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三四山の端の心も知らでゆく月は上の空にて影や絶えなむ心細く とて もの恐ろしうすごげに思ひたれば (夕顔)という不安も的中 なにがしの院 の怪異の出現によって絶命昇天する夕顔は 八月十五夜 月からの使者に迎えられて天に昇る 竹取物語 の かくや姫 に擬せられている 夕顔には 八月十五夜 いざよふ月に

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Academic year: 2021

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三三

源氏物語と長恨歌

 

其六

 

 

 

其六

 

天の夕顔

『 源 氏 物 語 』 の 一 部 始 終 に は、 『 長 恨 歌 』 の 変 奏 が 見 ら れ る( 其 三 )。 そ し て、 そ の『 長 恨 歌 』 に は、 羽 衣 説 話 の反映があった、と思われる(其五) 。 『源氏物語』夕顔の巻は、その『長恨歌』の変奏の一つとも見られるが(其一) 、それ以前に夕顔の話には、羽 衣説話、乃至天人女房説話の影がより直接に窺われる。 八月十六夜の夜、

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三四 山の端の心も知らでゆく月は上の空にて影や絶えなむ 心細く」とて、もの恐ろしうすごげに思ひたれば、  (夕顔) と い う 不 安 も 的 中、 「 な に が し の 院 」 の 怪 異 の 出 現 に よ っ て 絶 命 昇 天 す る 夕 顔 は、 八 月 十 五 夜、 月 か ら の 使 者 に 迎えられて天に昇る、 『竹取物語』の「かくや姫」に擬せられている。 夕顔には、 「八月十五夜」 、 いざよふ月に、ゆくりなくあくがれむことを、女は思ひやすらひ、 とあったが、 『竹取物語』においても、 八月十五日ばかりの月に出でゐて、かくや姫いといたく泣き給ふ。 とあった。 夕顔が『竹取物語』の「かくや姫」に重ねられていることは、明白であろう。しかし、一方、其四において述 べ た よ う に、 「 い は ゆ る 羽 衣 の 説 話 が、 こ の『 竹 取 物 語 』 の 結 構 に 参 与 し て ゐ る 」( 柳 田 国 男「 竹 取 翁 」『 昔 話 と 文学』 )ということからすれば、夕顔の話も、羽衣説話に則っている、ということになるであろう。

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三五 確かに、男の元に女が現れ、男とともに過ごすのも束の間、女は忽ちのうちに昇天してしまう、という夕顔の 話の大筋は、羽衣説話のそれに重なっている。 とりわけ、夕顔の話と羽衣説話との関連で注目すべきなのは、羽衣説話のなかに次のような形をした一類があ るという点である。 柳田国男『昔話と文学』の引く、伯耆羽衣石山の昔話の例。この話では、農夫に羽衣を奪われた天人は、一つ の夢を見る。 暫らくの間人界に住め。何年かの後に白い花の咲く蔓草の下で、子供に救はれるだらうと夢の告があつて、 それから全く天上の事を忘れてしまふ。さうして偶然に其農夫の家に来て夫婦になり女の子が二人出来る。 二人の娘は音楽が好きで、又舞が上手であつた。親子三人で倉吉の神坂へ遊びに行つた時に、何も知らず其 羽衣を持つて往つた。姉の娘が先づそれを着て舞ひ、妹も次にそれを着て舞つた。其あとで母親が試みにそ の羽衣を着て見ると、忽ち人間の心を失うて天上に昇る気になつた。さうして其処には夢の告の如く、井の 上に夕顔の花が白く咲いて居た。 夢 に 告 げ ら れ た 如 く、 「 白 い 花 の 咲 く 蔓 草 の 下 」 で、 天 人 は 天 へ 帰 る こ と が で き た。 そ し て そ の「 白 い 花 の 咲 く蔓草」とは、他ならぬ「夕顔の花」であったのだ。 『源氏物語』の夕顔の巻、 その名も「夕顔」 。やはりこの天人のように男の元を去って天に昇って行った女君が、

