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貝殻集め

『終わりの花』補遺 試作版

皆月蒼葉

(2)

2 9 ページ 2行目 誤朝潮 正 13ページ 17行目 誤要項 正要港 14ページ 13行目 誤朝潮 正 23ページ 10行目 誤軽 く 正軽 い 24ページ 8行目 誤吳 正 吳 くれ ︵ ルビ 追加︶ 28ページ 7行目 誤神湊 正 神 かみ 湊 なと ︵ ルビ 追加︶ 33ページ 3行目 誤生 ビール 正赤 ビール 52ページ 9行目 誤 吳 くれ 正吳︵ ルビ 削除︶ 55ページ 14行目 誤 さっき 正殺気 82ページ 7行目 誤 つ 気 ながら 正 つきながら ページ 11行目 誤夕張 正 まるゆ ページ 5行目 誤夕張 や 正 ︵削除︶ ページ 4行目 誤不味 い 正 まずい ページ 15行目 誤深海棲艦 の 正 ︵削除︶

『終わりの花』正誤表

平 成 二 十 六 年 八 月 十 五 日 発 行 の 『 終 わ り の 花 』 本 文 に お い て、 多 数 の 誤 り が 見 つ か り ま し た。 通 読 に お い て 大 き な 不 便 を お 掛 け し た こ と を お 詫 び す る と と も に、 こ こ に 九 月 十 三 日 時 点 で 確 認 で き て い る 誤 り に つ い て、 正 誤 表 の 形 で 列 記 い た し ま す。 万 一 こ こ に 記 し た 以 外 に 誤 り が あ り ま し た ら、 随 時 W e b サ イ ト ( http://bi3.jp/ ) に て 公 表 い た し ま す の で、 そ の 際 は ど う か ご 容 赦 の ほ ど を よ ろ し く お 願 い い たします。

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3 ページ 13行目 誤一体 正一帯 ページ 2行目 誤不知火 正夕張 ページ 8行目 誤沼坂 正夕張 ページ 16行目 誤鈴谷 へ 向 き 直 った 正摩耶 へ 向 き 直 った ページ 11行目 誤吹雪 正吹 ページ 17行目 誤 と 呼 ばれた 駆逐艦 正 ︵削除︶ ページ 11行目 誤六人 正四隻 ページ 9行目 誤方向 正咆吼 ページ 9行目 誤沼坂 は 軽 く 正樺森 は 軽 く ページ 17行目 誤技術本部 正技術研究所 ページ 9行目 誤讀賣 正國民 ページ 9行目 誤東京朝日 正東亰朝日 ページ 14行目 誤横須賀 正橫須賀 ページ 記事中 誤十三日午後三時 正十五日午後三時 ページ 記事注釈 誤九月十四日   讀賣新聞 正九月十六日   時事新報

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4 あんちつ くたい   も と は 肉 太 な 千社文字系統 の 仮名文字書体 を 指 したが 、太 めの 明朝体仮名 と 見 た 目 が 似 ていたことから 、 やがて 太明朝 の 仮名 とゴシック 体 の 漢字 の 混植 を 指 すようになった 。 海軍技術研究所 かいぐんぎじゆ つけんきうじよ   一九二 三年 から 一九四五年 まで 存在 した 、 海軍省隷下 の 研究機関。時期 によ って 変化 はあるが 、概 ねレーダー や 音響兵器等 の 研究 を 行 う 電気・ 電波部門、暗視装置 や 化学兵器等 の 研究 を 行 う 理学・化学部門、造 船部門、材料部門 に 分 かれていた 。 かいぐん しやう   一 八 七 二 年 か ら 一 九四五年 まで 存在 した 軍政機関。 建物 の 外観 から 単 に ﹁赤瓦﹂ と も 称 される 。海軍大臣 を 長 とし 、 海軍 の 人事管理 や 会計業務、基地 管理 や 軍法 の 執行 などを 業務 とす る 。作戦 の 立案 や 用兵 の 運用 は 軍 令部 が 担当 した 。 海軍省軍務局 かいぐんぐ んむきよく   海軍省内 に 設置 された 部局。編成 や 軍紀維持、 艦船 の 整備 や 国防思想 の 普及 など を 担当 し 、軍政 の 実働部隊 として 活動 した 。 海軍兵学校 かいぐんへ いがくかう   一八七六年 か ら 一九四五年 まで 存在 した 日本海 軍 の 士官養成機関。 その 所在地 か ら 単 に ﹁江田島﹂ とも 称 される 。 当時、旧制中学卒業後 の 進路 とし ては 、 ナンバースクールへ 進学 し て 帝国大学 を 目指 すよりも 、海軍 兵学校 に 入学 する 方 が 難関 と 言 わ れ 、各府県 の 第一中学 が 合格者数 でしのぎを 削 っていた 。 かいざう ぶんこ   一 九 二 九 年 か ら 一九四四年 まで 改造社 が 展開 して いた 文庫 レーベル 。岩波文庫 に 対 抗 し 、社会科学 と 文学 の 二 ジャン ルからなる 。版元 の 改造社 は 総合

