構成要件該当性と違法性--不作為犯を一例とする構
成要件論批判
著者
今上 益男
著者別名
M. Imagami
雑誌名
東洋法学
巻
11
号
2・3
ページ
95-126
発行年
1967-10
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006152/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja構成要件該当
生と
違法性
ー不作為犯を一例とする構成要件論批判i
今上 益 雄
は し がき
一、構成要件論の学説吏的発展と違法性論の棄描 ① 主としてべ⋮リング・マイヤ⋮・メッガ⋮の構成要件論と目的的行為論 ③ 構成要件と違法性との相互関係 二、不作為犯と構成要件該当性 あ と が き 構成要件該当性と違法性 九五東洋法 学
九六は し が き
犯罪とは構成要件に該当する違法且つ有責な行為である、とするのが今日におけるわが国学界の通説的見解であ る。 このうち構成要件該当性という要素は、云うまでもなく、ぺーリングがその著書﹁犯罪論﹂︵φじ ご亀お“9①9ぼ。 !、 ・彰ぎ目訂①9窪=8α︶において、罪刑法定主義の原則の結論として構成要件の意義を明らかにし、﹁厳密に輪郭づ ︵三︶ けられた構成要件﹂がなければ犯罪なしとして、構成要件の概念を中核とする犯罪論を構成する理論を基礎づけ、そ れが以後M・E・マイヤ⋮の﹁刑法総論﹂︵罫鍔累3δびご角毘σQ窪惹蓼♂ご︵落3暮雛9窪ω貫鋒お9声藻題︶ に依り継承せしめられ、更にドイツにあっては、ザウアー、メツガー、チンメル、ブルンス等に依り、又わが国にあ っては、小野、滝川両博士を始めとして、多くの学者に依9種々の方向に発展せしめられ来ったものである。 周知の如く、構成要件が犯罪論の中核となる以前にあっては、犯罪概念が何よりも行為を中核として、違法性と責 任ということの二つの要素を基本とするものであった。そうして、前者が行為の外部的、客観的要素に関連するもの として、後者が行為の内部的主観的要素に関連するものとして論ぜられておったのである。 そうして、この行為論と対比した意味での構成要件論の特徴をなすのは何よりも、犯罪概念の第一要素を構成要件 該当性に求める点にある。その故に、構成要件論にとっては、構成要件該当性という犯罪要素がその他の犯罪要素記対し、独自的な機能を営み得るものでなければならぬ筈である。 ところが、所謂この﹁構成要件論﹂あるいは又﹁構成要件の理論﹂が犯罪論の申核となっている今βにおいても、 ︵2︶ 常にこれに対する批判と発展が続けられているばかりでなく、学者に依ってもその理解するところが各々であるとい ︵3︶ う実情にさえある。 これに対する批判の主たるものは、構成要件が当初内容の無色なものから、次第にそれの充実したもの、換言すると この理論の創始者ともいうべきべーリングが、構成要件を純記述的、没価値的なものとして把握していたものから、 構成要件の多くが価値的性格をもち、その該当性を確定する為には違法性判断を抜きにしては考えられない。即ち構 成要件から価値的性格を拭い去ることは全く不可能であり、構成要件は本来的に違法性と表裏の関係に立たねばなら ︵4︶ ぬのではないか、というところに問題の所在がある。 とりわけてかような思向に導いたものは、規範的要素あるいは主観的違法要素の唱道、あるいは又社会的相当性 ︵o 。・・巨・︾32窪い︶の理論の登場、あるいは又不作為犯における作為義務の間題、更に過失犯の構造とりわけて注 意義務の間題、といったことに対する理論的成果にあったといい得るのであるが、皮肉にもこのことが反って、構成 要件論を崩壊へと導くという現象を齎らすことになったのである。 無論﹁構成要件論﹂の批判ないし、再検討ということについては、詳細なる学説吏的分析のみならず、犯罪論の全 体系に亘る理論的検討を行わずしては、これをよく為し得ぬであろう。 然し今は紙幅の余裕も限られていることでもあるし、この小稿においては、さしあたり違法類型論としての構成要 構成要件該当性と違法性 九七
東洋法学 九八
件論を、不作為犯の場合を例としつつ、構成要件該当性も違法阻却事由該当性も、共に違法論の一分野として論じら るべきが正しいとの、試論のプロpーグにしようとするものである。 ︵i︶ 窃・崔謎”9・ヒ魯器くo臼く貫再8ぎダGO99鵠・ ︵2︶尤もかような批判が、犯罪論の古典的三元説の崩壌の危機とみるか、単なるその内容の変質とみるかは.学者に依っ て見解は必ずしも一致しない。然し過去の確固たる栄光が、不動のまま今日に至っているのではないことは疑うべきもな い。ちなみに、これの批判的試みの最も最近のものとしては西原春夫﹁構成要件の価値的性格し早稲田法学四一巻一暑・、 一六一頁以下がある。 尚小暮得雄﹁違法論の系譜と法益論﹂法学協会雑誌八○巻五号六〇八頁注ω参照。 ︵3︶ 広く構成要件という場合、理論的には次の五つに分類し得るであろう。 ベーリングの見解がUにあたり、 して、 尚、 ︵4︶ のは前掲西原論文であるが、 酉原﹁前掲論文し 没価値的、客観的、外部的、純記述的意味における構成要件 違法類型としての構成要件 違法類型、責任類型としての構成要件 一般的構成要件と特別構成要件とに分った場合における後者の意味 凡そ犯罪を構成する全要件の意味 ︶ メツガーのそれが③であり、小野博士、団藤教授のそれが③にあたるであろケ。そう 今われわれが、構成要件論という時、この①∼⑧までの範囲の意味において使っていることは多言を要しまい。 下村康正﹁犯罪論の基本的思想﹂︵昭三五︶五二頁以下参照 この構成要件の価値的性格に着目し、犯罪概念の第一要素は﹁行為﹂又は﹁態度﹂の概念でなければならぬとされる 、 著者も指摘する如く、その理由の全様は未だ明らかにはされていない。 一九三頁参照 α 幻 ( ラ β ン 傑 ラ 僑構成要件論の学説史的発展と違法性論の素描
