• 検索結果がありません。

あたらしい憲法のはなし 文部省 一憲法みなさん あたらしい憲法ができました そうして昭和二十二年五月三日から 私たち日本國民は この憲法を守ってゆくことになりました このあたらしい憲法をこしらえるために たくさんの人々が たいへん苦心をなさいました ところでみなさんは 憲法というものはどんなものかご

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "あたらしい憲法のはなし 文部省 一憲法みなさん あたらしい憲法ができました そうして昭和二十二年五月三日から 私たち日本國民は この憲法を守ってゆくことになりました このあたらしい憲法をこしらえるために たくさんの人々が たいへん苦心をなさいました ところでみなさんは 憲法というものはどんなものかご"

Copied!
37
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

あたらしい憲法のはなし 文部省 一 憲法 みなさん、あたらしい憲法が できました。そうして昭和二十 二年五月三日から、私たち日 本國民は、この憲法を守って ゆくことになりました。このあた ら し い 憲 法 を こ し ら え る た め に、たくさんの人々が、たいへ ん苦心をなさいました。ところ でみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞ んじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのよう におもっている人はないでしょうか。もしそうならば、 それは大きなまちがいです。 國の仕事は、一日も休むことはできません。ま た、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりとき めておかなければなりません。そのためには、いろ /\規則がいるのです。この規則はたくさんありま すが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法で す。 國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふう にやってゆくかということをきめた、いちばん根本に なっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱 がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたお れてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど 柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなければ、 國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治め てゆくかということがわかりません。それでどこの國

(2)

でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたい せつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則 は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則です から、これを國の「最高法規」というのです。 ところがこの憲法には、いまおはなししたように、 國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なこと が書いてあるのです。それは國民の権利のことで す。この権利のことは、あとでくわしくおはなしします から、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりか たをきめた規則と同じように大事であるか、というこ とだけをおはなししておきましょう。 みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民の ひとり/\が、かしこくなり、強くならなければ、國民 ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の力 のもとは、ひとり/\の國民にあります。そこで國 は、この國民のひとり/\の力をはっきりとみとめ て、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民 のひとり/\に、いろ/\大事な権利があることを、 憲法できめているのです。この國民の大事な権利の ことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中 に書いてあるのです。 そこでもういちど、憲法とはどういうものであるか ということを申しておきます。憲法とは、國でいちば ん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、 その中には、だいたい二つのことが記されていま す。その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりか たをきめた規則です。もう一つは、國民のいちばん 大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則 です。このほかにまた憲法は、その必要により、いろ

(3)

/\のことをきめることがあります。こんどの憲法に も、あとでおはなしするように、これからは戰爭をけ っしてしないという、たいせつなことがきめられてい ます。 これまであった憲法は、明治二十二年にできた もので、これは明治天皇がおつくりになって、國民に あたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい 憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本 國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであ ります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭 和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらし い國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法 をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民 ぜんたいでつくったということになるのです。 みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、 この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさん は、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。 こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたい のつくったものであり、國でいちばん大事な規則であ るとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、し っかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。 そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書い てあるかを、はっきりと知らなければなりません。 みなさんが、何かゲームのために規則のようなも のをきめるときに、みんないっしょに書いてしまって は、わかりにくい[#「わかりにくい」は底本では「わ かりくい」]でしょう。國の規則もそれと同じで、一つ /\事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつ けて、第何條、第何條というように順々に記します。

(4)

こんどの憲法は、第一條から第百三條までありま す。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめに つけてあります。これを「前文」といいます。 この前文には、だれがこの憲法をつくったかという ことや、どんな考えでこの憲法の規則ができている かということなどが記されています。この前文という ものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、 みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとすると きに、手びきになることです。つまりこんどの憲法 は、この前文に記された ような考えからできたも のですから、前文にある 考えと、ちがったふうに 考えてはならないという ことです。もう一つのは たらきは、これからさき、 こ の 憲 法 を か え る と き に、この前文に記された 考え方と、ちがうようなか えかたをしてはならない ということです。 それなら、この前文の考えというのはなんでしょ う。いちばん大事な考えが三つあります。それは、 「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」で す。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかし くきこえますけれども、少しもむずかしく考えることは ありません。主義というのは、正しいと思う、ものの やりかたのことです。それでみなさんは、この三つの

(5)

ことを知らなければなりません。まず「民主主義」か らおはなししましょう。 二 民主主義とは こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民 主主義です。ところで民主主義とは、いったいどうい うことでしょう。みなさんはこのことばを、ほう/″\ できいたでしょう。これがあたらしい憲法の根本にな っているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれ を知っておかなければなりません。しかも正しく知っ ておかなければなりません。 みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何か するときのことを考えてごらんなさい。だれの意見で 物事をきめますか。もしもみんなの意見が同じなら、 もんだいはありません。もし意見が分かれたときは、 どうしますか。ひとりの意見できめますか。二人の意 見できめますか。それともおゝぜいの意見できめま すか。どれがよいでしょう。ひとりの意見が、正しくす ぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとってい ることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっ と多いでしょう。そこで、まずみんなが十分にじぶん の考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で物 事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないという ことになります。そうして、あとの人は、このおゝぜい の人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいの です。このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をき めてゆくことが、民主主義のやりかたです。 國を治めてゆくのもこれと同じです。わずかの人 の意見で國を治めてゆくのは、よくないのです。國民

(6)