『終わりの花』便覧

『 終 わ り の 花 』 に は 多 数 の 実 在 固 有 名 詞 が 歴 史 的 エ ッ セ ン ス と し て 登 場 し ま す。 い ず れ も そ の 詳 細 に つ い て の 知 識 が な く と も 通 読 に 問 題 は 生 じ な い よ う に 製 作 し て は い ま す が、 こ こ に 主 だ っ た 名 詞 に つ い て 解 説 文 を 掲 載 い た し ま す。 願 わ く ば 作 中 世 界 へ の 理 解 を よ り 深 め る 一 助 と な りますよう。 注 意: 『 終 わ り の 花 』 の 作 中 世 界 は 改 変 歴 史 の 上 に 成 り 立 っ て い ま す。 こ こ に 掲 載 し た 解 説 は 現 実 世 界 の も の で あ り、 作 中 で の 立 ち 位 置 と は 微 妙 に 異 な る こ と も あ り ま す。 そ の 旨 ご 了 承 く ださい。

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5 雑誌﹃改造﹄ や 一冊一円 の 文学全 集 シリーズ 、 いわゆる 円本 で 知 ら れたが 、社会主義 に 関 わる 書物 を 多 く 出版 していたことから 軍部 の 圧力 を 受 け 、一九四四年 に 解散 の 憂 き 目 をみた 。 カスロン・セリフ体 かすろんせ りふたい   イギ リスのウイリアム ・ カスロンが 一 七三四年 に 制作 した 英字書体。 ア メリカの 独立宣言書 や 合衆国憲法 の 初版 に 使用 されている 。 ギャラ モンと 並 びオールドスタイル ・ ロ ーマンの 代表作 として 知 られる 。 カブトビール かぶと びーる   一八九八年 よ から 一九四三年 まで 愛知県 の 丸三 麦酒 が 販売 していたビール 。本格 ドイツビールの 完全再現 を 目指 し 、 ドイツ 製 の 醸造機 を 用 い 、 ドイツ 人技師 を 招 いて 生産 された 。東海 地方 では 最大 のシェアを 誇 り 、北 海道 のサッポロ 、東京 のヱビス 、 横浜 のキリン 、大阪 のアサヒの 四 大 ビールに 対抗 する 新機軸 となっ た 。販売元 の 丸三麦酒 は 根津財閥 への 譲渡、帝国鉱泉 や 大日本麦酒 との 合併 など 紆余曲折 を 経 て 、一 九四三年、企業整備令 により 製造 工場 が 閉鎖 され 、販売 は 終了 した 。 かわさきぢゆ うこうげふ   一 八 九 六 年 設立 の 川崎造船所 を 前身 とする 重 工業企業。一九一五年 には 霧島 と 並 び 民間造船所初 の 戦艦 となる 榛 名 を 建造。一九二七年 の 金融恐慌 により 、 メインバンクである 十五 銀行 が 臨時休業 したことで 経営危 機 に 陥 るが 、川崎造船所 の 破産 に より 建艦体制 が 維持 できなくなる ことを 危惧 した 海軍 の 緊急発注 に より 重巡洋艦・摩耶 を 建造。 しか し 一九二九年 の 世界恐慌 で 経営状 況 はさらに 悪化、一九三一年 には 破産状態 となり 強制和議 を 申請 す る 。 その 後、満州事変 を 境 に 景気 が 上向 いたことで 、再建 への 目処 が 立 った 。一九三九年 に 川崎重工 業 へ 社名変更。一九三七年 に 分社 化 した 川崎航空機工業 は 陸軍 の 専 属 メーカーとして 、戦闘機 や 爆撃 機 を 生産 していた 。 きいとけ んさじよ   輸 出 生 糸 の 検 査 を 行 うために 神戸市 の 新港地区 に 設置 された 施設。一九一〇年代 まで 生糸輸出 は 横浜港 がその 役割 を 一手 に 担 っていたが 、一九二三 年 の 関東大震災 によって 機能不全 に 陥 った 。 その 間 を 突 いて 神戸 港 を 生糸輸出 の 新 たな 拠点 とすべ く 、神戸市 が 一九二七年 に 私立検 査所 を 設立 する 。折 しも 一九二六 年 に 輸出生糸 の 計量法 が 変更 され 、 市立検査所 は 新 しい 計量法 に 当初 から 対応 していたこともあり 盛況 を 極 め 、 それまでの 横浜一港主義