口、主としてべーリング・マイヤー・メツガーの構成要件論と目的的行為論 構成要件という語の歴史的沿革についてはドイツにあっては、ブルンスの﹁構成要件理論批判﹂︵響q歩欝纂淳 α費び魯きぎ簿6繋ぎ馨きρG認︶及びハルの﹁9着霧3浮鷺の理論﹂︵漆毘”鷺。ぎご①<・箏o・老餐号導F 濤鴇︶、又わが国にあっては小野博士の﹁犯罪構成要件の理論﹂に所収中の論文に詳しく、それが元来訴訟法的な意 義を有していたものが、どのような経緯に依り、実体刑法上の概念として登場して来たものであるかは、さしあたり 裁判官の恣意から個人擁護の防壁として利用しようとした、法治国的国家観ないし攻治思想を指摘するにとどめ、早 速べ⋮リングの構成要件論からその発展の経過を概観することとしよう。 e ぺーリングの﹁犯罪論﹂において示された犯罪論の古典的体系は、所謂自然的、因果的行為の概念に依り犯罪 の外延を劃する一方、その内包を規定する種徴表として、構成要件該当性、違法性、有責性という三個の属性を掲 げた。 かようなべーリングの思想的根拠は罪刑法定主義に求められるのであるが、彼にあっては罪刑法定主義の内容とさ れる諸原則に加え、最重要な項目として﹁ある厳格に形式化された断霧二窪導急震審構成要件に該当する行為のみ ︵1︶ が犯罪たり得る﹂という原則を引出し、この原則が犯罪論の中核的命題であることに依り﹁実証的に厳格に形式化さ 構成要件該当性と違法性 九九東洋法学 一〇〇
︵2︶ れた犯罪の類型く曾日9ぎ嘗巻窪のみが処罰さるべき範囲に入る﹂というのであるから、べーリングの ﹁構成要 件﹂費夢塞3&は、普通に犯罪の﹁特別﹂構成要件と呼んでいるところのものである。 そうしてべーリング自身これを﹁犯罪類型﹂と名付け、刑法各則における特殊化された構成要件を捉え、犯罪は何 にましてもこの意味の構成要件に該当するものでなければならぬ故、必然的に刑法各則の重要性を指示するものであ ったが、その理論の真の眼目は、この概念に依る刑法総論の体型化にあったのである。 かようにしてべーリングは、﹁犯罪類型の輪郭﹂︵d馨巷︶としての構成要件を体系構成の基礎に置き、これを没価 値的な純粋に客観的、外部的、記述的な観念形象として把握するのである。 行為はかような観念形象にあてはまることに依り構成要件該当性を担い、更にそれが行為自体に対する法秩序の否 定的価値判断を下された時はじめて違法となり、次に行為と行為者との間の心理的関係に対する行為者への主観的帰 責が認められるという三段階を経て、概念上犯罪として成立することとなる。 叢にみられる犯罪論の古典的三元説は、構成要件は、やがて違法・有責の評価がそれに結合すべき犯罪概念の中核で ありながら、それ自体未だ価値とは離れた純記述的形象に過ぎない。更にこれを行為意思との関係について見ると、 構成要件要素及び違法判断の対象が、単に因果関係の起因力としての意思に媒介された行為の外部的側面に限られる のに対し、責任の領域に至って、ようやく行為の内部的側面即ち行為意思の内容が故意・過失として問題の表面にあ らわれることになる。 即ちこれは、︸方で価値判断の観点から構成要件と違法性とを厳格に区別するとともに、他方では考察の対象に着︵3︶ 目して違法性と有責性とを厳格に区別するのである。 かかる価値と没価値、主観と客観の厳格なる峻別こそが、罪刑壇断に陥るこどを防止する飛の値別化機能と、裁判 の場における思惟過程を規制するという保障機能を全うすることになり、二〇世紀初頭における自由主義、個入主義 イデオロギーの要請によく応えたのである。この意味で、べーリングの刑法論の﹁実証化﹂の学説吏的意義は認められな ︵4︶︵5︶ ければならぬが、やがて巨視的には法実証主義的な概念法学への反省、批判を通じて、目的法学あるいは新カント学 派の方法論的影響、微視的には近代学派に依る刑事政策面での刺激、加えて共同体思想を背景にした当罰性意識の高 揚等が唱道されるに及んで、必然的に古典的三元説の犯罪体系が批判され、目的論的価値関係的概念構成が試みられ ︵6︶ ることとなった。 口 犯罪論の内容的変質の過程は、M・E・マイヤーの創見になる規範的構成要件要素︵象。琶岳p9ぞ魯蜜夢窪− 欝民色。導窪3︶の承認と、これにあい前後して同じくマイヤーに依る主観的違法要素︵&。巽玄爵江く窪¢糞。9審色? ︵7︶ 雛窪富︶の存在の暗示にはじまる。 マイヤーは、その﹁刑法教科書﹂において構成要件の内容を以って客観的事実と解する見解に対し、構成要件の要 ︵8︶ 素には﹁規範的要素﹂が存在することを指摘したのである。 彼の云う規範的要素というのは、例えば窃盗罪の構成要素たる財物の﹁他人のもの﹂という性質がそれであり、た だこのような規範的要素は本来は純粋な違法性の要素であって、構成要件の要素としては不純正なものであるという ︵9︶ のである。 構成要件該当性と違法性 一〇一
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一〇二 これが更にメツガー、グリュンフートを経てE・ヴォルフに依り徹底された法的概念の規範化の方向は、構成要件 の内容を以って行為の外部的従って客観的事実と解するぺーリング流の見解から、所謂﹁違法へと方向づけられた 構成要件﹂への第一歩が踏み込まれ、構成要件はかつての如く違法性とは峻別された観念形象であるにとどまらず、 マイヤーに至っては構成要件と違法性とは密接な関係があり、いわば煙と火との関係にたとえられるべきものだと説 ︵扮︶ き、火のないところに煙は立たぬといわれるように、違法性のないところに原則として構成要件該当性を認めず、た だ違法性阻却事由がある時例外的に、構成要件に該当する事実についても違法性が欠けるものとなるのである。 かような見解は主として、マイヤーの法規範に対する認識に由来するものといい得るであろう。 マイヤーは、その特色ある文化概念に立脚して、法規範は﹁国家的に承認された文化規範﹂︵馨塁豊9裟畳3き− ︵難︶ 琶二ρ 蒼導。簑・窪︶であり、違法とはその意味での法規違反であると解するのであるが、国家に依る文化規範の承 認は刑事法の領域にあっては、刑罰法規の規定する構成要件にかかる文化規範が類型化されているとする。 ヤ ヤ ヤ 従って、構成要件に該当することは、︸般に国家的文化規範に違厚することになるわけであり、そこに構成要件は 違法性の認識根拠︵3鎗・。轟ま誇亀︵εだという関係が生まれるのである。 かかる違法性の本質を文化規範と考えることに依り、違法性の統一的根拠を明らかにしたのはマイヤーの卓見であ るが、もし文化規範の国家的承認が刑事立法に依り行われるとするのであるなら、構成要件と違法性との間には、単 に前者が後者の認識根拠であるというよりより密接な関係があるのではないか。 この点に着眼したバウムガルテンは、その﹁犯罪論の構成﹂︵切婁誉悪陣讐叩U巽︾鼠蓄高号穫ノ.捜烹9冨扁邑①耳①嚇蓬鴇︶において、構成要件該当性と違法性との境を徹した犯罪論を展開し、それを更に発展せしみた0淋メツガーみ 所謂新構成要件論である。 日 彼はべ⋮リングの犯罪類型の考えを継承する一方、法律的構成要件においては、規範的及び主観的要素の少くな ︵12︶ いことからして、構成要件と違法性とをより密接に結びつけ、違法性とは構成要件的不法であるとしたのである。 即ち刑事立法は、直接に違法性を宣言するものであり、構成要件の規定に依って特殊的に類型化された不法︵d㌘ 器。