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ソニー時代 2 1 開発部 ~ Apple 流 or Microsoft 流? ~ 1992,, 1 500,.,., & 2 3., General Magic Apple Bill Atkinson,Andy Hertzfeld, Marc Porat MagicCap OS Te

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Academic year: 2021

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1.大 学 時 代

著者は,1990 年に慶應義塾大学理工学部電気工学科 を卒業,1992 年に計算機科学科修士課程を修了しまし たが,大学時代の同期の友人に,栗原君,いや本誌編集 長の栗原 聡先生(現 電気通信大学教授)がいます.そ のつながりが時を経て,今回このような執筆依頼にもつ ながっているわけです.大学時代の著者は,自慢ではな いですが,熱心に講義に出席するタイプではなく,仲間 とドライブに,ウィンドサーフィンに遊び回っていたの で,大学 3 年生の終わりに研究室を選ぶ際には,周囲の 友人達からは「何で難しいコンピュータの研究室,しか も所研に行くの?」とよく言われたものでした.そう, 非常に厳しい,あえて選ぶのは変人といわれた,所眞理 雄先生(現 株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究 所,以下ソニー CSL)の研究室に進みました. 著者が,コンピュータと出会ったきっかけは,やはり 大学 3 年生のときに矢上キャンパスで受講した安西祐一 郎先生(現 日本学術振興会理事長)の「ディジタルオー トマトン」や,所先生の「計算機科学入門」,そして天 野英晴先生(現 慶應義塾大学教授)の「ディジタル回路 入門」といった講義と実習でした.これらの授業だけは, 不思議とのめり込むことができ,コンピュータサイエン ス(計算機科学)という分野の存在を知りました.当時, 矢上キャンパスの計算センターには,新しい SUN やソ ニー NEWS ワークステーションが多く導入され,講義 の宿題のみならず計算センターで UNIX の魅力に出合い ました. 所研には,果たして変人がそろっていました.今で も仲が良いのですが,同期には,廣津登志夫先生(現 法政大学教授)や高汐一紀先生(現 慶應義塾大学准教 授),そして,15 年後に一緒にベンチャー起業を目指 すことになる塩野 敦氏(現 クウジット CTO,位置情 報サービス研究機構 Lisra 理事)がいました.当時の 所研では,コンピュータネットワーク,分散システム, オブジェクト指向言語,そして分散人工知能(DAI: Distributed AI)のグループがあり,著者は,DAI 研究 グループに所属し,マルチエージェントシステムに関し て先輩諸氏から研究の手ほどきを受けました.何もかも が初めての大変刺激的な環境で,下宿も矢上の近くに移 したのですが,それでも寝る間を惜しんで,研究室に泊 まり込みの日々でした.当時,マルチエージェントシス テム関連は,中島秀之先生(現 公立はこだて未来大学 学長)や大沢英一先生(現 公立はこだて未来大学教授) らが主催していたマルチエージェントと協調計算研究会 (MACC)などの場で勉強,刺激を受け,また,大沢先 生には,著者の研究テーマに対して個別にアドバイスも いただきました.大学 4 年生のときに初めて書いた研究 論文が,MAAMAW(European Workshop on Modeling Autonomous Agents in a Multi-Agent World)に採択 され,後にその論文集に収録されましたが,同期でいち 早く論文発表で海外出張に行かせてもらったのは,唯一 の自慢です [Sueyoshi 91].しかし,著者筆頭の論文と いえば,後にも先にもこれ一本の一発屋でして,という のも何がモチベーションだったかというと,著者は,そ れまで海外に行った経験がなく,とにかく海外に行きた い! 研究室に渡航費を出してもらいたい! という一 心で必死にがんばったのでした(所先生,すいません). 同期の変人の多くは,博士課程に進みましたが,著者 は,真の変人にはなりきれず,結婚したいと考え,それ には金を稼がなきゃいけないと思い込み,就職活動を始 めました.当時,NTT 基礎研究所の竹内郁夫先生(現 東京大学名誉教授)に面談いただく機会を得て,好感触 だったのですが,どうにも就職しようと決めたタイミン グが遅く,人事的にはすでに閉め切っており,結果的 に,ソニーの木村敬治部長(後のソニー株式会社取締役 EVP,現 株式会社 2020 代表)に面談いただき,なんと か潜り込ませてもらったのでした.なんともバブルな時 代の話ですね.あ,今思うと栗原先生が NTT のマルチ エージェント研究の部署に就職したので,枠がなかった のですね,きっと(笑). 「つながりが創発するイノベーション」〔第 4 回〕

ぼくは,こうして[空]と[実]をつなぐ

My Way to Bridge [Ku̅ ] and [Jitsu]

末吉 隆彦

クウジット株式会社,慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント

Takahiko Sueyoshi Koozyt, Inc. / Graduate School of System Design and Management, Keio University. [email protected], http://koozyt.com/

Keywords:

indoor location, AR, interaction design, location amplifier, smile encouragement, happiness study, sports & technology.

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2.ソ ニ ー 時 代

2・1 開発部 ~ Apple 流 or Microsoft 流? ~ 1992年のソニーの入社式は,品川区大崎のゆうぽう とで開催され,およそ 1 500 人の新入社員を前に,「バ ブルが弾ける直前で多く採用しすぎた.いつでも辞め てよいし,戻ってきてもよい」のような薫陶を故 盛田 昭夫会長から受けました.著者は,入社面談いただい た木村部長のコンピュータ & マルチメディア開発本部 という 2 ∼ 3 年後の商品化を目指す開発部に所属する こととなりました.最初の業務は,米 General Magic 社(元 Apple の Bill Atkinson 氏,Andy Hertzfeld 氏,