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三六 「夕顔」とともに物語に登場していたことは偶然ではなかったのではないか。 源氏が、この女君を見染めることになったのは、夕暮れの垣根に咲いた、見馴れない白い花が印象的であった からであった。 「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ、咲き侍りける。 」 説明をする随身に、 「一房折りて参れ」と命ずるところから、源氏とこの女君との出会いは生まれた。 心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花 寄りてこそゝれかとも見めたそがれにほの〴〵見つる花の夕顔 以後、夕顔の花とともに二人の物語は展開して行く。夕暮れ時に一時白い花を開き、やがて萎んでしまうこの 花の定めは、当然、はかなく消え去ってしまう女君の運命を暗示してもいよう。後の読者もこの女君を「夕顔」 、 「夕顔の女君」と呼び習わしている。 この「夕顔」が、 羽衣説話に特徴的に現れるのである。 柳田国男は、 「たとえば井の上の夕顔の花というような、 一見何でもないものに類型がある」ことを指摘し、青森県の昔話、 「天さ延びた豆の話」を紹介している( 『昔話

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三七 と文学』 )。 昔天人が飛ぶ着物を脱いで、沼に下りて水を浴びて居た。一人の若者がそれを拾つて隠したので、天人は仕 方無しに其女房になり子が生まれる。その子が啼いて困るときは、いつも或松の樹の下へ来ると奇妙に啼き 止むといふことを、アダコ(子守女)が母に教へてくれる。それで其松の樹の下を掘つて見たところが、以 前の飛ぶ着物が隠してあつた。これを着て見ると身が軽くなり、又天に帰りたくなつた。アダコには御礼に 一粒の豆をくれる。此豆粒を流しの下さ栽ゑて置け。大きくおがつたらば(成長したならば)それに伝はつ て天さ昇つてこいと言つて、天人は帰つてしまつた。アダコは言ひつけられた通りに豆を播き、其子供を育 てゝ待つて居た。 豆が大きくなつたので是に伝はつて、 子供と二人で天に昇つて行つたといふ(津軽昔ご集) 。 夕顔と豆とを繋ぐもの、それは、ともに天へと伸びる蔓草であるという点にあった。 柳田は言う。 是は私の一つの仮想であるが、人と天上との交通を説くのに、瓜や蔓の極度の成長と、是を梯子として往来 したといふことが、可なり夙くから用ゐられた一つの趣向であつた。  (「犬飼七夕譚」 『年中行事覚書』 ) 羽衣説話において、 「人と天上との交通」と言えば、まず「飛ぶ着物」 、すなわち天人の羽衣が真先に思い浮ぶ

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三八 が、 「人と天上との交通」の手段となったものは、羽衣に限ったことではなかった。 羽衣説話の中には、天へ昇る天人の後を追って、男も天へ登ろうとしたことを説くものが少なくない。その男 の「梯子」となったものが、 「瓜や蔓」 、そして「天の夕顔」なのであっ た (1 ) 。 天を貫ぬく梯子用の植物は、 是非とも一つのもので無くてもよかつた。忘れてもまちがへても亦わざとでも、 成るだけ似つかはしい早く成長しさうなものを持つて来ればよかつたので、又その為に我々が天と交通した といふ要点にまで、模様替へをする必要は無かつたのである。天の夕顔も恐らくは同じ事情から、徐々とし て日本人の空想の中へ、入つて来たのであらうと私などは思つて居る。  (「天の南瓜」 『昔話覚書』 ) 『源氏物語』の「夕顔の花」も、この「夕顔」の一類と考えられるのではない か (2 ) 。 羽 衣 説 話 の 話 と は 違 っ て、 『 源 氏 物 語 』 で は 夕 顔 は 死 ぬ。 し た が っ て、 光 源 氏 が そ の 後 を 追 っ て 天 に 昇 る と い う こ と は 無 い。 け れ ど も、 「 天 さ 延 び た 豆 」 の 蔓 を 伝 っ て 天 に 昇 っ た「 ア ダ コ 」 同 様 (3 ) 、 出 来 得 る こ と な ら、 源 氏 も夕顔の後を追って行きたいところであった。 主人の急死に「煙にたぐひて、 慕ひ参りなむ」と言う、 侍女の右近に対して、 源氏も「かく言ふ我が身こそは、 生き止まるまじき心地すれ」と応えている。 その思いが現実化するのは、後に源氏が、夕顔の遺児、玉葛を捜し出す、という展開(玉葛)においてであろ う。

