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83 藩政時代仙台領の出版状況について 渡邊洋一 The Situation of Publication in the Domain of Sendai during the Feudal Government Period WATANABE Youichi 1 はじめに 日本出版史序説 中国に起

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(1)

1.はじめに ~日本出版史序説~

 中国に起源を有する印刷技術

1)

は,比較的早い時期に東アジアを中心とし

た周辺諸国へと伝播し,日本でも,奈良時代後期の宝亀元年(770)発刊の『百

萬塔陀羅尼經』の製版本に始まる

2)

.しかし,日本の印刷本は “ 五山版 ”

3)

代表される一部寺方で発刊される仏典等を除くと中世までは殆ど行われな

かった.それにはまず書籍(本)というものが当時の支配階層の一部知識人

 東北文化学園大学 総合政策学部 准教授 1) 現存する中国最古の印刷例は20世紀初頭に英国人スタインにより発見された敦煌文書中の唐 代中期の咸通9年(868)銘記の『金剛経』とされる.しかし現物こそ確認されていないが,明代発 刊の『弘簡録』(邵経邦撰)によると,唐の太宗の皇后長孫氏が『女則』(封建社会下における典型 的な女性の物語)を撰じ,太宗がそれを「封建的倫理道徳を宣揚しているので封建王朝の統治に有 利である」として,製版本の作成を命じているとの記録がある.これが事実であれば初唐時代(7 世紀前半)には既に製版技術があったことが分かる.また,非公式な情報として,隋の文帝の時代 (6世紀後半)には既に印刷術は発明されていたとも言われる(『中国圖書の歴史』庄威著・吉村善 太郎訳).いずれにせよ,当時の世界で文化水準が最も高い中国においてこうした技術が発明さ れたということは想像に難くない. 2) 以前は『百萬塔陀羅尼經』が現存最古の印刷例とされていたが,昭和39年に韓国の慶州(三国時 代の新羅の都)の仏国寺宝塔からそれより約50年遡ると思われる『無垢浄光大陀羅尼経咒』の版本 が発見,現在はこれが現存最古とされている.

藩政時代仙台領の出版状況について

渡邊洋一

The Situation of Publication in the Domain of Sendai

during the Feudal Government Period

(2)

のみの占有物であり,印刷という手法を経ずして写本のみでその需要が賄え

たことに他ならない.ところが,近世になると事情が一変する.織豊政権以降,

安定した社会状況の中で日常生活が成立するようになると,中世までの一部

特権階級の知識人の占有物であった書籍が次第に庶民階級へも普及してく

る.そうなるとそれまでのように写本のみではその需要を賄いきれなくなり,

印刷出版による書籍の普及が起こってくる.ここにおいて初めて生業として

の出版業である書肆

4)

が現れる(“ 町版 ” の成立).

 さて,「本は文化のバロメーター」という言葉がある.これはある国・地域

で本(印刷物)がどれだけ発刊されているかで,その国・地域の文化水準が分

かるという意味であり,そうした意味でも日本において出版業が最初に成立

したのはその言葉通り古代以来の政治・経済・文化の中心地であった京都を

中心とした上方の一帯であったことは想像に難くない.そもそも,京都には

中世以来の寺方の印刷工房が存在しており,寺方向けの書籍等の印刷が行わ

れていた.また書籍愛好家の知識階層も多く,彼らは前代より伝えられた書

籍を多く所蔵していた.つまり,京都を中心とした上方において日本初の出

版業が成立するにはこのような技術・素材・需要といった背景があったから

に他ならない.しかも,近世初頭になると元々の知識階層に加えて時の権力

者と結びつくことにで,庶民階級といえ経済的に優位にたった町場の “ 町衆 ”

と称される富豪層

5)

が最初は道楽(?)でそれまで写本を重ねることで伝播し

てきた教養書の類(文芸書が主)を “ 嵯峨本 ”

6)

に代表される印刷本として世

に出したのを始めとして,そこに前代までの印刷工房が書肆として関わるこ

とになる.とはいえ,当初の書肆は為政者を含む知識階層や町衆等の富裕層

3) 鎌倉末から室町時代に,京都五山・鎌倉五山の禅宗寺院(臨済禅)を中心として禅文化を背景に 開版された書籍.中には京都・鎌倉のみならず地方の禅宗寺院・個人版等も含まれているため,単 に “ 五山版 ” とはいうものの,書誌学的には出版時期・開版地域・書籍の内容等で統一を欠く.“ 五 山版 ” の主要典籍は勿論仏書(漢籍禅書及び発刊元である臨済宗諸派の高僧の語録等の著作)で, その他禅宗僧の教養とされた作詩に因んだ漢詩文が続く.しかし何といっても “ 五山版 ” の特徴 は歴史書等の外典の発刊であって,これは僧の教養のため,背景となった武家社会との交際・生 活指導のための必需書として開版された. 4) 現在でいう印刷・出版社兼書籍販売店のことで,近世の書肆は単なる版元というばかりでなく, 版木の彫師・刷師・作家等も傘下に修め,出版に関する全てをコーディネートするプロデューサー 的な存在でもあった. 5) 中世の自由都市堺の商人たちが有名であり,織田信長や豊臣秀吉等当時の為政者のブレーンと なった千利休や曽呂利新左衛門,京都の本阿弥光悦や角倉了以等がそれに当たる.

(3)

から受注した文芸書等をその工房で作成して納入したり,中世まで細々と続

けられていた寺版の下請けで製品化することで商いが成り立っていたものと

考えられる.こうして成立した京都の書肆は次第に町衆に限らず経済力を蓄

積していった都市部の町人階層へもシェアを拡げていくことで活発な営業活

動を行うことになる.

 このことは大坂においても同様で,京都よりはやや遅れると思われるもの

の近世の早い時期に書肆による出版が現れる.このように本の需要が特権階

級の知識人から町衆をはじめとした都市部の町人層へ拡大していくと,その

ジャンルもそれまでの文芸書を中心とした “ 教養の書 ” から気軽に読める “ 実

用書・娯楽書の類 ” へと裾野も拡がり,近世初頭の日本の出版界は京・大坂

を中心として興隆期を迎えることになる

7)

.一方,慶長8年(1603)に徳川家

康によって江戸幕府が開府され,18世紀初頭には人口百万人を越える世界一

の大都市へと発展する江戸はというと,この時代においては現在のやや大き

な地方都市の一つに過ぎなかった

8)

.従って,将軍様のお膝元ということで

政治的にはさることながら経済・文化面ではまだまだ上方に及ぶところでは

なく,出版についても “ 武士の町江戸 ” といわれるように “ 武家の教養書 ”

である “ 漢学の書 ” を中心に需要は拡大していくものの,初期の段階では京・

6) 慶長年間(1596 ~ 1615)に書家・茶人として有名な本阿弥光悦とその門流が寮(別荘)のあった 京都郊外の嵯峨の地でそれまで古写本で伝来した『伊勢物語』や『徒然草』『平家物語』等の物語・ 教養書の類を出版したが,その一群を発刊地に因んで “ 嵯峨本 ” と称する.この内,光悦が版下を 書いたとされるものを “ 光悦本 ” と称する.また,江戸初期に京都在住の儒学者角倉素庵がその 出版に関与したものを “ 角倉本 ” と称した.“ 嵯峨本 ” は他の出版物とは異なり料紙に五色紙を用 いたり(『伊勢物語』等),装丁に美術的意匠がふんだんに取り入れられていることから日本の出版 史上最も美しい書物とも言われている.その印刷方法は版木を起して印刷する木版製版本も多少 含まれるが,その多くは二~四字の連続活字を含む木活字による印本で,出版時期については明 確な刊記のないものが多く,発刊時期の限定が困難なものも多い.数少ない刊記本としては,前 述の『伊勢物語』の慶長13 ~ 15年(1608 ~ ’10)頃に何回かに分けて刊行されていることから,慶 長後期頃が最盛期であったろうと考えられている. 7) 貞享・元禄期(17世紀後半)にピークとなった上方を中心に花開いた日本初の庶民文化(元禄文 化)の申し子たる「浮世草子」等がそれに当たる. 8) 『ドン・ロドリゴ日本見聞録』(村上直治郎訳『異国叢書』収録)によると,慶長末年頃(1610頃?) の記録として,当時の日本の主要都市の人口の記録が見える.それによると,京都が80万人,次 いで大坂の20万人であったのに対し,江戸は仙台とほぼ同数の12万人,そして駿府(静岡)の10 万人,堺の8万人が続くと伝えられており,その実数については問題があるものの,相対的に見て 新興の江戸はまだまだ建設途上の地方都市の一つであったことはうかがい知れる.なお,現在わ かっている推定人口としては京都が40万人程度,同じく仙台の人口が当時約5万人と推定されて いることから,江戸も仙台同等の程度であったことも推定される.