ぜんたいの意見で、國を治めてゆくのがいちばんよ いのです。つまり國民ぜんたいが、國を治めてゆく ――これが民主主義の治めかたです。 しかし國は、みなさんの学級とはちがいます。國 民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんす ることはできません。ひとり/\の意見をきいてまわ ることもできません。そこで、みんなの代わりになっ て、國の仕事のやりかたをきめるものがなければな りません。それが國会です。國民が、國会の議員を 選挙するのは、じぶんの代わりになって、國を治め てゆく者をえらぶのです。だから國会では、なんで も、國民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物 事をきめます。そうしてほかの議員は、これにしたが います。これが國民ぜんたいの意見で物事をきめた ことになるのです。これが民主主義です。ですから、 民主主義とは、國民ぜんたいで、國を治めてゆくこと です。みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いち ばんまちがいがすくないのです。だから民主主義で 國を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また國 もさかえてゆくでしょう。 國は大きいので、このように國の仕事を國会の 議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の 代わりになるものです。この「代わりになる」というこ とを「代表」といいます。まえに申しましたように、民 主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことです が、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをき めてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやり かたといいます。 しかしいちばん大事なことは、國会にまかせてお

(7)

かないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあり ます。こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえる ときは、國会だけできめないで、國民ひとり/\が、 賛成か反対かを投票してきめることになっています。 このときは、國民が直接に國のことをきめますから、 これを「直接民主主義」のやりかたといいます。あた らしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、 二つのやりかたで國を治めてゆくことにしています が、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもにな っていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大 事なことにかぎられているのです。だからこんどの憲 法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになって いるといってもよいのです。 みなさんは日本國民のひとりです。しかしまだこ どもです。國のことは、みなさんが二十歳になって、 はじめてきめてゆくことができるのです。國会の議員 をえらぶのも、國のことについて投票するのも、みな さんが二十歳になってはじめてできることです。みな さんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上 の方もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさん が、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはど んな氣がしましたか。いまのうちに、よく勉強して、國 を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいて ください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさ んといっしょに、國のことを、じぶんできめてゆくこと ができるのです。みなさんの考えとはたらきで國が 治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じ ぶんの國のことをやってゆくくらい、たのしいことは ありません。これが民主主義というものです。

(8)

三 國際平和主義 國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくこと を、民主主義といいましたが、國民の意見は、人に よってずいぶんちがっています。しかし、おゝぜいの ほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのお ゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶ んの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をや ってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なり たたないのです。 これは、一つの國につ いて申しましたが、國と國 との間のことも同じことで す。じぶんの國のことば かりを考え、じぶんの國 のためばかりを考えて、 ほかの國の立場を考えな いでは、世界中の國が、 なかよくしてゆくことはで きません。世界中の國が、いくさをしないで、なかよく やってゆくことを、國際平和主義といいます。だから 民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへ んふかい関係があるのです。こんどの憲法で民主 主義のやりかたをきめたからには、またほかの國に たいしても國際平和主義でやってゆくということにな るのは、あたりまえであります。この國際平和主義を わすれて、じぶんの國のことばかり考えていたの で、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。そこであ

(9)

たらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國 際平和主義でやってゆくということを、力強いことば で書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戰 爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさは しないということをきめることになってゆくのでありま す。 四 主権在民主義 みなさんがあつまって、だれ がいちばんえらいかをきめて ごらんなさい。いったい「いち ばんえらい」というのは、どうい うことでしょう。勉強のよくでき ることでしょうか。それとも力の 強いことでしょうか。いろ/\ きめかたがあってむずかしい ことです。 國では、だれが「いちばん えらい」といえるでしょう。もし 國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひと りが、いちばんえらいといわなければなりません。も しおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、み ないちばんえらいことになります。もし國民ぜんたい の考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばん えらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法で すから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきま す。そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいと いわなければなりません。 國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、こ

(10)

の力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民 にある」といいます。こんどの憲法は、いま申しまし たように、民主主義を根本の考えとしていますから、 主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。そこで 前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國 民に存する」とはっきりかいてあるのです。主権が國 民にあることを、「主権在民」といいます。あたらしい 憲法は、主権在民という考えでできていますから、 主権在民主義の憲法であるということになるので す。 みなさんは、日本國民のひとりです。主権をもっ ている日本國民のひとりです。しかし、主権は日本 國民ぜんたいにあるのです。ひとり/\が、べつ/ \にもっているのではありません。ひとり/\が、み なじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをし てもよいということでは、けっしてありません。それは 民主主義にあわないことになります。みなさんは、主 権をもっている日本國民のひとりであるということ に、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりま せん。よいこどもであるとともに、よい國民でなけれ ばなりません。 五 天皇陛下 こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうを なさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお 助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえ

(11)

らんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、 とう/\戰爭になったか らです。そこで、これか らさき國を治めてゆくに ついて、二度とこのよう なことのないように、あ たらしい憲法をこしらえ るとき、たいへん苦心を い た し ま し た 。 で す か ら、天皇は、憲法で定め たお仕事だけをされ、政 治には関係されないこ とになりました。 憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめ ました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり 知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、 日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わり になって、國をあらわすからです。みなさんの学校の 記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょ う。記章が学校の代わりになって、学校をあらわす からです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、 ほかの眼に見えないものの代わりになって、それを あらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあ らわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下 を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛 下は、日本の國をあらわされるお方ということであり ます。 また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合

(12)