導︶を設定する。 だから構成要件該当性は、単に違法性の認識根拠あるいはそれの徴表にとどまらず、その存在 根拠︵蜜繊o窒ω窪無︶であるといわなければならない。 この結果、構成要件該当行為は、特別な違法阻却事由のない限り違法な行為である。 メツガーの見解は、価値判断とその対象としての事実とを峻別する新カント学派、とりわけて西南ドイツ学派の価 ︵招︶ 値哲学に影響されて価値関係的な思考方法を用い、犯罪は法益を侵害し、又は脅威するという意味での不法であり、 構成要件は犯罪としての類型的な法益浸害を法律的に示したものであって価値から切り離しては理解し得ないとする のであるが、それと共に、その立場の根底には不法は刑事立法に依って具体的に決定されるものだという法実証主義 ︵M︶ 的な考えがあったことは否定し得ない。 そこから不法の類型としての構成要件の該当性の問題は不法という犯罪成立要件の中に包含して理解しなければな らぬという、二元的構造説を展開したのである。 ︵焉︶ これに加うるに、マイヤi及び主観的違法要素の問題を体系的に論じたメツガーを経て主観的違法要素の理論は、 構成要件該当性と違法性 一〇三
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違法類型の観念を介して、構成要件自体の中に主観的要素の存在を確認すると共に、﹁違法は客観的に、責任は主観 ︵16︶ 的に﹂というべーリング流の犯罪体系はその根底からゆさぶられることとなり、又責任の領域においても、従来の心 理的責任論︵℃馨8︸夷謎9・留ざ箆欝汝霧象お︶に代って新にフランク、ゴルドシユミット、フ諏イン.デタール、 エー・シュミット、メツガーらの努力になる規範的責任論︵蓉厩導畳毒ω9鉱α弩龍霧弩お︶の登場に及んで、違法性と 責任とは、客観対主観という単なる評価対象の差異を離れて、法の保護目的ないし倫理的非難の見地から夫々実質的 ︵17︶ な存立を得ることとなり、ここにも伝統的命題の当否に大なる疑問が投ぜられることとなったのである。 否、そればかりでない。やがて思想界一般において新カント学派に対する批判的風潮が強くなるにつれ、現象学 ︵薯弩・導窪・ざ讐︶、存在論︵9箆品εを方法論上の背景とする所謂存在関係的実在的考察方法に依る、新しい刑 法学の体系の構築という一連の動きが拾頭して来、いわば犯罪論における記述的概念から規範的概念への転換、そう ︵娼︶ してこれに続く実在的概念︵ω昌馨馨江象。膨お葺隔︶への転換の推移現象こそが、それの根本的変革を余儀なくさせ るのである。 いうまでもなく、臼的的行為概念を中核として犯罪論体系を新構成しようとする動きの中に、その典型例を見い出 ︵鴛︶︵20︶ すことが出来る。 ︵縫︶ 鱒 この新しい刑法学の体系においては、とりわけて実質的違法概念と行為概念とが間題とされる。 その点在来の因果的行為論︵匿霧器浮&ヨ蓉一9窓︶が行為を因果的事象として把握していたのに対し、目的的 行為論︵嘗巴。霞き象琶σ蔓巴¢疑。︶にあっては、人の目的活動こそが、因果雑盲目的な自然を支配し、社会生活を現実に形成し推進するカとなるのであり、目的性︵旨邑試汁︶fーそれが行為と不可分であるが故にーー故意は実に行為 ︵22︶ の本質的要素であるとする。 そうして違法性が法秩序に対する行為の矛盾である以上、その否定的評価は、当然にかかる主観賎客観の統一体 ︵目的的事象︶としての目的活動の全体に及ぼされなければならず、この意味で故意は同時に本質的不法要素︵窪㏄? 暮邑奮d資。。算毘①導魯ぎ︶とすることに依って﹁主観的不法要素の発見による、不法を純粋に﹃客観的に﹄規定する ︵23︶ これまでの体系に深刻な矛盾が生じた﹂ことの矛盾なき犯罪論の体系を構成し得るのであって、行為は常に行為者関 係的に、換言すると、行為者の所業︵壽爵︶としてのみ違法である。その故に、違法性の本質は決して結果無価値 ︵田§讐琶壽旨︶という法益侵害のみにつきるのでなく、当該の客観的行為に対し、行為の種類、方法、主観的要 素といった行為の態様︵行為無価値︶︵類欝区一琶竪醤壽旨︶を包含しつつ、あるいは生ずるかも知れぬ法益侵害と並 んで、行為の不法を決定的に規定する。ここに﹁違法性は常に、一定の行為者に関係づけられた行為の否認であり、従 ︵24︶ って不法は、行為者関係的・﹃人的﹄行為不法︵薮富吾舘夷窪β..需湊窪巴・。 ・..類p区ぎおω影3。巨︶である﹂という 人的不法概念を展開するわけである。 叙上見て来たことからも明らかな如く、目的的行為論は元来、行為概念と不法概念とに関する理論であったものが、 ヴェルツェルにあっては、これまで責任要素とされて来た故意を構成要件に該当する行為の要素とすることに依っ て、評価と評価の客体とが明確に分離され、﹁非難可能性﹂︵ε蒙蝕富昌。δ の評価としての責任の性格が明らかに ︵25︶ ︵26︶ なるとして、その故に目的的行為論は﹁規範的責任論によって必要となった体系構成の礎石である﹂とするのである。 構成要件該当性と違法性 一〇五
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一〇六 それにも拘らず、目的的行為論は、成立の過程から見る時、構成要件理論とは親しまぬ性格を示していた。この性 格は構成要件を中核として犯罪論を構成することを、自由主義的、個人主義的な抽象的思惟の産物であるとするナチ ︵2 7︶ ス刑法学の政治的主張に依り強く支持されていたことに依っても、その一端を窺い知ることが出来る。 又ヴェルツェル自身、構成要件を﹁禁止の素材﹂︵︿・吾・富目繋畳①︶として、犯罪論におけξ重要性を認め、構成 ︵28︶ 要件該当性が違法性から独立した地位を有することを明らかにはしているが、それは違法性の徴表︵ぎ象Nα黛菊? 9富三牙むく。5としてのみであり、犯罪を定型的には把えていない。 確かに、人的不法概念が法益侵害説の批判を含みつっ、違法性の問題における行為の客観的、外部的側面と結果的 側面のもつ意味を軽視しようとする限り、それは﹁意思.刑法﹂の要請に合致する可能性を多分に含んでいると評し得 ︵29︶ よう。 それからしても、社会的相当性を超える法益侵害のみが違法であるとする彼の不法理論が果して法益侵害とともに 行為の態様にどの程度のウェイトを置くものかの分析は極めて重要となろう。 ㈲ さて、右のぺ;リングからヴェルツェルに至る構成要件論の概観は、犯罪のメルクマールとしてのそれであ り、とりあえずその内容とされるものの多くを捨象したばかりでなく、わが国における構成要件論の推移については 全く論及がなされていない。 