(4)

大坂の書肆が作成し,直接もしくはそうした書肆が出店した江戸店にもたら

された “ 下り物 ” が殆どであった

9)

.江戸における出版としては,元禄9年

(1696)以降『武鑑』

10)

等の発刊で徳川家御用書物屋となった松会市郎兵衛が

発刊した承応2年(1652)刊行の “ 松会本(しょうかいぼん)”『まんねんこ

よみ大さつしょ』あたりが最初と考えられ

11)

,元禄頃(17世紀末~18世紀初頭)

までは,上方の書肆の出店(又は分家)による出版販売活動が盛んに行われ,

江戸生抜の書肆(俗に “ 地本屋 ” と称す)が活躍するようになるのは,享保期

(18世紀前半)以降の藩政時代も後半からといえよう

12)

 このように,近世における出版界は,京都・大坂に始まり,近世中期以降新

興都市の江戸を含めた三都の書肆により展開されたのであるが,三都以外で

も,徳川御三家の名古屋・和歌山・水戸の他,仙台・金沢・広島・岡山(倉敷)・

長崎・伊勢(津・松坂・伊勢山田)・姫路・佐賀・徳島等の地方都市においても

出版事業が行われていたことが知られている.

9) 江戸の本屋については,慶安・承応頃(1650頃)より上方の書肆の出店に始まるとされており, 17世紀後半の貞享期(1685年頃)には二十四軒(『江戸鹿の子』による),同末期の元禄期(1690 ~ 1700年頃)には三十余軒(『江戸惣鹿子』による)の書肆が見えるが,その殆どが上方の出店又は暖 簾分けによって独立した江戸店であり,この頃でも江戸生え抜きの地本屋は少なく上方資本の書 肆が幅を利かせていた.江戸最大手となる日本橋須原屋茂兵衛についても,万治・寛文頃(1660頃) に紀州から江戸に出て日本橋に書肆を開くとあるが(初代北畠宗元),頭角を現すのは三代~四代 にかけての寛延頃(1750頃)とされている. 10) 江戸時代に,大名・旗本の氏名・系譜・官位・職務・石高・家紋等武家の大要を記した書物 ( い うならば徳川幕府の職員録に当たる ).寛永期(1624 ~ ’43)に原型が作られ,正保4年(1647)の『正 保武鑑』で体裁が整った.「大名武鑑」では諸大名の氏名・本国・居城・石高・官位・家系・内室・参 勤交替の時期等が,「旗本武鑑」では知行所・職務等を中心に記してある.毎年改定版が発刊され ていた. 11) 現在確認で出来る限りでは承応2年(1653)~寛政12年(1800)までの148年間,それ以上続い たと考えられる江戸を代表する書肆で,万治・寛文期(1660頃)に始まるとされる鶴鱗堂鱗形屋孫 兵衛(「浄瑠璃本」を得意とし,後には最初の「黄表紙」である『金々先生榮花夢(きんきんせんせい えいがのゆめ)』を発刊)と共に江戸の地本屋の草分け的存在.松会本の初見は正保4年の刊記の『光 明眞言初心要抄』であることから営業開始時期を遡らせる報告もあったが,その殆どが京版を元 版としていることが判明したため,それよりは多少時代が下がるものと考えられている.発刊の 種類は『武鑑』,和刻本漢籍の「歴史書」・「儒学書」から「仏書」・「往来物」・「戯作」と多種に及ぶ(都 合二百余点).“ 松会 ” は正式には “ まつあえ ”“ まつえ ” というが,屋号を “ 松会堂(しょうかいど う)” と称するところから通常は “ しょうかい ” と呼ぶ.初代・二代目を市郎兵衛,三代以降を三 四郎といい三代目頃に最盛期を迎える.なお,二代と三代で襲名がないのは血縁がないからかも しれない.柏崎順子著「松会三四郎」(『言語文化』32),「松会三四郎其二」(『言語文化』45)参照. 12) 朝倉治彦・大和博幸編『近世地方出版の研究』参照.

(5)

2.仙台の出版(“仙台版”)のはじまり

 前述の通り,近世の出版事業は京・大坂・江戸の三都の書肆により展開さ

れたとされるが,名古屋・金沢・水戸等でも出版活動が行われたことは知ら

れているものの,その殆どが今日の観光パンフレットに当たる物見遊山のた

めの名所・旧跡案内のようなビラ物(一枚刷)であり,教養書・文芸書等の出

版まで手掛けているところは稀である

13)

 では,近世の出版界の中で仙台の状況は如何なものであろうか.現在確認

できる仙台最古の出版物としては,明暦元年(1655)に仙台城下国分町十九軒

の西村治郎兵衛(本屋治郎兵衛)が発刊したとされる『魁本大字諸儒箋解古文

眞寶後集』十巻(二冊)で(以下『古文眞寶後集』)

14)

,この事実だけを見ると前

述の江戸の出版とほぼ同時期に仙台でも出版が始まったと見ることが出来よ

15)

.しかし,これには問題点もあって,この『古文眞寶後集』の次に確認さ

れている作例が元禄9年(1696)に同じく仙台城下国分町十九軒の山村市兵

衛が発刊した『孟子』四巻で

16)

,そこに約40年間の空白があること,しかも

13) 地方都市における冊子本の印刷例については,水戸の『大日本史』の編纂・出版を除くと,その 多くは寺子屋・郷学・藩校等の教育機関で使用される教科書と暦程度のものであった. 14) 宮城図書館所蔵の一点のみ確認されている. 15) 小井川百合子著「仙台の書肆について―西村治郎兵衛,西村治右衛門,伊勢屋半右衛門,伊勢 屋安右衛門―」(『仙台市博物館調査研究報告』第2号収録)による. 16) 齋藤報恩会所蔵本が知られている(宮城教育大学国語プロジェクトチーム編『旧仙台領関係出 板書目考』参照).なお,小井川氏は前掲書の中で,山村市兵衛について言及,『旧仙台領関係出板 書目考』では国分町十九軒所在とはいえ,山村の出版物がこの『孟子』のみで,しかも国分町の所 在であるかどうかの確認が出来ないことから,この人物を『獅山公治家記録』にある「江戸暦問屋 の一件」に出てくる版木屋市兵衛と同一視している. 宮城県図書館所蔵『魁本大字諸儒箋解古文眞寶後集』(右:巻初,左 : 巻末の刊記)

(6)

その後仙台で出版活動が盛んになって発刊数が急激に増大するのは文化・文

政期を境とした19世紀初頭以降で,それまでの約百年間は年に一・二点程度

の発刊件数しか確認出来ないこと(発刊がない年も多い)等を考えると,必

ずしも出版活動が盛んであったとは言い難い状況であった点が挙げられる.

なお,先の『古文眞寶後集』についても版元とされる西村治郎兵衛が出版の先

進地域である上方(京都?)の書肆より後々に版木を譲り受け(版権譲渡),

刊記(出版事項)を削り取って埋木した上で発刊した後刷本,または重彫り

(影印)して奥付のみ書き換えたものということも見込まれてきていることか

17)

,いずれにせよこれが後刷本(影印本)であるとしても,仙台における出

版活動が元禄頃まで下るのかというと,そうとはいえまい.

 詳細は省略するが,延宝6年(1678)12月8日付の「瀬成田伊左衛門他一名

連署孟渡状(写)」に

 一  御當地御町ニ物之本屋相出候付,商人判紙相渡可申段被申聞付而,十

一月十九日御寄合,五左衛門殿伊左衛門江委細相達し候所,諸商人判

紙相渡積旨以商人役召上候様ニ可申渡由,右御両人被仰渡候條,当年

ヨリ其心得可申候,以上

    延宝六年十二月八日

       熊谷二兵衛

       瀬成田伊左衛門

     鈴木與兵衛

とあって,まだ現物こそ確認されていないものの,先の西村治郎兵衛の発刊

とされる延宝4年(1676)版の「仙台暦」の存在が示唆されることから

18)

,遅

くとも延宝期(1670代)には仙台でも書肆の存在がうかがえる

19)

17) 正式ではないが,元宮城県図書館資料課長の萱場健之氏によると,東北大学附属図書館所蔵の 同年発刊の無刊記本(京都発刊?)『魁本大字諸儒箋解古文眞寶後集』十巻(狩野文庫4-28776-2)と 宮城県図書館所蔵本とが同版本であることを確認したとしており,そうだとしたならば,宮城県 図書館本は後刷本の可能性が高い. 18) 岡田芳郎著「日本の地方暦のすべて」(『日本の暦大図鑑』収録)による.なお,西村版の『仙台暦』 の現物については長い間確認できなかったが,平成24年に宮城県図書館の「菊田文庫」の一本に 正徳5年(1715)版の『仙台暦』(西村版)が確認され,しかもそれが『暦記録』にある「江戸暦問屋 仙臺一件」に該当する暦であることが分かった.詳細は拙著「まぼろしの “ 仙臺暦 ” 発見か?」(『歴 史研究』613号「史談往来」)参照.「江戸暦問屋仙臺一件」の詳細については,拙著『仙台の出版文化』 (国宝大崎八幡宮仙台・江戸学叢書20平成22年刊)を参照. 19) 小井川百合子著「仙台の書肆雑纂」(『仙台市博物館調査研究報告』第7号収録)参照.

