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金融政策の波及経路と政策手段

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Academic year: 2021

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(1)

第8章 期待に働きかける金融政策

金利のゼロ制約により従来型の金融政策の有効性が失われているという問題意 識から、様々な政策が提案されるようになっているが、その中でも注目すべきも のは、経済主体の将来に関する期待に対して働きかけることによって、金融政策 の有効性を確保しようというものである。これらは、金融政策の効果が経済主体 の将来についての予想に依存するということを強調する点で、斬新な視点を与え てくれる。 本論文では、必ずしも期待を通じた金融政策についての検討を十分に行うこと はできなかったが、その重要性に鑑みて、いくつかの提案を紹介したい。ここで 取り上げるのは、将来のインフレ期待と将来の短期金利についての期待である。 なお、以下ではKrugman(1988)と Woodford(1999)のみを取り上げるが、金融政 策における期待の役割に着目した分析として齋藤(2000)及び渡辺(2000)があるこ とを指摘しておきたい。 1. インフレ期待への働きかけとインフレ・ターゲット論 (1) クルーグマンのインフレ期待引上げ論 イ)何故、インフレ期待か 第 4 章で説明したように、クルーグマンの想定している経済では、均衡実質金 利(貯蓄と投資を均衡させる利子率)はマイナスである。しかし、フィッシャー 方程式が成立して名目金利が実質金利とインフレ率の和に等しいとすると、実質 金利がマイナスの時にインフレ率がゼロまたはマイナスであると名目債券利子率 はマイナスになってしまう。貨幣の収益率はゼロであるから、債券の収益率が貨 幣の収益率を下回るというrate-of-return dominance が生じる。人々は収益率が 低い資産は保有しないので、債券から貨幣への資産需要の無限のシフトが生じる ことになる(「流動性のわな」)。 もし価格が伸縮的であり、将来の期待物価水準が一定であれば、現在の価格が 大幅に低下し、将来に向かってインフレが生じる。このインフレ期待により、均 衡実質金利がマイナスであっても名目金利はゼロまたはプラスとなり、債券需要 の拡大、貨幣需要の縮小が生じる。しかし、価格が硬直的であれば現在において デフレが生じないので、将来に向けてのインフレ期待が生じない(クルーグマン の議論はデフレの理論ではない)。 こうした「流動性のわな」の下では、マネーサプライをいくら増加させても資 産需要として吸収されるので、金利は、貨幣の収益率=ゼロ以下に低下せず、金

(2)

融政策は無効である。 ロ)処方箋 クルーグマンの発想は単純かつ論理的で、現在の困難の原因が貨幣の収益率が 実物資産の収益率を上回っていることになるならば、貨幣の収益率を低下させて やればよいということである。その手段としては、周知のようにインフレ期待を 引き上げることを提案している。インフレ期待が上昇すれば、実質金利が不変で あっても、フィッシャー効果により名目金利が上昇する。これは貨幣の保有コス トの上昇を意味するから、貨幣から債券への逆シフトが生じることになる。 どのくらいのインフレが必要かという目標値としては、実質金利のマイナスを ちょうど相殺するだけのインフレ率(名目金利はゼロ)ということである。クル ーグマンの推計によれば、日本の均衡実質金利はマイナス 4%であるから、必要 なインフレ率も4%となる。これは、政策手段がエキセントリックな割にはそれ ほど高くないインフレ率といえるかもしれない。 しかも、名目金利がプラスになれば、「流動性のわな」から脱却することができ るので、その時点から金融政策は有効になるというボーナスもある。 ハ)手段:期待が決定的 クルーグマン自身が強調するように、現在のマネーサプライの増加は経済に何 の影響も与えないので、それをインフレ期待喚起のために利用することはできな い。 現在においてはインフレを起こしようがないので、将来においてインフレを起 こすことを約束するしかない。もし将来的に金利がゼロからプラスに転換すれば、 その時点で貨幣需要が縮小し、現在もしくは将来増やしたマネーサプライを縮小 させなければ、インフレになる。そこで、将来、ゼロ制約がなくなった時に、金 融政策が「無責任なスタンス」を続けるという期待が生じれば、インフレ期待を 引き起すことも可能になる。しかし、将来的にでもゼロ制約から解放されるため には、何らかの他のショックが必要である。典型的には財政支出の拡大であろう が、やや他力本願である。 また、こうしたコミットメントがクレディブルなのかという疑問がある。中央 銀行のインセンティブとしては、いいとこ取りを狙うおそれがある。すなわち、 デフレで困ったときには将来のインフレ期待を煽っておき、経済がデフレから脱 したらインフレ・ファイターに戻るというのが、中央銀行としては最も望ましい シナリオであろう。 コミットメントに信認を得るためには、一つは、インフレ・ターゲットを設定 することが考えられる。もう一つは、マネーサプライ拡大によるコミットメント

(3)

が考えられる。これは、現在のマネーサプイライ増加が無効であるにしても、将 来にわたって大量の流動性を放置するぞというシグナルとしての意味付けを狙う ものである。 ただ、実際上、インフレ期待を引き起すことは困難であろう。そして、実行上 の問題以上に、インフレ期待を喚起する政策は規範的に問題が多いと考えられる。 ニ)副作用 (i) インフレの経済厚生上のコスト a.貨幣保有の節約:伝統的な最適インフレ論 クルーグマンは名目金利がゼロとなるように、実質金利のマイナスをちょうど 打ち消すインフレ率を提案しているが、名目金利がゼロでは貨幣と実物資産が完 全代替物にとどまり、必ずしも貨幣から実物資産への資産需要のシフトが生じな いと考えられる。しかし、名目金利をわずかでもプラスにすれば、貨幣需要は取 引に必要な最小限に抑制される。これは、貨幣を生産するコストはほぼゼロであ るから、貨幣を節約することは社会的に損失であるという伝統的な最適インフレ 論に反する。実はクルーグマンのモデルは、消費財が一つしかないので、こうし た損失は生じないが、消費財に 2 種類あって、一つは購入のために貨幣を必要と

する cash good で、もう一つは貨幣を必要としない credit good である場合や、

家計が消費だけでなく余暇(労働)を合わせて選択する場合には、名目金利をプ ラスにすることは、社会的な厚生の損失が生じると考えられる。もっとも、プラ スの名目金利がどの程度のマイナスの影響を持つかは、貨幣需要関数の形状に依 存し、優れて実証的な問題である。 b.価格硬直性の存在による資源配分の歪み クルーグマンは、価格が伸縮的であれば調整メカニズムとしてインフレが生じ るのであるから、価格が硬直的で現在のデフレが生じないために将来に向かって のインフレが生じない時には、人為的にインフレを引き起こすことが最適である としている。しかし、これは、常に正しいとはいえないであろう。例えば、King and Wolman(1999)は、企業の価格設定にラグがある場合、インフレに対応して 価格を引き上げることのできる企業と直ぐには引き上げられない企業があるため、 インフレにより相対価格が歪んで、資源配分に歪みが生じると主張した。一般に、 価格の硬直性が生じるのは何らかの市場の不完全性がある場合のセカンド・ベス トの対応の結果であろうから、人為的なインフレが必ずしも経済効率性を向上さ せるとは限らない。 (ii) 予備的動機による貨幣需要の拡大