の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」という のは「一つにまとまっている」ということです。つまり 天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でい らっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの 中心としておいでになるお方ということなのです。そ れで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされる のです。 このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、 日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさ き、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでや ってゆかなければなりません。天皇陛下は、けっし て神様ではありません。國民と同じような人間でいら っしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さ な町のすみにもおいでになりました。ですから私たち は、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きし て、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしな ければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴と した意味がおわかりでしょう。 六 戰爭の放棄 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんや にいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじに おかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえ りにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家や うちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと 戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かな しい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭を して、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何 もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たく

(13)

さんおこっただけではありませんか。戰爭は人間を ほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことで す。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな 責任があるといわなければなりません。このまえの 世 界 戰 爭 の あ と で も 、 も う 戰 爭 は 二度 とやるまいと、多くの 國々ではいろ/\考 えましたが、またこん な大戰爭をおこして しまったのは、まこと に残念なことではあ りませんか。 そこでこんどの憲 法 で は 、 日 本 の 國 が 、 け っ し て 二 度 と 戰爭をしないように、 二つのことをきめま し た 。 そ の 一 つ は 、 兵隊も軍艦も飛行機 も 、およそ戰爭をす るためのものは、いっさいもたないということです。こ れからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないので す。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すて てしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして 心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、 ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しい ことぐらい強いものはありません。

(14)

もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、 けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのい いぶんをとおそうとしないということをきめたのです。 おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというの です。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょ く、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからで す。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手を おどすようなことは、いっさいしないことにきめたので す。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその 國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになっ てくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆける のです。 みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこら ないように、また戰爭を二度とおこさないようにいた しましょう。 七 基本的人権 くうしゅうでやけたところへ 行ってごらんなさい。やけたゞ れた土から、もう草が青々とは えています。みんな生き/\と しげっています。草でさえも、 力強く生きてゆくのです。まし てやみなさんは人間です。生 きてゆく力があるはずです。天 からさずかったしぜんの力が あるのです。この力によって、 人間が世の中に生きてゆくこ とを、だれもさまたげてはなり ません。しかし人間は、草木とちがって、たゞ生きて

(15)

ゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆか なければなりません。この人間らしい生活には、必 要なものが二つあります。それは「自由」ということ と、「平等」ということです。 人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのす きな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの 思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆ けることなどが必要です。これらのことが人間の自 由であって、この自由は、けっして奪われてはなりま せん。また、國の力でこの自由を取りあげ、やたらに 刑罰を加えたりしてはなりません。そこで憲法は、こ の自由は、けっして侵すことのできないものであるこ とをきめているのです。 またわれわれは、人間である以上はみな同じで す。人間の上に、もっとえらい人間があるはずはな く、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはあ りません。男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっ ているということもありません。みな同じ人間である ならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由 はないのです。差別のないことを「平等」といいま す。そこで憲法は、自由といっしょに、この平等という ことをきめているのです。 國の規則の上で、何かはっきりとできることがみ とめられていることを、「権利」といいます。自由と平 等とがはっきりみとめられ、これを侵されないとする ならば、この自由と平等とは、みなさんの権利です。 これを「自由権」というのです。しかもこれは人間の いちばん大事な権利です。このいちばん大事な人間

(16)

の権利のことを「基本的人権」といいます。あたらし い憲法は、この基本的人権を、侵すことのできない 永久に與えられた権利として記しているのです。こ れを基本的人権を「保障する」というのです。 しかし基本的人権は、こゝにいった自由権だけで はありません。まだほかに二つあります。自由権だ けで、人間の國の中での生活がすむものではありま せん。たとえばみなさんは、勉強をしてよい國民にな らなければなりません。國はみなさんに勉強をさせ るようにしなければなりません。そこでみなさんは、 教育を受ける権利を憲法で與えられているのです。 この場合はみなさんのほうから、國にたいして、教育 をしてもらうことを請求できるのです。これも大事な 基本的人権ですが、これを「請求権」というのです。 爭いごとのおこったとき、國の裁判所で、公平にさば いてもらうのも、裁判を請求する権利といって、基本 的人権ですが、これも請求権であります。 それからまた、國民が、國を治めることにいろ/ \関係できるのも、大事な基本的人権ですが、これ を「参政権」といいます。國会の議員や知事や市町 村長などを選挙したり、じぶんがそういうものになっ たり、國や地方の大事なことについて投票したりす ることは、みな参政権です みなさん、いままで申しました基本的人権は大事 なことですから、もういちど復習いたしましょう。みな さんは、憲法で基本的人権というりっぱな強い権利 を與えられました。この権利は、三つに分かれます。 第一は自由権です。第二は請求権です。第三は参 政権です。

(17)

こんなりっぱな権利を與えられましたからには、 みなさんは、じぶんでしっかりとこれを守って、失わ ないようにしてゆかなければなりません。しかしま た、むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑 をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ 権利をもっていることを、わすれてはなりません。國 ぜんたいの幸福になるよう、この大事な基本的人権 を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。 八 國会 民主主義は、國民が、みんなでみんなのために 國を治めてゆくことです。しかし、國民の数はたいへ ん多いのですから、だれかが、國民ぜんたいに代わ って國の仕事をするよりほかはありません。この國 民に代わるものが「國会」です。まえにも申しました ように、國民は國を治めてゆく力、すなわち主権をも っているのです。この主権をもっている國民に代わ るものが國会ですから、國会は國でいちばん高い位 にあるもので、これを「最高機関」といいます。「機 関」というのは、ちょうど人間に手足があるように、國 の仕事をいろ/\分けてする役目のあるものという 意味です。國には、いろ/\なはたらきをする機関 があります。あとでのべる内閣も、裁判所も、みな國 の機関です。しかし國会は、その中でいちばん高い 位にあるのです。それは國民ぜんたいを代表してい るからです。 國の仕事はたいへん多いのですが、これを分け てみると、だいたい三つに分かれるのです。その第 一は、國のいろ/\の規則をこしらえる仕事で、こ れを「立法」というのです。第二は、爭いごとをさばい