(7)

 仙台における出版(“ 仙台版 ”)としては,藩校養賢堂で使用された教科書

(「四書・五経」等の儒学が中心)を発刊した “ 養賢堂版 ” や領内の有力家臣団

が経営した有備館(岩出山伊達家)等で使用されるために発刊された “ 郷学

版 ” と称される “ 藩版 ”(“ 養賢堂版 ”“ 郷学版 ” については後述),“輪王寺版 ”

に代表される領内寺社で発刊された “ 寺版 ”(“ 輪王寺版 ” については後述),

そして一部個人出版による “ 私家版 ” もある.しかし,その中心は先の西村

治郎兵衛以下の領内の書肆が発刊した “ 町版 ” であり,この点については三

都の出版状況と同様である.そうした仙台における出版事情について藩政時

代の状況を中心にその特徴的な点を述べてみることにする.

3.藩政時代仙台領の出版活動について

 仙台の出版活動は,藩政時代でも比較的早い時期から行われていることが

分かっており,“ 藩版 ”“ 寺版 ”“ 私家版 ”“ 町版 ” を合せて48の出版元が確認

されている

20)

.しかし,藩政時代前半の活動については前述の通り必ずしも

盛んとは言い難い.仙台で出版業が盛んに行われるのは寛政期(1790頃)以

降の藩政時代後期からで,しかもその発刊件数が急激に増大するのは文化・

文政期(19世紀初頭)以降といっても過言ではない.

 ところで,その出版活動の中心的な役

割を果たしたのは通常 “ 町版 ” と称され

る領内の書肆が手がけた出版物で,そう

した書肆は仙台城下国分町十九軒(現仙

台市青葉区国分町一丁目・二丁目の広瀬

通・国分町交差点付近)と称される町の

中心部に軒を連ねていた.前述の西村治

郎兵衛をはじめ,葎堂相沢屋甚二郎・芳

潤館池田屋源蔵・裳華房伊勢屋半右衛門

(墨雲堂・白木屋)・静雲堂伊勢屋安右衛

20) 小井川百合子著「仙台の書肆について―西村治郎兵衛,西村治右衛門,伊勢屋半右衛門,伊勢 屋安右衛門―」(『仙台市博物館調査研究報告』第2号収録)による.

伊勢半版『御成敗式目繪抄』

(仙台市民図書館所蔵)

(8)

門・静嘉堂菅原屋安兵衛・流輝軒西村治右衛門・敬業堂高橋屋忠吉・金華房柳

川屋庄兵衛等がそれである.特に正徳元年(1711)の『萬日記盡』発刊以来

230余点の発刊数を誇った仙台領内の書肆最大手の伊勢屋半右衛門(通称 “ 伊

勢半 ”)

21)

,その三代目に仕えて文化期(1804 ~ ’24頃)に分家して他の書肆が

廃業していく中,四代伊勢齋助の裁量で明治以降も仙台郷土の出版物を手が

けた伊勢屋安右衛門(通称 “ 伊勢安 ”)

22)

,享保5年(1719)の『初遊松島參遊

富山』の発刊

23)

を手はじめに伊勢半に次ぐ100余点の出版を手がけ,文化・文

政期には米川家に替わり国分町(仮)検断職

24)

をも兼ねた西村治右衛門

25)

,そ

して「往来物」をはじめとした寺子屋等の教科書を得意とし,明治以降も検定

以前の『單語篇』等の官版教科書を手がけた菅原屋安兵衛等は大手の書肆と

して多くの刊行物を発刊した.その種類は「四書・五経」等の儒学書

26)

や一

部漢籍,寺子屋の教科書である『庭訓往來』・『商売往來』等の「往来物」や『今

川状』等の「古状揃」をはじめ,一枚物の絵図を含む仙台領内の地誌書,「漢

詩集」・「俳書」・「歌集」等の 「文芸書」,そして「(仙台)暦」

27)

等である.

21) 藩政時代を通じて九代に及び(嗣子には恵まれず他家から養子を迎えることも多かったとい う),初代伊勢半は元奥田盛時と称して仙台城下において多くの文化人を輩出した奥田家の分家 に当たる.なお,明治以降も白木屋・白木半右衛門等の名で出版活動を行っているが,八代目没 後は凋落し,明治16年発行の『宮城県官員録』を最後に廃業に追い込まれた. 22) 初代は藩士豊島政則の次男で,先には豊島保平と称した.三代目伊勢半に見出され,暖簾分け されて分家となり,伊勢屋安右衛門を名乗る.藩政時代は本家伊勢半の後ろに隠れていたが,四 代伊勢齋助は明治以降廃業していく仙台の書肆を横目に見ながら “ 伊勢安書店 ” を名乗り郷土出 版物を中心に発刊件数を増やしていく.しかし,そうした郷土出版物は採算を度外視したもので あったことから藩政時代からの二枚看板で商いを行っていた薬種仲間の関係から薬剤店(伊勢安 薬局)に業態を変更した.なお,伊勢齋助時代に発刊された郷土出版物は現在も仙台郷土史を考 える上で基本的資料として貴重である. 23) 享保4年(1719)刊記の『萬寶頭書庭訓往來』には “ 本屋西村 ” の奥書があるが,本屋の屋号は治 郎兵衛,治右衛門共に使っているので,翌5年の『初遊松島參遊富山』を初見とする. 24) 検断職は町場における町内の諸般の事務を統括した民政のトップで,役目柄治安維持を担う ことを業務とした. 25) 治右衛門については藩政時代を通じて九代を数え,主に出版活動を行った時期は五~九代に かけてと考えられ,幕末期には家業を縮小,明治期には国分町を離れたとされている.小井川氏 はその著「仙台の書肆について」の中で,西村治郎兵衛と西村治右衛門との関係について言及し, 治郎兵衛が問題の明暦元年(1655)の『古文眞寶後集』以降,盛期以前の仙台の出版の中心的存在 でありながら享保6年(1721)刊記の『ふだらく三十三観音巡り』を最後に仙台の書肆界から姿を 消しているが,丁度その頃から初代治右衛門の活動が始まっていることから,その関係が示唆さ れている.なお,註24でも記した通り二人共 “ 本屋 ” の屋号を名乗っていることから何らかの関 係があったものと考えられる. 26) 後述の藩校養賢堂の教科書(『訂正四書』『訂正五経』等)についても,当初こそ藩版であるもの の,後には伊勢半・菅原屋等の町の書肆で後印するようになる.

(9)

 特徴としては,他の地域でもいえることであるが,その多くが藩内のみで

流通する現在でいう “ 地方出版物 ” であること,そしてその過半が何らかの

形で教科書的役割を果たした出版物であることが挙げられる(別表「仙台領

内出版物総覧」参照).また,中には三都の大手書肆と版権を共有した合刻の

書や大手書肆の発刊書物の別売所を兼ねたものもあり,仙台の出版は単に地

元書肆が藩内のみで活動していたのではなく,三都の大手書肆とも相互に関

係を有していたことも分かる.なお,伊勢半などは三都の大手書肆の如く燕

石齋薄墨

28)

等の戯作者を食客として傘下におさめ “(後期)洒落本 ” 紛いの

戯作等の発刊も行っていた.

 ところで,仙台の書肆というと国分町十九軒に軒を連ねた仙台城下の書肆

だけと考えがちであるが,ごく少数ではあるが安政4年(1857)に『六諭衍義

大意』

(室鳩巣撰)を発刊した白石の静情堂石津屋重(十)郎左衛門,文久元年

(1861)の『近道子寶』等の発刊を手がけた若柳中町(現栗原市若柳町)の鈴木

屋善蔵,名勝松島・千賀の浦を目前にひかえ,文化・文政期以降『舟中一覧』

等現在の「観光案内」風の一枚物を手がけた塩竃の前田屋茂吉や石巻の三春

屋平吉を数えることが出来る.また,旧仙台領までその範囲を広げると一関

の千葉屋新助等の名前も見える.このように,藩政時代の仙台領の書肆によ

る出版活動は仙台城下のみならず地方においても盛んに行われていたことが

分かる.

