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ドイツ企業管理論の検討方法に関するノート--今野 登教授の近著を巡って---香川大学学術情報リポジトリ

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第65巻 第4号 1993年3月 71-101 自汗究ノート

ドイツ企業管理論の検討方法に関するノート

一一一今野

登教授の近著を巡って一一ー

渡 辺 敏 雄

I 序 ドイツにおける経営学説は,本邦では詳細な検討対象となってきた。その際,その 成立期やその後続の時期の諸学説ならびにまた第2次大戦後のドイツ経営学について も,活発に紹介と検討がなされてきている。 ところが,第2次大戦後今日に至る時期について, ドイツにおいても,本邦の事情 とよく似て,英米流の経営学の基本的潮流たる管理論的方向の影響が徐々に大きく なってきた。そして,ドイツにおいては,経営学を管理論として考える方向は,今日, もはや経営学の有力な方向の 1つとなった感がある。ドイツにおける管理論的方向の この定着期間に,管理論と解される学説としてどのようなものが出てきて,それらは どのような特質を持っているのか,は当然科学的関心の的となってもよいはずである。 だが,寡聞なわれわれは,そうした諸学説の検討をなした研究書を多くは知らない。 このような事情の中で,今野 愛武蔵大学教授によってかつて世に問われた『ドイ ツ企業管理論~ (千倉書房, 1978年刊行)は,研究のこの間際を埋めるものであった。 さらにこの度,教授は,その書物で取り上げられた学説よりも最近のドイツ経営経済 学説を主たる対象とした研究の成果を発表した。 今野登著『現代経営経済学一一多元論的展開一一~ (文員堂, 1991年 1月刊行)が

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欠2 香川大学経済論叢 558 それである。「本書は

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グーテンベノレクとかれの学説の影響が後退したのちの,西ドイ ツにおける経営経済学の全体像を伝える」ことを意図している。本書副題に見える「多 元論的展開」という語の意味は rおよそ

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年代末までにグーテンベルク的体系の 一元論的支配は終わりを告げたのであり,それにたいして多元論的展開が現代経営経 済学の特徴であるJ(はしがき, i頁)という見方に現れているように,グーテンベルク 経営経済学の支配的影響との対置で理解されるべきなのである。つまり,現代経営経 済学は rそれの展開の内実からすれば,きわめて多種多様なものがあるJ(はしがき, i頁)のである。 だが,内容からすれば,多種多様なものがあったとしても,現代経営経済学の全体 的特質理解に関しては rそれ(経営経済学一一渡辺)の基本的性格にかんして経営経 済学の経営管理論への転化が規定J(はしがき, i頁)されている。すなわち,今野教授 の見解によるならば,現代経営経済学は「等しく企業の管理論である

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(はしがき, i頁) ということであり,現代経営経済学は,その特質に関しては,管理論に収飲してきて いるというのである。こうした位置づけは,上記の前著 (W ドイツ企業管理論~)から 持ち越されたものであると解されるが,前著の研究対象になった学説よりも新しいド イツ経営経済学説もまた,全体として眺めた際には,管理論として見られるというの が今野教授の基本的認識であるとわれわれは見てよいであろう。 今野教授の基本的認識はそのようなものであるが,さらにわれわれは教授によって 強調される次の言葉を見逃せない。「そして主要学説の分析にあたって,とりわけ技術 学 (technology),実践学 (praxiology),行動研究,システム理論,科学理論(哲学) などの基礎的諸科学にまで考察を深めたことが本書の特質であるといえよう。J(はし がき, i頁)われわれは,この引用文から,教授が個々の経営経済学説を分析する際に は,教授の言う意味での基礎的諮科学もまた考察されるということを窺い知る。 ここに,今野教授はその近著 r現代経営経済学一一多元論的展開一一』において, 現代ドイツ企業管理論に関して,個々の学説の基盤にまで立ち返りながら検討をなす (1) 今野登現代経営経済学一一多元論的展開一一れはしがき頁。なお以下の本 文において,引用はすべてこの書物からおこなうので,その際には書名を記さず,単に 引用頁数のみを括弧内に記載することとする。また,脚注では今野,前掲脅』と記す が,それは排他的にこの書物のことをさし示す。

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ことを試みていると解されうる。それ故,教授の試みを取り上げ詳細に分析すること は, ドイツ企業管理論の検討方法について関心を寄せるわれわれに当然樽益するであ ろう。 「ドイツ企業管理論の検討方法に関するノート一一一今野 登教授の近著を巡って 一一ー」と題して本稿を記すゆえんである。 II 個々の学説検討の要旨とそこにおける問題点 今野教授は,アノレバッハ (HAlbach),ハイネン (EHeinen)やその他の著者によ (2) (3) りつつ,経営経済学の変貌として,その管理論への転化を確認する。そして,第3主主 を含むそれ以後の章において,個々の経営経済学説が検討される。 その際の個々の経営経済学説としては,ハイネン,ウルリッヒ (H

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rich),グロツ ホラ (EGrochla),シャンツ (GSchanz),キノレシュ (WKirsch)の経営経済学説 が,この順序で取り上げられる。 ハイネンは,初めから実践的科学目標を強調して,かれの提唱した意思決定志向的 経営経済学は応用経営経済学として現れた。応用志向的経営経済学は,すぐれて技術 学として現れるとする今野教授は,ハイネンの学説の分析に入る前に,技術論の哲学 的研究を提示する。 技術論の哲学的研究がここでもちだされる意味は,もとより,技術論の特質を明確 にするためであり,とりわけ,理論的研究の特質と照らし合わせた場合の技術論の特 質を明らかにするためである。 技術学の目標は,純粋な知識獲得よりも rむしろ成功的な活動J (89頁)を達成す ることであり r技術学にとって知識は主として一定の実践的目的の達成のために適用 される手段であJ(89頁)る。ここに見られるように技術学において知識あるいは理論 が使用され,その限りでは「理論は純粋科学ばかりでなく応用科学でも大きな役割を (2 ) 今野,前掲香, 41頁一72頁。 (3 ) 今野,前掲筈, 73頁以降。 (4 ) 今野,前掲書, 74頁。 (5 ) 今野,前掲書, 74頁。 (6 ) 今野,前掲書, 75頁-94頁。

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-74ー 香川大学経済論叢 560 演じJ(88頁)るが,やはり技術論にはそれの独自性がある。なかでも,技術学におい ては,一定の出来事がもたらされるあるいは妨げられるように環境に介入する方法が 研究されるので,この過程では手段が持つ効果の予測と,一連の達成するべき目的に (7) よるそれらの手段の評価が前提にされる。技術論を展開する者は,この評価の前提と なっている,手段の適用対象となる場面に自身を

