大乗哲学
著者名(日)
井上 円了
雑誌名
井上円了選集
巻
5
ページ
285-458
発行年
1990-03-31
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002894/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja︸ふ 大 類 曹 亭
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、寡底垣▲憂鴬康疏+老号靖 哲亭館、大畢大乗哲学
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lind それ仏教の法門は八万四千の多岐に分かるるも、その大綱は大乗、小乗の二大門に外ならず。しかして仏教の 玄旨妙致はひとり大乗中にありて存す。もしこれをたとうれば小乗は小丘のごとく大乗は高山のごとし、小乗は 細流のごとく大乗は大河のごとし、小乗は雑草のごとく大乗は喬木のごとし、小乗は幼児のごとく大乗は大人の ごとし、小乗は人力のごとく大乗は汽車のごとし、小乗は提灯のごとく大乗は釣鐘のごとし。その差ほとんど月 亀もただならざるほどなるも、ひとしくこれ仏教なれば、その両者の間に必ず一大神髄の貫通せるところなかる べからず。これを一木にたとうれば、枝葉と花実とはその根幹を同じうするのみならず、組織の気脈の相通ずる ことあるがごとし。しかりしこうしてこの一貫の理脈を探究し、その系統その発達を論明するは、実に仏教哲学 の問題なり。今余はここに題して﹃大乗哲学﹄と称するは、もっぱら大乗の理脈系統発達を究明するにあれども、 その緒論として大乗と小乗との関係異同を論述せんと欲す。 わが日本は古来大乗有縁の地と称して、仏門教林の光景は小乗の草枯れて満目ただ大乗の花を見るのみ。叡山 の天台における、野山の真言における、南都の華厳、法相における、いずれもみな大乗の美観を呈し、禅、浄土、 真宗、日蓮宗のごとき、またみな大乗の春色を浮かべ、百花欄漫、艶陽胎蕩の状あり。もしその源流を尋ぬるに、 今を去ること三千年の上古にありて雪山の外、恒河の南に当たり、釈迦牟尼仏と名付くる一大偉人、いな無二の ぴ 覚者降誕し、天上天下唯我独尊の才をもって、天上天下唯我独尊の法を説かれたるに起因せり。しかるにその本国たるインドには大乗甚深の妙法は、早くすでに跡を隠し地を払うに至りたるは、もとより時運のしからしむる ところなるも、我人あに遺憾なきを得んや。現今わずかにその余流をシナにとどむるも、これ大乗の名ありて実 なく、宗ありて学なき有様なれば、あたかも蝉のぬけがらのごとく、大乗のぬけがらに外ならず。しかしてひと り大乗の本色真相を存するは、わが大日本帝国にあるのみ。在昔竜樹大士の世に出でられしときにあたり、大乗 の諸経は隠れて竜宮にありしという。今や大乗の教義は集まりて日本にあり。実に日本は今日の竜宮というべし。 この竜宮より大乗の教義を取り出して、これを世界に宣揚すべき今日の竜樹は果たしていずれにあるや。昔日の 竜樹はすでに去りて追うべからざれば、我人はただ今日の竜樹の早くきたらんことを祈るのみ。決してこれをイ ンドの地に望むにあらず、ただわが日本に出でんことを願うのみ。昔日の竜樹はひとたび隠没せる大乗を再興し たるをもって、その功偉なりと称すべきも、インド一国内のことのみ。今日の竜樹は一国や二国の沙汰にあらず、 広く世界に向かって再興するものなれば、その任一層重く、その功一層大なるべき道理なり。その人すでに生ま れたりや、なおいまだ生まれざるや。すでに生まれたればなんぞ早く立ちて大乗再興の声を挙げざるや。もしい まだ生まれざれば我人はその早く世に出でんことを祈らざるべからず。余あえて今日の馬鳴をもって自ら任ずる ものにあらざるも、今日の竜樹のいまだ興らざるに当たりて、日本は唯一大乗の地たることを世界に紹介せんと 欲す。これここに大乗哲学を講ずるゆえんなり。 わが国の僧侶は世間より往々堕落坊主の評を招くも、決してシナや朝鮮の僧侶のごとく堕落し去りたるにあら ず、今日なおいくたの護法心を有し、永く仏日の余光をして一天四海に顕揚せしめんとする精神を有するは疑い なしといえども、宇内の大勢に暗く、学界の事情に通せざるために、むだ骨折り損をなすのみならず、折角の護 286
大乗哲学 法的運動が不護法的運動となることあり。要するに今日の僧侶の多数は精神ありて智力足らずといわざるべから ず。今や世界の大勢は人文と共に駁々として進み、実験いよいよ明らかに、学理いよいよ高く、ややもすれば仏 教の小乗を蔑視するのみならず、大乗を打破し去らんとする勢いなり。しかるに仏教家は西洋外来の学問に対し て自家を防禦する策は、須弥説の弁護くらいをもって足れりとし、ただこの一事に全力を注ぐものあるがごとし。 これ一杯の水をもって大火を防がんとするの類いにして、識者の大いに笑うところなり。たとえ須弥説は仏説な るに相違なしとするも、仏教中小乗の一端に過ぎず。もし大乗の唯心的見解によらば、須弥の有無すこしも仏教 の生命に関するにあらざるは明らかなり。これを一身にたとうれば毛端爪頭のごとく、その切断すこしも痛を感 ぜざるに同じ、いわんや今日いまだ須弥説は果たして仏説なるの確証あらざるをや。畢寛かくのごとき珀事に空 しく心を労するは、実にむだ骨折りというより外なし。もし須弥説の小塁を守りつつある間に、大乗の本城すで に敵兵の奪うところとなるに至らば、なんの面目ありて仏祖に対せん、あに万代の恥辱にあらずや。けだし大乗 の安危を顧みずして、ひとり須弥説の成敗を思うは将棋の勝敗相争うに当たり、王より歩を愛すると同様なり。 王より飛車を貴しとする者あるも、世間なおこれを呼びて下手の極となす、いわんや王より歩を愛する者におい てをや。世間これをなんとかいわん。余つねに仏者中にかくのごときの徒すくなからざるをみるは、実に慨嘆の 至りなり。すでに今日にありては世間の学者中、また一人の仏教の須弥説を難ずるものなし。その代わりに地獄 極楽説を排し、六道輪廻説を斥し、三世因果説を駁し、大乗の唯心論、実相論までを破らんとする勢いにて、一 大仏教ことごとく妄誕不経の言と断定し去らんと欲す。これあに一須弥説を憂うるのときならんや。しかるに仏 87 者は依然として姑息の策を講じ、平壌城の陥落もこれを知らず、花園口の上陸もこれを知らざるに至りては世間 2