 これは,仙台藩特有の統治制度によるところが大きい.まず,織豊政権以

降行ってきた家臣団への統治機構である “ 地方知行制 ” について,他藩では

27) 「仙台暦」として正式に発刊されるようになるのは,幕末に近い嘉永8年版(本来は改元があっ て安政2年版となる)であるが,その詳細は前掲の拙著『仙台の出版文化』を参照. 28) 本姓は笠原氏,字を薄墨,号を燕石齋と称し,学問・武琴・歴史等多方面に精通した文化人(粋人) であったという.常州水戸の出身で文化初期頃(19世紀初頭)に来仙,伊勢半の食客となり『仙府 往來』『竹駒詣』『盬竈詣』『金華山詣』『松島往來』『平泉往來』『於曾禮山詣』『道中往來』等を著す. 享和2年(1802)に初編が発刊されて以来戯作文学では空前の大ヒット商品となった十返舎一九著 の『東海道中膝栗毛』の向こうを張って文政2年(1819)には『三三時雨歌の陸奥』と題する「(後期) 洒落本」(「滑稽本」の範疇?)を書き下ろすが(その内容は道中膝栗毛の舞台を奥州に移し,作者 である “ 薄墨自身 ” と半可通の江戸っ子 “ 玄翁の鉄 ” そして蝦夷松前の “ オットセイの島吉 ” の三 人の珍道中を “ 仙台祭 ” で賑わう仙台城下の情景を入れ込みながら描いている),本格的な戯作は 仙台では読者が望めなかったのか発刊までは至っていない(実筆稿本のみが現存し,これについ ては平成3年に在仙の今野印刷出版部より翻刻版が発刊).なお,薄墨自身は天保5年(1834)旧3 月8日に62歳で没している.墓所のある浄土真宗正楽寺(仙台市若林区新寺二丁目所在)の過去帳 には「水戸の才」とある.

(10)

効率性等の問題から藩政時代初期に廃止して家臣団の殆どを城下に集約した

のに対し,仙台藩ではこの “ 地方知行制 ” を幕末に至るまで維持し,しかも

大身の家臣団の中には一万石超の知行地を有する家臣も八家を数えた

29)

.ま

た,その他の有力家臣団もそれぞれが知行地に小城下を形成して知行地の経

営に当たっていたため

30)

,他藩とは異なり在郷に武家が多く住まいすること

が幕末まで続いた

31)

.そのため,大藩である仙台藩では領内で参勤交代を行

うなど他藩から見ると異様な状況も醸し出しながらも

32)

,領主と領民との関

係性は緊密であったということも出来よう.そうした中,大身の家臣の中に

は知行地内に藩学養賢堂に倣って郷学を設置し運営に当たる者も少なくな

かった

33)

.また,五代藩主伊達吉村はそうした領内の状況を鑑み,郡毎に配

置された民政のトップである大肝入(大庄屋)に現在の教育長の役割を付加

したことから,他藩では藩士を含む領内の教育機関は城下に集中するところ

を,仙台藩では領内在郷を含め津々浦々に教育機関としての郷学・寺子屋等

が設けられ

34)

,その教科書とすべき書籍が必要欠くべからざるものとなり,

その様な状況が現れたものと考えられよう

35)

29) 亘理の伊達家(初代政宗の従兄弟伊達成実の末裔)の23,853石余を筆頭に,涌谷の伊達(亘理) 家の22,640石余,角田の石川家の21,380石余,登米の伊達(白石)家の20,000石,白石の片倉家の 18,000石,水沢の伊達(留守)家の16,135石余,岩出山の伊達家(初代政宗の六男宗泰の末裔)の 14,643石余,松山の茂庭家の13,000石を数え,その他に30,000石余を分封した一関の田村家がある. これらは伊達家宗家御連枝の亘理の伊達家,岩出山の伊達家を除くと,天正19年(1591)の奥州仕 置きにより改易の憂き目にあった伊達家と同盟関係にあった元々の大名家で,奥州仕置き後,伊 達家傘下の家臣団に編入された家系である(『伊達世臣家譜』による). 30) 藩内では幕府に認められていた白石城下と分封された一関城下を除いても,亘理要害以下22 の要害,千石所以下42の所,藤田在所以下25の在所が形成され,それぞれ小城下の様な街並みが 形成されていた.詳細は『仙台藩歴史事典』(仙台郷土研究会編平成14年刊)参照. 31) 知行地を有する家臣団の多くは仙台の城下に屋敷を構える他,それぞれの知行地には在郷屋 敷を持ち,その周辺に自らの家臣(主家伊達家から見ると陪臣に当たる)屋敷を形成していた. 32) 詳細は拙著『仙台藩の参勤交代』(歴研江戸文化ブックレット平成27年刊)を参照. 33) 有力家臣団の知行地には,明興館(金ヶ崎の大町家),比賢館(岩屋堂の伊達(岩城)家),立生 館(水沢の伊達家),進修館(前澤の三沢家),教成館(一関の田村家),精栄館(薄衣の泉田家),養 気館(佐沼の亘理家),有備館(岩出山の伊達家),月将館(涌谷の伊達家),大成館(松山の茂庭家), 日就館(亘理の伊達家),白石学校(白石の片倉家),成教書院(角田の石川家),日就館(金山の中 島家)の14箇所を数える. 34) 分かっているだけで,私塾が50余箇所,寺子屋が570余箇所を数える.詳細は前掲の『仙台藩 歴史事典』参照. 35) 詳細は拙著「近世の教育事情」(『仙台郷土研究』285号掲載)を参照.

(11)

4.仙台領の “ 藩版 ”“ 寺版 ”“ 私家版 ” について

 日本では,古来より出版事業はある意味,時の為政者の意思で行われたも

のが主流であった.天皇(朝廷)の勅命で発刊された出版物を “ 勅版 ”

36)

,幕

府等実質の統治者(将軍)の意向によって発刊された出版物を “ 官版 ”

37)

,そ

して近世の諸藩により発刊された出版物を “ 藩版 ” といった.

 仙台藩の意向のもとに出版された “ 藩版 ” 書籍の多くは藩学 “ 養賢堂 ” の

関連書籍で “ 養賢堂版 ” と称し,15点が確認できる.この内14点は藩学で使

用されるために作成された教科書であるが,安政5年(1858)発刊の『開成丸

調錬歸帆圖』のみはその趣を異にしている.これは開国して間もない日本に

おいて,全国諸藩でも沿岸警備の重要性が高まる中,安政4年(1857)に仙台

藩が建造した西洋式軍船 “ 開成丸 ” の初航海訓練を記念して藩関係者に配布

された一枚ものの印刷で,養賢堂指南役小野寺鳳谷が建造・航海を指揮した

ため,“ 藩版 ” として刊行したものと思われる.併せて方位・時刻を調べる

ための『秒度定刻範』一巻も発刊されている.なお,前述した通り,藩学養賢

堂で使用される教科書は,多数必要であったため,藩直版のみでは需要が賄

いきれなかったこともあり,城下の大手書肆の伊勢半・菅原屋等に委託して

後印版が増刷されている.また,前述の有力家臣団の知行地に設置された郷

36) 日本最古の印刷物とされる『百萬塔陀羅尼經』の製版本も広義では “ 勅版 ” に当たるが,本来の 意味での “ 勅版 ” は,文禄・慶長の役(壬申倭乱)の際に朝鮮に渡航した大名達がもたらした朝鮮 銅活字を用いて行われた『日本書紀』三十巻等の “ 慶長勅版 ” が最初といえよう. 37) 豊臣秀吉没後,政治的に優位にたった徳川家康が “ 慶長勅版 ” で使用された銅活字を模した木 活字で慶長4年(1599)以降印行させた “ 伏見版 ”“ 駿河版 ” や三代将軍徳川家光が寛永寺の天海僧 都に命じて寛永~慶安期(1637 ~ ’48)に開版させた寛永寺版『大蔵經』千四百五十三部(六千三百 二十三巻)の製版本が広義でいう “ 官版 ” の嚆矢となるが,これらは成立してまもない政権の権威 付けの意味合いが強く,実用的には五代将軍徳川綱吉が元禄元年(1688)に発刊した『四書直解』以 下の「経書」が最初で,その後寛政11年(1799)開設の昌平黌の教科書として発刊された漢籍だけ で二百余種一千冊余がそれにあたる.詳細は,前掲の拙著『仙台の出版文化』を参照. 養賢堂版(直版)『訂正四書』(左)『訂正五経』(中央),伊勢半委託版『礼記』(仙台市民図書館所蔵)

(12)

学の教科書として発刊された “ 郷学版 ” も広い意味では “ 藩版 ” ということ

が出来よう.

 ところで,中世以前において出版事業の中心は寺方であったということは

前述したとおりであるが,仙台の寺院においても十指に余る寺院でも印刷出

版を行っていたことが分かっている

38)

.とはいうものの,その大半は俗にい

う “ ビラ物 ” と称される一枚刷の印刷物であり,冊子体の書としては仙台城

下木下(現仙台市若林区木下四丁目)の国分寺学頭(現陸奥国分寺)

39)

の坊院

の一つ善林坊で寛保三年(1743)に発刊された『日本最初馬櫪神由來記』等数

える程しかない.そうした中,仙台の “ 寺版 ” として特記して置かなければ

ならないものに “ 輪王寺版 ” がある.

