生存権論
著者
円谷 勝男
雑誌名
東洋法学
巻
32
号
1
ページ
163-193
発行年
1988-12
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003559/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja生 存 権 論
圓 谷 勝 男
一 二 三 四 五 目 次 はじめに 思想的沿革 制定経過と法的性格 判例の動向 おわりにかえて はじめに 昭和三〇年後半から四〇年代にかけての、いわゆる高度経済成長は、日本の経済、社会、文化等を大きく変貌させ たといえる。産業発展のなかで、工業化、都市化を生み、それに伴って国民所得の向上や都市的生活様式の拡大浸透 が進展した。一方、農村地域の過疎と都市地域の過密も進行して、いわゆる都市問題に象徴されるように、いくつか東洋法学
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一六四 の社会問題も発生した。その意味では高度経済成長は、日本列島の各種分野に﹁光﹂と﹁影﹂を同時進行させた経過 内容ともいえよう。とりわけ、後者の﹁影﹂の部分は、公害の深刻化に始まり、さらに地域社会の人間的結びつけを 弱めたばかりか、家族の核家族化や女性のパートタイマーの増加等を発生させて、日本の福祉を底辺で支えていた家族 や地域の機能を崩壊させていった。しかもこれらの推移は複雑な構造と相互に連動した関係から発生していたので、 従来の社会福祉の理念では解決できないところから発想の転換が迫られて、昭和四八年の田中内閣によって、いわゆ る﹁福祉元年﹂が標榜されたことは周知の通りである。すなわち、従来の物質的貧困を克服する生存権の保障に加え て、さらに快適生活環境のもとで生活を享受できる環境権等の、いわゆる新しい人権等をフォローする社会政策を一 つの代表的例として、広い立場からの社会保障の見直しが提示されたのである。それはある意味では福祉国家を宣言 した現憲法の国家体制のプラス・シンボルとしての新しい船出であったといえよう。しかしながら同年秋には、不幸 にも第一次オイル・ショックが到来して、経済成長が鈍化し、それに伴って国家財政も大幅な赤字を生み、その面か らも福祉元年は実質的に幻想化していったことも周知の事実である。皮肉にもこの年を契機に、従来の高度経済成長 政策は、低成長のそれに軌道修正され、しかも福祉政策は掴制、緊縮化の方向に政策転換されていったことは記憶に 新しいところである。 とりわけ、昭和五〇年代に入ると、いわゆる行政改革が推進されるなかで、従来の社会保障は、総花的福祉と批判 がなされて、その見直しが進められるようになった。ばら撒き、無料の福祉から、 ﹁活力ある福祉﹂社会の建設とい う美名のもとに、自立自助の思想を主柱にして、家族、近隣、そして企業等が連動して、いわゆる私的扶助システムの構想強化に目標の視点が置かれるようになる。これらの潮流は、今までの公的福祉、国家行財政中心の西欧型福祉 ︵王︶ 思想から離脱して、いわば日本型福祉への創設の試みともいえよう。また、これ等の発想は、従来の国民の国家に ︵2︶ 対する権利を基軸とした制度的展開からの大きな転換でもあるといえよう。換言すれば、これ等の転換はある意味で は、戦後の社会保障政策が、憲法二五条の生存権の保障を根幹にしながら、同一三条の快適生活権を平等に保障︵同 一四条︶しようとしてきた理念大系を大幅に修正する動きでもあると見ることもできよう。 これらの動きは、日本に限らず先進国に共通した現象であり、いまや福祉は、国家経済に過重な負担をかけるとし て、逆に国家のマイナス・シンボルとしてその克服の試練に立って困難な時期に来ているともいわれる。しかしなが ら、これらの動きを考えても、日本に限ってみれば、戦後から転換期までの憲法二五条の生存権を頂点として主導さ れてきたその歩みを消極的に評価した上での理念転換であってはならないといえよう。 周知のように、戦前の社会保障は恩恵的かつ無権利で、給付も貧弱なものであったことはよく語られるところであ る。しかも、その機能は本来的には、親族相救であることが、日本古来からの醇風美俗であるという社会思想が支配 していたとも言われる。これらを考えると今こそ憲法二五条の生存権を中心とした戦後の社会福祉の歴史とその理念 の原点とを見直してみる必要があろう。確かに、社会保障制度の前進は、立法機関の現実に対応した諸制度の法制化 の推進とともに、それを裏づける財政の承認化が伴って現実的に本来的意味をもつ。その立場からすると、財政との 関連で生存権実現の可能性も検討しなければなるまい。しかしながら、現代立憲国家における政治的基本理念は、一 面では、その憲法が明示した人権のありようを探究する作業を通して、その人権の保持する重みをいかにキープする
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一六六 かにその使命の鍵は保持されているといえよう。そのような側面から、本稿では生存権の思想的沿革を概観した上 で、それが日本の憲法ではどのような法的性格を持つと考えられているのかを、学説と裁判事例を通して論究した い。そしてそれと同時に転換期にあるとされる福祉政策のなかで、その権利はどのような課題をもっているのかも併 せて考察してみたい。 ︵1︶ ︵2︶ 例えば、昭和五二年の﹃厚生白書﹄︵一四一頁以下︶では、高齢化社会の入口に立つ社会保障の指針として、資本人の資産 ともいうべき親密な家族関係をいかす方向で、﹁老親扶養﹂や﹁老親と子の同居﹂の立場から、家族の社会保障代替機能の在 り方が示されている。また同年に策定された﹃新経済社会七力年計画﹄でも﹁欧米先進国に範を求めつづけるのではなく、 新しい国家社会を背景として、個人の自助努力と家庭や近隣、地域社会等の連帯を基礎としつつ、効率のよい政府が適正な 公的福祉を重点的に保障するという自由経済社会の持っ創造的活力を原動力としたわが国独自の道を選択創出する、いわば 日本型ともいうべき新しい福祉社会の実現を目指す﹂としていることはそれを物語っているといえよう。 佐藤進教授は﹁第二次臨時行政調査会の各種答申は、社会保障、社会福祉の制度改革を明示しているが、そこには権利と いう用語を見ることができないことは極めて示唆的である﹂と指摘している︵同﹁変動期の社会保障・社会福祉の今後の課 題﹂法律時報五九巻一号四頁︶。 二 思想的沿革 これより考察の対象とする生存権という権利が、一つの新しい人権として憲法上規定されたのは、ドイッのいわゆ るワイマール憲法であることはあまりにも有名なことである。すなわち同憲法一五一条一項は、﹁経済生活の秩序は、 すべてのものに人間たるに値する生存を保障することを目的とする正義の原則に適合しなければならない﹂と謳っている。同条文をみるところ、直接的にはこの権利が明示されていないが、﹁人間たるに値する生存﹂︵響窪零ぽp壌黛鉱蒔霧 U霧oぎ︶がこの権利を意味すると理解されていることは周知の通りである。従来の憲法にみられる自由権のように、 国家からの自由とは異質で、逆に国家権力の積極的な関与によって実現される新しい人権とされる。一九一七年の同 憲法によって初めて登場したところから、いわゆる二〇世紀的人権とも言われるが、その思想の源はすでに、一八世 紀の市民革命期に萌芽していることは見逃すことはできまい。 