• 検索結果がありません。

(2001)(2001)(2001)(2001)(2001)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "(2001)(2001)(2001)(2001)(2001)"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

れるようになり,1990年以降,用地の再利用は各地で発1990年以降,用地の再利用は各地で発年以降,用地の再利用は各地で発 生しはじめている。 なかでも,市街地内の駅周辺で操業してきた工場は, 行政側の市街地再開発の施策ともリンクし,各種の再開 発関連法案の矢継ぎばやの公布によって,注目を浴びる 存在となってきた。この工場用地の最大の魅力は,敷地 面積の大きさ,さらに駅との近接性,地権者が単独とい う点にある。 2006年 9 月,神奈川県内のJR川崎駅西口に,8 万平方年9 月,神奈川県内のJR川崎駅西口に,8 万平方9 月,神奈川県内のJR川崎駅西口に,8 万平方月,神奈川県内のJR川崎駅西口に,8 万平方JR川崎駅西口に,8 万平方川崎駅西口に,8 万平方8 万平方万平方 メートルの敷地を有する,首都圏でも最大規模の大型商 業施設「ラゾーナ川崎プラザ」が完成した。JR 駅に直結JR 駅に直結駅に直結 する好立地は,この地で創業してきた東芝川崎工場の跡 地を,東芝不動産・三井不動産が再開発し,地上6 階建6 階建階建 て,売場面積7 万平方メートルの施設に,280 店舗が出7 万平方メートルの施設に,280 店舗が出万平方メートルの施設に,280 店舗が出280 店舗が出店舗が出 店する。かつて,100 年近くにわたり京浜工業地帯の中100 年近くにわたり京浜工業地帯の中年近くにわたり京浜工業地帯の中 1 はじめに はじめに 近年,大都市の縁辺都市や地方の中核都市において, 市街地の中心部に位置する工場用地の転換は,その都市 構造に大きな影響をもたらすようになった。かつて,都 市内における工業の立地点は,資材・製品の輸送上の利 便さや従業員の通勤などから,鉄道路線沿いの地域が選 ばれ,その後の都市化の中にあっても,その位置と広大 な敷地を持続させてきた。 しかし,わが国の工業は高度経済成長期を経て,大き な転換期を迎えた。とくに,海外への工場移転の趨勢や, 国内において企業統合が進行するにつれ,これら市街地 内に立地する工場は,広大な敷地の地価高騰と相俟っ て,新たな土地利用が指向されるようになってきた。一 方,企業内においても工業以外の他業種への転換が図ら

永 野 征 男

In recent years, a considerable number of large-scale factories that have long been established everywhere in built-up areas have gradually been compelled to find themselves in predicaments of closure of factories owing to transfer of facto-ries in overseas world or unification of domestic factofacto-ries. A report is hereby released referring to the investigation with respect to reutilization of the sites where the factories were located.

When vast idle land is formed in an urban district, a problem how to reutilize the land exercises profound influence on urban structure of the local regions. (On almost all the occasions, the land is, as a result of the influence, reutilized as large- scale shopping centers.)On the background of such change of the factory sites, movement is noticed with the fact that the owners of the factories are anxious to convert their property into measures deal with as other kinds of business, e.g.real estate transactions. Furthermore another problem can be noted with revision of land- rending rights that has made it easy to do the conversion.

Such being the case, several examples are taken up with reutilization of the sites influential enough to allow a civic center to be formed and located on a spot adjacent to a railway station. Thus it is explained how the land has been changed and in what a manner the reutilization has been accomplished.

Keywords : Redevelopment, Reutilization

駅周辺地区における再開発と市街地構造の変容

― 工場跡地の再利用を主として ―

Redevelopment in Surrounding Railway Stations and Change of Urban Structure

― Mainly with Reutilization of the Sites where Factories were Located ―

Yukio NAGANO

(Received September 30, 2006)

Department of Geography, College of Humanities and Sciences, Nihon University: 3−25−40 Sakurajosui Setagaya−ku, Tokyo, 156−8550 Japan 日本大学文理学部地理学教室::

(2)

核の一つとして,国内産業を支えてきた工場の跡地は, 一日42万人が乗降する首都圏有数のターミナル駅と一体42万人が乗降する首都圏有数のターミナル駅と一体万人が乗降する首都圏有数のターミナル駅と一体 化して,他に例のない再開発を成功に導く鍵となった。 そこには,再開発を誘導する有効な法制度と,企業側 がこれまでのように単に土地を消費財として売却するの ではなく,再開発の施主として参加できるシステムが確 立したからである。当然のごとく,地元における急速な 都市化による環境変化は重要な因子であるが,それに加 えて外的環境の整備を度外視することはできない。 本報告では,具体的な事例地として,大都市縁辺から 神奈川県相模原市の橋本駅周辺地区を,地方中核都市の 事例として福島県郡山市の郡山駅周辺地区を取り上げた。 2 先行研究について 先行研究について この調査に関連した先行研究としては,伝統的な工業 地理学的な面からと,工場跡地利用という点では広く再 開発に関する研究とに二分できる。 前者に関しては,友澤(1989)によって方向性が明示1989)によって方向性が明示)によって方向性が明示 されている。それは,これまでの工業地理学の主たる調 査が,工業立地の分散化にあったと言及し,都市域に集 中していた工場が地方の農山村地域に分散する形態を捉 えてきた。分散の理由は,地価の高騰により工場用地の 拡張が難しいこと,また各種の規制で大規模な用地獲得 が困難になってきたことがある。さらには,地方が工場 の誘致施策を積極的に行なったために,各地に工業団地 の形成をみたことも影響しているとしている。 一方,井出(2002)は立地移動の研究が重要な視点であ2002)は立地移動の研究が重要な視点であ)は立地移動の研究が重要な視点であ るとして,各時代の社会的な背景や技術革新の中で,立地 移動が実施され,都市部における工場の閉鎖と地方にお ける工業の再立地が始まったとしている。そこに,都市 部における工場跡地の発生事由を見出すことができる。 さらに,友澤(1989)は九州地方の調査から,多くの1989)は九州地方の調査から,多くの)は九州地方の調査から,多くの 場合は企業内分業,つまり工場,研究所などの部門を各 地に分業立地したことにより,これらを「部分工程型」と 称した。これにより,都市部には生産の上位部門,地方 に下位部門が立地し,緊密な従属関係が保たれたと説明 している。こうして設置された地方工場は,必ずしも地 場産業のように地元に定着することは稀であり,地元に おける産業関連も生まれにくい体質があるとしている。 以上のように,工業地理学からの視点は,あくまでも 立地論的な立場から派生したものが多く見られ,再立地 にともなう工場跡地に注目した研究は少ない。 また,一方の都市部における再開発関連の研究として は,早期から都市計画の分野で扱われ,とくに再開発事 業の内容に関わる報告が多くを占めてきた。たとえば, 笠原(1994)・山本(1994)などが代表的なものである。1994)・山本(1994)などが代表的なものである。)・山本(1994)などが代表的なものである。1994)などが代表的なものである。)などが代表的なものである。 さらに,事業施主に注目した浜(2000)などは,再開発2000)などは,再開発)などは,再開発 の実施過程を詳細に分析している。 それらに対して,地理学からのアプローチとしては, 事業そのものよりも,住宅地化の現象の一つとして,あ るいは再開発地に出現するマンションの立地特性に関心 を示し,大手ディベロッパーの開発を扱った松原(1982,1982,, 1985)や,中高層建築物に限定した研究の香川(1988,)や,中高層建築物に限定した研究の香川(1988,1988,, 1990)などがある。事業そのものに関する報告としては,)などがある。事業そのものに関する報告としては, 再開発前と事業後の土地利用の変化を安倉(1998)・山1998)・山)・山 田(1999)が,また事業にともなう周辺居住者との関係1999)が,また事業にともなう周辺居住者との関係)が,また事業にともなう周辺居住者との関係 に言及した細川(2002)などがある。2002)などがある。)などがある。 しかし,再開発事業の実施に至った社会的な背景や,現 地における事業特性の分析は乏しい。そのような中にあっ て,小原(2005)の大阪市内での事例地区に関する研究は,2005)の大阪市内での事例地区に関する研究は,)の大阪市内での事例地区に関する研究は, 地理学におけるこの方面での調査として注目できる。 表1 工場跡地の利用状況(1998 年) 跡地の利用状況 跡地全体に占める割合 住宅 19.1% 商業・サービス施設 18.0% 生産物流施設 17.1% 公園・緑地 4.0% 事務所 3.6% 複合施設 2.9% 研究開発施設 1.0% その他 7.4% 未回答 7.0% 不明 19.9% 資料: 国土交通省(2001)「最近の企業による土地利用の実態に関土交通省交通省通省省(2001)「最近の企業による土地利用の実態に関(2001)「最近の企業による土地利用の実態に関(2001)「最近の企業による土地利用の実態に関(2001)「最近の企業による土地利用の実態に関 する調査」より作成 図 1 企業側の土地所有に対する意識の変化