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6 から 二港主義 への 転換 を 実現 させ た 。一九三二年 には 国立化。 企画院 きくわ くゐん   一九三七年 から 一九 四三年 まで 存在 した 、内閣総理大 臣直属 の 政府機関。重要政策 の 立 案組織 として 、企画庁 と 内閣資源 局 が 統合 して 発足 した 。当時 の 中 央省庁 においては 、産業 ごとのカ ルテル ・ トラストの 結成 を 奨励 す る 一九三一年 の 重要産業統制法 を 皮切 りに 、 マルクス 主義 に 影響 を 受 けた 革新官僚 が 発言力 を 増 して いた 。企画院 は 彼 ら 革新官僚 の 城 として 、 ソ 連 の 計画経済 をモデ ルとした 戦時統制経済政策 を 立案 する 機関 として 権限 を 強 めていく 。 その 集大成 といえるのが 一九三八 年 の 国家総動員法 である 。 しかし 、 同法 や 同 じく 一九三八年 の 電力国 家管理法 など 、社会主義的 な 統制 政策 を 強権的 に 推 し 進 める 姿勢 は 財界 の 反発 を 招 き 、一九三九年 か ら 一九四一年 にかけ 、企画院内 で マルクス 主義 の 勉強会 に 参加 して いた 革新官僚 らが 左翼活動 の 嫌疑 により 一斉検挙 される 企画院事件 に 繋 がった 。 軍令部 ぐんれ いぶ   一八九三年 から 一九 四五年 まで 存在 した 海軍 の 軍令機 関。作戦 の 立案 や 用兵 の 運用 を 主 な 業務 とする 。陸軍 における 参謀 本部 と 同様 の 位置 づけである 。 光学サンセリフ くわうがく さんせりふ   通常 の 書 体 は 人間 が 視認 することを 前提 と して 設計 されるが 、 ごく 限 られた 書体 は 機械 による 光学読取 に 最適 化 されたデザインを 持 つ 。例 えば バーコードの 下部 に 配 される 書体 ﹁ O C R ︲ B ﹂ が そ れ で あ り 、 そ の 独特 の 形態 は 人間 の 目 からすれ ばやや 奇異 にも 映 る 。 ごーるで んばつと   一 九 〇 六年 から 販売 されている 紙巻 タバ コ の 銘 柄。 ﹁ バ ッ ト ﹂ の 愛 称 で 親 しまれる 。等級 の 低 い 葉 を 用 いて いたため 最 も 低位 の 三級品 に 位置 づけられていたが 、熱烈 な 愛好者 も 多 く 、 なかでも 作家 や 文学 ファ ンに 人気 があった 。 こくみん しんぶん   一 八 九 〇 年 に 徳 富蘇峰 によって 創刊 された 日刊新 聞。当初 は 自由主義、平等主義 を 基調 とする 論陣 を 張 っていたが 、 一八九五年 の 三国干渉 を 契機 に 国 家主義的 な 論調 に 変化、政府系新 聞 の 代表格 として 認識 されるよう になる 。特 に 一九一三年 の 第一次 護憲運動 では 、桂内閣 を 擁護 する 論陣 を 張 ったことで 護憲派 の 襲撃 に 遭 っている 。一九二三年 の 関東 大震災 で 業績 は 著 しく 悪化、 それ まで 東京五大紙 の 一角 であったの が 、五大紙未満 の 都新聞 に 並 ぶほ