(18)

たり、罪があるかないかをきめる仕事で、これを「司 法」というのです。ふつうに裁判といっているのはこ れです。第三は、この「立法」と「司法」とをのぞいた いろ/\の仕事で、これをひとまとめにして「行政」と いいます。國会は、この三つのうち、どれをするかと いえば、立法をうけもっている機関であります。司法 は、裁判所がうけもっています。行政は、内閣と、そ の下にある、たくさんの役所がうけもっています。 國会は、立法という仕事をうけもっていますか ら、國の規則はみな國会がこしらえるのです。國会 のこしらえる國の規則を「法律」といいます。みなさ んは、法律ということばをよくきくことがあるでしょう。 しかし、國会で法律をこしらえるのには、いろ/\手 つづきがいりますから、あまりこま/″\した規則ま でこしらえることはできません。そこで憲法は、ある 場合には、國会でないほかの機関、たとえば内閣 が、國の規則をこしらえることをゆるしています。こ れを「命令」といいます。 しかし、國の規則は、なるべく國会でこしらえるの がよいのです。なぜならば、國会は、國民がえらん だ議員のあつまりで、國民の意見がいちばんよくわ かっているからです。そこで、あたらしい憲法は、國 の規則は、ただ國会だけがこしらえるということにし ました。これを、國会は「唯一の立法機関である」と いうのです。「唯一」とは、ただ一つで、ほかにはない ということです。立法機関とは、國の規則をこしらえ る役目のある機関ということです。そうして、國会以

(19)

外のほかの機関が、國の規則をこしらえてもよい場 合は、憲法で、一つ/ \きめているのです。 また、國会のこしらえた 國の規則、すなわち法 律の中で、これ/\の ことは命令できめても よろしいとゆるすことも あ ります。國民のえ ら んだ代表者が、國会で 國民を治める規則をこ し ら え る 、 こ れ が 民 主 主義のたてまえであり ます。 しかし國会には、國 の規則をこしらえること のほかに、もう一つ大 事な役目があります。それは、内閣や、その下にあ る、國のいろ/\な役所の仕事のやりかたを、監督 することです。これらの役所の仕事は、まえに申しま した「行政」というはたらきですから、國会は、行政を 監督して、まちがいのないようにする役目をしている のです。これで、國民の代表者が國の仕事を見はっ ていることになるのです。これも民主主義の國の治 めかたであります。 日本の國会は「衆議院」と「参議院」との二つか らできています。その一つ/\を「議院」といいま す。このように、國会が二つの議院からできているも のを「二院制度」というのです。國によっては、一つ

(20)

の議院しかないものもあり、これを「一院制度」という のです。しかし、多くの國の國会は、二つの議院から できています。國の仕事はこの二つの議院がいっし ょにきめるのです。 なぜ二つの議院がいるのでしょう。みなさんは、 野球や、そのほかのスポーツでいう「バック・アップ」 ということをごぞんじですか。一人の選手が球を取り あつかっているとき、もう一人の選手が、うしろにま わって、まちがいのないように守ることを「バック・ア ップ」といいます。國会は、國の大事な仕事をするの ですから、衆議院だけでは、まちがいが起るといけ ないから、参議院が「バック・アップ」するはたらきを するのです。たゞし、スポーツのほうでは、選手がお たがいに「バック・アップ」しますけれども、國会で は、おもなはたらきをするのは衆議院であって、参 議院は、たゞ衆議院を「バック・アップ」するだけのは たらきをするのです。したがって、衆議院のほうが、 参議院よりも、強い力を與えられているのです。この 強い力をもった衆議院を「第一院」といい、参議院を 「第二院」といいます。なぜ衆議院のほうに強い力が あるのでしょう。そのわけは次のとおりです。 衆議院の選挙は、四年ごとに行われます。衆議 院の議員は、四年間つとめるわけです。しかし、衆 議院の考えが國民の考えを正しくあらわしていない と内閣が考えたときなどには、内閣は、國民の意見 を知るために、いつでも天皇陛下に申しあげて、衆 議院の選挙のやりなおしをしていただくことができま す。これを衆議院の「解散」というのです。そうして、 この解散のあとの選挙で、國民がどういう人をじぶ

(21)

んの代表にえらぶかということによって、國民のあた らしい意見が、あたらしい衆議院にあらわれてくるの です。 参議院のほうは、議員が六年間つとめることに なっており、三年ごとに半分ずつ選挙をして交代しま すけれども、衆議院のように解散ということがありま せん。そうしてみると、衆議院のほうが、参議院より も、その時、その時の國民の意見を、よくうつしてい るといわなければなりません。そこで衆議院のほう に、参議院よりも強い力が與えられているのです。 どういうふうに衆議院の方が強い力をもっているか ということは、憲法できめられていますが、ひと口で いうと、衆議院と参議院との意見がちがったときに は、衆議院のほうの意見がとおるようになっていると いうことです。 しかし衆議院も参議院も、ともに國民ぜんたいの 代表者ですから、その議員は、みな國民が國民の 中からえらぶのです。衆議院のほうは、議員が四百 六十六人、参議院のほうは二百五十人あります。こ の議員をえらぶために、國を「選挙区」というものに 分けて、この選挙区に人口にしたがって議員の数を わりあてます。したがって選挙は、この選挙区ごと に、わりあてられた数だけの議員をえらんで出すこと になります。 議員を選挙するには、選挙の日に投票所へ行き、 投票用紙を受け取り、じぶんのよいと思う人の名前 を書きます。それから、その紙を折り、かぎのかゝっ た投票箱へ入れるのです。この投票は、ひじょうに