(4)

第 3 章、第 4 章の分析からすると、90 年代において貨幣需要が拡大した重要な 原因の一つは、経済の不確実性の高まりから予備的需要が拡大したことにあると 考えられる。このような貨幣需要ショックに対しては、流動性を多く供給する必 要がある。しかし、クルーグマンの主張は、貨幣は資産需要を吸収して実物投資 を阻害しており、インフレの上昇により貨幣保有のコストを上昇させて貨幣需要 を縮小させることが望ましいというものである。このように、必要とされる流動 性を保有コストを高めることにより縮小しようとするインフレ期待引上げ論は、 方向を誤っているのではないかと思われる。 (iii) 実質収益率がマイナスの投資を強行することは有益か クルーグマン的「流動性のわな」が生じる根本的原因は、実物投資の実質収益 率がマイナスであることである。 実質収益率がマイナスということは、資産が将 来どんどん目減りするということである。そうであれば、少なくとも目減りしな いマネーを持っていた方がましである。収益率がゼロである貨幣という資産があ れば、収益率がマイナスの投資が実現されることを防ぐことができる。インフレ 期待を喚起して実質収益率がマイナスの投資を無理に行わせることが、人々の経 済厚生を高めるとは信じ難い。 (iv)所得分配上の問題 上記のように実質収益率がマイナスの投資を無理に行わせることは、資産保有 者にとっては不利となり、本来は債券を発行できなかった債務者にとっては有利 となる。 (2) オーソドックスなインフレ・ターゲットは最適な政策か インフレ期待に対して働きかけようという提案は別にクルーグマンが最初では なく、古くから中央銀行がインフレを抑制することにより民間部門のインフレ期 待を変化させて、ディスインフレのコストの低下や経済効率の改善が図れるとい う議論があり、最近ではかなりの数の国でインフレ目標として公式の政策枠組み になっている。 日本においても導入の是非を巡る議論は活発で、消極派からは、インフレ・タ ーゲットを達成する手段がない、指標のバイアス、インフレと実体経済の間の関 係の不確実性から何%のインフレが最適か決定できないなどの難点が指摘され、 積極派からは、どのような手段ででも達成するようコミットすべきだなどの応酬 がなされている。 ここでは、そうした具体的論点に入り込まずに、仮にインフレ目標を採用する

(5)

としても、インフレと他の目標(具体的には経済成長)との関係をどうするかと いう点のみ触れておきたい。 インフレ目標の大きな特徴は、固定した数値目標を設定することであろう。こ れは、イ)いかなる状況においても中央銀行にインフレの抑制を要求することに より インフレ・バイアスを除去し、ロ)同時に人々の信認も得やすくなり、ハ) 目標が頻繁に変更されないだけ透明性も確保される、というメリットがあると思 われる。 しかし、インフレと成長のトレード・オフの存在は、インフレ目標の設定に当 たって無視できないと思われる。少なくとも短期的には、フィリップス曲線を通 じてインフレと生産の間に一定の関係がある以上、最適なインフレ率は、その時々 の生産と関連させるのが自然である。金融政策の目標はインフレと生産の安定で あり、その目標を達成する際の制約として、フィリップス曲線に沿って、インフ レを低下させるためには、生産を低下させる必要がある。そして、政策当局は、 フィリップス曲線上で、最も望ましいインフレと生産の組み合わせを選択する(第 8−1図1)。図中の直線がフィリップス曲線であり、上に凸の曲線が中央銀行の 効用関数である。サプライ・ショックがあると、フィリップス曲線は上方にシフ トする。この時、インフレ率をゼロに保とうとすると、B点が選択され、生産ギ ャップの拡大は大幅なものとなる。しかし、最適な選択はA点であり、インフレ 率の若干の上昇を許容して生産ギャップの拡大を緩やかなものとする。 より具体的には、最適なインフレと生産の関係は、当局の選好λ(インフレに 比べて生産をどれだけ重視するか)とフィリップス曲線の傾き

κ

(生産が増加し た時に、インフレがどれだけ上昇するか)に依存し、次のように表すことができ る(補論2の(2.8)式を参照)。ここで、

π

tをインフレ率、

x

tを生産ギャップとす る。 t =− ⋅xt κ λ π (2) すなわち、生産が高い水準にある時には物価目標は低く設定し、生産が低い水 準にある時には物価目標も高く設定するという関係が最適である。生産の動向と セットで物価目標を設定することが適切であり、常に固定的なインフレ目標を達 成しようとするのは、最適な政策ではない。 もちろん、こうした点はインフレ目標の実務家や研究者によく認識されており、 例えば、Svensson(1999)は、実際に中央銀行によって採用されている政策は、 インフレのみを目標とする厳格な(strict)インフレ・ターゲットではなく、イン 1 この図は、Woodford(1999a)のものに加筆した。

(6)

フレと生産を共に目標とする柔軟な(flexible)インフレ・ターゲットであるとし ている。しかし、そうであれば、インフレ率についてだけ固定的な目標を設定す る意義がやや不明確ではないかという気がする。「柔軟に」インフレ目標を追求す る場合、生産の動向をも考慮しつつ一時的にはインフレ目標からのかい離を許容 することになるが、短期的にインフレ目標からのかい離をどの程度許すか、目標 に急激に近づくか緩やにかは、アカウンタビリティはあるにしても中央銀行の裁 量となる。それよりは、明示的にインフレと生産の目標をセットで設定していく 方が望ましいように思われる。 なお、金融政策が、インフレや生産ギャップに反応して金利を設定するという テイラー・ルールにおいて、生産ギャップにあまり反応せずに、インフレに対し て 強 く 反 応 す る こ と が 望 ま し い と い う 結 果 が 出 て い る (Rotemberg and Woodford, 1999 及び木村・種村, 2000)。すなわち、

i

tを名目金利、

r

tを実質金利 とした場合に、次のような政策ルールにおいて、αは大きく、βは小さくとるべ きであるという主張である。 it =r*+π* +α(πtπ*)+β(xtx*) (3) ただ、これは、後述のように、民間部門がフォワード・ルッキングであれば、生 産の変動を許容することによりインフレと生産のトレード・オフを改善できると いうことから出てくるものである。テイラー・ルール上の手段の選択の問題で、 目標の選択の問題ではなく、αのみ大きくするといってもインフレのみを目標と するということではない。 2.将来金利へのコミットメントと過去に依存した金融政策 金利を通じる波及経路においては、期間構造に関する期待理論が重要な役割を 演じる。そこで、将来の短期金利についての期待に影響を与えて金融政策の有効 性を確保しようという発想は自然なものと考えられる。ここでは、特に興味深い 提案として、Woodford(1999a)を紹介する。 (1)民間部門のフォワード・ルッキングな行動と金融政策 Woodford(1999a)の提案の鍵は、民間部門のフォワード・ルッキングな行動で ある。彼の主張は、民間部門の期待を利用することにより、インフレと成長のト レード・オフを改善できるというものである。 民間部門のフォワード・ルッキングな行動とは、具体的には、将来のインフレ を予想しながら現在の価格を決定するというニューケインジアン的なフィリップ ス曲線である。これは、企業の価格設定に粘着性があるため、将来インフレが上