然し後者については、小野、滝川両博士を含め、わが国構成要件論者のほとんど凡てがドイッにおける構成要件論 へ30︶ から多大の影響を受けているが赦に、本稿の頚釣に沿っても、そのことにっいての不都合はさしてないと思われる。そこで、ここでは少しく構成要件論の推移を跡づけながら、構成要件の要素とされる内容についての推移というも のをまとめてみることに依って、構成要件の機能ということを一瞥してみようと思う。 それにしても、再び平場教授の表現を借りて、犯罪論の直面する現段階を、記述的概念から規範的概念への転換に 続く、規範的概念から実在的概念への転換の過程として特徴的に表現するならば、果して構成要件概念はそれ自体 に、現在においても尚確固たる固有の機能を維持しているものと称しうるであろうか。 べーリングにあっては、構成要件は刑法各本条において規定された客観的な事実の形象であるとした。 その故に行為と構成要件とでは、構成要件が観念的形象である点で現実的行為と擁他関係に立ち、両者は.﹁実体の ない内容﹂と﹁内容のない実体﹂という形で対比せしめられる。それが、構成要件に該当する行為として結合するこ とに依って、はじめて内容と実体とを兼ね備えるものになる。 次に構成要件と違法性とは事実の記述と評価という関係において相対立し、この価値中立的な純記述性、客観性こ そがまさに彼の構成要件論の特質である。 更に構成要件と責任とは客観対主観という対立がある。 ところが、かように全貌を現わしたべーリングの理論は、不幸にも彼の主張する個別化機能と保障機能とにおいて 二律背反的な自己矛盾に陥っていたのである。 即ち﹁価値から自由な﹂外部的・客観的構成要件を主張すれば、その個別化機能が失われ、逆に個別化機能を徹底 しようとすれば、構成要件の保障的機能がゆるめられること、例えば殺人罪と過失致死罪の区別は、犯罪の客観面に 構成要件該当性と違法姓 一〇七
東 洋法 学 ﹃○八 あるのではなくして主観面にあるのであるから、構成要件を客観的なも0に隈定することに依って特別構成要件を中 途半端にし、同様に所謂規範的構成要件要素では事実の記載ではなく、裁判官の判断活動を要求する概念で以って犯 罪は特定され、しかもそれが単に違法性一般に関するものではなく、この犯罪類型の存否に関するものであることか らも明らかである。 そこでべーリングは、その後に至り新に﹁構成要件論﹂︵冒①監ぼ。ぎ筥蓼夢霧9区し醤・︶において、従来の理 論に若干の修正を加え彼の批判者達に対し、自己の立場を尖鋭ならしめたのであるが、そこに見られる構成要件を以 って違法性及び責任に対する関係での ﹁指導形象﹂︵u23ま︶なるものは、余りにも抽象的学説的概念に堕して、 その実定法意義を失うものとなったのである。 このような欠陥から思想的風潮と相侯って、構成要件は次第に違法性へと近づけて把握されるようになった。 この間、べーリングから構成要件は不法類型であり、違法性の存在根拠であるとするメツガー等の新構成要件論と の橋渡しをしたのが、M・E・マイヤーであった。 彼は、構成要件と違法性とを一応無関係なものとして把えたが、両者を火と煙の関係にたとえ、構成要件は違法性 の認識根拠として、主観的違法要素、これに加うるに純正、不純正も決定させるが如き規範的構成要件要素にっいて 論じ、べーリングの理論の矛盾を補正しようと試みたのである。 然しM・E・マイヤー流の規範的要素の理解は、所詮、第一に構成要件の要素を以って外部的事実的なものを原則 とすることを前提することにおいて、第二に規範的ということの意味についての価値判断又は評価という要素と評価
︵3 0︶ せられる客体とが十分明確に区別されておらぬことにおいて尚徹底的な検討が欠けていたといわなければならない。 そこで、これを更につき進めて行く時に自ずと構成要件を以って、べーリング流に違法性と無関係なものでもなけ れば、マイヤ⋮の如く違法性の認識根拠とするにとどまらず、構成要件と違法性とは同質のものであり、構成要件は 違法性の項目の中で説明されるということの必然性を生じて、構成要件は違法性と対等の地位を失ったばかりか、併 せて犯罪論における最重要且つ支配的な要素としての地位を失うこととなった。これがメツガーを代表的論客とする 構成要件を違法性の存在根拠とする新構成要件論の特質である。 弦には、構成要件は特に結果的加重犯における﹁結果﹂、﹁規範的要素﹂、欝的犯の﹁目的﹂及びこれを含めた一般 に﹁主観的違法要素﹂といわれる要素、犯罪の﹁主体﹂等を包摂した極めて内容豊富な価値に充ちたものとなったの である。 加えて刑法学における実在的考察方法としての目的的行為論の登場は、従来責任の心理的要素と考えられていた ﹁故意﹂と、そうしてこれに対する﹁過失﹂が構成要件の主観的要素とされるに及んで、更に又所謂人的不法の理論 に基づく社会的相当性の理論は、目的的行為の発生的背景と相侯って、益々構成要件の定型的思考ということをゆる めその犯罪論の独自的機能を失わしめるに至っている。 確かに、この一連の構成要件発展の歴史は、その内容が余りにも価値に充ちたものであるが故に逆に構成要件崩壊 の歴史にもたとうべきものであったとさえ、いいうるものではなかろうか。 そこで次節では、構成要件に対応する意昧での違法性との関係を素描するこ老により、構成要件の価値的性格とい 構成要件該当性と違法性 一〇九
東洋法 学 うことを、更に論及してみることとする。
二α
︵王︶ α9導躯 鉾欝○こω・鱒ド ︵セ︶望鼠夷”帥。欝○‘9拐・ ︵3︶ 小暮﹁前掲論文﹂六〇一頁参照 ︵4︶ 小野清一郎﹁犯罪構成要件の理論﹂︵昭二八︶二〇六頁は、べージングの根本思想が法律実証主義にあるとして、その 意義を認めつつ、これを否定され、規範的な法律の世界における特殊的概念構成及びその実証的表現が正義そのもの の実現の過程として重要なることを認めるに過ぎぬとされる。 ︵5︶ 小野博士は、べーリングがその後﹁構成要件論﹂︵一九三〇︶において、構成要件を各本条の犯罪類型から抽象され た、しかも論理的に各本条の犯罪類型を規制し、その統一を確保する観念上の指導形象︵い。津鼠箆︶を指すとしたことに 対し、全く﹁内容の空虚な﹂抽象的観念であり、致命的修正であると批判されている。 ﹁前掲書﹂四〇八頁参照 ︵6︶ 平野竜一﹁故意についてO﹂法学協会雑誌六七巻三号二二二九頁参照 ︵7︶ 罫跨竃薯象。O段aおo響魚ま冨譲留ωα①露。 。9・にωヰ鉱お畠葺一2跡一c 。N鴎捨 ︵8︶客φジ蜜器磐欝影○‘ω﹂c 。と捨 ︵9︶ M・E・マイヤーにあっては規範的要素は不純正構成要件要素であ9、かつ純正違法性要素であるとしたが、いずれ もそのような二重性格をもった規範的要素が構成要件に含まれていることが指摘せられている。