 “ 輪王寺版 ” とは,仙台城下北山所在(現仙台市青葉区北山一丁目)の曹洞

宗金剛寶山輪王寺

40)

で発刊された書籍のことで,この “ 輪王寺版 ” が他の領

内の “ 寺版 ” と異なる特徴としては,中世の “ 五山版 ” 等の “ 寺版 ” の系統を

38) 仙台城下では光善寺・国分寺・定禅寺・満福寺・密乗寺・龍寶寺・良覚院・輪王寺の各寺院が, 郡部では岩沼の竹駒寺,七北田の洞雲寺,加美郡の往生寺,石巻の長禅寺,そして仙台領全域で見 ると平泉中尊寺等で “ 寺版 ” の印刷が行われた.詳細は,前掲の拙著『仙台の出版文化』を参照. 39) 天平時代(奈良時代)の陸奥国分(僧)寺(金光明護国之寺)の伝統を有する寺院で,藩政時代に は国分寺学頭坊・同別当坊・同院主の三院に二十四の坊院・塔頭で構成されていた(寺務は三院が 当番でおこなっていたが,その統括は学頭坊が当たっていた). 40) 室町時代中期の嘉吉元年(1441)に伊達氏九代大膳太夫政宗(仙台藩祖伊達十七世政宗とは別 人)の夫人紀氏(輪王寺殿蘭庭明玉尼大姉)の菩提寺として伊達郡梁川(現福島県伊達市)に孫の伊 達十一世持宗によって建立された寺院で,その後伊達氏と共に羽州米沢(現山形県米沢市),会津 黒川(現福島県会津若松市),岩手沢(現宮城県大崎市岩出山町)を経て慶長7年(1602)に仙台の現 在地に遷った古刹である. 41) 『輪王系譜』『仙臺輪王寺略記』等の寺伝によると,元来仙台藩一門格亘理伊達家配下の桑島家 の出で,明和4年(1767)10歳の時に郷里伊具郡の渓水寺で出家,十余年の間諸刹で修行の後に天 明元年(1777)24歳で輪王寺の首座となり,長泉寺・補陀寺・洞仙寺・皎林寺・西園寺・泰心院の住 持を経て輪王寺の住職となった人物である.

輪王寺版(江戸慶元堂和泉屋庄兵衛委託版)

『佛道手引草』

(13)

引いた仏典・注釈書・教養書の印行を行った点にある.輪王寺の印行は,江

戸後期の寛政9年(1797)に当山二十九世の住職となった大賢鳳樹和尚

41)

行った文化事業の一つで,和尚は「二十二史」

42)

以下の良書を求めて寺の蔵

庫に納め,同寺で修行している雲水学徒の学に応じると共に自らも経論を講

じ,一つ曹洞禅のみならず臨済禅他異派の諸大老,文人とも交流があり詩作

もよくした.こうした業績を記録として書籍に残そうとしたのが “ 輪王寺版 ”

の印行で,仏書の外に漢籍や詩集もあって,知られているものだけで製版本

(刊本)・近世木活字本併せて12点に及ぶ

43)

.中には『佛道手引草』

44)

のよう

に何度か版を重ねていることが刊記の相違より明らかなものもあるが,現在

書名のみが知られていて現物が確認出来ないものも多くある

45)

 なお,その他の冊子体の “ 寺版 ” としては,前述の『日本最初馬櫪神由来記』

の他,仙台城下八幡町所在(現仙台市青葉区八幡四丁目)の大崎八幡宮別当の

龍寶寺

46)

で文政3年(1820)に発刊された『洗眸百絶』

(宗阿上人撰)や同7年

(1824)発刊の『松葊集』

(宗阿上人撰)が挙げられる.

 さて,こうした出版物の中で忘れてはいけないものに “ 私家版 ” と称する

現在の自費出版に当たる書籍がある.“ 私家版 ” は藩政時代後期を中心に分

42) 司馬遷撰『史記』以下『漢書』『後漢書』『三国志』『晋書』『宋書』『南斉書』『梁書』『陳書』『魏書』『北 斉書』『周書』『隋書』『南史』『北史』『舊唐書』『五代史』『宋史』『遼史』『金史』『元史』『明史』の紀 伝体により記された中国歴代王朝の正史(『新唐書』『新五代史』を加えて「二十四史」,『清史(稿)』 を加えて「二十五史」という). 43) 『旧仙台領関係出板書目考』『宮城県図書館和古書目録』(宮城県図書館編),『郷土資料図書分 類目録』(財団法人齋藤報恩会編),『仙臺市民圖書館所蔵和漢書分類目録』(仙台市民図書館編), 『金剛宝山輪王寺五百五拾年史』等による. 44) 釈大賢(大賢和尚)撰の仏教に関する解説書(入門書)で,文政2年(1819)刊記のあるものと無 刊記のものがあり,無刊記本には江戸浅草和泉屋庄次郎で製本した旨奥書のあるものとないもの とがあり,三種類のテキストが存在する. 45) 元々発刊部数が少ないものが多かったと思われ,また,輪王寺自体も明治9年の北山大火で隣 接の資福寺等と共に荘厳を極めた七堂伽藍の殆どを焼失,保存されていたと思われる輪王寺版の 冊子をはじめ版木及び木活字に至るまで悉く灰燼に帰したこと等も現物の確認を困難にしている 一因であろう. 46) 文治2年(1186)伊達家始祖伊達朝宗が伊達家の祈願寺として開基したとされる.伊達家と共 に伊達・梁川・米沢・岩出山と移り,十七世伊達政宗の仙台開府の折に大崎八幡宮の別当寺として 現在地に鎮座,正徳4年(1714)に建立された法寶蔵という書庫(法寶蔵文庫)には一万六千余巻に 及ぶ古今の和漢書の蔵書が納められ,藩政時代を通じて領内有数の文庫であった.特記すべき点 としては,そうした膨大な蔵書を抱えていた龍寶寺では五代藩主伊達吉村の命もあって法寶蔵創 建当初より諸衆の希望に応じて誰にでもその蔵書を閲覧させていたことが挙げられ,いわゆる現 在の公共図書館的な役割を果たしていた.こうしたことが龍寶寺における寺版の印刷の背景に あったことも忘れてはならない.

(14)

かっているだけで林子平の『海國兵談』を始め300余点を数え,これは出版の

先進地域である三都にも負けない傾向である.この時代,庶民階級において

も経済力が向上し,特に仙台領では教育力の充実による文化水準の向上が図

られた証であるといってもよいのかもしれない.とはいえ,その背後には “ 町

版 ” を形成していた伊勢半をはじめとした書肆の存在が大きいことも忘れて

はならない.

 なお,仙台領の出版物に関しては下記の「仙台領出版物総覧」を参照されたい.

◎藩版 版元 刊記 発刊物名 摘要 養賢堂版 寛政11年 『四書章句集註』 現物の確認出来 ず 文化2年 『韻府一隅』(薄葉刷二冊本) 文化4年 『訂正四書』 後刷版 (町版委託)有 文化5年 『訂正五經』 後刷版 (町版委託)有 文化8年 『孝經刊誤』『大極圖説』 文化9年 『通書』 後刷本有 文化11年 『易學啓蒙』『韻府一隅』(厚葉刷四冊本) 嘉永3年 『小學本註』 嘉永5年 『家禮』 安政5年 『秒度定刻範』『開成丸調錬歸帆圖』 慶応3年 『古事記正文』 刊記不明 『白鹿洞書院掲示』 仙臺武庫版 安政3年 『仙臺七十二侯』 慶応3年 『野戰兵襄』 刊記不明 『四箴墨寶』 ◎郷学版 版元 刊記 発刊物名 摘要 一関 教成館版 天明4年文化5年 『古文孝經正文』『忠經正文』 嘉永頃 『四書白文』 岩谷堂 比賢館版 天保14年刊記不明 『白鹿洞書院掲示』『程董二先生學制』『朱子家訓』『朱夫子 治家格言』『叙千字文』

表 仙台領内出版物総覧

(15)

◎寺版 版元 刊記 発刊物名 摘要 輪王寺版 寛政6年 『赤子養育勸進の手引』 初版は泰心院版? 天保2年に後刷版 有 寛政10年 『春榻紀勝』 寛政12年 『丁々餘韻』(木活字) 文化4年 『雪案吟思』(木活字) 文化14年 『訂補建撕記圖會』 文政2年 『佛道手引草』 後刷版(版権移譲 本)有 刊記不明 『文選』『活字校正唐詩品彙』・『活字校正 唐詩拾遺』(木活字版) 『百觀音感應指 掌記』『碧巖録提唱略記』『從容録提唱』 龍寶寺版 文政3年 『洗眸百絶』 文政7年 『松葊集』 文政8年 『仙臺城北惠澤山龍寶寺本尊釋迦如来 縁起』 国分寺學頭 坊院善林坊版 刊記不明寛保3年 『佛像圖』『日本最初馬櫪神由來記』 光善院版 文化10年 『菅公手寫眞像』 定禪寺版 安政3年 『歡喜天發信抄』 満福寺版 刊記不明 『仙臺荒町毘沙門天王略縁起』 密乗院版 天保12年 『蘭若巻詩契』 嘉永3年 『華國遺構』『華國遺構附録』 資福寺版 天明2年 『葬祭必用集』 流輝軒梓 良覚院版 刊記不明 『金剛壽命陀羅尼・不動明王陀羅尼・觀 世音菩薩普門品』 『常用種子眞言集』 『修門葬祭必用集』 林松寺版 刊記不明 『愛蓮帖』 大法寺版 刊記不明 『觀音經』『寶經塔圖』 千手院版 刊記不明 『日本正道七福神』 圓福寺版 刊記不明 『仙臺中荒石名坂圓福寺』☆ ☆満谷山圓福寺略 縁起 大仰寺版 天保13年 『奥州富山大仰禅寺眺望之全圖』 竹駒寺版 刊記不明 『竹駒社略縁起』

