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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(ニ) : -牽連性要件を中心として- 利用統計を見る

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(ニ) :

-牽連性要件を中心として-著者名(日)

山田 八千子

雑誌名

東洋法学

46

1

ページ

27-67

発行年

2002-09-30

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000758/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造

       牽連性要件を中心として

︵二︶

山 田

八 千 子

第一章はじめに 第二章イギリス法の相殺 第三章衡平法上の相殺の牽連性要件 第四章日本法への示唆 第五章おわりに ︵以上 第四四巻第二号︶

東洋法学

第四章 日本法への示唆  イギリス法においては、二種類の相殺、すなわち裁判手続きにおいて行使することが要請される﹁制定法上の 相殺﹂︵ω鼠98蔓ω9る3と裁判手続きによらずして行使できる﹁衡平法上の相殺﹂︵8巳鼠亘Φ器→○きとが認 27

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) められており、現在では、後者の﹁衡平法上の相殺﹂が重要性を増している。本稿第三章では、この﹁衡平法上 の相殺﹂における牽連性という成立要件の発展過程を紹介・検討した。﹁衡平法上の相殺﹂は、裁判外においても 行使が可能であり、いわば自力救済的︵ωo→箒琶なものであって、相殺を主張する側の権利と相殺される側の権 利との緊密な関係、つまり牽連性という要件が必要とされるわけである。そして、﹁衡平法上の相殺﹂においては、 この牽連性要件こそが議論の中心となっている。イギリス法の牽連性要件の解釈をめぐる展開については、以下 のように要約できよう。まず、﹁衡平法上の相殺﹂が認められた比較的初期の段階では、行為者が主観的悪性を有 するかどうかを基準として、牽連性の概念が構成され、行為者の主観的悪性については、糾弾︵言℃$9ヨ①導︶ という語を用いて、以下のように語られてきた。当事者双方がそれぞれ相手方に対して権利を有し義務を負うと いう債権の対立状態が存在するとする。このとき、一方の当事者が自己の義務を履行せず権利のみを一方的に行 使しようとした場合に、その当事者の一方的な行為は糾弾︵巨o$魯BΦ暮︶に値するほど許しがたい行為だとい う価値判断が下されるときに限り、牽連性が認められたのである。この意味で牽連性要件は元来非常に厳格な要 件であった。例えば、同一の契約から生じた権利義務関係であっても、同一契約から生じた債権債務というだけ では牽連性を充足するのに不十分だと考えられたのである。しかし、その後、牽連性要件の内容は変容し、主観 的悪性という構成から債権相互の緊密性という債権の適格性に着目した客観的な構成へと展開を遂げるのであ る。そして、債権相互の緊密性とは何かという点については、﹁公正︵貯一旨8ω︶﹂という概念を用いての検討が判 例で積み重ねられつつある。すなわち、牽連性という要件解釈をめぐって、債権同士の緊密性という債権の性質 28

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を基盤とした概念が導入され、さらに、その緊密性の意味に関して、公正さの実現を鍵として解釈的営為が試み られてきたということができるであろう。  では、こうしたイギリス法の衡平法上の相殺に関わる解釈的営為は、日本法へ何らかの示唆を与えることがで きるであろうか。  本稿で扱っている対象は支払い不能前の法定相殺である。民法典の相殺の条文群︵第三編債権編第五節第二款︶ においては、債権同士の牽連性について明示的に規定するものはないのは明らかである。しかし近時、民法五一 一条における相殺の第三者効をめぐる諸議論において、債権同士の客観的相互関連性という意味での牽連性概念 について検討し、相殺を許容する基準として提示している学説が複数見受けられる。すなわち、民法五一一条の ﹁相殺と差押﹂をめぐる相殺の対第三者効に関する論点において、両債権の﹁牽連性﹂に着目して第三者効の範囲       ︵−︶ 確定を試みようとする見解などである。例えば、﹁牽連性﹂概念を導入することで実践的な意義を有する場面とし ては、銀行の貸付金と不渡異議申立預託金との相殺を挙げることができよう。この場面では、受働債権の適格性        ︵2︶ の基準として牽連性の要素が検討されている。  したがって、条文上で債権の牽連性という文言が規定されていない日本法においても、相殺の対象となる受働 債権の適格性としての債権同士の牽連性という要素に依拠するという方向性は、解釈論上に採用の可能性がない わけではない。よって、イギリス法の﹁衡平法上の相殺﹂の要件たる債権同士の牽連性の解釈論が、日本法へ一 定の示唆を与える余地を残すものといってもよいだろう。しかしながら、同時に、日本法の相殺制度の系譜に対 29

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) して慎重な配慮をしなければならない。系譜的にみれば、日本法における相殺とイギリス法における相殺つまり ω9−o陳には繋がりはなく、両者は構造的に異なるものであって、イギリス法の解釈は日本法に示唆を与えること は極めて困難であるともいえそうだからである。  たしかに、日本法の相殺、五〇五条ないし五一一条の条文は、イギリス法の﹁衡平法上の相殺﹂とは同じ系譜 に属するといえないことは明らかである。しかし、実質的にみれば、日本法における相殺も、イギリス法におけ る相殺つまりωo→oヰも、対立する状態にある複数の債権の行使・実現を対当額において妨げるという効果を生 む点では共通点を有している。そして、本稿第一章で確認したように、自力救済的な決済機能を有する点では、 イギリス法の﹁衡平法上の相殺﹂は、日本の相殺と同様の仕方で機能しているといえよう。しかし、実質的側面 における最も重要な相違点は、自力救済的な決済制度に対する態度が、元々積極的であったか、あるいは消極的 であったかという点であろう。前述したように、イギリス法の初期段階においては、当事者の企画をより優先さ       ︵3︶ せるという立場から、自力救済的な相殺につき消極的な態度がとられ、この結果﹁衡平法上の相殺﹂についても、 成立要件の段階で比較的厳しい制約つまり牽連性要件が出発点から課されることになったという経緯がある。時 代を経るにつれて、相殺の領域は次第に拡張され、現在に至っている。このように、裁判外の相殺という自力救 済的な権利に対するイギリス法の態度は、日本法と比べて消極的なのは明らかである。もちろん、法体系の系譜 を含め一定の源に基づき条文の解釈が必然的に演繹されるというわけではないだろう。言い換えれば、法解釈に おいても、いわば水源池のように法解釈の源となる公理的なものや推論規則が存在するとはいえない。しかし、 30

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日本法への示唆に関する有意味な言及をおこない整合性のある解釈論を展開しうる前提として、やはり立法段階 で相殺の構造につきどのように考えていたかを確認した上で、進める必要があるだろう。  したがって、第一節で、立法当時の資料を基礎にして、相殺の要件・効果および方式ならびに相殺の第三者効        ︵4︶ をめぐる日本法の相殺の構造につき確認する。続いて、相殺における債権同士の緊密性つまり牽連性が、判例・ 学説でどのように扱われていたかを概観した上で︵第二節︶、第三節で日本法への示唆について若干の検討をおこ なう。  第一節 日本法における相殺制度の導入  日本における相殺に関する条文には、周知のように、旧民法から現行民法へと移行する過程で、五〇五条のよ うに実質的な変更を遂げた部分と五一一条のように字句的な変更に留まった部分とが併存している。このような 部分的な変更が、相殺制度の枠組みにつきどのような影響を与えたのであろうか。