く撃罫ド窺ξ巽・窒 ㊤。鉾ρu9 一c o嬉 諸。国。 曾欝○こωし9麟蝋碕. ︵⑱︶ ︵U︶ ︵珍︶ ︵珍︶ ︵換︶ 蜜φ器磐 寓り弊窯餌蜜貧。野2ρ︸G o.ま● 覇o謎o♪<○昌曽一導α窪ω辞鋒窓oげ建一96謬↓暮び霧汁餌篶一9 窯oお○びo o菖鈴簿oo算讐団賞いΦプ触α蓉ダ一、︾鐸︷一こ 一δ毘︸9 小野﹁前掲書﹂一八頁参照 賂⑲9 ω.=, 一婁ゑ。︵珍︶ 尤もメツガ;にあっても、その﹁構成要件論﹂では駄マイヤーの如く、主観的違法要素を以って、違法性の要素であ ると考えるのは誤っているとして、これを構成要件の要素であるとした。 <σq測鍵φNσ登①ゴ/δ露ωぎ雛山霧ω跨9お9訴質魯窪8暮び霧畠昌qρ一博9ω.露り が、その後﹁その刑法教科書﹂においては、主観的構成要件要素という考えを捨て、再び主観的違法要素説に還っている。 <αQ歴置①おoびどo誓σ蓉ダ9嵐c o, かような思想の転換の理由についての説明は木村﹁前掲書﹂三六頁以下に詳しい。 ︵婚︶ 主観的違法要素の提唱は違法概怠の主観化を一層徹底させる方向に作用したが、然しこのことは容観的違法論とは矛 盾するものではない。 ︵鐸︶ 小暮﹁前掲論文し六〇二頁参照 ︵聡︶ 平場﹁前掲論文﹂五四二頁参照 ︵珍︶ 目的的行為論の法思想史的背景について本格的な検討を試みたものに、内藤謙﹁目的的行為理論の法思想史的考察レ 刑法雑誌九巻一号。一頁以下、二号一七三頁以下がある。 ︵2 0︶ 無論、頚的的行為論といえども、犯罪の一般的成立要件として構成要件該当性、違法性、責任といった三つの要件を あげることを否定するものではなく、これらの刑法的評価の対象となる犯罪概念の基底をなすものとして、行為概念を提 示し、そ0構造を明らかにしようとするのであるから、その方法論的態度においては在来の因果的行為論︵鍔雲ω鉱。 譲彗ら弩αQ巴。導。︶と一致している。 然しながら、両理論が行為概念について、全く異なる理解を示すことにより、犯罪論上の帰結について、根本的差異を 導き出される場合潜多く、そうしてそれ故に重要なのである。 尚瞬的的行為理論に賛意を示されるものとして平野﹁前掲論文﹂六七巻三号二二六頁、四号三五一頁以下 平揚﹁刑法における行為概念と行為論の地位﹂小野博士還暦記念、刑事法の理論と現実O︵昭二六︶三三頁以下、福田 平﹁揖的的行為論について] ︵神戸経済大学創立五六周年記念論文集、法学編①︵昭二八︶ニニ頁以下 木村﹁前掲論文﹂一〇七頁以下参照 構成要件該当性と違法姓 二噛
東洋法学
コニ ︵2 1︶ この傾向の背景には、ナチスによる民族共同体思想の強調と刑法の倫理化への強い要求があったことは否定しえない。 内藤﹁前掲論文﹂一四頁参照 ︵22︶ 薯○一N①どご霧審募ωoげ○ωσp坤ooゲ一¢凱9 凱︸9ど 9鱒c o。 過失は行為といいうるかは、つとに争われたのであるが、過失行為をもって構成要件上重要でない結果を目的とした月 的的行為だと解している。尚木村﹁前掲﹂一ニニ頁参照 ︵お︶ ︵24︶ ︵渉︶ ︵26︶ ︵蟹︶ ︵2 8︶ ︵鍛︶ ︵3 0︶ の点について必要のある範囲で論及する。 薫〇一8一● 斜ρ○ら9 摯地 妻巴No一’ρ曾04ω。蝋⑲● 譲oぎΦど評鉾oこω.ご鴇楠 ≦〇一Noどd旨象o協ぢ鎮o頃①鄭α一毎おo 。冨一眞9一3ふ㊦”9PO 内藤﹁前掲論文﹂九巻二号二〇一頁参照 薯〇一8♪勲曾O鳩ω瓜ド 内藤﹁前掲論文﹂九巻二号二〇七頁参照 小野博士の﹁構成要件を以って、違法類型であると同時に、 尚小野﹁前掲論文﹂一 有責類型である﹂ 一頁参照 とされるとの独自の見解であるが、 こ 二 構成要件と違法性との相互関係 前節では、構成要件論の学説史的発展の素描を、その代表的論客の見解を通じて試みて来きわけであるが、更に間 題を深化させる意味において、構成要件と違法性との相互関係を違法性の本質とも若干関連しつつ、敷術して論じて みる必要があろう。 べーリングにあっては、構成要件と違法性とは別個の独自の問題であるとし、構成要件の中には何らの価値判断も含まないとするのが基本的な思想であった。その後構成要件を以って﹁純粋な機能概念﹂とし、犯罪類型の客観的側 面と主観的側面を共通に支配する﹁指導形象﹂と解するに至ったが、そこにおいても構成要件と違法性とは本質的に 異なる性質のものであるとする点で基本的思想の変化はない。 尤も、べーリングにあっても、例えばドイッ刑法第一二一条の謀殺に関する規定の如く、刑罰法規が特に違法性の 要素を明示的に考慮していない場合は、構成要件は違法性を指示し構成要件は違法性の﹁徴表﹂であると解してはいた ︵1︶ ので.ある。 ︵2︶ そうしてこれを一般化して、構成要件は違法性の徴表であり、認識根拠であるとしたのが、M・E・マイヤーであった が、彼にあっては所謂構成要件の規範的要素の存在の考慮から、これの存在する場合に限って構成要件該当性は、違 ︵3︶ 法性は違法性の存在根拠を意味するのだと解した。 かかる見解がザウァーを経てメツガーに依り、構成要件は﹁定型化された違法﹂︵身三昏ほ99寡。・洋︶であり、 明確に違法性の存在理由であると解されるようになった。 ここにみられる形式的・概念的考察から実質的価値的考察の深化というのは、違法性の本質にも必然の反映を斉らす こととなった。それは従来の法規範との形式的な転触に違法性の本質を求めた見解から、法の保護目的に対する実質 的な背反即ち保護利益の侵害へとの実質的違法観に推移し、違法性の本質は法益の侵害又は危胎化という点に求めら れ、他方において罪刑法定主義が依然として犯罪構成の抑制原理として機能する限り、かかる違法性の実質的把握 ︵4︶ は、結局犯罪の成立を阻却するという消極的な方向をとってあらわれざるを得なかった。 構成要件該当性と違法性 コ三
東 洋 法 学 ︸一懸 ところが目的的行為論の登場と、それに伴う人的不法の概念になる﹁社会的相当行為﹂の類型が明瞭化されるに及 んで、構成要件を単に法益を侵害し危胎化する行為の類型として﹁結果無価値﹂が違法性を特徴ずけるとともに、構 成要件の性格を決定していたものから、 ﹁行為無価値﹂ の面を重視することに依って、違法類型としての構成要件 も、社会倫理的に許されぬ態度の類型の面が強調されることになった。 その結果、法益侵害又はその危胎化を伴っても社会倫理的観点から刑法上許容される行為は、本来的に構成要件該 当性の外に放遂されることになり、構成要件該当性は認められるが、その違法性が阻却されるというような、一般の ハらロ 違法阻却事由に該当する行為からは区別されることとなったのである。 今一例をみよう、例えばボクシングで殴りあう行為や、親の肩を叩く行為等の行為が、傷害罪や暴行罪の構成要件 に該当し、ただ違法性が阻却されるとみることは、社会一般の法感情に照らして、著しい乖離を示すことは明らかで ある。 このような行為を構成要件該当性の外に放遂する点にこそ、構成要件を違法類型として把握する見解の学説史的意 ︵6︶ 義が存する。 その故に社会的相当行為は、所謂﹁社会的相当行為の行為定型﹂に該当するから適法性が推定され、その結果構成 ハクレ 要件該当性が失われるという思惟過程を経由する必要もなく、その構成要件の解釈として、当初から構成要件に含ま ロ れないという意味において適法であるべきだと解すべきである。
