レ ン ブ ラ ン トの 歴 史 的 肖 像 画
―― ル フ ォーの委嘱 による「 三部作」 について 一一
じ に
17世 紀 は西欧各国で肖 像 画 が 隆盛を きわめた 世紀だ った。 事実
,
スペ イン には ベ ラスケス(DiegO de S工
va y Velasquez),
フ ラン ド,レに1まファン・ ヶガイク │へnthOnis van Dyck),
ォランダ には レンブ ラン ト
(Rembrandt van Riin)ゃ
フ ランス・ ハルス(Frans Hals)な
ど,す
ぐれた 肖像画家が輩 出 してい る。 スペイン 。フ ランス 。イギ リスでは工侯貴族 が肖像画家 の主 た る 庇 護者であったが,市
民 国家 のオ ランダにおいては事情が異 な り,現
実 感覚 の横溢す る市民 が 肖像 画 を強 く支持 した。市民 が画家のパ トロンと して,個
人 や家族 の肖像,あ
るいは公共 の建物 に飾 る ための各職能組合 や団体 の群像 肖像画 を所望 したのである。 宮廷画家 が 工侯貴族 を 描 くに あた っ ては,容
姿 を忠実 に捉え るとともに,身
分 に相応 しい気 品や威厳 を添 え るため に多少 の「 潤色」 を 余儀 な くされ た。 しか るにォ ランダの画家は,現
実 的な市民 の要求 に応 えて あ りの ままの正確 な描 写 を意 図 した。 そのために一方 では記念写真 的作品を生む結果 となったが,他
方 で は透徹 した写実 描写 を究 め ることがで きた。 レンブ ラン トは この肖像画 の分野で まず名声を獲得 し,終
生 その制作 に熱意 を示 した。初期 の≪ トゥルプ博士 の解剖学講義>(1652年
,ア
ムステルダム国立美術館)は
オ ラ ンダの 肖像画 の伝統 を 継承 してい るが,劇
的緊張感 にみ ちた構成,的
確無比 な描写力 によ ってす で に当時の肖像描写 を凌 駕 してい る。 その後 レンブ ラン トは心理描写 を一層推 し進 め,外
観 を表 面的 に把握す ることに 自足 せず,よ
り深 い精神性 の表 出を求 め るよ うにな った。 もっとも,≪
トゥルプ博士>以
後 10年 間 はオ ランダの伝統 に根底 では従 ってい るが,い
わ ゅ る筵夜警>(4642年,ア
ムステルダム国立美術館) 以後 は全 く独 自な肖像画 の領域 に進 んでゅ くのであ る。本稿で扱 う作品群 も,以
下 に述 べ るよ うに 反夜警>以
後の佳作で,壮
年期 か ら晩年 にかけての独 自な レンブ ラン ト様式 が見 られ る。 ところで レンブ ラン トの肖像画 には,
自画像 を別 と して,当時 のオ ラ ンダ の著名人 や組合 構成員, あ るいは家族・ 肉親 か ら ユダヤ人 な どの アノエムな人物 まで,あ
らゆ る階層 の老若男女が描 かれ てい る。 そのほかに,や
や空想的な人物画や歴史上 の人物 を描 いた作 品 もある。本稿で「歴史的肖 像画」 と便宜的 に呼称す るのは,こ
の歴史上 の人物 の肖像画 の謂であるが,あ
るいは「歴史画」 と 称 した方 が適切か も しれない。 作品数 としては ご く少 な く,む
しろ例外的 な作品 とみな して よかろ 紘 部 岡 め は紘 部 岡 う。 なお
,本
稿 で扱 うル フ ォーの依頼 によ って制作 された三点 の「 歴史的 肖像画 」 は,現
在 完全 な 形 においては保存 されていない。 す なわ ち,ア
リス トテ レスを描 いた作品は ほぼ完全 に原形 を保 っ てい るが,ホ
メ ロスの図は損傷 を受 けてその一部が欠落 してお り,ア
レクサ ンダー大工 の図 は消滅 した とみ るの が今 日の通説である。以下 において,私
は まず この「二部作」の成 立事情 を明 らかに し,次
に現存 の二作品,主
と してア リス トテ レスの図 につ いて,そ
の観察 とモテ ィー フの分析,
さ らにその意 味内容 の検討を行 ないたい と思 う。 ア レクサ ンダー大工の図に擬せ られ る作品が二点 あ るので,そ
れ につい て も補足的 に触れ るつ も りで あ る。 1。「 二 部 作」 の成 立事 情
シシ リー島出身の貴族で美 術 愛 好 家 の ドン・ ア ン トニオ・ ル フォー
(Don Antonio Ruffo)
は,1646年
か らメ ッシーナに住んでいたが,お
そ らく1652年 に レンブ ラン トに一点 の油彩画 を注文 した。 ル フ ォーはその頃までに主 と して 章代 イタ リア画家の作品を百点以上収集 していた といわれ る。 この時期 レンブ ラン トの評判 は祖国で はかな り下落 していた けれ ども,イ
タ リア各地 にはかえ って その名声 が広 ま りつつあ った。 そのためかル フ ォーは,彼
自身の言 によれ ば,イ
タ リア画 家が この種 の絵画 で受取 る報酬 の8倍 (500ギ
ュルデ ン)を
レンブ ラン トに提供 す る こ と を 約 束 し た(1)。 注文 を受 けた レンブ ラン トは55年 に作品を仕上 げ,そ
れ は5ケ月 の船旅 の後,54年
の見 にメ ッシーナに到着 した。 この図が≪ ホメ ロスの胸像 を眺め るア リス トテ レス>(第
4図)(4655年
, ニ ュー ヨーク・ メ トロポ リタ ン美術館)で
あ るが,47歳
の円熟期 の作品であるだ けにその出来映 え は イバ リア各地 でかな り評判 にな った よ うである。 ≪ ア リス トテ レス廃(2)を
入手 してか ら6年
後 の1660年 に,ル
フ ォーはそれ と対 にな る作品を, 当時69歳 のボローニヤの画家グエルチーノ (Guercino)1こ依 頼 してい る。また その翌年 には,
グ エルチーノに学んだマ ッテ イア ●プ レテ イ(Mattia Preti)に
も,
おそ らく同様 な依頼 を した と 思 われ る。 このル フ ォーか らの依頼 を承諾 した 旨のグエルチーノの書簡 (60年 6月 45日付)が
今 日 残 って い る。 グエルチーノは レンブ ラン トのエ ッチ ングをい くつか知 っていたよ うで,書
簡 の 冒頭 で「私 は心 か らレンブ ラン トを偉大 な芸 術家 と思い尊敬 しています」 と語 ってい る(3)。 当時 の イタ リアに おける レンブ ラン トの評価 が分 って興 味深 い。 それ に続 いて,彼
はィレフォーの注文 どお り,(1)Don Antonio Ruffoに 関す る ドキ ュメ ン トは
,後
裔 のMarchese Vincenzo Ru£foによって,1916年にBollettino d'Arte誌に発 表 された。但 し本稿 の Ru£foに関す る記述 は主 に以下 の書物 に依 った。
Jakob Rosenberg ; “Rembrandt, life and work" Phaidon, 1964 BOb Haak ; “Rembrandt, his
life, his work,his time"Abra■ ls Julius Held;``Rembrandt'S Aristotle and other Rembrandt
studies" Princeton, 1969
以下聰ア リス トテ レス
>と
あるのは,≪
ホメロスの胸像を眺めるア リス トテ レス≫の略。J. Rosenberg i op. cit. PP。 281 ∼282
B, Haak ; oP, cit. P. 240 ②
レンブラン トの歴史的肖像画 初期 の様式 (カ ラヴ ァッジオ風 か
)に
よ って対 にな る作品を描 くために(つ,二 ,二
の質 問をな して い る。 まず レンブ ラン ト作品の寸法を尋ね,そ
の半身像 の姿勢 を知 るために大 ざっぱなスケ ッチを 送 って ほ しい と頼 んでい る。 さらに絵 の主 題 を も尋ねてい るが,そ
の明確 な返答 はなか ったよ うで あ る。 グェルチーノは照 ア リス トテ レス>の
寸法 とスケ ッチ を参考 に直 ちに制作を始 め,そ
れ か ら4ケ
月 も経 たない10月 6日 付 の書簡で絵 は完成 した と告 げている。彼 は レンブラン トの半身像 がア リス トテ レス とは思 わず,
胸 像 を調べて い る「 観相家」(PhySiOgnomist)の
描写 と理解 し,そ
の対 として天体 を研究す る「 宇宙学者」(COSmOgrapher)を
描 いた(3)。 残念 なが らその作品は失 われ たが,
ローゼ ンベルクの指摘 によれ ば,
その予備素描 がプ リンス トン大学付 属 美 術 館 にあ る(6)。 (第2図
) グェルチーノの この誤解 は,≪
ア リス トテ レス>を
実 際 に見 ず に コ ピー に従 って描 いた とい う事 情 か ら無 理 か らぬ ものがあ るが,そ
れ はまた依頼者 のル フォー 自身 この絵 の主題をよ く認識 してい なか った ことを意味す るだろ う。主題 を尋ねたグェルチーノにル フ ォーは回答 を与 えていないので あ る。 しか しなが ら,ル
フ ォーは この絵 の主題 をあ る程度知 っていた よ うだ。 あるいは,ロ
ーゼ ン ベ ルクやゲ ル ソ ンが述べ るよ うに,注
文す るにあた って,彼
自身 が レンブ ラ ン トに「哲学者」 とい う主題 を与 えていたのか も しれない(7)。 作品がメ ッシーナに到着 した直後 の1654年 9月 1日 の登録 には,「