(3)

3 市街地における工場跡地の実態について 市街地における工場跡地の実態について 全国的な視野から工場の跡地を扱うためには,まず公 的なデータが必要である。これまでに,国土交通省 (2001)『最近の企業による土地利用の実態に関する調2001)『最近の企業による土地利用の実態に関する調)『最近の企業による土地利用の実態に関する調 査』,同省(2005)『土地白書』などを挙げることができ2005)『土地白書』などを挙げることができ)『土地白書』などを挙げることができ る。たとえば首都圏(長野県を含む1 都 8 県)では,1 都 8 県)では,都8 県)では,8 県)では,県)では, 1998 年度に 622 件の跡地が発生,これは 2 年前の 1996年度に622 件の跡地が発生,これは 2 年前の 1996622 件の跡地が発生,これは 2 年前の 1996件の跡地が発生,これは2 年前の 19962 年前の 1996年前の19961996 年と比べると131件増となっている。その内訳としては,131件増となっている。その内訳としては,件増となっている。その内訳としては, 工場の移転がもっとも多く,次いで規模縮小,廃業,転 業の順となっている。さらに,移転後の土地所有につい ては,買取企業の所有が54%と多く,旧工場側が所有54%と多く,旧工場側が所有%と多く,旧工場側が所有 するものは26%と少ない。26%と少ない。%と少ない。 つまり,工場移転後の跡地は売却されることが多く, 表1 のように生産物流,商業,サービス,住宅などの施 設へと転用されている。しかし,その中にあって約8%8%% の工場は,依然として跡地を所有している。これは明ら かに,工業における不動産業へ転換の現れであるといえ る。 図1 は企業の土地所有に対する意識の変化を表してい る。かつてのように土地所有を絶対視する方向が変化し はじめ,たとえば購入者側は高額な投資によって買収す るよりも,必要な期間だけ低賃料で活用する方向に変化 してきている。つまり,土地を借用して企業展開する事 例が増えてきている。したがって,地主である工場に とっては,跡地の転売せずに,所有することで安定的な 利益の確保が可能となる。 近年,このことを増幅させてきた要因としては,土地 の賃料に関する各種の手法が制度化されたことも,大き く影響している。その中でも,「事業用借地権」の活用や, 「不動産証券化」による土地の賃貸に注目していきたい。 3−1 事業用借地権の影響 事業用借地権の影響 いわゆる一般的な借地権は,「普通借地権」を指して おり,その中味は借主の土地の利用目的を制限するもの でもないし,権利の更新も可能な制度である。当然のよ うに,貸主側に正当な事由があれば借主の更新を拒否で きるが,実態は借主側にとって有利に設定されることが 一般的であり,これが土地所有者の不動産賃貸を難しく してきた。 しかし,1992年(平4 )に借地権制度として,新たに“定1992年(平4 )に借地権制度として,新たに“定年(平4 )に借地権制度として,新たに“定4 )に借地権制度として,新たに“定)に借地権制度として,新たに“定“定定 期借地権”の考え方が導入された。その概要は,表”の考え方が導入された。その概要は,表の考え方が導入された。その概要は,表2 に2 に2 に 示してあるが,まず「一般定期借地権」とは50年以上の50年以上の年以上の 長期の契約をもち,利用目的に制限もなく更新も可能な ことから,これまでの普通借地権と類似している。しか し,特徴としては契約時に更新不可の特約を結ぶことが 認められている。契約期間の終了とともに,貸主は土地 の返却を求めることができるものである。 次の「建物譲渡特約借地権」は,借地契約の期間を3030 年以上に定め,利用目的に制限はない。しかも借主は契 約期間が満了しても,その借地に建設した建物を撤去す る義務がなく,貸主側で買い取ってもらえる。しかし, 契約期間の延長はできない制度である。 これらに対して「事業用借地権」は,契約期間に20年20年年 という上限があり,更新も認められず,その利用目的も 業務にしか適用されない。したがって,制限の厳しい借 地権といえる。しかし,その分,貸主側にとっては好都 合な内容であり,これが制定されてからは,土地所有者 による不動産賃貸業への転換も増えてきた。各地の ショッピングセンターの中に,鉄骨構造の簡単な建屋の 出現しているのは,最長で20 年という制限に対応して20 年という制限に対応して年という制限に対応して いる。 3−2 不動産証券化の影響 不動産証券化の影響 前項のような借地権関係は,土地所有者と事業者の間 で取引される。しかし,この二者の間に「特定目的会社」 を設立し,三者以上で土地取引を行うことがある。いわ ゆるSPC法(資産の流動化に関する法律)によって設立SPC法(資産の流動化に関する法律)によって設立法(資産の流動化に関する法律)によって設立 される会社を仲介するものである(図2 )。 この会社は,土地所有者から土地を借り,そこから発 生する利益について,一般投資家から投資を募る(証券 化)方法である。この投資金によって会社は建物を造り, 土地を含めて事業者 に賃貸する方式をと る。しかし,この三 者の関係は現実とし ては非常に複雑化し ており,投資会社が 事業者の系列企業で あったり,投資会社 と事業者が同じ投資 表2 定期借地権の区分 類 型 存続期間 利用目的 設定手続 契約終了 一般定期借地権 50年以上 限定なし 更新等の排除の特約を 公正証書等の書面に作成 期間満了 建物譲渡特約付借地権 30年以上 限定なし 期間終了後に建物を 貸主が買い取る 建物譲渡 事業用借地権 10 ∼20年 事業目的のみ 公正証書による設定契約 期間満了 資料:国土交通省(土交通省(交通省(通省(省(2005)2005)2005)2005)2005)「土地白書 平成「土地白書 平成「土地白書 平成「土地白書 平成「土地白書 平成17年版」より作成17年版」より作成17年版」より作成17年版」より作成17年版」より作成

(4)