Marc Porat氏らが共同設立)が目指す次世代携帯端末 上での MagicCap OS やエージェントスクリプト言語 TeleScriptのマルチメディア拡張の共同開発プロジェク トでした.そこでは,本田康晃氏(当時,ソニー CSL からアドバイザとして参画)や茶谷公之氏(現 楽天株 式会社執行役員)らからひざ詰めで指導を受けつつ, MagicCap OSの解析や応用提案を一緒に行いました. MC68030アセンブラやオーディオビデオのリアルタイ ム処理,オペレーティングシステムの基礎も,ここで勉 強させてもらいました.ソニーのコンピュータ事業部に は,大学研究室の先輩筋も多く「それでも相磯・所研 か?」と言われないように,と思いつつも,居眠りして, 名物頑固係長に頭をはたかれていました.良い思い出で す.1994 年,米 Microsoft 社のビル・ゲイツ CEO(当時) とソニー故 大賀典雄社長が米スーパハイウェイ構想と ともに,光ファイバ上でのビデオオンデマンド実験やイ ンタラクティブ TV の開発を行おうという共同プロジェ クトが発足しました.当時 MSR(Microsoft Research) の Richard Rashid 氏らが推進する Tiger Video Server という ATM スイッチ越しに,リアルタイムビデオス トリーミング配信させる MITV(Microsoft Interactive TV)プロジェクトに著者は参画することになりました. このプロジェクトをソニー側で統括していたのが,辻野 晃一郎課長(後の Google 日本法人社長,現 ALEX 社長) です.辻野氏からは,少数精鋭で果敢に挑むチャレンジ 精神を学び,MITV テクノロジー習得のため長期 US 出 張を任せてもらうなど,貴重な体験をさせてもらいま した.著者を含めたソニー側の数名のソフトウェア開発 チームの仕事は,セットトップボックス向けに開発中の Microsoftのリアルタイム OS(MMOSA)のポーティン グ,そして,ハードウェア依存部分のミニドライバ開発 が主な役割でした.ここで長期のレッドモンド出張滞在 で苦楽を共にし,その後も盟友となったのが,宮島 靖 氏(現 クウジット空実シニアアーキテクト)です.彼は, MPEGドライバ開発,著者がビデオドライバ開発担当 でした(図 1).Windows 95 発売前の 1990 年代,MSR 主導のこのプロジェクトでは,ビデオストリーミングの みならず,分散 COM アーキテクチャや DirectX 準拠の ドライバ構造など当時の MS 内で開発中の最新テクノロ ジーが実験的にも積極的に導入されていました.カフェ テリアでは,ビル・ゲイツ CEO のスピーチが流れてい ました.90 年代初頭,ソニーに在籍しながら,Apple カ ルチャーと,そして対極とはいわないまでも Microsoft カルチャーのソフト開発の現場をそれぞれ共同開発とい う立場で業務遂行しながら体験することができたのは, まだ 20 代の若輩者であった著者にとって,夢広がるソ ニー人生のスタートでした. さて,この MITV プロジェクトが終了することとなり, 思い入れがあった分,非常に残念で,その反動で,違う 部署へ異動したいと思うようになりました.ソニーコン ピュータエンタテインメント(SCE)では,PS2 開発 フェーズとなっており,前述の茶谷氏が SCE に在籍し ており,そのツテをたどり,PS の父,久夛良木健氏(現 サイバーアイ・エンタテインメント株式会社社長)に面 談してもらい OK もらったのですが,いざ上司の木村 部長に異動したいと希望したところ,「おまえ,ソニー に来て,商品化を経験しないで,出ていくのかっ!」の 一言(SCE もソニーではないかと一瞬思ったが,売り 言葉に買い言葉).「いやいや,商品化くらいしてから出 ていきますよ!」と反応してしまったのでした.「では, ソニーはパソコンつくることになったので,次は,そこ に行きなさい.デスクがいいか? ノートがいいか?」 どうやら VAIO というパソコンをつくるらしい.こうし て,1996 年 6 月 VAIO ノート PC 部隊に配属が決まっ たのでした. 2・2 VAIO ノート PC ~商品化の魅力に出合う~ VAIOノート PC 開発部隊は,各部署からかき集めら れたばかりの総勢 20 名程度のチームでした.他社のノー ト PC を OEM 設計していたメンバが主体となり,著者 の上司は,VAIO ノート PC 本体ソフトの設計を統括す る岩波 宏課長(当時)となりました.実は,当時集まっ 図 1 米 Microsoft キャンパスにて(1995)

