特別講演
糖尿病治療の進歩
嗜女歴1,3第犠,撰言〕
東京女子医科大学 ヒラ タ 平 田 糖尿病センター ユキ マサ幸 正
(受付 平成元年10月11日)New Approaches to Diabetes Therapy
Yukimasa HIRATA
Diabetes Center, Tokyo Women’s Medical College
During recent 10 years the therapy of diabetes mellitus has been improved very rapidly. For exarnple human insulin produced by recombinant DNA methods was introduced to the clinical use, actuarial 2−year survival rate of the pancreas transplanted to insulin−dependent diabetics became over 80%,the new vitreo−retinal surgery brought the wonderful improvement of advanced diabetic retinopathy, and kidney transplantation became the major choice to treat renal failure caused by diabetic nephropathy. Although the transplantation of the pancreas and the kidney in Japan is very difficult because of the social background, diabetes care in this country has been much improved by systemic education to patients and comedical staffs.
はじめに この10年間における糖尿病治療の進歩をふりか えってみたい。この進歩は,国際的にみれば大別 して2つに分けられる.その一つは糖尿病そのも のの完全治癒を目的としたものであり,なかでも 膵移植による輝かしい成績がみられる.他の一つ は糖尿病のケアに関するものであり,とくにチー ム医療による糖尿病治療の進歩は著しいものがあ る.日本国内に限ってみれば,膵移植は社会的背 景から困難であり,手つかずに終っているが,糖 尿病のケアの中の一部に関しては著しい進歩のあ とがみられる. 糖尿病の完全治癒 1.膵移植 1984年頃から移植膵の生着率が良くなりはじめ た.とくに北欧,西ドイツ,アメリカの専門病院 における生着率の向上は著しい. なかでも注目を惹く成績はWisconsin大学の Sollingerら1)によって報告された成績であり, 1986年以後に施行された移植膵の生着率はぎわめ て高い.彼らは移植膵の血液をdonorの中の勿 s加でUW−1液(University of Wisconsin)でよ く洗うところがらスタートしている.UW−1液は 表1に示す通りであり,これによってよく洗った膵 を取り出した後,UW−1液に浸し4℃に保存,平均 表1膵移植の成績の向上,Wisconsin大学で使用 するdonor膵潅流・保存液UW−1液の内容(So1− linger HWら1)による) K+一Lactobionate KH2PO4 MgSO4 Ra伍nose Adenosine Glutathione InSUHn Bactrim〔TM) Dexamethasone Allopurinol Hydroxyethyl starch pH=7.45 Na=30±5mM K=120±5mM Osm=320±5mOsm〃 100mM 25mM
5mM
30mM5mM
3mM
100u〃 0.5ml〃 8mg〃 1mM 509〃2 図1膵腎同時移植の一方法(Sollinger HW et all) による) 8.7時間後に移植している.膵腎の同時移植手術に は平均5.9時間を要する. Sollingerら1)の術式は,右股動静脈に全膵を,左 股動脈に腎を植え,膵を十二指腸の一部とともに 膀胱に繋ぐことによって回外分泌液を膀胱に排泄 するようにしたものである.これは現在のところ, もっとも良好な生着率を示すといわれる(図1). 免疫抑制剤としてはmethyl prednisolone, azathioprine, Minesota antilymphoblast globulin, byclosporinなどを組合せて使用,長期 投与には10∼30mg prednisone, 4∼12mg/kg cyclosporin,1mg/kgのazathioprineへと移行す る, 1988年10,月の報告の中では30例にこの方法によ る膵腎同時移植を施行し,1例のみに移植膵の動 脈に感染による動脈瘤ができており,この破裂に よって急死した1例を除く29例は生存,腎は28例 で生着(後に死体腎の移植に成功したので結局29 例に腎移植成功),そのうち膵腎とも薄着25例(計 算上の2年後の生着率83.3%)ということであっ た.またこの時点で,すでに18例が雇傭されてい ること,膵生一例では術前のHbA、cが10.7± 0.4%であったものが正常値である6.7±0。2%ま で食事療法その他の治療なしに低下しているこ と,血清クレアチニンは透析なしで1.751ng/dlま で低下していることが示された. これら30例は,いずれもインスリン注射なしで は生命の保てないインスリン依存型糖尿病であ り,しかも末期腎不全を生じ膵腎同時移植までは 透析が必要であると考えられていたものである. 事実14例は,すでに透析中であった.このような 症例が,インスリン注射,尿毒症,透析,血糖の 著明な動揺といういずれも患者のquality of life を著しく障害する問題から解放されたということ は驚くべき治療の進歩といえた.すでに膵腎移植 後,4例が妊娠分娩に成功している(Tyd6nら2)). 2.膵島移植 膵臓移植の中で必要なものは膵島であり充分量 の膵島を移植し,それが生着すれぽ,わざわざ膵 臓を移植する必要はない.そこですでにヒト膵を 用いて膵島を集めて移植が繰り返して試みられた が,すべて失敗に終っている.膵島の本来の血流 が膵島のみの移植では得られないことに原因があ るらしい. 3.免疫抑制療法 インスリン依存型糖尿病においては膵島に対す る自己免疫が関与することから,発症のごく初期