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三九 そう考えるとき、羽衣説話に同様の展開をするものがあったことが思い合わされる。 鹿が白髪の翁に化けて来て、明日は天人が川に下りて水を浴びるから、松の樹にかけてある羽衣の一つを匿 して、その天人を嫁にせよ。さうして二人の児が生まれるまで、其羽衣を見せてはならぬといふのだが、此 伝承には誤りがあると見えて、其戒めを守つたにも拘らず、やはり天人はその二人の児を両手にかゝへ羽衣 を着てすうつと飛んで往つてしまふ。そこで猟師が泣いて居ると、同じ老人が再び現はれ、あすの朝はあの 川へ天から金のタゴ(担桶)が下つて来るだらう。それは天人が水を汲むのだから、其中へ入つて居れば引 上げてくれると教へる。乃ち其通りにして親子四人楽しく天上に団欒するといふ。  (柳田国男「犬飼七夕譚」所引『安芸国昔話集』 ) 羽衣説話、天人女房の話には、天人が男との間に出来た子供を連れて天に帰るというストーリーを持つものも ある。こういう場合、男の追跡の願いは一層切実なものになる。 光源氏にとっての玉葛も同様であったと考えられる。無論、玉葛は光源氏の実子ではない。しかし、亡き夕顔 に忘れ形見のあったことを知った源氏は、秘かにその姫を引き取ろうとしたのであった。 「 さ て い づ こ に ぞ。 人 に は さ と 知 ら せ で、 我 に 得 さ せ よ。 あ と は か な く、 い み じ と 思 ふ 御 形 見 に、 い と う れ しかるべくなむ」と宣ふ。  (夕顔)

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四〇 その遺児は、亡き夕顔の「御形見」 、「御かはり」でもあったのだ。 「 世 に 忘 れ が た く 悲 し き こ と に な む 思 し て、 か の 御 か は り に 見 奉 ら む、 子 も 少 き が さ う〴〵 し き に、 我 が 子 尋ね出でたると人には知らせてと、そのかみより宣ふなり。  (玉葛) しかし、その姫は行方不明。やっとその消息が分り、実際源氏の元に引き取られるのは、はるか後、玉葛の巻 に入ってからである。姫は筑紫で成人、源氏はこの姫を捜し出して自分の養女にしてしまう。この展開は、ちょ うど羽衣説話において、地上に残された男が、天人とともに、ともに天に昇った子を追い求めて天に昇ろうとし たことに対応しよう。 その時の源氏の詠懐。 恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ  (玉葛) 「玉かづら」は「玉鬘」と「玉葛」を懸ける。 「玉葛」は「蔓」の一つ、恐らくこれは、蔓草「夕顔」の縁で用 い ら れ て い る。 こ の 姫 は「 は か な く 消 え 給 ひ に し 夕 顔 の 露 の 御 ゆ か り 」( 玉 葛 ) と 呼 ば れ て い る。 夕 顔 ゆ か り の 姫は、やはり蔓を伝って、源氏の元に辿り着いたのである。 これは、柳田の指摘した、 「一見何でもないものに類型がある」 「井の上の夕顔の花」に連なるものではなかっ

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四一 たろうか。 羽衣説話の中には、まさしく「夕顔」の「蔓」を「よじのぼって」天へ至った男の話が伝わっている。新潟の 「天人女房の話」 。 話は通例の羽衣説話によって天女が昇天したことを語った後、地上に残された父子の会話を続ける。 「 お ま え、 あ の 着 物 が は い っ て い る 箱 の こ と を い う た な。 母 は 天 に の ぼ る と き、 何 か い わ ん か っ た か 」 と き くと、 「 夕 顔 の 種 を 二 粒 お い て い く。 ま け ば す ぐ に 芽 を 出 し て 天 に と ど く。 ほ う し た ら、 父 と そ の 蔓 を あ が っ て こ いというた」と、太郎はこたえた。   そこでその夕顔の種をまいてみると、 すぐに芽を出し、 ぐんぐんのびて、 たちまちその蔓が天にとどいた。 父と太郎は、その蔓一本ずつにとっついて、上へ上へとよじのぼっていった。よじのぼって、よじのぼって いくうちに、とうとう、天上についた。すると、きれいな衣をふうわりと着た母がちゃんとむかえにきてく れた。その夜は母が天のごちそうをたんと出してくれた。  (網野善彦他『瓜と龍蛇』所収) 確かに、 「天の夕顔」は「天を貫ぬく梯子用の植物」だったのである。 『 源 氏 物 語 』 の「 尋 ね 来 つ ら む 」 と、 「 よ じ の ぼ っ て い っ た 」「 天 人 女 房 」 の 話 と、 再 会 の 仕 方 は 逆 に な っ て い るけれども、ともに親子は蔓草を伝って対面を果たしたのであった。