(7)

昇しても、すぐには価格を引き上げられないためである。さらに、将来のインフ レは将来の生産に依存するから、現在のインフレは、将来の生産に依存すること になる(付論2の(2.6)式参照)。 いま、サプライ・ショックが生じたとする。すると、インフレが上昇し、生産 は低下する。通常の政策ルールでは、生産の変動を抑制するために、ショックが なくなると、生産を元の水準に戻すであろう。しかし、ここで、生産の変動をあ まり気にかけないで、将来的にしばらく生産を低下したままにとどめておくとす る。すると、民間部門は、将来も生産が低迷するので、現在の価格引上げ幅を小 さくする。すなわち、現在のインフレは抑制され、生産の低下も小さくなるとい うように、インフレと生産のトレード・オフの改善がもたらされることになる。 同様のことが、投資・貯蓄へのショック(実質均衡金利へのショック)につい てもいえる。投資・貯蓄への負のショックが生じると、生産、インフレともに低 下する。通常の政策ルールでは、ショックがなくなれば、生産も均衡水準に戻す。 しかし、将来的にしばらくは生産を均衡水準以上に維持するという政策を採れば、 将来の生産上昇を見込んで、今期の価格低下幅は縮小することになる。 以上の政策では、将来の政策が現在のショックの影響を引きずっていく。それ を民間部門が先取りして、現在時点でのインフレと生産のトレード・オフの改善 が得られるわけである。 (2)最適な政策の近似としての金利スムージング 将来の政策が現在のショックの影響を引きずっているということは、逆にいえ ば、現在の政策が過去の影響を受けているということである。Woodford(1999b,c) によると、最適な政策における金利の経路は、かなりゆっくりと変化するものと される(policy inertia)。 実際、最適な政策は、過去のショックに依存した形になる(詳細は付論参照)。 すなわち、中央銀行の目標関数を次のように想定する。

π

tをインフレ率、

x

tを生 産ギャップとする。βは時間選考率である。

[

]

= −

+

0 0 2 2

2

1

t t t t t t t

x

E

β

π

λ

(4) 経済構造として、次のような総供給曲線を考える。ここで、ある変数の t+1 期の 値のt期における期待値をzt+1|tのように表す。 πt+1 =βπt+2|t +κxt+1|t +ut+1 (5) 総供給関数(5)式の制約の下に目標関数(4)式を最小化すれば、次のような

(8)

最適な関係が得られる(補論の(2.12)式)。 t+1|t + (xt+1|txt|t1)=0 κ λ π (6) (6)式及び(6)式を1期進めたものを(5)式に代入すると、

x

tについて の2 階の差分方程式となる。これを解くと、補論の(2.20)式で与えられるように、 過 去 の シ ョ ッ ク に 依 存 し た 生 産 ギ ャ ッ プ の 最 適 水 準 が 得 ら れ 、 さ ら に 補 論 の (2.21)式で与えられるように、過去のショックに依存したインフレ率の最適水準 が得られる。これらを補論の(2.4)式の総需要関数に代入して金利について解けば、 望ましいインフレ率と生産ギャップに整合的な金利水準が、過去のショックの関 数として求められる(補論の(2.23)式参照)。 現在の金利を1 期前の金利に依存させることは、このような最適政策の近似と 解釈することができる。例えば、投資や貯蓄に大きな負のショックが生じた場合、 ショックが消滅してもしばらくは金利を低めに維持することが最適となる。 通常のテイラー・ルールでは、金利設定が過去の金利に依存しない(前掲(3) 式)。しかし、中央銀行は実際には、過去の金利を引きずった形で金利設定してい るとされる(拡張テーラー・ルール)。 * * * * 1 ) ( ) ( − + − + ⋅ + + = t t t t r x x i i π α π π β γ (7) 金利設定を過去の金利に依存させる政策ルールは、民間部門が合理的期待を持

つモデルでは、極めて有効に働く2(Rotemberg and Woodford, 1999 及び木村・

種村, 2000)。これは、短期金利が低下すると、将来の短期金利もずっと低く維持 されるという期待が生じ、長期金利が大きく低下するためである。つまり、期間 構造についての期待理論を前提にしているともいえる。 ここで重要なのは、将来の金利に対するコミットメントであり、金利の粘着的 な変化は、コミットメントを確実にする役割を持つ。 ただし、民間部門が合理的期待を持たないモデルでは、拡張テイラー・ルール では経済が不安定化する可能性がある(Taylor, 1999)。これは、過去の金利に引 きずられすぎると、政策が後手後手に回ってしまうためである。 (3)名目金利のゼロ制約と過去に依存した政策 1期前の金利に依存する拡張テイラー・ルールは、1期前に金利が適切に設定 2 木村・種村(2000)では、フォワード・ルッキング的な政策ルールの有用性が強調されているが、その場合で も 、 純 粋 に フ ォ ワ ー ド ・ ル ッ キ ン グ な 政 策 ル ー ル で な く 、 過 去 の 金 利 に か な り 依 存 し た ル ー ル の 方 が 望 ま し いとの結果になっている。

(9)