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 相殺の仕組みと当事者援用主義  相殺の要件・効果および方式に関わる相殺制度の仕組みは、民法第五〇五条および第五〇六条に規定されてお り、そこでは一方当事者が相殺の意思を表示しなければ相殺の効果が発生しないという立場︵当事者援用主義︶ が採用されている。対照的に旧民法では、相殺に適した一定の状態つまり相殺適状になれば当事者の意思表示が 31

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) なくても法律により当然に相殺の効力が生じるという立場︵法律上当然主義︶が採用されていた。法律上当然主       ︵5︶ 義を採用するフランス法系の立場から、当事者援用主義を採用するドイツ法系の立場に変更したわけである。法 律上当然主義を採用するのか、それとも当事者援用主義を採用するのかの態度決定は、未回収の債権の減少につ き積極的な仕組みを提供するかどうかという観点からは、相当程度重要な意思決定であると考えられる。もし当 事者の意思と無関係に相殺の効果が発生すると考えるならば、法律上当然主義の採用により、未回収の債権をで       ︵6︶ きるだけ減少させようとする立場が積極的に表明されたと評価しうるからである。逆に、当事者援用主義は、未 回収の債権の減少よりも当事者の意思を優先させうる仕組みを提供しているといえよう。このように考えられる ならば、当事者援用主義か、それとも法律上当然主義かは、単に相殺の方式を定めたということだけに留まらず、 相殺制度全体の趣旨ないし位置づけにも影響するともいえるだろう。では何故、現行民法は、旧民法の法律上当 然主義から当事者援用主義へと変更したのであろうか。  法典調査会で、現行第五〇五条の﹁各債務者ハソノ対当額二付キ相殺二因リテ其債務ヲ免ルルコトヲ得﹂とい う規定の説明において、起草委員の一人である穂積陳重委員は、複数の根拠を提示している。まず、法律上当然 主義がもたらすとされる種々の不便への配慮である。すなわち、仏蘭西、伊太利その他の国が法律上当然主義を 採用しているけれども、相続や譲渡において間題が生じやすいことや、不注意な当事者においては債権が対立し ていることを忘れる場合があることなどから、当事者間で常に相殺がおこなわれることにすると不便が生じると いう指摘をしている。加えて、法律上当然主義は、﹁中世羅馬法ノ誤解﹂により生じた誤解を踏襲しているもので、 32

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誤解だが便宜ということで採用されたが、かえって種々の﹁混雑間違ヒ﹂を生じると思うとして、法律上当然主        ︵7︶ 義の由来の薄弱さをも指摘している。  この五〇五条に関する記述を受けて、現行五〇六条における相殺の権利の行使方式についても、穂積委員は旧 民法の法律上当然主義の立場を採用しないことを五〇六条の説明の箇所で再確認している。すなわち、両方が相 殺権を有していても相殺の意思表示をしない場合には相殺権の放棄にあたり、現実回収ということが幾らか手数 であっても双方当事者が﹁初メ約束シタトオリニ﹂弁済をなそうと思えば、法律が無理に干渉してこれを相殺さ       ︵8︶ せる理由がないから、一方の意思表示によるという方法が一番穏当であると思ったとしている。よって、この記 述においては、当事者の意思表示の尊重が法律による干渉よりも優先するという立場がある程度意識されている といえるだろう。

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 相殺の効力  さて、現行民法は当事者援用主義を採用したにもかかわらず、相殺の効力につき遡及効を認める立場を五〇六 条で採用している。もし当事者の意思尊重という点を貫徹するならば、当事者援用主義を採用する以上、意思表 示した時点で相殺の効力が発生するという帰結の方が一貫性を有するだろう。しかしながら、相殺適状時から発 生する利息のスムーズな処理などを考慮すれば、遡及効という擬制が持ち込まれざるを得なかった。しかし、遡 及効を認めることで当然消滅主義からは完全に脱却できない事態に陥り、しかも相殺適状時から不確定な状態が 33

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二)         ︵9︶ 継続することになる。このように、当事者援用主義をとりつつ遡及効を採用することは、一種のディレンマを含 むことになる。この点については、法典調査会でも、当事者援用主義を採用したにもかかわらず意思表示する以 前に効力を遡らせる必要性につき、磯部四郎委員から疑間が提起されている。この疑間に対しては、穂積委員が、 相殺が当事者の便宜のための制度であることから権利を行使しうるときに遡って生じることにすべきなのだとい       ︵−oV う回答をすることで決着がついている。なお、この相殺の遡及効の説明に伴い、穂積委員から、債務が弁済期に 至ったときに生じる権利として﹁相殺権﹂が生じるという表現で﹁相殺権﹂への言及がなされ、﹁相殺権﹂が定義       ︵11︶ づけられている。  相殺の第三者効  相殺は当事者の債権債務関係に影響を与えるに留まらず、例えば一方当事者に対する債権に基づいて差押をし た者のような、双方当事者に対して利害関係を有する第三者に対しても影響を与える。この第三者の存在が、相 殺に関する法的諸間題をより複雑にしているわけである。こうした第三者は、次のような一連の流れー相殺の仕 組みが機能する端緒となる債権債務関係の対立状態発生を起点とし、相殺適状という相殺権が行使しうる状態を 経て、相殺権が現実に行使される時点直前を終点とする一連の流れーのうちに、存在しうる。  さて、相殺の仕組みにおいて現行民法五〇五条と同様に当事者援用主義を採用しているドイツ法は、相殺の第 三者効につき明文で﹁弁済期の先後﹂を基準にする旨を規定しており、自働債権の弁済期が受働債権の弁済期よ 34

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      ︵12︶ りも先に到来する関係になければ、差押債権者などの第三者に対し相殺を対抗することができないとしている。 他方、日本の現行民法五一一条は﹁其後二取得シタル債権二依リ相殺ヲ以テ差押債権者二対抗スルコトヲ得ズ﹂ という規定であって、弁済期の先後関係について言及しておらず、しかもテクストの形としても、様々な解釈の 可能性に相当程度開かれた構造になっているといえよう。このため、第三者との関係をどのように扱うかについ ては、五一一条の解釈上の議論が不可避となり、相殺による第三者への影響の範囲につきどのような基準で決定 するかが間題とされてきたわけである。では、こうした開かれた構造を有する条文であるということ、ならびに 相殺の方式をドイツ法に倣いながら第三者効につき倣わなかったことにつき、起草者はどの程度意識していたの であろうか。  穂積委員によれば、現行の民法の五二条につき、旧民法財産編五二八条一項に﹁字句ノ修正ヲ加エタルノミ﹂       ︵13︶ で実質はそのままであるとされている。そして、この旧民法財産編五二八条一項は、ボアソナードが起草した原 案を﹁翻訳・調査・整理﹂した民法草案財産編五五〇条一項に由来し、この民法草案財産編五五〇条第一項は、       ︵14︶ フランス民法一二九八条に由来している条文だとされている。よって、五〇五条などで当事者援用主義の採用を したことが、五一一条の位置づけ、解釈に影響を与えるかどうかについては、意識されてはいなかったといえよ う。さらに、相殺の第三者効において重要な視点の一つと考えられる相殺の担保的機能についてはどうか。法定 の担保物権と相殺との関係について言及されていないのはむろんのこと、事実上の担保的機能を果たしうる可能 性、つまり対立状態にある当事者が事実上優先弁済を受ける可能性があるために結果として債権債務が対立状態 35