(22)

大事な権利です。選挙する人は、みなじぶんの考え でだれに投票するかをきめなければなりません。け っして、品物や利益になる約束で説き伏せられては なりません。この投票は、秘密投票といって、だれを えらんだかをいう義務もなく、ある人をえらんだ理由 を問われても答える必要はありません。 さて日本國民は、二十歳以上の人は、だれでも 國会議員や知事市長などを選挙することができま す。これを「選挙権」というのです。わが國では、なが いあいだ、男だけがこの選挙権をもっていました。ま た、財産をもっていて税金をおさめる人だけが、選挙 権をもっていたこともありました。いまは、民主主義 のやりかたで國を治めてゆくのですから、二十歳以 上の人は、男も女もみんな選挙権をもっています。こ のように、國民がみな選挙権をもつことを、「普通選 挙」といいます。こんどの憲法は、この普通選挙を、 國民の大事な基本的人権としてみとめているので す。しかし、いくら普通選挙といっても、こどもや氣が くるった人まで選挙権をもつというわけではありませ んが、とにかく男女人種の区別もなく、宗教や財産 の上の区別もなく、みんながひとしく選挙権をもって いるのです。 また日本國民は、だれでも國会の議員などにな ることができます。男も女もみな議員になれるので す。これを「被選挙権」といいます。しかし、年齢が、 選挙権のときと少しちがいます。衆議院議員になる には、二十五歳以上、参議院議員になるには、三十 歳以上でなければなりません。この被選挙権の場合 も、選挙権と同じように、だれが考えてもいけないと

(23)

思われる者には、被選挙権がありません。國会議員 になろうとする人は、じぶんでとどけでて、「候補者」 というものになるのです。また、じぶんがよいと思う ほかの人を、「候補者」としてとゞけでることもありま す。これを候補者を「推薦する」といいます。 この候補者をとゞけでるのは、選挙の日のまえに しめきってしまいます。投票をする人は、この候補者 の中から、じぶんのよいと思う人をえらばなければ なりません。ほかの人の名前を書いてはいけませ ん。そうして、投票の数の多い候補者から、議員に なれるのです。それを「当選する」といいます。 みなさん、民主主義は、國民ぜんたいで國を治 めてゆくことです。そうして國会は、國民ぜんたいの 代表者です。それで、國会議員を選挙することは、 國民の大事な権利で、また大事なつとめです。國民 はぜひ選挙にでてゆかなければなりません。選挙に ゆかないのは、この大事な権利をすててしまうことで あり、また大事なつとめをおこたることです。選挙に ゆかないことを、ふつう「棄権」といいます。これは、 権利をすてるという意味です。國民は棄権してはな りません。みなさんも、いまにこの権利をもつことに なりますから、選挙のことは、とくにくわしく書いてお いたのです。 國会は、このようにして、國民がえらんだ議員が あつまって、國のことをきめるところですが、ほかの 役所とちがって、國会で、議員が、國の仕事をしてい るありさまを、國民が知ることができるのです。國民 はいつでも、國会へ行って、これを見たりきいたりす ることができるのです。また、新聞やラジオにも國会

(24)

のことがでます。 つまり、國会での仕事は、國民の目の前で行わ れるのです。憲法は、國会はいつでも、國民に知れ るようにして、仕事をしなければならないときめてい るのです。これはたいへん大事なことです。もし、ま れな場合ですが秘密に会議を開こうとするときは、 むずかしい手つゞきがいります。 これで、どういうふうに國が治められてゆくのか、 どんなことが國でおこっているのか、國民のえらんだ 議員が、どんな意見を國会でのべているかというよ うなことが、みんな國民にわかるのです。 國の仕事の正しい明かるいやりかたは、こゝから うまれてくるのです。國会がなくなれば、國の中がく らくなるのです。民主主義は明かるいやりかたです。 國会は、民主主義にはなくてはならないものです。 日本の國会は、年中開かれているものではあり ません。しかし、毎年一回はかならず開くことになっ ています。これを「常会」といいます。常会は百五十 日間ときまっています。これを國会の「会期」といい ます。このほかに、必要のあるときは、臨時に國会 を開きます。これを「臨時会」といいます。また、衆議 院が解散されたときは、解散の日から四十日以内 に、選挙を行い、その選挙の日から三十日以内に、 あたらしい國会が開かれます。これを「特別会」とい います。臨時会と特別会の会期は、國会がじぶんで きめます。また國会の会期は、必要のあるときは、 延ばすことができます。それも國会がじぶんできめ るのです。國会を開くには、國会議員をよび集めな ければなりません。これを、國会を「召集する」といっ

(25)