に各種の免疫抑制剤が試みられた.なかでも
cyclosporin3)とciamexon4>が有名であるが現在 のところ,単なる研究にとどめ,臨床の実際には 応用すべきではないとされている.将来,この膵 島の自己免疫を特異的に抑制するものが発見され るまで待つべきであるという意見もある. 4.インスリン早期大量使用 膵島に自己免疫機転が働く時,膵島B細胞の働 きをできる限り抑制することがB細胞の生き残 りに有効に働くという考え方があり,インスリン 依存型糖尿病の発症と同時に,常に低血糖を起こ すほどに過剰のインスリン投与をしぼらく続ける ことの有効性が説かれている.完治とはいかない までも今後試みる価値のある方法といえる. 治療の実際における進歩 1.糖尿病ケアの進歩 1)チーム医療の形成 この10年間に糖尿病治療は主治医中心の医療形 一220一態から患者を中心としたチーム医療の形態へと変 貌を遂げた.これを可能とし,あるいは必要とし たものは,コメディカル医療従事者の教育と患者 教育が進歩したことと,糖尿病による各種の重症 化した合併症のケアが各科専門医間の協力なしに は遂行できないまでに至ったことによる.しかし その底辺にあるものは医療は患者のためにあるも のであり,患者教育な:しには糖尿病の治療は成立 しないということに気付いたためと言える.この 現象は,日本だけのものではなく,すでに欧米で 古くスタートしていることがらに日本でも目覚め たことによる. その例としてインスリン注射を患者自身が施行 することを日本が公認したのは欧米に遅れること 59年であり,また医師,コメディカル,患者,そ の他関係者を含むイギリス糖尿病協会(BDA)が 発足したのは1934年であるが,日本ではまだそこ まで至っていない.患者教育の実際には医師より もむしろコメディカルの占める役割が大きいのに かかわらず,日本では患者教育ナースの育成とい う考え方は定着していない. ただし,現実には,内科医と眼科医が同一カル テで患者治療に当り,内科医と小児科医が同一カ ルテで小児期から成人にかけての治療に当り,ま た産科と協力して糖尿病者の妊娠に当るなど,診 療科間の協力は,日本においても浸透して来てい る.コメディカル教育についても東京女子医大の 糖尿病セミナーをはじめ各種のネットワークがで きはじめている. このような医療チームに支えられて,小児糖尿 病患者が医療チームの教育さえ受ければインスリ ン自己注射,血糖自己測定を身につけ,就職し, また結婚して健康な児を得るなど,30年前には欧 米では可能であり日本では不可能と考えられたこ とも,今日の日本では可能となった. 2)インスリン治療の進歩 大腸菌ついで酵母にインスリンの遺伝子を入れ てヒトインスリンを生合成させ,これが従来の動 物インスリンにとって代ったのはこの10年間ので きごとであった. インスリンの投与法も,持続的静脈内注入法か ら持続的皮下注入法(CSII),ペン型インスリン注 入器,さらには皮下埋込型プログラム追腹腔内注 入器(Saudekら5)),さらにジェット注入器など, あらゆるニードに対応する使用法が臨床の実際に 導入された. しかし,もっとも大きい進歩は,刻々と変化し てやまない血糖を即時に自己測定でぎるように なったことと,過去1週間あるいは1ヵ月間の血 糖値の平均値をfructosamineあるいはHbA1, で,retrospectiveに測定できるようになったこと であった.とくに血糖の自己測定は低血糖,糖尿 病昏睡などの予防のほか,合併症の防止に対して, HbA、。とともに威力を発揮するもので,みずから 血糖値を測定しながらインスリンを調整していく 強化インスリン治療法が日常的に用いられるよう になった. 3)合併症予防 今日,糖尿病における最大の問題点である合併 症,とくに特有な慢性合併症は,正常範囲をこえ た高血糖が,どれほど高く,どれほど長く続いた かで規定されるものと考えられるに至った. 何故に高血糖が,そのような障害を起こすかと いう点に関し,一つは蛋白質の非酵素的糖化non− enzymatic glycation,他の一つは,細胞内で増加 したglucoseがaldose reductaseにより大量の solbitolに変化し, myoinositolが減少することに よるという説である.後者は白内障の出現と神経 障害の一部には関与していると考えられるが,今 のところglycationのウエイトが高いようである (Brownleeら6)).これにはaminoguanidineが抑 制的に働くというが,研究段階である.Aldose reductaseについてはその阻害剤が次々に登場し ているが,神経障害に対してのみ多少の効果があ るようである しかし,何よりも進歩したことは,網膜症およ び腎症の早期発見,すなわち前者では毎年,眼底 検査を主とする眼科的検査による網膜症の早期発 見,後者ではmicroalbuminuriaの時期に腎症の 早期発見が,次第に徹底して来たことであり,こ れが患老のquality of lifeの向上にもっとも威力 を発揮する時代となった.
