Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service
Japanese Sooiety for the Soienoe of Design模倣
か
ら
創造
へCreatien
throughIirnitation
,
Anilcidental
lmage
ofShowa
30
’
sdesign
昭和
30
年代 デザ イ
ンの残
像
栗坂 秀夫
aurisaka
Hideo
)
パ シ フ ィ ッ クデ
ザイ
ン ア ソ シエー
ツ1.
は じめ
に 私は、
昭和
30
年代
の 前 半 に工業 デ ザ インを学
ぶた め に、
金
沢へ
遊学
をし た が、
当 時 は 日本
の近 代デ ザ イ
ン の曙 光
の時 代
で あ り、
級 友
の ほ と んどが、
その頃
のア メリ
カ の乗用 車
の空
に 飛 び立
つよ うな、
ダ
イ ナ ミックなデ ザ イ
ンに惹
かれ て この道
を志
し て 来 て お り北 陸
の地
で熱
い思
いを燃 や
していた。
当
時のデザイ
ン教 育
は、
教
え る方
、
教
え られる方
の双方
に とっ て手探
りの状 態
で あ り、
方
法 論 を 考 え、
道具
を作
りっ つ と いう
のが 日常
で あっ た。
昭和
30
年 代
は 日本のデ ザ イン の歴 史
にと
っ て 興味
深い時
代 であ
っ た。 そ れ は、
昭 和
20
年 代
の後 半
から幾
多
の国
際問
題 を起
こ して き たデ
ザ インと商 標
の模 倣
から何
と か脱 却
し、
独自性 を
持っ た商
品 を何
とか創 造
し よう
と官 民 が努
力 を傾 け
た時 代
で あっ た か らであ
る。
これら模 倣
問 題 につ い て は、
日本
のデ ザ
イ ン の歴史
に とっ て誇 れ ない ことであ ることから、
語 られ るこ と が 少 ないが、
世界
の産業
の発 展 に おいては多 く
の国
で、
全て同 じような時 代
を経
て 来 てい るのが事 実
であ
り、
そ れ を を隠
すこ とな く日本
の産業
とデ ザ インの発展
の一
過 程
と して 認 識 して お く こ とが 必 要 で あ ろう
。
これ ら
の事 実
を中
心 に 昭 和30
年 代
のデ ザ
インにつ いて記憶
の糸 を
手繰
っ て み たい。
2
.
デ ザ
イ ン の模倣
につ いて 1958年 (昭 和33
年 )3
月
25
日、
当時
アメ リカの映 画機 械 会社
ベ ル・
アン ド・
ハウ
エ ル社
の社
長 で あ り後
に 上院議 員
に就 任
し たC・
H
パー
シー
氏
か ら当 時
の経 済 団体 連 合 会会 長
石坂泰
三 氏 に個 人 的 書 簡 が届
い た。
その書 簡
の骨 子
は 「日本
の アルペ ン、
ア n− 、
シ ルバー、
トー
ア 等の8
ミリ製 品
が、
ベ ル・
ハ ウ エ ル社
の8
ミ リ映 写機
を模倣
し て い る。
政 府 や 外 交ベー
スで こ の問題
を解 決
す る 前に、
貴
下の忠告
で 解 決 して ほ しい 」という
もの で あっ た。
これは、
当時
の欧
米商
品の日本
で のデ ザイ
ン等
の模倣
に 対 す るア メリカの有
力者
からの警
告
で あ り、
これ が契
機 に な り、
日本 政府 も
こ の問 題
に真剣
に 取 り組
ま ざるを得 な く
な り、
前 記
8
ミリ映写 機 や
カ メ ラ等
のデ ザ イン、
商標 模倣 を 自
主的
に防 止す
る輸
出 品デ ザ
イン法
が制定 され
それ
を 運 用 す る ため
に通 商産 業省
と関連 業界
の手
に より財
団 法 人 日本 機 械 デ ザ イ ンセンター
等
の団体
が設
立さ
れた。
当時
は8
ミ リ映 写機 や
カ メ ラ以
外にも
バ イク、
陶
磁 器、
釣 り用 リ
ー
ル、
文房 具 等多
く 分 野 でデザ
インや商
品の模
倣
が行 な
われ外 国 政府 や企 業
と少 な か ら ぬ問題
を起
こ し た。
因 に、
筆
者
の記憶
では
この時代
、
カ メ ラ、
オー
トバイの両業
界
には
、
それ ぞれ
アル フ ァ ベ ッ トのA
から
Z
(
カ メ ラ=
ア イ レ ス、
プロ ニ カ、
キ ヤノ ン、
ド ミレックス…