より仏者とチャンチャンとを同一視せらるるも、なにをもってこれに答えんや。頑眠かれがごとく、迷夢かくの ごとき徒においては、いずくんそよく唯我独尊の大法を今日に維持するを得んや。果たしてしからば大乗甚深の 妙理を世界に宣揚するがごときは、決して望むべきことにあらざるなり。ああ、また遺憾ならずや。余かつてこ れを聞けり。ある家に番人ありて夜中その家を守るに、ひとたび眠りに就くや、終宵前後を覚えず、深更窃盗の 忍び入りて器具什物を奪い去るも更にこれを知らず。翌朝夢醒めて大いに驚くもいかんともするあたわず。よっ て翌夜は自ら警戒して守りを怠らざらんとするも、知らず識らずの間に熟睡に就き、前夕と同じく盗難にかかる を覚えず。かくのごときこと再三に及び、一家中大釜を除く外ことごとく奪い去られ、自ら残念に耐えず。せめ てこの釜だけは失うべからずとて当夜は身をその釜の中に潜めふたをおおいて内に臥し、もし盗きたりてその釜 を取り去らんとするあらば、にわかに飛び出でてこれを捕うべしと心得、盗のきたるを待つ間にまたまた熟眠を 催し盗の釜を負うて戸外に出つるもなお覚えず。去りて村外に出でんとするとき、火番の析を撃ちてきたるに会 し、盗大いに驚き釜を捨ててはしる。釜中の番人もまた驚き醒め始めて今きたれるを知り、にわかに躍り上がり てこれを見れば、盗と家と共にあらずしてただ釜あるのみ。よって自ら判断しておもえらく、今夜は盗あらかじ め余の釜中に潜みおるを知り、釜を奪い去らずして家を奪い去れりと。この一話はもとより落語の一種に過ぎず といえども、今日数万の僧侶中には頑眠迷夢の間に、己の教法の用具を敵に奪い去らるるも更にこれを覚えず、 にわかに驚き醒めれば釜と家とを誤り認めて愕然たるがごとき徒なしというべからず。かの須弥説を頑守する輩 のごときは必ずその説の仏教中にあるは一家中の大釜のごとくに考え、他の諸説はいかに敵に奪い去らるるも、 この説だけは失うべからずと心得、これを固守する間に、他日その説までもすでに敵に奪い去られたるも自らこ 288
れを知らずして、誤りて須弥説ひとり存して、仏教の一大家たる大乗かえって敵の奪うところとなれりと認め、 大いに驚くに至るの類いあらんことを恐る。けだし余が大乗哲学を講ずる精神は、かかる頑迷の徒に転倒の妄見 を起こさざらしめんと欲するにあり。 以上講義の端緒を開陳しおわりたればこれより本論に入り、最初に左の二題につきて弁明せんとす。 第一段 大乗名義考︵大乗はなにを義とするかを述べ、あわせて小乗と大乗との別を明かす。︶ 第二段 大乗仏説論︵大乗は仏論なるか非仏論なるかを論じ、あわせて余が大乗非仏説論に対する意見を示 す。︶ これ本論最初の講題なり。
第一講 大乗名義考
大乗哲学 古来大小両乗の別を示すに、諸説大抵みな一轍に出で、彼此ただ先輩の見解を反覆せるに過きず。故に余いま だ大乗の義解のよくその意を尽くしたるものあるをみず。けだし仏書中にも大乗の義は無量にして言い尽くすべ からずとなす。すなわち﹃十二門論﹄︵二紙︶﹁摩詞街は無量無辺にして称数するべからず、ただちにこれ仏語、 ハ ニンテ ニレ なお尽くすべからず。いわんやまたその義を解釈し、演散するをや。﹂︵摩詞術無量無辺 不レ可二称数べ直是仏語尚不レ ス スルヲヤ 可レ尽、況復解釈演二散其義一︶とあり、同疏︵巻上三︶に﹁摩詞衛に無量の義ありて、いまだまさしくなんの義を 89 2 釈するかを知らず。﹂︵摩詞術有・無量義末レ知正釈何義︶とあり、摩詞術あるいは摩詞術那︵ζ曽①ぺ①白騨︶は大乗の梵語にして、希那術あるいは希那術那︵コ日①養コ①︶は小乗の梵語なり。乗とは通常運載を義とすと解して、乗物 の義なり。故に英訳には乗物︵<o巨巳o︶という。すなわち小乗は小なる乗物、大乗は大なる乗物なり。しかして その乗物は駕籠にもあらず、人力にもあらず、大八にもあらず、汽車汽船にもあらず、仏法なり、仏法の乗物な り。これを仏乗という。その乗物はいずれよりいずれに運載するを目的となすか。東京より横浜に至るを目的と するか、横浜よりサンフランシスコに至るを目的とするか。曰く、生死の苦界より浬藥の楽岸に至るを目的とす るは言を待たず。今更に二、三の書によりてその解を示すに、﹃雑集論述記﹄︵巻一の一六︶には、大乗に教、理、 行、果の四種を分ちて、教大乗とは大乗を詮する三蔵教等は文義広ければ大と名付く、津運することあれは乗と いう、理大乗とは真如の理は衆徳の所依にしてよく諸法を持す、勝遍を大と称す、六度等の行はこの真理に乗じ てよく所往あり、故に大乗と名付く、行大乗とは六度等の運載を行と名付け、体用の弘広を目して大と名付く、 果大乗とは仏所有の菩提浬藥体業の勝遍を名付けて大となす、自他兼運するを目して乗となすという。故に乗を ハ ク 解して﹁乗とはいわく、運載なり、教理行果を津に運ぶの義なり。﹂︵乗謂運載、教理行果津運之義︶とあり、また大 ハ ク を解して﹁大はいわく、弘広の七義﹂︵大謂弘広七義︶とありて、七義とは境大、行大、智大、精進大、善巧大、 証得大、業大をいう。その解は本書に譲りてこれを略す。これ﹃雑集論﹄︵巻=︶の﹁七大の性、相応するをこ スルヲ ヲ れ大乗と名つく﹂︵七大性相応 是名二大乗一︶といえるを釈するなり。また七大性のことは﹃顕揚論﹄︵巻八の一五︶ ハ ス に出づ。すなわち曰く、﹁菩薩乗は七大の性と相応するが故に、説きて大乗と名つく。﹂︵菩薩乗与二七大性⋮相応故 テ 説名二大乗一︶とあり。その他﹃鍮伽論﹄︵巻四六の一七︶および﹃楡伽論記﹄︵巻=の二二︶をみるべし。また﹃弁 中辺論﹄︵巻下の二︶に、この大乗中すべて三種無上の義によるが故に無上乗と名付くとありて、その三種とは正 290
大乗哲学 行無上、所縁無上、修証無上をいう。故に﹃二十唯識述記﹄︵巻上の六︶に、﹁大乗というは、﹃弁中辺論﹄の無上 フハ ニ ク 乗品に、三義によりて無上乗と名つくと説く。﹂三口一大乗一者、弁中辺論無h乗品説、申二、.義一名二無上乗’︶とあり。も し﹃虚空蔵経﹄によらば左のごとく解せり。 大乗は無量無辺無崖の故にあまねく一切に遍じ、たとえば虚空のごとく、広大にして一切の衆生を容受する が故に、声聞、辟支仏と共ならず。故に名づけて大乗となす。 ノ ニ 大乗者、無量無辺無崖故普遍≠二切べ喩如’虚空べ広大容・受,切衆生べ故不下与二声聞辟支仏一共い故名為二大乗べ また﹃大集経﹄︵巻六の一一︶には、 この乗、広大なるが故に大乗と名づけ、もろもろの衆生において里擬なきが故に大乗という。 此乗広大故名二大乗べ於二諸衆生一無二四圭擬・故云二大乗べ また﹃十二門論﹄︵三紙︶には左のごとく解せり。 摩詞街︵大乗︶とは、二乗よりも上となるが故に大乗と名つく。諸仏は最大にして、この乗によく至るが故に 名づけて大となす。諸仏大人この乗に乗ずるが故に名づけて大となす。またよく衆生の大苦を滅除し、大利 事を与うるが故に名づけて大となす。乃至︹中略︺、摩詞街の義はこの因縁をもっての故に名づけて大となす。 ボロ ルカ ニ テ 摩詞街︵大乗︶者於二二乗一為レ上故名二大乗一諸仏最大是乗能至故名為レ大、諸仏大人乗二是乗・故名為レ大、又能滅二除 テ ヨ ノホ 衆生大苦一与二大利事一故名為レ大乃至摩詞桁義以二是因縁一故名為レ大、︹*111︵大乗︶なし *211益 *311三行の 省略あり *411﹁無量無辺﹂あり︺ 捌 また﹃起信論浄影疏﹄︵巻上の二︶には、