て、天皇陛下がなさるのです。召集された國会は、じ ぶんで開いて仕事をはじめ、会期がおわれば、じぶ んで國会を閉じて、國会は一時休むことになります。 みなさん、國会の議事堂をごぞんじですか。あの 白いうつくしい建物に、日の光りがさしているのをご らんなさい。あれは日本國民の力をあらわすところ です。主権をもっている日本國民が國を治めてゆく ところです。 九 政党 「政党」というのは、國を治めてゆくことについて、同 じ意見をもっている人があつまってこしらえた團体の ことです。みなさんは、社会党、民主党、自由党、國 民協同党、共産党などという名前を、きいているでし ょう。これらはみな政党です。政党は、國会の議員だ けでこしらえているものではありません。政党からで ている議員は、政党をこしらえている人の一部だけ です。ですから、一つの政党があるということは、國 の中に、それと同じ意見をもった人が、そうとうおゝ ぜいいるということになるのです。 政党には、國を治めてゆくについてのきまった意 見があって、これを國民に知らせています。國民の 意見は、人によってずいぶんちがいますが、大きく 分けてみると、この政党の意見のどれかになるので す。つまり政党は、國民ぜんたいが、國を治めてゆく

(26)

についてもっている意見を、大きく色分けにしたもの と い っ て も よ い の で す。民主主義で國を 治 め て ゆ く に は 、 國 民ぜんたいが、みん な 意 見を は な しあ っ て 、 き め て ゆ か な け れ ば な り ませ ん 。政 党がおたがいに國の ことを議論しあうのは このためです。 日本には、この政 党というものについて、まちがった考えがありまし た。それは、政党というものは、なんだか、國の中 で、じぶんの意見をいいはっているいけないものだ というような見方です。これはたいへんなまちがいで す。民主主義のやりかたは、國の仕事について、國 民が、おゝいに意見をはなしあってきめなければな らないのですから、政党が爭うのは、けっしてけんか ではありません。民主主義でやれば、かならず政党 というものができるのです。また、政党がいるので す。政党はいくつあってもよいのです。政党の数だ け、國民の意見が、大きく分かれていると思えばよ いのです。ドイツやイタリアでは政党をむりに一つに まとめてしまい、また日本でも、政党をやめてしまっ たことがありました。その結果はどうなりましたか。 國民の意見が自由にきかれなくなって、個人の権利 がふみにじられ、とう/\おそろしい戰爭をはじめる ようになったではありませんか。

(27)

國会の選挙のあるごとに、政党は、じぶんの團 体から議員の候補者を出し、またじぶんの意見を國 民に知らせて、國会でなるべくたくさんの議員をえよ うとします。衆議院は、参議院よりも大きな力をもっ ていますから、衆議院でいちばん多く議員を、じぶん の政党から出すことが必要です。それで衆議院の選 挙は、政党にとっていちばん大事なことです。國民 は、この政党の意見をよくしらべて、じぶんのよいと 思う政党の候補者に投票すれば、じぶんの意見が、 政党をとおして國会にとどくことになります。 どの政党にもはいっていない人が、候補者にな っていることもあります。國民は、このような候補者 に投票することも、もちろん自由です。しかし政党に は、きまった意見があり、それは國民に知らせてあり ますから、政党の候補者に投票をしておけば、その 人が國会に出たときに、どういう意見をのべ、どうい うふうにはたらくかということが、はっきりきまってい ます。もし政党の候補者でない人に投票したときは、 その人が國会に出たとき、どういうようにはたらいて くれるかが、はっきりわからないふべんがあるので す。このようにして、選挙ごとに、衆議院に多くの議 員をとった政党の意見で、國の仕事をやってゆくこと になります。これは、いいかえれば、國民ぜんたい の中で、多いほうの意見で、國を治めてゆくことでも あります。 みなさん、國民は、政党のことをよく知らなけれ ばなりません。じぶんのすきな政党にはいり、またじ ぶんたちですきな政党をつくるのは、國民の自由 で、憲法は、これを「基本的人権」としてみとめてい

(28)

ます。だれもこれをさまたげることはできません。 十 内閣 「内閣」は、國の行政 をうけもっている機関 であります。行政とい う こと は、 ま え に申 し ましたように、「立法」 すなわち國の規則を こしらえることと、「司 法」すなわち裁判をす ることをのぞいたあと の、國の仕事をまとめ て い う の で す 。 國 会 は 、 國 民 の 代 表 に な って、國を治めてゆく 機関ですが、たくさん の 議 員 で で き て い る し、また一年中開いているわけにもゆきませんから、 日常の仕事やこま/″\した仕事は、別に役所をこ しらえて、こゝでとりあつかってゆきます。その役所 のいちばん上にあるのが内閣です。 内閣は、内閣総理大臣と國務大臣とからできて います。「内閣総理大臣」は内閣の長で、内閣ぜん たいをまとめてゆく、大事な役目をするのです。それ で、内閣総理大臣にだれがなるかということは、たい へん大事なことですが、こんどの[#「こんどの」は底 本では「こんごの」]憲法は、内閣総理大臣は、國会 の議員の中から、國会がきめて、天皇陛下に申しあ

(29)

げ、天皇陛下がこれをお命じになることになっていま す。國会できめるとき、衆議院と参議院の意見が分 かれたときは、けっきょく衆議院の意見どおりにきめ ることになります。内閣総理大臣を國会できめるとい うことは、衆議院でたくさんの議員をもっている政党 の意見で、きまることになりますから、内閣総理大臣 は、政党からでることになります。 また、ほかの國務大臣は、内閣総理大臣が、自 分でえらんで國務大臣にします。しかし、國務大臣 の数の半分以上は、國会の議員からえらばなけれ ばなりません。國務大臣は國の行政をうけもつ役目 がありますが、この國務大臣の中から、大蔵省、文 部省、厚生省、商工省などの國の役所の長になっ て、その役所の仕事を分けてうけもつ人がきまりま す。これを「各省大臣」といいます。つまり國務大臣 の中には、この各省大臣になる人と、たゞ國の仕事 ぜんたいをみてゆく國務大臣とがあるわけです。内 閣総理大臣が政党からでる以上、國務大臣もじぶん と同じ政党の人からとることが、國の仕事をやってゆ く上にべんりでありますから、國務大臣の大部分 が、同じ政党からでることになります。 また、一つの政党だけでは、國会に自分の意見を とおすことができないと思ったときは、意見のちがう ほかの政党と組んで内閣をつくります。このときは、 それらの政党から、みな國務大臣がでて、いっしょ に、國の仕事をすることになります。また政党の人で なくとも、國の仕事に明かるい人を、國務大臣に入 れることもあります。しかし、民主主義のやりかたで

