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隅田川ルネッサンス推進協議会専門委員会 20130206 資料― 「水辺景観など川を軸としたまちづくりについて」―
中野 恒明 本稿は「都市環境デザインのすすめ」,学芸出版社,2012 年 5 月、第5章抜粋版 <水辺空間の回復-都市の癒しの空間>
1. 水辺再生への期待 都市における水辺は永らくの間不幸 な立場に置かれてきた。産業革命期以降、 水辺には多くの工場が立地し、それによ ってもたらされた水質汚濁、そして自動 車社会の進展で物流のために川や海沿 いに、またその上空にも道路が造られる など、市民は自然の水辺から遠ざけられ ていった。その結果、一部の小河川は覆 蓋され、下水路と化し、また多くの水面 は柵で仕切られるなど、都市の生活には 縁遠い存在とされてきた。それが「環境 の時代」を迎えつつあるなかで、復権を 遂げつつある。 今や世界の都市は水辺空間の再生に 動き出していると言っても良い。その再 生プロジェクトは都市環境デザインの 大きな柱となりつつある。その萌芽はア メリカ・サンアントニオのパセオ・デ ル・リオが改修された 1960∼70 年代で あり、それが数十年の月日を経た今、世 界のトレンドとなりつつある。ここに水 辺再生の期待が込められてきた幾つか の事例を紹介したい。 (1)水辺と市街地を隔てる道路の地下化・ 覆蓋化・撤去 ◆ドイツ・ケルンのライン川沿い道路の地 下化プロジェクト 1980 年代から河川と市街地を隔てて いた幹線道路を地下化や迂回させる事 業が着々と進められていく。たとえばド イツ・ケルンのライン河岸沿いで 1982 年に完成した幹線道路の地下化プロジ ェクトが有名である。上部は公園となり、 川を中心に西側に半月状に広がる中心 市街は東側がライン川に接し、市内の歩 行者区域がそのまま川沿いの公園・遊歩 道につながり、かつてのように水際は市 民に開放された。今では遊覧船乗り場も 含め、市民の憩いの場となっている。 ◆サンフランシスコ・エンバカデロ・フリー ウェイの撤去 また西海岸のサンフランシスコで 1989 年の大地震(ロマ・プリータ地震)で倒 壊した港湾フェリーターミナル地区の 高速道路(エンバカデロ・フリーウェイ=高 架構造)の再建を断念し、撤去したうえで 遊歩道整備を行っている。それに関連し て歴史的なフェリービル(1989 年築)の保 存改修が行われ、かつて高架道路が走っ ていた空間は広場となり、新たな魅力ス ポットとなっている。 写真5‐0:再生されたソウルの清渓川の風景 ◆ポートランドのウィラメット川沿いのウォ ーターフロント公園 もう一つ忘れてならないのが、同じく アメリカ西海岸のポートランドのウィ ラメット川沿いのハーバー・ドライブと 呼ばれる6車線の高速道路(インターステ イト5号線)の事例である。この道路の機 能を対岸に移し、一般道路に格下げ縮小 し、川までの一帯を広大なウォーターフ ロント公園として整備した。1977 年のこ とであった。その後順次、水辺の公園は 南北に拡大され、北は歴史的土木遺産の 可動橋、中央部に噴水(サーモン・ストリ ート・ファウンテン)、芝生広場、南は河川 マリーナ周辺までの延長3㎞にも及び、 その遊歩道はさらにリバーフロント再 開発地区まで続いている。ほぼ完成を見 た 1984 年、公園の名は高速道路の移設 に尽力した当時の州知事の名を付けて トム・マッコール・ウォーター・フロン ト公園(Tom McCall Waterfront Park)と命 名されている。 写真5‐1:ケルンのライン河岸沿いに整備され た遊歩道。ここを走っていた幹線道路の地下化 が1982年に完成 ◆アメリカ国内の川沿いの高速道路地下 化プロジェクトの進行 実は川沿いに造られた高速道路の撤 去運動は自動車社会の本場アメリカに おいてはいち早く 1970 年代から進めら れてきた。その最も有名な事例がボスト ンのセントラル・アーテリー地下化計画 であり、実現には 40 年近くの歳月を要 している。その反響を受けて各地で同様 のプロジェクトが検討されている。例え ば、フィラデルフィアのデラウェア川沿 い、シアトルのアラスカ高速道路の地下 化プロジェクトなども進行中と聞く。こ のように、市街地の水辺へのパブリッ ク・アクセスを向上させ、緑地や様々な 施設そしてウォーターフロント住宅な どの誘導など、積極的な市民利用を推進 する方向に明らかに切り替わりつつあ る。 写真5‐2:サンフランシスコのエンバカデロ・フ ェリーターミナル 写真5‐4:ポートランドのトム・マッコール・ウォ ーターフロント公園。設計はロバート・ムラセ1