言うところの大とは、物にしてよく過ぎることなく、これを目して大となす。すでに至極といわば、いずく 92 んぞ己に勝ること有らん。故に言いて大と名つく。言うところの乗とは、運載を義となす。乗に二種あり。 2 一は法、二は行なり。法乗というは、よく他を運ぶの用にして、自運の義なし。すなわちこれ理法なり。行 乗というは、自らを運び他を運ぶが故に名づけて乗となす。 ク ク ルコト ソ ハ ハ 所言大者物莫二能過一目レ之為レ大、既言二至極一焉有レ勝レ己、故言名レ大、所レ言乗者運載為レ義、乗有二二種ハ一法二行、 テ 言二法乗’者能運レ他、用無二自運義べ即是理法、言二行乗’者自運運レ他故名為レ乗、 また﹃起信論纂註﹄︵巻上の一︶には、 大乗というは、大は所乗の法をいい、乗は能乗の人をいう。乃至︹中略︺、始めはすなわちこの大法を信解す る。しこうして自心に乗じて大行を修し、終わりはすなわちこの大法に乗って浬藥の岸に登り、菩提の郷に 至る。故に知る、所乗すなわちこれ能運、能乗すなわちこれ所運と。かくのごときはすなわち、大はよく一 切を運載し、究寛に至る。余乗はあることなし。ただ一仏乗なるが故に大乗というなり。 言二大乗一者、大謂所乗之法、乗謂能乗之人、乃至始則乗二此大法信解自心一而修二大行︵終則乗二此大法一登二浬磐岸一到二 菩提郷一故知所乗即是能運、能乗即是所運、如レ是則大能運二載一切↓至二於究寛一無レ有二余乗べ唯一仏乗、故云二大乗ハ 更に﹃起信論海東疏﹄︵巻上の二︶に解するところによれば、大乗と言うは大はこれ法に当たるの名、広苞を義 となす、乗はこれ喩に寄するの称、運載を功となすとあり。更にまた﹃起信論助蓼抄﹄︵巻三の一︶によるに、大 乗を解するに三乗、五乗等の異あり、まず人天乗とは三帰、五戒、十善等の法行をもって乗輿となして三途の悪 趣を越えて人天の善果に至るなり、これすなわち小船に乗して渓澗小河を渡るがごとし、小乗とは四諦十二因縁
大乗哲学 の法を乗り物となして三界の旅路を出離し、有余無余の二浬築に至り、阿羅漢および辟支仏の果を成ずるなり、 これまさに大船に乗じて大江河を渡るがごとし、菩薩乗とは悲智六度等を乗輿船筏として、分段、変易の二種生 死の此岸を越えて、無上菩提の浬薬の彼岸に至るなり、これすなわち大船に乗じて大海を渡るがごとしとあり。 その他、大乗の解々の諸書中に出つるものいくたあるを知らずといえども、その相違はただ文字語句の上にある のみにて、その意味は大抵同じきことを操り返せるに過ぎず。もしその大を釈して数義ありとし、乗を解して数 義ありとするがごときは、儒者が論語の二字に幾義ありといいていちいち並べ立て、僅々二文字の講釈に半日も 一日も費やせると同一にして、太平学者の道楽に近きものなり。これ倶舎三年唯識八年流の学者の所談なれば、 あたかも平田翁のいわゆる﹁魯の国の詮議する間に腰かがみ﹂との批評に価するのみ。故に今日の活学をなすに は山鳥の尾のしだり尾のごとく長々しくかくのごとき異義を陳列する必要なきも、余は従来の解釈の一斑を示さ んと欲して、ここに大乗義解の展覧会のごときものを開きしまでなり。 これを要するに大乗の解釈は大なる乗物の義にして、これを大と名付くるは小乗に対するによる。すなわち小 乗はその修行の因も、その得るところの果も、大乗に比すれば共に劣れるをもって、小さき乗り物にたとえ、大 乗はその修行その得果、共に小乗より優れるをもって、大なる乗り物にたとうるなり。けだし小乗は四諦十二因 縁と名付くる諸法を観じて、羅漢および辟支仏の果を得、大乗は六度の行を修めて、正しく究寛の浬磐を証得す るという。小乗、大乗共に浬磐に入るを目的とするも、その浬藥の状態は大いに異なりて、小乗の浬磐は虚無的、 大乗の浬藥は霊活的なるなどの論はここに掲げず。また小乗の修行は自利的修行にして、大乗は自利利他兼行的 ㎜ なれば、この二点をもって大小二乗の別となすも可なり。しかれども余は左のごとく理論、実際の両面より定義
を与うることとなす。 理論上にありては小乗は我空を説きて法空を説かず、大乗は我法二空を説くの異同あり。 実際上にありては小乗は自利のみにして利他を欠き、大乗は自利利他兼行の別あり。 これ仏教上、古来唱うるところにつきて二者の異同を表示せるのみ。もし哲学上これを較すれば、小乗は仏教 中の客観論、多元論、相対論、分析論、現象論にして、大乗は主観論、一元論、唯心論、絶対論、本体論なるの 別あり。その他、修行の階級、得果の状態等を較するときは、両者の間に大いに径底あるをみる。故に古来、大 乗は小乗をもって仏教内の外道となし、小乗は大乗を目して非仏説となせり。かくのごとく大乗と小乗とは月の すっぽんにおけるがごとく、耳かきのしゃくしにおけるがごとき異同あるも、同じくこれ仏教なり。同一仏教中 に氷炭相いれざる説をみるは、はなはだ怪しむべきに似たるも、同一父母の子供にして、甚六もあり、わんぱく もあり、利巧もあり、ばかもあるに比すれば、あえていぶかるに足らず。ことに小乗と大乗との別はただ表面に 存するのみにして、裏面には一味平等、同体不二の理を含む。これをたとうるに一帯の江流を、信州にありては 千曲川と呼び、越後に入れば信濃川と呼ぶがごとく、同一源より発する仏教の初代に行われしものを小乗と呼び、 後代に盛んなりしものを大乗と呼ぶに過ぎず。しかして小乗はインドの南部に伝われるをもってこれを南部派と いい、大乗は北部に弘まりたるをもって北部派という。現今インド地方はすべて南部派にして、シナおよび日本 は北部派に属す。これをもってインド人は日本の仏教をもって釈迦の正伝にあらずといいてこれを排斥す。西洋 人も異口同音に仏教を呼びて非仏説となす。けだし大乗非仏説論は古来の大難問にして今日に至るもその争論い まだ滅する期あらず。しかしてこれを仏説とするも空想、非仏説とするも空想にして、到底事実を挙げて証明す 294
大乗哲学 ることあたわず、畢寛するにその争論たるや、恐らくは水掛論とならん。しからずんば、喧嘩両成敗となりて引 き分くるより外なし。そもそも大乗は小乗を疑し、小乗は大乗を排するは、おのおの己の立脚地をもって観測を 下すによる。大乗必ずしも小乗に勝るにあらず、小乗必ずしも大乗に劣るにあらず。もし哲学上の理論をもって これをみれば、大乗の深遠幽妙なること雪山の高きがごとく、恒河︹ガンジス川︺の長きがごとく、小乗の遠く及 ぶところにあらずといえども、宗教上の実行をもってこれを較すれば、小乗の規則の厳密なるはその功あるいは 大乗に数等を加うることなしとせず。要するに小乗の長所は実践にありて、大乗の長所は理論にあり。なお花は 紅にして柳は緑なるがごとし。もし花は紅なるをもって柳を既せんとし、柳は緑なるをもって花を排せんとする に至りては、世間だれかこれを許すものあらんや。かつそれ大乗の理論は、高はすなわち高しといえども、これ 小乗の基礎の上に更に建設せるによるのみ。故にもし大乗中より小乗を除き去らば、大乗自体もたちどころに壊 頽せざるを得ず。たとえば大乗の 般に講ずるところの因果説も生滅説も無我説も、みなその源を小乗にとるこ とは弁明を待たずして知るべし。故に大乗、小乗より高しといいてみだりに誇るは、なお小児が大人の背上に立 ちてわが頭は大人の頭より高しといいて誇るに似たり。しかれども余は大乗は小乗の上に一段の発達を進めたる ものなりと信ずるをもって、小乗は大乗の予備門、もしくは先鋒隊に過ぎずというもあえて不可なかるべしと考 うるなり。もしこれを学校の階梯に比すれば、小乗は小学もしくは中学のごとく、大乗は実に大学なり。小乗は 普通にして、大乗は専門なり。故にもし小乗と大乗との品位の高下を論ずれば、前者は後者にしかざることもち ろんなり。ただ余は大乗家がみだりに小乗を既して、傲然として己ひとり尊きがごとく考うる風あるをみて、い 95 2 ささか注意を加えたるのみ。