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たソニーのソフトウェアエンジニア陣,著者も含めて「パ ソコンって何だろう?」の状態から始まったのでした. 「IBM PC 互換機とするには,BIOS というものがあるら しい」,「ブート時にソフトウェア割込みを起こして,ハー ドウェア依存のコードを走らせる作法らしい」,「OS の ソースコードは見られないらしい」などといった調子で した.最初に商品化担当した機種である,初代 VAIO ノー ト PCG-705/707(コードネーム Shinsaku)は,チーム 総動員,試行錯誤の連続のプロジェクトでした.著者は, BIOSとビデオドライバ担当となり,ハードウェア依存 部分の仕様調整と各デバイスベンダとの折衝が主な業務 となりました.簡単な仕事だろう思いきや,まだ,よち よち歩きの VAIO ノート PC チームには,DOS ブート すらなかなかできない状態でした.ハード初期化が悪い のか,電気設計にミスがあるのか.症状に悩む著者らに いつも助け船を出してくれたのが,スーパ上司の岩波氏 でした.おもむろに電気回路の図面を取り出し,なめま わすこと数分,「ココだ!」と PC カードデバイスの割 込み線を指さしました.すぐさま担当が電圧を計ると, 確かに,そこが不安定なため予期せぬ割込みが発生して いたようで,その原因を一発で突き止めたのです.そし て,画面には,DOS プロンプトが表示(A:¥>)され, 電気屋,メカ屋,ソフト屋一同,「おぉ∼!」とひとき わ大きな歓声が職場中に響き渡りました.VAIO ノート PC部隊では,俗に,岩波マジックと呼んでおり,その 後も,著者は,岩波マジックに何度も救われたものでし た.BIOS バージョンのフラッシュ焼込みでバグを入れ てしまい,長野安曇野で出荷待ちの VAIO の全数書換え を行うなど,工場の方々には大変ご迷惑をかけ,苦い経 験も多かった商品化第 1 号でしたが,やはり何ともやり がいのある,そして達成感に満ち溢れた,初めての感触 に包まれました(図 2).なるほど,これが商品化の喜びか, と.週末,完成品が各電機店に並び,秋葉原まで見に行 き,1 日中,お客様の様子を眺めていたのを覚えています. 本当にうれしかった. しばらくして,PCG-705/707 出荷の社内お祝いの会 が開かれました.当時の VAIO 事業を率いていた IT カ ンパニープレジデントの安藤国威氏(後のソニー社長, 現 ソニー生命保険会長)は,とても気さくな方でして, その席でありがたい言葉を期待していたところ,「末吉, でかいだけではだめだぞ,もっとがんばれ!」と言わ れたのです.安藤氏はその後,「そんなこと言ったか?」 ととぼけておられたが,ほぼ初対面の安藤氏に確かにそ う言われたのです.著者は,名前を憶えてくれているだ けでもデカイだけ得だと思うほどにはポジティブシンキ ングネスがまだ欠けており,「超悔しい∼,次を見てお れ!」と,次のステップへの奮起のトリガーとなったの でした. 2・3 VAIO C1 そしてジッセカイシコウって? Shinsakuチームとは別に並行して PCG-505(コード ネーム Ryoma)チームが動いており,大ヒット.銀パソ, 薄軽ノート PC ブームの火付け役ともなりました.さら に続け! ということで,Shinsaku チームから VAIO ノート PC 第 3 弾の秘密兵器プロジェクト VAIO C1 と いうカメラ付きミニノート PC のソフトウェアプロジェ クトリーダー(PL)を募集することとなりました.そ して,著者は,迷うことなく,それに志願したのでした. 当時 VAIO ノート PC 事業部長は,島田啓一郎氏(現 ソ ニー業務執行役員 SVP),C1 機種 PL は,渋谷 昇氏(現 ソニー・オリンパスメディカルソリューションズ株式会 社取締役)でした.島田氏には,新コンセプト機種の企画, 開発,発想法から,デモ,プレゼン手法,特に,技術シー ズとマーケットニーズのマッチング,そしてユーザ体験 価値の創出がいかに重要であるかなど,多くのことを学 ばせてもらいました.著者は,当時寝ても覚めても,ト イレでも風呂の中でも,目玉のカメラ搭載を際立たせる ためのとんがり機能について頭を悩ませ続け,ソニーグ ループの研究所を行脚してネタ探しをしつつ一人脳内企 画会議の毎日でした.その中で,ソニー CSL の暦本純 一氏(現 東京大学大学院情報学環教授,兼 ソニー CSL 副所長)が研究している,実世界指向インタフェースと いう研究があることを知りました.ジッセカイシコウ? 不勉強な著者からの問合せにもかかわらず,暦本氏は, 今となっては伝説となった世界初のモバイル AR 研究 Navicamのデモを披露してくれたのでした [Rekimoto 95].百聞は一見にしかず.初めての AR 体験に感動し, 体中に電気が走りました.「なんだこれ? すげ∼っ!」 という感覚でした.そして,この瞬間 VAIO C1 のとん がりが決まったのです.AR 機能を VAIO C1 に搭載すべ く商品化に向けた暦本氏との共同作業が始まりました. CyberCodeと名付けた商品化用の AR マーカーと認識エ ンジン,そして CyberCode Finder アプリケーションを 開発することにしました.CyberCode を商品化するにあ たり,VAIO とは別部署だった井原圭吾氏(現 クウジッ ト開発部長)が参画してくれたことも運命の出会いとい えるでしょう(無理やり VAIO ノート PC の末吉チーム に社内異動させられた.と本人は言っているが,もちろ 図 2 工場にて出荷待ちの VAIO(イメージ)