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置くことになり,このことがかれに 先入見をもたらす。 そして,純粋科学においては,言明の判断基準は真理性であるが,技術論において は有効性が言明の判断基準であると考えられる。両者における判断基準の飛離は r仮 説の真理性と実践的有効性の不一致の可能性J(91頁-92頁)とも表現され,特にこ の点から,技術論と理論は異なるということが明確になり r実際には,理論は(技術 論的意味では一一渡辺)成功的で,かつ(純粋科学的意味では一一渡辺)偽でありう るし,反対にそれは実践的失敗で,かつ殆ど真でありうるJ(91頁)という事態も発生 しうることとなる。純粋科学的に誤った理論が技術論的には有効な理由としては,例 えば,技術論で要求される精密性が純粋科学で要求されるそれよりも低く,粗雑で簡 単な理論も技術論の展開という場面ではその判断基準である有効性を十分満たすこと が考えられる。 こうした形で今野教授が技術論に関する哲学的研究を紹介することの意図は,とり わけ,技術論あるいは応用科学の展開は理論あるいは純粋科学の展開とは違った判断 基準で進捗するのであり,前者の判断基準は有効性の確保及び増進であり,後者の判 断基準である真理性の追求とは異なるということを強調したかったからに他ならない と解されうる。 さて,われわれは,技術論として把握されるハイネンの提唱による意思決定志向的 経営経済学についての今野教授の検討に話を進めよう。 ノ、イネンの意思決定観を理解する上で重要な概念区分は,意思形成と意思貿徹との 区別である。かれは,概念規定の上では,管理を経営政策ないしは戦略の決定と殆ど (7) 今野,前掲書, 89頁。 (8 ) 今野,前掲香, 89頁-90頁。 (9 ) 今野,前掲舌, 90頁。 (10) 今野,前掲雪, 92頁。

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同義のものとして,すなわち経営における最高意思決定形成として把握していたので あるが,事実上の管理論の展開過程においては,かれとかれの学徒においては,意思 貫徹の問題つまり人間指導の問題が主として取り上げられた。この点を今野教授は次 のように言う。「意思決定志向的発想は組織的意思決定過程を思考的に意志形成と意志 貫徹の諸局面に分解するのごあり,人間指導の意味での管理は意志貫徹の局面に帰属 させられる。J

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頁) こうした人間指導の意味での管理論は,ハイネンの学徒によってその後さらに展開 され,かれらの見解においては,ハイネンにおいて未だ欠落していた管理に関する理 論的な枠組が示されるとともに,それにまつわるいくつかの要素が追加的に考慮され ることとなった。その際,理論的枠組としては,基本的には2人の人間の聞の情報の 交換に関する枠組の中に,動機付け,権力,コンフリクトという変数を関連づけよう としたものが考えられている。 ハイネンとその学徒の管理論に関しては今野教授は次のように論じる。「要するに, ノ、イネンにおいては諸制度の管理もまた人間指導に帰着されるのであり(そうした指 導論にとどまる),そのさいにはいわば出来上がった組織とそこでの権力関係が論理的 に前提されている。J

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頁)この引用文に明らかなように,既存の組織の枠組の中で の人間指導論というのがハイネンの管理論の内容なのである。 また,既に今野教授の見解として紹介したが,ハイネンは,意思形成の問題を主と しては取り上げておらず,教授の解釈によれば,意思形成の問題は経営政策ないしは 戦略の問題として把握されているのであるから,それらの問題はハイネンの管理論か らは脱落するということになる。 このことを教授は次のように言う。「ハイネンなどでは管理論はなお部分的理論にと どまっていることが見逃されえない。J

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頁)rハイネンとかれの学徒においては管 理論は人間指導の研究にとどまり,諸制度の管理のそれとしての展開は期待すべくも ないJ (1

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頁)のである。 以上が,ハイネンとその学徒の管理論についての今野教授の見解の要約であるが,

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今野,前掲香,

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今野,前掲香,

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-76 香川大学経済論叢 562 われわれはここで次の諸点に気づく。 第 lに,今野教授が,管理論においては人間指導論を部分的理論として位置づけ, これに対置させる形で r制度の管理」という概念を出してきていることである。つま り,教授の見解では,管理論においては,人間指導論とならんで少なくとも制度の管 理論が存在するのである。 第2に,ハイネンとその学徒の人間指導論が部分的理論に「とどまっている」ので あり,かれらの見解には諸制度の管理のそれとしての展開は「期待すべくもない」と する今野教授の表現には,ハイネンとその学徒の管理論に対しでかなり強い否定的な 評価が看取されうる。われわれはここで次の疑問を呈することができる。人間指導論 は管理論の特定の1つの専門領域であって,そうしたものの展開の中に,教授の言葉 で言う制度の管理まで期待するのは難題的な注文ではなかろうか,と。制度の管理論 的な傾向を持つ学説と人間指導論的な管理論とは,相互の扱えない領域を補完し合っ ているという関係があるのであって,人間指導論がある種の部分と解されるが故に否 定的に評価されるゆえんはない。このことを換言すれば,われわれは次のような疑問 としてあらわすことが出来る。今野教授の見解には,ある種の「全体」を感じさせる ような対象を考察しているという理由をもって,制度の管理を考察している説を,単 なる「部分」を考察している説よりも良しとするような評価があるのではなかろうか。 なぜある種の「全体」を感じさせるような対象を考察していると,単なる「部分」を 考察している説より高い評価がなされるのかについての立ち入った根拠はついに今野 教授の見解には看取されない。それ故,われわれは,特に合理的な根拠が明示されな いという理由で,教授によるそうした評価を一種の感覚的な評価と見なさざるをえな し〉。 第3に,われわれは技術論の哲学の紹介とハイネンの学説の検討との関連について 次のことに気づく。今野教授はハイネンの管理論ないし教授が考察対象にしている管 理論の全体を技術論であると考え,ハイネンの学説の検討に入る前に技術論の哲学を 紹介していることについては,われわれは既に触れた。そこでは,純粋科学に対置さ れる形で,技術論の特殊性が論じられていた。ところが,ハイネンの学説の検討にお いては,技術論のそうした特殊性の指摘が活かされているという痕跡をわれわれは見

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いだすことはできなかったのである。われわれ自身がもしあれだけの頁数を割いて技 術論の哲学について論じるなら,そうした意味での技術論がハイネンの学説のどの部 分にどのような形で展開されているのかを究明せざるをえなかったであろう。換言す れば,ハイネンの管理論が技術論としては何を意味しているのかの究明を怠るわけに はいかなかったであろう。 システム志向的経営経済学として特徴づけられるウルリッヒの管理論の検討に際し でも,ハイネンの学説の分析の際と同様,今野教授は基礎的諮科学の紹介から入って いる。 この場合の基礎的諸科学として紹介されているのは,システム発想である。そこで 紹介されていることは,主としてシステム発想、の科学的特質であり,特に,システム 理論の中で展開されるものが「経験科学的に説明的な理論J(1l5頁)ではないのであっ て,システム発想、は,いかなる法則も知られていない場合にすら効果性の視点のもと で使用可能なモデノレ構想、の原型である,といったことである。この意味は,システム 発想の中で展開される科学的産物は,現実の説明に役立つ法則ではなくて,それに従っ て現実が形作られるべき模型である,ということだと解されうる。その意味で,シス テム発想、はすぐれて形成志向的あるいは応用志向的なのである。 システム発想においては,全体,要素,関係,秩序という概念が重要であり,計画 性,目的志向性,動態性,開放性といった特質も,たとえすべてのシステムがそれら の特質を備えているわけではないとしても,システム発想、においては導入されている。 このことを踏まえると,システム発想における課題としてなにが要素として全体に 編成されるべきであろうか,そしていかなる諸関係がシステムの内部で,また外部に たいして作られなければならないのか,といった諸問題J (122頁)が提起されると言 われる。さらに,サイバネティックスの主要関心である操作および制御の側面が付け 加わる。サイバネティックスの課題もまた形成志向的なものであり,その基本的思考 は rすべての動態的で目標志向的なシステムに妥当する形式的な形成諸原則が存在す (13) 今野,前掲窪, 111頁-120頁。 (14) 今野,前掲醤, 117頁。 (15) 今野,前掲香, 121頁ー122頁。 (16) 今野,前掲害, 124頁-126頁。