例えば、フランス革命後の﹁フランス憲法﹂︵一七九一年︶では、﹁捨子を養育し、病弱な貧者を助け、健康で仕事 のない者には、労働を与えるために、公的救済の施設が設けられ組織される﹂ ︵第一編︶と規定して、いわゆる生活 困窮者に対する、国家の積極的責務を課しているし、また、同人権宣言︵一七九三年︶でも﹁公の救済は、ひとつの神 聖な負債である。社会は、不幸な市民に労働を与え、かつ労働することができない人達の生存を確保するために、こ れらの人達の生計を引きうける義務を有する﹂ ︵二一条︶と講って、国家の生存権的保障の義務を掲示している。し かしながら、ここでいう国家の義務は、今日いう生存権の国家的責務規定と一側面において性格を異にしていること にも注目しなければなるまい。すなわち当時は、あくまでも個人の自由競争が万人の利益をもたらすという思想に立 脚して、経済的自由権が完全に認められていたし、その責務はあくまでも、その弊害を補充する国家の従的義務と理 ︵王︶ 解されていたからである。この点で国家の救済政策を通じて、経済的不平等性を克服しようとした考えが一般的であ ったなかで、﹁所有権に対して生存権の優位﹂を主張した、ロベスピエールの思想は特筆できよう。すなわち彼は、一 七九三年の国民公会に提出した人権宣言のなかで、﹁主要な人権は、自己の生存の維持に備える権利及び自由である﹂
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一六八 ︵二条︶として、生存する権利の重要性を確認しながら、一方では、﹁所有権は同胞の安全、自由、生存ならびに所有 を侵害することはできない﹂︵八条︶としている。この思想に流れているものは一面では、夜警国家観から福祉国家観 ︵2︶ への転換のなかで萌芽した今日的生存権思想の源流と読みとることもできよう。これらの先駆的思想の歩みも、革命 動乱があいつぐなかで実質的には陽の目を見ずに終ったことは周知の通りである。しかしながら、革命思想家が残し たその理念は、デュギー︵蒙8Uq陰詳︵扇紹∼お鵠︶ の社会連帯理論として開花していったことは注目されよう。 一九世紀の後半に、社会政策の立法化が推進されるなかで、その理論は一定の現実味を得てくる。すなわち、彼によ ると、人闇とは社会連帯のなかで生きる存在であり、その意味でも法体系は社会相互依存に立脚した理念の上に構築 されることが望ましいとした。従って、公的扶助、教育、労働等に対して国は連帯義務を負う。また所有権について も、単に所有権者の主観的権利として認識するのではなく、客観的には社会的機能を含む権利として解することが望 ましいと考えた。これらの思想を突き詰めていくと、国家の積極的関与によって社会保障を充実して、全ての国民の 生存権を保障しようとする福祉国家の地下水の源流とも理解できるし、さらにその思想の延長上には、国家に対して ︵3︶ その責務の履行に基づく国民の給付請求権等を含む理論と理解されていることは妥当といえよう。 これらのフランスの動きとともに、オーストリアの法学者メンガー︵︾嘗8竃Φ畠R︵鵠a∼お8︶︶の主張も忘れ てはなるまい。社会主義的思想に裏づけられた、その思想では、法的要請として経済的基本権を提唱している。ここ でいう経済的基本権は、生存権︵菊①。浮磐︷国図韓①嚢︶と全労働収益権︵菊①o窪動焦伽臼︾箭簿霧①鋒お︶そして労働権 ︵4︶ ︵ヵ9窪磐騰︾魯魯︶の三者をもってその権利は構成されると説いているが、とりわけ生存権については、各人は生存に必要な物財を要求しうる権利を意味するとともに、労務に対応してそれを要求する内容を含むとする。これらの メンガーの志向する、労働の機会提供や労働収益の配分、さらに生活困窮者等に配慮した権利は、今日の生存権へ結 ︵5︶ びつく啓蒙的理論として、高い評価をうけているが、しかしながら、その見解を見る限り、労働者や貧困者への法的 利益の配慮に視点が置かれた理論であり、現代国家の生存権に共通して認識される、基本的人権の要としての観念が 欠けており、その意味では時代的限界をもっていたといえよう。 いわゆる市民革命より、一九世紀までの、主たる生存権的思想を概観してきたが、これら生存権に関する各種思想 を母体としながら、二〇世紀に入ると各国の人権宣言の中に、伝統的な自由、平等等の人権に加えて、生存権的条項 が採用されていったことは周知の通りである。とりわけそれを触発したのは、一九一七年のロシア革命であり、そこ での人権の社会化の思想が、各国の人権条項に強い影響を及ぼしたことはいうまでもない。その代表的憲法が、前述 ︵6︶ したワイマール憲法である。同憲法の第二編第五章の二五一条から一六五条﹂がそれに該当する。すなわち前述し た、一五一条で、いわゆる生存権を明示した上で、その権利保障を確かなものにするために、私有財産権の公共の福 祉に基づく制限を定め︵一五三条三項︶、さらに労働者の団結権︵一五九条︶労働力の保護︵一五七条︶経営参加権 ︵一六五条︶等を定めて、労働に関する社会権的条項を設けている。 このように歴史的に重要な意義をもつ憲法でありながら、一方ではこの憲法を位置づけて、資本主義の全般的危機 ︵7︶ の産物としての﹁改良的H社会民主主義﹂のイデオヨギ⋮によって貫かれているという評価もあり、また同憲法支配 下のドイツにおいては、政治・経済等の混乱があいついだなかで、この権利は法的権利を充分に含むものとして理解
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されず、単なる立法への指針︵プ翼グラム規定︶と解釈されて、実質的機能を果すことなく終ったことも見逃すこと ︵8︶ はできまい。しかしながら、同憲法では、国民の生存権を保障しようとする、いわゆる福祉国家の理念を宣言し、そ の実現を国家の政治的責務としたことは、その後の各国憲法の指針となり、その意味では歴吏的役割を果たした意義 は高く評価されるといえよう。第二次世界大戦を契機に、各国憲法上にその権利を位置づける例が増加したのはそれ を物語っているといえよう。 例えば、一九四六年に制定されたフランス第四共和制憲法では、フランスは﹁社会的共和国﹂であることを提示 し、その前文で﹁現代で特に必要な経済的、社会的原則﹂を確認している。そして同憲法では職を得る権利、団結 権、争議権、労働条件の集団的決定権、企業の参加権等を認めたばかりか、個人の休息休暇の保障、教育及び文化の ︵9︶ 機会均等の保障等まで保障している。とりわけ同憲法では、生存権に言及して、 ﹁国は、個人及び家族に対してそれ らの発展に必要な諸条件を確保する﹂ことを誕うとともに、その精神を徹底化するために国家は﹁すべての者に対し て、特に児童、母親及び老齢の労働者に対して、健康の保護、物質的安全、休息及び休暇を保障﹂し、特に﹁年齢、 身体的又は精神的状態、経済的事情により、労働不能の状態にあるすべての者は、適当な生活手段を共同体から取得 する権利を有する﹂ ︵前文︶ことが定められている。同様の権利を憲法上保障したものとして、一九四八年のイタリ ア憲法︵三八条︶やその後のインド憲法︵三八条︶を上げることができよう。そこでは多少の差異はあるが、いずれ もフランス憲法に見られるように、労働、教育に関する権利から、社会的かつ経済的に弱者である年少者や家族を配 慮して全ての国民の生存権的基本権を保障しようとする基本的趣旨は共通しているといえよう。