者によって運営されることも多い。事業者にとっては, みずからが土地・建物を所有することなく店舗展開がで きる長所,つまり初期段階で要する経費を大幅に削減で きる。 以上の二つの制度変更は,明らかに土地の再編とし て,各地における大規模工場の跡地・遊休地の転換を容 易にするとともに,工場側の不動産業への転向を促す契 機となってきたことは否めない。 4 大都市縁辺都市「相模原市」の再開発 大都市縁辺都市「相模原市」の再開発 東京の郊外地域に位置する都市から選定した相模原市 は,都心40Km 圏にあたる神奈川県央部の都市である。40Km 圏にあたる神奈川県央部の都市である。圏にあたる神奈川県央部の都市である。 市域の中心は,JR横浜線の相模原駅の周辺部と,南部のJR横浜線の相模原駅の周辺部と,南部の横浜線の相模原駅の周辺部と,南部の 小田急線の相模大野駅を中心とした商業地からなる。本 調査では再開発事業を捉えるべく,同市でも北部のJRJR 橋本駅周辺に限定した。 まず,事例地として相模原市橋本地区を選定した理由 を要約すると,ⅰ)大都市周辺部の相模原市が,高度成ⅰ)大都市周辺部の相模原市が,高度成)大都市周辺部の相模原市が,高度成 長期以降,とくに1960年代の人口増加率が全国第1位を1960年代の人口増加率が全国第1位を年代の人口増加率が全国第1位を1位を位を 示したほどの,急速な都市化現象がみられた地域である こと。ⅱ)県内における工業化が早期から著しく,工場ⅱ)県内における工業化が早期から著しく,工場)県内における工業化が早期から著しく,工場 が広域にわたって分布すること。ⅲ)都心とのアクセスⅲ)都心とのアクセス)都心とのアクセス が,京王相模原新線の開通により,新都心である新宿と 直結したこと。ⅳ)県下初の「都市再生緊急整備地域」指ⅳ)県下初の「都市再生緊急整備地域」指)県下初の「都市再生緊急整備地域」指 定を受けたこと。などをあげることができる。 ⅰ)項については,首都圏整備計画の「市街地開発地域」)項については,首都圏整備計画の「市街地開発地域」 第1 号地に指定されたことが,その状況を良く表してい1 号地に指定されたことが,その状況を良く表してい号地に指定されたことが,その状況を良く表してい る。ⅱ)項は,軍需産業の跡地に早期から工場誘致条例ⅱ)項は,軍需産業の跡地に早期から工場誘致条例)項は,軍需産業の跡地に早期から工場誘致条例 が施行され,駅周辺に大規模工場の進出する契機となっ た。ⅳ)項は,政令指定都市以外では初めての指定であⅳ)項は,政令指定都市以外では初めての指定であ)項は,政令指定都市以外では初めての指定であ り,橋本駅周辺でも東・西口方向で各種の再開発手法が 具体化されてきた。 4−1 相模原市における人口動態 相模原市における人口動態 大都市縁辺という地理的な条件に加えて,相模原市は 旧軍用地から内陸工業都市へと転換し,東京・横浜の急 速な都市化の影響を直に受けてきた。これを人口データ からみると,かつて,この地域が乏水性台地という自然 的な障害により,とくに1950 年代まで人口の変化はみ1950 年代まで人口の変化はみ年代まで人口の変化はみ られなかった。しかし,県下における工業化の進展とと もに,1960年代に入ると最初の増加傾向がみられるよう1960年代に入ると最初の増加傾向がみられるよう年代に入ると最初の増加傾向がみられるよう になった。さらに1970 年代には,東京の影響による第1970 年代には,東京の影響による第年代には,東京の影響による第 二波の人口増加がみられ,典型的な大都市縁辺部の都市 化過程を呈してきた。 市域の中では,この人口増加の形態に差異があり,南 部の小田急線沿いで工業化と住宅化に起因することが多 く,一方,橋本などの北部地域では,進出工場の単身者 用の社宅建設による影響が現れていた(図3 )。いずれ にしても1960 年代以降の 20 年間にわたり,年間の平均1960 年代以降の 20 年間にわたり,年間の平均年代以降の20 年間にわたり,年間の平均20 年間にわたり,年間の平均年間にわたり,年間の平均 人口増加率は16 %に達し,同市の存在を全国的に知ら16 %に達し,同市の存在を全国的に知ら%に達し,同市の存在を全国的に知ら しめる結果となった。 この一連の動きは,人口の流出入データを分析するこ とによって一層明確になる。まず流出人口の面では,東 京23 区との結びつきが早くから判明していたが,これ23 区との結びつきが早くから判明していたが,これ区との結びつきが早くから判明していたが,これ は小田急線を利用する通勤人口に起因していた。1990 年1990 年年 代に入ると,八王子・横浜市などの近隣都市が流出先と して拡大し,その傾向は現在も同じである。 図 2 不動産証券化の仕組み 図 3 相模原市内の主要駅における乗客数の推移

(5)

一方,相模原市への流入人口は,隣接の町田市からの 値がもっとも大きく,1990年代になると近隣都市の都市1990年代になると近隣都市の都市年代になると近隣都市の都市 化の影響もさることながら,市内での就業の機会増大を 示す値が表れている。総じて1980 年からの 20 年間にお1980 年からの 20 年間にお年からの20 年間にお20 年間にお年間にお ける流出入人口比は,労働人口の市外流出と大都市縁辺 という特徴から,すべての年度で流出人口の方が上回っ ている。 次に転出入人口では,1980年当時,町田市からの転入1980年当時,町田市からの転入年当時,町田市からの転入 が年間1,000 人を超えただけで,他市からは少なかった。1,000 人を超えただけで,他市からは少なかった。人を超えただけで,他市からは少なかった。 市内には多くの工場が操業していたにも関わらず,市内 における住宅不足から転入人口の受け皿に不足していた。 それから10年後の1990年代に入ると,住宅地化の進展と10年後の1990年代に入ると,住宅地化の進展と年後の1990年代に入ると,住宅地化の進展と1990年代に入ると,住宅地化の進展と年代に入ると,住宅地化の進展と ともに,八王子・座間・大和市などからの転入がみられ, 2000年に向けて増加の一途をたどるようになった。年に向けて増加の一途をたどるようになった。 一方,転出人口は,転入と同じように低い値であった が,2000年には,転出先が藤沢・津久井・海老名市方面2000年には,転出先が藤沢・津久井・海老名市方面年には,転出先が藤沢・津久井・海老名市方面 まで拡大している。 4−2 相模原市における都市化のプロセス 相模原市における都市化のプロセス 近世における相模原は,先述のように乏水性台地とい う不利な自然条件のため,17世紀末まで開拓地が見られ17世紀末まで開拓地が見られ世紀末まで開拓地が見られ なかった。江戸期においては,宙水を灌漑用水とする新 田開発が起こり,明治期になると県事業としての「橋本 新開」などの開畑が進んだ。しかし,こうして開かれた 畑の生産性は低く,桑による養蚕 や,雑木の薪炭生産が地元の主たる 産業であった。 明治中期に生糸の輸出増を反映し て,養蚕農家が急増した。その理由 としては,絹織物産地の八王子や, 半原(愛川町)の撚糸業に近く,ま た1908年(明41)開通の横浜鉄道(現1908年(明41)開通の横浜鉄道(現年(明41)開通の横浜鉄道(現41)開通の横浜鉄道(現)開通の横浜鉄道(現 横浜線)に因るところが大きい。生 糸に関しては,市内では上溝が取引 の中心地として活況を呈した。こう して,養蚕業の発展は市域内に製糸 業を立地させ,近代的な工業の基礎 が形成された。 その後の特記できる発展の要因と 表3 相模原市内における工業団地一覧 記号 工業団地名 事業主体 造成年 面積(ha) ① 相模原機械金属工業団地 中小企業振興事業団 1969 10.2 ② 峡の原工業団地 公害防止事業団 1973 5.7 ③ 清水原工業団地 〃 1978 1.7 ④ 赤坂工業団地 〃 1981 1.6 ⑤ テクノパイル田名工業団地 土地区画整理組合 1989 29.8 ⑥ 大山工業団地 日本住宅公団 1959 39.5 ⑦ 田名工業団地 相模原市 1963 108.5 ⑧ 麻溝台工業団地 民間企業 1970 52.3 ⑨ 橋本工業団地 市誘致・その他 1956 81.0 ⑩ 小山工業団地 〃 1958 60.0 ⑪ 南橋本工業団地 〃 1960 78.0 資料:相模原市「相模原市産業の概要」「相模原市史現代図録編」 図 4 相模原市内の工業団地分布(図中の番号は表3 と同じ)