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-78 香川大学経済論叢 564 るということである。J(124頁-125頁)その際のサイバネティックスの展開の対象は, フィードパックを伴う一種の自力安定機構である制御システムである。 ここまででは未だ考察は抽象的である。システム志向的経営経済学においては,さ らに r実際に解決されるべき諸問題に到達するJ(130頁)という目標が置かれ,その ために分析的に,具体的に研究しようとする際の「分析的秩序システムJ (130頁)の 必要性が意識されている。この秩序を賓す機能の基準,考察水準の基準,問題範鴎の 基準という 3つの基準が示され,そのうちでも企業の機能諸領域の基準が重視されて いる。企業は,第1次的にはこの機能の基準で分析され,それらの機能に属さない「企 業の全体管理J (134頁)にも,上述の第 2,第 3の基準,特に第 3の問題範騰の基準 が適用される。この基準に従うと r企業において解決されるべき諸問題は動態的シス テムの形成と統制の問題として考察されるのであり,システムが達成すべき目標の決 定,目標対応的に行動できるシステムの形成,そしてシステムにおける目標志向的行 動の展開という三つの問題諸範鴎に区別される。J(132頁)こうした形で解決されるべ き問題の分析への到達が試みられ,このことを通じて企業全体について問題の分析が なされるのである。 ウルリッヒは,このうち企業の全体管理に相当する部分については,さらに企業政 策という形で議論を展開する。 (19) 今野教授の紹介に従うと,ウ/レリッヒの意味のおける企業政策は,より抽象的なも のとして企業指導像と,より具体的なものとして企業構想ならびに管理構想を含んで

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いる。企業政策については r包括的で統合的な管理の理想像を志向する構想が開発さ れるべきでありJ(138頁-139頁),企業政策は,他の部分システムと結合しなければ ならない,包括的な全体管理システムの部分として把握されることを意味する。 ウルリッヒは企業政策論を展開するにあたって,問題解決理論を適用する。 問題解決理論はこの場合には,決定までの過程を,投入情報の収集に始まり,意思 (7) 今野,前掲議, 130頁 133頁。 (18) 今野,前掲書, 133頁。 (19) 今野,前掲脅, 137頁-148真。 (20) 今野,前掲書, 138頁ならびに 141頁。 (21) 今野,前掲書, 139頁。

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決定過程の展開,最終的な産出結果の決定に終了する,これらの3つの段階を経る↑青 目 白 報処理過程として見ているわけて?あるから,それを企業政策に適用することによって, 企業政策の展開の過程のそれぞれの段階でどのようなことが問題になるのかが議論さ

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れることとなるのである。 以上がウルリッヒの管理論に関する今野教授の紹介の要約である。われわれは,こ こでまた気づいたことを記しておこう。 第1点は以下のことである。今野教授は,システム発想、が含んでいるサイパネティッ クスの課題との関連で,次のように言う。「サイバネティックスはそのような(発信さ れた報道と受信された報道の同一性を侵害するような一一角渡辺)撹乱の諸現象とそれ らの除去の可能性を詳細に取り扱っている。しかしそれとともに動機づけ理論的な視 角は広範に失われ,経営経済学は管理論としてもいわゆる人間指導(リーダーシップ) の取り扱いを欠き,ひいては組織開発論の展開を妨げることになるのではないかと思 われる。J(126頁)つまり,教授は,サイバネティックスあるいはそれを含むシステム 論的構想、には動機づけ的構想が見られないということを論難しているのである。 ここでこの点に関して,われわれは,今野教授がハイネンとその学徒の管理論に対 して,かれらの管理論には制度の管理に関する取り扱いが見られないという批判的な 見解を表明していたことを想起する。この見解を前提すれば,教授は,一方で,人間 指導論的な管理論には制度の管理の側面が欠落すると言い,他方で,全体の管理を主 たる対象とした学説には人間指導の側面が欠落すると言っているように間こえるので ある。このことに関しては,それぞれの管理論はそれぞれの独特の課題を持っている, ということではないのだろうか。これがわれわれのここでの疑問である。 第2点は以下のことである。システム論的構想、固有の概念として,全体,要素,関 係,秩序というものがあったことは既に触れられた。システム論に従えば,組織ある いは企業が全体としてどう形作られるのか,また,何が要素として全体に編成される べきであり,いかなる諸関係がシステムの内部で,また外部に対して作られなければ ならないのか,ということが問題となるのであった。「システム志向的経営経済学の提 (22) 今野,前掲害, 141頁。 (23) 今野,前掲書, 141頁ー145頁。

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-80ー 香川大学経済論叢 566 唱」の節でこうした基本的問題について触れられているのであるが,企業政策論の展 開という場面におけるこうした基本的問題の活かされ方をわれわれはどのように理解 したらよいのであろうか。われわれはこの疑問について敷術しておく。 確かに,企業政策は,他の部分システムと結合しなければならない,包括的な全体 管理システムの部分として把握されることが要請されていたのであって,この要請に は,全体的な管理システムというものがあって企業政策はそこに組み入れられるべき lつの要素として理解されるべきだという要求が含まれ,この要求においては,全体 としての管理システムの構成ならびに企業政策のその中における他の要素との有効な 関連等が問題となるのであろう。一応ここに,上述のシステム論的構想が適用されて いるとわれわれは言うことが出来るであろう。 ところが,今野教授が実際に力点を置いて紹介している方法はこちらの方ではなく て,教授はむしろ,ウノレリッヒにおける企業政策論の展開が「問題解決理論」の適用 をなしているということに着目した紹介方法を採用する。碓かに問題解決理論はその 中における情報の質を含めた情報処理という側面を強調していて,そうした側面の強 調は,システム論的構想が含んでいるサイバネティックスの構想に由来しているのか もしれない。そうであるとしたら,ウノレリッヒの企業政策論はサイバネティックスひ いてはシステム論的構想の適用例かもしれない。だが,われわれはやはり,今野教授 が折角提示したシステム論の基本任務である全体形成や諸要素の内外の要素との有効 な連結や組み込みという問題意識が,ウルリッヒの企業政策論でどのように活かされ ているのかを知りたかったのである。この意味での活かされ方の解明ぬきでは,ウノレ リッヒのシステム志向的経営経済学説とかれの企業政策論が十全に噛み合わないまま になっているという印象をわれわれは否むことはできない。要するに,ウルリッヒの 企業政策論はどこがシステム論的なのかという疑問が解きほぐされていないままに なっているのである。 グロッホラについては,かれが「統合的な実践論的組織理論J (149頁)を提唱した とされ,今野教授は,ここでもまず、教授の言う基礎的諸科学に相当する実践学に関し (24) 今野,前掲書, 120頁ー128頁。