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7 どにまで 部数 は 落 ち 込 んだ 。一九 二六年 に 根津財閥 が 資本参加 する が 経営 は 好転 せず 、一九三三年 に 名古屋 の 新愛知新聞 に 買収 され 、 傘下 でようやく 経営再建 にこぎ 着 ける 。一九四二年 に 新聞統制 によ り 都新聞 と 合併、東京新聞 に 改題。 時事新報 じじし んぽう   一八八二年 に 福澤 諭吉 が 創刊、一九三六年 まで 存在 した 日刊新聞。東京五大紙 の 一角。 ﹁ 不 偏 不 党 ﹂ の 旗 印 ど お り 特 定 の 政党 に 与 する 立場 をとらず 、中立 的立場 から 国権 の 興張 を 求 める 姿 勢 や 、平明 な 文体 などが 知識層 の 支持 を 受 け 、大正時代 には 高級紙 の 代 表 格 と 目 さ れ 、﹁ 日 本 一 の 時 事新報﹂ の 呼 び 声 も 高 かった 。 し か 一九二三年 の 関東大震災 で 業績 は 急激 に 悪化、大阪地盤 の 朝日新 聞 や 日日新聞 に 押 され 、一九三六 年 には 東京日日新聞 に 統合 された 。 精工舎 せいこ うしや   一八八二年 に 東京・ 銀座 の 輸入時計販売店、服部時計 店 の 製造部門 として 設立 された 精 密機器 メーカー 。海軍航空時計 の 製造 を 行 っていたことでも 知 られ る 。当初海軍 はスイスのロンジン 社製 の 航空時計 を 支給 していたが 、 輸入 に 際 してアメリカのウィット ナー 社 を 介 しており 、対米関係 の 悪化 に 伴 い 一九四一年、国産製品 に 切 り 替 える 目的 で 精工舎製 の 時 計 が 採用 された 。戦後、一九九七 年 にセイコーへ 社名変更。 せんばい きよく   一 九 〇 七 年 か ら 一 九四九年 まで 存在 した 大蔵省 の 外 局。食塩 やタバコ 、樟脳 の 専売業 務 を 担当 した 。一九三七年 にはア ルコール 、一九四三年 には 石油 も 専売品目 に 追加 された 。 チェーホフ ちえー ほふ   アントン ・ チェ ーホフ 。 ロシアの 劇作家、短編小 説家。一八六〇年生、一九〇四年 没。代表作 に ﹁ かもめ ﹂﹁桜 の 園﹂ 。 つきぢご ちつく   金 属 活 字 時 代 の 和文書体 には 、大 きく 分 けて ﹁ 築 地 体 ﹂ と ﹁ 秀 英 体 ﹂ の 二 つ の 流 れが 存在 した 。東京築地活版製 造所 で 製作 された 築地体 は 一画一 画 がはっきりとし 、 また 字面 も 正 方 に 近 い 明瞭 さが 特徴 となってい る 。一方 で 秀英舎 の 鋳造 した 秀英 体 は 筆致 に 脈絡 が 多 く 残 り 、字画 も 正方 にこだわらない 流麗 さを 持 つ 。 この 二書体 は 後 の 多 くの 書体 に 影響 を 与 えた 。 でんせんびや うよばうはう   防 疫 と 医 療 の 普及 を 目的 として 一八九七年 に 成立 した 法律。一九九八年 の 感 染症法成立 に 伴 い 一九九九年 に 廃 止 された 。第一一条一項 に ﹁伝染 病患者 ノ 死体 ハ 市町村長又 ハ 予防 委員 ニ 於 テ 充分 ト 認 ムル 消毒方法

(8)