ズ ノー、
オー
ト
バイ
= アサヒ、
BS
、
キ ャブ トン、
デ
ィー
エ ス ケー
等 〉 ま
での商
品 名のほ とん どが あ り百花 撩 乱
の様 相 を
呈 していた。
た だ、
その 後僅
かの問
に デ ザイ
ン、
技 術 面
で オ リジ ナ リティー
が 無 く販
売 力の弱
いも
のが脱 落 淘汰 され 現在
に 至っ てい る。
ま た 当 時 は 外国商
品の コ ピー
が出 来
ること
が技術 力 が高
い と さ れ る 間違
っ た認 識
があ り模倣 即 ち悪
とはさ
れな
い 風潮
も あっ たことか らこれ を覆
えす た めの啓 蒙 に 多 大の努
力 を要
した。
模 倣
は日本
の企 業
の意 志 だ けでは な く、
外国
の著名 商
品や
ヒッ ト商
品 がバイ ヤー
の注 文 に よっ て作 ら
れる
ことも少 な
くな
く複 雑な
問 題 を内包
し ていた。
私
は、
卒 業後 前
記の財
団法
人 日本機
械 デザ
インセンター
へ就
職
し、
全 国
の中
小企業
のオ リ ジナル商
品の開
発 を促 す 指導 事業
に永
く携 わ
っ た が、
欧 米商
品の○ ○に近いデザ
イン の ものを作 りたい とい う よ うな 希 望 が多 く
、
困惑
し た思
い出があ る。
昭 和30年 代のデ ザ イン
を考
え る時 外
国商
品の模 倣 防
止の為
数
々 の施 策
が、
その後 デ ザ
イン振
興の原
動 力 に一
つ に なっ たこ と を 忘 れてはな らな
い,
,
3 .
昭 和
30
年 代
の経 済 とデ
ザ イ ンこ の
時 代
は 日本の経
済 に とっ ても
特筆す
べ き ものがあっ た。
昭和
35
年7
月 池 田 勇 人 内 閣 が 発 足 し た が、
池
田総
理 は所矧
音増
、
高 度経 済成
長 を 唱 え、
こ の政 策
が 同37
年
12
月の国会
で成
立 した。
その内容
は、
昭和
36
年度
から
同45
年度
ま での10
年 間
に年
平 均で7.
2
%
の経 済成長 を
目論
見、
45
年度
に はGNP
を26
兆 円
、
国
民一
人
当 りの所得 を
2
倍
の20
万8
,
000
円 に す る という
内容
のも
ので 当初
は到底 実 現不
可能
といわ
れ た が、
実 際に はGNP
が61
兆 円 とはる
かに突破
、
こ の10
年 間 は 年率
10
% 台
の経 済成 長
を 記録
し、
現 在
の経 済
発 展の基礎
を築
いた。
終戦
から
10
年
以 上 が過
ぎ
、
最
早戦
後 で は 無い との声 も聞かれるよ うにな
り、
「三種の
神
器」 と呼 ば れ た白黒
テレ ビ、
電気 冷 蔵 庫
、
洗濯機
の普 及 に よ る家
庭内
の電 化
が始
まり
、
国民
は生 活
の向
上 と利 便 性 を 望 む よ うに なっ た。
G
マー
ク制度
の発 足 と共
に、
数
は少 ない もの の、
キ ラ メ キのあ るデ
ザ インを され た商品
が出始
め、
消費 者
に 「デ
ザ
インと は 何 か ?」をアピー
ルす
る よう
にな
っ た。
ま た
、
39
年
10
月に は、
東 海道 新 幹 線
が 開 通、
東 京 オ リンピッ クが開催 さ
れ、
莫
大 な 公 共 投 資 が経 済
を浮
上 させ る と共
に 日本
が先進
国の仲
間 入 りを す る原 動 力
とな
っ た。
東海 道 新幹線
の車
両のデザ
インや東 京
オリ
ン ピック の幾 多
の建 築デ ザ
インお よ び グ ラフ ィッ ク、
サイ
ンデ ザ
イン等
は 日本
のデ ザ
インの発 展の礎
ともな
っ た。
現在
、
世界
で も第
一
級
の 技術
力、
生 産 力、
デ ザ イ ンを持
つ といわれ
る 日本
の自動 車
産業
も 当時
は、
日産 が イ ギ リ ス のオー
スチンを ラ イセ ン ス生 産 し、
同じく
いす ず
がヒ ルマ ン を、
日野
はフラン ス の ル ノー
を作
る という
よう
に隔世
の感 が あ
る。 しか し、
名器
といわれ
た一
眼
レ フカ メ ラ 「ニ コ ンF
」、
ソ ニー
の トランジスター
ラ ジ オ 「TR
−
55
」等
のオ リジ
ナル商
品 が誕
10SPECIAL
ISSUEOF JSSD VQI.