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) にある当事者に一定の期待を惹起させるということなどの事実上の担保的な機能の側面については、起草者の議       ︵15︶ 論の中で言及はされていない。また、ドイツ法のように当事者の債権における弁済期の先後をもって第三者効に 影響を与えるという仕組みを採用するかどうかについても言及がみあたらない。したがって、ドイツ法に倣って 相殺の方式や要件を変更したことと、五二条の枠組みとの関連づけは、起草者には意識されていないといって よいだろう。  小   括  現行民法は、ドイツ法と同様に、相殺の意思表示をなすことを要件とする当事者援用主義を採用しつつ、相殺 の効果につき意思表示の時点ではなくて相殺適状時に遡るという形態をとっている。他方、相殺の第三者効につ いては、ドイツ法のように弁済期の先後をその基準とせず、フランス法から主たる影響を受けている旧民法と同 趣旨の規定を定めているものの、相殺のいわゆる担保的機能については積極的な形であれ消極的な形であれ議論 はされておらず、むしろ意識されていなかったと表現するのがもっとも適切であろう。では、相殺制度と当事者 の意思との関係については、起草段階で意識されていたのであろうか。相殺をおこなう側の当事者が債権回収の リスクを相手方の協力なしに回避できること、つまり、法定相殺という制度の利用を促進することが当事者間の 企画より債権の未回収状態の解消に比重を置く帰結を導くという意識は、立法者にはなかったといえよう。すな わち、双方が債権を回収しあうという方法の迂遠性や現実弁済に伴うリスクなどを回避する要請の方が、当事者 36

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同士の約束よりも優先すべきなのだという意識は、立法経緯のうちに明示されているとはいえないだろう。しか し同時に、相殺の機能における簡易決済という当事者の便宜が意識されて、相殺の効力は当事者の約束と反する 形では行使されるべきではないという点が指摘され、その限りで当事者の意思についても一定の尊重が示されて いる。よって、相殺の方式上当然消滅主義を採用した場合と比較すれば、当事者の合意や企画を尊重するイギリ ス法の立場に近いものといえよう。しかし、相殺の方式に関する起草者の説明の箇所で、相殺の便宜性にしばし ば言及がなされていることに象徴的なように、相殺につき概ね寛容な姿勢が取られており、出発の時点で相殺に ついて消極的であったイギリス法とは基本姿勢は異なっている。すなわち、少なくともイギリス法におけるよう に牽連性要件が相殺権の発生の要件として加重されていくという方向性は、日本法においては系譜的に整合性が        ︵16︶ つきにくいといえるだろう。

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 第二節相殺の第三者効に関する判例・学説と﹁牽連性﹂概念  相殺をめぐっては、自働債権と受働債権がどのような状態にあれば相殺が認められるのかという相殺適状の問 題と、当事者間で相殺が認められる場合でもその効力を第三者に対して対抗できるのかという相殺の第三者効の 間題とが、考えられる。イギリス法の﹁衡平法上の相殺﹂においては、牽連性の概念は前者の場面つまり相殺の 要件論の場面で論じられたわけだが、要件論の場面で論じられた理由は、既に述べたように、イギリス法が当事 者の企画を尊重して裁判外の自力救済的な相殺につき消極的な姿勢をとっていたためである。この傾向は、﹁衡平 37

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) 法上の相殺﹂が認められるようになった当初はとりわけ顕著であった。他方、日本法では、立法経緯において確 認したように、相殺の導入をめぐっては相殺を便宜的なものと捉えて比較的寛容な姿勢をとっている。したがっ て、イギリス法において﹁牽連性﹂という概念が相殺の成立要件として機能しているのと同様の機能の仕方をす るとは考えにくい。しかし、当事者間の相殺について寛容な姿勢を採用する日本法においても、相殺が第三者に も影響を与える場面では、当事者間における程寛容な姿勢を採用すべきかどうかは間題となる。とすれば、相殺 の成立段階で謙抑的な姿勢を採用するイギリス法においては﹁牽連性﹂概念が相殺の成立条件として機能したの とは異なる次元ではあるものの、日本法においては、﹁牽連性﹂概念は、当事者以外の第三者に相殺の影響をどの 程度及ぼすべきかの基準として、すなわち相殺の第三者効の場面で機能するとは考えられないであろうか。すな わち、相殺の第三者効の段階で、第三者へ相殺権の行使を主張するための要件として﹁牽連性﹂概念が機能する 場面を考えることができるだろう。すでに述べたように、イギリス法の﹁衡平法上の相殺﹂においては、現在で は、当事者の企画に優越して自力救済的相殺を認めるに足りるような当事者間の緊密な関係が存在するときに、 相殺を成立させるのが公正︵団巴ヨ①ωω︶であるという視点が主張されている。日本法においても、第三者の期待に 優越して相殺の第三者効を認めるに足りるような当事者関係が存在するときに、相殺の第三者効を及ぼすのが公 正だという視点はとれないであろうか。言い換えれば、相殺の第三者効において第三者の期待を保護することは、 ﹁牽連性﹂概念と連関性を有してはじめて、合理性︵お錺o墨巨Φ︶があったと評価されるのだと言えないであろう か。こうした視点に基づき、続いて、民法典制定後の判例・学説と﹁牽連性﹂概念に言及するにつき民法五一一 38

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条における相殺の第三者効に関わるものを中心に述べることにする。

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 相殺の第三者効に関する判例と﹁牽連性﹂概念  判例においては、債権同士の緊密な関係つまり牽連性の存在を判決理由として、結論を導いているものは、下 級審判決を含め、みあたらない。しかし、相殺の第三者効について、いわゆる無制限説を確立した最高裁昭和四       ︵17︶ 五年大法廷判決︵以下﹁昭和四五年判決﹂という。︶において、相殺予約に関する補足意見のうちに、﹁牽連性﹂        ︵18︶ についての言及がみられる。また、この昭和四五年判決が変更した最高裁昭和三九年一二月二三日大法廷判決 ︵以下﹁昭和三九年判決﹂という。︶においても、反対意見において、やはり﹁牽連性﹂についての言及がなされ ている。  周知のように、現在、相殺の第三者効につき、最高裁昭和四五年大法廷判決において、判例は、貸付債権と預 金債権をめぐる事案に関し両債権の弁済期の先後を間わないとする見解を採用するに至り、この見解が相殺の第       ︵19︶ 三者効に関する先例として維持されてきた。  もっとも、大審院時代には、五一一条における差押と相殺の間題ではなく四六八条の債権譲渡と相殺の間題に        ︵20︶ 関する事例が中心的に扱われていた。しかし、最高裁判例昭和三二年七月一九日︵民集一一巻七号一二九七頁︶ では、預金債権に対し差押・転付命令を得た者︵第三者︶と、当該預金に対する相殺を主張する銀行との紛争に 関し、相殺の優先性を認められた。これは、銀行側の自働債権の弁済期は到来していたが、預金者の受働債権の 39

