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原発学習・福島調査のなかで気づいたこと,伸ばせた力 : ゼミ教育の実践(シンポジウム1 経済教育への社会の期待とは何か,これにどう応えるか)

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Academic year: 2021

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Ⅰ.はじめに

 専攻ゼミ(3・4 年生)での原発・エネルギー問題 に関する学びの実践を紹介し,本シンポジウムでの責 めを果たしたい。  1995 年から,神戸女学院大学で専攻ゼミを担当し ている。その間にテーマは大きく「経済と女性」「日 本軍『慰安婦』問題」「原発・エネルギー問題」と変 遷した。この中で今日のゼミ運営の基本をつくったの が「慰安婦」問題での学びであった。  そこで,まず「慰安婦」問題での学びの方法・内容 を紹介し,その後,原発・エネルギー問題での学びに 進みたい。なお報告の範囲は 3 年次の学びに限られて いる。4 年次は就職活動の中で個別の卒業論文を作成 するのが精一杯というのが実情である。 ※当日はスライドを用い,多数の写真を紹介したが, 紙幅の制約によりここでは多くを省略する。

Ⅱ.「原型」をつくった「慰安婦」問題の学び

 「慰安婦」問題をテーマとするゼミの開始は 2004 年 のことである。その後の「慰安婦」問題での学びにつ いては,次の 5 冊にまとめてきた。  ①神戸女学院大学石川康宏ゼミナール『ハルモニか らの宿題』(冬弓舎,2005 年),②『「慰安婦」と出 会った女子大生たち』(新日本出版社,2006 年〔韓国 語版,2008 年〕),③『「慰安婦」と心はひとつ女子大 生はたたかう』(かもがわ出版,2008 年),④『女子 大生と学ぼう「慰安婦」問題』(日本機関紙出版セン ター,2009 年),⑤『「ナヌムの家」にくらし,学ん で』(村山一兵との共著,日本機関紙出版センター, 2012 年)。  経済学者がなぜ「慰安婦」問題をテーマとしたかも 含めて,細部はこれらで確認してほしい。以下は学び の方法についてのみとする。 〔ゼミの時間は毎回 3 ~ 5 時間〕  授業は 1 コマ 90 分だが,我々のゼミは毎回 3 ~ 5 時 間となった。先にそう決めたわけでなく,必要と思わ れる学びを重ねた結果である。毎年のゼミ生募集の説 明に,これを明示し,ゼミ生はそれを承知で集まって いる。現在は,火曜の午後 1 時 20 分から 6 時前後まで が基本。休憩は 2 度ほど,3 時にはお菓子も配られて いる。 〔両極の意見に耳を傾ける〕  「慰安婦」問題については専門研究者の間にそれほ ど大きな意見の対立はない。しかし,政治の世界,メ ディアの世界には驚くほどの暴論もあり,これが学生 にも大きく影響している。そこで,先回りして整理せ ず,学生自身が両論─①日本軍と政府による国家犯 罪の事実を認め,被害者に謝罪すべき,②「慰安婦」 を名乗る者の商行為であり,日本社会が謝罪する謂わ れはない─の根拠を調べ,判断するようにした。   〔映像を多用する〕  教室では,基礎的な文献や史料とともに映像を多用 した。軍の史料で確認される最初の「慰安所」は 1932 年に上海につくられたもの。「満州事変」の翌年 である。侵略戦争という背景をリアルにつかむ上で, 当時の映像は貴重。「かつての戦争をどう評価するか」 と問えば,1 年生でも「侵略だった」「正義の戦争」 「仕方がなった」など,様々な意見が出る。にぎやか な議論になることも。しかし,そこで例えば日中戦争 での死屍累累の映像を見せると,途端に沈黙する。 「生半可な知識で論じてよいことではない」との実感 が生まれてくるのだと思う。  「慰安婦」被害者自身の証言映像は非常に重要。怒 り,嘆き,苦しみを,表情を見ながら,肉声で聞く。