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て紹介す

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。その紹介からわれわれが知りうることは,技術論とはどのようなものか を巡る議論であり,それも実践学は「諸行為の有効性の諸条件の観察をとおして人類 が長いあいだに獲得して来た直観的な知識を体系的で正確な方法で意識にもたらす試 みとして理解されるJ (156頁)という定義的なことと,後はわずかに,教授によって 特に岨鴎されも解釈されもせず,深められでもいない実践学の3つの構想、の紹介的な 側 ことだけである。 今野教授がグロツホラの経営経済学説を紹介する場合の軸は,それが「組織理論的 諸構想の統合J (163頁)ならびに後にはさらに「組織実践のための思考的関連枠組み の展開J (167頁)を目指していたということである。 グロッホラは,もとより,企業の問題あるいはひいてはかれ自身の問題意織として, 次のようなことを考えている。「企業組織は目標志向的システムとして解釈され,した がって企業組織の目標設定,そして目標実現のための活動諸単位の形成が企業におけ る主要な組織的諸問題を形成することになる。J(162頁)さらにかれの組織観は r課 題達成過程の目標志向的な,継続的な規制J(168頁)の機能を果たす規則の全体が組 (25) 今野,前掲書, 150頁ー159頁。 トーメンは,ドイツ語閣の企業管理論の現代史を究明した次に掲げる書物において, ザンディッヒ(CSandig),メレロヴィッツ (KMellerowicz),バイヤー (H・T.Beyer), ウルリッヒ,リューリ(ERuhli) , ドルーゴス (GD!ugos),キルシュの各学説を取り 上げている。

J .p Thommen, Die Lehredeγ Unterneh押~ungsführung Eineωissenschajtshzsto. rische Betraιhtung zm deuおじhψrachigenRaum, Bern und Stuttgart 1983

ドルーゴスも,次に掲げるドイツ企業政策論に関する文献史的論稿の中で,さまざま な研究者の学説に触れている。 G D!ugos, Die Lehre von der Unternehmungspolitik - eine vergleichende Ana. lyse der Konzeptionen, in: Die Betriebswirischajl, 44 Jahrg, 1984, S. 287 ff 企業管理論ないし企業政策論を取り上げたトーメンの研究ならびにドJレーゴスの研究 においては,グロッホラならびにシャンツの学説は取り上げられていなし〉。こうした事 情を参照するならば,グロツホラの学説のどういう特質が管理論的であるのか,シャン ツの学説のどういう特質が管理論的であるのか,が今野教授において明確にされる必要 がある。それらを明確にするためにはまず,管理論以外の経営経済学説に比較して管理 論とはどういう特質を持つものであるのか,が教授において銘記されている必要があっ たのである。この問題つまり管理論の規定の問題については,本稿IIIr検討」の部分で 取り上げられる。 (26) 今野,前掲香, 156貰 158頁。

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-82 香川大学経済論叢 568

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織であるというものである。この点、では,かれはドイツの伝統的職能論的組織論の流 れをくんでいるのである。今野教授の見解においては,グロッホラはこのような問題 意識ならびに組織観を根底に持ちながら,組織理論的諸構想、の統合を果たしつつ実用 主義的な組織論の構成に向かったのである。 グロッホラのこの研究努力は組織形成論として展開されており,その際上述のよう に,組織が規則を意味するので I組織の形成は明らかに諸規則を作成し,導入するこ とで成立するJ

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頁)ということになれ組織の構成員の行動を導く規則の有効な 形成と導入が第l次的には問題となるのである。これは組織構造の形成の問題である が,グロッホラはさらに「形成過程の形成J

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頁)の問題をも取り上げる。つまり, 組織形成の問題は I組織構造の形成の問題」と「形成過程の形成の問題」からなるの である。組織構造の形成の問題については,それがさらに,枠組み構造の形成の問題 と細部構造の形成の問題に分かれる。 枠組み構造の形成のなかでは I全体における企業にかかわる組織的原理決定がなさ れ,周知の基本モデル(職能組織,分権組織,マトリックス組織など)のいずれに従っ て企業が組織化されるべきかが決定される。J(176頁)細部構造の形成のなかでは I職 能諸領域,諸部門の具体的作成と区分,そしてそれらの部局,職位へのさらなる編成」 (176頁)がなされる。次に形成過程の形成とは,これらのうち枠組み構造の形成過程 の形成ならびに細部構造の形成過程の形成を意味する。すなわち,形成過程の形成と は,上記のように2つに大まかに分化する組織構造の形成の問題をどのように処理す るかという形成の問題である。われわれの言葉でこれを表現すれば,形成過程の形成 とは,組織構造の形成を対象にした意思決定過程の適正形成の問題を意味する。 こういう意味で,グ、ロッホラの経営経済学説には,伝統的職能論的な組織論の要素 だけではなくて,意思決定過程の形成の問題が取り入れられているのである。そこに, 今野教授が,グロツホラの見解においては,組織設計の問題のみでなくて組織開発の 問題という両者の問題の「統一的な取り扱いが可能になっているJ(178頁)と見るゆ えんカ宝ある。 (27) 今野,前掲書, 167頁。

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ただしわれわれの見解では,組織構造の形成の問題とならんで組織構造の形成を対 象にする意思決定過程の問題がグロッホラの見解には見られるからといって,今野教 授の見解のように 2つの問題のある意味での統一的な取り扱いが果して可能になっ ていると言えるのかどうかの判断については慎重になるべきである。 今野教授の紹介する限りでは,グロツホラの見解においては,組織構造の形成の問 題とならんで組織構造の形成を対象にする意思決定過程の問題があると指摘されてい るにとどまっているとわれわれは解釈せざるをえないのである。双方の問題が独立に 解説されているだけであって,両者の関連についての認識に関しては,一方での意思 決定過程が他方での組織構造の形成を意思決定の対象の lつにするということを一歩 も出ていなし〉ように解されよう。 この問題もある,また他の問題もある,と総花的な指摘をしただけでは,およそ統 一的な取り扱いという名の構想には程遠いのではないであろうか。組織構造の形成の 問題と意思決定過程の問題という2つの問題領域がグロッホラの見解において統合さ れるというのなら,われわれは今野教授にその理由ならびに統合の形態を明確にする ことを要求したい。 シャンツの経営経済学説は,それが行動理論的経営経済学と言われているように, 人間行動に関する理論,特に心理学の諸仮説を根底に置きながら経営経済学説を形成 しようと試みている。シャンツの経営経済学に関しては,その学説形成の企画の上で ω ω ) の重点、が紹介され,次にかれの学説の特徴が具体的に紹介されている。 シャンツは,かれの経営経済学の理論的内容として人間行動に関する心理学的諸理 論を取り込み,続いてそれらに基づきながら組織を巡る現象に説明努力を向ける。そ の際,シャンツの行動理論的経営経済学の具体的内容は iマズロー的な階層欲求モデ ルを基礎にしながらゆ引ポーク- LW.

