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備讃瀬戸海底堆積物の花粉分析資料-香川大学学術情報リポジトリ

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香川生物(KAGAWA SEIBUTSU),㈹:69−75,1982

備讃瀬戸海底堆積物の花粉分析資料

古 市 光 信

香川県自然科学館

ANote on the Pollen Analysis of the Bisan−SetO Submar・ine Deposits, Kagawa Prefectur・e,Japan

Mitsunobu FuRUICHI;KagawaPrqfbcturalScienceMeuseu仇,Ogoshi,

ぶαたα宜dβ 762,J叩αれ

ABSTRACT:Pollen analysis was carried out using five mud samples collected

fr・Om four drilled cor・es of submar・ine depositsin the Bisan−SetO area・Picea

pollen graines appeared at a high rate in the sediments which indicate the ra-

diocarbon age of19,00±230y・Bl・Pl・It suggests that the vegetation of the

age was a cooltemperate−Subalpine zone・Tsuga−Pinus orAlnus−Crypto仇er血

pollen gr・ains showed higher ratesin three sed立nents which are25,600±1,900y・

BoP・,22,800士1,300y。B・P・and15,500±600yhB・P。in the r・adiocarbor)age,

respectivelyo It follows that the vegetation of the three ages was a cooltem−

perate zone・The same findingin pollen analysIS Shownin the age oflO,830±

320y。B。P。in this area”Other・one Samplewith a radiocarbon age of29,150±

1,500yJB・P”does not coincide with the stratigr■atigraphicalfindingl・nle facts

mentioned above,however,ar’e StillopeIltO queStion,because the samplesin

the pr・eSent WOr・k are not collected from a single complete core,and the radiocarbon age data are not necessarily compar’able to those of thestr’atigraphic

divisionin the ar’ea Studied by the thr’ee previous author・S

伴う14c年代測定資料の提供をうけることがで きた。今回,花粉分析のできた試料はわずか5 点であるが,14C年代値が明らかであるため坂東 ・古市(1972)の花粉分析結果を加えてこれま で不明であった香川県の更新世後期の古植生と 古気候の変遷を知る手がかりにしたいと思う。 花粉分析用及び14C年代測定用試料の採集位 置と地質の概要 花粉分析用と14c年代測定用試料の各試料採 集位置は,それぞれ第1図と第2図に示すとおりで あり,花粉分析用試料は図2に示されるC−1 −a,C−5−a,C−8−a・b,C−10− aおよびH−C−3−aである。このうちH− C−3−aは:坂東・古市(1972)で既に花粉分 析と14c年代測定値は公表されている。なお, は じ め に 本四連絡橋公団の高橋幸蔵博士から備讃瀬戸 海域で実施された海底試錐コアの一部とそれに 第1図 各試料を採集した試錐コア地点(C−・, H−C−:試錐コ■7番号,第2園に同じ).

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H−C−3 C−5 C−tO −81βへ−921m 2神00±lこ氾Oy8P −92】2−一92朗m 第2園 地質柱状図(花粉分析用及びⅦC年代測定用試料採集位置と層序区分) 1粘土 2シルト 3砂 4礫混り砂 5礫 6粘土混り 7シル巨泥り 8砂混り 9火山灰 10花 崗岩 11貝殻片 12花粉分析用試料 1314C年代測定用試料14番ノ州層 15槌ノ戸瀬戸層 16大 槌鼻層 17三\豊層 18沖横層 19洪積層 ※印はGak−2059 C−・1・5・8・10とH−C−3は 試錐コア番号で第1園に同じ なわち第2図のH−C−3(坂東・古市,1972) を除くコアの層序区分は坂東ほか(1978)と高 橋(1978)によってなされたものである。層序 が基盤の花崗岩上にそれぞれ不整合であり,下 位より三豊層(鮮新世■∼更新世前期),大槌島 層(更新世ヰ期),槌ノ戸瀬戸層(更新世後期, アレレード期),番ノ洲層(現世)である。こ れから判断すると14c年代値との差は明白であ る。 他方,これより先に本座ほか(1970)の層序 区分がある。坂東ほか(1978)や高橋(1978) 14c年代測定はすべて学習院大学の木越邦彦教 授によるものである。 第2図に14c年代測定試料と花粉分析試料の垂 直方向の位置関係を示すが,両者は必ずじも一 致するものではない。しかし,両者が極めて近 接していることやその間に不整合を考癒しなけ ればならないほどの岩相的特徴のないことから 今回の分析結果は,ほぼその絶対年代値のそれ を表現しているものと思われる。 備讃瀬戸海底堆積物の層序区分と14c年代測 定値もまた必ずしも−・致するものではない。す 第1表 層 序 対 比 表 坂東ほか(1978),高橋(1978) 本座ほか(1970) 番ノ洲層一一−−一−−一一一一 (現世) 中ノ瀬層 −−一−…−…−(更新世後期∼現世) 槌ノ戸瀬戸層−−−一一−−−(更新世後期,アレレード期) 大槌島層−−−−…−−一−−−−(更新世後期) 大槌島層−−−−−・・−−…一−(更新世ヰ期) 沙弥島層一一−−…−−−−−(更新世前期∼中期) ≡∴藍屠…−…−−・・−−・…(鮮新世・∼更新世前期) 三豊層叩−…一…一−−=−(鮮新世∼更新世前期) 花 崗 岩 類 (仰不整合, 整合) −70−