それとともに一方で、ワイマール憲法でみられたように、財産権の厳しい規制も共通している。その意味では、福祉国家を標榜する現 代国家の憲法は、生存権と財産権の規制という車の両輪が一体化して形成されているといえよう。日本国憲法もその 例外でないのは周知の通りである。 一方、一九四九年の西ドイツのボン基本法では、﹁社会的法治国家﹂︵二八一条︶であると明示しているが、憲法上で 社会権に関わる詳細な保障規定を設けていないし、またアメリカ合衆国憲法の、いわゆる修正条項にもそれを定めた 規定がない。しかしながら、前者の場合は、﹁ワイマール憲法が社会権に関する詳細な規定を定めていたにもかかわら ず、それらの規定が実現の可能性のうすいプログラム規定にすぎなかったという経験にかんがみて、⋮−おもに法規と して実施されるべき実質的な規定を重点的に定め、その確実な施行を裁判制度によって保障する﹂趣旨から設けていな ︵隻o︶ いと理解されている。また、後者に於いては、一九三〇年代の、いわゆるニュー・デール政策の一環として制定された 各種社会保障法や労働保護法等が、現実的には国民の生存権を保障する機能を果たしているといわれる。とりわけ、 同国では、一九六〇年代以後の新しい判例傾向として、平等保護原則の適用と並んで、デュープロセス条項を援用す ︵且︶ ることによって、いわゆる福祉受給権を憲法上からも保護しようとする動きもあることは注目されるといえよう。 次に国際連合憲章も人権の世界的社会化をはかるために、前文で生活水準の向上を提示しているとともに、同五五 条で生存権を具体的に定めている。また同憲章の趣旨をより現実化するための世界人権宣言でも同様の確認をしてい る。世界人権宣言は、周知のように加盟国を拘束する法的効果を有しないが、しかしながら、国際世論を形成する指 標として、この権利の前進に大きな役割を担っていることは否定できまい。τ
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一七二 中村睦男﹃社会権法理の形成﹄五六頁。同教授は﹁アンシャン・レジーム下の﹃慈善﹄︵象鍵ま︶と第三共和政下に基礎 が置かれる近代的﹁公的扶助﹂︵霧る 。憲昏82びぎ奉︶の中間に属する﹁公的救済﹂︵。 。Φ8鐸ωを票邑の体制﹂であると位 置づけている。 中村睦男﹁生存権﹂﹃芦部編憲法巫人権⑭﹄三二〇頁。辻村みよ子﹁﹃フランス革命おける一七九三年憲法の研究﹄序説②﹂ 一橋研究二巻一号六九頁参照。 中村睦男﹁社会権の保障﹂﹃基本的人権の歴史﹄七三頁以下参照。田口精一﹁生存権の実効性の保障﹂田口、川添﹃憲法﹄ 四二八頁以下。 峯村光郎﹁マントン・メンガーの法曹派社会主義理論﹂慶応法学研究一二巻二号一五二頁以下参照。 奥貴雄﹃生存権の法理と保障ω生存権の法理﹄七〇頁以下。 前掲︵5︶七七頁。 影山日出弥﹁ヴァイマール憲法における﹁社会権﹂東大社研編﹃基本的人権3歴吏豆﹄一八五頁。 K・ゾントハイマー﹃ワイマール共和国の政治思想﹄五九頁以下。 中村睦男﹁フランス憲法における社会権の発展⑬﹂北大法学論集一五巻二号一二一頁以下参照。 田口精一﹁社会権﹂清水望編﹃比較憲法講義﹄二二七頁以下。 芦部信喜﹁憲法訴訟と﹃二重の基準﹄の理論﹂田中古稀編﹃公法の理論下1﹄一五五八頁以下。戸松秀典﹁憲法訴訟﹃立 法府の裁量﹄の理論ーアメリカにおける社会福祉訴訟をめぐって﹂成城法学一号二五九頁以下参照。 尚、イギリスの場合も憲法ではなく、社会法とりわけ国家扶助法︵2&o鍔一︾ωω巨き8︾3這窃︶において生存権が保 障されている。その沿革的理由を、清水教授は次のように指摘している。すなわちイギリスは、Oコモンローを建前とする 不文憲法国であり成文憲法がみられない、◎労働権は、労働運動の成果であり、さらに社会保障は主として労働党が与党の ときに資本主義の内部解決として採用された、㊧これ等の権利は、議会制定法により実定法化され、国家権力による行政措 置として実質的具体的に保障されている︵清水睦﹁シンポジューム社会権の再検討ー﹂法律時報四三巻一号一一西頁以下︶。三 制定経過と法的性格 生存権の世界史的沿革をみてきたが、日本の場合はどうであろうか。アジア諸国の中で最初に採用された、いわゆ る明治憲法︵一八八九年︶下では、国民の自由権的権利も、天賦人権説に支えられたそれでなく、その本質は国賦人 権的性格をもつものであった。天皇の恩恵としてその地位があるところから何時でも法律によって制限することが可 能とされた。権利規定には、 ﹁法律の留保﹂を意味する文言があり、その粋での権利であり、今覆いう人権の永久不 可侵性は否定されていたことは周知の通りである。このように自由権に対する観念が、西欧のいわゆる市民革命以前 と余り相違がなかったということからも理解されるように、生存権ないしその理論が、前述した法学者メンガー等の ︵王︶ 思想紹介のなかで一部の有識者によって論じられても、それが具体的に法律化するなかでの話題になることは皆無で あったといえよう。確かに、公的扶助については、いち早く太政官笹救規則︵明治七年︶が施行されてはいるが、そ の内容はまさに前近代的な救貧政策にすぎなかった。さらに昭和に入って救護法︵昭和四年︶が制定されたが、その 法律の目的は主として治安、公衆衛生を保護するためのもので、一部貧者に実施されても、あくまでも国家の恩恵と ︵2︶ して行なわれたといわれる。本来的には家族や隣保相扶が任うのが原則であるという認識があり、従って国家体制の 矛盾が原因で社会的に放り出された多くの貧者の生活保護請求権までを認めなかったのである。その意味では、救貧 法から社会保険、そして社会保障へと急早に制度化されていった西欧諸国と比較するとその歩みは極めて立ち遅れた 状態であったといえる。前述したワイマール憲法を基点として、その生存権思想は二〇世紀前半にして国際化の道を
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一七四 たどっていき、とりわけ一九四二年のベバリッチ・プラン︵イギリス︶で最も体系的に構想化されて普及していった が、日本の場合は現憲法の制定︵二五条∼二八条︶により第一歩が踏み出される。 生存権の制定経過をみると、憲法制定議会に提出した政府草案では二五条二項に該当する条文だけが示されてい ︵3︶ て、ここで問題にしている狭義の生存権を示す一項がみうけられない。審議の段階で、社会党から一項を加えるべき だという提案がなされて制定されたが、そのモデルとなったのが、総司令部側より深い関心をもたれていた、いわゆ ︵4︶ る憲法研究会︵学者グループ︶の憲法草案の一部であることも興味のあるところといえよう。憲法制定とともに、そ れを具体化するために旧生活保護法、児童福祉法、社会福祉法等があいついで制定されているが、しかしながらこれ らの法律の底流には、以然として戦前における恩恵的な救護権思想が残っていて、憲法がめざした権利としての法的 ︵5︶ 整備が希薄であったことも見逃すことはできまい。 このような法理的に不充分な状況に一石を投じたのが、我妻教授であることは余りにも有名なことである。