レンブ ラン トなる画家 によってアムステルダムで制作 された哲 学者 の半身像 (ア リス トテ レスかアルベル トウス・ マグススのよ うにみ え る)(8)」 とぁ り,ア
リス トテ レスの名 について は曖 昧だが「 哲学者」 と明記 してい るのである。 なお,そ
れ か ら24年 ほど後 の1678年 の財産 目録 におい て は,は
っき りと「胸像 に片手 を置 くア リス トテ レス」 と記 してい る(9)。 ≪ ア リス トテ レス>を
入手 してか ら6年
も経過 した後 に,ル
フ ォーが それ と対 にな る作品を グエ ルチーノに依頼 したのは不思議 である。 しか しそれ以上 に奇妙 なのは,グ
ェルチーノの作品がメ ッ シーナに着 いて ほどな く,
レンブ ラン ト自身 の手 にな る二 点 の対 作品がやは り送 られて きた ことで あ る。すなわ ち,「
ホメ ロス」 と「 ア レクサ ンダー大王 」を表 わ した作品であるが,そ
れ らは61年 の秋 に入港 した。 これは どうい うことであろ うか。 グェルチーノに依頼 した1660年 に,ル
フ ォーは 合 せ て レンブ ラン トにも注文 したのかも しれないが,
レンブ ラン トに頼 むに しては≪ ア リス トテ レ ス>の
図を入 手 してか ら年月 がかか りす ぎてい る。推測す るな らば,≪
ア リス トテ レス≫ を受取 っ て間 もな く,ル
フ ォーは再 び レンブ ラン トに対 とな る作品を注文 した と思 われ る。 しか しなかなか 141 当時の画家はパ トロンか ら様式の指定を受 けることさえあった。Cuercinoの初期作品は,明
暗 の対比 の 強いカラブァッジオ風だ ったか ら,ル
フォーは レンブラン ト作品の対に相応 しい と考えて彼に注文 したの か も しれ ない 。J.Rosenberg i“ Rembrandt and Cuercino''Art Quarterェy VII,1944p.150
J. Rosenberg ; “Rembrandt, life and work"p.282
ibid P, 279
Horst Gerson, “Rembrandt Paintings"Reyna1 8c Company, 1969, P・ 159
J. Held, op. cit. P.12 ibid ” 俗 P 俗 0
実現の運びに至 らず
,
しびれをきらしたルフォーが自国の画家グエルチーノに頼んだところ,た
ま たまそれ と相前後 してかねて依頼の作品が届いたとい うことではないだろうか。 送 られてきた≪ア レクサンダー大王≫の図についてルフォーはあまり満足せず, 1年
ぐらい後の 62年11月 にメ ッシーナか らアムステルダムに帰るオランダの領事に託 して,
レンブラン トに不満を 述べている(1。 )。 これが4片
の画布を継 ぎ合せたものであり,
しかもその継 ざ目がはっきり分るこ とか ら,以
前に描いた頭部 に画布を継 ぎ合せて半身像に仕上げた作品ではないかとルフォーは疑 っ たのである。そ して絵の値段を約束の半分 (250ギュルデ ン)に
す るか,
描 き直すかのどちらかに してほ しいと述べている。なお≪ホメロス>の
図については別に不満を述べていない。 これがもと もと未完のまま送 られたためで,完
成をみた ら受取 ることにルフォーは同意 している。 こうして≪ ホメロス>は
一旦アムステルダムに送 り返 された。その後いつ完成作がメ ッシーナに到着 したか明 らかでないが,そ
の折の作品 と思われるハーグのマウ リッツホイスにある≪ホメロス>の
図には, サインのほかに1665年の年記 があるから,そ
れからほど遠か らぬ時期 (おそ らく翌年)で
あろう。 ところで,≪
ア レクサンダー大王>に
関す るルフォーの不満に レンブラン トは大いに怒 って,メ
ッ シーナにはす ぐれた鑑識家がいないと回答を寄せ,さ
らに描 き直す場合 は絵の値を 600ギュルデン に上げ,ま
た送 った絵をルフォーの経費負担で返却 してほしいと述べている。1)。 はた して第二の ≪ア レクサンダー大王≫ の図が制作 されたかどうか,残
念なが ら分 らない。ヘル ドが推測するよう に,
ことによるとルフォーは,
この レンブラン トの強い態度に接 して描 き直 しは至難 と考え,入
手 した第一の≪ア レクサンダー大王>の
図をそのまま保持 したかもしれない。(12) 以上の経緯か ら明 らかのように,ル
フォーが依頼 した三作品は治初か ら「二部作」 として明確に 意図されたものではない。たまたまルフォーか ら油彩画の依頼を受 けた レンブラン トは,か
りに「 哲学者」 という主題の注文があったと仮定 しても,そ
れ以上の細かい指示はなかったろうから,「
独 自な着想」のもとにア リス トテ レスの図を描いたところ,重
ねてその対 と な る 作 品の注文があ り,そ
の結果 として「二部作」になったのである。 したがって,≪
ア リス トテ レス>は
それ 自身独 立 した作品とみなされるべ きであり,
レンブラン トに しても初めは他の二作品を加える企図はなか ったと思われる。そのことは≪ア リス トテ レス>の
意味内容の検討か らも粥白に知 りうることで, 後に叙述するつもりである。 それに対 して,
ほかの二作品≪ホメロス>≪
アレクサ ンダー大工>
が,≪
ア リス トテ レス>を
念頭に置いて制作 されたことはまず確実である。 レンブラン トは三作品 がセ ッ トとして展示・ 鑑賞 されることを考慮 していたようで,照
ア リス トテ レス>に
合せて絵の大 きさを 8×6 palms(192X144cm)に
統一 し,展
示の位置についても周到な配慮を払 ったと推測 さ れる。おそ らくは,憶
ア レクサ ンダー大工>が
中央に,≪
ホメロス表 はその向って右側,≪
ア リス B. Haak,op, cit, p. 解2 この手紙 は レンブ ラン トの直筆 ではな く,代
筆者に頼 んだ ものであ る。Cf・ B.Haak;op.cito P。 242 J.Held, oP.cit,pp.8∼9 なお,ゲ
ルソンは第二の反ア レクサ ンダー大三菱の図が “ 夜年に制 紘 部 岡 作 されたとみている。Cf・ H.Gerson i op.cit.P.500レンブラントの歴史的肖像画 トテ レス
>は
左側 に展示 されたで あろ う(13)。 こぅして レンブ ラン トが4655年 か ら65年 の間に描 い た古代 の哲学者 。政治家・ 詩人 の半身像 は,1664年
頃にはメ ッシー ナに住 む注文主 ル フ ォーの邸宅 のギ ャラ リーに,い
わば「 二 幅対」(triptych)と して飾 られ る ことにな ったのである。 ところで,イ
タ リアにお ける レンブ ラン トの評判 は必ず しも好意的な ものばか りではなか った。 例 えば当時 ローマに住 んでいた フ ラン ドルのブ リューゲル ●めraham Brueghel)は
, 1665年
5 月22日付 のル フ ォー宛の書簡で,
ローマで は レンブ ラン トは高 く評価 されて い な い と告 げ て い る(14)。 それか ら4年
以上経 った69年 刊 2月29日に,ル
フ ォーがイタ リアの画家 による半身像 はいず れ も質 の高 さの点で レンブ ラン トに及 ばない とブ リューゲルに告 げると,翌
年 1月24日付 の書簡 で ブ リューゲルは一応ル フ ォーの評価 を是認 しなが らも,「
偉大 な画家 は美 しい裸体 を描 いて,素
描 力 の確 か さを示す ものだ。 が,反
対 につ ま らない画家 は,黒
ずん だ色 の質素 な衣服 で身を包んだ人 物 を描 こ うとす る」 と述べ,暗
に≪ ア リス トテ レス>の
図を念 頭 にお きなが らレンブ ラン トを批判 してい る(15)。 この批判 はブ リューゲルの個人的意見 とい うよ り,当
時 の イタ リアの趣味がすでに カ ラヴ ァッジォ風 の明暗の描写 を好 まな くな っていた ことを示唆す るだろう。 それ に も か かわ ら ず,ル
フ ォーは レンブ ラン トの才能を尊重 し,ブ
リューゲルに書簡 を送 った この69年 には,
レンブ ラン トのエ ッチ ングを489点 購入 してい る。 もっともそれ がメ ッシーナに到着 した頃は,
レンブ ラ ン トはすでに死去 していた。 レンブ ラン トの絵画作 品や版画 を含む膨大 なル フ ォーの蒐集品は,
その後 代 々の ル フォー家 に 継 承 され た。 ところが不幸 な ことに,4848年
にル フ ォー家 は火災を受 け,美
術 品の大半が損傷 を受 けた。 その頃≪ ア リス トテ レス>は
す で にル フ ォー家 の所有物ではなか った と思 われ るが,所
蔵 の ≪ ホメ ロス≫ は火災を受 けて断片 が残 され るに とどま り,≪
ア レクサ ンダー大王>は
灰儘 に帰 した と一般 に考 え られてい る。 したが って今 日では,ル
フ ォーが依頼 した「 二部作」は完全 な形 におい て見 られないのである。 以上述べた ところが,
レンブ ラン トとル フ ォー との関係,「
二部作」 の成立事情,そ
して その後 の経緯 である。次 にわれわれ は,当
時 の原形 を ほぼ保 ち,そ
れだ けで独立 した作 品 とみ なされ る≪ ア リス トテ レス≫を取 り上 げ,そ
のモテ ィーフの分析 を通 して意味内容を検討 したい と思 う。2.