(6)

しては,戦時体制前の1937年(昭12 )に陸軍士官学1937年(昭12 )に陸軍士官学年(昭12 )に陸軍士官学12 )に陸軍士官学)に陸軍士官学 校が開設されたことである。そして相模原陸軍造兵 廠の進出により,桑畑の展開する台地上に工場や住 宅が建設された(図5・表 4 )。この造兵廠の主たる 建造品は戦車であり,京浜地区にあった自動車工業 と強い関連をもちながら,市内に下請工場が設立し た。大企業としては,1941年時点で浅野重工業・日1941年時点で浅野重工業・日年時点で浅野重工業・日 本特殊鋼など,13社の工場が進出した。13社の工場が進出した。社の工場が進出した。一躍,軍都 として歩み始めた相模原市は,1941年以降,造兵廠1941年以降,造兵廠年以降,造兵廠 を中心として16号線道路の整備や,工員のための宿16号線道路の整備や,工員のための宿号線道路の整備や,工員のための宿 舎建設が始まった。地元としては,これらの開発よ りも電気・水道・ガスなどのインフラ整備が大きな メリットであった。この軍需施設も,大戦後は米軍 に接収され,工場の多くは他の目的に利用された。 相模原市が大きな変化を見せたのは,1960年代以1960年代以年代以 降,つまり高度成長期以後のことである。終戦と ともに米軍に接収された施設では,多くの日本人 が雇用されていた。しかし,これも朝鮮戦争終了 とともに大量解雇を受け,その再雇用の方策とし て1955年(昭40)に「工場誘致条例」を制定した。1955年(昭40)に「工場誘致条例」を制定した。年(昭40)に「工場誘致条例」を制定した。40)に「工場誘致条例」を制定した。)に「工場誘致条例」を制定した。 この制度は,進出企業に対して初年度からの33 年間,一定の固定資産税を減免するものであり, 見返りには少なくとも10 年以上の操業継続が義務10 年以上の操業継続が義務年以上の操業継続が義務 づけられていた。その第1 号企業として北部の淵1 号企業として北部の淵号企業として北部の淵 野辺に(株)カルピスが進出し,橋本駅周辺では戦 時中に立地した国鉄橋本自動車工場の隣接地に, 旧八幡系の製灌工場(現大和製灌)や鉄鋼関連企業 が進出した。結果として,誘致企業24 社の中で,24 社の中で,社の中で, 14 社が広大な敷地の確保に有利な市内北部へ立地社が広大な敷地の確保に有利な市内北部へ立地 した。 また,相模原市は1958年(昭33)に首都圏整備法の「市1958年(昭33)に首都圏整備法の「市年(昭33)に首都圏整備法の「市33)に首都圏整備法の「市)に首都圏整備法の「市 街地開発地域」指定を受け,既成市街地の人口増加を阻 止するために,市内での人口吸収策がとられた。そのた めには,適切な工業団地の建設を図り,工業開発を梃子 にした衛星都市づくりを推進した。この指定により,住 宅公団による橋本駅南の大山工業団地が造成された。 1960 年代後半になると,工場進出が早くも鈍化して年代後半になると,工場進出が早くも鈍化して きた。それは東京の住宅化の波が押し寄せるにつれて, 表5 のように相模原市の地価高騰をもたらし,工場の立 地は不可能になってきた。そのことは1968 年の市税収1968 年の市税収年の市税収 入で,固定資産税よりも市民税が上回ったことからも判 明する。ちなみに,同市の工場誘致条例は1961 年に廃1961 年に廃年に廃 止された。 この1960 年以降の住宅地化の波は,1958 年からの 51960 年以降の住宅地化の波は,1958 年からの 5年以降の住宅地化の波は,1958 年からの 51958 年からの 5年からの55 年間の団地形成に現れている。この間には12 団地が完12 団地が完団地が完 成しているが,その内の11 団地が南部の小田急線沿い11 団地が南部の小田急線沿い団地が南部の小田急線沿い であることから,東京の郊外化の影響であることが分か る。北部の橋本・淵野辺方面の住宅地化は,1970年代以1970年代以年代以 降である。その多くは時代を反映して中高層マンション の建設であり,1996年に発表された京王相模線の延伸と1996年に発表された京王相模線の延伸と年に発表された京王相模線の延伸と 橋本駅開設の情報(2000年完成)が,大きく影響してい2000年完成)が,大きく影響してい年完成)が,大きく影響してい ると思われる。 5 「橋本地区」の概要 「橋本地区」の概要 京王相模線の延伸は,1990年に南大沢から橋本駅まで1990年に南大沢から橋本駅まで年に南大沢から橋本駅まで が決定していた。当初は多摩センター駅から一気に橋本 までの新線開業を考えていたが,橋本駅周辺の土地買収 に時間を要し遅れた。いずれにしても,相模原市内の鉄 道線の開業は,昭和初期の相模線開業以来のできごとで あった。 表4 軍施設の一覧 記号 旧軍用施設名 設立年 面積(ha) 現在(2005年)の用途 ① 陸軍士官学校 1937 131 米軍キャンプ座間 ② 同練兵場 1937 786 ゴルフ場,大学ほか ③ 陸軍第三病院 1938 35 国立病院 ④ 相模陸軍造兵廠 1938 318 米軍相模原補給廠 ⑤ 陸軍兵器学校 1938 大学,工場ほか ⑥ 通信第一連隊 1938 20 米軍相模住宅 ⑦ 陸軍通信学校 1939 50 大学ほか ⑧ 相模原陸軍病院 1940 19 住宅ほか ⑨ 陸軍機甲整備学校 1943 97 住宅ほか 資料:相模原市史第4 巻より作成 図 5 軍都計画時の施設分布(番号は表4と同じ)

(7)

この新線の開通により,1960年頃から計画し1960年頃から計画し年頃から計画し てきた橋本駅周辺の再開発事業が進行し,駅北 地区では2005年までの間に「市街地再開発事業2005年までの間に「市街地再開発事業年までの間に「市街地再開発事業 (第一種)」が2 地点,「優良建築物等整備地域」2 地点,「優良建築物等整備地域」地点,「優良建築物等整備地域」 2 地点が完了した。それにより,再開発地周辺地点が完了した。それにより,再開発地周辺 では木造家屋の建て替えが急速に進んできた。 5−1 地域の歴史的背景 地域の歴史的背景 橋本地区は,江戸初期に大山街道の 宿場町として発達し,交通の要衝になっ た。現在の駅北部の両国橋に近い瑞光 寺付近が宿場の中心と考えられ,整然 とした大きな屋敷割や外観に当時を偲 ぶことができる。 明治期に入ると,市内の他所と同じ ように桑畑も拡がり,1908年(明41)に1908年(明41)に年(明41)に41)に)に は地元の要請で横浜鉄道の橋本駅が開 設され,発展の基盤となった。そして 駅舎と宿場との間に市街地の発展がみ られ,商店や銀行の立地も進んだ。 1931 年(昭 6 ),茅ヶ崎と厚木間を走年(昭6 ),茅ヶ崎と厚木間を走6 ),茅ヶ崎と厚木間を走),茅ヶ崎と厚木間を走 る相模線が橋本まで延伸し,橋本を県 中央部と結びつける契機となった。し かし,すでに1927年(昭3 )には小田急1927年(昭3 )には小田急年(昭3 )には小田急3 )には小田急)には小田急 線が市域の南部を横断したことにより, 北部の橋本地区は場末的な状況を呈し 図6 橋本駅周辺の再開発事業地の分布 表6 橋本駅周辺における再開発事業一覧 地 区 番 号 事業名 施工年 施工主体 面 積 駅 隣 接 地 区 ① 駅北口地区市街地再開発 平10年 市街地再開発組合 2.3ha ② 駅北口C地区市街地再開発 11年 市街地再開発組合 1.3 駅 周 辺 地 区 ③ 仲町地区優良再開発 7年 共同ビル建設組合 0.3 ④ 6 丁目東町地区優良 建築物等整備 15年 共同ビル建設組合 0.4 ⑤ D地区優良建築物等整備 16年 優良建築物建設組合 0.7 ⑥ E地区市街地再開発 未定 未定 0.5 縁 辺 地 区 ⑦ 橋本地区土地区画整理 10年 県住宅供給公社 15.1 ⑧ 都市再生緊急整備 未定 未定 36.0 資料:各事業組合報告書 表5 相模原市内の主要駅前地価の変動 駅前商業地地価(千円/m2 1976 1981 1986 1991 1996 2001 2004 橋本 260 332 420 2,600 880 445 336 相模原 310 392 760 2,610 950 459 359 相模大野 440 533 950 7,050 3,000 1,520 1,040 資料:各年次の地価公示価格より作成