すなわ ち教授は﹁新憲法の研究﹂のなかで、憲法二五条から二八条までの生存権的基本権は、いわゆる自由権的基本権とそ の人権的性格を異にすることを指摘した上で、この権利は従来のように貧者に対する国家の恩恵としてのそれでな く、社会に生をうけた者の当然の権利として享受できる権利と説く。そしてしかも単に生きていくという消極的な程 度のものでなく﹁人間に値する生存﹂として積極的に保障されなければならない権利と断言して、入権体系の﹁重要 な質的推移﹂をもたらしたことを評価している。制憲時においては、前述したように恩恵的な救護権と捉えたり、あ るいは自由権との差異についても明確な認識を持ちえなかったときだけにその評価は多くの注目をあびる。しかしながら一方で教授は、憲法条項の法律的効果に言及して、﹁国家が右の責務を等閉に附し必要な立法や適当な施設をし ないときには、国民は直接にこれを要求する方法はない⋮⋮新憲法の規定では、未だ国家に対する具体的請求権を求 ︵6︶ めるには至っていない﹂として、いわゆるプ皿グラム規定説を表明している。これらの教授の指摘が、その後の生存 権をめぐっての意義、解釈等に大きな影響を与えたことは見逃すことはできまい。 いずれにしろ現憲法二五条一項は、国民が国家に対して﹁健康で文化的な最低限度の生活﹂の保障を請求できる権 利、すなわち狭義の生存権を定めて、二六条から二八条までの、いわゆる社会権的基本権の基礎的かつ総則的条文の 位置をしめている。そしてその権利の実現化のために同二項では﹁すべての生活部面について社会福祉、社会保障及 び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない﹂と国家の責務が講われている。この条文が示した、生存権保障 はいかなる法的性格をもっているかは制定当時から活発な議論が重ねられてきた。すなわち文字通りに法的権利が国 民に保障されて、国家はそれに対応する法的義務を負うと理解すべきか否かであるが、その見解は、一般的にはプロ グラム規定説、抽象的権利説、具体的権利説の三説に分けることができるので、これらの説をみてみたい。 憲法制定当時に最初に主張されたのが、前述したようにプログラム規定説であり、後述する、いわゆる朝日訴訟判 決︵東京地裁昭三五年︶までの長期間に渡って通説的見解であった。本説の二五条の見解は、国政の指針、綱領、施 政目標となるような内容を定めたものであって、その義務を果たさないという理由で政治的道徳的追求の対象にでき るが、義務の不履行を盾にして裁判でその法的責任までは請求できないという考えである。ワイマール憲法の下で通 ︵7︶ 説であった見解を導入したものでいち早く紹介された説である。すなわちその代表的見解をみれば、﹁国民の具体的権
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一七六 利の内容は立法によって実現されるのであり、国は憲法によって、可能な限りすべての国民の生存を保障するための 条件を提供する立法を行なうことを促され、かかる立法を行なう政治的、道義的義務を負うにすぎない。たとえ国が ︵8︶ この義務の履行を怠っても、国民は裁判上の救済を通じて、法的にそれを強調する道をもたない﹂。従ってこの説に よれば、例えば﹁いわゆる生存権は一般私法にいうような具体的権利いいかえれば、これに対応する国の法律上の ︵9︶ ﹃義務﹄があるというものではない﹂と認識しなければならないのである。 そして、このように生存権が具体的な請求権を認めないとする論拠としては次のような理由を示すことが多い。す なわち、O 自由主義経済体制の下では、この権利を具体的に実現化するために必要な財政的かつ実質的基盤を欠い ていること、そして、⇔ 社会保障政策は、財政的配慮の下に推進される性質のものであり、それを優位的に実施す べきという見解は政治的に認められても憲法上の論議とはなり得ない。さらに、日 ﹁相当の生活費を国に請求しう るとするためには、憲法上少なくとも、その趣旨が明確になされていなければならない﹂が、その法律上の保護規定 ︵萄︶ がみあたらない。しかしながらこの説に立つにしても、この権利の自由権的側面については﹁国が生存権の実現に努 力すべき責務に違反して生存権の実現に障害となるような行為をなすときは、その立法もまた無効となり、その処分 ︵鷺︶ も違法であるというべく、そのような個人問の契約や団体内の規約も無効と解すべきである﹂とされて、この権利の 裁判規範は認められている。 次に抽象的権利説であるが、本説では、国家に対して生存権を保障するための立法その他の国政の上で必要な措置 を講ずる請求ができ、国家もそれに対応する法的義務を負うという見解である。すなわち、二五条の規定は﹁抽象的な規定にすぎないから立法によってこれを具体化することを要し、国民はそれによって具体的な生活保障を要求する 権利を保障されることになる。⋮⋮立法がない場合に、この規定を根拠として訴えによって具体的権利を主張できな い。しかし、この規定が直接具体的権利を保障していないということから、直ちに生存権を法的権利ではないとすべ ︵翅︶ きではなく、国民は国家に対して立法その他の措置を要求する権利を有する﹂のである。プログラム規定説が権利の 創設を他律的に立法機関の法律制足に全面的に委ねているのと異なって、本説では、たとい抽象的であれ、憲法上の 生存権を現実化するために、一歩すすんで自律的に法律制定への権利性を認めている点は意義が高いといえよう。法 律によって認められた生活保障の権利は、その内容の妥当性をめぐって違憲問題も惹起できるという側面も発生する し、また一方では﹁現実の社会保障制度を前提とし、さらにこれを水準低下にさせずに立法、行政の具体的な積み上 ︵捻︶ げ方式をつうじて、生存権を豊富なものにしようと指向﹂していく足場を本説は築くことも可能なので、その点から もプ頂グラム説より高く評価できるといえよう。このような評価を得るとしても、反面では憲法上の抽象的権利を具 体化する立法その他の捲置が講じられていない場合、あるいはそれが不充分なときに、本説ではそれを問うための訴 訟が現行制度上では一定の現実的限界もあることにも注意しなければなるまい。例えば、生存権を具体的する生活保 ︵M︶ 護法のような場合には、強い合憲性の推定をうけることが予想されるし、さらに、立法による生存権の実現は、立法 政策の裁量事項として国会の機能の一つと考えられ、それゆえに三権分立の原則上の理念から裁判規範として認定し ︵お︶ ないのが妥当という見解が有力になって実質的に訴えによって具体化が否定的結果に終ることも考えられるからであ ︵16︶ る。この意味では抽象的権利説も結局のところ結果的にはプログラム規定説の範囲を少しもでるものではないとの批 東洋法学 一七七