原発学習・福島調査のなかで

気づいたこと,伸ばせた力

ゼミ教育の実践

The Journal of Economic Education No.34, September, 2015

Some Comments from Field Studies at Nuclear Power Plants in Fukushima: The Effect of Seminar Activities

Ishikawa, Yasuhiro

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それによって「テキストの中の問題」が「生きた人間 の世界の問題」になる。「慰安所」に通ったと語る日 本兵の証言映像もある。 〔フィールドワークの重視〕  フィールドワークにもかなりの時間を割いた。3 年 生の前期には,土日の 1 泊で東京へ行った。①日本で 唯一「慰安婦」問題専門の資料館である「女たちの戦 争と平和資料館」,②明治以降のあらゆる戦争を正義 の戦争だとする「靖国神社と遊就館」,③戦場で深刻 な障害を追った日本兵の戦後を記録する「しょうけい 館」などを見学した。  夏休みには,韓国を 3 泊 4 日で訪れた。少数だが 「慰安婦」被害者がまとまって暮らす「ナヌムの家」 (ナヌムは「分かち合い」の意味)を訪れ,直接証言 をうかがった。併設された「日本軍『慰安婦』歴史 館」も見学する。さらに 1919 年に「3・1 独立運動」 が開始された場所を記念するタプコル公園,ソウルの 日本大使館に「慰安婦」問題への誠実な対応を求める 「水曜集会」,侵略と植民地支配の歴史を展示する西大 門刑務所などにも行った。「水曜集会」の見学か参加 かは,学生各人の意思に任せた。 〔ゼミで本を出版する〕  5 冊の本の作成は,いずれも 3 年後期を基本的な作 業の期間とした。日本社会のあり方に責任を負う「大 人のたまご」として,この問題にどういう態度をとる か,それを検討した学生たちの回答が出版だった。  本づくりは学びの一定の集約だが,学生の姿勢はむ しろ日本社会への問題提起。まわりの学生に知らせた い,中学生,高校生に知ってもらいたいなど,出版を 重ねるたびに想定する読者も変わり,わかりやすいイ ラストを入れるなどの工夫もされた。 〔メディアの取材に応じ,講演を行う〕  若い学生が歴史問題を,それも女子学生がレイプに 関する問題を精力的に学び,成果を発表するとなると, 関心をもつメディアも現れる。「朝日」「毎日」「中日」 「赤旗」などが,研究室に何度も訪ねてきた。  学生に対する講演依頼も多数あった。これはゼミ自 体の取り組みではなく,個人として応じたい者がいれ ば応じるというもの。第1期安倍政権当時は年間30~ 50 回こなしていた。その様子がテレビのニュースで 放映されたことも何度かあった。学生の講演には,基 本的に私は同席しない。学生たちは,関東や四国にも でかけ,いくつかの雑誌に短い原稿も書いていた。  以上,概要である。先に紹介した 5 冊には,学びを 振り返る学生たちの座談会もある。ぜひ検討の材料に 加えていただきたい。

Ⅲ.原発・エネルギー問題の学び

 2012 年よりテーマを原発・エネルギー問題に変更 した。きっかけは「3・11」である。このテーマでの 積み上げは,まだ 3 年でしかない。以下,年度ごとに 学びの様子を紹介する。 1.2012 年度─原発問題の基本を学ぶ  テーマの変更にはかなり迷った。依然「慰安婦」問 題は重要である。しかし,3・11 以後の現実を前に, 自分の腰が落ち着かなくなった。問題を「遠くのこ と」としか感じられずにいる学生たちの姿に,もどか しさを感じたところもあった。「慰安婦」問題は別の 科目で学べるようにして,ゼミのテーマを転換した。  原発・エネルギー問題については,素人だが,「慰 安婦」問題に取り組んだ当初も同じであり,学生と一 緒に,基礎から学んだ。最初のゼミがはじまる直前の 春休みには,①放射線とは何か,②再生可能エネル