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四二 確かに、光源氏の玉葛探索を語る玉葛の巻は、 「夕顔」の追懐から筆を起こしていた。 年月隔たりぬれど、あかざりし夕顔を、つゆ忘れ給はず、心々なる人の有り様を見給ひ重ぬるにつけて、あ らましかばと、あはれに口惜しくのみ思し出づ。 「玉葛」の蔓は、 「夕顔」の蔓の尾を引くものではなかったか。 源氏は、羽衣説話の「瓜や蔓」と同様、 「夕顔」ゆかりの蔓を伝う形で、遺児玉葛に巡り会うのである。 玉 葛 の 巻 は、 「 あ か ざ り し 夕 顔 」 の 後 日 談 と し て 書 か れ て い る。 夕 顔 の 巻 に お け る、 夕 顔 の 突 然 の 死。 何 の 前 触 れ も 無 く、 突 如 と し て 女 に 消 え 去 ら れ る 男 の 衝 撃 は 余 程 の も の で あ っ た よ う で、 話 は そ れ で は 終 わ ら な か っ た ( 4 ) 。 ちょうどそれは、羽衣説話にあっても、七夕型のそれがそうであったように、天人の昇天を語った後に、その 後を慕って天上に昇ろうとする男の後日談を付加するものの少なくないのと、軌を一にしている。 『安芸国昔話集』の「猟師」の男は、 女に去られて「泣いて居」た。そして、 やがて女と子供を追って天に昇っ て行った。 夕顔に先立たれた源氏も、天を仰いでは、ただただ、 見し人の煙を雲と眺むれば夕べの空もむつまじきかな  (夕顔)

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四三 と、嘆息を久しうするばかりであったが、やがて、 「あかざりし夕顔」の面影を追い求めることとなる。 それが、 玉葛の巻ということになるのだが、 実は、 それに先立って、 同じく「あかざりし夕顔」の後を辿って、 その前奏となっているとも言うべき巻があった。末摘花の巻である。 思へどもなほあかざりし夕顔の露に遅れしこゝちを、年月経れど、思し忘れず、こゝもかしこも、うちとけ ぬ限りの、けしきばみ心深きかたの御いどましさに、け近くうちとけたりしあはれに似るものなう、恋しく 思ほえ給ふ。 末摘花の巻は、殆ど玉葛の巻と瓜二つと言ってよい程よく似た文章で書き出されていた。 周知のように、末摘花の巻は夕顔の巻をなぞる形で進行し、結局滑稽譚に終わる。それは夕顔の巻の、一種の パロディーであ る (5 ) が(玉上琢彌『源氏物語評釈』 )、その発端は、やはり夕顔に突然去られた源氏の、喪失感に始 まるものなのであった。 いずれにしても、これらの例は、愛する女を失った男の悲しみがいかに大きかったか、その面影を追い求める 気持がいかに切実なものであったか、端的に示すものであろう。 ま さ に そ の 気 持 が、 『 長 恨 歌 』 の 原 型 と な っ た で あ ろ う 七 夕 型 の 羽 衣 説 話( 其 五 ) を 生 ん だ 原 動 力 と な っ た の であろう。七夕型の羽衣説話は、女の昇天までを語る一般の羽衣説話に、浦島説話が付加された形になっている