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) 弁済期は未到来であるという事案であったが、自己の債権の弁済期の到来をまって相殺をおこなおうと考えてい る債務者に対して、﹁債務者が債権者に対し債権の譲渡または転付前に弁済期の到来している反対債権を有する ような場合﹂には、そのような債務者の相殺への期待および利益を剥奪すべきではないとして、相殺が認められ た。  さて、戦後における金融取引の活性化のもとで、銀行などの金融機関が、自己の有する債権回収の手段として 預金関係を利用しようとするのは、勤勉な債権者としては当然のことであったかもしれない。その結果、国税滞        ︵21︶ 納処分による差押と相殺の事例に対する複数の下級審判決が生じた。  前述したように、昭和三九年判決の反対意見において﹁牽連性﹂についての言及がみられるが、この言及は、 昭和三九年判決を変更した昭和四五年判決の多数意見と同一の立場である横田裁判官の反対意見においてなされ たものである。  昭和三九年判決の事案は、国︵第三者︶が税金滞納者が銀行に有する定期預金債権を差押え、銀行側に払戻請 求をしたところ、銀行が当該預金者に対する手形貸付債権を自働債権とし、この預金債権を受働債権とする相殺 を主張したという事案であり、自働債権の弁済期は受働債権の弁済期より先に到来するという関係にあった。  昭和三九年判決は、第三債務者が差押前に取得した債権を有するときは、被差押債権と相殺することで自己の 債務を免れるという期待を有していること、そして、このような﹁期待利益﹂を保護することが五一一条の立法 趣旨であると判示した。このような将来の相殺への期待を保護する正当性・必要性を指摘しつつ、同時に、弁済 40

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      ︵22︶ 期の先後を相殺の第三者効の基準として用いている。すなわち、﹁反対債権が差押当時未だ弁済期に達していな い場合でも、被差押債権である受働債権の弁済期より先に弁済期が到来するならば、民法五一一条の反対解釈に より、相殺をもって差押債権者に対抗し得るものと解すべきである。﹂とした。他方、﹁反対債権の弁済期が被差 押債権の弁済期より後に到来する場合﹂については、﹁被差押債権の弁済期が到来して第三債務者に対し履行の請 求をすることができるに至ったときには、第三債務者は自己の反対債権の弁済期が到来していないから、相殺を 主張し得ない﹂ために、将来の相殺への﹁正当な期待﹂はなく、しかも、﹁既に弁済期の到来した被差押債権の弁 済を拒否しつつ、自己の自働債権の弁済期の到来をまって相殺を主張するが如きは誠実な債務者とはいいがたく、       ︵23︶ かかる第三債務者を特に保護すべき必要がない﹂と判示した。  ところが、この昭和三九年判決には四名の反対意見があり、そのうちの横田正俊裁判官は、その反対意見中で       ︹24︶ 牽連関係について言及しており、二名の裁判官がこれに同調している。横田裁判官は、相殺予約との関係で、商 人同士の間で発生した債権の牽連性を中心として、次のように言及している。﹁商人間の取引においては、取引上 の各種の権利関係の間に牽連性ないし関係性をもたせ、これを一体として把握することが尊ばれていることは、 交互計算︵商法五二九条以下︶、商事留置権︵同法五二一条︶、一般に行われている包括的な根抵当の制度など﹂ にみられるのであるから、﹁銀行業者が債権の回収を確実するために契約を締結することは、相当の理由がある﹂ として、相殺予約の合理性の根拠として採用している。そして﹁銀行業者が、その業務の特質上、その債権の回       ︵25︶ 収を確実にするため、前示のごとき相殺に関する契約を締結することには相当の理由がある﹂としている。 41

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二)  この昭和三九年判決を変更し、相殺の第三者効を広範に認めたのが、昭和四五年判決である。この昭和四五年 判決は、昭和三九年判決と同様に、国税債権に基づく滞納者の預金差押と相殺の事案である。銀行側が自己の貸 付債権を自働債権とし、当該滞納者の有する定期預金を受働債権としてなした相殺︵法定相殺・相殺予約︶につ き、両債権の弁済期の先後に関係なく、国の差押よりも銀行側の相殺が優先するとされた。  この昭和四五年判決は、相殺制度の目的について、﹁相殺の制度は、互いに同種の債権を有する当事者間におい て、相対立する債権債務を簡易な方法によって決済し、もって両者の債権関係を円滑かつ公平に処理することを 目的とする合理的な制度﹂だと把握しており、かつ、自働債権を有する債権者の地位については、﹁債務者の資力 が不十分な場合においても、自己の債権については確実かつ十分な弁済を受けたと同様な利益を受けることがで きる点において、受働債権につきあたかも担保権を有するにも似た地位が与えられるという機能を営む﹂として いる。そして、相殺の第三者効に関する民法五一一条の解釈につき、﹁同条の文言および前示相殺制度の本質に鑑 みれば、同条は、第三債務者が債務者に対して有する債権を持って差押権者に対し相殺をなし得ることを当然の 前提とした上、差押後に発生した他から取得した債権を自働債権とする相殺のみを例外的に禁止することによっ て、その限度において、差押権者と第三債務者の間の利益の調節を図ったのと解する﹂のが相当だとして、﹁債権 が差押後に取得されたものでない限り、自働債権および受働債権の弁済期の前後を間わず、相殺適状に達しさえ すれば、差押後においても、これを自働債権として相殺をなし得る﹂という五一一条のいわゆる反対解釈に基づ く推論を展開している。 42

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 この昭和四五年判決においても、やはり相殺予約をめぐり牽連性に関する言及がある。大隅健一郎裁判官の補 足意見である。大隅裁判官は、上告棄却という点では多数意見と同様であるが、理由において異議を唱えている。 すなわち、﹁相殺と差押の効力については、多数意見に反対であり、昭和三九年一二月二三日の大法廷判決の見解 を正当﹂としながらも、本件における、銀行と国より差押を受けた債務者との間になされた取引約定書における 相殺予約を有効であるとし、その結果として上告は棄却すべきだとするのである。この判決における相殺予約と は、次のような内容を有するものである。すなわち、取引約定書中の、債務者の信用を悪化させる一定の客観的 事情が発生した場合においては、銀行への貸付金債権についての期限の利益を喪失せしめると同時に、こうした 債務者の被上告銀行に対する預金などの債権につき期限の利益の放棄と相殺適状を発生する旨の合意なのであ る。大隅裁判官は、この合意が差押権者に対抗しうる条件として、﹁相殺予約をしている第三債務者と差押債権者 との間の利益の比較衡量﹂が必要であるとしている。その比較衡量において、商人間の継続的な取引関係におけ る牽連性への言及がみられる。大隅裁判官によれば、﹁商人間に継続的取引関係があり、かつ、相互に債権債務を 生ずる関係が存する場合には、その取引上の多数の権利関係に牽連性をもたせ、これを一体的に把握する思想が 存することは、交互計算︵商法五二九条以下︶、商事留置権︵同法五二一条︶などの制度にみられるところである が、わけても、銀行とその取引先との間においては、銀行の取引先に対する貸付金などの債権と取引先の銀行に 対する預金債権とは、相互に密接な牽連関係に立ち、預金債権は貸付金債権などの担保としての機能を営んでい るのが実情である﹂としている。そして、この牽連性に加え、銀行取引約定書における公知性を根拠にして、多 43