(30)

は、けっきょく政党が内閣をつくることになり、政党か ら内閣総理大臣と國務大臣のおゝぜいがでることに なるので、これを「政党内閣」というのです。 内閣は、國の行政をうけもち、また、天皇陛下が 國の仕事をなさるときには、これに意見を申しあげ、 また、御同意を申します。そうしてじぶんのやったこ とについて、國民を代表する國会にたいして、責任 を負うのです。これは、内閣総理大臣も、ほかの國 務大臣も、みないっしょになって、責任を負うので す。ひとり/\べつ/″\に責任を負うのではあり ません。これを「連帯して責任を負う」といいます。 また國会のほうでも、内閣がわるいと思えば、い つでも「もう内閣を信用しない」ときめることができま す。たゞこれは、衆議院だけができることで、参議院 はできません。なぜならば、國民のその時々の意見 がうつっているのは、衆議院であり、また、選挙のや り直しをして、内閣が、國民に、どっちがよいかをき めてもらうことができるのは、衆議院だけだからで す。衆議院が内閣にたいして、「もう内閣を信用しな い」ときめることを、「不信任決議」といいます。この 不信任決議がきまったときは、内閣は天皇陛下に申 しあげ、十日以内に衆議院を解散していただき、選 挙のやり直しをして、國民にうったえてきめてもらう か、または辞職するかどちらかになります。また「内 閣を信用する」ということ(これを「信任決議」といい ます)が、衆議院で反対されて、だめになったときも 同じことです。 このようにこんどの憲法では、内閣は國会とむす びついて、國会の直接の力で動かされることになっ

(31)

ており、國会の政党の勢力の変化で、かわってゆく のです。つまり内閣は、國会の支配の下にあること になりますから、これを「議院内閣制度」とよんでい ます。民主主義と、政党内閣と、議院内閣とは、ふ かい関係があるのです。 十一 司法 「司法」とは、爭いごとをさばいたり、罪があるかない かをきめることです。「裁判」というのも同じはたらき をさすのです。だれでも、じぶんの生命、自由、財産 などを守るために、公平な裁判をしてもらうことがで きます。この司法という國の仕事は、國民にとっては たいへん大事なことで、何よりもまず、公平にさばい たり、きめたりすることがたいせつであります。そこで 國には、「裁判所」というものがあって、この司法とい う仕事をうけもっているのです。 裁判所は、その仕事をやってゆくについて、ただ 憲法と國会のつくった法律とにしたがって、公平に裁 判をしてゆくものであることを、憲法できめておりま す。ほかからは、いっさい口出しをすることはできな いのです。また、裁判をする役目をもっている人、す なわち「裁判官」は、みだりに役目を取りあげられな いことになっているのです。これを「司法権の独立」 といいます。また、裁判を公平にさせるために、裁判 は、だれでも見たりきいたりすることができるので す。これは、國会と同じように、裁判所の仕事が國 民の目の前で行われるということです。これも憲法 ではっきりときめてあります。 こんどの憲法で、ひじょうにかわったことを、一つ

(32)

申しておきます。それは、裁判所は、國会でつくった 法律が、憲法に合っているかどうかをしらべることが できるようになったことです。もし法律が、憲法にき めてあることにちがっていると考えたときは、その法 律にしたがわないことができるのです。だから裁判 所は、たいへんおもい役目をすることになりました。 みなさん、私たち國民は、國会を、じぶんの代わ りをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所 を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと 思って、そんけいしなければなりません。 十二 財政 みなさんの家に、それ/″\くらしの立てかたが あるように、國にもくらしの立てかたがあります。これ が國の「財政」です。國を治めてゆくのに、どれほど 費用がかゝるか、その費用をどうしてとゝのえるか、 とゝのえた費用をどういうふうにつかってゆくかという ようなことは、みな國の財政です。國の費用は、國 民が出さなければなりませんし、また、國の財政がう まくゆくかゆかないかは、たいへん大事なことですか ら、國民は、はっきりこれを知り、またよく監督してゆ かなければなりません。 そこで憲法では、國会が、國民に代わって、この 監督の役目をすることにしています。この監督の方 法はいろ/\ありますが、そのおもなものをいいま すと、内閣は、毎年いくらお金がはいって、それをど ういうふうにつかうかという見つもりを、國会に出し て、きめてもらわなければなりません。それを「予算」 といいます。また、つかった費用は、あとで計算し

(33)