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ギーとは,③原発をめぐる日米関係,④被災地福島か らの声に,それぞれ焦点をあてた宿題を出していた。 当時の私自身の関心点でもある。  ゼミでは映像を多用した。「ETV 特集」「NHK スペ シャル」「サイエンス ZERO」など。原発の仕組み, スケール,事故の様子などが分かりやすかった。チェ ルノブイリとの比較,広島の「原爆症」からの推論, 低線量被曝の危険性,さらに使用済核燃料をフランス に運び,プルトニウムを持ち帰る輸送船を公海では米 軍が護衛するなどの映像も見た。  フィールドワークは,1 泊での福井旅行。福島に行 きたい,行かねばとの思いもあったが,何を見るべき かの判断がついていなかった。他方,学生からは,大 学から一番近い大飯原発まで直線距離で 90 キロ,そ の現場を確かめたいとの声があった。  大学最寄りの JR「西宮」駅から電車で移動。松下照 幸さん(元美浜町議)の「森と暮らすどんぐり倶楽 部」を訪ね,美浜町での原発反対の取り組みと福井県 の活断層,地震の危険についての話をうかがった。夜 は自炊の後,その場でテント泊。翌日は小浜市の宝明 寺へ向かい,住職の中嶌哲演さんから,小浜市に原発 を建設させなかった取り組みをうかがった。  さらに関電の「エルガイアおおい」や「美浜原子力 PR センター」も見学した。福井県では大きな事故は 起こらないと熱心に語る職員さんの話もうかがった。  この企画で,学生に強い印象を与えたのは,原発の 「地元」には,立地地元の他に,被害地元,消費地元 があるという中嶌さんのお話。福井の原発でつくられ た電力の大量消費地元は,京都,大阪,神戸で,学生 たちは自分こそが原発の直接の利用者だったと気づか される。「地元の人は」などと他人ごとのように語っ ていた自分を恥ずかしく思うようになった。  夏休みに,福島へ行くかもと空けておいた 4 日間が あり,相談の結果,これを本づくりに向けたディベー トに使うことに。毎日お昼から夕方まで。後期の授業 も本づくりに費やし,難産だったが,『女子大生のゲ ンパツ勉強会』(新日本出版社,2014 年)を原発問題 での 1 冊目として出版した。  学びをふりかえる学生座談会もおさめている。タイ トルは「じっくり学んだら見えてきたもの」。小見出 しは「1・基本がわかっていなかった─学び始めた 頃」,「2・『地元』のインパクト」,「3・『伝えること』 を考えて」となっている。  最初は,原発の仕組み,放射能とは何かもわからな かった,そういうところからの出発。福井でのフィー ルドワークが大きな刺激になり,3・11 後の官邸前だ けでなく,はるか以前から,全国各地にこの問題に取 り組む人がいたということも知った。さらに「学んで 良かった」で終わらせるのでなく,社会にはたらきか けるためにどうするか,などを話し合っている。  この年の 5 月に,大学のある西宮市の原発ゼロを目 ざす会から,学生に集会で発言してほしいと依頼が あった。しかし,参加は 2 名。学びはじめたばかりで, 問題への判断も定まっていなかった。それが,秋の大 学祭での企画には 15 名全員が参加し,12 月に神戸で 行われた被災者支援のチャリティー企画では,日曜の 寒い日に全員で原発のブースを担当した。この時には, それぞれが自信をもって自分の意見を語れるように なっていた。仲間同士での励まし合いも大切だった。 2.2013 年度─はじめて福島へ  2013 年度の 3 年ゼミは 7 名でスタート(留学からの 帰国者があり途中から 8 名に)。現在,4 年生として就 職活動と卒業論文作成の両立に苦労している。  この年は,被災地福島の実情に焦点を当てた。事故 から 2 年。被災地の実情を知らせるテレビニュースは