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一七八 判も免れない側面をもっているといえる。なお見解の結果は本説と同様とする見解として、プログラム積極的も一部 にみられる。すなわち二五条のプログラム性を否定しないが、そこに一定の積極性を認めようとする見解で、具体的 には﹁憲法綱領にしたがって、国家はそれを具体化する法令を整備すること﹂、そしてその法令は二定の水準の社 会保障をなすべきことを国家に義務づける規定を置くこと﹂、国家がその義務に反する場合には﹁法令に規定する手 ︵貿︶ 続に従って保障を請求する権利を国民に与える﹂ことが二五条により要求されていると説くものである。 これまでの学説にみられた、権利救済に関する限界を一歩進めて、それを克服しようとする見解が、いわゆる具体 ︵娼︶ 的権利説である。そこでは二五条を具体化する立法が存在しないときでも、国の不作為の違憲性を確認する訴訟を提 起して、その具体化を推進できると説く考えで、いわば憲法規定から直接的にその権利性を裁判上で争うことができ るという見解である。その代表的見解によると、不作為違憲確認訴訟を求めた場合には、 ﹁立法権の権限と司法権の 権限との対立関係、それを原理的にいえば権力分立ことに国会の最高機関性の要請と裁判所による個人の侵害された 権利の救済の要請との衝突の問題﹂が生ずるが、しかしながら﹁裁判所は違憲な不作為による個人の権利侵害を救済 する憲法上の義務を負っている以上、国会の最高機関性を侵害しない﹂かたちでその職責の遂行を考えなければなら ず、それを基点とした構想が、いわゆる違憲確認訴訟であるとする。そしてその訴訟においては﹁特定の不作為の違 憲性が確認された場合には、その判決の効果は直ちに国会に法改正もしくは立法を義務づけるのではなく、この判決 に対し何らかの意思表示を具体的になさなければならない義務づけにとどまるし。その限りでは、国会の権限侵害を ︵19︶ しないで、裁判所の憲法上の義務の遂行が可能だという。このように本説は、立法の不作為の違憲確認訴訟をいわば構想化したもので、この見解が生存権の権利性の確立に ︵20︶ あたって、根本的な検討を加える側面では一つの貢献をなしているという評価は多い。しかしながら違憲確認訴訟の 場合には、 ﹁当事者適格という憲法訴訟上の困難な理論問題を解決しなければならない﹂し、しかも﹁現行の訴訟法 ︵滋︶ では、かかる訴訟類形は認められていないので、それを可能にするためには新たな立法が必要﹂であると、提唱者自 身が語っているように多岐のハードルがあり、その面からの理論の深化を待つほかにないが、その場合には、とりわ ︵22︶ けその実体的側面と訴訟法的側面の両面から検討を深めることが課せられているといえよう。その点で、国の不作為 ︵23︶ の違憲確認訴訟が現行法上で認められるかどうかについて、行政事件訴訟法上の無名抗告訴訟で可能だという見解が ︵2 4︶ あり注目されよう。また、国会に対して法律の制定義務を義務づける、いわゆる立法義務づけ訴訟も許されるという 見解もあるが、それはまた一方では三権分立制の趣旨や手続法規の面から多くの問題性を含んでいる難点も見逃せな いといえよう。 いずれにしろ以上の三説は、憲法二五条の法的性格から裁判規範性をみい出すことができるかどうかの差異から見 解が分かれているし、学界の多数は抽象的権利説を支持する動きにあるが、必ずしも生存権を実質的に一歩も二歩も ︵25︶ 前進させ実現化する有力な理論として定着しているとはいえない。その意味では、生存権が一定の範囲で裁判規範と しての効力を有することを前提として、いかなる訴訟類型において、いかなる違憲審査規準によって生存権に裁判規 ︵26︶ 範としての効力を認めるかの理論深化が今後の課題といえよう。またそれと同時に、どの説に依拠するかとは別次元 の問題として、憲法二五条を根拠にして制定された各種社会政策法の内容を、憲法理念との関係でより豊富で確かな
東洋法学 一七九
生 存権論
一八○ ものにしていく理論と実践化の方向性も一方では要請されているといえよう。 ︵エ︶ ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵6︶ ︵7︶ 松尾敬一﹁近代日本における生存権愚想の展開﹂神戸法学雑誌閥巻三号四三三頁以下。戦前においても生存権的思想の萌 芽がみられることは注目されよう。松尾教授は前掲論文︵四五二頁︶でそれを示している。すなわち第一次大戦後において、 ﹁社会運動における生存権思想の胎動、社会法への歩み、自由法学の台頭、加えてワイマール憲法の成立、A・メンガーの 理論等の紹介、−⋮ーこれらの事情が重なりあって、そこに生存権理論が法学の世界にあらわれた。牧野英一先生の﹃焼け跡 の仮小屋︵東京日日一二、一 ○、二以降︶に始まり﹃最後の一人の生存権﹄︵改造大正一三、一〇号所収︶に至る一連の論説 及びそれより一足先にあらわれた恒藤恭先生の﹃生存権と法律体系﹄︵改造大正一二年九月号所収︶がそれである﹂と。 吉田久一﹃日本貧困史﹄三五三頁以下。小川政亮﹁社会保障法前吏﹂﹃権利としての社会保険﹄二頁以下参照。 高柳・大友・田中編﹃日本国憲法制定の過程互﹄一七六頁。 佐藤功﹁憲法二五条の由来ーその成立のスケッチ﹂法学セミナー九七号六一頁以下で、この間の事情を社会党鈴木義男氏 は次のように述べていると記されている。すなわち﹁第二五条第一項、これは原案になかったのでありますが、⋮⋮これは ドイツ憲法︵ワイマール憲法︶では、人間に値する生活、メンシェンズヴュルディゲス・ダーザインという憲法の規定があっ て、実にわれわれをして感奮興起せしめたものでありますが、日本でも一つ、ああいう規定がなくちゃおもしろくないとい うので、人間に値する生存を保障するというようなことばにしたいと思って、それじゃあまり直訳外国語をきいているよう な気持がいたしますから、そこで考えた結果、﹃すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。﹄こう いうことばに直したわけでありますが、とにかくこれはわれわれが希望して入れていただいたわけであります。だから第一 項はなかったのであります。﹂ 池田政章﹁生存権﹂ジュリスト六三八号三五六頁。 我妻栄﹁基本的人権し国家学会雑誌六〇巻一〇号六三頁以下。 内野正幸﹁社会権の法的性格論の歴史的分析ω③﹂法律時報五三巻九号一〇九頁、同一〇号一〇五頁以下参照。((
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︵lo︶ ︵亘︶ ︵12︶ ︵13︶ ︵14︶ ︵娼︶ ︵賂︶ ︵茸︶ ︵18︶ ︵四︶ ︵20︶ ︵雛︶ ︵22︶ ︵23︶ ︵塾︶ 我妻栄﹃民法研究魎﹄七二頁。 法学協会編﹃註解日本国憲法上﹄四八七頁参照。伊藤正己﹃憲法の研究﹄五三頁。尚伊藤教授は最近の見解としては抽象 的権利説に立っているといえよう︵同﹃憲法﹄二六〇頁参照︶。 佐藤功﹃憲法ぷケット註釈全書﹄一七八頁。横坂健治﹃憲法の理念と現実﹄二八九頁参照。 前掲法学協会編⑨四八八頁。 橋本公亘﹃憲法原論﹄二五六頁。覚道豊治﹃憲法﹄二八八頁以下。 奥平康弘﹁生存と人権﹂﹃憲法学③﹄六二頁。 大須賀明﹁社会権の権利性﹂法律時報四三巻一号二二頁。 和田英夫﹃新訂憲法体系﹄一八七頁。 大須賀明﹁社会権の法理﹂公法研究三四号二五頁。 池田政章﹁プログラム規定における消極性と積極性﹂立教法学七号三八頁以下。同旨として、佐藤功﹃憲法演習﹄六二頁 以下。 具体的権利説を支持するものとして、大頂賀前掲︵酪︶二三頁以下。高田敏﹁生存権保障規定の法的性格﹂公法研究二六 号九五頁以下。山下健次﹁生存権の裁判的保障﹂ジュリスト五〇〇号七〇頁以下。 大頂賀前掲︵16︶二九頁。 中村睦男﹁生存権﹂芦部信喜編﹃憲法皿入権③﹄二四〇頁。 大須賀明﹁生存権の保障﹂有倉編﹃日本の憲法判例﹄一六八頁。 戸波江二﹁立法の不作為の違憲確認﹂芦部信喜編﹃構座憲法訴訟第一巻﹄三五五頁以下参照。 高田敏﹁現代における法治行政の構造﹂渡辺古稀記念編﹃行政救済の問題﹄五一頁。 和田鶴蔵﹁生存権﹂田畑編﹃憲法判例総合砺究﹄参照。なお具体的権利説の行政権を生存権規定の名宛人から除外する 考えを克服して、要保護者の請求に応じて生活保護の給付がなされない場合には、内閣を相手として司法救済を求める途が 東洋法学 一八一︵25︶ ︵26︶