されていたことを前提とする。しかし、金利のゼロ・フロアーに引っ掛ってしま った場合には、明らかに1期前の金利は高過ぎる。したがって、金利のゼロ制約 がなくなる時点でテイラー・ルールに従って金利設定すると、金利は高く維持さ れてしまうことになる。 そ こ で 、 よ り 明 示 的 に 過 去 の シ ョ ッ ク に 依 存 し て 金 利 を 設 定 す る 政 策 (history-dependent policy)は、金利のゼロ制約による困難を回避する上で有効 といえよう(Woodford, 1999a)。ゼロ金利制約がなくなってもしばらくは金利を 低く維持すると宣言することにより、民間部門の将来の生産やインフレについて の期待を上方に偏らさせることができる3(第8−2図(a)4)。 なお、日銀が99 年 4 月以降、「デフレ懸念が払拭されるまではゼロ金利政策を 継続する」とコミットメントしたことは、従来あまりみられなかった「時間軸を 通じた金利政策」としてそれなりに革新的であったとはいえよう。しかし、デフ レに落ち込んでいる間だけのコミットメントでは、ほとんど有効性を期待できな い。経済がデフレとなり望ましい名目金利の水準がマイナスになった場合、ゼロ 制約下で最大限引き下げることができるゼロにまで金利を低下させたというに過 ぎないからである。その時、デフレから脱却した後もゼロ金利政策続けるとコミ ットすれば、将来の短期金利が長期間低いままで維持されるという期待が生じ、 長期金利を大きく低下させることができる。期待に働きかけることによりゼロ金 利制約を克服しようという観点からは、デフレ脱却後の短期金利に対してコミッ トメントを行うことが重要である。 (4)将来金利へのコミットメントの実際上の論点 ただし、将来の短期金利のコミットメントをした場合、民間がフォワードルッ キングな行動をしなければ、効果がないばかりか、経済はかえって不安定化する おそれもある。よほど中央銀行の行動様式について、民間部門に織り込ませる手 段を工夫していく必要があろう。先に述べた金利のスムージング行動は、中央銀 行の過去の行動パターンに則っているだけクレディブルでもある。ただ、中央銀 行の裁量で政策ルールが変更される可能性は排除できない。また、金利スムージ ングと機動的な金融政策のバランスをとる必要があろう。なお、ちょっと珍しい 提案としては、Tinsley(1998)が金利先物を通じたコミットメントを検討している。 次に、過去に依存した金利政策も、何らかの規律がなければ容易に「調整イン フレ論」に転化する。過去に大きなマイナスのショックがあったから低金利を維 持するというだけでは、ずるずると金融緩和を続けることになりかねない。この

3 Reifschneider and Williams(1999)は、アメリカ連銀モデルを使ってこうした政策が有効であることを示し

た。

(10)

辺りの歯止めをどうするかは、大きな問題である。 以上のような難点に対応して最適な政策を実現する一つの可能性として、金利 政策を価格水準とリンクさせる価格水準ターゲットが提案されている(Woodford, 1999a)。定義により、インフレ率は価格水準の差分であるから(

π

t+1

p

t+1

p

t

)

、 最適条件(5)式[ t+1|t + (xt+1|txt|t1)=0 κ λ π ]を達成するためには、次のように生

産と物価の関係を維持すればよい(Clarida, Gali, and Gertler, 1999)。

pt+1|t + xt+1|t =0 κ λ (6) よって、経済にショックが生じて価格水準が目標水準を下回った時、現実の価 格水準が目標水準を下回っている間は、高めのインフレ率を許容する。しかし、 経済が目標価格水準に到達したら、それ以降は当初の目標インフレ率を達成する (第8−2図(b))。このように、価格水準と関連付けることにより、過去のショ ックを政策ルールに組み込み、かつ、金融政策の規律を確保しようという試みで ある。 なお、念のために注意しておくと、上記のような過去に依存する金融政策は、 政策ルールとして有効性を発揮するものであって、デフレに陥る前に採用してこ そ、デフレ時に人々の期待を通じて実体経済に働きかけることができる。金利の ゼロ制約に引っ掛ってから慌てて宣言しても、信認を得られない。また、既に経 済がデフレの出口に近づいた時に採用して有益かどうかは不明である。

(11)

第8章補論:最適な金利政策

以下のモデルは、Svensson and Woodford(1999)による。

t

π

をインフレ率、

x

tを生産ギャップとする。ある変数の t+1 期の値のt期にお ける期待値をzt+1|tのように表す。βは時間選考率である。 1. 政策目標 中央銀行の目標関数

[

]

= −

+

0 0 2 2

2

1

t t t t t t t

x

E

β

π

λ

(2.1) 2. 経済構造 総供給曲線 πt+1 =βπt+2|t +κxt+1|t +ut+1 (2.2)

u

t+a

=

ρ

u

t

+

ε

t+1 (2.3) 総需要曲線 xt+1 = xt+2|tσ(it+1|tπt+2|trtn+1) (2.4) +1 = ⋅ + t+1 n t n t r r ω η (2.5) この経済は、フォワード・ルッキングな行動をする。まず、現在のインフレは 将来の生産の予想に依存する。(2.1)式を将来に向けて繰り返し代入して、

[

1 | 1 |

]

0 1 t it t it i i t

x

++

u

++ ∞ = +

=

β

κ

+

π

(2.6) 次に、現在の生産は将来の実質金利の期待に依存する。(2.4)式を将来に向けて 繰り返し代入して、

(12)

(

1 | 2 | 1 |

)

0 1 n t i t t i t t i t i t

i

r

x

++ + + ++ ∞ = +

=

σ

π

(2.7)

3. クレディビリティのない場合の最適な政策ルール:Clarida, Gali, and

Gertler(1999)による クレディビリティがなければ、中央銀行は民間経済主体の予想に影響を与える ことはできない。したがって、政策選択に当たっては、民間部門の将来期待を所 与として、毎期毎期の最適化を行うことになる。すなわち、 min − ( t + xt )+Ft 2 1 π2 λ 2 s.t.

π

t

=

κ

x

t

+

f

t 制約条件に係るラグランジュ乗数を

φ

tとすると、最適化のための1階の条件は、

π

t

ϕ

t

=

0

λ

x

t

+

κ

ϕ

t

=

0

よって、最適な政策は、次の関係を充たす。 t =− ⋅xt κ λ π (2.8) 4. ク レ デ ィ ビ リ テ ィ の あ る 場 合 の 最 適 な 政 策 ル ー ル :Svensson and Woodford(1999)による 総供給関数(2.2)の制約の下に、目標関数(2.1)を最小化する。政策選択に当たっ て、(2.2)が唯一の制約で、(2.4)は考慮しなくてよい。何故ならば、(2.2)からイン フレとアウトプット・ギャップが決まり、それと整合的な金利が(2.4)から決まる。 ラグランジュ関数を次のように設定する。

[

]

(

)

∞ = + + + + + + + − +

+

+

+

+

0 0 0 1 2| 1| 1| 1| 2 | 1 2 | 1 1

2

1

t t t t t t t t t t t t t t t t t t

E

x

x

u

L

β

π

λ

ϕ

β

π

κ

π

(2.9) 1 階の条件

(13)

πt+1|tϕt+1+ϕt =0 (2.10) λxt+1|t +κϕt+1 =0 (2.11) (2.11)から

ϕ

tを(2.10)に代入して、最適な政策におけるインフレとアウトプッ ト・ギャップの関係を得る。 t+1|t + (xt+1|txt|t1)=0 κ λ π (2.12) (2.12)およびそれを 1 期進めたものを総供給関数(2.2)に代入して、

(

+1| |1

)

(

+2|

+1|

)