て、また國会に出して、しらべてもらわなければなり ません。これを「決算」といいます。國民から税金をと るには、國会に出して、きめてもらわなければなりま せん。内閣は、國会と國民にたいして、少なくとも毎 年一回、國の財政が、どうなっているかを、知らさな ければなりません。このような方法で、國の財政が、 國民と國会とで監督されてゆくのです。 また「会計檢査院」という役所があって、國の決 算を檢査しています。 十三 地方自治 戰爭中は、なんで も「國のため」といっ て、國民のひとり/ \ の こ と が 、 か る く 考 え ら れ て い ま し た。しかし、國は國 民のあつまりで、國 民のひとり/\がよ くならなければ、國 は よ く な り ま せ ん 。 そ れ と 同 じ よ う に 、 日本の國は、たくさ んの地方に分かれ ていますが、その地 方が、それ/″\さ か え て ゆ か な け れ ば、國はさかえてゆ きません。そのためには、地方が、それ/″\じぶ

(34)

んでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいの です。なぜならば、地方には、その地方のいろ/\ な事情があり、その地方に住んでいる人が、いちば んよくこれを知っているからです。じぶんでじぶんの ことを自由にやってゆくことを「自治」といいます。そ れで國の地方ごとに、自治でやらせてゆくことを、 「地方自治」というのです。 こんどの憲法では、この地方自治ということをお もくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに 一つの團体になって、じぶんでじぶんの仕事をやっ てゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、 みなこの團体です。これを「地方公共團体」といいま す。 もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方 公共團体の仕事のやりかたも、民主主義でなけれ ばなりません。地方公共團体は、國のひながたとい ってもよいでしょう。國に國会があるように、地方公 共團体にも、その地方に住む人を代表する「議会」 がなければなりません。また、地方公共團体の仕事 をする知事や、その他のおもな役目の人も、地方公 共團体の議会の議員も、みなその地方に住む人 が、じぶんで選挙することに[#「選挙することに」は 底本では「選挙すことに」]なりました。 このように地方自治が、はっきり憲法でみとめら れましたので、ある一つの地方公共團体だけのこと をきめた法律を、國の國会でつくるには、その地方 に住む人の意見をきくために、投票をして、その投 票の半分以上の賛成がなければできないことになり

(35)

ました。 みなさん、國を愛し國につくすように、じぶんの住 んでいる地方を愛し、じぶんの地方のためにつくしま しょう。地方のさかえは、國のさかえと思ってくださ い。 十四 改正 「改正」とは、憲法をかえる ことです。憲法は、まえに も申しましたように、國の 規則の中でいちばん大事 なものですから、これをか える手つづきは、げんじゅ うにしておかなければなり ません。 そ こ で こ ん ど の 憲 法 で は 、 憲 法 を 改 正 す る と き は、國会だけできめずに、 國民が、賛成か反対かを 投票してきめることにしました。 まず、國会の一つの議院で、ぜんたいの議員の 三分の二以上の賛成で、憲法をかえることにきめま す。これを、憲法改正の「発議」というのです。それ からこれを國民に示して、賛成か反対かを投票して もらいます。そうしてぜんぶの投票の半分以上が賛 成したとき、はじめて憲法の改正を、國民が承知し たことになります。これを國民の「承認」といいます。 國民の承認した改正は、天皇陛下が國民の名で、こ

(36)

れを國に発表されます。これを改正の「公布」といい ます。あたらしい憲法は、國民がつくったもので、國 民のものですから、これをかえたときも、國民の名義 で発表するのです。 十五 最高法規 このおはなしのいちばんはじめに申しましたよう に、「最高法規」とは、國でいちばん高い位にある規 則で、つまり憲法のことです。この最高法規としての 憲法には、國の仕事のやりかたをきめた規則と、國 民の基本的人権をきめた規則と、二つあることもお はなししました。この中で、國民の基本的人権は、こ れまでかるく考えられていましたので、憲法第九十 七條は、おごそかなことばで、この基本的人権は、 人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、こ れまでいろ/\のことにであってきたえあげられたも のであるから、これからもけっして侵すことのできな い永久の権利であると記しております。 憲法は、國の最高法規ですから、この憲法でき められてあることにあわないものは、法律でも、命令 でも、なんでも、いっさい規則としての力がありませ ん。これも憲法がはっきりきめています。 このように大事な憲法は、天皇陛下もこれをお 守りになりますし、國務大臣も、國会の議員も、裁判 官も、みなこれを守ってゆく義務があるのです。ま た、日本の國がほかの國ととりきめた約束(これを 「條約」といいます)も、國と國とが交際してゆくにつ いてできた規則(これを「國際法規」といいます)も、 日本の國は、まごころから守ってゆくということを、憲

(37)

法できめました。 みなさん、あたらしい憲法は、日本國民がつくっ た、日本國民の憲法です。これからさき、この憲法を 守って、日本の國がさかえるようにしてゆこうではあ りませんか。 おわり

参照

関連したドキュメント

○ 4番 垰田英伸議員 分かりました。.

けいさん たす ひく かける わる せいすう しょうすう ぶんすう ながさ めんせき たいせき

(( .  entrenchment のであって、それ自体は質的な手段( )ではない。 カナダ憲法では憲法上の人権を といい、

子どもたちは、全5回のプログラムで学習したこと を思い出しながら、 「昔の人は霧ヶ峰に何をしにきてい

しかしながら、世の中には相当情報がはんらんしておりまして、中には怪しいような情 報もあります。先ほど芳住先生からお話があったのは

   遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば

・毎回、色々なことを考えて改善していくこめっこスタッフのみなさん本当にありがとうございます。続けていくことに意味

 筆記試験は与えられた課題に対して、時間 内に回答 しなければなりません。時間内に答 え を出すことは働 くことと 同様です。 だから分からな い問題は後回しでもいいので