生存権論 一八二
あるとする理論も注目されよう︵森田友喜﹁生存権の法的保障﹂清水望還暦記念﹃憲法における制度と思想﹄ 一九一頁以 下︶。 例えば戸波教授は次のように指摘しているのも代表的一つといえよう。すなわち﹁現在、抽象的権利説が概ね多数説であ るといえようが、しかし、抽象的はなお生存権の﹃権利性﹄にこだわっている点で問題がある。また、生存権が﹃権利﹄で あることを強調しても、法的に実施可能な内実がないのであれば、少なくとも法論理的には意味ない議となろう。さらに具 体的権利説については、たとえば、﹃最低限度の生活﹄に強度の規範性を求める説が具体的権利説であると説明されると、本 来の具体的権利説の内容がかなり拡張されているように思われる﹂︵戸波江二﹁生存権訴訟における判例と学説﹂公法研究四 八号七五頁︶。 中村前掲︵20︶三四六頁参照。 四 判例の動向 次に憲法二五条に関わる判例の動向とその評価をみてみたい。最高裁が、生存権について見解を示したり!ディン ︵王︶ グ・ケースは、戦後の早い時期に争われた、食管法違反事件判決である。本件は周知のように闇米の購入運搬行商を 違法として、それに罰則を加えることを規定した食管法は生存権の侵害だと争われた事件である。結論からいうと、 憲法二五条の生存権の性格は、いわゆるプ環グラム規定であると判示している。すなわち﹁本条は、すべての国民が 健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことを国家の責務として宣言したものであり、この 規定により直接に個々の国民は、国家に対して具体的、現実的にかかる権利を有するものではない﹂として、生存権 の具体的権利性を否定しその論理に依拠して原告の主訴を斥けている。この判示に対して、本件では生存権が具体的請求権であるかどうかが訟点でなかったのに、あいてプログラム規定 ︵2﹀ 説を援用する必要性がなかったという指摘と、さらに当時は、困難な食糧事情の下で国民が自己の生存のために自ら 食糧を確保せざるを得ない状況を考えたとき、生存権の他方の自由権的側面を含めて、その具体的権利性を否定して ︵3︶ いることを問題視する声も一部みられるところである。これらの批判をさておいても、判示がプログラム説を基調と して、憲法二五条から直接的には扶助請求権を導き出すことは不可能としたことにも当時の諸状況から一理あるとも いえよう。すなわち戦後の経済混乱による多くの国民の生活苦や財政事情による社会保障のおくれ、さらに前述した 我妻教授の投じたプログラム規定説の波紋等が重層的に影響しているともいえよう。その意味からすると、プログラ ︵4︶ ム規定説の﹁論理的諸基礎も歴史的範疇に属する﹂という指摘は的を射ているといえよう。荻た判示が﹁社会的立法 及び社会的施設の創造拡充に従って、始めて個々の具体的、現実的な生存権は設定されて充実せられていく﹂と素直 に法的権利性の希望的観測の含みを示したことは、消極的立場より、より一歩積極的プログラム説に近い見解を示し ︵5︶ たと読みとることも可能といえるし、その面での一定の評価ができるといえよう。 次に、生存権の争点吏に大きな節目を残した、いわゆる﹁朝照訴訟﹂をみてみたい。本件は周知のように、原告が 福祉事務所長による生活保護法上の保護変更決定を不服として、その取消訴訟を提起したものであるが、その中心的 論争点は、同法八条二項の生活保護基準の違法性が問題とされたもので、直接的には違憲訴訟ではない。しかしなが ら、実質的には生活保護法を盾に、憲法二五条に国民の生活保護請求権の確認を求めたので、その意味では、典型的 な憲法裁判といえる。特に本件が提起されるまでは、生存権を具体化する法律が存在しない場合に憲法二五条を根拠
東洋法学
一八笹生存権論 一八四
にして、その権利救済が可能であるかどうかが不確定であったが、本件訴訟でそれが直接に問われた結果、その後の ︵6︶ 生存権性格論が深化していくことになる。とりわけ本件第一審判決を契機として、この判決を支持し、その論拠を確 かなものにする観点から、従来のプヨグラム規定説を克服しようとする理論展開がみられたことは見逃すことはでき まい。 そのような重要な位置を占める一審判決をあらためて確認すれば、要点は次の三点にあるといえよう。すなわち、 O 生活保護法は憲法の理念から考えて、積極的に国に対して健康で文化的な生活水準を保障するための保護の実施 を講求する、いわゆる保護請求権を認めている、口 そして、その認定は生活保護法の規定を逸脱できず覇束行為で あって、司法権の判断の対象となる、◎ 最低限度の生活とはボーダーライン層の水準を基準にするものではなく、 ﹁入間としての生活﹂を可能とするもので、理論上客観的にそれは決定できるものである。とりわけ注目されるの は、保護基準が﹁健康的文化的な生活水準﹂に欠ける場合は、それ自体生活保護法八条二項、二条、三条に違反する ばかりか、 ﹁憲法二五条の理念をみたさないものとして無効﹂であると判示して、従来の通説的見解であったいわゆ ︵7︶ るプ鷺グラム規定説を退けて積極的に一歩すすめた見解を示したと高い評価をうけたことである。すなわち本判決 は、憲法二五条の理念と生活保護法を一身同体と把握することによって、その限度内で憲法二五条に裁判規範を間接 的に認めようと判示したのである。換言すれば、生活保護法三条でいう﹁健康で文化的な生活水準﹂が憲法二五条に 由来し、それを具体化したものと認識し、従って保護基準が生活保護法に違反する場合には、結果的には憲法二五条 にも違反しているという論理である。さらに生存権の実現化には国家財政との関わりが欠かせないがそれに言及して、最低限度の生活水準の判定は、国 の財政によって決定されるものでなく﹁むしろこれを指導支配すべきである﹂と判示している。すなわち、社会政策 上必要とする予算は国の財政政策上の問題であるので、政府の裁量事項であるとするプログラム規定の論拠も否定し たのである。このように従来とは異なった見解を含む本判決を基礎にして、生存権は憲法上抽象的な権利を認めるに とどまるが、それを具体化する法律がその権利を設定し、その限度内で裁判範性が発生するといういわゆる抽象的権 利説という新しい見解が示されて、その後において支持を広めていったことは注目されよう。 ︵8︶ これと対照的判断を下したのが、本件最高裁判決であり、結論からいうと、その判断はプログラム規定の肯定化で ある。すなわち、生存権の法的性格については、前述した昭和二三年判決の食糧管理法事件の判断をそのまま維持し て、その具体的権利性を否定し﹁具体的権利としては、憲法の規定の理念を実現するために制定された生活保護法に よって、はじめて与えられる﹂と判示している。特に次の二点からも基本的にはこの論に立って展開していることが 理解されよう。すなわち、O 保護基準の設定について自由裁量論を援用している。保護基準は憲法の定める生活水 準を維持するに足りるものでなければならないとしているが、しかしそれは抽象的かつ相対的概念であるとした。裁 量権の乱用は違法性をおびるが、保護基準については司法権の対象外として、いわば保護受給権は﹁行政庁の設定す る権利﹂としている。O 最低限度の生活水準については、国民所得、財政状態さらに国民の一般的生活水準、さら に予算配分の事情などの、いわゆる生活外的要素を加味して、いずれもその設定については厚生大臣の裁量に属す る。この点で、一審判決が﹁健康で文化的な生活水準﹂に言及して、 ﹁それが人間としての生活の最低限度という一