+

+1|

+

+1

−

=

x

t t

x

tt

x

t t

x

t t

κ

x

t t

u

t

κ

λ

β

κ

λ

整理して、 1 1| 1 0 2 | 2  + − =    + + − ⋅xt+ t xt+t xt λut+ κ λ κ β β よって、

)

1

(

2

λ

β

κ

λ

α

+

+

とすると、 ⋅xt+2|txt+1|t + xtut+1 =0 λ κ α α αβ (2.13) この差分方程式の解を、次のように推測する。 xt+1|t =δxt +µut+1 (2.14) (2.14)を 1 期進めると、 xt+2|t+1 =δxt+1|t+1+µut+2 =δxt+1|t+1+µ⋅[ρut+1|t+1+εt+2|t+1] これらを(2.13)に代入して、t期についての期待値をとると、

(

1

)

1|

1

=

0

+

+

x

t+ t

x

t

u

t+

λ

ακ

αβρµ

α

αβδ

よって、

0

1

1

1

1 | 1

=

+

=

+ + t t t t

x

u

x

λ

ακ

αβρµ

αβδ

αβδ

α

(2.15) (2.14)が(2.13)の解であるためには、(2.14)と(2.15)が恒等的に等しくなければ

(14)

ならない。対応する係数を等しく置くことにより、

αβδ

α

δ

=

1

(2.16)

=

λ

ακ

αβρµ

αβδ

µ

1

1

(2.17) (2.16)は次のような 2 次方程式となる。

αβδ

2

δ

+

α

=

0

この2 次方程式の絶対値で1より小さい根が、安定根である。 αβ β α δ 2 4 1 1− − 2 = また、(2.17)は、

αβδ

α

δ

=

1

を使って、

λ

κδ

δβρµ

λ

ακ

αβρµ

α

δ

µ

=

=

であるから、

)

1

(

δβρ

λ

κδ

µ

=

よって、 1| 1

)

1

(

+ + t

=

t

t t

x

u

x

δβρ

λ

κδ

δ

(2.18) これを総供給関数に代入して、πt+1|tを求めることができる。

(

)

)

1

(

1| | 1t t t t t t

u

u

=

+ +

δ

π

δ

δβρ

π

(2.19) (2.18)及び(2.19)を無限の過去に遡って代入を繰り返すことにより、Svensson and Woodford(1999)のいう"timeless perspective" からの最適解を求めることが

できる(

lim

=

0

∞ → t n n n

δ

x

と仮定する)。この時、

u

t+a

=

ρ

u

t

+

ε

t+1も利用して、

x

t t

x

t

u

t

=

+

ρ

δβρ

λ

κδ

δ

)

1

(

| 1

(15)

1 1 1

)

1

(

)

1

(

− + −

=

x

t

u

t

λ

δβρ

u

t

κδρ

δβρ

λ

κδρ

δ

δ

x

t

u

t

u

t

u

t

)

1

(

)

1

(

)

1

(

2 1 2 2

δβρ

λ

κδρ

δβρ

λ

κδρ

δ

δβρ

λ

κδρ

δ

δ

=

を繰り返していって、

∞ = − +

=

0 | 1

)

1

(

j j t j t t

u

x

δ

δβρ

λ

κδρ

(2.20) t t+1| π についても同様に代入を繰り返して、      − − − − =

∞ = − − + 1 1 | 1 (1 ) ) 1 ( j j t j t t t δβρ u δ δ u δρ π (2.21) 最適な金利設定ルールは、総需要関数(2.4)において、望ましいインフレとアウ トプット・ギャップと整合的な金利である。(2.4)の条件付き期待値をとって、金 利について解けば、 it+1|t =rtn+1|t + t+2|t + 1(xt+2|txt+1|t) σ π (2.22) 先にみたように、望ましいインフレとギャップの関係は、(2.12)式で表される: 0 ) ( 1| | 1 | 1 + + − − = + t t t tt t κ x x λ π 。これを(2.22)式に代入すると、 n t t t t t t r i+1| = +1| + − π +2| λσ κ λσ これに均衡インフレ率(2.21)を代入して、次のような最適な金利政策が得ら れる。      − − ⋅ − − + ⋅ =

∞ = − − + 0 1 * 1 (1 ) ) 1 ( j j t j t n t t r u u i ρ δ δ δβρ δρ λσ κ λσ ω (2.23) なお、(2.23)では、金利は外生変数にのみ依存するので、indeterminacy の問

題が生じる。そこで、Svensson and Woodford(1999)では、次のように過去の内 生変数の値にも依存する金利政策を最適政策の近似として検討している。

(16)

[ 1| ( 1| | 1)] * 1 1 + + + − + = t + ⋅ t t + t ttt t i g x x i κ λ π (2.24) なお、最適な金利政策を価格水準ターゲティングと関連付けることもできる (Clarida, Gali, and Gertler, 1999)。

定義により、インフレ率は価格水準の差分であるから(

π

t+1

p

t+1

p

t

)

、 最適条件(2.12)[ t+1|t + (xt+1|txt|t−1)=0 κ λ π ]を達成するためには、次のように生産と 物価の関係を維持すればよい。 pt+1|t + xt+1|t =0 κ λ (2.25)

(17)

参考文献 木村武・種村知樹「金融政策ルールとマクロ経済の安定性」日本銀行調査統計 局Working Paper 00-8, 2000 年。 齋藤誠「昨今の金融政策について」第 12 章、岩田規久男編著『金融政策の論 点』東洋経済新報社、2000 年。 渡辺努「ゼロ金利下の政策コミットメント」第 11 章、岩田規久男編著『金融 政策の論点』東洋経済新報社、2000 年。

Clarida, Richard, Jordi Gali, aned Mark Gertler, The Science of Monetary Policy:A New Keynsian Perspective, Journal of Economic Literature, 1999.

King, Robert, and Alexander Wolman, What Should the Monetary Authority Do When Prices Are Sticky? in John Taylor, ed., Monetary Policy Rules, University of Chicago Press, 1999.

Krugman, Paul, It's Baaack! Japan's Slump and the Return of the liquidity Trap, Brookings Papers on Economic Activity, 1998:2, pp.137-187.

Reifschneider, David, and John Williams, Three Lessons for Monetary Policy in a Low Inflation Era, Working Paper, Board of Governors, Federal Reserve system, September 1999.

Rotemberg, Julio, and michael Woodford, Interest Rate Rules in an Estimated Sticky Price Model, in John Taylor, ed., Monetary Policy Rules, University of Chicago Press, 1999.

Svensson, Lars, Inflation Targeting as a Monetary Policy Rule, Journal of Monetary Economics, vol.43(1999), pp.607-654.

Svensson, Lars, and Michael Woodford, Implementing Optimal Policy through Inflation-Forecast Targeting, Working Paper, Institute for International Economic Studies, Stockholm University, 1999.