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などによって 代表される経路一目標理論を中心的に適用するJ(219頁)というものである。かれの こうした場面での「出発点になるものは,個人的給付準備はどの程度まで個人が一定 の活動のうちに個人的目標を達成する手段ないしは方途を見出すかに依存する,とい (28) 今野,前掲書, 195真一201頁。 (29) 今野,前掲香, 202頁-222頁。

(14)

84- 香川大学経済論叢 570 う考量であり…"''',なにが個人をして一定の給付をもたらすように誘引するかにかん しては一定の諸期待が役割を演じる。それらは努力一結果期待 (A-R期待)と結果 一報奨期待(R-G期待)のこつの主要グループに分かれるが,最後にそれらの決定諸 要因とともに報奨の誘引性(誘意性valence)の決定諸要因が問題になる 'oJ (219 頁) 今野教授は,シャンツの経営経済学説を管理論的研究であると考え rハイネンや シャンツなどの人事管理論的研究J(223頁)と表現している。われわれがここで疑問 を抱く点は,シャンツの経営経済学説のどういう側面が人事「管理論」的なのであろ うかということである。すなわち,シャンツの経営経済学説が何故管理論であると言 えるのか,という疑問がわれわれに直ちに湧くのである。 次に,それが言えたとしても,今野教授が経営経済学の基本的性格に関して経営経 済学が経営管理論へ転化していると考え,かれが取り上げる説がすべて管理論的であ ると位置づけるのならば,管理論としてのシャンツの経営経済学説には他の管理論の 説と区別されるどういう特徴があったのか,が追求されなければならなかったのでは ないであろうか。なぜならば,教授は,個人を対象にした管理論であるという理由で, ハイネンとかれの学徒の管理論をシャンツの経営経済学説と同じく人事管理論として ひとまとまりにしているからである。もし,このように,両学説の近似性を読者に推 論させるような表現をとるなら,例えば,片方の学説の特徴との比較を意識しでもう 片方の学説を検討するという方法を採ることによって双方の学説について少しは立ち 入った比較検討いがおこなわれるべきでトはなかったのであろうか。 。 曲 さて,今野教授が最後に取り上げるのは,キルシュの経営経済学説である。教授に (30) 今野,前掲書, 223頁-271頁。 キルシュの経営経済学説に関するわれわれの見解については次の論稿を参照のこと。 渡辺敏雄(稿),管理論としての経営経済学に関する考究(1トーウエルナー・キルシュ の見解を中心に一一,香川大学経済論叢第59巻 第 l号, 1986年6月。 渡辺敏雄(稿),管理論としての経営経済学に関する考究(2・完)一一ウェルナー・ キルシュの見解を中心に一一,香川大学経済論叢第59巻 第 2号, 1986年9月。 渡辺敏雄(稿),組織と組織的意思決定過程一一意思決定過程論における組織把握の構 想を巡って ,香川大学経済論叢第61巻 第 3号, 1988年12月。 渡辺敏雄(稿),組織における社会化と交渉一一意思決定前提の発生過程をl巡って 一一,香川大学経済論叢第62巻 第 2号, 1989年9月。

(15)

よれば,キlレシュにおいては「全体管理論的研究の展開J(223頁)が予想される。 まず,キノレシュにおいては,出発点において適用されるべき理論としての意思決定

過程論があった。個人意思決定の理論が紹介され,次に,個人の意思決定過程論を礎 ω) 石にしている集団的な意思決定過程を巡る議論が紹介される。そうした議論は,組織 内の個人に対する影響過程の現象の分析という形をとった。そして,今野教授は,キ ノレシュの意思決定過程論を概観し終えた後で次のように言う。「それ(キルシュの『意 思決定過程~ (全

3

巻)一一渡辺)はまたキルシュがつぎに意図することになる経営経 済的管理論の展開のための組織理論的(ないしは行動科学的な)基礎づけとして位置 づけることができるように思われる。J (245貰) 次に,今野教授は意思決定過程』刊行後のキノレシュが取り込もうとしている組織 論的意思決定研究を紹介する。そしてそこでの紹介において教授が注目していること の少なくとも 1つは,キJレシュが r協働者たちとの経験的研究をとおして方法論的個 人主義または心理学的還元主義の基礎のうえでは複雑な組織的意思決定過程がほとん ど把握されえないと確信するようになるJ(249頁)ということであり,方法論的個人 主義または心理学的還元主義の基礎のうえに立つ意思決定過程論を修正するためにキ ノレシュが採る方向として次の紹介がなされる。「紙織的意思決定過程を首尾一貫して組 織の内部および外部における事象の経過的過程(継続過程)での挿話として特徴づけ るときにそうした(より包括的な組織理論的)発想に向かつて一歩前進することにな る。J(249頁)キノレシュは個人主義的な意思決定過程論の補完的な見方として意思決定 の挿話構想、を採用しようとしている,というのが教授の紹介の仕方である。 さて上記でも触れたようむ,今野教授によれば,キルシュにおいては,全体管理論 的研究の展開が予想されるのであった。それに呼応するように,教授は,さらにキル シュの見解における経営経済的システムの計画的変革ならびに戦略的管理の構想を取 り上げる。 キルシュの政策志向は,経営経済的システムの計画的変革を巡る議論にあらわれ, der fruhe Kirsch in den siebziger Jahren im Mittelpunkt -, Kagawa Univers#y EconomiιRevieω, VoL 65, No.l, June 1992

(31) 今野,前掲書, 226頁 240頁。 (32) 今野,前掲脅, 240頁 247頁。

(16)

-86- 香川大学経済論叢 572 そこでは I全体的なシステムの形成ないしは変更J(258頁)が取り扱われ Iそこで は複雑性処理と貫徹の特別な問題が生じる。J(258頁)今野教授においては,経営経済 的システムの計画的変革の過程では,複雑性処理と貫徹の特別な問題が生じるという

ω

ことは改めて触れられている。 ここで,今野教授は複雑性処理と貫徹の特別の問題の内容をそれ以上解説している わけではないが,それらの問題のうち少なくとも貫徹の特別の問題においては次のよ うなことが考えられていると解釈されうる。 組織内の個人に対する影響論が『意思決定過程』で取り上げられていたが,そうし た議論はある情報を他の個人に受け入れさせるあるいは意思決定前提にするように促 進するという意味で「貫徹」の行為を巡る議論である。しかも『意思決定過程』の段 階で議論されたのは,いわば一般的な貫徹論であった。貫徹に注目するというそうし た立場から経営経済システムの変革という特殊側面を議論し出すと,そうした特殊側 面ではどのような貫徹行為が合目的なのかの問題を含めて,そこでは貫徹についての 一般的ではなく特別の問題が発生しているということになろう。上記の貫徹の特別の 問題とはこのようなものであると解される。 もしわれわれのこの補完的解釈が妥当ならば,キJレシュは 1つの応用場面として 考えられる計画的経営経済システムの変革の議論の場面でもかれの影響諭すなわち貫 徹論を持ち込んでいたということが出来よう。さらに,かれの影響論はすぐ上で言っ たように,ある情報を他の個人に受け入れさせるあるいは意思決定前提にするように 促進する現象の分析であり,その分析は対人的な影響過程論とも受け取れるので,キ Jレシュはかれの影響論すなわち貫徹論を持ち込んだことマ計画的経営経済システムの 変革の議論の場面に個人主義的態度をも一貫して持ち込んだと言えよう。われわれの 解釈では,今野教授もこのように考えて,キJレシュの説を紹介していると言えよう。 ただ,このことは複雑性処理と貫徹の特別の問題のうち後者の貫徹の特別の問題の内 容についてで、あって,前者の複雑性処理という問題の方で今野教授が何を考えている のかが必ずしも明確ではない。 (33) 今野,前掲-吉, 259頁 260頁。

(17)

さらに今野教授によれば,キルシュにおいては,企業管理は経営経済システムの計 画的変革の問題にとどまらない。キlレシュが問題にしようとするのは,戦略的管理の

ω

問題であり,そこでは,経営経済システムの計画的変革の問題を越えて r企業の内的 構造と文イじJ

(

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4

頁)が考慮に入れられる。 企業の内的構造と文化が戦略的考察に編入されることによって r戦略的管理は全体 的な姿を表わすことになる。J

(

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頁)ただし,今野教授によれば,ここでも「複雑性 処理と貫徹の特別な問題はまずまず前面に現われて来る。J