≪ホメロスの胸像を眺めるア リス トテレス≫について
ル フ ォーが最初 に注文 した この作品は,画
布 にな され た油彩画 で,
レンブ ラン トのサ イ ンと1655 年 の年記 が切記 されてい る。ル フ ォーの財産 目録 には,画
面 の大 きさが8X6palttS(192X144cm)
Cf. Ludwig Coldscheider ; “Rembrandt, Paintings,idrauings and etchings"Phaidon。 1967
p・175
Jo Rosenberg ;OPi cit, p.285
ibid. P。 285
団 側 側
とあ るが
,メ
トロポ リタ ン美術館 にある現存作 品は459X455cmで
あ り,縦
の長 さが55cn,横
の長 さ が1lcaほ ど短 く,ほ
ぼ正方形 の画面 とな ってい る。長辺 が著 しく短縮 されてお り,お
そ らくは画面 下縁 の部分 が削除 された と思 われ る。 この絵 は少 な くとも48世紀末 まではル フ ォー家 の所蔵 で あ っ た ろ うが,そ
の後 4845年 に ロン ドンで展覧 されてか らは所有者 の間を転 々と した。いず こで原形 を 失 ったのか,明
瞭で はない。 諸細部 の観察 は さてお き,ま
ず この作 品か ら受 け る総体的印象 は,静
かなが ら確 固た る精神 が支 配 してい る画面 の荘重 な迫力で あ る。画面 中央 やや右 寄 りの ところにア リス トテ レスが立 ち,画
面 左手 の角 テー ブルの上 のホメ ロスの胸像 を眺 めなが ら,そ
の頭部 に右手を置 いてい る。胸像 のある この部屋 はア リス トテ レスの書斎 らしく,背
後 の無 地 のカーテ ンの奥 には五,六
冊 の書物 が高 く積 み上 げ られてい る。 そのほかには これ とい った調度 品は見 当 らず,ま
ことに質素 な部屋 で あ る。 ホ メ ロスの胸像 に対す るア リス トテ レスの不可思議 な接触 が この作 品の描写の核心で あ り,情
景 を説 明す るほかの描写 は最小限 に抑 え られて い る。 ア リス トテ レスは哲学者 に相応 しく,気
品 に充 ちた高貴 な思 索家 と して表現 されてい る。 鍔広 の 黒 い帽子 をかぶ り,
ビロー ドの黒い上衣 を着 て,兵
奢 な感 じのす る袖 のゆ った りしたガ ウ ンを羽織 ってい る。 白 っぽいガ ウ ンは徴妙 な光 の作用を受 けて黄金色 に輝 き,ひ
ときわ豪華 に見 え る。黒 い 上衣 には二つの金色 のブローチを飾 り,
日立 つ ほ どで はないが耳飾 りをつ け,左
手小指 には指輪 を してい る。 なかなかダ ンデ ィーな哲人で ある。 また彼 は右肩か ら長 い金色の鎖をか け,そ
の一端 を 腰 にあてが った左手 の人差指 と中指 の間 に挟 んでい る。黄金色 の鎖 は独特 の厚塗 りで描 かれ,上
衣 の黒をバ ックに して きわめて見事な色彩効果 を生み 出 してい る。 なお,
この鎖の中央部 か らメダル が下 ってい るが,そ
のメダルには兜をかぶ った横向 きの男子像 の浮彫 がある。 このよ うに,ア
リス トテ レスはかな り優雅 な姿 で表 わ されてい るが,
しか し親 しげに,あ
るい は もの思 わ しげに胸像を見つめているその顔 には,一
抹 の孤独 感 が漂 よ ってい る。髭 におおわれ た顔 は左上か らの光 を受 けて,鼻
梁 や類 や額 の一部 が照 し出されてい る。 そのほかの部分 は淡 い陰影 に 閉 されてい るが,
ことにその両眼は陰影をおびなが ら深 い思索的な光 を放 ち,胸
像 を眺め るとい う よ り,む
しろ 自分 自身の内面を見つめてい るかの よ うだ。 この作 品の対 と してグエルチーノが描 い た予備素描 をみ ると,宇
宙学者 は周囲にそれ らしき道具を置 き,い
か に もこれみ よが しな身振 り動 作 を示 してい る。 しか しレンブ ラン トの作品で は,派
手 な動作やわ ざと らしい描写 はな く,内
省 的 な表情 のア リス トテ レスがひと り自身の瞑想 の世界 に閉 じこもってい るので ある。 古代 の彫 像で ア リス トテ レスの 肖像 とみ な され るのは見 当 らない。 したが って ル ネ ッサ ンス期 の 芸術 家 が,古
代 の胸像 や貨 幣を参考 にア リス トテ レスの イメー ジを提 えよ うと して も無理 だ った。 と ころで レンブ ラ ン トは,4656年
7月 の彼 の財産 目録 によれ ば,「
ホメ ロスの胸像」のほかに「 ア リス トテ レスの胸像 」を所有 していた(16)。 ぉぉかた それ は,ル
ネ ッサ ンス期 の全 く空想 的 な彫 像 紘 部 岡 161 B・ Haak;OP, cit,p.278レンブラン トの歴史的肖像画 の模刻で
,長
い髪 と髭をはや したア リス トテ レス像だ ったろ う。 レンブラン トはこの≪ ア リス トテ レス≫ の制作 のために,身
近 な実 際のモデルを使用 した と思 われ る。例 えば,≪
男 の 肖像>(ロ
ン ドン,国
立 画廊)に
描 かれ た人物 な ど,≪
ア リス トテ レス>に
よ く似た顔 でそのモデル とも考 え ら れ る。 しか し肩 までの長 い髪や髭 の描写 は,所
蔵 品の ア リス トテ レスの胸像を参考 に したか も しれ ない。 ア リス トテ レスの着衣 は古代 ギ リシャの服装ではな く,多
分 に空想 的な衣裳である。 お そ ら くどの時代 に も該 当 しないだろ うが,い くぶ んオ リエ ン ト風 である。レンブ ラン トは一体 に歴央上・宗教上 の人物 を描 く場合
,時
代 考証 を綿密 に研究 していない。ルーベ ンス (Peter Paul Rubens)や プーサ ン
(Nicolas Poussin)が
歴 史画 を制作す る場合 には考証 はかな り厳密であるけれ ども, レンブラン トはかな り自由に想像力のお もむ くままに制作 した。 なお,ア
リス トテ レスが黒 い上衣 を着てい るのは,難
解 な思 想 の象徴 と して哲学者 の着衣 を一般 に暗 い色彩で表 わ した,そ
の当時の 慣 習 にあ るいは従 ったのか も しれない(17)。 頭部 に細 い リボ ンを巻 き,簡
素 な衣服 を着 た髭面 の盲 目の老詩人 ホメ ロスの胸像は,半
ば横 向き に角 テーブルの上 に置 かれてい る。 レンブ ラン トのサ イ ンと年記 は この胸像の下部 に な さ れてい る。角 テーブルには深紅色 のテーブル・ クロスが掛 か り,胸
像 の ほかに一,二
の小物が置いてある が,そ
れが何であ るかはっき りしない。 レンブ ラン トの蒐集 品の中にホメ ロスの胸像があるので, それを利用 した ことはまず間違 いない。 あるいは所蔵品の忠実 な再現描写であるか もしれない。ヘ レニズム期 に制作 された「 ホメロス胸像」 はその後多 くの模刻を生んだが,
レンブラン トが所有 し て いたのはその模刻 の一つか,な
い しは石膏像で あったか も しれない。今 日,ナ
ポ リ国立美術館, ボス トン美術館 な どにある「 ホメロス胸像」は,
この反 ア リス トテ レス≫ の図に描 かれたホメ ロス の胸像 と多 くの類似点を もっている。 古代 の胸像 やその模刻 は,そ
の人物に対す る歴史的興味 も加味 して,
レンブ ラン トのみな らず, ル ネ ッサ ンス期 あるいは17世紀の ヒューマエス トや芸術家が,
こぞ って蒐集 につ とめた。画家 の場 合 それを イ ンス ピ レー シ ョンの源泉 に した り,作