われわれの同胞たる日本国民の特性は、はなはだしく勝つことを好みて、負けることを嫌うにあり、人に降下 することをいとうて、他に加上せんことをよろこぶにあり。その気風はあたかも国体の万国に卓絶せるがごとく、 富獄の雲表に秀出せるがごとき状あり。これをもってその仏教を奉ずるや、小乗の浅近をいとうて、大乗の高尚 をよろこぶ風あり。故に日本は大乗相応の地にして、現今の一二宗はみな大乗なり。しかるに近年西洋に大乗非 仏説論再興してようやくその余波をわが国に及ぼし、昨今大乗仏説非仏説の一大問題がはからずも世論を引き起 こすに至れり。余はその問題の起こるは、果たして仏教のために喜ぶべきか悲しむべきかを知らずといえども、 日本仏教の死活に関する重要問題たるは明らかなりと信ず。もし大乗果たして非仏説なりと論決するに至らば、 日本仏教はいかにしてその仏教たるの命脈を保つべきや、現今の一二宗は非仏説と共に並行することを得べきや、 余はその得べからざるを知る。果たしてしからば、非仏説問題は一二宗の存亡に関する死活問題なり。一死一生 のよって分かるる重要問題なれば、仏教家たるもの決して黙々として不問に付すべからず。余は今この大問題の 裁決を試みんとす。請う刮目してこれより論出するところをみよ。 296
第二講 大乗仏説論
将棋を争うに当たり、王将より飛車を大切にするものあらば、人これをなんとか言わん。一家を治めるに当た り、妻子より僕碑を愛するものあらば、人これをなんとか言わん。今ここに論者ありて須弥説は非仏説なりとい わば、仏教家喋々その非を論じ、大乗は非仏説なりといわば黙して答えずんばいかん。これ飛車を愛し、僕碑を大切にすると、なんぞ異ならんや。今や大乗非仏説問題、はからずも世間の文壇に上がり、ようやく気炎を吐く に当たり、仏者中うんともすんとも言うものなきは、余輩の大いに惑うところなり。今日の仏者は単に大乗の名 目の下に衣食するにあらずして、大乗仏説の下に糊口するものなり。換言すれば大乗を大天や竜樹の所造として 世に弘むるにあらずして、三千年古、釈迦仏金口の直説として人に伝うるものなり。果たしてしからばこの非仏 説問題に対しては勇を奮い熱を注ぎて大いに論ぜざるべからず。決してこれを冷眼薄情をもって送迎すべからず。 余察するに仏者中あるいはこの問題は書生輩の空論、壮士輩の暴言として不問に付するものあらんか。もししか らば余はまずその空論暴言にあらざることを示さんとす。これにおいて余は第一に非仏説論の証明を揚げ、第二 に仏説論の弁護を示し、第三に二者中論理いずれが確実なるかを判知すべし。 一 非仏説論の証明 大乗哲学 大乗非仏説論はインドおよび西洋を待たず、シナおよび日本において古来伝うるところなり。今わが国先輩の 非仏説論を考うるに、いずれもみな排仏家なり、外道流なり。まず富永仲基氏の﹃出定後語﹄︵巻上の二︶には左 のごとく論ぜり。 釈迦文すでに没して、僧祇結集あり。迦葉始めて三蔵を集め、大衆また三蔵を集め、分かれて両部となして のち、また分かれて一八部となれり。しかるにその言の述ぶるところは有をもって宗となす。ことみな名数 にありて全く方等微妙の義なし。これいわゆる小乗なり。これにおいて文殊の徒は般若を作りてもってこれ 97 2 に上せり。その言の述ぶるところは空をもって宗となす。しかしてことみな方広なり。これいわゆる大乗な
り。このとき、大小二乗にいまだ年数前後の説あらず。その大乗を張る者は、すなわち曰く、得道の夜より、 98 浬磐の夜に至るまで、常に般若を説くと。その小乗を張る者はすなわち曰く、﹃転法輪経﹄より﹃大浬薬﹄に 2 至るまで、集めて四阿含となすと。 釈迦文既没、僧祇結集、迦葉始集二三蔵バ而大衆亦集二三蔵一分為二両部べ而後復分為二十八部べ然而其言所レ述以レ有為レ ぱ 宗、事皆在二名数ハ全無二方等微妙之義べ是所レ謂小乗也、於レ是文殊之徒作二般若一以上レ之、其言所レ述以レ空為レ相、而 ハ ク ノ ノ クト 事皆方広、是所レ謂大乗也、此時大小二乗未レ有二年数前後之説べ其張二大乗一者則日、自二得道夜・至二浬繋夜一常説二般 ぎヨ ク 若べ其張二小乗一者則日従二転法輪経一至二大浬繋一集作二四阿含べ︹*1n他の諸本は﹁宗﹂ *211他は三五文字あり * 311他は数行あり︺ 以下は法華、華厳、方等、禅、真言の諸大乗は、みな仏滅後に互いに前者に加上せんと欲して作為せるものな ることを論ぜり。しかして最後に至り、 これ諸教興起の分かるるは、みなもとその相加上するに出づ。その相加上するにあらざれば、すなわち道法 なんぞ張らん。すなわち古今道法の自然なり。しかるに後世の学者、みないたずらにおもえらく、諸教はみ な金口、親しく説きしところ、多聞、親しく伝えしところと。ことにその中にかえってあまたの開合あるこ とを知らざるなり。また惜しからずや。 レ ト ニ ラク 是諸教興起之分皆本出二干其相加上↓不一一其相加上一則道法何張、乃占今道法之自然也、然而後世学者皆徒以謂、諸教 ノ 皆金口所二親説へ多聞所二親伝べ殊不レ知其中却有二許多開合一也、不二亦惜’乎、 同書にまた曰く、 余かつていわく、大小部乗、おのおの経説を作りて、みなこれを迦文に上証するはまた方便のみと。昔は、
大乗哲学 秦緩死す。その長子、その術を得て医名、秦緩に斉し。その二、三子の者、その忌にたえず、これにおいて おのおの新奇をなし、これを父に託してもってその兄に勝らんことを求む。その兄を愛せざるにあらざるな り。おもえらく、もって兄に異なるところあらざれば、すなわちもって父に同じきを得ずと。天下いまだ決 することあらざるなり。他日その東隣の父、緩が枕中の書を得て出してもって証す。しかるのち、長子の術、 始めて天下に窮まる。このこと毛元仁の﹃寒繁膚見﹄に出づ。これすなわちこれに似たり。 ニ ノミ 余嘗云、大小部乗、各作二経説べ皆ヒ証之迦文・亦方便巳、昔者秦緩死、其長子得二其術一而医之名斉二丁秦緩べ其.一 へ ク 三子者不レ勝二其忌ハ於レ是各為二新奇一而託一之干父一以求レ勝二其兄、非レ不レ愛二其兄べ也、以為不レ有三以異二干兄一則不レ ポ カ 得=以同二干父べ天下未レ有二以決一也、他口其東隣之父得二緩枕中之書一而出以証焉、然後長子之術始窮二丁天下べ此事 ノ 出一丁毛元仁寒繁膚見、是則似レ之、︹*1目異本は異 *211異本は人︺ また曰く、 如是我聞の我とはなんぞ。後世の説者、自我のことなり。聞とはなんぞ。後世の説者が伝聞することなり。 乃至︹中略︺、経説の多くは仏後五〇〇歳の人の作れるところ、故に経説には五〇〇歳の語多し、云々。 ホ クハ 如是我聞、我者何、後世説者自我也、聞者何、後世説者伝聞也、乃至経説多仏後五百歳之人所レ作、故経説多二五百 ポ 歳語べ云云︹*111異本は中略 *211異本は以下略︺ これ富永氏の大乗非仏説論の要点なり。もし服︹部︺天游の﹃赤保保﹄によるに、その開巻第一に曰く、 王元美謂らく、一切経皆仏説と称すといへとも、其間後人の仮託無きに非す、其大乗諸経は固より議すべき 把 に非すと錐も、小乗諸経の如きは仏滅後竺土の僧の作れる所にして名を迦文に託せる者なりと。是れ了義の