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少なくなっており,そこを本学の学生全体に伝えたい との思いもあった。  7 月には福井県へ日帰りの視察旅行を行った。敦賀 の原子力館を見学し,前年同様,妙通寺で中嶌さんの お話をうかがった。  9 月には,ゼミとして初めて福島へでかけた。初日は, 朝 8 時半に伊丹空港に集合。遠方の学生は前日から近 くの友人宅に泊り込んでいた。一路,福島空港へ,JR で福島大学へ。夏休みの福島大学のグランドには,陸 上競技などで汗を流す学生の姿がたくさんあった。学 食で昼食をとりながら,学生がつぶやいたのは「福島 に来て,マスクをした人に出会っていない」ということ。 誰もが放射能を警戒してマスクをしているという先入 見があった。それが,現地の事実によって裏切られる。  4 日間の予定は,福島大学の丹波史紀先生に組み立 てていただいた。大切な情報の届かぬ関西の学生に, 何を見せたいか,思うとおりに組んでほしいとお願い した。初日は,福島大学で「福島の現状」について丹 波先生のお話をうかがい,夜は,福島駅周辺のホテル にチェックイン。翌日以降お世話なるみなさんと一緒 に懇親会を行った。   2 日目は,福島市から川俣町,飯舘村,南相馬市を 通って浪江町に入った。浪江町は2013年3月末まで警 戒区域に指定され,一般の人間は立ち入ることができ なかった。その間,復興の作業が行われなかったので, 街中には 3・11 当日のままに,クルマや船がゴロゴロ 転がっている。津波による瓦礫も山をつくっており, 壊れかけの建物もそのまま。  浪江町役場では,復興推進課の小林直樹さんから 「現状と復興の計画」についてのお話をうかがった。 副町長の渡邉文星さんからは「見たままのことをまわ りの人に知らせてほしい」との訴えも受けた。  3 日目は,福島大学の石井秀樹先生から「食と農の 現状」についてうかがった。流通している福島の食べ 物を食べてよいのかは,学生の大きな関心だった。放 射能とは何か,汚染された土から植物への放射性物質 の移行など,基礎からたっぷり話していただいた。  流通しているものは線量のチェックを受け,基準を 満たしたもののみ。さらに限りなく線量の低い作物を つくる研究が行なわれている。具体例として,稲作実 験の現場も見せてもらった。コメは,野菜に比べて土 壌からの移行が少ないが,調べてみると,少数だが汚 染の高いコメが出た。中山間地域の谷間の水田という のが共通項。問題はセシウムによる水の汚染。そこで カリウム肥料を増やし,セシウムの吸着量を少なくす るなどの工夫がされている。そういう仕事を農家との 共同で行う研究者としての姿勢にも感銘を受けた。  4 日目は午前中だけだが,自由時間。学生たちは, 福島市内の果樹園を訪れ,果物を食べながら交流して いた。「おいしい」と感想を述べるだけで喜んでもら える。3・11 をきっかけに連絡のとれなくなったお客 さんもあるとの話に,その後の苦労や苦悩を想像させ られる。私は別行動をとって福島県の共産党本部を訪 ねた。3・11 以後,県内の政治にどのような変化が生 まれているかをうかがうためである。  この 4 日間の体験を基本につくったのが,『女子大 生原発被災地ふくしまを行く』(かもがわ出版,2014 年)。福島でお世話になったみなさんのお話も,収録 させていただいた。学生座談会のタイトルは「行って, 感じて,考えたこと」で,小見出しは「1・被災と復 興の状況をうかがって」,「2・全町避難の浪江町に 入っていく」,「3・福島の食と農をうかがっていく」, 「4・果樹園のみなさんの努力と温かさ」,「5・旅行の 全体をふりかえって」。  秋には学内報告会を行った。視察の結果を聞かせて ほしいと要望があり,福島の被災をテーマに演劇を行