品の一部 に描 き添 えた り した。 レンブ ラン トもこ こで胸像を使用 してい るわ けだが,一
般 に彼 は現 に生 活 してい る人 間に興味を もって,胸
像 にはあ ま り関心 を寄せ なか った。 ローマ皇帝ガルバの胸像 を うつ した素描 (ベル リン,ダ
ー レム美術館) を見 ると,カ
リカチ ュアに近 い描写 になってい る。 ただ しホメ ロスの胸像 に対 しては別 だ った よう で,
この憶 ア リス トテ レス>の
図にお けるよ うに,堂
々た るホメ ロス像を表現 している。 レンブ ラ ン トはホメロスに対 し特別 の感情 を抱いていたよ うである。 以上見 た とお り,
この作品はア リス トテ レスとホメロスの胸像 が描写 のほとん どすべてで あ る。 に もかかわ らず,画
面 はた ぐい稀 なモニ ュメ ンタルな効果 を もってい る。 レンブ ラン トの円熟期を 飾 る佳作 だけに,明
暗の諧調 はます ます微妙 にな り,動
感 も光 も内面化 されてい る。画面の左上か ら右 下へ流れ る光,
と一概 に言 い難 いよ うな微妙 な光 の波動 が,
ア リス トテ レスの顔や右手 や右袖
,ま
た胸像 の頭髪を照 し出 し,そ
こを経 て鎖や左袖 の部分 を黄金色 に染 めてい る。光 を受 けた黄 金色 や深紅色 が,黒
との対比で一層鮮 明に印象づ け られ る。一方,ホ
メ ロスの顔 は陰影 をおび,そ
の騎はア リス トテ レスの顔 を よざ り,さ
らに背景 に及 んで この場 の沈静 な雰 囲気 を 醸 し 出 してい る。一人 の人 間 と胸像だ けの描写 にかかわ らず,画
面 か ら受 ける荘重・ 壮大 な印象 は実 に人 を圧す るばか りである。 ミュンツの『 レンブ ラン ト』の協力者 ハークは こう述 べてい る。「≪ ア リス トテ レス>の
様式 と壮大 さは,
レンブ ラン トの円熟期の作品の特徴 である。 この絵はその技術 が最高点 に達 した ときの人間の作品で あ り,あ
らゆる困難 な技巧 に習熟 し,卓
抜せ る筆触 によって彼がいお うとす ることを正確 に表現す る ことがで き,そ
して時代 の流行や趣味 にと らわれず 自己の道を進む ことがで きる人間の生 み出 した作品である」(18)。 ま さ しくこの図には,壮
年期 の レンブ ラン トの 濶達 な筆触 と習熟 した明暗の技法 とによる,人
間把握 の確 か さが充分 に よみ とれ るので あ る。 と ころで,ア
リス トテ レスが鎖 に下 げてい るメダルの浮彫 の兜 の男 は,一
般 にア レクサ ンダー大 王 の 肖像であると推測 されてい る。大玉 は古代 の貨幣において,通
常兜 をかぶ らず に表 わ された。 そ して大王の浮彫 のある貨幣の裏側 には,一
般 に兜 をかぶ ったパ ラス・ アテナの頭部 が刻 まれた。 貨 幣 には大工 の記銘 しかなか ったか ら,ル
ネ ッサ ンス期 には貨 幣 の若 い アテナの姿 が大工 の 肖像 と 誤解 して受取 られ,つ
い にはルネ ッサ ンス期 に図像学的約束 が定 まって,大
三 は垂髪 に兜 をかぶ っ た姿で表 わ されるよ うにな ったので ある。 そのす ぐれた作例 と しては,
ヮシ ン トンの国立画廊 にあ るヴ ェロ ッキォ(Andrea del Verrocchio)の
作 品 と称 され る大理石浮彫≪ ア レクサ ンダ‐大工>
が挙 げ られ る。 ルネ ッサ ンス期 の作例か ら考 えて,
この≪ ア リス トテ レス>の
図中の メダルの兜の 男 はア レクサ ンダー大工 に まず 間違 いない と思 われ る(19)。なお補足す るな らば,
この図においてア リス トテ レス とア レクサ ンダ ー大工 とが結 びつ くのは,歴
史的 に根拠 の あ る ことで あ る。周知 のよ うに,紀
元前 542年 にア リス トテ レスはマケ ドニアの フ ィリッポスエ に招換 され,15歳
の王子 ア レ クサ ンダーの教育を委ね られた。 ア リス トテ レスがいつ まで王子 の教育 を続 けたか明 確 で は ない が,両
者 は師弟 の間柄 に相 当す るので あ る。 か くして この作品 には,ア
レクサ ンダー大三がホメロ ス と同 じ彫像 の形 なが ら,い
わ ば第二 の人物 と して登場 して きたので ある。 ア リス トテ レスはホメロスの頭部 に右手を置いてい るが,
この両者 の結 びつ きは どのよ うな歴史 的根拠 を もってい るだろ うか。 ラフ アエルロ(Raffaello Santi)の
≪ アテ ネの学園>(1510年 ,バ
チ カ ン・ 署名 の間)に
おいて は,プ
ラ トンと並んで画面 中央 に立 つア リス トテ レスは,右
手 を地 面 に向け左手 には「 エテ ィカ」 と記 された書物を もって,天
を指 さす プ ラ トンの形 而上学 に対 し,自
然哲学 あ るいは倫理学 の哲人 と して表 わ されてい る。 その一方,ア
リス トテ レスは『 詩学』 の著者 と して も知 られ,ル
ネ ッサ ンス期 には詩 の理論家 とも 目されて いた。 ア リス トテ レスは『 詩学』 に おいて,た
びたび ホメロスや『 イ リアス』『 オデ ュッセイア』 に言及 してお り,ホ
メ ロスを傑 出 しLudwig Miinz;“Rembrandt"DuMont S。 刊o8
H.Gersonに
よれば,K.Kra£
tはメダルの人物を「パ ラス・ アテナ」 とみるが,し
か しそれは 例外的 な意見である。Cf.H.Gerson;oP.cit・ P・ 499紘
レンブラン トの歴史的肖像画 た詩人 と評価 してい る(2。)。 とす れ ば
,ア
リス トテ レスが ホメ ロスの胸像 の頭部 に手 を置 いてい る 描写 は,『
詩学』の著者 が偉大 な詩人 に払 う尊敬 と敬愛 の視覚的表現 と して納 得 の ゆ くものだろ う。 と ころで この尊敬 は,ア
レクサ ンダー大王 と共有 され るべ きものだ った。大王 はいつ も『 イ リ アス』を手許 に置 き,ま
た東方遠征 の途上 ホメ ロスの詩を愛誦 しその 史蹟 を たずねた といわ れ る が,(21)そ
れはおそ らく彼 にホメ ロスを講 じたア リス トテ レスの感化であろ う。 この図にお けるメ ダル に浮彫 されたア レクサ ンダー大王 は,ホ
メ ロスの胸像 の方 に顔 を向け,ア
リス トテ レス ともど も敬意を払 っているかの ごと くで あ る。 もちろん レンブ ラン トは,
ラテ ン語 学校 や ライデ ン大学で 充 分 にそ うい う描写を可能 とす る古代 史 の知識を身につ けていた。 ホメ ロスを最高 の詩人 と評価す る姿勢 は,必
ず しもルネ ッサ ンスやバ ロ ック期 の人 々に共通 した ものではなか った。古代 はともか く,近
世 に入 るとホメ ロスの洗練 されぬ粗野 な言葉 づかいや イメ ー ジの卑俗性を批判す る声 が強 くな り,む
しろウ ェルギ リウスを最大 の詩人 と考 え る傾 向があ らわ れた。 しか しなが ら,
レンブ ラン ト自身は常 にホメ ロスを敬愛 し,
この作品のほか にもホメ ロスを 描 いた素描や油彩画を残 してい る。彼 が ホメ ロスの主題を好 んだ理 由と して,ケ
ネス・ ク ラー クは ホメ ロスが「詩 の父」であることの ほか に,盲
目で あ る ことを挙 げてい る(22)。 実 際 レンブ ラン ト は,ホ
メ ロスの ほかに トビ トの物語 な どの描写で,何
度 とな く題材 と して盲人 を扱 ってい る。 ある い は彼 の父親 が晩年盲 目にな った ことに関連があるのか も しれない。 なおヘル ドによれ ば,