説を以て真とし、不了義を以て仮とす。理に於ては当れるに似たりといへとも、事に於て考ふれは甚た疎な り。予は反て謂へらく、其人天小乗の教、四阿含等の如きは、其間或は一、二、真に仏の金口に出たる者も 有るべきか、凡そ諸大乗経は皆是れ後人の仮託なること疑ふへき者無し。何如となればおよそ小乗の説は事 実なり、大乗の説は空理なり。たとへは釈迦の行由を述ぶるか如き、小乗には十九出家三十成道八十入滅と 説く。大乗には仏成道より以来既に久遠劫を歴たり、また滅度を示すといへとも実は滅度せず、常に霊山に 在して説法すと説く。是れまつ其事実ありて後に空理を付会せること明なり。且又小乗の名目は皆正義な り、大乗家は多くは小乗の名目を仮て翻案して其大乗の義を成せり。たとへは四諦の如き諦は審実不虚の義 にして、苦は実に苦、集は実に因等と説く。是れ本義なり。然るに大乗には﹁諦は苦にあらず、集にあらず﹂ ︵諦非レ苦非レ集︶等と説く。又緬は﹁有為を積聚す。﹂︵積二聚有為一︶の義にして固より無為を摂せず。然るに大 乗には緬即無為と説けり。且又法数に就て言ふに、小乗は四大を説けば大乗には五大六大七大を説く、小乗 に六識を説けば大乗には七識八識九識十識を説く、是れ皆後々漸々に増加せるなり。如上の三端は略一二の 例を示すのみ。余は准知すべし。如レ此なれば先つ小乗ありて後に大乗起れるには決せり。爾るに其小乗の諸 経さへ多くは後人の手に成りて、真説は甚た少れなるべし。何となれは今雑阿含を見るに阿育王法事を起す ことを載せたり。是れ仏滅百年後の事なり。然らは小乗経も後人の手に成りたること彰々然として明なり。 況や又大乗は其後に出たるをや。 これ大乗のみならず小乗までも仏説にあらずして後人の述作となせり。その他、同書付録に論ずるところもま た一考するに足る。すなわちいわく、 300
大乗哲学 なんぞ釈迦一代の教法は小乗にとどまらんや。仏すでに入滅してのち、諸弟子すなわち三蔵を結集す。その 迦葉等の大阿羅漢、七葉窟内におけるをこれ上座部と号す。これ仏門の正統なり。数万の凡聖、窟外におけ るをこれ大衆部と号すOこれすなわち芳流也。正、労異なるといえども法はただ一味、二部和合して謹競あ るをさげすむ。仏の後、一〇〇年に及び、大衆部中に一師ありて、名を大天という。始めに異見起こりて別 に新義を立て、生死浬薬みなこれ仮名の旨を唱う。けだし、後世の大乗の説、すでにここに胚胎せり。いわ く、大衆部はすなわち信じてこれを用い、上座部はすなわちその旧義に違うことをにくむ。大いに乖諄起こ りて互いに相諺殿し、再び和合せず。その後、第二の一〇〇年ないし四〇〇年して、二部ようやく分破し、 ついに二〇部となる。ここにおいて部執は峰峙し、諄論は波騰す。第五の一〇〇年の後におよび、馬鳴、竜 樹、無着、天親等の諸師、後にも先にも挺出し、諸部紛転するをみるによりて、方広の深義を唱えこれを破 せんと欲す。ついにすなわち大乗の修多羅を擬造し、もって小乗の三蔵の教えを弾斥す。その徒はまた諸論 を撰述し、もってこれを羽翼とす。摩詞桁の法はここにおいて盛んに興る。 ニ 蓋釈迦一代教法止二於小乗一焉、仏既入滅後諸弟子乃結一一集三蔵べ其迦葉等大阿羅漢於二七葉岩内一号二之上座部一是仏門 正統也、数万凡聖於二岩外’号↓之大衆部一是則芳流也、正芳難レ異、法唯.味、二部和合蔑レ有謹競、及二仏後百年、大 ニ 衆部中有二一師一名日二大天べ始起二異見一別立’新義−唱一生死浬磐皆是仮名之旨↓蓋後世大乗之説既胚胎丁此一云、而大 衆部則信而用レ之、卜座部則悪=其違二旧義ハ大起二乖謹、互相藷殿不二復和合べ其後第二百年乃至四百年二部漸分破遂 為゜二﹁部↓於レ是乎部執峰峙、謹論波騰、逮二第五百年後ハ馬鳴竜樹無着天親等諸師、後先挺出、因レ見二諸部紛絃一 欲下唱二方広深義一而破占之、遂乃擬二造大乗修多羅一以弾二斥小乗三蔵教べ其徒又撰二述諸論一以羽二翼之ぺ摩詞術法於レ是 01
盛興、︹*11窟︺ 3
その後悪口の名人、嘲弄の隊長たる平田篤胤翁ありて﹃出定笑語﹄と題する一書を著し、その中に仲基の﹃出 02 定後語﹄と天游の﹃赤保保﹄とに基づき、更にその意を敷術して大乗非仏説を論じたる一段あり。すなわち左に 3 引用すべし︵本書巻中の三三︶。 はるか 大乗の経々はもとより、小乗阿含部もともに釈迦の入滅後、迦葉阿難の輩が三蔵を結集したる時より遙後の かい 世の人の書たもので、其内小乗阿含部の経々は先に記したるもの故、十の中に三つ四つは実に釈迦の口から もろもろ 出たるままのこともあれど、大乗といふ諸のどもは凡て全く後人の釈迦に託して偽り作つたものに違ひは無 いでござる。それはどうして知れると申すに小乗阿含部の説どもは右申すごとく釈迦生涯の事実を本に記し ちなみ て其事実の因に法を説き、大乗の経々の説どもは空理ばかりを云たものでござる、云々。 その証拠として挙ぐるところは﹃出定後語﹄と﹃赤保保﹄との焼直しに過きず、ただ文章をやわらげて俗調に 変じたるのみ。いな罵署調子に変じたるのみ。その他、尾州の人にて朝夷厚生と称する者もやはり大乗非仏説を 唱えたり。この人は文化年代に世にありしものにて、その著書は﹃仏国考証﹄、﹃釈迦文実録﹄等、数部あり。ま ず同氏の﹃釈迦文実録﹄に自ら題するところ左のごとし。 一九にして出家、三〇にして成道、八〇にして老比丘の生尽き、命尽きること、これその真なり。阿僧舐劫 に常に霊鷲山にあること、これその説の幻なり。一〇年苦楽を行じ、樹下に正覚を成ずること、これその実 なり。成仏以来、無量無辺百千万億那由陀劫とは、これその説のいよいよ幻なり。しかもその幻と称するを 了義説となす、云々。 十九出家、三十成道、八十老比丘、生尽而命尽、是其真也、阿僧舐劫常在二霊鷲山一是其説之幻也、十年行二苦楽べ樹