-(2) 自動車社会の負の遺産解消 (3)河川・運河地帯の賑い復活 ◆ソウル清渓川(チョンゲチョン)復元化事 業 ◆川沿いのリバーマーケットやリバー カフェ、リバーウォーク 一方の川の世界での一大変革の事例 が、隣国・韓国の首都・ソウルに実現し た。車社会の利便性に浸り、永らく都市 内しかも河川上空に高速道路を受け入 れてきた私たちに衝撃を与えた河川復 元工事、ソウル市の中心部を流れる清渓 川復元事業の完成は 2005 年の 9 月末の ことであった。1930 年代から 70 年代に かけて覆蓋暗渠化され、上部に造られた 高速道路が撤去され、川が約半世紀ぶり に復元されたのである。 一方、近年の傾向だが、アメリカなど でかつての開拓時代を髣髴する川沿い のリバーマーケットやリバーカフェが 水辺の時代の象徴としてか、注目されて いる。ミシシッピ川の流域の中部のセン トルイス、カンザスシテイ、中北部のミ ネアポリスは、舟運による物資輸送と陸 路との交点に都市を発達させてきた。そ の往時の街並みや粉引き工場などの歴 史遺産を活かした水辺再生、そして新た な集合住宅建設、プロムナード整備など も進められ、水辺に新たな息吹が吹き込 まれつつあるようだ。 写真5‐5:復元された清渓川で遊ぶ子どもたち 写真5‐6:新たに整備されたソウル市庁舎前の 歩行者広場、数年前までは自動車で満ち溢れる 交差点であった。 その復元計画は 2002 年のソウル市長選 で立候補した李明博氏(イ・ミョンバク、 後に韓国大統領)が公約に掲げ、当選した ことを期に始まり、基本構想の提示と市 民への説明を含め約 3 年というスピード で完成した。新市長が掲げたその目標は、 ①安全→老朽化した高架道路や覆蓋道 路の安全問題の解消②環境→人と自然 が中心となる環境にやさしい街づくり、 ③文化→歴史と文化の回復と、清溪川を ソウルの代表的な文化観光資源として 活用、④産業→都心の老巧化した地域の 都心経済活性化を導く、の 4 項目で、「21 世紀文化環境都市ソウル」を目指すもの であった。その成功は全世界に報道され、 その成果は高く称賛され、数々の国際的 な賞を受賞した。この撤去復元計画の発 端は地元に暮らす市民・学識者たちから の提案で、新聞連載掲載によってその輪 を広げていった。それが市長選の公約に 取り込まれたのであった。それは都市政 策の一大変革の象徴とも言える。 またアメリカ中北部の拠点都市、シカ ゴではシカゴ川沿いの再生計画が 1998 年からスタートし、上中流域の自然と水 質の保全、都市周辺部の工場等の土地利 用転換・緑地や住宅建設、下流の港湾区 域の倉庫等のリノベーションと集合住 宅建設、それに全線を通しての水辺遊歩 道整備を各整備プロセスの中で義務付 け、随所に船着き場が設けられて行った。 とりわけ下流域の都心部では、建物の足 元にはショップやカフェがつくられ、ま た橋のライトアップが行われるなど、水 辺の楽しさが格段と向上している。 写真5‐7:シカゴ川の遊覧船から見る川沿いの 再開発状況 ◆川沿いのプラージュ フランス・パリのセーヌ川、ここは右 岸の高水敷の一部に幹線道路が走るが、 その道路も夏のバカンスシーズン約1 か月間交通閉鎖され、プラージュ(砂浜の 意味)のイベントが開催される。これは 2002 年から始まり、今では対岸の左岸側 も含め複数の会場が設けられ、閉鎖され た道路空間にはプランターに植えられ たヤシの並木が造られ、水辺の欄干には バナーポールが架けられ、その雰囲気を 演出している。