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らはこれに触れていないので正確さを期しがた いが,文意からすると両名の関係はおよそ第1 表のようである。 すなわち両名の基本的な地層区分は同じで, 地層名とそれぞれの地層をどの地質時代に当て るかにおいて相違するのみである。これをみる かぎり14c年代測定値との−・致を求めるならば, 本座ほか(1970)の層序区分がより近いものと いえよう。しかし,いずれにしてもコア番号C −10の14c年代測定値,29,150士1,500y”BP はいずれの層序区分からも大きくずれている。 このような差の原因は坂東ほか(1978),高橋 (1978),本座ほか(1970)の層序区分が物理 的,土木工学的に検討され,古生物学的資料に 乏しかった点にあると思われる。あるいは14c 年代測定用試料になんらかの問題が生じていた のかも知れない。しかし,C−5やC−8にみ られるように14c年代値の新旧を違えない点や C−1の22,800±1,300y・B.P(Gak−2057)の 値が層序区分の地質時代とも−・致している点, 絶対年代値は十分倍額できるうるものと思われる。 花粉分析の結果と考察 花粉の抽出処理はFu−ji(1960)の方法で行っ たものである。プレパラ・− トは1試料につきグ リセリンゼリ・−封入で各々4枚作成し,樹木花 粉数200個∼・400個を数えた。個数はまちまち であるが過去の植生の概略は知ることができる としてここに用いることにした。なお樹木花粉 の首分率は樹木花粉総数を基数としているが, 草本花粉や胞子などは樹木も含めた総花粉胞子 数を基数として表している(第3図,第2表)。 (1)分析結果と周辺地域の古生物学的資料 備讃瀬戸海底堆積物のC−10−a(29,150± 1,500y B.P・・,Gak−2065)は絶対年代値と層 序区分の地質時代に大きな差があるため後述す ることとし,他の分析結果について絶対年代値 の古い順に紹介する。 i)C−5−a(25,600士1,900y・B・P,Gak −2058)とC−1−a(22,800±1,300y・B・Pい, Gak−2057)。 この両分析結果は14c年代値の誤差の範囲内 で重複するのでここに一・括する。 C−5−aの花粉分析用試料は海抜約−81m, 14c年代測定用試料(Organic mater・ial)は海

抜約−700m∼−85mから,C−1−aの花粉

分析用試料は海抜約−9212m∼−9253m,14c

代測定用試料(Organic mater・ial)は海抜約 −916m∼−921mからそれぞれ採集されたも のである。 それぞれの分析結果についてC−5−aは rβ%gαが極めて高率でP宜乃≠さ,A∂宜ββがこれに