大乗哲学 ド成二正覚一是其実也、成仏以来無量無辺百千万億那由陀劫是其説之愈幻也、而称二其幻為’了義説ハ云云 また同氏の﹃釈氏古学考﹄、自らの序文中には、﹁迦葉、結集はただは有宗のみ。いまだかつて摩詞街ありてこ タダ れを説かず。後世の諸家、懸空をもって自ら張り、他をおとしめるがごとくにはあらざるなり。﹂︵迦葉結集止有宗 ノミ リ 巳 、末下嘗有二摩詞街一説占之非レ若下後世諸家以二懸空一自−張堤吉他也︶とあり、あるいは、﹁迦文の教法の真はもっぱら 実学にあり。東漸して以来、シナの諸流は摩詞街をもって宗となし、その翻経訳師もおおむね空家なり。一にそ の意楽より空宗を主張し、三蔵の梵本これを翻するといえども、シナ国界蓼々としてこれを講ずる者なし。惜し いかな、竺土これ旧廃してまた振るわず。ことに仏滅して五〇〇年間、竺土の仏法は三蔵の外に余纏なきことを モ ネ ニ 知らざるなり。﹂︵迦文教法之真専在二於実学べ東漸以来支那諸流以二摩詞術一為レ宗、其翻経訳師率亦空家、一従二其意楽↓ トンテ カナ ンテ ニ ノ ハ 主二張空宗一錐二三蔵梵本翻P之支那国界蓼々 乎莫二講レ之者べ惜乎竺土之旧廃復不レ振、殊不レ知仏滅五百年間竺土仏法三 蔵外亦無二余纏一也︶とあるがごときはみな大乗非仏説の意を述ぶるものなり。かつまた同書の付録に摩詞桁不審十 条を列挙して、大乗のはなはだ疑うべきものなることを示せり。その論証はすでに﹃出定後語﹄および﹃赤保保﹄ 等に出つる理由とひとしきもの多きも、重複をいとわずこれを掲ぐべし︵本書は写本にて伝わり、文字の誤脱多 ければその読解し難きところはあるいは省略しあるいは修正し原文のままを出せり。かつ割注はすべてこれを除 くこととなす︶。 仏滅後五百年にして大に別れて五百部となる。﹁曰く、仏法五〇〇歳を過ぎてのち、おのおの分別して五〇〇 部あり。これより以来、諸法決定するを求むるをもっての故に自らその法に執し、仏の解脱のための故に説 03 3 法するを知らず。しかも堅く語言に着し、般若の諸法畢寛空なるを聞きて心︵むね︶をさするがごとし。﹂
ク ︵日仏法過二五百歳一後各々分別有二五百部ハ従レ是以来以レ求二諸法決定一故自執二其法べ不レ知下仏為二解脱一故説古法、而 サスカ ムネヲ 堅着・語言べ聞二般若諸法畢寛空一如二又傷p心︶とあり。五百部に別れたれとも皆三蔵学者にして有を以て宗とす ころ る者なり。此時未た大乗と云ふものあらず。五百年過くる比、馬鳴竜樹か徒起りてより三乗の名小乗に属す。 又無着天親等の諸師起り漸く方等微妙の経説大成して大に大乗を唱ふ。是れ竺土仏法の一大変なり。是迄竺 しばしば 土仏氏の争論数有りしも双方共に三蔵家︵小乗家︶の部執なり。大乗家起りて後は五印度諸国大乗家と小 乗家と部執争論止む時なし。支那にて仏氏の諄論とは大に異なり、支那にては大乗中諸流の争ひなり。又天 竺にては大乗小乗と云名目は大乗家の販語にて、他門にては云はさる称呼なり。小乗家にては三蔵経を仏道 の正統、釈迦の真説、其一代の説法悉く四阿含等に尽て、仏滅後迦葉等結集の三蔵経に仏説遺漏なしとし、 此外に別に大乗の説ある事は許さざる事なり。故に大乗家を空家外道と称して仏説にあらずとするなり。故 に竺土にては後世迄も小乗家多き所以なり。此処竺土仏氏の風儀は支那日本にて大乗を貴ふ流とは大に相違 なり。玄装等西遊の時見聞する所五竺の仏氏の習俗如レ斯なり。又大乗家にては其説を自張せんか為に皆小乗 家にて大乗家は後出なる故、小乗は如来の説に非すとは誕ひ難けれとも、大小乗とも如来一代の真説とすれ とも、其経説異なる故、小乗教を以て如来の前説とするなり。依て如来説時の説を設て法相三論は三時とし、 天台は五時と判する等の説起る。支那へは大乗家の説か伝はりし故、支那の仏道は始より諸流皆大乗を宗と して三蔵学を宗とする仏者は一向無レ之故、大小乗の名目か定まりたる仏経の階級の如く成されたるなり。夫 故稀に小乗家有ても大乗家と衡を争ふ事能はすして、自ら小乗家とし大乗経をも信して兼学するなり。且又 始より聞馴し事故、大乗を尊ひ小乗を賎しむるの説を愚夫愚婦迄も皆尤の事とするなり。此段前文に云如く 304
大乗哲学 竺土仏者の風儀とは天地懸隔の相違なり。 一 迦葉等三蔵結集の時に摩迦衛法︵大乗経︶を説かざりしなり。其証拠には竜樹大乗家なれとも此事を大論 に述へたり。﹁問うて曰く、もし仏、阿難に嘱累せば、この般若波羅蜜は仏の磐浬薬ののち、阿難の大迦葉と 共に三蔵を結集するに、この中になにをもって説かざるや。答えて曰く、摩詞術は甚深にして信じ難く行じ 難し。仏、在世の時、もろもろの比丘ありて摩詞街を聞くも、信ぜず解せざるが故に、坐よりたつ。なんぞ セパ ハ ノ いわんや仏浬築の後をや。これをもっての故に説かず。﹂︵問日若仏嘱累阿難是般若波羅蜜仏磐浬築後阿難共ニ ニ ヲ ハ ニ 大迦葉一結二集三蔵べ此中何以不レ説、答日摩詞街甚深難レ信難レ行、仏在世時有’諸比丘、聞摩詞宿不レ信不レ解故従レ ツ ソ ヤ ノ ニ 坐而起何況仏浬藥後乎、以レ是故不レ説︶︵以上︶。此問答を翫味するに摩詞祈法は仏滅後五百年間世に無レ之事な れば、是れ仏説にあらずと世人疑ふを以て其疑を防かん為に作りたる自問自答なり。然るに問ふ所の理は甚 た明かに聞ゆれ共、却て答ふる所の理明かならず、手を回して繕ひたる趣一たひ看過して識らるるなり。且 末に至て今一問すべき筈なり。肝要の事を問はずして止たるは未審かし。其一問の義を云はは如来阿難に属 累せられしとあれとも後世の凡夫僧と皆能く解釈する所の大乗経を親く仏の側に朝夕随侍して居たりし大徳 の羅漢達が信解すること能はさりしと云ふこと其理通せざることなり。﹁かつまた、いかにいわんや仏浬薬の カニ ンヤ ノ ヲ 後をや。これをもっての故に説かず。﹂︵ぽ又何況仏浬繋後乎、以レ是故不レ説︶と云こと亦其理通し難し。浬藥 の靭仏を去ること遠からず時の人を、何かに況んや信解すべけんやと云はは、滅後五百年の久きを経たる後 の人は、亦愈々何かに況んや信解すべけんや。是れ可レ疑一なり。 05 3 二 阿難霊鷲山に於て仏滅後摩詞術を集むと錐も、衆生志業の大小を籍量し、之を説かば錯乱弁を成し難きを
恐れて説かず、一人至道を識り同門の諸声聞へも秘して説かずと云。不実面柔の人と云べし。人を教へて倦 06 まさるは仁なり、阿難何ぞ不仁なるや。是れ可レ疑二なり。 3 三 日夜仏の側に随侍せし羅漢達の信解することの能はざる摩詞術を、釈迦も阿難も滅度の後に至り何者か之 を解釈して五百年の後に伝はるべき、是れ可レ疑三なり。 四 阿難其弟子へ伝へ、夫より次第に師々相伝へ来りしと云はば、左程次第次第に相伝承すべき事ならば、如 何して五百年の久き間仏法は只三蔵経の事のみにて、其経文年々増加分別せしことと、及ひ其学者部執争論 の沙汰詳かに伝はりしに、数々の大乗経か其中一経も其経文の沙汰なかりしこと、是れ可レ疑四なり。 五 無量義経等に四十余年の説法を未顕真実の説とし、法華に正直捨方便但説無上道と云へり。然るに仏滅後 迦葉等結集の時に未顕真実の経説のみを結集して其最も専要とすべき無上道を結集せざれは迦葉等の結集も 何の益なしと云ふへし。是れ可レ疑五なり。︵仏滅後迦葉結集の上座部及諸僧凡聖の徒の大衆部共に、今云小 乗の説にして、数多の大乗経の説一も散在せざる事、是れ大に怪むへきに非す乎︶。 六 金剛経に云、コ切の諸仏および諸仏の法はみなこの経より出づ。﹃無量義﹄にいわく、衆をしてはやく無 上菩提を成ぜしむ。﹃法花︹華︺経﹄にいわく、ただ一乗法のみありて二つなく、また三つなし。﹃大品﹄にいわ く、一切法みな般若波羅蜜中に摂入せん。﹃金光明﹄にいわく、十方の諸仏は常にこの経を念ず。法鼓にいわ く、一切の空経はこれ余説あるなり。ただこの経のみありて、これ無上の説なり。﹃浬築経﹄にいわく、仏よ り十二部経出し、十二部経より修多羅出し、修多羅より方等経出し、方等経より般若波羅蜜出し、般若波羅 蜜より大浬磐出す。なお醍醐のごとし。﹃十住論﹄にいわく、六度等をもって自力となすはその功遅く、念仏