8 ヲ 施 シタル 後 ニ 非 サレハ 埋葬 スヘ カ ラ ス ﹂、 二 項 に ﹁ 伝 染 病 患 者 ノ 死体 ハ 医師 ノ 検案 ニ 依 リ 市町村長、 検疫委員又 ハ 予防委員 ノ 認可 ヲ 経 テ 24時間内 ニ 埋葬 スルコトヲ 得﹂ 、 第一二条 に ﹁伝染病患者 ノ 死体 ハ 火葬 スヘシ ﹂ の 文言 がある 。 とうきやうあ さひしんぶん   一 八 八 八 年 に 大阪 の 朝日新聞 が 東京 のめさ まし 新聞 を 買収 し 、朝日新聞 の 東 日本版 として 新創刊 した 日刊新聞。 東京五大紙 の 一画。一九二三年 の 関東大震災 では 在京紙 が 軒並 み 大 きく 業績 を 落 とす 中、東京日日新 聞 とともに 大阪地盤 の 利点 を 生 か して 素早 い 立 ち 直 りを 見 せ 、部数 を 大 きく 伸張 させた 。大正期 には 普選・軍縮賛成、 シベリア 出兵反 対 など 反軍 リベラルの 論調 で 人気 を 博 すが 、一九三一年 の 満州事変 以降 は 東京日日新聞 に 続 く 形 で 対 外強硬論 に 転換。一九四〇年 に 大 阪朝日新聞 と 統合 し 、朝日新聞 に 改題。 東京通信工業 とうきやうつう しんこうげふ   一九四六 年 に 設立 された 電機 メーカー 。日 本初 のテープレコーダーやトラン ジスタラジオを 製造販売 し 、後発 メーカーながら 技術力 の 高 さを 武 器 に 戦前 からの 大手 メーカーと 渡 り 合 う 。一九五八年 に 社名 をソニ ーに 変更。 東京帝国大学 とうきやうてい こくだいがく   一八七七 年 に 設立 された 日本初 の 近代大学。 当初 は 東京大学 と 称 したが 、一八 八六年 の 帝国大学令 により 帝国大 学 と 改称、一八九七年 の 京都帝国 大学 の 設置 に 伴 い 東京帝国大学 と 改称 した 。 東京日日新聞 とうきやうにち にちしんぶん   一八七二 年 に 創刊 された 東京最初 の 日刊新 聞。当初 は 主筆 の 福地源一郎 のも とで 親政府 の 論陣 を 張 り 、末広鉄 腸率 いる 朝野新聞 など 民権派 の 政 論新聞 に 対抗 した 。 しかし 御用新 聞 との 評価 が 定着 して 経営不振 に 陥 り 、一九一一年 に 大阪毎日新聞 により 買収。自由主義的 な 論陣 へ の 転換 で 部数 を 伸 ばして 東京五大 紙 の 一角 に 数 えられるようになり 、 同様 の 論調 をとる 東京朝日新聞 と 激 しい 競争 を 繰 り 広 げた 。 しかし 一九三一年 の 満州事変 では 親会社 の 大阪毎日新聞 とともにいち 早 く 陸 軍 支 持 の 方 針 を と り 、﹁ 毎 日 新 聞後援、関東軍主催、満州事変﹂ とも 揶揄 された 。一九四三年 に 新 聞統制 により 大阪毎日新聞 と 統合、 毎日新聞 に 改題。 ふりつい ちちゆう   東 京 府 立 第 一 中 学校 の 略称。旧制中学校制度 の 下、 一九〇一年 から 一九四三年 まで 存 在 した 。進学校 の 代表格 と 目 され 、

(9)