次ぎ寒冷系のP払氾が低率である。C−1−a

はCγ財p細別βγゐ,Aわー≠βが高率でア8%gαや落 葉Q%βγC%さがそれらに次ぐ。寒冷系のタ払犯 はやはり低率である。いずれの分析結果も暖温 帯から冷温帯にかけて分布するア台%gαあるいは C叩pね刑βγゐが高率であるが,暖温帯を特徴づ けるような樹種花粉もなく,おそらく冷温帯の 植生下にあったと思われる。 前者の25,600yB・P.に近い資料を近くに求 めるならば奈良県磯城都田原本町の草炭層(海 抜約45m),24,200±1,600yB・Pいから〟β雅一 〃α彿≠んβ∂,A痢加臓物附則などの大型植物化石 が報告(粉川・吉田,1964)されている。また 奈良県天理市西井戸町の泥炭(海抜約52m), 24,600±820y・・B。P。からβ¢≠%gαが高率でア勿繊 (五\菓松型を含む)。落葉Q%βγ¢%β,ア宜¢βαを 伴う分析結果の報告(西田ほか,1979)がある。 後者の22,800yLBP・・に近いものとしては, 京都市平安神官内の低位段丘相当層中の泥炭層

(海抜約55m),23,500±1,000y.B.P。から

P宜常髄8ββ加ゎ,Q≠βγC耽β,Aわ㍑柑にタね脇, Aゐ宜ββ,ア紬gα,穐占催さ,釣血絢画如などを伴 う分析結果の報告(池田・石田,1972;那須, 1970;第四紀古植物研究グル・−プ,1974)があ る。ただこの泥炭層上部には26,400±壬;588y。 BlP・の値が測定された材化石(Betula sp”)が あり,今一つ検討の余地が残されているようで,

25,600ylB.Plと22,800yB。P.にまたがる資料

とすべきかも知れない。なお25,600y・B・P.と 22,800yBいP・の両時代にまたがる資料として は備讃瀬戸に面する香川県高松市の地表下堆積

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むDむODOこ山 Q\ごbOQし空q h∋︹bQむミ山 b\\\L \む\\ bゝQ七\むN虎叫3トミ⊃ ︵凸︶叫︺0・も3Q 叫︺bモ 叫3ヒ\可 b\き石亀 叫ミゝヾQU 叫bq、QヾbO 旬トも\b、う 斗、\月頃 ト∴Yト Qミ匂∈Q、qゝヾU 均さ、音b、よリ

︰へ−︺完、

. bb3hに 叫む、Q可 第3図 樹木花粉ダイヤグラム(※絶対年代低か層序区分の地質時代に問題がある)・ ア宜cβα 仇α∬宜刑OW乞c2五官の報告(蒜山原団研グ ルー・プ,1973)。また大阪府大東市難波累層 (海抜約−197m),19,800±300y・BP・から 〟細別∽摘“の大型植物化石が市原・木越(19 62)により報告されている。さらに∴先述した香 川県高松市の地表下堆積物の炭質泥層,23,990 ±2,060y・B甘の少し上位からP宜c¢α花粉の多 いことが報告(古市,1980)されている。いず れも寒冷なことを示す資料であるが,今−=つ, 周辺の古生物学的資料に乏しいようである。日 本の第四紀の植生変遷と気候変化を総括した第 四紀古植物研究グル・−プ(1974)が18,000y。B P前後に特に寒冷な時期のあったことを認めて おり,今後そういった資料が本地域あるいは周 辺地域からさらに得られることを期待したい。 iii)C−8−b(15,500士600ylBP・,Gak −2060) 花粉分析用試料:海抜約−145m∼−157m, 14c年代測定用試料(Peat):海抜約一1475m 分析結果はrβ%gα,P五彿≠ぷが高率である。 P五c孤の高率な出現のないことや暖温帯を特徴 づけるような樹種花粉の検出もないことから− 応冷温帯下の植生としておく。現在の所この年 物の炭質泥層(海抜約−446nl∼−474m)の 下部,23,990±2,060y BPから釣●αお宜彿%β, Cγ封pね仇¢γ壱α,Q%βγC%β(常緑Q%βγ¢%βを含 む)にAれ%8,Cα叩宜耽%β,Coγyg%β などを伴 う分析結果(古市,1980)がある。 これら周辺の資料をみるに暖温帯系大型植物 化石のA¢≠宜耽0β≠β竹材乃αや常緑Q≠βγ¢祝β 花粉な どはあっても寒冷系P宜eのなどの高率に検出さ れる報告はなく,むしろ暖温帯上部あるいは冷 温帯の植生下にあったことが推定されるほどで ある。 ii)Ch8−a(19,100±230yBP・,Gak