︵ー︶雛Φ醤護“夏・ぎξ・く・簿ぐ費ぼ。魯窪︾G・99一餐︶一総驚p ︵2︶ このM・E・マイヤ⋮の思想を承継し、構成要件該当性を以って違法性の最も重要な認識根拠であるとしたものに、 二⋮・シュミットがある。 <喰”弧c 。§iも Q魯簿ε漕い¢一環ぴぎダ駅。︾急どる㎞ρω﹂c。噛︷酒 ︵3︶罫鍔銀薯2ピ・ξ菖・F曽︾諏P鯵の㌧ 。.o o.一c 。潟捨 ︵4︶ 小暮得雄﹁違法論の系譜と法益論﹂法学協会雑誌八○巻五号、六〇二⋮六〇三頁参照 ︵5︶ 尤も、社会的相当行為の体系的地位の問題は未だ定説ありとするには至っていない。例えばヴェルツェルにあって も、その初期においては社会的相当行為は構成要件に含まれずとしていたが、その後、社会的相当行為は慣習法的正当化 事由であって、構成要件には該当するが、一般の違法阻却事由をまつまでもなく適法とされると主張するようになった。 <σ職歴≦鉱きどご霧鳳︶窪苗。ぎも o㌶亀3。g”c o・︾蔑一‘鯵$・9試・ 更に、この所説に触発されたわが国にあっても、構成要件該当性阻却説︵例えば、平場安治﹁刑法総論講義﹂︵昭二七︶ 七四頁︶、違法性推定機能否定説︵例えば、団藤重光、﹁刑法綱要総論﹂︵昭三二︶一幽一頁︶、違法阻却規整原理説且つ構 成要件解釈原理説︵例えば、福田平﹁社会的相当性﹂︵昭三二︶刑法講座二巻︸〇六頁以下︶等多義に分れる。 ︵6︶ 酉原春夫﹁構成要件の価値的性格﹂早稲田法学囲一巻一号一七三頁参照 ︵7︶ 藤木助教授は、社会的相当行為が構成要件該当性を有しないとの結論を導くにあたり、社会的相当行為は、一定の行 為定型︵祉会的相当行為類型︶に該当するから適法性が推定され、その結果構成要件該当性が失われるという思惟過程を 経由し、結果的には構成要件該当性阻却説に従われる、藤木英雄﹁社会的相当行為雑考﹂警察研究二八巻一号五八頁以下 参照 西原助教授が、﹁前掲論文︼七四頁﹂が批判される如く、果して﹁社会的相当行為の行為定型﹂というものが、すべて の揚合を網羅することにおいて可能であるかは、疑問であり、かような行為一般の類型化とは親しまぬものと称さねばな らぬであろう。従って、社会的相当行為類型に該当するから、適法だというような体系的論理過程を経ずに、端的に﹁構 成要件の解釈﹂としてその該当性が否定されるとすべきではなかろうか。 構成要件該当性と違法性 二五
東洋法学
二六 ︵8︶ 構成要件を違法類型だと把握しつつ、社会的相当行為を構成要件の中に含め、ただ違法性推定機能を有しないとする 見 解は、これからしても妥当とはいいえぬであろう。尚酉原﹁前掲論文﹂︸七三頁参照二 不作為犯と構成要件該当性
構成要件該当性と違法性との関係につき問題となるものは、叙上若干論じた社会的相当行為のみならず、構成要件 の記述的及び規範的要素の問題、更には過失犯の構成要件該当性等多岐に亘る。 然し、戴ではとりあえず不作為犯と構成要件該当性との関係を論ずることに依って、構成要件が決して価値から独 立し得ず、解釈者の価値判断を予定することにおいて、構成要件該当性は違法性そのものなのである、ということの 一つの論証を試みてみようと思う。 e 不作為の行為性ということについては、因果的行為論の代表的理論とせられるラートブルッフの﹁行為論﹂ ︵雪3毎β09潤弩︵一菖極σ擦葺協汐毘⇒巽尉区雲ε茜鐘目身のo。#罠a誉堕。・琶層毯奏︶以来、その行為概念に ︵1︶ 関連しつつ半世紀以上に亘って論義が重ねられたが、今日では不作為の行為性を認めることにほぼ異論がないといい 得る。 ただそれが犯罪概念の体系の何処に位置を占めるのかということは、行為概念と相関関係を有しつつ種々の論義を 生んでいる。ところで、作為犯の如く、人の一定の外部的な積極的態度ないし動作を問題とする揚合においては、その身体動作 そのものの態様如何を間題とすれば、刑法上違法とされるかどうかの判断は可能となる故、事は比較的容易である が、不作為犯︵9耳巴霧蓄握ら 。含影ε︶にあっては、人の一定の消極的動作を問題とするのであるから、それの判断 はしかし容易なことではない。 加えて、例えば不退去罪の如き純正不作為犯にあっては、退去の要求を受けた者はその要求を受けることに依り、 退去しなければならぬという作為義務を負い、その作為義務違反は同時に又、退去の要求を受けた者は退去すべきで あるとの命令規範に違反するというように、当該構成要件自体に作為義務が予定されているが故に、それの違法性を 確定することは少しく容易であるのに対し、不純正不作為犯では、不純正不作為犯を基礎づける構成要件が作為を規 定したものであることを以って、そこには一定の作為に出ずべきとの命令規範は含まれず、行為者に刑法上の作為義 務がどのような範囲において発生したのか否かの確定は極めて困難となる。 そこで、この不純正不作為犯における作為義務と違法性との関係につき、従来、作為義務違反即違法性の問題であ ると解せられ、その作為義務は、道徳的、宗教的義務とは異なれる法的義務であり、通常法令、契約の如き法律行為、 公序良俗に基づくもの等という如く、多義的に発生するものとせられるばかりでなく、その作為義務の内容というの も、何らかの作為義務といった莫然たるものではなく、結果防止を具体的内容とする作為義務たることを要するとさ れていた。 蓋し、そこにみられる作為義務違反とは、刑罰の強制を以ってするに足る程の反道義的なものであるか、といろ点 構成要件該当性と違法性 二七
東洋法学 一一八