(8)

てきた。この状況を改変させたのが,先述の工業化によ る工場進出である。 5−2 橋本駅周辺の再開発の実態 橋本駅周辺の再開発の実態 市内における再開発事業は10 地区を数える。その内10 地区を数える。その内地区を数える。その内 の5 地区が橋本駅周辺に位置する。初期の計画は,19795 地区が橋本駅周辺に位置する。初期の計画は,1979地区が橋本駅周辺に位置する。初期の計画は,19791979 年(昭54)の「駅北口周辺整備基本構想」であり,その後54)の「駅北口周辺整備基本構想」であり,その後)の「駅北口周辺整備基本構想」であり,その後 は1983年(昭58)に「商業形成事業」を実施し,近接する1983年(昭58)に「商業形成事業」を実施し,近接する年(昭58)に「商業形成事業」を実施し,近接する58)に「商業形成事業」を実施し,近接する)に「商業形成事業」を実施し,近接する 町田・八王子との商業競争力が強まってきた。同事業は, 市内の主要3 駅(他に相模原・相模大野)においても実3 駅(他に相模原・相模大野)においても実駅(他に相模原・相模大野)においても実 施されたが,橋本駅周辺は他所と比べ商業力は脆弱であ り,空き店舗が多くみられたことから,行政による改善 案が策定された。 図6 の「駅隣接地区」は,1996年(平10)から制定され1996年(平10)から制定され年(平10)から制定され10)から制定され)から制定され た市街地再開発法に基づく法令事業であり,なかでも ① 地区には低層家屋が散在し,約地区には低層家屋が散在し,約30 名の地権者の合意30 名の地権者の合意30 名の地権者の合意名の地権者の合意 のもとに高層ビルを完成させた。当初のテナントを予定 した「そごう」が撤退してからは,「マイカル」との出店 合意を取りつけ,2000 年に「橋本ビブレ」が開店した。2000 年に「橋本ビブレ」が開店した。年に「橋本ビブレ」が開店した。 さらに2 年後には,「サティ」への業種転換を果たして2 年後には,「サティ」への業種転換を果たして年後には,「サティ」への業種転換を果たして 現在に至っている。② 地区は,図書館を含む複合型の② 地区は,図書館を含む複合型の地区は,図書館を含む複合型の 商業施設として改修された。ここは1998年(平12)に再1998年(平12)に再年(平12)に再12)に再)に再 開発組合を設立してから3 年という短期間に工事が完了3 年という短期間に工事が完了年という短期間に工事が完了 している。 次に「駅周辺地区」は,①②地区を取り巻く形で分布①②地区を取り巻く形で分布地区を取り巻く形で分布 している。いずれも建物の単体による点的な再開発事業 である。1993 年から始められたが,法令に因らない「任1993 年から始められたが,法令に因らない「任年から始められたが,法令に因らない「任 意の再開発」に含まれる。 駅西の「縁辺地区」は,いずれも工場の跡地を再利用 する形で実施された。⑦ 地区は,かつての国鉄橋本車⑦ 地区は,かつての国鉄橋本車地区は,かつての国鉄橋本車 輌センターが立地し,おもにジーゼル車輌の修理を行っ てきた。しかし,需要の低迷とともに工場は廃業し, 1984年(昭59)に遊休地化した。15ヘクタールの広大な年(昭59)に遊休地化した。15ヘクタールの広大な59)に遊休地化した。15ヘクタールの広大な)に遊休地化した。15ヘクタールの広大な15ヘクタールの広大なヘクタールの広大な 土地の再活用について,県住宅供給公社が施主となり, 3 年間の準備期間を経て 1998 年(平 10)に工事着工と年間の準備期間を経て1998 年(平 10)に工事着工と1998 年(平 10)に工事着工と年(平10)に工事着工と10)に工事着工と)に工事着工と なった。 その手法としては,「土地区画整理事業」を活用し, 2003年に完了している。現在は高層住宅(28 ∼34階 4 棟)年に完了している。現在は高層住宅(28 ∼34階 4 棟)28 ∼34階 4 棟)∼34階 4 棟)34階 4 棟)階4 棟)4 棟)棟) が完成し,大型商業施設「オラリオンサイト」が開店し た。⑧地区は,1960年(昭35)から操業していた日本金⑧地区は,1960年(昭35)から操業していた日本金地区は,1960年(昭35)から操業していた日本金1960年(昭35)から操業していた日本金年(昭35)から操業していた日本金35)から操業していた日本金)から操業していた日本金 属工業が移転(愛知県)したことによる工場跡地である。 ここは2003年に先述の「都市再生特別措置法」に基づく2003年に先述の「都市再生特別措置法」に基づく年に先述の「都市再生特別措置法」に基づく 「都市再生緊急整備事業」の指定を受けた地域である。 同法の指定により,10年以内の整備が義務づけられたこ10年以内の整備が義務づけられたこ年以内の整備が義務づけられたこ とから,今後,急速な地区内の変化が始まると考えられ る。すでに,2005年には横川電機とイトーヨーカ堂の進2005年には横川電機とイトーヨーカ堂の進年には横川電機とイトーヨーカ堂の進 出が決定している。 6 地方都市「郡山市」における再開発 地方都市「郡山市」における再開発 福島県の中央部に位置する郡山市は,人口34 万人34 万人万人 (2003 年)と,県内でもいわき市に次いで第 2 位,人口2003 年)と,県内でもいわき市に次いで第 2 位,人口年)と,県内でもいわき市に次いで第2 位,人口2 位,人口位,人口 密度では県内第1 位(442人/km1 位(442人/km位(442人/km442人/km人/km2)である。人口特性と しては,昼間人口(35.5万人)が多く,周辺の他市町村か35.5万人)が多く,周辺の他市町村か万人)が多く,周辺の他市町村か らの流入を表している。その要因としては,交通網の発 達を無視できない。市域の東西方向には,磐越東西線と 水郡線,道路としては国道49 号線と磐越自動車道が,49 号線と磐越自動車道が,号線と磐越自動車道が, 南北方向には東北本線と東北新幹線,東北自動車道が走 り,まさに「陸の港」の呼称に相応しい。 歴史的にみると,近世の陸羽街道の宿場町として発達 し,商業的な色彩は当時から強かった。明治期になると, 1872年(明5)の県令による周辺の開拓事業が企画され,年(明5)の県令による周辺の開拓事業が企画され,5)の県令による周辺の開拓事業が企画され,)の県令による周辺の開拓事業が企画され, 豪商を投資家として「開成社」が発足した。1876 年には1876 年には年には 郡山の発展に大きく寄与した灌漑用水路計画が,猪苗代 湖を水源として国の直轄事業として認可を受けた。この 事業の進行とともに,多くの旧士族層が郡山に移住し, いわゆる「安積疎水」事業が完成した。この疎水の完成は 桑栽培を可能にし,後の製糸業発達の基盤となるととも に,入植者による人口増加につながった。 大正期に入ると,中心地の整備を目的とした都市計画 事業が地主組合施工により実施され,市制を実施した。 昭和期には,1944年(昭19)の軍都指定により,大戦で1944年(昭19)の軍都指定により,大戦で年(昭19)の軍都指定により,大戦で19)の軍都指定により,大戦で)の軍都指定により,大戦で 広い範囲が消失した。終戦後は戦災復興に努め,軍需産 業からの転換を図った。そして,1964年(昭39)に常磐1964年(昭39)に常磐年(昭39)に常磐39)に常磐)に常磐 地域とともに新産業都市に指定され,工業化の振興と交 通網の整備による商都としての発展がみられた。1984 年1984 年年 (昭59)には人口も30万人を突破し,急速な第三次産業59)には人口も30万人を突破し,急速な第三次産業)には人口も30万人を突破し,急速な第三次産業30万人を突破し,急速な第三次産業万人を突破し,急速な第三次産業 化が進行した。   6−1 工業化の進行 工業化の進行 昭和期における第三次産業化の歩みは,国における殖 産興業政策と相俟って,近代化の一翼を担うこととなっ た。その中では,紡績業が先行し,製糸業の発達がその 土地の隆盛をもたらした。そして,しだいに重化学工業 を主体する傾向が強まることになる。これら一連の工業 化の動きは,地域社会との関連を無視することはできな い。各種の拠点開発方式による指定地となった郡山市 は,上記の動向が顕著であり,工業主導型の地域発展策 がとられた。 しかし,高度経済成長にかげりが見えはじめると,工 業部門に主役の交代がはじまり,先端技術などの国際競