レンブ ラン トの ホメ ロス賞讃 は決 して孤立 した趣味ではな く,多
かれ少なかれ47世紀のオ ランダや フラン ドルの学者・ 知 識人 に共通の態度 だ った(23)。 か くしてわれわれは,≪
ア リス トテ レス>の
図に全場す るア リス トテ レス,ホ
メ ロス,ア
レクサ ンダー大工の二人 の人物を確認 し,そ
の うち二人 までが彫 像 だが,
この二人 がいわ ば「 トリオ」 と して表現 され る歴史的根拠 を考 えた。実 の ところ,
レンブ ラン トはすでに ここで三人 を描 いてい る ため,再
びル フ ォーか ら作品の注文 を受 けた とき,改
めて この彫像 の二人 を半身像 に仕上 げよ うと した,そ
れ は きわめて 自然な成行 きだ った と想像 され る。 なお,ま
だわれわれは この絵 の内容を検 討 して いないのであ るが,
これまでの分析 によって明 らか とな った ことは,ア
リス トテ レス とア レ クサ ンダー大王 とによるホメ ロスに対 す る賞讃 の姿勢で あ る。 それは胸像 の頭部 に手 を置 くア リス トテ レスの動作 によ って,ま
ず端 的 に知 り得 る ことである。 そう したホメ ロスの讃美が,
レンブ ラ ン トを合 む17世紀オ ランダの知識人 の態度で もあ った ことは,す
で に述べ た。 しか し以 上 の事柄 は,作
品の「意 味Jを
考 え る端緒 にす ぎない。画面 に漂 うメ ランコ リックな雰囲気,ア
リス トテ レ スの瞑想的な表情,そ
れは「 ホメ ロス頌歌 」 とい うことで単純 に包括 しえないよ うな意味 内容 を合 んでい ると推測 され る。では,
この作品はそのほかに どうい う内容 を示 してい るのか。次 にその考 901『詩学』の全篇にわたってホメロスに対する讃辞がなされているが,特
に25・必章参照。 鬱〕『 プル ターク英雄伝』卿 (岩波文庫)15,25頁
参照。221 Kenneth Clark;“ Rembrandt and the ltalian Renaissance"P,78
紘 部 岡 察 に進 みたい のだが
,そ
の前 に ここに見 出せ る一,二
のモ テ ィー フについて検討 しよ う。 本 図のア リス トテ レスの書斎 には,数
冊 の書 物 の ほか にホメ ロスの胸像 が置いてある。一般 に ロ ーマ時代 には書斎 に彫像 や胸像 を置いて飾 るのが慣習だ った といわれ る。 その慣 習はルネ ッサ ンス 期,バ
ロ ック期 に受 け継 がれ,当
時 の知 識人 が書斎 に胸像 を置 くのは珍 らしい ことではなか った。 そ うして この習慣 を反映 して,書
物 と胸像 のあ る書 斎 をバ ックに一人 ない し複数 の人 物 を描 く肖像 画 が,17世
紀 の フ ラン ドルにまず あ らわれ る。 ことにルーベ ンスや フ アン・ ダ イクが好 んで描 き, この人 間 と書物 と胸像を組合せ るモテ ィー フは,そ
の世紀の半 ばにはオ ランダにも伝 え られた。 ル ーベ ンスの≪四人 の哲学者≫ (第5図
)(1615年
頃,
フ イレンツェ・ ピッテ ィ画廊)は
,書
斎 のモ テ ィー フを示す初期 の最 もす ぐれた例であ る。 この図にはルーベ ンス 自身のほかに,
リプ シウス, ウ ォベ リウス,ル
ーベ ンスの弟 フ イリップの二人 の ヒューマニス トが描 かれてい る。彼 らは書物 の 置 かれた テーブルの回 りに集 ま り,一
方 セ ネカ と思 われ る胸像 が背後 の壁 亀 に節 って あ る。≪ ア リ ス トテ レス>の
図 と違 って,登
場人物 は胸像 に手 を触れていないが,
しか し卓上 の書物 には触 って い る。 この種 の 肖像画 では 自明の ことだが,四
人 の人 物 とセ ネカの胸像 との間には特別 の関連が あ る。す なわ ち,
リプ ンウスの偉大な業績 の一つはセ ネカの著作の編纂だ し,ル
ーベ ンス もセ ネカの 崇拝者 だ ったので あ る。 お そ らく卓上 の書物 はセ ネカの著書で あろ う。 また,同
じ くルーベ ンスの ≪ カスパ ル・ ゲバ ルテ ィウスの 肖像>(ア
ン トワープ,
コニ ンク リック美術館)は
,≪
ア リス トテ レス>の
図 と構 図上 の類似 が あ って注 目され る。 ルーベ ンスの友人 で あ るゲバルテ イウスがテー ブ ルの脇 に坐 り,視
線 を観者 に向けなが ら右手 のペ ンを卓 上 の開いた本 に近 づ けて い る。 その左方 に,ゲ
バ ルテ ィウスの方を向いた ローマ皇帝,マ
ル クス・ アウ レリウスの胸像 があ って,そ
の奥 に は書物 の並んだ書棚 がある。ゲバルテ ィウスは胸像 に触 っていないが,≪
四人 の哲学者>の
図 と同 様 に書物 には手 をか けてい る。胸像 や書物 が画面 の左 半分 にあ って,一
方登場人物 が中央 部 よ りや や右寄 りに位置す る構成 は,
レンブ ラン トの種 ア リス トテ レス≫ の図 と類似 してい る。 ルーベ ンス の この作品は, 1644年
にポ ンテ イウス (Paul Pontius)1こ よ って版画 にな って流布 したので,
レ ンブラン トもその構 図を知 っていたにちがいない。 なお,
レンブ ラン ト以外のオ ランダ画家の作 品 で このモ テ ィー フの例 を求 め ると,例
えば フ ァン・ ラベステ イン(Arnoldus van Ravesteyn)
の≪ ヤ コブ・ カ ッツの肖像>(ハ
ーグ),ヤ
ン・ ド・ ブ ライ (」an de Bray)の
≪ アブ ラハ ム・カステ レイ ン夫妻像
>(ア
ムステルダム国立美術館)な
どが挙 げ られ る。 ちなみ に,胸
像 と書 物 を 伴 った この種 の 肖像画 は18世紀 に伝 わ り,例
え ば レー ノルズ(Sir JOShua Reynolds)も
好 ん だ モ テ ィー フだ った。それ ら数点 の肖像画 は
,そ
のモテ ィー フの類似 にもかかわ らず,
レンブ ラン トの種 ア リス トテ レ ス≫ とは本質的 に異 な ってい る。 レンブ ラン トの作 品では,多
分 に空想 的な歴史上 の人物 の 肖像 で あ り,そ
の人物 と胸像 との間にさほど時代 的・ 精神的なへだた りがあるわ けではない。 しか るにほレンブラン トの歴史的肖像画
11
か の作品は,同
時代 人 を描 いた 肖像画で あ り,胸
像 は古代 の遺 品 も しくはその模刻であって,画
中 の人物 の興味や関心 の対 象物,あ
るいは その身分 や職業 をあ らわす一種 の「 象徴」 とな ってい る。 またその胸像 は概 して画面の深奥部 に背景 の一部 と して置 かれ,肖
像 の人 物 との間 に直接 の感情の 交 流 は見 られない。 しか しなが ら,
レンブ ラン トの≪ ア リス トテ レス≫の主要 なモテ ィーフの一つ は,画
中の人物 が「 同格」 に設定 された胸像 の頭部 に手を置 いてい るまさにその描写 にあ り,そ
の 点 ほかの作品 と全 く別種 な趣を もってい る。 ところで,
この彫像 に手 を置 くモテ ィーフも,16世
紀初頭 の ドイ ツや イタ リアの絵画 に作例 を求 め ることがで きる。 ハ ンス・ ホルバ イン(Hans HOlbein d.J.)の
木版画照 ロ ッテルダムのエ ラス ムス (1555年)に
は,テ
ル ミヌスの半身像 の後 ろに立 ちなが ら,そ
の頭部 に右手を置 くエ ラスムス が描かれている。 が,そ
れ よ リレンブ ラン トのモ テ ィー フに近 いのは,セ