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) 数意見と同旨の結論を導いている。  昭和三九年判決においても昭和四五年判決においても、銀行が貸付をおこなう一定の場合においては、この貸 付金と貸付を受けている者の預金との間に存在する牽連性が配慮されている。しかし、この配慮は、いずれも多 数意見の理由中に述べられているわけではなく、とりわけ相殺の第三者効を無制限に認める昭和四五年判決以降 は当然のことかもしれないが、その後の判例に影響を与えてはいない。銀行と貸付を受けている者との関係にお いても常にこうした牽連性が存在するわけではない以上、牽連性について検討の余地がある場面も生じるはずだ が、そのような場面でも、牽連性についての言及はないのである。例えば、典型的なのは、昭和四五年判決以降        ︵26︶ に議論が集中した不渡異議申立預託金返還請求権との相殺の間題である。不渡異議申立預託金と預金との関係に ついては牽連性が認められるかどうかは後述するように非常に疑間視されているが、関連判例はいずれも昭和四 五年判決の論理によって処理され、結論的に支払銀行が不渡異議申立預託金を相殺に供することは何ら制限され ていない。  不渡異議申立預託金と預金債権の相殺は、次のような場面で間題となる。手形債務者が手形の支払いについて 争い支払いを拒絶しようと欲する場合、支払いを為されなかった手形のせいで銀行取引停止処分となることを回 避するため、手形債務者は支払銀行に委託して不渡異議申立をおこなう。このとき、手形債務者は支払銀行に異 議申立預託金を提供して、支払銀行がこれを異議申立金として手形交換所に提供する。この不渡異議申立預託金 は手形債務者が勝訴すると返還されるはずであり、手形債権者はこの預託金につき差押をするわけだが、銀行が 44

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手形債務者に対して有していた債権がある場合にはこの債権との相殺をおこなう結果、手形債権者の回収の方が 阻害されてしまうのである。銀行が預託金を貸付金の見返りとして考えていたわけでないし、この不渡異議申立 預託金の発生には偶然的性質がある以上、昭和三九年判決の横田裁判官や昭和四五年判決の大隅裁判官の意見に ある牽連関係を前提にすれば、銀行の貸付金と不渡異議申立預託金との間には牽連関係がないとみるのが自然で        ︵27︶ あろう。しかし、こうした牽連性については配慮している不渡異議申立預託金に関する判例はみあたらない。  例えば、最高裁昭和四五年六月一八日は、同種の事案に関してリーディングケース的な役割を果たしている判    ︵28︶ 例である。この判例は、﹁手形債権者は、右提供金ないし預託金またはそれらの返還請求権について、自己の債権 の優先弁済に充てられるべきことを象徴しうる地位を当然に有するものではなく、支払銀行の手形債務者に対す る預託金返還債務を手形債権者との関係で他の一般債務と区別し、支払銀行が手形債務者に対して有する反対債 権をもって右預託金返還債務と相殺することが、手形債権者との関係から制限されるものとすべき理由は、何ら 存しない。﹂としている。

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 相殺の第三者効に関する学説と﹁牽連性﹂概念  法定相殺における相殺の第三者効に関する学説については、第三者効を認める必要条件をめぐり、四つに大別       ︵29V できるであろう。簡単にその構図を示した上で、対立する債権同士の﹁牽連性﹂概念と関わり合う学説の位置づ けをおこないたい。 45

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二)        ︵30︶       ︹3 1V  民法典制定後は、いわゆる相殺適状説ないし相殺適状修正説がみられた。これらの見解は、いずれも弁済期の 到来を重要なファクターとして抽出している。すなわち、前者の相殺適状説は、受働債権への差押の時点または 債権譲渡の通知時点で対立する債権同士の弁済期が双方とも到来していることが第三者効を認める条件であると し、後者の相殺適状修正説は、同じく差押の時点または債権譲渡の通知時点で自働債権の弁済期が到来している ことが第三者効を認める条件であるとしている。  こうした相殺適状説ないし相殺適状修正説を乗り越えて、いわゆる無制限説が登場する。すなわち、差押前な いし譲渡通知前から自働債権が発生ないし取得されてさえいれば、両債権の弁済期が到来していなくても、ある いは受働債権の弁済期が先に到来する場合でも、相殺適状に達することで相殺の第三者効は認められるとする見        ︵32︶ 解であり、前述の昭和四五年判決の立場へと至る。このいわゆる無制限説的見解に対して、一定の基準により制 限することを提言したのが、いわゆる制限説である。この制限説には、制限説1と制限説Hがある。制限説1︵弁 済期先後関係説︶は、自働債権の弁済期が差押時または譲渡通知時点で未到来でも受働債権の弁済期より先に到       ︵33︶ 来する場合には、相殺の第三者効を認める考え方である。他方、制限説H︵期待利益説︶は、﹁貸付債権の回収・ 担保の方法として相殺の担保的機能を利用しようとする強い利益関係が客観的に存在する場合にも相殺を認め          ︵34︶ る﹂説であるとされる。そして、この期待の例として、相殺の予約がある場合、有効無効にかかわらず受働債権 についての質権設定がある場合、歩積・両建預金などの方法で銀行の貸付金債権と預金債権とが見合っている関       ︹35︶ 係にある場合などの相互依存性・牽連性が強い場合などが挙げられる。ただし、合理的期待に関しては、最初に 46

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触れた相殺適状説ないし相殺適状修正説を除けば、無制限説、制限説1においても、重要なファクターとして考 慮されているのは、周知の通りである。  以上、相殺適状ないし相殺適状修正説、無制限説、制限説1ならびに制限説Hについて、簡単に触れた。これ らの四つの学説分類の中で﹁牽連性﹂概念と関係しうるのは、制限説1と制限説Hの二つである。相殺への合理 的期待をファクターとする制限説Hの立場で、合理的期待の徴表の一つとして﹁牽連性﹂概念を挙げる場合には、 ﹁牽連性﹂というテクストが現在のイギリス法のように﹁公正﹂と関係しているかどうかは別にして、﹁牽連性﹂ 概念と関連性が生じるといっていいだろう。また、制限説1は弁済期の先後関係の基準を必要とする立場である        ︵36︶ が、この立場にあっても、弁済期の先後関係の基準に加重して、﹁牽連性﹂概念を導入することは可能である。  さて、債権同士の緊密性ないし﹁牽連性﹂へのアプローチについては、まず、銀行取引の現状を肯定的に説明 するための道具として、﹁牽連性﹂概念を使うものが考えられる。すなわち、現状説明するという意味で実用的な このアプローチは、銀行と銀行から貸付を受けている者との継続的取引関係をべースに築きあげられた関係に着 目するという立場であるといえよう。例えば、昭和四五年判決のように、受働債権が定期預金債権であり、銀行 側の自働債権である貸付債権とこの受働債権は、銀行取引実務において﹁見合って﹂存在していると取り扱われ ているような場合であって、この場合の相殺の期待は大いに保護すべきであるが、これに対比して受働債権が普        ︵37︶ 通預金債権の場合には、自働債権と必ずしも﹁見合って﹂いるわけではないとされる。この立場は、前述の昭和 三九年判決の横田裁判官の反対意見、昭和四五年判決大隅裁判官の補足意見と共通性を有する立場であって、勤 47