(9)

争力のある産業への転換が目立ってきた。国の施策も 「テクノポリス法」(1983年)にみられるような地域産業1983年)にみられるような地域産業年)にみられるような地域産業 の自立的な高度化を図る方向へ,あるいは生産一辺倒と は異なる研究開発などに力を入れた頭脳型工業への転向 が始まった。 郡山市のように製糸業という工業からスタートした地 方都市にあっては,大正期の典型的な原料立地,かつ安 価な労働力が得られる事例に該当する。しかし,工業に 起因する都市の発展という面では,重化学工業に特化し た沿岸部の大都市に比べて大きな差異をもつようにな る。なかでも,工業の衰退傾向は都市そのものの退潮に 結びつくことが多い。つまり地方にあっては,一時的に 都市化の推進力となる工業化も,その後の第三次産業化 への動きを活発にすることによって,地域発展をもたら すことができる(図7 )。 さらに,地方では工場配置に注目することが重要であ る。郡山市では,市街地中央に大規模工場が立地してき たことにより,商業機能の拡充との間にさまざまな事象 をもたらした。まさに,本研究のテーマである工場跡地 の再利用は,そのような状況下で派生した課題である。   6−1−1 郡山市における工業の特性  この地において桑の生産を可能とした安積疎水の完成 は,水力利用の製糸業の発展に寄与した。さらには, 1887年(明20)に開通した日本鉄道(現東北本線)郡山年(明20)に開通した日本鉄道(現東北本線)郡山20)に開通した日本鉄道(現東北本線)郡山)に開通した日本鉄道(現東北本線)郡山 駅の開業,また1904年(明37)に開通の岩城鉄道(現磐1904年(明37)に開通の岩城鉄道(現磐年(明37)に開通の岩城鉄道(現磐37)に開通の岩城鉄道(現磐)に開通の岩城鉄道(現磐 越西線)の国有化により,郡山駅の重要性が増し,19191919 年(大8 )に大宮から機関車工場が移転し,郵送体系の8 )に大宮から機関車工場が移転し,郵送体系の)に大宮から機関車工場が移転し,郵送体系の 充実が図られた。 つまり,内陸部の同市にとっては,20本を越える線路20本を越える線路本を越える線路 の存在が貨物輸送を盛んにし,各種の工場を引きつける ことになった。したがって,郡山駅の周辺部は工業都市 としての土地利用が増加し,駅西地区には商店や事務所 が集積し,いわゆる駅前中心商業地を形成した。 一方,駅東地区は重化学工業などを主体とした工場地 域になった。元来,この種の工業は港湾部への立地が一 般的である。しかし,陸の港としての郡山の位置づけ, および東京・仙台といった消費地を控えていることなど が,ここへの立地を可能とした要因である。 このように駅を中間にして,駅東・駅西地区の様相が まったく異なっていた。図8 は最近 15 年間の事業所数15 年間の事業所数年間の事業所数 の推移を示しているが,工業を取り巻く環境の変化が良 く分かる。わが国の産業の中心が第三次産業化へと移 り,海外への工場移転などで地方の工業は規模を縮小, また閉鎖する工場も増えてきた。郡山でも生産の上位部 門(研究・本社)の誘致策を進めてきたが,すでに工業 化によって地域の活性化を求める時代ではなかった。   6−1−2 大規模な工場跡地の出現 大規模な工場跡地の出現 郡山市の中心部における,工業の衰退にともなう土地 利用変化の事例としては,駅東地区の「イオンタウン郡 山」に注目したい。ここは駅から南に600m,中心駅に600m,中心駅にm,中心駅に 近接する工場跡地である。旧所有者は,日本化学工業で あり,その一部が大規模な商業施設に変化した。同社は, 化学工業として1893年(明26)に東京麻布でヨードカリ1893年(明26)に東京麻布でヨードカリ年(明26)に東京麻布でヨードカリ26)に東京麻布でヨードカリ)に東京麻布でヨードカリ 製造を始めた。そして1935年(昭10 )に現在の社名とな1935年(昭10 )に現在の社名とな年(昭10 )に現在の社名とな10 )に現在の社名とな)に現在の社名とな り,郡山へ進出した。1950 年に郡山工場は,肥料製造の1950 年に郡山工場は,肥料製造の年に郡山工場は,肥料製造の 専門工場となった。1997年(平11 )に中国での生産を開1997年(平11 )に中国での生産を開年(平11 )に中国での生産を開11 )に中国での生産を開)に中国での生産を開 始するとともに,郡山での規模は縮小された。現在,約 3 万平方メートルの工場跡地の事業者は「イオン株式会万平方メートルの工場跡地の事業者は「イオン株式会 社」であり,同社も全国で大規模なショッピングセン ターを展開している。すでに,市内では日和田町に郊外 型店舗を開設している。 この跡地の利用については,先述の借地制度を活 用した賃貸関係にあたり,それにより日本化学工業 の不動産収益が顕在化してきた。 また駅東地区は,長期にわたり工業地域であった ことから,物資運搬用の広い道路が整備され,国道 4 号線とのアクセスに恵まれていた。しかし,土地号線とのアクセスに恵まれていた。しかし,土地 利用は工場のみであり,他機能の集積はみられな かった。そこにショッピングセンターが開設したこ とにより,現在ではマンションや文教施設をはじめ とする土地利用の多様化が始まった。 6−2 中心商業地への影響 中心商業地への影響 郡山駅西の商業地は,宿場町としての歴史的な起 図 7 郡山市における産業別就業者の推移(1970 ∼2000年)

(10)