4 2.合併症そのものの対策 1)糖尿病昏睡,外科手術 インスリン発見後も,日本における糖尿病昏睡 の死亡率は50%といわれた.現在はゼロに低下し ている.その大きい原因は充分量の生理的食塩液 とインスリン(0.1U/kg/hr)の持続静脈内注入法 が普及したことによる.この方法は,インスリン 量を増しさえずれば,どのように大きい外科手術 でも,さらに糖尿病昏睡と重なっていてさえ実行 が可能となったことを意味した. 血糖値が高いから外科手術が不可といった時代 は去ったのであった. なお,糖尿病昏睡治療に当って血糖の正常化に かかわらずまれに死を惹起していた脳浮腫はCT によって容易に発見できるようになり,ステロイ ドその他により容易に回復できるようになった. 2)網膜症 糖尿病網膜症の治療は,この10年間に一変した. かつての有効とは言えない各種の薬剤投与から脱 却して,vitereo−retinal surgeryの時代に入った
といえる.Argon一, krypton一, dye−1aserによる光
凝固術は,前増殖網膜症にあっては,必要ならぼ いつでも施行できる態勢になっていることが要求 される.最近は,さらに黄斑症にまで適応の拡大 がある.もちろん過剰になることは許されないが, 適切な時期を逃すと失明に連なるだけに重要であ る.さらにまたこの時期を逃して,硝子体手術を 必要とすることがある.この場合も硝子体手術有 効の時期を逃さない必要がある.この硝子体手術 に際してargon−laserによる眼内光凝固も治療の ため必要となる.ただし,ひとたび視力障害が高 度になった場合,糖尿病者はリハビリ施設の多く で拒絶されるため社会復帰は,きわめて困難であ る.日本糖尿病学会はこの点に関してぽ直接,努 力をしていない.上記のBDAとは全く異なるが, 社会基盤を異にするためであろう. 3)腎症 この10年間の進歩の一つは,microalbuminuria の考え方の導入であった.従来,尿蛋白が常時出 現して腎症の診断としたが,とくに糖尿病腎症の 存在が疑われる場合,すなわち糖尿病性神経障害 や網膜症の進展の認められるもの,糖尿病罹患歴 の長いものなど,従来法では発見でぎないが正常 範囲をこえる蛋白尿を発見し,この時期に血糖の 正常化と高血圧の是正をすれぽ,臨床的腎症を予 防できると考えられるようになった. 一方では,この糖尿病腎症による末期腎疾患と して血液透析導入患者が毎年増加し,すでに原因 疾患別に分けると年間透析導入患者数の20%をこ え,実数では3,000名を突破した. この腎症に対する治療法として,腎移植がもっ とも有効であり,欧米における治療の中に占める 割合は,きわめて高い.これに対して日本では糖 尿病腎症による腎不全のほぼ100%が病院での血 液透析を施行されている.その状況はLebanon, Libya, Moroccoと同様である.ちなみにNor− wayでは腎移植86.0%, CAPD 6.1%,血液透析 7.9%である.またFinlandでも同様である.文明 国ではFranceは腎移植の少い国として注目され るがそれでも腎移植3.9%,CAPD 24.1%,病院血 液透析62.8%であって,かなりCAPDが施行され
ている.なおCAPDの多い国としてはUnited
Kingdomがあげられ,移植33.8%, CAPD
45.6%,病院血液透析16。6%である(1985年12月 調査,Challahら7)による). 東京女子医大糖尿病センターでは,腎センター との協力のもとに現在,積極的にCAPDを導入す る姿勢をとっており,現在25名に及んでいる.このCAPDはBaxter社のUV−XDという紫外線
発生の装置を内蔵した小さい箱の中で新旧透析液 の交換ができるため,視力障害者も自己交換可能 となる.糖尿病者では血液透析直後の自覚症状が 強いものがあり,社会復帰は不可能となることが 多い.この点はCAPDの方が有利である.現在, 腎移植,CAPD,血液透析の利点と欠点を充分説明 して患者とともに選択を行っているが,腎移植の 希望者は多いのにかかわらずdonorを探すこと に苦しんでいる.当センターの移植経験例は5名 にすぎないが,インスリン依存型糖尿病で腎症の ため血液透析に入り,トラブル続きであった1例 では父親からの腎移植に成功するとともに人生が 一変した.ただし,この症例のようにdonorは,まだ近親に頼ることが多いという実態は,わが国 の特色を見事に示している. 4)壊疽 わが国の特徴の一つにpodねtristが1989年の現 在もまだ存在しないということで,これも文明国 には珍しいことである.現在,糖尿病センターで は,やむなく1人の医師がpodiatristをかねて足 外来を開いている,糖尿病ではCharcot関節,足 部潰瘍,壊疽が頻発するが,研究題目とはなりに くいために患者は足のトラブルを放置されている 現状である. 