(16)

山ノ寺 洞雲寺版 刊記不明 『山のてら洞雲寺略縁起』 往生寺版 文政5年 『眞似牛濟度圓光大師御自作壽像略縁起』 長禅寺版 文化7年 『牧山石ノ相輪堂縁起』 金華山 大金寺版 文政2年刊記不明 『金華山圖』『奥州金華山略縁起』『金華山辯才天垂 迹圖』『金華山辯才天圖』 中尊寺版 刊記不明 『辨慶長刀圖』『奥州平泉関山中尊寺一 山堂塔見物書抜書』 ◎町版 版元 刊記 発刊物名 摘要 西村治郎兵衛 明暦元年 『魁本大字諸儒箋古文眞寶後集』 後刷版? 延宝~正徳 (西村版)『仙臺暦』 海賊版? 西村治右衛門 (流輝軒・本屋) 享保4年享保5年 『萬寶頭書庭訓往來』+『初遊松島參遊富山』 享保6年 『ふたらく』 享保17年 『暦林要略』* 宝暦6年 『重寶小錢鑑』+ 明和4年 『自遣往來』* 安永4年 『晋齋先生傳』『晋齋先生子孫戒』 安永5年 『大字繪抄弐十四孝』* 天明2年 『天遊館記』 天明3年(序)『燕澤碑帖附考證』 寛政5年 『實語經童子經』+ 寛政8年 『小學』*『實語經童子經大成』* 寛政11年 『四體千字文』『眞草千字文』 寛政12年 『庭訓往來圖賛』 寛政13年 『頭書繪入三世相小鑑』 享和元年 『商賣往來』 文化元年 『三山詣文章』 文化4年 『女手習教訓鑑』 文化6年 『古状揃』 文化7年 『孟子』 文化8年 『通俗古状揃寶箱』

(17)

文化9年 『御成敗式目』* 文化10年 『書状早指南』* 文化12年 『連壁集』 文化14年 『百人一首』* 文政3年 『鳳渓唫藁』 文政4年 『増補福徳大雜書永代暦』 文政8年 『童子知恵袋近道子寶』『論語』 文政10年 『早割塵劫記』 文政12年 『小野篁歌字盡』『新板ちんかう記』『三 山詣』* 文政13年 『商賣往來寶蔵』 天保2年 『二島遊草』『載陽帖』* 天保4年 『道中往來』『新編松島往來』* 弘化3年 『水西荘圖帖』 嘉永5年 『古文孫子正文附略解』『古文孫子略解』 * 刊記不明 『女今川』*『女小學』*『盬かま詣』* 『盬竃詣文章』*『長田状』* 刊記不明 『農家手習状』『初學文林寶が真美』『道 化百人一首』『嫗山姥』 『小倉百人一首』『大日本輿地圖』『恩愛 吃琴歌并勘平切腹段』 『忠臣講釋四段目』『女小學身持扇』『行 書千字文』『新板道中記』 『新板日付繪見やうの事』『増補塵劫記』 伊勢屋 半右衛門 (裳華房・ 白木屋) 正徳元年 『萬日記盡』 明暦9年 『庭訓往來』 安永5年 『當流小謡』 安永7年 『年中用文章』+ 安永8年 『大字繪抄弐十四孝』『大雜書』『近道子 寶』+ 安永9年 『女用文綾錦』『女今川教章』『女今川』+ 天明3年 『御成敗式目繪抄』 天明7年 『松島圖』 寛政8年 『小學』 寛政12年 『頼義勢揃状』『新刻頭書福神商賣往來』 +

(18)

享和元年 『實語經童子經』+ 享和2年 『女大學』+ 享和3年 『眞艸千字文』『叢林貫華集』『新刻改正 家熟庭訓往來筆壽寶』 文化元年 『貳體千字文』『四體千字文』『三山詣文 章』* + 文化2年 『自遣往來』『早割日用算法記』『聖代江 戸往來』 文化3年 『大成四書字引』『横道中記』 文化4年 『萬寶庭訓往來』+『瀧本流女大學』+『大 増補塵劫記』+ 文化6年 『盬松紀行』『南臺倡和言』『女庭訓往來 和錦抄』『童蒙須知』『理氣鄙言』+ 文化7年 『小倉山榮花百人一首』 文化8年 『訓蒙夷曲歌字盡』『文範』『手紙之案文』 *『通俗古状揃寶箱』* 文化10年 『毛引庭訓』『童訓商賣往來』『書状早指 南』*『五行易指南』+ 文化12年 『女小學』 文化13年 『道中往來』+『道中歌往來』+『竹駒詣』 +『松島往來』『無覺悟状』 文化年中 『子供早指南』+ 文政元年 『消息往來』 文政2年 『奥道中歌』『小野篁歌字盡』『女今川教 種』『大學摘疏』『庭訓往來』* 『仙府神社仏閣案内記 +』 文政3年 『男女一代八卦』『男女一代いろは八卦』 『庭訓往來繪詳解』『玄圃積玉』 『松島圖誌』+ 文政4年 『増補福徳大雜書永代暦』『文化之古状 揃和鑑』『松島圖誌』『松島繪圖』 『萬寶商賣往來夷蔵』 文政5年 『佐々木状』『御成敗式目』『農家手習状』 『広益塵劫記集成』『用文章』 文政6年 『四民往來』『金華山詣』+『松窓句集』 文政7年 『金神方位重寶記』『児童教訓いろはう た』 文政8年 『古柏行』『盬竃詣』

(19)

文政9年 『載陽帖』『燕澤碑帖附考證』『諸人日用 一寸案文』『小倉山萬寶百人一首』 『教訓百人一首抜書』『實語經』 文政10年 『仙府年中往來』『滝本流女大學』☆ ☆文政10年補刻 文政12年 『心經管蠡抄』『湯殿山詣文章』『節用集』 *『山鶴集』*『奇方秘録』+ 『御家流女中庸』『松島往來』『いろは字 引』*『平泉往來』* 文政13年 『山鶴集』* 文政年中 『三世相小鑑』 天保元年 『赤壁賦』『前赤壁賦帖』『後赤壁賦帖』 『孤帆亭記帖』 天保2年 『大學摘疎』『南屏燕語』『叙古千字文』 『燕澤古文碑考』『義經状』『腰越状』 『時宗状』『推命書』『五行易指南』『理氣 鄙言』『載陽帖』*『熊谷状繒抄』+ 『愛蓮帖』『松島圖誌』* 天保3年 『書状早指南』『孟子』『古文孝經正文』『大 學章句』『於曾禮山詣』『於曾禮山詣』* 『蘇東坡詩抄』+ 天保4年 『救荒須知録』『飲中八仙歌帖』『水西荘 帖』+ 天保5年 『赤子養育教諭疎帖』『陸奥郡郷考』+ 天保6年 『桃李園帖』『千字文』『愛蓮帖』『一筆案 文』+ 天保7年 『醍經亭叢談』『南山外集』 天保8年 『東海道中詩』 天保14年 『初登山手習教訓書』『仙府神社佛閣案 内記』 弘化元年 『蘇東坡詩鈔』 弘化2年 『海嶽詩襄』『女手習教訓鑑』* 弘化4年 『萬日記』 嘉永元年 『新版繒抄百姓往來』『農家手習状』 嘉永4年 『女大學美さを鑑』『古文孫子略解』 嘉永5年 『古文孫子略解』*『流行百家発句集』* 『庭訓往來諺解』* 嘉永7年 『古文孫子正文』『仙城風雅集』 嘉永8年~ 明治2年 (伊勢半版)『仙臺暦』

(20)