9 第一高等学校 への 進学者数 は 全国 最多 であった 。一九四三年 の 都制 施行 により 東京都立第一中学校 に 改称、戦後 の 学制改革 により 一九 五〇年 には 東京都立日比谷高等学 校 へと 改称。 ななろく かんたい   脱 走 兵 等 の 軍 紀 違反者 により 編成 される 懲罰部隊 はナチス ・ ドイツやソビエト 連邦 において 存在 したほか 、日本 にも 似 た 性格 の 陸軍教化隊 が 存在 した 。 前身 となる 陸軍懲治隊 は 懲罰色 の 濃 いものだったが 、一九二三年 に 設立 された 教化隊 はその 名 の 通 り 軍紀違反者 の 教化 に 目的 が 移 って いる 。部隊 は 姫路 に 置 かれ 、中部 七六部隊 の 通称 を 与 えられて 一九 四五年 まで 存続 した 。 日本光学工業 につぽんくわう がくこうげふ   光学兵器 の 国産化 を 目的 として 一九一七年 に 設立 された 光学機器 メーカー 。 海軍系企業 として 多 くの 鑑定用光 学兵器 を 開発納入 し 、陸軍 への 納 品実績 の 多 い 東京光学機械 ととも に ﹁ 陸 の ト ー コ ー 、 海 の ニ ッ コ ー ﹂ と 称 された 。戦後 はカメラを 中心 とした 民生 メーカーに 転換。 一九八八年、社名 をニコンに 変更。 ぴー す   一 九 四 六 年 か ら 販 売 されている 紙巻 タバコの 銘柄。 バ ージニア 葉 にバニラの 香 りを 加 え 、 香味 が 強 いのが 特徴。発売当初 は 通常銘柄 の 十倍以上 の 価格 が 設定 され 、高級 タバコとして 知 られた 。 ふじつうしん きせいざう   一 九 三 五年 に 富士電機製造 の 通信機部門 を 分離 する 形 で 設立 された 電機 メ ーカー 。母体 となった 富士電機製 造 は 古河電気工業 とドイツのシー メンス 社 との 合弁企業 で 、社名 は 両者 の 頭文字 に 由来 する 。一九六 七年 に 社名 を 富士通 に 変更。 ほうちし んぶん   一 八 九 四 年 に 前 島密 らによって 創刊 された 郵便報 知新聞 を 前身 とする 日刊新聞。一 八九四年創刊。東京五大紙 の 一角 に 数 えられ 、大正前期 において 最 も 部数 の 多 かった 新聞 であるが 、 一九二三年 の 関東大震災 で 部数 を 減 らす 。一九三〇年 には 講談社 に 買収 されて 経営 を 立 て 直 そうとす るが 、不振 のまま 一九四一年 には 講談社 が 撤退。一九四二年 に 新聞 統制 により 読売新聞 に 合併 された 。 やすだぎ んかう   一 八 八 〇 年 に 創 業 した 銀行。安田財閥 の 中核 とし て 大規模公共事業 に 積極的 に 投資 し 、政府 との 関係 を 深 めていく 。 その 後、北清事変 に 端 を 発 する 一 九〇一年 の 恐慌、第一次世界大戦 後 の 輸出不振 による 一九二〇年 の 戦後恐慌、一九二三年九月 の 関東 大震災 などで 中小 の 銀行 が 相次 い

(10)