大乗哲学 等をもって他力となすはその功はやし。真にいわく、中の蜜に自他の二力を具すはこれみな大乗経の説なり。﹂ ニ ヲンテ ク ︵一切諸仏及諸仏法皆従二此経一出、無量義云、令三衆 疾成二無上菩提ハ法花経云、唯有二一乗法R無レニ亦無レ三、大品 云、一切法皆摂二入般若波羅密中べ金光明云、十方諸仏常念一是経ハ法鼓云、一切空経是有二余説べ唯有二此経是無上 説べ浬繋経云、従レ仏出一十二部経⇒従卜.、部経出修多羅、従修多羅一出三方等経べ従二方等経一出二般若波羅密べ従ニ ホ シ ニ 般若波羅密一出二大浬磐べ猶如二醍醐べ十住論云、以二六度等一為二自力べ其功遅、念仏等為二他力一其功疾、真云、中密 具三自他二力’是皆大乗経之説、︶︹*11蜜︺其経毎に無上の経説とし、他の大乗経を劣れりとす。是れ一経毎に 其経の作者有て其説を自張せんか為に、他を既するの辞なること甚た明かなり。諸大乗経を参考し照し合せ て翫味すれば、経毎に夫々に作者の趣向有て作者異なる事、始終の証意に依て能く分るなり。数多の大乗経 悉く一人の口より出るとは決して成り難し。然るに諸大乗経皆仏経とす。是れ可レ疑六なり。 七 経説に声聞縁覚菩薩を三乗とす。声聞縁覚を小乗とし菩薩を大乗とす。よつて迦葉阿難等を声聞とするは、 古風の仏道の三蔵学者にして、三蔵を小乗とすればなり。仏滅五百年後に起りたる馬鳴竜樹無着天親の徒、 菩薩を以て称すること大乗家なる故なり。然るに馬鳴竜樹を始としてすべて仏氏たる者は皆阿難迦葉を祖と せさる事を得ず。其祖たる阿難迦葉は纏に声聞として、其末流たる馬鳴竜樹等皆菩薩と成て其上に立は大に 顛倒と云べし。然れば大乗の説にては其経文を菩薩とし、三蔵学を小乗とする故、然らざる事を得ざるなり。 然るに其説を以て仏説とすること、是れ可レ疑七なり。 八 小乗家の説は事実なり。迦文の事 を説くにも、十九出家、三十成道、八十の老比丘生尽て入滅すと説く 07 3 なり。大乗家に云ふ所は幻説なり。之を了義の説と云ふ。其説に仏成道より以来無量無辺百千万劫を経たり。
大乗哲学 滅度を示すといへとも実は滅度せられず、常に霊山に在て説法すと説くなり。此事をつらつら考へ観るに迦 文存命の時、世人に対して斯様の奇怪なる大言を語られなば聞く人是を信すべきや、如何なる愚昧の人にて も是を聞かば狂人とすべきなり。既に釈迦の太子たる時、はじめ浄飯王の城を喩て出家せられし阿若僑陳如 等五人の者、父王の命によつて太子に随身して同く山林に居りしが、太子始終出家を遂らるへき事を信せず して、得道証果せらるへき事は五人共に心に許さざりしなり。実録の六時は幻説と相違なること如レ斯也。然 るに数百年も昔の事は奇怪の事をも信する者なり。大乗の説は仏滅五百年の後の事なれば、竺人の愚昧なる 往古かかる不思議奇特の人も在りしことやと信する人ある故に、斯様の幻説を作りたるなり。今日まさしく 目前に飯食語笑する肉身の人少なく、少しく大言を吐ても承知せるか人情なり。然るを彼大乗家の幻説を仏 在世の経説とする事、可レ疑八也。 九 ﹁大迦葉、阿難に語る。﹃転法輪﹄より﹃大浬薬﹄に至る。四阿含を集めて作せりと。﹂︵大迦葉語二阿難自 転法輪一至二大浬築一集二作四阿含一︶︵智度論︶。是に由て観れは説法の最初より後に至て始終阿含を説かれしと見 えたり。又﹁始め成道の夜より、常に﹃般若﹄を説く。﹂︵又始自二成道夜一常説二般若一︶︵大論︶、此説によつて観 れば仏説法の最初より最後に至て始終般若を説かれしと見えたり。又コニ年﹃阿含﹄を説き、三〇年﹃大品﹄ を説き、八年﹃法華﹄を説く。﹂︵又十二年説二阿含二、干年説一大品ぺ八年説二法華︶︵法界性論︶と云、又或日菩提 流支の説には成道二十八年に理略経を説き、三十八年に解深密経を説き、四十二年に観無量寿経を説くと云。 然るに又華厳を成道最初の説とし、是を日輪の先つ大山を照らすに警ふ。又無量義経に﹁四十余年にはいまだ ホ 真実をあらわさず。種々に法を説くこと方便力をもってす。﹂︵四十余年未レ顕一真実︵種々説法以二方便力’︶︹*11 308
大乗哲学 大蔵経は種種説法以方便力。四十余年未曾顕実︺と云へり。此諸説の異同を和会せんとして、法相三論に三時教 を立て、前に小乗を説き後に大乗を説くとす。天台亦華厳阿含方等般若の四時に法華浬藥を同時として五時 に判すれとも、是も亦密合せさる故に、頓漸秘密不定の四教に約して判摂をなす。誠に止むことを得ざるの 説なり。右件の諸説は諸家の異同を和会せんか為付会の説にて、畢寛其経文を仏の真説とせんが為の繕ひ事 なり。諸大乗経実に仏の真説ならば、種々の工夫をなして諸時を擬造などし繕ふべき様なし。是れ可レ疑九也。 一〇 其初め迦葉等調出する所は三蔵経纏に数章にして、三蔵本と一書の名と云へば一切経と云物、其初至て 小部なりして仏滅後四百年に至り二十部となり、第五百年に至り五百部となる。其後大乗の諸経ありてより は次第に増加して数千万巻となる。初め結集の時僅に数章の仏経が後世に至り数百千倍となる事、其始少く 後世多し、何ぞ如斯莫大の相違なるや。然るに仏氏の所謂一切経文皆仏説にして、阿難の結集する所なり。 是れ可レ疑十なり。 以上、一〇難はひとり朝夷の説にあらず、必ずその前より伝われる大乗非仏説を統計して一〇力条となせしも のならん。その他、悪口の隊長、嘲弄の名人なる平田翁も﹃印度蔵志﹄中に更に大乗非仏説を論ぜられし点、数 カ所あれども、さきに掲げたる﹃出定笑語﹄の論点と別に異なることなし。今左に二、三節を引用せん︵﹃印度蔵 志﹄巻二三の一一左︶。 さて起信論に、﹁修多羅の説、もし人、もっぱら西方極楽世界の阿弥陀仏を念じ、修するところの善根を廻向 して、かの世界に生ぜんと願求すれば、すなわち往生することを得と。かくのごとく摩詞術は諸仏の秘蔵な 珊 り。われすでに総じて説けり。もし衆生ありて、大乗道に入らんと欲せば、まさにこの論を持すべし、云々。﹂