2 No.
3 1994 デ ザ イ ン学 研究特 集 号Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service
Japanese Sooiety for the Soienoe of Design靉
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伊
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髀
ライ
カ カメラ、
ベ ル・
ア ン ド・
ハウエル映
写
機
の本物
(
左 ) と偽物 (
右 )
カ
ー
スタ
イリ ングNo.
54、1986
年
デ ザイ
ン の模 倣
一
その現状
と解 決
策一
栗 坂 秀 夫著
よ り生
し力強
い歩
みを見
せ初
め た。
当時
のデ ザ イ
ンは現 在
のよう
に商
品に よる傾 向
があるわけ で は無く、
それ ぞ れに独 自性 を 持っ た もの がな
され、
企業
の個
性 が 色濃
く出
されて いた。
過 去の歴史
を ひ も ど く までもな
く、
デ ザ
イン の発 展の ために はデ ザ イン さ れ たも
の を 生 産 す る技 術
力 と流
通 させ る経
済 力
、
さら
にそ れ を受 け
入 れ る 市 場 が 必要
と され る が、
昭 和30
年代
の 日本
は この両 面
に おい て環境
が 整いっ っ あっ た。
4 .
デ ザ イ
ン振
興
と商
品
デザ イ
ン 昭和
32
年
に は通商鷹 業 省
によるグッ ドデ ザ イン商
品 選定
(G
マー
ク)制 度
がスター
トしデ ザ イン振 興
が 本 格 的に行 な わ れ る よ うにな
っ た。
今
で こそ日本
の外 貨 準備 高
は700
億
ドル にも
達 し、
国 際的
に 黒字
が 問 題 にな
っ ている が、
昭和
45
年 頃 ま
で の国
際 収支
は赤 字
であ
り、
当時
は外貨 獲得
の ための輸 出振興
が国家
的 課 題 で あっ た。
従っ て、
デ ザ
イン振
興 に おいて も一
方
では商
品 デ ザ イン向 上による輸
出 振 興 と独 創的
なデ ザ
イン の 開 発 に よ る模 倣
防 止の両 面の役 割 が 課 せ ら れてい た。
昭 和30年 に はア メ リカ 人
デ ザ
イナー、
ラッセル・
ライ ト氏の 提 案 に よ りデ ザ イン の改 善 に よ る、
日本の手工芸 品の対欧 米諸
国
へ の輸 出推進 計 画
が提 案
され伝 統
工芸 品 を 中 心 に多
くの商
品が
アメリ
カ 人等
の専 門家 を交
え た チー
ムにより改 善
され 送 り出
さ
れた。
こ の事業
は昭和
30
年 代後 半
まで続 け ら
れ多 く
の成 果
を一
ヒげ
、
後 に財
団法
人 日本 産業 デ ザイ
ン振 興 会
の 「日本優 秀 デ ザ
イン商
品 開 発指 導事 業
」へ と引
き継
が れた。
昭 和
33
年5
月 通 商 産 業 省 貿 易 局 にデ ザ
イン課 が新
設 され 政府
が 音 頭 を とっ てのデ ザ
イン振 興が積極 的
に行 な
わ れ るよう
に なっ た が、
昭
和30年 代 前 半 に は すでに 通商
産業省
の産 業
工芸 試験 所
(後
に製
品 科 学 研 究 所 )が欧 米か らデザ
イナー
を招
き新
し いデ ザ イン技 術
を紹 介
す る と と も に、
ジ
ェ トロ (日本 貿 易振 興
会 )
のデ ザ インハウ
ス や 財 団 法 人 口本機
械デ ザ
インセ ンター、
同
日本 輸 出雑 貨
センター
(
現
生活用
品振 興
センター
)、
同 日本 陶 磁 器 意 匠セ ンター、
同 日本 繊 維意
匠セ ン ター
等
の団体
が、
デ
ザ イン コ ン ペ ティ シ ョ ン、
セ ミ ナー、
講 習会
等の事業
を行 ないデザ
イン啓蒙
とデ ザ
イナー
の能 力 向
上に注 力を し て いた.