に重要性が存したからに他ならぬが、結局のところその範囲の違いは、道義的価値判断の量的差異に帰着することに ︵2︶ なったのである。 口 ところで、これらの点について今少し検討してみよう。 M・E・マイヤーの如く、構成要件該当の不作為は一定の法規又は法体系に依って禁止せられない限り違法でない ︵3︶ というのであれば、例えば親権者たる母親が民法八二〇条に規定する監護義務即ち作為義務に違反して、水中に溺れ ヤ ヤ ている子を放置した場合、救助しないという不作為に依って子が死亡した時に、構成要件該当で違法な殺人行為をし たということになる。 そうであるならば、民法八二〇条に規定した親権者以外の凡ての者も同時に救助しなかったのである故、子の死亡 ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ についてはこれら凡ての者は、違法ではないが構成要件該当の不作為に依る殺入をなした、ということにならざるを 得ぬこととなり著しく社会常識に背反する結果を生むことになる。 而して、刑法上﹁子を救助すべき﹂との作為義務については、如何なる条件の下にこれを認むべきかを更に確定す べき必然性を生じよう。 だからこそ作為義務は﹁結果発生を防止するとの具体的内容﹂であることを要したのであるが、より正確には、結 ︵逢︶ 果発生の危険性が切迫し、しかもその結果発生の危険を防止しうる地位にある者が、故意又は過失に依ってその作為 に出ないという清況性を必要とするであろう。 これらのことは、特定人に作為義務が発生するか否かの確定が、義務に違反した者の反道義性が強度で刑罰の強劃に価いするか否かの評価と、情況上その特定人に対し作為義務が果して発生したものか否かの評価という、刑法上の ︵5︶ 命令規範の違反、換言すると違法判断に関連するものであることを何よりも物語っているといい得る。 その故に不純正不作為犯の作為義務を以って構成要件該当性の問題を跳躍して、違法性の問題として採参上げる見 解には正しい核心があるといわねばならぬであろう。 然し、そのことは不純正不作為犯の構成要件該当性そのものについて、従来全く論ぜられていなかったということ を意味するのではない。 日 例えばぺーリングにおいても、殺人罪の如き実質犯にあっては、その重点が行為の結果にあり結果に至る行為 の種類は、作為・不作為を問わず凡て構成要件に該当するが、ただ作為と不作為とを同様に取り扱うことを、罪刑法 ︵6︶ 定主義の類推解釈禁止の原則に反するとしたのである。然しぺーリング自身においては何故に救助しないという不作 為が殺すという作為を規定した構成要件に該当するかということの理由について触れることなく、直ちに違法性の問 題として作為義務を論じていたが、後にその理由として立法者が基礎としたところの﹁日常生活用語﹂︵冒ぎ諾嘆8ぞ σ登 93琴εを根拠として、﹁日常生活用語﹂に依って不純正不作為犯における不作為が、実質犯としての作為犯の構 成要件的行為たる作為の中に当然含まれ、それは立法者が直接意昧したものを汲み出すのみであるから、罪刑法定主 ︵7︶ 義に反しないとしたのである。 ただ、ぺtリングの見解にあっては、前の見解が作為義務なき者の不作為も又構成要件該当だといわねばならぬに 対し、後の見解で作為義務ある者の不作為のみが構成要件該当性ありとして、作為義務は違法性の要素でなく構成要 構成要件該当性と違法性 二九
東洋法学 一二〇
︵3︶ 件の要素だという重要な結論が、不明確のまま残されておったのである。 そこで不純正不作為の構成要件該当性の問題が、不作為に依って結果犯としての作為犯の結果を成立させた場合、 結果を惹起する作為が、その主体の性質と関係なく構成要件該当とせられ、主体に作為義務があったか否かは違法性 の問題とすべきか、それとも結果を防止する義務ある者の不作為が構成要件該当の間題であって、違法性の要素では ないのではないかということが論ぜられるに至った。 この後者の主張の最初をなしたのがナグラーであった。彼は社会関係にあっては、一定の結果を惹起する積極的条 件に対し、常にその結果発生を阻止する消極的条件が並存し、その結果発生防止の機能は結果発生の危険を防止す る特別の任務を有する人に委ねられ、かような機能に依って社会生活が摩擦なく円滑に運行するという基本思想を下 にして、作為義務ある者の作為義務に違反する不作為を以って、作為犯の構成要件的行為たる作為と法的に同︼であ り、不純正不作為犯の体系的地位は構成要件の要素の中の行為即ち﹁構成要件的行為﹂その意味において実行行為に ︵9︶ あると解した。 このナグラーの説を通常﹁保証人説﹂︵○震弩§ぎξ・︶というが、要するにそれは、結果発生の危険な状態におい てその結果の発生を防止すべき特別の法的義務ある者を、一種の構成要件的身分とみるべきものであって、犯罪の結 果発生防止を保証すべき義務を以って作為義務だと把握し、構成要件上かような結果発生を防す止べき義務を課せら れた者が保証人たる地位を有すると解するのである。そこで保証人説に従えば、不純正不作為犯にあっては、構成要 へ憩︶ 件の要素として行為即ち不作為、結果及び不作為と結果との問の因果関係の他に、主体に結果発生防止の作為義務があり、その作為義務違反があるということを包含することになる. その作為義務が法的義務であり、且っ単純な作為義務でなく、法令、法律行為その他法秩序を根拠として決せられ なければならぬのであるから、カウフマンの如く、不純正不作為犯の不作為は作為義務ある者という特定の身分ある 主体の不作為を内容とするのであるから、そのような主体の制限をもたぬ作為犯の構成要件に該当すると解するのは ︵慧︶ 妥当でない、との批判の当否は別として、それにしても結局、保証人説に依っても、保証人たる地位は裁判官の違法 ︵鴛︶ 評価に依って確定さるべき不文の規範的構成要件要素であることに変りなく一義的に明らかとなるものではないので ある。 凶 このように作為義務違反が、構成要件該当性の問題となるに及んで、従来の構成要件該当性の判断を違法性判 断に論理的に先行する、ということの主張が不都合を生ずることに依って新たにこれを回避しようとする理論的方法 も未だ必ずしも成功するには至っていない。次に又、不作為犯の場合に限って例外的に違法性の判断を構成要件該当 ︵13︶ 性の判断に先行させる考え方はどうであるか。 その実質的理由は、不作為の多くが通常社会生活上見逃されるものである故、特に違法でない限り、犯罪定型その ものにあたらぬとみるべきだからとするにあるが、然し構成要件該当性の判断の前提として、違法性の判断をしなけ ︵M︶ ればならぬというのは、何も不作為犯に限るのでなく所謂社会的相当行為の場合においても同様であり、更には団藤 ︵焉︶ 教授自身が指摘されるヴェルツェルの﹁開かれた構成要件﹂︵・鴇。冨証筈。馨習含︶のみならず、凡そ規範的構成要 件要素が間題となる凡ての場合も、事は不作為の場合と同じことである。 構成要件該当性と違法性 一二一
東洋法学