ノ ノ ︵修多羅説、若人専念二西方極楽世界阿弥陀仏一所レ修善根廻向願三求生二彼世界一即得二往生⊃如レ是摩詞桁諸仏秘蔵、我 10 已総説、若衆も欲レ入二大乗道一当レ持二此論べ云云︶︹*111数行の省略あり *2‖一七字の省略あり︺とあり。然 3 るに四阿含中に西方極楽世界の説法なく、阿弥陀仏といふ仏名有ることなければ、此は四阿含を撰録せる時 までの世人は更なり。仏祖が説かざる世界の、仏祖が知らざる仏にぞありける。然れば其修多羅は是比丘が 密に造りて仏祖に託せる偽経なること疑なし。借こそ此に諸仏の秘蔵なれとも我已に説くとは言へり。︵是一 を以ても謂ゆる普賢文殊を始め無数の菩薩どもの名は皆この比丘が寓作なる事を知り弁ふべし︶。さて其修多 羅は何経ならむと案するに、彼方等部と称する大宝積経にぞ有りける。其は此経の第五会に無量寿如来会と て、仏祖書閣噸山に住して万二千の大比丘と倶なるに普賢文殊弥勒など無量の菩薩来集せり。此時阿難が問 に応して往昔法処比丘と云ひしが、四十八願を興して無量寿仏と成りて、西方極楽世界に住する由を讃し、 発願往生に勧めたる由に造れる。是ぞ始めと見ゆればなり。其は此経、大乗方広部の祖経と見ゆるに極楽世 界阿弥陀仏の本縁に載せると。其大乗説は馬鳴に始まり、かつ起信論に右の如く云るにて論ひ無し、仏にて は阿弥陀、阿閑を始め、菩薩にては普賢文殊を始め、無数の仏菩薩どもの阿含中に見ざる名等は、皆これ馬 鳴が造れるなり。 また同書︵巻二三の三〇左︶竜樹菩薩の伝記を叙する下に、 ︵前略︶さて本文に採れる綱要に﹁あらゆる仏法みなことごとく伝持す。﹂︵所レ有仏法皆悉伝持︶と云ひ、上に 引く付法蔵経に有ゆる仏経を敷演せる由言るに就て、なほ西域記にも﹁竜猛菩薩は釈迦仏ののべられたる説 法、および諸菩薩の演ぜられたる述論をもって鳩集し、部別す。﹂︵竜猛菩薩以下釈迦仏所宣説法及諸菩薩所演述
大乗哲学 ス 論上鳩集部別︶とも有るは、是までに次々出来て在し大乗教法に鳩集敷演して部を分ち自ら持し世に弘伝せる シつく 由なり。其は皆己が識量を以て敷演せるにはあれど、世に持伝ふる教説とは差へる敷演を他人の信まじく思 ひて、竜宮なる諸経の精説なるを得て来れる由して取出たるにて、其は此比丘が新工夫の幻説なり。 これを要するに平田翁の説にては、竜樹が自ら敷術せる大乗諸経を世人をして信受せしめんがために、竜宮と いえる幻説を工夫して人を欺きしというにあり。しかして大乗教は小乗異部中大天の唱えし大衆部の説中より産 出せりとの意なり。故に同書︵巻二一の三四右︶に曰く、 ︵前略︶そは其大乗説の此︵大衆部︶に胚胎せる事は、既に出せる大衆部の説中に三刹那心は般若に相応 して一切法を知る。諸仏、世尊は尽智、無生智、恒常に随転して、すなわち般浬藥に至る。﹂︵.刹那心相応般 若知二切法、諸仏世尊尽智無生智恒常随転乃至般氾繋︶と有るは、是れ正に大乗般若の胚胎せるなり。然れ ハ ニシテ ば此を敷演して其より出てたる一説部に﹁諸法は唯一仮名にして体を得べきなし。﹂︵諸法唯、仮名 無二体可p うみだ 得︶とふ説を生出し、多聞に二つには無常、二つには苦、三つには空、四つには無我、五つには浬藥寂静、 うみいで この五つはよく出離道を引く。﹂︵.無常、 ,苫、、.空、四無我、五浬繋寂静、此五能引出離道︶とふ説を生出 たり。是を以てかの大乗弘通の魁首たりし謂ゆる馬鳴論師大衆部の本義を取捨敷街して大乗起信論を作り、 其多聞部の説を襲ひて﹁苦、空、無我、第一義諦、みなことごとく空寂﹂︵許空無我第一義諦皆悉空寂︶と立言 し、また其弟子とも云ふ竜猛論師も大乗般若の旨を専一と為て、かの大智度論をぞ作りたりける。然れば此 徒みな彼大天が子孫に非ずして何ぞ、また凡て大乗説を奉する徒この大天が苗喬にあらずして何ぞ。 抑この宗輪論の作者世友などの固より上座一切有部の人なれば、大天か新義を損斥せん事は其旧義の廃れん 311
さ わざ ことを思へるにて、実に然も有るべき挙なるを、其後に出し彼国の大乗論師らは更なり。其大乗般若を荷ひ もろこし 12 持来し、玄 が此論を訳しつつも、右の由来を弁へは、此比丘を始め諸越の比丘等、また皇国の仏者たちも、 3 皆大乗を信じつつ、彼大天が異見をしも口を極めて諺り悪むは、其大乗教法の父をのみ尊みて其教本の祖父 を卑むる道理になも有りける。 平田翁が﹃印度蔵志﹄に述ぶるところ大略かくのごとし。その他は﹃出定後語﹄および﹃赤保保﹄を引用して その受け売りをなすまでなり。前に掲げたる朝夷厚生の﹃釈迦文実録﹄および﹃釈氏古学考﹄は﹃印度蔵志﹄中 に引用せるをみず。けだしその書は平田翁の手に入らざりしならん。もしその手に入りしならば、必ず開いた口 に牡丹餅と思いて、すぐさま吹聴するに相違なかるべし。余はここには引用せざれども、この朝夷厚生の﹃仏国 考証﹄と題する一書は、平田翁も一見せしとみえて、﹃印度蔵志﹄中にその書名を掲げたり。 その他、大乗非仏説を論ずるもの﹃釈教正謬﹄と題する書中に出づ。本書は洋人、文約碁迫謹氏の著すところ にして、その材料は多くシナにて諸家の排仏説より拾集せるや明らかなり︵その書漢文にしてシナにて発行︶。そ の第一章は経典を論じ、第二章は教乗を論ずと題し、大乗非仏説の意を述ぶ。まずその第一章に曰く、 釈氏の経典数千巻、みな釈迦牟尼の所説という。梵文をもって華言に訳すに、千百年数百人の心力を費し、 一時一人のよく弁ずるところにあらず。漢、唐以来、経旨を講求するに、分かれて数派あり、また経の一人 の所説にあらざることを証すべきや。かくのごとくなれば、すなわち釈典を作るは必ず多人ありて、みな仏 諸弟子、仏の口に仮託し、如是我聞の四字をもってするのみ。 仏氏のいうところ、諸経はいずれの地において説きなんびとより述べるを。つねに仮託すること多くして、
大乗哲学 ﹃華厳経﹄の序のごとし。いわく、竜樹菩薩、前漢の中葉にありて大乗を講ず。大乗経典の中、華厳最も著 し。いずれがもとの竜樹の自作なるを知らん。人の尊敬を欲するが故に、名を如来に託すのみ。 釈氏経典数千巻、皆云釈迦牟尼所レ説、以梵文訳華言費千百年数百人之心力一非 一時.人所’・能弁べ漢唐以来講 求経旨分有一数派・亦可レ証=経非’二人所説矢、如レ是則作釈典者必有゜多人・皆仏諸弟子仮一託仏口・増以’如是我聞 四字一而已、 仏氏所レ言諸経説二於何地一述自二何人、毎多一仮託如二華厳経序、言竜樹菩薩在二前漢中葉一講二大乗べ大乗経典中華厳最 ノ レヵ ノ ノ ナルヲ ノ ヲ 著、執知二本竜樹自作べ欲二人尊敬一故託二名如来一耳、 つぎに第二章にいわく、 梵文の摩詞術の三字は、すなわちいうところの大乗なり。摩詞は大、桁は乗なり。小乗の梵文は希那街の三 字、小乗は﹃四十二章経﹄、﹃仏本行集経﹄等なり。大乗は﹃華厳﹄﹃樗伽﹄﹃大浬築﹄の諸経なり。大乗に載 せられたる弥陀、阿閤、薬師の諸仏、文殊、普賢、観音の諸菩薩、小乗にはこれなし。仏を奉ずる諸国、そ の教えは早くして南北に分かる。南は小乗を信じ、北は大乗を信ず。南方の経典は大乗の諸仏菩薩を用いず、 ただ七仏千仏をいうのみ。北方の経典は大小乗をみな備える。愚思うに小乗は如来の親授となし、大乗の諸 経、すなわち北方の釈徒は偽となすところの者なり。中国漢明帝の時、迦葉摩騰のひもとくところは小乗を 過ぎず。魏晋六朝におよんで始めて大乗経典あり。かくのごとくなれば、恐らくは釈氏のいうところの如来 金口の宣言せる十二部経は、大いに真実の話頭にあらざるなり。案ずるに、晋の法顕は西域の諸方を経歴し て参学し、あるいは大乗に従い、あるいは小乗に従う。けだし当時の北方諸国の習するところの大乗の中に 13 3 は、なおいまだ小乗をことごとく去らざるなり。二十八祖達磨東土にきたりて、七仏をもって相伝し、正法