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ん著者にそんな権限はない). CyberCodeは,AR 機能を一般消費者向けの商品に搭 載した初の試みであり,「考える目を持つモバイル」(こ れは,後に商品キャッチコピーを決めるときに宣伝部の 方がつけてくれました),まさに身体拡張を意識した商 品づくりの始まりでした(図 3).暦本氏,井原氏との出 会い,そして CyberCode を商品化したことは,その後 のキャリアにおいて,とても重要なターニングポイント となりました.実世界指向インタフェースとは,今では リアルとネットが融合する当たり前の時代ですが,当時 はコンピュータ内部のデータとリアルな事象(ヒト・モ ノ・コト)との間には大きなギャップがありました.コ ンピュータとリアルとの界面のギャップを透明もしくは 最小にすることでコンピュータを意識せずに利活用する 手法の総称です.この概念は,その後の著者の仕事の興 味やライフワークを決定付けたように思います. 1998年 7 月 の 幕 張 メ ッ セ で 開 催 さ れ た Windows World Expoで VAIO C1 をプレビューしたいと安藤氏が 言いだし,ついに安藤氏と壇上を同じくするハレの舞台 が来ました.安藤氏の内ポケットから VAIO C1 を取り 出す演出(実際,内ポケットには入らないサイズなのだ が)と,カメラアプリのデモを一緒に壇上で観客に披露 しました.PC 記者さんらのフラッシュライトがとても まぶしかったのを覚えています.このとき,まだカメラ 自動反転機能が実装されておらず,カメラをくるっと回 転させると同時に,著者はキーで操作をしてカメラ画像 を反転させていたのですが,聴衆の前でそのくらいの演 出とフェイクができるくらいには成長していました. 当時,初台にあったマイクロソフトの古川 亨会長(現 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)に, 島田氏と発売前の VAIO C1 をもっていき紹介したとこ ろ,その後古川氏は,自費で何台も VAIO C1 を買って くれたと聞きました.VAIO C1 は,その年,iMac と並 んで話題の PC となり,その後も熱烈なファンをもつマ ニアに大人気のシリーズとなりました. 2・4 未来 VAIO コンセプトづくり VAIO C1シリーズの商品化経験を元に,新コンセプ ト機種系を任せていただけるようになりました.2000 年には,カメラ付きパソコンの逆転の発想のパソコン付 きカメラ,個人がインターネットでライブ放送を楽しむ ためのパソコン VAIO GT とインターネット放送サービ ス「パーキャス TV」の企画開発を担当しました(これ は売れなかった…記憶に残る名機ということで)(図 4). 2002年には,VAIO C1 シリーズもその役目を終えて ライフエンドとなりました.そのための配慮でしょうか, 島田氏より,次の 10 年の VAIO を考えよ! という命 題をもらうことになります.地下に潜っての未来 VAIO 企画の特命プロジェクトでした.当時部下であった福田 純子氏,村田 誠氏とともに三人の脳内で電脳ロビーを 共有し,社内外の技術シーズとトレンドをサーベイ,プ ロトタイプの試行錯誤を繰り返す毎日となりました.三 人寄ればなんとやら,心強い限りで,「センシングコン ピュータ VAIO E.Q.」というコンセプトにまとめます(図 5).センシング技術と感性情報処理が進化するであろう ことを予測し,ユーザの趣味嗜好を分析し,一歩先回り してくれる,そして五感に訴えるような UI を備えたパー トナ型のコンピュータ像でした(今になって振り返ると, スマートフォンをつくろう! と一言いえばよかったの かもしれませんね,第六感を象徴する六角形の不思議な モックをつくってしまったから,さぁたいへん). その後,著者は,2005 年にソニー CSL に異動するこ とになるのですが,センシングコンピュータプロジェク トの一環で,ソニーの向山 亮氏,倉田雅友氏らほか,優 秀なエンジニア陣による継続的な努力によって,さまざ まな知識処理関連技術の開発が進行し,行動認識技術を はじめとする成果は,多くのソニー商品に搭載されまし た.途中で退出した身としては,頭の下がる思いであり, ここに敬意を表したいと思います.

図 3 VAIO C1 と CyberCode Finder(1998)

図 4 VAIO GT とパーキャス TV ロゴ

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3.ソニー CSL 時代

2005年に,CyberCode からのご縁で,暦本氏率いる ソニー CSL Interaction Lab. に異動して,CSL の一員 になる機会を得ました.当初 1 年で研究シーズを発掘し, それをもち帰って,商品化部隊をソニーグループのどこ かで立ち上げようと画策していました.結果的にソニー CSLには,2 年 3 か月所属することになるのですが,そ の期間は,たった 2 年,されど 2 年,自分を見つめ直し, 大きな宝を手に入れることができた時代であったといえ ます. ソニー CSL は,天才・奇才,変人・奇人の集まると ころと聞かされていましたが,いざ中に入ってみると, 果たして,本当に,「変」なところでした.それを良い 意味での「変」として,いかに自分の活動を突出してユ ニークなものとして伸ばしていけるかが鍵でした.10 年前の 2005 年当時は,所眞理雄所長,北野宏明副所長 の体制のもと,暦本氏,茂木健一郎氏,高安秀樹氏らが シニアリサーチャーのスター研究者でした.皆さん,そ れぞれの活動フィールドがあるので,ほとんどは研究所 にはいないのですが,たまに顔を合わせると,その場で 大きな視野,異なる視座での意見を繰り出し合い,刺激 的な議論が展開されつつ,新しいアイディアも生まれて いく,そんな自由で学際的な空間でした. 著者は,数ある研究シーズの中から,さまざまな事業 シナリオを検討し,その中で,暦本氏の「実世界指向掲 示板」プロジェクトの一環で生まれた Wi-Fi 電波で位置 がわかる要素技術 「PlaceEngine」とその応用展開のア イディアに,事業化の的をしぼりました [暦本 06].また, ソニー CSL には,大学同期の塩野 氏がリサーチャー として在籍しており,再会して近況交換,今後のお互い の展開を議論しあううちに,「一緒にこの PlaceEngine で独立しよう!」と一致団結したのでした. PlaceEngineは,Wi-Fi 電波の位置情報ソーシャル基 盤サービスとして,ネットワークサービスとクライア ントソフトを開発しβ公開を始めました.当時の無線 LAN端末といえば,専用ゲーム機かノート PC が圧倒 的シェアで,W-ZERO3 などのスマートフォンが出始め たかという時期でした.ソニーグループ内ということも あり,早くから PSP 用クライアントを開発し,社内デ モアピールしていたところ,ソニーマーケティングの真 砂野透氏が PlaceEngine を大変気に入ってくれて,自身 が企画した「みんなの地図 2」(ゼンリン)タイトルに 搭載されることが決まりました.PlaceEngine 初の商品 化です.ところが,PlaceEngine は,対応地域を増やし ていくためには,初期の学習データ(Wi-Fi 電波情報と 緯度・経度情報の組合せからなるシードデータ)が必要 です.塩野 氏と著者は,「みんなの地図 2」商品化に 向けて,全国政令指定都市をターゲットに,地元の学生 アルバイトを募集組織し,車で走行したり地下街を歩い たり,「Wi-Fi クローリング」と称して全国行脚しました. ソニー社内の有志仲間達にもその輪が広がりました.ソ ニーの中村隆俊氏からは,「独立を目指すなら,躊躇せ ずにどんどん仲間を募って支援してもらいましょう.お 金じゃないモチベーションもあるはずです!」と激励を 受けました.中村氏には,PlaceEngine で独立してから も創業期の仲間づくりや UI/UX デザイン,数々の実証 実験イベントなどで大変支援していただきました. また,Web サービス向けとしては,Web サイトを位置 情報化(location-aware)することのできる PlaceEngine APIと PC 版や Windows Mobile 版クライアントソフト を公開しました(図 6).API を公開すると,駅探ラボ, ALPSLAB,goo ラボの皆さんが,いち早く API 連携と 数々の実験を始めてくれました.当時マピオン PC 版サ イトのディレクターだった園野淳一氏(現 株式会社ドワ ンゴ)とコラボレーションし,PlaceEngine 連携できた ことも知名度向上につながりました.これらジオメディ ア系のつながりは,大変心強かったし,ネットワーク外 部性の広がりを感じることができました.そして,ネッ トワークサービス事業にチャレンジしている人々とつき あうことが多くなるうちに,ソニーの外で,ベンチャー 起業したいという思いがさらに強くなっていきました. そこで著者は,北野宏明氏(経営者や投資家の顔もあ る)にベンチャー起業について繰り返し相談を始めまし た.北野氏は,アーリーステージの BtoB ベンチャー支 援を行うアーキタイプの中嶋 淳氏を紹介しくれました. 著者は,いつしか麻布十番にあるアーキタイプのシェア ドベンチャーオフィスに席一つを設けてもらい,そこで PlaceEngine技術をコアにした事業計画づくりの支援を 受けるようになりました.中嶋氏も大変ユニークな方で, 中嶋氏に支援を受けるには,(1)BtoB ベンチャーであ ること,(2)40 歳以上はダメ,(3)ロックなスピリッ トをもっていること,という条件があったのですが,ぎ りぎり 39 歳で滑り込みセーフだったのでした(中嶋氏 曰く「塩野 氏は 40 歳でアウトだったのだが,超ロッ クだから特例!」とのこと). また,ソニー CSL TPO(テクノロジープロモーショ ンオフィス)の夏目 哲室長からは,ソネットの経営企 図 6 PC 版 PlaceEngine クライアントソフト