二一二 従って、かように不作為犯について特別な例外を認めることは、違法類型論の体系構成に無理のあることを示して いるといわねばならぬであろう。 このように見て来ると、︸般道義上の作為義務と異なる刑罰の強制に価いする刑法上の作為義務が、一定の情況に おいて発生し、しかも行為者がその義務に違反したという事情が認定されなければ、不作為の構成要件該当性を確定 ︵驚︶ し得ぬとするならば、それは特に構成要件該当性程違法性とならざるを得ないものであり、論理的に違法性判断の前 提として構成要件該当性を先行すべき必然性は、これを見い出し得ぬようである。 ︵i︶ ヴェルツエルは、不作為を以って行為をしないことであり、それ自体行為ではなく、行為と不作為との関係は甲と非 甲との関係にあるとし、両者に共通の上位概念なる﹁容態﹂を以って﹁状態﹂ないし﹁事象﹂だと解している。 <塾≦鉱きど¢糞島①臨認鉱o鶏弩繕毒σ貸の富驚○・も鈷の・鷺・ ︵2︶従って、例えば医師法一九条一項に規定せられているような、単なる医師の診察、治療に応ずぺき義務は、不純正不 作為犯における作為義務とはならない。尚、木村亀二﹁犯罪論の新構造︵上と︵昭四二︶一三二頁参照 ︵3︶罫φ竃35びごg︾一蒔2蓉ぎ浮二︵一。の︵一①纂。 臼。一毫。 。縛β晒一づ。葬9い。窪︶区・”曽ぎ芦一ゆβω・蚤・ ︵4︶ 近時、不作為犯については、作為犯とは異なれる独自の存在構造ということが問題とせられ、と夢わけてその故意概 念と共に故意的不作為犯と、過失的不作為犯との区別が論ぜられておるが、本稿においては、さし当り曜での核心に正しい ものを含むということを指摘するにとどめる。 尚︾●麟鎧︷揖舘許ご一〇ご○σQ影箕導︵一巽d纂o鳥霧q Q慧αQ。 っ︵ざ蕪騨9 鯵踏。 及び金沢文雄﹁不作為犯における故意及び過失﹂政経論叢一六巻五、六号二四頁以下参照 ︵5︶ 西原春夫﹁構成要件の価値的考察﹂早稲甲琢字四一巻一号一七八ー一七九頁参照 ︵6︶木村﹁前掲書﹂二二五頁参無、尚鵠色一一欝黛Qび93ぎ糧<・ヨ器2一。一一脚る09ψ露亭捨︵7︶ 綴o欝護”Q議壽謬o号ωω歴舜津o・葬∫一麗9 二●>象一こω●﹂ 。o っ● ︵8︶ 作為義務違反のみが違法性の間題であ9、作為義務の内容をなす作為に出なかったという﹁不作為﹂のみが構成要件 該当性の問題であるとした、マイヤ⋮についても、ほぼ同様のことが云いうるであろう。 くαq一●欝●φ鷺欝繁oン斜碧ρ○ ○。も○幡。 ︵9︶ 客お一〇♪ござ想3露窪るδ涛q霞切夷魯巷畿︵ご零ぴ9翼貸一霧白 Dqごσ窺︸○①証99ω舞ご綴︵一﹂Fご㌧ 。co矯9辺隔h ︵組︶ 不作為の因果関係は肯定、否定の両説があるが近時カウフマンは﹁不作為故意﹂は存在しないとして、否定説に立 つ、この考え方はヴェルツェルによっても採用されている。 <巴・麟帥鴬騰臼帥昌添 費鉾○・ω。 α8 α ︸ 同じく金沢助教授も不作為者は結果に対して条件関係に立たず、 ﹁結果発生を防止しないこと﹂と﹁結果り惹起﹂の刑 法的評価は、園果関係とは別の領域に属するとして、同様の見解に立つ。 金沢﹁前掲論文﹂三三頁及び同﹁不作為の因果関係﹂政経論叢;ユ巻四号三七頁以下参照 ︵U︶ 穴麟無簿きコ勲鉾ρω,鴇一鶏の ︵珍︶ 西原﹁前掲論文﹂一八○頁参照 ︵B︶ 団藤重光﹁刑法網要総論﹂︵昭三二︶九九頁 ︵処︶ その故に社会的相当行為は、単に違法性推定機能が失なわれるとずる、団藤教授の毘解には果して矛盾がないべ.、あろ うか、尚、団藤﹁前掲書﹂一四一頁参照 ︵拶︶ 団藤﹁前掲書﹂一灘一頁 ︵婚︶ 故意の不作為犯において、例えば﹁麗発の危険を利用する意思﹂といった主観的違法要素が、更に必要かは闘題であ るが、刑法改正準備草案二条は﹁ことさら﹂という要件をそえ、これを立法的に明らかにした。 構成要件該当性と違法性 一二三
東洋法学
一二四あ と が き
以上考察して来たところを簡単に総括してみると次の如くになる。 e 構成要件が、特に刑法総論中に採り入れられて構成要件の理論となって展開される以前には、行為が犯罪の基 本的要素とされていた。 そこへ、人権保障という時代的要請を敏感に反応して実定法という一応の粋を示すところの構成要件論が登場し来 った。 然し、個人の権利、自由の保障を強調する余り、価値から引き離されて﹁没価値的、記述的﹂と理解されたべーリ ングの構成要件概念が妥当でないことは、既に犯罪概念の中核とされた構成要件の機能上の矛眉が包含されていたこ とよりも明らかであった。だからこそ、べーリングもその後、構成要件を以って﹁指導形相﹂だとしたのだが、それ は全く具体性を失った抽象的概念でしかなかった。 その故に、エム・エi・マイヤーが﹁主観的違法要素﹂及び﹁規範的構成要件要素﹂について論じ、更にメツガー 等の新構成要件論者が﹁構成要件は違法類型である﹂と断定したのは、法そのものの規範性からも、犯罪類型の個別 化という観点からも、べーリングの構成要件概念の理論的矛盾を是正するものとして高く評価し得るのであるが、そ れは逆に又、構成要件が犯罪概念の中核としていた自らの立揚を否定するものであり、嘗っては、対等の地位に並列していた﹁違法性﹂の中に没入してしまうこととなったのである。 そうして、それを更に一層助長せしめたのは実在的概念方法に基づく目的的行為論の登場であった。 ところで、もし構成要件該当性が違法性の中に没入するなら、従来の犯罪概念を、構成要件該当、違法、有責の行 為として、違法性判断に先行して構成要件該当性を確定するという体系構成は必ずや批判にさらされなければなら ず、構成要件該当性は常に違法性の判断を必要とすることならざるを得ないのであった。 その論証の一例としての不作為犯、とくに不純正不作為犯の場合も、構成要件該当を確定するには、作為義務違反 の判断、つまり違法性の判断が必要であるというわけである。 口 ところで、かように違法性判断の中に構成要件該当性を解消しようとする考察方法は、果して構成要件を軟化 させ人権保障の弱体化を促進することにならぬであろうか、 これについては凡そ次の反論が可能となろう。 第一に、構成要件論は決して罪刑法定主義の原則的要求ではないということである。 それは単に、一定行為が犯罪とされるには刑法に規定されているどれかの行為にならなければならぬのであって、 ︵1︶ 有責、違法な行為のみでは罰せられないという程の意味でしかないのである。 しかも犯罪と刑罰の明示が単に裁判官を名宛人とするのみならず、行為者に対しても示されるとする限り、刑法に ︵2︶ おいて裁判官の裁量を許容することも、あるいは又許容する概念を用いることも排斥される道理はないであろう。 第二に、入権保障は決して実定法に依って為され得るものでないこと、例えばドイツにあって実定法の不信に出発 構戒要件該当性と違法性 一二五