2061)

花粉分析用試料:海抜約一197m∼−219m ;14c年代測定用試料(Or・ganic mater・ial):海 抜約−1925m∼−219m。 分析結果はタね幻が棲めて高率でア紬gα,P才一 彿髄β,Cγ封pね仇βγ宜α がそれに次ぐ。寒冷系の P宜cβαが高率なことからす・ると,かなり寒さが 厳しく冷温帯上部あるいは亜寒帯下部に及ぶか も知れないことが推定される。 この年代に近いものは岡山県蒜山の段丘礫層 (海抜約430m),21,700±760y。B。Pから −72−

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代相当の適切な古生物学的資料は周辺地域にみ あたらないようである。

iv)H−C−3−a(10,830±320y”BIP・,

Gak−2814)(坂東・古市,1972より再録)

花粉分析用試料:海抜約−92m∼−103m;

14c年代測定用試料(Organic Mater・ial),海 抜約一92m∼−103m この資料は更新世・後期の一・連の花粉分析資料 の公表ということで特にここに再公表する。 分析結果はA誠紹が極めて高率でP宜常%8がそ れに次いでいる。広葉樹ではぴわ削朋&Z¢g加− γα,Cα叩五耽≠きを伴っており,冷握帯下の植生 が推定される。 この年代に近い資料としては,少し離れるが 明らかに本地域と同じ暖温帯域にある伊勢湾岸 の海岸平野地表下堆積物の分析結果(中村,1972) がある。それによると10,200±220yいB・P・から 旅≦催さ,打g例%β&Zβ挽0甘α,10,500±500y“B P.からA鋸紹,動ダ払β,Aわ∽摘,11,400±300y。 B.P.から落葉Q%βγβ髄8,ア五耽%β,Aわ∽摘が高 率に出現する。中村(1972)はこれら分析結果 を含む−・連の分析結果から,この年代相当当時 の気候を冷感帯下部あるいは中間温帯林的植生 気候であっただろうと推定している。 坂東・古市(1972)はここに再録した分析結 果のAあ宜ββをAあ宜βββん宜加ゐゐ7犯と考えている が,もし,そのように種を限定しなければ,こ の分析結果はそのまま上述した中村(1972)の 分析結果の範ちゅうに入るように思う。 (2)分析結果の総括と今後の問題点 以上,絶対年代値でいえば25,600±1,900y B。P・,15,500±600yB”P・と10,830y”B”P・当 時の花粉分析結果と同年代相当の周辺地域の花 粉分析結果および大型植物化石など古生物学的 資料の紹介をしてきた。いずれの分析結果も暖 温帯を特徴づける樹種花粉もなく,年代の古い 順にr8叩α−ア宜耽那一Aあ宜β8,Aわ∽娼一物p− fo仇βγ宜α−落葉Q%βγ¢鵬,タね鉱一rβ髄gα一 夕勿∽娼,アβ%gα一戸宜耽爾,A鋸由一ア定常%βなど の花粉組成で代表され冷温帯の植生下にあり, 周辺地域の古生物学的資料とも相反するところ がない。特にP宜cの・・−−アさ叩α一戸古雅%βで代表 される19,100士230y‖B.P。は:上記の年代の分析 結果中最も寒冷な気候下にあったことを示すも

のや現在日本で認められているW芯rm最盛

期の寒冷斯,18,000y。B・P.前後(第四紀青梅物 研究グル−・プ,1974)に対比されるものと思わ れる。本分析結果のみからするとこの地域が亜 寒帯下部にまで及んだかも知れないと推定され る。しかし,これらの年代の期間にわたって, ずっと冷温帯下にあったことは考えられず,時 には暖温帯を特徴づけるような常緑Q髄βγ¢那を 検出する時期もあること(古市,1980)を見の がしてはならないであろう。 ところで今後の問題について少しふれて−おき たい。第1は上述した分析結果が冷湿帯の植生 を示唆しているようにもかかわらず穐卵娼花粉 が棲めて低率か皆無であることである。連続試 料からの分析結果でないため原因はつかめない が,堆積環境によるか,あるいは花粉抽出技術 の未熟さにあったのかも知れない。いずれにし ても今後の連続コアの分析がまたれる所である。 第2の問題は,花粉分析試料C−10−a(29,