護岸側には砂浜が敷き詰 められ、ウッドデッキにカラフルなビー チパラソル、ビーチチェア、一部には芝 生が張られ、水面にはフロート式の仮設 写真5‐8:シカゴ川のリバーウォークの整備が 着々と進行している 今ではソウルの新名所となり、川辺に 涼む多くの市民や観光客の姿がある。周 囲の環境は格段に向上した。その意味で は都市の活性化に一役買っていると言 っても良い。実は新市長誕生を契機にこ れまでのソウル市の都市交通計画を根 本的に改め、「公共交通を優先し、環境 面や歩行者対策を重視する」とした大胆 な政策転換が行われた。その内容は、都 心への流入交通量を抑えるためのパー クアンドライドのための駐車場確保、自 動車から公共交通へのモーダルシフト、 つまり主要道路の車道を削り設置され たバス専用レーンとバス網再編、地下鉄 と鉄道との連携、そして歩行者環境整備 の推進であった。ソウルは川の復元を期 に、一挙に環境都市へと大変身したと言 ってもよいだろう。 写真5‐9:シカゴ川河口部のリバーウォーク、周 囲にはオフィス・集合住宅などが立地する 図5‐1:シカゴ川都心部区域整備計画図
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-ールも設置される。随所で市民が水着で 砂浜に寝転がり、またデッキで休む。そ して読書や日焼けを楽しむ。カフェやキ オスク、屋台、文庫本貸し出しなどの出 店もある。所々に水の霧状シャワーが噴 出し、子どもたちのはしゃぐ姿、護岸の 一部はフリークライミング体験場にな る。一方の水面では手漕ぎボート、カヌ ー、そして川に浮かぶレストランも営 ◆わが国の水辺をめぐる話題 わが国では首都東京の日本橋川上空 の首都高速道路の撤去が時の首相の一 声で動き出し、川筋の再生構想などの具 体化に向けて検討が進められている。大 阪では土佐堀川の川の駅や道頓堀川遊 歩道「とんぼりリバーウォーク」、水辺 のリバーカフェ、大阪川床(北浜テラス)、 そして水辺ウォークやクルーズなど「水 辺のまち再生プロジェクト」が大きく盛 り上がっている。それに触発されたかの ように東京においても「隅田川ルネッサ ンス」の地元市民を巻き込んだ活動が積 極的に行われており、東京スカイツリー のオープンの刺激も含め従来からの納 涼花火に加え、隅田川版川床や仮設芝居 小屋の設置、遊覧船の運航などが着々と 準備されつつある。 写真5‐11:パリ(フランス)のセーヌ川のプラー ジュ風景 業する。ちなみに手漕ぎボートは 1895 年以来セーヌ川では禁止されて来たが、 この時だけは認められるようになった と言う。多くの市民が利用するなど、パ リの夏の風物詩として定着した。 写真5‐13:パリのサンマルタン運河の閘門と歩 道橋 この動きは今やミラノ(イタリア)やブ リュッセル(ベルギー)、他の都市にも伝 播したと言う。オーストリアの首都ウイ ーンのドナウ運河でも 2010 年に見かけ たことがある。 このようにわが国の河川行政もこの 30 年あまりの間に、治水一辺倒から利水、 親水へと大きく舵を切った。その先鞭を 付けたとされるのが、広島市太田川の基 町親水護岸の1979(昭和54)年に完成した 修景整備である。当時の東京工業大学・ 中村良夫教授の指導によるわが国の景 観デザインの草分け的存在であり、全国 の注目を集めた。それ以後の広島は水辺 の活用運動に力を入れ、1990(平成2)年 には、市、県、国、市民等による水辺整 備の指針となる「水の都整備構想」を発 表し、水辺遊歩道や緑地、船着場等の整 備、遊覧船の運航など水辺の市民開放が 積極的に進められていく。それは水辺の カフェの社会実験に、そして後に国の河 川法準用規則の改正につながり、今では 市内数か所に常設の水辺カフェ・レスト ランが設けられている。この流れは国内 の水辺活用に向けて大きな刺激となり、 前掲の大阪。東京をはじめ各地で同様の 水辺活用への大きなうねりとなりつつ ある。 ◆運河地帯の復権 また最近注目されているサンマルタ ン運河はセーヌ川から幾つかの閘門を 介して北東部の工場地帯へ物資を運ぶ べくナポレオン一世の時代に開削され た運河だが、鉄道や道路網の発達ととも に廃れ、周囲の工場も幾つか閉鎖されて いった。