東洋法学 一八五
生存権論
一八六 線を有する以上理論的には特定の国における特定の時定において一応客観的に決定すべきものであり、またしうるも のである﹂と判示したのとは対照的である。ただ一部奥野補足意見が、憲法二五条一項は﹁時の政府の施政方針によ って左右されることのない宮観的最低限度の生活水準なるものと想定﹂するという見解は、より一審に近いといえよ う。これらの一部対比をみても、一審判決の時点からすると、国内的には高度経済成長の結果国民所得も向上し、ま た社会保障に対する国民意識や要求が高まり、さらに財政能力も伸びている諸状況の変化のなかで、旧来のままの見 ︵9V 解を固執して、積極的判断を示していないという批判はまぬがれないといえよう。 いずれにしろ前述したように、本件訴訟を一つの契機として従来の生存権説の克服が試みられて抽象的権利説が支 持を広め、さらに新しい主張として、生存権を具体的に保障する法律が不存在のときは積極的に裁判所に対して立法 不作為の違憲確認訴訟も提起できるとする具体的権利説も登場した機縁的意義は評価できるといえよう。しかしなが ら、本判決を通じて生存権の確かな法的概念なり、その理論が確定したかというと疑問視せざるをえないといえよ う。 次に朝日訴訟の最高裁判決︵昭和四二年︶が示されてから、社会保障に関わる憲法訴訟とりわけ社会保障給付の併 ︵沁︶ 給禁止の憲法適合性を争った事例があいついでいるが、ここでは、障害福祉年金と児童扶養手当の併給禁止の合憲性 ︵難︶ ︵鴛︶ が問題となった、いわゆる堀木訴訟の最高裁判決の判旨をみてみたい。本件では第一に憲法二五条の法的性格が問わ れたが、三四年前のいわゆる食管法違反事件の先例を引用してプログラム規定説を採用して、改めて最高裁の態度を 再確認している。その判旨の論理は明解である。すなわち憲法二五条の規定は﹁国権の作用に対し、一定の目的を設定し、その実現のための積極的な発動を期待する﹂という性格のものであり、同時に同法の定める﹁健康で文化的な 最低限度の生活﹂という概念は﹁きわめて抽象的、相対的﹂なものであるので﹁その時々における文化の発達の程 度、経済的、社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係﹂や﹁国の財政事情﹂によって具体的内容が決定 されるというものである。この前提に従って、福祉政策の具体的内容を決定するのは﹁立法府の広い裁量にゆだねら れる﹂と結構づけた。一方それと同時に、この立法措置が﹁著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱、濫用と見ざる をえない場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない﹂とした。合憲性審査 について、いわゆる明臼性の原則を適用した立法裁量論が働くことを示したことは、本判決が一面で﹁憲法二五条の 法的性格を先例に基づいてプログラム規定と単に再確認したのでなく、憲法二五条にかかわる訴訟について適用され ︵欝︶ るべき裁判法理を示したことに意味がある﹂ともいえよう。二五条が立法の解釈基準としての法的意味を持つことは 朝日訴訟の最高裁判決でも言及しているところでありそれから一歩前進した判示と評価できよう。しかしながら、本 判決の論理を展開した場合、本当に生存権にふさわしい内容を裁判を通じて求めることができるかどうか疑問視され るともいえよう。生存権は、国の財政的裏づけによってその具体的権利性が実現されるので、より強く立法裁量権が 働くことは否定できない。ただ本判決のように無制限に近い立法裁量を認めることは一面では裁判所の違憲立法審査 権が実質的機能を果たさない結果に終ることも予想されるといえよう。つまり本判決の論旨からすると、 ﹁裁量権の 明日で著しい逸脱、濫用という例外的な場合にしか、社会福祉法には司法審査が及ぱないというものであって、それ ︵14︶ によれば、かかる法律が違憲とされる場合はほとんど全く生じ得ない﹂と考えられるからである。
東洋法学 一八七
生存権論
一八八 また本件では併給禁止規定が、憲法一四条に反するか否かということも論争点の一であった。ここで問題になって いる憲法一四条一項については、不合理的理由に基づく差別のみを禁止し、合理的な理由に基づく差別までを禁止し ︵15︶ ているものではないという見解が通説であることは周知の通りである。本件で最高裁は、仮に差別を生ずることにな るとしても、併給調整条項の合理性に加えて、身体障害者、母子家庭に対する施策及び生活保護制度の存在など、原 判決の指摘した諸点に照らして総含的に判断すると、不当な差別に当らず原判決の判断は正当であると簡単に結論づ けている。 社会保障立法の平等違反の審査基準がいかにあるべきかについては、ことが、生存権に関わる重要な事項であると ︵16︶ ころから、いわゆる﹁厳格な合憲性の基準﹂理論を採用すべきであるという見解が有力であるが、本件の原告のよう に、社会の少数派としてその救済を司法機関にしか求めることができないことを考えると、慎重かつ実質的審査の上 での判断が望まれるといえよう。いずれにしろ、国民の生存権を保障しようとする社会保障法は、体系的に複雑で モザイク的構成であるとよく指摘される。本件でも扶養手当と国民年金法による障害福祉年金との併給調整の可否が 争われたが、一審判決後に関連する併給調整規定が変更されたことをみてもその複雑性が理解される。現憲法二五条 の歴史が四〇数年に達するにもかかわらず、その理念なり具体的政策の未熟性がその体系的法制化がなされない理由 ともいえよう。憲法二五条の生存権の保障を基礎にしながら、同一三条の快適生活権を平等に保障︵同一四条︶する 社会保障とはどうなければならないかの法分野を中心とした理念探究とその実現化が今後の大きな課題ともいえよ う。︵1︶ 昭和二三年最高裁大法廷判決、刑集二巻一〇号ご三五頁。 ︵2︶ 小嶋和司ジュリスト判例百選︵一版︶一〇一頁。長谷川正安﹃憲法判例の体系﹄四五一頁。 ︵3︶ 山下健次﹁社会権の法的性格﹂ジュリスト五〇〇号判例展望七〇頁。 ︵4︶ 池田政章﹁現代型福祉国家と生存権﹂ジュリストニ八九号一七五頁。 ︵5︶ 大須賀明﹁生存権﹂阿部照哉編﹃憲法判例と学説﹄二二四頁。 ︵6︶ 昭和三五、一〇、一九東京地裁判決、行集一一巻一〇号二九二一頁。 ︵7︶ 中村睦男﹁朝日訴訟ー生存権の保障﹂池田政章編﹃憲法の歩みー主要事件にみる憲法の歴吏﹄二二一頁以下参照。 ︵8︶ 昭和四二、五、二四最高裁大法廷判決、民集一二巻五号一〇四三頁。 ︵9︶ 小林直樹﹁生存権の意義と性格﹂﹃憲法判断の原理︵下巻︶﹄一九頁。 ︵憩︶ 年代順に示すと、老齢福祉年金を夫婦で受給すると、国民年金法の規定上から、支給額が削られることは憲法一四条に違 反すると争われた、いわゆる﹁牧野訴訟﹂では、東京地裁︵昭和四二年七月一五日判決、行裁例集一九巻七号二九六頁︶ は﹁生活実態から見ると、夫婦者の老齢者の生活は単身者の老齢者より一層みじめ﹂であると認定して、夫婦受給制限を憲 法違反と判示している。しかし他方、同じ問題で争われた﹁松本訴訟﹂では反対に合憲︵大阪高裁昭和五一年一二月一七日 判決、判例時報八四一号二頁︶としている。また、恩給など公的年金を一定額以上受けている老人に老齢福祉年金の併給 を禁止した国民年金法の規定が、憲法二五条、同一四条に違反すると提起した、いわゆる﹁宮訴訟﹂では東京地裁︵昭和四 九年四月二九日判決、行裁例集二五巻四号二七四頁︶は合憲としている。さらに、戦死者の遺族への扶助料と老齢福祉年金 との併給制限をめぐり、戦場で死んだ人の遺族に対する扶助料と、戦場でけがをし、後日他の病気などで死んだ人の遺族への 扶助料との間で、異なった併給限度額を定めた国民年金法は憲法一四条に違反すると争った、いわゆる﹁岡田訴訟﹂では、 札幌地裁︵昭和五〇年四月二二日判決、行裁例集二六巻四号五三〇頁︶は﹁不合理な差別だが、法改正で扶助料を引きあげ るなど代償的措置がとられており違憲とはいえない﹂と判判して合憲としている。同事件は札幌高裁でも審議され同じよう な合憲判断︵昭和五四年四月二七日判決、行裁例集三〇巻四号八○○頁︶が示されている。 東洋法学 一八九
︵n︶ ︵12︶ ︵13︶ ︵斑︶ ︵拓︶ ︵駕︶
生存権論
一九〇 一審判決︵昭和翻七年九月二〇田神戸地裁、行裁例集二三巻八・九号七一一頁︶は、障害者や母子家庭の生活実態を調査 検討して上で、併給禁止が平等原則に反し違憲であると判示した。二審判決︵昭和五〇年一一月一〇日大阪高裁、行裁例集 二六巻一〇、二号一二六八頁︶は、生活困窮者に対して﹁最低限度﹂を確保するための救貧施策を要求する慧法二五条一 項と、生活困窮の発生防止を求める二項とを区別して考えた上で、後者については大幅な立法裁量を認めて併給禁止を合憲 とした。なお本判決は、結局のところ﹁憲法二五条一項は行政上の自由裁量、二五条二項は立法府の裁量とするもので、行 政裁量といおうと立法裁量といおうと、要するに全体として政策主体たる支配の側のその時々の﹃政策判断・政策裁量﹄次 第ということに帰着するのであって、憲法二五条の生存権条項それ自体の権利性を、その明瞭な文言に反して否定し、空洞 化し、社会保障を恩恵化することにつながる﹂との批判が多い︵小川政亮﹁堀木訴訟の今日的意義﹂法律時報五四巻七号一 三頁︶。批判的文献として、角田豊﹁堀木訴訟第二審判決﹂ジュリスト別禰昭和五〇年度重要判例解説副九頁、中村睦男﹁生 存権の法的性格﹂法律時報四八巻五号八頁。 昭和五七年七月七日最高裁大法廷判決、民集二六巻七号一二三五頁。 戸松秀典﹁堀木訴訟最高裁判決と立法裁量論﹂ジュヲスト七七三号一四頁。 大須賀明﹁生存権と平等原則﹂ー﹁堀木訴訟最高裁判決を契機として⋮﹂法学セミナ⋮一九八二年一〇月号二一頁。 宮沢俊義︵芦部信喜補訂︶﹃全訂日本国憲法﹄二〇六頁。 芦部信喜﹁生存権の憲法訴訟と立法裁量﹂法教二四号一九九頁。戸松前掲︵Bと八頁。 五 おわりにかえて 生存権に関わる思想的沿革や学説・判例の展開過程を概観してきたが、学説については抽象的権利説と具体的権利 説の生存権をより確かなものにする理論化が今後の一つの課題といえよう。また判例では最高裁は一貫して、その裁判規範性を否定しながら広汎な行政裁量を﹁朝日訴訟﹂で認め、また﹁堀木訴訟﹂では、それにつけ加えて立法裁量を 大幅に認めて、司法機関の人権保障機能を縮少する方向を示している。しかしながら、すでに言及したように前者判 決では﹁著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の 限界をこえた場合又は裁量権を乱用した場合には違法な行為として司法審査の対象となる﹂と示し、後者の判決では ﹁憲法二五条に基づく立法措置についての選択決定は立法府の広い裁量に委ねられているが、それが著しく合理性を 欠き明らかに裁量の逸脱、濫用にいたらない限り司法審査に適しない﹂として、いずれも消極的ながら、憲法二五条が 法解釈の基準になることを示したことは一定の前進として評価されよう。しかしながら、そこで示している裁量権の 範囲について、どのような場合に、どの程度採用できるかの基準が示されていないので、当面の問題を避ける方便と ︵1︶ みる評価も見逃すことはできまい。その意味では立法裁量論を克服する道が開拓されなければならないが、それに一 つのヒントを示す判例が示されていることも注目されよう。すなわちいわゆる衆議院議員定数不均衡訴訟において、 国会の合理的裁量の範囲や投票価値の平等性について積極的に判断しているし︵昭和五八年コ月七礒最高裁大法廷 判決︶、さらに立法裁量の具体的基準を明示して ︵昭和五九年九月二八日広島高裁判決︶その違憲性を示している。 これらの判例が一つのテコになって現実的には法改正に結びついていったことは記憶に新しいところである。また生 存権侵害は、ある意味では国の消極的施策から発生するので、立法・行政等に特定の措置を定める義務づけ判決や違 ︵2︶ 憲確認判決等の可能性の理論化を深化させることも必要と思われる。憲法判断の最終的権限を有する裁判所が、憲法 理念をそれなりに具体的・客観的に決定してこそ、生存権が単なる理念型から脱皮できる一つの大きな道と考えるか
東洋法学 一九一
生存権論
一九二 らである。権利が形成的に語られる限り﹁生存権﹂はなお生命力を持つし、その意味からして、壁は厚いが意思ある ところ道ありでその理論に期待したいし、その探究を別稿で進めてみたい。 いずれにしろ憲法二五条の生存権の規範的性格を深化させることは、昭和五〇年代になって、いわゆる財政硬直化 のなかで、その政策見直しが進められているので、ますますその重要性が高まったといえよう。すなわち第二次臨調 のその基調思想は﹁活力ある福祉社会﹂の形成目標として、 ﹁自力、互助、民間の活力を基本とし適度な経済成長の 下で各人が適切な就業の場を確保する﹂立場から、必ずしも﹁小さな政府﹂を求めるものではないが、西欧型の高福 祉、高負担による﹁大きな政府﹂への道を歩むものではあってはならないとしている。このように生存権保障も一つの 転換期にあり、日本型社会保障が改めて再吟味されるなかで、その権利のありようが検討されようとしている。その 場合、特に家族の機能が重視される傾向があるようであるが、家族の機能が変化しているなかで、家族と国家はどこ までその役割分担が望ましいのかを充分に考えなければなるまい。とりわけ家族構成員のなかでも、主としてその責 ︵3︶ 任を負う女性の人権を配慮した政策が要望されるといえよう。それと同時に、国がその政策を展開する場合には、従 来のように権利保障の主体を当然のごとく直接に国家であるという認識を改める必要があろう。主役は国民であると ︵4︶ いう、ごくあたり前のいわゆる住民主導の発想から受益者のそれへの参加権を認める方向で施策展開がなされること が、望まれるといえよう。憲法二五条をはじめとして、同一三条同一四条をべースに再構築されるであろう羅本型社 会保障を期待しその動向を注視していきたい。 ︵1︶ 田申幹夫﹁社会保障判例の動向と基本的人権﹂﹃社会保障の変容と展望﹄二七頁。︵2︶