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四四 が、異界にいる女を尋ねて逢いに行くという筋立として、浦島説話はその格好の素材となったはずである。七夕 型の羽衣説話は、こうして成立したのではなかったろうか。 天界へ飛び去った織女を追って天へ昇る、七夕説話の牽牛。亡き楊貴妃を恋い慕う玄宗皇帝の意を体して蓬萊 へ至る、 『長恨歌』の方士。はたまた、これも月世界へと旅立った「かくや姫」を偲んで悲しみに昏れる、 『竹取 物語』の翁や帝の心情。そして、桐壷の巻における、靫負の命婦の派遣。これらは皆、同様の心情の具体的な現 れであったに違いない。 このように見るならば、 夕顔、 末摘花、 そして玉葛と連なって行く『源氏物語』の展開の背後にも、 羽衣説話、 天人女房の説話の骨格を透かし見ることができる。 『源氏物語』が羽衣説話の大筋に重なった展開を見せるのは、 『長恨歌』に則ったためばかりなのではなかった。 『長恨歌』を踏まえる以前に、 『源氏物語』は、羽衣説話と同じ展開を示すことがあるのである。いかに『源氏物 語』が、羽衣説話を好んだか。それは実は、 『長恨歌』以前の問題でもあったのである。 し た が っ て、 『 源 氏 物 語 』 の『 長 恨 歌 』 へ の 愛 着 と は、 そ の 深 層 に お い て は、 羽 衣 説 話 へ の 愛 着 で あ っ た、 と 見ることが出来る。 ならば、羽衣説話とは、何故にそれほど人の心を捉えて放さなかったのであろう。羽衣説話のどこに、それほ どの魅力があったのであろう。 「何となく心を平静にし、最後は簡単に神さまになっておさまってしまう」天女に、 「どうしても結婚の対象と はなり得ない」 「天上に住む永遠の乙女」 (河合隼雄『昔話と日本人の心』 )の姿を見出すからであろうか。

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四五 は た ま た、 「 別 れ に 際 し て の 妻 の 心 の う ち、 夫 の 心 の う ち に あ る さ ま ざ ま な 思 い、 別 れ の さ び し さ を 基 調 と し たさまざまな思いを余韻として残すところ」 (小澤俊夫『昔話のコスモロジー   ひとと動物との婚姻譚』 )に限り ない哀感を感じたからであろうか。 そうして『源氏物語』は、羽衣説話のどこに、はたして何を、見出していたのであろうか。 ( 1)   あ る い は そ れ 以 前 に、 女 が 夕 顔 を 天 へ 登 っ て 行 く「 梯 子 」 と し た 例( サ ン ト リ ー 美 術 館 蔵『 天 稚 彦 物 語 絵 巻 』) も あ る( 図 5) 。 天 に 向 っ て 伸 び る「 夕 顔 の 花 」 は、 や が て 昇 天 す る こ と に な る 女 の 運 命 を、 暗 示 す る も の で あ っ たかも知れない。 ( 2)   「 天 を 貫 ぬ く 梯 子 用 の 植 物 」 と し て「 天 の 夕 顔 」 を 説 く、 柳 田 国 男「 天 の 南 瓜 」( 『 昔 話 覚 書 』) は、 「 中 河 与 一 君 の 天 の 夕 顔 を 読 み て 」 の 副 題 を 持 つ。 す な わ ち こ の 論 文 は、 そ の 発 表( 昭 和 十 六 年 ) の 三 年 前( 昭 和 十 三 年 )、 『 日 本評論』新年特集号に発表された、中河与一の小説、その名も『天の夕顔』に触発されて書かれた。     小説は、 夫も子もある年上の女性に恋慕した男の悲恋を描いて、 永井荷風の「我が文壇も夕顔の一篇を得てギョー テ の ウ エ ル テ ル、 ミ ユ ツ セ の 世 紀 の 児 の 告 白 こ の 二 篇 に 匹 敵 す べ き 名 篇 を 得 た る 心 地 致 候 」 と い う 評( 「 西 人 に も よませたき」 、ロマンス社版 『天の夕顔』 付録 『「天の夕顔」 批評集―本書に寄せられた諸名家の評語より―』 ) を得、 世に浪漫主義の名作とされる。     主 人 公「 わ た く し 」 は、 学 生 時 代、 下 宿 屋 の 娘 に 思 慕 を 深 く す る が、 そ の 人 は す で に 人 妻 で あ っ た。 二 人 は 互 い