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画部門を紹介いただきました.そして,十時裕樹氏(現 ソニーモバイルコミュニケーションズ社長,ソネット会 長)との面談にて「ソニーを退職して,ベンチャー経営 に取り組むつもりです」と強い意思表示をしたところ, それならばと,最初の資本投下してくれることを了承い ただきました.ソニー CSL 法務担当だった村井 武氏と は,PlaceEngine を公開して他社連携する際の,各種契 約テンプレートや,電波法との関係での総務省とのやり 取りに奔走,ご支援いただきました.最後の最後まで調 整を続けていたのが,知財契約関連でしたが,ソニー在 籍中の研究開発したものの資産は,ソニー側知財として 商用ライセンスを受ける形で決着しました.当時の知財 担当役員が,「商品化する前にソニーを出ていくのか!」 と言って商品化の経験を積ませてくれた,あの木村氏で した.木村氏が,最後に気持ち良く背中を押して外に出 してくれたのも,何かのご縁だと感じています(今でも 会うと,ハッパをかけられるのですが). こうして,ソニー CSL で PlaceEngine プロジェクト を始めた三人のリサーチャーは,共同創業者として,暦 本取締役兼技術顧問,塩野 取締役 CTO,そして,末 吉代表取締役社長となり,2007 年 7 月 3 日,クウジッ ト株式会社と名付けた会社を設立しました(図 7).リ アルとバーチャル,「空」と「実」(=色)をつなぐ技術 で社会に貢献したいとの思いと語呂で命名しました.

4.クウジット時代

4・1 PlaceEngine 創業期~奮戦期 クウジットを起業した年は,iPhone が US 市場に投 入された年で,スマートフォンの時代到来の前夜でし た.クウジットも,他のベンチャーと同様,いち早く iPhone上での PlaceEngine 機能を試作デモしました. 創業期の PlaceEngine 開発,そして,一連の位置連動サー ビス立上げの試行錯誤の時期を支えてくれたメンバに, 三屋光史朗氏(現 合同会社ミルディア社長)がいました. 三屋氏は,クウジット最初の社員で,塩野 氏と WIDE プロジェクト関係のつながりでもあります. 記念すべき PlaceEngine 最初の売上は,2007 年 10 月,ソニーの Wi-Fi 搭載ディジタルカメラ DSC-G1 の 機能アップグレード案件でした.前述のソニーマーケ ティング真砂野氏が販促企画,Wi-Fi カメラの開発部長 は,VAIO C1 つながりの渋谷氏でした.それまで,本 当にお金を稼げるのだろうか,このまま 1 円も入ってこ なかったらどうなるのだろうかと悶々としていたのです が,初の売上が銀行通帳に記載されたときは,商品化最 初の経験に,匹敵するくらい,うれしかったです. PlaceEngineで独立したからには,対外的にアピー ルするにはどうしたらよいだろうか,それには,わか りやすい用途提案,デモアプリが必要だと考えました. 当時いち早く自作 iPhone アプリの数々を公開していた IAMAS赤松正行先生に依頼して,PlaceEngine を使っ た山手線を一周する位置連動アプリ「ロケーション・ア ンプ for 山手線」を共同開発し,これを Where2.0 イベ ントに出展しました(赤松先生は,過去に VAIO C1 搭 載アプリ Sonicflow に作品を提供いただいたつながり). PlaceEngineライセンス展開は,その後も拡大を続け, 当時,ジオメディアコミュニティの元マピオン村田岳彦 氏や元 ALPLSLAB メンバが,Yahoo! 地図サービス事業 系に,在籍していたつながりから「Yahoo! 地図」アプリ での連携に発展しました.また,赤松先生つながりで井 口尊仁氏(現 DOKI DOKI,INC. 代表)を紹介いただ き「セイカイカメラ」との提携を行ったりしていました. ところで,2009 年に高松で開催された第 23 回人工知 能学会全国大会(JSAI 2009)の「研究とビジネスの境 界で」に関する招待講演とパネルセッションに呼んでい ただいたことがありました.これは,大向一輝先生(国 立情報学研究所准教授)がグルコース取締役でもあり, 同じ株主であるアーキタイプグループのシェアドオフィ スビル拠点つながりでした.このときご一緒に登壇した 岡本 真氏(ARG)とは,その後,岡本氏が事務局をつ とめるニコニコ学会βの活動に対して,そのコンセプト に共感し,企業スポンサー側としてご一緒することにな りました. さて,PlaceEngine 事業が,そのまま順風満帆だっ たかというと,必ずしもそうではありませんでした. 2010年 3 月 4 日,忘れもしないこの日,無線 LAN 業 界に激震が走りました.iPhone 上で,無線 LAN 電波 取得をすることができないことになり,無線 LAN 接 続ツールの類が一斉に App Store から姿を消しました. PlaceEngineもやはりその技術の特性上,周囲の無線 LAN電波情報を必要とするため,それがないと機能し ないため,PlaceEngine 機能を搭載したアプリケーショ ンが一斉に非公開扱いとなってしまいました.メジャー なアプリと提携していた分,これは大変な問題が起きて しまった! と奔走することになるのでした.その際は, 関係者の方々,ご迷惑をおかけしました. 無線 LAN 端末といえば,当時は,まだ iPhone のみ 図 7 クウジット共同創業者(暦本,末吉,塩野 )