ここでも 1970 年代に高速道路 計画が立てられたものの、結果としてこ の運河は保存された経緯がある。これが 幸いし、今では地価の安さを背景にし、 多くの芸術家やファッションデザイナ ーのアトリエ兼住居などが立地し、運河 沿い一帯がパリで最もトレンデイな街 として注目されるようになってきてい る。 写真5‐14:パリ・サンマルタン運河の上流・ラ・ヴ ィレット周辺 写真5‐15:ロンドンのリージェント運河リトルベニス 同様に隣国の英国ロンドンでは産業 革命期の工業化を支えたリージェント 運河がある。ここも閘門によってテムズ 川と結ばれているが、こちらもパリのサ ンマルタン運河と同じように注目され、 今やリトルベニスやカムデンロック周 辺など、周囲には新しい集合住宅やソー ホーなども立地し、先端的なデザイナー、 クリエイターたちのアトリエなどが集 積しつつある。 一方の港湾では 1982(昭和 57)年の小 樽運河の保存、遊歩道整備に代表される ように、各地でポートルネサンス計画等 での水辺の環境整備が進められた経緯 がある。近年の新しい試みとしては 2009(平成 17)年に東京都の「運河ルネッ サンス」の一環として天王洲運河水面に おける水上レストランの営業が始めら れたように、各地でより積極的な水辺開 放が進められつつある。その意味では今 後が楽しみな世界であることは言うま でもない。 写真5‐18:広島の京橋川のリバーカフェ風景 また歴史的街並みの再生で紹介した チェスター市のチェスター運河、これも 産業革命期の工業化を永年支えてきた 運河だが、近年ではかつてのレンガ造の 工場も新たなオフィスや集合住宅、足元 はカフェ等にコンバージョンされ、遊覧 船が走るなど水辺の環境は大きく変化 している。 写真5‐19:大阪のとんぼりリバーウォーク(道頓堀 川遊歩道)
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-3.河川・運河の親水空間整備 しかし 20 世紀以降の港湾機能の近代 化、鉄道の発達、自動車の普及の中で、 時代に取り残されたのが、歴史的港湾で あったグラスレイ周辺であった。1960 年 代になるとかつての荷役で賑わった川 岸は車で占拠され、水も汚れ、ギルドハ ウス群は空き家同然の状態が続いてい た。その水質浄化計画も含む再生構想が スタートするのが 1970 年代以降、そし て水辺の本格的な環境整備が 1990 年代 に動き出す。歴史地区一帯約 35ha が完 全歩行者区域に指定され、河岸の環境整 備、歴史的なギルドハウスの修復が始ま るのであった。 (1)リヨンのローヌ川・ギョティエー ル・テラス (フランス) フランス第二の都市圏リヨン、広域行 政体人口は 165 万人規模(市人口・約 45 万人)である。この街はソーヌ川とロー ヌ川の合流部に成立した歴史都市で、川 を境にして三様の異なった顔をのぞか せる。ベルクール広場を中心とした両川 に挟まれた界隈はリヨン一の繁華街、ソ ーヌの西側は歴史のある街で、古代ロー マ時代からルネッサンス時代の建物が いまに息づく旧市街、ローヌの東側はT GV駅のある新しいビジネス街である。 写真5‐33:リヨンのローヌ川・ギョティエール・テラス の全景 その新市街のローヌ川右岸のギョテ イエール橋の南北の橋詰部分、リヨンを 代表するテット・ドール公園(Parc de la Tête d Or)とガーランド公園(Parc de Gerland)に至る延長5㎞のローヌ左岸の 歩行者軸の中心的な施設として、階段テ ラスの護岸と徒渉池の水面で構成され る実に素晴らしい水辺空間が出現した。 この橋詰めからは川向うの中心市街を 一望でき、その階段テラスの中腹には日 向ぼっこする老人や若者の姿、下面には 水の張られた徒渉池で水遊びする子供 たち、それを見守る母親たち、ローラー ブレードで遊ぶ少年たちの活き活きし た風景がある。つい数年前までは単なる 河川敷の駐車場であったと言う。まさに 環境デザインの勝利と言うべき水辺の 景観整備の事例と言ってもよい。 