,
一
方
、
大学 等
に お け るデ ザ
イン教 育
も年
々充 実
し卒業
生 が 次々 に社 会へ 送 り出 さ れ多
くの企 業
でデ ザ
イン部 門が組織 され
る よ うに なっ た。
ま た、
こ の頃す
で に柳 宗
理、
秋 岡芳 夫
、
佐
々 木達
三、
由良玲 吉
氏 らの コー
業 デザ
イン の第
一
世 代
とされ
る方
々 が 活躍
されてお り、
私 自 身 デ ザ イン振 興 を進
め る上で 大変
にお世 話
にな
る と 共に多
く を学
ば せて いた だいた。
当 時のデ ザ イ ナー
の方
々 は それ
ぞれ 個 性 を も
っ ておられ
、
そ
れ が デ ザ イン ワー
ク に も色 濃
く 反映 され
て いた が、
商 品
のデ
ザ インが没 個
性 に な りがち な今
日大
いにこれ を学
ぶべき
であ
ろう
。
5 .
未 来
へ の助 走
昭 和30年 代 に 教育
を 受 けた世代
が、
今 多
くの企業
でデ ザ
イン 部 門の責
任 者の地 位 に 達 してい る。
こ の 世 代 は 終 戦の年 昭和
20
年 前 後
に 小学 校
へ 入学
し て お り、
いろい ろ な 形 で戦
中戦
後の混乱
と餓
え を体 験
してきてい る。
餓 死 が 珍 し くない時
代から高度
経済 成長
へ、
そ
して物 余
りの時代
へ
と周囲
の環 境 は 目 ま ぐ る し く変 化 を
した.
.
私
は自分
の原体 験
との余
りの違
いに 戸 惑いを 感 じる が、
これは単
に年
の差 だけ
では な く経
てき た 社 会の変
化 が他
の世 代
に 比べ 格 段に大 き かっ た か らであ ろ う。
しか し、
現在
市場
でも
て は や されて い るヒ ッ ト商
品の数々 は、
この 世代
の人達
のデ
ィ レ ク ション によるも
の である。
ま た、
当 時 デ ザ インを 志 し た 人 た ち は、
新
し い商
品や技 術
、
デ ザ イン手法
に接
する度 に感
動 を した が、
その度合 が 大
きかっ たことを幸
せ に思
っ てい る。
昭
和30
年 代 に基礎
を 堅 め た 日本
のデ ザ イ
ンは昭和
48
年
の第
一
次
石油
危機
を迎 え る ま で 力強
い発 展 を したのは周 知
の通 りであ
る。
ま た、
40
年 代前 半
まで に ほぼ完
全 に模
倣の時代
を抜
け 出 しデ ザ イン の創 造
に よ り商
品の付加 価 値
を向 上 さ
せ ると
いう
こ とが日本の産業 界
に定着
した。
これ らから考 える に
、
昭 和30年 代 は 来 るべ き 未 来へ の助走
の時 期
と し て高 く評 価 さ
れ るべき
であ
る と思う
。
今
目、
経済
の不 況
と共
にデ ザ イ
ンの活 力 も低 下
し て しまっ て いる が、
日本
のデ ザ
インの将 来
のた め
にも
、
歩
んでき
た道 を振
り返 り、
新
た な方
向 を 見いだ すこ とが 必 要 であ
ろう
。
デ ザ イン学 研 究 特 集 号 SPECIAL ISSUE OF JSSD Vol