5)妊娠 現在,糖尿病患者の妊娠トラブルは,妊娠前か らの血糖の完全に近いコントロールで,まずは防 止できると考えられるに至った.腎症さえ進んで いなければ,網膜症を硝子体手術や光凝固療法で 押えこんでおいて健常な児を授かることも可能と なった.とくに母子センターとの協力のもとに 1982年以降,糖尿病妊婦からの140例の新生児のう ち1例の周産期死亡もみなかった(図2).これら は糖尿病に対するケアとくにチーム医療の進歩の いかに重要であるかを示すものといえた.欧米の 一流の糖尿病センターの報告でも,糖尿病妊婦の 場合,児の周産期死亡は2∼4%という.従って 1982年以降の東京女子医大の上記の成績は,ぎわ めて良好であったといえる. 〔亨1 60 50分 40 娩 30 数 20 1晒 9 319児 周産朋死亡
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私06 %13. B9 315分娩 5了 NIDDM 52 22唐P5 33 32 15 】了 1DDM 13 8 T B 4 4 %, S39∼4041∼43∼45∼47∼49∼51−53∼55−5了卿59∼61∼63一一 年 代 2%5〔了附 %,1珊 図2 年代別にみた糖尿病妊娠分娩数の推移 (東京女子医大 糖尿病センターS39年2月 ∼H元年9月) おわりに 現在,わが国における糖尿病治療の進歩は,糖 尿病昏睡,妊娠といった短期間のケアを中心とす る場合を取り上げてみると,めざましいものがあ るといえる.とくにチーム医療という考え方を持 つことによって見事な進歩をとげた,これに対し てヒトインスリンの生合成,膵移植,腎移植といっ た基礎的な自然科学のバジクアップや社会環境の 進展を必要とする部分においては著しく遅れてい るようである.国際的に眺めても文明国とはいい がたい面が存在すると考えざるをえない.研究面 だけでなく医療の向上の面でも国際的視野を拡げ ることが求められているといえる, 文 献1)Sollinger HW, Stratta RJ, D’Alessandro AM
et al:Experience with simultaneous
pancreas・kidney transplantation. Ann Surg 208 :475−483, 1988
2)Tyd6n G, Brattstr6m C, Bj6rkman U et a豆: Pregnancy after combined pancreas−kidney transplantation. Diabetes 38(Suppl 1):43−45,
1989
3)Stiller CR, Dupr6 J, Gent Ml et al=Effects Qf cyclosporin immunosupPression in insulin− dependent diabetes mellitus of recent onset. Science.223:1362−1367, 1984
4)Usadel KH, Keuber J, Schmeidl R et aL Management of type I diabetes with cialnex・ one. Lancet ii:567, 1986
5)Saudek CD, Selam J・L, Pitt HA et a1:A preliminary trial of the programable implanta− ble medication system for insulin delivery. N Engl J Med 321:574−579,1989
6)Brownlee M, Cerami A, Viassra H:
Advanced products of nonenzymatic glycosyla− tion and the pathogenesis of diabetic vascular disease. Diabetes Metab Rev 4:437−451,1988 7)Challah S, Brunner FP, Wing AJ l Evolution of the treatment of patients with diabetic ne− phropathy by renal replacement therapy in Europe over a decade:Data from the EDTA registry、 ZηThe Kidney and Hypertension in Diabetes Mellitus(Mogensen CE ed)pp365−377, Martinus Nijhoff Publishing, Boston(1988)