150±1,500ylBP”,Gak−2065)の花粉分析

結果と絶対年代値との関係である。今回の結果 はタ払犯が高率でア紬gα,Aゐ壱β8,タカ乙%8などを 伴う花粉組成を示した。もし絶対年数が本来の 堆積物の年代を示し,花粉組成に含まれるCγ一 針pわ仇βγ宜αの花粉が全く且勿ぬββヴ%0ゐ花粉と 区別されているとするならばこの分析結果は徳 島県阿波町の土柱礫層中の泥炭層(海抜約120

m),28,400±1,700y。BPからP宜¢の棚宜一

肌OW宜cz壱壱,Coγ柁%βの耽≠γ㈹βγぶαJ,βの℃んβ例血 γαgβ例0∂αの大型植物化石やP払犯花粉の高率 な分析結果(中川,1966)と−・致する。また鳥 取県倉吉市歓喜の大山中部ロ・−ム基底(海抜200

m以下?,筆者推定),30,200士3,500y。B・P。

からのP.竹∽∬定例0郷宜¢Z五官,腑明仰捌朋の報告 (山陰第四紀研究グル・−プ,1969),および山 口県阿東町の徳佐層下部(海抜約300m,31,900 ±∋濁8y・B・P・からのP・抽0れ加γ勿吻一 如吻ゐ,またこの少し上の層準からのア。刑− α部首仇0碑石¢Z壷,P.ブβZOβ那ゐvar・.如†祝わβ耽gゐ,