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で Android の展開を待つ時期.ゲーム機器展開やワール ドワイド展開では,競合の米 Skyhook Wireless に先を 越されていました.その後は,寝ても覚めても,どうやっ て経営を立て直していくかの対策検討の日々でした.こ こは,昔取った杵柄の AR で行こうと,急拠 3 か月で, CyberCode技術を元にした「GnG(Get and Go)」AR マー ケティングサービスを企画開発しリリース.また,同じ くソニーの技術である笑顔認識技術を仕入れ,店頭販促 ソリューションとして「Smile Magic」をリリース.一 連の AR サービスやソリューション提供,AR コンテン ツ制作事業は,AR ブームにも乗り,クウジットの経営 を短期的に支えてくれました. その後,市場には Android 端末が展開され,PlaceEngine は,Android 端末向けや,行動ロギング専用機器での屋 内測位や行動調査用途などへの展開を行っています.そ して,クウジット塩野 CTO は,河口信夫先生(名古 屋大学教授,Lisra 代表理事)が推進する Lisra での活 動や,西尾信彦先生(立命館大学教授)のもとで G 空 間シティ構築事業に参画するなど,PlaceEngine 技術に かかわらず幅広く屋内測位や位置空間センシング技術を 用いた応用展開の技術コンサルを始めています.また, PlaceEngine技術の発展で研究開発した,無線 LAN 電 波による人流センサ「DF.Sensor」を展開中です. 4・2 ロケーション・アンプ展開期 時間軸を 2009 年に戻します.「ロケーション・アンプ for 山手線」アプリで,赤松先生と意見交換をしていく 過程で「身体の移動に伴って,場所の価値を増幅させる ITの役割は,結局は,体験する人の感性に作用し,主 体はあくまでその人に帰するのだ」という気付きや概念 を再認識しました.これを「ロケーション・アンプ」と 名付け,以後,クウジットは,PlaceEngine 技術ライセ ンス事業と相乗効果を生む「ロケーション・アンプ」(ロ ケアン)構想の具現化に取り組みます. 公衆無線 LAN サービス Wi2 の高津智仁氏(現 株式 会社ナビック社長),小松直人氏(現 Wi2 取締役)らとは, 横浜元町商店街やみなとみやらい地区,横浜スタジアム, そして Wi2 や株式会社三菱地所と共同で「丸ビル」,「新 丸ビル」,「OAZO」といった丸の内エリアでの共同実証 実験を開催しました.「これはおもしろい!」と感触を つかんだ著者は,本格的にロケアンを事業の中核に据え ようと「PlaceEngine 技術を利用した位置情報インフラ および情報配信システムの実用化開発」として,NEDO 助成事業に応募し,これが採択されることになりました. クウジットは,ソニー CSL 初のスピンアウトベンチャー であったため,ソニー CSL からクウジット創業期の立 上げ支援の命を受け,本條陽子氏(現ソニー CSL オ フィス / 広報 GM)が本 NEDO プロジェクトの推進を 助けてくれました.本條氏は,女性初の VAIO 機種 PL で初の OEM/ODM 生産モデルの立上げに尽力した人物 です.本條氏と著者は,ロケアン実証実験のフィールド として,商業施設と文化施設を一つずつ実施しようと計 画を立てました.商業施設は,当時,三井不動産株式会 社東北支店次長であった浜武 浩氏を人伝てに紹介いた だき意見交換を始め,三井アウトレットパーク仙台港の 1周年記念イベントに合わせて iPhone を利用した先端 的なショッピング体験イベントを実施することにしまし た(図 8). 文化施設のフィールドとしては,本條氏が「ここしか ない!」と推薦の東京国立博物館にアプローチを続けま した.そして,博物館の総務企画課 平出秀文氏(当時) や学芸企画部博物館教育課 加島勝課長(現 大正大学教 授)らと意見交換を続ける中で,展示替えの少ない法隆 寺宝物館でならば実施できる見込みがあるとの見解をい ただきました.そして,同館を建築,空間設計をされた 建築家の谷口吉生先生に実証実験の承諾を得てくること が最終条件になりました.2009 年 8 月谷口設計事務所 に出向き,谷口先生に実証実験の趣旨と内容を説明する 機会を得ました.その席で,情報機器を利用した情報提 示の在り方について,そもそも情報機器アシストなしに 五感で体験してほしい谷口先生の見解と,それは感度の 高いユーザ層は可能であり理想であるが,誰しもができ るわけではなく,情報アシストで現代人の博物館体験を 底上げすべきだとの著者の意見とが異なり,本質的な議 論にまで発展し,周囲一同が緊張する場面もありました が,最終的には,「やってみなさい!」と背中を押して くれたのでした.結果,法隆寺宝物館での実証実験は, 大好評を得ました(図 9).谷口先生も体験に来てくれて, 「位置精度の問題と情報提示と展示物のギャップの問題 は依然あるので,改善したら,他の施設もあるのでまた 来なさい」とやはり本質的な,しかしありがたいコメン トをいただけたのでした.この経験は,その後の同種の 活動を推進するうえで大きな支えとなっています.実験 用に開発した iPhone アプリは,好評につき,その後,「法 隆寺宝物館 30 分ナビ」アプリとして無償公開されてい 図 8 MOP 仙台港 近未来ショッピングイベント(2009)