バ ステ イアノ・ フロ リジ エ リオ (SebaStiano Florigerio)の ≪ グ ラッシの 肖像>(ウ
フ ィツ ィ美術館)で
ある。画面 中央 に立つ グ ラッシが卓上 の胸像 の頭部 に右手をのせてい る。胸像 に視線を向けず書物 の 描 写 もない が,画
面構成 の点で≪ ア リス トテ レス≫ の図に近 い。 また,ブ
ェネ ツ ィア派,特
にテ ィン トレッ ト(TintOretto)周
辺 の画家の手 にな る≪若者の肖像≫ (ミ ュンヘ ン,ア
ルテ・ ピナ コテー ク)も, ル ク レテ イアの彫像 に若者 が右手 を置 いて,
レンブ ラン ト作 品 と構 図上 の類似を示 してい る。 上述 のように,わ
れわれは≪ ア リス トテ レス≫ の図に見 出せ る二つのモテ ィー フ十一(1)人間 十書 物 十胸像 の組合 せ よ りな る書斎 の人物像 の表現,(21画 中の人 物 が胸像 の頭部 に手 を置 く表現,の
作 例 を ほか に求 め,
レンブ ラン ト芸術 にお ける伝統 と創意 とのかかわ りをみた。 なおまた,書
棚 な り 書物 な りの一部 を見 せ ほかはカーテ ンで覆 うとい う描写 も,
この作品のみ な らず17世紀 に しば しば 採用 されたモテ ィー フだ った。 さて、われわれの次 の課題 は,
この作品の意味内容 の検討で ある。画面 に漂 う沈静 な雰囲気,ア
リス トテ レスの物想いに沈んだメ ランコ リックな表情 は,実
の ところ,外
形 よ りも内面精神 の表 出 を意 図 した レンブ ラン トの後期作品 に,あ
る程度共通 してみ られ ることで ある。 中期か ら後期 にわ た る作品においては,画
面 をおお う深 い明暗効果 によ って,沈
欝 な雰囲気 が一層深 化 して い る。 そ して主題 はさま ざまであ りなが ら,画
面 の主要人 物 の孤独・ 悲哀・ 寂グ の感情 が陰騎 のある表 情 を 通 して描写 されてい るので ある。例 えば,≪
ア リス トテ レス≫ の翌年 に制作 された≪浴後 のバ テシ バ≫ (第4図
)(1654年
,ル
ーヴル美術館)を
見 よ う。ダ ビデの手紙 を手 に持 つバ テシバが,老
侍 女 に足 を拭かせ なが ら物想いに沈んでい る。 その表情 はまさに≪ ア リス トテ レス≫ にみ る深 い思い の表情 と同 じで ある。バ テシバ の心 の不安ない しは内部 にさざめ く衝動 と,
それを抑制 しよ うとす る心 の葛藤 が,憂
いの表 情をたたえ,瞑
想をおびた彼女 の顔 にきわめて痛 切 に暗示 されてい る。 こ こには視覚的明暗法 を補足す る心理的明暗法がある,
とベ ネ ミュは述べてい るが(2の,
そ ぅ した明暗効果 は この《 ア リス トテ レス≫ に も見 出せ よ う。 中期 か ら後 期 にか けて の レンブ ラン トの明暗法 は
,カ
ラヴ ァッジオ風 の明暗 の際立 った対 比 によって劇的効果 を高 め る 傾 向 か ら徐 々に離れてゆ き,登
場人 物 の心理 を深 く提 え,内
面 的 な ものを鮮 やか に易J出す るよ うにな るので あ る。 ア リス トテ レスは物想いにふ ける孤独 な人物 と して表わ されてい るが,そ
の よ うに表現 され るに はお そ らく特別 な理 由があると推察 され る。 15世 紀の フ イレンツェの「 アカデ ミア」の中心人物で あ ったマル シ リオ・ フ イチーノ(MarsiliO Ficino)は
,古
代 ギ リシ ャか ら伝 え られた 「 四性論」 の考 え方 を再検討 し,か
って 中世 において四つの気質 の中で最 も劣性 とみな されていた「憂欝質」 (メ ラン コ リア)に
逆 に高 い価値 を与 えた(25)。 その手 がか りとな ったのはア リス トテ レスの説明 で,「
メ ランコ リア」を哲学者 や芸術家の卓越 した創造的才能 と結 びつ けたのであ る。 この フ イチ ーノの新解釈 はその後 イケ リア全上 に流布 したのみ な らず,
ドイ ツや イギ リスや ネーデ ル ラン ドに も伝 わ った。デ ュー ラー(Albrecht Durer)の
銅版画≪メ ランコ リア≫ (1544年)は
その最 も見 事 な例で あ る。 中世来 の伝統 的図像 において は,憂
欝質 の人 間は頼 杖 をつ き無 為 に時 を過 す恰好 で 拙写 されて い る。デ ュー ラーの図 にお ける憂 欝質 を象徴す る女性 も,頼
に左手 をあて図式的 には同 じ姿勢 なのだが,
しか し彼女は右手 に コンパ スを持 ち,眼
を輝 かせて知的活動 に従事 してい る。 こ こには明 らかに「 メ ランコ リア」 に関す る価値転換が認 め られ,中
世 の「 怠 け者」の 表 現 で はな く,瞑
想す る知的な人 間の表現 にな ってい る。 レンブ ラン トの時代 において は,
この新解釈 がむ し ろ一般 的だ ったはずだ し,
レンブ ラン ト自身 この思想を継承 していると思 われ る。≪ ア リス トテ レ ス≫ の図 において,哲
学者 は頼 杖をついていないけれ ども,「
メ ランコ リア」 の気質 を示す か の よ うに,深
い思索 に耽 る「 瞑想の人」 と して表 わ されている。 ア リス トテ レスの上衣 の黒色 も,「
メ ランコ リア」を象徴す る伝統的 な色彩 とみなされよ う。 こう考 え ると,
レンブ ラン トがア リス トテ レスを表現す るにあた って,内
省 に沈 んだ表情 を与 えたのは,哲
学者 の肖像 と してはまさに最適だ ったわ けで あ る。 しか しそのメ ランコ リックな表情 は,哲
学者 に相応 しい風貌を与 え るための単 なる「 手段」 と し て よ りも,む
しろそ こには何か特別 な「 意味」が こめ られてい るのではあるまいか。ベ ネシュはア リス トテ レスの物思 わ しげな表 情 や身振 りを説 明 して,「ア リス トテ レスは ホメロス と無言 の対話を 交 して い る」 と述 べてい る(26)。 胸像 を通 してホメ ロスの イメー ジと語 らってい るとい うわけだが, はた して それで この哲学者 の表情を充分 に説 明 した ことになるだ ろ うか。 ここで私 はア リス トテ レ スが掛 け る金 の鎖 に注 目 したい。 その豪華な鎖はホメロスが頭 に巻 く地味 な リボ ンといか にも際立 った対照をな してい る。画面効果 の点か ら見 ると,鎖
の金色は上衣 の黒色 との対 比です ば らしい色 彩 の アクセ ン トとな ってい る。 レンブ ラン トは しば しば暗部 に輝 く貴 金属 や武 具 の描写 を好 んで取 扱 ったか ら,
この金色の鎖 も色彩効果を単 にね らった作例の一 つ といえるか も しれない。 しか し, 高 階秀商『 ルネ ッサ ンスの光 と闇』 (三彩社)Otto Benesch i``Rembrandt and Ancient 117頁History"Art Quarterly,XXH。以下参照。 1959P・ 523
紘 部
的 醐
レンブラン トの歴史的肖像画 あ るいは そ こに特別 な意味が合 まれてい るか も しれないので ある。 ヘル ドによれ ば
,古
代 には名誉を称 え るため特別 の報 酬 と して「 金 の鎖」を与 え るとい う慣習が あ り,そ
れ はルネ ッサ ンス期 に復活 し,17世
紀 には各国で広 く実施 された(27)。46,7世
紀 の肖像画 には,名
誉 の表徴 た る金の鎖を身 につけた人物像 が しば しば描かれてい る。名誉を授 けた皇帝 その ものの 肖像メダルな どがその鎖 につ くこともあ った。 テ ィツ ィアーノ(TiZianO vecellio)の ≪ ス トラーダの 肖像≫ (1567年 頃,ウ