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う劇団のみなさんと学内で交流する機会もあった。 3.2014 年度─広島と福島へ  今年度(2014 年度)のゼミ生は 11 名。この学生た ちは,先輩たちの取り組みを,本や報告会で知ってい る。「本をつくりたい」という希望も少なくない。学 び初めにはゼミの 2 冊の本をテキストに。  この学年のテーマは「原発と核兵器」。原発の基本 の他に,核兵器とは,核兵器をめぐる世界政治,広島 の被爆,「原爆症」の実態などをテキストや映像で。  フィールドワークの 1 度目は,1 泊 2 日での広島旅 行。広島県原水爆被害者団体協議会の大越和郎事務局 長から被爆体験をうかがい,労働者教育運動をつうじ た友人である二見伸吾さんの案内で広島平和記念資料 館も見学した。2 日目は小雨の中,平和公園周辺にあ る各種の碑を見学し,午後からは広島県原水爆禁止協 議会の高橋信雄代表理事のお話をうかがった。  修学旅行などで広島の資料館を訪れたことのある学 生もいたが,熱線と爆風の悲惨に加え,「放射線で人 を殺す武器」について認識を新たにした。  9月には,3泊4日で福島へ出かけた。ゼミで出版し た本を読み,「福島のここを見てほしい」と連絡を下 さった方があり(大貫昭子先生・福島県立高等学校教 職員組合女性部長),3 日目のスケジュールをお任せ した。  1 日目,飛行機で福島空港に到着して,すぐに川内 村に入った。被災後に新設されたコドモエナジーの工 場見学の後,ここで福島大学の丹波先生から「福島の 現状」についてうかがった。川内村では,村長が早い 段階で「帰村宣言」をした。復興の努力が重ねられて いるが,もどった人は元の人口の 1 / 3 程度とのこと。 これを加速するために仕事起こしや村による企業,店 舗の誘致が行われている。除染は大規模に進められて おり,その廃棄物の仮置き場も見せていただいた。被 災のために活かせなくなっている観光資源も見学。こ の日は川内村に宿泊した。  2 日目は,浪江町へ。川内村から直線距離だとわず かだが,線量が高い帰還困難区域を避け,午前中いっ ぱいかけての移動となった。町には前年からの変化が いくつか見えた。帰町準備に入った人のための家庭ゴ ミの収集と焼却場建設の準備,稲作の実験場。新しく オープンしたガソリンスタンドもあった。しかし,走 るクルマがほぼ皆無というのも現実。町の一部を集中 的に開発するコンパクトシティ構想が示され,復興の 計画にも変化があった。お話は復興推進課の蒲原文崇 さんにお願いし,前年お世話になった小林直樹さんに も同席していただいた。夜は南相馬市の民宿に宿泊。  3 日日は,大貫先生にお会いし,殺処分を指示され た牛を「希望の村」で飼いつづける吉沢正己さんのお 話をうかがった。午後は相馬市に移動し,福島県水産 課の平川直人さん,松下護さん等 4 人の若い漁師さん から漁業と生活の現状をうかがった。3・11 当日命懸 けで船を沖に出した話,操業停止の中で海の瓦礫処理 などの仕事でつなぎ,漁業の全面再開に向けた努力を 重ねているなど。市場に流通している海産物は,もち ろん厳重なチェックを受けたもののみ。  さらに,大貫先生から被災地の子どもたちの転校, サテライト校の設置と縮小など揺れる県の教育行政, 避難家庭の一部にある生活の荒み,その中での子ども の育ちの困難,被災者でもある教員の苦労などをうか がった。最後は,福島県農民運動連合会の三浦広志さ んから,特に政府との交渉の具体的な様子のお話も。  福島県は広く,被災の状況や生活の困難は実に様々。  最後の 4 日目,学生たちは前年と同じ果樹園に行き, 前年訪問した先輩がつくった『女子大生 原発被災地 ふくしまを行く』をお届けした。私は今回も共産党の

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県本部で,政治の動きについて教えていただく。福島 県知事選挙の直前だった。仙台空港を 6 時前に離陸し, 7 時ちょうどの大阪空港着となる。  後期の授業では,やはり本づくりに挑んでいる。 2015 年は広島・長崎の被爆 70 周年。それとあわせて 3・11 を考える本を。ただし「原発と核兵器」の双方 を視野におくのは,これまで以上に難しく,まだはっ きりした見通しがない。