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) 勉な銀行などの金融機関が構築した金融実務への肯定的態度がその主張の主要動機となっているといえよう。他 方、異なる視点、より包括的な、あるいは比較法的なアプローチにたって、﹁牽連性﹂概念に言及している学説も 幾つかみられる。そして、先に述べた実用的なアプローチよりも、これらの立場の方が、公正を基礎として発展 してきたイギリス法の﹁衡平法上の相殺﹂における﹁牽連性﹂概念の捉え方に、より親近性を有すると考える。 以下、こうした立場でのアプローチをされていると解しうる、深谷教授、平井教授、石垣教授の各見解を紹介す る。  深谷教授は、﹁相殺の第三者効に関する母法であるフランス民法における﹂﹁解決を参考にすることが有益であ        ︹38︶ る﹂という視点から、フランス民法の判例・学説で構築された解釈論の導入を提言される。そして、ドイツ民法 との関連性を基礎とする立場に対しては、﹁民法の系譜から見て異質な法的構成によるこれらの解決方法は必ず しも妥当なものではない﹂という消極的評価を下される。ドイツ法の影響を受けた立場とは、例えば、弁済期の 先後関係により相殺の第三者効を認めるとした昭和三九年判決での奥野健一裁判官の補足意見中の﹁独逸民法三 九二条は正にこの論理を宣明した規定であって、我が民法五一一条の解釈に当たり参考に値するものというべき である﹂などが代表例であろう。このような弁済期の先後関係を相殺の第三者効の基準とする立場に対し、深谷 教授は否定的なのである。そして、フランス法においても、立法当初は相殺の担保的機能が尊重されていなかっ たにもかかわらず、次第に担保的機能が尊重されるようになってきており、その経緯の中で、債権同士の﹁牽連 性﹂が要件とされるようになっていること、加えて、フランス法における判例は、銀行取引のみならず、種々の 48

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種類における取引の相殺を対象としていることなどから、フランス法の解釈を導入することの正当性を根拠づけ   ︵39︶ られる。       ︵40V  深谷教授は、制限説Hに対する批判、つまり合理的期待という判定基準が不明確であるという強力な批判に対 しても回答を試みる。すなわち、自働債権と受働債権が牽連関係にあるとはどのような場合なのかにつき明確に しなければならないとして、フランスの判例によって提示された基準が明確だという評価に基づき、これらの基 準の日本法への導入を提言される。具体的基準としては、第一に、同一の契約に関連して、﹁自働債権と受働債権 が同一の契約から生じている場合﹂、コ方債権がある契約上の債権であり、他方が同じ契約の不履行に基づく損 害賠償債権である場合﹂、﹁ある契約が解除された場合、その解除から生じた債権債務﹂を挙げられ、さらに若干 の留保を示されつつ、コ方がある契約から生じた債権であり、他方が同じ契約の履行の際になされた不法行為か ら生じた損害賠償債権であるとき﹂という計四つの場面を挙げられる。第二に、自働債権と受働債権が同一の契 約から生じていない場合について述べられる。この場合には原則的に牽連性はないが、例外的に複数の契約間の 牽連性という﹁二次的な牽連性﹂がある場合には牽連性があるとされる。そして、フランス法では、この二次的 な牽連性につき同法におけるいわゆる原因︵8諾①︶概念を用いて、概念の複数契約間に原因︵8拐の︶関係があ る場合に二次的牽連性が認められる。そこで、フランス法におけると同様には原因概念を有さないと一般的に解 されている日本法においては、どのようにこの二次的牽連性の枠組みを取り入れるかが間題となるが、日本法で も契約締結の目的ないし理由としてこの原因︵8拐①︶概念を転用できると主張される。この例として﹁複数の契 49

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) 約が別個独立の契約としてよりも、むしろ一体の契約として捉えた方が当事者の意思に合致する場合には、それ らの契約の間には原因関係︵したがって牽連関係︶がある﹂と解釈されている。日本法への具体的導入場面とし ては、銀行取引における両建預金・歩積預金と貸付金債権との牽連関係を肯定されるが、他方不渡異議申立預託       ︵41︶ 金返還請求権と貸付金債権との間の牽連関係は否定的に解されている。        ︵4 2︶  平井一雄教授は、貸付債権と不渡異議申立預託金との相殺との関連で、﹁牽連性﹂概念の検討をおこなっている。 平井教授のいう牽連性は、﹁相殺を許容する基準となりうる両債権間の取引における客観的相互関連性﹂だと説明 されている。  平井教授によれば、﹁自働債権と受働債権すなわち被担保債権と担保目的となっている債権との間に、その性質 上、担保として是認しうべき関係がある場合と、それがないかあるいは疑わしい関係にある場合とにわけるべき﹂ だとされ、預金との相殺は担保として是認しうべき関係がある場合で、他方、不渡異議申立預託金との相殺は後 者の範疇に入るものと考えられる。理由としては、﹁担保として見る以上は優先弁済権能があるわけであり、相殺 においても関与第三者との関係において無限定にこれを貫徹させることは疑念を抱くから﹂であるとされる。そ して、優先弁済権が法定されてもいなければ、担保物権のように公示方法が存在していないので、﹁両債権の牽連 性に担保権能を肯定する基準を求める他はない﹂とされる。その結果、貸付債権と不渡異議申立預託金との場面 では、牽連性ないし相互依存的な緊密関係は非常に薄弱であって、銀行は相殺の用に供するのは行き過ぎである       ︵43︶ と評価がなされるわけである。ただし、平井教授の立場は、前述の制限説1に分類されており、平井教授も牽連 50

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       ︵44V 性が肯定されさえすれば弁済期の先後を間わないとまでするべきではないと、考えられている。  このように、平井教授は、貸付金と不渡異議申立預託金との関係において、牽連性がないことを理由にして相 殺の第三者効を否定されるのである。そして、牽連性については、その具体的基準を、あたかも﹁留置権におけ る牽連性﹂と同じく、具体的で明確な基準を設けるかないしは類型的に明らかにするという必要性を唱えられて  ︵45︶ いる。  石垣茂光教授は、相殺の第三者効についてドイツ法の分析をふまえつつ検討され、弁済期の先後関係に加えて、        ︵46︶ 牽連性が必要だという帰結を導いている。  石垣教授は、相殺の第三者効が認められる根拠として、当事者間の衡平維持機能・簡易決済機能を強調され、 相殺の担保的機能については、当事者間で担保視している、つまりお互いに引き当てとしている関係を示すもの として把握している。その結果として、担保的機能から直接的に第三者効を導くのではなく、当事者が現実履行 を回避できる状態を第三者に対しても維持することが正当化できるかという視点から、相殺の期待権保護、第三 者効の射程を検討されている。そして、相殺の効力については、第三者に対し簡易決済が主張できる基準時が自 己の債務の弁済期である以上、﹁自己の債務の履行時点で自己の債権を引当にすることによって、対当額で自己の 債務の現実履行を免れる場合に限って相殺が認められる﹂とされる。そして、﹁受働債権の弁済期が先に到来する 関係においては相殺権が発生しない﹂という帰結に至る。このような石垣教授の立場は、相殺の第三者効に関す       ︵47︶ る学説の構図の中では、弁済期の先後を基準とする制限説1に位置づけられるであろう。 51