10 で 経営危機 に 陥 る 中、安田銀行 は それらを 援助 し 、一九二三年十一 月 には 十行 との 大合同 を 行 う 。以 後、五〇年近 くにわたり 国内最大 の 銀行 として 君臨 し 続 けた 。一九 四八年 には 財閥解体 とともに 富士 銀行 と 改称。二〇〇〇年代 に 入 り 、 第一勧業銀行、日本興業銀行 との 再編 に 入 り 、二〇〇二年 に 大企業 向 けのみずほコーポレート 銀行、 個人・中小企業向 けのみずほ 銀行 が 成立。二〇一三年 には 両行 は 合 併 し 、 みずほ 銀行 に 改称。 ラッキーストライク らつきーす とらいく   一八 七一年 から 販売 されているアメリ カのタバコ 銘柄。当初 はパイプタ バコの 銘柄 であり 、紙巻 タバコと しては 一九一六年 から 販売 されて いる 。 パッケージに 描 かれたブル ズアイと 呼 ばれる 意匠 から 古 くは ﹁ 赤 玉 ﹂ の 愛 称 で 親 し ま れ た 。 ア メリカ 軍 の 軍用物資 に 指定 されて いて 、 その 名称 から 通常 の 兵士 に は ﹁敵弾 に 当 たる ﹂ として 縁起 の 悪 さから 敬遠 されたが 、反面 で 戦 闘機 パイロットからは 縁起物 とし て 人気 があったとされる 。 りつけんせい いうくわい   一 九 〇 〇 年 から 一九四〇年 まで 存在 した 政党。 政府 が 議会 を 軽視 して 独自 に 行動 する 超然主義 が 破綻 し 、政党政治 の 必要性 を 感 じた 伊藤博文 によっ て 組織 された 。明治後期 から 大正 期 にかけては 第一党 となることが 多 く 、一九一八年 には 初 の 本格的 な 政党内閣 となる 原敬内閣 を 成立 させている 。一九二七年 に 憲政会 と 政友本党 が 合併 して 立憲民政党 ができると 、議会 は 立憲政友会 と 立憲民政党 の 二大政党制 へと 移行 し 、両政党間 で 激 しく 争 った 。議 会中心主義、社会政策重視 を 唱 え る 立憲民政党 に 対 し 、立憲政友会 は 比較的保守的 であり 、皇室中心 主義 を 唱 え 、親軍的 な 態度 をとる ことが 多 かった 。 そのため 立憲政 友会 や 、第三極 の 革新政党 である 社会大衆党 に 対 して 苦戦 を 強 いら れることもしばしばだった 。一九 三七年 からの 日中戦争等 で 戦時色 が 濃 くなる 中、一九四〇年 に 大政 翼賛会 が 発足 するとこれに 参加 す るために 立憲民政党、社会大衆党 などとともに 解散。 りぼんし とろん   一 九 〇 九 年 から 販売 されているレモン 風味 の 炭酸飲料。大日本麦酒 により 当 初 はシトロンという 名称 で 販売 さ れていたが 、一九一五年 にリボン シトロンに 改称。三 ツ 矢 サイダー とともに 戦前 の 代表的 な 清涼飲料 水 であった 。

(11)

断章

  

六月二十七日

注 意 ﹃ 終 わ り の 花 ﹄ 本 編 を 通 読 した 上 で 読 むことをお 勧 めします 。

(12)

12

﹁今、

どの

?﹂

低音

機内

、少女

めた

がわずかに

こえる

。暗

がりの

でかちり

かちりと

がかすかに

ぼんやりとした

かび

がった

うん

そろそろ

頃合

いっぽいね

︱︱

機械手帳

から

された

天然色

フィルムを

ながら

、長髪

少女

微笑

んだ

フィ

ルムから

たれる

、少女

碧髪

をきらめかせる

フィルムは

やかな

水色

たされ

わずかに

黄色

点々

として

っている

。賀茂諸島。皇

南、太平洋上

南北

なる

島嶼群

地図

。地図

中心

にはくさび

たれ

現在地

がそこであることを

している

より

正確

して

えば

、現在地

はその

5000

メー

トル

上空。

橫須賀

計算

してもらった

りでは

、理屈

では

可能

なはずだ

それでも

、考

えれば

るほど

不安

。自分

たちがやろうとしていること

、艤装

浮力

のみに

って

、高度500

(13)

13

メートルの

暗闇

から

落下

すること

。怖

くないという

がどうかしている

。凍

えたように

両腕

、右腕

をぎゅっと

んだ

。輸送機

のエンジン

重々

しく

﹁鈴谷﹂

をかけられ

、顔

げる

。機械手帳

にした

少女

のぞき

むように

つめていた

ろに

ねた

栗色

がかすかに

れている

﹁⋮⋮鈴谷、大丈夫

ですの

?﹂

不安

げな

表情

ねる

彼女

︱︱

熊野

もまた

わずかに

えているようだった

その

様子

、鈴谷

におかしさがこみ

げてくるのを

くすりと

んだ

。怪

そうに

をか

しげる

熊野

ながら

えいっ

しそうに

、熊野

にがばりと

びつく

ひあっ

⁉﹂

熊野

さく

げるが

、鈴谷

わず

熊野

にまわし

、右肩

いた

﹁生意気

だなあ

、自分

よりもあたしの

心配

なんかしちゃって

!﹂

いながら

首筋

にぴたりとくっつけて

、焦

熊野

いかける

ちょ

いきなりなんですの

!﹂

えー

だってこうした

くでしょ

(14)