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四六 に 引 か れ 合 い な が ら、 彼 女 は 夫 以 外 の 男 性 を「 拒 絶 し つ づ け 」、 「 わ た く し 」 も ま た「 ス ト イ ッ ク な 性 格 」 か ら、 二 人 が 結 ば れ る こ と は な か っ た。 十 数 年 の 後、 息 子 も 一 人 立 ち し「 夫 と 子 供 の 責 任 」 に 目 処 が 立 っ た と こ ろ で、 彼 女 は「 五 年 た つ た ら、 お い で に な つ て も、 ようございますわ」 と 「わたくし」 に告げる。 しかし、 その五年目、 「い よ い よ あ と 一 日 で あ の 人 に 逢 へ る と い ふ 前 日 」、 「 あ の 人 が 末 期 の 思 ひ で 書 い た 悲 し い 手 紙 」 が「 わ た く し 」 の 元 へ 届 く の で あ る。 彼 女 の 死。 「 二 十 三 年 」 思 い 続 け た 彼 女 の 死 を 前 に、 「 わ た く し は 泣 い て 泣 い て、 眼 が つ ぶ れ さ う に 思 は れました」 。 図5 天稚彦物語絵巻(サントリー美術館蔵)

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四七     小説はここで結末を迎えることになるのだが、その最後を、 「夕顔の花」が印象深く彩るのである。        そ れ で も わ た く し は 今、 た つ た 一 つ、 天 の 国 に ゐ る あ の 人 に、 消 息 す る 方 法 を 見 つ け た の で す。 そ れ は す ぐ 消 え る、 あ の 夏 の 夜 の 花 火 を あ の 人 の ゐ る 天 に 向 つ て 打 ち あ げ る 事 で す。 悲 し い 夜 々、 わ た く し は 空 を 見 な が ら、ふとそれを思ひついたのです。        好 き だ つ た の か、 嫌 ひ だ つ た の か、 今 は 聞 く す べ も な い け れ ど、 若 々 し い 手 に、 あ の 人 が 嘗 て 摘 ん だ 夕 顔 の 花を、青く暗い夜空に向つて華やかな花火として、わたくしは打ちあげたいのです。        わ た く し は 一 夜、 狂 気 し た わ た く し の 喜 び の 為 め に、 花 火 師 と 一 緒 に 野 原 の 中 に 立 ち た い の で す。 や が て、 それは耳を聾する炸裂の音と一緒に、夢のやうにはかなく、一瞬の花を開いて、空の中に消えてゆくでせう。        然 し そ れ が 消 え た 時、 わ た く し は 天 に ゐ る あ の 人 が、 そ れ を 摘 み と つ た の だ と 考 へ て、 今 は そ れ を さ へ 自 分 の喜びとするのです。     その「夕顔の花」とは、二人が一度だけ「突然唇を触れあつた」日の思い出の花であった。        や が て あ の 人 は、 道 の 端 で 夕 顔 の 花 を 見 つ け る と、 そ れ を 摘 み と る の で し た。 手 に 白 い 花 が に じ ん で、 そ れ が夕ぐれの色を余計に濃くするやうに思はれました。