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頁)われわれが上で 言ったように,少なくとも貫徹の問題がそこにあらわれているということから考える に,たとえ企業の内的構造と文化が考慮に入れられたとしても,それらは,依然とし てそれらが変えられる際にどのような貫徹の問題が発生するのかという問題意識で把 握されていると目され,それらが考慮に入れられることによって,経営経済システム の計画的変革の「対象」が付け加えられたにとどまることになる。その限りで,一方 では,戦略的管理の内容に、ついては,経営経済システムの計画的変革の問題を「越え て」企業の内的構造と文化が考慮に入れられるとはいうものの,今野教授自身は,キ ルシュの見解における戦略的管理の本質的内容はやはり経営経済システムの計画的変 革であり,そこでは貫徹の問題としての対人的影響論が問題となると理解していると 受け取られうる。 しかし,他方では,キルシュの戦略的管理論は,本質的には対人的影響論でありつ つ経営経済システムの計画的変革の対象としての場面が付加されたということにとど まらず,注目するべき問題として,変革を導きそれ自体変革の過程の中で修正または 具体化の対象にもなる「構想的全体視角J

(

2

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7

頁)の内容形成も追加されていると考 えられる。 もしわれわれのこの位置づけが妥当ならば,キノレシュにおいては,組織変革の過程 において,次の段階で組織がどのようになるのかが一応の与件とされて,次の段階の 組織に変革するために人にどのように関連情報を受け入れさせるのかという対人的影 響論としての貫徹論のみが問題にされるわけにはいかない。構想的全体視角の内容形

(

3

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)

今野,前掲書,

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頁。

(18)

-88ー 香川大学経済論叢 574 成の問題として,将来的に組織がどのようになるべきなのか,という与件そのものに 検討が及ぶこととなり,その検討の対象はまさに,次の段階であるいは将来的に選択 されるべき組織構造の問題ならびに次の段階であるいは将来的に選択されるべき戦略 の内容を問うことになっていくのである。 その方向に議論を伸ばして行くとするならば,われわれは,キノレシュの最近の見解 を一層詳細に跡づけて,キルシュの見解において一体「組織構造」とは何か,ならび に「戦略」とは何かの議論から始めるべきである。 今野教授はキルシュの経営経済学説に関する検討を締めくくるにあたって,次のよ うに言う。 キノレシュの経営経済学説においては rハイネンの意思決定志向的経営経済学とウJレ リッヒのシステム志向的経営経済学の統合が見られるJ(270頁)のであって rおよそ システム理論的接近方法が方法論的個人主義または心理学的還元主義と相容れないも のであるとすることはできないJ(270頁)のである。「階層的構造化を指導理念とする システム理論は十分包括的な構想であり,行動科学的な諸研究を包摂し,それと良く 調和する,ということができる。J (270頁) つまり,今野教授の見解では,キルシュの経営経済学説はシステム理論と行動科学 的な要素の両方を含み,前者は後者を包み込み両者は調和するというのである。 今野教授がそのように言うのならば,われわれは次のように問わざるをえない。教 授が紹介してきた中で,キルシュの見解の一体どこがシステム理論的な部分なのか, と。キノレシュが行動科学的意思決定過程論から出発しながらも,次の段階でそれを相 対視し,挿話という考えを導入したことは既に触れられた。また,かれの戦略的管理 の構想には必ずしも対人的影響論としての貫徹論のみではなく,実質的問題としての 組織構造論あるいは戦略論が入って来る可能性があるとわれわれは解したのであっ た。組織構造論あるいは戦略論の話には,システム論がその基礎になっていることも 考えられるが,そもそもそうした対人的影響論としての貫徹論からこぼれる「全体的 問題」の余地がどのような形で考えられるのかを指摘したのはわれわれであって,今 野教授からは,キJレシュの見解のどの部分が個人主義的な構想、からは把握しきれない 要素であるのかについての記述はついに聞くことはできなかったのである。そうした

(19)

問題を未解決に放置したままの今野教授が自分自身で,キルシュの経営経済学説はシ ステム理論と行動科学的な要素の両方を含み,前者は後者を包み込み両者は調和する, という抽象的な指摘だけをおこなって検討を終えるというのでは,学説検討としてそ のやり方は不徹底である,とわれわれは言わざるをえない。 III検 討 われわれはここまでで,今野教授による経営経済学説の検討の内容を要約してきた。 そして,われわれの疑問と意見も各経営経済学説についての教授の見解の要約ごとに 示してきた。 われわれは,この節では,今野教授による経営経済学説の検討に対するわれわれの 個別の疑問と意見を再度取り上げて深めていくというよりも,むしろ今野教授の検討 方法の底流にある特質についての議論をしたい。その際,教授の見解の基本的特質ご とにわれわれは考察しよう。 ただ,われわれがここで予め触れておきたいことは,教授の見解の基本的特質を取 り上げ考察する際には,その考察を通じて, ドイツ企業管理論の検討の意義に気づく のであり,それについても以下で議論するということである。 さて,われわれが取り上げる教授の見解の基本的特質は3つある。 第1に管理論の規定について,第 2に個々の学説検討の際に基礎的諸科学に立ち戻 られる意味について,第3に管理論に関する理想像について,これらを巡ってわれわ れは以下で問題にしたい。 (1) 管理論の規定について 今野教授の見解の基本的特質についてわれわれが問題にする第1の点、は,管理論の 規定についてである。 今野教授は,経営経済学は基本的性格に関して経営管理論に転化していることを主 張している。その際,今野教授の見解では,経営経済学においては,管理論としての 経営経済学しかないであろうか。それとも,他に r管理論以外の何かとしての経営経 済学」があると考えられているのか。「管理論以外の何かとしての経営経済学」がある

(20)

-90 香川大学経済論議 576 と考えられているとしたら,一体それは何としての経営経済学であるのか。そして, 管理論とその「管理論以外の何かとしての経営経済学」はどこで明確に区別すべきな のか。つまり,われわれが教授の見解に関して指摘したいのは,他の傾向を持つ「何 かとしての経営経済学」に比較した場合に管理論とは一体どのような特質を持ってい ると教授は考えているのか,ということなのである。 今野教授は,考察対象として5つの学説を選択し取り上げる際に,管理論は「管理 論以外の何かとしての経営経済学」と比較してどのような特徴を持つのか,というこ とを意識していたのであろうか。 われわれのこのような疑問は,特にシャンツの経営経済学説が管理論として取り上 げられているということで頂点に達する。われわれの見解では,シャンツの経営経済 学説は理論的な経営経済学を営み,かれの経営経済学説は「管理論」というにとどま