嘉 永 年 中 ~ 明治2年 『晴雨考』 安政4年 『二十四孝集』 安政5年 『五海道中細見記』 文久4年 『塵劫記』 慶応元年 『國史百詠』 慶応4年 『慶應四年四郡略圖』 刊記不明 『七ツいろは』『女庭訓教草』『女庭訓御 所文章』『女大學寶箱』『手習状』 『通俗用文章』『初學文林寶鑑』*『百人 一首紅葉の錦』『菅原親王願書』 『辨慶状』『長田状』『楠木状』『蜷川新右 衛門一休和尚狂歌問答』『道中名所』 『諸國道中記』『ぢぞう和さん』『觀音經』 『般若經』『いろはたんか』『両禮釋宮』 『和易堂詩』『鷗盟詩選』『新版役者目つ けゑ』『義太夫本』(44種)『女論語』 『女小學身持扇』『女用文章』『歸田詩話』 『國名盡圖抄』『小學句読』 『新板繒半紙』『崇孟新書』『多賀城碑』 『庭訓往來倭文選』『長町往來』 『俳諧旅烏』『含状并梶原讒顕状』『分類 早見字盡』『発句題林抄』 伊勢屋 安右衛門 (静雲堂) 文化4年 『新板百人一首』+ 文政9年 『載陽帖』 安政7年 『安政再刻庭訓往來』 池田屋源蔵 (芳潤館) 安永5年天明8年 『大字繪抄弐十四孝』*『小野篁歌字盡』+ 寛政8年 『小學』* 寛政9年 『商賣往來』『大榮商賣往來』 享和3年 『眞草千字文』 文化元年 『ぢんがうき』 文化2年 『文化新刻永徳塵劫記大成』 文化4年 『新編松島往來』 文化6年 『童蒙須知』 文化8年 『通俗古状揃寶箱』*『通俗古状揃寶蔵』 *『手紙之案文』 文化9年 『御成敗式目』*

(21)

文化10年 『書状早指南』* +『童訓商賣往來』 文化14年 『百人一首』* 文政元年 『近道子寶童子知惠袋』『仙府神社佛閣 案内記』 文政2年 『子供早學問』『實語經童子經』『みちの く百歌撰』 文政4年 『奥道中歌』 文政6年 『大増補男女一大八卦』『四民往來永樂 通寶』 文政8年 『盬かま詣』*『盬竃詣文章』* 文政13年 『御家正流手紙之文言』* 刊記不明 『女小學』』『女今川』『かがみ山舊錦繒』 『盬竃詣文章』*『初學文林寶鑑』* 『大増補塵劫記』『懐寶用文章』『かが見 山舊錦繒』 相沢屋 甚二郎 (葎堂) 明和4年 『自遣往來』* 文政7年 ( 序 ) 『行形集』 文政8年 『盬かま詣』*『盬竃詣文章』* 文政12年 『萬寶商賣往來』 文政13年 『増補ぢんがう記』『いろは字引』『いろ は字引』*『御家正流手紙之文言』* 『節用集』 天保4年 『道中往來』* 刊記不明 『盬竃詣文章』*『松島往來』『大櫻集』 『女夫松髙砂丹前』 菅原屋 安兵衛 (静嘉堂) 寛政11年 『錦耕商賣往來』* 文政5年 『庭訓往來』* 天保8年 『御家女今川』 嘉永2年 『中庸』*『實語經童子經訓点』* 嘉永5年 『近道子寶童子知惠袋』+『無覺悟状』『楠 状壁書道言繒抄』『佐々木状』 『初登山手習教訓書』 安政3年 『春秋傳集解』『蝦夷行程記』 安政5年 『五海道中細見記』 文久元年 『實語經童子經』

(22)

刊記不明 『女小學』』『女今川』『女今川操鑑』『女 孝經』『女消息往來』『女實語經』 『女大學』『女大學玉文章』『女中庸』『女 中庸教學』『女庭訓往來』 『教訓女小學』『子供早學問』『道中往來』 『諸方早見道中記』 高橋屋忠吉 (敬業堂) 明和4年文政7年 『南山古梁叟墨帖』『九數答術』『九數百好』 文政13年 『いろは字引』* 天保4年 『新編松島往來』 天保5年 『天神御一代往來』 刊記不明 『南山墨帖』 柳川屋 庄兵衛 (金華房) 明和4年 『自遣往來』*『江戸往來』 明和8年 『早割算法重寶記』 明和9年 『春鶯囀』 安永2年 『四体千字文』 安永5年 『大字繪抄弐十四孝』* 文政12年 『三山詣』* 天保10年 『農稼業事』+ 嘉永年中 『雲氣考』『五穀人豊記』 刊記不明 『盬竃詣文章』+『町屋萬躾方集』『大雜 書』『仙臺四時歌』『歳号重寶記』 『ひらがな六行神靈矢口渡』『ひらがな 六行姫小松子日の遊』 『ひらがな六行奥州安達原』 山田屋正兵衛 (白居堂) 安永6年寛政2年 『俳諧吾妻かたげ』『かたみのすすき』 寛政10年 『かたみのすすき中将實方朝臣之墳』 『竹の露』☆ ☆竹里追善句集 天保14年 『清客帖』 天保15年 『さわひこめ』 弘化3年(序)『かれかれ集太良集』 嘉永2年 『草蛙塚集』 刊記不明 『みねの月』 加志和屋正六 寛政2年 『民家蚕桑記』+ 寛政10年 『優游一奇』 文化4年(序)『もとの露』

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文化10年 『猿醴集』『浦傳集』 文化12年(序)『みかさねの瀧』 文化13年 『ほし佛』『美佐古鮓』+ 文政5年 『施供養』 文政6年 『三春樂事』 文政12年 『うきものかつら』 やまだや 刊記不明 『あけまき助六』『かけあひせりふ』 山田文可 文化3年 『たまくしげ仙臺之部』* 白居七回忌追善 山田屋留兵衛 明和7年(序)『しをり萩』 山村市兵衛 元禄9年 『孟子』 川村屋源吉 文政2年 『御分嶺中市町金銀諸通用見立角力』 文壽堂榮助 慶応元年(序)『はなむくげ』 三浦屋玉瓜 文化3年(序)『たまくしげ仙臺之部』* 白居七回忌追善 宮城屋 新左衛門 刊記不明 『女大學寶文庫』* 宮木屋孫兵衛 享保15年 『盬竃社服忌令』 石津屋 重郎左衛門 (白石静情堂) 安政4年 『六諭衍義大意』 前田屋茂吉 (塩竃) 享和3年文化12年 『松島盬竃圖』『名所圖繒』 塩竃附近 文化14年 『名所圖繒』 文政2年 『舟中一覧』 刊記不明 『宮城郡海岸景勝圖』『奥州名所圖繒』☆ ☆抄本 三春屋平吉 (石巻) 嘉永6年 『軍用太平餅引札』 鈴木屋善蔵 (若柳中町) 文久元年明治3年 『近道子寶』『子供早學問』 刊記不明 『農家手習状』『萬寶百人一首』 千葉屋新助 (一関) 文政13年天保5年 『平泉往來』*『山鶴集』*『陸奥郡郷考』* 渋谷伊惣治 (岩谷堂) 天保6年 『卜心鏡智夢物語』*

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◎私家版その他 版元 刊記 発刊物名 摘要 育英堂蔵版 天保10年 『韻學提凡贅録』 石川基則蔵版 刊記不明 『唐虞世南書』 一嘯蔵版 嘉永3年 『花筐』『後花筐』 岡埜小右衛門 文化8年 『醒齋稿』★ 『醒齋稿二編』★ ★白石 文化9年 『醒齋稿三編』★ 刊記不明 『仙臺芝居番附』★ 菊田屋 刊記不明 『善悪種蒔境』 渾沌齋蔵版 文政6年 『昊天一氣渾瀹変化 圖』『昊天圖説』 文政7年 『昊天圖説詳解』『九 數答術』『九數百好』 止才堂 元禄6年 『甲冑知名圖』 致藥室蔵 元治元年 『保命諸言』 渚舎蔵版 弘化4年 『装詞打合圖・脚結詞 打合圖』 拾翠堂 文久3年 『多賀城碑釋文』 仙臺冬至庵連中 宝暦3年 『癸酉歳旦』 明和元年 『獅子門除元』 高橋屋長次 刊記不明 『女太夫』 頓宮伸左衛門 享保16年 『出火用心集』 永野永助 文政6年 『宮城野銀杏姥神縁 起』☆ ☆銀杏屋舗永助 版木屋彦右衛門 文政9年 『百みそちみとせの 手向』 萬木(彫工) 延享2年(序) 『茄子馬』 享保年中 『さくら集』 刊記不明 『菅天神奉納集』 三浦屋義兵衛 文化3年 『相撲番附』 有季亭蔵 刊記不明 『濟世一方』 石巻社中 安永8年 『すゝ鴨』 安政6年 『家鴨』 日新堂 天明3年 『坪碑史證考』 林子平蔵版 寛政2年 『阿蘭陀船圖説』