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二)  では、石垣教授のように、相殺の第三者効を把握するとすれば、債権同士の緊密な結びつきである﹁牽連性﹂ はどのように評価するのか。石垣教授によれば、﹁相殺は当事者の信頼関係に基づいて認められるものである。こ の信頼関係がない場合にまで相殺を認めることは不当な結果を招来する。しかも、相殺が第三者に対する関係に おいても認められる場合にはなお一層の考慮が必要となる。﹂と述べられた上で、﹁したがってこの要請は他の債 権者に多大な影響を与える第三者効においては、とくに必要であるとされ、相殺を是認するためには他の債権者 以上に両者間に緊密な結びつきが必要となる。交互計算に強い効力が認められるのも、このような関係があるか らである﹂と述べられている。そして、相殺の第三者効に関するドイツ法三九二条にある時的制限を実質的に緩 和して相殺の適用範囲を拡張しているドイツの判例群の分析により、ドイツ法においては﹁両債権が一体とみら れるような関係がある場合に限り第三者効が認められる﹂という実証的な結果を提示している。そして、この一 体性を示すものこそが両債権の牽連性であるとされ、﹁同一ないし同一視されるような法律関係から生じた場合、 例えば双務契約上の一方債務の不履行による損害賠償請求権の場合や、継続的取引関係から生じる債権債務関係        ︵48︶ などの場合﹂などにこの牽連性が認められると主張されている。  このような石垣教授の立場は、将来において相殺を適切に主張しうる期待の地位として﹁相殺権﹂を定義され た上で、この相殺権を重要な判断基準の一つとして、相殺の第三者効の射程へのアプローチをするものと考える。 そうすると、相殺の方式がまさに間題になってくるわけであるから、系譜的に日本法と同じく当事者援用主義を 採用とするドイツ法の立場が示唆に富むと評価された石垣教授の立場は、納得できるものといえよう。ただし、 52

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      ︵49︶ 第三者効を認めるためには﹁両者問の緊密な結び付き﹂が必要とされている点であるが、この記述の前提として 言及されている﹁なお一層の考慮が必要となる﹂と判断された当事者間の信頼関係は、緊密な結ぴ付きを明確に する際の一定のファクターを果たすのか、果たすとしたならば、その信頼関係の性質がどのようなものかについ ては、論文上では必ずしも明確ではない。例えば、継続的取引関係における信頼関係と、双務契約上の契約上の 請求権と債務不履行による損害賠償請求権が生じた場合の契約当事者間の信頼関係︵一回的な単発契約であって もこの両者の債権債務は生じるであろう︶とは区別して扱われてはいないが、もしこれらを同じ信頼関係という 言葉で語ることが可能であるとしても、同質であるかどうかは直感的に疑問ともいえるからである。言い換えれ ば、債権の性質などから判断される債権同士自体の結びつきの強さと、当事者の間にある信頼関係の程度とは、 必ずしも比例するとはいえないのではないかと私は考える。さらにいえば、仮に信頼関係がない場合でも債権同 士の性質を根拠に相殺が認められるべき場合があるといえないだろうか。  なお、石垣教授は、相殺権の濫用論に関する論文においても、﹁牽連性﹂概念に言及しているが、その場面では、 相殺の第三者効の場面で機能した方向性とは逆方向の機能の仕方で﹁牽連性﹂を用いているといえよう。すなわ ち、まず相殺権の行使の要件を検討する際に、債務の性質による許容性という点を考慮され、この許容性と現実 履行の必要性とを結びつけられる。次に、現実履行が必要かどうかにつき、具体的な債務関係、債務の目的ある いは債権者と債務者の間の法律関係の性質を考慮するのが原則である旨を指摘される。そして、その指摘と同一 の箇所で、﹁例外としては、反対債権が同一ないし同一とみなされる法律関係から生じているという牽連性がある 53

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二)       ︵50︶ 場合には、とくに相殺の許容性が認められることになる﹂と指摘をされている。この場合には、牽連性は、相殺 が債務の性質から認められない場面において相殺を許容するファクターとして機能するとされているわけであ る。以上のように、石垣教授は、牽連性概念を、第三者効も含め広い意味で、相殺制度の実現を何らかの意味で 拡張する際のファクターとして積極的に機能させようと意図されているといってもよいだろう。  小   括  日本法における判例では、﹁牽連性﹂概念が用いられた例は極めて限られている。そして、判例において﹁牽連 性﹂概念について言及されている前述の補足意見は、相殺予約に関するものであり、しかも、主として銀行取引 などの商人間の継続的取引関係の場面で相殺の第三者効を積極的に認めるために主張されている。よって、判例 においては、﹁牽連性﹂概念は相殺の第三者効を限定する役割はあまり果たされていないと考える。この点は、﹁牽 連性﹂概念が相殺の第三者効を制限するために作用しうるはずの場面である不渡異議申立預託金と相殺との場面 において、判例では﹁牽連性﹂が配慮されていないことからも明らかである。他方、学説においては、無制限説 のような、相殺の第三者効を広範にー差押前ないし譲渡通知前に自働債権が発生ないし取得されてさえいれば、 両債権の弁済期の到来やその先後関係如何をとわないー認める立場に対し批判的立場を採用する制限説1および 制限説n双方において、﹁牽連性﹂概念は、影響を与えうる。制限説中では、相殺の第三者効の基準として、﹁牽連 性﹂という概念を取り扱う学説が複数みられた。もちろん、判例における補足意見と同様に、学説の見解中には、 54

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相殺の第三者効と﹁牽連性﹂との関連性を専ら継続的な取引関係を中心にして、﹁牽連性﹂概念を扱うような立場 もある。しかし、他方で、相殺の構造や相殺権の本質から、﹁牽連性﹂概念を導こうと試みる立場も紹介したよう に幾つかあり、これらの見解は、相殺が担保視されている状態と相殺の第三者効との関係とを直ちに結びつける ことなく、相殺の第三者効の条件を探るものであった。また、これらの見解は、多かれ少なかれ相殺制度におけ る公平の契機に着目しており、この点でイギリス法における公正︵邑毎Φωω︶の視点と共通性を有しているのでは ないだろうか。なお、フランス法あるいはドイツ法という日本法の相殺制度に影響を与えた外国法の判例・学説 において、いずれも債権同士の緊密性ないし﹁牽連性﹂が相殺の第三者効の重要な基準として機能するに至って いる点は、興味深いといえよう。

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 第三節 若干の検討  日本法では、対当額の債権を有している両当事者は、裁判に訴えることなく相殺を利用できることによって、 現実に履行をおこなうという手間を省くことができ、しかも、一方当事者からの債権の回収が困難な場合であっ ても、他方当事者は、自己のイニシャティブで自力救済的に債権の回収を図ることができる。したがって、相殺 における簡易決済機能ならびに衡平維持機能は、相殺にとって重要なものであり、こうした相殺の簡易決済機能 ならびに衡平維持機能については、本稿第一節で扱ったように、立法当初から十分に意識されていたといえよう。 さて、自力救済的に相殺しうる地位が承認されたことにより、対立する債権を有している当事者同士が、自己の 55