Ⅳ.ゼミ運営の心がけ

 最後に,ゼミでの学びについて気をつけていること のいくつかを。 〔教員の主張を前に出しすぎない〕  学びの主体はあくまで学生。「慰安婦」問題ほどで ないにせよ,原発・エネルギーについても政治やメ ディアの様々な意見が学生たちに届いている。教員が 自己の主張を繰り返すだけでは,「先生はそう言うが, 本当のところはどうなのだろう」との疑問は解けない。 持論をまったく述べないわけではないが,それ以上に, 学生たちの自発的な学びを導くことに力点を。「本当 のところはどうなのだろう」を,学生が自分で探りに 行くのをサポートする役目。 〔どういう主張も許される〕  学生が安心して,どんな主張,発言でもできる環境 を。「電力会社の主張にも一理ある」「深刻な被災は半 世紀に一度のこと」といったことも,教員やまわりの 学生の顔色をうかがうことなく発言できる場をつくる。 そうでなければ,学生が自発的な学びのスタートライ ンに立てない。学生同士,学生と教員の信頼関係づく りが大切。 〔たくさんの大人と接する〕  閉じられたゼミの中だけでは,「本当のところはど うなのだろう」という疑問を拭いきれない場合もある。 そこで,多くの大人と接する機会を。フィールドワー クの場では,私はほとんど何も学生に話をしない。福 島では福島の,広島では広島のみなさんの話を聞く。 それを消化するのは学生 1 人 1 人の個人の作業。ゼミ でふりかえりの時間はつくるが,目的は石川の解釈を 伝えることではない。各人のあたまの整理。肝心なの は学生の認識の発展であり,自分で学ぶ力を育てるこ と。 〔それぞれの違いによりそう〕  学生が進んで問題に向き合うようになるには時間が かかる。個人差も小さくない。そこで「進んでいる」 学生だけに目を奪われず,学生全員に目を配り,それ ぞれの主体的な動きを待つ忍耐を。映像を見せれば寝 る学生もいる。カバンに隠れてスマホをいじる学生も いる。それでもその学生なりの前進はある。それをど う加速させるかがこちらの課題。 〔大人に育つことの自覚を促す〕  自発的な学びの刺激には「大人になるため」との指 摘も大切。「子どもは大人社会に育てられる」「キミた ちは卒業すれば大人社会の一員」「社会のあり方に責 任を持つ立場に」。そういう角度からの刺激。この社 会は原発・エネルギー問題にどう対処すべきか,それ を人ごとでなく自分の問題として考える姿勢の必要を 伝えること。 〔社会と自分の関わりも〕  ある学生から「自分と社会を結びつけて考えたこと がなかった」と聞かされた。学生運動があった時代の ように,社会に目を向けさせる力は強くない。少なく ない学生の日常は,家と大学とバイト先と部活の往復。 社会からの影響を受け,社会に影響を与えることがで きる関係を,具体的に考える機会を提供すること。 〔教え込みでなく自発性を〕  あらためてふり返ると,私の心がけの中心は,学習 テーマに関する情報以上に,学生が自ら学ばずにおれ なくなる構えをつくるところにある。教え込むのでな く,学びへの主体性をいかに引き出すか。教室でのテ キストや映像,フィールドワーク,先輩の本,社会の 中の現状転換への努力,避難生活の実状,講演依頼の

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伝達など,すべてを「学習」の素材だけでなく,学生 たちの「育ち」(大人への,責任ある主権者への)の きっかけとして。そこにゼミ運営のいくらかの特徴が あるか。ご検討をお願いしたい。 ※上の報告の後,学生,赤瀬安奈(あかせあんな), 中村真理七(なかむらまりな),山下愛加(やま したあいか)による福島での学びの紹介が行われ た。以下,当日,学生が使用したスライドである。

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参照

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