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第2表 花粉分析結果表(※絶対年代値か層序区分の地質時代に問題がある) ×こ巾﹂ LO\pu巾 ;u⊃﹂ モー巾 ︼㍗;dsご︵Z dV uU〓On ULム巾UL∈Jむ︸UPUH .忘︻岩H.uむ研 Lぎ⊃﹂ む√†Ods 山iゝ一望−ヱニー 巴Ods 乱さ一三ヱOuO〓 む?聖⊂〓ミアニ 巾︻SL∈q︸Lく むご芯Od∈OU d.﹁訓d.叫山封a ].叫dd身 ;︶ S≡; 暑引叫叫山 割引叫H Jむ︻d心 . 叫叫叫訂 N LM トのr ﹁小 ∬∴聞﹂ M.︻ かごこ ○ (▼) Ln r Lゎ く⊃ N く⊃ くn 「、 l′〉 l.n N l′〉 lトC:;a (川,850!5201 C−8 b (1S,SOO±6nO) C−8】試 「19,100±250) C−1−a (22800士1,50∩) C−5・a (Z5,600±190n〕 ト10−㌔ r29,】50±1.S(〕01 ○■. 卜、 N 「、 ○〇 N l− 「− − ○ 寸 H 「、 ■ゴ■ ⊂:∝ ⊂) l、 の ⊂〉 ⊂〉 N q) N O ■ゴ■ 寸 Ln N uつ 00 ⊂n l−・ ○ 、−− ⊂) N (=〉 勺■ ヽ【〉 u⊃ l」> 「、 l=〉 ○ く=〉 l∫) N N く=〉 く⊃ ⊂⊃ M ⊂〉 l、 くrl ト ∪ヽ 【 一一 ⊂) N e − l− トUr L寸Z ⊂〉 ヽC しD U〇 M 寸 0〇 勺■ r リー q■ 亡C く】 M N C ⊂〉 N r ト「 r、. 卜、 しn − rつ t Cn M lくノ N −・・ r の 寸 寸 亡」 − 一 寸 ▲・■■ 寸 C トー ト・ tヨ■ r O〇 l.ハ トー N N ⊂= h ⊂> N トー N (\j N N N くI N N ⊂〉 ⊂) 「・・・ ⊂⊃ C r・− ⊂> ■− uつ N √つ N O〇 \∠⊃ ∼ M 卜、 − の くn M O (>\ l、○ − 一 卜、 l.⊂〉 N t∫、 卜、 N t− CO r′) トー ぐつ 寸 ・J ハ ヽJ〇 ヽD N u⊃ \J〇 ぐつ ヽD O〇 l、 寸 N ・ ○〇 ■ゴ■ ○ く= − e ⊂〉 () ⊂〉 uつ 勺 N でり 寸 勺・ ■ゴ・ ロl」カくり ○ く=〉 く=〉 N ∽ 「・・・ ■ゴ■ uヽ (=〉 寸 ⊂〉 ⊂⊃ く⊃ M − N N − \」〇 uつ L(つ ⊂ lJ■〉 uつ ○ 寸 く⊃ − C:〉 ○ く〉 寸NN ¢OS N⊂N の寸︻ SN寸 サト︻ S.Nr M.¢ S.寸 N −・、▲一 句■ 寸 l、 ⊂h ・ (=〉 M ⊂〉 − ・− l− M 勺■ ■d■ ムg印加0物ゐなどの報告(畑中,1967;河野, 1971)ともよく−・致する。このことは更新世■後 期のWur・m氷期中の最盛期以前にもかなり寒冷 な時期が存在したことを暗示することになる。 この点でC−10−aの絶対年代値と花粉分析の 再検討およびこの年代相当の古生物学的資料が 増えることを期待したい。またこの点につけ加 えていうならば,今までに紹介した数点の絶対 年代値と従来の層序区分とが必ずしも一・致して いないので,今後古生物学的側面と絶対年代値 の両者を加味した層序の再検討がされることを 強く望む。 最後になったが,ここで現在の備讃瀬戸周辺 の暖温帯と冷温帯,冷温帯と亜寒帯のおよその 境界を紹介しておきたい。前著は助g髄8Cγβ− 7犯亡α 出現の下限として香川県南部の讃岐山脈 大滝山々頂近くの海抜約900m付近,および四 国剣山の海抜約1000m付近に求められる。後者 は四国剣山でダ・¢γβケ脇ねの上限(海抜約1,800 m)とAあ宜β8βん壱加点宜α朋αの下限(海抜約1,700 m)(森本・森本,1971)から,ほぼ1,700m∼ 1,800mの標高に位置している。 更新世後期の Wur・m氷期当時,必ずしもこれだけの標高に植 生が低下したかどうかは別として,中村(1973) がいうようにかなり低下したことはいえると思 われる。 お わ り に 備讃瀬戸海底堆積物から採集された5点の堆 積物,それぞれ14c年代値で29,150±1,500y・B・ P,25,600±1,900y・B”P・,22,800±1,300yB・ Pl,19,100±230yBlP“,15,500±600yB・P・ 相当試料と,坂東・古市(1972)の10,830±320 y B.Pい の香川県引田町海岸平野地表下堆積物 との花粉分析結果によって備讃瀬戸地域の更新 世後期,特にWurm氷期の植生の概要について 述べた。29,150±1,500yBいP.の花粉分析結果 については絶対年代値が従来の層序区分と大き くくい違うので単なる資料提示にとどめた。し かし,他の分析結果をみる限りでは,暖温帯を 特徴づけるような常緑Q%βγ¢%βの検出もなく 冷温帯の植生下にあったと推定された。中でも 19,150±1,500y・B・P.はP宜¢βα花粉が高率で出 現するので冷温帯上部から亜寒帯下部にまで及 んだかも知れないと推定される。今回の分析結 果は近隣の徳島県,山口県,鳥取県,大阪府, ー74−

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Fuji,Nl19601r ′me palynologicalstudy of cenozoic str・atain the Hokur・iku

region,CentralJapan”On the alluM

vialpeat deposits frIomIshikawa

and Fukuipr・efectures・Sci・Rept 肋gα00α打彿ゐ.1:113−114

古市光信.1980.香川県高松・丸亀平野ボ・−リ

ング・ コアの花粉分析(予報卜香川県自然 科学館研究報告 2:25−32

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