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) 債権の引当として相手方への債務を考えるという状態、つまりいわば担保視するという状態が生じることは予測 できるであろう。その結果、債権の対立状態が偶然発生した場面とは異なり、当初から債権回収の引当とするよ うな、いわば対立状態を意図的に生じさせるということも起こってくるわけである。しかし、こうしたいわば担 保的機能、つまり事実上担保視している状態の発生、ないし意図的な創設については、先に触れた簡易決済機能 ならびに衡平維持機能と同様には、立法当初、起草者の意識には生じてなかったようである。その原因は不明だ が、日本民法の五一一条の母法ともいうべきフランス法においても、担保的機能について当時は意識されていな かったことが、起草者が担保的機能を意識しなかったことの重要な要因の一つともいえるであろう。このため、 五一一条は、相殺の第三者効について、テクスト上は複数の解釈が採用しやすいという意味で、開かれた構造と なっている。このことは、同じく相殺の第三者効について、ドイツ法三九二条が、﹁債務者が債権者に対して有す る債権の相殺は、債務者が自己の債権を差押後に取得し、またはその債権の弁済期が差押後に、かつ差押を受け       ︵51︶ た債権の弁済期により後に到来したときのみ、債権の差押によって排除される﹂としているのとは、対照的であ る。そして、五二条のこのような開かれた構造こそが、市場において自生的に生じてきた、当事者たちの企画 ないし金融機関などの一方当事者企画の下で、互いの債権を引当としてあてにする、つまり担保視している状態 が頻繁に生じるという事態を導き、しかも、五一一条の法的効果の拡張への要請に大いに利用されたのである。 しかしながら、相殺制度が決済の枠組みの一つであり、決済制度の構造は当事者以外の第三者にも多大な影響を 与えるものである以上、市場におけるこうした自生的な秩序︵ω2旨碧8拐○巳R︶がそのまま肯定されるべきで 56

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       ︵5 2︶ はなく、適切な形で国家が環境を支援すべきだと考える。  さて、相殺制度が現実の債権回収リスクを軽減する仕組みを有し、この結果お互いの債権を引当として担保視 する状態つまり相殺が事実上担保として機能する状況が導かれてきたわけである。間題は、こうした担保視して いる状態をどの程度正当化すべきかということになろう。このことは、相殺を利用することで、未回収の債権が 確実にしかも他の方法で回収を図ることに比べたら殆どコストがかからずに消滅する点を、如何に評価するかに も関わってくる。相殺が当事者の意思、企画に反する結果を生じうること、あるいは第三者ヘマイナスの影響を 及ぼし易いことを考慮すれば、相殺に対して消極的に解する立場もありうるだろう。すでに述べたように、相殺 に対する態度としては、完全な当然消滅主義のように積極的に認める立場から、当初のイギリス法の相殺制度の ように、相殺の成立そのものについても厳格な態度をとる立場まで、相当の差があるのである。  日本法は、相殺の仕組みについては、五〇五条、五〇六条で、相殺権の行使をまってはじめて効果が発生して 相殺適状時にその効果が遡るという立場を採用している。この立場は、当事者の意図などにも一定の配慮を加え つつ、相殺に対して比較的寛容な態度をとったものである。さらに、五一一条の相殺の第三者効においては、起 草者たちが必ずしも自覚していたわけではないものの、開かれた構造をとる条文を規定し、しかも相殺の方式に おいて当然消滅主義をとるフランス法と同趣旨の規定をとったことにより、いわば、当事者援用主義という﹁ド       ︵53︶ イツ流の相殺方式と採りながら、差押えおよび債権譲渡との関係ではフランス法を継受するという二重構造﹂に なっているのである。そして、すでに繰り返し述べているように、五一一条の規定自体が開かれた構造であるこ 57

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イギリス法における衡平法上の相殺の構造(二) とや立法者がこうした二重構造を自覚的に採用したわけではないことから、相殺の第三者効についての五一一条 に整合的な解釈は複数ありうることになろう。日本法の現判例においては、無制限説が維持されているわけであ るが、無制限説のように市場で自生的に生じてきた相殺制度の活用を合理的と評価し、これを最大限認めるとい う立場に対しては、すでに述べたように制限説1、制限説1 1などの批判が生じている。これらの批判的文脈にお いては、﹁牽連性﹂概念を相殺に対する期待が合理的であると認めるための条件と位置づけ、無制限説を制限する        ︵54V 一つのファクターとして機能しうると解することは可能であろう。  しかしながら、相殺に対する合理的期待を基準として用いるためには間題がある。すなわち、相殺に対する合 理的期待の内容が明確化ないし類型化される必要性、合理的期待という基準は、相殺の第三者効の基準としては        ︵55︶ 不明確であるという批判にどうこたえるかという間題である。この批判はもっともであり、もし、債権同士の緊 密性としての﹁牽連性﹂概念を相殺の第三者効の基準として用いるとしたら、この牽連性に関する分析が必要で あろう。この点につき、すでに述べたように幾つかの提言がされている。  本稿で紹介したように、イギリス法上の﹁衡平上の相殺﹂においては、﹁牽連性﹂について、多くの議論が積み       ︵56︶ 重ねられている。すなわち、具体的には、第一に、対立する権利同士が同一取引から生じた場合には牽連性が肯 定される。また、第二に、同一取引以外から生じた場合でも、一定の場合には、牽連性が認められる。同一取引 以外から生じた場合については、様々な議論が為された結果、現在では、正義と公正の観点を加味して、次のよ うな二つの基準が示されている。一つはその取引と不可分に関連しあっている場合に牽連性を認める基準、もう 58

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東洋法学

一つは密接に関連しあっている場合に牽連性を認める基準という、大別すると二つの基準が提示され、この二つ が対立しているのである。牽連性の範囲の問題が重要性を有するのは、同一取引以外から生じた債権同士におい て牽連性が認められるかどうかの場面であろう。この点につき、すでに述べたように、イギリス法は長年の間検 討を積み重ねており、日本法において間題となっている﹁牽連性﹂概念の射程を検討する際に、こうしたイギリ ス法における議論の経緯を参照するのは有益といえるのではないだろうか。また、﹁牽連性﹂を、債権者と債権者 との間の具体的な当事者関係に求めるのか、それとも債権間における債権の性質を基礎とするものに求めるのか という間題も重要な間題であると考える。この間題についても、﹁衡平法上の相殺﹂は、当初の行為者の主観的悪 性から、公正を重要なファクターとして取り入れて、行為の外的評価として機能するような基準として﹁牽連性﹂ を発展させており、類型的な徴表として働くような配慮もなされている。こうしたイギリス法の成果は、日本法 でも活用しうるといえるだろう。  また、﹁牽連性﹂概念につき公正という要素を取り入れるときの問題点についても触れておきたい。相殺の衡平 維持機能に代表的なように、相殺制度の基盤が公正さにあることは誰もが否定するわけではなく、逆にこれが﹁公 正﹂概念の一種のインフレ状態を招いている。例えば、無制限説にたつ昭和四五年判決も制限説にたつ昭和三九年 判決も、判決文中いずれも公正について言及がある。よって、相殺の枠組みにおいては﹁公正﹂というテクスト は、抽象的すぎて実践的役割を果たし得ないのではないかという疑間が当然沸いてくるだろう。イギリス法にお いても、公正という概念を導入することで、裁判官の裁量の範囲が広くなりすぎることへの懸念が提起されてき 59

参照

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