ィー ン美術史美術館)を
見 ると,ス
トラーダは首 に四重 に金 の鎖 を巻 き,そ
こに肖像 メダルもつ いてい る。 この鎖 はまぎれ もな く,フ
エルデ ィナ ン ドー 世,マ
ク シ ミリア ンニ世,ル
ドル フニ 世の二代 に仕 えたス トラーダの栄誉 の しる しである。 また画家 自身が 名 誉の「金 の鎖」を受 けることもあ った。例 えば,フ
ァン・ ダ イクはイギ リスのチ ャール ズー 世か ら金 の鎖 を授 か り,そ
の折 の ものか どうかは っき りしないが,≪
ひまわ りのある自画像≫ (ロ ン ド ン,個
人 蔵)に
おいて,君
主 を象徴す ると思われ るひまわ りを右手で指 さ しなが ら,左
手 で誇 ら し げ に金の鎖を持上 げて観者 に示 してい る。 ところで,「
金 の鎖」を名誉 の表徴 とみ る解釈 は,≪
ア リス トテ レス≫ の図における鎖 にもあて は まるのではないだろ うか。 ア リス トテ レスが身 につ ける金 の鎖 は,そ
こか ら下 が るメダルの 肖像 人 物,つ
ま リア レクサ ンダー大王か ら授か った栄誉 の鎖で ある,
とヘル ドはみな して この作品 に新 しい解釈 を加 えてい る。3)。 ァ リス トテ レスは右手 をホメロスの胸像 に置 き,他
方左手 の人差指 と 中指 の間 には金 の鎖 を挟 んで,胸
像 と鎖 のいず れ とも身近 に接触 してい る。胸像 と鎖 に等 しく触れ なが ら,い
ず れ に比重 を置 くべ きか決 し難 いかの よ うに,哲
学者 は視線 の定 ま らぬ表情で 内省 に沈 んで い る。 とはいえ,ア
リス トテ レスはいずれかに注意をよ り集 中させている。右手 は胸像 を祝福 す るか のよ うにその頭部 に置かれ,ま
た明 るい光 を受 けてい るが,反
対 に鎖を もつ左手 はややたれ 下 が り,陰
影 をおびて い る。両手 の この対 照的な取扱い,ま
た哲学者 の視線や姿勢 がホメ ロスの胸 像 の方 に向いてい る ことを考 え合せ れ ば,ア
リス トテ レスが鎖 よ りも胸像 に心を寄せてい る ことは 明 らかで あ る。 その ことはつ ま り,ア
レクサ ンダー人工か ら与 え られた栄誉 よ りも,ホ
メ ロス に価 値 を見 出 してい る ことを意味す るので はあ るまいか。 ア リス トテ レスの内省 の表 情 は,金
の鎖で象 徴 され る地上 の栄誉 を尊 ぶか,そ
れ とも質素 な リボ ンを頭 に巻いたホメロスの胸像 が象徴す る詩の 世界,内
的価値 の世界を尊ぶか,そ
の価値 の選択 に心を労 してい る表情 だ と思われ るので ある。 そ して ア リス トテ レスは,明
らか に大工 よ りもホメ ロスに親近感を抱いてい る。 この作 品が ホメ ロス ヘ の称讃 を主題 に してい ることはすで に述 べ たが,
しか しそれは意味内容を正確 に 伝 え て はいな い。画面には二つの価値 が提示 され,そ
れを選択す るア リス トテ レスがあ くまで もこの作 品の中心 人物で ある。 ア レクサ ンダー大三か らの世俗的栄誉 よ りも,ホ
メ ロスの内的価値 の世界 を高 く評価 す る,そ
の哲人 のホメ ロスヘ の心 の傾斜 が この図の主題で あると思われ る。 ア リス トテ レスが敬愛J. Held i op. cit, P 55
ibid, pp. 52ff・
9 9
す るホメ ロスの胸像 と「 無言 の対話」を交す
,そ
の姿 が大 き くクローズ・ ア ップ しているが,
しか しホメ ロスのみが彼の瞑想の対象ではない。彼 は画面 中央 で,い
わ ば二 つ の相対立す る「 価値」の 狭 間 に置 かれてい るので あ り,そ
の価値判断に心 を迷わ してい るのである。 そ してあたか も≪ ペテ ロの否認≫ (1660年,ア
ムステルダム国立美術館)に
お いて,ろ
うそ くの光 で照 し出され たペ テロ が,世
俗 の力 の脅威 と真 の義務へ導 く内な る声 との間で,
とま どい なが らた ちす くんでい る,あ
の 内的 緊張 に劣 らぬ緊張感を この≪ ア リス トテ レス≫ の則は もってい るので ある。 レンブ ラン トが この作 品において,は
た して金の鎖を名誉 の「象徴」 とみ な したか どうか,残
念 なが ら確証 はない。豪奢な衣裳 や宝石,光
沢 のあ る武 具 の表 現 な どを好 んだ レンブ ラン トだか ら, あるいは特別 な意味を もたせず単 に黄金色 の色彩効果を意 図 したのか も しれない。 レンブ ラン トの 自画像 や 肖像画 には,金
色 に輝 く鎖 を首 にか けてい る描写 が意外 に多い けれ ども,ほ
とん どの作品 は鎖をT象
徴」 と してで はな く,衣
裳 の「 装飾」 と して使 ってい る。ル ーブル美術館 の≪ 自画像≫ (4654年)や ,ア
メ リカのノー トン・ シモ ン・ コ レクシ ョンの≪ 自画像≫ (1659年 頃)な
どは,金
の鎖を首 にか けてい くぶん誇 ら しげな姿 の 自画像ではあるが,そ
れ らの鎖 の描写 に して も世間的名 声 な り栄誉 な りの「 象牧」 とみなす ことはまず無理で あろ う。 ただ≪ ア リス トテ レス≫ の図におい て は,上
述 の よ うに,ア
リス トテ レスの両手の描写 がいか にも暗示的であ って,ホ
メ ロスの胸像 と 金 の鎖 の意味上 の対立 を示唆す るため,金
の鎖 に象徴的意味を見 出すの もあながち無理ではないの で ある。 ≪ ア リス トテ レス≫ は レンブ ラン トが47歳 の折 の作品で あ るが,
この時期 の レンブ ラン トは世 間 との安易 な妥協 を排 して,世
俗 の栄誉 よ りも画家 と して 自由と内的な価値を求 めて孤高 の道を進み つつ あ った。 そ う した レンブ ラン トの姿を,わ
れわれは≪ ア リス トテ レス≫ に見 出す ことがで きよ う。 この作品で彼 のサ イ ンがホメロスの胸像 になされてい るのは,画
家 自身 のホメロスヘ の讃辞 の 表 明だろ う し,ホ
メ ロス に親愛 の情を寄せ る孤高 の哲人 ア リス トテ レスに,あ
るいは 自己を投影 さ せ てい るか も しれないのである。3.≪
ホメロス≫ その他
今 日,ハ
ーグのマウ リッツホイスにある≪ ホメロス≫ (第5図
)が
,ル
フ ォーの依頼 による作品 で あることはまず 間違いない。画布 に拙かれた油彩画で,
レンブ ラン トのサ イ ンと1665年 の年記 が あ る。ル フォーの財産 目録 には,「
二人 の筆録者 に口述 してい る着座 のホメロス」 とあ るが(29), 本 図 に見 え るのは,膝
掛 け椅子 に坐 って左手 の杖 に身を寄せ,右
手 をやや前 に差 しのば した ホメ ロ スの姿 のみで ある。≪ ホメ ロス≫ の予備素描 と思われ る作品が,幸
い にもス トックホルムの国立美 術館 にあ って,そ
こにはホメ ロスのほかに若 い筆録者 が一人 い る。(第6図
)目
録 の記述 どお り, 紘 部 岡レンブラン トの歴史的肖像画 原形 においては二人 の筆 録者 が画面の右方 にいたと思われ る。ハ ーグの≪ ホメ ロス≫ の図は火災 の 損傷 を受 けてい る。ル フ ォー家 の蒐集品が火災 にあ った ことはすで に述 べ たが
,≪
ホメ ロス≫ に火 災 の痕跡 があ るのは,そ
れがル フ ォーの注文 による作品で ある有力 な根拠 となろ う。 レンブ ラン トはホメ ロスや盲人 の描写を好んだが,ホ