源を有し,駅前という好立地から商業地としては単核的 な形態を持続してきた。しかし,第二次大戦後の戦災復 興の中で,駅から西に伸びる「さくら通り」(片側3 車線)3 車線)車線) が開設されたことにより,顧客の分断を生じた。 大戦前は一本化していた商業地は,この通りから南北 に分かれて買物客の争奪戦を繰り広げることになった。 1983年(昭58)には,南側の商店が主導してきた商店会年(昭58)には,南側の商店が主導してきた商店会58)には,南側の商店が主導してきた商店会)には,南側の商店が主導してきた商店会 連合から北側の地域が分かれた。さらには,1970年代か1970年代か年代か ら南北の商業地に大型店舗の進出がみられた。この大型 店の動向に地元店舗が影響されたと考えられる。つま り,これまで地元店の集客力は,大型店に依存してきた 経緯がある。北側では「トポス」(旧ダイエー)が1975年1975年年 (昭50)以来の核店舗であったが,1994 年に閉鎖した。50)以来の核店舗であったが,1994 年に閉鎖した。)以来の核店舗であったが,1994 年に閉鎖した。1994 年に閉鎖した。年に閉鎖した。 その影響により地元店舗も閉店に追い込まれた。 一方,南側は1990 年に南北の商店会が再び一本化し1990 年に南北の商店会が再び一本化し年に南北の商店会が再び一本化し たことを受け,郡山市の中心商業地としての地位を確立 した(図9 )。 駅東のイオンタウン郡山の開設の影響をみると,デー タ面でそれを確認することはできない。しかし,図10の ように来街者調査の結果では,駅西の中心商業地は,し だいに減少傾向を示し,イオンタウン開店後も同様であ る。この要因としては,郊外ショッピングセンターの開 設をも含め,駅西の駐車場施設の分布や料金体系,また 地区内の道路渋滞などが大きく影響していると考えられ る。 このような中にあって,郡山では特異な商業地活性策 が講じられている。それは,市内の約20の大型店が「大20の大型店が「大の大型店が「大 規模店協会」組織を立ち上げ,ここの出資金による駅西 中心商業地の活性化を検討している。これは,地方に あって都市の中核の存在が,街づくりにとって重大であ るという認識から出発している。 また,2001年には市内最高(24階)の再開発ビル「ビッ2001年には市内最高(24階)の再開発ビル「ビッ年には市内最高(24階)の再開発ビル「ビッ24階)の再開発ビル「ビッ階)の再開発ビル「ビッ グアイ」が駅に近接して開業した。事業主体は行政を含 む第三セクターである。この計画自体は早期から考えら れていたが,入居テナントに時間を要し,完成は大幅に 遅れた。そのために異業種ともいえる科学館・高校・事 務所を取り込み,ようやく完成にこぎつけた。これとて も,駅東にイオンタウンが開業しなければ,駅前におけ る重要なランドマークとなっていたであろう。しかし, 広大な駐車場と約50 店舗が集中する駅東のイオンタウ50 店舗が集中する駅東のイオンタウ店舗が集中する駅東のイオンタウ ンの存在は,この高層ビルの初期の目的を揺るがすこと が予想される。  7 まとめ まとめ ある地域の都市計画は,ひとえに行政のみで遂行する ことは難しい。そこには,市民や企業を含めた集団によ る作業でなければならない。したがって,その地域の実 状をどのような空間配置にしたいのかが問われる。他の 地域で評価された完成例を,地元の計画の基本として議 論することは,対処療法として参考になったとしても, いわゆる「まちづくり」に適切であったかどうか疑わし い。これまでにも地域の再生に際しては,当然のように 表7 「イオンタウン郡山」の概要 設置者 日本化学工業株式会社 事業者 イオン株式会社 店舗面積 29.094m2 テナント数 50店 駐車台数 2,300台 資料:「郡山市の商工業」(2004) 図 8 郡山市の工業(事業所・従業員)の推移 <郡山市(2003)「郡山市の工業」より作成> 図 9 郡山市駅周辺

(11)

種々の都市計画上の規制がかぶさり,現地における改変 の限界となったり,計画立案の誘導的な手法として用い られてきた。地元にとって将来の市街地,とくに都心を どのように考えるかが不確定であると,その都市のもつ 機能や将来像は定まらない。 これまでの行政主導型の再開発計画にあっては,民間 企業の意思を発現する場は少なかった。企画段階で同じ テーブルにつくことがあっても,事業遂行の中では他者 に甘んじていた。しかし,都心を特徴づける中心駅の周 辺においては,土地所有者としての民間企業の協力なく して都市再生は望めない。またそのための制度の整備も 乏しい現状にある。面的な再生に用いられる「土地区画 整理事業」や,各種の「市街地再開発事業」にしても, なかなか民間主導とはなりえない。大手企業による点的 な都市再生は可能であっても,周辺の小規模な地主層を 抱え込んだ面的開発が難しい理由はそこにある。 緊急な都市再生は,都市規模に関係なく,今世紀の重 要な課題のひとつである。そこでは単に地元経済の活性 化ばかりではなく,より質の高い計画が求められる。と くに都市における中心駅周辺は,都市らしさの象徴であ る。長い歴史に育まれた地域文化を,都市の資産と考え るような計画が必要である。つまり,伝統的な中心地の 再生にとって,再開発するとはどういうことか,またそ のための質の高いプロジェクトの成立が期待される。 本論文は,中心駅に近接する巨大な遊休地の再利用に 関する実態を報告した。大都市から離れていても,鉄道 交通の要衝である限り,地価の急騰は避けられない。ま して,大企業による業種(不動産業)転換にあっては, 地元民や行政と乖離した土地利用の変換が発生する。橋 本地区では,かろうじて特区的な行政指導が遅ればせな がら取り入れられた。また郡山地区では,伝統的な中心 商業地が,工場跡地に発生した大規模商業施設群に移行 しつつある。そこには,自治体レベルでの明確な方向性 は見えてこない。 2002年(平14)6月,「都市再生特別措置法」が施行さ年(平14)6月,「都市再生特別措置法」が施行さ14)6月,「都市再生特別措置法」が施行さ)6月,「都市再生特別措置法」が施行さ6月,「都市再生特別措置法」が施行さ月,「都市再生特別措置法」が施行さ れた。これとても経済活性化のみに偏した施策となる恐 れもある。その都市,その街にとって,周辺への環境の 配慮を含めて再生する手段を,十分に考慮すべきではな かろうか。報文では借地制度等の規制緩和策にも触れた が,要は地域にとって必要な施設の適正配置こそが,次 世代に引き継げる豊かな都市を形成することにつながる のである。 謝辞 本調査は,2004 ∼ 2006 年にかけて,永野研究室で現地調2004 ∼ 2006 年にかけて,永野研究室で現地調∼2006 年にかけて,永野研究室で現地調2006 年にかけて,永野研究室で現地調年にかけて,永野研究室で現地調 査および研究を続けてきた今野邦子・柏村健一によるところ が大きい。ここに記して謝辞としたい。 1) 友澤和夫(1989):周辺地域における工業進出とその労友澤和夫(1989):周辺地域における工業進出とその労1989):周辺地域における工業進出とその労):周辺地域における工業進出とその労 働力構造 ― 中・南九州を事例として ―,地理評,― 中・南九州を事例として ―,地理評,中・南九州を事例として ―,地理評,―,地理評,,地理評,62(4), pp.289−310. 2)井出策夫 他(2002):『写真・工業地理学入門』) 井出策夫 他(2002):『写真・工業地理学入門』 他(2002):『写真・工業地理学入門』他(2002):『写真・工業地理学入門』2002):『写真・工業地理学入門』):『写真・工業地理学入門』. 3)笠原国昭(1994):市街地再開発と地区住民,都市問題) 笠原国昭(1994):市街地再開発と地区住民,都市問題1994):市街地再開発と地区住民,都市問題):市街地再開発と地区住民,都市問題, 85(99),pp.59pp.59−71. 4) 山本 昇(1994):生駒市の事例に基づく商業再開発事山本 昇(1994):生駒市の事例に基づく商業再開発事1994):生駒市の事例に基づく商業再開発事):生駒市の事例に基づく商業再開発事 業の現状と課題,都市問題題,都市問題,都市問題都市問題,85(9),pp.73pp.73−86. 5)浜 利彦 他(2000):町田市中心市街地再開発の実施過) 浜 利彦 他(2000):町田市中心市街地再開発の実施過 他(2000):町田市中心市街地再開発の実施過他(2000):町田市中心市街地再開発の実施過2000):町田市中心市街地再開発の実施過):町田市中心市街地再開発の実施過 程 ― 原町田地区第 1 種市街地再開発事業を事例にして― 原町田地区第 1 種市街地再開発事業を事例にして原町田地区第1 種市街地再開発事業を事例にして1 種市街地再開発事業を事例にして種市街地再開発事業を事例にして ― 総合都市研究総合都市研究,71,pp.33pp.33−51. 6) 浜 利彦(2001):吉祥寺駅周辺再開発事業の実施過程,浜 利彦(2001):吉祥寺駅周辺再開発事業の実施過程,2001):吉祥寺駅周辺再開発事業の実施過程,):吉祥寺駅周辺再開発事業の実施過程, 総合都市研究,74,pp.47pp.47−63. 7)松原 宏(1982):大手不動産資本による大規模住宅地) 松原 宏(1982):大手不動産資本による大規模住宅地1982):大手不動産資本による大規模住宅地):大手不動産資本による大規模住宅地 開発の地域的展開,経済地理学年報開,経済地理学年報,経済地理学年報経済地理学年報,28(4),pp.21pp.21−37. 8)松原 宏(1985):大手不動産資本によるマンションの地) 松原 宏(1985):大手不動産資本によるマンションの地 宏(1985):大手不動産資本によるマンションの地宏(1985):大手不動産資本によるマンションの地1985):大手不動産資本によるマンションの地):大手不動産資本によるマンションの地 域的展開,経済地理学年報経済地理学年報年報,31(2),pp.1),pp.1pp.1−17. 9)香川貴志(1988):高層住宅の立地にともなう都心周辺) 香川貴志(1988):高層住宅の立地にともなう都心周辺1988):高層住宅の立地にともなう都心周辺):高層住宅の立地にともなう都心周辺 部の変化 ― 大阪市西区におけるケーススタディ ― 立命― 大阪市西区におけるケーススタディ ― 立命大阪市西区におけるケーススタディ ― 立命― 立命立命 館地理学,1,pp.111pp.111−120. 10)香川貴志(1990):名古屋市における中高層住宅の立地) 香川貴志(1990):名古屋市における中高層住宅の立地1990):名古屋市における中高層住宅の立地):名古屋市における中高層住宅の立地 特性,地理科学地理科学,45(1),pp.1pp.1−19. 11)安倉良二(1998):再開発に伴う堺市中心市街地の変化) 安倉良二(1998):再開発に伴う堺市中心市街地の変化1998):再開発に伴う堺市中心市街地の変化):再開発に伴う堺市中心市街地の変化 ― 立体化の視点から ―,地理科学立体化の視点から ―,地理科学―,地理科学,地理科学,53(1),pp.27pp.27−41. 12)山田俊明(1999):郊外のターミナル駅と再開発 ― 町田) 山田俊明(1999):郊外のターミナル駅と再開発 ― 町田1999):郊外のターミナル駅と再開発 ― 町田):郊外のターミナル駅と再開発 ― 町田― 町田町田 に み る 駅 の 変 遷 と 市 街 地 の 変 貌 −, 地 理,44(10), pp.25−32. 13)細川淳太(2002):公共施行による土地区画整理事業の) 細川淳太(2002):公共施行による土地区画整理事業の2002):公共施行による土地区画整理事業の):公共施行による土地区画整理事業の 進展と住民意識形成・変化 ― 浜松市東地区土地区画整― 浜松市東地区土地区画整浜松市東地区土地区画整 理事業を例に ―,経済地理学年報―,経済地理学年報,経済地理学年報,48(3),pp.33pp.33−50. 14)小原丈明(2005):大阪市上六地区における都市再開発) 小原丈明(2005):大阪市上六地区における都市再開発2005):大阪市上六地区における都市再開発):大阪市上六地区における都市再開発 の社会的意義地理科学,60(2),pp.1pp.1−25. 参考文献 図10 郡山駅前・商業地における来街者の推移 <「郡山市の商工業」(2004)による>