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ます(コンテンツ監修:東京国立博物館,デザイン:福田 桂氏,コンテンツ制作協力:本條陽子氏). さらに 2011 年には,先の法隆寺宝物館ガイドの成功 を経て,これを発展させた東京国立博物館本館の総合文 化展向けのガイド「とーはくナビ」(その後,「トーハク なび」に変更)貸出サービスが実現しました(図10).「とー はくナビ」貸出サービスは,学芸企画部博物館教育課 今井 敦課長(現 文化庁)と同課の藤田千織氏とのプロ ジェクトになりました.長谷川踏太氏(現 W + K tokyo/ tomato)がコンセプトデザイン,東京国立博物館がコン テンツ監修し,本條氏がコンテンツ制作協力を行うとい うチームと役割でした.長谷川氏は,元ソニー CSL に 在籍していたこともあり,一時期 VAIO アプリでもご一 緒したつながりで,当時イギリス滞在中で忙しいなか合 間を縫ってプロジェクトに参画いただきました. 「とーはくナビ」貸出サービス中に,東日本大震災が 発生し,その日は館内に留まったスタッフもいたのです が,その分期間を延長して貸出サービスは無事終了.こ のプロジェクトは,その間,さまざまな方々を引き合わ せてくれて,その後の展開にも大きくつながっていきま した.岡部大介先生(東京都市大学准教授)が,東京文 化発信プロジェクトの方々とともに,体験に来られ,そ の後も,事あるごとにお互いの近況,活動を共有,刺激 し合えるお付合いをさせていただいています.そして, 株式会社電通国際情報サービス(ISID)オープンイノ ベーションラボ(イノラボ)の渡邊信彦氏(現 事業構想 大学院大学客員教授)と森田浩史氏(現 イノラボ部長) が,この「トーハクなび」ガイドを体験してくれて,著 者にコンタクトをいただきました.これがきっかけで, 2011年に ISID とクウジットは,位置空間情報サービス, 街づくりと IT の領域で,業務・資本提携の関係へと発 展しました.後日聞いたのですが,「(実際にクウジット 社長に会って)社長がモノづくりの人でなかったら,資 本提携は,やめよう」と内々に決めていたそうです.実 際にお会いして,話し合っていくなかで,提携の意思決 定をしていただけたのは,大変光栄,次のステップの転 機となりました.その後,東京国立博物館プロジェクト は,東京国立博物館,ISID イノラボ,クウジットの三 者で「トーハクなび共同研究プロジェクト」として発展 し,現在も推進中です.博物館側の学芸企画部博物館教 育課は,その間,今井氏から小泉惠英課長(現 九州国立 博物館学芸部長)に変わり,全館プロジェクトに格上げ いただきました.そして現在,小林 牧課長のもと,個々 の作品ガイドを整備していくなどの新しいチャレンジを 始めています. ISIDとは,「トーハクなび」プロジェクトに限らず, 未来の街づくり× IT の「街なび」研究プロジェクトや, その成果の一つである 2013 年グランフロント大阪オー プンに向けたコンパスサービス開発などに関わりました. その後も数々の共同プロジェクトでご一緒しています. 4・3 街でのヒト・モノ・コトをおもしろく! 始動 クウジットは,2014 年 5 月より東京港区芝に移転し, 「街でのヒト・モノ・コトをおもしろく!」をテーマに かかげ,新展開を始めています.大きな事業領域として, これまで述べてきた(1)「位置空間センシング事業」(技 術ライセンス,研究受託,アプリ制作)を既存事業領域 としてさらなる発展と,(2)「心と身体の健康・豊かさ」 領域の新規事業立上げを並行して進めています.いずれ も,複雑度の増した現代の社会課題に対して,その根本 原因の一つは,課題そのものに対する無知・無関心にあ ると捉え,課題の可視化,そして「おもしろく!」とい うアプローチで,課題解決に向けたモチベーションの維 持・向上,行動変容の気付きに寄与する ICT ソリューショ ンの提供を目指しています. 身体の健康,豊かさについては,ISID イノラボが主 催する「エブリスポ!」プロジェクトにてプロデューサ・ プランナとして参画し,自ら,企画,実践することで, この領域での体験デザインにチャレンジしています.エ ブリスポ! は,ウェアラブルデバイスや街のセンサで, 日々の運動をポイント化,チームで競いながら,日常や 街を運動場に変えるコンセプトです.ここでは,森田浩 史氏とともに,後藤真二氏(スポーツクラブ NAS スポー ツ健康医科学研究室室長)や,神武直彦先生(慶應義塾 大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(以 下,SDM)准教授)らと共同研究を実施中です. 一方の心の豊かさ,笑顔・ハピネスについては,暦本 純一氏,辻田 眸氏(現 株式会社シンクフェーズ社長) 図 9 法隆寺宝物館ガイド実証実験(2009) 図 10 「とーはくナビ」貸出サービス(2011)