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四八     『 天 の 夕 顔 』 は、 「 た つ た 一 つ、 天 の 国 に ゐ る あ の 人 に、 消 息 す る 方 法 」 と し て、 そ の「 あ の 人 が 嘗 て 摘 ん だ 夕 顔 の花を、青く暗い夜空に向つて華やかな花火として」 「打ちあげる事」を趣向とした。     これについて柳田は、次のように述べる。        天 に 夕 顔 の 花 を 咲 か し め て、 思 ふ 人 に 見 せ た い と い ふ 空 想 は、 作 者 は ど こ ま で も 自 由 な も の だ つ た と 言 つ て 居 る。 さ う し て 中 河 君 の 稚 な い 頃 に、 讃 岐 に 是 と 近 い 昔 か ら の か た り ご と が、 伝 は つ て 居 た ら う と 思 は れ る 形 跡 は 一 つ も 無 い。 し か し 我 々 が 日 本 人 で あ る 為 に、 特 に こ の 筆 の 跡 に 引 寄 せ ら れ、 他 の 何 れ の 国 民 よ り も 身 に 沁みて、物のあはれを感ずべき理由だけは有るのである。        蔓 が よ く 延 び 遠 く 届 き、 す ぐ に か ら ま つ て 梯 子 と し て 重 宝 だ と い ふ だ け な ら ば、 ど ん な 蛮 民 に で も 夢 み 得 ら れ る 空 想 か も 知 れ な い。 一 夜 に 植 物 の 驚 く ほ ど も 成 長 す る 熱 帯 の 島 に で も 住 ん で 居 れ ば、 是 を 天 上 へ の 通 路 に し た い と い ふ、 現 実 の 願 ひ さ へ 抱 き 得 た か も 知 れ ぬ。 た ゞ 其 蔓 ご と に 真 白 な 清 い 花、 あ の た そ が れ を お ぼ め く と い ふ 夕 顔 の 花 を、 持 つ て 来 て 咲 か せ た の は 日 本 人 の 巧 み、 巧 み と 言 は う よ り も 我 が 親 々 の、 夢 を 美 し く す る 能力では無かつたか、といふやうなことを私は考へて居るのである。     『源氏物語』の夕顔についても、同様なことを考えることができるのではないか。 ( 3)   こ の「 ア ダ コ 」 は、 夕 顔 の 死 後、 「 母 君 の 御 行 方 を 知 ら む と、 よ ろ づ の 神 仏 に 申 し て、 夜 昼 泣 き 恋 ひ て、 さ る べ き 所 々 を 尋 ね 聞 え け れ ど、 つ ひ に え 聞 き 出 で ず。 さ ら ば い か ゞ は せ む、 若 君 だ に を こ そ は、 御 形 見 に 見 奉 ら め、 あ や し き 道 に 添 へ 奉 り て、 遥 か な る ほ ど に お は せ む こ と の 悲 し き こ と 」( 玉 葛 ) と、 そ の 死 を 知 ら ず、 行 方 を 求 め つ

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四九 つも、遺児玉葛を伴って筑紫へ下った夕顔の乳母にも重なるものであろう。 ( 4)   同 様 の 展 開 は、 「 亡 せ 給 ひ に し 御 息 所 の 御 容 貌 に 似 給 へ る 人 」( 桐 壷 ) と し て 桐 壷 更 衣 の 代 り と し て 藤 壷 が 桐 壷 帝 に 見 出 さ れ る こ と、 ま た 恋 慕 す る 宇 治 の 大 君 に 先 立 た れ た 薫 が、 そ の「 形 見 」、 「 形 代 」 と し て、 先 に 中 君、 次 い で 浮舟と、相い次いでその妹達に思慕の思いを向けるようになること、などにも見出されよう。 (5)   逆に、玉葛の巻は、夕顔の巻を踏まえて末摘花のさらなるパロディーになっている節がある。     源氏と玉葛の初めての対面、       「灯 こ そ、 い と 縣 想 び た る 心 地 こ そ す れ。 親 の 顔 は ゆ か し き も の と こ そ 聞 け。 さ も 思 さ ぬ か 」 と て、 几 帳 少 し 押しやり給ふ。 (中略) 「今少し光見せむや。あまり心憎し」と宣へば、右近挑げて少し寄す。  (玉葛)    は、夕顔の巻の、源氏が初めて夕顔に顔を表わす、       顔 は な ほ 隠 し 給 へ れ ど、 女 の い と つ ら し と 思 へ れ ば、 げ に か ば か り に 隔 て あ ら む も、 こ と の さ ま に 違 ひ た り と 思して、       「夕露に紐とく花は玉鉾のたよりに見えしえにこそありけれ      露の光やいかに」と宣へば、尻目に見おこせて、  (夕顔)    を彷彿とさせる。

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五〇     これらは相俟って、末摘花の巻におい て、初めて源氏が末摘花の容貌を見て驚く場面、      まだほの暗けれど、雪の光に、 (中略)見ぬやうにて、外の方を眺め給へれど、尻目はたゞならず。  (末摘花)    を、 対 照 的 に 浮 か び 上 が ら せ る の で は な い か。 玉 葛 の 上 文 に は、 「 か の 末 摘 花 の 言 ふ か ひ な か り し を 思 し 出 づ れ ば 」 という文言もあった。 付記   本稿成るに当って、平成二十七年度成城大学特別研究助成を受けた。

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