メ ロス とい う主題 はイタ リア・ バ ロ ック絵 画 で も しば しば描 かれた。 モー ラ(Pierfrancesco Mola)の
≪筆録者 に口述 す るホメ ロス≫ (16 60年 頃,モ
ス クフ・ プー シキ ン美術館)は
,画
面左方 にホメ ロスの半身像,右
方 に筆録者 を描 き, 画面構成 の点 で は レンブ ラ ン ト作品 に類似 して い る。 モー ラが描い たのは壮年期 のホメ ロスで あ る けれ ども,
レンブ ラン トは人生 の栄光 と悲惨 をすで に経過 した盲 目の老詩人 を描 く。顕著 な身振 り 動 作を示 さず に盲 目を表現す ることは,的
確無 比 な描写力を必要 とす るが,
レンブ ラン トは顔の表 情 と杖を握 るわず か な手 の動 きで それを見 事 に易」出 してい る。 ホメ ロスの老成 した顔 は,≪
ア リス トテ レス≫ の図にお ける胸像 のホメ ロスの顔 とあま り似てい ない。 しか しなが ら画家 は,か
って所 有 のホメ ロスの胸像 か ら深 甚 な るイ ンス ピレー シ ョンを得 てい た ことだ ろ う。 そ して比類 ない想像 力 によ って 肉づ けを な しなが ら,≪
ア リス トテ レス≫ よ り10年 後の この作品で偉大 な人 間像 ホメ ロ スを創造 したので ある。 画 面 の色彩 に注 目す ると,主
調 をなす茶 褐色 に対 し,陰
影部分 の黒 と光 を受 けて輝 く黄金色 とが 互 に共鳴 し合 ってい る。 またホメ ロスの右袖 口にわず かに見 える深紅色 が,画
面 の一つ のアクセ ン トとなってい る。 この「 深紅色」 は≪ ア リス トテ レス≫ の図のテーブル・ ク ロスにも見 られたが, 黄金色 とともに壮年期か ら晩年 まで好 んで使用 された色彩で ある。 晩年 の≪ユダヤの花嫁≫ (1666 年 頃,アムステルダム国立美術館)≪
家族 図≫ (68年 頃,ウル リッヒ侯美術館)《
放蕩息子 の帰還≫ (68年 頃,エ
ル ミター ジュ美術館)な
ど,殊
に深紅色 と黄金色 とが不 可分 に結 びついて,荘
厳 な雰 囲気 と深 い精神性を付与 してい る。 この≪ ホメ ロス≫ の図において も,黄
金色 と深紅色 との微細 な 筆触を そのまま生 か して,光
に深い精神性を もたせ なが ら,観
者 を圧 倒す る大いな る人 間像をつ く り上 げているので ある。 ホメ ロスの盲 いた 目は,あ
の≪ ア リス トテ レス≫ における内省 的な 目に比べて,な
お深 く外界 よ りも内部世界 に向 ってい る。死 の予感を覚 えなが ら,
しか もなお老詩人 の心 は内な るビジ ョンに揺 り動 か され,壮
大雄渾 な神 々と英 雄 の世界 に充 た されてい るよ うだ。 張 りつ めた表情 の顔,何
事か 語 りかける右手,黄
金色 に輝 く肩 か ら,老
詩人 の内な る生 気 が放射 して くる。顔 や肩 の部分 の大胆 な厚塗 りや濶達 な黄金色 の筆触 は,内
的生命 の拾頭を さえ感 じさせ る。 画面 は一人 の老 いた孤独 な 詩人 を捉 えてい るにす ぎない が,そ
の内面の測 り知れない豊 か さや深 さにわれわれは吃驚せ しめ ら れ,ま
さにホメ ロス とはか くあ らんか とい う感を深 くす る。 この図 とほぼ同時期の制作 とみな され る≪笑 う自画像≫ (1665年 頃,ケ
ル ン,ブ
ォラール・ リヒアル ツ美術館)も
,見
る者 の精神を圧 倒 す る巨大 さと内面 の無 限の豊か さを もってい る。暗い背景 か ら一種 の霊気を漂わせ る超絶的な光 に 照 し出されて,帽
子 をかか った老画家 自身が不可思議な微笑 を うかべなが ら,こ
ち らを見つ めている。 その微笑 をベネシュは「 静かな内な る笑 い」 といい
,「
壮大 な悲劇 に充 ちた笑 い」 と呼 ぶ(30)。 人生 の栄光 と苦 渋を背負 いつ つなお その渦 中で不屈 に闘 う老画家 が,ほ
んの瞬間 に見せ るこの 自足 の姿 に,わ れわれは戦慄 に近 いおののきを覚 え る。 そ して また,この老画家 とホメ ロスの姿 とが脳裡 に二重 に重 り合 うのを感ず る。か って絢爛豪華 な衣裳 や宝石 に向けた レンブ ラン トの芸術意欲 は, いつ しか内面世界 の充溢を希求す る姿勢へ と転換 してい る。物 その ものに対す る愛着 か ら精神 的な ものに対す る愛への この移行 は,装
身具 を描 く≪ ア リス トテ レス≫ と一 切装飾 のない≪ ホメ ロス≫ の図の比較か らも知 りうることであ る。両作品は明 らかに様式 の相違を示 してい る。≪ ホメ ロス≫ が原形 を失 ってい るのはいか にも残念 な ことであるが,
しか しこのま さに神 韻繰沙 た る レンブ ラン ト芸術 に接す ると,
もはや画面構成 は問題 にな らない。 類 いまれな 内面描写 によ って,
偉大 な精 神,巨
大 な人 間像 が把捉 されてい る,そ
れだ けで充分なのである。 さて,ル
フ ォーの依頼 による≪ ア レクサ ンダー大工≫ の図は現存 しない とみ るのが通説 だが,そ
れ に擬せ られ る作品が二点 あるので,最
後 にその ことについて補 足的 に触れ たい。 グ ラス ゴーの美術館所蔵 の レンブ ラン トのサ インと1655年 の年記 のある作品 (第7図
)は ,そ
の 主題 と して「 ア レクサ ンダー大王」「 マルス」「 パ ラス・ アテナ」「 聖 ミカエル」等 々の人物名が 上 ってい るが,な
お決定をみていない。か って レーノルズはこの絵を「 アキ レス」 の表現 とみな し てぃた(3つ。 甲 冑で身を固め赤 い マ ン トを羽織 った人物 が,左
手 に楯 を持 ち,右
手 に剣 を握 って立 ってい る。身体を斜 めに構えてい るが,顔
はほぼプ ロフ ィールで父Jを持 つ右 手 を見 てい る。 フク ロ ウ らしき頂節 りのある兜 は,一
般 に「 パ ラス・ アテナ」の象徴 とみな され るけれ ども,必
ず しもそ う断定す ることはで きない。 この人物 は耳飾 りを してい るが,顔
は男 のよ うで,「
アテナ」 よ り「 マルス」か「 ア レクサ ンダー大工」の表現 とみた方 がよかろう。 ル フ ォーが4661年 に≪ ア レクサ ンダー大王≫ の図を受取 ったとき,四
片 の画布 の継 ぎ目がは っき り見 えたため に,頭
部 に画布をつ け足 して半身像 に仕上 げたのではないか と不満を述 べてい るが, 実 は本 図も画布 が継 ぎ合 されてい る。 しか し,そ
の箇所 は画面全体でわずかの部分 だ し,
しか も明 らか に レンブ ラン ト以後 に他 の人 によ ってなされたもので ある。 またル フォーの 目録 には大王を「 着座 」 と記 してお り,本
図の人物 の姿勢 とは異 な る。 1655年 の年記 が あ るため,
も しこれを《 ア レ クサ ンダー大王≫ の図 とすれ ば,
レンブ ラン トはメ ッシーナに送 るまで6年
間放置 してい た ことに な る。 それは どうも考 え られない。以上 の ことを考 え合せ ると,
この作品をル フ ォー委嘱 の≪ ア レ クサ ンダー大王≫ の図 と同一視す ることは無理 のよ うに思われ る。 ところで,
リスボ ンのグルベ ンキ ア ン・ コ レクシ ョンに,も
う一点同 じよ うな絵がある。 (第 8 図)年
記 がない けれ ども前作 と類似 の描写で あるので,
ほぼ同時期の制作 と一般 に み な されてい99 0ttO Benesch“ Rembrandt''Skira Pコ
%
130 B・ Haak,Op.cit.p.265
紘 部 岡 16