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が 2011 年に行った「ハピネスカウンター」研究から発 想を得ています [Tsujita 11].「幸せだから笑うのではな い.笑うから幸せなのだ」を実践すべく感情のメタ認知 を誘導するようなギミックを日常生活に潜ませて,感情 可視化のデザインを街づくりに生かせないだろうかと考 え始めました. 2012年に ISID イノラボの野崎和久氏とともに,本條 陽子氏,福田 桂氏,岡部大介先生らと共同で模索した笑 顔を認識するミラーサイネージ「エミタメ」プロジェク トがそのとっかかりとなりました.福田氏,本條氏によ る「エミタメ」コンセプトデザインは,笑顔の感情コミュ ニケーションで流通する目には見えない価値(エミー経 済圏)と,リアル経済のお金との価値(ゼニー経済圏) の対比による物語でした(図 11). また,その後の i.school 堀井秀之先生(東京大学教授) らとの「ハピネスカウンター for ワークショップ」共同 研究においても,ワークショップなどの知的創発的空 間での笑顔計測による有用性について気付きを得ました (図 12). 2014年より,「まちはチームだ」をかかげる QPITS(九 州 IT&ITS 利活用推進協議会)事務局長の渋谷 健氏と 出会い,クウジットは QPITS に参画,「位置空間センシ ング」既存事業領域の拡大と,「心と身体の豊かさ」新 規事業領域の立上げについて,その実証フィールドの展 開として QPITS に支援いただいているつながりです. 現在,笑顔やハピネスを用いた街づくり× ITC 応用領 域について,前野隆司先生(慶應義塾大学大学院 SDM 教授)や保井俊之先生(慶應義塾大学大学院 SDM 特 別招聘教授)らと共同研究を始め,著者自身も,慶大 SDM研究員として所属し,研究とビジネスの境界を行 き来する活動を続けています. そして,「街でのヒト・モノ・コトをおもしろく!」 の旗のもと,ソニー時代の愉快な面々が,再び参集して くれました(図 13).VAIO 時代の上司だった岩波氏, CyberCode開発で異動してきた井原氏,米 Microsoft 長 期出張で苦楽をともにした宮島氏.ほかにもあげたらき りがないので,このくらいで.不思議な人と人とのつな がりですね.

5.お わ り に

今後もリアルとバーチャルの界面のインタラクション デザイン,そして,身体と心の豊かさをプロダクトデザ インやサービスに生かすことを探求しながら,事業化に 取り組んでいきたいと考えています.研究シーズをビジ ネスに,そのギャップを埋める,泥臭いところがおもし ろいし,強みと考えています.そもそも終わりのない旅 なのですが,いよいよ 本来の[空]と[実]をつなぐ活 動領域に少しずつ近づいてきたかなと思っています.振 り返ると,これまで,ずっと飽きずに継続できているの だから,この[空]と[実]を「おもしろく!」つなぐ 活動は,著者の心と身体のライフワークバランスとして も,モチベーション高く継続的に続けていけるのであろ うと確信しています.ポジティブシンキング軸について は,突出して幸福度が高くなった著者近況です. 本寄稿執筆中の 9 月 21 日,父が,84 歳をもって,老 衰のため自宅にて大往生しました.父には,どこかで仕 事の内容をまとめて紹介しようと思っていたのですが, 父と子,何とも気恥ずかしくもあり面と向かって話せず に今まで時間が過ぎてしまいました.この JSAI 誌へ向 けた寄稿が良い機会だと思い,ついつい長文となってし まいましたが,結局間に合わず.遺品を整理していたら, 父の手記が見つかり,「…私は私のできる範囲で(息子を) 応援するつもりだ」とあり,また父を担当していた看護 師から,「クウジットのホームページを見せたら,三人 の写真をうれしそうに見ていましたよ」と聞かされたり. 孝行したいときに何とやら.大学まで進学させてくれて ありがとう.コンピュータサイエンスに出合えて良かっ 図 11 エミタメ for チャリティ at 東京都市大(2013) 図 13 街でのヒト・モノ・コトをおもしろく! 図 12 ハピネスカウンター for ワークショップ(2014)

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た,商品化のわくわくどきどきに出合えて良かった.多 くの人との出会いや想いとつながって,新しいことを世 に出すチャレンジを続けることができています. 今回,本寄稿執筆の機会をいただいた栗原先生に感謝 いたします.また,大学時代,ソニー時代,ソニー CSL 時代,クウジット時代,すべてのつながりの方々に感謝 いたします.今後も一緒にイノベーションを起こすべく つながっていくであろう方々とご一緒できること,大変 楽しみにしています.

◇ 参 考 文 献 ◇

[Rekimoto 95] Rekimoto, J. and Nagao, K.: The world through the computer: computer augmented interaction with real world environments, ACM User Interface Software and Technology (UIST’95)(1995)

[暦 本 06] 暦 本 純 一, 塩 野 敦, 末 吉 隆 彦, 味 八 木 崇:Place Engine:実世界集合知に基づくWiFi位置情報基盤,インターネッ トコンファレンス 2006, pp. 95-104 (2006)

[Sueyoshi 91] Sueyoshi, T. and Tokoro, M.: Dynamic modeling of agents for coordination, Demazeau, Y. and Müller, J.-P. editors,

Decentralized, A. I., Vol. 2, pp. 161-176, Elsevier (1991) [Tsujita 11] Tsujita, H. and Rekimoto, J.: Happiness counter:

Smile-encouraging appliance to increase positive mood, ACM

SIGCHI 2011, extended abstracts(alt.chi) (2011)

2015年 10 月 1 日 受理 末吉 隆彦 1992年慶應義塾大学大学院理工学研究科計算機 科学専攻修士課程修了.同年,ソニー株式会社入 社.VAIO C1 などのノートパソコン商品化に尽力. 2005年より株式会社ソニーコンピュータサイエン ス研究所へ.「PlaceEngine」のサービス立上げと企 画運営を開始し,2007 年 7 月,クウジット株式会 社を設立,代表取締役社長 兼 空実プロデューサー. 2015年,慶應義塾大学大学院 SDM 研究員.PMP 資格.

著 者 紹 介

図 5 VAIO E.Q.コンセプトモック(2003)

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