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寛政3年 『海國兵談』 絶版 刊記不明 『阿蘭陀人宴会圖』 大場山城等版 寛政4年 『育子編』 蠖齋社中 寛政10年 『優游一奇』 官園蔵版 享和3年 『茶述』 季日堂波人 文化元年 『四つの緒』 櫻田行 文化9年 『聚勝園記』『宮城野 聚勝園記』(石印本) 石巻二晶者來 文政11年 『猿の腰掛』 伊藤十郎 弘化元年 『玉屑無薼』『書錦記』 進修書院 嘉永4年 『百将新詠』 仙臺司天家 嘉永5年 『嘉永五年略暦』 安政4年 『安政四年略暦』 宍戸蔵版 安政5年 『九星方位ノ書』 小野寺鳳谷 天保11年 『改定東海舟程全圖』 嘉永5年 『仙臺石巻湊眺望之 全圖』 安政2年 『蝦夷海陸路程全圖』 安政5年 『石巻眺望圖』 元治元年 『松島寫眞全圖』 時敏齋蔵版 刊記不明 『堂室考』『儀礼釋宮』 保田光則 天保10年 『訓歌集』(木活字) 刊記不明 『浅香の山のゐ』(木 活字) 相沢屋孫助 (古川) 刊記不明 『緒絶橋守其爪評月次句会』 九霞館 刊記不明 『深谷詩集』『五城集 刪』 遊佐好生 元禄15年 『孿生抄』 中院通躬他 正徳4年 『仙臺領地名所和歌』 仙府支考堂彫 延享5年 『先考七回忌追善』 高野兼良 宝暦4年 『金玉其相』 仙臺青燈下連中 明和2年 『松の種』 尚歯会 寛政13年 『翁合』 北鳳 文化元年 『さるをかせ』 曰人 文化元年 『我翁集』

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文化3年 『蕗笠集』 文政9年 『和が名集』☆ ☆曰人等句集 天保2年 『続三十里集』☆ ☆曰人先生句画 嘉永5年 『幸玉集』☆ ☆曰人居士追善 刊記不明 『濁齋曰人翁障子一 重』『俳諧深川集』『富 貴笠集』『我翁集』 『曰人句集』☆『曰人・ 谷水・蕉路の句』★ ★石巻☆言外堂扌啻葉集 乙二 文化元年 『はたけせり』 文化8年 『おのゝえ』 文政6年 『おのゝえ草稿』 『しをに集』☆ ☆乙二追善句集 文政8年 『わすれす山』☆ ☆乙二三回忌追善 天保6年(序) 『乙二七部集』 弘化2年 『茶一はい』☆ ☆乙二三十三回忌追 善 聚遠閣主人 文化元年 『麦羅念佛』+ 松月亭主人 文化2年 『仙臺発句撰』 蘭庭両吟蔵版 文化4年 『誰彼集』 香雪精舎 文政6年 『盬松勝譜』 野芳園蔵 天保2年 『西遊紀程』 寧静閣 嘉永2年 『磐溪文鈔』 五梅庵舎用 安政2年 『発句力競相撲立』 安政5年 『軒時雨集』 安政6年 『三月越集』 慶応元年 『はなむくけ』☆ ☆舎用発句集 刊記不明 『鱗しらべ』 『千賀浦名所一覧』 春友亭蔵版 万延元年 『狂歌扶桑名所』☆ ☆名物集陸奥国 有千閣 刊記不明 『松島圖誌』 千柳亭綾彦 刊記不明 『狂歌新柳集』『狂歌 金花集』『月並五色墨 集初會』『千柳亭綾彦 追福狂歌合』 『木下藥師開帳奉額 瑠璃の壼』

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橋守惣社中 刊記不明 『緒絶橋守爪評月次 句會』 版元不詳 安永年間 『歳号重寶記』 『どうけ百人一首』 天明4年 『奥州雄島碑帖』 『多賀城碑帖』 天明年間 『ころもかえ』☆ ☆三千風百回忌追善 寛政5年 『葛の霜』☆★ ☆芭蕉百回忌追善★ 岩沼 寛政5年(序) 『奥農志穂里』 寛政6年(跋) 『桃の音』☆ ☆桃黒居士追善 寛政7年 『花勝見考』★ ★塩竃 寛政13年 『千字文』 文化2年 『五梅庵舎用居士発 句集』『転地儀』 文化3年 『新増日用算法記』 文化4年 『霜の峰』『奥の海集』 文化4年(奥書) 『鹿の細道』 文化5年 『すまひくさ』 文化7年 『秋興南南瓜考』 『はなとり』☆ ☆花鳥余韻集 文化7年(序) 『私歌集』 文化8年 『松島案内記』 文化9年 『教訓百人一首抜書』 『袋黛菴薦集』☆ ☆光風居士七回忌追善之俳諧 文化9年(奥書) 『磯せゝり』 文化10年 『わかほとけ』 文化11年 『文化十一甲戌歳句 集』 文化14年 『 永 徳 塵 劫 記 大 成 』 『俳諧五十四帖』『松 島 五 大 堂 御 島 句 碑 集』☆ ☆松島 文政元年 『理氣鄙言』 『幼學指南諺註』 文政2年 『高館俳軍記』『仙臺 じまん』『國名盡集』 『南山法帖』☆ ☆阿房宮賦

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文政5年 『壬午天行病説』 『落栗集』 文政7年 『敷松葉集』 『倭歌いろは教訓』 文政8年 『襄中詩稿』『忘寥草』 『百姓往來豊年蔵』 文政10年 『木硯集』 文政12年 『仙臺領高名競』 天保元年 『狂歌柳條集』 『松濤勝咏』 天保2年 『古今百奇談』『東照 宮祭禮圖』『東照宮祭 禮山車圖』『大町山車 圖 』『 仙 臺 祭 行 列 繒 圖』 天保3年 『霞雨草』『華園集』 天保4年 『救荒略』『辟瘟方及 救荒略合解』 天保7年 『枯萩集』『俳林大相 撲発句点合』『荒年心 得』 天保9年 『鷗盟詩選』 『をほろそめ』 天保10年 『一解集』 天保11年 『筆塚集』『澄心堂遺 構』『文出塚』☆ ☆二柳軒淵水七回忌 天保12年 『歳寒堂詠物詩』 天保13年 『荒町毘沙門角力番 附』 天保14年 『しくれくさ』☆ ☆祖翁百五十四忌 弘化2年 『松島八景圖誌』 弘化3年 『善悪種蒔鏡』 『かれかれ集』☆ ☆太原居士百ヶ日追善 弘化4年 『眞弓集』 弘化年中 『相撲日下鏡』 嘉永元年 『松吟集』『うぐいす 笠』『自句留』『鳴盛 集』

(29)

嘉永2年 『玉蕉百絶』『増補倭 語便覧』『松島御島五 大堂圖』★『仙臺年中 行 事 大 意 』 『 み つ かゝみ』『相撲番附』 『しのふすり』 ★松島☆ ☆芭蕉眞蹟石摺 嘉永3年 『仙臺祭禮圖』 『宮町角力番附』 嘉永4年 『事ふり集』『ともあ かり』『東櫻集四季』 ☆ ☆自他紀行 嘉永5年 『昔物語』 嘉永6年 『瓢躍集』『旅枕』 嘉永6年(序) 『岩根草集』☆ ☆禾月古稀祝句集 嘉永6年(奥書) 『俳諧三十六歌仙』 嘉永7年 『改正蝦夷全圖』 安政元年 『句集』☆ ☆由誓・一具等 安政2年 『松前蝦夷道中細見 記』 安政3年 『釣奇一覧』『浦のみ るめ』『玉川集』 安政4年 『只野魯人俳諧納会 案内』 安政4年(奥書) 『はなかたみ』 安政5年 『陸奥百句集』 安政6年 『和易堂詩』 安政7年 『挿花千代春』 文久2年 『白露貫珠』『狂歌春 野 集 』『 か け と く と く』★ ★角田 文久3年 『雪明り』 『しんせき集』★ ★佐沼 元治元年 『うもれ木』 『かけとらえ』 慶応元年 『無何有院柳翁離塵 居士追福狂歌合』『仙 臺天神雙六』

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慶応3年 『父母恩子記』『続月 夜塚集』★ ★船岡 慶応4年 『兵士懐中便覧』『會 津四郡圖』 刊記不明 『御家女中學』『御家女 學校』『女論語』『御家 女孝教』『女實語教』 『書状稽古』 『含状並梶原讒願状』 『大坂状』『奥州仙臺 道中記』『仙臺道中記』 『奥州仙臺名所盡集』 『醫學館御製樂配藥 所』『芭蕉ノ辻圖』『奥 州金華山』 『松島洲嶼眞圖』『八幡 村名所圖』『僊府經峰 之眞景』『谷風像』『内 宮外宮の辨』 『觀音十大くわん』『天 神經』『三字經』『法華 滅法』『仙臺碁盤人形 番附』 『仙臺年中行事雙六』 『地球圖』『いろは短 歌』『西國巡禮歌』『月 並狂歌合』 『美知乃久布里初編』 『夷曲花百首』『仙臺言 外餘情堂春興摺物』 『瀑布のつと』『牛のあ ゆみ』『小錢狂歌合』 ☆『発句題林抄』『句 集』『つゆあがり』 『圖名盡集後編』『俳諧 旅烏』『古額俳諧歌仙』 『栗原の郡もとの巻』 『俳諧破魔弓』『初螢』 『俳諧植継集』『橋柱 集』☆『薙髪披露甲乙 録』『四季并集』 『奥羽紀行録』『はなも よい』『春の曙』 ☆千秋案菴三陀羅翁 十三回忌追福 ☆奥州俳士雅俗名録 *は,重版有 + は,合刻本

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