2005 年頃にはその整備がほぼ完了し、 見違えるほどの風景に変身した。河岸の 中世からの石畳、物揚場、階段状の石の 護岸が修復され、歴史的な港の風景が復 元した。広場のベンチやフラワーポット 付きの街灯などが置かれ、水面には遊覧 船や水上ボートが走り、河岸には多くの 若者や老人たち、そして観光客が佇んで いる。ここは日曜日には護岸の広場で花 市や蚤の市も開催され、そして 7 月のゲ ント祭(De Gentse Feesten)、8 月のレイエ 祭には盛大な催し物が繰り広げられる。 夏の夜間にはライトアップされ、運河に 浮かび上がる幻想的な街並みが多くの 人びとを惹き付けている。 写真5‐34:川沿いの遊歩道 写真5‐38:対岸から見たテラス 写真5‐39::ゲントのレイエ川グラスレイの水辺空間 には多くの人が集まる (3)アヌシーのティウー運河 (フランス) フランスとは言っても、スイス国境に 近いアルプスの麓、標高 448mの約 5 万 人(広域圏人口:約 16 万人)の小さな町、ア ヌシー湖には白鳥が戯れ、湖面の水には アルプスの山々が影を落とす。「サヴォ イアのベニス」とも呼ばれるように運河 と街並みの美しさが知られている。 (2)ゲントのレイエ川・グラスレイ (ベルギー) 写真5‐41:水辺に設けられたカフェの賑い こちらも私が久々に心地良さを感じ た都市の水辺の一つ、ベルギーのゲン ト・グラスレイとコーンレイである。人 口約 25 万人、西フランダース地方の中 核都市ゲントはベルギーの首都ブリュ ッセルの北西 55 ㎞、大西洋に臨むブル ージュとのほぼ中間に位置し、古くから 河川港として栄え、中世の時代、織物産 業と交易ギルドを中心とする自由都市 として重要な特権を獲得してきた。 そ の 湖 水 が 流 れ る テ ィ ウ ー 運 河 (仏:Canard du Thiou)、これが中世の時代 から水を水車で動力に変え、精密機械な どの様々な産業を成立させてきた。1870 年代には運河の水位調節技術によって アルプスの麓まで船の航行を可能にし、 この街に大きな富をもたらし、現在2つ の運河(ティウー運河とヴァッセ運河)に挟 まれた中洲のようなところに成立した 美しい街並みは、その成果でもある。 写真5‐46:ティウー運河と美しい街並み グラスレイはその中心市街の歴史的 地区にある。16 世紀頃はパリに次ぐ勢力 を有し、北方ルネサンス芸術の拠点都市 でもあった。その繁栄の港の地、レイエ 川東岸はグラスレイ(Graslei‐香草河岸) と呼ばれ、西岸はコーレンレイ(Korenlei ‐穀物河岸)と呼ばれる。その両岸にギル ドハウスが建ち並び、周囲には多くの歴 史的建造物がある。 「サヴォイアの宝石」と称えられるア ヌシー湖の透明度は、平均 7∼8mで、季 節と場所によっては 12mに達するなど 欧州一の水質を誇る。しかし、この美し いこの湖は 1900 年代には周囲の住宅や 写真5‐48:運河沿 いのオープンカフ ェ風景
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-工場、ホテルなどの排水が流入し水質が 悪化していた。それに住民たちが立ち上 がり、アヌシー市と周辺市町村が集まり、 アヌシー湖市町村協議会が発足(1957 年)、 フランス初の湖の水質保全運動が始ま った。その成果が延長 450 ㎞もの下水管 路網で、現在汚水は湖には一切流れ込ま ないようになっている。 そして運河沿いの歩道も整備されて きた。中世からの佇まいの石畳を修復し、 歩きやすい歩道とし、鋳鉄製の欄干には 花を飾り、ところどころに水面に下りる 階段や小広場、橋などが設けられている。 運河沿いの道筋には色とりどりの季 節の花が飾られ、しかも古い町並みを改 造した様々なショップが立ち並び、行き 交う人々の姿も風景の中に実に旨く溶 けこんでいる。また運河沿いの建物のデ ザインコントロールもなされるなど、景 観にもきめ細かい配慮がなされている。 その活動からアヌシー市は 1972 年の 欧州自然保護賞、1983 年の国連環境保護 全欧州プログラムで金メダルを受賞し た。