ω

らないものを内包している。 どこからどこまでが管理論であるのかという規定をおこなわなげればならないとい う意識が今野教授には必ずしも強くなかったと考えられるのである。それ故,検討対 (35) シャンツの経営経済学説が管理論的ではないことは,エルシェンの次に掲げる論稿に よっても確認されている。 R Elschen, Fuhrungslehre als betriebswirtschaftliche Fuhrungskonzeption? , in: W. F Fischer-Winkelmann (Hrsg) , Paradzgmawechsel zn der Befri刷ebsωirfschajts -lehre.?, Spardorf 1983, SS.238-262. 主としてキJレシュの企業管理学説の検討をなしたこの論稿において,エノレシェンは, 管理論というのは次の2つの主要な特徴を持っていると考えている。管理のための応用 科学という科学目標 (Wissenschaftsziel einer angewandten Wissenschaft fur die Fuhrung)ならびに行動科学的基礎づけ (verhaltenswissenschaftlicheFundierung)が それらである。 (Aa.0, SS. 242-243.) 管理論のこの理解を踏まえながら,エルシエンは,マーケティングと組織論という研 究領域では管理論への志向があると見るのはかなり妥当なことではあるが,そうした領 域でも管理論的規定に対する少なくとも l人の背教者(Renegat)がいて,それがシャン ツであるとして,次のように言う。 「シャンツは応用科学としての経営経済学を拒否している。j (Schanz lehnt die Betriebswirtschaftslehre als angewandte Wissenschaft ab.)(A. a.0, S.243.) シャンツの学説がむしろ理論的経営経済学説の特徴をもち,それ故に技術論的方向に は見られない副作用の方法論を展開しえていることを含めて,かれの経営経済学説につ いては,次の狛稿をも参照のこと。 渡辺敏雄(稿),行動理論的経営経済学に関する考究 ギュンター・シャンツの見解 を中心に一一,香川大学経済論叢第60巻 第3号, 1987年12月。

(21)

象の学説を選択する際の基準がはっきりせず,余人には明確にはされない基準で管理 論的な学説が選択されてしまっていて,結果として,どこが管理論的なのかにつき疑 問の湧くような学説まで選抜され管理論として位置づけられ検討されてしまっている のである。 このことを突き詰めて言ってしまえば,教授は経営経済学が管理論に転化している と言うが,そもそも類としての管理論の特質の明確化に対する意識ぬきで r管理論」 の画定がどうしてできて,また経営経済学の管理論への転化がどうして主張できるは ずがあろうか,ということになる。 (2) 基礎的諮科学に立ち戻る意味について 今野教授の見解の基本的特質についてわれわれが問題にする第2の点は,教授が 個々の学説検討の際に基礎的諸科学に立ち戻る意味についてである。 今野教授ははしがき」でもことさらうたっている通り,個々の経営経済学説を分 析する際には,かれの言う意味での基礎的諸科学の考察をもまたおこなっていた。そ の際の基礎的諸科学とは,技術学,実践学,行動研究,システム理論,科学理論(哲 学)であった。 教授は,部分的には一種の形而上学的なこれらの基礎的諸科学にどのような意味で 立ち戻ろうとしたのか。 教授が挙げている,技術学,実践学,行動研究,システム理論,科学理論(哲学) のうち,最後の科学理論(哲学)を除いて他のものはどの学説の検討とのかかわりで 触れられているのかが明確であり,また詳細に論じられていたので,われわれはそれ らについて議論しよう。 技術学,実践学,行動研究,システム理論のうち,技術学ならびに実践学を巡る議 論は,学説が理論的研究を目指すのか,それとも技術論の展開を目指すのか,という 学説の認識目的に関わる議論である。 それ以外の基礎的諸科学,つまり行動研究とシステム理論は,どのような意味を持 つであろうか。われわれの見解によれば,それらの行動研究とシステム理論は,上記 の意味での学説の認識目的に関わるものではない。それらはむしろ管理論の実体的内

(22)

-92- 香川大学経済論叢 578 容を規定する学説の構想、上の基礎である。すなわち,それらは学説の根底的内容を規 定する基本的構想、の意味を持つ。 このように,今野教授の言う基礎的諸科学には,かたや学説の認識目的を論じた形 而上学的議論とかたや学説の根底的内容を規定する基本的構想という,性質の違う 2 つのものが混在している。教授は,一方でハイネンの学説とグロツホラの学説を検討 する際には,認識目的を論じた形而上学的議論としての技術学ならびに実践学に立ち 戻り,他方でウルリッヒの学説とシャンツの学説を検討する際には,学説の根底的内 容を規定する基本的構想、としてのシステム理論と行動研究に立ち戻っているのであ る。こうして,個々の学説の検討の際にまったく性質の違う基礎的諸科学に立ち戻る 態度にはいかなる意義があるのであろうか。 表に明確に出るかどうかは別としても,今野教授に,管理論というものは共通にど のような特質を持つのかという類としての管理論の共通性についての意識さえあれ ば,個々の学説の検討に際して,例えば認識目的といった同じ側面に自ずから注意が 向いたのではなかろうか。そして,自ずから同じ側面に注意が向くということによっ て,一方でいくつかの学説を検討する際には,認識目的を論じた形而上学的議論とし ての技術学ならびに実践学に立ち戻り,他方で別のいくつかの学説を検討する際には, 学説の根底的内容を規定する基本的構想としてのシステム理論と行動研究に立ち戻る といった非一貫性は出て来なかったのではなかろうか,と考えられるのである。こう した意味で非一貫性が除去される過程を通じて学説の検討結果の比較が可能となり, 検討がさらに深層部に及ぶ契機も得られるのである。こうして学説検討をより意味深 いものにするためにも,類としての管理論の特質を不明確なままにしておくわけには いかないのである。 われわれの批判を活かそうとするならば,次のような方向がひとつの検討方法とし て考えられる。 例えば技術論あるいは実践学を展開するという応用科学的な認識目的を持つといっ た,未だ意味が十分に限定されていない大まかな特質が類としての管理論の共通性と して考えられるというのならば,まずそうした意味での管理論の共通性を銘記すべき である。管理論の共通性としてのその大まかな特質を銘記しながら個別の学説を選抜

(23)

し,選抜された学説を検討する際に,技術論あるいは実践学の展開という応用科学的 な認識目的が当該の学説においてはどのような意味で現れているのか,ないし同じ意 味であるが,当該の学説が応用科学の展開についてどのような独自性を持っているの か,に注意を払うという検討方法がそれである。 この検討方法は,管理論の共通性から出発して,個々の学説の特殊性を詳細に指摘 し検討することにより,いくつかの異なる管理論の特質を知り,管理論にはどのよう な学説があるのかを知ることを通じて,企業管理論とは何かということを明らかにし ていくという意義を持つ。いずれにせよこの検討の方途は,個別の学説の特徴を明確 に描き出し,場合によってはその上で諸特徴聞の整合関係を検討するといった「内在 的」検討の方法であり,積み重ねられる個々の検討は主とレて個別学説内部に及ぶの である。その限りでこの検討の方途は,後述する,個々の学説の内容を結び合わせて, 検討者の考える 1つの企業管理論にしていくという検討の方向とは対照的である。 管理論の検討方法についてのわれわれのここで示した提案を汲みつつ,管理論の基 礎的諸科学にまで遡るという方向を採りながら,管理論の表面的な言明の分析ではな くてその方法的基礎にまで、立ち戻ってその特質を探っていくならば,それは,英米の 企業管理論とは別種であってかっそれの一種の補完的研究に通じることができるであ ろう。なぜなら,われわれの見るところでは,管理論の諸学説を検討しながらその方 法的基礎にまで遡るという作業は,必ず、しも英米の企業管理論の関心をそそってはこ なかったからである。この意味では,ここで触れられた検討方法を通じて, ドイツ企業 管理論検討の意義が存在することが主張されうるであろう。 (3) 管理論に関する理想像について 今野教授の見解の基本的特質についてわれわれが問題にする第3の点は,管理論に 関する理想像についてである。 われわれは,今野教授が問題にしようとしている個人主義的な管理論と制度を考察 対象として取り込む管理論との対比について議論したい。教授は次のように言ってい た。ハイネンとかれの学徒においては管理論は人間指導の研究にとどまり,諸制度の 管理のそれとしての展開は期待すべくもない,と。教授のこうした言葉には,一方で