(18)

Taylor, John, Introduction, in John Taylor, ed., Monetary Policy Rules, University of Chicago Press, 1999.

Tinsley, P. A., Short Rate Expectations, Term Premiums, and Central Bank Use of Derivatives to Reduce Policy Uncertainty, Working Paper, Federal Reserve Board, September 1998.

Woodford, Michael, Commentary:How Should Monetary Policy Be Conducted in an Era of Price Stability, paper presented at the conference, New Challenges for Monetary Policy, held by the Federal Reserve Bank of Kansas City, August 26-28, 1999a. [Available at www.princeton/~woodford]

Woodford, Michael, Optimal Monetary Policy Inertia, NBER Working Paper No.7261, 1999b. [Available at www.princeton/~woodford]

Woodford, Michael, Price-Level Determination under Interest Rate Rules, chp.2 , Interest and Prices, book manuscript, April 1999c. [Available at www.princeton/~woodford]

(19)

第8-1 図 インフレション・ターゲティングと最適な政策

π

最適なインフレと サプライ・ショック後 生産の組み合わせ C サプライ・ ショック前

B A

x

(20)

第8-2 図 履歴に依存した金融政策(History-dependent policy) (a) 名目短期金利 履歴に依存す る金融政策

t

1

t

2

t

3

t

4 金利のゼロ制約が ない場合の経路 (b) 価格水準 目標価格水準 インフレ・ 履歴に依存する ターゲット 金融政策

t

1

t

2

t

3

t

4

(21)

ワークショップの概要 1.日時 : 平成 12 年 6 月 30 日(金) 14:00 ∼ 16:00 2.場所 : 経済研究所会議室(712 号室) 3.報告者 : 杉原 茂 主任研究官,三平 剛 研究官 高橋吾行 委嘱調査員,武田光滋 委嘱調査員 4.報告テーマ : 金融政策の波及経路と政策手段 − 金利,量,期待 − 5.討論者 : 齋藤 誠 大阪大学経済学部助教授 塩路悦朗 横浜国立大学経済学部助教授 6.他出席者 : 加藤研究所次長,法専総括主任研究官 7.配布資料 : 報告書「金融政策の波及経路と政策手段 − 金利,量,期待 −」 レジュメ「金融政策の波及経路と政策手段」 斉藤助教授のコメント 8.コメントの概要: (齋藤誠1 ○ 報告書の内容が多岐にわたるのでテクニカルな点は省略し、展望的なコメントの み述べたい。 ○ 90 年代後半に従来型のコールレート調節,マネーサプライ調節が効果を示してい ないという明確な問題意識に基づき、金融政策に関わる現状を極めて包括的に議 論し、問題の所在を良く整理している。 ○ 気になった点として、金融政策が実体経済に効果を持つ波及メカニズムが明確に 具体化されていない。例えば、 • 長期金利 ⇒ 資本調達コストを通じた経路 • 短期金利 ⇒ 貨幣保有コストを通じた経路(これは論文の随所で強調されてい る) • 信用供与のエージェンシー・コストを通じたクレジット・チャンネル などが通例議論される。 ○ 量的金融政策とゼロ金利政策の政策的評価については説得的に議論している。 ○ 加えて、市場の期待形成と中央銀行のコミットメントの役割についても議論して いる。 ○ 現状を分析する上では、旺盛な貨幣需要により物価と貨幣供給の関係が薄れ、物 価水準がマネー・マーケットや労働市場の需要と供給に関する情報を集約する機 1 コメントの詳細については、ワークショップ席上で配布された別添を参照。なお、その中のモデル及び

インプリケーションは、Nakashama, Kiyotaka, and Makoto Saito, Strong Money Demand and Nominal Rigidity:Exidence from the Japanese Money Market、未定稿、June 2000 に基づく。

(22)

能を持たなくなってしまったことを考慮する必要がある。貨幣需要の取引外部性 が強い場合など、貨幣需要の金利弾力性が無限大となる状況では、物価水準は硬 直的かつ非決定となり、情報集約機能を失う。物価が情報集約機能を持たなくな れば、物価が短期金利を操作する政策(テイラー・ルール)の指針にならなくな った。また、日銀がゼロ金利政策解除の条件として「デフレ懸念の払拭」を挙げ ているが、物価が情報を集約しないのであれば、この条件も意味をなさない。 ○ 旺盛な貨幣需要の下で生じる名目硬直性は、以下のような政策的インプリケーシ ョンを持つ。 イ)コールレートを制御する政策の限界: 市場間の裁定機能を金融機関が持た なくなったため、短期金融市場でも市場の分断が生じ、コールレートから長 期金利への波及が生じなくなってしまった。このため、日本銀行自らが、超 短期の売りと短中期の買いというオペレーション・ツイスト的な対応により、 本来民間銀行が果たすべき金融仲介の役割を担うこととなった。こうした対 応は、「買いオペで資金を出しながら売りオペで吸収するのでは、日銀は流 動性を積極的に供給していないのではないか」といった批判を呼んだが、市 場の分断が生じている場合には、流動性の総量よりも市場間の配分を制御す ることが重要となる。 ロ)マネーサプライを制御する政策の限界: 物価水準とマネーサプライの関係 が薄まったため、マネーサプライを増加しても期待インフレ率が変わらず、 実質金利の低下に結びつかなくなった。金融機関の機能不全の問題は、必ず しも流動性の総量などのマクロの要因によるものではなく、金融機関の財務 体質などのミクロの要因によるものであった。 ハ)期待形成への働きかけと政策的コミットメント: 日本銀行は、他の中央銀 行にも例のないほどコールレートの精密な制御に関心を払っているが、一方 で金融政策の波及メカニズムについては関心が低かった。しかし、中央銀行 が金融政策の波及経路のイメージを示すことは、市場の期待を集約させ、意 図する経済の経路を実現させる上で重要である。従来は、波及経路について は沈黙して政策の裁量性を確保し、政策変更のサプライズを起こすことで政 策の実効性を持たせることを企図していたが、物価水準が非決定となってい る現状ではかえって逆効果である。ゼロ金利政策の実施時点で、将来の物価 の経路,およびその経路上で政策転換を図るタイミングについて事前にアナ ウンスし、非決定となっている物価の期待を集約させるアンカーを示す必要 があった。 (塩路悦朗) ○ 最近の金融の状況については、私自身気になっていた点がいくつかあったが、本

(23)