(12)

15)竹内淳彦(1972):相模原市の工業化 ― 旧軍都の変容) 竹内淳彦(1972):相模原市の工業化 ― 旧軍都の変容1972):相模原市の工業化 ― 旧軍都の変容):相模原市の工業化 ― 旧軍都の変容― 旧軍都の変容旧軍都の変容 ―,日本工業大研究報告,,日本工業大研究報告,pp.73pp.73pp.73−87. 16)足立和夫(1988):郡山市の既存市街地周辺部における) 足立和夫(1988):郡山市の既存市街地周辺部における1988):郡山市の既存市街地周辺部における):郡山市の既存市街地周辺部における 土地所有形態の変化,日本大学工学部紀要A,工学編通A,工学編通,工学編通 号,29,pp.37pp.37−51.. 17)東北大学理学部地理学教室(2003):「郡山市中心市街地) 東北大学理学部地理学教室(2003):「郡山市中心市街地2003):「郡山市中心市街地):「郡山市中心市街地 の現状と活性化の取り組み」. 18)神奈川県県土整備部(2004):「神奈川県の再開発事業」.) 神奈川県県土整備部(2004):「神奈川県の再開発事業」.2004):「神奈川県の再開発事業」.):「神奈川県の再開発事業」. 19)相模原市教育委員会(1988):「相模原市の都市化」ほか.) 相模原市教育委員会(1988):「相模原市の都市化」ほか.1988):「相模原市の都市化」ほか.):「相模原市の都市化」ほか. 20)) 相模原市立博物館(2004):「相模原 ― その開発と変2004):「相模原 ― その開発と変):「相模原 ― その開発と変― その開発と変その開発と変 貌― 」― 」」. 21)京王電鉄広報部(1998):「京王電鉄五十年史」) 京王電鉄広報部(1998):「京王電鉄五十年史」1998):「京王電鉄五十年史」):「京王電鉄五十年史」. 22)郡山市都市開発部(2003):「郡山の都市計画」) 郡山市都市開発部(2003):「郡山の都市計画」2003):「郡山の都市計画」):「郡山の都市計画」. 23)郡山市企画部(2004):「きらめき郡山」) 郡山市企画部(2004):「きらめき郡山」2004):「きらめき郡山」):「きらめき郡山」. 24)都市再開発法制研究会(2003):「入門都市再開発法」) 都市再開発法制研究会(2003):「入門都市再開発法」2003):「入門都市再開発法」):「入門都市再開発法」.

参照

関連したドキュメント

外声の前述した譜諺的なパセージをより効果的 に表出せんがための考えによるものと解釈でき

11.. 2001))との記載や、短時間のばく露であっても皮膚に対して損傷を与える (DFGOT

効果的にたんを吸引できる体位か。 気管カニューレ周囲の状態(たんの吹き出し、皮膚の発

b)工場 シミュ レータ との 連携 工場シ ミュ レータ は、工場 内のモ ノの流 れや 人の動き をモ デル化 してシ ミュレ ーシ ョンを 実 行し、工程を 最適 化する 手法で

浮遊粒子状物質の将来濃度(年平均値)を日平均値(2%除外値)に変換した値は 0.061mg/m 3 であり、環境基準値(0.10mg/m

選定した理由

①自宅の近所 ②赤羽駅周辺 ③王子駅周辺 ④田端駅周辺 ⑤駒込駅周辺 ⑥その他の浮間地域 ⑦その他の赤羽東地域 ⑧その他の赤羽西地域

駅周辺の公園や比較的規模の大きい公園のトイレでは、機能性の 充実を図り、より多くの方々の利用に配慮したトイレ設備を設置 全