(24)

-94- 香川大学経済論叢 580 は,そもそも制度とは何かが未だ不明確なままであるという問題があり,他方では, 制度についての管理論を,単なる「部分」を考察している管理論より良しとしている のではないかという教授の評価の問題があると考えられ,これらの2つの問題をわれ われは以下で取り上げよう。 われわれはまず,制度とは何かという制度の意味の問題について取り上げよう。 。 日 ウノレリッヒの学説におけるシステム論的構想、のどの部分が「制度」なのか,ハイネ ンとウJレリッヒの構想、を統合したと言われるキルシュの学説のどの部分が「制度」で あるのか。今野教授はこの間いに明確に答えていたであろうか。 今野教授は,人間指導論的な管理論であるハイネンの学説について,かれの学説が 出来上がった組織を論理的に前提していると論じていた。つまり人間指導論的な管理 論の考察対象から外されているのが組織である。必ずしも人間指導論的な管理論では ない学説と考えられているウルリッヒの学説を受け継いだとされるキルシュの場合, 組織の将来像としての構想的全体の内容として考えられるものの 1つが組織構造であ ると解釈された。このような筋道で考えると,今野教授は組織構造が制度の一種に相 当すると理解しているのではないかと考えられる。 今野教授が使う制度という概念が,このように教授の使い方から見て,組織構造と いう,組織の目擦を達成するための手段的意味を持つものに相当するとまずは考えら れるので,次に手段的意味を持つものとしての制度が,十全に意味限定的に把握され ているのかどうかという筋道でわれわれは議論を詰めていこう。であるから,教授が 制度の管理論としての展開を期待するシステム志向的経営経済学の中に,組織構造と 同じく手段的意味の水準で並びうるものが教授の見解の中で煮詰めて考えられている のかどうかということが以下で検討される。 われわれはまずシステム志向的経営経済学の基本的特質をここで簡単に振り返ろ

ウJレリッヒのシステム論的構想については,前節でも指摘されたように,何が要素 として全体に編成されるべきであろうか,そしていかなる諸関係がシステムの内部で,

(

3

6

)

今野教授は,制度の管理論の展開をウルリッヒの学説に期待し,そうした管理論の展 関が「システム志向的発想の展開に委ねられるJ (108頁)と明言する。

(25)

また外部に対して作られなければならないのか,といった諸問題が提起される。さら に,サイバネティックスの主要関心である操作および制御の側面が付け加わり,その 課題もまた形成志向的なものであり,その展開の対象はフィードパックを伴う一種の 自力安定機構である制御システムであり,その際の根底には,すべての動態的で目標 志向的なシステムに妥当する形式的な形成諸原則が存在するという確信が存在すると いうことであった。 その際の形式的な形成諸原則の適用対象となると目される自力安定機構たる制御シ ステムの概念は何に相当するのか。そうしたもののもと"l",次のような事情が考えら れるものとしよう。ある要素が情報を処理して下位の要素にこれを流し,その要素が その情報を命令として受け取りそれに従いながら行動して,その行動の結果が上位の 要素にまたフィードパックされ,そのフィードパックされた情報に基づきながらさら に上位の要素の行動が決められて行く,といった形式的な原理が表現されている,と。 こうであるとするならば,われわれの見解によれば,ウノレリッヒのシステム論的構 想における制御システム概念は,あらゆるシステムに適用することを目指して最も抽 象的に管理現象の基本的骨格を与えているものと考えられる。そして制御システムを 巡る認識は抽象的である故にそれを具体化すればさまざまな事態に対応しうるのであ る。典型的にはグロッホラにおいて考えられているような組織の規制としての組織構 造は,そうした認識のうち組織の目標を達成するための手段的意味を持つ部分を具体 化したものの lつであると解釈されうる。 以上のような意味で,今野教授が制度として考えていると解されうる組織構造は, システム論的構想における制御システム概念の具体化された事態のうちのlつにすぎ ないのである。それ以外に制度と考えられる事態が有るのか,有るとしたらそれは何 であるのか。制度という言葉を使うのなら,そうしたさまざまな事態の中でそれに相 当するものを絞り込まなければならないであろう。 以上の議論を一言で要約すれば,制度という言葉が,教授の見解の中で全く不明確 に使われているということになるのである。われわれが言いたいのは,教授が,ウル リッヒのシステム志向的経営経済学に制度の管理論としての展開を期待してみても, 制度に相当するものを単に「感覚的に」その学説に見いだしえただけではないかとい

(26)

-96- 香川大学経済論叢 582 うことと,教授が制度ということを強調したいのなら,その内容をもっと詰めて考え る必要があったということに尽きる。 この必要性は,制度という概念を使用するかどうかという問題とは無関係に,企業 管理の中での施策の対象として何が取り上げられるべきかという重要な課題を考えて いかなければならないという,われわれにとっての共通の課題を示唆している。組織 内の人聞を対象とした施策とならんで,何を対象にした施策があるのか。この問題に 不明確にしか答えられないからこそ,今野教授は,管理論の構想の検討に際して制度 というさまざまに解釈されうる概念を使ってしまったのである。企業管理の中での施

策の対象として何があるのかについて考えぬくことがわれわれに残された課題であ る。 われわれは次に,制度についての管理論を,単なる「部分」を考察している管理論 より良しとしているのではないかという教授の評価の問題を取り上げよう。 先に記したように,教授は,ハイネンとその学徒の人間指導論が部分的理論に「と どまっている」のであり,かれらの見解には諸制度の管理のそれとしての展開は「期 (37) 企業管理の対象として何があるのかについては,レーマーの次の書物がわれわれに示 唆を与えてくれる。かれは企業政策の対象として,企業体制(Unternehmensverfas -sung) ,公式組織 (formaleOrganisation),人的形成 (personaleGesta1tung) を挙げ, 企業政策の用具的体系を示そうとする。 A Remer, lnstrumente unternehmen

ψ

oliHscher Steuerung Unternehmensvelプas -sung, formale Organisation und戸ersonaleGestaltung, Berlin 1982 われわれは,企業管理論の内容の問題として,企業管理の対象として何があるのかと いう道筋で制度の概念の使用方法を考えてきたが,そもそも制度という概念そのものが この関連では使用される必要はなかった,あるいは使用されるべき‘ではなかったのでは ないかと考えられる。 なぜなら,経営学的研究の中における制度という概念の 1つの代表的使用方法は,管 理論的経営学とは別の学派と目されている制度論的経営学の中におけるそれであるから である。 経営学の中における学派についてのわれわれのこの理解は次の書物に負っている。ま た,制度論的経営学における「制度」の意味ならび、に制度論的経営学の課題についても この書物を参照のこと。 藻利重隆,経営学の基礎(新訂版),森山番1苫, 1973年,第二章「経営学入門」ならび に第三章「経営学の課題」。 この香物の中では,制度論的経営学における制度とは r歴史的・社会的に成立する行 動の型J(105頁)であると規定されている。

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