またフランス国内の 花の町コンク ール で最優秀賞を連続受賞している。 ここも訪問して頂きたい水辺都市の一 つに他ならない。 (4)国内事例―水質浄化と舟運復活 もう一度国内に話を戻そう。水質浄化 と水辺再生、そして地元NPOなどの運 営する遊覧船が始まるなど、水辺を楽し むことが徐々にではあるが定着しつつ ある。その結果が水辺の遊覧船や船下り などの復活であり、それが観光の目玉と して地域活性化に寄与する例が増えて いる。幾つか紹介しておこう。 ◆水郷・柳川の掘割再生 九州福岡の水郷・柳川は今では掘割水路 (クリーク)の街として知られるが、この 水路も 1970 年代には水質汚濁から水路 埋立て計画を行政が決定、それに一人の 職員が異を唱え、自ら水路清掃を行い、 それを市民が応援したことから、計画の 撤回、水路浄化の本格化、そして水辺修 景につながって行った。この経緯は宮崎 駿監督のドキュメンタリー映画「柳川掘 割物語」にも紹介され、全国的にも有名 となり、川船も復活し、年間 100 万人も の観光客が訪れるようになっている。 また、この水環境の回復の成功が、後 のわが国各地の河川に大きな影響を与 えたことは言うまでもない。これも水辺 再生の記念碑的な事例とも言えよう。 1999(平成 11)年に制定された「水憲法」 ―柳川市掘割を守り育てる条例―は市 内すべての堀割を対象にした基本条例 であり、水質環境保全、環境教育の復興 といったことが盛り込まれ、全国的にも 知られている。 ◆松江・堀川の復活 山陰の城下町で水郷都市としても知 られる松江市(島根県)では、宍道湖から 中海に注ぐ堀川が江戸期には舟運の中 継地となり、大いに繁栄してきた。それ が明治以降の鉄道と道路網の発達と、埋 立てや塩害対策のための仮締め切り堰 によって、水の流れを喪失し、都市化に 伴う生活排水・工場排水によって水質汚 濁が進行し、1960 年代には悪臭が漂い、 酸欠で魚が死滅するほどであった。 写真5‐49:柳川の掘割水路。埋立てを回避し、今 では手漕ぎの舟が観光の目玉となっている。 その中で1965(昭和40)年に埋立てにつ いての議論が起こるも、市民の反対運動 等を経て、それは回避され、1970 年代に は公共下水道整備、ヘドロの浚渫、宍道 湖の湖水の導水がスタートした。 写真5‐50:松江の堀川、ここにも高水敷の遊歩道と 舟着場が整備された。向うに見えるのは旧日銀のカ ラコロ工房 また市民の「よみがえる堀川の会」活 動が 1980(昭和 55)年に発足、市民団体に よるボートや錦鯉放流などのイベント も開催された。市も 1994(平成 6)年に水 環境改善緊急行動計画(清流ルネッサンス 21)を策定し、水質浄化へのより積極的 な取り組みと同時に、堀川周辺の護岸、 親水テラス等の整備、周辺商店街の再整 備などを行った。 写真5‐52:近江八幡の八幡堀。再生した歴史的水 路に舟が浮かぶ。 がえる八幡堀」の保存修景計画、自主清 掃活動などを経て、八幡堀改修促進協議 会の結成、そして堀の浚渫・護岸整備事 業へと市民の運動が実を結ぶ。その内容 は、堀とその周囲の蔵や街並みの修景、 そして水際にはアヤメなどが植えられ、 堀沿いの石畳の遊歩道、サクラ並木や低 木植栽などの緑化である。 こうした地域住民と行政の努力によ って水質も改善され、1997(平成9)年に は遊覧船の運航が実現した。遊覧船に乗 った観光客が川からまちを見るという 視線を意識し、川沿いの住宅の修景や花 壇の設置が住民によって行われている。 今では「ぐるっと松江堀川めぐり」の遊 覧船は 40 隻が稼働し、多くの観光客が 利用するなど、多大な経済効果を生み出 している。 そして下流の明治橋側では荷上場、舟 前場の跡の復元整備も行われている。近 江八幡市は景観法の景観地区第1号の 指定都市だが、市民の景観に関する意識 を高めたのが、この歴史的な八幡堀の再 生事業でもある。 ◆近江八幡・八幡堀 豊臣秀次の時代に開削され、後の商人 町の発展を支えた近江八幡市(滋賀県) の八幡堀も同様の水質悪化から一時は 埋立てまで検討されていた。