報告は包括的な議論がされており、そうした点にも触れられていたので、参考に なった。 ○ 全体を通じて感じたことは、貨幣に限ったことではないが、第3 章の通貨需要の 分析や、第7 章の構造 VAR など、やはり貨幣の需要と供給の識別は難しいとい うことである。 ○ 第2 章の信用乗数についてであるが、経済理論の方でも、例えば現金需要につい てはCash-in-Advance モデルなどの精緻化がされる一方、信用乗数については、 最近の信用乗数の動きは重要であるにも関わらず、精緻な研究は進んでいない。 その点で、現状がどうなっているのかを考える良い機会となった。惜しむらくは、 それはそれでInformative なのだが、バランスシート上の分析で終わっていて、 経済主体の行動を考慮した均衡の分析まで踏み込んでいないことである。ただし、 これは我々経済理論学者の仕事であろう。それを考える上でヒントとなったのは、 信用創造の経路が貸出⇒マネーサプライという単一のものではなく、複数存在し て、それぞれが安定性等の性質が異なるということである。資金がどこをどう流 れているのかを考える必要がある。 ○ 第3 章の通貨需要の分析については、その不安定性を強調しているが、私はむし ろ意外に安定しているのではないかという印象を持った。というのは、長期的関 係を示す共和分が貨幣需要を表すというのは納得でき、それが比較的安定してい るとの結果になっているのに対し、不安定性を示しているという短期のエラーコ レクション・モデルは、必ずしも貨幣需要と貨幣供給を識別できていないのでは ないかと思うからである。金利が有意に正に効いているというのは、むしろマネ ーの大きな変動を望まないためにマネーの拡大を金利上昇で抑えるという貨幣供 給側の影響が出ているのではないかと思う。 ○ 第4 章では、貨幣需要の無限拡大と貨幣需要のシフトとを分けて考えているが、 両者に政策的なインプリケーションの違いがあるのか。いずれにしても金利がゼ ロ以下になり得ないということであれば、違いはないのではないか。理論的に重 要なインプリケーションとしては、フリードマン・ルール(ゼロ金利)から乖離 した場合に生じる経済的損失の大きさが、ゼロ金利付近の貨幣需要の利子弾力性 に依存するから、その点の実証としての意味はあると思う。 ○ また、貨幣需要の非線形性を、エラーコレクションとマーシャルのk という 2 種 類のモデルで検討し、現金通貨のマーシャルのk モデルを除いて非線形性を棄却 しているが、実感としてはエラーコレクションよりもマーシャルのk モデルの方 がもっともらしいのではないか。エラーコレクションでは差分の形なので水準の 情報が失われ、貨幣需要関数の形状をうまく捉えられていないのではないかと思 う。 ○ マイナス金利の妥当性について、ある程度のマイナスまでならば現金保蔵の不便

(24)

性などから、預金からの流出は生じないのではないかと考えることもできるが、 そうした点からはWolman 型の推定は面白いと思う。 ○ 第 5 章については、私も金利の期間構造について VAR を用いて研究している。 そこでは、金融政策の影響が短期金利に大きく効くという点は変わらないが、長 期金利にも影響は小さいものの有意で効くという結果となっている。本報告との 結果の違いは、静学的なモデルか、ダイナミクスを考慮しているかという点によ るものと思う。 ○ 第6 章は、意欲的な分析ではあるが、マクロで推定された倒産確率にミクロの財 務データを当てはめている点について、やはりミクロに踏み込んだ推定をしない と難しいと思う。 ○ 第7 章では、インパルス応答の点推定のみで、信頼区間が示されていないが、こ れでは例えば価格パズルがどの程度シリアスな問題か判断できない。確かに同時 決 定 の モ デ ル で は イ ン パ ル ス 応 答 の 信 頼 区 間 を 推 定 す る の は 難 し い が 、 Block-Recursive なモデルなら標準的なアプリケーションで計算できるはずであ る。 ○ また、長期制約と短期制約を組み合わせてみるのも良いと思う。 9.報告者からのレスポンス: (齋藤コメントについて) ○ 確かに個々の波及経路について具体的に取り上げてはおらず、その点は至ってい ないと思う。 ○ お示しいただいた貨幣需要の拡大と物価の硬直性・非決定性のモデルとそのイン プリケーションについては、十分に検討して、どのように反映させるか考えたい。 ただ、本論文は主として貨幣需要の不安定性を分析しているので、それを物価の 非決定性とをどう関連づけて理解できるか、検討していきたい。 (塩路コメントについて) ○ 信用乗数の分析は、おっしゃるとおり均衡分析まで踏み込んでいない。ここでは、 さしあたり、現実から得られるFinding ということで位置付けたい。 ○ 第4 章の貨幣需要の非線形性からどのような政策的インプリケーションが得られ るかという点に関しては、我々の中でも議論があったところであり、あまり違い はないのかも知れない。ただ、少なくとも、貨幣需要関数がシフトしているので あれば、金利政策が有効であるということは言える。金利が下がらない中で量だ け増やしても、通常の債券オペでは等価物の交換に過ぎないから、政策効果があ るのかどうかは別の問題であるが、その点の検討は本文中でも述べているとおり である。 ○ 貨幣の需要と供給の識別は確かに難しい問題であり、第7 章の構造 VAR の分析

(25)

でもうまく識別できているかどうかははっきりとは言えない。第3 章におけるエ ラーコレクション型の短期貨幣需要関数の推定においても、識別条件についての 良いアイディアが浮かばなかったこと(貨幣供給も貨幣需要と同じく産出量や金 利に反応すると考えられ、両者は同じ変数に依存することになると考えられる)、 不勉強ながら、貨幣需要関数の推定において供給側と厳密に識別して推定してい る例が見当たらなかったことなどから、識別の問題を無視して推定してしまって いる。これは、金融当局が通貨需要を完全にaccommodate している状況を a priori に想定していると考えてもらっても良い。 ○ インパルス応答の信頼区間については、確かにリカーシブなモデルについては容 易に計算可能なので、国内 WPI を含むブロック・リカーシブ・モデルが最も plausible であると主張するなら、その部分だけでも提示することとしたい。 10.フリー・ディスカッション: 塩路: 齋藤モデルでは、名目硬直性は取引外部性のパラメーターのみに依存すると 考えて良いか。 齋藤: 実際に名目硬直性をもたらすのは金利弾力性が無限となることであり、取引 外部性でなくとも金利弾力性を拡大させる要因があれば良い。 塩路: 斉藤コメントにあるように、金融機関の裁定機能が失われ、市場が分断され たという話は良く聞くが、その理由は何か。また、特に国債市場に関して良く 言われているが、本報告によるとスワップ金利についても裁定が働いていない ようである。国債市場以外でも市場の分断は生じたのか。 齋藤: ユーロ関係の市場は全て分断状態になった。これは、ユーロ市場のプレイヤ ーは有力銀行が主であり、銀行の事情が反映されやすい市場だからである。 塩路: 齋藤コメントでは、ゼロ金利政策の実施時点での事前のアナウンスメントの 重要性を指摘しているが。 齋藤: ゼロ金利では物価水準が非決定となるので、市場の物価水準の期待を政策に よりコンダクトする必要がある。例えば、アメリカの連銀などでは、政策決定 とともに、その政策により想定される経済の経路をアナウンスし、経済がその 経路をはずれない限りは政策変更をしないとのコミットメントをしている。こ れは、政策がその効果を現すまでにラグがあるため、その時間的反応経路を想 定しておかないと過度の緩和や引締めを行ってしまう傾向があり、それを防ぐ ことを目的とするものであるが、経済の経路に関する市場の期待形成において、 Leader としての役割を担っていると考えることもできる。 杉原: 物価水準が非決定になるとのことだが、過去の物価水準が期待形成のアンカ ーとなることはないのか。 齋藤: 過去の物価水準に収束するのも一つの合理的な解である。ただし、その場合