14

暢気

ってみせながら

、熊野

える

をぎゅっと

せた

。心臓

こえる

るさいほどに

鼓動

そうでもないか

鈴谷

はひとりばつが

そうに

せた

熊野

じゅうを

ばらせながら

うう

ずかしげにうめき

げている

その

様子

、鈴谷

さく

ため

にも

をつく

﹁⋮⋮怖

くないの

?﹂

熊野

をうずめたまま

、鈴谷

ねた

。熊野

はわずかに

かし

、鈴谷

やった

。鈴谷

えきったように

、小刻

みに

っていた

あたしはさ

、怖

すっごく

これからやろうとしていることへの

恐怖。失敗

すれば

おそらくは

︱︱

。胸

しつけられ

たように

。震

える

鈴谷

けた

﹁熊野

くないの

?﹂

熊野

えず

ただ

さく

った

。鈴谷

ゆっくりと

だったらさ

こうしてた

、安心

できるじゃん

鈴谷

うと

、熊野

はゆっくりと

いて

、背中

へと

した

。暗闇

中、

フィル

ムの

弱々

しい

だけが

二人

をかたどる

それを

はいない

ねえ

熊野﹂

﹁⋮⋮

なんですの

?﹂

(15)

15

二人

やかな

エンジンの

轟音

にかき

されそうになりながらもかすかに

こえる

﹁⋮⋮落

くね

そうですわね

いながら

、互

いの

心音

かめるように

ける

ねえ

熊野﹂

なんですの

?﹂

﹁向

こうに

いたらさ

、沼

っちきっと

くよね

熊野

はくすりと

らす

ねえ

熊野﹂

熊野

さず

、優

しく

でて

、鈴谷

﹁落

ちる

もさ

こうやって

ちよっか

熊野

きしめる

かすかに

がこもった

熊野

わず

ゆっくりと

。二人

吐息

いた

輸送機

さく

、二人

左右

れる

。鈴谷

熊野

をぎゅっと

、衣

がかすかに

いた

。熊野

もまた

鈴谷

﹁⋮⋮

ねえ

熊野﹂

四回目

鈴谷

わずかに

えていた

(16)

16

なんですの

?﹂

つとめて

しげな

口調

熊野

すが

、鈴谷

はすぐには

こえてこない

とくん

とくんという

足早

心音

だけが

こえてくる

。熊野

右腕

鈴谷

へと

ばし

碧色

繊細

らかく

でた

﹁⋮⋮

あたしたち

、大丈夫

だよね

⋮⋮?﹂

ようやく

こえた

鈴谷

言葉

、熊野

はひときわ

鈴谷

きしめた

﹁⋮⋮大丈夫、大丈夫

ですわ

﹁⋮⋮

ありがと

吐息

とともに

、鈴谷

やかな

えた

二人

こえなくなった

いに

うことなく

ただただ

相手

きしめて

いる

。熊野

でると

、鈴谷

をさすって

える

抱擁

さながら

相手

存在

かめ

そのことで

自分

存在

了解

しているかのよう

、二人

いの

きしめる

エンジン

はもはや

こえない

。二人

鼓動

だけがうるさく

。沈黙

十秒

ともに

十秒

いた

やがて

ねえ

熊野﹂

鈴谷

、熊野

真正面

つめる

。潤

んだ

瞳、

わずかに

した

頬、薄

唇。

(17)

17

鈴谷

はひどくゆっくりと

上体

︱︱

機械手帳

省電力

モードに

フィルムの

えた

。二人

周囲

暗闇

支配

する

。心

さえ

、彼女

たちの

には

かなかった

(18)
(19)

発行      平成二十六年 九 月 十 四 日   発行

著者

  

皆月蒼葉

発行者

びびび

文庫

       htt p://bi3.jp/        mail@bi3.jp        Twitter : @m_soba , @n_soba 印刷       株式会社 ハン 六 装丁者     皆月蒼葉 本書 の 全部 または 一部 を 、著作権法 で 認 められて いる 範囲 を 超 えて 複写、転載、 インターネットへ のアップロードを 行 うことを 固 く 禁 じます 。

Printed and bound in Japan

貝殻集め

みな

づき

あお

(20)

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