これも前述 の柳川と同じく、「堀は埋めた瞬間から 後悔が始まる」と青年会議所のメンバー や一部の市民が堀の浚渫と復元に向け た運動をスタートし、それが次第に大き な市民運動へと発展する。その結果、埋 立て計画は見直され、歴史的遺構である 堀の復元・整備につながっていく。 ◆水辺再生のトレンド このように水辺再生に関する話題は、 この 10 数年来各地で盛り上がってきて いる。また各地で続々と新たな水辺の景 観デザインの事例が出来上がりつつあ る。一時蔑ろにされた水辺が再び脚光を 浴びる時代が到来しているような感が ある。これは世界のトレンドと言っても よい。第一章に解説したように、水辺に 住む・憩う、今時代がその方向に向いて いると言えるであろう。 1973(昭和 48)年の青年会議所の「よみ
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-←写真5‐56:改 修前の護岸、 ↓写真5‐57:改 修後の遊歩道 コラム:宍道湖岸公園・水の美術館前護岸の 環境デザイン(松江市) 松江市の宍道湖、水の美術館(県施設)の前 面に広がる湖岸、その間の公園用地の一体設 計の事例。プロポーザルを経て、基本・実施 設計のうち景観設計を担当。国の用地内だけ でなく隣接する市有地の細長い公園(岸公園) と美術館の建築敷地の一部を含め、緩い傾斜 の芝生護岸にする。その水際には根固め工も 含めた遊歩道をつくる。 写真5‐53::湖岸公園・水の美術館・全景 さらに遊歩道から湖面の間には自然に砂が 堆積できるように、松杭と自然石の突堤を出 し、水の流れを緩くすることで、自然に砂が 堆積するのを待つ。これによる砂浜湖岸の復 元を目指した。遊歩道から水面との落差をな くし、転落防止柵を極力設けないためと、し じみの産地であるための生態系保持を目的と したものであった。 ←写真5‐58:改 修前、↓写真5‐5 9:改修後の芝生 の土堤 図5‐5 計画断面 ←写真5‐54: 松杭周りの堆積 砂 芝生上には彫刻も置かれ、宍道湖に沈む夕 日を見る休憩スポットとなり、あたかも美術 館用地が水際まで続くかのように、自由に散 策している。またここから見る宍道湖の自然 な風景は、観光ガイドブックにも紹介され、 また多くのアマチュア写真家の集まるところ ともなっている。 →写真5‐55:松 杭と石塊で造られ た伝統的な突堤 ←写真5‐84:改 修前の 第一船 溜まり風景、 ↓写真5‐85:改 修後の 第一船 溜まり コラム:門司港レトロの環境デザイン(北九 州市) 九州最北端の港町・門司港、かつては国際 貿易港として賑わいを誇ったが、戦後の大陸 貿易の途絶、関門連絡船の廃止などで、寂れ た街となっていたが、昭和の末、市の「北九 州ルネッサンス構想」の重点事業の一つとし て「門司港レトロ」をキーワードとした再生 計画がスタートした。その基本的なテーマは、 地区内に遺された歴史的建物等の保存、関門 海峡の景観の視点場づくり、水際の緑地やプ ロムナード等の市民の憩いの場の整備であっ た。当初、埋立て予定であった歴史的港湾第 一船溜まりの保全から始まり、臨港道路の見 直しと歩行者専用橋のはね橋への変更、旧門 司税関などの建物改修、そして水辺を活かし た環境デザインが行われた。 写真5‐83:水際のパラソル下のテーブルに憩う人々 図5‐10:第 一船溜まり 周 辺 整 備 計 画 平 面 図 ←写真5‐86:親水 テラスの整備前、 ↓写真5‐87:整備 後の親水テラスの イベント風景 今では水際には遊歩道や親水広場、海峡を 眺める緑地など、多くの市民や来街者の憩う 場所が用意され、船溜まり沿いには民活によ る門司港ホテルやショップ、歴史的建物を活 用したレストランなどがオープンしている。 その個々の環境改善事業は 20 年近くにわ たって蓄積され、地域の大きな財産となり、 北部九州の観光地、そして住みたい街のリス トに上がる地区に様変わりしてきた。 写真5‐88:旧門司税関、はね橋と 港湾緑地の親水テラス 写真5‐90:旧門司税関前の緑地 に集う若者たち 写真5‐89:関門海峡を望む西 海岸緑地