(26)

にも物価水準がマネーと関連なく硬直的となるのに違いはない。 齋藤: 金利が 0.08%で現金需要が無限拡大するとの結果を示されているが、これは、 例えば 0.25%に金利を引き上げれば物価の非決定問題が解決することを示し ており、ゼロ金利政策解除の合理性の説明となり得るのではないか。 杉原: 齋藤先生のモデルでは、将来の短期金利の期待へのコミットメントにより物 価の不決定性が解消するというメカニズムはあり得るのか。 齋藤: 将来の短期金利の期待に働きかける政策については、共著者の渡辺氏がやっ ている。ある期間の間ゼロ金利が維持されるということを織込んで長期金利が 低下するという効果が期待される。渡辺の計測では、物価が上昇を開始してか らも一定期間ゼロ金利を据え置くのが良いとの結果となっている。 塩路: 通貨種類別の需要関数の推定で、エラーコレクション項について M2 のもの を用いたとあるが、どういうことか。 三平: 共和分検定では、M2 については共和分が成立しているが、通貨種類毎には成 立していないとの結果となっている。ただし、M2 について共和分が成立して いるということは、M2 が長期均衡から乖離した場合に M2 全体としてはその 乖離を埋めるように動くということであるから、M2 内部の通貨種類ごとに見 た場合にも乖離の縮小に向かう力が働いていると考えられる。ここでは、そう した反応を見るために、通貨種類ごとの関数を推定する際にも、M2 の共和分 関係から得られるエラーコレクション項を加えている。 塩路: エラーコレクション・モデルを推定する際に、まず長期の共和分ベクトルを 推定し、次いでそれを組みこんだ短期のダイナミクスを推定するという2 段階 の手法を用いているようだが、そうであれば既に述べた識別の問題から、貨幣 需要を示すと考えられる長期の分析をより重視すべきではないか。その場合、 共和分ベクトルの推定に際し、金利が入っていないのは望ましくないのではな いか。 齋藤: エラーコレクション項が 2 期分入っているのは見たことがない定式化である。 どこか1 時点の分を入れれば、その後の反応はダイナミクスの中で推定されて くるはずである。また、同時点の変数を説明変数に加えているのもあまり見な いが、その場合同時決定の問題が生じるので、推定法を変える必要があるので はないか。 三平: ベクター・エラーコレクション(VEC)モデルを推定する際には、(誘導形で あるから)ご指摘のとおりラグつきの変数のみが説明変数となるが、ここでは 貨幣需要関数1 本のみを独立に推定しているので、同時点の変数が入るのは普 通だと思う。この場合、両先生のご指摘のとおり識別の問題が生じるが、ここ では日銀による通貨需要のaccommodate を暗黙に仮定して推定している。エ ラーコレクション項を2 期分含めたことに関しては、(VEC であれば、右辺に

(27)

通貨M のラグが入るので、ご指摘のとおり 1 期分のみ含めればその後の反応 がダイナミクスの中で推定されてくると思われるが、ここでは右辺にM のラ グを含めていないので、)1 期分しか含めないと、長期金利からの乖離の解消 がその時点でのみ生じるという制約をあらかじめ課すことになる。ここでは、 そうした制約を先験的に課すことはせず、複数のラグを含むより一般的なモデ ルから出発し、有意な影響が認められなければ落としていくという手順に従っ た。これは 1 つの合理的なモデル選択の手順だと思う。なお、吉田(1989) などにも同様の定式化が見られる。 塩路: 構造 VAR の分析で、金融政策効果の大きさに関する推定結果のロバストネス を確かめるために、変数の順序を入れ換え、金融政策関数を最後にして推定し ているが、この場合でも金融政策効果があまり大きくならないというのはある 意味で当然ではないか。金融政策関数を最後に置くということは、金利の変動 から当期の全ての他の変数の影響を取り除いた上で残るものを金融政策ショ ックとするということだから、その影響が小さなものになるというのは予期し 得る結果である。 三平: この点は、順序の入れ替えによって得られる金融政策ショックを、ご指摘の とおり「当期の全ての他の変数の影響を取り除いた残差」と考えるのか、それ とも金融政策関数が当期の他の変数への反応を含むことから、「当期の全ての 他の変数の情報も含まれるようになる」と考えるのか、良くわからなかったと ころである。ご教示いただき幸いである。 塩路: 貨幣需要の非線形性を強調しているのであれば、VAR においても非線形で推 定した方が整合性がとれるのではないか。 齋藤: 流動性の罠の検証で、片対数モデルと両対数モデルの比較を、決定係数や AIC を用いて行っているが、非ネストのモデル選択を検定する包括テストというも のがあるので、それを試みてはどうか。

(28)

『金融政策の波及経路と政策手段:

金利, 量, 期待』へのコメント

2000 年 6 月 30 日 大阪大学大学院経済学研究科 齊藤 誠

1 総括的なコメント

1.従来型のコールレート調節、マネーサプライ調節が当初予期した政策的 な効果を生み出してこなかった1990 年代後半の日本経済の状況を、き わめて包括的に議論している。(第 1 章) 2.問題の所在 (a)金融不安に起因する信用創造機能の低下(第 2 章) (b)金融不安に起因する流動性資産への需要の増大、流動性への逃避、流 動性資産の金利低下と非流動性資産の金利上昇(第 5 章、第 6 章) (c)金融機関の金融仲介機能(マーケット・メーキングとアービトラージ) の低下に起因する短期金融市場を中心とした市場の分断化、市場間裁 定の不活発化(第 5 章) (d)超低金利政策の下で、取引動機に基づく貨幣需要の顕著な増大、流動 性の罠(第 4 章) 3.踏み込むべき課題(第 3 章、第 7 章) (a)貨幣供給が実態経済に与える波及メカニズムが具体化されていない。 (b)実質長期金利==>資金調達コスト (c)名目短期金利==>貨幣保有コスト (d)クレジット・チャネル 4.量的緩和政策とゼロ金利政策の政策的評価 5.市場参加者の期待形成と中央銀行側のコミットメント(第 8 章)

2 旺盛な実質貨幣需要と名目価格の硬直性

・今次の金融政策を考える上で名目物価水準の硬直的な動きのメカニズ ムを考慮する必要がある。

参照

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