 これが重要です。そうした創造の プロセスに関与し、寄与できる人 を 育 て る こ と が 重要 だ と 思 い ま す 。 私は、東京大学では、大学院生 の研究指導をしつつ、自身で研究 を 進 め る こ と に 努 め て き ま し た が 、 2007 年に豊田工業大学の一員 になって以降は、人材の育成に主 たる情熱を傾けてきました。 日本の大学生の多くは、受験勉 強に影響されて、一時間程の短時 間に解答を出す能力には優れてい て も 、 一週間 ・ 一 か 月 ・ 一年 の 間 、 ひとつの課題に取り組む経験や忍 耐力が不足していると思います。 し か も 、 納得 し て い な い 状況 で も 、 試験答案やレポートを書くクセが ついており、研究者となるには脱 却が必要です。 日本の大学は、国公立も私立も 財政上や経営上の制約のために、 一日か二日で入学試験を済ませて おり、学生の多くはそれに対応す るための悪いクセをつけていると 思います。 大学でも理系の学部教育では、 卒業研究が始まるまでは個別事項 の習得が中心で、特定課題に関し て深く考える機会がほとんどあり ま せ ん 。 だ か ら 面白 く な い の で す 。 面白くないことを我慢するのが勉 強だと思ったら、最悪です。 は、 れますか? 高校と大学のそれぞれが、でき ることから始めることが大切だと 思います。 大学受験にさほど影響されない 人、例えば、高専生、私大の付属 高 校 生 で 推 薦 入 学 を 決 め て い る 人、その他の事情で受験勉強をし ない人たちは、その悪影響を受け ませんが、受験勉強をまじめにす る人たちが、点数稼ぎの力をつけ ようとして、悪いクセをつけてし まわないように、良質な教育を高 校 レ ベ ル で 提供 し て ほ し い で す ね 。 米 国 の 高 校 は、 基 本 的 にゆとり 教 育 をしており、 高 校 生 の 平 均 学 力 は 国 際 的 に さ ほ ど 高 く あ り ま

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せんが、学力の上位の学生には、 高 校 内 で 大 学 の 講 義 を 提 供 す る 「 ア ド バ ン ス ト・ プ レ イ ス メ ン ト ( A ‌ P)」の制度が全米に整備され ており、取得単位が大学の卒業資 格の一部にカウントされ、広く普 及しています。 また、フランスのリセと呼ばれ るエリート高校の教育を基盤とし た「 国 際 バ カ ロ レ ア( I‌ B)」 と いう国際教育プログラムと卒業資 格認定制度も多くの高校が採用し ており、哲学などもしっかり勉強 させています。さらに、大学入学 後に真剣に学ばせ、大きく力を付 けさせるのが、米国方式です。 日本の高校も、一部で国際バカ ロレア制度を導入していますが、 まだその数は少なく、日本の大学 向けの受験準備の影響が高校教育 の多くを支配しています。 なお、 I‌ B制度は、海外の一流 大 学 が 入 学 資 格 審 査 に 使 っ て お り、わが国で広めることで、日本 の大学入試制度にも良い影響を及 ぼすことが望まれます。 他方、大学教育のさらなる改善 も必要です。特に、多くの事実を 浅く学ばせるよりも、重要な事項 を厳選した上で深く理解させ、か つ、主要事項の間の連関を広く把 握させ、それを活用する力を育て る 必要 が あ り ま す 。 そ の た め に は 、 対話型の学習機会を提供し、自分 自身で説明し、質疑に応える訓練 をさせることが重要です。 そうした力の育成が、研究者の 基 礎 を つ く る う え で 最 も 大 切 で す。文系ではゼミナール制が定着 し、機能していますが、理系は卒 業研究開始までの三年間は、対話 型教育 が 不足 し て い る と 思 い ま す 。 私は、東京大学生産技術研究所 で 30年余り大学院生を指導してき ましたが、私自身が少々の困難が あっても、楽しく研究を続ける姿 を見てもらうように心がけてきま した。 そうした雰囲気がグループ内に 広がり、学生たちの研究への熱意 が高まり、議論が活発になりまし た。その結果、良い着想が出るよ うになり、仕事が進み、彼らの能 力 も 自 信 も 育 っ て き て く れ ま し た。人材育成のひとつの方法だと 思います。 シェアハウス型の学生寮の中庭にて

参照

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